函館西部地区の坂めぐり
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西側から行きましょう。各坂については原則として海側・埠頭側から函館山側へ登って行きます。
有名な場所はたいていのガイドブックに紹介されていますから説明を省きました。
- 地獄坂 じごくざか。いきなり地獄坂とは!魚見坂のずっと上、外人墓地北側の公衆トイレの100mほど西側から下の山背泊集落へ急降下できる砂利ゴロゴロの急な坂。登るも降りるも厳しいのでこんな名で呼ばれるようになったのでしょうね。
- 魚見坂 うおみざか。函館山側へ向かう坂の中では最も西端の坂。坂の下にある函館どっくは弁天台場を埋め立てて造られた。函館(入船)漁港へ向かう道はむかし鉄砲小路と呼ばれていた歓楽街。坂の中腹、現在西小学校があるあたりにはかつて台町遊郭があった。坂の上には高龍寺、ふたまたの道を左へ進むと突き当たりに台町検疫所跡。ここは戦時中函館どっくで強制労働させられていた米軍捕虜の収容施設として使われていました。ふたまたを右へ進むと地蔵寺、外人墓地とならぶ。地蔵寺にある万平塚の万平というのは、ユーモアがあり、人から恵んでもらわない気骨のある乞食で、毎朝ゴミ箱を探して歩き、その家の人物評を日記風に書き残した。この塚は、大阪から所用で来た藤岡惣兵衛が、万平にタバコの火を借りようとした際「帽子も取らずに」となじられたが、その人柄に感じ入り、大正4年万平の死後、供養塔として建てたもの。検疫所の前の坂道をさらに登ると真っ赤かに塗られた天下の号外屋翁の墓が目に付く。「天下の号外屋」信濃助治は明治27年6月、赤い色は偽り無い心(赤心)を表すとして衣類・コート・帽子・足袋まで赤ずくめで来函。同年11月、日清戦争の頃号外をまいて「天下の号外屋」と称し、また「赤服」と呼ばれた。さらに墓地の間を上り詰めると市営の火葬場がある。台町検疫所前から海へ降りてしばらく行けば穴澗海水浴場。
- テンコの坂 高龍寺の向かい側にある天光稲荷と真言寺の間の坂。真言寺は台場跡と考えられている。
- 船見坂 ふなみざか。大正3年創業の現役お風呂屋さん大正湯の建物は昭和2年に建てられた左右対照的な洋風建築。大正湯の前の道、魚見坂から弥生坂まではかつて旅籠町といわれていて箱館初期の山之上遊郭があった。山之上遊郭は明治4年の大火で消滅し蓬莱町遊郭あるいは台町遊郭へ移った。
- 千歳坂 ちとせざか。西中学校の東側に鯨族供養塔。
- 幸坂 さいわいざか。幸坂を港側まで行くと西埠頭がありときどき『飛鳥』などの豪華客船が接岸されている。今日(2003/07/07)はヨット遊びをしながら世界一周をしているプライベート・ボートLE GRAND BLEU号が接岸していた。西埠頭の倉庫街近くにある老舗のライダーハウス函館ミートハウスや大黒通り商店街のみなさんには個人的にお世話になっております。中腹にある函館市西消防署弥生派出所はなかなかホスピタリティ溢れる消防署です。坂の上にはロシア領事館、山上大神宮などがある。山上大神宮はもと神明社と呼ばれていて函館市西消防署弥生派出所の場所にあった。この坂は、西部地区の坂の中では弥生坂に次いで長くまた勾配の急な坂ですから坂道発進の練習には持ってこいの場所ですよ。
- 姿見坂 かつて坂の中腹に山之上遊郭があったことに因む色っぽい名称です。坂の下には「姿見坂下」という市電の駅もあったそうです。
- 常盤坂 ときわざか。函館の船大工続豊治が造った箱館丸は日本人の創造設計による最初の洋式帆船(安政4年完成)で、埠頭に復元船がある。
- 弥生坂 やよいざか。西部地区で最も長く勾配のきつい坂。上へ行くほどものすごい急勾配になる。坂の下の「沖之口番所跡」は海上交通の税金徴収のために松前藩が18世紀初めに設置したもので、その後「沖之口役所」「海官所」「海関所」「船改所」「函館水上警察署」「函館西警察署」と廃止・改称の変遷を経て現在は海岸町へ移転。坂の途中には石川啄木も教鞭を執った弥生小学校(当時は弥生尋常小学校)、現在は閉鎖されているニチロ会館、坂の上には謂われの不明なこんな石垣やあんな石組み、咬菜園跡、己巳役海軍戦死碑、愛宕グランドなどがある。
- 東坂 あずまざか。坂の下、相馬倉庫の裏、海際に新島襄脱出記念碑。
- 基坂 もといざか。海際には海上自衛隊函館基地隊、電車通り角には大正5年に建てられた相馬株式会社の社屋。坂の途中にはイギリス領事館、坂の上には元町公園。公園内には旧函館区公会堂、写真歴史館、開拓使書庫など。この外壁に使われている煉瓦をよく見ると、茂辺地(現在上磯町)にあった開拓使直轄煉瓦製作所の刻印が見られる。
- 日和坂 ひよりざか。トビ坂とも。坂の上には船魂神社。
- 八幡坂 はちまんざか。坂の途中にロシア極東大学校、坂の上には函館西高等学校、遺愛幼稚園などがある。
- 大三坂 だいさんざか。日本の坂100選に選ばれている。坂の上ちょっと南側の「ギャラリーMURAOKA」には、厚沢部町に住むオルゴール作家の谷目さん製作の手回しオルゴールがある。
- チャチャ登り ハリストス正教会と聖ヨハネ教会の間の坂道。チャチャは「おじいさん」の意味のアイヌ語で、この急な坂を登るのにおじいさんのように腰を曲げるからというが命名の意味らしい。
- 二十間坂 にじっけんざか。幅が広いのはかつて函館山要塞時代に大砲を揚げた坂だったかららしい。坂の上には、函館のローカルFM局「FMいるか」(80.7MHz)、元町配水場などがある。
- 南部坂 なんぶざか。坂の下には旧丸井今井デパート。中腹にある南部陣屋跡地にはNHK函館放送局が置かれていたこともある。坂の上には函館山ロープーウェーの駅がある。その近くには津軽要塞標柱も残っている。
- 谷地坂 やちざか。
- 倒産坂 とうさんざか。汐見坂ともいった。今は護国神社坂という。
- 浅蜊坂 あさりざか。明治11年(1878)、ジョン・ミルン、エドワード・モースらが来函し在住のブラキストンとともに貝塚の発掘を行った。この坂周辺からもアサリの貝殻が多数発見された。坂の下にある、すき焼きで有名なお肉屋さん阿佐利本店はコロッケもおいしいです。
- 聖天坂 しょうてんざか。春日坂ともいった。今は青柳坂。
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