新・山の雑記帳 12

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 1.最 新 の 雑 記 帳
 2年3ヶ月ぶりの権現山  2021.4 記

 低山ながら充実の仏果山・経ヶ岳・華厳山  2021.4 記

 お茶濁し  2020.6 記

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低山ながら充実の仏果山・経ヶ岳・華厳山  2021.4 記

2019年の谷川岳を最後に (但し、この登山記録はアップしていない) 山とは無縁の日々が続いていたが、 現状の閉塞感に耐えかねて、この度 1年5ヶ月ぶりに山に登ってきた。
行き先は暫しのブランクと、この間の体力低下を考慮して 1,500m級の山にターゲットを絞り、丹沢の大室山にしたのだったが、思っていた以上に体力低下が激しく、 昔の調子を取り戻すためにはもう少し時間を要すると痛感した次第である (今回記録をアップしたので、そちらをご覧戴きたい)。

とは言え、体力的には厳しかったものの、山はやはり心身のリフレッシュに効果があると心から感じたことから、 その気持ちが冷めないうちに再度 山に行くことにする。
さて、今度の行き先であるが、大室山のように標高差が 900m近くある山はまだキツいと感じたため、低山に的を絞り、かねてから行きたいと考えていた同じ丹沢山塊の 仏果山 (747.2m) ならびに 経ヶ岳 (633.1m) に登ることにする。

仏果山はその北側にある高取山と併せて、子供がまだ小さかった頃に半原側から子連れ登山をしているのだが、 それは 25年以上前のことであまり記憶になく、さらに今回は仏果山から経ヶ岳、華厳山まで足を伸ばして、 低いながらも低山縦走するつもりなので新たな刺激を得られることを期待してのことである。

この縦走については、大室山に登った際、キツい斜面を登り続けるにはまだまだ体力不足であるが、 時間がかかりはするものの長い距離を歩く体力の方は残っていると感じたため、『縦よりも横』 の登山を選択したという次第である。
加えて、2019年に購入した登山靴 (AKUの YATUMINE。何と、既に YAKUMINE II が発売されてしまっている。) が未使用のまま棚に仕舞い込んだ状態になっているため、 その履き慣らしも兼ねてのコース選択である。

さて、辿るコースではあるが、まずは 大山三峰山登山の際に利用させてもらった道の駅 清川の駐車場に車を置き、 道の駅の向かい側にある清川村役場前バス停からバスで宮ヶ瀬湖畔の仏果山登山口まで行って、そこから高取山、仏果山、経ヶ岳、華厳山と縦走した後、 そのまま南に下って御門橋の方へ下ろうというものである。
但し、華厳山から御門橋へのルートは小生の持つ地図には載っておらず、ちょっとした冒険になるのが少々不安である。

2月10日(水)、6時45分に横浜の自宅を出発する。 宮ヶ瀬行きのバスは清川村役場前バス停を 8時14分に通過するので余裕と思っていたのだが、これが大失敗であった。
ナビでは東名高速道・新東名高速道を使って伊勢原大山ICへと進むルートを推奨していたものの、 高速代をケチって下の道を使うルートを選んだところ (ナビが示していた現地到着時間はほぼ同じであった)、国道246号線が断続的な渋滞で車がなかなか進まず、 一時は当初の計画を断念して道の駅 清川から大山三峰山に登ることを考えた程であった (次の宮ヶ瀬行きのバスは 9時14分と 1時間後なのである)。

246号線を離れてからは、何とか順調に進むことができるようになったものの、途中のコンビニで食料を購入したこともあって、 道の駅 清川に着いたのは 8時13分であった。
急いで登山靴に履き替え (但し、靴紐を結ぶ余裕無し)、カメラ、ストック、ザックを抱えて駆け足で向かい側のバス停へと向かう。
待つこと、約1分、8時15分に宮ヶ瀬行きのバスがやってきてどうにか乗ることができ、バスの座席に着いた時は心底ホッとしたのであった。

平日にも拘わらず、バス内には登山者が数人乗車していたのであったが、皆 土川峠で下車してしまい、 仏果山登山口でバスを降りたのは小生一人であった。
登山口は道路を挟んでバス停の斜め右向かいにあるが、まずは腹ごしらえということで、バス停で立ったまま朝食をとる。
その間、左手にある大棚澤広場の駐車場からは 3人の登山者が登っていった。

朝食を終え、道路を渡って登山口へと向かう。登山口出発は 8時40分。
階段を昇り、少し高度を上げると、道路の向こう側に宮ヶ瀬湖が良く見えるようになる。
杉林の斜面を横切りながら少し進むと、登山ポストが現れたので、用意してきた登山届を提出する。
暫くは杉林の斜面をジグザグに登る。道は良く踏まれており、懸念した霜柱による泥んこ道もない。
また、傾斜はそれ程キツくないので、息もあまり上がらない。

途中、『宮ヶ瀬越 仏果山 2.2km』 の標識を見る。
次いで、道端に祠を見た後、道が南側斜面を横切って進むようになると、右手前方には目指す稜線が見えるようになる。
さらに道は南側斜面を回って支尾根上に登り着くが、そこからは道が緩やかになり、左手樹林越しに奥秩父の山々が見えるようになる。 最初、同定に若干戸惑ってしまったが、黒岳、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、小金沢山、熊沢山、大菩薩嶺と続く山並みであった。

ほぼ平らな歩きやすい道もすぐに終わり、道は支尾根の斜面を直登するようになる。
足下は丸太横木の階段となって少々煩わしいが、傾斜は緩やかなのでドンドン進むことができる。
やがて傾斜が緩やかになったかと思うと、目の前に人工物が現れる。フェンスに囲まれた電波施設らしい。時刻は 9時19分。
施設の横にはベンチもあり、またフェンスの横からは丹沢山方面も見えたが、小枝が邪魔をして写真を撮ることができない。

その人工物を過ぎると、周囲は先程までのスギの樹林帯から自然林へと変わり、コメツガなどの木々が見られるようになる。
再び傾斜が出てくるが、総じて緩やか、気持ちよく登って行くことができる。
途中、右手が開け、大山や大山三峰山が見えるようになる。
道は支尾根を登っていくが、途中からは尾根をそのまま直登するのではなく、尾根の少し北側下方を進む。
やがて道の先に稜線が見えてくると、登り着いた所が宮ヶ瀬越。時刻は 9時39分。
ここは丁字路になっていて、右に進めば仏果山、左は高取山である。

まずは左に道をとって高取山を目指す。傍らの標識には 『高取山 0.5km』 とある。
暫く平らな尾根道を進んでいくと、やがて前方樹林越しに高取山らしき山容が見えてくる。
道の方は一旦下りに入り、その後暫く平らな道が続いた後、高取山の登りに入る。
右手下方には愛川町の町並み、そしてそこから東へと広がる関東平野が見えている。

少し傾斜がキツくなったかと思うと、すぐに緩やかになり、『高取山 0.05km』 の標識が現れれば、頂上はもうすぐである。
そして、9時53分、高取山頂上に到着。 バス停で食事中、先に登っていった 3人がいるかと思ったが、頂上には誰もいない。

この高取山には展望台が設置されており (高さは 13m)、そこに登れば 360度の大展望を得ることができる。 少し揺れる鉄階段を昇り、展望台の頂上に立つ。
やはり展望は抜群、西側下方には宮ヶ瀬湖が広がり、それを囲い込むようにして後方に丹沢の山々が広がっている。

まず目に付くのが、丹沢三峰北端に位置する本間ノ頭。鈍角三角形ながらも後方右に蛭ヶ岳、 後方左に不動ノ峰、丹沢山を従えるようにして大きく左右に裾を広げている。
丹沢山の左には竜ヶ馬場、日高 (ひったか)、塔ノ岳、木ノ又大日、新大日と稜線が続く (尤も、それらが一つの稜線で繋がっている訳ではない)。
徐々に下ってきた稜線は、三ノ塔、二ノ塔で一旦盛り上がり、二ノ塔から再び左に下った稜線は大山へと向かって昇っていく。
大山の左手前には大山三峰山がギザギザの山容を見せている。

一方、本間ノ頭の後方に見える蛭ヶ岳からは、右に姫次、八丁坂ノ頭、黍殻山、焼山と続くほぼ高さが同じに見える稜線が続いている。
焼山から右に下る斜面の後方には、滝子山から大谷ヶ丸、ハマイバ丸、大蔵高丸といった南大菩薩の稜線が続き、さらに右側に黒岳、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、小金沢山、 熊沢山、大菩薩嶺といった山々が続く。
大菩薩嶺の右後方には、北奥千丈ヶ岳、国師ヶ岳が姿を見せており、手前に見える権現山を間に挟んで、さらに右に甲武信ヶ岳、雁坂嶺、飛龍山、雲取山、 芋木ノドッケ、鷹ノ巣山といった山々が続く。さらにはその右側には、御前山、大岳山も確認できる。

目をさらに右側、東の方に転ずれば、関東平野が大きく広がっており、スカイツリーや横浜のランドマークタワーも確認できる。
そうそう、南を見れば、これから向かう仏果山が見えており、頂上にある展望台も何とか確認できる。

360度の大展望に満足した後、展望台を下りて仏果山へと向かう。出発は 10時9分。
先程の宮ヶ瀬越まで戻り (時刻は 10時19分)、登ってきた仏果山登山口への道を右に過ごしてまっすぐ進む。
道は緩やかに登って小さなピークを越えた後、下りに入る。その後すぐに登りとなり、2つほど小ピークを越えると、道は左に曲がり、前方樹林越しに仏果山の姿が見えてくる。
さらに 2つほど小ピークを越えていけば、道は平らな尾根を通った後、仏果山への最後の登りが始まる。

途中ロープも設置されているが、あまり必要ではない。
この登りで、今朝ほど先行していった登山者と擦れ違う。どうやら高取山はスルーして宮ヶ瀬越から仏果山を目指したようである。
道は緩やかになり、最後に丸太の階段を昇っていくと、仏果山頂上稜線の一角に登り着く。
そして、少し左へ進めば、石仏が数体置かれている仏果山頂上であった。 時刻は 10時44分。

ここにも展望台 (高取山と同じ 13mの高さ) があるので、荷物を休憩用テーブルに置いて昇ってみる。
無論、先程の高取山展望台とほとんど展望は変わらないが、ここからは先程までその頂上にいた高取山が見えるのが嬉しい。
また、南東の方を見れば、すぐ先の方にピークが見えているが、あまりにも距離が近いので、この山はこれから目指す経ヶ岳ではないようである。 経ヶ岳は恐らくその山の後方に隠れているのであろう。

展望台から下りた後、ベンチに腰掛けて軽く食事をする。
前回の大室山では長きブランクのためかなりバテ気味であったが、今回は登りの距離も短く、身体が軽い。
足慣らしに履いてきた少しオーバースペック気味の登山靴も、なかなか良く足にフィットしてくれている。

10時55分、仏果山を後にして先へと進む。
先程登ってきた宮ヶ瀬越からの道を右に見てまっすぐ進む。傍らの道標には半原越までの距離が書いてあるものの (2.5km)、肝心の経ヶ岳の文字がない。 尤も、経ヶ岳は半原越を通過しなければ到達できないので、心配することはない。
ここからは細い尾根道が続く。道はすぐに下りに入り、両側に鎖が付けられた斜面を下る。

周囲は灌木帯に変わっているので、目の前の高みがよく見える。 小生の持っている山と高原地図 『丹沢』 には名前が出ていないが、後で調べると 『八州ヶ峰』 の名前があるようである。
少しザレて滑りやすい道を慎重に下って鞍部に至り、そこからはまた登りが始まる。小ピークを越えるとまた下りが待っている。
道は良く踏まれているが、左右が切れ落ちている上に道幅が狭いので、慎重に進む必要がある。
この辺では展望がグッと開け、右手には丹沢山塊の主要な山々がよく見えるようになる。

小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、やがて登りが続くようになり、 登り着いたところには馬渡分岐の標識が立っていて、ここから左に馬渡バス停への道が分かれている。時刻は 11時11分。
ここから少し下って登り返すと、立派な案内板があるピークに登り着く。ここが八州ヶ峰であろう。
時刻は 11時15分。案内板にはこの辺が 『山岳修験の霊場』 であったことが書かれている。

その八州ヶ峰から一旦下り、細い尾根道を通って登り返すと、今度はベンチが数基並ぶ小広いピークに到達する。 ここも小生の地図には記載がないが、熊古谷山 (くまごややま) の名前があるようである。時刻は 11時20分。
ここは休まず先へと進む。壊れかけた鹿避けゲートを潜り、スギの樹林帯を下る。足下には丸太の横木が埋め込まれているので、滑ることなく下ることができる。
下り着いてから小ピークを越えた後、緩やかに登り返せば、革籠石山 (かわごいしやま) の大きな標識が立つピークに登り着く。
時刻は 11時32分。

革籠石山を下った後は緩やかなアップダウンの道が続く。周囲はスギの樹林帯で展望は得られない。
11時42分に 『半原越 1.0km』 の標識を過ぎ、さらに下って行くと、やがて土山峠への分岐に到着する。時刻は 11時46分。 標識には 『半原越 0.9km』 とある。
ここからも緩やかなアップダウンが続く。歩きやすい道だが、足下には木の根がむき出しになっており、ボッーとしていると躓いてしまうので要注意である。

11時59分に リッチランドへの道を右に分け、道は左へとカーブしていく。
この辺からは右手樹林越しに経ヶ岳と思しき山の姿が見えてくるようになり、また、左手には恐らく仏果山と思しき山も見えている。
道は下りに入り、やがて下方樹林越しに道路が見えてくる。
そして、12時7分、車道に下り立つ。ここが半原越のようである。
道路を挟んだ先には観光案内図があり、その右手から経ヶ岳への道が斜面に続いている。

案内図の前で暫し休憩した後、12時15分に出発。
スギ林の中、丸太横木の階段を登っていく。この傾斜が結構急で、少々疲れが出てきた身体には応える。
やがて周囲に雑木が混ざり始めると、傾斜は緩やかになり、歩きやすいほぼ平坦な道が続くようになる。
再び登りが始まるが傾斜は緩やかで、登り着いたところにはベンチが置かれている。時刻は 12時27分。
ここからは暫くの間緩やかなアップダウンが続く。右手に華厳山と思しき高みが見えてくると、やがて傾斜がキツくなり始める。

丸太横木の階段をひたすら昇り続ける。周囲に岩が現れ始めたかなと思うと登りも終わりとなり、細い尾根の平らな道に変わる。
先の方には大きな岩が見えているが、これが 『経石』 のようである。経石の傍らには 『昔、弘法大師がこの岩 (南側にある穴) に経文を納めた・・・』 と書かれた案内板が立っている。 時刻は 12時39分。
経石の右側に回ってみると、確かに岩の上部に穴があったが、これが経文を納めた穴なのであろうか。
穴の中には小さな弘法大師と思しき石仏 ? が納められていた。

経石を過ぎて少し登ると、やがて前方にベンチが見えてくる。どうやら経ヶ岳に到着したようである。 時刻は 12時43分。
狭い頂上にはベンチの他、三角点、そして立派な標識が置かれている。ここからも大山、表尾根、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳と続く丹沢山塊の主脈がよく見える。

暫し休憩した後、12時59分に出発。華厳山へと進む。
手元の地図ではここから破線になっているので少々不安であったが、少し進むと華厳山への立派な標識が現れたのでホッとする。
しかし、そんなに甘くはなかった。ここからはあまり踏まれていないのであろう、今までのしっかり踏まれていた道とは打って変わって、土の表面がザラザラしている滑りやすい道となる。 おまけに下り斜面が続くので苦労する。
そんな中、安心させてくれるのが 『西山を守る会』 が所々に付けてくれている 『← 華厳山』 と書かれた案内標識であった。

滑りやすい斜面を慎重に下る。ロープが張ってあるのがありがたい。
やがて、その 『西山を守る会』 が作成した 『モミの木地蔵』 に到着。これは大きなモミの木の洞 (うろ) に小さな石の地蔵が置かれているものである。時刻は 13時8分。
倒木が多くて邪魔な、少々荒れ気味の道を下る。斜面が急なので、滑らないように制御するのが結構辛い。
漸く滑りやすい斜面を下り終えると、小さなアップダウンが続いた後、このまま華厳山に通ずるであろうと思しき登りが始まる。
ここも傾斜がキツく、おまけに足下は少しザレ気味な上、倒木も多いので苦労する。

それでも、10分程黙々と登っていくと傾斜が緩やかになり、さらに少し登っていけば華厳山頂上であった。時刻は 13時41分。
この華厳山頂上は展望がほとんど得られない。
それ程広くない頂上には丸太を横にして作られたベンチがあり、そこに腰掛けて少し休む。
そして、13時45分に出発。ここから先の斜面は緩やか、広々とした尾根をゆっくりと下って行く。

道が左に緩やかにカーブし始めたので、このままでは高取山 (こちら側にも高取山がある。 本日最初に登った高取山は、昔は高旗山と言ったらしい。) へと進んでしまうと思い、御門橋へと下るルートを探す。
バリエーションルートらしいが、結構登られているので取り付きが明瞭であろうと思っていたのだが、周囲に印などは見られない。
しかし、道を外れて南側の斜面を見ると、あまり踏まれていないため表面に土埃 (つちぼこり) 浮き上がっている状態の中に足跡が見つかる。方角的にも合っているようなので、 ルートを外れてその斜面を下る。
落葉と土の斜面に僅かに見られる踏み跡を辿る。少々不安だが、時々現れる明確な足跡に勇気づけられる。

周囲に赤テープなどは全く見られないので、足下のかすかな痕跡を見失わないように注意しながら下る。
やがて、今までにも増して急斜面となるが、そこにはロープが設置されていたので、道の確かさが確認できホッとする。
とは言え、この下り斜面は足下が滑りやすいのでかなり厳しい。
ロープと周囲の木々を頼りに何とか急斜面を下り終えると、道は緩やかになり、やがて所々にピンクテープが現れるようになる。
ただ、テープは林業など、登山とは違う目的で付けられている場合もあるので全面的に信頼する訳にはいかないのだが、その後も正しいと思しきルート上にピンクテープが続くので、 どうやら信頼しても良さそうだと判断する。

道は下りがずっと続いていたが、やがて前方に高みが見えてくる。どうやら下り一辺倒とは行かないようである。
そして思った通り、意外と大きなアップダウンが続くようになる。とは言え、先程の華厳山からの下りに比べれば道は歩きやすい。
頂上部分が長く平らなピークを越えた後、また少し登っていくと、やがて木々の伐採を済ませたばかりと思われる場所を通過する。

さらには、前方に鹿避けネットが見えてくると、左手に小さな石祠が見えてくる。時刻は 14時33分。
祠はこちらに背を向けていたので、前に回らずにそのまま通過してしまったのだが、後で調べると、表側には 『秋葉山』 の文字が刻まれていたらしい。 小生の地図に記載はないが、ここは 煤ヶ谷秋葉山 (すすがやあきばやま) と呼ばれる山らしい。
さらには、先程通過してきた頂上が平らで長いピークにも 煤ヶ谷高取山 (すすがやたかとりやま) の名前が付いているようである。

この 煤ヶ谷秋葉山からは暫く下りが続く。ただ、急斜面というわけではなく、途中に踊り場があるという感じなので、進みやすい。
緩やかな下りをドンドン進む。15時を過ぎた頃、樹林が切れて、右手下方に人家が見えるようになるが、まだ下界までは 150m程の高度を落とさねばならないようであり、少し気が滅入る。

長く続く下りに嫌気を感じながらも黙々と下っていくと、やがて鹿避けネットにぶつかる。 その向こう側には農地が見えており、地上はもうすぐである。
しかし、鹿避けネットを潜る場所が見つからない。ネットに沿って右に進むと、その先はどうやら崖になっていて川に落ち込んでいるようである。 それではと左に回っていくと、窪地の先にゲートが見えてきた。どうやら、最後の最後で、尾根を一本間違えたようである。

15時31分、ゲートを通過して農地に下り立つ。舗装道を進み、右に曲がって人家の中を進んで御門橋 ? にて小鮎川を渡ると、 その先で県道60号線に出る。
しかし、ここはゴールではない。道の駅 清川まで 2km強の車道歩きが待っている。
しかも、道は尾崎の丁字路を過ぎて県道64号線に入り、中里のバス停を過ぎると昇り勾配となり、疲れた身体には結構応える。
それでも何とか歩き続け、16時2分に道の駅に到着。先日の大室山に続いて、8時間近い歩きとなったのであった。

本日は、先日の大室山に懲りて低山に登ったのだが、低山とは言え、なかなか面白い山であった。
体力的なこともあり、暫くは低山歩きを楽しみたいと思う。
なお、新しい靴であるが、歩き続けて足の方に血が溜まってくると、少々きつく感じられるようになった。もう少し履き慣らす必要がありそうである。


お茶濁し  2020.6 記

山に長い間行っていないこともあり、この欄に書くことはほとんどない状況であるが、 かといってこのメインページに何も書かないで済ませるようにホームページのレイアウト変更を行う気力も湧かず、しかたなく 今回は取り留めのない話を書いてお茶を濁すことにしたい。

内容は、新型コロナウイルス感染症によって緊急事態宣言が出され、『ステイホーム』 を余儀なくされたこの約2ヶ月間、 小生が行った時間つぶしについての話で、それは所有している CDのちょっとした整理である。

散歩の時に ソニーのウォークマンにて音楽を聴いており、そのため所有している CDは ソニーの提供するソフト、 『Music Center For PC』 に全部入っていて アーティスト単位・CD単位に並んでいるので、今更手をつける必要はないのだが、今回行ったのは全く違う観点からの整理である。
小生の所有している CDは、昔 不覚にも全部売り払ってしまった LPレコードを CDの形で買い戻すことが多い一方、 過去のヒット曲を集めたオムニバス的な CDも多く所有しているので (無論、全部洋楽)、 1950〜1960年代のヒットチャートを賑わした曲をどれだけ自分が所有しているかを確かめてみようと思ったのである (米国と日本のチャートにて確認)。

まず、米国のチャートであるが、これはかの有名な ビルボード誌のホームページに、 『Billboard Top 100』 として 1940年から昨年の 2019年までの年間のヒットチャートが記載されているので、そこから 1950年 〜 1969年までのデータを引っ張り出し、 EXCELに落として 20年間のチャートを確保した次第である。
なお、トップ100とは言うものの、1950年〜55年までは トップ30までしか載っておらず、100位まで記録されているのは 1956年からである。

問題は当時ランキングなどの集計を行っていなかった日本のチャートの方である。
しかし、これには 『洋楽ヒットチャート大事典』(八木 誠 監修・著) というありがたい本があり、たまたま昨年この本を図書館で借りてその ランキング部分をコピーしておいたので、 これを使わせてもらうことにする。

ただ、現在、日本の音楽界において評価指標として用いられている オリコンチャートが正式にスタートしたのは 1967年であるから、 1950年からの 20年間の大部分のランキングについては八木氏もまとめるのに大分苦労されたようである。
ラジオのヒットチャートなどから引っ張ってきてはいるものの、1局のラジオ番組がずっと続いていた訳ではないため、複数のラジオ番組のチャートを継ぎ接ぎせざるを得ず、 そこに独自で収集したデータも加えてランキングを作り上げているので、少々 「アレッ」 と思うところもないではない。
しかし、このことによってこの本の価値を下げるものではなく、また当時の “洋楽” の概要を知る上では貴重なデータであり、何よりもこの労作をまとめ上げた 八木氏の功績に心から敬意を表し、 感謝申し上げる次第である。

さて、結果であるが、米国では 20年間にトップ 100にチャートインした 1,580曲のうち (上述のように、1950年 〜 55年まではトップ30)、小生は 593曲 (37.5%) を所有していることが分かり、上位30曲のみとすると、 全 600曲中 332曲 (55.3%) を持っていることになる。

だからどうしたという話になるのだが、これだけあれば当時の米国のヒットチャートの状況をある程度掴めるというもので、 ジャズの流れを引く大人の鑑賞に堪えうるスタンダード系シンガーによる曲から、ロックンロールの台頭、 そしてロックンロールからロックへの発展といった、音楽の変遷を興味深く楽しめるというものである。

それにしても、改めてこれらのチャートインした曲を聞き直してみると、個人的には 1950年代の曲に大いに興味を惹かれる。
ナット・キング・コールや パティ・ペイジ、レス・ポール&メリー・フォードなどはやはり素晴らしいし、ジョー・スタッフォードの 『ユー・ビロング・トゥ・ミー』 は何回も聴きたくなる程である (チャートインしていないが、彼女の 『霧のロンドン・ブリッジ』も素晴らしい)。

そうそう、忘れてはならないのが、1963年の年間第 13位に 坂本九の 『上を向いて歩こう(米国では Sukiyaki)』 がランクインされていることである。
調べると、ビルボード誌のチャートで 3週連続1位を獲得、当時ライバル誌であったキャッシュボックスでも 4週連続1位を獲得しており、 1964年には米国内でのレコード累計販売枚数が 100万枚を超えたことから日本人初の 「ゴールドディスク」 を受賞しているのである。
これは本当にすごいことで、しかも日本語の歌詞のままのヒットであるのだから、もう恐れ入るしかない。
作詞の 永六輔氏、作曲の 中村八大氏、そして歌った 坂本九氏の (六八九トリオ) に最敬礼である。
なお、この 3人は既に鬼籍に入ってしまっているが、坂本九氏が 1985年8月12日に起きた 日本航空123便墜落事故にて 43才の若さでお亡くなりになってしまったことは当時衝撃的であったし、 返す返す残念なことである。

さて、日本のランキングの方であるが、さすがに順位付けを明確にしているのは 1955年からであるものの、 順位はなくても当時流行った曲が列挙されていて大変に参考になる。
結果は、1,153曲中 619曲 (複数年に亘るヒットもあるため重複曲あり) と、こちらも 53.7%を所有しており、米国と同様に曲の傾向がそれなりに掴めるというものである。

特に、米国のヒットチャートと比べると、日本独自のヒットというものも数多くあり (『悲しき少年兵』、『ルイジアナ・ママ』、『恋の片道切符』 など)、 また米国の曲だけではなく イタリア (カンツォーネ:ジリオラ・チンクエッティの『夢みる想い』など)、フランス (シルヴィ・バルタンの『アイドルを探せ』など) の曲などもチャートを賑わせており、 日本人の多岐に亘る受容の心が感じられる (というよりも、歌詞よりもメロディから入らざるを得ない日本人の特性かもしれない)。

また、日本では映画音楽の影響が大きいようで、パーシー・フェイス楽団の 『ムーランルージュの歌』、『夏の日の恋』 や ヴィクター・ヤング楽団の 『エデンの東』、ナルシソ・イエペスの 『禁じられた遊び (愛のロマンス)』 やフィルム・シンフォニック楽団の 『太陽がいっぱい』 などは何回もチャートに登場してきている。

そして、もう一つ面白いのは、この時代は洋楽を日本の歌手がカバーしてヒットさせていたことである。
1950年代は江利チエミ (『テネシー・ワルツ』、『家へおいでよ』、『トゥー・ヤング』など)、雪村いづみ (『想い出のワルツ』、『青いカナリア』、『マンボ・イタリアーノ』など) が活躍し、 1960年代になると伊東ゆかり (『ポケット・トランジスター』、『恋の売り込み』、『夢みる想い』など)、中尾ミエ (『可愛いベイビー』、『バイ・バイ・バーディー』など)、 弘田三枝子 (『子供ぢゃないの』、『悲しき片想い』、『バケーション』など)、飯田久彦 (『悲しき街角』、『ルイジアナ・ママ』など)、 ダニー飯田とパラダイス・キング (『ビキニスタイルのお嬢さん』、『ステキなタイミング』など)、ザ・ピーナッツ (『情熱の花』、『悲しき16才』、『月影のナポリ』など) が競うようにして外国の曲をカバーしていて枚挙にいとまがない。
特に 1960年代に入ってテレビの時代になると、『ザ・ヒットパレード』 や 『シャボン玉ホリデー』 といった番組が放映され、カバー曲のヒットに大いに貢献したことは間違いなく、 日本人のカバー曲のヒットにつられて、元歌がヒットしたということも珍しくなかったようである。

と、自己満足に過ぎない地道な作業を続けてきたが、ネットで調べると、小生のようにオールディーズの曲に当時を懐かしみ、 さらにはそこに詳しい解説を加えている方がかなりいることに驚かされた。
大いに参考にさせて戴くとともに、小生も何らかの形でこの財産 ? を活かす方法を考えていきたいものである (実は少し手がけ始めているので、また機会があればご報告したい)。


2年3ヶ月ぶりの権現山  2021.4 記

1年5ヶ月ぶりに登山を再開して 2月に丹沢の大室山に登った後、同じ 2月に仏果山・経ヶ岳、 そして鐘ヶ嶽 (登山記録はアップしないつもり) と立て続けに山に登ったものの、3月に入るといろいろなことが重なってなかなか山に行けない状態が続くようになる。
そんな中、天候と時間がうまくマッチして、漸く山に行けるチャンスが巡ってきたのだが、体力的にあまり自信が持てない現状では山選びに少々苦労してしまう。

そこで、過去に登った山の中から候補の山を色々考えたところ、2018年12月に登りはしたものの登山記録をアップしていない山梨県の 権現山、扇山、百蔵山 (この 3つの山を北都留三山と呼ぶらしい) が頭に浮かぶ。
現状は、キツい斜面を登り続けるにはまだまだ体力不足であるものの、長い距離を歩く体力の方は残っていると感じているため、 先般の仏果山・経ヶ岳と同様に 『縦よりも横』 の登山を選択したという次第である。
また、3月21日に緊急事態宣言が解除となったため、神奈川県から患者数の少ない山梨県への山行も少しは気が楽というものである。

さて、辿るコースであるが、前回の時と同じく大月市の市営総合グラウンド (陸上競技場) の無料駐車場に車を駐めた後、 県道505号線沿いの市営グランド入口バス停まで歩き、そこから 7時の浅川行き富士急バスに乗って浅川まで行って 権現山、扇山、百蔵山と縦走を行い、 市営総合グラウンドへと下山してくるというものである。

3月24日(水)、朝の 5時過ぎに横浜の自宅を出発する。
ところが、途中で忘れ物に気づいて家に引き返したため、かなり時間をロスしてしまい、これが後々響いてくる。
横浜ICから東名高速道下り線に入り、海老名JCT−圏央道−八王子JCTと進んで、中央高速道へと進む。
途中、富士山を見ることができ、本日は快晴であることを確信してテンションが上がる。
上野原ICにて高速を下りた後は県道506号線を進み、上野原高校入口の交差点を左折して国道20号線に入って大月方面へと進む。
20分程進んでいくと、猿橋町に入った少し先で 『右 小菅』 の標識が見えてくるので、国道20号線と分かれて県道505号線に入る。
少々狭い道を暫く進み、中央高速道の高架下を潜った先の十字路を右折 (この十字路に県営グランド入口のバス停がある) すれば、後は道なりで大月市営総合グラウンドである。

ところがである、出発時の時間ロスに加え、国道20号線、県道505号線では非常にノロノロ走る車の後ろについてしまったため 時間を稼ぐことができず、駐車場に着いたのは何と 6時44分とギリギリの時間であった。
7時のバスに乗り遅れたら致命傷となるため、急いで登山靴に履き替え (但し、靴紐を結ぶ余裕無し)、カメラ、ストック、ザックを抱えて駆け足で坂道を下り県道505号線へと向かう。
朝方はまだ空気がヒンヤリとしているにも拘わらず、汗だくの状態でバス停に到着。何とか 7時のバスの乗ることができたのであった。
しかし、先日の仏果山の時と同じく、冷や汗ものであった。

ほぼ定刻通りやってきたバスには先客が 1人だけ。その人もすぐに下車したため、浅川までバス貸し切り状態となる。
浅川バス停には 7時26分に到着。登山靴の紐をしっかりと締めるなど身支度を調え、7時30分に出発する。
『 浅川峠 → 』 と書かれた標識に従って、右手の林道に入る。途中、左上に祠らしき建物を見てさらに林道を進んでいくのだが、前回登った時の記憶は結構曖昧になっており、 林道がかなり続くことに少々驚いてしまう。
それでも 15分ほど歩くと、林道は小さな広場にて終わりとなり、その先からは山道が始まる。

道はすぐに雑木林からスギの樹林帯へと変わり、斜面をジグザグに登っていくようになる。
展望のない、まだ少し暗い林の中を登っていく。傾斜は然程急ではないため、足が進む。
思えば、前回はここでも少しキツく感じたのであったが、今回はまあまあ順調である。
ただ、駐車場に到着したのがギリギリだったため朝食を食べ損ねており、空腹を感じ始める。立ち止まって朝食をとりたいところであるが、 日の当たらない斜面を登っている状況では休憩する気になれない。

やがて高度が上がってくると、樹林を通して周辺に朝日が当たるようになり、明るい中、気分良く登っていけるようになる。
ここで朝食にしても良かったのだが、折角順調なので、尾根に登り切るまでは休憩しないことにする。
左手樹林越しには、権現山から西へと延びている稜線が見えており、その後方には雲一つ無い青空が広がっていてテンションが上がる。
傾斜の方は徐々に緩やかになり、やがて道の先に浅川峠を示す標識が見えてくる。

浅川峠には 8時9分に到着。まずは左に道をとって権現山を目指す (扇山は左)。
ここから暫くはほぼ平らな道が続く。周囲は自然林に変わっており、足下には落ち葉、そして朝日が周囲を照らして明るい。
この先、また急斜面の登りが待っているのが分かっているので、明るく平らな尾根を進んでいる内に朝食をとることにする。
『 市坂分収造林地 』 と書かれた札が木に括られている場所で暫し休憩し、朝食とする。
なお、『 市坂 』 というのはここの住所らしい (大月市七保町市坂)。
コンビニで購入したおにぎり 2つで朝食を済ませ、7分程の休憩にて先へと進む。

右側がヒノキの樹林帯、左側が自然林といった道が続くようになり、その後、自然林、ヒノキ林が交互に現れる中を緩やかに登っていく。
少しずつ展望も開け、前方には権現山に連なると思われる尾根が時折見えるようになる。
また、振り返れば富士山が見えているものの、木々が邪魔をして見通すことができない。
さらには、左手に滝子山から右 (北) へと続く南大菩薩の山々も確認できるが、こちらも木の枝が邪魔で写真に収めることが難しい。

何回目かのヒノキの樹林帯を抜けると、緩やかな登りが続いていた道の傾斜がキツくなり、それがドンドン厳しくなってくる。
道の方もこれまでほぼ直線であったが、斜面をジグザグに登っていくようになり、それに呼応して息も上がってくる。
しかし一方で高度の方は確実に上がり、振り返れば富士山が樹林の間からほぼ見通せるようになる。
周囲は途中から自然林に変わり、コナラ属と思しき木々が目立つようになる。

喘ぎつつも登り続ける。前方を見ると、権現山を中心に東西に延びている尾根が見える。しかし、そこまではまだ距離があるようである。
このジグザグの登りはなかなか面白い構造で、右に登っていく距離は短く、左に登る距離が結構長い。
この長かったジグザグの道も漸く終わりとなり、傾斜は一旦緩やかになってホッとするが、すぐにまた急斜面の登りが続くようになる。
しかも登りはほぼ直線、息が上がる。
後方を振り返ると、登山者が 1人登ってくるのが見える。ここで追いつかれるのは面白くないと思い、少々無理をして登り続ける。

尾根は徐々に狭くなり、少し傾斜が緩み始めると、道の先に青空が見え、そこに案内表示が立っているのが見えてくる。
漸く権現山から西へと延びている稜線上に到着したようである。稜線到着は 9時22分。
左は麻生山、そして権現山は右である。ほぼ平らな尾根道は、少し先で一旦緩やかに下った後、権現山に向けての最後の登りが始まる。
ただ、傾斜は緩やか、息を切らすことはほとんどない。

そして、9時29分、誰も居ない権現山に到着。頂上には二等三角点の他、『 山梨百名山 』 の標柱が置かれている。
ここからの展望はなかなかのもので、所々樹林で遮られるものの、動き回ることで広い範囲の山々を見ることができる。
まずは大きく開けている南西の方向にある富士山に目が惹き付けられる。前回の仏果山では、丹沢表尾根などが富士山を隠してしまっていただけに、喜びも一入である。
富士山の左裾の下方には杓子山、鹿留山が見え、少し移動すれば鹿留山の左に御正体山も確認できる。
また、御正体山の手前には、この後に登る扇山も見えている。
富士山の右側に目を移せば、三ツ峠山、そして御坂黒岳などの御坂山塊が続いている。

そのさらに右側は樹林に遮られるが、頂上の反対側 (北側) に移動することで奥秩父、奥多摩の山々を見ることができる。
樹林にやや隠れ気味の大菩薩嶺から始まり、その右後方に北奥千丈岳、国師ヶ岳が確認できる。
さらに右には富士見、水師、木賊山、三宝山が見えており、木賊山の右には破風山、雁坂嶺、黒槐ノ頭、唐松尾山が続くが、そのさらに先は手前から現れる大きな山容の飛竜山に隠れてしまう。
飛竜山の右には三ツ山、そして雲取山が続き、雲取山からは石尾根が続いて高丸山へと至っている。
なお、石尾根の後方には芋ノ木ドッケ (芋木ノドッケ) も確認できる。

その石尾根も手前に見える三頭山に遮られてしまうものの、三頭山の右手後方に鷹ノ巣山が見えて、再び石尾根の続きが始まる。
そして、この石尾根が右へと下っていく後方には、天目山、蕎麦粒山、日向沢ノ峰、さらに右に川苔山 (かわのりやま) が確認できる。
川苔山の右手前には御前山が大きく、さらに目を右に向けると大岳山も見えている。大岳山の右には鶴脚山、馬頭刈山が続き、その後方には関東平野が広がっているが、 前回、関東平野の後方にうっすらと見えた筑波山は見ることができない。
山はまだまだ続き、臼杵山、刈寄山、熊倉山、連行峰、そして景信山も確認できる。

好展望にカメラのシャッターを切りまくっていると、やがて後続の登山者がやってきたので少し話をする。
今朝ほど、浅川からの林道脇に 1台車が駐まっており、そこで支度をしていた人がいたが、登ってきた方はその方だったようである。
素晴らしい景色を堪能した後、9時47分に出発。まずは大ムレ権現に向かうべく、頂上を突っ切って先へと進む。
滑りやすい急斜面を下り、ヒノキの林に入れば、すぐに神社の屋根が見えてくる。
その神社前には 9時51分に到着。お参りを済ませた後、頂上には戻らずに神社左手の巻き道を進む。

ほぼ水平な道を進み、9時58分に正規のルートに合流。
道を左にとって、浅川峠への下降点に至り (10時)、そこから先ほど登ってきた道を浅川峠に下る。
その浅川峠には 10時45分に到着。右に今朝ほど登ってきた浅川からの道を過ごして、まっすぐ進む。
暫くは緩やかな松林の道が続くものの、道が徐々に左にカーブし、松林が終わりになると、再び登りが始まる。
左手樹林越しに権現山がチラチラ見えるのだが、木々が邪魔をしてなかなか見通せないのが残念である。

やがて高みの一角に登り着くと、そこからは広く平らな頂上が続く。
途中、傍らの木に 『 曽倉山 』 と書かれた板が括られていたが (時刻は 11時1分)、感覚的には少し先の方が高いように思われる。
と思ったら、少し先でまた 『 曽倉山 940m』 と書かれた手製の標識が現れる。感覚的にはこちらの方が頂上らしく思われるのだが、 いずれにしても国土地理院地図には 『 曽倉山 』 の名は書かれていない。

道は下りに入り、前方には目指す扇山と思われる山容が樹林越しに見えてくる。
また、右手樹林越しには百蔵山と思しき山も見えおり、百蔵山の右手後方に滝子山も確認できる。その滝子山の左斜面後方に真白き山も見えているのだが、北岳と思われるものの、 木々が邪魔をして見通すことができず確信が持てない。
道は狭い鞍部に下りた後、再び登りが始まる。小さな高みに登り着くと道はほぼ平らになり、快調に足が進む。
しかし、一旦下ってすぐに登りが始まり、登り着くとさらに先に高みが見えてくる。疲れが出始めた身体にこのアップダウンは厳しい。

続いての登りは結構長く続く。少し休んで振り返れば、権現山が見えているが、ここからは尾根上の小さな高みにしか見えず、 大菩薩嶺から見たそれとは大分印象が違う。
喘ぎつつも登り続け、小さな振幅のジグザグにて斜面を登っていくと、やがて斜面の先に空間が広がり、そこに 2人の登山者が憩っているのが見えてくる。 扇山に到着である。時刻は 11時51分。

頂上は広く、その中央部は直径 15m程の土の窪地となっている。
その中央に三角点らしきものが置かれているのだが、『 らしきもの 』 と書いたのは柱石ではなく、 本来なら柱石の下に置かれるべき盤石 (正方形の敷石を思い浮かべれば良い) のようなものが露出しているのである。
なお、国土地理院の地図を見ると、扇山に三角点は無いことになっている。

また、頂上にはこの三角点らしきものの他、『 山梨百名山 』 の標識、そしてこの山が 『 秀麗富嶽十二景(六番)』 の 1つであることを示す標識と その説明書きが置かれている。
その富士山であるが、『 秀麗 』 というとおり、素晴らしい姿を見せてくれているものの、権現山と比べて手前部分が樹林に覆われていて見えないため、あまり雄大さを感じさせてくれない。 個人的には権現山から見た富士山の方がお勧めである。

丸太のベンチに腰掛けて暫し休憩する。
ここは、この後の行程も長いので十分に休養しておきたいところである。
なお、権現山から扇山間では 2人しか登山者に会わなかったのであるが、扇山では 5人ほど登山者が休んでいた (内 3名は外国人)。

12時6分に出発、西へと向かう道に入る。
暫くはほぼ平ら、あるいは緩やかな下りが続いた後、少し傾斜が急になった後、下り着いた所には JR中央線鳥沢駅への道が左に分かれている。 ここが 『 大久保ノコル 』 とのことで、駅まで 90分程らしい。
ここからは暫く緩やかな登りが続き、登り着いた所にあった木には 『 大久保山 』 と書かれた手作りの標識が括られていた。
時刻は 12時17分。
この大久保山の少し先からは下りがずっと続くようになる。道は乾いているものの、落ち葉が道を覆っていることが多く、滑りやすく注意が必要である。 加えて、ほぼ直線の下りが続くため、歩きにくい。

途中、右手を見れば、権現山と思しき高みが見えている。ここから見る権現山も、ほぼ平らに続く稜線上にポコッと飛び出した突起にしか見えない。
やがて左手前方樹林越しに百蔵山も見えてくる。
一方、下りはまだまだ続く。傾斜はかなり緩やかになってきてはいるものの、百蔵山から扇山へと今とは逆方向に進んだ場合、ここの登りはかなり手強かろう。

その長い下りに嫌気が差し始めた頃、下方に標識らしきものが見えてくる。
前回、この標識が見えた時には、この長い下りに何か変化があることを期待させてくれたのだが、実際は前方のカンバノ頭を巻くことを指示する標識でガッカリした記憶がある。
しかし、今回、再度このルートを辿ってみると、ここからはほぼ平らな道が続くようになっていることに気づく。
つまり、実際に長い下りから変化があったという訳であるが、前回はそれに気づかない程 長い下りに倦んでいたのかもしれない。

しかしその歩きやすい道も長くは続かず、また小さな高みへの登りが始まる。
息を切らせつつ高みに登り着くと、その先からは本当に斜面を横切る平らな道が続くようになる。これは本当にありがたい。
暫くはヒノキの林が続く。道がやがて下りに入ると、下り着いた所に標識が現れる。宮谷分岐である。時刻は 13時24分。
目指す百蔵山は直進で、左に下れば猿橋駅である。
標識の傍らにあるベンチで休憩していたところ、先ほど扇山頂上にいた外国人の若者 3名が追い抜いていった。

13時32分に出発。少し進むと登りが始まり、ヒノキ林の中を小さく蛇行しながら登っていく。
しかし、この登りも然程長くは続かず、その後、ヒノキ林の斜面を横切る道が続くようになって喜んだのだが、それも束の間、その先でまた登り斜面となる。
この辺は、少し登ると平らな道が続くといったパターンを繰り返しながら高度を上げていき、左側へと回り込んでいく。
やがて、正面樹林越しに百蔵山が見えてくる。
また、右手樹林越しに滝子山が見通せる場所に出たが、先ほどまでその左手後方に見えていた南アルプスは今や全く見えない。

やがて道に傾斜がつき始めるが、最初のうちは緩やかで楽に登っていくことができる。
しかし、やや古い標識を見た後は、傾斜がかなりキツくなり始める。太陽を正面に見ながらの厳しい登りが続く。
足下には落ち葉と混ざり合って岩や岩屑が現れ始める。
これが最後の登りということは前回辿ったので分かっているが、疲れた身体にはかなり応える。
少し登っては立ち止まって上を見上げるという動作を繰り返しながら進む。
また、途中、振り返れば権現山や扇山が見通せることが多くなったので、写真を撮ることを口実にしてさらに休みを追加する。

なかなか斜面の終わりが見えない中、それでも何とか登り続けていくと、漸く斜面が緩やかになってくる。しかし、まだまだ先は長い。
それでも、やがて斜面の先、樹林の向こうに空が見えてきたので、頂上かと期待させるが、それ程甘くは無く、そこには猿橋駅への下り道を示す標識が立っているのみであった。時刻は 14時21分。
とはいえ、ここはもう頂上の一角と思って良いのであろう、傾斜はさらに緩やかとなり、足が進むようになる。
そして 14時24分に百蔵山の頂上に到着。
ここには三等三角点の他、扇山と同じく 『 山梨百名山 』 の標識及び 『 秀麗富嶽十二景(七番)』 の標識と説明書きが置かれている。

この山頂は南側が開けており、展望が素晴らしい。
残念ながら逆光気味ではあるものの、右端 (南西) には富士山が見えており、富士山の左斜面下方には杓子山、鹿留山がシルエット状に見え、 さらに左には御正体山、そして今倉山、菜畑山、朝日山 (赤鞍ヶ岳) といった道志の山々が連なっている。
朝日山の左後方からは、加入道山、大室山、檜洞丸、蛭ヶ岳といった丹沢山塊が続き、黍殻山へと至っている。

頂上にあるテーブルに腰掛けて暫し休憩した後、14時38分に下山開始。さらに先へと進む。
ここからは下りがずっと続く。ただ、急斜面では無いので、疲れた身体には嬉しい。
14時48分、傾斜が緩やかになってきたところで、左に下る道が現れる。前回、ここには 『 直進 葛野部落 』 と書いてある標識が立っているだけであったが、 その後キチンと整備が為されたようで、今は 『 左 猿橋駅、直進 葛野方面 』 と書かれた標識が置かれていた。
斜面を横切る道を下る。日差しが暖かく、なかなか気分が良い。

順調に下って行くと、やがて展望の良い場所に飛び出す。
ここからは丹沢方面がよく見えており、また富士山も樹林の間から見ることができる。時刻は 14時57分。
この展望台を過ぎると、道はヒノキの林の中を下って行くようになるが、この辺は足下の砂利が少々五月蠅い。
ヒノキ林の中を黙々と下る。すると、嬉しいことに水場が現れる。前回、ここに水場があったという記憶はないのだが、兎に角 冷たい水で喉を潤せたのが嬉しい。時刻は 15時18分。

水場から少し進むと、道が上下 2つに分かれる (時刻は 15時21分)。前回はどちらに進むべきか分からなかったので上の道を進み、 大山祇神社、和田美術館、浄水場と進んで少し遠回りをしてしまったが、今回、ここには標識が置かれている。
どちらの道も 『 猿橋駅 』 に至るのであるが、下の道には 『 近道 』 とある。ここは迷うことなく下の道を進む。

道は和田美術館の裏手を進み、コンクリートの急坂をまっすぐに下る。
この下りでは、スピードが上がってしまうのを足で制御しなければならず、これが結構辛い。
道は住宅地に入り、ここでも急坂を下っていくと、やがて前回通った浄水場からの道と合流する。
右に道をとってさらに丁字路を左に曲がれば、すぐに前方に市営総合グラウンドが見えてくる。 駐車場到着は 15時38分であった。

本日は 3年ぶりに権現山、扇山、百蔵山を縦走したが、体力的には少々厳しいものがあったものの、前回とほぼ同じ時間で歩けたことは嬉しい。 天候にも恵まれ、富士山の姿もタップリと見ることができ、大変満足のいく登山であった。


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