SF読書録
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2001年 上半期

“プリズム” 神林長平
“よろこびの機械” レイ・ブラッドベリ
“火星人ゴーホーム” フレドリック・ブラウン
“占星師アフサンの遠見鏡” ロバート・J・ソウヤー
“ハイペリオンの没落” ダン・シモンズ
“終わりなき平和” ジョー・ホールドマン
“ゼノサイド” オースン・スコット・カード
“ファウンデーションと混沌” グレッグ・ベア
“タクラマカン” ブルース・スターリング
“テクニカラー・タイムマシン” ハリイ・ハリスン
“捜査” スタニスワフ・レム
“過ぎ去りし日々の光” アーサー・C・クラーク & スティーヴン・バクスター
“ライズ民間警察機構” フィリップ・K・ディック
“無常の月” ラリイ・ニーヴン
“果しなき旅路” ゼナ・ヘンダースン
“エンダーズ・シャドウ” オースン・スコット・カード
“デクストロII接触” イアン・ワトスン & マイクル・ビショップ
“終りなき戦い” ジョー・ホールドマン
“祈りの海” グレッグ・イーガン
“ハイペリオン” ダン・シモンズ
“センス・オブ・ワンダー” 難波 弘之


“プリズム” 神林長平 (ハヤカワJA)

ひさしぶりに「たまには日本人作家の作品も読んでみようシリーズ」 です。

それぞれの都市の上空に浮かぶ神のごときコンピュータ、 浮遊都市制御体が生活のすべてを管理する世界。 そこに、制御体に認識されない少年がいた。 彼は、制御体はおろか、彼以外の人間にも見えないらしい生物に出会った。 彼らの正体はいったい…?

という話で始まる連作短編集です。 「浮遊都市制御体」というSFっぽいものは出てきますが、 ファンタジーの世界です。 すべて同じ世界を舞台にした話で、「想い」「言葉」が根元的な力を持つ、 という設定になっています。 登場人物は一部重なって出てきますが、あまり意味をなしていない (話どうしの関連性が薄い) ような…。 そういう感じなので、 それぞれの話が連関して一つの大きな話を構成しているわけでもないし、 かといって、 一つの枠組みの中のさまざまな側面を捉えているとも思えないので、 何か中途半端な感じです。

すでに書いたように「想い」と「言葉」、 それに加えて「色」がこの作品世界の重要な要素なわけですが、 「これらが重要な要素である」というアイデアがそのまま書いてある、 という印象です。 アイデアをそこから膨らませないと話として面白くならないと思うのですが…。

「想い」が重要である、ということならば、 「強く想ったことはきっと伝わる。たとえ、天上からでもね」 の“コムコップ”(岩泉舞) (小説ではなく漫画です) のほうが格段に印象的だよなぁ、なんてことも思いました。 (6/29)


“よろこびの機械” レイ・ブラッドベリ (ハヤカワNV)

ブラッドベリの短篇集です。 SFの香りがするのは…ほとんどないです。 “二人がここにいる不思議” ではお墓がよく出てきましたが、 こちらも「死」や「滅び」といった題材のものが多く収録されています。 全体として、いくつかおもしろいものはありますが、 それは上述の題材以外のもののほうが多いです^^;。 そういう感じで、ブラッドベリの短篇集にしてはいまいち、 といったところでしょうか。

それにしても、“少年よ、大茸をつくれ!” っつー駄洒落の邦題はいただけませんなあ^^;; (ちなみに「茸」の音読みは「し」ではなく「じょう」です)。 創元SFの “スは宇宙(スペース)のス” にも同じ話は収録されていますが (訳者は違います)、 そちらでは原題“Come into My Cellar”に忠実な “ぼくの地下室へおいで”という邦題になっています。 (6/23)


“火星人ゴーホーム” フレドリック・ブラウン (ハヤカワSF)

ある日突然、地球上のあらゆるところに大挙して火星人が現れた。 彼ら、火星人を名乗る緑色の小人は「クイム」してどこにでも現れ、 いらぬことを詮索し、いらぬことをしゃべりまくって、 地球人をからかい、おちょくり、邪魔をする。 当然、人類は大混乱に陥るが…。 彼らはいったい何なのか、彼らは去ってくれるのか?

突如、何をするにもうるさい火星人が付きまとい、 あらゆる隠し事ができなくなってしまった (この点は “過ぎ去りし日々の光”と似ている? ^^;) 世界の大騒動をコミカルに描くユーモアSFです。 短編集 “スポンサーから一言” と同じような感じのおもしろさ、といったところでしょうか。 事件自体はけっこうブラックな面を持つのに、 話はブラックになっていないところがよいですね。 (6/14)


“占星師アフサンの遠見鏡” ロバート・J・ソウヤー (ハヤカワSF)

知性を持った恐竜キンタグリオが中世ヨーロッパ的な文明を作り上げている、 とある世界。 若き見習い占星師のアフサンは、 宮廷占星師の下で学んでいるが、 古くからの教えを重んじ、 自分でもっと詳しく観察することを否定する師匠には不満を持っていた。 そんな彼が、新発明の「遠見鏡」 (読みは「とおみきょう」でいいのかな) を手に巡礼の旅に出たとき、 彼の眼には真の世界の姿が次々と映し出された。 そしてそれだけでなく…。

単純に恐竜版ガリレオを描いたファンタジーかと思いきや、 中盤から SF的展開が待っています。 もっとも、そこに持っていくためなのか、 アフサンがあまりに勘が良すぎです^^;。 あれだけの観察で、あそこまで推論してしまうとは、、、。 人間の知性を基準に考えてしまうせいかもしれませんけど。

ゴールデン・フリース” もそうでしたが、まずまずは面白いし、なかなか良くできているとは思うのですが、 何かもう一つ足りない、という感触があります。 うーん、何だろう。 盛り上げ方がいまいちなのかな。 ストーリー的にひねりが足りない、というのもあるかな。

この世界を舞台にした続編も二つ書かれているようですが、 邦訳はまだされていません。 (6/8)


“ハイペリオンの没落 (上・下)” ダン・シモンズ (ハヤカワSF)

ハイペリオン”二部作の、後編(^^;)です。 前編 (前作) は、巡礼のそれぞれのメンバーの語る物語が中心でしたが (冒頭で、とある人物が要約を語ってくれます^^;)、 こんどは、連邦とアウスター、そして <テクノコア> の間の戦い、そしてそれと <時間の墓標> やシュライクがどう関係するのか、 という謎解き (種明かし) が中心です。 そう、前作で提示された謎は、この作品で、 解かれるというよりもだんだんと答えが語られていくという感じなのですが、 「なるほど、あれはそういうことだったのか」 とおおよそきちっきちっとはまっていきます。

そして最後に、この「大戦」の決着をつける場面は、短く、単純ではありますが、 壮絶です。 CEOも将軍もかっこいいです。 場面は違いますが、巡礼の面々もそれぞれの役割をかっこよく果たしていきます。

前編・後編ともに、文庫本だと上下巻 (それも結構厚い) という量ですが、 十分に読みごたえがあります。 解説の言葉を借りれば「異様に密度の濃いただのSF」 「史上最大最強のジャンルSFリミックス」です。 (6/1)


“終わりなき平和” ジョー・ホールドマン (創元SF)

タイトルが示す通り同じ作者の“終りなき戦い” と深い関連をもった作品ですが、続編ということではありません。 だからといって、邦訳が片やハヤカワから、 片や創元から出ているってのも不思議なものですが^^;。

「連合国」とゲリラ勢力「ングミ軍」との戦いはえんえんと続いていた。 連合国側には、神経接続により遠隔操作される機械兵士「ソルジャーボーイ」 という強力な兵器があった。 このシステムは単に操縦士 (「機械士」と呼ばれる) が一つのソルジャーボーイに接続されるのではなく、 10人の小隊員全員が精神的に繋がりあって活動するので、 完璧な連携行動が取れるのだ。 しかし、この神経接続システムには、軍も知らない秘密があった。 そして、木星軌道上で行われている粒子加速機の実験の、 思いもよらぬ結果が予見されたとき、 神経接続システムの秘密を知る科学者が行動を起こす決意をした…。

語り口は“終りなき戦い”と同じ感じなのもあって、 主人公とその恋人の人物像は何となくあちらと重なってしまいます (狙ってそうなっているのかな)。 人間関係の問題や、サスペンス的な部分も登場しますが、 話の本筋にはさほど影響無し^^;。 で、最後は結構あっさりと片が付いてしまいます。 この結果の世界については、それで本当にいいのかな? どうかな? というのを読者に考えさせるような意図があるのかな、 と思いました。 (5/19)


“ゼノサイド (上・下)” オースン・スコット・カード (ハヤカワSF)

“エンダー”シリーズの三作目、 “死者の代弁者” の続編です。 前作から30年ほど経っているという設定ですが、 状況的には「直後」と言ってもよいような感じです。 ノヴィーニャの子供たちは大きくなっていますが。

惑星ルジタニアの知的生物、ペケニーノ (ピギー) との対話が成立し、 窩巣女王も復活したが、 スターウェイズ議会の派遣した粛清艦隊は刻々と迫りつつある。 そして、ルジタニア土着の生物以外のすべての生物をばらばらにしてしまう デスコラーダ・ウィルスは驚異の適応性を示し、 人類の作り出す対抗策との均衡が崩れるのはいつともしれない。 ジェインはせめて粛清艦隊の活動を遅らせよう、と危険を省みず妨害工作を行った。

惑星パスにスターウェイズ議会に仕える「神の声を聞く」父娘がいた。 彼らは、「粛清艦隊が消え失せた」事件を調査することを依頼された。 それは、この父娘の関係、そして、 惑星パスの社会を大きく変える事態へとつながって行くのだった。

半ばを過ぎる辺りまでは、かなり絶望的な状況が続くので、 けっこう暗い話です^^;。 ところが、一筋の光明が見えたかと思うと、 あとは比較的軽いノリで結末まで行ってしまいます。 「そんなの、あり?」という感じです^^;;;。 「これは思い定めたまま為しうるところで定められたことなのだぞ」 ってやつでしょうか。

で、終わってみれば粛清艦隊はまだ止まってません。 というわけで、シリーズ完結編 (と言っても “エンダーズ・シャドウ” のほうの続編はまだあるでしょうけれども) “エンダーの子供たち”へと続きます。 “ゼノサイド”を読むと、続編の原題“Children of Mind” がなぜ邦題“エンダーの子供たち”になるのかがよく理解できます^^;。 (5/9)


“ファウンデーションと混沌” グレッグ・ベア (早川書房)

ベンフォードの “ファウンデーションの危機” に続く、“新・銀河帝国興亡史”三部作の第二弾です。 今回は“〜の危機”から数十年、セルダンが裁判に掛けられる前後の物語です。 “ファウンデーションの誕生” の最後の部分、 そして “ファウンデーション” の最初の部分に重なるところです。 心理歴史学者の章に登場した公安委員長、 リンジ・チェンはこんな人物だったのか…。

裁判の件も含めて、セルダンの計画は予定通り進んでいた。 もちろん、裏では某元首相(^^;)も暗躍していた。 ところが、予想外の事態が起った。 強力な精神感応能力者を味方に付けた皇帝顧問官が 「ロボット狩り」を始めたのだ。 時を同じくしてもう一つの事故が起こった。 某元首相の腹心の部下であり、 公安委員長の右腕でもある人間型「ロボット」が、 宇宙船の遭難に伴って正体を知られてしまったのだ。 さらに長年に渡るロボット同士の意見の相違から、 セルダンを阻止しようとする一派も…。

“〜の危機”のベンフォードほどべたにはアシモフを模倣しようとしていない感じで (でも違和感はない)、 ストーリー的にも読みやすくなっているように思います (“〜の危機”よりは薄いし^^;)。 ファウンデーション・シリーズを補完する、という意味でも、 精神感応能力者やガイアの起源へ迫ろうとしているあたりがよい感じです。 “〜の危機”で謎のままだった部分に関しても、多少匂わせていたりします。 “〜の勝利”できっちりと謎が解けるであろうことが期待できそうです。

というわけでおおよそ満足の行く内容ではありますが、 プラシックスたちはちょっと可哀想^^;。 (4/28)


“タクラマカン” ブルース・スターリング (ハヤカワSF)

ネットワークやウェアラブルコンピュータ、 拡張現実感などの技術が発達した近未来の世界を舞台にした話がメインの短編集です。 現実に存在することがら・名前などもちょこっと現れたりするところが、 リアリティを感じさせます。

表題作と“ディープ・エディ”“自転車修理人”は同じ世界を舞台にしていて、 登場人物もつながっています。 全体としては、まあ、こういうのも悪くないけれど、好みではないなあ、 というところでした。 (4/18)


“テクニカラー・タイムマシン” ハリイ・ハリスン (ハヤカワSF)

倒産寸前の映画会社が起死回生を狙った賭けに出た。 とある科学者の発明したタイムマシンを使って、 歴史物超大作映画を作ろうと言うのだ。 かくしてロケ部隊は11世紀に飛び、 ヴァイキングの部族と交渉を始めるが、当然、 次から次へとトラブルが襲い掛かる。 果たして、「週明けの月曜までに」映画は完成するか。

もちろん、ユーモアSFなので細かいことは気にしてはいけないんですが、 タイムマシン便利すぎ^^;。 “戦国自衛隊”(半村 良) の人たちが、 タイムスリップだったおかげであんなに苦労したのとは対照的^^;;;。 (4/10)


“捜査” スタニスワフ・レム (ハヤカワSF)

ロンドンで、連続死体消失事件が起こった。 その前には、あたかも死体が自分で動いたかに見える事件もあった。 いったい誰が、何のために? 捜査を任されたスコットランド・ヤードの捜査官は手掛かりを探るが、 一向に謎は解けないばかりか、さらに深まって…。

SFともなんともつかない、変な小説です。 「哲学的」と言って合っているのかどうか。 “ソラリスの陽のもとに” や“砂漠の惑星”と同じように、 「理解」を越えたものに遭遇した人間が題材ですが、 こちらは、変な登場人物が多くて「怪しさ」のほうが目立っている気がします。 (3/26)


“過ぎ去りし日々の光 (上・下)” アーサー・C・クラーク & スティーヴン・バクスター (ハヤカワSF)

小さなワームホールを用い、 空間を越えて映像を送ることを可能にしたワームカムは、 人々の生活に計り知れない影響を与えた。 「プライヴァシー」は無意味になってしまった。 そして、ワームカムが時間を越えた(過去の)眺めを与えることが判明すると、 人類は耐えがたいまでの「真実」のもとにさらされることになった。 地球との衝突コースを歩む巨大彗星が人類の未来を制限してしまったところに与えられた、 全ての「過去」。 人類はそれにどう適応してゆくのか?

ストーリーの軸はワームカムの開発者の家族の話ですが、 全体としてはそれはあまり関係ないというか…。 「お話」としての出来はいまいち (第一部の冒頭の部分は何だったんだろう?)。 このネタだったら、 クラークらしくもっと淡々としたストーリーのほうが良かったのでは、 という感じです。 最後はどっち向き行くのかと思っていたらそっち向きか…。 (3/18)


“ライズ民間警察機構” フィリップ・K・ディック (創元SF)

テレポート装置の発明により、 人類はフォーマルハウト第九惑星へと植民を進めていた。 しかし、奇妙なことがあった。 テレポート装置は一方通行であるというのみならず、 帰ってこようとする人々すらいない、というのだ。 植民星から地球へと送られる情報は、 そこが楽園であることばかりを宣伝している。 そんなはずはない、 と宇宙船を使ってフォーマルハウト第九惑星へ行き秘密を暴こうとする男がいた。 しかし…。

ここまでが前半。後半は虚実混交、幻覚も入り交じった世界。 「ドクター・ブラッド・テキスト」とかおもしろそうな小道具も出てくるし、 真の戦いはどこにあるのかという謎な状況も興味深いのですが、 いかんせん結局は中途半端なままに終わってしまいます。

最初に発表された“テレポートされざる者”に後半が加筆され、 さらにそれを改稿したものなのです。 その改稿が完成する前に作者は亡くなり… という事情もあるのですが、 もともときれいにまとめるようなことは考えていなかったんだろうなあ、 という気もします。 筋をきちっと整理した上でこういう感じの世界だったらかなり凄そうなのに。 (3/9)


“無常の月” ラリイ・ニーヴン (ハヤカワSF)

ニーヴンの、比較的初期の短編集です。 “ノウンスペース・シリーズ” の早い時代を構成する短編もいくつか含まれていて、 “太陽系辺境空域” と重なっています。 “タイム・トラベルの理論と実際”などの、小説でない、 エッセイと言うか何と言うか…も収録されています (これらもなかなかおもしろい)。

小説の中では、表題作が一番おもしろいかな。 並行宇宙が存在したら…という“時は分かれて果てもなく”や、 滅び行く魔法の世界の話 (まだ読んでないのですが“魔法の国が消えていく” と同じ世界でしょうか) の“終末も遠くない” などもよいです。 (3/1)


“果しなき旅路” ゼナ・ヘンダースン (ハヤカワSF)

人里離れた山奥の峡谷に、さびれた鉱山町に、 彼ら「同胞 (ピープル)」は住んでいた。 彼らは、故郷を失い、宇宙を旅している途中で地球に遭難した、 遠い星の種族だった。 不思議な力を使うことのできる彼らであるが、 地球人の間に溶け込むために、もちろん、 地球人の前ではそれを隠していた。 子供たちに地球の教育を受けさせるために、彼らは教師を呼ぶが…。

不遇な彼らが新たな仲間を見いだす、 ということを基本にした短い話がいくつか語られる、 連作短編集です。 各話の基本はほとんど同じなのですが、それなりにバリエーションに富んでいるので、 退屈な感じはあまりないですね。 各話をつなぎ、全体をひとつながりとするための話は、 なんだかよくわかりませんが^^;。 (2/22)


“エンダーズ・シャドウ (上・下)” オースン・スコット・カード (ハヤカワSF)

このコーナー200作品目は、 “エンダーのゲーム” の姉妹編で、同じ「ゲーム」を、 エンダーの部下として活躍したビーンの目から見た物語です。 いちおう、こちらだけでも話としては解るようになってはいますが、 やはり“エンダーのゲーム”を先に読んだほうがよいです。 「続編」の“死者の代弁者” などとの順番はどちらでもよさそうです。

ロッテルダムの町で四歳なのに「二歳児にしか見えない」 小さな体ながらも観察力と完璧な記憶力と知能で逞しく生きてきた少年ビーン。 やがて見出されバトル・スクールへ送り込まれるが、 その際のテストでも、バトル・スクールでのテストの成績でも、 エンダーよりも優秀な成績を納め、 さらには教官たちが秘密にしていることまで探りだし、推測することができた。 しかし、大人たちが「来るべきバガーとの戦争に備えた指揮官」 として期待しているのはエンダーだった。 エンダーを目の当たりにしたビーンは、その指揮官としての才能の違いに納得し、 彼を補佐する存在として、いざというときの「影」の存在として、 間近に迫った戦いに備えることになる…。

エンダーの前では思うように振る舞えないビーンがちょっと可哀想な気も^^; (ビーン、そこには得体のしれない結界が張られているせいなんだよ(笑))。 舞台裏ではこんなことが起こっていたとは(当時の)作者もびっくりでしょう。 さすがに、“エンダーのゲーム” と矛盾を生じさせないためにちょっと不自然になっているかな、 という部分も多少あるとは思います。

「その後アシルはどうした」とか「この線で行くと、そのうち 『覇者』ピーターとビーンが対決したり協力したりということがあるんじゃないか?」 とか「そもそもビーンの運命は?」とか伏線が残っているので、 ひょっとしたらこれの続編も書かれるのかもしれません (…と思っていたらやはりあるらしい)。 (2/12)

ワンポイント

これを映像化したら「ダンシング・ベイビー」よりも不気味だよな、 きっと^^;。“ベイビー・トーク”という映画もあったか…。


“デクストロII接触” イアン・ワトスン & マイクル・ビショップ (創元SF)

人類がジェミニ星系デクストロ第二惑星オノゴロで出会ったのは、 生物とも機械とも判然としない謎の種族だった。 彼らカイバーは人類の知識を学ぶが、彼らは彼ら自身のことを語ろうとしない。 やがて、デクストロがノヴァ化しつつあることが判明するが、 カイバーたちはそれも見越したかのように死のような眠りに入っていった。 彼らはいったい何を考えているのか?

…というところが、「解き明かされる」のではなく結局彼らが 「天下り的に語る」のがつまらないところです。 しかも、この小説のアイディアの中心であろう天下り的に語られる部分が、 無くてもストーリー的には大差ない気が…。 奇妙な二重星系とか、七人単位の家族とか、 そういうところはまるっきり関係ないというのはちょっと拍子抜け。 登場人物の行動も説得力に欠けるし。 うーむ。 (2/1)


“終りなき戦い” ジョー・ホールドマン (ハヤカワSF)

「コラプサー・ジャンプ」によって、人類は銀河へと進出し始めた。 しかし、異星人「トーラン」と遭遇、 よくわからないまま全面戦争へと突入した。 徴兵され、訓練された戦士たちが辺境の地で過酷な戦いを繰り広げるが、 相対論的効果もあって、戦争は延々何百年も続いていく…。

ハインラインの “宇宙の戦士” の逆をいったような、戦争の虚無感が漂う物語です。 戦場では自分が生き延びるためにも必死に戦わねばなりませんが、 何のために戦っているのか…。 SFならではの特殊な状況が、空しさを引き立てていると思います。 (1/24)


“祈りの海” グレッグ・イーガン (ハヤカワSF)

宇宙消失”や “順列都市” でブッとんだアイディアを披露してくれたイーガンの短編集です。 やはり、それぞれの短編ともアイディアが飛んでます。 “宇宙消失”や“順列都市”に連なるアイディアのものもあります。

収録されている全ての話を通じて、 主眼はアイデンティティに置かれています。 それぞれのとてつもない状況の中で、いったい自分とは、他人とは、 信念とは何なのか、といった問いが展開されます。

アイディアの面白さが先行して、ストーリー的には大いに改善の余地あり、 というのがイーガンのイメージですが、 “宇宙消失”や“順列都市”より後に書かれた表題作 “祈りの海”あたりでは結構こなれてきた感じがあります (でも、各節ごとにちょっとずつ事実(設定)が明らかになっていくところなんかは、 ちょっとわざとらしすぎ)。 今後出てくる作品が楽しみな、旬の作家という感じです。 (1/17)


“ハイペリオン (上・下)” ダン・シモンズ (ハヤカワSF)

宇宙に進出した人類は銀河の星ぼしに植民していた。 その辺境にある惑星ハイペリオン。 そこには<時間の墓標>と呼ばれる謎の遺跡があり、 シュライクと呼ばれる謎の殺戮者がその周囲に出没している。 今、その<時間の墓標>が開きかけているという。 墓標が開いてしまうと、シュライクは人類版図全てに解き放たれてしまうだろう。 それだけでも大問題であるのに、 同時に、「宇宙の蛮族」アウスターがハイペリオン攻略を始めた。 この事態を打破すべく、 連邦は様々な経歴を持つ 7人の男女を<時間の墓標>へと送り出した…。

その 7人が、旅の道すがらそれぞれの<時間の墓標> やシュライクに対する因縁を物語って行く、という形の物語です。 それぞれの話はどれも壮絶で (そして、さまざまなSFの要素が詰め込まれています)、 しだいに<時間の墓標>やシュライク、 加えて連邦を取り巻く状況が明されて行くようになっています。 そして、状況がかなり明らかになり、いよいよ御大(?)と対面か、 というところでこの物語は終わります。

そうです、この“ハイペリオン”だけでは何にも解決は見えません^^;。 続く“ハイペリオンの没落”と対をなしているようで、 そちらまで読まねばどうしようもありません。 とはいえ、各人の「物語」がどれも十分に凄いので、 これだけでも読みごたえはあります。

“ハイペリオンの没落”にはさらに続編の “エンディミオン”、 “エンディミオンの覚醒”があり、 全部で4部作を為しています。 さあ、先は長いぞ…。 (1/7)


“センス・オブ・ワンダー” 難波 弘之 (キングレコード)

21世紀第一弾^^;は、21世紀突入特別企画ということで、 SFではありません。というか本ですらないな…。 音楽です。 でも、もちろん SFに関係あるというのは、 タイトルからして明らかですね。

というわけで、ハヤカワの“SFハンドブック”で “夏への扉” の紹介を書いているミュージシャン・難波弘之の、 全曲 SFをコンセプトにしたファーストアルバムです。 収録曲を並べると… (括弧内は小説の作者、★はインストゥルメンタル)

歌詞や曲のできは必ずしも良くはないですし、歌もうまいとは言えない^^; ので音楽的にはたいしたことのないアルバムかもしれませんが、 SFファンとしてはうれしい限りの内容です。 特に、“地球の緑の丘”(これの歌詞は当然、作中のライスリングの詩 (の一部) です。「作詞」の欄も「宇宙詩人ライスリング」となってます^^。 原文なので、韻を踏んでいるところがよく判ります) が歌われているのを聴けるなんて…。 吉田美奈子作詞、山下達郎作曲の“夏への扉”は、 山下達郎も自分のアルバムでカバーしてますから、 聴いたことがある人も多いかもしれません。

1994年にいわゆるQ盤の CD として CD化されているのですが、 これを書いている時点では在庫切れで、 追加プレスの予定は未定らしいので中古で探さないと入手は難しい状態です。 こういう、入手の難しい CD とかこそ、 ネットワークで聴けるようになってほしいものです。

Contact: aya@star.email.ne.jp.cut_off_here