函館西部地区のお散歩スポット
提携ページ
- 函館山
- 函館のシンボル。牛が横たわっているように見えるので別名臥牛山(がぎゅうさん)。風の強い寒い寒い晴れた夜に山頂から見る函館の夜景は言葉で表せないほどの美しさです。山頂までのロープウェイの待ち時間もバカにならない。歩いて登っても20分ぐらいですよ(道を知っていればですが)。
- 消火用具 函館山をハイキングしていると所々で目にします。山火事を発見したらこの纏(まとい)でパタパタ消せってことらしいけど、今のご時世ならばただちに携帯電話で通報したほうが良さそうです。
- 坂道めぐり
- 西部地区は坂の町。西側から歩いてみましょう。-->ここからどうぞ
- 弁天町界隈
- 鯨族供養塔(弥生町 市立西中東隣) 背美鯨の模型が据えられているこの供養塔は、もと遠洋捕鯨船の船長兼砲手天野太輔氏が自費で立てた。説明板には次のように書かれている:生業とは言え殺生の罪深さを痛感した天野翁83歳の殊勝の所業である。碑文によれば「明治四十年以来捕鯨事業ニ従事セシコト二十六年ノ長キニ及ビ、其ノ間ニ於ケル捕鯨頭数実ニ二千数百頭ニ達セリ...」と刻まれている。
- 穴澗海岸(入船町) 夕陽のスポット。もう一つのスポットは船見町の一番高い所にある函館市火葬場からの眺め。
- 函館ミートハウス(弁天町) お肉屋さんではありませんよ、老舗のライダーハウスです。北海道での第一歩を函館へ標したライダーのみなさんの「さぁ、明日から道内一周」という意気込みも夜明け頃には夢の彼方、自らに許された時間のすべてをここで使い果たして内地へ帰っていく、といった光景を私は幾度となく見ております。というくらい居心地のよい場所なのです。7月19日の弁天町厳島神社の宵宮での御輿担ぎは圧巻です。別館は昔イカつけ番屋として使われた防火レンガ壁のある歴史を感じさせる風格ある建物で、2003年6月末より居酒屋西浜としてリニューアルオープン。
- 元町界隈
- 市役所分庁舎エレベーター(末広町) 水道局などが入っている分庁舎の建物は旧丸井今井デパート。使われているエレベーターは今では貴重な手動式。頼めばエレベーターガールの元お姉さんが説明しながら上がったり、下がったりしてくれる。分庁舎は隣に新築される再開発ビルへ近々移転するそうです。建物は3階までは保存されるとのこと。エレベーターはどうなるのでしょうか。
[追記]十字街の旧丸井今井デパートは長らく市の水道局が使っていたが再開発の中で取り壊されそうになりながらも良い形で再生再利用されたように感じる。それと手動エレベータが生き残ったのも良かった。
- メモリアルホール蘆火野(末広町) 船山馨の小説「蘆火野」のモデルになった明治創業の老舗レストランである五島軒本館にある資料展示室。「蘆火野」の資料の他、明治維新前後の史料、十字街にある五島軒の洋菓子店「プロミエール・カモイ」の名前の由来など興味深い資料が並ぶ。食事をしなくても無料で見学できるお勧めスポットです。2002年秋、写真右に写っている廃屋の火災によって本館の屋根裏など一部が類焼した。
- 旧金森デパートとモザイク画(末広町) 尼崎製罐株式会社が使っていた旧金森デパートビルもきれいに改装されていた。タイルのモザイク画もロビーに移され見ることができるようになっていた。
- 谷地頭界隈
- 函館公園(青柳町) 明治12(1879)年に英国領事ユースデンの勧めで渡辺熊四郎らが中心になり市民の協力の元作られた北海道最初の公園。今となっては小さな公園だけど、市立函館博物館や市立函館図書館、遊園地、動物園、庭園などいろいろなものがギュッと詰まっている箱庭のような公園。
- 大門界隈
- 函館駅前(2002年8月)(若松町) 函館駅前の再開発によって近々この風景も見られなくなることでしょう。
- 新函館駅舎(2003年6月)(若松町) 2003年6月21日、新しい駅舎がオープンしました。2003年7月5日現在、旧駅舎は取り壊されつつあります。
- WAKOデパート ボーニ森屋の向かい側、JR函館駅前の一等地にあるデパート。「さいか」が無くなった今となっては昭和40年代のレトロな雰囲気を体験できる貴重なスポット。地下にはレコード店・古書店・梅の寿司などが入っている。梅の寿司の海鮮ちらしはお値打ち。
- 函館の月光仮面(松風町)
JR函館駅から400mほど南西へ行ったグリーンベルトの中の広場に立つ月光仮面像。台座に「憎むな 殺すな 赦しましょう・川内康範」とだけ刻まれている。この像は函館出身の作者川内康範氏が1972年に市へ寄贈したもので、碑文は月光仮面のテーマだそうだ。川内氏は「誰よりも君を愛す」「おふくろさん」などの作詞者でもあり、80歳を越えた現在もお元気だそうだ。[『函館昔話15号』より]
- 高田屋嘉兵衛関連
- 2001年年明け1月6日からNHKで高田屋嘉兵衛のドラマが放映されましたね。(私は TVを持っていないので見ていませんが)
- 高田屋嘉兵衛像 護国神社坂の麓に建つ
- 高田屋嘉兵衛一族の墓(船見町 称名寺) 高田屋嘉兵衛は、明和6(1769)年淡路島に生まれ、廻船を業とし、寛政10(1798)年箱館大町に支店を設けた。以来、弟金兵衛と力を合せ、千島エトロフの開発と共に巨富をもって箱館の殖産興業に多大な業績を残した。日露両国間の問題解決に努力したのも有名で、その顕彰碑は観音堂前にある。郷里で没したから墓は淡路にもあるが、金兵衛の系統が函館に住んだので、称名寺にもある。
- 石川啄木関連
- わずか4ヶ月弱の短い滞在だったが、27年間の啄木の人生の中での函館は「死ぬ時は函館で」と言わせるほど、明るい時代であったとも言える。
- 啄木一族の墓 立待岬手前の市営墓地の一画にある。すぐ隣には啄木のよき理解者であった宮崎郁雨の墓と歌碑もある。
[参考]
(1)はこだて歴史散歩
(2)それぞれの場所にある説明板
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