SF読書録
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2002年 上半期

“闇の左手” アーシュラ・K・ル・グィン
“ふわふわの泉” 野尻 抱介
“クリプトノミコン (1)〜(4)” ニール・スティーヴンスン
“プラクティス・エフェクト” デイヴィッド・ブリン
“ノービットの冒険 〜ゆきて帰りし物語〜” パット・マーフィー
“エンディミオン” ダン・シモンズ
“侍女の物語” マーガレット・アトウッド
“リングワールドの玉座” ラニイ・ニーヴン
“20世紀SF (6) 〜 1990年代 遺伝子戦争” 中村 融、山岸 真 編
“ファウンデーションの勝利” デイヴィッド・ブリン
“20世紀SF (5) 〜 1980年代 冬のマーケット” 中村 融、山岸 真 編
“フラッシュフォワード” ロバート・J・ソウヤー
“エンダーの子どもたち” オースン・スコット・カード
“もしも月がなかったら” ニール・F・カミンズ


“闇の左手” アーシュラ・K・ル・グィン (ハヤカワSF)

遠い昔に植民され、再発見された雪と氷の惑星ゲセンの人々は、 両性具有であった。 他に類を見ない独特の社会を形成したこの星に、 エクーメンの先遣使節としてやってきたゲンリー・アイは、 文化の違いに悩まされ、なかなか交渉も進まなかった。 そうしているうちに彼は政争に巻き込まれていくが…。

ル・グィンの“ハイニッシュ・ユニバース”ものの長編です。 ゲセンの伝説や神話を交えた一人称の物語で、 「性別のない」異世界の人類を巧みに描き出しています。 主役二人の心情がポイントでしょう。 個人的にはそれほど好みのタイプのストーリーではありませんが、 よくできていると思います。

ところで、タイトルの“左手”は“ひだりて”と読むべきなのか、 “ゆんで”と読むべきなのか…。 (5/30)


“ふわふわの泉” 野尻 抱介 (ファミ通文庫)

高校の化学部部長・浅倉泉が文化祭に向けてフラーレンを作ろうとしていたところに、 落雷があった。 その偶然は、なんと、空気よりも軽くダイアモンドよりも硬い物質を生み出した。 「ふわふわ」と名付けたその画期的な物質を売って、 ひと儲けして楽に生きようとした彼女であったが、 「ひと儲け」どころでは済まず…。

ストーリーとしては、ブルース・スターリング&ルーディ・ラッカーの中編 “クラゲが飛んだ日” (“ラッカー奇想博覧会” や “タクラマカン” に収録されています) の三倍版といった感もなきにしもあらず^^;。 ノリはジュブナイルですが、ネタとしてはかなりまともなSFです。 「スター・フォッグ」を除いては。 あれは、どう考えてもこの話に必要ないと思うんですけど…。 あとは、ふわふわの応用が広がっていくところをもっと書き込んであれば、 もっと面白いだろうに、という気がします。 文章もいまいちなところもありますが、 (今までに読んだ) 日本人作家のSFとしてはかなりよい感じだと思います。 このネタで、大学院生や企業の研究者を主役にして (人物の描写とかも含めて) ちゃんと書ければ、 堂々と (ハード) SF作家と名乗れるかなあ、とか思いました^^;。 (5/18)


“クリプトノミコン (1〜4)” ニール・スティーヴンスン (ハヤカワSF)

(1)チューリング

(1)ということで、全部で 4分冊だそうで、この巻には 「チューリング」というサブタイトルがついています。 ネクロノミコンとかコクラノミコンとか言われても何のことだかが判り、 かつ、計算機関係を専門としている人間ならば、 ハヤカワSFの表紙にこのタイトル&サブタイトルを見た瞬間に、 ついつい買ってしまうでしょう (^^;)。 現時点で 2巻以下続刊ですが、長いし時間も掛かるのでとりあえず (1) だけで記載し、 続きが出たら加筆しようかと思います。

第二次世界大戦の始まる直前、アメリカの青年ローレンスは、 プリンストン大学で英国人留学生チューリング (後にチューリングマシンなどで知られる、あのチューリングである) とドイツ人留学生のルドルフ・フォン・ハッケルヘーバーに出会った。 大戦が始まり、彼らは、敵味方に分かれて暗号通信とその解読で戦うことになる。 そして現代。 ローレンスの孫は、ネットワークの専門家として、 アジアでビジネスを興そうとするITベンチャー企業の一員として、 暗号を駆使して仕事をしていた…。

この二つの軸に加えて、チューリングとローレンスの指揮する、 米英共同の暗号戦チームの末端として活動することになる米国兵士のエピソードが、 入れ替わり語られます。 ここまでだと、SFっぽさはほとんどありませんし、 暗号サスペンスもほんの香り程度 (ちなみに、 暗号の基礎の基礎は作中で解説してくれます^^)。 これから先、どういう展開になるのか判りませんが、 期待は持てそうかな、という感じはします。 (5/9)

ワンポイント

何故にそのためだけに BeOS。 あと、他は実名なのに、Linux だけ名前が違うのは? (先へ進めば判るかな)


(2)エニグマ

さて、第2巻。 ようやく複数の場面の接点が登場してきます。 ちょっとサスペンスっぽさも漂ってきて、 近未来SF的な要素へつながる道も見えてきました。 第1巻では最初に登場しただけだった後藤伝吾もようやく登場します。 だんだん話は絡み合ってきますが…。 まとめて読むとまた違うのかもしれませんが、 長さの割には読ませる感じです。 (6/9)


(3)アレトゥサ

第3巻。 ストーリーは次第に収束の方向を指し示しはじめますが、 まだ、どうなるのやら…。 ドイツ・日本間のある特別な通信にのみ使われた暗号、 アレトゥサに、ルディやローレンスはどう関わるのか? (7/15)


(4)データヘブン

最終巻。謎はすべて解けるのか? と期待したのですが、文庫4冊分かけた話が、 こんなこじんまりした結末とは…^^;。 第一、この巻のサブタイトルがデータヘブンなのに、 データヘブンが出てこないんですけど…。 これだと、SFじゃないしなぁ。 続編があるならまだ判るんですが、 計画されている続編はこの話よりも過去と、 そして未来の話だというし…。 大戦中の話のほうは (謎は置いとくとして) まずまずですが (マッカーサー元帥が妙にかっこよく書かれているところは、 アメリカの作品だなあ、という感じ^^;)、 現代の話はいまいち。

ということで、いくつか謎があります。 「不法入国者が『Time』や『Newsweek』の表紙飾っちゃっていいんでしょうか?」 「そもそも、何故そんなに話題に?」 「アンドリュー・ローブは何しに来たの?」 … そんなことが瑣末に思えるほどの最大の謎は、 お富さん、いや、あの方なのですが…。

と思って (3)を読み返したら、死んでないじゃん^^;。 うーむ、でもこれではほとんどだましうちだよなあ。 たしかにああいう記述があるとはいえ…。 そういうことだとすると、こんどは再会時が逆に不自然なような…。 うーむ。 (8/10)


“プラクティス・エフェクト” デイヴィッド・ブリン (ハヤカワSF)

物理学の新たな成果が、地球に似た異世界への扉を開いた。 探査ロボットが送り込まれ、本格的な調査が開始されたところで、 異世界側の装置が故障してしまった。 こちらから向こうには行けるが、帰ってこれなくなってしまったのだ。 しかたなく、この新たな物理現象に詳しい若い科学者が修理に赴くことになったが、 そこは不思議な法則の支配する世界だった…。

その「プラクティス効果」とはなんぞや、というのは、まあ、 名称からほぼ明らかではありますが、詳しくは読んでのお楽しみということで、 ここでは書きません。 冒険話を作るにはむちゃくちゃ都合のよい現象であることは間違いないですね^^;。 そのせいか、 ブリンの他の作品 (“スタータイド・ライジング”とか) とはちょっと毛色の違う感じです。 どちらかというと、初期のホーガンのノリに近い感じでしょうか。 もっとファンタジー (いわゆる、サイエンス・ファンタジー) 寄りの話ですが。 繰り返し読むと、面白みが増してくるかもしれません :-) (お約束)。 (4/26)


“ノービットの冒険 〜ゆきて帰りし物語〜” パット・マーフィー (ハヤカワSF)

知っている人ならばタイトルからすぐ判るように、 トールキンのファンタジー “ホビットの冒険 〜ゆきて帰りし物語〜” (かの有名な“指輪物語”の前にあたる話) を題材にした話です。 舞台は当然、宇宙。 楽しいスペースオペラとなっています。 僕は“指輪物語”は読んだものの“ホビット〜”は未読なのですが、 楽しめました (“指輪〜”で言及されていた、 ちょっと卑怯ながらもゴクリから指輪をせしめたやりとりのくだりは特に)。 どちらも読んでいなくとも、十分に楽しめるでしょう。

さて、ストーリーはというと…。 小惑星帯に暮らす軌道生活者 (ノービット) のベイリー・ベルドンは、 ある日、迷子になったメッセージ・ポッドを拾った。 律義な彼は、ポッドを預っている旨、宛先人に通知した。 それがまさか魔法使い…いやパタフィジシャンや、 ドワーフ…じゃなくてクローン人間の一族との冒険につながるとは、 夢にも思わないまま…。

“ホビットの冒険”はもちろん、 ルイス・キャロルの“スナーク狩り”(うーむ、未読だ) が重要な参考文献です。 おとぎ話の語り口の中にいきなり、 相対性理論だの右旋性と左旋性だの出てくるところは、 ディッシュの “いさましいちびのトースター火星へ行く” を思い出させます^^;。 その他、 ハインラインの短篇や、 シモンズの“ハイペリオン” なども参考文献かもしれません :-)。 (4/12)


“エンディミオン (上・下)” ダン・シモンズ (ハヤカワSF)

ハイペリオン”、 “ハイペリオンの没落” に続く、四部作の第三部、というか第二部前編です。 例によってこちらだけでは全然終わってません (でもちゃんとひと区切りはついているし、読みごたえはある)。 解説などを見ると、「(ハイペリオンより先に) こちらから読んでも大丈夫」 となってますけど、 それは無茶でしょう^^;;;。

さて、話はというと…。 連邦の崩壊から300年後、 人類の大半は「聖十字架」 で不死を与えるカトリック教会と結び付いたパクスに支配されていた。 その世界の片隅、惑星ハイペリオンの狩猟ガイドの青年ロール・エンディミオンは、 処刑されそうなところをかつての巡礼のひとり、 伝説の詩人のサイリーナスに救われた。 そして老人は彼に、まもなく <時間の墓標> から現れる、 未来の救世主アイネイアーを、包囲するパクス軍から守り、 逃げ延びさせてほしい、と頼んだ。 そして彼の冒険が始まった…。

“ハイペリオン”や“〜の没落”と比べると密度が低いのは否めませんが、 四部作の中のちょっと息抜き、といったところでしょうか^^;。 とはいえ、相変わらず見せ場は派手に作っています。 読みどころはなんといっても「追っ手」のデ・ソヤ神父大佐。 SF史上もっとも壮絶であろう航法の高速宇宙船を駆ってアイネイアーを追いかけますが、 ロール君とともに、いやそれよりはるかに、 振り回されっぱなしです^^;。

四部作の最後は“エンディミオンの覚醒”ですが、 その「覚醒」は“エンディミオン”の「書かれて」いる時点の後なんでしょうか、 前なんでしょうか? さてさて。 (4/3)

ワンポイント

ネメスさんの投入が後の方になってからなのも、何か理由があるんでしょうかねえ。


“侍女の物語” マーガレット・アトウッド (ハヤカワepi)

近未来、アメリカはキリスト教原理主義的独裁国家にとって代わられていた。 すべての女性は (ほとんどの男性も) 自由を奪われ、 出産可能な女性は、 「侍女」という名で「子どもを産むための道具」として 「司令官」に支給されていた。 侍女の一人、オブフレッドと呼ばれる彼女はもともとの夫や娘と引き離され、 むりやりに侍女にさせられた大勢の女性の中の一人である。 彼女は、こんな状況の中でも生き延びることを願っていた。 その彼女の語る物語は…。

映画化されていて、音楽を坂本龍一が担当したことでも知られる、 いわゆる陰惨な未来社会を描くディストピア小説です。 SFとはちょっと違いますが ブラッドベリの“華氏451度” などとも近いので…。 こういう話としては、オーウェルの“1984年”も有名ですね。

物語は、彼女の侍女としての生活と、 このような状況になったときの様子、 捕らえられ、侍女としての訓練を受けさせられているときの回想からなります。 そして結末は…。 (3/14)


“リングワールドの玉座” ラニイ・ニーヴン (早川書房)

リングワールド”、 “リングワールドふたたび” に続く、リングワールドが舞台の話の三作目です。 前作で、リングワールドを救った代わりに帰れなくなった一行ですが…。

今回はリングワールドに住むさまざまなヒト型種族の生態と種族同士の関係、 というところが詳しく書かれている感じです。 そして、話の中心になってくるのは「ヴィシュニシュティ」とか 「ヴァシュネシュト」と呼ばれる、 守護者であり恐れられるものでもあるあの存在の主権争い…。 彼らは、基本的に自分の出身種族を保護しようとするので、 そこに考え方の差などが生まれるのです。

ルイス・ウーの活躍もあって、抗争は一応の決着を見ますが、 まだ話的には中途半端ですので、続編はきっとある…んですよね?

あ、大したことじゃないですけど、「放射線」のはずのところが 「放射能」になっているのがちょっと気になります。 原文がそうなのか訳でそうなったのかは知りませんが…。 (2/28)


“20世紀SF (6) 1990年代 遺伝子戦争” 中村 融、山岸 真 編 (河出文庫)

シリーズ最終巻、1990年代です。 ここまでくると、「最近」という感じですね。 言わずと知れたシモンズ (“ハイペリオン”) オーストラリアのイーガン (“宇宙消失”、 “順列都市”) や、カナダのソーヤー (“さよならダイノサウルス”、 “ゴールデン・フリース”) などが登場します。

この時代のSFのキーワードの一つはリミックス。 古いSFの再構築や再解釈で新たな世界が描き出されます。 SFの集大成的スペースオペラの“ハイペリオン” や“火星夜想曲” などですね。 他に多く見られるようになったものというと、 バイオテクノロジーやナノテクノロジーでしょうか。 これに続く“21世紀SF”は、どんなものになるのでしょうねえ。 (2/13)

ワンポイント

なぜ“Mudzilla”が“マジンラ”なのだろう? “魔神”とひっかけた?


“ファウンデーションの勝利” デイヴィッド・ブリン (早川書房)

ベンフォードの “ファウンデーションの危機”、 そしてベアの “ファウンデーションと混沌” に続く、“新・銀河帝国興亡史”三部作完結編です。 新・三部作で提示された論点の「解決編」的要素が強い感じで、 それゆえ、ついついさっさと最後まで読んでしまいました。 ストーリーは…。 ファウンデーションで未来に再現されるべき伝言の収録も終えて、 安逸ではあるが退屈な最晩年の日々を送っていたセルダンの前に、 「混沌世界の発生と、宇宙気流や土壌の分布に相関を発見した」 という一人の <無名人> (帝国の官僚) が現れた。 セルダンは他の目的もあり、それを検証する旅に同行するが、 当然(?)周りは怪しい人 (+α) だらけで… ^^;。

承認は迫られるは、決断は求められるは、 最晩年になっても運命に翻弄されるハリ・セルダンさんが可哀想でもあります^^;。 それはさておき、 最後のダニールの登場シーンや、 多重種明かし(?)は、いかにも“ファウンデーション”といったところでしょうか^^。 ストーリーで「宇宙気流」という用語が登場したように、 “ファウンデーション”以外のアシモフの未来史との関係も強化されています。 また、ブリンらしい展開もあります。

そして、「ダニールのやっていることは妥当なのか?」 という議論や、「混沌」とは何で、どうすればよいのかなど、 まずまず納得のいく展開になっています。 ここまでの伏線もだいたい解決されますが、残っている部分もあります。 新たに「次」への種として残されている部分もあります (あの「伏線」に関しては、それが伏線であることは“Denouement” (本書解説参照) を見ずとも明らかですよねえ)。 先の展開をいろいろと想像させる、 しかしすっきりとした結末になっていると思います。 ファウンデーション・シリーズを読んできた人は、 これを読み終わったとき、本書のタイトル “ファウンデーションの勝利”(原題: “Foundation's Triumph”) に大いに納得がいくでしょう (^_^)。 (1/27)

ワンポイント

やはり、ファウンデーションの未来における 「あの存在」の重要性は、読者の間では常識であったか (^_^)。


“20世紀SF (5) 1980年代 冬のマーケット” 中村 融、山岸 真 編 (河出文庫)

1980年代のSFを語る上で欠かせないのがサイバーパンク。 ギブスンやスターリングの作品が収録されています。 個人的には、サイバーなのはいいけれど、 別にパンクじゃなくってもと思っています。 ラッカーの作品のように底抜けにぶっとんでいると、 それはそれで楽しめるのですが…。

サイバーパンク以外にも、 (作品によっては、価値観とかそういうレベルではなく) 何もかもが変わった世界を扱ったものが目立ちます。 ディ・フィリポの“系統発生”はその極みでしょう (「そんな技術があるのなら、そもそも侵略は防げなかったのか?」 という疑問は起こりますが^^;)。 (1/22)


“フラッシュフォワード” ロバート・J・ソウヤー (ハヤカワSF)

ヒッグス粒子を発見すべく、 加速器で史上最大のエネルギーを達成した実験が行われた。 だがその結果は、ヒッグス粒子は検出されず、 何故か地球上のすべての人々の意識が数分だけ 21年後の未来に飛ぶというものだった…。 未来を垣間見たことが判明したとき、人々はどう対応するのか? なかでも、実験に関わった一人の科学者は、 21年後の未来に何者かに殺害されることがわかった。 どうする? はたして、その未来は絶対に変えられない運命なのか?

状況を考えると、 世界中でもっと大騒動が巻き起こってもよさそうな気もしますが、 それほどひどい状態にはならなかったようで、 主に実験に関わった人たちの視点で話は進みます。 焦点は先に書いた通り「未来 (の一部) を知ったとき、人はどうするか」 「未来は変えられるか」というところですが、 それが、殺されることがわかった人間と、 これから結婚しようとしている相手とは違う相手と結婚していた人間の、 二人の苦悩を通して語られる感じです。 この手のSFにありがちなパターンとして、 最後はちょっとトンだ話まで絡んできますが、 その部分はないほうが印象はよいかなー、と思いました。 (1/12)


“エンダーの子どもたち” オースン・スコット・カード (ハヤカワSF)

エンダーのゲーム” に始まるシリーズの4作目にして完結編です (“エンダーズ・シャドウ” の系列はまた別として)。 ぜんぜん話が終わってなかった “ゼノサイド” の直接の続き、 というかもともと一つの話にする予定だったものを分割したそうです (とはいえ、今回もまだやり残した仕事があるのですが…)。 というわけで、「リトル・ドクター」 を積んだルジタニア粛清艦隊はすぐそこまで来ているし、 ジェインは死にかかっています。 そして、忘れちゃいけないのがもう一つの脅威の源…。

相変わらず、緊迫してるんだかしてないんだか、 よくわからないペースで話は進みます^^;。 スターウェイズ議会はけっきょくよくわからない存在のままだし (惑星パスの人々にああいう仕打ちをしたのはどういう一派なのだろう?)。 さて、ストーリーはといえば、 そういうところがこの話の主眼ではないとはいえ、 随分と都合良く進みすぎな感じです。 (1/6)


“もしも月がなかったら” ニール・F・カミンズ (東京書籍)

サブタイトルが“ありえたかもしれない地球への10の旅” という、「もし、月が存在しなかったとしたら…」 などのいくつかの仮定の元で、 地球はどんな星になっていたかを考察する、 SF的解説書です。 違った地球を想像することが目的というよりは、 違った地球を想像することにより現実の地球のバランスがどうなっているかを考える、 といった側面が強く現れていると思います。 著者は本職の天体物理学者ですから、 月の不在や地球の公転軌道の変化が地球自体に及ぼす影響の考察は、 しっかりとなされています (でも、生物学に関してなどはちょっとおやっと思うところもあったり…^^;)。

違った地球の上の生物がどうなるかを考えたりもしているのですが、 どうしても現実の地球上の生物をベースにしてしまっていて、 SF的視点からするとちょっと想像力不足かなぁ、と思ってしまいます。 著者も述べている通り、進化の道筋のどこかがちょっと違っただけで、 がらっと違った生物群になってしまうわけですから、 もっと根本的に違う生物たちも考えてほしいなぁ、と。 その辺りも「違った地球を想像することにより現実の地球を考える」 という傾向 (方針) が出ているのかもしれません。

ところで、SFといえば、本書中には “猫のゆりかご” が言及されている部分があるのですが、 アイス・ナインが「惑星<アイス9号>」となっています^^;。 そんな惑星、出てこないんですけど、、、 アイス・ナインで地球は凍っちゃいますが、、、 (氷の結晶構造のタイプには何種類かあり、 新たに発見された9番目のタイプの結晶構造を持つ氷がアイス・ナイン)。 原著からしてそう書いてあるのか (Planet“Ice No.9”とか)、 翻訳でそうなったかは知りませんが…。 カール・セーガンの “サイエンス・アドベンチャー” を読んだときにも思いましたが、 こういう文中に他の作品が引用されている場合、 その作品の翻訳がすでに出ていて、 しかも (それなりに) メジャーなときには、 きちんと読まないまでも言葉の訳し方などを参照してほしいと思います。 この本の訳者 (増田まもる氏) は“ミレニアム・ヘッドライン”とか SF も訳しているのだから、 “猫のゆりかご”の邦訳の存在を知らないはずはないでしょうし。 もし原著の記述がへんだったとしても、訳注を付けてもばちは当たらないでしょう。 (1/2)

Contact: aya@star.email.ne.jp.cut_off_here