新・山の雑記帳 4  ('2013/8 − '2014/8 )

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 1.最 新 の 雑 記 帳
 思いがけず 美ヶ原散策  2014.8 記

 またもや残念な結果の悪沢岳  2014.8 記

 静かな山旅 大滝山  2014.7 記

 梅雨の晴れ間の妙高山  2014.7 記

 これまた久々の越後駒ヶ岳  2014.6 記

 久々の白馬大雪渓  2014.6 記

 快晴の鳳凰山に大満足  2014.5 記

 苦労したが大満足の女峰山  2014.5 記

 充実の日留賀岳  2014.4 記

 病癒えての残雪の山  2014.3 記

 2014年最初の登山では罰が当たる  2014.1 記

 2013年最後の山行は撤退に終わる  2014.1 記

 会心の麦草岳  2013.12 記

 目的果たせず烏帽子ヶ岳  2013.11 記

 大満足の十石山  2013.11 記

 目論見が外れた朝日岳  2013.10 記

 快晴に恵まれた南駒ヶ岳、空木岳  2013.10 記

 体調確認の阿弥陀岳  2013.9 記

 疲れたが最高の夏山 (体力には問題あり)  2013.8 記

 手軽に楽しめる 3,000m峰  2013.8 記

 2.これまでの 新・山の雑記帳 3    ('2012/5 − '2013/7 )      ←   こちらもご覧下さい

 3.これまでの 新・山の雑記帳 2    ('2011/6 − '2012/4 )      ←   こちらもご覧下さい

 4.これまでの 新・山の雑記帳    ('2006/8 − '2011/5 )      ←   こちらもご覧下さい

 5.これまでの山の雑記帳:INDEX 1    ('97/10 − '00/5 )      ←   こちらもご覧下さい

 6.これまでの山の雑記帳:INDEX 2    ('00/5 − '02/11 )      ←   こちらもご覧下さい


思いがけず 美ヶ原散策  2014.8 記

7月23日〜25日の悪沢岳−赤石岳再挑戦は、残念ながら不本意な結果に終わってしまった。
登山記録に書いたとおり、悪沢岳頂上ではガスに囲まれて展望が全く得られなかったことにより、急遽 山中 2泊の予定を 1泊に変え、 悪沢岳頂上のピストン登山に変更してしまったのである。
まあ、この浮いた山中 1泊分の費用は是非とも他の山で有効に使いたいものである。

さて、このように登山に関して少し不完全燃焼な状態の中、 翌週は女房殿と信州に小旅行に出かけることになった。
平日 (7月31日) であり、さらには圏央道が東名高速道と繋がったことにより、ほとんどストレスを感じること無く大変スムーズに最初の目的地である戸隠神社に到着。 ちなみに、朝の 6時過ぎに横浜の自宅を出発したところ、10時15分には戸隠神社中社に到着という状況であった。
途中、残念ながら北アルプスの山々は雲に囲まれてほとんど眺めることはできなかったものの、戸隠神社奥社・中社などを巡ってのちょっとしたハイキング、 そして美味しいソバ (うずら屋) に舌鼓を打ち、さらには暑いさなかの善光寺詣で、また川中島合戦跡などを巡り、 1日目は終了したのだった。

翌日はこれといった行き先を決めておらず、暑いだろうが松本城にでも行こうか などと漠然と考えていたところ、 ホテルでテレビを見ていると、テレビ信州の 『ゆうがたGet!』 という番組において美ヶ原高原の紹介がなされたのであった。 これを見て、急遽、翌日は美ヶ原高原に行こうという気になる。
長野から美ヶ原高原は近いこともあり、さらには上述のように不完全燃焼の登山の後であることから、まさに (小生にとって) 良いアイデアである。 問題は女房殿だが、美ヶ原ならそれ程キツい登りは無いので登山に全く興味が無い女房殿も歩くのを嫌がらないと思われるし、 何よりも美ヶ原の光景に感動すること間違いなしと思われたので、後でブーイングが出る心配はないものと踏んだのであった。
後は天候であるが、天気予報によれば午前中は晴れ、午後から崩れる可能性ありとのこと。午前中に美ヶ原散策を終えてしまえば大丈夫のようである。

翌 8月1日は 8時過ぎにホテルを出発する。
長野ICから上信越道に入り、更埴JCTを経て坂城ICにて高速を下りる。すぐに国道18号線に入り、上田市方面へと進む。 上塩尻東で右折し、上田坂城バイパス・築地バイパスを経て県道65号線を南下する。
やがて、平井寺トンネル有料道路を抜けると、荻窪の丁字路にぶつかるので左折し、国道254号線に入る。 腰越上で国道152号線に合流した後、武石口で右折して県道62号線に入る。
山の方へと進み、武石観光センターのところで左折して県道464号線に入る。後は美ヶ原高原まで一本道である。
クネクネした山道を進む。帰路に使う予定のビーナスラインよりは狭いものの、道はしっかりしていて安心して登っていける。 尤も、美ヶ原に着くまで対向車は 2台しかない状況であった。
ドンドン高度を上げていくと、さすがにクーラーは不要、窓を開けると涼しい風が入ってくる。
美ヶ原高原美術館の大駐車場には 9時53分に到着。駐車場の左方を見れば、緑の丘の斜面に野外展示作品が点在しているのが見え、 さらにはその丘の上にヨーロッパ中世の古城を彷彿とさせるビーナスの城が建っていて青い空に映えている。

トイレなどを済ませ、歩き始める準備をしていると、 アモーレの鐘が鳴り響く。10時である。
今回の小旅行では山道を歩くつもりは全くなかったものの、戸隠神社奥社まで長い参道を歩くことを踏まえ、 一応女房殿共々ウォーキングシューズを履いてきている。従って、余程の山道では無い限り対応できるはずである。
車道を渡り、東西 2つに分かれている美術館野外展示場の間に作られた木道に入る。木道は牛伏山手前までに続いており、 草地の斜面を緩やかに登っていく。斜面を登り尾根上に飛び出ると、目の前に美ヶ原高原が大きく広がる。
尾崎喜八氏が、『美ヶ原溶岩台地』 という詩の中で、この美ヶ原について

  登りついて不意にひらけた眼前の風景に
  しばらくは世界の天井が抜けたかと思ふ。
  やがて一歩を踏みこんで岩にまたがりながら、
  此の高さにおける此の広がりの把握に尚もくるしむ。
  無制限な、おほどかな、荒っぽくて、新鮮な
  この風景の情緒はただ身にしみるやうに本源的で、
  尋常の尺度にはまるで桁が外れてゐる。

  秋が雲の砲煙をどんどん上げて、
  空は青と白との眼もさめるだんだら。
  物見石の準平原から和田峠の方へ
  一羽の鷲が流れ矢のやうに落ちて行った。 (尾崎喜八「高原詩抄」より)

と詠っているが、美術館側から登ったのではそれ程不意に高原の広がりが目の前に現れるわけではないものの、 それでも共感できるものがある。
前回この美ヶ原に登った時は、南側の三城からしっかりと山道を登ったものの、生憎の雨模様で、この高原の広がり、 そして 空の青と白い雲の段だら模様を確認できなかったのだが、本日はほぼ快晴の中、それに近いものを感じさせてくれたのだった。 これだけでも来た甲斐があるというものである。
無論、女房殿もこの広々とした光景に感激。かつて旅行したイギリスのコッツウォルズ地方を思い出したようだ。 尤も、草原に点在しているのは羊では無く牛であるが・・・。

左前方には王ヶ頭が見える。電波塔が建ち並び、美しい高原に場違いな感じを与えるが、 前回見ているために免疫ができたのであろうか、これはこれで 1つの絵になって見えるから不思議である。
山登りに興味の無い女房殿のことも考え、牛伏山頂上は踏まずに手前の道から下る。ここからは完全に牧場。牛が草を食んでのどかである。
牧場の柵に沿って石畳や階段を下り、やがて山本小屋ふる里館前に到着。ここには広い駐車場があり、我々のように牛伏山を登らずともここまで車で来ることができたようであるが、 少しでも登山という形に近づけたい小生にとっては、美術館から登ったのは正解であった。
この山本小屋ふるさと館からは自動車も通れる林道のような道が牧場の中を横切っており、ここからはそこを歩くことになる。

まずは美しの塔を目指す。山本小屋ふるさと館の前に掲げられていた地図によれば、 美しの塔までの所要時間は 20分となっている。
砂利道を歩く。傾斜はほとんどなく、あっても緩やかなので普通に歩くことができる。そして先の方を見れば、草地の広がりの先に緑の丘が盛り上がっており、 その上に電波塔が林立している。先にも述べたように、これはこれで絵になるから不思議である。
美ヶ原高原ホテル・山本小屋を過ぎ、左手の柵内を見れば、ポニーが草を食んでいる。
周囲を見渡せば、この美ヶ原の上空には青空が広がっているものの、高原の周囲は雲が多く湧き上がっており、 美ヶ原を取り囲む山々を見ることができない。そんな中、南東方面に湧き上がっている雲の中から、 拳骨を突き出すように上方へと延びているキノコ雲が見えた。
これは浅間山の噴煙に違いないと思ったのだが、よくよく考えてみると方向が全く違う (浅間山は北東のはず)。 これはどういった現象なのであろうと思い、帰宅後調べると、『キノコ雲の生成される要件は熱気の塊の急速な出現であり、 爆発や燃焼は必ずしも必要ではない』 とのこと。方角的には八ヶ岳方面なので、そちらで何か急激な温度上昇があったということなのだろうか。 不思議な雲であった。閑話休題。

15分程で美しの塔に到着。上述の尾崎喜八氏の詩は、 砲金パネルに刻まれこの美しの塔に埋め込まれている。
丁度 塔の周りに人が居なかったので、鐘を鳴らしてみる。面白いことに、塔の中ではあまり鐘の音は聞こえず、 外に出ると良く聞こえるようになっているらしく、何度もならしてしまう。
女房殿には、この美しの塔まで行こうと言って歩いてきたが、この後どうすると聞いたところ、何とありがたいことに王ヶ頭まで行っても良いとの返事。
やはり美ヶ原に来ておきながら、王ヶ頭の三角点を踏まずに帰ったのでは、画竜点睛を欠くことになるので、これは嬉しい。
美しの塔から 10分弱進めば塩クレ場。どうやら 10時30分頃に牛たちに塩を与えているらしく、タイミング良く岩の上に盛られた塩を牛たちが舐めている光景を見ることができた。
なお、塩クレ場のクレというのは、「クレる」 のこと。この地方の方言で 「あげる」 といった意味のようである。

塩クレ場から少し先で道が分かれる。どちらの道も王ヶ頭に続くようであるが、 一方は今までと同様、林道のような道、もう一方はアルプス展望コースの名がついていて山道になるようである。
前回、小生がこの美ヶ原に登った時は、三城から王ヶ頭に登り、そこから王ヶ鼻を往復した後、この林道のような道を下って美しの塔に至り、 塩クレ場から茶臼山経由にて三城へと戻ったのであった。
従って、アルプス展望コースは初めてとなるので、そちらに進みたいと言ったところ、女房殿も賛成してくれ、初めての道を歩くことになる。
さらにここで嬉しい出来事があった。北アルプスは雲の中で全く見えず、展望は諦めていたところ、分岐を過ぎた所で、 王ヶ鼻の左奥に槍ヶ岳の尖塔が見えたのである。そこだけ雲に穴が空いた様になって、槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳だけが見えている。 これには思わず興奮してしまったが、如何せん70mmのレンズでは小さくしか捉えられない。

左手にあるトイレを過ぎると百曲園地と呼ばれる展望が良い場所に出る。 左には前回登った茶臼山、そして右方には二ツ山、鉢伏山、前鉢伏山と続く山並みが見える。
なお、足下には岩屑が多く、さらには先へと続く道は細く、もう完全にこの辺は登山道である。
また、このコースは美ヶ原の南側の縁を進むようになっているので、今まで見てきた牧場、草原中心の光景から、 周囲の山々を見ながらの歩行となる。本来であれば、上述の茶臼山、鉢伏山の他に、コース名通り北アルプスの展望を楽しめるのであろうが、 残念ながら先程見えた槍ヶ岳も今は雲の中、北アルプスは見えない状況である。
道の脇にはハクサンフウロなどの花が咲いており、まさに登山道である。

百曲園地から暫く進むと、再び王ヶ頭、王ヶ鼻が見通せるようになる。 王ヶ頭は先程までよりはその高さが目立たなくなっており、王ヶ頭から王ヶ鼻へと続く稜線はほぼ平らに見える。
そして、その稜線の下方は崖となってずっと続いており、如何にも溶岩台地であることを知らしめてくれる。
また、こちらのアルプス展望コースに来る人は少なく、先を見ても登山者が数人歩いているのみで、これも嬉しい限りである。
やがて、烏帽子岩に到着。板状節理というのであろうか、この岩は薄く板状に剥がれる性質のようで、岩の上、 そして周辺には板状の岩屑が散乱している。
烏帽子岩から少し進んだ所で烏帽子岩を振り返ると、その下方はかなりの崩壊している。この他にもかなり崩壊が進んでいる斜面がいくつかあり、 美しい光景もよくよく見ると、悩み多きことがよく分かる。

やがて、王ヶ頭の直下を通過。少し進むと王ヶ頭に直登できる道 (左に下れば三城) が現れる。
ここまで頑張ってきた女房殿も、その直登はパスしたいとのことで、さらに先にある林道との合流点へと進むことにする。 うまくいけば林道の合流点から さらに先にある王ヶ鼻まで進む気になってくれるかもと期待したのだが、王ヶ鼻まで林道が緩やかながらも坂になっているのを見て これは却下となり、 王ヶ鼻は諦めることにする。
林道を王ヶ頭方面へと戻り、途中から再び山道に入って三角点を目指す。女房殿に合わせた歩きなので参考にはならないが、 三角点到着は 11時40分。前回登った時には、標識も無く、三角点と小さなケルンがあるだけの、殺風景な王ヶ頭頂上であったが、 今は立派な石碑が置かれている。
なお、この王ヶ頭からはうっすらとではあるものの、霞沢岳らしき山が見えたのだった。

三角点からさらに進み、王ヶ頭ホテルを目指す。 途中にある御嶽神社は前回の記憶通り。天狗様や不動明王などの石像が祀られている。
王ヶ頭ホテルにて食事でもと思ったが、ソバ、うどん類が中心だったためパス。やはり宿泊しないと素晴らしい料理にはありつけないようである。
そのまま今度は林道を歩いて下山。広々とした草原を横切って柵が設けられているが、これもまた絵になるから不思議である。 広々とした景色、そして青い空がそういう気持ちにさせるのかもしれない。
なお、嬉しいことに、途中から右手に蓼科山が見えるようになる。

また、前方から団体がやって来たのだが、団体登山の方々と思ったら、 何とゴミ拾いをされている。
さらには、擦れ違う際に挨拶したところ、その中の 1人の方から小さなビニール袋に入ったモノを戴いた。
中を開けてみると、小さな木製の洗濯ばさみに真珠 (無論 模造品) とヒノキの実 (と思う) を貼り付けたアクセサリー、 そして 『高山植物を守りましょう 中部森林管理局 中信森林管理署』 と書かれた紙切れが入っていたのだった。
紙には絵も描かれており、小生のは コマクサ、女房殿の方は マイヅルソウであった。森林管理局がこのような啓蒙活動も行っていることを知るとともに、 人が多く入る山域を担当している森林管理署は大変であろうと余計な心配をしてしまった。本当にご苦労様です。

12時14分に美しの塔の前を通過、この頃になると先程の蓼科山に加え、 その右に天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳、権現岳といった八ヶ岳の山々も見えてくる。
山本小屋ふるさと館にてソフトクリームを食べた後、嫌がる女房殿を説得して再び牛伏山に登り返す。
女房殿が嫌がったのは再び登り斜面になるからであったが、存外簡単に登ることができ、さらには牛伏山をショートカットするコースを進んだため、 すぐに下りの木道歩きに変わったのにビックリしていたようであった。
美ヶ原高原美術館から牛伏山経由にて山本小屋ふるさと館に下った際、小生としては帰りにこの斜面を登り返すのはそう苦ではないと踏んでいたのだが、 山に慣れていない人にとっては登り斜面と聞いただけで億劫に思えるらしい。

小生の方は、折角なので牛伏山の頂上を踏むべく、 途中で女房殿と別れて先に進み、牛伏山を目指す。
牛伏山頂上は登山道から少し離れた所にあり、そこには方位盤の他、その周辺にいくつものケルンが積まれていた。
残念ながら北アルプスは雲の中であったものの、八ヶ岳は良く見えている。しかし何よりも、目の前に見える美ヶ原の広がりが素晴らしい。 暫し景観を楽しんだ後、登山道に戻り、美術館に向け木道を下る。
途中、東西に分かれている美ヶ原高原美術館野外展示場を結ぶ陸橋の下を潜ったのであるが、そこからは 2つの彫刻作品を見る (見上げる) ことができる。 帰宅後調べたところ、橋の上に設置されている、両手をひざに置いて腰をおとし、遠くを見つめている裸婦像は、清水多嘉示氏の 『のぞみ』、 橋の右側に見える剣をハンマーで叩いて曲げている男性の裸像は、エヴァゲーニー・ビクトロビッチ・ブチェーチッチ氏 (ロシア) の 『剣を鋤にやきなおそう』 という作品であることが分かったのだった。

その陸橋を潜った所で女房殿に追い付き、後は美ヶ原高原美術館道の駅にて買い物をし、 そのまま帰宅する。
ビーナスラインを下り、扉峠、和田峠を過ぎて、霧ヶ峰にある鷲ヶ峰、八島湿原の横を通り、車山の下を進む。白樺湖近くの大門峠で右折し、 ビーナスラインと分かれて白樺湖沿いの国道152号線 (大門街道) に入る。
ナビは諏訪ICを目指していたようだが、ここはナビに逆らって、途中の山寺上にて左折して県道17号線を南下。 八ツ手で県道425号線に入り、御射山にて右折。県道90号線を暫く進んで中央高速道諏訪南ICに至ったのだった。
この辺は何回も登山の際に通っているので勝手知ったる地域である。高速道に乗った後は、八王子JCTから圏央道に入り (平日のため、 小仏トンネルでの渋滞は無く、全体のスピードが落ちただけであった)、海老名JCTを経て東名高速道横浜ICから自宅に戻ったのだった。

今回、前日のテレビ番組に刺激されて美ヶ原高原の散策を行ってみたところ、 最後まで天候が崩れること無く、尾崎喜八氏の詩の世界に少し近づくことができたので大変気分が良い。
今回は登山とは言えないかも知れないが、前回は天候に恵まれなかったことから、溜飲を下げた形である。
女房殿と一緒だったので、美しの塔止まりかも知れないと踏んでいた美ヶ原であったが、あまり普段歩かない女房殿が歩いてくれ、 王ヶ頭の三角点も踏めたのはこれまた嬉しい限りである。
さすがに女房殿は、今回の素晴らしい美ヶ原散策を経験しても山に登りたいという気持ちにはならなかったようだが、 王ヶ頭ホテルに泊まってみたいという気にはなったようである。
ホテルは先まで予約が一杯のようであるが、機会を見て星空を眺めに宿泊するのも良いかも知れない。


またもや残念な結果の悪沢岳  2014.8 記

関東甲信地方が梅雨明けしたのを受けて、 『梅雨明け 10日』 (梅雨明け後 10日程は天候が安定するということ) を信じ、ずっと宿題になっていた南アルプス 荒川東岳(悪沢岳。 以下 悪沢岳。)の登頂を翌 23日、24日にてトライすることにした。
これまでは椹島から大倉尾根を登る時計回りの挑戦が続いたため (1回目は天候に恵まれ、赤石岳経由にて悪沢岳登頂。 2回目は天候が悪かったため赤石岳のみで断念。)、今回は必然的に悪沢岳に登らざるを得ない状況に追い込むべく、 反時計回りにて登ることとする。

7月23日(水)、午前3時少し前に横浜の自宅を出発する。
横浜ICから東名高速道に乗り、新東名高速道 新静岡ICを目指す。このルートは昨年 聖岳−赤石岳を登った際にも通っているが、 従来 東名高速道 清水ICで高速を下りた後、静清バイパス、県道74号線などを通って桜峠下まで進んでいたところを、 一気に桜峠下近くまで行けることになり、かなりの時間短縮となったのがありがたい。
途中 上空は曇り気味、富士山は全く見えず、加えて御殿場JCTを過ぎた辺りでは小雨もパラつく状態になり、先行きに若干の不安を覚える。 しかし、明るくなるにつれて、山の方にはガスがかかってはいるものの、上空に青空が見えるようになり、 少し気分が良くなってくる。

ところで、今回は新静岡ICで下りた後に食料を購入しようと思っていたのだが、 新静岡ICのすぐソバにあるローソンをパスしてしまったところ、その後、なかなか次のコンビニが現れない。シマッタと思い、 引き返すことも覚悟していたら、左前方にKマートが現れ一安心。結局、このKマートが最後のコンビニであった。
Tポイントカードが使えるファミリーマートが先の方にあるのではないか などとローソンをパスしてしまったのが冷や汗をかくことになった原因であり、 やはり自分の都合ばかり考えずに、早め早めに手を打つべきと反省した次第である。

新静岡ICからは県道27号線 (安倍街道) を北上する。
件の桜峠下を通った後、玉機橋で安倍川を渡って西へと進み、上助にて県道189号線に入る。昨年はこの県道189号線が夜間通行止めだったため、 上助にて右折して県道27号線をそのまま進み、口坂本温泉経由にて富士見峠の北側へと進んで県道60号線に合流したのだったが、 あまりの道に狭さに 車通りの無い夜間とは言えかなりの緊張を強いられたのであった。
今年は県道189号線をそのまま進み、そのまま県道60号線へと入ることができたのだが、こちらもやはり狭い山道が続き、 しかもすでに夜が明けて人々が活動を始める時間帯となっていたので、対向車にはかなりの気を遣う状況であった (実際、 2台の大型タンクローリーが現れたのにはビックリさせられた)。
富士見峠を越えて下りに入ると、少し道も広くなり余裕が出てくる。井川ダム、井川駅を過ぎ、井川湖湖畔を進む。
井川湖を離れてからは大井川源流に沿って進み、畑薙第一ダム夏期臨時駐車場を目指す。駐車場到着は6時8分。
駐車場の埋まり具合は40%ほどであったが、平日としては車が多いことに驚かされる。

まずは腹拵えをし、身支度をしてから椹島ロッヂへの送迎バス発着所へと進む。
正規のバス発車は 8時であったが、ありがたいことに 7時過ぎに臨時バスが出ることになる。バスは補助席を使用しないで丁度満員という状態。
この頃になると、上空に青空が広がってきており、途中バスを止めて見せてくれた聖岳、赤石岳もその頂上が見通せる状況であった。
なお、折角早く出発できたものの、途中、パンク ? した椹島ロッヂの車があって、バスの運転手がその対応に追われたりしたことから少々時間がかかり、 椹島ロッヂに到着したのは 8時30分近くになっていたのであった。

トイレなどを使用させてもらい、8時35分に椹島を出発する。
神社脇の斜面を登り、林道に飛び出す。赤石岳に進むのなら左であるが、今回は右に進み、林道を暫く下る。
やがて滝見橋が見えてくるが、その橋のたもとから左に入り、暫く大井川沿いに進むことになる。大井川から離れると、 やがて大井川支流に架かる吊り橋を渡ることとなり、その少し先から急登が始まる。
睡眠不足の身体にはこの急登がかなり応えるが、何とか登り切ると暫くは緩やかな道が続くようになる。
所々に、特殊東海製紙/東海フォレスト が、標高や木の名前を書いた標示板を取り付けてくれており、そこには標高や木の名前に加え、 登る際のアドバイス、これからの登山道の状況、そして木についての解説が書かれており、これがなかなか参考になる。
やがて、9時31分に鉄塔下を通過する。暫くあまり雰囲気の良くない場所を進んで行くと、足下に岩が多く現れるようになり、 その先で樹林が切れて 『岩頭 (いわがしら) 見晴し』 との標識がある岩場に到着する。時刻は9時40分。
ここは樹林が切れており、荒川三山 (悪沢岳、中岳、前岳) 方面を見通すことができる。荒川三山の後方に青空は見えていないものの、 稜線がクッキリと見えており、明日あの稜線を歩くと思うと、テンションがグッと上がってくる。

ゴジラの背中のようになった岩稜地帯を下り、再び道が緩やかになると、 道は尾根の右側、尾根上、尾根の左側を交互に進むような形で徐々に高度を上げていくことになる。
やがて林道に飛び出し、短い区間林道を歩いた後、鉄の階段を登って再び山に取り付くことになる。ジグザグに急坂を登る。 途中で 『標高 1,500m』 の標識が現れるが、そこには 『残念ながらまだ急登が続きます (以下 省略)』 と書かれている。
傾斜が緩やかになると、三等三角点 (1,586.6m) のある小石下に到着。ベンチがあったのでここで第1回目の休憩とする。時刻は10時17分。
10分休憩した後、緩やかな道を進む。途中から登山道の左下に林道が見え始め、その後も登山道はこの林道に絡むようにして進むことになる。
10時42分にその林道を一度横断することになり、その後展望のない樹林帯の登りが続く。
ダラダラとした登りに少々嫌気が差し始めた頃、水の流れる音が聞こえ始め、やがて目の前に水流が現れる。清水平が近いに違いないとは思ったものの、 目の前の水があまりに美味しそうだったので、ここでノドを潤す。しかし、案の定、そこから少し登ると、ベンチのある清水平であった。
再びここで水を飲む。水は 18年前の記憶通り冷たくて大変に美味しい。ただ、清水平の雰囲気は 18年前とは少々違っていたような気がするが、 記憶がいい加減だったのかも知れない。
この清水平には 『標高 1,900m』 の標識もある。11時31分に清水平を出発。

この清水平を過ぎると、周辺にシラビソが多く見られるようになる。
黙々と足を進め、蕨段を 12時11分に通過。12時21分に 『標高2,100m』 の標識を通過した後、 その先で 右上に見晴台の標示が現れる。
18年前にここを下った時には、登山道の少し上に登っただけであったが、今回さらに上まで登ってみたところ、 ベンチのある小さな広場に飛び出した。広場の脇には林道もある。
ここからの展望は素晴らしく、千枚岳、悪沢岳、荒川中岳、前岳、小赤石岳、赤石岳が見える。ここでも山々の背後に青空は広がっていないものの、 稜線がハッキリ見えるのが嬉しい。
7分程休憩した後、再び登山道へと戻る。

道はシラビソの林を登るが、小さなハーフパイプ状になった部分の底を登って行くことが多くなる。 傍らにあった案内板によれば、伐採した木材を木橇にて運ぶ時に使った木馬 (きんま) 道の跡らしい。
12時57分に 『標高2,300m』 の標示板を通過。その標示板に 『長いだらだら坂から、所々急な登りが続きます(以下省略)』 と書かれているとおり、 道は時にはかなり厳しい登りが続く。しかも、木馬道として使われたため、直線の急坂が多く、それが小生にはかなり応える。
一旦、周囲のシラビソはかなり細いものになるが、登るに連れ、再び徐々に太いものに変わってくる。もしかしたら、木材伐採を行う区画を決めて順番に移動させていったことにより、 その跡地に生える新しい木の生長に時間差が生じることになったのかも知れない。

やがて、右下に緑色の沼地のようなものが見えてくる。駒鳥池である。 標示板のところから池の縁まで下りられるので、18年前と同様 縁まで行ってみる。18年前は曇り空であったためか、 何となく薄気味悪い気がしたのだったが、本日は日が当たり明るいため、水に周囲の緑が映り込んでなかなか良い雰囲気である。
登山道に戻り、駒鳥池の標識前にあったベンチにて少々休憩する。13時40分に出発。
池を過ぎると、またまた木馬道跡を辿ることになる。案内板によれば、この辺を伐採したのは明治40年から43年にかけてのことらしい。

道が左へと曲り、斜面の下を横切るようになると、周囲のシラビソも細くなり、 やがて 『お疲れさま 小屋まであと 15分 ガンバ!』 と書かれた標識が現れる。また、足下にはエゾコザクラ、ミヤマキンポウゲなどの花が見られるようになる。
緩やかになった道を登っていくと、左手樹林越しに笊ヶ岳、布引山が見えるようになり、さらには富士山も見えるようになったので少し嬉しくなる。 尤も、千枚小屋に着くと、その庭先から何も遮ることなく、富士山、笊ヶ岳、布引山等の山を見ることができたのだが・・・。
14時19分に 『標高 2,500m』 の標識を通過し、そこから少し登れば千枚小屋であった。時刻は14時22分。
小屋は 2009年に火事で焼失してしまった後、2012年に新たに建てられたため、かなりキレイな小屋である。宿泊の申し込みを行った後、 小屋前のベンチでビールを飲む。富士山を見ながらのビールは気持ちが良い。

翌日は 5時6分に小屋前を出発。期待していたにも拘わらず上空に青空は全くなく、 かなり雲が多い。富士山も頂上付近が雲に覆われている (見えるだけマシか)。
この分では悪沢岳方面はガスなのかもしれず、天候が悪く、悪沢岳を諦めて赤石岳ピストンにしてしまった 2011年のことが思い起こされる。
もう花期は終わったのか、葉だけのマルバダケブキ (と思う) の群落の中をジグザグに登って行く。早朝であることに加え、 天候のためあまりテンションが上がらない身にとっては、いきなりの急坂は辛い。
やがてダケカンバの美しい林を抜けると周囲にハイマツが見られるようになる。二軒小屋ロッヂへ下る道を右に分けると、 完全に灌木帯の中の登りとなり、登り切ったところで森林限界となる。そこから上の方が見通せるが、赤石岳方面、 そしてこれから向かう悪沢岳、千枚岳方面ともガスに囲まれており、テンションがさらに下がる。
ガスが流れる中、ハイマツと砂礫の道をジグザグに登り、千枚岳頂上には 5時43分に到着する。

先の方を見れば、丸山、悪沢岳方面は完全に上部がガスの中である。
ガスであっても、この後 悪沢岳までは行くつもりだが、その後どうするか、暫し考える。本日は悪沢岳を越え、荒川中岳、前岳に登った後、 一旦下って赤石岳に登り返し、その後 赤石小屋に泊まる予定であったが、今回のメインであった悪沢岳がガスの中では、 後の行程は完全に惰性になってしまう。それならば悪沢岳の頂上を踏んだ後、椹島まで下山して、本日の内に帰宅することもありではないかと悩む。
結局、帰宅することをメインに、悪沢岳頂上で様子を見て再度検討することにする。
しかし、これは残念ながら 2011年と同じパターンになりそうである。5時56分に千枚岳を出発する。

この頂上でグズグズしていたため、小生の後から登って来た人たちも皆先に行っている。
千枚岳からは一旦下って、丸山への登りとなるのだが、この下りの岩場が少々悪い。慎重に下れば問題は無いが、要所では 3点支持が必要である。 そう言えば、前回逆方向から来た時、この場所で少し渋滞していたことを思い出した。
岩場を下れば、後は普通の道が続く。目の前に見えた高みは左側の斜面を巻いて進み、登り切った所から右に曲がって砂礫とハイマツの道をジグザグに登ることになる。
丸山から左に悪沢岳へと続く稜線は完全にガスに囲まれている。上部を見れば、ガスで時々隠れはするものの、丸山の丸い頂上が見える。 あそこは 3,000mを越えているはずである。丸山頂上には 6時34分に到着。

ここでは休まずにそのまま進む。ここからまた一旦下ることになるのだが、 その先はガスの中である。全くテンションが上がらない。緩やかな斜面を下り、登り返す。
ようやく見えるようになった目の前の高みを越えて行くと、大きな岩がゴロゴロした道となる。
ガスで余り視界は得られないものの、足下の道は明瞭、さらに岩には赤いペンキ印がしっかり付けられている。
少し登って下りに入ると、下の方に雪渓が現れる。雪渓の縁を回り、また登りに変わる。その後、道は土の上を離れ、完全に岩稜帯となり、 岩に付けられたペンキ印を忠実に辿ることになる。
ガスに囲まれてはいるものの、10m先くらいまでは見えるので、それ程不安に駆られることはない。

大きな岩が累々と積み重なってうち捨てられたような場所を過ぎ、 周囲の岩が大分小さくなってくると、先の方にうっすらと頂上らしき標識、そして人影が見えてきた。漸く悪沢岳頂上である。
頂上到着は 7時3分。頂上には 4人程の先客がおられたが、皆先へと進むようである。
しかし、小生としてはこれ以上進むのは惰性としか思えず、そのためにさらに山中 1泊するのが無駄のように思えたため、 やはり引き返すことにする。椹島発のバスは14時が最終のはず、十分に余裕がある。
荒川中岳、前岳の頂上を踏めないのは残念であるが、そこまで行って往復すると、14時のバスには間に合わない。
7時10分、霧に囲まれた山頂を後にする。
なお、山頂で会った中年女性の方は、鳥倉林道終点に車を駐め、塩見小屋に 1泊。次の日は塩見岳から蝙蝠岳を経て二軒小屋ロッジに宿泊した後、 昨日は千枚小屋に宿泊。この後、荒川前岳から小河内岳経由にて戻るとのこと (もう1回山中泊) であった。
そういう登り方もあるのかと感心するとともに、その時間的・経済的贅沢を羨ましく思う。一方、蝙蝠岳は小生も狙っているだけに、 参考になる。

往路を忠実に戻る。残念と言うべきか、ありがたいことに というべきか、 岩場を下り雪渓の横を通る頃になると、ガスがかなり少なくなってくる。これならば悪沢岳より先の山々もガスがとれるのではないかと思ったが、 あのまま進んでいれば、荒川中岳・前岳から下る頃にガスがスッカリなくなるというタイミングであろう。
悪沢岳メインのため、それではあまり意味が無い。
丸山を 7時32分に通過。注意せねばならない岩のやせ尾根も難なく登り、千枚岳には 8時1分に戻り着く。
千枚岳から荒川中岳・前岳方面を見ると、ガスは思いの外、早い勢いでなくなりつつあり、稜線上に中岳避難小屋も見ることができたのであった。 チョット悔しいが、肝心の悪沢岳があの状態では、その後の行程の状態がどうであろうとあまり関係ない。

順調に下り、千枚小屋には 8時29分に戻り着く。
小屋でビール (500ml) を頼むとともに、椹島発のバスの時間を確認する。やはり 14時発が最終で、その前は 13時発である。 8時46分に小屋を出発。朝っぱらからビールを飲んだため、少し酔いが回ったらしく、何だかフワフワした状態で下る。
9時8分に駒鳥池に到着。またまた池の縁まで行ってみる。昨日は日が当たって明るすぎたが、今は少し明るい程度。本日の方が美しい。
9時45分に見晴台に到着。今回も林道の方まで登ってみる。案の定というか、この時間になるとガスがなくなって悪沢岳、荒川中岳、前岳も稜線が良く見えるようになっており、 赤石岳もその姿がハッキリ見える。それらの山々の後方に青空は見えないものの、こうなると稜線歩きは楽しいことであろう。
結果的には、悪沢岳で引き返さずにそのまま進むべきだったのかも知れないが、先に述べたように悪沢岳頂上が全てであり、 その後の行程でガスが無くなっても、ほとんど関係ない。ということは、戻ったことは正解であり、今回浮いた山中 1泊分の費用は、 どこか他の山に注ぎ込むことにしたいところである。

蕨段を 10時6分に通過し、清水平には 10時半に到着する。
この後、11時13分に小石下の三角点に到着したところで地図を見て検討する。地図上のコースタイムは椹島まで 1時間55分。 ということは、13時発のバスに乗るのは無理と言うことになるが、これまでかなりコースタイムを短縮して下ってきているので、 13時発のバスにも乗れるという可能性が出てきたことになる。少し頑張って下ることにする。
岩頭見晴しには 11時43分に到着。ここからは昨日と同様の状況で荒川三山方面が良く見える。完全に天候は回復したようである。 しかしそれにしても、この岩場登りはかなり苦しかった。
11時56分に鉄塔下に到着。休憩しながら再度時間を検討する。地図では、この先にある鉄塔横から椹島まで 55分。 どうやらギリギリとなるまでにこぎ着けてきたが、一方でこの頃になると日差しも強く射すようになり辛い。
吊橋を 12時34分に渡り、滝見橋のたもとには 12時42分に到着。地図ではここから椹島まで 15分ということになっていたので、 13時発のバスにギリギリ間に合いそうである。

急いで林道を登り、途中から山道に入って椹島に下る。
椹島到着は 12時51分、間に合ったようだ。しかし、後半かなり無理をしたためか、頭が回らない。バスの受付をされていた方に、 どこから下りてきたのか聞かれても一瞬言葉が出ない状態であった。軽い熱中症にかかっていたのかも知れない。 売店で購入したポカリスエットを飲んだら、漸く頭がスッキリしたのであった。

梅雨明けと聞いて満を持しての悪沢岳挑戦であったが、 残念な結果に終わってしまった。
ただ、しっかり頂上は踏んだことだし、今回浮いた 1回分の宿泊料を使って、どこか他の山に挑戦したいものである。


静かな山旅 大滝山  2014.7 記

梅雨時であり、しかも台風もあったりしたため、 なかなか山に行く機会に恵まれずにジリジリとしていたのだが、7月15日(火)は比較的天候が良さそうだったため、 待ってましたとばかりに山に行くことにした。行き先は北アルプスの大滝山。蝶ヶ岳のお隣の山である。
この山を選んだのは、近頃の山行が再 (再々) 登山ばかりで、初めての山がめっきり少なくなっていることから (今年は 4月の日留賀岳のみ)、 どこか良い山はないかと探していたところ、ヤマレコでこの山を知ったからである。
槍ヶ岳、穂高連峰の展望台であり、標高は 2,600mを越えている上、紹介されていたルートが登る人が少ない冷沢からのものとなれば、 これはかなり興味を覚えるではないか。
しかも、頂上まで 6時間ほどを要するというロングコースであるため、天気予報が午前 9時以降晴れとなっている状況にはもってこいの山である。

横浜の自宅を 3時前に出発する。従来であれば、国道16号線を進み、 高尾山ICから圏央道に入って中央高速道へと進んでいたのだが、6月28日から圏央道 相模原愛川IC−高尾山IC間が開通したことによって東名高速道と中央高速道が繋がったため、 早速そのルートを利用すべく横浜ICから東名高速道に乗る。
順調に東名高速道を下り、海老名JCTから圏央道に入る。まだ暗いため、どこを走っているのか分からなかったが、 後で地図を見ると相模川沿いを走っていたようである。初めて通る相模原愛川IC−高尾山IC間を通過し、 八王子JCTからは中央高速道に合流する。大変スムーズ、そしてかなりの時間短縮となりありがたい。
また、圏央道をそのまま鶴ヶ島JCTまで進めば、関越道にも連絡できるので、環八の渋滞に悩まされずに済むようになり、 今後の山行にとって大変ありがたいことである。
ただ、中央高速道を戻ってくる場合には、渋滞することが多い小仏トンネルを抜けねば八王子JCTに到達できないので、 少し工夫がいるかもしれない。

中央高速道を岡谷JCTまで進み、そこから長野自動車道に入る。 天候はどちらかというと曇り空。天気予報通りと分かっているが、いつも見える常念岳など北アルプスの山々が見えないとガッカリする。
順調に車を進め、松本ICで高速を下りた後は、国道158号線(野麦街道)に入って上高地方面へと向かう。 途中、新村の交差点にて右折して県道48号線を北上、その後、上長尾で左折して県道319号線に入る。 道は集落を抜けると徐々に山に入っていく。途中から県道495号線へと道路標示が変わるが、基本的に道なりである。
なお、この道は三郷スカイラインと呼ばれ、終点には安曇野を一望できる展望台があるのだが、舗装道ではあるものの、 山道でカーブが多く (40以上のカーブ)、さらには道が狭いので、スカイラインという名にはちょっと首を傾げてしまう。
早朝であり、対向車が下ってくることはまずなかろうと思いつつも、ライトを点けたまま慎重に車を進めていく。
やがて、簡易トイレのある展望台下に到着。その少し先で舗装道は終わりとなり、そこから未舗装の鍋冠林道が続く。

林道入口には路肩崩壊云々の注意書きがあったものの、 先のヤマレコの人もこの林道を進んでいたので、小生も進んでみる。 しかし、林道に入った途端に後悔。路肩にはガードレールもなく、右下は谷底という細いダート道が続き緊張を強いられる。
駆動を四駆に変えて慎重に進む。Uターンできる場所など無いので、先日の台風により途中で通行不可能になっていたら、 バックで戻らねばならないな などと考えながら恐る恐る進む。
道の左右 (時には上方) から伸びている草木に車体をこすりながら 5分程進むと、やがて林道ゲートに到着。ホッとする。 車はここまでである。
ゲート前は少し広くなっているので、車をUターンさせ、路肩に駐車する。時刻は 6時8分。身支度をして 6時13分に出発する。

ゲート脇を通り、林道をさらに先へと進む。この先にある冷沢用水の管理や草刈りなどをする車なのであろう、 道に新しい轍があるのを見て何故か少し安心する。
しかし、この林道はかなり長い。緩やかな傾斜の道を黙々と登っていく。そして、歩き始めてから 40分弱、 漸く前方に登山口の標識が見えてきたのだった。冷沢である。時刻は6時48分。
もう1つの標識の方には 『大滝山 4時間30分』 とある。
標識に従って林道を離れて少し下ると、冷沢の流れ、そしてその手前に取水栓の設備があった。
また、左手には冷沢用水の由来を記した案内板、そして祠も設置されている。案内板によると、この冷沢用水は江戸時代の初期に水田の灌漑用水に苦労していた倉田村の住民が、 用水確保をこの沢にて行うことを思いつき、6年の歳月をかけて安曇野に水を引いたとのこと。用水は現在も使われているらしい。

この案内板の前から本格的な山登りが始まる。シラビソの樹林帯を登って行く。 足下はササ原となっており、所々そのササが煩いところがあるものの、総じて道は良く整備されていて明瞭である。
また、道の方は少し急登が続いたかと思うと、その後、緩やかな道が続くといったパターンが繰り返される。先にも述べたように、 安曇野市・松本市の天気予報は、9時以降晴れとのことであったが、嬉しいことに 7時の時点で上空には青空が広がっている。 但し、尾根の右側にはガスが湧き出しており、上空や尾根の左側は青空という状態が続く。
道標もしっかり整備されており、鍋冠山までの距離、あるいは大滝山への距離を示した道標が所々に設置されている。
緩やかな道もやがて急登へと変わる。喘ぎつつ登り切り、鍋冠山頂上かと思うと裏切られるといった状態が 2回ほど続く。 3度目の正直で漸く鍋冠山に到着。時刻は 8時17分。この鍋冠山は東西に長い山頂となっており、頂上部分が突出しているという状態ではなく、 しかも樹林に囲まれているため、展望は全く得られない。

10分程休憩した後出発する。鍋冠山頂上からは緩やかな下りが始まる。 鍋冠山の標高が 2,194.2m、大滝山が 2,616mであるから、その差 422m程であるが、実際はこの鍋冠山から 120m程下るので、 鞍部からは 540m程を登り返すことになる。ただ、実感としては 120mどころではなく、ドンドン下っていくように感じてしまったのだが、 これは自分の体調とも関係していたのかも知れない。
展望が全くと言って良いほど得られなかった道も、やがて右手樹林越しに常念岳らしき山がチラチラと見え始める。 ありがたいことに先程まで右手を覆っていたガスは下方へと降りていったようである。
しかし、折角 常念岳が見え始めたというのに、木々が邪魔でなかなか見通せる状況にならず、イライラしながら進む。

漸く樹林の間からその頂上を見通せる場所に着き写真撮影。 さらにはその後、樹林が切れて完全に常念岳を見通すことができる場所を通過し、漸くストレスが解消する。
但し、漸く見通せた常念岳は、その頂上部分はハッキリと見えているものの、下方はガスに囲まれている。さらには、 その後一旦完全に常念岳はガスに飲み込まれてしまいガッカリさせられたのだが、暫くして再び姿を見せてくれたのだった。 大滝山頂上に達した時はどうなっているか心配になる。
ここまで展望のないダラダラとした道が続いたので嫌気が差すとともに、余りの単調さと寝不足で、眠くてしようが無い状態になっていたのだったが、 この常念岳を見たことでテンションが上がり、眠気も吹っ飛んで元気が出てきたのだった。
なお、鍋冠山から下った後、平坦に近い緩やかな登りがダラダラと続くが、これが地図上の八丁ダルミと思われる。

『大滝山北峰まで 2km』 の標識を見た頃から傾斜は徐々に険しくなり、 再び息が上がり出す。ジグザグに道が作られていればまだしも、直線部分が長い登りが続き、結構これが苦しい。 実際はそれ程の急斜面ではないのだが、疲れてきた身体には厳しく、また一直線というのがかなり応えるのである。
それでも何とか登り続けていくと、周囲はやがて灌木帯、そしてお花畑へと変わる。上方を見上げれば、大滝山の稜線が見え、 その後方に青空が広がっている。あの稜線に出たところで一休みしようと頑張るが、なかなか足が進まない。
少し進んでは立ち止まり上を見上げるというパターンを繰り返しながら進む。
なお、周囲のお花畑にはピンクのハクサンフウロ、黄色いシナノキンバイ、ミヤマキンバイ、ゼンテイカ、白いサンカヨウなどが見られるが、 最盛期はもう少し先なのかも知れない。
最後は少しザレて滑りやすい斜面を何とか登って行くと、テントを張るのに適した小さな広場に飛び出した。そして先の方を見れば、 濃い緑色の蝶ヶ岳が見え、その後方に槍ヶ岳の尖塔が見えている。ようやく稜線に到着である。
そして、そこからハイマツの中を少し進めば、蝶ヶ岳・大滝山の分岐点であった。時刻は 10時56分。

目の前には槍ヶ岳、そして穂高連峰の連なりが見えるが、 蝶ヶ岳〜長塀山へと続く長塀尾根が少し邪魔をしている。
しかし、梅雨時にも拘わらず、快晴となり、そしてこのダイナミックな展望を得られたことは非常に嬉しい。 苦しかった行程の疲れが一遍に吹き飛ぶ。
標柱のソバにあった岩で予定通り休憩し、目の前の素晴らしい景色をジックリと楽しむ。北には前常念、常念岳が見え、少し間を空けて蝶槍、 そして蝶ヶ岳、長塀山と続く長塀尾根が、その名の通り長い塀のように前を横切っている。
長塀尾根の後方には槍ヶ岳が見え、そこから左に大喰岳、中岳、南岳が続き、大キレットを挟んで北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳という穂高連峰が続いている。 長塀尾根が邪魔ではあるものの、素晴らしい眺めである。
穂高連峰よりさらに左に目を向ければ、焼岳、そして霞沢岳が見える。

空腹を満たし、素晴らしい景色を堪能した後、11時5分に大滝山へと向かう。
ハイマツ帯を登り、岩稜帯に入る。右手前方に乗鞍岳も見えてくる。やがてハイマツに囲まれた小さな広場に飛び出す。 字が消えてしまった標柱が石に支えられて立っていたが、恐らくここが北峰であろう。時刻は 11時12分。
そのまま通過し、ハイマツの中の道を少し下ると、目の前に建物が現れた。大滝山荘である。時刻は 11時14分。小屋は完全に閉まっている。
小屋の前を通過し、小屋前の池に設置された木の板を伝って池を横切って先へと進む。やがて左下に池が見えてきたので、 登山道を外れてそちらに進んでみる。池の向こうには大滝山南峰が見える。
池の縁を回って再び登山道に合流し、草地を進んで饅頭型をした南峰へと進む。草地にはハクサンイチゲの白い花 (萼) が咲いている。 草地を抜けるとハイマツ帯の登りとなり、一登りで三等三角点の立つ南峰に到着したのだった。時刻は 11時23分。

この南峰も北峰と同様にハイマツに囲まれているのだが、 北峰よりもハイマツの背丈が高いので、あまり展望は良くない。そのため、少し徳本峠方面へと進んで、ハイマツの背丈が低いところにて周囲の写真を撮る。
先程の分岐点と構図はほぼ同じであるが、高度が上がった分、常念岳、槍ヶ岳を始めとする山々は迫り上がってきており、 グッと迫力が増してきている。そして何よりも北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳と続く穂高連峰がデンと構えて存在感を示している。
さらには、先に述べたように穂高連峰の左に焼岳、霞沢岳が続き、霞沢岳の左奥に乗鞍岳が見えている。 そしてその左にはやや霞み気味ながらも御嶽が姿を見せている。こちらから見る御嶽は、中央アルプスから見るそれと違い、 仙丈ヶ岳のような形である。

景色を十分に堪能した後、往路を戻る。南峰には休憩に適した岩場などないので、 そのまま通過し、大滝山荘へと戻る。山荘前にはベンチがあったが、営業しておらず、ひっそりとしているため休憩する気になれず、 ここもそのまま通過。北峰も休憩には適さないので通過して、分岐点へと下る手前の岩場で休憩しながら次のことを考える。
というのは、素晴らしい景色を堪能させてもらったものの、やはり長塀尾根が槍・穂高連峰の下半分を隠してしまっているのが気にくわず、 槍・穂高連峰の好展望が得られる蝶ヶ岳まで往復することは可能かどうかを検討したのである。しかも、この好天であり、 このまま下山したのでは勿体ない。
しかし、ここから蝶ヶ岳を往復した後、冷沢まで下ると、地図上のコースタイムでは 8時間以上を要することになる。 例えコースタイムの 8割程で歩けたとしても、7時間近くかかることになるので、下山は夜の 7時になってしまう。
少々迷ったが、冷沢まで午後 6時半までに下ってしまえば、後は林道歩きなので何とかなるだろうと考え、チャレンジすることにする。

12時丁度に岩場を出発し、分岐点へと下る。分岐点からは北へと進み、 まずは目の前の 2,605m峰を目指す。この頃になると、常念岳方面からガスが上がって来ており、 大滝山−蝶ヶ岳を結ぶ縦走路の右側はガスの中である。少々心配になるが、槍・穂高連峰方面には全くガスがないので、そのまま進むことにする。
岩稜帯を登る。道は 2,605m峰の直下を巻いて進む。この辺は二重山稜のようになっている。振り返れば大滝山の全景が見えるが、 ちょっと見には北峰・南峰に顕著な差は無いように思われる。
やがて下りに入ると、これが予想以上にドンドン下ることになる。遠目では蝶ヶ岳への登りもそれ程ではないように思えたのだが、 こうなるとかなり厳しそうである。
シナノキンバイ、ウラジロナナカマド (と思う) の花が咲き、バイケイソウ (コバイケイソウかもしれない) の群落が見られる道をドンドン下る。 勾配はそれ程急ではないが、登り返す時はかなり辛かろうと想像できる。
やがて地塘にかかる橋を渡り、さらに地塘が点在する中を進む。ようやく登りになったかと思ったら、また下りとなり、 今度は結構急な勾配を下る。地塘が再び現れた所で最低鞍部となり、そこからは辛い登りが始まる。

やがて 『蝶ヶ岳ヒュッテまで 1km』 の標識が現れる。時刻は 12時39分。 かなり時間を短縮できそうである。
やがて道の左右にキヌガサソウが咲く道を登り切ると、雪渓を横切ることになる。結構急斜面を横切るにも拘わらず、 先日の雨で流れたのであろう、雪の上にステップはほとんど見えない。雪に登山靴を蹴り入れながら慎重に進んだのだが、 もうすぐ渡り切るという所で油断してしまい、谷側の右足が滑ってしまう。ストックを使い、左足を踏ん張って何とか数十センチの滑落で済んだが、 冷や汗ものであった。
雪渓を渡り切ると、『蝶ヶ岳ヒュッテまで 500m』 の標識が現れる。雪解け水が流れる道を進み、やがて三股からの道と合流する。 そこからハイマツ帯の中を登り、テント場を横切って左の高みに登れば、そこには蝶ヶ岳山頂の標識が立っていた。時刻は 13時17分。

地図上のコースタイムを 30分弱縮めたことになるので、 13時半まで休憩とする。
ここからの穂高連峰、槍ヶ岳、常念岳は素晴らしい。やはり麓の梓川の流れまで見えるこの場所は最高である。
写真を撮りまくった後、そのまま往路を戻る。今回のメインは大滝山なので、蝶槍、三等三角点はパス、とにかく時間がない。 予定通り 13時半に出発し、大滝山へと戻る。

先程失敗した雪渓を慎重に渡り切り、ドンドン下る。 最低鞍部の地塘を通過し、14時18分に 『大滝山北峰まで 1km』 と書かれた標識を通過、分岐には 14時42分に戻り着く。
かなりヘバってしまったので、ここでも休憩し、14時52分に下山開始。見納めとなる槍ヶ岳、穂高連峰に別れを告げ、 お花畑の中を下って樹林帯に入る。
退屈・単調な八丁ダルミを抜け、鍋冠山への登りに入るが、これも長い。頂上手前にダミーのピークがあるのを往路で知ったので、 騙されてガッカリすることなく、16時30分に鍋冠山頂上に到着。7分程休憩した後、冷沢を目指す。

急斜面、緩やかな下り、平らな道などが繰り返される道を疲れていながらも順調に下り、 冷沢の祠前には 17時39分に到着する。もう安心であるし、まだ明るい。
余裕が出てきたので、堰堤の方へと進み、冷沢の水を口にする。冷たくて美味しい。 ペットボトルにも水を入れ、チビチビと飲みながら林道を歩く。ただ、往路は元気だったため、苦痛には感じなかったのだが、 長い林道歩きが辛い。もうヘバリ気味である。ゲート前には 18時12分に戻り着く。11時間59分の山行であった。

本日は梅雨の晴れ間を狙い、初めての山である大滝山に登ったのだが、 終日天候に恵まれ、充実した山旅を楽しめたのであった。
結果的には、三股から蝶ヶ岳経由にて大滝山に登った方が時間的に楽だったかも知れないが、それは結果論。快晴に恵まれたからこそ、 蝶ヶ岳往復のおまけを付けたのだが、ガスにでも囲まれていたら大滝山止まりとなったはず。もし、三股から登った場合、 ガスに囲まれていたら大滝山は踏まなかったであろう。
なお、蝶ヶ岳まで人には全く会わない状態。しかし、平日にも拘わらず、蝶ヶ岳付近には 20人近い人が居たのには少々驚かされた。 静かな山旅でもあり、最高の一日であった。


梅雨の晴れ間の妙高山  2014.7 記

梅雨のため、登山に適した日が少なくなっている状況であるが、 平日登山が可能となった身なので、土日しか山に行けなかったサラリーマン時代よりも選択の幅が広がっているのがありがたい。
天候の状態を調べ、6月26日の木曜日が比較的天候が良さそうだったことから、この日に山に行くことにする。
行き先を色々検討した結果、最終的に決定したのが新潟県の妙高山。
天気予報では各地とも午後には曇る状況になっていたため、登りたいと思っていた山の中から、午前中に何とか頂上に達することができる山という条件で選んだところ、 この妙高山が浮かび上がったという次第である。
登りたい山の候補に妙高山を入れていたのは、昨年の 6月にお隣の火打山に登ったことが大きく影響している。 火打山の登山起点となる笹ヶ峰へと向かう途中、上信越道 薬師岳トンネルを抜けた途端に目の前に見えた妙高山の素晴らしい姿が強く印象に残っており(無論、 火打山から眺めた妙高山も素晴らしい)、そして何よりも、火打山・妙高山はペアで考えるべきで、 火打山に登ったら妙高山にも登らなければ片手落ちと思うからである。

横浜の自宅を 3時に出発する。先の越後駒ヶ岳同様、 横浜ICから東名高速道に入り、東京ICで高速を下りた後は環八 (環状八号線)・笹目通りと進む。 谷原の交差点を左折して目白通り入り、そのまま練馬ICへと進んで関越自動車道に入る。 ありがたいことに環八、関越道とも車の流れはスムーズである。
そして、藤岡JCTからは上信越道に入り、更埴JCT、そして妙高高原ICへと進む。
天気予報通り、天候は快晴に近く、藤岡JCTから上信越道に入ると、バックミラーあるいはサイドミラーに昇る朝日が写り気分が高揚する。 途中、軽井沢付近を通過する際にガスに囲まれたものの、妙高高原ICで高速を下りた時には青空に妙高山が浮かび上がる状況で、 狙い通りの天候になったのであった。

妙高高原ICからは国道18号線を北上し、豊橋の交差点にて左折、 県道39号線に入る。
赤倉温泉まで進んだ後は、県道396号線へと入り、狭い山道を抜けていく。関温泉手前で再び県道39号線に合流し、 関温泉を抜けて暫く進むと、燕温泉の入口に設置された駐車場であった。登山者はここで車を駐める必要がある。時刻は 6時31分。
駐車場には長岡ナンバーを中心に 10台弱の車が駐まっていたが、全部が登山者のものではないと思われる。

駐車場備え付けのトイレにて用を足し、身支度をして出発する。時刻は 6時42分。
まずは舗装道を進み燕温泉の中を登って行く。小さな温泉街を抜けると、『妙高山 燕温泉登山口』 と書かれた立派な標柱が立っており、 その少し先にて道は分岐する。まっすぐ進んでも麻平経由にて妙高山に登れるようだが、ここは左折して黄金の湯経由の道へと進む。
階段を昇って薬師堂にお参りした後、コンクリートの道を登る。この道は意外と勾配があるので汗が噴き出してくるとともに、 本日は自分の身体が結構重いと感じる。会社勤めをしていた時は毎日 3〜5kmは歩いていたのに、 この頃それ程歩かなくなってしまったためかもしれない。散歩を日課に取り入れる必要性を痛切に感じる。
左手を見れば妙高山が青空に浮かんでおり、テンションがグッと上がる。
但し、スラリとした円錐形の山容が前面に出て魅力的ではあるものの、 恐らくあれは頂上ではなかろう。頂上はその円錐の左後方に見える高みと思われる (南峰。そしてよく見ると、その右に北峰らしき高みも見える)。

右手に 黄金の湯を見ると、すぐに 『左 妙高山』 の案内が現れる。 まっすぐ進む道は惣滝の展望が得られる場所へと続いているらしい。
正面に妙高山を見ながら細いコンクリート道を進んで行くと、道はすぐに舗装された林道に合流する。燕温泉に入ってすぐの所に左に分ける道があったが、 この道はそこと繋がっているようである。
かなり勾配のある林道を登っていくと、やがては妙高山登山道への分岐が現れる。分岐横の草むらには 『妙高山登山道 入口』 と書かれた木が置かれている。

登山道は先程 黄金の湯の周辺を歩いた時と同じようにコンクリート道となっており、 これが結構長く続く。
道は右下の北地獄谷へと下る斜面を横切って作られており、傾斜も緩やかなのでかなり快調に登って行くことができる。 むしろ、燕温泉から登山口入口までの道程の方がきつかった感じである。
やがて、林道に入ってからはその姿が見えなくなっていた妙高山が前方に見えるようになる。良く見ると、その妙高山の中腹に滝が見えている。 恐らくこれからそのソバを通ることになる称明滝であろう。
ほぼ平坦、あるいは緩やかな傾斜の道が続く。左の斜面に残る雪が登山道を覆っている場所を越えて行くと (歩き易いように残雪を削ってある)、 やがて赤倉温泉源泉管理小屋に到着する。時刻は7時25分。周囲には硫黄の臭いが漂っている。
小屋の手前には水場が 2つあり、手前の水は鉱泉のような鉄さびのような味がしたが、 赤倉温泉源湯と彫られた石碑のある方は美味しい水であった。

小屋を過ぎると先の方に光明滝が見えるようになり、 光明滝の右上方には称明滝も見えている。
道の方は少々傾斜がきつくなるとともに、コンクリート道の下に石を階段状に積んだ道も作られていて、 それが光明滝のビューポイントまで平行して続いている。
光明滝の上部へと進み、やがて称明滝との分岐へと到着する。この分岐の手前でコンクリート道は終わりとなり、土の登山道が始まる。
登山道を先へと進む前に称明滝を見るために寄り道をしてみる。称明滝は落差が 5〜60m程あり、赤茶けた岩肌に白い水が流れ落ちている。 滝の上部には青空が広がり、滝の周辺には草木の緑が広がって、明るい日差しの下、素晴らしい景観である。
なお、水が白く濁っているのは温泉成分が含まれているためらしく、従って赤茶けた岩肌もその温泉成分が付着したことによるものらしい。

再び登山道に戻ると、ここからは急登もあってようやく登山道らしくなる。
高度を上げるに連れて展望が開け、右手の神奈山もよく見えるようになる。また、道の傍らには少々盛りを過ぎたタニウツギの花が見られる。
やがて道が石畳になったかと思うと、称明滝の上部、北地獄谷の河原へと飛び出すことになる。まずは小さな流れを越えて向こう岸に渡る。
先の称明滝と同様、岩が赤茶けているため、ヌルヌルしているように思えたので慎重に渡る。右側は滝へと続くべく段階的に下へと落ち込んでいるので、 滑ったら大事であろう。
流れに沿って暫く進んでいくと麻平への分岐が現れ、その先で再び流れを渡り返すことになる。そこから暫く流れに沿って登って行くと、 前方に雪渓が見えてくる。

ササに囲まれた道を抜け、岩がゴロゴロして、木々が少々煩い道を進んで行くと雪渓に辿り着く。 雪渓、岩場の道を繰り返しながら進んでいくのだが、要所にはしっかりテープが付けられ、岩にも矢印が書かれているので迷うことはない。
右手の方を見れば、川は雪に覆われてしまって雪渓が続いているだけのように見えるが、所々その雪渓に穴が空いていて水の流れが見えている。
『ここは 1,800m 胸突き八丁』 と書かれた銅板が岩に取り付けられた場所を過ぎると、道は河原を離れて左手の斜面をジグザグに登って行くようになる。 足下には岩がゴロゴロしており、周囲はササに囲まれていて、傾斜もかなりある。
暫く登って行くと小広いスペースに飛び出るが、何となく周囲は硫黄の臭いが漂い、足下の岩屑も白っぽい。
ここから再び周囲をササに囲まれた、岩の多い道を登っていくのだが、相変わらず傾斜はキツイ。重い身体に鞭を入れ、 息を切らせつつ登って行くと、やがて五合目の標識が現れる。その標識の隣には、『天狗堂まで 30分、300m』 と書かれた標識も立っており、 まだまだキツイ登りが続くことを示している。まさに胸突き八丁である。時刻は 8時40分。

五合目から 10分程登ると、右手樹林越しに妙高山方面が見えるようになる。 但し、山頂付近に雲が掛かり始めていて、稜線が見えない状態である。上空には青空が広がっているものの、頂上がこれではガッカリである。この後の回復を願うばかりである。
やがて、今度は東側が開けた場所に登り着く。妙高高原の街並み、そしてその後方に斑尾山が見える。斑尾山の後方にはほぼ同じ高さの稜線が続いているが、 裏岩菅山、岩菅山、そして横手山と続く山並みのようである。

この場所から暫く進むと、土が深く抉られて溝状の、上部がササに覆われてトンネルのようになった道を登って行くことになる。 そして、そのトンネルを抜け出すと広場に飛び出すことになり、そこには小さな石祠が置かれていたのであった。
ここは六合目、天狗堂である (地図では天狗平となっている)。 時刻は9時4分。なお、ここは赤倉登山道との合流点にもなっている。
車を運転しつつ食事を取ってから既に 4時間近く経っていること、そして本日は暑く、熱中症になる可能性もあると思われたので、 ここで休憩とする。

10分程休んで出発。左手下方に雪渓を見た後、妙高山南峰が見通せる場所を通過する。
ありがたいことに先程山頂付近を覆っていた雲は流れ始めているようで、南峰の後方には青空が広がっている。
やがて光善寺池に到着。池の中にはかなりの量の白い卵らしきものが見えていたが、サンショウウオの卵であろうか、 それともカエルの卵であろうか。
池の縁を周り、雪渓を進んで再び尾根道を登っていく。その雪渓に 2つのザックが置いてあり、その後登山道を進もうとすると、 ガサガサ音がしてササヤブから人が急に現れた。恐らく山菜採りの方と思うが、先にザックを見ていなかったら、熊と思って大声を出していたかも知れない。
道の方はまた溝状の道、そしてササの中の道が続く。暫く登ると再び妙高山方面が見通せるようになるが、頂上の雲はさらに少なくなっている。 ありがたい。

やがて風穴 (カザアナ) に到着。時刻は 9時38分。 ここには八合目の標識も置かれている。
てっきり、七合目と思っていたのでちょっと得をした気分になったが、七合目の方は見落としてしまったようである。
風穴という名前の通り、標識の後方にある斜面に 2つの穴が空いており、そこから冷たい風が吹き付けてくる。
ササに囲まれた道を登って高度を上げていく。左手に周辺の山が見えてくるが、山の上部は完全に雲に覆われていて山を同定することができない。
周囲のササの背丈も低くなり、また木々も灌木へと変わり始める。やがて足下に岩が現れ始めると、その先でロープが張られた岩場を登ることになる。
岩は溶岩が固まったような岩で、親切にも岩に足場が切られているので、ロープを使わずとも登っていくことができる。
登り着いてから少し進めば、目の前に九合目の標識が現れ、ここから鎖場が始まる。30m程の溶岩の急斜面を登ることになるのだが、 鎖が設置してあるとともに、足下には足場が作られているので難なく登って行くことができる。
登り着いた所からさらに左上方へと鎖が延びており、その先では カニの横ばいのように進む鎖場が現れる。 しかし、ここも安全に足場が確保できるような措置がとられているので、難なく通過することができる。

この鎖場は展望も良く、振り返ると四阿山を確認することができたのだが、 その他の山々はほとんど雲の中であった。
鎖場を終えると、灌木帯の中の登りが続く。斜面の先には青空が広がっているのが嬉しい。
ようやく尾根上に登り着くと、北側の景色が見えるようになる。しかし、外輪山である三田原山から赤倉山へと続く尾根の後方の山々はほとんどがガス、 あるいは雲の中であった。
従って、楽しみにしていた白馬岳を始めとする北アルプスの山々は全く見ることができない。
道はここから右に折れ、すぐに溶岩が剥き出しになった場所を登ることになる。岩に付けられた矢印を頼りに登っていくと、 やがて未だ山腹に多くの雪を残す金山、焼山が姿を見せ始め、さらに高度を上げていくと影火打、火打山も姿を現してくれたのだった。
そして傾斜が緩くなり、足下に多くの草が見られるようになると、目の前に十合目の標識が現れたのだった。
その標識を過ぎ、右手の岩場へと回り込めば、そこは妙高山の最高地点となる南峰であった。ここには記憶通りの妙高大神の像が祀られている。 時刻は 10時43分。

この南峰で火打山方面を見ながらの休憩とする。この南峰よりさらに先を見れば、 北峰が見えるが、その背景は完全に雲が湧いて青空は見えない状態である。
また火打山方面も、火打山、影火打、焼山、金山が見えているものの、その後方には雲が湧き出ており、加えて火打山の右手からはガスが迫っている状態である。
15分程休んで北峰へと向かう。南峰−北峰間はほぼ平らな道が続き、途中大岩の間を縫うように進む。 大岩の一つには 『日本岩』 という名前が付けられている。また、途中いくつかの祠跡のようなものが見られたのであった。

北峰には 11時5分に到着。三角点を踏んだ後、西側の岩場に進み、 唯一展望が得られる火打山方面を眺める。
先に述べたように火打山には右手からガスが迫っており、その頂上は今にもガスに飲み込まれそうである。
また、目の前の三田原山から右の部分もガスに飲み込まれようとしている。下山は燕新道を下ることを漠然と考えていたのだが、 この状況を見て往路をそのまま戻ることに決める。
なお、焼山、金山の方は雲が下りてきてその頂上を覆い始めている状態で、南峰・そして北峰到着がもう少し遅かったら何も展望を得られない状況であった。
そして、この妙高山自体にも北地獄谷・そして南地獄谷方面からガスが上がり始めて来たので、下山することにする。時刻は11時14分。

南峰へと戻った後、少しガスが立ちこめる中、溶岩塊を下っていく。
鎖場、風穴を過ぎ、光善寺池を 12時8分に通過する。振り向けば、妙高山頂上方面は完全にガスの中である。
六合目の天狗堂を 12時15分に通過、滑りやすい胸突八丁を慎重に下り (途中 五合目は12時31分に通過)、 ガスの立ちこめる雪渓を下って、北地獄谷の河原を 13時1分に通り終える。
そして、赤倉温泉源泉管理小屋には 13時21分に到着したのだった。 小屋で休憩し、流れる水で顔を洗ってさっぱりする。小屋には 2名の若者が入っていたが、小屋番をするのであろうか。 硫黄の臭気が周辺に漂う中、小屋に泊まって大丈夫なのかと心配になる。
10分程休憩し、その後はコンクリート道を下って、林道との合流点となる登山道入口には 13時39分に戻り着いたのだった。
林道を下り、途中から林道を離れて黄金の湯へと進む。入浴しようかと思ったのだが、既に先客が 3〜4名入浴しており、 さらには下方から湯治客が登って来ているのを見てパスすることにする。
無事に下山できたことを薬師堂に感謝した後、駐車場には 13時54分に戻り着いたのであった。

上記には書かなかったものの、十合目直下、溶岩塊の斜面に取り付く前に 7〜8人のパーティが下山してきたのを除いて、 山では数人しか会わず、さらには南峰・北峰とも独占状態であったのが嬉しい。やはり平日登山は快適である。
また、梅雨の中、ある程度の天候を得られたので、満足の行く山行であった。本当は、妙高山については、秋口に火打山と合わせて縦走することを考えていたのだが、 この梅雨の晴れ間、まだ展望が得られるうちに頂上に達することができた上、 それなりの達成感も得られたので、今回の選択は大正解であった。


これまた久々の越後駒ヶ岳  2014.6 記

先般この欄で書いたように、この 6月末でサラリーマン生活にピリオドを打つことになっているが、 実際は 6月一杯会社員の身分ではあるものの、会社には出勤しない状況となっている。従って、6月以降は平日を中心に山に登るつもりでいたのだが、 この梅雨時、そううまく天気の方がついてきてくれず、結局、6月15日の日曜日に山に行くことにした。
ただ、日曜日の登山と言っても、人が多いということを別にすれば、翌日からの仕事に影響が出ぬよう肉体的疲労を持ち越さないようにするといった配慮をせずに済むということが今までと違っており、 これは結構ありがたい。

今回の行き先は新潟県の越後駒ヶ岳。残雪の山を楽しみたいと思い、 未だ雪が多いと思われる山、さらには快晴の予報が出ている地域、そして今まで登ったことのないコースということを考慮して候補を探したところ、 この越後駒ヶ岳が浮かんだ次第である。
他に苗場山も候補に浮かんだのだが、横浜出発日帰りという地理的問題を考えると、どうしても和田小屋から登るコースとならざるをえず、 一方過去 2回とも和田小屋から登っているため苗場山は却下したのであった。
越後駒ヶ岳の方は今回で 3回目となり、1回目は枝折峠から越後駒ヶ岳を経て駒ノ湯・大湯温泉へ下山、2回目は西側の越後三山森林公園からのピストン登山であったことから、 今回は 1回目に下山コースに使用した駒ノ湯から登ろうというものである。

2時35分に横浜の自宅を出発する。横浜ICから東名高速道に乗り、 東京ICにて高速を下りて環八に入る。早朝にも拘わらず工事などで混むことが多いこの環八も、本日は車の流れがスムーズである。
環八、笹目通りと進んで、谷原交差点を左折、目白通りに入ってそのまま関越道に入る。こちらも車の流れはスムーズ。
天気の方も本日は快晴のようである。ところが、順調に車を進め、本来なら谷川岳の姿が見える場所に近づくと、谷川岳は雲に覆われて見えない。
さらに関越トンネルを抜けると再び青空が広がったので喜んだのも束の間、車を進めるに連れて徐々に雲が多くなり、小出ICで高速を下りた時には、 目指す方向は完全に雲に覆われる状態であった。
気落ちしつつも車を進め、小出ICからは国道291号線を右に進み、すぐの丁字路で左折。暫く進んで吉田の交差点を右折して国道352号線に入る。 後は暫く道なりに進むことになる。
天候の方は微妙な状態で、目指す山の方は完全に雲に覆われている。
大湯温泉を過ぎると、やがて国道352号線は通行止めとなるが、駒ノ湯山荘へはその手前を右に入って暫く樹林帯の中を進むことになる。 やがて前方に数台の車が駐まっている場所が見え、右 駒ノ湯山荘の標識も見えたので、空いたスペースに車を駐める。時間は 5時48分。

身支度をして 5時54分に駐車場を出発する。事前の下調べも碌にしていなかったため、 ここで大失敗。良く考えもせずに目の前の橋を渡って駒ノ湯山荘へと進んでしまったのである。
駒ノ湯山荘の前を通ると、たまたま駐車場に宿泊客が居たため山はこっちかと聞いたところ、そうだとの返事だったので、そのまま駒ノ湯山荘の前を通り、 階段を登って林道をドンドン進んでしまったのである。
しかし、やや泥濘んだ林道上に足跡は全く見えず、車の轍が見えるのみである。おかしいと思いつつも先の方に頂上部分を雲に覆われた越後駒ヶ岳らしき山が見えるのでそのままさらに進んでしまう。
やがて前方に車が見え、その車を通り越してさらに進んで行くと、その車の主が林道の左下を流れている佐梨川で釣りをしていたのが見えたのであった。 これは明らかに道を間違えたと思い、林道を戻る。
宿泊客に道を聞いてしまったこと、事前によく調べてこなかったこと等、自分の愚かさを罵りながら駒ノ湯山荘まで戻る。
今度は先程の方とは別の宿泊の方を煩わせて山荘の従業員を呼んでもらい、越後駒ヶ岳への道を聞く。結局、駒ノ湯山荘へと進んだのが間違いで、 橋を渡らずに車を駐めた先を少し進めば登山口であることを教えて戴いたのだった。
そう言えば、車を駐めた場所の先にも 2台程車が駐まっており、その横に標示板らしきものが立っていたのを思い出す。

駐車場まで戻り、改めて出発し直す。時刻は 6時32分。この 38分のロスが後で響かねば良いがと思いつつ、 登山口へと進む。そこには赤い登山ポストも設置されており、駐車スペースから注意深く見れば間違えるはずもない状況であった。 駒ノ湯山荘の前を通るものだと思い込んでいた小生が愚かであった。
登山口を進むとすぐに吊橋が現れる。橋の横には 「1人ずつ渡って下さい」 との注意書きがあり、確かに橋はグラグラ揺れる。 橋を渡ると、すぐに急登が始まる。新緑が眩しい中、落ち葉が敷き詰められた道をジグザグに登っていくのだが、急登ゆえすぐに汗が噴き出す。
蒸し暑くもあり、本日は熱中症にならないように注意せねば と自分に言い聞かせる。
やがて右手樹林越しに残雪を抱く山が見えてきた。越後駒ヶ岳から西へと派生する郡界尾根の一部と思われるが、 今まで山の上部を覆っていた雲は徐々に無くなり始め、バックに青空も見えている。ありがたい。

道の傾斜が緩んでくると、やがて登山道上に水溜まりが現れる。 水溜まりを避けてその縁を進むが、水溜まりの上にある木の枝には、モリアオガエルのものと思われる泡状の卵が産み付けられていた。
その後 道は平らな道と急な登りが交互に現れるようになる。暫くすると、右手に先程よりも越後駒ヶ岳方面が良く見える場所に辿り着く。 三角形の山が前面に見え、その山が先頭になって後方にいくつかのピークを引き連れているという感じであるが、恐らく前面にある山はフキギであろう。
左後方の山は本日目指す越後駒ヶ岳の一部と思われるが、ハッキリ見えるのはフキギのみ、後方の山々はまだ雲に覆われている。 但し、先程よりもさらに青空の面積が増えてきているのが嬉しい。

ところが、7時半頃には上空に青空が広がっていたものの、 8時を過ぎると上空は完全に雲に覆われてしまう始末。そして樹林越しに垣間見える越後駒ヶ岳方面は完全にガスに囲まれてしまったのである。 テンションがグッと落ちる。
道はやがて急斜面を登りきると、見晴らしの良い場所に登り着く。時刻は 8時42分。
ここが地図にある栗の木ノ頭と思ったのだが、帰宅後調べたらそうではなく、栗の木ノ頭は既に通り過ぎた壊れかけの標柱があった場所だったようである。
歩き始めてから (間違った方向への歩行も含め) 3時間近く経っていることから、傍らの岩に腰掛けて食事とする。 というよりはむしろ、熱中症を避けるべく水分補給に気をつける。
ここからは市街地が見えるが、恐らく大湯温泉街であろう。また、後方を見れば、これから登る小倉山が見えている。10分程休んで出発。

少し登ると周囲は灌木帯の急斜面へと変わる。高度を上げていくと、 左手の小倉山から派生する尾根の向こうにピラミッド型の格好の良い山が見え始める。荒沢岳である。
やがて鎖場に到着。登りの場合、鎖は安全のために握っておく程度であったが、下山時は滑りやすい岩場 (濡れている) のため、 結構この鎖に頼ることが多かった。
この頃になると、先程絶望感を与えた上空の雲は少しずつなくなって、青空が広がり始め、日差しも強く照りつけるようになり、 再びテンションが上がり出す。
左後方を見れば、高度が上がるに連れて荒沢岳の姿がドンドン浮き上がってくるのが面白い。
道は崩れかけた斜面を横切るようにして進み、ブナの樹林帯に入るが、最早ブナの幹はかなり細くなってきている。
やがて、樹林越しに越後駒ヶ岳が部分的に見え隠れするようになる。どうやら越後駒ヶ岳の山頂を覆っていた雲も無くなって、 そのバックには青空が広がっているようである。ただ、早くその姿を見たいものの、樹林が邪魔をしてなかなか見通すことができない。 結局、小倉山頂上に到達するまで越後駒ヶ岳の姿は良く見ることができなかったのだった。

周囲が再び灌木帯に変わると、やがて小倉山山頂に到着。時刻は 9時33分。
ここまでの登山道上に雪は全くない。この小倉山からは待望の越後駒ヶ岳の姿を見通せるようになる。ありがたいことに、 そのバックには青空が多くなっており、雲は右半分に見えるだけである。
但し、先程とは違って山自体に雲は掛かっていない。天候の急回復、そしてなかなか堂々とした越後駒ヶ岳の姿にテンションが上がる。
また越後駒ヶ岳山頂付近、そしてその直下にはまだ多く雪が残っており、残雪も楽しめそうである。
ところで、この小倉山には三等三角点のそばに 「補」 と書かれた石柱も設置されていた。これは、明治時代、陸軍参謀本部陸地測量部 (今の国土地理院の前身) による測量と平行して、 農商務省山林局も国有林の境界を決めるために測量を行って 「主三角点」、「次三角点」、「補点」 を設置したのだが、 それが今も残っているのだそうである。
閑話休題。10分程休憩して越後駒ヶ岳へと向かう。

小倉山から少し下ると登山道上に残雪が断続的に現れるようになる。 場所によっては結構 急傾斜になっている箇所もあり、滑らないように慎重に下る。残雪の下方に木道が見えているので 方向を間違えることなく下ることができるが、 ガスなどで視界が効かない場合は要注意と思われる。
この雪渓辺りから展望がグッと開け、越後駒ヶ岳の他、中岳、兎岳なども良く見えるようになる。
残雪を下り終えると木道歩きが始まり、暫くは傾斜の少ない道が続く。登山道上に雪は無く、道の両脇にカタクリの花やイワウチワなどが見られるようになる。
やがて傾斜も急になってくるが、そこにはしっかりと木の階段が設置されている。この木の階段は、登りでは歩幅が合わないところもあって少々ペースが乱れるが、 下りの際は大変助かる。滑り止めとなるゴムなども付けられており、泥濘んだ滑りやすい斜面を下るのに比べて大変効率良く下ることができるからである。
木道、木の階段には平成24年施工、平成25年施工のプレートが貼られていたので、2年連続で予算を組んで整備したのであろう。ありがたいことである。

暫く緩やかなアップダウンを繰り返していくと、登山道上に 「百草ノ池」 の標識が現れる。 ただ、池自体はササヤブの向こう側、しかも雪の下のようである。
ここからは急な登りが続くようになる。灌木帯の中を登り、残雪を横切って再び灌木帯をひたすら登り続ける。登山道の周囲にはタムシバの白い花、 そしてシラネアオイが見られるようになる。
足下に岩が多くなってきた後、小さなピークに登り着くが、ここが恐らく前駒と呼ばれる場所と思われる。
ここからは目指す越後駒ヶ岳方面が見通せるようになり、越後駒ヶ岳下方にあるピークには駒ノ小屋にある風力計 ? の鉄塔らしきもの、 そしてそこまで続く岩稜帯が見える。
また、高度が上がって来た分 展望も広がり、ここからは至仏山、平ヶ岳、燧ヶ岳も良く見える。

岩稜帯を緩やかに進んで行くと、やがて岩場の登りへと変わる。 岩に付けられた赤ペンキに従って岩場を登って行くのだが、それ程難しい場所ではないので、手は使わず立ったまま登ることができる。
途中、× のペンキ印があって直登せずに左に進めとの矢印があったが、そちらを見ると雪渓の斜面となり、斜面上に足跡は一切見られない。 雪渓もかなりの斜度があるので、ここは雪渓に入ることは止め、× 印を無視してそのまま直登する。この時期、これが正解。
やがてササ原の斜面へと変わると、すぐに駒ノ小屋前に飛び出したのであった。時刻は 11時29分。小屋横の水場でノドを潤した後、 そのまま小屋横を通って頂上を目指す。
雪渓の斜面を右に見ながら、雪の無い尾根を暫く登る。やがて道は雪渓に入ることになり、結構急な斜面を登ることになる。アイゼンは不要であるが、 油断をすると滑落する危険性もあるので、慎重に登る。
残雪の斜面を登り切ると、右手に越後駒ヶ岳山頂が見えるようになり、その直下まで緩やかに雪渓が続いている。その雪渓を暫く進み、 頂上直下にてササ原を突っ切って正規のルートに入り、一登りすれば越後駒ヶ岳頂上であった。時刻は 11時50分。

>頂上には 8人程の先客がいたが、そのうち 5人程のパーティはすぐに下山したので、 ありがたいことに頂上にあるベンチを 1人 1基ずつ使用することができるようになる。
ここからの展望は素晴らしい。まず、西側を見ればズングリとした入道岳、そして右に大日岳、薬師岳と続く八海山が見える。本日初対面である。 入道岳から左奥に派生する尾根上には阿寺山が見え、さらに阿寺山の左後方には巻機山、谷川岳、朝日岳も見えている。 今朝ほどの天候、雲に覆われた状況が嘘のようである。
朝日岳の左方、この越後駒ヶ岳の丁度真南には中ノ岳が大きく、中ノ岳の左後方には武尊山も見える。武尊山の左方には至仏山、 そして平ヶ岳が見えている。平ヶ岳の左後方には奥白根山も見えており、その左方には双耳峰を有する燧ヶ岳が見える。
さらに左に目を向ければ、荒沢岳がしっかりと存在感を示しており、その左後方に会津駒ヶ岳も見ることができる 。荒沢岳の左下方には奥只見湖が見え、そこから少し間を空けた左方には未丈が岳、さらに間を空けて浅草岳、守門岳も見えている。
暫し展望を楽しんだ後は、食事とし、その後ベンチが 1人 1基使用できるのを良いことにベンチに寝転がる。上空には少し前まで全く考えられなかった青空が広がり、 太陽が眩しく、日差しが強い。

12時24分、下山開始。小生にしてはかなりの長居である。雪渓を進み、 残雪の急斜面を駒ノ小屋に向かって下る。
結構斜度があるので、滑落しないよう慎重に下り、小屋には 12時37分に戻りつく。ペットボトルに水を汲み、暫し小屋番の方と話をする。
聞けば、昨日は雨と強風であり、夕方近くになって漸く晴れたとのこと。本日登ることにして正解であった。
また、今年は雪が少ないとのことで、ゴールデンウィーク時点で小屋周辺の雪は例年の半分位だったとのことである。 関東では 2月に大雪となったことから、今年は雪が多いと思い込んでしまっていたが、それは間違いだったようである。
小屋番の方とすっかり話し込んでしまい、駒ノ小屋を出発したのは 12時57分であった。

後は順調に往路を戻る。渋滞必至の関越自動車道を戻るので、 あまり早く下山しても渋滞に巻き込まれるだけと考え、ユックリ下ることにする。明日は月曜日であるが、仕事のこと、帰宅時間を考えないで済むのがありがたい。
小倉山は 14時3分に通過。振り返れば、越後駒ヶ岳がやや逆光気味に見え、山頂の雪が背景の雲と紛れて見える。
鎖場を下り、14時38分に今朝ほど休んだ場所に到着する。この後 あまり良い休憩場所はないことから、ここで休憩とする。 天候の状態、太陽の位置関係から、周囲の山々は今朝ほどよりハッキリ見える。10分程休んで下山開始。
その後も結構長い下りが続き、よくもまあこんなところを登ってきたものだと感心する。途中、左手樹林越しに越後駒ヶ岳方面が見えたが、 最早 朝と同じくその山頂付近は雲に囲まれていたのであった。
駐車場に戻りついたのは 16時37分。登る際、駐車スペースには 7〜8台の車が駐まっていたが、今は小生の車のみである。 駒ノ小屋に数名泊まるようであったが、その人達の車はどこにあるのであろう。駒ノ湯山荘であろうか。

本日は快晴の確信を得て久々に越後駒ヶ岳に登ったものの、 最初は雲が上空ならびに越後駒ヶ岳を覆い、裏切られた気分になったのだった。しかし、最終的に山頂では快晴となり、 大いに楽しめた山行であった。
道間違いをしてしまい、下調べを怠たり、思い込みで行動することをしてはいけない と改めて学んだ山行でもあった。 ロスした 30分余りの時間が登山に影響せず本当に良かったとつくづく思う。


久々の白馬大雪渓  2014.6 記

5月10日の鳳凰山以来、山に行っていなかったが、 6月2日の月曜日に山に登ってきた。
平日登山となるが、実は小生、定年を迎えてから 1年経ったことを機に、この 6月末を以て会社を辞めることにした次第で、 実際の会社勤めは 5月末までという状況なのである。
都合 38年間のサラリーマン生活にピリオドを打ったことになるのだが、特別の感慨はなく、これからの毎日、 自らを律しながら充実した生活を送っていけるのかということに興味の大半が向いている。
山に登ることも今後充実した生活を送るための大きな柱の 1つであるが、これからは人の少ない平日登山を中心にしたいと思っており、 今回の登山がその第一回目ということになるという訳である。

登ったのは白馬岳。残雪の山登りが続いている中、 やはり今回も残雪の山を楽しみたいということで、6月でも残雪が多い山を探し、御嶽、会津駒ヶ岳などが思い浮かんだのであるが、 平日登山なので北アルプスも選択肢に入れたら良いのではと思いついた途端、白馬岳が思い浮かんだのである。
白馬岳に登る場合、猿倉の駐車場を利用することになるのだが、前日に出発して車中泊でもしない限り、 なかなか早い時間に現地に着けず、従って土日の登山では駐車場所確保ができるかどうか心配で、 これまで二の足を踏んでいたのであった。 北アルプスの山々はそのような状況の場所が多く、なかなか土日の登山はトライしづらかったのであるが、 これからは新穂高登山者無料駐車場など、土日の駐車が難しい場所を平日利用することで笠ヶ岳、槍ヶ岳などに挑戦していきたいところである。

さて、話が少し逸れたが、白馬岳は 21年ぶりとなる (前回は夜行列車で白馬まで行き、 そこからバスにて猿倉まで進んだのであった)。ヤマレコなどで調べると、大雪渓に雪は豊富に残っているようで楽しみである。
横浜の自宅を 2時半に出発する。いつもどおり、国道16号線、町田街道と進んで高尾山ICより圏央道に入り、その後、 八王子JCTから中央道に入る。
順調に車を進め、岡谷JCTからは中央道と分かれ、長野自動車道に入る。この頃には周囲も明るくなり、 青い空をバックにした未だ白き常念岳や穂高連峰が見えてテンションが上がる。
安曇野ICで高速を下り、すぐに左に曲がって豊科駅方面へと進む。駅入口の交差点を右折して国道147号線に入れば、暫くは道なりに進むことになる。 大町市大黒町からは国道148号線に入ってこれも暫く道なりに進む。木崎湖、青木湖を過ぎ、飯森陸橋で国道と分かれ、白馬村の中を進む。
八方の交差点を直進して県道322号線に入れば、後は猿倉まで道なりである。この県道322号線はしっかり舗装されているものの、 山道であり所々に狭い箇所があるため、スピード抑え、ライトを点けたまま進む。

やがて、猿倉荘に到着。車を猿倉荘の下方、バス回転場所の脇に駐める。時刻は 6時19分。
平日にも拘わらず駐車場に 5、6台駐まっていたので少々驚く。
身支度をして 6時27分に出発。階段を登って猿倉荘へと進み、登山届に記入してから出発する。
道は猿倉荘の脇から建物の裏を通って高度を上げ、その後戻るようにして猿倉荘を左下に見ながら進む。新緑が美しい山道を暫く登って行くと、 やがて林道に飛び出し、そこから暫くは林道歩きが続く。
少し進むと、前方に未だ多くの残雪を抱く山が見えてくる。青い空に白き山が映えて美しい。本日は快晴。最後までこの状態が保ってくれることを願う。
やがて、前方の山々の中に、一段と格好の良い山が見えてきたが、恐らく本日目指す白馬岳であろう。

雪解け水が流れる川を渡り、暫く進むと林道をショートカットする道に入る。 再び林道に合流した後、少し進むと林道から木道に変わるが、残雪が多く、木道は隠れ気味である。
やがて、ササに囲まれた細い山道を抜けると、目の前に雪渓が広がり、右手に白馬岳がどっしりとした姿を見せてくれる。その光景に思わず声を上げる。
雪渓の遙か先、白馬岳の左下方には、大雪渓の終点となる真っ白な高み (稜線上の高み) も見えている。
雪渓を緩やかに登って行くと、やがて未だ分解されたままの白馬尻小屋が見えてくる。小屋の少し右手の方を進んだため、 小屋前にある 『おつかれさん! ようこそ大雪渓へ』 と書かれた岩を見落としてしまう。
小屋から暫く進むと、徐々に傾斜がきつくなってきたことから、残雪の上に頭を出している岩の所で 10本爪アイゼンを装着する。 雪は固くも無く、かといってグズグズでもないので、ここまでほとんど滑ることなく進んで来られたのだが、 アイゼンを装着したお陰でさらに効率良く進めるようになる。

前回白馬岳に登ったのは 7月であり、雪渓も小さくなり、 また雪の上にはルートを外さないようにベンガラが播かれていたのだったが、今はまだ雪の量も多く、クレバスも生じていない状態なので、 どこを進んでも問題ないようである。無論、雪渓上の至る所に落石が点在しているので、雪渓の端は避け、できるだけ真ん中を進むのは言うまでも無い。
途中、直径 1m程の大岩が雪の上にあり、この岩が上から落ちてきたことにビックリさせられる。また少し小さい岩になると、 雪の上に滑った跡が残っている。岩がシリセードすることを知ってまたまた驚かされる。
なお、雪の表面はまだ平らに近く、前回のようなスプーンカットは生じていない。
前方を見上げれば、雪渓の先に見えていた稜線上の真白き高みは白馬岳の斜面に隠れ、その代わり左手に天狗菱の岩峰が見えている。

傾斜は徐々に厳しくなり、ダブルストックをフル活用しながら登るが体力を使うため、 呼吸も荒くなる。少し傾斜が緩む棚のような場所に登り着いたので、登り来たりし方を振り返ると、正面に高妻山、戸隠山がシルエット状に見えている。
また、ここ数日気温が高く、本日も猿倉荘付近では暑さを感じさせる状況であったが、今は雪渓を吹き抜ける風が冷たく気持ちよい。 雪渓を黙々と登る。月曜日と言うのに、先行者が数名、小生の下方にも数名の登山者が見える。
少し窪地状になった雪渓を越え、再び傾斜が急になった斜面を登る。この大雪渓は急斜面、棚状の雪面、急斜面の繰り返しが何度か続く。 再び棚に登り着いて振り返ると、先程見えた高妻山の左方に、未だ白き山々が見えるようになってきた。妙高山、火打山と思われる。
前を向けば、再び稜線上の真白き高みが雪渓の先に見えるようになる。そして、その手前の斜面はかなり急角度に見え、その急斜面の途中に島のような雪の無い場所が見える。 恐らくあそこが葱平 (ねぶかっぴら) の先端であろう。
また、その急斜面の手前には岩がかなり散在している。雪渓左右の斜面も急になってきているので、落石も多く、 崩れ落ちた岩が集まるような地形のようである。

前方の葱平付近の斜面がかなり急に見える一方、その岩が散在する場所は緩斜面に見えたのだが、 いざ登ってみると、そこもかなり傾斜が厳しい。加えて、運転しながら食事をとってから既に 4時間以上経っていることから、そろそろエネルギー補給が必要で、 体力的にも厳しくなってきている。
岩が散在する場所で休むのは危険と思い、急斜面途中に見える、葱平先端と思われる場所を目指す。
この斜面は見た目通りにかなりの急傾斜でキツイ。前方に 1人登山者がいたが、その方も苦労されているようで、 なかなか足が前に進まないようである。
この急斜面ではダブルストックよりもピッケルの方が良かったなと思いながら、ストックを短く持ち、慎重に登る。しかし、 ここまでほとんど休まずに登ってきたため、身体の方が言うことを聞かず、少し登っては立ち止まって上を見上げるという状況が続く。

ヘロヘロになりながらも何とか登り続け、ようやく葱平の先端に辿り着き (枕木のようなもの、ロープなどもあったので、 葱平と思う)、適当な場所を選んで休憩する。本当にくたびれた。時刻は 9時56分。
食事をしながら周囲を見渡す。杓子尾根側を見れば、すぐソバの天狗菱が圧巻である。天狗菱にほとんど雪はなく、 岩峰が天に突き上げている姿は岩の砦のようである。ただ、その山肌は荒れ気味で、岩が崩れて砂のようになっている部分があるなど、 いつ、どの部分が崩壊してもおかしくないような状況である。
また、登ってきた雪渓を見下ろすと、かなりの距離と斜度のあるところを登ってきたことが分かる。そして、登ってきた雪渓の上方に目をやれば、 正面に高妻山、乙妻山が見え、その左には妙高山、火打山、焼山が見えている。
白馬岳側を見ると、ここまで登ってきた雪渓がさらに上へと続いているのが見えるが、その斜度が 45度もあろうかと思われる急斜面なので、 今更ながら驚かされる。この斜度を見て、ストックを仕舞い、ピッケルにて登ることにする。
10時8分、葱平先端を出発し、再び雪渓に入る。

アイゼン+ピッケルの組み合わせはかなり良好で、危険を感じることなく急斜面を登っていける。
しかし、一方で体力の方がついてこない。何度も立ち止まりながら登り続けることになる。
ようやく傾斜が緩くなると、稜線が見えるようになり、その稜線上に見覚えある角のような岩が見えてくる。また、その角のような岩の下方には、 写真で良く紹介されている羊背岩 (ルントヘッカー) と呼ばれる氷河で削られて表面が丸く滑らかになった岩が見えているが、 その大部分は雪に埋もれてしまっている。
ここからの緩斜面では、先程まで大変活躍してくれたピッケルが逆にお荷物になる。急斜面の登りで疲れたこともあったので、 雪面に顔を出している岩に腰掛けて休憩をするとともに、再びストックに持ち替える。
10分程休憩して出発。振り返れば、天狗菱に槍ヶ岳のように尖った見覚えある岩峰が現れている。見る方向、そして仰ぎ見る角度が変わったことにより、 今まで隠れていた岩峰が現れたということであろうが、あまりにも姿形が変わったのでビックリである。
また、天狗菱の右後方には杓子岳の姿も見えている。また、前方を見上げれば、稜線の一角に白馬岳頂上宿舎が見えている。しかし、近いように見えるものの、そこまでの距離は結構長い。

さらに高度を上げて振り返れば、杓子岳の右後方に白馬鑓ヶ岳の姿も見えてくる。
なお、この頃になると青空は見えなくなり、少々曇り気味になってきており、先行きが心配になる。
頂上宿舎前を 11時51分に通過。そこから頂上小屋の前を直登すれば雪のない稜線に飛び出すことになったのだが (勿論、後で分かった)、 つい雪の上の足跡を辿って右へと進んでしまう。
ここも急斜面で、緩やかな場所に登るまで一苦労。喘ぎつつどうにか緩斜面に辿り着くと、右手前方に今度は白馬山荘の大きな建物が見えてきた。 そのまま山荘方面へと進む。
また、高度が上がってきたため、白馬岳と杓子岳を結ぶ稜線の向こう側にある山も見えるようになってくる。立山の大汝山、別山が見え、 その右には剱岳の姿も見える。さらには猫又山、釜谷山、毛勝山と続く毛勝三山も見えている。
また、大汝山の左にはやや霞み気味ではあるが黒部五郎岳、水晶岳 (黒岳)、鷲羽岳、野口五郎岳も見えている。

やがて白馬山荘の真下に近づいたものの、石垣があって行く手を阻まれる。 石垣に沿って左へと進み、雪のない場所でアイゼンを脱着し、さらに左に進むと、本来の登山道に合流したのであった。
そして、そこから少し進めば白馬山荘受付前であった。時刻は 12時25分。山荘の後方には白馬岳頂上も見える。
受付前の雪を越えて行くと、後はほとんど雪のない斜面が続く。雪の上を歩くことに慣れた身体には、ここからの岩屑の道は結構歩きにくく、 さらには、疲れもあってなかなか足が進まない。
しかし、高度を上げるに連れ、素晴らしい展望が広がってくるのが嬉しい。お隣には旭岳、そしてその右後方には清水岳 (しょうずだけ)、 さらに右方には朝日岳、雪倉岳が姿を現す。
そして旭岳の左には毛勝三山が先程よりもグッとせり上がり、さらに左方に剱岳、別山、大汝山が続く。こちらから見る剱岳はかなりの鋭峰で、 鹿島槍ヶ岳などから見た姿とは全く異なっている。

岩場のジグザグの登りも終わりになると、まっすぐな坂道が現れ、暫く登って行くとやがて方向指示盤と頂上標識、 そして三角点が現れたのであった。道の途中に頂上が突然現れたという感じであり、さらには手前に見える岩峰が頂上と思っていただけに、少々アレッという気分になる。 しかし兎に角頂上に到着である。時刻は 12時55分。
地図では白馬山荘から頂上まで 15分となっているが、30分もかかったことになる。疲れに加え、歩き易い雪からいきなり岩がゴロゴロした道になって足がなかなか進まなかったこと、 そして何よりも周囲の景色の素晴らしさに写真を撮りまくったためであるが、それにしても時間が掛かりすぎである。

誰も居ない頂上で暫し休憩。ここからの展望は抜群であるが、 やはり気温が高い分、遠くの展望は得にくい。それでも北東には焼山、火打山、妙高山が見え、その右方には乙妻山、高妻山、戸隠山が続く。 火打山、焼山の左方には雨飾山が見え、雨飾山の手前、こちらのすぐ目の前には小蓮華岳が大きい。小蓮華岳の右には乗鞍岳が続いている。
小蓮華岳から左方に少し間を空けると、白馬岳から小蓮華岳へと続く尾根の後方に雪倉岳が見え、雪倉岳の左後方には朝日岳が見える。朝日岳からさらに左方には清水岳が見え、 その手前左、こちらの目の前に旭岳が見えている。
旭岳の左後方には先程見えた毛勝三山が並び、少し間を空けて大日岳、そして剱岳の鋭峰が見える。剱岳の左には別山、大汝山が続き、さらには最早あまりよく見えなくなってしまった黒部五郎岳が続いている。
さらに左方には赤牛岳、水晶岳 (黒岳)、野口五郎岳が続き、野口五郎岳の左には針ノ木岳、そして槍ヶ岳、奥穂高岳が続いている。 奥穂高岳の左には前穂高岳、少し間をおいて大天井岳が続く。大天井岳の左手前には白馬鑓ヶ岳が大きく、白馬鑓ヶ岳の左後方には鹿島槍ヶ岳の双耳峰が見える。
鹿島槍ヶ岳北峰手前には五竜岳が見えるが、少々判別しにくい。また鹿島槍ヶ岳の南峰と北峰の間にも山が見えるが、常念岳らしい。
実際には、野口五郎岳より左方の山々は、帰宅後に写真を拡大して確認できた山も多かったのだが、それでも槍ヶ岳、奥穂高岳、鹿島槍ヶ岳は目で確認できたのであった。

素晴らしい展望を楽しんだ後、13時25分に下山開始。
白馬山荘を通過した後、今度は雪の無い縦走路を辿り、旭岳と白馬岳頂上宿舎&大雪渓の分岐まで進む。
分岐にてアイゼンを装着した後、雪の斜面を下るが、白馬岳頂上宿舎前まではかなりの急斜面で、慎重さを要求される。 後は順調に雪の斜面を下り、羊背岩のある所まで来たが、ここからはまたまた急斜面。ダブルストックではこの急斜面を下るのが少々キツイとは思ったものの、 ピッケルに取り替えるのが面倒でそのまま下る。
が、急斜面に入った途端に反省。シリセードならばともかく、普通に下るには抑えが効かないストックでは厳しい。少々斜めになり、 左足を下ろして足場を確保してから、右足を左足の少し手前にもってくるという尺取り虫のようやり方で一歩ずつ慎重に下る。
往路で休憩した葱平先端までがかなり長く感じられ、よほど尻で滑ってしまおうかと思った程であるが、カメラを首からぶら下げている身には一寸難しく、 しかもズボンが破れると思われたため、我慢して一歩ずつ下り続ける。
葱平で一息ついた後も急斜面が続き、慎重に下る。ようやく少し傾斜が緩んだ場所に下りるが、ここは落石のたまり場であり、 早く抜け出すべく疲れた身体に鞭打って先へと進む。

ようやく安心して下れる場所まで来たので、後はユックリと下る。
長い雪渓下りも漸く終わり、白馬尻小屋前には 15時33分に到着。ここでアイゼンを外す。
途中、杓子尾根側から落ちてきたと思われる雪塊、岩が斜面上に散乱していた。登った時にはなかったもので、 斜面上に散乱する大きなデブリがその凄まじさを語っており、ゾッとさせられる。
小屋から少し雪の斜面を下れば、残雪の多い木道となり、やがて林道に飛び出す。復路は林道を下り続け、最後は再び山道に入り、 猿倉荘には 16時24分に戻り着いたのであった。

本日は目論見通り残雪を楽しむことができ、 また天候も途中から曇りとなったものの、山頂での景色も得られ、楽しい一日であった。しかし、かなり疲れたことも確かである。
冒頭で述べたような事情で、これからは平日登山中心にしたいと思うが、その第一弾として、 そして梅雨入り前の山行として最高の登山であった。


快晴の鳳凰山に大満足  2014.5 記

ゴールデンウィークの前半に日光の女峰山に登ったものの、 ゴールデンウィーク後半の 4日間は、渋滞を恐れたこともあって、結局どこの山にも行かないまま終わってしまったのだった。
結構 天候が良かっただけに残念であるが、どこへ行っても間違いなく高速道路は渋滞したようなので、 山に行かなかったのは正解だったということにしたい。

という状況であったことから、ゴールデンウィーク直後の土日 (5月10日、11日) には是非とも残雪の山に行きたいところである。
行き先については、4月27日の女峰山登山の際、当初検討していた会津駒ヶ岳がすぐに頭に思い浮かぶ。しかし、天気予報を見ると、 10日の檜枝岐村の天候はあまり良くないようであり、泣く泣く会津駒ヶ岳は断念する。
次に思い浮かんだのが、鳥倉林道、三伏峠からの烏帽子岳 (さらには小河内岳) である。しかし、この鳥倉林道・三伏峠を通るルートは、 今年こそトライしたいと思っている荒川三山あるいは塩見岳・蝙蝠岳と同じであるため、何回も同じルートを辿ることを好まない小生にとってはこれも却下したいところである。

そんな中、最後に思いついたのが夜叉神峠からの鳳凰山である。
この夜叉神峠からのルートは、かつて青木鉱泉からドンドコ沢ルートを使って鳳凰三山に登った際、下山ルートに使用したことがある。
しかし、その時はあまり天候が良くなく、展望はほとんど得られなかった上に、当時は登山を始めて日も浅かったことからコース自体を楽しむという余裕もなく、 あまり印象に残っていないのである。
従って、いつかはこのコースを辿って鳳凰山に登ろうと思ってはいたものの、一方で 鳳凰山には中道コースを中心に既に数回登ってしまっているので、 なかなか足が向かないというのが実状であった。
しかし、この残雪期、夜叉神峠から鳳凰山に登った記録がヤマレコで多く掲載されているのを見て、トライしてみようという気持ちが強くなり、 今回登ることに決めたものである。

10日、夜中の 2時半に横浜の自宅を出発する。何時もどおり、国道16号線を進み、 八王子バイパスに入ってすぐのところから町田街道に進んで、圏央道高尾山ICを目指す。圏央道に乗った後は、八王子JCTにて中央道に入る。
本日は天気予報どおり快晴のようで、笹子トンネル、日影トンネルを抜けると、南アルプスの山々がよく見える。
いつもは甲府昭和ICで高速を下り、県道20号線を進むのであるが、本日はナビに従って双葉JCTから中部横断道に入ってみる。 白根ICへと向かうのだが、まさに吹き曝しの道路状況なので結構強い風に注意が必要である。本日、稜線上でも風が強いとイヤだなと思いながら進む。

白根ICで高速道を下りてからは完全にナビ頼りである。実際にどこを走っているのか検討もつかないまま夜道を進んだのだったが、 やがて県道20号線に合流、後は芦安を目指せば良い。
ところがである、事前に芦安地区内にて迂回しなければならない箇所があるなどとの知識を得たものだから、途中からナビに逆らって、 夜叉神峠と書かれた標識を頼りに進んでみる。
しかしこれはかなり遠回りをしてしまったようで、桃の木温泉経由で進んでしまったらしく、 少々冷や汗ものであった (帰りは南アルプス芦安山岳館の前通る正規の道を進んだが、その道における迂回路はほんの僅かの距離。 過剰反応してしまったため、かなり時間をロスしたようだ)。

芦安から夜叉神峠へと通じる道を自分の車で通るのは実に久しぶり。 かつて広河原まで車が入れた時期以来であるから、仙丈ヶ岳に登った 1997年以来ということになる。
しかし、いつも乗り合いタクシーの車窓から見ていた景色であるためか、既視感があり、山の神を過ぎてからは不安になることもなく進むことができたのであった。
夜叉神峠の駐車場には 5時17分に到着。駐車場には 20台弱しか駐まっておらず、ゴールデンウィークにこの駐車場が超満杯だったらしいことを知って やや身構えていただけに、 あまりにガラガラで拍子抜けである。

トイレを済ませ、身支度をして 5時30分に登山道に入る。
いきなり急登となったが、少し登るとカラマツ林の穏やかな道に変わり、大きく蛇行しながら高度を上げていくことになる。
しかし、夜叉神峠までは結構距離がある。途中、峠まで 40分、30分、15分といった表示が現れて励ましてはくれるものの、 早く峠に立って南アルプスの山々を眺めたいと思っている身には、この距離は少々イライラさせられる。
長く感じられた道も漸く終わりとなり、尾根道と合流する。途端に目の前に間ノ岳、農鳥岳の未だ白き山々が飛び込んでくる。その素晴らしさに、 思わず声を上げる。時刻は 6時19分。

ここが本当の夜叉神峠らしく、この場所は十字路になっていて左は谷山、尾根の向こう側に下れば西口登山口、そして夜叉神峠小屋は右である。
右に道をとって緩やかに登っていくと、夜叉神峠小屋の建物が樹林越しに見え、直ぐさま広々とした夜叉神峠の標識のある場所に飛び出したのであった。 時刻は 6時23分。
ここからの展望は先程よりもさらに素晴らしい。今度は北岳も加わって、白根三山そろい踏みである。
また、農鳥岳の左には悪沢岳と覚しき山も見えている。また、前方右手を見れば、大崖頭山が見えるが、道はその左側を巻いていくはずである。

ササ原につけられた平らな道を進む。途中 祠に立ち寄ってお参りした後、道は緩やかに下っていく。
盆地状の場所を過ぎた後、道はさらに下りとなり、やがて鞍部を暫く進んでから登りが始まる。急登という訳ではないが、途中、 少し足下が悪い溝状の所を登っていくことになる。なお、周囲に雪は全く見られない。
やがて、道は大崖頭山の左下をほぼまっすぐ緩やかに登っていくようになる。なかなか広い道であるが、歩いているのは尾根に隠れて日が当たらず、 しかも下草がほとんど無い道で、あまり気分の良い道ではない。大雨などで土が削られるのであろう、木の根が剥き出しになっている所が多い。
そして、この道はかなり長い。景色の変化もなく、ほぼ一直線に黙々と登っていくしかない。道がまだまだ一直線に続く中、 やがて足下に残雪が頻繁に現れるようになる。しかし、凍っている訳ではないので歩行に支障はない。

長かった道も樹林が狭まった所に入りこむようになるとようやく終わりとなるが、 一方足下の雪は多くなってくる。
これまでの傾斜が緩やかながらも長い道から、少し傾斜のある道に変わると、やがて小さな台地状の場所に登り着く。そこには、 この山域でお馴染みの鉄パイプを重ね合わせた四角錐の標示板が置かれていた。杖立峠に到着である。時刻は 7時41分。
杖立峠から道は右の方へと曲がりながら下っていく。傾斜が緩やかになると、樹林帯の中の残雪の道が続くようになる。
右上の斜面を見上げれば、斜面の先に稜線が見え、シラビソなどの間から青空が覗いている。
この道も小さなアップダウンはあるものの、ほぼ一直線の道が続く。ただ、道は雪に覆われており、しかも雪が斜面の形状に合わせて斜めになっている所を横切っていくため、 少しバランスをとるのに苦労する。
また、ところどころで足を踏み抜くので要注意である。

斜めの雪に少々苦労しつつ進んでいくと、 やがて雪は平らな状態に変わって若干歩きやすくなったが、先程の緩やかな斜面と同様、こちらも長い。
ようやく道が登りに変わるとホッとする。樹林を抜け出し登り着いたのは少し明るい広場のような場所で、雪はほとんど無い。 傍らに金属製の標識が置かれていたが、錆びていて何が書かれているのか分からない。
登り始めてから3時間近く経っているので、ここで小休止。
白根三山は目の前の木々が邪魔をして良く見通すことが出来ないが、悪沢岳、上河内岳は見ることができる。
10分程休憩した後、再び樹林帯に入り緩やかな残雪の道を登っていくと、やがて、大きく開けた日当たりの良い場所に飛び出すことになる。
ここからは白根三山をスッキリと見通すことができ、休憩するのならこの場所であったと後悔する。
ここにも四角錐状に組み上げられたパイプの標示板が置かれていたが、場所の名前は分からない。しかし少し進むと、 木に南御室小屋からのメッセージ (14時半を過ぎてこの場所を通過する場合は小屋に連絡のこと 云々) が括り付けられており、 そこに火事場跡と書かれていたので、この場所の名を知る。

この火事場跡からは、岩がゴロゴロと転がっている、 ガレ場のような道を登るようになる。道に雪はない。
やがて道は狭まり、足下に雪が現れ始めると、周囲に樹林が多くなる。進むに連れ、周囲はコメツガ、シラビソの本格的な樹林帯となり、 足下の雪の量もかなり増えてくるが、良く踏み固められているので、歩行には全く問題ない。
ほぼ平らな雪の上を快調に進んでいくと、道は徐々に傾斜が強くなり、登り着いたところが恐らく苺平。
ここには 1人男性がおられたのでそのまま素通りしてしまったが、帰路にこの場所をよく見ると。辻山への標識などもあったので、 やはり苺平だったようである。しかし、それらしい標識は見つからなかったのであった。

苺平からは下りに入るが、途端に風が強く身体に当たり出す。
樹林の中なのでさほど堪えはしないが、この状況だと稜線に立った時が心配である。
樹林の中、しっかり踏まれた道を進む。ほぼ平らな道が続いた後、道は右の方に曲がっていく。コメツガなどの樹林帯がずっと続く。
途中、樹林が切れて金峰山方面が見える場所を過ぎる。そこから少し登ってまた下っていくと南御室小屋であった。時刻は 9時50分。 小屋の周辺は大きな広場になっており、日当たりも良好である。
小屋前のベンチにて休憩・食事とする。出発の際、この後のことを考え、10本爪アイゼンを装着する。10時8分に小屋を出発。
小屋横を通ると、雪が無い場所があったので、アイゼン装着は失敗かと思ったが、山に取り付くとそこからはずっと雪道であった。
ここからの登りはこれまでと違ってかなりの急登。と思ったが、急な斜面はそれ程長くは続かない。後は適度な傾斜の登りが続く。
やがて周囲に大岩が頻繁に現れるようになり、さらにはガマの岩と書かれた標識のある岩場に来ると、岩の間から間ノ岳と西農鳥岳、農鳥岳を良く見ることができるようになる。 青空に白き峰々が良く生えており、テンションがグッと上がる。

やがて周辺の木々も疎らになってくる。最後はダケカンバの疎らに生えている雪の斜面を登り切ると、大きな岩が立ち並ぶ場所に飛び出したのだった。
ここにも錆びた標示板があったが、ここを砂払岳としているのであろうか。
少し縦走路を外れてみると、白根三山は勿論のこと、北岳の右には仙丈ヶ岳も見えるようになり、さらには仙丈ヶ岳の右方に本日目指す観音岳の姿も見えたのであった。
観音岳の先には高嶺、そしてアサヨ峰も見えている。また、反対方向には富士山も見ることができる。
あまりの絶景に、時間を忘れて写真を撮りまくっていると、数人の登山者が下ってきた。最後の方に聞くと、ここからはアイゼンは不要とのこと。
アイゼンを外し、岩の間を登っていく。高みに登り着くと、薬師岳、そして観音岳が見通せるようになり、テンションがますます上がる。 振り向けば、大崖頭山、富士山も見えている。

一旦下っていくと薬師岳小屋。
そこから雪の斜面を登り、薬師岳には 11時45分に到着したのであった。白砂の台地、白き岩、そして北岳が目の前に迫力ある姿を見せており、 本当に素晴らしい。
ただ思ったとおり風が強い。これから向かう観音岳への稜線が心配である。
暫し写真を撮りまくった後、観音岳へと向かう。
最初は雪の無い砂地を下る。やがて登山道上に雪が現れるが、場所によっては冬道もあるようで、右に落ち込む斜面の縁を進んだりする。 本来はハイマツ帯なのであろう、この時間帯、雪を踏み抜くことも多くなる。

夏道、残雪、そして冬道と踏み跡を辿りながら進む。風は強く吹いていたものの、バランスを崩されるほどではない。
最後は岩場を進み、残雪の斜面を登ると山梨百名山の標柱が立つ観音岳であった。時刻は 12時20分。
そこから少し岩場を登れば、三角点。その上にも岩場が続くので、一応最高点まで登ってみる。
遮るものがないだけにここからの展望は抜群で、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳、広河内岳、蝙蝠岳、悪沢岳、上河内岳と続く白き山々の他、 今まで見ることが出来なかった地蔵岳、そして甲斐駒ヶ岳の姿を見ることができるようになる。
地蔵岳のオベリスクはいつ見ても長い尾を有する鳳凰のようであるし、甲斐駒ヶ岳の威厳のある姿は本当に素晴らしい。 甲斐駒ヶ岳は、夏場には雪が降った様に白い山肌を見せてくれるのに、この残雪期は黒々としているのが面白い。
甲斐駒ヶ岳のずっと右後方には八ヶ岳、そしてさらに右方に奥秩父の山々も見える。
そして振り返れば、薬師岳へと続く稜線の左後方に富士山が姿を見せている。
風が強く吹き付ける中、写真を撮りまくる。しかし、冷たく強く吹く風はここでの休憩を難しくさせる。
周囲の山々の写真を撮った後は、地蔵岳には進まずに薬師岳へと戻る (12時32分出発)。
途中、往路よりも冬道の方を多く進み、薬師岳には 12時59分に戻り着く。
この頃になると風も弱くなってきたので、岩場で食事休憩。白根三山を見ながらの食事は格別である。

13時11分、下山開始。往路を忠実に戻る。
往路でアイゼンを外した岩場でアイゼンを装着する。アイゼン無しでも十分に下れるとは思ったのだが、折角残雪の道がずっと続いているので、 アイゼン歩行を楽しみたいところである。
順調に下り、南御室小屋には 14時12分に到着。小屋横の広場には、午前中には見られなかったテントが数基張られていた。
少し休んだ後、アイゼンのまま先へと進む。苺平を 14時46分に通過し、火事場跡手前でアイゼンを外す。
その火事場跡を 15時17分に通過。その後、今朝ほど苦労した雪の斜面を横切る樹林帯を進む。
杖突峠は 15時51分に通過。長い道を下り、夜叉神峠には 16時34分に到着。暫し休憩。
先程の火事場跡でもそうであったが、白根三山を始めとする雪の山々は、今や日の光を浴びてツルツルに光っている。
そして 17時11分に夜叉神峠登山口に戻り着いたのであった。
車の台数は朝とあまり変わっていない。既に帰途についた登山者がいる一方で、途中で擦れ違った山中泊 (小屋泊まり、テント泊) の人達が増えたからであろう。

何回も登っている鳳凰山ではあるが、ほぼ初めてに近いコースを辿ったこともあって、一日中雲一つない青空が広がる好天の下、大いに楽しめた山行であった。
なお、帰りの中央道はスムーズに進む。いつも必ず渋滞する小仏峠トンネルも順調に流れているようだ (尤も、手前の相模湖ICで下りてしまったが・・・)。ゴールデンウィーク直後だけに皆外出を控えたのか、 それとも経済的な問題なのだろうか。


苦労したが大満足の女峰山  2014.5 記

このゴールデンウィークの前半、小生の勤める会社では 4月26日から4連休となっていることから、 是非ともこの期間を利用して先日 (4月16日) の日留賀岳に続く残雪の山にトライしたいところである。
行き先を色々検討した結果、今年に入ってからスノーシューの出番がないことを考慮して、昨年スノーシューで大満足を得られた会津駒ヶ岳に再びトライすることにした。
ところが、26日の天気予報では檜枝岐村は午後から曇り、あるいは雨との予報になっているではないか。仕方なく、26日の山行は諦め、 27日の日曜日に期待したのだが、この日もあまり檜枝岐村の天候は芳しくないようである (結果は両日とも快晴だったようである。残念。)。
それならばと急遽行き先を変更することとし、最終的に昨年のゴールデンウィークに登った日光の女峰山に再度チャレンジすることにした。 昨年は日光二荒山神社裏手から登り、残雪どころか、何と新雪の女峰山を大いに楽しんだのであったが、ヤマレコを見ると、 どうやら今はこのコースにあまり雪がないようである。
一方、霧降高原からのコースには残雪たっぷりとの情報を得たので、15年ぶりに霧降高原からトライすることにする。

27日、夜中の 3時半に横浜の自宅を出発する。
何時もどおり横浜ICから東名高速道に乗り、そのまま首都高へと進んで、大橋JCTから川口ICを目指す。
ゴールデンウィークと言っても、カレンダー上では 月曜日が平日のためにただの土日休みという訳で、高速道は結構空いている。 順調に高速道を進み、宇都宮JCTからは日光宇都宮道路に入る。
空には雲一つ無く、本日晴れることは間違いないようであるが、天気予報では午後は曇りとなっているので、早く頂上に着いてしまいたいところである。 日光ICで有料道路を下り、ナビに従って日光東照宮方面へと進む。

右に東武日光駅を見た後、すぐに右手に霧降高原への道が現れるので、右折して山の方へと進む。道は途中から山の中に入り、 クネクネと続くカーブを進んで高度を上げていくことになる。
なかなか霧降高原の駐車場が現れないので少々不安にさせられたが、やがて右手に P3駐車場の入口が現れたので、右折して駐車場に入る。 駐車場には 5台ほどの車が駐まっていた。
車を降りると、進む方向には立派なレストハウスと、その横から長い階段が山の方に延びているのが見える。
かつてこの辺はスキー場で、登山道はそのスキー場の端につけられていた記憶がある。今は植生保護のためであろう、階段がずっと続き、 地面を踏むまでかなりの労力を要することになっている。
なお、ハウスの前が P1、P2の駐車場らしいが、昔どおり登山者は P3に車を駐めるのが正しいようである。

トイレ (駐車場備え付け) を済ませ、身支度をして 6時12分に駐車場を出発する。
本来は車道の下に設置された地下道を通ってレストハウスへと進むのが正しいのだが、早朝のため車の往来は希なことから、 ガードレールを越えてレストハウスへと進む。
階段はレストハウス横から始まっており、少し登ると鹿などが入らないようにするためであろう、金網の扉を開けて先へと昇っていくことになる。
階段は 1,445段とのことで、見上げれば山の斜面に沿って階段がずっと続いており、万里の長城を彷彿とさせる。
また、階段には 100段毎に段数が記されているとともに、そこに励ましの言葉が書かれてはいるが、駐車場からいきなり 1,445段の階段を昇るのは、 まだ動きの鈍い身体にとっては酷である。とにかくひたすら登り続ける。

ほぼ一直線の階段故に高度はアッと言う間に上がり、振り返れば駐車場が下方に小さく見える。
1,300段の表示を見た後は、段数を数えながら昇る。1,400段の表示は無く、ピッタリ 1,445段にて漸く長かった階段は終了。 金網の回転扉となっている鹿除けを通ってから漸く登山道が始まる。
先を見れば、赤薙山と思われる山が見えるが、ここからは女峰山は全く見えない。
溝状に抉れた道を避けて尾根の左縁につけられた道を進む。周囲に雪は全く無い。焼石金剛を通過すると、やがて尾根道は 1本化され、 ササ原の細い尾根を登っていくようになる。この辺になると、足下に残雪も現れるようになる。
暫く登ると、道は尾根から外れて、右手に少し下って樹林に入り、その中を登ることになる。道は明瞭だが、残雪が融け、 足下は少しぬかるんでいる。
また樹林に入ると、日光近辺ではお馴染みの赤と黄色のツートンカラーに塗られた四角い目印が見られるようになる。

樹林の中をジグザグに登っていき、やがて樹林を抜け出すと、 今度は残雪の斜面となる。雪はまだたっぷりとあり、踏み跡を頼りに登っていくことになる。
まだ朝なので雪は締まっており、踏み抜くことはあまりないが、それでも何回かは太腿近くまで足が潜ってしまうことがあった。 なお、この時点ではアイゼンは不要である。
しかし、それにしてもリボンや先に述べた四角い標示板の間隔が結構開いている中、よくもまあ何もない雪の上を正確に歩けるものだと感心する。 踏み跡がなければ、正しいルートを見つけるのに時間がかかってしまうところである。

ひたすら登り続けていくと、やがて登り着いた所に鳥居が現れた。 その奥には祠も置かれている。赤薙山山頂である。時刻は 8時丁度。
祠の横の空きスペースから本日初めての女峰山の姿を見ることができたのだが、かなり遠くに見える上に、その山肌はまだ白が目立つ。 男体山も見えるが、こちらはさらに遠い所にあるためか、やや霞み気味である。
休むことなくそのまま頂上を通過して先へと進む。赤薙山からの下り斜面でも男体山、女峰山を見ることができる。
下り着くと狭い鞍部を渡り、再び登り返すことになる。
樹林の中、狭い尾根を登っていくのだが、この辺には雪はあまり見られない。ロープの張られた大岩の横を過ぎると、足下は再び雪の斜面に変わる。 登り着いた高みは展望が良く、ここからも男体山、女峰山を見ることができる。
道は再び下りとなり、やがて目の前の高みに向かって登っていくことになるが、この辺は雪はあまり残っていない。

それでも高度を上げていくと周囲は完全に雪の斜面となり、少々ルートが分かりにくくなる。 しかし、先達のお陰で何とか登って行くことができる。
登り着いた所が 奥社跡。時刻は 9時31分。ここでも休まずに先に進むが、ここからは完全に雪の道となる。
雪の斜面を下り、再び登り返す。残雪の量は多くなり、踏み抜くことも多くなる。やはり、木のソバは雪が融け始めているのだろう、 踏み抜くことが多い。
樹林の中、雪の斜面を黙々と登っていく。この辺になると、踏み跡も少なくなり、先行する人は 1〜2名のようだということが分かる。 ここでも目印の間隔が少ないのに、よくもまあルートを見つけ出しているものだと感心させられる。
また、本日は気温が高いので雪が緩んできているのであろうか、前の人の足跡を踏むと、時々ズボッと潜ってしまうことが多くなる。 もしかしたら小生の体重が重すぎるのかもしれない。

本日はピストン登山を考えていたが、 残雪のアップダウンの連続、そして午後には雪がさらに緩むことなどを考えると、昨年登ったアップダウンの少ない二荒山神社からのコースを下るべきではないか との思いが強くなってくる。
長く続いたアップダウンも漸く終わりとなり、やがて尾根上に飛び出すことになる。
ここからは傾斜のあまりない、緩やかな尾根上を進むことになる。しかし、本日の目的地である女峰山は、この尾根を進んだ後、 さらに左に道をとった先にあり、かなり遠く見える。
無雪期であれば気持ち良く進める尾根道も、腐りかけた残雪があっては結構辛い。尾根上は日当たりも良いのか、 結構雪が緩んでいて踏み抜くことが多くなる。
また、天候の方であるが、まだ 10時というのに、青空はドンドン少なくなり、上空を雲が覆うようになる。

雪の上に残る足跡は、新しいのが 1つ。古いのが 1つのようである。
そしてその古いものは女峰山登頂後にピストンして戻っているようである。真新しい足跡を頼りに進む。 この足跡が無ければ、ルートを見つけるのにかなり苦労したことであろう。本日の先行者に感謝である。
ヤハズと書かれた標識を 10時5分に通過。左手奥に見える女峰山はまだまだ遠いし、その後方に青空は全く見られなくなっている。 しかも、この頃になると、徐々にガスが上がってくるようになり、時折 女峰山を隠すような状況になる。道程はまだまだ長いにも拘わらず、これは厳しい。

残雪を楽しみつつ、また残雪に苦しめられながら進む。
上空は完全に雲に覆われてしまっているが、時々雲の切れ間から日が差し込むという状態が続く。
しかし、その後は完全にガスが周囲を覆い始め、女峰山、あるいは進むべき尾根を隠す。
樹林の間を縫うように進み、あるいは目の前に広がる雪の廊下を楽しみながら進んで、やがて一里ヶ曽根に到着。時刻は 10時49分。 ここで休憩をとる。
ここは本来なら展望の良い場所なのであろうが、ガスが時々湧いてきてあまり展望を得られない。
10分程休んで出発。道はここから一旦下り、その先の高みに登った後、左へと続く尾根を辿ることになる。
その女峰山へと続く尾根の途中に大きな高みが前衛峰として立ちはだかっており、少々手強そうである。

折角稼いだ高度を吐き出すように下り、そこから再び雪の斜面を登る。 踏み跡を辿り、樹林の間を縫うように登って行くと、漸く女峰山へと一直線に繋がる尾根に合流する。 しかし、周囲はガスに囲まれ、時折先の方が真っ白になる。
ここからの道もあまり踏まれていないため手強い。装備としては 10本爪アイゼン、ピッケルを持ってきてはいるものの、 今はノーアイゼン、ダブルストックという状況でも問題ない。ここはむしろ、雪を踏み抜かないような道具が欲しいところである。 しかし、尾根は狭く、スノーシューでは嵩張りすぎだし、カンジキもちょっとバランスを崩してしまうところが多い。
木々が多いためであろう、踏み抜きは頻繁に起こるようになる。我慢しながら木々を押しのけるようにして進む。
小さなアップダウンを繰り返し、張り出した雪庇に気をつけながら進む。

足下の雪を踏み抜かないようにすることばかり考えながら進んでいたからであろうか、 それともガスで先がよく見えないことが多かったからであろうか、気がつくと周囲はかなりの急斜面になっている。
それでもそのまま登っていったのだが、ここが先程見えた難所の高みと気づいた時には既に遅く、アイゼンを着ける場所もなく、 手に持った 2本のストックも邪魔になるだけという状態で、そのまま急斜面を登らざるを得ない状況に追い込まれてしまったのだった。
仕方がないので、2本のストックは左手にまとめて持ち、岩や木の枝、木の根を掴みながらよじ登る。一番怖かったのが、 足下の雪が凍っていた所があったこと。足下が滑れば、そのまま急斜面を滑落である。
唯一自由が利く右手で木の枝をしっかりと掴み、2本のストックを握っている左手の指も使って、自分の身体を引き上げるようにして通過する。

悪戦苦闘しながら登り続けると、やがて雪の中にトラロープが現れる。 まさに命綱であるが、ロープを少し伝っていくと、ロープの上方は雪の中に消えてしまっていて、引っ張り上げても姿を現さない。
仕方なく、ロープと分かれて岩や木に掴まりながら登っていくと、再びトラロープが雪の中に現れた。それを掴んで身体を引き上げるようにして目の前のコブを越えると、 そこに女峰山へと続くほぼ一直線の尾根が現れたのであった。
漸く悪場の終了である。ホッと一息。
目の前に続く尾根道が何と素晴らしく見えることか・・・。

迂闊にもノーアイゼン、ダブルストックのまま急斜面に取り付いてしまった自分を罵るとともに、 後ろを振り返って、よくもまあ越えてこられたものだと感心する。
しかし、これで心が決まる。往路を戻るのは無理である。下山は二荒山神社へのルートを辿り、タクシーにて霧降高原戻るということにする。 体力、気力から考えても、今の急斜面を下り、さらに緩んだ残雪を進み、何度も出てくるアップダウンをクリアしていくのは無理である。

さて、悪場を越えたので天国へと続く道のように見えた尾根であるが、 それ程甘くはなかったのだった。
恐らくこの斜面はハイマツ帯なのであろう、雪を踏み抜く回数が急増したのである。目の前に女峰山が見えているにも拘わらず、 僅かの距離を進むのにかなり時間を取られるのである。
落とし穴が続くような残雪の尾根に悪戦苦闘しながら、その踏み抜き地獄をなんとかクリアしていくと、漸く目の前に頂上祠が近づいてきた。 ここからは祠の手前を右に進んで、頂上を目指す。ここも僅か 5m程の距離なのであるが、踏み抜きが頻発。最後まで苦労しながらの登頂であった。 時刻は 12時49分。頂上は誰もいない。
また、ありがたいことに、この頃になるとガスは一掃され、曇りの状況ではあるものの それなりに展望が得られる状態になってくれたのであった。
目の前に帝釈山、そして小真名子、大真名子が続く。その左右に男体山や太郎山も見えるが、やや霞み気味である。残念ながら奥白根山はよく見えない。 しかし、苦労して辿り着いた頂上だけに大満足である。

12時56分に下山開始。唐沢避難小屋方面を目指す。 ここまでノーアイゼンだったので、この後もアイゼン不要と考えていたのだが、意外に下り斜面は傾斜がきつく、仕方なく 10本爪アイゼンを装着する。
この下り斜面でも何回か残雪を踏み抜いて苦労する。
雪の斜面が終わるとガレ場の横断となるが、ここには全く雪がない。昨年の今頃はここも雪に覆われていたことを考えると、 今年は雪が多いというのはこの女峰山では当てはまらないようである。
アイゼンを脱いで足下の悪いガレ場を横断し、樹林帯に入る。ここからは雪の上を下ることにとなるが、アイゼンは不要。
そして唐沢避難小屋には 13時42分に到着したのだった。小屋の前で休憩。ここで再びアイゼンを装着する。

13時54分に避難小屋を出発。アイゼンを効かせながら進むが、 すぐに雪の無いガラ場の横断となりアイゼンをまた脱ぐことになる。 その後再び雪が現れたのでアイゼンを装着したのだが、この作業が結構疲れる。
ガレ場の横断の後は樹林帯が続くが、振り返れば、樹林越しに女峰山が見える。
樹林の中は雪道が続いており、こちらも結構踏み抜きが多い。特に、段差のあるところで少し勢いをつけて片足を下ろすと、 ほぼ間違いなく踏み抜くことになる。それでも道は緩やかなので足が進む。

後は記憶どおりの道が続くが、アイゼンをさらに 2回程脱着・装着することになったのには参った。
また、お馴染みの 「苦しけり されど登りたし」 の標識のある場所からは前女峰の左奥に女峰山の白い姿を見ることができたのであった。
遙拝岩を 15時25分に通過、八風は15時39分、白樺金剛は 16時16分、稚児ヶ墓は 16時49分、17時11分に殺傷禁断碑を通過し、 行者堂には 17時36分に到着したのであった。
後はノンビリと下って、市営駐車場前 (総合会館前) からバスにて東武日光駅まで行った後、そこからタクシーにて霧降高原へと戻ったのであった。 タクシー料金は 3,610円也。地獄になること間違いなしのピストン登山回避の料金としては格安と考えるべきであろう。

今回は会津駒ヶ岳を急遽取り止め、昨年に引き続き女峰山に登ったが、 思った以上に雪が残っており、かなり苦しめられるとともに、かなり楽しめた山であった。 残念ながら快晴とはいかなかったものの、長い残雪のルートを登り切ったという充実感も得られ、 またほとんど人に会うこともなかったこともプラスに働き、ほぼ満点に近い山行であった。


充実の日留賀岳  2014.4 記

4月16日、急遽年休をとって山に登ってきた。
サラリーマン故、土日を利用しての登山を基本としているのだが、ここのところ晴天が続いている中、 次の土日の天候はあまり良くないようであることから、グズグズしていると 狙っている山の残雪が融けてしまうと思い、 慌てて山に行くことにした次第である。

登った山は那須塩原の日留賀岳。
今年は雪が多く残っており、今なら雪の斜面を登って頂上まで達することができるらしい。
この日留賀岳は以前から興味を抱いていた山ではあったものの、高さは 2,000mに届かず (1,848.8m)、 頂上からの展望という魅力を除けば、火山といった大きな特徴もないようなので、大変失礼ながら わざわざ那須塩原まで出かけていく山なのかな との疑問も持っていたのであった。
しかし、残雪期の日留賀岳の写真を見て思わず惹き付けられてしまったのである。雪の斜面が下から頂上へとずっと続いている姿はかなり魅力的であり、 その雪の斜面を登ると思うと心が浮き立つ思いである。是非ともタイミングを逃すまいと 早速出かけることにしたのであった。

16日は 3時30分に横浜の自宅を出発。
見上げると、空に月や星は見えるものの何となくぼやけている。本日は快晴のはずなのにと思いつつ、計画は変えられないのでそのまま東名高速道横浜ICへと進む。
東名高速道から首都高速に入り、大橋JCTから東北自動車道を目指す。さすがに平日なのでトラックが多い。
東北自動車道を順調に進んでいくと、太陽が夕日のようにしっかりとした形を見せながら昇って来るのが見える。上空には青空が広がり、 雲一つ無いのだが、春霞というのか、全体的に周囲の景色は霞み気味である。それでも本日は山を楽しめそうな感じである。

西那須野塩原ICで高速道を下り、塩原温泉を目指す。
この道は尾瀬や会津駒ヶ岳に登るために何回も通っているので、かなり慣れ親しんでいる。なお、 ナビには登山口となる小山氏宅の手前にある松の井荘を目的地として入力している。
ナビに従って木の葉化石園入口のところを右折して箒川を渡る。塩原中学を過ぎると暫くして道が 2つに分かれるので、左の道に入る。 この分岐では日留賀岳を示す標識も確認できた。
道はすぐに松の井荘前となるが、目指す小山氏の自宅はさらに先である。
広々とした畑地を抜け、樹林に入るとやがて右に道が見えたので右折する。すぐに駐車場らしき場所が左手に現れたが、勢いでそのまま進んでしまう。
すると、細い丁字路にぶつかってしまい、Uターンもままならない状態になる。仕方がないので丁字路を左折して人家の方へと進んでみる。
ユックリと人家の庭先に近づいていくと、庭先につなぎを着た方が現れ、駐車場所を指定してくれるではないか。
庭先で Uターンをさせてもらうつもりだったのでビックリ。この方が日留賀岳を守っておられる小山氏であった。

恐縮しつつ庭の一角に駐めさせてもらう。身支度を調え、 6時21分に出発する。標識に従って小山氏宅の前を少し進み、玄関先に置かれていたノートに記帳する。
その際、小山氏から、上の方はかなり雪があるとの注意を受ける。ノートを入れてあるビニール袋には手書きの登山案内図も入っており、 一枚戴く。感謝。
家の脇を回り込むとすぐに鳥居が現れ、檜の林を登っていくことになる。祠を過ぎ、竹林、檜林の中を登っていくと、 やがて道は尾根の一部らしき場所に到着する。
標識に従って左折して尾根を進む。やがて山の神の小さな祠、そして日留賀嶽神社改築寄進芳名碑を過ぎると、 ジグザグに斜面を登っていくようになる。足下には落ち葉が多くあり、落ち葉のラッセルをしているようである。
暫く登っていくと、先の方に送電線の鉄塔が現れ、その真下を潜り抜けると林道に飛び出した。時刻は 6時54分。

林道を右へと進むが、この林道歩きが結構長い。 ただ勾配がほとんどないのがありがたい。
林道の山側は崩れかけている所が多く、崩れ落ちた岩が林道のそこかしこに散らばっている。
林道歩きがあまりにも長いので、途中 立ち止まって小山氏宅で戴いた手書きの地図にてルートを確認する。そこには林道歩き 25分、 林道終点まで進むように書かれており、一安心。
林道の終点は小さな広場になっており、登山道はその左端から左手に進むようになっている。ただ、まっすぐ進む踏み跡もあり、 その左方を見ると樹林越しに山が見える。あれが目指す日留賀岳かもしれないと思い、写真を撮るべくまっすぐに進んでみる。
樹林越しに、山腹にかなりの雪を抱いた山が見え、頂上へと続く稜線にも雪があるようで、テンションが上がる (しかし、 実際はその山が日留賀岳かどうかはハッキリしなかったのだが)。

登山道に戻り、ほぼ平らな樹林帯の中を進む。所々に残雪が見られるものの、 登山道上で雪を踏むことはない。
とはいっても、やがて残雪を横切って右へと進むことになる。しかし、残雪で道が見えなくなった途端にどちらに進むのか分からなくなり不安になる。
本日は視界良好なので、残雪の向こうにある道を発見できたが、視界が悪かったりすると苦労するに違いない。木に取り付けられたテープが頼りである。
ほぼ平らだった道もやがて斜面の登りにかかる。ここでも斜面に雪は全く無い。ぐるりと 三方を囲まれた擂り鉢型のようなカラマツの斜面を大きく蛇行しながら登っていく。 斜面に雪があれば直登できそうな感じである。
登り着くと道は左に折れて尾根上の道が続くようになる。ここも傾斜はそれ程きつくはないが、結構長い。

少し傾斜がきつくなってきたかと思うと、足下に雪が現れるようになる。
右手前方には、樹林越しに 本日目指す日留賀岳と覚しき山の姿が見えるようになる。頂上へと向かう尾根上に雪がタップリあるように見え、 テンションが上がる。
やがて斜面は完全に雪に覆われる状態になるが、広い斜面のため、途端にルートが分かりにくくなる。
テープもまばらになり、少々戸惑う。右の方に目指す日留賀岳と思われる山があり、そこから左に延びている尾根に乗れば良いと思われるので、 目の前の斜面を登り切って、その尾根に合流すれば良いはずと検討をつけて登り続ける。
ようやくテープを発見してルートが間違っていなかったことを確認したが、ちょっとドキドキものであった。
そこからもテープは少なく、やや戸惑ったが、右の方に向かって尾根上を進めば良いはずなので、適当に検討をつけて進む。

やがて、目の前に 2基の木の鳥居が現れたので一安心。
鳥居を潜って暫く進むと、道は一旦下りになる。下った所から待望の斜面の登りが待っているようである。
雪は締まっているものの、気温が高くなってきているので表面は融け気味で、少々滑りやすい。アイゼンを装着しようかとも思ったが、 何とか下れそうだったのでストックを使ってバランスを取りながら下る。
下り着いた所からは雪の緩やかな登りが続くようになる。雪の左側は木々やササヤブの壁になっており、 雪の右側は斜面となって下っているので、まるで雪の廊下が続くようである。
右側の斜面に突きだしている雪を見ると、かなり量が多いことが分かる。また、雪庇というか、 斜面に突きだした雪の下がかなり内側に抉れており、進む場所を間違えないようにと言い聞かせながら進む。

雪の廊下は緩やかな傾斜が続き、 その先の方で一旦下りになっているようで、廊下が見えなくなっている。そして、その先、間に木々を挟んで、 頂上と覚しき高みまで続く雪の廊下が見えている (樹林越しで完全には見えないが・・・)。
この光景を直に見ることができただけでも来た甲斐があったというものである。

太陽は真上にあり、雲もほとんど無いので、雪がキラキラ輝いて眩しい。
暫く進むと、左手のササヤブ、そしてその向こうの樹林越しに面白そうな山が見えてきた。後で七ヶ岳と知ったのだが、高さはあまりないものの、 横に長い山容を持ち、その切り立ったような斜面に雪がかかって滝のような風情となっている。
その山の写真を撮るべく、ササヤブに踏み込んでいくと、何とササヤブの向こうに登山道があるではないか。それも登山道上に雪は全く無いのである。
これには本当にビックリさせられた。今まで歩いてきた雪の上のルートは冬季・残雪期限定だったようである。
せっかく正規の登山道が見つかったので、今度はそちらを歩いて見る。こちらは滑ることもないのでかなり早く歩けるようになる。
しかし、やがて登山道上にも雪が時々現れるようになり、しかも木の枝が煩い所も出てきたので、また再び雪の斜面に復帰する。

目の前に広がる雪の斜面は、徐々に傾斜が急になってかなり手強そうであるが、 アイゼンを着けないまま登っていく。
少し傾斜が厳しい所では登山靴を雪に蹴り込んで足場をしっかり確保しながら登るので、結構時間を要する。
体力的にもキツくなってきたが、斜面に足跡などなく、自分だけが登っているという状況のため、結構 テンション高く登っていける。
急斜面に体力を消耗しながら漸く登り着いた高みは残念ながら頂上に非ず。左の方に尾根は続き、ここも高みに向かって雪の廊下が延びていて、 距離も結構ある。
少しガッカリしたが、仕方がない。むしろ、素晴らしい雪の回廊をまだまだ進めることを喜びたい。
風は結構強いものの、本日は暖かいので却って心地よい。

息を切らせながら斜面を登る。右側はかなり急斜面になっているので、 万が一滑落したら助からないであろう。
その高みに漸く登り着くと、ここも頂上に非ず。さらに先に高みが見える。しかし、先程のように距離がある訳ではなく、 暫く登っていくと頂上祠が見えてきたのだった。日留賀岳頂上に到着である。時刻は 11時12分。
小山氏宅から 5時間近くを要したことになる。雪があったとは言え、手書きの地図には登り 4時間と書かれているのでガッカリである。

あまり広くない頂上には祠の他、2等三角点、そして天皇御即位記念の碑が立てられている。 その記念碑の土台に腰掛けて昼食をとる。
周囲に遮るものがないだけにここからの展望は素晴らしい。しかし、やはり気温が高いからか、遠くの山は霞み気味でよく見えない。 先程見た七ヶ岳、その後方にも白い山が見えるが同定する程ハッキリはしていない。
そこから右に目を向ければ、雪の回廊ができてこの時期が登山チャンスと言われる大佐飛山が少しだけ見える。
また、後ろを振り返れば、ここに至るまでにも良く見えていた高原山が見える。

頂上を 30分弱程独占した後、11時39分に下山を開始する。
下山にあたり、今度は正規の登山道を通らずに雪の回廊を下り続けることに決め、そのため、安全を考え 10本爪アイゼンを装着する。
気持ち良く雪の斜面を下る。ニセ (失礼) のピークを 2つ過ぎ、右に曲がって大斜面を下る。
途中、斜面を横切るササ原が行く手を阻んだが強行突破し、最後まで雪の斜面を下りきったのだった。
そこから登り返すと木の鳥居である。鳥居を潜って暫く進むと、今朝程少々迷って場所を通過することになる。
小さなピークに登り着くとそこにはテープがあったが、そこから尾根が右と左に分かれているのでドキッとさせられる。 どちらの方向にもテープは見つからないので、今朝の記憶を辿り、左側の尾根を下っていく。
しかし、ここからもルートが分かりにくい。テープを探したが見つからず、時々自分の足跡を見つけては安心するといった状況で下っていく。
見覚えのある倒木などを頼りに下っていったのだが、やはり周囲の状況をしっかりと記憶に残しておくことは重要である と心から思った次第。 漫然と歩いていてはいけない。
目の前にササ原が迫り、その隙間を抜けていくと、雪は無くなり、登山道に復帰。この間、ピンクリボンは 1つしか見つけられなかったのであった。 残雪が多い場合、ここは難所である。

後は淡々と往路を戻るのみ。しかし距離が長い。急な斜面はないが、 距離が本当に長い気がする。
尾根を下り終え、林道終点に到着したのは 14時2分。ここで小休止。ここからの林道歩きも長い。
鉄塔の下を潜り、そこからまた下り続け、小山氏宅に到着したのは 14時52分であった。
帰り際に小山さんにお礼を述べ、少しお話しをさせて戴く。
雪の斜面の素晴らしさ、雪庇の状態などのことを話し、短いながらも楽しい時間であった。

本日は急遽会社を休んで日留賀岳に登ったが、 それだけの価値がある素晴らしい山であり、山を独り占めできたのも嬉しい限りである。
なお、下山途中、難所となった残雪地帯の次に出てきた残雪のある場所で、小生以外の下山の足跡を見つけた。
小山さんにお聞きしたら、小生の後から登っていった方がおられた由。しかし昼前には下山されたとのこと。 どうやら、小生が迷った残雪の斜面で引き返されたようである。


病癒えての残雪の山  2014.3 記

1月24日の男体山登山以来 2ヶ月間も山に行っていない状態が続いている。
理由は色々あるのだが、大きいものとしては 2月の大雪により自宅近辺の雪かきに追われ、登山どころではなかったこと。 そして、その後も、その大雪によって登山口までの車によるアプローチがなかなか難しかったことなどが上げられる。
しかし、何といってもこの期間に山に行けなかった最大の理由は、咳喘息なるものを患ってしまったことである。咳喘息とは、 風邪や気管支炎など呼吸器に炎症が起きた後に現れることがある症状で、強度、頻度の違う咳が断続的に出る (喘息と違って咳だけ) という疾患である。
小生も、風邪を引いた後、とにかく咳がひどくなり、最終的にはステロイド剤の吸引によって何とか快方へと向かったという状況で、 治るまでに 1ヶ月半以上もかかってしまったのである。

そして、漸く何とか咳喘息が治癒したこの 3月の 3連休、 山に行ける状態になったという次第である。
さて、行き先であるが、勿論狙うは残雪の山、そしてそれなりの高さがある山にしたいところである。2ヶ月間も山に登っておらず、 その間、咳喘息で運動も全くしていなかったため、ハードな山行となるのには少々躊躇してしまうが、 一方で、まだ雪が締まっていると思われるこの時期を逃したくないということで、若干の不安はあったものの奥秩父の甲武信岳に登ることにした。
2,500m近い標高を持ち、さらに残雪が多いことが予想され、加えて登山口へのアプローチがノーマルタイヤの車でも問題がなく、 しかも自宅からそれ程遠くないというのが決め手である。

3連休の最終日となる 23日、横浜の自宅を 4時半に出発する。 空は雲一つ無く、間違いなく本日は快晴のようである。
国道16号線を進み、何時もどおり途中から町田街道に入って圏央道高尾山ICへと進む。圏央道に乗り、 八王子JCTからは中央道へと入って勝沼ICを目指す。
中央道を進む途中、富士山がよく見え、さらには笹子トンネル、日影トンネルを抜けると、南アルプスの山々も目に飛び込んできたのでテンションが上がる。
勝沼ICからはナビに従って進み、最終的に雁坂みち (国道140号線) へと入る。春が近いのであろうか、 途中見える南アルプスの山々はやや霞み気味である。
しかし、目的地である西沢渓谷が近くなってくると、車載の温度計は 0度を示すようになり、左右に見える山の斜面、 そして道路脇には雪が多く見られるようになる。極めつけは広瀬湖で、その湖面は凍っているようであり、春はまだまだという感じである。

何時もどおり道の駅みとみに車を駐車し、身支度をして 7時3分に出発する。 みとみの駐車場には雪が多く残っており、車が駐車できない状態の箇所も多い。2月の大雪の際、この辺はかなりの積雪があったことが想像される。
雁坂みちを横切り、西沢渓谷への林道に入る。林道では途中から残雪が多く見られるようになる。法面下に横たわる子鹿の死骸にドキッとさせられた後、 近丸新道の登山口を過ぎ、徳ちゃん新道入口に到着したのは 7時32分。
本日は少々暑くなりそうなので、西沢山荘前のベンチにてアウターの下に来ていたフリースを脱ぐ。
西沢山荘の横から林の中に入る。足下には結構雪があるものの、尾根に登るとほとんど雪は見られなくなる。左手を見れば、 樹林越しに鶏冠山の尾根が見え、その後方に青空が広がっている。久々の登山ではあるが、今のところ快調に足が進む。

高度を上げていくに連れ、尾根道といえども足下に雪が現れ始め、 1,619m地点を越えた後はずっと雪の斜面が続くことになる。
やがて、周囲は徳ちゃん新道の特徴でもある石楠花の林となるが、足下の雪の量はそれ程多くないため、石楠花が邪魔になることはほとんどない。
石楠花の林を抜け、明るい尾根に登り着くと、富士山、黒金山が良く見えるようになる。また、今朝程その脇を通った広瀬湖の凍った湖面も見える。 その広瀬湖を中心とした山間 (ヤマアイ) はほとんど雪に覆われていて白と黒の世界となっており、やはり春は遠いという感じを受ける。
しかし、一方で、この尾根上では、風がやや冷たいものの、日差しが暖かく、春が近いことが感じられる。

尾根を進んでいくと、本日 3人目となる登山者 (いずれも下山者) に会う。
聞けば、この先に鹿の死骸があるとか。良い情報を戴いた。そのまま何も知らずに進んでいたらかなりドキッとさせられたことであろう。 鹿の死骸が横たわる所とは岩を挟んで反対側を進み、何とか鹿の死骸はチラ見で済ます。
その先暫く登っていくと、やがて近丸新道との分岐に到着。時刻は 9時39分。ここで休憩するつもりであったが、 そこのスペースは大学生 ? のパーティーに占領されていたので、そのまま通過することにする。
足下の雪の量は徐々に多くなり始めるが、アイゼンは不要。そして雪の上に足跡は明瞭で、そこを外さない限り雪を踏み抜くことはない。
ただ、雪によって足下が本来の登山道からかなり嵩上げとなった状態となっているため、石楠花のトンネルを抜ける際に、 胸から上の部分に石楠花の葉や枝が当たり、進行の邪魔をする。丁度、鶏冠山から木賊山へと進む際の石楠花の群落のように、 手でかき分けながら進まねばならない。
おまけに、一旦融けた雪が凍っている状態も頻繁に現れるようになり、かなりのロスが生じるようになる。 アイゼンを装着すれば楽だったのであろうが、装着は面倒との気もあってそのまま進む。

周囲はやがて石楠花の林から、やや細いながらもコメツガなどの林に変わる。 斜面をジグザグに登っていくのだが、林の中になると凍った斜面も多くなり、かなり足の進みが鈍くなる。
斜面の先を見上げると、樹林越しに稜線と青空が見えるのでオッと思うが、この道は何回も登っており、 木賊山の尾根はまだまだ先であることが分かっているのでそう簡単には喜べない。
実際、登り着くと、先の方に木賊山の稜線が見える。まだまだ遙か先であり、時間がかかりそうである。
周囲の木々は徐々に太くなり、斜面は果てしないような感じで続く。黙々と登り続けるしかないが、 駐車場を出発してから全く休憩していないので、かなりバテが出始めている。しかし、周囲は雪のため休むに適した場所はなく、 こうなると木賊山の尾根近くにあるガレ場に出るまで休めないなとの覚悟を決め、黙々と雪の斜面を登り続ける。

そしてようやく待望のガレ場に到着。時刻は 11時35分。 日当たりが良いので、岩が露出しているのかと思っていたのだが、意外に雪が多く、休憩に適した場所は限られてしまっている。
登山道脇の岩に腰掛けて休憩とする。ここからの展望は抜群で、最早明るい日差しの中に霞み気味ではあるものの富士山が見え、 さらには黒金山、国師ヶ岳+北奥千丈岳、そして金峰山、その左奥に間ノ岳が見える。
食事を終えた後は、10本爪アイゼンを装着する。結果的には 6本爪の軽アイゼンで十分であったが、 本日は 10本爪しか持参していない。

再び樹林帯に入り斜面を進む。この頃になると、 例の左膝が痛み出すとともに、左足の付け根の外側も痛み始め、歩行にやや支障を来し始める。痛さを我慢しながら登り続けていくと、 ようやく先の方に木賊山の稜線 (戸渡尾根への分岐点) を示す標識が見えてきた。その分岐を左に曲がり、 ほぼ平らな尾根道を進む。
途中にあるはずの木賊山の標識は雪の下らしく、思い描いていたのとは別の方向標識がわずかに雪の上に顔を出しているだけであった。
そこから少し下り樹林帯を抜けるとついに甲武信岳が姿を現す。
ここで大きな失敗をしてしまった。甲武信岳の姿を見ようと急いだ余り、石楠花が邪魔する所を強引に通りぬけたところ、 左側から黒い物が小生の腹の前を横切り、右手の斜面をコロコロ転がって行くではないか。何かと思って転がっていった方向を見ると、 首から吊しているカメラのレンズフードで、どうやら石楠花に引っ掛かってレンズから外れてしまったらしい。慌てて追いかけようとしたが、 黒いレンズフードは雪の斜面を軽快に転がっていき、あっと言う間に斜面の遙か下へと消えてしまったのであった。
恐らく、そちらには木賊山と甲武信小屋を結ぶ巻き道があるはずだが、今は雪の中。泣く泣く回収を諦めたのであった。

閑話休題。ここから眺める甲武信岳は定番であり、何回も撮影しているが、 やはりその素晴らしさに息を呑む。
雪の斜面を下り再び樹林帯に入る。夏道は尾根を避けてその下方につけられているはずなのだが今は雪の下。道は尾根上を進み、 幕営地と思われる場所へと飛び出す。そこから樹林帯の斜面を下れば甲武信小屋である。時刻は12時37分。
小屋の写真を撮った後、休まずに甲武信岳へと向かう。登りになると、先程来の左足の付け根が痛み出し、なかなか足が進まない。
途中、道がジグザグにつけられているところを、ショートカットして直登した跡があったため、小生もそれに倣って直登する。 しかし、足が痛い身にとってはこの直登はかなりきつかった。
帰りは正規の登山道を下ったが、登りもその道を使った方が楽だったように思われる。まさに急がば回れである。

直登して登り着いた所は森林限界で、展望は抜群。振り返れば先程通ってきた木賊山が大きく、 その左奥には破風山、そしてそのずっと先には雲取山も見える。
また、富士山や北岳、間ノ岳も見えるが、最早 周囲の明るさに紛れ気味である。その代わりに八ヶ岳の姿が素晴らしい。
そして、その岩場から暫く斜面を登っていくと甲武信岳頂上であった。青空に 「日本百名山甲武信岳」 と書かれた大きい標識が映える。 時刻は 13時4分。かなり時間がかかってしまったが、そのお陰で頂上には誰もいない。
標識前のベンチには雪が無かったため、そこに腰掛けて暫し休憩。風が結構強く、また少々冷たかったものの、周囲の景色を大いに楽しむ。
ここからはやはり八ヶ岳が素晴らしく、また甲武信岳の隣にある三宝山の左奥には浅間山も見えたのであった。

13時17分に下山開始。黙々と、登ってきたルートを下る。
足が痛いため木賊山への登り返しは辛かった。戸渡尾根への分岐からはほぼ下り一辺倒。下りの際には足の付け根はあまり痛くないため普通に下ることができる。
しかし、この下りはかなり長い。よくもまあこんな長い道のりを登ってきたものである。
近丸新道と徳ちゃん新道の分岐には 15時15分に到着。ここでアイゼンを外す。
鹿の死骸を避け、尾根道を黙々と下り、徳ちゃん新道の入口に下り着いたのは 17時3分であった。
そこからは林道歩きであるが、さすがにこの頃になると疲れが出てペースが上がらない。全身に疲れを感じながら 17時36分に駐車場に到着。
この時期、道の駅みとみは開いていないようで、駐車場には男女 1組の登山者が居ただけであった。甲武信岳では会わなかったので、 どこか違う山に登ったのであろうか。

本日は 2ヶ月ぶりの登山となり、またかなり体力的にきつかったが、 一日中晴天に恵まれ、久々の山を楽しむことができたのであった。感謝。
さらには、人にもほとんど会わない、静かな山行を楽しめたのが大変良かった。
足や膝が痛むなど、年を取るにつれて身体に問題が生じ始めているが、これからも山に行こうという気にさせられた山行であった。


2014年最初の登山では罰が当たる  2014.1 記

前回のこの欄で書いたように、左膝の痛み、ならびにそのことによるプチ山鬱状態 (少し足に自信がなくなると、 寒く辛い思いまでして山に行く気になれないという心理が働き、重い腰がなかなか上がらない) により、 1月も終わろうとしているにもかかわらず、2014年の登り初めは未だ実行されていない状態となっている。
しかし、いくら山鬱状態といっても、毎日真っ白な富士山や丹沢の山々を見ながら通勤していると、少しずつ山に登ろうという意欲も湧いてくるもので、 1月最後のチャンスとなるこの週末、ようやく山に行く決心がついたのであった。

さて、行き先であるが、色々考えた末、日光の男体山に登ることにした。 昨年末、中善寺温泉バスステーションや茶ノ木平から見たその姿が非常に魅力的だったことが一番の理由であり、 さらにはこの厳冬期でも登りやすい山という印象があるからである。
しかし、ご存じのように、この時期 男体山は入山禁止なのである。小生の勝手な解釈では、浅間山や焼岳南峰は安全上の理由から登山禁止、 そして男体山の方は男体山を御神体と崇めている二荒山神社 (男体山もその境内地) が御神域に対する登山時期を限定しており(5月5日〜 10月31日)、 この期間以外を入山禁止としているものである。
従って、法的にどうなのかは別として、前者はいわゆる自己責任という名の下に登山は可能のような気もするのだが、 後者については宗教的な禁を破るのが大変後ろめたい気がする。ということで少々悩んだものの、後ろめたさよりも素晴らしい山に登りたいとの気持ちの方が勝ち、 25日の土曜日に登ることにしたのであった。

横浜の自宅を 3時過ぎに出発する。空を見上げると曇り気味で星は見えない。 少々嫌な予感がする。
横浜ICから東名高速道に乗り、首都高速・大橋JCTを経て東北自動車道に入る。道は空いており快調。やがて日光宇都宮道路に入ると、 車載の温度計はマイナス 1〜2度を差し示す。ただ、ありがたいことに上空に雲は無くなり、本日は天気予報どおり晴れになりそうである。
日光ICで高速を下り、いつもどおりJR日光駅横にある市営駐車場に車を駐める。時刻は 5時53分。 頑張れば 6時10分のバスに乗れないこともなかったのだが、トイレなどもあって 6時半のバスに乗ることにする。
東武日光駅の待合室で時間を潰し、6時半のバスにて中善寺温泉へと向かう。貸し切り状態のバスの中ではほとんど寝ていたのだが、 時々見た景色から判断すると、昨年末と比べ日光市街、いろは坂等の雪は少なくなっているようである。
7時10分頃に終点の中善寺温泉に到着。待合室を利用して本格的な身支度を調え、ついでにトイレも利用させてもらい、 7時25分に中善寺温泉を出発する。

見上げれば男体山が美しい姿を見せてくれており、 テンションが上がる。
国道120号線を横断し、商店の脇を抜けて国道より一本奥の道に入る。この道を二荒山神社方面へと進んで、 県営湖畔駐車場の建物を目指す。湯元温泉まで行くバスであれば、郵便局前で下車するのが最も近いようであるが、 やはり中善寺温泉の待合室で身支度をした方が寒さも防げ、トイレもあるので便利である。
県営湖畔駐車場の建物を過ぎ、建物横の駐車場への入口となる道路を曲がる。男体山に登るにはこの道路の横にある側溝を渡って林に入ることになるので、 すぐに道路脇の土手に登り、側溝に架かる木の板を渡る。ここからは足下に雪の残る道を進むことになる。

当初、男体山登山道へと続く道が分からないのではと不安だったのだが、 道は明瞭、雪の上に踏み跡もしっかり残っており迷うことはない。硫黄臭のする場所を過ぎ、中禅寺湖半を走る国道と並行するようにして林の中を進む。
やがて左下に二荒山神社宝物館の建物が見え、さらにはかつて利用させてもらった男体山登山者用の駐車場も見えてくる。 するとすぐに目の前に入山禁止の立て札が現れる。しかし、ここは目をつむって通過させてもらう。その立て札から少し先で、 左下の二荒山神社登拝門から続く階段の途中に合流することになる。ここまで来れば後は何回か通った道なので安心である。

右に曲がって階段を昇る。すぐに遙拝所に着き、一合目の石碑を確認する。
石の鳥居を潜り、雪の道を登っていく。ここからは広い雪の斜面をひたすら登ることになるのだが、雪の上の踏み跡は多数。 皆 結構いい加減に登っているようである。
一面の雪といってもアイゼン無しで問題なく登っていけるが、この後 本格的な登りになったら途中でアイゼンを装着するのは難しいかもしれないと考え、 平らな場所で10本爪アイゼンを装着する。後はひたすら斜面を登り続ける。
雪はしっかりと踏み固められているのでアイゼンが良く効く。やがて林道に飛び出すが、そこには三合目の石碑が建っていた。 斜面をいい加減に登ったので二合目の石碑は見落としてしまったようである。
本来ならばここから林道を歩くべきなのであるが、見上げるとすぐ上の方にも道路の法面が見える。林道の方は大きく右の方へと進んでまた戻ってきているようなので、 ここは石碑の左側を登ってショートカットさせてもらう。
すぐに再び林道へと飛び出し大分時間を節約できた気がするが、左膝のことを考えると林道歩きの方が膝への負坦は少ないと考え、 これ以降は林道を歩くことにする。

林道も一面の雪という状態であるが、多くの登山者に踏まれ、 歩く部分はしっかり踏み固められている。2回程大きく蛇行しながら高度を稼いでいくと、やがて先の方に建物が見えてきた。 その先には石の鳥居も見える。
建物は社務所であり、ここは四合目である。ここで先行の 2人に追いつく。
このまま先に進もうかと思ったが、かなり空腹を覚えたので休憩することにする。コロッケパンを食べ、ペットボトルのお茶でノドを潤す。 本日は暖かいようで、ペットボトルのお茶も丁度良いくらいの温度である。
5分程休んで出発。この間、後から林道を登ってきた 1名に抜かれる。同じく休憩していた先行の 2人を抜いて進む。
鳥居を潜り高度を少し上げると、中禅寺湖、社山方面がよく見える。天候の方は時折日が差すものの、薄曇り状態で残念ながら青い空は見えないが、 視界は十分に得られる状況である。

鳥居を潜ってからはジグザグに急斜面を登ることになる。 ここから六合目手前までは、要所に鉄パイプで作られた手すりがつけられており、安全に登っていける。
足下の雪は良く踏み固められていて全く問題なく、調子が良ければ夏山と同じようなペースで登っていくことができる。
思うに、この男体山は、毎日どなたかが登っているため、登山道上の雪はしっかり固められ、余程のドカ雪が降らない限り、 かなり安全に登っていける山のようである。また、南側を向いた斜面を登り続ける道であることも、この好コンディションを作り出しているのであろう。
むしろ、昨年末に登った茶ノ木平の方が、800mも低いながらも雪の上に踏みがなかったため、よっぽどキツイくらいである。
ジグザグに登って高度を稼いでいくとやがて五合目の避難小屋に到着。休むことなくそのまま登り続ける。この五合目上部からは観音薙の一部と 思われる場所を登っていくようになる。
先に述べた鉄パイプ製の手すりが終わったと思ったら、再び視界が開けるようになる。中禅寺湖がよく見え、社山、半月山方面、 そして昨年末に登り損なった薬師岳方面がよく見える。

やがて見上げる斜面の先に大岩が見え、その岩の上に六合目の石碑を確認する。 その岩の下を横切ると、道は樹林帯へと入ることになり、暫く樹林帯の中をジグザグに登っていくことになる。
思ったよりも長い樹林帯の中の登りが終わると、今度はそれこそ観音薙を登っていくことになり、足下に岩が目立つようになる。
下を見下ろせば、先程追い抜いた 2人の他、2人の若者も登ってきている。膝の方はありがたいことにあまり痛みを感じないが、 問題は下山後どうなるかである。
急斜面を狭い幅でジグザグに登っていく。やがて見上げると、先の方に小屋が見えてきた。七合目避難小屋である。 避難小屋には 10時10分に到着。ここで休もうかと思っていたのだが、先程四合目のところで追い抜いていった方がアイゼン装着をしていたので、 そのまま上へと進み、上の方の岩場で休憩してノドを潤す。
休憩ついでに、斜面がかなり急になってきているのを考慮して、これまでのストックからピッケルに持ち替える。これが結果的には大失敗であった。 確かに急斜面の登りではピッケルが役立つこともあったものの、多くの場合、周辺の雪がフワフワで、ピッケルがそのまま下まで突き刺さってしまうことが多かったからである。
すぐにまたストックに持ち替えれば良かったのだが、面倒臭く思ってそのままピッケルを持ち歩く。

やがて鉄製の鳥居が現れ、その下を潜る。雪が多く積もっているので、 かなり腰をかがめる必要がある。鳥居に付けられていたしめ縄と紙垂 (しで) は結構新しかったので、 新年を迎えるにあたって付け替えられたのであろう。
鳥居を潜って暫く登ると建物が現れる。瀧尾神社の社務所である。ただ肝心の神社の方は雪に埋もれてしまっているようである。 ここは八合目。時刻は 10時47分。
この瀧尾神社を過ぎると、再び展望が得られるようになり皇海山も見ることができるようになる。
暫く急斜面を登っていくと、やがて道は緩斜面の登りに変わり、ある程度楽な道が続くようになる。周囲の雪はかなり多くなるが、 良く踏まれた部分は固まっており、問題なく進んでいける。ただ、少しでも踏み跡を外すと、ズボッと潜ってしまうことが多く、油断大敵である。

道は緩やかな登りとなったものの、なかなか足が進まないようになる。 ここではピッケルは完全にお荷物、ストックが一番適しているが今更代えるのも面倒。
また、久々の登山でもあり、まともに斜面を登り続けるのは昨年 11月の麦草岳以来となり、さらには間に正月を挟み、 身体の方は相当鈍ってしまっているようで身体が重い。
九合目がなかなか現れないので、もう通り過ぎてしまったに違いないと思っていたら、暫く先で九合目の石碑を見る。こういうのは精神的に応える。 かなり疲れているので休みたいが、一面雪の世界であり、道をはずすと雪に潜ってしまうので、そのまま進むことにする。
本日はかなり気温が高いようで、身体の方はかなり汗ばんでいる。水分補給が必要と分かっているが、なかなかチャンスがない。 九合目の少し先で後から来た若者 2人に抜かれるが、今は頑張る気力が全く湧かない。

長かった道もようやく森林限界を越えるようになり、 周囲は火山独特の赤茶けた岩場の道となる。この辺は風も強いのであろう、緩やかな斜面であるにも拘わらず足下に雪はあまりない。 その代わり展望の方はグッと開け、奥白根山、錫ヶ岳、皇海山、さらには浅間山もうっすらではあるが見えるようになる。
あまり風は強くないものの吹き曝しであること、もうすぐ頂上と分かっていることからそのまま休まずに進んでいく。
途中、下山者と擦れ違ったので少し話をする。晴れとは言えない状況ではあるが、展望は良く、富士山も見えたとのこと。ただ、 この時点では見えるはずの方向に富士山を確認することは出来ない。

燧ヶ岳や会津駒ヶ岳も見えるとのことだったので、 頑張って頂上を目指そうとしたところ、何と突然右の太腿の外側がつってしまったのである。
こういう状況は 1990年にえびの高原から霧島山系を縦走した後、最後に高千穂河原から高千穂峰に登ろうとした際に起こって以来のこと。 足が攣って前に進めない。
少しストレッチをした後、右足をまっすぐ前には出さずに 右の方から回すようにして前に出すと何とか歩けるようになる。 しかし、このアクシデントでスピードは激減、痛みもあって辛い思いをしながら、休み休み登り、やっとのことで頂上の一角に辿り着いたのであった。 時刻は 11時59分。禁を犯して登ったことで罰があたったのかもしれない。

頂上について傾斜がなくなると、何とか足の攣りも収まったので、 天を突くように立つ刀剣、そして三角点のある方へと向かう。ここからは今まで見えなかった山々が見えるようになり、気分が晴れる。 女峰山、大真名子山、小真名子山、太郎山、奥白根山といった日光の山々の他、 少し周囲の空に紛れ気味ながらも至仏山、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳を確認することができたのであった。

頂上の社務所に戻り建物の陰で食事とする。テルモスに入れてきた紅茶がうまい。 水分不足から太腿が攣ってしまったのであろうか、無性に水分が欲しくなり、結局テルモスに入ったお茶を全部飲み干してしまう。
それにしても今日は暖かいようである。手袋を脱いでいてもすぐに手がかじかんでしまうというようなことはない。頂上で 50分程を過ごした後 下山開始。 ここは登りの反省を踏まえ、再びストックに持ち替える。
ところがである、暫く下るとまたまた太腿が攣り始めたのである。しかも今度は先程の右太腿の表側に加え、左太腿の裏側まで攣り始める始末。 こんな経験は初めてである。水分不足を起こしてしまったのか、それとも年齢によるものなのか、はたまた何か悪い病気の兆候であろうか、 いやそれともまさに天罰覿面ということであろうか・・・。
両方の太腿の中に暴れる生き物がいるような感覚を持ちながら何とか足を進める。幸い攣った状態はすぐに治まってくれたが、 本当に痛く辛かった。
何とか足を騙しながら下り続ける。途中、富士山を見ることができたのは大変良かったが、辛い下りであった。

さらには、四合目まで下り、登りの時と同じ場所で休憩すべく岩の上に腰を下ろすと、 何と再び両太腿が攣り始めたのである。立てば攣らないのだが、腰を下ろし、足を曲げると攣ってしまう。
仕方なく、ここは立ったままで休憩する。少し痛みが治まったところで林道歩き開始。何とかその後は太腿が攣ることは無かったが、 今後の登山が心配になるできごとであった。
往路を忠実に辿り、県営駐車場には 15時12分に戻り着く。なお、アイゼンの方は一合目の遙拝所にて外す。
駐車場の建物の一角を借りて着替えを行い、そのまま中善寺温泉バスステーションに向かうと、タイミングの良いことに 15時35分発のバスが駐まっているではないか。 乗り込むとすぐにバスは発車、本当にラッキーであった。
座席に座っても太腿が攣ることもなく、ようやく一息ついたのであった。

本日は、禁を破って登山したために罰を受けたかのような出来事があったものの、 展望に恵まれ、膝の痛みもそれ程気にせずに登ることができた。
2014年の登り初めとしてはどう評価すべきか難しいところであるが、気分的にはまた前向きに山に取り組みたいと思わせてくれる山行だったので、 良しとしたい。


2013年最後の山行は撤退に終わる  2014.1 記

ご挨拶が大変遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

さて、ホームページの更新を 1ヶ月以上もサボっており、 また 11月24日に登った中央アルプス麦草岳の登山記録も未だアップしていないといった状態が続いていて (今回漸くアップ)、 本当に心苦しい限りである。
山の方もほとんど行っておらず、昨年 12月の 3連休、そして正月休み、1月の 3連休など、 好天に恵まれたにも拘わらずパスするという状況が続いている。
理由は例の左膝の痛みであるが、実際はそれ程重症という訳でもなく、ハードな山でなければ登ることができる状態なのである。
しかし、少し足に自信がなくなると、寒く辛い思いまでして山に行く気になれないという心理が働き、重い腰がなかなか上がらない。
山は好きであるものの、時々こうして山に対するプチ鬱状態になる。これは小生には良くあることなのであまり気にしていないのだが、 そのことでホームページの更新が滞るのは少々耐えられないところである。
無論、ホームページ更新のために山に登っている訳ではないのだが・・・。

さて、11月24日の麦草岳登山から約 2ヶ月が経とうとしているが、 この間、全く山に行かなかったということではなく、実際には昨年の 12月29日(日)に山にトライしている。 ただ結果は途中撤退という結果に終わってしまったのである。
トライしたのは昨年の登り初めとなった日光の薬師岳・夕日岳・地蔵岳。登り初めと登り納めを同じ山にするのもなかなか粋ではないかと考えたのだが、 先に述べたようにこれが見事失敗で、雪の多さに目論見は大きく崩れ、茶ノ木平で引き返すという状況となったのである。
そして、そのことがまた心を凹ませているという次第である。状況は以下の通り。

山に雪が多くなってきたことを踏まえ、スノーシューを使っての登山をしたいと考え、 すぐに思い浮かんだのが日光の薬師岳、夕日岳、地蔵岳である。
2013年登り初めの山々であるが、登り納めに再び同じコースを辿るのもなかなか粋ではないかと思い、早速トライすることにする。
前回は日光まで車で行き、日光からはバスにていろは坂を進んで中善寺温泉で下車。そこから登り始めて茶ノ木平、細尾峠、薬師岳、夕日岳、 地蔵岳と縦走して古峰原神社の方に下山。
古峰原神社からはバスで鹿沼駅へと向かい、鹿沼駅から日光までJRにて戻ってきたのだった (鹿沼駅からは逆方向の電車に乗ってしまい、 えらく時間をロスするというアクシデントがあったが・・・)。
これを踏まえ、今回はゴールに近い東武日光線の新鹿沼駅近辺に車を駐め、そこから電車にて東武日光駅に向かい、 東武日光駅からはバスで中善寺温泉に向かうことにする。

少し遅めの 3時過ぎに横浜の自宅を出発。東名高速横浜ICから高速に乗り、 首都高を経て東北自動車道に入る。帰省ラッシュは分散気味なのであろうか、道は空いており、スムーズである。
鹿沼ICで高速を下り、ナビに従って新鹿沼駅へと至り、駅前の駐車場に車を駐める。余裕をもって 6時15分の電車に乗り日光へと向かう。
しかし、良く下調べをしていなかったので、途中の下今市で乗り換えねばならないことを車内アナウンスで告げられ少々慌てる (車内で寝込まないで良かった)。
6時50分に東武日光駅に到着。6時56分発のバスに乗って中善寺温泉へと向かう。
途中のいろは坂には凍結箇所が多く見られ、スタッドレスタイヤが必須。小生の車ではとても走ることができず、 今回のような駐車場利用は正解である。
7時48分に中善寺温泉に到着。バス内に 2人ほどいた登山姿の方々はそのまま乗り続けていたが、どこまで行くのであろう。

バス待合室で身支度を調え、トイレも済ませて 8時4分にバス停を出発。
見上げれば、商店街の後方に聳える男体山の姿が素晴らしい。本日の天気は期待できそうである。 しかしそれにしても、相変わらず中禅寺湖から吹く風は強く冷たい。
車道の雪かきにより歩道に寄せ集められている雪を踏みながら中宮祠阿世潟峠線歩道入口へと向かう。
日光レークサイドホテルの横の道を進み、歩道入口に立つ。ここで写真をと思ったら、レンズにフードが付いていないことに気がつく。
バスの待合室を出た時点には確かにレンズにフードは付いていたので、途中で落としたに違いない。仕方なく来た道を戻る。
幸いフードは歩道に積み上げられた雪の上に落ちており無事回収。出発した時から取り付けが緩んでいた様であるが、 このポカで時間を 10分近くロスしてしまった。後から思えば、本日の先行きを示すような出来事であった。

再び歩道入口まで進み、階段を昇って斜面に取り付く。時刻は 8時16分。
すぐに斜面を横切って進む雪の道となるが、雪の上に足跡は全くない。新たな雪が降り積もったのか、それとも風で表面の雪が飛ばされたのか。
中禅寺湖とは反対側の斜面を横切っているので雪の量はそれ程多くなく、道はしっかりと確認できる。雪の深さは2〜30センチ程。
やがて記憶では斜面を戻るようにして登り、尾根上に出る場所に差し掛かったが、斜面には雪が多く積もっており道が不明。 雪の斜面を適当に直登する。最初は良かったものの、尾根上に出る手前は雪が多く、股下までの雪を かき分けなんとか尾根上に出る。
尾根では中禅寺湖からの強く冷たい風をまともに受けることになる。寒い。気温は恐らく氷点下であろう。

これから進む尾根の方を見通すと、雪が多く足跡は全くない。ここはスノーシューの出番と考え、背中に括り付けていたスノーシューを履いて出発する。
道なき道を適当に進む。尾根上に雪は多く、スノーシューを履いていても 15〜20センチほど沈み、体力を奪う。道は尾根上、 あるいは尾根の右斜面 (中禅寺湖側) を横切りながら進むはずであるが、斜面を横切ると雪の量がかなり多いために歩行に苦労する。
そのため、正規のルートを無視してできるだけ尾根上を進む。ただそうなると、かなりきつい傾斜に苦労させられる箇所がかなり現れることになる。 ジグザグにステップを踏んで、何とか斜面を登っていく。
途中で中禅寺湖側の斜面に付けられた道が明瞭になったのでそちらを進むが、やはり雪が多くて苦労する。 途中に現れる標柱や、道らしき形跡が残る場所を探しながら進む。
記憶では、この斜面を横切る道も、途中 S字のように一旦斜面を戻るようにして登って尾根上に出るところがあるはずである。 しかし、雪が多くその場所が見つからない。そのため思い切って斜面を直登するが、そうなると傾斜がきつくかなり手強い。
一応ストックは手にしているものの、バランスを崩した際にはそのままストックが雪の中へと潜ってしまい、 ほとんど役に立たない状況である。斜面に生えている木につかまりながら登り、何とか尾根上に出る。

暫く尾根を進むと再び中禅寺湖側の斜面を横切るようになるが、 またまた雪が多くて苦労させられる。そんなことを繰り返しながら何とか進んでいくと、茶ノ木平が近くなったところで、 周囲の木々にテープが見られるようになる。
ここも S字型に一旦斜面を逆方向に進むようにしに登ることになるのだが、そのことを知らないままここに来た方は、 道なき雪の斜面の色々な所に見られるテープに混乱してしまうかもしれない。
ここでは またまた正規のルートを無視して斜面を直登する。急斜面に生える立木に掴まりながら身体を引き上げるようにして登り、 ようやく茶ノ木平に到着したのは 10時40分であった。これはかなり遅い。
しかも、この先も雪が積もっており道も不明瞭であることを考えると、薬師岳を経て古峰原神社へと下山するのはとうてい無理である (最終バスは 17時15分)。
半月山の方へと向かうことも考えたが、前回の経験からそちらも雪に苦労することは間違いない。
膝の状態も考え、今回は茶ノ木平で暫し遊んでから下山することにする。
なお、苦労の末に辿り着いた茶ノ木平の一角、旧ロープウェイ駅跡であるが、残念ながらここからよく見えるはずの男体山は頂上にガスがかかっており、 また女峰山方面もよく見えない。奥白根山方面もその頂上付近には雲がかかっていてハッキリしない。
ただ、空は青く、日差しも明るいので、茶ノ木平で遊ぶのには問題ない。
景色を求めて旧ロープウェイ駅跡である台地状の場所を暫し歩き回った後、 茶ノ木平の奥へと向かう。
なお、この駅跡の所に大きな木が倒れていたが、もしかしたら遙拝のための札が打ち付けられていた木だったのかもしれない。

茶ノ木平も踏み跡は全くない。僅かに凹んでいる雪を頼りに進むが、 そうでない場所の方が沈まないことが多いので途中から適当に進むことにする。雪の上には鹿の足跡があるのみ。
途中のベンチで暫し休憩する。テルモスにて暖かいお茶を飲み一息つく。軽い食事をした後、さらに先へと進んでみる。
標識が雪の上に出ているので、そちらへと進み、さらに標識に従って半月山方面へと向かう。
ただ、雪の量が多くスノーシューでも 2〜30センチ程沈むので、かなり体力を使う。先程述べたように、 本日はこのまま往路を戻ることにしたので茶ノ木平が下り斜面に入るところまで進んだ所で戻ることにする。

上空には青空が拡がり、日差しも眩しく、 周囲の木々に積もった雪がキラキラと輝いて大変気持ちが良い。 それならば雪上歩行をもっと楽しむべきだということになるが、スノーシューがかなり沈むので体力が奪われ、あまり楽しめない。 雪の上に残る自分の踏み跡を辿るようにして戻る。
ただ嬉しいことに、天候はますます良くなり、樹林越しに見える山々もクッキリとした姿を見せ始めてくれている。 再び天候が悪くならないうちに景色を得るべく、旧ロープウェイ駅へと急いで戻る。
嬉しいことに先程までガスでぼんやりとしていた男体山、女峰山も今はハッキリ見えており、反対の社山、錫ヶ岳方面もよく見える。
奥白根山だけは少し雪煙のようなものが周囲に上がっているが、それでも真っ白なドームを見ることができたのであった。 また、社山の左後方には皇海山も見えている。

12時6分、下山開始。登りの時はかなりいい加減なルートをとったが、 下りは時間に余裕があるので、できるだけルート上を通るように心がける。
途中、樹林越しに何回か男体山が見えたのだが、その頂上の一角がキラキラと輝いている。まさかとは思ったが、新しくなった頂上の刀に日の光が当たって輝いているようである。
忠実にルートを辿るように心がけていたものの、雪が多いため、戻るように進むルートがもどかしくなり、途中からショートカットを繰り返す。 もし明日以降このルートを登った方がおられたら、小生が如何にいい加減に歩いたかが分かったことであろう。
尾根から遊歩道入口へと続く斜面の道に下る場所でスノーシューを外す。歩道入口には 13時22分に到着。
人々で賑わうバス待合室へと戻り (インドの方等、外国の方が多かった)、13時50分のバスにて東武日光駅へと戻る。
その後、東武日光線に乗り、下今市駅で乗り換えて新鹿沼駅には 15時39分に戻り着く。

本日は目的の頂上を踏めず、雪遊びに終わってしまったが、 雪の斜面はかなり登り甲斐があり、それはそれで楽しい山行であった。
こうなると、スノーシューが使える山に次回も行きたくなる。


会心の麦草岳  2013.12 記

11月16日の土曜日に急遽予定を変更して登った中央アルプス前衛の烏帽子ヶ岳は、 鈍痛が続いていた左膝にさらなるダメージを与えたようで、帰宅後、階段の昇り下りにおける痛みは鋭さを増し、 さらには何ともなかった平地歩行においても少し膝に違和感を覚えるようになったのであった。
市販の湿布薬を使ったものの、一向に良くなる気配がなく、このままでは登山生命 ? に関わるのではと心配になり、 イヤイヤながらも整形外科に行くことにした。

医者で両膝のレントゲンを撮ったところ、 ありがたいことに大腿骨と脛骨の間にはまだ隙間が明瞭にあり (つまり関節軟骨がすり減ってしまった状態ではない)、 少し炎症を起こしているだけとの診断で、炎症を抑える注射を打ち、電気マッサージを行い、さらには出された湿布薬を貼ったところ、 翌日には痛みが嘘のように消えてくれたのだった。
左膝の状態を考慮して、週末は登山を自粛しようと思っていたのに、こうなると天候も良さそうということもあって、俄然山に登りたくなる。
また、こういう時は医者の診断が重要であるが、診察時、医者には登山で痛めたらしいと話したところ、今週末も山に行きますかとの質問を受けたことから、 医者も山行を容認していると 自分の都合の良いように解釈したのであった。
とは言え、あれ程痛みがあったことから、左膝に休養もさせずに山に行くのはさすがにまずかろうと、 土曜日は一歩も家から出ずに休養することとし、山には日曜日に行くことにする。

行き先は中央アルプスの麦草岳。
この時期、山はかなりの積雪であろうと推測されることから、初めてのコースは避けたいところであり、 また先日の黒河山のようにノーマルタイヤでのアプローチが不可能な場所は無理、ということを前提に考えたところ、 先日 烏帽子ヶ岳に登ったこともあってか、すぐにこの麦草岳が頭に思い浮かんだのである。
高さも 2,700m以上と十分であり、登山口である旧木曽駒高原スキー場跡はまだアプローチ可能と思われ、 さらには登山道も七合目の避難小屋までは明瞭のはずである。
そして何よりも、昨年この山に登った際、ガスで全く展望が得られなかったのが何とも悔しく、いつか再登山をと考えていた山だったからである。 ただ、この山のみに登るのでは少々物足りないところであるが、積雪期なら十分に手応えが得られるはずである。

24日の日曜日、3時半過ぎに自宅を出発する。
あまり早く現地に着きすぎても暗くて寒いと思い、7時頃に現地に着く目論見である。
何時もどおり国道16号線、町田街道と進み、高尾山ICから圏央道に入る。空には星が輝き本日は快晴間違いなさそうである。 八王子JCTから中央道に入り、岡谷JCTを経て伊那ICで高速道を下りる。
ここからは通い慣れた国道361号線に入り、権兵衛トンネルを抜けて木曽側へと進む。神谷入口にて国道19号線(中山道)に合流するので、 そこを左折して中山道を南下する。
暫く進んだ後、ナビに従って原野の交差点で左折して別荘地へと入り、旧木曽駒高原スキー場跡へと向かう。
いつも車を駐めているペンションアルパインの駐車場に到着したのは 6時35分。目論見より少々早いが、もう明るくなっているので問題ない。
しかしである、快晴のはずの空には雲が多く、目指す麦草岳方面は雲に覆われているではないか。これにはガッカリ。 岡谷JCTを過ぎて伊那ICを目指している時、左手に見える南アルプス方面が雲一つ無い快晴であるのに対し、右の中央アルプスには雲が多く、 さらには中央アルプスの向こう側 (=木曽側) に雲が多く見られたので嫌な気がしていたのだが、現地はまさにその懸念したとおりの状況であった。
本日は麦草岳頂上からの展望を楽しみにしていたのに、それが奪われてしまうとなると全く元気が出ない。

テンションがドンドン下がっていく中、身支度をしてスキー場跡へと向かう。 ため息をつきながらゲレンデへと向かっていくと、何と正面に見える麦草岳方面の雲が徐々に取れ始め、雲間に青空も見え始めたのである。
これはもしかしたら快晴になる前兆かもしれないと思いながら林道に入る。日が当たることが少ないからであろう、 林道も樹林帯に入るとすぐに足下に雪が現れる。2センチくらい積もった雪の上を進んでいくと、やがて渡渉点。
右手を見上げると、山の方は青空とはいえないものの、山の稜線はよく見えている。先程の状況から見れば急回復である。ありがたい。
川を渡ると周囲の雪の量がグッと増える。道はここから雪の斜面をジグザグに登り、まずは尾根を目指すことになる。急斜面であるが、 足下の雪は凍っていないのでアイゼンは不要である。
少し喘ぎ気味になって尾根に登り着くと、道は右へと進んで尾根を登っていくようになる。そこには四合目の標識もおかれている。
道は右であるが、左側に少し開けた場所があったので、ロープを潜ってそちらに進んでみる。ここからは乗鞍岳、そして穂高連峰が見え、 テンションがグッと上がる。完全に快晴モードに突入である。
後は麦草岳頂上に着いた時に晴れてくれることを願うばかりだが、この分だとかなり期待できそうである。

正規の道に戻って樹林の尾根を登っていく。 高度を上げるに連れて雪の量は増えてくるが、昨日登った方、そして本日も先行されている方がいるのだろ、 15センチ程度の雪はかなり踏まれていて歩行に全く支障はない。
また、雪の上にアイゼンの跡もあったものの、ここでもアイゼンは不要である。
記憶どおり、四合目からかなり登ったと思うと四合目半の水場が現れる。距離的にはここが五合目でも良い感じであり、 むしろ四合目が下にありすぎるのかもしれない。積雪は 20センチ程度。
この少し手前からは、樹林越しに御嶽、乗鞍岳が見えるようになる。さらに四合目半から少し登れば、御嶽を完全に見通せる場所もあり、 青空をバックにしたその姿にテンションが上がる。
六合目は 9時34分に通過。その少し先で、今度は麦草岳の姿も見ることができた。

なお、この時間で六合目と聞くと前途多難のようだが、 本日は木曽駒ヶ岳ではなく麦草岳を目指すので、このルートにおいては避難小屋がある七合目まで行けば良く、気が楽である。
道は徐々に傾斜を緩め、左手樹林越しに木曽駒ヶ岳の姿も見えるようになる。
やがて、見晴台に到着。
時刻は 10時9分。ここの展望が良いことは前回経験済みなので、そこの岩場に登ってみる。
まずは本日目指す麦草岳が大きい。今は雲がすっかり取れ、バックに青空が拡がっている。これは本当に嬉しい。
そして右 (北西) に目を向ければ御嶽。そしてそのさらに右には乗鞍岳、そして穂高連峰が見える。
11月の初めに十石山に登ってから約1ヶ月。その時にはまだ岩肌が見えていた山々は、今や真っ白である。
後方を振り返れば、茶臼山、行者岩、将棊頭山と続く尾根が見える。昨年は旧木曽駒高原スキー場から、 今登っているコースを辿って木曽駒ヶ岳をピストン登山 (ついでに木曽前岳、麦草岳にも登った) した他、 同じ旧木曽駒高原スキー場から茶臼山経由で木曽駒ヶ岳に登り、今登っているコースを下山路とする周回登山も行ったのだった。
後者のコースもなかなかのものであったが、本日 2つのコースの分岐点に、茶臼山経由のコースは吊橋が流されて渡れない 旨の注意書きが貼られていた。 昨年も作業用の吊橋を渡る際にかなりのスリルを味わったが、その橋が流されてしまったのであろうか。

岩場で 5分程景色を堪能した後、七合目へと向かう。
一旦少し下って、徐々に登り返せばやがて避難小屋のある七合目に飛び出す。時刻は 10時23分。小屋前のベンチには 6名程の男女の中高年パーティーが休憩されておられた。
聞けば木曽駒ヶ岳を目指したものの、玉窪カールの底手前で危険を感じ引き返してきたとのこと。一方、同じルートを進んでいた単独の方は木曽駒ヶ岳を目指して登っていったとのことであったが、 前日北アルプス真砂岳の雪崩事故があっただけに、集団を預かるリーダーとしては慎重にならざるをえないのは致し方ないところであろう。
小生は木曽駒ヶ岳には登らず、麦草岳が本日の目的地であると告げると、彼らもこれから麦草岳に登ることにしたとのことであり、 小生にベンチを明け渡すようにして麦草岳へと向かっていった。

小生の方はトイレを使わせて戴いた後、ベンチ前で食事をする。
この後かなりの急斜面が続くことが分かっているので、出発に際しアイゼンを装着することにする。軽アイゼンでも良いかと思ったが、 上の方は 2,700mを越えているため、状況が分からない。安全を考えて 10本爪アイゼンを装着する。
10時43分、小屋前を出発し、木曽駒ヶ岳への道と分かれて麦草岳の斜面に取り付く。やはり、ここからはかなりの急斜面が続く。
本来であればジグザグに道を作るべきところを、急ごしらえなのか、直線の登りが多く、それがかなり急なのである。
小生はここまで使用してきたストック (1本) でそのまま登ったが、ザックに括り付けていたピッケルの方がこの斜面には有効だったと思う。 但し、それ程雪は深くないので、ピッケルだと植生を傷つけてしまう可能性がある。

喘ぎながら急斜面を登っていくと、 やがて樹林越しに木曽駒ヶ岳が見えるようになる。こちらから見る木曽駒ヶ岳は綺麗な三角形をしていてなかなかの美しく、 さらには雪化粧のため一層魅力的である。
やがて反対側にも御嶽や乗鞍岳、そして穂高連峰が見えようになる。最高の気分である。
暫く登っていくと、先行していた例のパーティーに追いついたので抜かせてもらう。
しかしそれからが厳しかった。パーティーはバラけてしまっており、1人がかなり先を登っていて、次に小生、 そして後ろに女性が付いてくるという形となったのだが、女性に追い立てられているようでどうも落ち着かない。
実際はそのようなことはなかったと思うが、急き立てられているような気がして途中写真を撮ることも半ば放棄し、ひたすら登り続けたのだった。

それにしても、前回もそうであったが、ここの登りは結構長く感じる。 七合目の避難小屋横に立つ標識には、麦草岳まで 0.8kmと書かれているが、このわずか 800mに1時間近くかかる (雪山ならさらに時間を要する)。 件のパーティーも、延々と続く斜面に嫌気が差していたようである。
そして先行していた男性もやがて途中でストップしたのでハイマツの海の中で抜かせてもらう。
暫く進むとようやく駒石が見えてきた。頂上はもうすぐである。雪の上にトレースが出来ているので迷うことはないが、 ハイマツが行く手を結構阻む。少し苦労しつつもハイマツ帯を抜け、12時2分、麦草岳頂上に飛び出したのであった。

ここからの景色は抜群。まずは雪を被った木曽駒ヶ岳が美しい形をしていて目を引く。 その右には中岳、宝剣岳が続く。そして、宝剣岳の手前には玉の窪小屋が見え、その右には木曽前岳が続く。さらにはその右後方に、 今年登った三ノ沢岳が大きな姿を見せている。
木曽前岳へはこの麦草岳からも尾根が続いているが、その尾根を目で追うと、目の前の高み、牙岩、ナイフリッジとなった尾根が見え、 とても挑戦しようという気になれない。
目の前の高みの右には恵那山が見え、さらには御嶽、乗鞍岳、穂高連峰と素晴らしい眺めが続く。
また、木曽駒ヶ岳の左には将棊頭山、そして行者岩、茶臼山が続いている。その尾根の後方には八ヶ岳も見えている。

前回この山に登った時はガスで何も見えず、登っただけという感じであったが、 このような素晴らしい景色が広がっていたとはビックリである。
やはり山は晴天時に登らなくてはその魅力の半分も得られない。暫し景色を堪能した後、少し露出している岩に腰掛け食事とする。
頂上にはおよそ 25分いたのだが、件のパーティーはいつまで経ってもやってこない。 もしかしたら手前の駒石のところで休憩かと思いつつ、12時25分、頂上を後にする。

駒石を過ぎても件のパーティーの姿は見えず、 不思議に思いながら下る。
登る際に苦労した急斜面は、下りでは快調に下ることができる。崩れる雪に乗るようにして斜面を下る感じで効率良い。
途中、件のパーティーのうちの 4人と出会う。どうやら頂上は断念して戻ることにしたようである。もったいないが、 既に玉窪カールの下まで行って引き返しているので、体力的にこの登りは厳しかったのだろう。 直接この山を目指した小生と比べては気の毒である。
急斜面を順調に下り、小屋前には 13時2分に戻り着く。小屋の中では先程のパーティーの内 2人ほどが休んでおられるようである。
13時9分、小屋を後にして往路を戻る。途中の見晴らし台で再度御嶽等を眺めたが、今日はこの時間になっても晴天、 好展望がキープされていて嬉しい限りである。
後はひたすら下るだけであるが、この斜面は長い。よくもまあこんな斜面を登ってきたものだと感心する。
六合目を 13時39分に通過、五合目は 13時59分、そして四合目半の水場は 14時22分に通過し、 四合目に着いたのは 14時41分であった。
後は谷へと下る斜面をジグザグに下り、下り着いたところが渡渉点。川を渡った後は林道をユックリと下り、駐車場には 15時37分に戻り着いたのだった。

本日は、登り始めに少しヤキモキさせられたものの、最終的には晴天となり、 目論見どおりの登山ができて、快心の山行であった。
そして、繰り返しになって恐縮だが、麦草岳の頂上からの展望を得ずして、この山に登った気になるのは大きな間違いと知ったのだった。 初冬に登るには最適の山であった。
なお、膝の方はまた鈍痛がぶり返してきた。困ったものである。


目的果たせず烏帽子ヶ岳  2013.11 記

11月16日の土曜日に山に登ってきたのだが、愚かにも事前の情報収集を怠り、        また知識不足 (というより常識の欠如) もあって、当初目論んだ山は登山口まで辿り着けずに中止せざるを得なくなってしまい、        急遽代替の山に登るという失敗を犯してしまったのだった。
当初の目論見では、左膝の調子があまり良くないことから (平地を歩くには何の問題も無いが、階段の昇り下り、斜面の登り下りには鈍痛を伴う)、 キツイ登りを避けて尾根歩きを中心とした山に登ることを意図し、長野県大鹿村にある 二児山、黒河山、笹山、 入山という えらくマイナーな山域を目指すことにしていたのであった。
この山域は、かつて念丈岳に登った際に参考にさせて戴いた伊那谷の山というホームページの中に、伊那の山々などを紹介されているページがあり、 そこで知ったものである。

ここは位置的に南アルプス、中央アルプスの展望が良いはずであり、 何よりもササ原の尾根が多いため気持ちの良い尾根歩きが楽しめそうなこと、 しかも人があまり入らないようなので静かな山旅が楽しめそうであり、さらには少々ルートファインディングも必要とされること等々で、 前から登りたい山のリストに入れていたものである。
しかも、黒川牧場から登り始めれば、それ程時間を掛けなくても尾根に辿り着けるようなので膝にも優しかろうと、 今回真っ先に思い浮かんだ山域であった。
問題は、現在黒川牧場までの林道にて工事を行っているため、通行できる時間がかなり限定されているので、早朝は良いとしても、 下山後の車の通行は時間がずれてしまうと相当待たされることである。まあ、そこは臨機応変に、 時間を見ながら登る山を調整して対応するつもりで出かけることにしたのであった。

横浜の自宅を 2時過ぎに出発。空には星が瞬き、 本日は天気予報どおり快晴になりそうである。
何時もどおり、国道16号線、町田街道を進み、高尾山ICから圏央道に乗って、八王子JCTから中央道に入る。
月明かりで周囲の山影が良く見えるのを楽しみながら中央道を進む。途中、霧が発生しているところがあったものの、 岡谷JCTを通過した頃には霧も消え、順調に松川ICまで進んだのであった。
松川ICからは塩見岳や小河内岳に登った時と同じく県道59号線そして県道22号線を進み、大鹿村を目指す。
この道でも小渋湖の側を通る際に霧に囲まれたものの、大鹿村役場近くとなって国道152号線へと進んだ時には 上々のコンディションとなったのであった。

国道152号線を北上し、大鹿中学校の先で右折する。
この右折路の所には 「大池高原・青いケシ・キャンプ場」 といった案内表示板があるので分かりやすい。
林道を登っていく。途中、いくつか林道が分かれたりするものの、そのような場所にはしっかりと標示板が置かれているので迷うことはない。
それにしても、かなり山奥に入り込んだつもりでいると、突然民家が現れてビックリさせられる。人々の生活力は逞しい。

順調に山道を進んでいくと、やがて路面が凍結気味になるが、 この程度ならばノーマルタイヤでも問題ない。
しかしである、大池高原キャンプ場を過ぎ、ヒマラヤの青いケシを栽培している農場 ? を過ぎると、道路に雪が現れだしたのである。 雪の上には轍があるので、何とかなるだろうとそのまま進んでいくと、徐々に雪の量が多くなり、轍から少し外れた場合タイヤが滑るようになる。
それでも轍が続いていることに勇気づけられて先に進んでいったのだが、道路も含めて周囲は完全に雪に覆われるようになり、 しかも 5センチ近い積雪量になってきたのである。
スタックの恐怖が頭を過ぎり始め、タイヤが滑ることが多くなったことを機に、これ以上進むのは無理と判断して戻ることにする。
狭い林道ではあるものの、幸い少し先に路肩が広い場所があったので、何とかUターンし、登ってきた道を戻る。

今度はスピードの出し過ぎやタイヤのスリップに気を遣いながら坂を下る。
ギアをローに入れ、スリップしないようになるべくブレーキを使わずに下ったのだったが、カーブが多いため常にスリップの恐怖に襲われ、 かなり緊張しながらの運転であった。
ようやく大池高原キャンプ場を過ぎて一息つくことができ、その後は問題なく下ることが出来たのであるが、 自分の愚かさを罵りながらの運転であった。よくよく考えれば、黒川牧場の標高は 2,000m程あるようで、この時期、そしてこの地方では、 積雪があって当たり前であった。
事前の情報収集を怠ったこと、そして常識が欠如していたためであり、本当に自分が情けない。

よっぽどこのまま帰宅してふて寝してしまおうかと思ったものの、 折角 高い高速代を支払ってここまできたので、何もせずに帰ることはさらに自分が惨めになるだけと思い、 この辺で登ることができる山を考えてみる。
とは言っても、黒河山近辺 (この山域については国土地理院の電子地図から自分で作成した) 以外の地図を持ってきておらず、 そうなると登る山も限られてしまう。
そんな中 思い浮かんだのが烏帽子ヶ岳・小八郎岳である。松川ICから近く、1回登っているので、地図無しでも問題ないはずである。
他にも、鳥倉林道から三伏峠、小河内岳に登るという案や、前回と同じルートにて念丈岳に登るという案も浮かんだのだが、 積雪具合も心配だったので、無難と思われる烏帽子ヶ岳に決定し鳩打峠を目指すことにする。

林道から国道152号線に再び合流し、さらには県道22号線・県道59号線を進んで松川ICへと戻る。
途中、再び霧に囲まれたり、狭い道にも拘わらず大型ダンプが何台も対向車線を進んでくるのには驚かされたが、 無事に松川ICの交差点まで戻り着く。
松川ICが近くなった所で、朝日を浴びてピンク色に輝く冠雪の中央アルプスが見え、落ち込んでいた気持ちが少し上向く。 本日は烏帽子ヶ岳にて中央アルプス、南アルプスの眺めを楽しむことで良しとしようと自分を納得させる。
松川ICの交差点を右折し、県道15号線を進む。記憶どおり宇寿田製菓の看板、そして烏帽子ヶ岳・小八郎岳の表示が見えてきたので そこを左折する。後は高速道の下を潜り、農道そして林道を進めば良い。

林道上に積雪はなく、また道に水が流れていた場所があったものの凍った箇所はなく、 7時18分に無事 鳩打峠に到着したのだった。なお、峠の手前で登山者を追い抜いたのだが、どこから登って来られたのだろうと不思議に思う。
峠には車が 2台しか駐車しておらず、登り始める時にさらに 1台が加わっただけであった。
また、身支度をしている最中に、先程林道を登っていた登山者に追い抜かれる。
7時22分、峠を出発。峠から東を見れば、北岳を始めとする南アルプスの山々が見える。本日登ろうとした二児山、 黒河山はどの辺なのであろうか。

林道を少し登ると大島山の姿がよく見えるようになる。 雪が積もっているのか、霧氷なのか、山はかなり白い。
ヘアピンカーブを曲がるとすぐに登山道の全体図が立っている場所に出る。そこに手袋と杖が置かれていたので不思議に思ったが、 その謎は後ほど解けることになる。
その全体図の左側からも山に取り付くことができるが (前回はそのようにしたが、かなりの急登)、新たに整備された登山口が林道をさらに進んだ所にあるので そちらへと進む。
しかし、登山口が進行方向と同じ方向を向いていたので (つまり鋭角にターンして登ることになる)、 ついうっかり通り過ぎて林道終点まで行ってしまう。今朝程の出来事で、まだ心が落ち着いていないようである。
慌てて林道を戻り、こちら側を向いている登山道に入る。

ここからは記憶どおりの道が続く。最初はジグザグに登って高度を稼いでいくが、 その後は緩やかな勾配の登りが続く。
やがて、小八郎岳を経由する道との分岐に到着。時刻は 7時54分。前回は小八郎岳経由の道を選択したのだったが、この時間、 小八郎岳から眺める南アルプスは逆光になるので、小八郎岳は帰りに寄ることにする。
ということで分岐からは初めての道となる。左側が開けているので、樹林越しに烏帽子ヶ岳が見えるが、こちらも霧氷のためかかなり白い。
緩やかだった道もやがてササ原の斜面を登ることになる。この頃になると何となく身体がだるく感じられ、登山に集中出来ない状態になる。 心の持ちようというのは重要で、モラールが下がった状態、さらには今朝程の運転でかなり気を遣ったことによる疲れなどあって、 登山を投げ出したいという気持ちさえ湧いてくる。
しかし、ここまで来たからには、烏帽子ヶ岳頂上を踏まねば格好がつかないと思い、何とか足を進める。足が重く、 そうなると左足の痛みも気になり始めるが、頂上から眺める南アルプス、中央アルプスの山々を楽しみに進む。

前回の登山記録でも報告したように、登山道には鳩打峠から烏帽子ヶ岳までの間を10等分し、 その1単位毎に標示板 (実際はラミネート処理された紙) が設置されている。
小八郎岳経由の道と再び合流する地点は 3/10。そして道は 5/10手前から登りがきつくなる。
左膝を気にしながら喘ぎ喘ぎ登っていくと、7合目 (飯島ルートとの合流点。ここにだけ合目の標示板がある) 手前で単独の登山者に追い抜かれる。
今日は頑張ろうという気力が全く湧かず、抜かれたついでに食事をすることにする。自分で言うのも何であるが、 登山口を出発してから最初の休憩まで、かなり時間を引っ張るのが常である小生としては珍しいことである。
七合目には 9時41分に到着。そこを過ぎると登山道に雪が目立つようになる。

7/10からは完全な雪道、そして傾斜がさらにきつくなる。
滑りやすい雪の斜面を登っていく。樹林越しに右手を見ると、赤梛岳、田切岳の姿がチラチラ見えるが、その下方にはガスが湧き始めていて、 それらの山々を飲み込み始めている。
これでは烏帽子ヶ岳頂上からの展望は無理かもしれないと思い、気力が更に萎える。加えて、シロクモナギからは南アルプスが良く見えたものの、 肝心の烏帽子ヶ岳の方がガスに囲まれ始めているのに気がついて、さらに落ち込む。これでは本当に踏んだり蹴ったりである。

雪の山道を喘ぎつつ登っていくと、やがて傾斜が緩んで前方に烏帽子岩が見えてくる。
その右後方には青空が見えるものの、左側はガスで真っ白である。大岩の下を進み、滑りやすい斜面をへばりながら登っていくと、 やがて烏帽子岩直登ルートと迂回ルートの分岐に到着。
前回は往復とも直登ルートを使用したが、今回は自分の心の状態、へばり具合、 そして雪が積もっていると思われる岩場の危険度を考慮して迂回路を選択する。
ただ、迂回路と言っても、こちらにも鎖場などがあって結構スリリングであるし、さらには岩の上に積もっている雪を踏む場合には滑らないように慎重さが要求され、 結構 気を遣う。
無雪期ならば直登ルートの方が楽な様な気がする。

慎重に登って、ようやく烏帽子ヶ岳と烏帽子岩との鞍部に到着。左に曲がれば頂上はすぐである。そして、11時9分、 烏帽子ヶ岳に到着。頂上には先客が 2名おられた。
思った通りというか、残念ながらというか、頂上からの展望はガスのためほとんど無し。仙涯嶺の山裾が少し見えただけであった。 しかし、それもやがてガスに飲み込まれてしまい、全く展望無しの状態になったのだった。
当然、南アルプス方面も真っ白である。小八郎岳を後回ししたツケが回ってきてしまった。やはり見ることができる時に見ておくべきだったと、 またまた落ち込む。

頂上に 15分程留まったものの、一向に状況の改善が見られないので下山することにする。
なお、烏帽子ヶ岳から先、念丈岳方面の道は雪に覆われたままで足跡は皆無であった。
下山も迂回路を使用する。その途中で、今朝程林道を歩いていた登山者と擦れ違う。駐車場で追い抜かれたので小八郎岳を経由したのであろう。
林道を歩いている姿を見かけたことを話し、どこから登ってきたのかを尋ねると、何と駅からという。恐らく上片桐駅のことと思うが、 小生と同年配の方なので、これにはビックリ。大したものである。
なお、本人は寒いのに素手、そして木の杖を突いておられ、聞けば登山口に手袋と杖を忘れてきてしまったとのこと。それで今朝程のあの状況に得心が行く。

後は一気に下ると言いたいところだが、雪の斜面の下りは登りよりも始末が悪い。
滑らないようにと気を遣い、ユックリと下ったのだったが、踏ん張ることが多いので膝に悪い。
途中、再びシラクモナギ上部から南アルプスを見ることができたので、ガスに囲まれていたのは烏帽子ヶ岳上部だけだったことを知る。 こうなると、小八郎岳からの展望が楽しみになる。
痛む膝に苦労しながら下る。足下の雪は無くなっても、落ち葉の下に木の根が結構あり、その上を踏んでしまうと滑ってバランスを崩す。 実際、2回程尻餅をついてしまったのだった。

3/10からは小八郎岳を目指す。左膝が痛んで最後の登りがキツイ。
しかし、その分、小八郎岳からの展望は抜群であった。特に仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、そして塩見岳がクッキリとした姿を見せてくれ、 ようやく溜飲を下げる。
後はユックリ下るだけ。左膝を庇いつつ、鳩打峠には 14時12分に戻り着いたのだった。
なお、登山全体図の所には杖と手袋がちゃんと朝のまま置かれていたので、件の方も喜ぶことであろう。

冒頭で述べたように、この日は安易な山選び、下調べの不十分さ、 常識の欠如から、とんだ目に遭ってしまった。
そして代替の山となった烏帽子ヶ岳には、あまり情熱が湧かないまま登ってしまい、大変失礼をした気がする。
その気持ちが山に伝わったのか、山の機嫌を損ねてしまい、頂上で展望を得ることが出来なかったのだった。
やはり、登る山への思いが強くなければ楽しめないということを身を以て知った 1日であった。


大満足の十石山  2013.11 記

11月2日から3連休であったが、連休初日の 2日に山に登ってきた。
10月14日の朝日岳 (群馬県) 以来となるから、結構間が空いてしまったが、言い訳をさせてもらえば、 10月20日の日曜日は白山に登るつもりであったものの雨で中止。そして、10月最後の土日は、左膝の状態があまり芳しくなく、 山に行くことを断念したためである。
なお、10月20日の白山は、19日の土曜日に石川県の小松市に行く用事があったため、このチャンスを是非とも生かしたいと思ってずっと楽しみにしていたものの、 雨の予報に諦めることにしたのだった。実際、20日は朝から雨であり、もしかしたら、この日、白山頂上付近は雪だったのかも知れない。

さて、話がそれてしまったが、11月2日に登った山は長野県の十石山 (2,524.8m)。
先に述べたように左膝の状態があまり宜しくないため (平地を歩くには何の問題も無いが、階段の昇り下り、斜面の登り下りには鈍痛が伴う)、 ハードな山は敬遠したいところであり、また、連休による山の混雑も避けたく、加えて 今年は初めて登る山が極端に少ないことから 今まで登ったことのない山に登りたいということで、 小生の頭にある登りたい山のリストから北アルプスの十石山を選んだ次第である。
この十石山は、小生の持っている 2011年の昭文社の地図 『乗鞍高原 北アルプス』 では、白骨温泉から破線の登山道 (難路を意味する) が記されているものの、 ネットで見ると地元有志の方によってかなり手入れがなされているらしく、問題ないようである。
乗鞍岳、穂高連峰などの好展望台でありながら、あまり人の訪れがない山と聞き、さらには登山道が整備されているのならば それ程足に負担もかかるまいということで、 トライすることにしたのであった。

日の出の時間を 6時頃と考え、6時30分頃に登山基地となる白骨温泉に到着すべく、 夜中の 2時半過ぎに横浜の自宅を出発する。
空には雲一つ無く、オリオン座が輝いており、本日は好天の予感がするが、前回の朝日岳のようなこともあるので、 あまり浮かれないようにと自分に言い聞かせる。
国道16号線を進み、いつものように高尾山ICから圏央道に乗って、八王子JCTから中央道に入る。連休初日ということで 心なしか車の量が多いと感じたが、 それも大月JCT辺りまで。その後は車の量も減り、快調に進む。岡谷JCTから長野自動車道に入り、松本ICで高速を下りる。
松本IC手前から周囲に濃い霧が立ちこめてきたので心配になったが、国道158号線を進み、道路が松本電鉄・上高地線と平行に走るようになってからは霧も晴れてくれたので一安心であった。

やがて、前川渡の交差点にて左折し、県道84号線 (乗鞍岳線) に入る。 これは後で考えると大失敗であった。そのまま国道158号線を進んで県道300号線から白骨温泉向かった方が断然早いからである。
暫く進むと乗鞍高原。冠雪した乗鞍岳が見えてテンションが上がる。
白骨温泉右折の標示を見て右折し、暫し山道 (上高地乗鞍スーパー林道) を進む。ここからも時折冠雪した乗鞍岳を見ることができ、 朝日を浴びてピンク色に染まる山肌が美しい。
途中、工事のため未舗装の道があったものの、問題なく進み、やがて白骨温泉手前の丁字路に到着。右は県道白骨温泉線 (県道300号線) で国道158号線へと通じており、 白骨温泉へはここを左折する。

暫く進むと、右に入る道があるので右折し、乗鞍スーパー林道へと進む。
料金所跡の横を通り、舗装された林道を進んでいくと、やがて中部電力白骨無線中継所脇の駐車スペースが現れるが、 残念ながらそこは満車状態 (4台程しか駐められない)。道路脇も小生の前を走っていた 2台に先に駐められてしまう。
仕方が無いので、さらに先へと進み、Uターンして戻ってくると、車をかなり詰めて駐車し直して戴けており、道路際に駐めることができたのだった。感謝。
車を駐めていたのは 10人程の年配の男女パーティー、ならびに比較的若い 3人組。2グループともなかなか出発しないので、 先に出発することにする。時刻は6時43分。

駐車スペースのすぐ先にカーブミラーがあり、登山道はその手前から入っていく。
よく手入れされた道を進んでいくと、やがて左:十石山、手前:白骨温泉、直進:乗鞍スーパー林道を意味する標柱が現れる。 指示に従って左折し、斜面に取り付く。
カラマツの斜面を登っていくと、やがて周囲は雑木林に変わる。朝日が当たり紅葉が輝いて美しい。
ジグザグに斜面を登っていく。道は徐々に緩やかになり、周囲にはダケカンバが多く見られるようになる。ダケカンバの林はやがてシラビソの林へと変わり、 林の中を少し進んでいけば周囲をササに囲まれた平坦な広場に到着する。ここが湯ノ沢平かもしれない。
ここにはホウロウ製の標識が木に打ち付けられており、そこには十石山の文字とともに 『さくらフィルム』 と書かれている。 毛無山や谷川岳−万太郎山間にあった標識 (いずれもマツダランプ) と同じく、かなりレトロな標識である。
ちなみに、さくらフィルムは小西六写真工業株式会社 (後にコニカ株式会社に改称) の製品で、カラーフィルムで言えば、 さくらカラー → サクラカラー → コニカカラー → コニカミノルタカラーフィルム と商標を変え、最終的に事業撤退している。

道の方は暫し緩やかな勾配の登りが続き、少し傾斜が強くなったかと思うと、 再び緩やかな勾配の道に変わるといったパターンが続く。
やがて、右手の樹林越しに霞沢岳が見え始め、北アルプスに来たということを実感する。
道が尾根左下を進むようになると、今度は樹林越しに中央アルプス、そして鉢盛山が見えるようになる。本日は快晴だが、 逆に明るすぎて南の方は見えにくい。
さらには乗鞍岳の一部が左手樹林越しに見え始めるが、こちらは樹林が邪魔をして最後まで見通すことはできなかったのだった。 また、乗鞍岳の左後方に御嶽も少し姿を見せている。

登山道は大変良く整備されており、ササの刈り払いもなされている。感謝である。
密度の濃い樹林帯を抜け出すと、ササ原とそれ程背の高くないシラビソの斜面に変わる。展望も開け、右手には霞沢岳、そして前穂高岳、 吊り尾根、奥穂高岳と続く穂高連峰が見えるようになる。
足下には先日降った雪が残っている箇所があり、また、道には水たまりが多く、その表面には氷が張っている。しかし、本日はほとんど無風、 そして日差しは暖かい。昼夜の寒暖の差が大きいということであろう。

やがて、前方樹林越しに壁のように左右に連なる十石尾根が見えるようになる。
しかし、それからもなかなか樹林帯を抜け出すことが出来ず、尾根の下部にたどり着けない。ようやく長かった樹林帯を抜け出すと、 そこからは尾根に向かってのササ原の斜面が待っている。
斜面をジグザグに登り、涸れ沢のような所を横切り、さらにはカール状になったところを横切って登っていく。
カール状の場所から抜け出して高みに登り着くと、目の前に十石峠避難小屋が現れる。
避難小屋の右横を進み、石垣を登ると避難小屋の前の山頂台地に飛び出す。時刻は 9時35分。
ここからの展望は素晴らしく、笠ヶ岳、抜戸岳、双六岳、黒岳、鷲羽岳、野口五郎岳、槍ヶ岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳、蝶ヶ岳といった山々がズラリと並び、 気分を高揚させる。

この台地には休憩に適した場所がいくつもあったので休もうと思ったのだが、 駐車場の 10名ほどのパーティーが追いついてきつつあるので休まずに頂上を目指すことにする。
小屋からはガレ場の横を登り、ほんの少し進めば頂上である。三角点がハイマツ帯の中、行き止まりとなった場所に置かれている。 到着時刻は 9時40分。このようなドン詰まりにある頂上は、吾妻連峰の東大巓を思い起こさせる。
しかし、ここからは乗鞍岳がよく見えない。少し三角点から戻って草つきのスペースに出れば一応剣ヶ峰などが見えるのだが、 下方の部分が目の前のハイマツに隠れて完全に見通せるという状況ではないのである。
暫し頂上付近をウロウロしたが、結局乗鞍岳を完全に見通すことができる場所がないので、三角点手前の薄い踏み跡を右に辿り、 もっとよく見える場所を求めて進むことにする。

ここからはハイマツの藪漕ぎ。足下には踏み跡が残っているものの、 上部は完全にハイマツに覆われ、ハイマツをかき分けるようにして進むことになる。
苦労しながら 5分程ハイマツの海を進んでいくと、ありがたいことにハイマツが切れて、完全に乗鞍岳を見通せる場所に辿り着く。 剣ヶ峰、蚕玉岳、朝日岳、摩利支天岳、富士見岳等、乗鞍岳を形成する山々がよく見える。
皆 雪を抱いており、特に蚕玉岳付近は真っ白である。

景色も堪能したので、小屋に戻って食事をと思っていたら、 件の男女 10人程のパーティーもこちらまでやってきた。
皆このスペースにザックをデポし、さらに先にある金山岩 (ここからよく見える) を目指すようである。
パーティーの構成は私と同年代か少し上の方達。その方達が先に進むというのなら小生も行かざるを得ない。
パーティーが金山岩へと進んでいった後、今度は同じく駐車場で一緒だった 3人組もやってきた。聞けば、金山岩を越え、 平湯に下山するとのこと (平湯にも車をデポしてあるとのこと)。
立ったままで食事をしながら地図を見ると、確かに平湯までの道があり、平湯からはからタクシーで戻ってこれそうである。 それも良いかなと思い、とにかく金山岩迄進んで、そこで最終的にどうするか決めることにする。

しかし、この場所から金山岩までのルートは、 十石山頂上からここまでのルートに輪をかけたハイマツの藪漕ぎが続く。ハイマツをかき分けるだけではダメで、 ハイマツのトンネルを這いつくばって抜けることもしばしば。伸びた枝に身体中を引っかかれる感じの苦難の道が続く。
さらには、ガレ場で下がスッパリと切れている崖の縁を通ったり、岩場もあったりとスリル満点。バランスを崩したりすると、 右下の谷底に落ちる危険性もあるので慎重に進む。
最後は先の見えないハイマツの斜面の登りが続き、ハイマツをかき分け、クタクタになりつつ金山岩に到着したのであった。時刻は10時57分。
この日は暖かかったので手袋をしていなかったところ、手はハイマツに引っかかれて傷だらけ、 首からぶら下げていたカメラにもかなり傷がついてしまった。
なお、この難路で平湯方面から登ってきた若い方と擦れ違ったが、翌日ヤマレコを眺めていたら、その方の登山記録が掲載されていた。

金山岩の展望は抜群で (実際、標高は十石山より若干高い)、 目の前の乗鞍岳、そして笠ヶ岳から始まる北アルプスの山々、さらには霞み気味だが八ヶ岳方面など 360度の大展望である。
再度食事をしながらこの後どうするか考える。しかし、どう考えても先の苦難の道を引き返す気にはなれない。 地図をもう一度見て所要時間を確認し、3人組と同じように平湯へ下ることにする。

3人組に先立ち、11時16分に金山岩を出発する。
最初は大きな岩の上を伝って進み、頂上の縁からはザレた斜面を下る。その後、灌木帯を下る。足下はやや荒れ気味だったが、 十石山−金山岩間のハイマツ地獄に比べてこちらはまさに天国であった。
乗鞍権現社の小祠前には 11時33分に到着。標識に従って平湯方面へと進む。
少し急斜面で滑りやすいところがあったりしたものの、ここからの道は良く踏まれていて本当に楽である。 目の前には焼岳が大きく見えたりする。
しかし、12時を過ぎると、周囲の山々はガスに覆われ始め、ほとんど展望が得られなくなる。ここはひたすら下り続けるしかない。

白猿の池を 12時35分に通過。その手前で 3人組のうちの 1人に追い抜かれたが、 その人はこの白猿の池で仲間を待っているようで、再度追い抜かせてもらう。
その後も順調に下り、スキー場のゲレンデ上部には 12時57分に到着したのだった。 右に進みゲレンデを下る。途中、工事中の場所があり、ブルーシートを片付けている人の横を進んでいくと、右側に 『平湯 2km』 の標柱を見つける。
ところがである、標柱に書かれている矢印はそのままゲレンデを下る方向を指していたにも拘わらず (その時は気づかなかった)、 標柱の横から林道が始まっていたので、何も考えずに林道を下ってしまったのだった。
平湯とは逆方向に進むのでおかしいなとは思いつつ、勢いでそのまま林道を下り続けると、やがて車道にぶつかったのだった。 後で知ったのだが、この車道は平湯−安房峠−中ノ湯−沢渡−松本と続く国道158号線であった (今朝程松本ICから辿ってきた道のさらに先の部分)。

車道を左に進んで下っていくと、何と 『ここは安房平 平湯 4km』 の標示が現れ、 道を間違えたことが確実になる。
しかし、もう引き返すわけにはいかない。4kmならなんとかなろうと、ひたすら車道を下る。
後で地図を見ると、道は山に沿ってかなり遠回りとなっていた。通る車の数が少ないのがありがたい。
さすがに足が棒になりかけた頃、ようやく平湯と書かれた標示板に遭遇。時刻は 14時4分。そのまま道を進み、 バスターミナルにタクシーが常駐しているのを確認した後、暫し温泉街を歩き回って日帰り入浴できる場所を探す。
地元の方に聞いて立派な構えの平湯館を紹介してもらい、そこのヒノキ風呂にて汗を流す。風呂はほぼ貸し切り状態で、 ノンビリ湯に浸かることができ本当に気持ち良かった。

その後、バスターミナルへと戻り、そこからタクシーにて白骨温泉へと戻ったのであった。
タクシー代は安房トンネルの通行料金も含めて 7,000円弱。この出費は、本日十石山から平湯まで縦走できた充実感を思うと納得である。

本日は十石山ピストンのつもりでいたところ、年配者のパーティ (小生も年配だが) に触発され、 結局 金山岩経由で平湯まで歩くことになったが、これは本当に良かったと思う。
十石山頂上で誰にも会わなければ、ピストン登山に終わった訳で、それでは教科書どおりでつまらない。十石山より先に進んだことで、 少し自分の殻を破れたような気になり、気分の良い山旅となったのだった。
スキー場からスンナリと平湯まで下っていれば、この日はパーフェクトの登山だったのだが、道を間違えたことで恐らく 1時間は無駄にしたと思う。 しかし、天候に恵まれ、ちょっとした冒険もできてなかなか楽しい山行であった。


目論見が外れた朝日岳  2013.10 記

10月12日からの3連休、3日間とも関東地方はほぼ良い天候に恵まれたようだが、 小生は連休最終日の14日に山に登ってきた。
行き先は群馬県の朝日岳。先日ヤマレコに掲載された、宝川温泉から朝日岳に登り、笠ヶ岳、白毛門と縦走して土合の方へと下り、 土合からはバスを乗り継いで宝川温泉に戻ってこられた方のレポートを読んで刺激を受け、小生も同じルートを辿りたいと思ったからである。
このようにヤマレコにはなかなか興味深いルートを辿った記録が時折掲載されており、中洞権現ノ尾根を辿った乗鞍岳を始めかなり参考にさせてもらっているが、 今回の朝日岳〜白毛門もなかなか思いつかないルートのため大いに興味を引かれたのであった。

なお、14日に登ることにしたのは天候を踏まえてのことで、 群馬県の方は天気が良くても、お隣の新潟県の天候が12日、13日とも雨絡みであったため、 両県とも快晴の予報が出ている 14日まで待った次第である。
また、先のレポートの方はかなり足が速く、6時30分に宝川温泉を出発しても余裕であったが、この頃体調があまり芳しくないことに加え、 最近左膝に少々の痛みを感じ始めている小生としては、少し早めの 6時頃に宝川温泉を出発すべく予定を組む。
下山する土合橋 (かつて白毛門〜朝日岳をピストンした際に利用した駐車場) から水上駅方面へのバスの時刻、 そして水上温泉から宝川温泉もしくは宝川入口までのバスの時刻も調べ、一応準備万端整えた状態で臨んだのであった。

横浜の自宅を 3時過ぎに出発する。宝川温泉は、 先日登った武尊山 (武尊神社側から登った) に近いので、この時間に出発すれば 6時頃に到着できると踏んでのものである。
出発時、空を見上げればオリオン座が良く見え、快晴の予感にテンションが上がる。
横浜ICから東名高速道に乗り、用賀で下りて環状八号線に入る。早朝にも拘わらず工事などで渋滞することが多い環状八号線だが、 今回は連休中ということもあるのだろう、工事も無くスムーズに進んで、練馬ICから関越自動車道に入る。
関越道の方も空いており、順調に進んで水上ICで高速を下りる。先日の武尊山と同様、国道291号線を進み、 大穴から県道63号線に入って藤原湖方面へと進む。小生の前に 2台の車が走っていたが、武尊山登山が目的なのではと思っていたら、 案の定、武尊トンネルを抜けた所で武尊神社の方へと曲がっていった。
小生の方はそのまま道なりに進み、やがて宝川温泉入口の案内に従って左に道を下る。暫く進むと立派な温泉旅館があり、 その前を通ってさらに進んで行くと、広い駐車スペースが現れたのでそこに車を駐める。時刻は 5時43分。目論見通りの到着時間である。

なお、道の方はこの駐車場を突っ切ってさらに先へと続いているが、 ここからは未舗装の林道になっており、加えて途中に崩壊があったため現在 車は進入禁止になっている。
駐車場には車が 4台程駐まっていたが、皆 登山者の車ならば心強い限りである。
身支度をして 5時49分に出発。宝川沿いに林道を進む。暫く進むと、目の前が大きく開ける。
右手の山の斜面が大きく崩れ、その崩れた土砂が林道ならびに宝川に流れ込んだようで、工事修復中の場所である。 現在林道の方は通ることができるようになっているが、他にも整備する箇所があるようで、まだまだ工事に時間を要しそうである。
黙々と林道を進んでいくと、やがて左手に飯場のような建物 (実は 宝川林業試験地観測所らしい) が現れ、 そこにも林道進入禁止のゲートが設置されていた。先の崩壊が起こる前はここまで車で入ってこられたようで、 実際、手元の地図にもそのように記載されている。

ここからの林道はススキなどの草が左右から迫り、かなり狭くなっていて、 さらには手入れもされていないので荒れている。途中にはススキに覆われてヤブのようになってしまっているような場所もあったが、 その後に忽然とアスファルト道が現れたりして驚かされる。
周囲を見ると杉の植林帯が多く、また林道脇には石積みあるいはふとん籠などで法面を作っている場所があったので、 昔はかなり林業が盛んであったのではないかと想像される。
この林道歩きはかなり長いが、青空が広がり、さらには途中から太陽が周囲の山々を越えて明るい日差しを注ぎ始めたので気分が良く、 あまり気にならない。

やがて、少し水気の多い草地を通過したかと思うと、 その先で山の斜面にぶつかって林道は終わりとなる。斜面には朝日岳登山口の標識が立っている。時刻は 7時10分。
さて、いよいよ山登りが始まると思ったのだが、斜面の登りは最初だけ。後は山腹を横切って進むことになる。
この道には右の斜面から流れ落ちる沢が多く、涸れ沢、岩が濡れた程度のもの、さらにはチョロチョロとした流れ、 そしてかなりの水量を持つ流れと、色々な沢が出てくる。
左斜面下には宝川の流れがあるが、樹林に邪魔されて見えないことが多い。
また、この道のもう一つの特徴は、小さなアップダウンが何回も続くことである。これが結構疲れる。
途中、ロープが設置された場所が 5箇所ほどあり、最後のロープは岩場の斜面を下降する場所に設置されている。

やがて、宝川の渡渉点に下り着く。 ここには宝川渡渉点の標識とともに、渡渉時、雪解けで水量が多くなった川に落ちて命を失った女性の遭難碑も置かれている。
川の流れは結構早く、また水深もかなりあるようなので、石伝いに進むしかない。幸いこの日の水量は少なかったので、 石が水面に露出していたが、水量が多く岩が水没してしまう場合など、渡渉はかなり難しくなることが予想される。
とはいえ、石伝いの渡渉もそれ程簡単ではない。暫し周囲をウロウロして渡渉に適した場所を探し、 最終的に色あせた赤布が木から垂れ下がっている所にある岩場から、川面に出ている石に飛び移り、さらに向こう岸の岩場へと飛ぶ。
こちら側からは赤布のお陰で渡渉点を見つけられたが、朝日岳側から下ってきた場合、渡渉場所を探すのに苦労するのではないかと思われる。

再び登り始めたところで下山者と擦れ違う。マットを持っていたので、 テントあるいは避難小屋に泊まられたのであろう。
やがて道は広河原へと下る。下る手前で、下方に宝川の流れと白い河原、さらにはその上流に山々が見え、 加えてそれらの山の向こうに、本日目指す朝日岳と思しき山が少し姿を見せており、思わずシャッターを切る。
支流を渡り再び山に取り付く。ここからも登りというよりは左側の斜面を横切るように進む川沿いの道が続く。
やがて足下に水の流れが現れることが多くなり、さらには泥濘 (ヌカルミ) となった状態が連続するようになって、歩くのに苦労する。
先程の宝川左岸の道といい、この右岸の道といい、斜面から川に流れ込む沢が数多くあり、水に困ることがない。

ナメ滝を横切り、やがて水量のある流れを渡ることになる。
この流れは、今までの小沢と違って岩が積み重なっている斜面を流れてきており、その斜面が上部まで見通せて開放的である。 その斜面を見上げると、先の方に本日目指す朝日岳の姿が見える。白い岩、紅葉した斜面、緑のササ原を有する姿に加え、 その後方に青空が広がっており、思わず声を上げてしまう程の素晴らしい光景であった。

この沢を横切ってから少し進むと、道は左に折れて漸く斜面への登りが始まる。
実際にはそれ程の急斜面ではないと思うが、登山道がほぼ一直線につけられているため、急斜面をジグザグに登るよりもキツイ。
加えて、先日の南駒ヶ岳・空木岳の失敗にも拘わらず、またまた ここまで休憩無し・何も口にしない状態で進んできてしまい、 エネルギーが切れ始める。運転しつつ朝飯を食べてから 4時間以上、駐車場を出発してから 3時間以上経っている状態であり、 さらには小生の苦手とする一直線の登りが続くため、ペースがなかなか上がらない。
紅葉のブナ林の中をバテ気味になりながらも、ひたすら登り続ける。

森林限界に出てから食事休憩にしようと思いつつ、 美しい紅葉に慰められながら何とか登っていくと、やがて後方の視界が開けるようになる。
振り返れば、武尊山などが見えるのだが、驚いたことにかなりの雲が湧き出しており、青空が無くなっている。 こちらは青空、太陽も輝いているので全く気づかなかったが、雲は徐々に空を覆い始めて、こちら側に迫っているようである。
そして実際、登っているうちに時々太陽が雲に隠れるようになって心配が増す。

長かった樹林帯も漸く終わり、周囲は灌木帯の斜面に変わる。 ここの登りも一直線で辛い。
左手を見れば灌木の向こうに朝日岳が見える。その後方にはやや薄い雲がかかり始めているとは言え青空が広がっており、 惚れ惚れするような姿である。バテ気味の中での登りは辛いが、気分が高揚する。
ところがである、後方を見ると雲の量はさらに増してきており、加えて今まで見たこともないような雲 (あるいはガス) の一団が下から広がり始めてきたのである。
そして、それは アッと言う間にこちらまで押し寄せ、一瞬のうちに朝日岳の姿を隠してしまったのであった。 加えて風も強く吹き始める。一気にテンションが下がる。空腹ではあったが、これでは食事を取る気にもなれない。

道は灌木帯を抜け、岩場の斜面を横切って進むようになる。
この岩場は上の方から染み出た水で濡れており、また斜面に沿って斜めになっている岩が多いので、 強い風に滑りはしないかと少し緊張する。
そのうち、小生もガスに囲まれてしまい、ついには 10m位先しか見えなくなってしまう。
おまけに強く吹きつける風は冷たく、体温を奪う。
それでも何とか岩場を抜け、目の前の高みに登り着いて暫く進むと、 ガスの中に木道が現れる。木道を進んでいくと、左の岩場に水場があったので、そこでノドを潤して少し元気をもらう。
この水は右手の池塘に流れ込んでいる。ガスでよく見えなかったものの、周囲には他にも池塘があるようである。

やがて木道は丁字路にぶつかる。時刻は 10時53分。
右に進めばジャンクションピーク、左は朝日岳・笠ヶ岳・白毛門である。当初の計画では、まずジャンクションピークに登る予定であったが、 バテ気味で、しかも何も見えないガスの中では登る気になれず、左に道をとって朝日岳を目指す。
木道の先、ガスの中に高みがボーッと浮かんでいる。あれが朝日岳かと思っていたら、道はその高みを右から回り込むように登っていくようになり、 着いた所はやはり朝日岳頂上であった。到着時刻は 10時57分。バテバテの到着である。
強風が吹き抜ける中、頂上には 5人程が憩っていた。恐らく 4人は土合橋から、1人は宝川温泉からと思われる。
頂上には標識の他、石仏、三角点などが置かれているが、展望の方はガスに囲まれ、全く得られない。

三角点に触れた後、石祠の立つ奥の方の岩場へと進む。岩場の陰に隠れて風を除け、本日初めての休憩をとりながら、この後のことを考える。
ガスの中、このまま白毛門の方へ進んでも恐らく谷川岳は見えず、何の面白味もないことが想像される。
しかも、登る前には楽しみにしていた土合橋からのバスの乗り継ぎも億劫に感じられるようになり、 さらには宝川入口から宝川温泉への歩きも面倒臭いと思うようになる (宝川入口のバス停から宝川温泉の駐車場まで、 かなり距離があることを今朝程知った)。
結局、今朝程は想像もしていなかった、往路を戻ることを選択する。
青空が広がり、展望が得られるような状況であれば、テンション高くジャンクションピークに登り、更には白毛門、 土合橋まで嬉々として進んだと思うが、このガスで心が完全に折れてしまった。

11時18分、誰もいなくなった頂上を後にして登ってきた道を戻る。
休憩中、一時的に日が差すことがあったものの、ガス、強風という状況は改善されず仕舞い。ガスの中を黙々と下る。
丁字路を右に折れ、水に濡れている岩場地帯を慎重に横切り、灌木帯に入る。
途中、周囲のガスの量はかなり減り、宝川対岸の山並みも見えるようになってはきたものの、朝日岳頂上は相変わらずガスに囲まれている。
登りの時に苦しめられた、樹林帯に直線的につけられた道は、下りでも小生を苦しめる。滑りやすいため足場を慎重に選ぶ必要があり、 足に余計な負担がかかる。
漸く長い下りが終わり、朝方に朝日岳が見えた沢を渡る。見上げれば、朝日岳手前の高みは見えるものの、 頂上部分は相変わらずガスの中である。ただ、朝日岳の左手に続く山並みは見えていたので、あのまま白毛門へと進めば、 展望を得られたのかもしれない。さらに皮肉なことに、日も時々差すようになってきている。

登ってきた道を順調に戻り、広河原を抜けて渡渉点へと進む。
今朝程の学習が功を奏し、難なく対岸へと渡ることができたが、まさか宝川をもう一度渡ることになろうとは・・・。
アップダウンの連続に辟易しながらも何とか下りきり、朝日岳登山口には 14時34分に到着する。
そして、後は荒れた林道を進み、さらには宝川林業試験地観測所前のゲートを抜けてからは普通の林道を黙々と歩き続け、 駐車場には 15時48分に戻り着いたのだった。
駐車場には 10数台の車が駐車していたので少々驚いたが、宝川温泉の日帰り客の車のようである。

本日は青空を期待し、満を持しての登山であったが、 アッと言う間の天候の変化に、当初の目論見は果たせなかったのであった。残念ではあったが、 朝日岳までの道はなかなかユニークであり、また朝日岳の姿も一応は見ることができたので、 結構楽しめたの一日であった。
しかし、展望のことを考えると、土合橋の方から辿ってきた方が谷川岳の姿などを早くから楽しむことができるため、 良いのではないかと思われる。
ただ、小生自身としては、一度登ったことのあるコースを再び辿るよりも、初めてのコースを登る方が刺激的で楽しいのだが・・・。


快晴に恵まれた南駒ヶ岳、空木岳  2013.10 記

体調回復状況をチェックすべく 9月14日からの三連休初日に阿弥陀岳に登ったのに引き続き、 9月21日からの 3連休にも山にトライすることにした。
今回は先の阿弥陀岳よりももう少し体力的に厳しい山をと思い、昨年トライしたものの空木岳のピストンだけに終わってしまった 空木岳と南駒ヶ岳の周回登山を目指すことにした。
体力的にハードなコースであること、そして昨年のリベンジを果たしたいという思いが選定の理由だが、さらには、 連休のため各地の山域で混雑が予想される中、この山域は比較的空いていると思われることも重要な選択要素である。
なお、伊奈川ダムから周回する場合、木曽殿越経由にて最初に空木岳に登るコースは、途中あまり展望が得られず、さらには 六合目から 八合目、 そして木曽殿越から空木岳への登りが大変キツイことが昨年身に染みて分かったので、こちらは下山路に使うことにする。
従って、まずは南駒ヶ岳を目指し、そこから赤梛岳を経て空木岳に至り、木曽殿越へ下るというルートになるのだが、こちらは 3年前の南駒ヶ岳〜越百山縦走にて、 途中の北沢尾根三角点を過ぎると徐々に展望が開けることを確認済みである。

9月21日土曜日、夜中の 2時に家を出る。もっと早く出発したかったのだが、 前日に飲み会があって帰宅が遅くなり、睡眠時間確保 (と言っても 2時間程しか寝てない) を優先したため、 ギリギリ妥協できるのがこの出発時間となった次第。
何時もどおり中央道を進み、伊那ICで高速を下りた後は権兵衛トンネルのある国道361号線を進んで木曽側へと抜け、中山道に入る。
木曽福島を南下し、大桑中学の所から伊奈川ダムへの道に入り、林道を進む。駐車場到着時刻は 6時丁度。周囲はスッカリ明るくなっており、かなり遅い。
慌てて身支度をして駐車場を 6時6分に出発する。この時間、2つある駐車場のうち上の方は満車だったものの、もう1つはまだ余裕がある。 やはり木曽側は混雑があまりない。
なお、小生は半袖・Tシャツで出発したのだが、他の人達は皆長袖であり、確かに半袖ではこの時期少々寒く感じる (歩き始めると暑くなり、全く問題なくなった)。

駐車場を出てすぐに橋を渡ると丁字路に突き当たるので、そこを右折する。 なお、左の道は本日順調に行けば木曽殿越から戻ってくる道となる。
暫く林道歩きが続き、福栃橋には 6時42分に到着。ここも丁字路になっており、道を左にとって南駒ヶ岳登山口を目指す (右に進めば越百山)。 この林道歩きも長い。上空を見上げれば雲一つ無い青空が広がっており、気分が高揚する。

南駒ヶ岳の登山口 (四合目) には 7時4分に到着。梯子を昇って山に取り付き、 暫く斜面を横切るように進むと、やがて急登が始まる。
ササ原の中の道をジグザグに登っていく。途中、雨量ロボット計や五合目の標識など、一応メリハリはあるものの、とにかく樹林の中をひたすら登り続ける。
本日は快晴であるが、こちら側はまだ日が良く当たらないので、何となく暗い。登り続けること 約1時間強、ようやく傾斜が緩んで尾根上に飛び出すと、 ここからは明るい尾根歩きが続く。
ただ、両側とも樹林であるため、展望はあまり得られないのだが、1,850m (見晴台) の標識を過ぎると、左側の樹林が所々途切れ、 御嶽が見えるようになる。

緩やかだった尾根道も、やがて急斜面にぶつかり、 シラビソの樹林帯の中を再びひたすら登り続けることになる。
道は徐々に右の方へと進むようになり、今まで右にあった太陽は樹林越し、正面に位置するようになってくる。
高度を上げていくと、左手樹林越しにチラチラ岩峰が見え始め、三ノ沢岳、空木岳の一部らしき岩場も見えてくる。 樹林が邪魔をしてなかなか見通すことができないが、この先展望が開けることが分かっているのであまりイライラしない。
傾斜が緩くなってくると三角点のある北沢尾根三角点。時刻は 9時33分。
このルートに立てられている標識には、南駒ヶ岳まであと ○分という記述がある。そこで、現在の時刻に標識記載の所要時間を足してみるのだが、 標識が現れる度に到着時間が早くなっているのが楽しみである。登山口では 12時半頃の到着予定だったのが、この北沢尾根三角点の時点では 11時33分位にまで減ってきている。

体調の方は万全とは言えないものの、あまり無理をしなければ問題ない。
道の方はかなり平坦になり、樹林越し右手に越百山が見えるようになる。やがて、ザレ場を右に過ごすと、展望が一気に開けるようになる。
御嶽、乗鞍岳が大きく、さらには笠ヶ岳、奥穂高岳も霞み気味ながら見えている。そしてさらに右には三ノ沢岳、木曽殿越、空木岳も見える。 テンションがグッと上がる。

道は尾根の右側、左側を交互に進むようになり、右側を進む時には南駒ヶ岳、 仙涯嶺、越百山と続く尾根が見える。
少し傾斜がきつくなり、2,591mの標識を過ぎると、目の前に南駒ヶ岳が大きく、さらにはそこに至るまでに登らねばならないハイマツの高みが見えてくる。
ここまでは良いペースだったのだが、そのハイマツの高みを登り始めてから、途端にスタミナ切れのようになってペースが落ちる。 少し休憩して何かを口にすれば良かったのだが、既に六合目付近で1回休んでおり、さらにはその高みの途中にある 2,700mの標識に、 南駒ヶ岳まであと 45分とあったので、そのまま登り続けたのが失敗であった。

さらには、ハイマツが前回登った時よりもかなり煩くなっており、行く手を阻む。
足下はしっかり踏まれているので問題ないのだが、胸元を越す高さまで伸びているハイマツが道の上部を塞いでおり、 登り斜面であることもあって予想外に手間取るのである。これでかなり体力を消耗する。
何とかハイマツ帯を抜けると今度は岩場の登りが続く。それ程急ではないものの、空腹、疲れもあってなかなかペースが上がらない。
休憩すれば良いとは分かっているが、少し登れば稜線で南アルプスも見えるようになると思い、何とか登り続ける。
漸く稜線に登り着くと、目論見通り伊那谷の向こうには南アルプスの山々が屏風のように広がっている。しかし、稜線で休むと決めておきながらも、 一方で早く頂上まで行ってしまいたいという気持ちも強く、結局そのまま頂上まで進むことにする。

この稜線手前から頂上まではハイマツにピンクテープが付けられ、 岩の上には小さなケルンが置かれているものの、少々ルートが分かりにくい。
こちらから頂上を目指す場合はまだ良いが、頂上からこちらへと下る場合、ガスで視界が利かないようだと大変苦労するのではないかと思われる。
前回、木曽殿越経由にて空木岳まで進んだ際、時間不足に加え南駒ヶ岳方面が完全にガスの中だったため、そのまま引き返すことにしたのだったが、 やはり正解だったようだ。

フラフラになりながら南駒ヶ岳の頂上に到着。時刻は 11時39分。
順調に登ってきたものの、ハイマツ帯の登り辺りから大分時間を食ってしまった。
頂上には誰もおらず、小生の到着の 10分後に空木岳から登山者が登ってくるまで頂上独り占めであった。晴天が予想される 3連休初日というのに、 やはりこの山域は空いている。
頂上からの展望は素晴らしく、南アルプスの山々がシルエット状になってズラリと並び、塩見岳の後方には富士山も少し顔を見せている。 また、先月登った赤石岳、聖岳も良く見えているのが嬉しい。
南アルプスの左にはやや雲が多い八ヶ岳。そしてその左方に目をやれば、空木岳、宝剣岳、木曽駒ヶ岳、三ノ沢岳など中央アルプスの山々が見える。
そのさらに左には、さすがにこの時間では霞んでいる穂高連峰、笠ヶ岳、乗鞍岳といった北アルプスが見え、乗鞍岳の左隣には御嶽が独立峰として聳えている。
そして御嶽から大きく左に目を向ければ、前回縦走した越百山、仙涯嶺も見える。
そして目の前には、赤梛岳。素晴らしい眺めであり、秋らしい風情を漂わせつつあるのがなかなか良い。

頂上で 20分程景色を堪能した後、赤梛岳、空木岳を目指す。
一旦大きく下ってから登り返すことになるのだが、この足下はザレた道で滑りやすく要注意である。
やがて右に摺鉢窪避難小屋の道を分け、赤梛岳の登りに掛かると、ガスが左側からドンドン上がり始め、アッと言う間に周囲の景色を隠してしまう。
赤梛岳頂上には 12時39分に到着。ここには棒が立てられているだけで標識などない。
周囲はガスのため展望はほとんど利かず、時々ガスが流れて南駒ヶ岳の姿が部分的に見えるだけである。

すぐに空木岳へと向かう。
途中、左側の谷からガスがドンドン上がってきて、先の方の視界を隠す。もうこの時間では仕方がないかと、空木岳での展望を諦めていたところ、 何と言うことであろう、進むうちにアッと言う間にガスの流れがなくなり、先程までガスに囲まれていたことが嘘のように周囲の展望が開けたのであった。
少々落ち込んだテンションが再び上がる。

空木岳への道は、赤梛岳との鞍部から暫くほぼ平坦あるいは緩やかな登りが続き、 やがて急斜面を登ることになる。
足下の崩れやすい斜面をジグザグに登る。遭難碑が埋め込まれた大岩の上を進み、高みに登り着くと、さらに先に岩の尾根が続き、その先に高みが見える。 人々の姿も見えるので、あれが空木岳頂上であろう。
途中、高度を上げて振り返れば、今まで全く意識していなかった田切岳が拳骨のような特異な姿を見せている。見る角度によって形が全く違うため、 その存在に気づかなかったのか、ガスに隠れていたのか・・・。
最後はジグザグに斜面を登って、13時49分、空木岳頂上に到着。
三角点付近には人が多くいたので、少し離れた所で暫し休憩。ただ、人が多いと言っても木曽駒ヶ岳などに比べれば大したことはない。

何時ものことながら、ここからの眺めも素晴らしい。
さらには南駒ヶ岳へと続く縦走路も、今回ようやく歩くことができただけに、なお一層素晴らしく見える。
13時59分、木曽殿越を目指して下山開始。
こちらは南駒ヶ岳とは違い、岩にペンキ印がしっかり付けられているので迷うことはない。大岩の上、そして間を進み、鎖場を越えて、 やがて第一ピークに到着。下に木曽殿山荘、上方に東川岳、そしてそこから木曽駒ヶ岳へと続く稜線を見ながら下る。 ここは相変わらず風が強い。

木曽殿山荘前には 14時55分に到着。前回よりも 1時間弱遅い時間であり、 いくら前回 (10月下旬) より日が長いといっても、 下山の途中で真っ暗になってしまうのは間違いないところである。
ただ、最後は林道歩きが続くので、林道歩きの起点となるうさぎ平に明るいうちに着きさえすれば、後は何とかなる。

小屋前で水を飲んだだけですぐに出発。ペットボトルを片手に道を下る。
義仲の力水まではほぼ平らな道が続く。義仲の力水には 15時5分に到着。前回と違って水はまだしっかり流れている。
ペットボトルに水を汲み、チビリチビリとやりながら下る。
八合目まではほぼ緩やかな道が続き、その後はキツイ下り斜面が待っている。
シラビソなどの斜面を下るのだが、最初は下草も生えていない荒れ気味の斜面が続き、やがて足下にシダ類が見られるようになったかと思うと、 暫くして再び何も下草が生えていない状況に戻り、やがてササ原の斜面に変わる。
下り着いた所が仙人の清水。こちらよりも義仲の力水の方が美味の様な気がする。
ここからも北沢まで下りが続く。よくもまあ昨年、こんな急斜面を登ってきたものだと感心する程、ひたすら下り続ける。

このコースはやはり展望がほとんどなく、義仲の力水から木曽殿越にかけて空木岳、 南駒ヶ岳が見える他、途中にある見晴場くらいしか展望は得られない。周回する場合、先に南駒ヶ岳を目指した方が絶対良い。

長い下りも終わり、北沢の吊橋を 16時43分に通過。ここからは登りが待っている。大した登りではないのだが、 精神的・肉体的に一番キツイ頃なので辛い。
ヒイヒイ言いながら何とか登り切ると、暫く平らな道が続いて八丁のぞきを通過。そこからうさぎ平への下りとなる。疲れているからであろう、 この下りも長く感じられる。

うさぎ平には 17時33分に到着。何とか明るいうちに林道まで辿り着けてホッと一安心。 うさぎ平にあるベンチで暫し休憩する。なお、意外にもこのうさぎ平に車が 1台駐まっていた。木曽殿山荘の人の車なのだろうか。
10分程休んで、17時43分に出発。ザックからヘッドランプを取り出し、林道を下る。
金沢土場には 17時58分に到着。地図記載の時間、今のペースから推測するに、駐車場到着は 19時15分頃と予想し、黙々と林道を進む。
前回同様、途中から周辺は真っ暗になる。満月に近い月が上空に出ることを期待していたのだが、時間的にそれは叶わず仕舞い。 暗闇にボーッと白く浮かび上がる花崗岩屑の道を進み、途中からヘッドランプを点灯する。途端に、動物がガサゴソ木を揺らすような音が聞こえたのでドキッとしたが、 そのような状況はこの時だけ。
また、この涼しさではライトに虫は寄ってこないのがありがたい。

まだかまだかと思いながら兎に角暗闇の中を歩き続ける。大変心細いが、 せめてもの慰めは夜空に輝く宵の明星。
やがて待望のトンネル (というか、雪崩シェルターかも) が目の前に現れる。ここまで来れば駐車場も近い。
トンネルを抜け、丁字路で右に折れて橋を渡れば駐車場到着である。時間は 18時53分。
標識のある辺りは真っ暗。但し、小生が車を駐めた下の駐車場の方は本日車中泊すると思しき方が 1人おられ、その方のヘッドランプで少々明るかった。

本日は、体調回復状況確認の第2弾として長丁場の山行に挑んだが、 やはりどこか本調子ではないのであろう、従来よりも時間がかなりかかってしまった。 しかし、これは体調の問題だけではないかもしれない。
とはいえ、山の方は一時ガスに囲まれてしまったものの、晴天の下、総じて素晴らしい展望が得られ、秋になりつつある山を大いに楽しんだのであった。


体調確認の阿弥陀岳  2013.9 記

会社の夏休みを利用して聖岳−赤石岳に登ったのが 8月14日から 16日。
それ以降山には行っておらず、気がついたらもう 9月も半ばである。
山に行かない (行けない) 理由はいろいろあったのだが、体調が今ひとつであったことが一番大きい。
漸く体調が戻りつつある中、9月14日からは 3連休である。体調をチェックする意味もあって久々に山に行ってみることにした。
登山日については、台風の影響もあって 15日、16日は雨の予報のため、必然的に 14日の土曜日となる。行き先の方だが、 気持ちとしては夏も終わりとは言え、まだ夏山シーズンの延長として日本アルプスに登りたいところである。ただ、 日本アルプスの山々は皆 登山基地までのアプローチが大変であり、さらにはほとんどの山がキツイ登りを持っていることから、 もう少し体調が良くなってからにしたいという気持ちも強い。

そんな中、ふと思いついたのが八ヶ岳の阿弥陀岳である。
この阿弥陀岳には既に 1回登っているものの、今年登った編笠山・西岳や昨年の赤岳・権現岳などから見たその姿が大変印象的であり、 いつかもう 1度登りたいと思っていた山だからである。
しかも、アルペン的雰囲気は日本アルプスにも負けぬものがありながら、 登山基地へのアプローチが容易であり、登りもそれ程キツイものではない (はずだ) からである。

さて、コースであるが、前回は美濃戸口から南沢沿いを進んで行者小屋まで進み、そこから阿弥陀岳に向かったので、 今回はコースを違えて美濃戸口から御小屋尾根を辿ることにした。
唯一の心配は、この連休初日、登山口となる美濃戸口に車を駐車できるかということであるが、6時位の到着を目指せば何とかなるだろうと考え、 ダメなら舟山十字路の方へ回る覚悟にて出発する。

横浜の自宅を 3時半に出発する。何時もどおり国道16号線を進み、 八王子バイパスに入った所ですぐに町田街道へと下りて圏央道 高尾山ICを目指す。このルートは現在の車に搭載のナビに教えられたものだが、 面白いことに、先日ナビの地図を書き換えたところ、ナビは八王子バイパスをそのまま進んで中央道八王子ICへと進む道を案内したのだった。
高尾山ICから圏央道に乗り、八王子JCTから中央道へと入る。天候の方は今ひとつの状態で、全体的にガスがかかっているような感じであり、 日影トンネルを抜けてからも南アルプスの山々はほとんど見えない。
また、更に進んで本来 八ヶ岳が見えてくる場所に至っても八ヶ岳は全く見えない。非常に嫌な予感がする。

小淵沢ICで高速を下りて、すぐに右折し、八ヶ岳高原ライン (県道11号線) を進む。
やがて、大平の丁字路まで進んだところで左折し、八ヶ岳鉢巻道路に入る。この道は富士見高原リゾートから編笠山・西岳に登る際に何度も利用しているので勝手知った道である。
その富士見高原リゾートを右にやり過ごし、さらに先へと進む。やがて Y字路となって美濃戸口への道が右手に分かれる。右に道をとり、 別荘地の中を暫く進めばやがて美濃戸口。
上に 2つある駐車場は満車のようであったが、テニスコート跡の駐車場は空いており、そこに車を駐車する。時刻は 5時58分。駐車場所が確保できてホッとする。

身支度をして出発。駐車料金を支払う場所が閉まっていたので、 下山時に支払うことにして先へと進む。
八ヶ岳山荘横で道が分かれる。行者小屋や赤岳を目指すのであれば、左に曲がって樹林帯の中の道を進むことになるが、 御小屋尾根経由にて阿弥陀岳に登るにはそのまま舗装道をまっすぐ進むことになる。
この舗装道歩きが意外と長い。しかも結構 勾配があるので疲れる。
要所にある標識に従って別荘地の中を進む。やがて道は未舗装道へと変わり、その道が終わる所で登山道が現れる。
ササの中に付けられた道を進む。面白いことに、登山道の方はあまり勾配がなく、舗装道の方が勾配がきつかった感じである。
登山道の傍らには所々に財産区境界明認の札が刺してある。北八ヶ岳の天狗岳から枯尾ノ峰経由で下山した時も同じように境界確認の札があったが、 この地域の決め事なのだろうか、毎年土地関係者が確認を行っているようである。

緩やかな道が続く。時折、急登となるものの長くは続かず、総じて緩やか。 こういった道は体調不良の身には助かる。
樹林帯なので展望はほとんど得られない。やがて三角点のある場所に登り着く。御小屋山 (御柱山) である。ここで舟山十字路からの道と合流するが、 山というより尾根の一部という感じで、展望は無い。時刻は 7時29分。
ここからも緩やかに登っていくと、樹林越しに旭岳、権現岳、ギボシが見え、さらには南アルプス 甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳もうっすらと見え、 少しテンションが上がる。
やがて、不動清水の標識が現れる。時刻は 8時9分。清水は 2分程右に下った所にあるらしいが、立ち寄らずにそのまま進む。

この不動清水を過ぎると、徐々に傾斜がきつくなってくる。樹林帯をひたすら登り続ける。
やがて、正面には逆光ながら目指す阿弥陀岳の姿も樹林越しに見えるようになり、 さらに登り続ければ、ようやく森林限界。展望がグッと開ける。
天候の方は快晴とまではいかないものの、青空が結構拡がっており、朝方のガスは無くなったようだ。 目の前には阿弥陀岳の急斜面が待っており、左にはガスに浮かぶ蓼科山。そして西天狗が見える。東天狗の方はガスに見え隠れする状態である。
また、天狗岳のさらに右には硫黄岳、横岳も見えている。こちらの方はガスが掛かっていないので、阿弥陀岳の頂上も期待できそうである。

右を見れば、本年初めに登った西岳・編笠山、さらにはギボシ、権現岳がよく見える。そして、それらの山々の後方には仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、 北岳というお馴染みの 3役が見える。お馴染みと言ったのは、ここから見るこれら南アルプスの山々は、 編笠山や西岳頂上から見るそれと構図がほぼ同じだからである (ここと西岳・編笠山の稜線を結ぶ線の延長上に南アルプスがある)。

登山道はこの阿弥陀岳への急登で一気に厳しくなる。体調はまあまあだと思っていたが、 先程の樹林帯の急登以来、かなり身体が重いことに気づく。
さらには尾籠な話で恐縮だが、便意を催し、あまり登山に集中出来なくなってきてしまったのである。無論、大キジを打とうにも、 森林限界では丸裸状態でそれも叶わない。自分の身体を騙しながら登り続ける。
振り返れば、登り来たりし尾根が見え、ガスが下方に湧いているのが見える。このままガスが上がってくることはないと思うが、 折角ならば展望の利く頂上に登りたい。
喘ぎながらも登り続け、ロープなどのある岩場に近づく。そして、登り着いた所が阿弥陀岳南陵からの道との合流点。そのまま左に進んで摩利支天へと進む。

ここで大失敗。ここが西の肩、摩利支天であることは分かっていたが、そのまま鎖場、 梯子を下ってスーッと通り過ぎてしまったのである。
しかし、少し進んで振り返ると、登らずに通り過ぎた岩場の上にケルンが積まれているではないか。さらには帰宅後調べて見ると、 その岩場には摩利支天と彫られた岩の他、鉄剣等 それなりのものが祀られているということが分かったのであった。事前にガイドブックを読まなかったのが失敗、 反省である (便意もあって急いでいたこともあるが)。

その岩場を過ぎると、後はハイマツの中の道を緩やかに登っていけば良い。 そして、9時55分、阿弥陀岳頂上に到着。山頂には数人の人が憩っている。
まず目に入るのが正面の赤岳である。そして、阿弥陀岳から中岳、赤岳と続く縦走路、垂直に見える赤岳の斜面、そこにジグザグに付けられた登山道がよく見える。
本日は身体が重い上に、便意を抱いたまま登り続けることになったので、頂上に着いたら行者小屋に下ろうと思いながらここまで登ってきたのだったが、 赤岳を見た途端に登意欲がグッと増し、赤岳に登らずして下山してはならないという気持ちにさせられたのだった。
そうなると、不思議なことに便意も スーッと引っ込み、この後 一度も便意を催すことはなく、赤岳山頂の小屋、行者小屋などのトイレも使用しなくて済んだのであった。 不思議なものである。

10時12分、赤岳を目指して阿弥陀岳を後にする。
赤岳は時折ガスに囲まれてしまう状況となっているが、赤岳頂上の展望にはあまり拘りが無い。既に 6回も登っているからなのか、 あるいは、本日の目的地は赤岳ではないという思いが強いからであろうか。
阿弥陀岳の下りは足場がかなり悪い。危険度はそれ程高くはないが、気をつけないと落石を起こしそうなので神経を使う。 最後に長い梯子を下りて中岳とのコルに下り着く。
行者小屋に下るのならここを左折だが、ありがたいことに便意の方はどこかに行ってしまったので、そのまま中岳を目指す。 石碑が置かれている中岳頂上から阿弥陀岳を振り返る。堂々とした素晴らしい姿である。
中岳はそのまま通過し、赤岳とのコルに下る。ここからいよいよ急斜面が待っているが、阿弥陀岳からは垂直に見えた斜面も、 いざ登ってみると傾斜が意外に緩やかなので少々驚かされる。そう言えば、積雪期に見るこの斜面は、 スキー場のゲレンデのようでいつも惚れ惚れさせられるのだった (つまり好ましい角度だということ)。

高度を上げていくと、やがて行者小屋への道を左に分ける。ここはもう赤岳を目指すのみなので、 そのまま登り続ける。
やがて岩場に取り付くことになる。前を進んでいた方々が少々ユックリなので、こちらもペースを合わせる。これなら身体は楽である。
とは言え、遅いペースにだんだん我慢できなくなり、頂上直下で正規の道をはずれて右側から頂上に登り着く。時刻は 11時17分。
頂上はガスに囲まれていて展望が利かない。さらには人々でごった返しているので、三角点を踏んだ後、すぐに北峰へと向かう。
振り返れば、ガスの中に南峰が浮かび上がっているが、このような光景は赤岳に登る度に見ているような気がする。

頂上山荘を過ぎ、天望荘へと下る。
ガスなので周囲の景色は皆無。中途半端に景色が見えたりしないので、未練も残らずありがたい。
天望荘を過ぎ、さらに進んで、やがて地蔵尊の置かれている地蔵尾根の下り口に到着。時刻は 11時41分。
周囲はガス、これでは横岳方面へと足を伸ばす気にもなれない。ここから美濃戸口を目指す。
ここの斜面もかなり急で、梯子が数多く付けられている。前回ここを下ったのは残雪期であり、無雪期に下るのは今回初めてとなるためだろうか、 印象がまるで違う。

下り続けてやがて行者小屋に到着。行者小屋前では沢山の人達が憩っている。 時刻は 12時16分。
ここもパスしてそのまま下る。やがて白河原に入ったので振り返れば、大同心、横岳が良く見える。ガスはこちらの方までは掛かっていなかったようだ。
途中、多くの登山者と擦れ違う。時刻は 12時を過ぎているので日帰りとは思えない。明日は雨、その次の日は台風と分かっているのに山中泊を目論んで登ってくるというのは、 小生には理解出来ないが、雨の山もまた楽しという心境をお持ちの方々なのであろう。
急な雨ならいざしらず、雨と分かっていながら山に登ることなど、小生にはとてもできない。小さなお子さん連れの方もかなりおられたが、 雨の山を経験して山がキライにならねば良いがと余計なことを心配してしまう。

なお、この下山時に気になったことが 1つある。
擦れ違う際、登り優先と思い、こちらが止まって待っているにも拘わらず、黙って通り過ぎていく輩が多いのである。 特に、30歳以上と思われる方々にそういう人が多く、むしろ若者達の方がチャンと挨拶してくれたり、お礼を言ってくれる。
また、こちらが挨拶しても無言の人も多い。登山ブームで登山人口が増える一方で、山で挨拶もできない、 あるいはマナーを知らない人達が増えているとしたら問題である。
というようなことを思っている小生も爺臭くなったものである。

美濃戸口には 14時8分に戻りつく。
駐車場は満杯。しかも、小生のように料金を払わずに登っていった人がそのまま帰らないようにと、車でのバリケードを作っている (当然と言えば当然)。
そのバリケードも、2台ほど動かせば他の車が出られるようになっている。長い間のノウハウなのだろうが、いたく感心してしまった。

体調確認の登山となったこの日は、 身体が重く感じたとは言え、まあまあの状態であった。
次の 3連休ではもう少しハードな山に登ってさらに体調を確認したいところである (ということで、 次の 3連休の初日となる 21日、南駒ヶ岳、空木岳に登ってきた)。


疲れたが最高の夏山 (体力には問題あり)  2013.8 記

小生の勤める会社では8月10日から18日までを夏休みとしている。
当然この期間に山に行かない手はない訳で、14日から 16日までの 3日間にて山に行くことにした。
行き先であるが、当初は一昨年チャレンジしたものの、結局 椹島−赤石岳のピストン登山に終わってしまった 南アルプスの赤石岳+荒川東岳 (悪沢岳) に再チャレンジすることを目論んでいたのだったが、 当該地域の地図をジックリ眺めているうちにスッカリ気が変わってしまったのだった。

赤石岳+荒川東岳を登るのは大変魅力的ではあるものの、既に 17年前に登っているコースであり、それよりも初めてのコースを歩きたい、 初めての山に登りたいという気持ちが強くなり、当初狙っていたコースの隣となる聖岳+赤石岳間を歩くことにしたのである。 この聖岳・赤石岳間には、兎岳、中盛丸山、大沢岳という未踏の山々、そして百間平というなかなか魅力的な場所があっていつも気になっていたからである。

ということで、今回は聖沢から登ってお馴染みの聖平小屋に泊まり、翌日聖岳、兎岳、中盛丸山、 大沢岳を越えて百間洞山の家に宿泊。最終日は百間平から赤石岳を越えて椹島に下り、そのまま帰宅するというコースに変更したのだった。 このコースで、かつて歩いたことがあるのは聖平小屋−聖岳間、赤石岳−椹島間のみ。未知の山、コースが多く楽しみである。
しかしである、こうなったらもう 1日追加して荒川東岳も登ってしまいたいとの欲が出てくるのは当然のこと。が、日程が許さず、さらには、 近頃 荒川東岳を含む荒川三山には三伏峠側から登ってみたいという考えが強くなってきていることから、今回は荒川東岳を断念することにしたのだった。

14日は夜中の 1時過ぎに起床。前日の 22時に就寝したものの、それまで世界陸上を深夜まで見る日々が続いていたことから寝つくことができず、 実際眠ったのは 1時間くらいであった。
暑い中、寝不足でバテないかと心配になったものの、幸いこの日は聖平小屋までであり、炎天下に急斜面を登り続けるということはないはずなので何とかなるだろう と自分に言い聞かせる。
1時40分に横浜の自宅を出発。横浜ICから東名高速道に乗る前に、コンビニで食料・水を仕入れる。恐らく今回のコースでは水には不自由しないと思われたが、 万が一を考え、最低 1日 2本という計算で 500mlのペットボトルを 6本購入する。

東名高速道を下る。さすがにこの時間では渋滞はなかったものの、結構車の量は多い。
御殿場JCTからは新東名高速道の方に進み、新静岡ICで下りる。ICの下が桜峠入口の丁字路となっており、何回も通っている梅ヶ島温泉への道 (安倍街道:県道27号線) に合流する。
今までは清水ICから静清バイパス、そして安倍街道を通ってこの桜峠入口まで進んでいたのだったが、新東名のお陰で大分時間が短縮されたことになる。
やがて玉機橋のところで左折して安倍川を渡る。その後暫く進んだ後、橋を渡った所 (上助) で道が分かれるので右折して口坂本温泉を目指す (県道27号線のまま)。

本来ならまっすぐ進んで県道189号線に入ればよいのだが、現在県道189号線は工事中で夜間は通行止め。 さらに県道60号線に至っては、途中に終日全面通行止め区間が存在している状況である。
従って、井川に至るには、この口坂本温泉、大日峠経由で県道60号線に入るか、前黒法師岳、朝日岳でお馴染みとなった千頭の方から大井川鉄道井川線沿いの道を進むかのどちらかになる。 小無限山に登った際に通った千頭から井川までの道も狭かったが、この口坂本温泉経由の道も狭い。夜中に山の中を進むので、 擦れ違う車もほとんど無く (1台あった)、また対向車が来てもそのライトで気づくことができるが、昼間この道を通るのはちょっと怖い。 すれ違いができない箇所が沢山あるのである。
また、途中、カモシカ 2頭と遭遇。1頭は道脇の草むらにいたから良かったものの、もう 1頭はガードレールの間からお尻を出した状態だったので、 それが何かを認識するまで時間を要してしまい、もう少しで接触するところであった。

とは言え、真夜中だからこそ順調に進むことができ、井川ダム、井川の町並みを越えて、 畑薙ダムの臨時駐車場に着いたのは 5時20分であった。広い駐車場はほぼ満車状態。奥の方にスペースを見つけて車を駐める。
まだバスの発車時間まで余裕があるので仮眠をとも思ったが、結構バス停に人が並び始めているのを見て、5時50分に小生もバス停に並ぶことにする。
臨時バスが出るに違いない (正規のバスは 8時) と思っていたら、案の定 6時45分頃にバス 1台が出発。小生も 2台目のバスに乗り込むことができ、 7時前に駐車場を出発できたのであった。
小生は終点の椹島まで行かずに手前の聖沢で下りるので、同じく聖沢で下りる 3人と一緒に最後にバスに乗り込む。当然補助席となるが、 悪路のためバスの板バネもへたっているのだろう、乗り心地がすこぶる悪く、さらには補助席だと背中が痛い。

聖沢には 7時44分に到着。身支度を調え、7時51分に出発する。
道はいきなり山道となりシラビソの樹林帯を登っていく。自然林なのでなかなか良い雰囲気と思っていたら、周囲はいつのまにかヒノキの植林帯へと変わり少々興ざめる。
この後の登山状況詳細は後々アップする登山記録に譲るが、聖沢から聖平小屋までの間はほぼ樹林帯で、展望が大きく開けたりするような所はなく、 ひたすら登り続けるという状況である。
途中、樹林越しに聖岳が見えたりするものの、この日、聖岳にはガスがかかっていて山頂を見ることができない。
嬉しかったのは、途中で沢を横切ることが何回もあり、水に不自由しなかったこと。久々の登山、そして寝不足の身にとっては冷たい水が大変ありがたい。
それから岩頭滝見台も休憩場所としてなかなかのもので、遙か下方に見える滝、渓流の眺めが素晴らしい。紅葉の時期であればさぞかし美しいであろうと想像される。

やがて、道は沢と併行して進むようになり、何回か沢を渡り返していくと、 不意に目の前にテントが現れた。もっと時間がかかると思っていたので、最初違法テントかと思った程であるが、聖平小屋に到着である。時刻は12時48分。
チェックインしてすぐにビールを頼む。玄関先ではフルーツポンチが無料で振る舞われており、これが聖平小屋の名物と知ったが、小生は食せず。 この時の心境は 500mlのビールが無性に飲みたかったのだった。

さて、山小屋は昨年の穂高岳山荘、一昨年の赤石小屋、さらに農鳥小屋等々、毎年 1回は利用しているが、 山小屋でいつも悩まされるのが他人のイビキ。本当に煩く、一方、当の本人は熟睡に近く、イビキで眠れない者と同料金ということが納得いかない。
前日 1時間程しか寝ていないにも拘わらず、眠りは断続的。それでも 4時になれば目が覚め、食欲もあり、身体がそれ程重くなかったのがありがたい。
4時54分に聖平小屋を出発。山にはガスが掛かっているが、徐々にガスは無くなり、途中から聖岳がよく見えるようになってテンションが上がる。
聖岳には 6時58分前に到着。赤石岳が遙か遠くに見える。
また、本日これから辿る兎岳、中盛丸山、大沢岳も見えるが、アップダウンが続くことになりかなりきつそうである。

そして、その予感どおり、大きなアップダウンに苦しめられながら進むことになる。
この日は快晴で日差しも強く、コンディション的にも少々厳しい。聖岳を出発し、大きく下った後、厳しい登りの連続に途中何回も休もうと思ったものの、 もう少しもう少しと自分に言い聞かせながら足を進め、兎岳頂上まで歩き通す。
しかし、体力が落ちていると感じざるを得ない。普段から足腰を鍛えていないと、こういう山は厳しい。若い頃と違って、 月 1回登る程度では縦走用の体力キープは厳しいことを実感したのだった。
一方、確かにアップダウンは厳しいが、周囲の展望、アルペンムードたっぷりの行程は最高で、テンションの方は高いままである。
兎岳からの下り斜面は、反対側よりも緩やか。小兎岳を過ぎ、また一旦下って中盛丸山に取り付く。
中盛丸山は高く立派な山容をしており、見た目どおり、この登りも結構厳しい。息を切らせながら何とか登り切る。後は大沢岳を残すのみである。

中盛丸山から下ると、そのまま百間洞山の家へ下る道と、大沢岳へ道とに分かれる。
疲れてはいたが、ここは当然大沢岳を目指す。地図ではこの分岐から頂上まで 25分とあるのがありがたい。
暫く登ると左手にしらびそ峠 (奥茶臼山の登山基地) への道を分ける。このしらびそ峠への道は崩壊場所があって現在通行止めとか。
分岐を過ぎ、息を切らせながら目の前の岩峰に登り着いたが、そこは頂上にあらず。さらに先に高みが見える。その高みも何とか登り着くと、 頂上はもう少し先。疲れた身体にこのフェイクは厳しいが、それでも11時20分には大沢岳頂上に到着。百間洞山の家との分岐から 22分であった。
この頂上には聖岳、兎岳同様、東海パルプ製作による立派な標柱が置かれている。一方、中盛丸山は立派な山容であったにも拘わらず、 その頂上は少々プアで気の毒である。この差は何なのであろう。
また、この大沢岳は少々不遇の山のようで、聖岳から縦走してきた人達もパスしてしまうことが多いようだ。事実、小生の後に中盛丸山から下ってきた 5人程の方々は皆パスされたようである。
かく言う小生も、大沢岳頂上からさらに進んでいくと、双耳峰である大沢岳のもう一方の高みが見え、この先さらにアップダウンがあることが分かって怯んでしまい、 結局往路を辿って分岐に戻り、そこから百間洞山の家に向かったのだった。

小屋のチェックインは 12時22分。チェックインと同時にまたまたビール 500mlを飲み干す。ビールの冷え方は聖平小屋には負けるものの、 やはり美味い。
チェックイン後、先着の方と今日は空いているかもしれないなどと話をしていたら、2時前から雨となり、さらに雷が暴れまくり、 稜線近くに何回も稲妻が落ちたため、百間洞山の家よりも先に進もうとしていた方々が次々と戻ってくることになり、結局 小屋は超満員となったのであった。
なお、雷が稜線上で暴れている時、稜線上に居た人達はハイマツ帯に伏せて雷が通り過ぎるのを待っていたとか。雷の暴れ方は凄く、生きた心地がしなかったろうと思う。

翌日は快晴。4時50分に小屋を出発する。
しかしいきなり登りが続くので、眠い身体には応える。聖平小屋、百間洞山の家ともにシュラフでの就寝であったが、ほとんど直に床に寝るに等しく、 普段柔らかいトゥルースリーパーの上で寝ている小生には苦痛であった。
加えて、百間洞山の家でもイビキが煩い方がおられ、この夜も熟睡は叶わなかったのがジワジワと効いてくる。
草つきの斜面を抜けると、岩場の斜面の登りが待っている。聖岳への登り程ではないが、結構応える。しかし、快晴のため周囲の景色が素晴らしく、 兎岳、中盛丸山、大沢岳といった昨日登ってきた山々に加え、遠くには塩見岳なども見え、テンションが上がる。
斜面の登りもようやく終わると、そこには素晴らしい光景が待っていた。百間平の広がり、そしてその向こうに赤石岳。右を見れば聖岳、 左を見れば荒川三山。こうなるとテンションは上がりっぱなし。疲れてはいるが、足がドンドン進む。
また、晴天の赤石岳頂上に立てる (であろう) ことも大変嬉しい。一昨年はガスで、結局赤石岳頂上までで荒川東岳への縦走をあきらめて下山したのだった。 今回は期待できる。

道はやがて赤石岳の斜面に取り付く。岩がゴロゴロした斜面を斜めに横切って登っていくのだが、 意外と楽な道なのでホッとする。しかし、登り着いた所からは急登が待っていた。斜面の上からの朝日を浴びながらジグザグに登る。
元気をくれるのは振り返った時の景色。聖岳・兎岳・中盛丸山・大沢岳と、昨日登ってきた山々が一望でき、さらにその山々の手前に百間平の広がりが見える。
ジグザグの急斜面もようやく終わり、稜線上に出るが頂上はまだ遠い。噴火口跡のような縁を 2回程通過し、右に赤石避難小屋を見たら、 そこからホンの一登りで赤石岳山頂であった。時刻は 7時22分。
先にも述べたように、快晴の山頂を踏むのは初めてである。当然展望は抜群で、ここに至るまでに見えていた山々の他、うっすらとではあるが仙丈ヶ岳、北岳も見える。
ただ、富士山は完全に逆光のため、その裾が辛うじて見えただけであった。18分程休んで下山開始。
心情的にはこのまま荒川三山へと向かいたいところだが、我慢して赤石小屋への道へと下る。下る前に小赤石岳をピストンすることも考えたものの、 そうなると 13時のバスではなく、14時のバスになってしまうのでこれも却下する。後は一昨年往復した道を下る。

途中の水場を楽しみにしていたのだが、心なしか水の量が少ない。昨日の雨の時は滝のように流れていたとのことなので、気のせいかもしれないが・・・。
富士見平には 9時1分に到着。ここからの眺めも素晴らしい。聖岳、赤石岳、荒川三山が一望できる。
ここで百間洞山の家で作ってもらった弁当を食べようとも思ったのだが、もう少し下れば赤石小屋。そこでビールを飲みながらの弁当というシチュエーションがかなり魅力的であり先を急ぐ。
そして、赤石小屋には 9時30分に到着。500mlのビールを買い、テーブルで弁当を広げる。弁当はおむすびが 4つ。そのうち 2つは天むすであった。 さすがトンカツで鳴らす百間洞山の家、天むすとは洒落ている。
なお、百間洞山の家のトンカツは揚げたてで美味であった。揚げたてを食べさせるため 8人単位での食事となっている。幸いチェックインが早かったので最初の 8人に入れたが、 雷雨のためごった返した昨晩、終わりの方の人達はトンカツではなくカレーになったとか。閑話休題。

9時43分、赤石小屋を出発。ほろ酔い気分の中、やや足が覚束ない状態で下る。
小屋を後にしてからは、とにかくひたすら下り続け、椹島に着いたのは 12時12分であった。
途中、赤石小屋と椹島の間を五等分した標識があったものの、どういう訳か 3/5までは確認できたものの、2/5以下は見落としてしまった。 こういう見落としは結構精神的な疲れを呼ぶ。
また『 樺段 』 の標識も道の傍らに落ちており、本来あったと記憶する場所にはなかったので、どうなっているのであろう。

今回の山行は久々に夏山らしい状況となり、天候にも恵まれ大いに楽しめたのだった。
しかし、先にも述べたように、こういう長いコースを歩くためには、月 1回、山に登る程度では体力的に厳しく (若い頃はそれでも大丈夫だった)、 普段から運動をして体力をつけておく必要があるとつくづく感じた山行でもあった。


手軽に楽しめる 3,000m峰  2013.8 記

7月13日から 3連休となった方も多いと思うが、 小生の勤める会社ではさらに 16日の火曜日も休みとして 4連休というありがたいカレンダー設定になっている。
しかも、梅雨が 7月6日という早い時期に明け、梅雨明け後 10日ほどは安定した天候が続くのが定説になっていることを考慮すると、 この 4連休を利用して山に行かない手はない。
しかし、当初、山中 1、2泊を目論んだものの、実際 4連休に突入してみるとどうも天候がパッとしない。北アルプスの方はまだ梅雨明けにもなっていないような状況であるし、 南アルプスもスカッとした快晴という訳にはいかないようである。
加えて、連休中の山の混雑を考えると少し怯んでしまい、結局、山で 1、2泊という計画は取り止めることにして、最終的に 16日(火)の平日に日帰りで山に行くことにした。

前日、16日に晴れとなる地域を色々探したしたところ、どうも南アルプス市の状況が良いようである。 当初、YAHOOの予報と Mapionの予報が食い違っていたのでヤキモキさせられたが、最終的には Mapionが当初から出していた予報と YAHOOの予報が同じとなり、 日中は晴れマークが続くことになったのである。
念のために、お隣の伊那市の天気予報も調べると、こちらも日中は晴れのようで、これならば南アルプス登山が楽しめそうである。 そうなるとどの山に登るかであるが、ここは迷わず仙丈ヶ岳とした。
翌日から仕事であることを考えるとあまりハードな山は避けたいし、帰宅は早い方が良い。一方、せっかく南アルプスの山に登るのなら 3,000m級の山に登りたい、 となれば仙丈ヶ岳がピッタリなのである。
この仙丈ヶ岳には過去 2回その頂上に立っており、いずれも藪沢沿いのルートを登り、小仙丈尾根ルートを下っている。そのため、今回は目新しさを求めて丹渓新道を登るというアイデアも浮かんだのだが、 アプローチにわざわざグルッと回って伊那市側まで行くのは往復の行程がきついと思い、オーソドックスに北沢峠から登ることにする。
ルートは、過去 2回の仙丈ヶ岳登山において下山に使った小仙丈尾根を登ることにする。藪沢沿いのルートはまだ残雪のため未だ通行禁止のようである。

芦安発広河原行きのバスは始発が 5時半とのことだったので、2時半過ぎに横浜の自宅を出発する。 空は曇っており、少し嫌な感じがする。
何時もどおり国道16号線を進み、八王子バイパスの途中から町田街道に入って高尾山ICから圏央道に入る。八王子JCTにて中央道に入り、甲府昭和ICを目指す。 笹子トンネル、そしてそれに続く日影トンネルを抜けると、いつもならパッと目に飛び込んでくるはずの南アルプスの姿が見えない。 まだ夜が明けきっていないとはいえ、南アルプス方面が雲に覆われているのがよく分かる。益々嫌な感じがする。
甲府昭和ICで高速を下りて国道20号線を進み、竜王立体の手前から側道を進んで県道20号線に入る。順調に車を飛ばし、芦安の第一駐車場に着いたのは 4時46分であった。
平日にも拘わらず、結構人が多いのに驚きを覚える。身支度をして、バスよりも早く芦安を出発する乗り合いタクシーに乗る。空は相変わらず雲が多い。
広河原には 6時少し過ぎに到着。6時50分の北沢峠行きのバスを待つ間、空には徐々に青い部分が多くなり始め、しかも仙丈ヶ岳のある方角の空が一番青いようなので嬉しくなる。
と喜んでいたら、雲が再び青空を覆い始める。バス待ちなどしているよりも、早く歩き始めたいと少々焦りが出てくる。気温の方は20度以下であろうか、 このところ下界の暑さは相当なものだったので、この涼しさは大変嬉しい。半袖では寒い位である。

バスは 6時40分頃に到着。しかし、重い荷物を抱えながら座って発車を待っているのは辛かろうとの運転手さんの配慮で、 すぐには乗せてもらえない。それはそれで全く構わないのだが、この約10分の間、バスをアイドリングしっぱなしだったのには驚かされた。
かつては可能だった広河原までの自動車乗り入れを規制し、さらには広河原から北沢峠まではタクシーでさえも乗り入れさせていないのは何のためであろう。 この市営バスの運転手の方々にはあまりそういったことに対する意識がないのではないかと邪推してしまう。
北沢峠には 7時15分に到着。トイレ待ちで並ばねばならなかったこともあり、峠を出発したのは7時28分であった。

公衆トイレ横から山に取り付く。樹林帯をジグザグに登っていく。それ程厳しい斜面ではないが、 どういう訳か息が乱れる。休養充分なので足の方は軽快に進むものの、呼吸の方は 「ハァハァ」 と息が上がっている感じである。先行する数人を追い抜くが、 その度に 「ハァハァ」 とした呼吸を聞かせることになるのが恥ずかしい。休養充分だが、その間、かなり食欲もあったので、少し太り過ぎたのかもしれない。
やがて、一旦高度を稼いだにも拘わらず少し下りに入る。下り着いた所が二合目。この後、少し登っては平らな道が続くというパターンが繰り返される。 道には先に述べたように、北沢峠から 「○合目」 の標識が置かれており、それなりに励みになる。
振り返れば、樹林越しに甲斐駒ヶ岳、鋸岳などの山々を見ることができるが、枝葉が邪魔でなかなか見通せないのでイライラさせられる。しかも、 そうこうしているうちに甲斐駒ヶ岳はガスで見えなくなる始末。それに上空に青空はなく、雲が多いので、本日は好天という訳にはいかないようである。
幸い、北岳は樹林越しでもしっかり見通す頃ができたものの、その北岳にも雲が掛かり始めている。

大滝ノ頭を 8時33分に通過。ここで右に道を取れば、 馬ノ背ヒュッテ経由にて仙丈ヶ岳に達することができるが、ここはそのまま直登する。帰りはこの馬ノ背ヒュッテに続く道を通ってこちらへ戻ってくる予定である。
ありがたいことに、大滝ノ頭からの急坂を登っていくと展望がグッと開けるようになる。甲斐駒ヶ岳はガスに消えては再び現れるという状態であるが、 やはりその姿は素晴らしい。甲斐駒ヶ岳の左には鋸岳。甲斐駒ヶ岳の右には栗沢山、アサヨ峰が見え、更には鳳凰三山が続く。また北岳も姿を見せており、 その左には富士山が小太郎山 ? の後ろに少しだけ顔を見せている。
空にはほとんど青い部分がないものの、周囲の山々はハッキリと見えているのがありがたい。しかも涼しい。
さらに登っていくとやがて森林限界に飛び出す。見上げれば、小仙丈ヶ岳へと続く斜面が見え、その斜面はハイマツで覆われていて美しい。 ガスで何も見えないかもしれないと思っていただけにこれは嬉しい。

斜面をジグザグに登り高度を上げていく。右手を見れば、乗鞍岳、穂高連峰がうっすらではあるが見える。 また高度を上げるに連れ、中央アルプスも見えてくる。また富士山も少しずつその見える部分が多くなってきている。
しかし、やがてこれらの山々も雲に飲み込まれてしまったのであった。小仙丈ヶ岳には 9時21分に到着。ここからは小仙丈沢カールを見上げる形となるが、 嬉しいことにここもガスはなくカール全体を良く見ることができる。
ただ、富士山の方は既にそのほとんどを雲に覆われてしまっており、この小仙丈ヶ岳からの標高日本第一位、二位のツーショットは中途半端に終わったのであった。
この小仙丈ヶ岳から少し下って暫く平坦に近い道を進めば、またまた急斜面が現れる。しかし、息の方もいつの間にか何時もどおりとなり、 さらに足の方は軽いので、結構足が進む。斜面を登っていくと、やがて藪沢カールが見下ろせるようになる。仙丈ヶ岳頂上もカールを隔ててよく見え、 また、カールの下方には仙丈小屋も見えている。
そこからまた少し登ってカールの縁に出てしまえば、後はカールをグルッと回ることになり、それ程の登りもなく進むことができるようになる。

右下に藪沢カールを見ながら進む。そして、10時7分に仙丈ヶ岳頂上に到着。
幸い、先行者はほとんど下山してしまっており、頂上には 1人が休憩しているだけであった。ここからは今までの景色に加え、 大仙丈ヶ岳方面がよく見える。余力があればこの大仙丈ヶ岳の往復も考えていたのだったが、そうすると間違いなく 15時30分北沢峠出発のバスに乗ることになり、 帰りが遅くなってしまう。さらには、ガスも流れ始めてきたので、今回は大仙丈ヶ岳往復を断念する。
この頂上で本日初めての休憩 (小仙丈ヶ岳頂上では寒いので上着を着る際、ノドを潤したのみ) をとる。やはり、目の前の甲斐駒ヶ岳が素晴らしい。 ガスが流れて時々その姿が隠れてしまうが、バス内の放送で、この甲斐駒ヶ岳は南アルプスの団十郎と言っていたのが頷ける。
ほぼ独占状態であった頂上も、その後ドンドン人が登ってくるし、また 13時30分のバスに乗るために余裕を持って下るべく、10時30分、 頂上を後にして藪沢カールへと下る。

帰りは先程も述べたように、藪沢カールから馬ノ背ヒュッテ、仙丈藪沢小屋を経て、 大滝ノ頭へと戻り、そこから今朝登ってきた道を下るつもりである。
頂上から少し下ると、周囲はガスで覆われ、見上げると仙丈ヶ岳頂上はガスに覆われてしまっている。良いタイミングで下山したものだと思っていたが、 すぐに頂上のガスはなくなり、その後、ずっと頂上は見えていたのだった。
仙丈小屋には 10時43分に到着。ここからはカールを一望できる。仙丈ヶ岳頂上に沢山の人が見える。小屋はほぼ素通り状態で、先へと進む。
水の流れに沿って下り、やがてほぼ平らな尾根道を進む。左に丹渓新道の道を分けると、道はグッと下るようになる。周囲にはかつて存在しなかったネットが張られている。 ニホンジカから植生を保護すべく作られたようだが、オオカミなどの天敵が居ないため、鹿による食害はどこでも悩ましい問題のようだ。
この斜面からは樹林越し、ネット越しに仙丈ヶ岳が見える。結局これがこの山行における仙丈ヶ岳の見納めであった。

馬ノ背ヒュッテを 11時13分に通過。そこから暫く下ると、大量の残雪が現れる。ヒュッテの人達により、斜面を覆う残雪にしっかりと横切る道が切られているので安心である。
なお、過去2回の仙丈ヶ岳登山の際に利用した藪沢ルートはまだ雪が多いようで、進入禁止の立て札が立っている。従って、ここからは初めての道となる。
残雪の斜面を 3度程横切り、樹林帯を進んでいくと、やがて藪沢小屋に到着。時刻は 11時25分。小屋は閉まっていたが、もともと無人小屋なのであろう。
小屋のソバには水が豊富に流れていたのでノドを潤す。甘露である。

その後もシラビソの樹林帯を進む。ほとんどアップダウンのない道だが、途中に岩場や桟橋があったりして変化に富んでいてなかなか飽きさせない。
振り返れば、藪沢沿いにガスがかなり上がってきているのが見える。この時点で仙丈ヶ岳はどんな状況なのであろう。
大滝ノ頭には 11時41分に到着。ここからは今朝登ってきた道を下ることになる。
途中、登ってくる人達が何人かいたものの、先行する下山者には追いつくことはなかった。
樹林帯の中を順調に下る。ここを登っている時には、背中に位置する甲斐駒ヶ岳を全く見通すことが出来ずにかなりイライラさせられたが、 やはり甲斐駒ヶ岳側を向いて下っていれば見通せる場所は見つかるもので、2箇所程樹林の間から甲斐駒ヶ岳を見通すことができたのだった。

ジグザグに斜面を下り、二合目を 12時15分に通過。ここで道は 2つに分かれる。右に下る道も北沢峠手前の林道に飛び出すはずであるが (確か 1回目の時はそちらを進んだ)、 ここは今朝と同じく尾根通しの道を進む。
ここからは 2,195mの高みを通過せねばならないため、登り斜面となる。さほどの登りではないが、登山も後半ともなれば登りは煩わしい。
その後下りに入れば、後は楽な道が続き、やがて下方樹林越しに北沢峠の公衆トイレの屋根が見えるようになってくる。北沢峠到着は 12時35分。

北沢峠に到着してみると、13時に出発する戸台行きのバス停には十数人バスを待っていたものの、 13時30分発広河原行きのバスを待つ並び順は 2番目となり、しかも1番目の方は甲斐駒ヶ岳登山者であった。
13時30分のバスで広河原へと戻り、すぐに待っていた乗り合いタクシーにて芦安へと向かう。大変スムーズで気持ちが良い。芦安到着は 14時35分。理想的である。
途中、タクシーの運転手さんが言っておられたが、連休初日、朝一番でバス 25台が運行され、さらには 10台ある乗り合いタクシーも 3往復のフル稼働だったとか。
全車満員とすれば、単純に計算して 50人 (立ち乗車含む)×25+9×10×3であるから、朝一番で 1,500人余りの人が広河原へと詰め掛けたことになる。
これを聞いてゾッとした。連休を外すことにしたのは正解であった。本日はまあまあの混み具合。しかし、平日であることを考えると人が多い方と思う。 もう大人達の夏休みは始まっているようだ。

本日は天気予報どおりとはいかなかったものの、仙丈ヶ岳は終始その姿を見せてくれ、 さらには周囲の山々も多く見えたことで、なかなか満足の行く山行であった。エネルギーを使い果たすようなこともなく余力を残した状態であり、 また家に着いたのは 18時前と、週の勤めが始まる前日としては理想的な展開であった。
しかし、足の運びも快調であったが、それは寒い位の気温だったことが大きく (参考だが、先程の運転手さん曰く、この日の朝、北岳山頂の気温は 5℃だったとか)、 真夏のギラギラした太陽のもとではこんなに快調にはいかなかったであろう。
考えたら、昨年、今年とも山で真夏だと感じるような天気に出会っていない。そのことが逆に気になるところである。


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