“鋼鉄都市”アイザック・アシモフ (ハヤカワSF)
人類の一部 (スペーサーと呼ばれる) は他の星系へと進出し、
ロボットを活用した文明を築いている。
一方、地球の人々はドーム内の都市に住み、「屋外」を恐れ、ロボットを嫌う。
ある日、地球上の「出島」でスペーサーが殺された。
この事件を、地球人イライジャ・ベイリはスペーサー世界から来た人間そっくりのロボット、
R・ダニール・オリヴォーとコンビを組んで解決しなければならなくなった…。
有名なアシモフの「ロボット工学の三原則」 (これについては短篇集“I, Robot”
(ハヤカワ SF では「わたしはロボット」、創元 SF では「われはロボット」)
を読むのがよいでしょう) の下、ロボットを殺人事件に荷担させ得るのか?
(そして果たして SF ミステリの長編は成り立つのか? (^_^))
調査し、考え、謎を解く、というプロセスは SF にしてもしっくりくると思います。
ただ、(まえがきでアシモフが書いている通り)「読者に対してフェアに」
あることが大変そうですが。
その点この「鋼鉄都市」は充分な出来栄えでしょう。
続編「はだかの太陽」「夜明けのロボット」… (^^) も楽しめます。
“アルジャーノンに花束を”ダニエル・キース (早川書房)
最初に発表された短篇(中篇?)版と、後にそれを膨らませて書かれた長編版があります。
本屋で今も時折平積みになっている花束の表紙のハードカバーの本は長編版です
(1999.10 に文庫版が出ました)。
短篇版は、同じくハードカバーで出ている (こちらも 1999.11 に文庫版が出ました)
短篇集“心の鏡”で読めます。
短篇版の方がこの話の「本筋」に徹していて、インパクトも強いと思いますので、
僕は短篇版を先に読むことをお薦めします。
粗筋は敢えて書きたくない気もしますが、ほんの少し。
チャーリー・ゴードンは知能障害を持った(年齢的には)大人。
彼は新たに発見された知能増進の脳手術を受けることになった…。
これを読んで「SF とはあまり思わなかった」という人もいるのですが
(まあもっとも長編版では「SF」な部分が薄まっているせいもあるのでしょうけれど)、
「知能を増進する脳手術」という一つの科学技術的仮定の下に
その影響や結果が話を作っているのですから、これほど SF らしい SF もないでしょう
(ハードSF とも言えるでしょう。
「ハードSF」と言ったら普通はもっと大がかりな舞台構成のものを指すとは思いますが)。
そして SF 史上だけに留まらず、文学史上稀に見るであろう名作だと思います。
その後何を書いてもこれよりは見劣りしてしまうダニエル・キースが可哀想、
という説もあります^^;。
“火星年代記”レイ・ブラッドベリ (ハヤカワNV)
まだ宇宙旅行自体が夢物語だった頃。
火星人の存在を否定し切れなかった頃。
ブラッドベリは、素敵で、時にシニカルなファンタジーを書きました。
この作品は SF というよりはファンタジー的要素が強いと思います
(ハヤカワSF じゃなくて NV だし)。
人類は火星に到達しました。
そしてそこには火星人たちが独自の文化を築き上げていました。
「無邪気な」遠征隊は無邪気に接触を試み、その無邪気さゆえに全滅してしまいます。
二度目、三度目の遠征隊も同じように失敗します。
そして四度目の遠征隊。
彼らが見たのは廃虚と化した火星の街。
その原因は過去の遠征隊が持ち込んだ地球の病原体らしい…。
やがて地球人たちは火星に自分たちの世界を作り始めますが…。
叙情的な文章で、火星と人類の悲哀に満ちた物語が、
年代を追って緩やかに語られます。
涙脆い人はハンカチを用意してから読んだほうがよいかもしれません。
実際に人類が他の惑星に乗り出すときには、
これくらいに詩的で、でも哀しくない物語が綴られていくことを祈りたい…。