多摩丘陵・町田市相原の七国峠古道その4 | ![]() |
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左の写真は塚状の上に建つ出羽三山の石塔です。一見は墓石のような石塔ですが書かれている文字から出羽三山供養塔であることがわかります。中央に大きな文字で湯殿山、右に月山、左に羽黒山とあります。石塔は北を向いて建っていて、石塔の東面には文字が一面に刻まれています。教養がないために古文書が読めない私には内容がわかりません。この石塔の建つ塚のような小山は実際に造られた塚なのか、自然の尾根の突起なのか、大いなる謎です。 |
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上の写真は坂を上りきって、出羽三山石塔のあるところの十字路を北から眺めるように撮影したものです。何とも不思議な光景です。どうやらここが峠であるようです。しかし、八王子ニュータウンができる以前の古い鎌倉街道の案内書などをみると、以前は峠に「名勝七国峠」と刻まれた石碑があったことが載っています。その石碑があった場所はこの写真のところだったのか、或いは別のところなのか私にはわかりませんでした。それにしても上の写真の不思議な光景は明らかに意図的に人手が加えられているように思えるし、この峠道が単なる支道ではないことを物語るように思えます。 |
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上の写真2枚は出羽三山石塔の下から峠道の北方面を撮影したものです。私はこの七国峠古道を取材するにあたり2度ここを訪れています。最初が11月の後半でその時は国道16号線沿いの御殿峠と併せて下見といった感じでした。次に訪れたのはそれから僅か2週間後の12月始めでした。
上の写真を見て頂いて双方とも少し角度が違うだけでほとんど同じところを撮影したものです。しかし左の写真には立派な道路標示があるのに右の写真にはそれがありません。その理由な何故か。大概の人は右の写真が始めに訪れたときのもので、次に訪れたときに道漂ができていたと思うことでしょう。しかし・・。実際はその逆です。最初の時にあった道標が2週間後には無くなっていたのです。 古い道標であれば取り片付けられたと考えられなくもないのですが、道標はまだ真新しいものでした。これは不思議なことです。まるで心霊写真のようです。どんな理由で片付けられたかはわかりませんが、ちょっと気になります。しかし私としては大きく目立ちすぎる道標は、この空間にはないほうが宜しいのかと思うところがあります。 |
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左の写真は更に北へ進んだところです。この辺りの雰囲気も実に良いところです。如何にも古道といった感じの良いところです。この付近はけっこう人が通るところのようです。10人位のグループのハイカーも来ています。サイクリストも上がって来るようです。最初の墓地脇から舗装路を横断するまでの間は行き交う人は一人もいませんでしたが、この辺りは人気があるところなのか家族連れなども通り過ぎます。 |
右の写真付近から東の方へ分かれる道が一本あります。その道は町田市と八王子市の境をここから東京造形大学方面に向かう別の散策路です。私はその道へは行っていませんが、今度きたときは歩いてみたい道です。その道の方面に行く人や、そちらから来る人もけっこういるようです。そしてその分かれ道のところにも前には道標があったのですが2度目のときには無くなっていました。 | ![]() |
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