多摩丘陵・町田市相原の御殿峠古道その4 | ![]() |
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痩せ尾根状の峠道を更に北へ進みます。やがて道の東側にコンクリートのフェンスがしばらく続くところがあります。左の写真の辺りはフェンスがなければ切通し状の道ではないかと思われます。このフェンスの中がどうなっているかはわかりませんが、どうやら個人宅の土地のようです。 |
東側のフェンスがなくなたところでやや視界が開け明るくなったところへ出ます。そこには東下の国道16号線から上ってくる道が合流していて、人家も建っています。視界が明るくなったのはこの付近は耕作地になっていて、東側の下の方に国道が見えています。国道沿いに光寶院というお寺も眺められます。 | ![]() |
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視界が明るい耕作地地帯も束の間で、再び深い笹藪の中の道となります。左の写真の辺りはそうとうに笹が生い茂り、道としては人が一人通れる踏み跡程度しか確認できません。しかし、この笹藪の東側にも実はこれまた掘割状遺構が存在しているのです。笹を掻き分けそれを確認することができましたが、写真としては撮影できる状態ではありませんでした。 |
道はやがて笹藪も少なくなりはじめて道幅も段々と広くなっていきます。やがて大きく深い切通しにさしかかりますが、その手前の東側の丘のようなところは「殿丸」と呼ばれるところです。かってここに砦があったものと考えられているようです。 | ![]() |
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上の写真二つは殿丸の上にあがったところを撮影したものです。ここは峠道を押さえる監視があったところとも伝えられていて、確かに丘の上は平場のようになっていて何かの施設があったところのようにも思えます。またこの殿丸が藍原孝遠の館跡とも伝えているようですが、高所すぎることや狭すぎることから先に紹介した峠道の入口付近の東側の地帯が館跡の第一候補地になっているようです。 |
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左の写真は殿丸西下の峠道です。この付近から一つ丘を乗越す大きな切通しになっていきます。道は上り坂となり、城跡の大堀のようなところを通過することになります。この辺り2度訪れていますが、2度共ここで人に出会っています。挨拶がてらにこの道が鎌倉街道か尋ねてみると、どちらの時の方も知らないといわれましたが、一度目に訪れたときの方は絹の道だと教えてくれました。 |
この御殿峠古道は幕末頃の絹の道でもあったのです。一般に多摩丘陵の絹の道は、ここより東にある鑓水峠道が有名ですが、実はここの御殿峠の道と鑓水峠の道はここから北にある片倉駅付近で合流しているのです。共に二つの峠道は絹の道でもあり、鎌倉街道でもあったのです。
右の写真は殿丸上から峠道を見下ろすように撮影したものです。 |
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