SF読書録
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1995年以前 (1)

“夏への扉”ロバート・A・ハインライン
“星を継ぐもの”ジェームズ・P・ホーガン
“鋼鉄都市”アイザック・アシモフ
“天の向こう側”アーサー・C・クラーク
“竜の卵”ロバート・L・フォワード
“アルジャーノンに花束を”ダニエル・キース
“たったひとつの冴えたやりかた”ジェームズ・ティプトリー, Jr.
“ソラリスの陽のもとに”スタニスワフ・レム
“幼年期の終り”アーサー・C・クラーク
“火星年代記”レイ・ブラッドベリ


“夏への扉”ロバート・A・ハインライン (ハヤカワSF)

猫が好きな人は是非読みましょう。 好きではない人も是非読みましょう。猫好きの気分になれます(^_^)。

1970年という「未来」(そう、この作品が書かれたのは 1957年のこと) から話は始まり、 そして、2000年という「未来」が現れる…。 主人公 D.B.デイビスは技術者で発明家。 それに加えて、お人好し。 物語前半で彼はさんざんに打ちのめされます。 彼は「夏への扉」を見つけられるのだろうか?

古き良きアメリカ的な、よくできた「お話」が、ここにあります。 細かい難点も幾つかありますけれど、それを気にするのは野暮ってもんです。


“星を継ぐもの”ジェームズ・P・ホーガン (創元SF)

謎めいたプロローグ。 そして、月面で見つかった赤い宇宙服を着た 50000年前の人間の死体。 その謎を解くために話は進む。 ひとつひとつ、新たに発見されたものを組み合わせてゆきながら。

理系的楽しみを凝縮したような“SF”です。 「ハード SF」というほどではありませんが、 ハードっぽさは結構あります。 やっぱり SF はこうでなければ(^_^)。

続編“ガニメでの優しい巨人”“巨人たちの星”と併せて三部作を構成しますが 続編では (もちろん面白いんですけど) 「ハードっぽさ」は多少薄くなっていきます。 さらに続編の“
内なる宇宙” もあります。


“鋼鉄都市”アイザック・アシモフ (ハヤカワSF)

人類の一部 (スペーサーと呼ばれる) は他の星系へと進出し、 ロボットを活用した文明を築いている。 一方、地球の人々はドーム内の都市に住み、「屋外」を恐れ、ロボットを嫌う。 ある日、地球上の「出島」でスペーサーが殺された。 この事件を、地球人イライジャ・ベイリはスペーサー世界から来た人間そっくりのロボット、 R・ダニール・オリヴォーとコンビを組んで解決しなければならなくなった…。

有名なアシモフの「ロボット工学の三原則」 (これについては短篇集“I, Robot” (ハヤカワ SF では「わたしはロボット」、創元 SF では「われはロボット」) を読むのがよいでしょう) の下、ロボットを殺人事件に荷担させ得るのか? (そして果たして SF ミステリの長編は成り立つのか? (^_^))

調査し、考え、謎を解く、というプロセスは SF にしてもしっくりくると思います。 ただ、(まえがきでアシモフが書いている通り)「読者に対してフェアに」 あることが大変そうですが。 その点この「鋼鉄都市」は充分な出来栄えでしょう。 続編「はだかの太陽」「夜明けのロボット」… (^^) も楽しめます。


“天の向こう側”アーサー・C・クラーク (ハヤカワSF)

短篇集。表題作は静止軌道に浮かぶ宇宙ステーションで働く人々の様子を綴ったオムニバス短篇。 もう一つのオムニバスは月への到着から開発までを描いた“月に賭ける” (当然、アポロの月着陸より前に書かれた話です)。 科学知識と、SF 的想像力を持って書かれた「近未来」が楽しめます。

これ以外にも、長編の原型となった短篇版の “遙かなる地球の歌” (ダニエル・キースの“アルジャーノン〜”と同じで、 短篇版を先に読んだ方がよいかと思います)、 意外な、壮大なものとの一瞬の出会いを書いた“太陽の中から”、 キリスト教徒には皮肉な話の“星”など面白い話が満載の短篇集です。


“竜の卵”ロバート・L・フォワード (ハヤカワSF)

我らが太陽の比較的 (もちろん天文学的に) 近くを中性子星が通過することが判明した。 そんな機会を逃してなるものかと調査隊が赴き、表面の調査などを行なった。 そのとき、その中性子星「竜の卵」の表面では核子から成る生物が進化しつつあった。 核反応で生きる彼らと分子の反応で生きる人間とではタイムスケールがもの凄く違い、 調査隊が上空に滞在するわずかの間に信じられないような速さで文明が進歩していった…。

舞台設定などをできる限り考証し、 その考証された環境自体が話の興味の対象となる「ハード SF」です (この定義に異論ありや? ^^;)。 そう書くと小難しそうに思うかもしれませんが、“竜の卵”は 「中性子星の上に生物がいるとしたらどんな感じになるか?」 を想像することと、「その生物 (チーラ) の進歩の様子」を楽しむ話です。


“アルジャーノンに花束を”ダニエル・キース (早川書房)

最初に発表された短篇(中篇?)版と、後にそれを膨らませて書かれた長編版があります。 本屋で今も時折平積みになっている花束の表紙のハードカバーの本は長編版です (1999.10 に文庫版が出ました)。 短篇版は、同じくハードカバーで出ている (こちらも 1999.11 に文庫版が出ました) 短篇集“心の鏡”で読めます。 短篇版の方がこの話の「本筋」に徹していて、インパクトも強いと思いますので、 僕は短篇版を先に読むことをお薦めします。

粗筋は敢えて書きたくない気もしますが、ほんの少し。 チャーリー・ゴードンは知能障害を持った(年齢的には)大人。 彼は新たに発見された知能増進の脳手術を受けることになった…。

これを読んで「SF とはあまり思わなかった」という人もいるのですが (まあもっとも長編版では「SF」な部分が薄まっているせいもあるのでしょうけれど)、 「知能を増進する脳手術」という一つの科学技術的仮定の下に その影響や結果が話を作っているのですから、これほど SF らしい SF もないでしょう (ハードSF とも言えるでしょう。 「ハードSF」と言ったら普通はもっと大がかりな舞台構成のものを指すとは思いますが)。
そして SF 史上だけに留まらず、文学史上稀に見るであろう名作だと思います。 その後何を書いてもこれよりは見劣りしてしまうダニエル・キースが可哀想、 という説もあります^^;。


“たったひとつの冴えたやりかた”ジェームズ・ティプトリー, Jr. (ハヤカワSF)

短篇集です。 が、表題作が秀逸です。 ただし、これを読んで「ジェームズ・ティプトリー, Jr. はこの手の話を書く作家だ」 とは思わないように^^;。 ティプトリーらしさもかなりあるのですが、極めて例外的な雰囲気の話だと思います。 なお、もっと誤解したかったら“故郷から10000光年”(ハヤカワSF) 所収の “ドアたちが挨拶する男”(これは SF ではなくファンタジー) をお読み下さい^^;;;。

話はそれましたが…、宇宙船好きの少女が、 誕生日に買ってもらった自家用小型宇宙艇をこっそり遠距離用に改造して冒険に乗り出したところ、 不思議な侵入者にでくわし…というのが筋です。 こう書くと他愛のない話に見えますが、「これが、たったひとつの冴えたやりかた。」 というセリフの重みが判る頃には泣けてくるかもしれません。

SF 的に不備な点は結構あるのですが、そんなこと、どうでもいいんです。 と、思うほどに感動的なのです。


“ソラリスの陽のもとに”スタニスワフ・レム (ハヤカワSF)

ほぼ全体が海で覆われた惑星ソラリス。 実は、その‘海’全体が一つの生命体らしい。どうやら知性もありそうである。 その‘海’を研究し、できればコミュニケーションをとろうと、 惑星上には実験ステーションが降りたっていた。 しかし、ステーション内部では研究者たちが奇妙な現象に悩まされていた…。

人間とは根本的に異なる質の知性を持った存在があったときに、 果たしてコミュニケーションは可能なのか。 そもそも少しでもお互いを理解することができるのか。 そして、人間はお互いを、自分自身を、理解しているのか。

タルコフスキー監督の手により映画化 (邦題“惑星ソラリス”) されたことでも有名な作品。 原作の冒頭は映画では真中頃になってようやく現れるので、 映画を観る方はそれまでで力尽きないようお気をつけを。 映画より先に原作を読むほうをお薦めします。


“幼年期の終り”アーサー・C・クラーク (ハヤカワSF、創元SF)

突如、世界の各都市の上空に宇宙船が現れた。 それに乗ってやってきた異星人、「オーバーロード」は地球人を支配し社会を統制したが、 地球人の前に姿は表さない。 「オーバーロード」の意図は「侵略」にあるのか? 彼らによる支配以来、地球の社会は良くなっているのではないか? 彼らの正体は? その裏にはどんな思いがけないことが待ち構えているのだろう。

やってきた宇宙船がどかどか攻撃してきて、 それに人類が何とか反撃して勝つ、となると映画“インディペンデンス・デイ”です^^;。 が、“幼年期の終り”はそんな単純な話ではありません。 大きなスケールの話の中、真の誇り高さを見せてくれます。

2001年宇宙の旅” を抑えてこちらをクラークの代表作に選ぶ人も多い名作です。


“火星年代記”レイ・ブラッドベリ (ハヤカワNV)

まだ宇宙旅行自体が夢物語だった頃。 火星人の存在を否定し切れなかった頃。 ブラッドベリは、素敵で、時にシニカルなファンタジーを書きました。 この作品は SF というよりはファンタジー的要素が強いと思います (ハヤカワSF じゃなくて NV だし)。

人類は火星に到達しました。 そしてそこには火星人たちが独自の文化を築き上げていました。 「無邪気な」遠征隊は無邪気に接触を試み、その無邪気さゆえに全滅してしまいます。 二度目、三度目の遠征隊も同じように失敗します。 そして四度目の遠征隊。 彼らが見たのは廃虚と化した火星の街。 その原因は過去の遠征隊が持ち込んだ地球の病原体らしい…。 やがて地球人たちは火星に自分たちの世界を作り始めますが…。

叙情的な文章で、火星と人類の悲哀に満ちた物語が、 年代を追って緩やかに語られます。 涙脆い人はハンカチを用意してから読んだほうがよいかもしれません。 実際に人類が他の惑星に乗り出すときには、 これくらいに詩的で、でも哀しくない物語が綴られていくことを祈りたい…。

Contact: aya@star.email.ne.jp.cut_off_here