多摩丘陵・町田市相原の七国峠古道その6 | ![]() |
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左の写真は立ち入り禁止の中に入ってそこから北側を撮影したものです。奥の方が明るくなっているのが伺えるのではないでしょうか。その先きはもう建設現場です。ここからは立ち入り禁止とは言え、実はそこに鎌倉街道の典型的な地形が確認されますので、ちょっと入らせて頂くことにしました。 |
上の写真の山道と思われる踏み跡の右側に、幾分か窪んだ地面が山道と平行に北へ進んでいるのがおわかり頂けますでしょうか。 右の写真は逆方向からその窪地を接近して撮影したものです。このような窪地は埼玉県の鎌倉街道上道に残る街道遺構と非常によく似た地形です。私はこの窪地が古道の遺構である可能性がおおいに考えられるのではないかと思います。 |
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左の写真は逆光でわかりづらいのですが、道の遺構ではないかと思われる地形を撮影したものです。現状から予想するとここに6メートル位の道があったのではないかと思われるのです。6メートルというと現在の街中のバスが通れる位の道です。 |
思いがけないところで、かなり古そうな道路遺構らしき地形を確認でき私自身ビックリ致しました。しかもここは建設現場のすぐ目の前です。私の願いとしてはここは、ここの地形をこのまま残してもらいたいと切なく思うばかりです。 | ![]() |
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左の写真はいよいよ古道もここまでと振り返って撮影したものです。この素晴らしい七国峠古道は残念なことに現在はここでお仕舞いです。芳賀善次郎氏が「この道は旧鎌倉街道の遺構をよく残している貴重な道で、『名勝』の価値は充分にある」と語られた道です。相原七国峠古道はかっては八王子市小比企町の北野街道辺りまで尾根道が3キロほども続いていたといいます。 |
上の写真から振り返った光景が右の写真です。ああ無念。ここから山ごと無くなってしまっています。その先には馬鹿でかいマンションのようなビルが建てられています。かっては峠に二、三軒の茶屋もあって、人々の往来が絶えなかったという今となっては伝説の七国峠古道は現在人の勝手で山諸々に崩されてしまったのです。峠の神様、現在人の罪をお許しください。 | ![]() |
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この古道を最初に上り始めた相原十字路交差点付近は「真米」と呼ばれていたそうです。真米は馬籠のことで古代からの交通路にちなんだ地名だそうです。またこのニュータウン建設現場の北西付近は「大巻」という地名があって奈良時代の由比牧のあったところではないかとも考えられているようです。この古代からの道とも考えられている七国峠古道よ。現在残っている部分だけでも永遠であってもらいたいものです。 |
昔のままの鎌倉街道 | ![]() |
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