茂辺地煉瓦製造所

概説開拓使唯一の官営煉瓦製造所として明治5(1872)年に創設され、同13(1880)年末に閉鎖、その後民間に払い下げされた。[『はこだて歴史散歩』より抜粋]
茂別館東側に立つ煉瓦工場跡の標柱
    その他の写真
  1. 函館市元町公園にある開拓使書庫刻印入りの煉瓦
訪問記[2002/07/01]上磯町教委のM氏に「茂別館の裏の空堀をちょっと入れば分かりますよ」と教えてもらい行ってみた。今まで何度か行ったことのある場所なのですぐに見つかるか半信半疑だったが今年は雑草が少なかったせいかすぐに標柱が見つかった。標柱から台地側へ10メートルほど歩くと足の下に煉瓦の残骸がザクザクと触れはじめた。煉瓦の破片を少し表面採取するつもりで行ったが拾う気もしないくらい一面の煉瓦破片畑だった。
所在地上磯町。茂別館の北側。
参考書『はこだて歴史散歩』