南部陣屋

概説 寛政11(1799)年、幕府は蝦夷地の直轄に乗り出し、南部と津軽の2藩に出張警備を命じたが、2藩とも箱館に元陣屋を置いた。南部陣屋には350名ほどの兵がいたようだが、粗末な長屋2棟があって、湿気がひどく、兵士たちは苦労したようである。文政4(1821)年直轄がとけたが、安政元(1854)年再び直轄となり、再び南部藩は出兵を命じられ、再度この地を陣屋とした。
 やがて王政復古となり、南部兵を帰し、陣屋を新政府機関の箱館裁判所へ引き継ぐことになった。そのとき戊辰戦争が起き、南部藩の役人らは、明治元年8月11日、自ら火を付けて陣屋を焼いて引き揚げた。のちに南部藩主は新政府からしかられ、減石され東京に謹慎させられた。[はこだて歴史散歩P77より]
南部坂を上がったところにある入口の石垣。手前はここにNHK函館放送局があったことを示す記念のモニュメント
    その他の写真
  1. 坂の下から城壁を見る。南部坂はかなり厳しい勾配です
訪問記[2001/7/14]
所在地北海道渡島支庁函館市元町。南部坂を登り詰めた右手。元町壱番館やFMいるかなどのある一帯。
参考書『はこだて歴史散歩』