新・山の雑記帳 10

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 1.最 新 の 雑 記 帳
 バテながらも芋木ノドッケ−雲取山間を繋ぐ  2018.7 記

 念願の芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ) に登る  2018.7 記

 さらに奥多摩の山に拘る  2018.6 記

 奥多摩の山に区切りをつけるつもりが・・・  2018.5 記

 待望の石尾根を下る  2018.5 記

 初夏の鎌倉ハイキングの下見  2018.4 記

 残雪の山を求めてまたまた天狗岳  2018.4 記

 奥多摩の山 第四弾は川苔山  2018.3 記

 奥多摩の山 第三弾は御前山  2018.2 記

 奥多摩の山 第二弾は三頭山  2018.2 記

 2018年 初登山は大岳山  2018.1 記

 初めてのコースで雲取山  2018.1 記

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バテながらも芋木ノドッケ−雲取山間を繋ぐ  2018.7 記

梅雨に入り鬱陶しい日が続いていることに加え、気温の乱高下が激しいため、 ややもすると体調を崩しがちな状況であるが、こんな時は思い切り汗をかくのが最適と思われる。その方法は人それぞれであろうが、 小生にとっては山登りが一番手慣れている方法なのであるが、梅雨時とあってはなかなかそのタイミングが掴めない。
そんな中、どうやら 6月22日は晴れそうだということが分かったので、急遽山に行くことにする。
しかし、あまりに急に思い立ったために心の準備ができておらず、登る山に困ってしまい、結局またまた奥多摩の山を選ぶことにする。

今回辿ることにしたのは、前回と同じく二軒小屋尾根を登って芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ) に至った後、 芋木ノドッケからは雲取山を目差し、その後は富田新道にて戻ってくるというルートである。
これは、前回、地図には載っていない二軒小屋尾根のルートが意外に使えることを知り、 それならばいつかは芋木ノドッケから雲取山まで歩いてみたいと思ったことが大きい影響している。
ただ、こんなに早く登るつもりはなかったのであるが、他の山域に対する検討が不十分である中、急に山行のチャンスが巡って来たので、 結局 今一番頭の中にあるこのルートを選んだという訳である。

6月22日(金)、4時25分に横浜の自宅を出発する。
スッカリお馴染みになったルートを辿り、前回の芋木ノドッケ登山の時と同じく孫惣谷林道 (まぐそだに) 分岐の所にある広場に車を駐める。
今回もこの駐車スペースに他の車は見当たらない。時刻は 6時11分。
車内で朝食をとり、身支度を整えた後、6時18分に出発して日原林道をさらに先へと進む。
この時間、かなり陽も高くなっており、日差しが強く暑い。本日は予報通り晴れのようである。
八丁橋を渡って少し進むと、お馴染みの天祖山登山口で、その先にある林道ゲートの横を抜けて、林道をさらに歩き続ける。

芋木ノドッケまでは前回と全く同じ行程であるが、違っているのは体調の方で、 林道が緩やかな登り勾配に入ると、身体がかなり重いと感じるようになる。よくよく考えたら、1週間前に風邪を引いた上に咳喘息のような症状に陥ってしまい、 どうにかその症状は回復したものの、今度は連日のワールドカップに就寝時間が遅くなってしまうようになったことから、どうも体調が不十分のようなのである。
普段の生活では体調の悪さを感じることはないものの、こうしてザックを背負って負荷がかかると、直ちに身体が反応し始めるようである。
本日は苦労しそうだなと思いつつ、林道歩きを続ける。

この林道には 0.5km毎に距離を示す標識が立っているのであるが、 前回、『 7.5km 』の標識を過ぎる所まで歩かねばならないことを知ったため (なお、車を駐めた所には 『 2.0km 』 の標識が立っている)、 途中に現れる標識の数値を見る度に、まだまだ距離があることを実感させられ、ため息が出る。
それでも何とか歩き続け、7時19分に富田新道への分岐を通過し (計画ではここへと戻って来る予定である)、 そして二軒小屋尾根に至るための大ダワ林道への分岐には 7時37分に辿り着く。
現在、大ダワ林道は崩落のために通行止めであるが、二軒小屋尾根に取り付くには、途中までこの大ダワ林道を辿る必要がある。

林道を外れて左の道に入り、急傾斜の斜面を横切っている道を下っていく。
落ち葉の敷き詰められた道を暫く下ると、やがて下方に長沢谷の流れが見えてくる。
木橋にてその流れを渡った後 (時刻は 7時41分)、正面に見える斜面を一旦避けて右へと進み、すぐに折り返してその斜面に取り付いて、 ジグザグに登っていく。
この登りは結構急である上に、身体がかなり重く感じられ、さらには両足のふくらはぎに怠さを覚え、足がなかなか進まない。
被っている帽子 (キャップ) のつばところからは汗が流れ落ちて額を濡らし、さらにはそれが目に入って痛い。

それでも何とか登り続け、7時56分に 『 鳥獣保護区 特別保護地区 東京都 』 と白い文字で書かれた赤い標識の立つ尾根に到着。
ここで道は右に折れ、その先に見える尾根を登っていく。その尾根の左下を進む道が大ダワ林道であるが、先に述べたように現在通行止めである。
その尾根の取り付きで 3分程休んだ後、尾根に足を踏み入れる。前回は初めての道、しかも地図に載っていないバリエーションルートの為、 ワクワク感とともに多少の緊張があったのだが、今回は何の思いもなくそのまま尾根に入る。
アセビのトンネルを抜けてひと登りすれば小さな高みに登り着くが、正面には鹿除けのネットが張られており、道はそのネットに沿って右へと進んでいく。 時刻は 8時3分。

道は一旦少し下った後、また小さく登って岩がゴロゴロしている場所を登り越し、その先にて上へと延びていく尾根に取り付く。
広い尾根の急登が暫く続く中、薄い踏み跡を追って登っていく。相変わらず、倒木や落ち葉が多く、さらには道が踏み固められていないのでザレて滑りやすい。 さらには連日の雨によるのであろうか、踏み跡は前回よりも薄くなっているような気がする。
怠い身体に鞭を打つようにして登り続ける。すると、今度は眠気が襲ってきて、フラフラするような感じを覚えるようになる。
ワールドカップを見ているので、就寝時間が遅くなってしまっている中、山に登るべく早起きしたことで、睡眠時間は 3時間弱、 身体の不調も相まってかなり辛い登りである。

しかも、それに加えて、前回は全くいなかったアブに攻撃を受けることになる。
右手がチクリとしたのでふと見ると、そこにアブがとまっており、うまくたたき落としたと思ったら、刺されたところから血が出ているという状況。
どうやらアブに血を吸われてしまったようである。
その後も、顔や手の周りに数匹のアブが飛び交い、追い払うのにかなり神経を遣う。
結局、下山するまでに 8ヶ所ほど刺されてしまい、帰宅後にそこがかなり痒くなって苦しむことになる。
以前、安平路山に登った際には顔をブユに刺されてしまい、皮膚科に行く羽目になったが、今回は手、腕、襟足、そして襟足より上の髪の毛の中を刺されたものの、 刺したのがアブだったためなのか、何とか医者に行かずに済んだのであった。

体調の方はますます悪くなり、立ち止まって目を閉じれば、数秒間眠ってしまうような状況である。
道の方は、一旦平坦になってその状態が暫く続いた後、また登りが始まるというパターンが何回か続く。
また、尾根の幅も狭くなったり広くなったりといった変化が現れる。
周囲には記憶通りに巨木が目立つようになり、尾根が広くなると、周囲の巨木の数も多くなってくる。
左手には明らかに雲取山と思しき高みがチラチラ確認できるようになるが、見通すことができず、また億劫さが先に立って、 見通せるような場所を探そうという気も起こらない。

やがて、道は左右の支尾根に挟まれた浅い窪地状になっているところを登っていくようになる。
この斜面を登り切れば、この二軒小屋尾根における唯一の明確なポイントであるモミソノ頭があるのは分かっているのだが、足下の落ち葉がかなり深く、 しかも肝心の体調の方が今一つのため、足が進まない。
それでも、前回と同じく、窪地状の中を登ることを避け、左の斜面に取り付いて左側の支尾根に登ることでこの状況の打開を図る。
足下がフカフカする中、少し登っては立ち止まるということを繰り返した後、漸く支尾根に辿り着くと、そこからも登りが続くものの足下は固い土のため、 先程よりも足が進む。
やがて、高みに登り着き、暫く平らな道を進めば、モミソノ頭である。時刻は 9時30分。

少し先に進み、前回と同じく根元が曲がっているアセビの木に腰掛けて食事をする。 時刻は 9時32分。しかし、ここでもアブが煩い。
9時41分に出発、腹がくちくなったためか、また眠気が襲ってくる。しかし、アブが身体の周りを飛び回っているため、立ち止まることができず、 ボーッとしながらも歩き続ける。
暫くは平らでやや狭い尾根を進む。少し下った後、また登りに入るが、少し登れば平らあるいは緩やかな登りが続くようになる。
この後、小さなアップダウンを挟みながら緩やかに高度を上げていく。

やがて、周囲にはコメツガやダケカンバなどが見られるようになり、奥秩父に似た雰囲気が出始めるが、実際はまだ先は長い。
再び、緩やかな道が続くようになり、やがて 1,726m地点と思われる少し広々とした場所に出る。時刻は 10時21分。
前回の記憶通り、この辺からは足下に草が見られるようになり、さらには少し先でフキの群生地が現れる。 一方、この辺は倒木がそこら中にあってやや煩わしい。
やがて尾根も幅が狭くなり、前回 雲取山や飛竜山が見通せた場所を通過するが、今回は雲取山が見えるのみで、飛竜山方面はガスの中である。
さらには、雲取山の左、小雲取山方面もガスが漂い始めている。今朝ほどの林道歩きでは、青空が全面的に広がっていたのに、 この分だと雲取山頂上からの展望は期待できそうもなく、体調の悪さも手伝ってかなり気持ちが萎えてしまう。

ほぼ平らな状態が続いていた道も、やがて草地の狭い尾根を登っていくようになる。
左下はそのまま谷へと下っており、右下は窪地になっていて、窪地の先にこちらと平行して上へと延びる尾根が続く。
記憶通り、足下にはやがてフキの群生が見られるようになり、その辺りから傾斜が増してくる。
フキの群生する斜面をジグザグに登る。この辺は鹿なども歩いているのだろう、斜面には縦横無尽に踏み跡が見られる。
前回、この斜面では展望が開け、雲取山の他、鷹ノ巣山や高丸山が見えたのだが、今回はガスが発生して全く展望を得ることはできず、 しかも今や雲取山までもがガスに飲み込まれようとしている。ますます気持ちが萎える。

フキの群生地を抜けた後、傾斜はますますキツクなってくるが、 一方で道の方がかなり曖昧になってきたので、前回と同じく左手に見える支尾根に向かう。
滑りやすい斜面を登り、その支尾根に登り着いた後は、そこから右に折れて支尾根を辿る。ここも急斜面であるが、 草の中に白い小さな岩がいくつも転がっている斜面を進むのはなかなか気持ちが良い。しかし、ここでもアブが纏わり付いて煩い。
急斜面を登り、途中から左手に回り込んで、前回と同じく踏み跡がある場所に辿り着く。
展望は全く得られず、前回見えた雲取山やその右後方の飛竜山は全く見えない。

再び細い草付きの尾根を辿り、再度フキの群生地を抜けて傾斜が少し緩んでくると、 道はコメツガやシラビソ、そしてダケカンバが見られる樹林帯へと入っていく。
かなりへばってきているが、この樹林帯を登り切れば芋木ノドッケなので、頑張って登っていく。
下草のない、倒木が多い急斜面を一直線に登る。身体はかなりバテており、少し登っては立ち止まって上を見上げるというパターンを繰り返しつつ、 何とか登って行く。
そして、漸く先の方にトラロープと標識が見えてきたので、ここは力を振り絞って最後のひと登りを行う。
そのトラロープを潜れば芋木ノドッケの頂上で、時刻は 11時7分。狭い頂上には誰もいない。

実際の頂上と思われる、境界標柱が立っている少し高い場所を越え、 酉谷山 (とりだにやま) 方面へと少し進んで、前回と同じ場所にて休憩する。ここでもアブが煩い。
なお、こちらもガスに囲まれつつあるのであろうか、樹林の間からは白い空間しか見えず、さらには少し気温が下がりつつあるようである。
11時17分に出発。今回は雲取山方面を目差す。
標識に従って少し下ると、道がやや分かりにくくなる。右に下って行く道もあれば、左側にも道が見える。
少し迷ったが、左側にピンクテープがあったので、左へと進む。
少し下ると斜面を横切る道が続くようになるが、どうも良く踏まれている形跡がない。 おかしいと思いつつも、さらに少し先に進んで行くと岩場となり、そこからは雲取山方面が見えるようになる。 しかし、雲取山の頂上は、最早完全にガスの中である。

一方、この先も道は続いているものの、最近踏まれた形跡が皆無であり、 このまま進めば方角的には辿ってきた二軒小屋尾根へと合流しそうなので、道間違いと悟り、来た道を戻る。
正規の道に戻るには、また登り返さねばならないことを覚悟していたのだが、ありがたいことに途中から左に下る明瞭な道と合流する。
どうにか正規の道に戻れたようである。
斜面を小さな振幅にてジグザグに下る。一旦鞍部に下り着いた後は、木の根が剥き出しになった細い尾根を少し登った後、 細い尾根の下りが続くようになる。

11時40分に三峯神社方面からの道と合流。
少し平らな道が続いた後、道は下りに入り、鞍部と思しき場所に下り着いてからは、ほぼ平らな道が続くようになる。
体調不良の身体にはこういう道はありがたい。
なお、時々左手の樹林が切れる場所があるものの、その先はガスで白く、全く展望は得られない。
一方、気温が下がってきたためであろうか、あれ程纏わり付いていたアブが、その姿をパタッと見せなくなる。これもありがたい。

左に下る斜面を横切っている、平らな道が続く。涼しくなってきたためか、眠気はなくなるが、相変わらず身体が怠い。
11時48分、『 雲取山 2.2km 』 と書かれた標識を通過する。山における 2.2kmというのはなかなか時間換算が難しいが、 後 1時間ちょっとというところであろうか。
道の方はやがて山襞に従って左の方にカーブしていくようになり、11時57分に 『 雲取山 1.7km 』 と書かれた標識を過ぎると、 その少し先にて樹林越しに立派な標識とベンチが見えてくる。
大ダワに到着である。時刻は 11時59分。

この大ダワは、1997年に雲取山に登った際、大ダワ林道を辿って登り着いているので、今回 2回目となるが、当時の記憶は全く無い。
その大ダワ林道方面を見ると、木の柵によって通れないような措置が為されており、 そこに 『 大ダワ林道 通行できません 崩落のため 』 と書かれた手書きの札が括り付けられている。

ベンチがかなり魅力的に見えたものの、ここは休まずに先へと進む。
すぐに道が 2つに分かれ、右が尾根通しに進む 『 男坂 』、左の道は斜面を横切っていく 『 女坂 』 となる。
尤も、分岐に立っている標識には 『 男坂 』 の表記はあるものの、『 女坂 』 という文字は見られない。
体調が良ければ当然 男坂を進む所であるが、ここから見上げる斜面がかなりキツそうに見え、とても登る気力が湧かなかったため、 軟弱とは思いつつ女坂を選択する。
しかし、この女坂も尾根を巻いていくので楽な道かと思いきや、それなりに勾配がある。ただ、それ程キツイものではなく、 また途中に平らな場所もあるので、今の体調ではこちらを選んで正解であろう。

道端の苔が美しい中、徐々に高度を上げていくと、 やがて 『 雲取山 1.2km 』 の標識を通過する。時刻は 12時11分。
その後、少し傾斜がキツクなるが長くは続かず、また歩きやすい道となる。
途中、左手樹林越しに山が見える。しかし、周囲をガスに囲まれているため雲取山かどうかは全く分からない。
やがて、右上の尾根が徐々に低くなり、斜面にササが目立ち始めると、その尾根上に建物が見えてくる。 恐らく、今は廃墟となっている雲取ヒュッテであろう。下から見上げるとそれなりに立派な建物に見えるが、実際はかなり荒廃しているようである。
その後、ササ原の中を緩やかに登っていくと、すぐに男坂の道と合流する。時刻は 12時23分。

雲取山荘が近くなってきたことを感じつつ、さらに緩やかに登っていけば、道は樹林を抜け、前方に雲取山荘の建物が見えてくる。
右手に 『 コケの国立公園 』、『 有毒植物 』 といった環境省・埼玉県による雲取山を説明するパネルが並ぶ横を進んで、 12時28分に雲取山荘に到着。
体調不良もあり、かなり疲れていたので、小屋前のベンチにて暫し休憩する。
昼時にも拘わらず、平日であるためかベンチには誰もいない。

暫し休憩した後、トイレをお借りし、さらにはベンチ横にある水場で顔を洗って気合いを入れ直して 12時43分に出発する。
階段を登った後、登山道に入る前に田部重治 (たなべじゅうじ) 氏のレリーフに立ち寄る。
田部氏は大正から昭和時代の登山家・英文学者で、日本各地の山に登っており、この奥秩父の開拓者の一人でもあるとのこと。 そのレリーフにも 『 奥秩父先蹤者 (せんしょうしゃ)』 と刻まれている。
山道に戻って少し進むと、道が 2つに分かれる。右の道は雲取山へと通じ、左の道は雲取山の東側を巻いて小雲取山方面へと続くものである。 雲取山を目差しているので当然 右の道に入るのだが、ここからは長い登りが待っている。

と、その時、雲取山荘の方から若い登山者が登ってきたので、これは先に行って貰うべく、少し寄り道して右手にあった祠を見に行く。
小さな祠で、木製の柱、羽目板、扉等はかなり古くなっているものの、銅板葺 (どうばんぶき) の屋根はまだ葺き替えられてからそれ程経っていないのか、 銅色 (あかがねいろ) に輝いている。しかし、この屋根も月日の流れる中、いずれ緑青に覆われることであろう。
登山者をやり過ごした後、再び登山道に戻って斜面に取り付く。
道は明瞭、植生保護のためなのか、道の両サイドにはロープが張られている。

傾斜はそれ程ではないものの、体調不良の身体にはキツイ。 さすがに眠くなることはなくなっているものの、相変わらず怠さを感じる。
先に行って貰った若者との距離がドンドン開いていくが、本日は致し方ない。
喘ぎつつ斜面を登る。大きな倒木の下を潜ると、道は少し緩やかになり、少し余裕が出てくる。
道の周囲に見られるコケが美しい。
道がほぼ平らになると、周囲のコケは無くなってササ原が続くようになる。日も時々差し込むようになるが、山の上部にはまだガスが残っているようである。

ササ原はやがて終わりとなり、道の周囲には再びコケが見られるようになる。
途中、鎌仙人こと富田治三郎氏 (雲取山荘の初代管理人) のレリーフへの分岐が現れるが、体力的に余裕が無く、 しかも、もしかしたらレリーフまでのピストンになるのではないかと思われたため、ここはパスしてそのまま進む。
しかし、何のことは無い、さらに登っていくと、また鎌仙人のレリーフへと続く道が右に現れ、そちらを見るとレリーフも見ることができたのであった。 時刻は 13時1分。
この辺は緩やかな登りが続くのがありがたい。足下に岩が多く目立つ斜面を登り、再び傾斜が緩み始めると、やがて 『 雲取山 0.2km 』 の標識が現れる。 時刻は 13時5分。となると、あと 10分くらいであろうか、これを見て俄然 元気が出てくる。

その標識から少し進むと、右手の樹林が切れて西側の山々が見通せる場所に出る。
残念ながらこちら側もガスが多いが、うっすらとではあるものの北奥千丈岳、国師ヶ岳、竜喰山、唐松尾山などが確認できる。
道は雲取山頂上に向けて最後の登りに入る。斜面をジグザグに登って行くのであるが、これがキツイ。
無論、傾斜もあるのだが、むしろ体調の悪さが足の運びを鈍らせている。それでも何とか岩屑がゴロゴロしている道を登り続けていくと、 やがて足下は雑草からササに変わり、そのササの斜面を割るようにつけられている道の先に標識が見えてくる。
そして、13時16分、雲取山の頂上に到着。本当にくたびれた。

嬉しいことに頂上には誰もおらず独占状態であるが、展望は今一つの状況で、 残念ながら富士山は見えず、辛うじて先程見えた北奥千丈岳、国師ヶ岳方面が見えるだけである。
すぐに雲取山頂避難小屋方面へと向かい、石尾根が見渡せる岩場にて休憩する。本来であれば、ここからも富士山が見えるはずであるが、 真っ白で何も見えず、辛うじて真南に鹿倉山と覚しき山がうっすらと見えるだけである。
石尾根方面を眺めても、見えるのは小雲取山までで、その後方に見えるはずの鷹ノ巣山、大岳山、日蔭名栗山、御前山、七ツ石山、三頭山といった山々はガスの中で全く見えない。 この状態は芋木ノドッケ手前で既に覚悟していたのではあるが、やはり残念である。

13時28分に下山を開始し、石尾根を下る。
斜面を下り終え、道がほぼ平らになったところから振り返れば、竜喰山、北奥千丈岳、国師ヶ岳、唐松尾山方面が見える。 本日、見える山はこの領域に限定されるようである。
さて、このまま石尾根を下り、途中から富田新道に入って駐車場所まで戻るつもりであるが、富田新道に入る前に行っておきたい場所がある。小雲取山である。
いつも、この辺は登山道を忠実に辿っているため小雲取山の頂上はパスしてしまっているので、今回是非ともその頂上を踏んでおきたいのである。

雲取山荘への巻き道分岐を過ぎ、右に緩やかにカーブしていくと、途中で登山道を外れて左手の高みに登っていく道が見つかる。
標識などはないものの、これが小雲取山頂上に続く道に違いないと当たりをつけ、ササ原の斜面を登る。
すぐに頂上らしき場所に登り着くが、そこに小雲取山を示すものは何も見当たらない。と、思ったら、振り返ると、 木にしっかりと 『 小雲取山 1937M 』 と書かれた小さな標識が括り付けられていたのであった。時刻は 13時41分。

さて、この頂上からは道がいくつか分かれるが、初めてなので安全を考え、一旦 登山道方面へと下る。
すぐに富田新道の分岐で、ここから左に道を取って富田新道に入る。時刻は 13時42分。
ササ原の中の道を下る。先程、雲取山の頂上で見たとおり、この辺はガスの中であるため、周囲の景色は全く見ることができない。
ただ、道の方はしっかりと見えているので安心である。
すぐに右への分岐が現れるが、そこにある標識には 『 奥多摩小屋 七ツ石山 鴨沢 』 とある。これを見て、奥多摩小屋への直通ルートかと思ったのだが、 後で地図を見ると、途中でヨモギノ頭を巻く、石尾根ルートの巻き道に合流するようである。

ササ原の中の 1本道を下って行く。もう少し天気が良ければ気持ちの良い場所と思われるが、 少しガスが漂う状態では、熊でも出てきはしないかとの不安の方が大きい。
足下はササ原、周囲はカラマツ林といった中を下る。急斜面ではないので足が進むが、逆にこの道を登りに使った場合、 なかなか高度が上がらないことに苛つくかも知れない。
緩やかな下りが続いていた道も、一旦道が平らになった後、今度は緩やかに登っていく。
いつの間にか足下のササ原は無くなって下草が疎らに生える道に変わるとともに、周囲は自然林となる。途中、倒木などもあるが道は歩きやすい。
そして、小さなピークに登り着くと、そこには 『 野陣ノ頭 1845m 』 と彫られた、なかなか立派な手作り標識が木に括り付けられている。
時刻は 13時57分。

ここからは、小さなアップダウンはあるものの、ほぼ平らな道が続き、その後 徐々に高度を下げていく。
やがて足下に下草は見られなくなり、落ち葉や土の道が続くようになると、少々道が分かりにくくなるが、 一方でこの辺ではピンクテープが道案内の役目をしっかりと果たしてくれるようになる。
途中から、傾斜も少々キツクなり、滑りやすい斜面に苦労しながらジグザグに下っていく。
ずっと下り続けてきたことから、少し平らになり、周囲にアセビが多く見られるようになった場所で休憩する。時刻は 14時45分。

5分程休んだ後、出発。時折、左手が開けるが、ガスでほとんど展望は得られない。
ピンクテープ以外、人工的なものは何も現れない状態が続く中、『 日原方面 → 』 と書かれた手書きの標識が現れたのでホッとする。
時刻は 14時55分。
狭くなった尾根を下って行くと、今度は 『 日原、雲取山 』 と書かれた古い標識が現れ (15時3分)、 さらに少し先で 『 工事中 』 を示す注意書きが現れる (時刻は 15時10分)。
ここから暫くは工事区間となるが、工事されている部分を見ると、今歩いている登山道とは別の登山道を作っているようである。
その工事区間を過ぎ、さらに 8分程下り続けると、漸く丁字路が現れて唐松谷林道に合流する。時刻は 15時24分。
左が日原で、右に進めば唐松谷林道であるが、唐松谷林道の方は現在通行止めになっており、侵入しないようにロープが張られている。

ところで、思えば、1997年の雲取山登山の際に通った大ダワ林道、 唐松谷林道はいずれも今は通行止めになってしまっている訳で、20年の月日をつくづくと感じた次第である。
なお、ここで油断をしてしまった。芋木ノドッケ以降 ほとんど煩わされることの無かったアブにまた襲われてしまい、 左の襟足を刺されてしまったのである。
こう何回も刺されては、アナフィラキシーショックに陥るのではないかと心配になってしまうが、蜂の毒とは違うようである。
ただ、これを教訓に、虫除けのためにハッカ油を購入することにした次第である。

この合流点から暫くは緩やかに下って行くが、やがて道は急斜面の下りとなり、下り着いた所に吊橋が現れる。時刻は 15時41分。
この吊橋にて渡る川は日原川のようであり、一方、日原川は日原林道に沿って流れているはずなので、吊橋を渡ってすぐ林道に至ることを期待したのだが甘かった。
吊橋からも結構距離があり、しかも最後は登りが待っている。喘ぎつつ杉の植林帯をジグザグに登る。
見上げれば上部に標識らしきものが見えてくるがなかなか足が進まない。少し登っては立ち止まるという動作を繰り返し、 何とか日原林道に飛び出す。時刻は 15時53分。

林道の縁石に腰掛けて暫し休憩。まだ林道歩きが 4.5km以上残っているが、道は下り勾配なのでもう安心である。
16時に出発。すぐに 『 6.5km 』 の標識を見る。林道を黙々と歩き、16時42分に 『 3.0km 』 の標識を通過、 途中にあった水場で顔を洗い、林道ゲートには 16時52分に戻り着く。
そして、八丁橋を渡り、車の所には 16時54分に戻り着いたのであった。
なお、車で帰り支度をしていると、孫惣谷林道の方から車が何台も連続してやってくる。どうやら、 孫惣谷林道の先にある石灰石採取場の作業が終了時間となったため、帰宅する車らしい。

本日は、梅雨の合間を縫って芋木ノドッケ、雲取山に登り、 この 2つの山の間を繋いだことによって奥多摩の北部ブロックをほぼ歩き通したことになる。
これはこれで嬉しいが、一方、芋木ノドッケへの登りでは、17日前に同じルートを歩いた時よりも 50分も多く時間がかかってしまい、 その後もかなりヘバリ気味であった。
体調不良ということではあるものの、普段の運動不足も起因していると思われる。やはり、日々のトレーニングが重要であることを痛感した山行でもあった。
そうそう、この時期、アブやブヨ対策も抜かっていた訳で、これも大きな反省点である。


念願の芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ) に登る  2018.7 記

年初の大岳山を手始めに今年は奥多摩の山に登り続けているが、5月11日に天祖山、酉谷山 (とりだにやま)、天目山 (三ツドッケ)、 16日に天目山、蕎麦粒山、川苔山 (かわのりやま) と登ったことで主要な山はほぼ押さえたことになるため、 そろそろ奥多摩の山を終わりにしても良い頃合いである (暑くなってきたことで、低い山はきつくなってきていることも終わりにしたい理由の 1つ)。
しかし、芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ) が残っていることがどうしても引っかかっており、一方で、奥多摩以外の山に登ろうと思っても、 思い浮かぶのは既に登った山ばかりのためどうも今一つ食指が動かない状況にある。

ということで、芋木ノドッケを片付けたいという思いが強くなってきているのだが、 地図記載のルートを辿ったのでは相当ハードな山行となるため二の足を踏むところである。 1997年に雲取山に登った際に辿った大ダワ林道が使えればことは簡単なのであるが、現在、大ダワ林道は崩落のため通行止めとなっている。
何か良い方法はないのかとヤマレコで調べたところ、二軒小屋尾根にて芋木ノドッケに直登するルートがあることを知る。
無論、一般ルートではなく地図にも記載されていないのだが、山行記録を読む限りでは然程難しくはなさそうなので早速トライする。

梅雨入りも近いと思われる 6月5日(火)、4時25分に横浜の自宅を出発する。
すっかりお馴染みとなったルートを辿り、古里駅前の丁字路にて国道411号線 (青梅街道) に入った後は奥多摩駅方面へと進む。
奥多摩駅前の交差点を過ぎ、工事中の氷川大橋を渡ってすぐの信号を右折して日原街道へと入り、時々狭くなる道に注意を払いながら日原川沿いに進む。
途中、天祖山に登った際に利用した日原駐車場を通過するが、先般はここから天祖山登山口まで歩いたので、この先の状況がよく分かっているため、 道がさらに狭くなっても安心して進んでいける。
やがて左に日原林道への分岐が現れるので左折して日原林道に入り、途中からダートとなる道をユックリと進んで、 孫惣谷 (まぐそだに) 林道が分岐する小広いスペースに車を駐める。車は小生のみである。時刻は 5時59分。

車内で朝食をとった後、身支度をして 6時8分に出発。
さらに林道を先へと進んで八丁橋を渡ると、前方に天祖山登山口とともにゲートが見えてくる。時刻は 6時10分。
本日はゲート脇を抜けて林道をさらに先へと進む。面白いことに、このゲートからは舗装道が続くが、道は緩やかな登り勾配となっており、意外と手強い。
途中、『 2.5km 』 と書かれた標識を道路際に見て、駐車した所に 『 2.0km 』 の標識があったことを思い出す。 また、昨年末、ニジュウタキ尾根、ヨモギ尾根にて雲取山に登った際、後山林道においてこの標識が歩く距離を知るのに役立ったので、 本日も活用できそうである。
実際、この先も 0.5km毎に標識が現れる (全部を確認できた訳ではないが・・・)。

1.5kmほど続いた舗装道も途中から砂利道に変わるが、 八丁橋までの凸凹道に比べて、この砂利道は良く整備されており、こういう林道に良く見られがちな落石などもしっかりと片付けられている。 その後、何回か舗装道が現れるが、その距離は短く、砂利道が長く続く。
林道を黙々と歩く。道は、途中、平らになることも多いため歩き易い。
また、空には青空が広がっており、陽の当たる場所を歩く際にはかなり暑さを感じるようになる。
周囲に木々が多く、あまり展望は得られない中、時々前方左手に山並みが見えるが、全く山の名前は分からない。

それにしてもこの林道は長い。途中、『 6.0km 』 (つまり、4km歩いた) の標識を見てもまだ登山口は見えてこない。
徐々にイライラが募るが、こればかりはどうしようもないことであり、鋸岳に登った際に歩いた釜無川林道レベルを覚悟する。
とはいえ、この道は 1997年に大ダワ林道経由にて雲取山に登った際に通っており、 しかもその時は、車を日原鍾乳洞に駐車したのであるから歩く距離はもっと長かったことになる。 まあ、21年も前なら、体力もあったから苦にならなかったのであろう。

その長い林道歩きも、『 6.5km 』 の標識を見て暫く進むと、 左手に富田新道への分岐が現れて、漸くこの先の目処がつきホッとする。
尤も、地図によれば、ここから目差す登山口まであと 30分歩かねばならないのだが・・・。時刻は 7時7分。
さらに林道を進み、『 7.0km 』 の標識を見て暫く進むと、前方に 『 水源地を大切に 』 と書かれた大きな案内板が見え、 その少し後方に標識が見えてくる。漸く大ダワ林道の取り付き口に到着である。時刻は 7時24分。
先にも述べたように、大ダワ林道は崩落のため通行止めとなっているが、本日登る二軒小屋尾根は途中まで大ダワ林道を辿ることになっているので左に下る道に入る。

急斜面を横切る、落ち葉が敷き詰められている道を下っていくと、すぐに下方に長沢谷の流れが見えてくる。
下りきった所で木橋にて流れを渡った後、道は正面の斜面を避けて右へと曲がる。時刻は 7時28分。
すぐに道は左に折り返し、先程正面にあった斜面をジグザグに登っていくが、傾斜が結構急で息が上がる。
足下には落ち葉が敷き詰められており、その上にトレースがうっすらと見えるという状況であるものの、道を間違える心配は無い。
巨木の横を抜け、大きな振幅にて斜面をジグザグに登っていく。最後は倒木の下を潜り、そのまま斜面を斜め上に横切っていくと、 やがて前方に 『 鳥獣保護区 特別保護地区 』 と書かれた赤い標識が見えてきて尾根上に登り着く。時刻は 7時41分。

ここから道は右に曲がるのだが、ここは本来の大ダワ林道と二軒小屋尾根との分岐点にもなっている。
そのまま尾根上を進むのが二軒小屋尾根のルートで、大ダワ林道はその二軒小屋尾根の左下を進むのである。
少し休憩し、ノドを潤すとともに地図を確かめて尾根に取り付く。
初めての道、しかもバリエーションルートのため、少し緊張しつつ足を踏み入れる。

アセビのトンネルを潜りながら登っていくと、すぐに小さな高みに登り着く。
目の前には鹿除けネットが張られており、道はそのネットに沿うようにして右へと進む。
道は一旦少し下った後、また小さく登って岩がゴロゴロしている場所を登り越すと、その先にて上へと延びていく尾根が現れる。
一方、ネットの方は左にカーブしながら同じ高さを保っている。そのネットの所にピンクのテープがあったので、一瞬 ネットに沿って進もうかと思ったのだが、 薄い踏み跡が尾根の上にあるのを見て尾根に取り付くことにする。時刻は 7時51分。

ここからは急登が始まる。広い尾根が続き、そこにうっすらと付けられている道を辿る。
倒木や落ち葉が多く、さらには道が踏み固められていないのでザレて滑りやすいが、道を探しながら登るのは楽しい。
一応ところどころに赤やピンクのテープが見られるものの頻繁にある訳では無いため、テープを追っていくというよりも気が付いたらテープがあるという感じである。 むしろ、頼りになるのは地面についた薄いトレースの方である。
コナラ、サワグルミ、ブナなどの樹林帯を登っていく。葉の緑が日に輝いて美しい。
登り斜面はやがて緩やかになり、暫くはほぼ平坦な道が続く。

やがて再び傾斜が出てくるが緩やかであり、周囲に倒木が目立ち始めた後、また道は平坦になる。
広かった尾根も徐々にその幅が小さくなり始めると、左手樹林越しに雲取山方面がチラチラ見えるようになるが、葉が多く繁っているため、 なかなか見通すことができない。
再び道に傾斜が現れ、小さなマウンドを乗り越すと、また広い斜面の登りが続くようになる。
傾斜は総じて緩やか、なかなか快適に登っていくことができる。

広かった尾根もまた少し狭くなってくると、周囲には巨木が目立つようになる。 少し急斜面を登ると、また広い尾根が待っているが、傾斜は緩やか、そして周囲の巨木の数も多くなってくる。
小さな高みを乗り越えた後は、尾根も徐々に狭くなり、傾斜のあまりない土手のような道が続くようになる。
道は一旦小さく下るが、すぐに緩やかな登りに入り、またまた土手のような道が続く。
左手には明らかに雲取山と思しき高みがチラチラ確認できるようになるものの、やはり見通すことができない。
やがて、道はまた広い尾根を登っていく。こういう地形が続くので、登りは良いが下りに使う場合には少々苦労するかもしれない。

この広い斜面に少し変化が現れ、道は左右にある支尾根に挟まれた浅い窪地状になっているところを登っていく。
この頃になってくると、疲れも出始め、目の前に見える高みが非常に手強く思えるようになる。しかも、足下には落ち葉が堆積していて歩きにくく、 なかなか足が進まない。そのため、左右どちらかの支尾根に登った方が楽であると考え、途中から左側の尾根に取り付くことにする。
あまり高くない尾根ではあるが、崩れやすい土と落ち葉の斜面のため、体力を使う。
息を切らせつつ、そして途中で何度か立ち止まりながら登って支尾根上に登り着くと、足下は硬い土となり歩き易くなる。
しかし、目差す高みに至るにはさらに登りが待っている。

ここはユックリと登って漸くその高みに登り着くと、そこからはほぼ平らな道が続くようになってホッとする。
少し進むと、多くの根が露出していて、それがまるでタコの足のように見える木が何本か見えてくる。元々は土の中にあった根が、 下の土が流れてしまって剥き出しになった感じなのだが、良く見ると、その根元に木札がぶら下がっていて、 そこには手書きの文字で 『 モミソの頭 1594m 』 と書かれている。
さらに周囲を見回すと、これまた根がタコ足のようになっている木の幹に 『 モミソノ頭 1584m 』 と文字を浮き彫りにした、 手の込んだ手作り標識を見つける。そう、この二軒小屋尾根上で唯一明確なポイントとなっているモミソノ頭に到着である。時刻は 9時丁度。
なお、2つの標識に記載されている標高が異なっているが、正しいのは 1,594mである。立派な標識であるだけに標高が間違っているのは残念である。

朝食を食べてから 3時間経過していることから、ここで休憩することにする。 しかし、休憩に適する場所がないため、さらに少し進み、幹が曲がったヒメシャラ (あるいは皮が剥けてしまったアセビ) に腰掛けて休憩する。
9時9分に出発。暫くは平らでやや狭い尾根を進む。
少し下った後、また登りに入るが、少し登れば平らあるいは緩やかな登りが続くようになる。
この後、小さなアップダウンを挟みながら緩やかに高度を上げていく。所々に現れる巨木を楽しみながら進んで行くと、左手の雲取山も徐々に見通せるようになってくるが、 まだ写真に収められるレベルではない。
道の方は一旦下った後、登りが始まる。面白いことに、この登り斜面では今までよりも道が明瞭になってくる。尾根の少し左下を進むのだが、 尾根上に木が多いため、ここまで勝手気ままに歩いていた登山者も必然的にこの道に集中せざるをえなくなったためと思われる。
また、いつの間にか樹相も変わっており、周囲にはコメツガやダケカンバなどが見られるようになる。

少し傾斜のキツイ登りが続くが、10分弱登り続けると、また緩やかな道が続くようになり、 やがて少し広々とした場所に出る。
地図を見ると、この辺が 1,726m地点のようである。時刻は 9時43分。
今まで足下に草はほとんど見られなかったのだが、この辺では樹林が切れる場所もあって日当たりがよいためか、下草が見られるようになり、 さらに進んで行くと今度はフキ (と思う) の群生地が現れる。一方、この辺は倒木がそこら中にあってやや煩わしい。
やがて尾根も幅が狭くなり、左手の木々も疎らになってきたため、少し左に寄り道をすると、飛竜山が見え、さらに少し進むと、 今度は雲取山もしっかりと見えるようになる。今まではチラチラとしか見えていなかっただけに、漸くモヤモヤが晴れる。

道の方はほぼ平らな状態が続いていたが、やがて草地の狭い尾根を登っていくようになる。
実際は尾根がいくつかに分かれた感じで、今登っている尾根の右下は窪地になっており、 その向こう側にもこちらと平行して上に延びている尾根が見えている。この辺では赤テープが目立つようになり、テープに先導される形となる。
良く見ると、右側の尾根へと移る道も見られるが、ここはそのまま土手のような尾根を進む。
足下にはまたフキの群生が見られるようになり、その辺りから傾斜が増してくる。フキの群生する斜面をジグザグに登っていくのだが、 足下がかなり柔らかいので少し苦労する。
一方、この辺になると展望も開けるようになり、振り返れば鷹ノ巣山や高丸山が見え、鷹ノ巣山の左後方には大岳山も見えている。

フキの群生地を抜けると、傾斜はますますキツクなり、一方で道の方はかなり曖昧になってくる。
直登するのはかなり億劫に思えたので、一旦左手に見える支尾根に向かうことにして、フカフカして滑りやすい斜面を登る。
支尾根に登り着いた後、そこから右に折れて支尾根を辿っていくのだが、ここからも急斜面が待っている。草の中に白い小さな岩がいくつも転がっている斜面を登り、 途中から左手に回り込んでいくと、嬉しいことに踏み跡が現れる。
展望も開け、雲取山やその右後方の飛竜山がよく見える。
ここからは再び細い草付きの尾根が続くようになり、踏み跡も明瞭、赤テープも確認できてホッとする。

またまたフキの群生地を抜け、傾斜が少し緩んでくると、道はコメツガやシラビソ、そしてダケカンバが見られる樹林帯へと入っていく。
足下に下草はなく倒木のみとなり、急斜面を一直線に登る道が続く。
雰囲気的には頂上が近い気がするものの、この急斜面に息が上がり、なかなか足が進まない。
それでも何とか登り続けていくと、やがて先の方にトラロープが見え、その右後方に標識も見えてくる。もう少しである。
そして、最後にそのトラロープを潜ると、そこは芋木ノドッケ頂上であった。時刻は 10時27分。

ここは丁度 登山道が直角に曲がる場所となっており、 真新しい標識には 『 雲取山 』、『 長沢背稜・酉谷山・一杯水 』 とあり、標柱の所には 『 芋木ノドッケ 』 と書かれている。 実際の頂上は少し酉谷山方面へと登った場所と思われ、そこには境界標柱が立っている。
ただ、この東京都第二の高峰の頂上は狭く、しかも樹林に囲まれていて展望も利かず、標識がなければそのまま通り過ぎてしまうような場所である。 苦労して登ってきた割には貧相であるため、少しガッカリである。

境界標柱の先、少し下った所にある倒木に腰掛けて暫し休憩した後、10時35分に酉谷山方面へと向かう。
ここから長沢背稜が始まる訳で、一般的に天目山までがそれに該当するらしい。
シラビソの樹林帯を進む。足下には苔むした倒木が多く、もうここは奥秩父の雰囲気である。
すぐに三峰口・白岩山方面の分岐が現れるが、ここに立つ標識も芋木ノドッケと同様新しい。時刻は 10時37分。
なお、白岩山への道は手元の地図では破線になっているが、この真新しい標識を見ると道は良さそうに思えてしまう。

標識に従って右に曲がり、少々伐採が行われたのか、右側が少し開けた尾根を緩やかに下って行く。
ただ、右が少し開けていると言っても、展望の方は十分という訳ではなく、時々樹林が切れて展望が開けるといった程度である。
先の方にはこれから登る予定の天祖山が見え、その左後方にうっすらと川苔山が見えている。天祖山の右後方には、 右 (西) へと高度を上げ始めている石尾根が見えていて六ツ石山まで確認でき、その六ツ石山の後方には大岳山が見えている。
そして、少し動き回れば、石尾根のさらに先、鷹ノ巣山、日蔭名栗山、高丸山も見ることができる。
さらに少し進むと、高丸山の右手後方に三頭山が見え、その後方に丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸、大室山といった丹沢の山々がうっすらと確認できるようになる。 もっと右側が見えれば富士山も見えるのかも知れないが、残念ながらそちらは樹林に隠れてしまっている。

やがて、周囲の樹林は疎らとなり、さらには幼木だけの場所も現れる。 勾配は緩やかになり、歩き易く、気持ちの良い道が続く。
右手が少し開けた区間は既に終わりとなっており、後方樹林越しに雲取山を見た後、道は再び密度の濃い樹林帯に入っていく。
下草のない、木の根が剥き出しになっている細い尾根道が続くが、ほぼ平らであるため足が進む。
周囲の樹林がシラビソやツガであることから、やはり雰囲気は奥秩父に近いものがある。
そのほぼ平らな道も、19−S-240の標識を過ぎてからは下りに入り、途中、何回か平らとなるものの、長い間、高度を下げていく。
展望の無い下りが続く中、樹林が切れて川苔山、本仁田山、そしてこれから目差す天祖山がチラリと見える。

やがて、道は剥き出しになった木の根が目立つ、幅 1.5m程の細い尾根上を進むようになる。
今までに比べてワイルドとなって楽しくなるが、そのまま尾根通しに進むと思った道も途中から右に外れて尾根を巻くようにして下って行く。
この辺ではシャクナゲの群生が目立つ。
続いて砂礫の斜面を下っていくと、やがて狭い草地の鞍部に下り立つ。時刻は 11時23分。
なかなか気持ちの良い場所なので切り株に腰掛けて少し休憩するとともに、地図を眺めて位置を確かめる。
どうやら、この先に桂谷ノ頭があるようである。

11時27分に出発。ここからは目の前の高みを巻き、その後、岩が目立つ場所を過ぎてから細い尾根を登っていく。
木の根の目立つ斜面を登り切ると、そこには標識が立っているものの、この場所を示す記述はない。しかし、恐らくここが桂谷ノ頭であろう。 時刻は 11時30分。
ここからも細い尾根の道が続く。左手を見ると、木々の隙間から両神山が見える。しかし、埼玉県側はドンヨリとした曇り空で、 両神山もその中にボーッと浮き上がっているといった感じである。
尾根は一旦下った後、すぐに岩が目立つ場所を登っていく。地図で見ると、この登り着いた所が仏小屋ノ頭のようであるが、 周囲にそのような表記は見られない。

道はやがて緩やかに右にカーブして下りに入り、下り着いた後は小さなアップダウンがあるものの、 総じて平らな道が続くようになる。
また、前方樹林越しには山がチラチラ見えてくる。恐らくこれから登る長沢山であろうと思われるが、残念ながらその姿をスッキリと見通すことはできない。
一方、右手前方には天祖山がよく見え、その右後方には鷹ノ巣山も見えている。
天祖山を見ると、そこに至るまでこちら側からそれなりの高さの尾根が回廊のように続いているのが見えている。 一旦大きく高度を落とした後に登り返すのではないことがよく分かるが、それでも最後の登りがキツイことは前回の山行で確認済みである。

小さなアップダウンが続いた道も、やがて登りが連続するようになる。
但し、急登が続くのではなく、途中に平らな踊り場を挟みながら緩やかに高度を上げていく。
足下には下草も見られるようになり、花をつけたサラサドウダンの木も見られるようになって、なかなか気持ちの良い登り斜面である。
高度を上げて振り返れば、台形をした芋木ノドッケ、そしてその左後方に雲取山が見えている。ただ、その後方は白く、青空は全く見られない状態になっており、 天候はやや下り坂のようである。
そして、最後は緩やかな登りが続くようになり、左側から回り込むようにして尾根を登っていくと、やがて上方に鷹ノ巣山と同じ御影石製の立派な標識が見えてくる。 長沢山に到着である。時刻は 12時6分。

この頂上は東西に細長い上に狭く、面白いことにこの頂上よりも少し先の方が高いように思われる。
また、周囲は樹林に囲まれていて展望はほとんど得られない。
少し休憩した後、12時12分に出発し、この頂上標識が立つ場所よりもさらに高く見える方へと進む。
小さなアップダウンを経た後、道は下りに入り、斜面をジグザグに下っていく。
一旦緩やかになった道は、樹林越しに高丸山を見た後、右へとカーブしていく。徐々に高度を下げていくと、雲取山と小雲取山、 そしてその 2つにピークを結ぶ稜線がよく見える場所に出るが、その背後の空は完全に曇り空である。

さらに下って標識の立つ鞍部に下り立つと、道はここから目の前の尾根を避けて左に曲がっていく。
周囲の雰囲気も変わり、ブナやマメグミ、ミズキといった木が多く現れ、足下にはカニコウモリやシダ類が多く見られるようになる。
尾根の側面を緩やかに登っていくと、やがて道は舟窪状の場所に入り込む。前回、天祖山から酉谷山へと向かう途中、 水松山 (あららぎやま) 周辺でこの舟窪状の地形が多く見られたので、天祖山への分岐が近いのではと思っていると、 やがて見覚えのある古い標識が現れ、その標識に従って右側の斜面に登ると、これまた見覚えのある新しい標識が現れる。時刻は 12時42分。
ここから道は標識の立つ尾根を越えて、右下へと下って行くのであるが、標識を無視して今立っている小さな尾根を東に進めば水松山に至り、 西に進めば板小屋ノ頭 (アララギ谷ノ峰) を経由して天祖山への道に合流できるのである。

前回の天祖山登山では、登山道を外れてその板小屋ノ頭からここまで至り、 その後も尾根通しに進んで水松山に登っているのだが、本日は素直に登山道を進む。つまり、ここからは初めての道となる。
少し下ると道はすぐに丁字路に至る。左に曲がれば酉谷山方面で、天祖山は右である。時刻は 12時43分。
右に道を取り、板小屋ノ頭の東側斜面を横切っていく。板小屋ノ頭を巻くので、緩やかな道が続くのかと思ったら、意外に傾斜がキツイ。
そして、12時52分、前回 板小屋ノ頭に取り付くべく (実際は水松山と勘違いしていた) 登山道を外れた場所に登り着く。 ここからは、前回辿ってきた道である。
さらに少し下り、道が緩やかに左にカーブしていく所で、左手樹林越しに天祖山の石灰石採掘現場がチラリと見える。 ただ、前回よりも葉が多く茂っている分、見える範囲はかなり狭い。

道の方は梯子坂ノ頭の東側を巻いていく。
桟橋を渡り、やがて梯子坂ノ頭を巻き終えると、ここからは東京都の水源林管理用の作業道である広い道が続く。
周囲の木々に葉が多く茂っているため、前回とはかなり雰囲気が違っていることにやや戸惑いながら緩やかに下っていくと、 やがて梯子坂ノクビレに到着。時刻は 13時9分。
さらに少し下った後、緩やかに登ってから暫くは細いほぼ平らな尾根道が続く。
その後、一旦下って鞍部に下りた後は急登が始まる。下草のない、木の根が剥き出しになった砂礫の道を登る。
周囲の木々は前回よりも葉がかなり多くなっているため、前回見えた雲取山などはほとんど見ることができない。

息を切らせつつ登る。斜面に道は複数あり、適当に自分の登り易いと思う方を選びながら登っていく。
倒木や木の根が煩い中を登り続け、やがて下草が現れ傾斜も緩んでホッとするが、すぐにまたその先に急登が待っている。
再び木の根が目立つ斜面を喘ぎつつ登る。またまた下草が現れて傾斜も緩むと、その後は暫く平らな道が続き、一旦下った後にまた登り返すと、 落ち葉の目立つほぼ平らな尾根が続くようになる。
そして再度下りに入った後、緩やかな斜面の登りに入る。天祖山頂上まではもうすぐである。
落ち葉が目立つ斜面にうっすらと残る踏み跡を辿っていく。しかし、緩やかな斜面とは言え、この頃になると疲れが出始めて足が進まない。
天候の方もすっかり曇りとなり、長沢背稜付近では時々射していた陽の光も今は全く射すことはない。

傾斜がさらに緩み出すと、前方の木立の中に黒い屋根が見えてくる。天祖山頂上、そして天祖神社に到着である。
神社の東側を回り、三角点が置かれている神社の正面に立つ。時刻は 13時51分。
先日登った際には、ここを再訪することは当分ない思っていたのであるが、こうしてほとんど期間をおかずに再訪することができて嬉しい。
神社に参拝した後、前回と同じく左手の小さな広場にて暫し休憩する。上空は完全に曇り空、この後、会所前から見えるはずの富士山も期待できそうもない。

13時59分に出発、神社前まで戻って檜が並ぶ参道を下る。 登った際には緩やかなと感じた参道であるが、下りでは意外に傾斜を感じる。
そして、参道を過ぎ、右に緩やかにカーブしていけばすぐに会所である。時刻は 14時3分。
早速、会所の右手を進み、富士山が見える広場へと進む。空は真っ白なためやはり富士山は見えないと思ったのだが、目を凝らすと、 不完全ながら富士山が見えるではないか。雲が二層になっていて上部は富士山の頂上にかかり、下部は五合目以下を覆っているものの、 雲と雲の間に富士山の左右の斜面が見えているのである。
先日、天目山、蕎麦粒山に登った際には富士山は全く見えなかったので、不完全ながらも富士山の姿を見ることができて嬉しい。

さて、後はひたすら下るのみである。出だしは草原のような広い場所を突っ切り、その後、下りに入る。
最初は緩やかに下り、途中、平らな場所を経て、道は少し急坂を下る。
白い岩がいくつも飛び出している斜面を下り終えると、また暫く平らな道が続く。
その先でまた下りに入った後、狭い平らな尾根を進む。平らな尾根の先からは、またまた白い岩がいくつも飛び出している細い尾根の下りとなり、 途中から尾根を外れて右下に下り、その後、広い尾根を緩やかに下って行く。

倒木や岩が多く見られる場所を過ぎ、道がまた平らになると、岩が多く見られる細い尾根を進む。
3つの岩が石碑のように並ぶ場所を過ぎ、少し傾斜がキツクなると、足下には落ち葉が多く見られるようになる。
祠の屋根だけが残る場所を過ぎ、尾根通しに下って行く。前回は、この尾根の西側下方を登ったのだが、今回はそのまま尾根通しに進み、 一旦平らな場所に下り着けば、そこからは落ち葉が一面に敷かれている緩やかな下り斜面となる。

その後、短い急斜面を下って平らな場所に出た後、その少し先から急斜面の下りが始まる。
斜面をジグザグに下り、踊り場のような場所にて平らになった後、その先からまた急斜面が始まる。
周囲は樹林帯であるため、記憶に残っているようなモノはないのだが、この斜面を下っていけば大日大神へと下り着くことだけは何となく分かるので、 頑張って下り続ける。しかし、疲れた身体にはこういう斜面はかなり応える。息は上がらないものの、かなり足にきて苦しい。

周囲に杉や檜が多く見られるようになると、やがて斜面の先に大日大神の建物が見えてくる。
そして、西側から壊れかけた建物の前に回り込んで、大日大神の正面に立つ。時刻は 15時6分。
相変わらず薄気味悪い上に、辺りが薄暗いことがさらにそのことを増幅させているため、さっさと檜の参道を下る。
すぐにロボット雨量計 (天祖山雨量局) に到着。時刻は 15時9分。ここで少し休憩してノドを潤した後、先へと進む。
緩やかな傾斜の中、順調に足を進め、15時21分に 水源林巡視道の分岐を通過。
その後、小さな穴の中でポタポタと水が垂れている水場 ? を過ぎた後、直角に右に曲がり、緩やかに下って行く。

続いて支尾根に入り、途中、壊れかけた祠とその先にある立派な祠を見たところで左に曲がって 広い平らな場所を横切るようにして進んで行くと、やがて前方に 『 日原 → この先急斜面注意 ! 』 と書かれた手書きの標識が現れる。 時刻は 15時33分。
ここからは大きな岩を左手に見て、落ち葉や岩屑が多くて滑りやすい急斜面をジグザグに下って行く。
急斜面が終わると、暫く右手の高みを巻くように進み、その先で、この天祖山の名物である石積みのジグザグ道 (その1) に入る。
ジグザグ道を下り終えて大きな岩壁の下を通り抜けていくと、今度は岩場の下りが待っている。
途中、お助けロープが現れるが、登りでは一切使うことのなかったこのロープも、下りでは安心を得るために必要となる。

そして、岩場を終えるとまた石積みのジグザグ道 (その2) が現れるが、 こちらの石積みの登山道は絵になる光景である。
やや狭い小さな沢型地形の急斜面の中を石積みの道がジグザグに走っているのだが、下から見上げると、 石積みがクネクネと上へと延びていく様は芸術的でさえある。
ジグザグ道を下り終えて少し進めば、やがて下方に日原林道が見えてくる。そして、天祖山登山口には 15時55分に到着。
林道を左に進み、八丁橋を渡れば車を駐めてある孫惣谷林道分岐である。到着時刻は 15時57分。

本日は、奥多摩に区切りを付けるにあたって最後の山とも言える芋木ノドッケ、 長沢山に挑んだのであるが、ハイライトは山の方ではなく、地図上にない二軒小屋尾根の登りであった。
少し緊張感をもって臨んだもののルートは分かり易く、楽しく登ることができたのであった。ただ、長い単調な登りは少々退屈でもある。
なお、これで奥多摩の主要な山はほぼ片付いたことになるので、梅雨が明けたら他の山域、特に夏のアルプスを楽しみたいところである。


さらに奥多摩の山に拘る  2018.6 記

夏の暑さを考慮し、正月以来続いていた奥多摩通いに一旦区切りをつけようと、 5月11日(金)に天祖山、酉谷山、天目山 (三ツドッケ) に登ったが、最後は時間が押してしまい、 天目山以降はあまり登山を楽しめなかったことが心残りになっている。
加えて、その時歩いた長沢背稜 (ながさわはいりょう) が思っていた以上に素晴らしかったため、 こうなったら蕎麦粒山や芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ) にも早く登ってしまいたいとの気持ちが強くなってくる。
と言う訳で、もう少し奥多摩の山に拘ってみようと思い、天目山の再登山、そして蕎麦粒山の初登山にトライする。

5月16日(水)、4時半少し前に横浜の自宅を出発し、 もうすっかりお馴染みとなったルート (東名高速道、圏央道、都道184号線他) を辿り、古里駅前の丁字路にて国道411号線 (青梅街道) に入る。
いつもはこのまま奥多摩駅前を目差すのであるが、本日は鳩ノ巣駅前の信号を過ぎて前方に鳩の巣トンネルが見えてきたところで、 その手前を右折して町営鳩ノ巣駐車場へと進む。
JR青梅線のガード下を潜れば右側が駐車場で、平日にも拘わらず既に 10台近い車が駐車している。時刻は 5時42分。
計算ではもっと早く到着の予定であったのだが、途中、梅ヶ谷峠手前にてダンプトラックの後方に着くことになり、 その状態が青梅街道に入ってからも暫く続いたためにスピードが出せず、駐車場到着がかなり遅くなってしまった次第である。

身支度を調え、ガードを潜って青梅街道方面へと戻り、自動販売機が並ぶ店先の前を左に進んでコンクリートの坂道を登る。
左にカーブしていく坂を登り切ると目の前に踏切が見えてくるので、その手前を右折して鳩ノ巣駅へと進む。
5時54分発の奥多摩駅行きに乗るためであるが、その電車は既に到着して上り電車を待っており、乗ってから 2分程で出発するというややギリギリの状況であった。
奥多摩駅には 5時59分に到着。改札口を出て登山届を提出した後、登山届ポストのすぐ前に停車中の東日原行きのバスに乗る。
バスは定刻の 6時4分に出発、乗客は 4名、そのうち登山者は小生を含めて 3名である。
3名全員が終点まで行き、うち 1名はすぐに鷹ノ巣山登山口方面へと向かう。
もう 1名は女性で、小生と同じくバス停でグズグズしていたため、結局 小生が先に出発する。時刻は 6時29分。

鷹ノ巣山登山口とは反対方向に進み、石垣の法面に斜めにつけられた細い道を登って上の車道へと進む。
車道を左に暫く登っていくと、やがて右手に 『 酉谷山・蕎麦粒山・天目山 → 』 と書かれた標識が見えてくる。時刻は 6時31分。
標識に従って右に曲がり、法面上部につけられた細い道を進む。先週下ったばかりのヨコスズ尾根への登り開始である。
途中、『 酉谷山、雲取山 』、『 天目山 』 といった山名が彫られた手作りの標識が人家の庭先に置かれていたが、この標識は結構有名であるにも拘わらず、 先週この道を下ってくる際には見落としてしまったので、こうしてその存在を確認できたのが嬉しい。

直径 10cm程の割石が敷かれていて歩きにくい場所を過ぎると、道は法面上部を離れて山へと入っていく。
杉の植林帯に入った後、一旦植林帯を抜けると、途中の民家でお婆さんがたき火をしていたので挨拶をする。 このような高い所に住むというのは何かと大変であろうと思ったが、どうやらすぐ下まで車道が来ているようである。
やがて、東京都水道局日原第二配水所を過ぎると、その先から杉や檜の植林帯が続くようになり、道は急斜面をジグザグに登っていく。
この急登に汗が一気に噴き出すが、本日は快晴である一方でかなり暑いようである。

汗を流しつつも、出だしということでまだ体力があるため、順調に九十九折りの道を登っていく。
やがて、道は植林帯の縁に飛び出し、右手の自然林の方には石灰石を採掘する奥多摩工業(株)の敷地であることを示す柵が続く。
この長かった九十九折りも漸く終わりになると、周囲は広く、緩やかな自然林の登りへと変わり、やがて前方に標識が見えてくる。
時刻は 7時17分。
ここからは滝入ノ峰を左にした巻き道が長く続くのであるが、歩きやすい道ではあるものの、単調この上ないということは先週経験済みのため、 途中から滝入ノ峰への取り付きができないかと探りながら進む。
右側が杉や檜の植林帯、左側が自然林となっている滝入ノ峰の斜面という状況が長く続く中、漸く左手の高みが低くなってきたので、 思い切って道を外れて左手の斜面に取り付いてみる。時刻は 7時33分。

落ち葉の斜面を少し登ると、一旦平らな場所に出るが、その先に土手のような高みが見えているので、そちらへと進む。
登り着いたところは滝入ノ峰の尾根に当たるようなので、右に曲がってその尾根を登っていく。
足下には落ち葉が多いものの、その上に薄い踏み跡も見て取れる。傾斜は緩やか、足下に草などはないので大変歩き易い。
時々山の境界標らしき石柱が現れるが、これを辿っていけば滝入ノ峰に到着できるはずである。
やがて道は平らになり、その後、少し進むと緩やかな登りが続くようになる。

木々には葉が多く繁り、展望はなかなか得られないが、途中、左手樹林越しに天祖山がチラリと見える。 山の右側 1/3程が削られているのが目に入り、痛々しい。
道はまた緩やかになり、足が進む。先に述べたように下草が無いため、境界標を探すのは容易で、順調にその見つけた数を増やしていく。
やがて、広かった尾根も徐々にその幅が狭まってくるものの、傾斜は緩やかで気持ち良く歩いて行くことができる。
また、周囲にはブナの大木が現れるようになり、中にはなかなかユニークな形をしたものも見られるようになる。
道はやがて小さく下った後、狭い鞍部を越えてかなり狭まった尾根を登る。この辺からは足下に小さな岩がゴロゴロし始め、 木の根も剥き出しになっていて歩くのに少し注意が必要になる。

『 二五四 』 と彫られた境界標を過ぎると、傾斜がキツクなり始めたので滝入ノ峰頂上かと期待させるが、 登り着いた所には 『 二五五 』 の境界標があるだけで、道はそこから下りに入る。
次の登りはかなり長く、傾斜も結構あるのでまたまた期待を持たせるものの、登り着いた所にはやはり境界標があるだけで、道はその先で再び下りに入る。 すぐにまた登りが始まるが、この辺では尾根に広がりが出始める。
緩やかに登っていき、尾根が細くなった場所を通過すると、また登りが始まる。
今度こそと思いつつ登り続け、境界標を 1つ越えると、嬉しいことにその先は三等三角点のある滝入ノ峰頂上であった。時刻は 8時15分。
狭い頂上には手製の標識がいくつか木に括られている。一方、周囲は樹林に囲まれているため展望はほとんど得られない。

2分程休憩して先へと進む。このまま尾根通しに進めば、ヨコスズ尾根の縦走路に合流できるはずである。
一旦下りに入り、『 二五八 』 の境界標を確認した後、また登りが始まる。下り一辺倒を期待したがそんなに甘くないようである。
尾根は細くなり、加えて両側の傾斜が結構急になる。いつでも右下に下れば登山道に戻れると思っていたのだが、とんでもない話である。 ここは尾根を進み続けるしかない。
途中、左手樹林越しに酉谷山、そして天祖山、芋木ノドッケが見える。それらの山々の後方に雲は見られないものの、 何となく靄がかかったようでスッキリしない。

細い尾根のアップダウンが続く。進むに連れて、尾根はますます細くなる上、 先程述べたように左右の落ち込みが急角度なので、少々不安になってくる。しかし、細い尾根上には歩くスペースが確保され、 踏み跡らしきものもあるので、ここは進むしかない。
小さなアップダウンを繰り返していくと、やがて 『 二六〇 』 の境界標を通り過ぎた先から道は大きく下り始める。
途中、樹林越しにこれから登る天目山らしい山を見て、急斜面をドンドン下っていくと、嬉しいことに、斜面途中に置かれた境界標の先に登山道が見えてくる。
そして、次に頭が赤く塗られた境界標を越えると、すぐに登山道に下り立ったのであった。時刻は 8時35分。
ここは、先週、まさに滝入ノ峰の取り付き口ではないかと検討をつけていた場所で、下り立った先は石積みの細い鞍部になっている。

ここからは歩き易い道が続く。新たに現れた高みの右下を巻きながら緩やかに登り、一旦少し下って、その後 小さな高みを乗り越える。
すぐに標識が現れるが、この辺は緑が大変美しく絵になる場所である。
やがて、道は小さな高みの左下を巻いていく。ただ、その高みを巻かずに直登する踏み跡があり、記憶ではこの辺に横篶山 (よこすずやま) があったはずなので、 道を外れて尾根に取り付いてみる。取り付き点の所には 『 二六六 』 (と思う) の境界標が置かれている。
木の根が露出した斜面を登っていけばすぐに傾斜は緩やかになるが、今度は倒木がやや煩い。
しかし、頂上はすぐ先であり、そこには 『 二六八 』 の境界標の他、近くの木にお手製の標識がぶら下がっている。
この標識がかなり立派で、分厚い鉄板 (と思う) の上に 『 よこすずやま 1289m 』 との切りだし文字が貼られている。時刻は 8時44分。

そこからさらに先へと進んでいくと、平らな頂上は下りに入り、すぐに登山道に合流する。
ここからはやや広くなった尾根を緩やかに登っていく。1,388m峰の左側を巻き、さらに小さな高みの左側を巻いていく。
やがて右手に檜の植林帯が現れると、少し傾斜がキツクなり、先の方に赤い屋根の一杯水避難小屋が見えてくる。
小屋前のベンチには 9時20分に到着。ベンチにて少し休憩した後、小屋の入口の前を通って天目山へと向かう。
落ち葉の多い斜面を登る。最初は急登だが、すぐに緩やかな登りへと変わる。尾根が少し細くなってくると、ミツバツツジが周囲に目立つようになる。 先週もこの辺はピンク一色であったが、本日もまだまだ緑の中にピンクが良く映えている。

傾斜は再びキツクなってくるものの、それ程長くは続かず、緩やかに左にカーブしていくとやがて稜線上に飛び出す。
ここからは稜線歩きが続くのだが、天目山の頂上に至る迄に結構アップダウンが現れる。
ミツバツツジやアセビの幼木が目立つ中を進み、道は一旦大きく下った後、最後の登りに入る。
少し崩れやすい土の斜面をジグザグに登り、一旦傾斜が緩んだ後、再び登りが続く。足下は石混じりの土で少々滑りやすい。
そして、最後に土と砂礫の斜面をひと登りすれば三等三角点のある天目山頂上であった。時刻は 9時53分。頂上には誰もいない。

先週登ったばかりなので、ここからの展望は既知のことであるが、何と残念なことに本日は富士山が見えない。
ここからは石尾根を一望することができるのだが、先週 鷹ノ巣山の左に見えていた富士山は影も形もないのである。これにはガッカリであるが、 こればかりはどうしようもない。
なお、展望であるが、これから向かう蕎麦粒山、そしてその右に続く川苔山、 本仁田山 (ほにたやま) はまあまあよく見えているものの、その後方に並ぶ日の出山や御岳山、奥ノ院峰、そして大岳山はやや霞んでいる。
大岳山の右にある御前山も、距離が近いにも拘わらず少し存在がぼやけ気味である。

石尾根はまあまあの状態で見えており、途中に鷹ノ巣山を挟んで雲取山まで一望することができる。
また、雲取山の手前には天祖山も見え、その削られた山肌部分も見えている。
雲取山の右には芋木ノドッケ、白岩山がならび、さらに右に酉谷山も見ることができる。
また、埼玉県側に目を向ければ、武甲山、小持山、大持山を確認できるが、こちらはほとんど知らない地域であるため、 その他の山々を同定することは難しい。

それにしても本日は暑い。そのため、植物による蒸散 (水蒸気の放出) も活発なようで、 遠くの山がボンヤリとした状態になっているようである。とは言え、薄曇りというか、空には目立つ雲がない状況なので、富士山が見えないのは大変残念である。
周囲を飛び回る羽虫に閉口しつつ食事をした後、10時12分に先へと進む。
次に目差す山は東にある蕎麦粒山であるが、一旦西側へと下って縦走路に合流した後、巻き道を通って一杯水避難小屋へと戻るつもりである。

アセビの幼木の間を抜けて緩やかに下った後、赤いペンキ印のある岩の先から急斜面を下る。
足下は木の根や砂礫の状態なので滑りやすく、慎重に下る。
小さなアップダウンを挟みながら再び登りに入るが、斜面は意外と緩やかである。前回は反対側から登り、ここのアップダウンを結構キツク感じたのだったが、 それは長いコースを経た後だったからであろう。
途中、ほぼ平らで広い尾根が続き、一旦下りに入るとすぐに縦走路との合流点であった。時刻は 10時22分。
前回はこの分岐から天目山頂上まで結構長く感じたのだが、今はまだ元気な状態の上、下り主体の道であったため、本当にここまでアッという間であった。

しかし、逆にここから一杯水避難小屋までの巻き道は結構長く感じられる。
ほぼ平らな道が続くのだが、左上の天目山の山襞に沿って進むのでかなりクネクネとしていて長い。
展望の無い道が続く中、途中、樹林越しに石尾根が見え、鷹ノ巣山を確認する。
なかなか現れない小屋に少しイライラしながら進んでいくと、漸く小屋が見えてきたが、分岐からここまで 15分程、 しかしそれ以上に長く感じられた道程であった。
小屋前のベンチには 10時37分に到着。ベンチにて暫し休憩する。
ベンチには 2人休んでおられたが、奥多摩駅発 7時4分のバスの方々であろうか。
1人 (女性) は天目山に向かい、もう 1人 (男性) は休んだままであったが、後程、蕎麦粒山に向かう途中で追い抜かれることになる。

10時41分に出発。東の方へと進む。暫くは檜の植林帯の中、左側の高みを巻いていくほぼ平らな道が続く。
やがて、左手の斜面が少し引っ込んで道が右にカーブしていくところに水場が現れる。ここが一杯水である。時刻は 10時45分。
地図には 「 水量乏しく涸れることあり 」 との注釈が書かれているものの、この日の水量は豊富で、しかも冷たくて美味しい。
先の休憩時に空にしたペットボトルに水を詰めるとともに、塩が吹いている顔を洗ってサッパリする。

ここからも小さなアップダウンはあるもののほぼ平らな道が続く。
先日歩いた長沢背稜と同じような感じで、左側の上り斜面は自然林、右側の下り斜面は檜の植林帯といった状況が続く。
なお、長沢背稜とは芋木ノドッケから天目山までを言い、その後の天目山から棒ノ折山 (ぼうのおれやま)、小沢峠付近までを天目背稜と呼ぶようである (諸説あるようだが、いずれも東京都と埼玉県の境を形成している尾根)。

やがて、左手の高みは低くなるが、樹林越しに見える埼玉県側の展望は霞み気味で、ハッキリしない。
すぐにまた道は高みの右側を巻いていく。しかし、この辺では高みと言うよりも土手といった感じである。
左手樹林越しに武甲山を見た後、道は左にカーブしていくが、そこにある標柱には 『 棒抗尾根入口 』 と手書きの文字が書かれている。
地図を見ると破線ルートになっており、そこを下れば林道倉沢線に下りた後、日原街道に合流するようである。時刻は 11時12分。
ここからも同じような道が続く。これは長沢背稜と同じで、小さなアップダウンはあるものの、総じて平らである故に足は進むが、単調さは否めない。

やがて、長く続いた単調な道にも漸く変化が現れる。仙元峠への分岐である。時刻は 11時29分。
ここは巻き道を離れて、標識に従って左手の高みに取り付く。やや細い尾根の緩やかな登りが続く。
この道はあまり歩かれていないようで、先程までの登山道ほど明確ではないが、尾根通しなので迷うことは無い。
緩やかに登り、最後は低木がやや煩い中を通り抜けると仙元峠で、ここには石祠 (木花咲耶姫命 = このはなさくやひめのみこと を祀っている) とともに 峠に関する解説板が置かれている。
その内容は省略するが、その中に 「 上州から甲州へ向かう際、最初に富士山が拝める峠 」 との記述があるものの、 今は樹林に囲まれて全く展望は得られない。時刻は11時38分。

本日はかなり暑いので、小忠実に水分補給をすべく、先程の一杯水で汲んだ水を口にする。
古い標識に従って右に道をとり、やや細い尾根を緩やかに下って行くと、すぐに登山道に合流する。時刻は 11時43分。
ここからまた単調な道が続くのかと思っていると、そのすぐ先で蕎麦粒山へと通ずる尾根道が現れる。右の道は蕎麦粒山を巻いているため、 当然 左の尾根に取りつく。時刻は 11時45分。
さすがに蕎麦粒山へと登る方は多いのであろう、先程の仙元峠への道に比べてこちらの道は明瞭である。
一旦斜面を登り切ると、暫く平らな尾根が続き、その後また登りが始まる。こういったパターンが何回か続く。
この辺は剥き出しになった木の根が少し煩い。

最後は少し急登になり、やがて先の方に岩が見え始め、その岩を通り抜けるとそこは三等三角点のある蕎麦粒山頂上であった。
時刻は 11時58分。
狭い頂上には岩が多く、その岩に腰掛けて暫し休憩する。周囲は木に囲まれていて見える範囲が狭いため展望はあまりないが、 それでもこれから進む日向沢ノ峰、川苔山 (かわのりやま) を見ることができる。
12時5分に頂上を後にする。少し下ると大岳山が見えるが、霞んでおり最早薄いシルエットでしかない。
防火帯になっている急斜面をジグザグに下る。道は少し平らになった後、すぐにまた登りに入る。登る途中で振り返れば鈍角三角形をした蕎麦粒山が見えるが、 樹林帯の真ん中を防火帯が頂上まで通っているため、逆モヒカンの髪型を思わせる。

道は再び大きく下った後、登りに入る。
この辺は防火帯が続くため、直射日光を受けてかなり暑い。やはり低山歩きも終わりの時期に来ているようである。
少々喘ぎつつ登り着いた高みには方向を示す標識が立つのみで場所の名は書いていないが、 近くの木には 『 桂谷ノ峰 』 と書かれた小さな木札がぶら下がっている。時刻は 12時24分。
ここからは緩やかに下った後、小さなアップダウンがあるものの歩きやすい道が続く。岩の上部がテーブルのように平らになっている岩の横を抜け、 少し下りが続くようになると、やがて道は平らになるが、その先でまた下りが現れる。
これと同じパターンを繰り返しながら、道は徐々に高度を下げていく。

やがて、埼玉県の有間山への道が左に分かれるオハヤシノ頭を通過する。時刻は 12時41分。
道を塞ぐように置かれている木には 『 ← 左 飯能へ ここは飯門点 』 と書かれた手作りの標識が括り付けられている。
さらに緩やかに下った後、少し登り返すと、そこも分岐点となっていて標識が立っている。左に分かれる道は棒ノ折山へと至る道である。
時刻は 12時46分。
ここからは傾斜が少しキツクなる。暑い上に、かなりの距離を歩いてきているので少々バテ気味であるが、登っていくに連れ展望が開け、 右手に蕎麦粒山、そしてその左後方に天目山が見えて少し元気を貰う。
そして、登り着いた所が狭い頂上の日向沢ノ峰で、ここは南から西にかけて大きく開けていて展望が良い。時刻は 12時49分。

南にはややぼやけ気味ながらも御前山が見え、その右に三頭山も見えている。 三頭山の手前からは石尾根が立ち上がり、樹林に邪魔されて途切れ気味ではあるものの六ツ石山、鷹ノ巣山、高丸山、雲取山といった山々が確認できる。
雲取山の右には芋木ノドッケ、白岩山が続き、雲取山と芋木ノドッケの間には天祖山も見えている。
天祖山の採石場も見えてはいるものの、ぼやけ気味で少々見づらい。
少し動き回れば、白岩山の右手前に天目山、そして蕎麦粒山も見える。天目山は三ツドッケの名があるように 3つのピークからなっている。
蕎麦粒山は手前の山によって中腹が隠され、頂上付近だけが見えているだけだが、逆にそれが蕎麦粒山の逆モヒカンを際立たせ、存在感を高めている。
岩に腰掛けて暫し休憩。近頃下界もかなり暑くなってはいるものの、まだ涼しい日もあるため、今日のような暑さにはまだ身体が対応できておらず、 身体がキツイ。小忠実に水分補給をすることを心懸ける。

12時54分に先へと進む。ここからは緩やかに下った後、左側が樹林帯の下り斜面、 右側が防火帯の下り斜面となった細い尾根道が続く。
シロヤシオやミツバツツジなどが咲く中、右手に天目山、蕎麦粒山を見ながら進んで行くと、やがて岩場の下りとなって行き止まりになる。
ここからは、これから目差す川苔山がよく見えているものの、そこに至るまでに手前の山を越えていかねばならないのが分かり、 そのアルバイトを思って少々ウンザリする。時刻は 13時1分。
道はこの岩場には入らず、その手前から右の斜面を下る。右側の檜の植林帯と絡むように下って行けば、標識が立つほぼ平らな場所に下り着く。 時刻は 13時9分。ここからは先程の蕎麦粒山を巻く道が右に出ている。

道の方はすぐに緩やかな下りに入り、前方に御前山などを見ながら進んで行く。
周囲の雰囲気が少し変わったと感じるが、そう言えばこの辺では防火帯に生える草木がかなり背を高くしている。
やがて、道が少し広くなってきたかと思うと、下り着いたところが標識の立つ 踊平であった。時刻は 13時16分。
ここは十字路になっているが、『 獅子口、大丹波、川井 』 と表示されている左方面はロープが張られているので通行止めのようである。
右への道は 『 林道を経て川乗橋 』 とある。
目差す川苔山は真っ直ぐであるが、すぐ目の前に登りが待っており、少しゲンナリする。とは言え、ユックリと斜面を登っていくと、 一旦道は少し平らになるものの、すぐ先にまた登りが待っており、スケールの違いはあれども、このパターンが暫く続く。

鷹ノ巣山や日蔭名栗山、そして雲取山を右手に見た後、周囲は灌木やススキなどが目立ち始め、尾根のすぐ下を進んでいく。
そして岩が現れ出したところで、漸く下りに入ってホッとするが、その後も小さなアップダウンが続く。
やがて、道が平らになったところに標識が現れるが、ここから左に下る道は大丹波、川井(駅)方面へと通じている。時刻は 13時40分。
その後、一旦緩やかに下った道は檜の植林帯に入っていく。ほぼ緩やかな登りの道を進み、檜の植林帯を抜けると、その先に小さな登りが待っており、 登り着いた所から赤杭山 (あかぐなやま)、古里駅、鳩ノ巣駅への道が左に分かれる。時刻は 13時47分。
川苔山へは少し右へと進み、小さな高みに向けて斜面をジグザグに登っていく。一旦平らになった道はその少し先で再び登りに入るが、 この頃にはかなり疲れが出てきており、小さな登りもかなり応える。

登り着いて右手を見れば、蕎麦粒山や天目山が見えている。
続いて右にカーブしながら緩やかに登っていくと、ありがたいことに道の方は緩やかなアップダウンに変わる。
途中、古里駅、赤杭山への道を左に分ければ、緩やかな下りが続くようになり、下り着いた先が見覚えのある川苔山の東の肩であった。
時刻は 14時8分。川苔山はもう少しである。
広い登山道を緩やかに登る。前回はこの道を残雪期に登ったが、無雪期ではかなり周辺の様相が違う。夏道はこうなっていたのだと思いながら進み、 徐々に傾斜が出始めると、やがてその先に標識が見えてくる。
川苔山到着は 14時14分。この時間、頂上には誰もいない (斜面を登る途中で 3人と擦れ違い、また、後からカップルが登って来た)。

ベンチに腰掛けて暫し休憩。本日は富士山を見ることができないが、 たとえ見える状況であったとしても、このように葉が多く茂るようになっていては見えにくいことであろう。
また、大きく開けている西側も、この時間では山々は霞み気味である。それでも鷹ノ巣山、雲取山、天祖山、芋木ノドッケなどは確認できる。
ユックリと休んで、14時23分に下山開始。
東の肩まで戻り、その少し先にある標識の所から右に折れて鳩ノ巣駅方面へと下る。時刻は 14時27分。
この道は前回下っているが、残雪期と違って道は乾いているので歩き易い。
水場や赤杭山の分岐を 14時36分に通過して、ベンチが置かれている場所まで下ると、暫く平らな道が続く。
少し進めばまたまたベンチが現れ、その先に鋸尾根、本仁田山への分岐が現れる。
ここが舟井戸ノコルで、前回は右の斜面に取り付いて本仁田山へと進んだのだが、本日は鳩ノ巣駅を目差しているので、そのまま真っ直ぐ進む。 時刻は 14時42分。

ここからは初めて辿る道となる。道は左にカーブした後、杉や檜の植林帯に入る。
ほぼ平らな道なので喜んでいたところ、右に鋭角に曲がった所から大きな振幅のジグザグの下りが始まる。 途中から傾斜も急になり始めるが、それでも足下はよく踏まれているので、植林帯の中、順調に高度を下げていく。
しかし、やがて足下に石が現れ、河原のような雰囲気となると、途端に歩き辛い道が続くようになる。 15時4分に大ダワ、本仁田山の道を右に分け、なかなか足が進まないことにイライラしながら下って行くと、漸く河原のような場所から解放され、 歩きやすい道に変わる。
それにしても、疲れている身体にとっては、この区間を抜ける 4分程は大変辛い状況であった。

少し道が荒れている箇所はあるものの順調に下っていく。 展望の無い、植林帯の道が長く続くので、ここでの敵は単調さである。
なかなか先が見えないことにイライラしつつ下り続ける。道の方は途中からほぼ平らとなるが、逆に高度が下がらないことにイライラする。
また、左の斜面下方を見ると、下まで続いている杉の植林帯の底が全く見えない。このことが気分を滅入らせる。
それでも黙々と進んで行くと、道は下りに入り、やがて下方にガードレールと砂利道が見えてきて、ホッとする。
階段を下り、その林道には 16時7分に下り立つ。ここから林道は左へと下っているのだが、鳩ノ巣駅へは右へと進んで林道を登っていかねばならない。 疲れているのであろう、こういう小さなことにも気が滅入る。
しかし、ありがたいことに林道の登りは短く、すぐに左手に鳩ノ巣駅へと続く山道が現れる。時刻は 16時8分。

標識の傍らにあったベンチにて暫し休憩。向かい側には岩を削り出した石仏が置かれており、そこには 「 享保 」 の文字が見える。
地図を見るとこの辺に 大根山ノ神を祀る祠があるはずなので、辺りを歩き回ると、何のことはない、山道を少し入ったところに祠を見つけたのであった。
祠を写真に収めた後、16時14分に出発。すぐに本仁田山や大ダワからの道と合流し、左に下って行く。
ここからも杉の植林帯を下る。足下に小さな岩が散らばっていて少々歩きにくいが、道の右側の杉が他の木に比べて太く、 そして整然と並んでいるので、まるで参道のようである。

緩やかだった道も途中から傾斜がキツクなり、疲れた身体にはかなり応える。
一旦植林帯を抜けた後、再び植林帯に入ると、分岐が現れる。時刻は 16時36分。
どちらに進んでも鳩ノ巣駅に着くのだが、右に分かれる道は熊野神社経由とある。早く、この単調な下りから解放されたいとの思いが強く、 右に道を取る。
こちらも急斜面であり、さらには足下に岩屑があって歩きにくいが、すぐに下方に人家が見えてくる。この下りからもうすぐ開放されると思うと、 少し元気が出る。
植林帯を抜け、灌木帯をジグザグに下る。身体的にはこの辺が一番辛かったが、すぐに神社関係の建物が見え始め、 やがて下方に熊野神社の本殿が見えてくる。

そして、16時45分、神社の本殿横に下り立つ。
神社にお参りした後、階段を下ると、参道の傍らに水道があったので、塩がかなり吹いた顔を洗ってサッパリする。
社務所や能舞台 ? のある境内を抜けて車道に下り立つ。ここからは楽な車道歩きのはずなのでホッとする。
この先、人家のある所を抜けていくので、熊鈴が鳴らないように処置するとともに、少し休憩をして、16時49分、車道をまっすぐに進む。
道は左に緩やかに曲った後に直線となり、民家の間を抜けていく。やがて丁字路に突き当たるので、やや薄くなった案内板に従って右に曲がって道なりに進んでいくと、 すぐに今朝ほどの踏切が見えてくる。
踏切を渡れば、ここからは今朝通った道で、左に曲がれば鳩ノ巣駅である。真っ直ぐ進み、右にカーブする坂を下っていけばすぐに青梅街道で、 街道沿いにある店の自動販売機にて飲み物2本を購入した後、右に曲がってガード下を進み、駐車場には16時58分に戻り着いたのであった。

本日は、先日やや駆け足気味になった天目山から東日原までの間を登り返し、 天目山、蕎麦粒山、川苔山に登ったが、なかなか歩き応えのあるルートであった。
しかし、この日はかなり暑くややバテ気味となるとともに、展望の方も今一つだったのが残念である。
また、川苔山などは葉が多く茂っているため冬場に比べて見える範囲が狭くなっていたことから、この山域は冬場に登る方が良いと感じた次第である。
とはいえ、奥多摩の山はかなり面白いし、何よりも初めて登る山やルートが刺激的である。
さて、こうなると残った芋木ノドッケ、長沢山をどうするか、思案するところである。


奥多摩の山に区切りをつけるつもりが・・・  2018.5 記

ゴールデンウィーク中は混雑を恐れて山行を控えていたところ、 ゴールデンウィークが終わると今度は天候の方が芳しくなく山に行けない状況が続く。漸く 11日にチャンスが巡ってきたので、 早速、以前から考えていた奥多摩の天祖山に登ることにする。
今年に入ってから奥多摩の山を中心に登っているが、暑くなると 1,700m程の山では身体的に厳しいため、そろそろ奥多摩の山に区切りをつけようとの目論見である。

奥多摩も奥が深く、そう簡単に区切りはつけられないが、三頭山 (みとうさん)、 大岳山、御前山、川苔山 (かわのりやま) + 本仁田山、鷹ノ巣山 + 六ツ石山と登っているので、後は芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ)、 天祖山、酉谷山 (とりだにやま)、天目山 (三ツドッケ)、蕎麦粒山といった山を登ればある程度格好がつくと考え、 今回は思い切って天祖山、酉谷山、天目山を一気に片付けることにしたものである。
ただ、地図上のコースタイムが 11時間25分なので、途中で体力的に無理と思ったら、タワ尾根を下るつもりである。

5月11日(金)、朝の 4時半に自宅を出発する。
いつも通りのルートを進んで古里駅前の丁字路にて青梅街道 (国道411号線) に入り、その後、奥多摩駅入口のすぐ先の信号 (日原街道入口) を右折して日原街道 (都道204号線) に入る。この道を車で通るのは 21年ぶりである。
日原川沿いに進み、時々現れる狭隘区間に気を遣いながら徐々に高度を上げていくとやがて日原で、集落入口付近にある東日原駐車場に車を駐める。 時刻は 6時11分。平日にも拘わらずキャパ 20台ほどの駐車場には 4台の車が駐まっている。

車内で朝食をとり、身支度を整えて 6時19分に出発。
駐車場のフェンス越しに西側を見れば、稲村岩と鷹ノ巣山へと続く尾根が見えるが、その山肌は 1ヶ月前 (鷹ノ巣山登山) とは違って緑一色である。 また、その後方には雲一つ無い青空が広がっている。
駐車料金 500円也をポストに入れ、車道をさらに先へと進む。すぐに右手に天目山・酉谷山へと続く道が現れるが、 順調にいけば本日はここに下山してくる予定である。
東日原バス停のトイレを拝借し、鷹ノ巣山の時と同じく 『 万寿の水 』 でノドを潤した後、鷹ノ巣山方面登山口を左にやり過ごして進む。
前方には稲村岩がよく見えているが、1ヶ月前の茶色と灰色のややくすんだ感じに比べて今は緑濃く、存在感がかなり増してきている。

車道を暫く進んで行くと、やがて小川谷橋を渡った所で道が二手に分かれる。
まっすぐは日原鍾乳洞で、目差す天祖山へは左に折れて林道日原線に入る。時刻は 6時42分。
暫く舗装道が続くものの、伊勢橋にて日原川の右岸に渡ると、砂利道に変わる。
石灰石の採掘場を過ぎ、さらに進んで行くと、前方樹林越しに三角形の山が見えてくるが、恐らくあれが天祖山であろう。
やがて、孫惣谷 (まぐそだに) 林道を右に分け、その先で八丁橋を渡る。すぐに前方にゲートが見え、その前には車が数台駐まっており、 その手前、道路右側に天祖山の登山口が見えている。時刻は 7時9分。

斜面を斜めに登って山に取り付く。少しジグザグに登ると、 噂の石積みの道が現れ始め、さらに少し先にて九十九折りになった石積みの道によって高度を上げていくことになる。 この道はなかなか見事で、やや狭い小さな沢型地形の急斜面に石積みの道がジグザグに上へと延びている様はなかなか芸術的であり、 その労力にも思いが及んで感動すら覚える。
この天祖山頂上には天祖神社があるが、その信者 (天学教) の方々が道を整備されたのだとすれば、そのパワーに脱帽である。
ただ、美しく見えるこの道も登ってみるとやはりしんどい。しかし、新緑が眩しい中、初めての道ということもあり、 高揚感の方が先に立って楽しく登っていくことができる。

石積みの道が終わると暫く岩場を登る。傍らにはお助けロープもあるがあまり必要性は感じない。
ただ、この山では転落事故も起きているので油断は禁物であり、また、道幅が狭い所があるので慎重に進む。
岩場を抜け、やがて大きな岩壁の下を進んで行くと、また少し先で斜面を九十九折りに登る石積みの道が現れる。
息を切らせながら登る。苦しいが先の方に空間が見えていることに勇気づけられる。
そして、石積みの道を終え、足下が岩と落ち葉の入り混じる斜面に変わると、すぐに尾根上に飛び出す。
そこには 『 日原 』 方面を示す手書き標識が置かれている。時刻は 7時39分。

ここからは暫くの間は緩やかな登りが続くようになってホッとする。
斜面は広く、足下は落ち葉が敷き詰められているため、少々道が見分けにくいところがあるものの、迷うほどでは無い。
緩やかに登って小さな支尾根に登り着くと、そこに標識があって、そこから道は右に曲がるのだが、左に下っていく尾根の途中には小さな祠が置かれている。 時刻は 7時50分。
ここからも緩やかな登り、あるいは平らな道が続く。少し尾根が狭くなって傾斜が出始めると、その先にまた標識が立っており、道はそこで左に曲がる。 標識の後方にも道があるので、迷わないようにとの配慮が為されているようである。
道の方は左に下る斜面を横切って進み、すぐにジグザグに斜面を登っていくようになる。
途中、斜面と道との境目に小さな横穴があり、水がしずくとなって落ちていたが、ここが地図にある水場であろうか。 しかし、量を確保するにはかなり時間を要する状況である。

やがて、古い水源林巡視道の標識が現れ、道が二手に分かれる。
右の標識には、消えかけているものの、手書きによる 『 天祖山 』 の文字が確認できる。時刻は 7時59分。
ここまでほとんど展望の無い状態が続く中、樹林の間から本仁田山 (ほにたやま) が見えるようになる。 本仁田山は奥多摩にあってあまりポピュラーではないようだが、先日の鷹ノ巣山でもその姿を良く目にしており、その存在感に驚かされる。
周囲は新緑が眩しいものの、足下には枯れ葉がビッシリと敷かれており、全くといって良い程 下草は見られない。
緩やかな登りが徐々にキツクなり始めると、すぐに台地状の場所に飛び出す。そこにはロボット雨量計 (天祖山雨量局) が置かれており、 その周囲をネットが囲んでいる。時刻は 8時14分。

そこから右に少し進むと、突然 檜の林が現れ、道は参道のように左右に整然と並ぶ檜の間を進んで行く。
これはと思っていると、すぐに道の先に壊れかけた建屋が見えてくる。大日大神である。
板戸は外れ、床も抜け、天井も壊れかかってはいるものの、それでも奥に祭具が残っており、3つの鏡が祀られている。
また、建屋の前には標識が立っており、そこには 『 天祖山 2.6km 』 とある。時刻は 8時17分。
ここで休憩しても良かったのだが、何となく薄気味悪いため、そのまま神社の裏手へと進む。
ここからは自然林の中に杉や檜が混じる急斜面が続く。無論、展望は得られず、我慢して登っていくしかない。

小さな振幅にてジグザグに斜面を登り、やがてその振幅が大きくなり始めると、少し傾斜が緩み始める。
また、樹林が切れて展望も得られるようになり、六ツ石山を中心とした石尾根が見えるようになる。
周囲にはブナやミズナラが多くなり、落ち葉の中に白い岩 (石灰岩 ?) が露出した緩やかな道が続く。
やがて岩は見えなくなり、さらには落ち葉も消えて土と木の根が目立つようになるが、この辺はあまり傾斜がなく、また広々とした感じがするので、 緑が映える中、気持ち良く進んでいくことができる。

少し傾斜がキツクなってくると、やがて岩が露出した狭い尾根に取り付くようになる。
傾斜はさらにキツクなるが、一方でこの辺は道が不明瞭で、岩が多く露出した尾根上を進むか、その少し下を進むか迷うところである。
というのは、どちらもそれなりに道らしきものが見えるからであるが、少し疲れが出始めていたため、歩き易そうな尾根の下を登る。
しかし途中で尾根上に登らざるをえなくなり、岩場を登って無理矢理に尾根上に飛び出すと、少し下方に祠の屋根が転がっているのが目に入る。 やはり尾根上を進む方が正しかったようで、もしかしたら他の祠を見逃したのかも知れない。
ここからは尾根上を進む。岩が石碑のように 3つ並ぶ場所を過ぎると少し傾斜が緩み始めたので、朝食から 3時間を経過したことも考慮して少し休憩する。 時刻は 9時19分。
なお、周囲を見渡すと今度は鷹ノ巣山が見えるようになるが、葉が邪魔をして見通すことができない。

5分程休んでさらに先へと進む。道は一旦平らになった後、また登りが始まる。
少し登っては平らな道となるといったパターンが続いた後、道は再び岩の多い細い尾根を登っていく。
そして、その岩場を過ぎれば傾斜も緩み、広々とした尾根が続くようになって、周囲の木々に若葉が目立つようになる。
また、左手には富士山が見えるようになってテンションが上がるが、木が邪魔でなかなか見通すことができずイライラする。
後で調べると、この辺は唐松平というらしいが、不思議なことに周囲にカラマツは見られない。

少し進むと道はまた登りに入る。斜面には下草が見られるようになり、周囲の木々の葉はまだかなり小さい。
岩がゴロゴロした場所を通過すると、再び左手に富士山が見えてくる。しかし、やはり木が邪魔である。
このことに業を煮やし、道を外れて富士山が見える場所を探し回る。
何とか富士山を写真に収めることができたが、富士山は五合目より上が見えているという状況である。
周囲にダケカンバが多くなり、何となく頂上が近いことが感じられるようになると、やがて先の方に赤い屋根がチラチラ見えてくる。 頂上手前にある会所に違いない。
広く平らな尾根を進み、会所には 10時19分に到着。こちらの建物は先程の大日大神とは違ってしっかりとしている。

と、そこで左手を見ると、その先は樹林が切られており、富士山がしっかりと見通せるではないか。
先程、富士山を求めてウロウロしたことが馬鹿らしくなったが、山では 「 後で撮る 」 ということは通じないなのでこれは致し方ない。
富士山は高丸山と七ツ石山とを結ぶ尾根の後方にあって、おおよそ三合目より上が見えている。
富士山がしっかり撮れたことに満足し、会所の横を進んで頂上に向かう。ここからは少し傾斜のある道が続く。
会所の裏手 (実際はこちらが玄関) を進み、途中から左に折れて緩やかな傾斜を登る。
ここも参道のようになっていて左右には檜や杉が植えられている。また、狛犬の変わりであろうか、参道の左右には比較的新しい祠が置かれている。

そして、天祖神社の前には 10時26分に到着。
社殿は、このような高い所にあるとは思えない 3m四方ほどの立派な建物で、周囲は木の柵に囲まれ、柵内には柵に沿って小さな祠がいくつも置かれている。
また、神社前には標識と三等三角点もあり、ここが天祖山の頂上でもある。
無事に着いたことに感謝し、神社に向かって二礼二拍手一礼を行っていると、小生のすぐ後ろに人がいることに気がつきビックリする。
誰もいないと思っており、さらに後方にも人がいない様子だったのだが、富士山を撮りまくっている時に追いつかれたようである。

左側に小さな広場があったので、そこの倒木に腰掛けて昼食とし、 その方と少し話をしたところ、この後、タワ尾根を下るとのことであった。
その方は先に出発し、1人になったところでこの後のことを考える。ここまでかなり時間を要してしまったので、天目山まで進むことは無理と諦め、 小生もタワ尾根を下ることにする。できれば酉谷山だけはピストンしておきたいところであるが、これも無理かなと感じ始める。
ところで、本日の気温であるが、それ程暑さは感じず、この休憩時には風に少々冷たさを感じた程である。 また、空には雲がやや多くなってきている。

10時41分に出発し、神社の裏手に回る。平らな小スペースを通り抜けて下りに入る。
下草が全く見られず、落ち葉と土、枯れ枝が目立つ斜面であり、踏み跡もやや薄いものの、良く目を凝らしていけば迷うことは無い。
左手を見れば、樹林の間に雲取山が見えている。
緩やかに下った後、暫くほぼ平らな道が続き、少し先で緩やかに登り返す。登り着いた所がナギ谷ノ頭とのことだが、標識は見られない。
暫く平らな道が続いた後、広かった尾根がかなり狭まってきたところから急下降が始まる。
下るに連れて傾斜が増し、さらに足下には岩屑があるので滑りやすく、慎重に下る。
そして、最後はかなりの急坂を下って狭い鞍部らしき場所に下り立ったが、ここも標識らしきものは見られない。時刻は 11時6分。

道は細い尾根を登った後、小さなアップダウンがあるものの総じて平らな道が続くようになる。
木の根が露出した道を進み、やがて下りに入ると、途中、左手に雲取山が見通せるようになる。
道は一旦平らになり、その先でもう一段下って鞍部に下り立てば、そこは標識が立つ梯子坂ノクビレであった。時刻は 11時13分。
かつてはここから右に孫惣谷林道へと下る道があったが、途中の御供所 (ごくうしょ) 跡付近が土砂崩壊したため、現在は通行止めとなっている。

ここからは長沢背稜に向かっての登りとなる。
天祖山からの急な下りが念頭にあったのでかなりのアルバイトを覚悟していたのだが、緩やかな傾斜の道が続いてホッとする。
尾根通しの道が続くのだが、東京都の水源林管理用の作業道とのことでよく手入れされており、気持ち良く登っていくことができる。
細い土手のような尾根が緩やかに続き、左右の木々が街路樹のようで、まるでハイキングコースである。
足下は土と石混じりで、左右に見られるハンノキやカラマツの根が剥き出しになっている。この辺では下草も見られるようになり、 それがまるで芝生のようで気持ちが良い。

快適な道も少し傾斜が出始め、やがて左手の高みを巻く。恐らく左手の高みは梯子坂ノ頭であろう。
この巻き道も途中から平らになり、高みを巻き終わった所で緩やかに右にカーブしていく。
右手を見れば、樹林越しに天祖山のダーク面である石灰石採石場がチラリと見え、その向こうに六ツ石山、狩倉岳を経て大きく左に下る石尾根、 そしてその後方に大岳山と御岳山奥ノ院峰が見えている。

ここからも歩き易い快適な道が続く。左手には芋木ノドッケも見え、いよいよ長沢背稜が近づいてきた感じである。
この辺からは展望も時々開けるようになり、右に本仁田山を見た後、武甲山を彷彿とさせる天祖山の採石場もチラチラ見えるようになる。
やがて道は高みを巻くようになるので、この高みが水松山 (あららぎやま) と解釈し、登山道から離れ尾根通しに進んでみる。
この後 タワ尾根を下るのであれば、「 水松 = あららぎ 」 という難しい読み方の山だけはその頂上を踏んでおこうと思ったためであるが、 地図も見ず、ただ感覚だけで道を外れてしまったため、これは失敗であった。

薄い踏み跡を追いながら斜面を登る。倒木があるものの、この辺は下草も疎らで歩くのに支障は無い。
すぐ目の前に頂上らしきものが見えてきたので喜んで登っていくと、さらに先に高みが続いてガッカリさせられる。
しかし、それ程 高さはないので足は進む。2つ目の高みも空振りであったものの、その先で緩やかになった傾斜の先に草地が見えてくる。
今度こそと足を進めていくと、漸く辿り着いた所には三角点とは異なる石柱があるだけで標識はない。時刻は 11時54分。
慌ててザックを下ろして地図を見ると、水松山は長沢背稜に辿り着いてから登ることになっており、今いるのはどうやらその西側にある高みのようである。

ガッカリしながら東へと続く薄い踏み跡を辿る。緩やかに斜面を下って行くと、 左手下方には舟窪状の地形が続くようになり、やがて少し先に標識が現れる。時刻は 12時丁度。
今歩いている尾根を登山道は横切っており、標識には 『 ← 長沢背稜・芋ノ木ドッケ、長沢山・雲取山 ―― 長沢背稜・天祖山・酉谷山・一杯水 → 』 とある。
天祖山、酉谷山が右というのがミソであるが、ここは標識を無視してまっすぐ尾根上を進む。

緩やかな傾斜の登り、あるいはほぼ平らな尾根が続く。うっすらと踏み跡があるので不安はなく、左下方には舟窪状の地形が続く。
傾斜が少しキツクなってくると、やがて道は左に曲がり、舟窪地形を塞ぐ形となっている土手状の場所を通ってその先の高みに回り込めば、 そこは三等三角点のある水松山頂上であった。時刻は 12時7分。 ここには小さな標識が木に括り付けられている。
なお、帰宅後調べると、先程 水松山と思った高みには板小屋ノ頭 (アララギ谷ノ頭) という名が付けられていたので、少し嬉しくなる。
また、「 水松 」 を 「 あららぎ 」 と読むことについてだが、「 水松 」 というのはイチイ (イチイ科の常緑針葉樹) のことであり、 一方、イチイの別名が 「 あららぎ 」 とのことであるから、「 水松 」 を 「 あららぎ 」 と読むようになったと推測される。

すぐに水松山を後にしてそのまま東の方へと進む。
この辺は先程途切れた舟窪状の地形が再び現れており、先程とは反対に今度は舟窪の北側の尾根を進む。
しかしすぐに草木で道が塞がれるようになって舟窪地形を横切り南側 (右手) の尾根に移る。
暫く進んで行くと、小さな高みの手前にて舟窪に下りるようにとの指示なのか、赤テープが現れる。テープに従って下って行くと、 その先でまた草木に阻まれ、仕方なく右手の尾根に戻る。
その際、少し先を男性が横切っていくのが見える。どうやらあそこが正規の道らしい。
ということで、どうにか登山道に戻ることができたが、こういうシチュエーションは結構楽しい。

ここからの道は歩き易いほぼ平らな道が続く。
すぐに道は高みの右側を横切っていくようになるが、先程の失敗に懲りて素直に登山道を進む。
右手樹林越しに天祖山が見え、その後方に鷹ノ巣山も見えている。道はほぼ平ら、なかなか気持ちの良い道が続く。
左手の高みが終わりとなって左側が少し開けると、樹林越しに両神山、そしてその右後方に浅間山が見えるようになる。 浅間山の頂上付近はかなり白いので、最近降った雨は山では雪だったようである。
道はすぐにまた高みを巻いてその右側 (南側) を進む。
振り返れば、天祖山の採石場の全容が少しずつ見え始めるが、全面的に斜面を削られたその姿は痛々しい。

道は左手の高みの山襞に沿って進む。見える景色も広がり始め、右手前方には大岳山、後方には天祖山と日蔭名栗山が見えている。
と思ったら、何と天祖山の右後方に富士山が見えることに気がつく。木々が邪魔をしてなかなか見通せないものの、 何とか良い場所を探して写真に収めたが、その左斜面は天祖山にかなり隠れている。
やがて、左手の高みがかなり低くなってくると、その斜面に木製の柵が現れる。道の方はその柵の下を通り越した後、左に曲がって尾根上へと登っていく。
すぐに柵の上の様子が見えるようになるが、そこは平らに均した広い場所となっており、人工の丸太を縦に埋めて ○ に H の大きな文字が書かれている。 滝谷ノ峰ヘリポートである。時刻は 12時37分。
ここからの展望は素晴らしく、先程写真を撮るのに苦労した天祖山や富士山が見える他、 雲取山、両神山、浅間山、そして御座山も見ることができる。

道は少し尾根上を進んだ後、尾根と分かれて右下へと下り、滝谷ノ峰 (タワ尾根ノ頭) の右下を巻いていく。
倒木を潜り、山襞に従って左へと進んで行くと、やがて右へと下る斜面の傾斜が緩やかになり、道の脇にはロープも張られている。
そして、すぐに古い標識が現れたが、ここがタワ尾根の下り口のようである。時間は 12時49分。
まだ体力的にも時間的にも余裕があるため、タワ尾根には入らずに酉谷山往復することにする。
ここからも山襞に沿いながらの歩きやすい道が続く。
途中、前方を見ると、木々の間から酉谷避難小屋と思しき建物が見える。近いようにも見えるが、道自体が山襞に沿っているため、 歩く距離は結構あるのかもしれない。

やがて、左側斜面の崩れを防ぐ石垣が現れるが、その上から落ちてきた土が石垣を越えて道を塞いでいる。 ここで足を滑らせたら斜面を転げ落ちてしまうため、慎重に通り抜ける。
この辺ではその類いの石垣が数多く見られ、最深部とも思われる所にこのような措置が行われていることに少々驚く。
やがて道は急角度で左に折れることになる。そこには白い小さな案内板が置かれているものの、そこに書かれた文字は薄くて読みにくく、 「 酉 」 の文字だけが確認できる。時刻は 13時7分。
山襞に沿って進み、左側の高みが低くなると、左手に再び両神山が見えるようになる。
道は再び左手の高みを巻き、一旦その高みが終わりになると、新たな高みが現れる。その高みは酉谷山に通じているようで、 そこには酉谷山と巻き道との分岐であることを示す標識が置かれている。時刻は 13時18分。

左に道をとって斜面に取り付く。最初は緩やかな登りが続く。
意外と楽勝だなと思っていたら、やはり分岐から頂上まで 25分とあるように、それ程甘くはない。
小さなアップダウンが続くようになり、勾配も徐々にキツクなり始める。
目の前の高みに登っていくと、さらに前方に高みが現れるというパターンが続く。
これが最後と思いながらかなりキツクなった斜面を登り終えると、さらに先に高みが見えてガッカリするが、どうやら今度こそ酉谷山のようである。 しかし、足下に岩が現れるようになった斜面を登っていくと、そこも頂上ではなく赤い杭が立っているだけである。
ため息をつきつつ、そこから一旦少し下った後、息を切らせつつ斜面を直登する。
そして、最後は草地を登っていけば、今度こそ二等三角点のある酉谷山の頂上であった。時刻は 13時46分。

古いガイドブック (1998年版) では、 ここの頂上を 『 展望もなく平凡 』 としているが、人の手が入れられたのであろうか、今は南側が開けていて素晴らしい展望を得ることができる。
まずは、少し霞み気味ではあるものの富士山が見え、その手前を走る石尾根もよく見えて、樹林越しに雲取山も見ることができる。
特に鷹ノ巣山は真南に見えており、この酉谷山とあまり高さが変わらないこともあって、お互いに張り合っているかのようである。
石尾根が大きく左に下る付近の後方には御前山が少し見え、石尾根のさらに左方には大岳山も見えている。
大岳山の左には奥ノ院峰、御岳山、そして日の出山が続いており、日の出山の手前には本仁田山が見えている。

なお、頂上には先客が 1人おられたが、その方は先程 水松山の先で正規の道から現れて小生の前を進んで行かれた方であった。
聞けば、これから天目山に登った後、ヨコスズ尾根を下るとのこと。小生としては辿ってきた道を戻りタワ尾根を下るつもりであるが、 これを聞いて大いに迷う。
地図ではここからヨコスズ尾根経由で東日原まで 4時間35分かかることになっており、途中で休憩を入れれば、 東日原に着くのは 19時近くになってしまう。一方、破線ルートのタワ尾根を下ることにもやや不安があり、心が揺れる。
その方が出発した後も迷い続け、結局、長沢背稜はアップダウンの少ない道が続くこと、ヨコスズ尾根は道が明瞭と聞いたこと、 そして日がかなり長くなってきていることなどを考慮して、最初の目論見通りヨコスズ尾根を下ることにする。

14時3分、下山開始。左手を見れば、下方に秩父市と思しき街並みが見えている。
緩やかに下り、小さな高みを越えた後、道は緩やかな細い尾根を下る。
道は途中で右に下って尾根を離れるが、下る先に酉谷避難小屋が見えている。しかし、道は小屋まで下ること無く、先程の巻き道と合流したところで左に折れる。 時刻は 14時14分。
思ったとおり、ここからはほぼ平らな道が続く。左手の高みを横切って進むのだが、自然林が途中で途切れ、左手に自然林、 右手に檜や杉の植林帯というパターンが何回も現れるようになる。単調な道ではあるものの、道はほぼ平らなので足は進む。

そのほぼ平らな道も傾斜がキツクなると、先の方に標識が見えてくる。七跳尾根の分岐である。到着時刻は 15時3分。
この七跳尾根の道はその先の小川谷林道が通行不可のため今は下ることができない。
あまりにも平らな道が続く中、この分岐までの登りがかなりキツク感じられたので少し休憩する。
丁度、天目山方面から来られた方も休憩しておられたので少し話をする。ヨコスズ尾根の状況を聞いたところ、 道は明瞭、東日原までここから 3時間ほどとのことである。その言葉に元気を貰い、15時9分に出発する。

ここからもほぼ平らな道が続く。
左側が自然林、右が杉や檜の植林帯というパターンがまた繰り返される。ここは黙々と歩き続けるしかない。
太陽はまだ高い位置にあり、周囲が明るいのがありがたい。また、時折 右手樹林越しに石尾根が見える。
やがて、岩場にかけられた長い桟道を渡るが、ここは 『 石橋の岩場 』 と呼ばれているようである。時刻は 15時22分。
時折 登山道周辺に現れるミツバツツジの花を楽しみにしながら進んでいくと、やがて道が左にカーブするところに標識が立っている。
時刻は 15時42分。
その標識を良く見ると、標柱の所に手書きの小さな文字で 『 ハナド岩 』 とある。

カーブのところから右(南)に延びる踏み跡があるので辿っていくと、 すぐに樹林を抜けて、その先で足下がスパッと切れ落ちた露岩帯に飛び出す。ここからの展望は抜群で思わず息を飲む。
一番左に大岳山が見え、その右に御前山が並ぶ。御前山の右手前から石尾根が立ち上がるが、 六ツ石山、鷹ノ巣山、日蔭名栗山、高丸山、七ツ石山といった山々を経て小雲取山、雲取山に至るまでの稜線をここからは一望できる。
そして、雲取山の右には芋木ノドッケ、白岩山が続き、酉谷山もその頂上が見えている。
また、雲取山の手前には天祖山が見えるが、その削られた部分は、手前のウトウノ頭によって隠されている。
また、鷹ノ巣山の左後方には富士山も少し姿を見せ、鷹ノ巣山の右後方には雁ヶ腹摺山も見えている。

少し霞み気味ではあるものの、素晴らしい景色に満足してまた登山道へと戻る。時刻は 15時48分。
ここからも平らな道が続き、相変わらず右手に杉や檜の植林帯が時々現れる。
その単調だった道も、やがて少し雰囲気が変わり始め、左手に続いていた高みもなくなり、小さなアップダウンが現れ、 そしてやや広めの尾根を進むようになる。
そして、先の方に高みが現れたかと思うと、その起点に標識が立っているのが目に入る。
左は尾根に取り付いて天目山へ、右は天目山を巻いて一杯水避難小屋に至る分岐である。時刻は 16時4分。

時間は押しているものの、天目山を無視する訳にはいかず、左の尾根に取り付く。
斜面はやや急ではあるが、息が切れるという程ではない。左手を見れば、木々の切れ間に武甲山が見えており、 東京都と埼玉県の境を進んでいることを実感する。
斜面の急登は一旦終わりとなり、暫く緩やかな登りに変わると、小さな高みを登り越えた後、道は下りに入る。
その鞍部からは急登が始まり、足下は小石混じりの土の道となって、剥き出しの木の根がやや煩い。
道は少し平らになった後、また土と木の根が入り混じる斜面を登る。さすがにこの辺になると足が重いが、何とか踏ん張って登り続ける。
やがて斜面の先に大きな赤い丸印が書かれた岩が見え、そこに登り着くと傾斜がかなり緩む。
周囲にはアセビ (と思う) の幼木が目立ち始め、やがて高みの先に三角点 (三等) が見えてくる。天目山頂上である。時刻は 16時18分。

ここの展望も素晴らしく、石尾根、そして富士山が見える。
ただ、富士山は先程のハナド岩の時よりも石尾根の上に迫り上がってはいるものの、その姿はもはや光の中に紛れつつある。
また、石尾根の後方の三頭山もハナド岩の時より迫り上がり、三頭山の後方には御正体山もうっすらと見えている。
近くの山の方はよく見え、石尾根の左に御前山、そして大岳山、鍋割山、奥ノ院峰、御岳山、日の出山が続き、奥ノ院峰と御岳山の手前には本仁田山、 そしてその左に川苔山が見え、さらに左に蕎麦粒山も見えている。
反対側の埼玉県の山々については馴染みがほとんどないが、武甲山、小持山、大持山だけは同定することができる。

時間が押しているのであまりユックリすることはできず、16時21分に下山を開始する。
頂上を突っ切って南東側に下る。岩屑と土の少し滑りやすい斜面を下り、一旦鞍部に下り立った後は、細い尾根を緩やかに登っていく。
大きな岩のある所まで登り、そこからはまた下りが始まる。やや滑りやすい道をジグザグに下って、その後、岩場のある小さな高みを越えると、 またその先に登りが続く。
下り一辺倒かと思っていたが、三ツドッケの名もあるように、頂上から先、もう 1つピークを越えていく必要があるようだ。

道が緩やかになるとその先で細い岩場の尾根となり、岩場を越えて暫く平らな道を進んだ後、漸く下りが続くようになる。
周囲にはミツバツツジが多く見られ、ピンク色の花が満開で見事である。
左に檜林、右に自然林という斜面を下り、最後に落ち葉の敷かれた斜面を下れば、やがて一杯水避難小屋である。時刻は 16時43分。
小屋の前へと進み、小屋の下にあるベンチで少し休憩した後、16時46分にヨコスズ尾根に入る。
聞いていたように、確かにこの尾根は歩き易く、また迷う心配も無い。こちらの道をとって正解である。
右手の太陽はまだ山の上に高いが、この後 道は滝入ノ峰の東側を下って山の陰に入るため、できるだけ急ぐ。

小さなアップダウンはあるものの、道は総じて緩やかな下りとなっており、 時折、短い急傾斜が現れるといったパターンにて、段階的に高度を下げていく。途中、右手樹林越しに酉谷山と思しき山が見える。
道は 2つほど小さな高みを乗り越し、その先で細い鞍部を通った後、山の左側を巻いていく。恐らく右側の高みは滝入ノ峰に続くと思われ、 その尾根に赤いテープも見られたので、滝入ノ峰に直登する道もあるようだ。
道が右にカーブするところの左下に共同アンテナ ? を見ると (17時30分)、道の左側は檜と杉の植林帯、右側は自然林の滝入ノ峰の斜面という状況が長く続くようになる。

20分程その状態が続いた後に道標が現れると、右手の滝入ノ峰の斜面は終わりとなり、 道は緩やかに左に折れて自然林の広い斜面を下っていく。暫く緩やかに下った後、道は再び杉と檜の混合林に入るが、ここから九十九折りの急坂を下る。
途中、左手に金網の柵が巡らされている場所があったが、石灰石を採掘する奥多摩工業(株)の敷地を示すものであった。
長く続くジグザグ道に嫌気が差し始めた頃、漸く植林帯を抜け、東京都水道局日原第二配水所の施設に辿り着く。時刻は 18時18分。
すぐ下に民家の屋根が見えるので、熊鈴が鳴らないようにするとともに、3分程休憩する。
その後、民家の軒先を掠め、やがて石積みの法面上部を下るようになると、下方に民家や県道204号線、そして駐在所とパトカーなどが見えてくる。 もうすぐである。

しかし、気持ちは逸るものの、足下に直径 10センチほどの割石が敷かれているため歩きにくく、足が進まない。
その割石もなくなると、道は歩きやすくなって左にカーブしながら下って行き、18時33分に登山口に下り立つ。
左に車道を進む。そのまま下ればすぐに駐車場だが、途中、飲み物を買うべく法面を斜めに下る細い道を通って東日原バス停方面へと下り、 県道204号線に下り立つ。時刻は 18時35分。
バス停前を通り、郵便局まで歩いて自動販売機で飲み物を購入した後、車道を戻って駐車場には 18時40分に戻り着いたのだった。

本日は、奥多摩の山に区切りをつけるべく、天祖山、酉谷山、天目山に登ったが、 途中、ルート変更のことが何回も頭に浮かんだものの、最終的には初志を貫徹することができ、大変満足である。
久々に 12時間を越える登山となったが、今まで全く足を踏み入れることのなかった山域に行くことができ、充実感を味わうことができたのだった。
しかし、長沢背稜周辺はなかなか素晴らしく、蕎麦粒山、そして芋木ノドッケがまだ残っているので、 本当に区切りをつけるためにはあと 2回ほど奥多摩に足を運ぶ必要がありそうである。


待望の石尾根を下る  2018.5 記

気温がかなり高くなってきたことから、こういう時は一度大量に汗をかいて体調を整えたいところである。
そのためには登山が最適なのだが、いろいろ用事があってなかなか山に行くタイミングが掴めない。一応 4月4日に鎌倉の祇園山に登ってはいるものの とても登山と言えるレベルではなく、また毎日 8,000歩以上歩くように心懸けてはいても、それでかく汗では不十分である。
そんな中、漸く 13日に山に行けることになったので奥多摩の鷹ノ巣山に登ることにする。
本当は残雪の山を楽しみたかったのだが、情報が少ないことから少し躊躇する気持ちがあり、結局 今年に入って通い詰めている奥多摩の山にした次第である。

この鷹ノ巣山には過去 3回登っているが、いずれも水根から水根沢林道を辿っており、 しかもその時のメインは雲取山だったので、最初から鷹ノ巣山を目差すのは今回が初めてとなる。 無論、同じコースを辿るはずもなく、今回は日原から稲村岩尾根を登ることにする。
しかしである、鷹ノ巣山には大変申し訳ないのだが、今回の山行で最も楽しみにしているのは、鷹ノ巣山から奥多摩駅までの石尾根の下りであり、 加えて六ツ石山に立ち寄ることなのである。
石尾根については、昨年に大弛峠から甲武信ヶ岳間を歩いたので、今回のルートを歩けば奥多摩駅から瑞牆山までが繋がることになり、 これが大きなモチベーションになっている。
一方、六ツ石山については、今年登った大岳山や三頭山 (みとうさん)、御前山からこの山を眺めた際、山頂付近が開けていて気持ちよさそうに見えたので、 是非とも一度登ってみたいと思っていたからである。

4月13日(金)、5時過ぎに自宅を出発する。
さすがにこの時期ともなれば日の出は早く、周囲はかなり明るい。また、空には少し雲が多いものの、現地は晴れとの予報である。
横浜ICから東名高速道下り線に入った後はいつも通りのルートを辿り、これまたいつも利用している奥多摩町役場の横にある Timesの駐車場に車を駐めたのは 6時40分であった。
車内で朝食をとり、奥多摩駅のトイレをお借りして、さらに登山届を提出した後、身支度を整えて 7時4分発の東日原行きのバスに乗る。
この 2月、川苔山 (かわのりやま) に登るためにこのバスを利用した時は小生の他に登山者 1名だけであったが、 さすがに春ともなれば登山者も増え、今回は小生を含めて 7人である。
なお、3名 (女性2名、男性1名) は川乗橋で下車、終点まで乗っていたのは 4名 (男性のみ) であった。

バスは 7時30分に東日原に到着、他の 3人がバス停で身支度をしている間に車道をさらに先へと進む。
郵便局、駐在所の前を通り、道が右に緩やかにカーブしていくと、先の方に稲村岩とともに鷹ノ巣山へと続く尾根が見えてくる。
ただ、稲村岩は背後の山に包み込まれていて少々見えにくい。
しかし、消防車用車庫の先で右に緩やかにカーブした道が直線に変わると、その先に青空をバックにした稲村岩がよく見えるようになる。
この稲村岩の名の由来は稲叢 (イナムラ = 刈り取った稲を乾燥させるために野外に積み上げたもの) から来ているらしいが、 今は稲叢を見たことがある人も少ないと思われるので、砲弾を立てたような形を思い起こして戴ければ良い。

稲村岩を見ながら車道を進んでいくと、道の左手に屋根付きの立派な水飲み場が見えてきたのでノドを潤す。
花粉症の薬を飲んでいるためか、この時期ノドがカラカラになり易いのである。
なお、この水は 『 万寿の水 』 と言い、水の豊富な日原川の対岸からここまで引いてきているとのことである。 ただ、冷たい水を想像していたので意外に温い水に少々ガッカリさせられたが、水自体はまろやかで飲みやすい。
その際、先の 3人の登山者のうちの 1人に追い抜かれる。帰宅後にヤマレコを見ると、その方は稲村岩尾根を辿らず、巳ノ戸尾根を登って八丁山に至り、 その後 鷹ノ巣尾根から鷹ノ巣山に登られたようである (後程、六ツ石山分岐付近でもう一度姿を見ることになる)。

さらに車道を進んで行くと、直線だった道が右にカーブし始める所の左手に 『 稲村岩を経て鷹ノ巣山方面登山口 ← 』 と書かれた標識が現れる。時刻は 7時38分。
標識に従って車道を離れて左手の階段を下りる。その後、右に曲がって民家の石垣の下を進み、続いて丸太の横木が並ぶ階段状の坂を下って杉の樹林帯に入っていく。 暫くは斜面を横切るほぼ平らな道を進み、やがて下りに入って少し足下が悪いところを通過すると、その後、巳の戸橋にて日原川を渡る。時刻は 7時46分。
道は再び杉林に入り、斜面をジグザグに登っていく。やがて杉林を抜けるが、大きな岩が目立つ場所をジグザグに登って 『 馬頭観世音 』 と彫られた石碑の横を通過すると、 周囲はまた杉林に変わる。
ここでも斜面をジグザグに登っていくのだが、南西方向を向いた時には前方樹林越しに稲村岩らしき高みが見えるようになる。

このままずっと杉林が続くのかと思っていると、やがて傾斜が緩み始め、道は杉林を抜けて巳ノ戸沢へと入っていく。時刻は 8時丁度。
なお、その手前で 2人目の登山者に追い抜かれる。
沢に入ると周囲は自然林に変わり、新緑が目に眩しい。道は大岩がゴロゴロした沢沿いを進むものの、水の流れは見えない。
石垣のような堰堤の上を進んで平らな場所に出ると、前方には岩壁が見えてくる。さらに少し進んで見上げれば、 垂直の岩肌を樹木の間に見せている高みが空へと延びている。これが稲村岩であろう。

平らな場所を過ぎ、水の流れていない谷を詰めていく。
石灰岩であろうか、灰色の岩がゴロゴロしている谷の左岸を登り、途中、木橋にて右岸に渡った後、両側が切り立った岩壁となっているゴルジュ帯のような道を進む。
木橋にて再び左岸に戻って少し進むと、やがて両側から岩壁が迫る場所からは解放され、谷の左右は緩やかな斜面に変わる。
前方を見れば、谷は緩やかな傾斜にて上方へと延びており、目にも鮮やかな新緑が続くその先には青空が見えている。
また、いつの間にか谷には水の流れが現れ、暫くは緩やかな傾斜の道が続く。

やがて、道は谷から少し離れ、その後 斜面を横切る石積みの道を進むようになる。
振り返れば、谷間 (たにあい) になかなか形の良い山が見えている。どうも本仁田山 (ほにたやま) のようだが、 まさかここから見えるとは思わなかったので少々ビックリである。
道は再び水の流れに近づき、木橋にて右岸に渡ると、やがて右手に苔むして朽ちかけた木橋が見えてくるが、道の方はその橋を渡らずにそのまま右岸を進む。 時刻は 8時17分。
なお、この橋を渡る道は巳ノ戸林道のようである (尤も、橋はとても渡れそうもないが・・・)。

道の方はその先で流れと分かれ、左手の斜面に取り付く。
落ち葉の多い急斜面をジグザグに登っていくと、高度はグングン上がり、沢はかなり下方に見えるようになる。
その沢の周辺には破壊された金網の柵が見えたのだが、かつてはこの辺にワサビ田があったようなので、その名残かも知れない。
また、後方には山が見えるようになるものの、この辺の山はほとんど分からない。意外と近くなので、八丁山、お伊勢山なのかも知れない。
傾斜は結構キツイが、初めてのコースのため新鮮味があり、楽しみながら登っていくことができる。途中、木の根がやや煩いところがあるものの、総じて道は良く踏まれている。

斜面をジグザグに登り続けていくと、道はやがて斜面を横切りながら左上方へとカーブしていき、 その先に右から下ってくる尾根 (稲村岩尾根) との合流点が見えてくる。その合流点は鈍角な V字型をした鞍部となっており、左側の高みは稲村岩と思われる。
その稲村岩との分岐には 8時33分に到着。その時、先程 巳ノ戸沢手前で小生を抜いていった方が稲村岩方面から戻って来たのだが、 聞けば岩までは行かずに途中で引き返したとのことであった。
その稲村岩の方向を見ると、今までの道とは違って岩場の登りが待っており、その岩場の右手後方に稲村岩らしき高みが見えている。
また、傍らには 『 死亡事故も発生しているので不用意に立ち入るな 』 といった旨の注意書きもある。
本日は長丁場であることを考慮し、稲村岩をパスして、右手の尾根に取りつく。

若い頃なら迷わず稲村岩に登ったに違いないが、このように簡単に回避してしまうころが年を取った証左だな などと思いながら登る。
しかし、こちらの登りもキツイ。木の根が剥き出しになり、岩屑と土が混ざった斜面を登る。
息を切らせて登り、少し斜面の傾斜が緩んできたところで一休みする。この稲村岩尾根はかなりの急登で、しかも長いと聞いているので、 このまま登り続けるのは無理である。ただ、余り食欲が湧かなかったのでノドを潤すだけにしてすぐに出発する。
周囲にはミツバツツジがピンク色の花を咲かせている。

暫く平らな道が続き、その後は徐々に傾斜が増して、斜面をジグザグに登るようになるが、急斜面という訳ではない。
時折、尾根の側面を進むかと思えば、また尾根上に飛び出すというパターンが繰り返される。この辺は 「 ダラダラ登る 」 といった形容がピッタリな状況が続く。
残念ながら周囲の景色は見えないが、それでも青空の下、寒くもなければ暑くもなく、気持ち良く進んでいく。
日当たりの良いこの尾根であるが、足下には全くといって良いほど下草が見られず、岩屑と土が入り混じった道が続く。
しかし、この歩きやすい道も徐々に傾斜が増し始めて息が上がる。さらには、周囲に杉の樹林帯が見られるようになると、キツイ登りが続くようになる。 その斜面の途中で、先程 稲村岩分岐でお話しした方に再び追い抜かれる。

周囲は再度自然林に変わるが、この辺ではほとんど緑が見られない。
足下は岩屑と土、そして折れた枝と落ち葉といった状況で、茶色の目立つ中、息を切らせつつ登る。
一方、高度が上がり、さらには木々に葉がほとんどないため、振り返れば樹林の間から川苔山と本仁田山が見えるようになる。
奥多摩に足を踏み入れたのは今年からだが、こうして馴染みのなかった奥多摩の山を同定できるようになったことが嬉しい。
キツかった登りも徐々に傾斜が緩み始め、さらにはほぼ平らになるが、先を見ると樹林の向こうにさらに高みが見えている。
この稲村岩尾根は急登と言われているが、むしろ冗漫で距離の長い尾根という気がする。

やがて周囲に大きなブナが見られるようになり、一方で根っこもろとも倒れている木も散見されるようになる。
また、大人が 1人入れるようなウロを持つ木も現れる。
左手樹林越しに石尾根も見えるようになり、三ノ木戸山 (さぬきどやま) らしき高みから急激に稜線が落ち込んでいるのが確認できる。
少々荒涼とした尾根を進んで行くと、今度は右手前方樹林越しに雲取山が見えるようになる。
なお、この辺からは再び緑が現れ始めるが、これは新緑ではなくトウヒやツガ、シラビソ (のような気がする) といった常緑樹である。
ほぼ平ら、あるいは緩やかな登りが続く。土が抉られて溝になり、そこに根が張り出ているような箇所も見られるが、総じて歩き易い。

平らな道もやがて徐々に傾斜が出始め、目の前の小さな高みに登っていく。
右の方から回ってその高みに登り着くと、そこは小さな台地状になっており、さらに先の方に高みが見えている。
あれが恐らく目差す鷹ノ巣山であろう。
少し進むと道の右手に古い標識が現れ、その錆びた鉄製の柱には 『 ヒルメシクイノタワ 』 と書かれている。時刻は 10時13分。
また、その標識には小さな手作りの標識もぶら下がっており、『 午飯喰 (ヒルメシクイ) のタワ 1,562m 』 とある。
先の方に見えている鷹ノ巣山の標高が 1,736.6mなので、まだ 170mほど高度を稼がねばならない。

場所の名のとおりにここで昼食にしたいところだが、少し気が焦っており、また鷹ノ巣山が見えたこともあってそのまま先へと進む。
細い尾根を下れば、右手が開けて雲取山、芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ)、そして天祖山が見通せるようになる。 本日初めてしっかりと見通せた景色であるが、山自体は春霞がかかったようで少しぼやけ気味である。
さらに下って道が平らになった後、すぐに登りが始まる。疎らではあるが、周囲にはシラビソと思しき木もあり、 緑が少しずつ見られるようになる一方で、足下の方は水が流れた直後のような感じで少し荒れ気味である。 この辺も下草は全くといってよいほど見られない。

然程キツクない斜面を小さな振幅のジグザグにて登る。
右手には木々の間から酉谷山 (とりだにやま) が見え、その手前をタワ尾根と思しき稜線がこちらに向かって下ってきている。
傾斜はかなり緩んできてはいるものの、なかなか先が見えないのが辛い。足下はやはり荒れ気味、雪がかなり周辺を荒らした気がする。
周囲に苔が多く見られるようになると、一旦小さな広場に登り着き、僅かに残る雪を踏んだ後、目の前の高みを右側から回り込んでいく。
右手には雲取山がよく見え、芋木ノドッケとの鞍部後方には和名倉山が見えている。
そして、斜面の先には、最近奥多摩の山に新たに建てられている御影石製の標識が見え始める。

その新しい標識が立つ鷹ノ巣山には 10時48分に到着。
ここの三角点は一度地面から抜けて倒れてしまったものを、集めた石で支えており、成果異常扱いになってもおかしくない状況である。
山頂には先程 小生を抜いていった方以外は誰もおらずほぼ独占状態であったが、すぐに雲取山方面から 2人やって来る。
ここからの景色はいつも通りで目新しいことはなく、しかも春霞がかかった状態でパッとしない。それでも富士山が見えているのは嬉しい。
南東には大岳山と御前山が見え、少し間をおいて右に三頭山も見えており、御前山と三頭山の間には、この鷹ノ巣山から南に派生する尾根上にある 榧ノ木山が三角形の姿を見せている。そして、それらの山々の後方には丹沢山塊がうっすらと確認できる。

三頭山の右後方には御正体山 (みしょうたいさん)、杓子山、鹿留山 (ししどめやま) がうっすらと見え、 その右に富士山が続く。
富士山の右斜面が下った先の少し手前には三ツ峠山、そしてその右に雁ヶ腹摺山が見えており、さらに右に小金沢連嶺、そして大菩薩嶺が続いている。
大菩薩嶺の右後方には未だ白き南アルプスの山々が確認できるが、霞みの度合が大きく、赤石岳、悪沢岳は滲んでいるようである。
さらに右の山々は木々で隠れ気味だが、場所を移動すれば農鳥岳、間ノ岳、北岳と続く山並み、そしてさらに鳳凰三山、仙丈ヶ岳も何とか確認できる。
南アルプスの右には鷹ノ巣山のすぐ隣にある日陰名栗山、高丸山が見え、その後方に七ツ石山、そして前飛竜、飛竜山が見えている。
こうなると雲取山も見たくなる訳で、少し日陰名栗山方面に下ると、小雲取山から雲取山が見えるようになる。
また、雲取山の右には芋木ノドッケが続き、この 2つの山の鞍部後方には、先程述べたように和名倉山が見えている。

岩に腰掛けて食事をし、もう一度写真を撮りまくった後、11時13分に奥多摩駅に向けて出発する。
前方に御前山を見ながら防火帯として広く切り拓かれた斜面を下る。足下には岩屑が散らばっており、さらに土が乾いていて滑りやすいため、 少々慎重さを要する。
一旦平らになった道は再び緩やかな傾斜にて登っていく。
途中、振り返れば、鷹ノ巣山では途切れ途切れにしか見えなかった南アルプスが、一気通貫状態で遮るもの無く見えるようになる。
春霞によってぼやけ気味ではあるものの、大菩薩嶺の右側に悪沢岳が見え (赤石岳は角度的に見えなくなっている)、 少し間を空けて塩見岳、農鳥岳、間ノ岳、北岳が並び、さらに鳳凰三山、仙丈ヶ岳と続いた後、 先程は見ることができなかった甲斐駒ヶ岳も見えるようになる。

再び大きく下った後、狭くそして平らな土手のような道が続くようになると、 榧ノ木山、倉戸山、熱海方面への道が右に分かれる (この道は途中で分かれ、水根沢林道を経て水根に下ることもできる)。時刻は 11時26分。
道は緩やかに下った後、また登りとなって高みを乗り越すことになるが、後から思えばこの高みが水根山だったと思われる。
その高みに登り着くと道はほぼ平らになり、道の右側に小さく盛り上がった小スペースがあったのだが、そこが水根山の山頂だったようである。 その時、少しでも右を見ていれば標識に気付くことができたので残念である。
下りに入り、道が右にカーブしていくと、樹林の向こうに御前山が見えてくる。

やがて傾斜は緩やかになり、道は時々尾根上からはずれて右側側面を進むようになる。
小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を下げ、途中、道を塞いでいる倒木を 2、3本避けて進む。
道はまた目の前の小さな高みを避け、右に緩やかにカーブして尾根の側面を進むようになるが、尾根上にもピンクテープが続いているので、 何かあるのかと思い尾根上を進んでみる。
登り着いた所に四方八方に枝分かれしたなかなか立派なブナ ? の木があったものの、場所を示す標識の類いは見当たらない。

何も得られなかったことにガッカリして正規の道へと戻る。 この辺は正規の道と尾根とがほぼ同じ位置関係か、正規の道が尾根上を進むこともある。
それにしても、尾根上を歩くのはアップダウンが厳しく疲れる。それでも赤テープに誘われて尾根に登り続けていくと、 漸く 『 カラ(涸)沢ノ頭 1490m 』 と書かれた小さな標識を木の根元に見つけたのだった。時刻は 11時55分。
しかしである、この尾根歩きを続けているうちに、鷹ノ巣山山頂直下で追い抜き、かなり差をつけた方に再び追い付かれてしまう。 やはり尾根歩きは時間がかかるし、何よりも体力的にキツイので、このカラ沢ノ頭を最後に正規の道に戻り、以降は忠実に登山道を歩くことにする。

ここからの下りはかなり急であるが、下ってしまえばほぼ平らな土手のような道が続く。
少し登り、道の真ん中に立つ、二足歩行の獣脚類恐竜 (例えば ギガントラプトル) を思わせる木の横を通って、やがて下りに入る。
周囲に葉の緑はほとんど見られず、また下草も全く無い状態なので、茶色の世界が続く。
周辺は広く平らな尾根となり、やがて 『 六ツ石山 奥多摩駅 → 』 と書かれた標識が木にぶら下がっているのが目に入る。 その矢印の指す方向とは別に、その標識の後方にも続く道があったので、もしかしたらその先が将門馬場 (まさかどばんば) なのかも知れない。
しかし全く確証が得られないことから標識に従って右へと下る。時刻は 12時6分。

少し下ると道は丁字路にぶつかるので左へと進んだが、 右への道は今まで下って来た尾根の南側下方を通り、その後 榧ノ木尾根からの道と合流した後、 先程 11時26分に通過した倉戸山、熱海への分岐点に到着するようである。
ここからは右に下っていく斜面を横切る平らな道が続く。そして、左上の高みが徐々に高度を下げ、今歩いている道とほぼ同じ高さになると、 道はその先で斜面をジグザグに下っていく。
先の方にはかなり高い高みが見えてくるが、あれが次に目差す六ツ石山かもしれない。

登り返しが厳しそうだと思いつつ下って行くと、下りきった所から道はほぼ平らになり、嬉しいことにその高みの左側を巻いていく。
その平らな道も少しずつ高度を上げ、一方で右側の高みが低くなってやがて両者が合流すると、その先に標識が現れる。六ツ石山への分岐である。 時刻は 12時29分。
先に述べたように、六ツ石山は今回の楽しみの 1つなので、迷うこと無く六ツ石山へと向かう。
縦走路からは鋭角に戻る様にして進み、先程巻いてきた高みの反対側の斜面を横切って登っていく。
嬉しいことに傾斜は緩やかで、道は左手のヒノキ林の縁を登る。ここも防火帯になっているのか、木が一切生えていない尾根となっていて、 その側面を進んでいくと、すぐに花崗岩製の真新しい標識が見えてくる。

六ツ石山到着は 12時33分。頂上には標識の他、三等三角点が置かれている。
ただ、大岳山や三頭山、そして御前山に登った際に見た六ツ石山の様子から、頂上はササ原かカヤトの原と勝手に想像していたのだが、 実際は土が剥き出しの状態で、これには少々ガッカリする。しかし、小広い山頂は明るく気持ちが良い。
周囲は、葉がまだ緑になりきっていないカラマツに囲まれているため展望が少し遮られるものの、樹間からは鷹ノ巣山を見ることができる。
また、鷹ノ巣山の右に芋木ノドッケが見える他、鷹ノ巣山の左方には黒川鶏冠山や大菩薩嶺も見ることができるが、 大菩薩嶺の右に見えるはずの南アルプスはもはや霞んで全く見ることができない。
富士山も見えるらしいが、南側も霞んでおり、確認できなかったのであった。

少し休憩した後、12時41分に出発、辿ってきた道を戻る。
12時44分、再び縦走路に合流し、右へと進む (合流の直前、朝方に万寿の水の所で追い抜かれた方が通過していった)。
ここから道は尾根の右下を進むのだが、もはや尾根に登る気力は湧かず、素直に登山道を進む。右手のヒノキ林と左手の高みに挟まれた平らな道を少し進むと、 左手の尾根が下ってきたところに苔むした岩が集まっている場所があり、岩の間に壊れた祠を見つける。
帰宅後調べたが、六ツ石神社との記述も見られたものの、ハッキリしたところは分からない。
道は再び尾根の右側面を進む。地図によれば、この縦走路から少し北に外れた所に狩倉山 (不老山) があるのだが、 もしかしたらこの左側の尾根上なのかもしれない。

ほぼ平らな道はヒノキの樹林帯を進み、そこを抜けると急斜面の下りが待っている。
ここも岩屑が散乱しており、土も乾燥していて滑りやすいので慎重に下る。目を上に向ければ、樹林の間に大岳山が見えている。
徐々に傾斜が緩み、ダラダラした感じで右にカーブしながら下って行くと、防火帯の正面に大岳山や御前山がよく見えるようになる。
長い坂を終えると、分岐を現す標識が現れる。右下に下る道については 『 三ノ木戸林道を経て奥多摩駅 』 とあるが、ここは真っ直ぐ石尾根を進む。 時刻は 13時9分。
ここからはほぼ平らで歩き易い道が続く。すぐに高みの右側面を進むようになり、その先で道はヒノキ林に入っていく。

そのヒノキ林を抜け、左側の草地の斜面に岩が露出している場所を過ぎていくと、左の高みが終わりになる所で道が 2つに分かれる。
右の道は新たな高みへと登っていき、左の道はその高みの左側斜面を横切っていく。分岐に標識はあるものの、左の道が正規の道であることを示すだけで、 右の道がどこへ通ずるのかの記述はない。
恐らく右の道は三ノ木戸山山頂へ続くと思われるが確証が得られないことから、ここは左の道を進む。
ほぼ平らな道が続き、右の高みを巻き終わった所で道は右にカーブしてヒノキの樹林帯に入る。

左右の壁からヒノキの根が飛び出している溝状の道を進むが、5分程歩くとヒノキの樹林帯は終了し、乾いた赤土の道を緩やかに下る。
やがて道はまた平らになり、その先で再び樹林帯に入る。今度は杉の樹林帯である。こうも連続してアレルゲンの出所を進むことになると、 花粉症の身にとってはその影響が心配になる (実際、その後の数日間は本当に辛かった)。
ほぼ平らな道を進み、途中、石祠を左手に見た後 (13時44分)、その少し先の右手に落石防止なのか、ワイヤーで雁字搦めに縛りつけた大きな岩を見ると、 そこから周囲は自然林に変わる。
道は尾根の左下を横切って進むようになり、左手を見れば樹林越しに本仁田山が見えている。

道は再び杉の樹林帯に入り、右に大きく曲がっていけば、やがて下った先で丁字路にぶつかる。
そこには標識が立っており、『 ← 奥多摩駅、三ノ木戸方面 → 』 とある。時刻は 14時3分。
左に曲がって少し杉林の中を進むと、左手上方に神社が見えてくる。ここは稲荷神社で、石段、赤い鳥居、そして小さいながらもキチンとした社殿が置かれている。 時刻は 14時7分。
傍らに石仏も置かれており、そこには 『 享保 』 (1716〜1736年) の文字も見られるが、それ程古さは感じない。
やがて、左手樹林越しの下方に工場が見えてくる。奥多摩駅の奥にある奥多摩工業(株)と思うが、まだかなり下方に見えるのが辛いところである。
なお、この辺の杉林では石垣の他、廃屋、そして生活用品の残骸が見られるようになる。どうやらこの辺には戦後まで集落があったようで、 これを見てすぐに前黒法師岳の湯山集落跡を思い出したのであった。

左手に本仁田山を見ながら下り、やがてヘアピン状に右に急角度で曲がった後、 大きな振幅でジグザグに斜面を下っていくと、下る先に舗装された林道が見えてくる。
そして、斜めに切られた法面に沿って下り林道に下り立てば、そこは石尾根登山口であった。時刻は 14時18分。
左に折れて舗装道を下る。すぐに東京農大奥多摩演習林に通じる不老林道を左に分けた後、道は大きく蛇行しながら下っていく。
やがて、樹林が途切れると、何軒かの人家が現れるとともに、そこからは大岳山手前にある鋸山とそこに至る鋸尾根、 そして鋸山から鞘口山へと続く稜線が見えるようになる。

そして、ありがたいことに、その先からは林道をショートカットする道が現れる。
その近道に入ると、すぐに林道の枝道に出るが、その先でまた近道が待っている。階段を下り、廃屋の横を通って、ヒノキ林の中を下って行けば、 やがて羽黒三田神社の裏手に出る。時刻は 14時34分。
神社の前に回ってお参りした後、鳥居を潜って階段を下っていくと、すぐに丁字路に突き当たるが、ここでどちらに進むのか迷ってしまう。
ここまで左手に本仁田山や工場が見えたことから、左の急な坂道をチョイスし、石がゴロゴロして歩きにくい急斜面を下る。 少し不安になるが、すぐに民家の横を通り、多賀神社・大山祇神社の祠や弁財天を祀る祠が並ぶ場所に飛び出たのだった。時刻は 14時41分。

ここからは先程の林道の続きを歩くことになるが、要所には奥多摩駅を示す標識が立っていたのでホッとする。
元巣の森のスギ (元巣の森は先の羽黒三田神社の旧地であったとのこと) の横を通り、階段を下って再び近道に入って路地のような道を進めば、 やがて青梅街道に飛び出す。
左に折れ、日原街道入口の信号を越えて氷川大橋を渡り、さらに奥多摩駅入口の交差点を左折すればゴールはもうすぐである。
そして、途中、自動販売機で飲み物を購入した後、Timesの駐車場には 14時58分に戻り着いたのであった。

本日は、このところ通い詰めている奥多摩の山の 1つである鷹ノ巣山に登るとともに、 石尾根を下り、途中 六ツ石山にも登ったが、ロングコースではあったものの、なかなか楽しめた山行であった。
反省すべきは、事前に下調べをしなかったことで、そのため水根山や城山の頂上を確認できず、また将門馬場や狩倉山、三ノ木戸山は無視してしまったことが悔やまれる。
なかなか気持ちの良いコースなので、次回は積雪期に辿りたいと思うし、またその際は GPSなどを駆使して、見逃した頂上を踏みたいものである。


初夏の鎌倉ハイキングの下見  2018.4 記

4月に入ったので、そろそろ恒例となっている 『 鎌倉ハイキング 』 のコース決めをせねばならない。
この鎌倉ハイキングというのは、とある関係にて年齢 50歳以上の方々を募り、毎年 5月と 12月に鎌倉の山を絡ませながら周辺の寺社巡りをしているもので、 今回で 6回目を数えるものである。

その主催者側に小生も組み込まれていてコース決めを任されているのであるが、 既に鎌倉アルプス (建長寺+大平山+瑞泉寺)、葛原岡・大仏コース (浄智寺+葛原岡神社+銭洗弁財天宇賀福神社+佐助稲荷神社+樹ガーデン+高徳院)、 衣張山コース (杉本寺+報国寺+衣張山+お猿の大切岸+安国論寺+妙本寺)、六国見山コース (常楽寺+六国見山+明月院+円覚寺)、 源氏山コース (壽福寺+源氏山+葛原岡神社+銭洗弁財天宇賀福神社+海蔵寺+英勝寺) といった有名どころは回ってしまっており、 一方でリピーターも多いことから、徐々にネタが尽きつつある状況にある。
とは言え鎌倉には見るべき所、行くべき所が未だ沢山あり、検討の結果、今回は鎌倉駅に近い祇園山を中心としたコースを辿ることにする。
コースが決まれば、後は責任上 下見が必要な訳で、4月初旬に早速 出かけることにする。

4月4日(水)、前日は就寝時間が遅くなったために少し寝坊をしてしまい、 10時過ぎに車にて自宅を出発し、下見の時に使用することが多いタイムズ大船5丁目の駐車場を目差す。
しかし、出発時間が遅かったため道路は混み、しかも漸く着いた駐車場は満車状態。
仕方なく来た道を少し戻って、駐車場を探し、最終的に タイムズポート大船の駐車場に駐車する (こちらの方が広く、また駅にも近いので、 今後はこちらを使用することにする)。
駐車場から大船駅まで歩き、良いタイミングでやって来た 11時27分発の逗子行きに乗る (電車は 3分程の遅れ)。

鎌倉駅で下車し、東口の改札を出てからそのまま直進して、 県道21号線にぶつかった所で左に曲がって鶴岡八幡宮方面へと進む (この道は鶴岡八幡宮の参道であり、若宮大路と呼ばれている)。
すぐに二の鳥居が見えてくるので (時刻は 11時40分)、そこからは段葛 (だんかずら) に入る (段葛 = 若宮大路の中央部分にある、 両側を石積みにて一段高くしてある歩道)。
本日は雲一つ無い晴天ではあるものの、スカッとした青空とはいかずに春霞がかかっているような状態である。
しかも、この時間、かなり日差しが強くなっており少し暑いくらいである。

リニューアルされた段葛を進む。
平日にも拘わらず、海外からの観光客を中心に人が多く、立ち止まっては写真を撮りまくっている人達が多く見受けられる。
一方、段葛の左右は、まだ木が細いながらも桜並木となっていて、葉桜になりかけてはいるもののまだ花も多く見られ、 なかなか気分良く進んで行くことができる。
前方に鎌倉アルプスの山並みと、その下に見える鶴岡八幡宮本宮を見ながらユックリと進んで行くと、やがて段葛は終わりとなり、 三の鳥居の手前にある丁字路に到着する。時刻は 11時47分。

そのまま信号を渡って真っ直ぐ進み、三の鳥居を潜れば鶴岡八幡宮であるが、 本日は右に曲がって県道204号線を東の方角に進む。
狭い車道を 250m程歩いて行くとまた丁字路に突き当たるが、ここは道路を渡ってそのまま真っ直ぐ進んで宝戒寺の門前に入る。
両側に桜が咲く、大きな八角形の飛石が置かれた門前を通り、拝観料 200円也を払って境内に足を踏み入れる。時刻は 11時52分。
この宝戒寺は、北条氏滅亡後、その霊を弔うべく後醍醐天皇の命をうけた足利尊氏によって 1333年に建立された天台宗の寺院であり、 この場所は当時 小町邸と呼ばれて北条氏歴代執権の屋敷があった場所とのことである。
また、この寺には戒壇院という国宝的人材を養成する道場も置かれていたようである。

正面にある本堂には本尊の 『 子育経読地蔵大菩薩 (こそだてきょうよみじぞうだいぼさつ)』 と呼ばれる木造地蔵菩薩坐像が安置されているが、地蔵としては珍しい坐像で重要文化財になっている。
寺案内ではないので詳細は省くが、寺には本堂の他、聖徳太子を祀る聖徳太子堂、鎌倉幕府第十四代執権である北条高時を徳崇大権現として祀る徳崇大権現堂、 秘仏である大聖歓喜双身天王 (歓喜天・聖天様) を祀る大聖歓喜天堂などの建物がある。
また 1333年に東勝寺合戦 (後述) にて滅亡した北条氏並びに一族郎党 (870人余りとのこと) の精霊を供養するための宝篋印塔、 そして梵鐘が置かれている。

一通り境内を見て回った後、車道まで戻って左へと進む (鶴岡八幡宮側から見れば丁字路を右折)。時刻は 12時丁度。
この宝戒寺周辺は交通量が多いので本番当日は要注意である。
少し進むと道路右手に 『 ← 北条高時腹切やぐら・東勝寺跡 』、『 ← 祇園山ハイキングコース 』 の標識が出てくるので、標識に従って左の道に入る。
民家の立ち並ぶ道を暫く進んで、やがて東勝寺橋を渡る。この東勝寺橋は大正13年に建造されたアーチ橋で、 関東大震災の復興期にはこのようなアーチ橋が多く建造されたものの、今はそのほとんどが撤去されているため、 当時の姿を保っている希少な橋とのことである。
また、橋の下を流れる滑川 (なめりがわ) は、両岸が石垣やコンクリートの人工物になってはいるが、なかなかの渓谷美を見せており、 紅葉の時期はさぞかし美しいであろうことが想像される。

橋を渡ってさらにまっすぐ進む。道が昇り坂になると、やがて左手に柵に囲まれた広い草地が見えてくる。
柵の傍らにある説明書きには 『 国指定史跡 東勝寺跡 』 とあり、そこには 「 1333年、新田義貞の鎌倉攻めにより、 時の執権 北条高時はこの東勝寺にて一族郎党とともに自害し、鎌倉幕府は滅亡した 」 といったことが書かれている。
つまり、ここは後醍醐天皇による倒幕運動 (元弘の乱) の最後の戦い (東勝寺合戦) が行われた場所なのであるが、今はその面影もなく、 ヤマブキやタンポポの黄色い花が草地に彩りを添えているだけの静かな場所である。時刻は 12時4分。

そこから少し先に進むと車道は終わりとなり、人造丸太が横に敷かれた山道に入る。
ここが祇園山への登山口である。時刻は 12時5分。
山道に足を踏み入れると、すぐに左手奥にある崖の基部に 『 北条高時の腹切やぐら 』 が見えてくる。
無論、高時がこのやぐらの中で切腹したというのではなく、自害した高時とその一族郎党を供養するためのやぐらであると思われる。
ただ、残念ながら繁茂する草で、ここからはよく見ることができない。しかも、やぐらに通ずる道にはトラロープが張られていて立入禁止となっており、 さらに傍らには、「 腹切やぐら 霊処浄域につき参拝以外の立入を禁ず 宝戒寺 」 と書かれた立て札が立っている。

参拝したいとの気持ちは強く、一方、トラロープの趣旨はロープにぶら下がっている注意書きにあるように 「 あぶないので入ってはいけない 」 ということのようなので、ここは自己責任の下、禁を犯してトラロープを潜ることにする。
無論、本番当日は遠くから眺めるだけにするつもりである。
ロープを潜って少し進むと、崖を刳り貫いたやぐらがよく見えるようになる。
やぐらの前には、梵字とともに 『 日輪寺殿崇鑑 大禅定門 』 と北条高時の法名が書かれた角塔婆が立っており、やぐらの中には石の供養塔がある他、 その後ろに沢山の卒塔婆が置かれている。
供養塔には花が供えられ、線香も頻繁に焚かれているようなので、先程の立て札を立てた宝戒寺の方が供養されているのかもしれない。
また、ここは心霊スポットとしても有名なようであるが、決して興味本位に訪れてはいけない場所である。

12時7分に山道に戻り、人造丸太の横木にて階段状になった道を登って樹林帯に入る。
周囲にシダ類が多く見られる中をひと登りすると、階段は終わりとなって土の道へと変わり、傾斜も緩んでほぼ平らな道が続くようになる。
すぐに右手の崖下にやぐらが現れ、そこには小さな鳥居とまだ新しい石祠が置かれていたが、説明書きなどないので由来は分からない。
時刻は 12時9分。
この土の道に入ってしまえば、小さなアップダウンはあるもののほぼ緩やかな登り、あるいは平らな道が続くので、本番当日の参加者もそれ程厳しいとは感じず、 何とか歩いて行けるであろう。

やがて案内標識が現れるが、そこには 『 八雲神社 1.5km、見晴台 1.2km 』 とある。時刻は 12時10分。
その標識の先で本番当日の参加者には少々キツイかもしれないと思われるアップダウンが現れる。
登山を趣味とする者にとっては何ということもないのだが、昨年末の壽福寺から源氏山への登り、 そして化粧坂の下りでは苦労した方々が何人かおられたので少し心配である。まあ、ユックリと進めば何とかなるであろう。
ただ、5月はかなり暑くなることが予想されるので、小忠実に休み、水分補給を促すことが必要であろう。

木の根が剥き出しになっている斜面を登り切るとすぐに下りに入る。
山に慣れていない方にとっては、登りよりも下りの方が難しいようで、ここも要注意である (先にも述べたように登山レベルではどうということもないアップダウンである)。
道はその先にてもう一段下るが、ここが一番手強いと思われる。木の根が多いので、当日は足の置き場を指示することが必要であろう。
下り終えると左下に民家が見え、道は民家の屋根とほぼ同じ高さにて進む。次に金網の柵の横を通るが、この辺は平らな道が続く。
金網の柵が終わり、小さな下りに入ると、道はまた山道らしくなる。
なお、樹木についての知識はほとんど無いのだが、周囲の木々はスダジイやイヌシデ、コナラ、アラカシなどと思われる。

本番当日のことをシミュレーションしつつ歩き、そのため小さなアップダウンが現れる度に一喜一憂しながら進んで行くと、 やがてまた標識が見えてくる。
標識には 『 八雲神社 850m、見晴台 650m 』 とあるが、その標識の上部にマジックインキによる手書きで 『 ↑ 妙本寺 』 とある。
そう、ここから右に下れば 2年前に衣張山からの帰路に立ち寄った妙本寺境内に至るのであるが、そちらを見るとかなり急坂に見えるので、 当日のエスケープルートとしてはちょっと厳しいかもしれない。時刻は 12時19分。

その少し先でまた下りに入った後、小さなアップダウンが続く。
道が平らになったところで一旦樹林帯を抜けるが、再び樹林帯に入った所に八雲神社への分岐が現れる。
そこに立つ標識には 『 八雲神社 350m、見晴台 50m 』 とある。
八雲神社へは右に進むのだが、まずは見晴台に行くべく直進する。時刻は 12時24分。

そして、ほんの少し進めば視界が開け、見晴台に到着する。時刻は 12時25分。
ここは南側が開けており、眼下に鎌倉市街が広がっていて、その先に相模湾、そして右手に稲村ヶ崎が見えている。
この日は晴れてはいるものの、春霞がかかった状態で遠くの山々は全く見えなかったのだが、空気が澄んでいれば稲村ヶ崎の右後方に伊豆・箱根の山々や 富士山も見えるようである。
またここには方位盤がおかれている他、コンクリートの花壇のようなものがあり、その上に首の取れた石仏がおかれている。
本番当日は昼食の場所をどこにするかが悩みであるが、この場所が空いていればここで昼食とするのも良かろうと思う。

小生がこの見晴台に着いた時には誰もいなかったのだが、後から 3人やって来たのですぐ下山することにする。
12時27分、辿ってきた道を戻る。
先程の標識の所まで戻らねばならないと思っていたのだが、すぐに左に下る道が現れたので、 この道も八雲神社に続いているに違いないと推測して下ってみる。
少し下ると、右手から下ってくる道と合流することになったので、右手からの道は先程の標識の所から八雲神社へと下る道と思われる。

その合流点からさらに下ると、足下には丸太の横木が現れ、右手は人造丸太の柵となって、その柵は少し先で金網へと変わる。
続いて人造丸太を縦に打ち込んで造られた階段を下っていくと、左側は斜面にコンクリートが吹き付けられた壁に変わり、 そこから道は右に回り込むように下っていく。
少し下って今度は左に曲がれば、下方に八雲神社の境内に立ち並ぶ赤い幟 (のぼり) がチラチラ見えるようになる。
そして、階段を下っていくと、すぐに本殿の右後方にある三峰神社と御嶽神社の合祀殿の前に飛び出たのであった。時刻は 12時30分。
しかし、この下りは結構 急な上に道幅が狭いので、本番当日は少々苦労するかもしれない。

この八雲神社は、永保年間 (1081〜1084年)、源義光 (新羅三郎義光) が奥州に向かうに際し、 鎌倉に疫病が流行しているのをみて京都祇園社 (今の八坂神社) の祭神を勧請して祀ったのが始まりと伝えられており、 元々は鎌倉祇園社や祇園天王社などと称していたが、明治維新に際して現社名に改称したとのことである (Wikipediaより)。
現在の御祭神は須佐之男命 (すさのおのみこと)、稲田姫命 (いなだひめのみこと)、八王子命 (はちおうじのみこと) である。
また、鎌倉最古の厄除け開運の神社としても知られており、神社境内に立ち並ぶ赤い幟には白抜きの文字にて 『 開運 厄除け祈願 』 と書かれている。
その他、境内には諏訪社、稲荷社、於岩稲荷社があり、また 『 新羅三郎の手玉石 』 と呼ばれる 2つの丸い石が置かれている。

12時33分、神社を後にして参道を進み、車道に突き当たったところで車道を左に曲がる。
なお、この車道を右に進めば妙本寺、本覚寺を経て鎌倉駅に戻ることができ、一昨年 衣張山コースを歩いた際に帰りに通った道である。
左に進むとすぐに県道311号線に突き当たるので、右に曲がって大町四ツ角の交差点へと進み、交差点からは左に曲がって海の方 (南) へと向かう。
250m程車道を進んで横須賀線の踏切を渡った後、さらに 600m程進むと九品寺 (くほんじ) の信号が見えてくる。
次に目差す九品寺はその信号の先、右手の角にあるので、信号を渡って右に曲がり参道に入る。時刻は 12時39分。

九品寺は、鎌倉攻めの総大将であった新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に敵方であった 北条氏の戦死者を供養するために本陣のあった場所に建てた寺で、本尊は阿弥陀如来立像である。
なお、九品というのは九種類の往生のありさまのことをいい、それは極楽往生を願う人々の生前の行いによって定められるもので、 上品 (じょうぼん)、中品、下品のそれぞれに、上生 (じょうしょう)、中生、下生があり、 合わせて九品とされるとのことである。
この九品寺も本番当日に訪れるつもりであったが、立派な寺ではあるものの観光という観点からは少し地味であり (失礼 !)、 しかも祇園山を下りてから 1km程車道を歩くために当日のメンバーには少しキツク、さらには当日かなり暑くなることも考えられるので、 残念ではあるがこの九品寺は立ち寄り先から外すことにする。
しかし、そうなると次に向かう光明寺次第では、八雲神社の後、別のルートを考えねばならない。

12時46分に九品寺を後にしてさらに車道を海の方へと進む。
200m程進むと、車道は左に大きくカーブするのだが、そこから分かれて真っ直ぐに進む道もあって、その道の先には国道134号線と海が見えている。
ただ、海岸には後で立ち寄る予定のため、ここは素直に車道に沿って左に曲がる。
またまた 200m程進んでいくと今度は道が右にカーブすることになるが、曲がりきった少し先の左側に次に目差す光明寺がある。
時刻は 12時52分。

バスの停留所と光明寺の案内図が立っているスペースを通って総門を潜ると広い駐車場があり、 その先に立派な山門が見えてくる。
この山門は 1847年に再建されたものだそうで、間口が約16m、奥行が約7m、そして高さが約20mあり、 鎌倉の寺院の門では最大の格式を備えたものだそうである。
五間三戸二階二重門 (ごけんさんこにかいにじゅうもん) といわれる門で、一階が和風、二階が中国風に造られており、 禅宗の五山形式が浄土宗に取り入れられたものとのことである。

山門を潜り抜けると、その先には広い境内が広がっていて正面には大殿 (本堂) が見えている。
この大殿は現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂だそうで、中には本尊である阿弥陀三尊のほか、善導大師等身大立像、弁財天像、如意輪観音像、 宗祖法然上人像が安置されている。
この寺の創建は寛元元年 (1243年) で、開基は鎌倉幕府第四代執権 北条経時、開山は浄土宗の第三祖 然阿良忠 (ねんな りょうちゅう) 上人とのことで、 鎌倉に比較的少ない浄土宗の寺である (なお、浄土宗の宗祖は法然上人、第二祖は聖光房弁長上人)。

左手には寺務所のほか、歴代の法主 (ほっす = 住職) の御影を祀っている開山堂が建っており、 右手には鐘楼、繁栄稲荷大明神、そして延命地蔵尊と墓地がある他、本堂右側 (南側) には 『 三尊五祖の庭園 』 という枯山水庭園がある。
また、本堂の左側には 『 記主庭園 』 と呼ばれる大きな庭園もあって、蓮が水面を埋め尽くしている池の奥には宗祖 法然上人 800年大御忌を期して建てられた大聖閣 (たいしょうかく) が建っている。
但し、この記主庭園は大殿と開山堂を繋ぐ回廊に隠れていてあまりよく見ることができない (毎年7月には有料の観蓮会が開かれ、 蓮を眼前に抹茶を頂きながら静かな時の流れを感じることができるとのこと)。

一通り境内を見た後は、光明寺の後ろにある天照山へと進む。
この天照山の中腹には北条経時、そして良忠上人を始めとする歴代の住職の墓があるとのことである。時刻は 12時57分。
大殿の横にある延命地蔵尊の前を通り、左に曲がって三尊五祖の庭園の脇を抜け、さらに左に曲がって大殿の裏手を進む。
道は細くなり、やがて階段を昇って右に進めば車道に飛び出す。車道を右に少し進んで行くと右手に見晴台があり、 そこからは下方に山門を始めとする光明寺の建物の屋根が見える他、由比ヶ浜の海、そして稲村ヶ崎、江ノ島を見ることができる。
ここからも富士山が見えるようであるが、先程の祇園山見晴台と同様、この日は山を見ることはできなかったのであった。
なお、ここからの景観は 『 かながわの景勝 50選 』 に選ばれているとのことである。

車道をさらに進み、案内板に従って左折して第一中学校の校庭の横の道に入る。
突き当たりを左に曲がり、階段を昇って行くと、歴代住職の墓が並ぶ場所に昇り着く。
後方には山があって樹木が生い茂る中、この墓所は白い鎧塀 (よろいべい) に囲まれ、足下には敷石が敷かれていて土は全く見えない。
そして、僧侶の墓塔として使われている塔身が卵形をした無縫塔 (むほうとう) が、 小生の立っているスペースを取り囲むようにして前方と左右に整然と立ち並んでいるのだが、 恐らく正面の大きな無縫塔が良忠上人のものと思われる。時刻は 13時1分。

辿ってきた道をそのまま戻って再び境内に入り、さらに少し中を歩き回った後、 13時10分に光明寺を後にする。
先程の車道に戻ってさらに先へと進む。
途中、車道は急に狭くなるが、その先でまた広い道になり、右手に国道134号線を見ながら進むようになる。
海はその国道134号線の向こう側にあり、歩いている道の左手にはウインドサーフィン関連のスクールやショップが並んでいる。
再び道が少し狭くなって、左にカーブする国道134号線の下を潜ると (光明寺から約300m)、右手に海へと下りられる場所が現れる。
時刻は 13時13分。

右手の高台に建つ 『 国指定史跡 和賀江嶋 』 と彫られた立派な石碑を見ながら海へと下りる。
この海岸が材木座海岸であるが、足下が砂浜であるのに対し、砂浜には似合わない河原にあるような丸い石がゴロゴロと集まって海に突き出ている場所が左手に見えてくる。 人工の島である和賀江島 (先の石碑には和賀江嶋とあるがここでは和賀江島を使う) である。
幸いなことに、この時間は干潮に当たっていたため和賀江島を見ることができたが、満潮時には島は水没するとのことである。

先程の石碑の傍らに立つ説明書きには 「 和賀江嶋は、日本に現存する最古の築港遺跡です。 このあたりは、遠浅で荷の上げおろしが難しく、大風や波浪で難破する船が多くあったことから、貞永元年 (1232) に 勧進僧 (かんじんそう) の往阿弥陀仏 (おうあみだぶつ) が港を造ることを幕府に求め、 第3代執権北条泰時の援助を受けて完成したことが 『 吾妻鏡 』 に記されています。
その際、石材は相模川や酒匂川、伊豆半島海岸など遠くから運ばれてきたと考えられています。(中略)
江戸時代までは修復されながら利用されていましたが、潮の流れや災害などで石が散乱しており、築造時の姿はわかっていません。(以下 省略)」 とある。
なお、勧進僧とは寺院の堂塔、仏像、鐘、あるいは各地の橋梁などの造立・修復のために資財 (金品) を募って回国する僧のことである。

さて、この和賀江島を以て下見の目的を果たしたことになるため、材木座海岸を歩いて鎌倉駅へと戻ることにする。 時刻は 13時17分。
海岸線に沿って北西方向に進む。平日にも拘わらず、周囲にはウインドサーフィンや、潮干狩り、そして日光浴を楽しんでいる人達が意外と多い (そう言えば春休みであった)。
前方には江ノ島と稲村ヶ崎が見えており、恐らくここからも富士山を見ることができるのであろうが、本日は全く見えず、全体的に霞んでいる感じである。
また、途中振り返れば、湾曲した海岸線の先に海に突き出た逗子マリーナが見えている。

時々砂に足を取られながら進み、滑川の河口手前で砂浜を離れて右手を走る国道134号線に上がる。
すぐに滑川の丁字路で、ここで右折して県道21号線に入り、鎌倉駅へと向かう。時刻は 13時30分。
途中、一の鳥居を 13時35分に通過する。一の鳥居の下にも段葛の名残らしきものがあるがその距離は短い。
当然、往時はこの一の鳥居から二の鳥居、三の鳥居を経て鶴岡八幡宮の境内に至る迄 段葛があったのだが、 その後の地震や津波による破壊があり、さらには若宮大路を横断する横須賀線の建設による撤去にて、 今のように段葛は二の鳥居から先となったようである。
鎌倉駅には 13時42分に到着。本日は暑いのでここから大船の駐車場まで歩く気にはなれず、横須賀線にて大船まで戻ったのであった。

さて、今回の下見でいくつかの問題点が見つかる。
1つ目は、祇園山において昼食をとりたいところだが、昼食に適した場所が見晴台くらいしかなく、一方で見晴台は狭いので当日混み合った場合には場所確保が難しいと思われること。
2つ目は、トイレが八雲神社にはないと思われるので、高齢者が多い中、トイレをどう確保するかということ。
3つ目は、5月も半ばを過ぎればかなり暑くなることが予想され、一方で光明寺と和賀江島は是非とも見ておくべきと思われるので、 炎天下での車道歩きをどうするかということである (先に述べたように、途中にある九品寺は諦めることとする)。

帰宅後に色々検討した結果、八雲神社に下山した後、大町四ツ角を左折せずに真っ直ぐ進み、 途中から横須賀線に沿って斜めに進んで県道21号線まで行き、近くにある下馬四ツ角のバス停からバスに乗って光明寺まで行くことにする。
そうすれば途中のコンビニにてトイレ利用も可能であろうし、バスに乗っている時間は 7分ほどなので光明寺のトイレも利用でき、 最悪の場合、材木座海岸にて昼食をとることも考えられるからである。
問題はバスの待ち時間であるが、この時間帯、バスは 20分に 1本走っているようなので、然程 気にする必要も無いと思われる。
また、和賀江島を見学した後であるが、そこで一旦解散とし、そこからは歩いて鎌倉駅まで戻るパターンと、 バス (飯島バス停) にて鎌倉駅まで戻るというパターンの二択にしようと思う。
さて、本番当日はどうなることであろう・・・。


残雪の山を求めてまたまた天狗岳  2018.4 記

3月は 2月に風邪を拗らせたことによる体調不良の状況が続き、 加えて両親の七回忌法要や自治会関係の仕事が年度末を迎えたことで立て込んで山に行けない日が続く。 そうこうしているうちに気温が 20℃を超える日が続くようになり、今や平地は完全に春の状態である。
今年は雪山と言えるような山に行っていないのでこの状況にかなり焦るが、1日の拘束時間はサラリーマン時代よりも相当短いものの、 1つ用事があれば結局のところ山に行く時間はない訳で、相変わらず登山の回数はサラリーマン時代と変わらないという状態である。

そんな中、漸く諸事が落ち着き始めた 3月末に山に行ける時間が持てることになる。
そうなると残雪の山へということになるが、風邪を拗らせたこともあって体力に自信が無いため、ハードな山は避けることとし、 いろいろ検討した結果、北八ヶ岳の天狗岳に登ることにする。
天狗岳にはもう 5回ほど登っており、昨年の 11月にも登ったばかりなのでマンネリ感は否めないが、 今回は唐沢鉱泉から初めて反時計回りに登ることで、何とかそれを打破できると考えた次第である。

3月28日(水)、4時30分過ぎに横浜の自宅を出発する。空には薄い雲がかかっているが、現地の天候は晴れの予報である。
横浜ICから東名高速道下り線に入り、海老名JCTにて圏央道へと進む。このところ奥多摩通いが続いているため、 通過することが多かった八王子JCTだが、本日はそこから中央自動車道へと進む。
天候の状態は未だパッとせず、途中、岩殿トンネルを抜けた先で左手に見える富士山もボーッと霞んでいるような状況である。
しかし、韮崎ICを過ぎてからは甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、そして八ヶ岳がクッキリと見え始め、上空にも青空が広がってテンションが上がる。

諏訪南ICで高速を下りた後は、県道425号線を東へと進み、 御射山の信号にて左折してからは (道は県道425号線のまま)、長い間道なりに進む。 やがて八ツ手の丁字路に至るのでそこで左折して県道17号線に入り、これも長い間道なりに進んでいく。
畑の中、八ヶ岳を右に見て進んで行くと、やがて大泉山の交差点で、道はここを右折して県道188号線に入る。
暫く進み、人家を抜けて周囲が畑と原の状態になると、やがて左手に 『 三井の森 』 の案内板が見えてくるので、そこを左折する。
ゴルフ場の横を進み、少し左に大きくカーブしながら下りに入ると丁字路にぶつかるので、そこを右折すれば後は道なりである。
途中、道がダートになり、桜平に行く道を右に分けた後は、クネクネと山道を上っていく。
道や周辺に雪は無いものの、ダートコースはかなり荒れ気味である。
そして唐沢鉱泉到着は 6時57分。駐車場に他の車はない。

身支度を整えて 7時3分に出発。車載の温度計は 3℃を示していたが、近頃の陽気に慣れた身にとっては少々寒く感じる。
また風も冷たく、意外に強く吹いているので、稜線の状況が心配になる。
林道をさらに先に進み、唐沢鉱泉 (現在冬期休業中で、4月21日より開業) の玄関口にある登山ポストに登山届を投函する。
建物の前をさらに進んで行くと、すぐに西天狗への道を示す標識が現れるので、林道と分かれて右手の道に入る。時刻は 7時6分。
唐沢鉱泉から天狗岳に登るのはこれで 3回目であるが、過去 2回はこのまま道をまっすぐ進んで、黒百合平経由の道を通っているので、 このルートは初めてである。
さらには、その 2回とも黒百合平から東天狗、西天狗と登り、西尾根経由で唐沢鉱泉に戻って来てはいるものの、 西尾根を下って途中の唐沢鉱泉分岐に至った後、鉱泉には向かわずに直進して枯尾ノ峰経由にて戻って来ているので、 このルートは全く初めてということになる。

道の方は少し進んで右に流れる唐沢の流れを渡るのだが、 橋 (しゃくなげ橋) の向こう岸を見ると、そこは完全に雪の世界になっているので、橋の手前でアイゼンを装着する。
樹林帯だけならチェーンスパイクで十分なのだろうが、稜線に出たらしっかりしたアイゼンが必要になろうと考え、 最初から 10本爪アイゼンを装着して橋を渡る。時刻は 7時15分。
なお、久々のアイゼン装着に手間取り、さらには首からカメラをぶら下げたままでアイゼンを装着しようとしたので、大失敗をしてしまう。
アイゼンを装着するため屈み込んだ際、お腹と太腿でカメラを挟み込むような形になってしまい、その時にカメラの設定ボタンに触れてしまったらしく、 何とカメラの画像仕上が 『 モノトーン 』 に変更されてしまったのである (普段は 『 風景 』 )。
しかも、そのことに気付かずに、写真を撮りまくりながら登り、気づいたのは西尾根の背に辿り着いた唐沢鉱泉分岐だったのである。

さて、話は戻るが、唐沢を渡った所から西尾根の側面に取り付く。足下は完全にアイスバーン状態で、のっけからアイゼンが活躍する。
ここの登りは初めてであるが、展望の無いシラビソの樹林をジグザグに登っていくというパターンは、先に述べた黒百合平への登りや、 渋御殿湯 (渋の湯) から天狗岳に登った時とそれ程変わらない。しかし、斜面の傾斜から言えば、このルートが一番キツイように思われる。
展望の無い登りが続くため、記述することは少ないのだが、唐沢鉱泉分岐に至る迄 雪道は途切れることなく続き、しかもアイスバーン状態が長い。 さらには、時折 樹林が切れて陽の当たる場所を通過する際にも雪は締まっており、この時期にありがちな腐った雪を踏み抜くことが全くない状況であった。

ジグザグに急斜面を登っていく中、最初は天狗岳とは反対の方向である西へと進むことの方が多いように感じられ、 少し戸惑う。
しかし、途中から道は東を目差し始め、太陽が正面樹林越しにチラチラ見えるようになる。
久々の登山ではあるが、あまりペースを上げていないため、息はそれ程上がらない。
高度はドンドン上がっていき、時折 樹林越しに見える唐沢鉱泉の北側を走る中山の支尾根との高さがほぼ同じになってくる。
樹林越しに陽の光も当たり始め、上を見上げれば青空が広がっており、今日は楽しくなりそうである。

黙々と登っていくと、左手樹林越しに蓼科山、そして北横岳が見えてくる。
さらに進んで行くと、今度は嬉しいことに北アルプスが見えるようになる。西穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、大キレット、 南岳、中岳、大喰岳、槍ヶ岳までがスッキリと見えていてテンションがグッと上がる。
第一展望台に登り着く頃には、時間的に北アルプスも霞んでしまう可能性があるため、この 8時の時点で見ることができたのはラッキーと思っていたのだが、 この時、カメラの画像設定が 『 モノトーン 』 になっているとは全く知らなかったのであった。

その北アルプスが見えた場所からひと登りすれば、西尾根の背に登り着く。つまり唐沢鉱泉分岐で、天狗岳は左、右は枯尾ノ峰である。
時刻は 8時5分。
ここで標識の写真を撮ったところ、やけに画像モニターの色が黒っぽいことに気付く。最初はサングラスをしているためかと思ったのだが、 サングラスを外してモニターを見て愕然とする。完全に白黒写真なのである。
慌てて設定を元に戻したのだが、これはショック。
結局、しゃくなげ橋からここまでの 50分間は全部白黒写真ということになってしまった訳で、 初めてのコースだっただけにこの失敗は悔やまれるし、折角の北アルプスが白黒写真となってしまったことが残念でならない。

気を取り直して、左に曲がり尾根通しに進む。ほぼ真っ直ぐの登りになるため、こういう状況が苦手な小生にとっては辛い。
足下の方だが、ここでも雪がしっかり踏まれているので問題なく登っていくことができる。
東に向かっているので当然であるが、前方樹林越しに太陽がチラチラと見えるようになる。
最初は真っ直ぐであった道も、途中から小さな振幅のジグザグな登りに変わりホッとする。それでも、ずっと登り詰めの状況は辛い。
やがて、先の方の太陽がより輝いて見えるようになったので、第一展望台に到着かとの期待を抱かせたものの、 登り着いたところからさらに先に緩やかではあるが直線の登りが続いている。

その登りも徐々に急傾斜となり始めると、またまた斜面をジグザグに登るようになって助かるが、やはり少々キツクなってくる。
ユックリ登っているのでそれ程息は上がらないが、展望の無い急斜面の登りは肉体よりも精神的に辛い。
と思っていたら、樹林が切れて、振り向けば中央アルプスが見えるようになる。ただ、木曽駒ヶ岳、中岳は肉眼でも確認できるが、 全体的にやや春霞がかかっているような感じである。
さらに少し登ると、今度は中央アルプスの右に御嶽も見えるようになるものの、こちらも霞み気味で、噴煙などは確認できない。
続いて、真っ白な乗鞍岳も枝の間からチラリと見えるようになるが、先程見えた穂高連峰は木々が邪魔をして見ることができない。
さらに登っていくと、今度は木曽駒ヶ岳、空木岳、南駒ヶ岳、仙涯嶺、越百山といった中央アルプスの主要な山々が一望できるようになる。 やや霞み気味とは言え、素晴らしい光景である。

展望を得られたことに少し気を良くして、また樹林の中を登っていく。
心なしか、傾斜が増してきたような気がしたもののすぐに傾斜は緩みだし、周囲が明るくなったかと思うと、樹林帯を抜け出して岩場に飛び出す。 時刻は 8時51分。
今までほとんど得られなかった展望がここで一気に開けることになったので、ここが第一展望台と思い込み、周囲の写真を撮りまくる。
まず東の方角に目をやれば、これから目差す西天狗がこちらから続く樹林の向こうにその山頂部を見せており、 その西天狗の右後方には根石岳と箕冠山 (みかぶりやま) がまるで双耳峰のように並んでいて、その鞍部には根石山荘も見えている。
箕冠山の右後方には硫黄岳が大きく、垂直に切り立っている火口壁も一部見ることができる。

硫黄岳から右に下る稜線は、赤岩ノ頭を経て目の前の 峰の松目へと至っているが、 その稜線の後方には横岳、八ヶ岳の主峰 赤岳、そして中岳が並んでおり、いずれもその姿は真っ白である。
また、中岳の右にある阿弥陀岳は 峰の松目に隠れ気味ではあるものの、その白い頂上部だけは見えている。
峰の松目からさらに右に下る稜線の後方には権現岳が少し顔を出し、その右には編笠山、そして西岳が見えている。

西岳の後方からは南アルプスが始まり、西岳の左後方に辻山、そして西岳の真後ろに鳳凰三山の薬師岳、観音岳が並ぶ。
観音岳の右には地蔵岳、高嶺が見え、少し間を空けて北岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳といったスター達が並ぶ。仙丈ヶ岳の手前には鋸岳が見え、 そこから徐々に高度を下げていく稜線の途中には白岩岳、釜無山、入笠山が確認できる。
そして、入笠山の後方からは中央アルプスが始まり、先にも述べたように越百山、仙涯嶺、南駒ヶ岳、空木岳、熊沢岳、中岳、木曽駒ヶ岳、将棊頭山、茶臼山、大棚入山、 経ヶ岳といった山々が確認できる。

中央アルプスの右には御嶽が見え、少し間を空けて乗鞍岳を筆頭とした北アルプスが続く。
霞沢岳、西穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、大キレット、南岳、中岳、大喰岳、そして槍ヶ岳と続く姿を見て、 先程モノトーン設定で撮ってしまった失敗がここで挽回できたことにホッとする。
さらには、少し動き回れば槍ヶ岳より右の山々もほぼ見えるようになる。主な山だけでも常念岳、大天井岳、水晶岳、野口五郎岳、餓鬼岳、龍王岳、 立山、剱岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、白馬鑓ヶ岳、白馬岳、小蓮華岳といった山々が確認でき、 時期的に春霞がかかったような状態で、クッキリ、ハッキリという訳にはいかないものの、素晴らしい展望である。

北アルプスが白馬岳、小蓮華岳にてほぼ終わりになると、 その手前から蓼科山が立ち上がり、さらに右に北横岳、縞枯山といった山々が続き、これで展望はほぼ終わりとなる。
無論、この他にも良く知る山々が見えており、乗鞍岳の手前には鉢盛山、常念岳の手前には鉢伏山、そして鉢伏山のさらに右手前には霧ヶ峰が見え、 剱岳から五竜岳にかけての連なりの手前には平らな美ヶ原も見えている。

この素晴らしい景色に満足して 8時58分に先へと進む。尾根上は風が強いのではと心配したものの、ほぼ無風状態である。
道は尾根上を進むが、一旦は短い樹林帯に入る。そこを抜けると、ハイマツの中の道を登ることになってその先で岩場に出るが、 そこには 『 第一展望台 』 の標識が立っていたのであった。時刻は 9時1分。
この西尾根を下ったのは 9年も前のこと故、細かいことは覚えおらず、先程の岩場が 『 第一展望台 』 とばかり思っていたのであった。
しかし、展望に関していえば、どちらも然程変わらない。ただ、先程よりも高度が上がった分、少し見える範囲が広がり、 北の方角に四阿山が見えるようになる。
ここでも写真を撮りまくるとともに、ノドを潤すべく少し休憩した後、9時8分に出発する。

道は西天狗に向かってほぼ一直線の尾根上を進むのだが、この辺の勾配はかなり緩やかである。
また、まだこの辺は森林限界とはなっておらずシラビソなどの樹林帯を進むため、どちらかというと道は尾根の北側に作られている。
足下の雪は結構多いものの、道はしっかりと踏み固められているが、それでも時折 深く踏み抜いた跡が散見されるので油断は禁物である。
道は時々 尾根上に飛び出す。その際、前方には横を向いた達磨を彷彿とさせる西天狗の頂上部と右斜面が見えている。
しかも、そこまでに到達するには 2つほどピークを越えていかねばならないのが分かり、加えて最後の登りがキツそうである。
右手を見れば、今まで 峰の松目に隠れ気味であった阿弥陀岳が迫り上がってきており、赤岳から中岳を経て阿弥陀岳へと続く稜線がしっかりと見えるようになる。

道の方はシラビソなどの樹林帯が依然として続く。 しかし、その背丈は低くなりつつあり、また幹もかなり細くなってきており、しかも歩く部分の幅が広がって雪の回廊のようになっているため、 青空を見ながら進んで行くことができるようになる。
と思ったら、一旦 樹林が密になるが、そこを抜け出すとまた道の左右が広くなる。
一方で、勾配がきつくなり始め、少し息を切らせつつ、樹林の中を登っていくと、少し下りに入りかけた所で樹林が切れ、 目の前にドッシリとした西天狗の姿が見えてくる。
足下は雪のマウンドになっているので分かりにくいが、この辺はガレ場になっているようで、右後方を見れば今越えてきた高みの東側は岩壁となっており、 小生がいる所の右側はその岩壁とともに下方へと急角度で落ち込み、雪の無い所にはザレた砂礫とゴロゴロした岩が見えている。

その落ち込んでいる谷の向こう側を見れば、阿弥陀岳が先程よりも大きく迫り上がって完全に姿を現している。
高さは赤岳に劣るものの、その姿はドッシリとしていて赤岳よりも風格を感じさせてくれる。
そこから少し進めば第二展望台で、ここからは南八ヶ岳、南アルプス、中央アルプスがよく見えるものの、 最早 2つのアルプスは霞み気味である。時刻は 9時41分。
目の前に大きい西天狗を見ながら一旦道は下りとなり、再び樹林帯へと入っていく。西天狗への最後の登りが急であるだけに、 ここで高度を下げることにため息が出るが、案じたほど大きく下ることはなく、すぐに緩やかな登りに変わる。
途中、樹林越しに北アルプスや蓼科山が見え、高度を上げて振り返れば、御嶽や先程越えてきた高み (河原木場沢ノ頭と言うらしい) が見えている。

樹林の中をジグザグに登っていくと、やがて樹林帯は終わりとなり、目の前に西天狗の急斜面が現れる。時刻は 9時58分。
ここは西天狗の基部と言える場所で、ここからは頂上部分は見えず、雪の中に黒々とした岩を有する急斜面が見えているだけである。
なお、ここは左手が開けていて、北アルプスがよく見える。
さて、ここからの登りであるが、日当たりも良いからであろう、よく見ると雪の量はそれ程でもなく、また雪の上に明瞭なトレースがあるので、 用意してきたピッケルは使用せず、2本のストックを継続して使うことにする。
先にも述べたように雪はかなり減っていてハイマツと岩が露出しており、道はその間を縫うようにして登っていく。
とは言え、やはり傾斜はキツイので、ここは焦らず、ドンドンと広がる展望を楽しみながらユックリと登る。

その展望だが、ここに至るまでに見えた山々に加え、縞枯山と三ツ岳の後方には、 高妻山の他、焼山、火打山、妙高山の頸城山塊がうっすらと見えるようになる。
息を切らせつつ急斜面を登る。斜面の先には青空が広がっており、そこに太陽が輝いている。本日は予報通り良い天気である。
展望を楽しみながら登っていくと、やがて斜面の先、青空との境目にハイマツ帯が見えるようになる。
漸く頂上かと思って喜んだものの、登り着くとさらに雪の斜面が続いておりガッカリさせられるが、その先が頂上であることは間違いないようなので、 最後の踏ん張りと思い、頑張って登っていく。左手前方を見れば浅間山も見えている。
そして、傾斜が緩み、またハイマツ帯が目の前に見えてくると、その先が西天狗の頂上であった。時刻は 10時26分。
少々時間が掛かり過ぎではあるが、リハビリ登山としてはこんなところであろう。

山頂には登山者が 1人いたものの、すぐに下山されたので頂上独占状態となる。
この頂上は、ここに至る迄に見えた山々の集大成となっており、さらにそこにこれから登る東天狗、そして奥秩父の山々が加わることになる。
しかし、この時間帯、しかも気温が結構高いため、すぐそばの八ヶ岳の山々を除いては、いずれの山も霞み気味である。
なお、頂上の雪はそれ程多くなく、2年前の 4月には 『 西天狗岳山頂 』 というところまでしか雪の上に見えていなかった標柱も、 今は全部の文字が見え、さらにその下の部分まで現れているので、積雪は 50センチといったところであろう。
雪の上に露出している岩に腰掛けて食事をとり、周囲の山々を写真に収めた後、10時49分に東天狗へと向かう。

無雪期は岩がゴロゴロしている斜面も今は完全に雪に覆われており、しかも上から見るとかなりの急傾斜に見える。
雪も少しグズグズしているので、滑らないように慎重に下る。こういう時はピッケルの方が有効であるが、ダブルストックで何とか下っていく。
東天狗との鞍部に無事に下り立った後は、左に巻き道を分け、東天狗の斜面に取り付く。こちらも雪の量は少なく、むしろ岩が結構 露出していて、 アイゼンでは登りにくい箇所もある。
雪が残っている部分を選びながらジグザグに斜面を登り、東天狗の頂上には 11時4分に到着。
暫し周囲の写真を撮った後、11時6分に下山を開始する。

右手前方に稲子岳南壁の迫力ある姿を見て、天狗岩の下方を下る。
雪の上にはいくつものルートがつけられているが、ここは慎重を期して、一番安全そうな上側の道を進む。
岩場を慎重に通過し、少し急斜面を下れば、後は緩やかな道が続く。
やがて、スリバチ池と中山峠との分岐に到着 (どちらも黒百合平に行ける)、時刻は 11時17分。
ここは左に道をとってスリバチ池方面へと進む。
少し急な斜面を下る。眼下には天狗の奥庭が広がっているが、この天狗の奥庭は溶岩流の末端となる溶岩台地とのことである。
その中でもさらに末端の部分が凹地となっていて、そこにスリバチ池があり、目を凝らすと、 そのスリバチ池 (雪に覆われている) の右後方に黒百合ヒュッテが見えている。

雪の斜面を慎重に下っていくと、この辺から急に風を感じ始める。もう春とは言え、風はまだ冷たい。
斜面を下り終えると、ここからは天狗の奥庭へのアップダウンが始まる。岩が雪の上に露出している場所も多く、 また、踏み跡を外すと結構 雪に足をとられる。
ハイマツと岩が雪の上に露出している場所をジグザグに進む。すぐに登りに入り、目の前の岩場を目差して登っていく。
振り返れば、東天狗、西天狗がよく見えるが、2つの山を同時にカメラに収めるにはまだ距離が近すぎる状態である。
少し息を切らせつつ小さな岩峰に登り着くと、そこにはスリバチ池・黒百合平の方向を示す標識があり、 標柱には 『 ここは天狗ノ奥庭 上 』 と書かれている。この 『 上 』 というのは何であろう。この後に 『 下 』 が現れるのであろうか・・・。 時刻は 11時35分。

この岩場からはすぐに下りに入り、小さな溝状となった場所を越えて岩がゴロゴロしている緩斜面の登りに入る。
雪の斜面というよりは、斜面に岩がゴロゴロしていて、その間に雪が残っているという感じであるが、それでも雪は結構 積もっている。
傾斜はすぐに緩み、岩がゴロゴロした台地を進む。振り返れば、東天狗と西天狗はカメラに収められる程の距離になっている。
やがて、ゴロゴロした岩がかなり大きくなってきている場所を進むことになり、先程の岩峰のような大きな岩の下まで辿り着けば、 そこから先は下りとなって、再びスリバチ池が見えるようになる。
その下り斜面の途中に標識が立っていたが、そこには 『 下 』 などの文字は見られなかったのだった。

道はスリバチ池の周りを囲む土手の上を進むのが正規なのであるが、 スリバチ池に下りている足跡が沢山あるので、冬期限定ということにして小生もスリバチ池へと下りてみることにする。
こちらはあまり雪が踏まれていないので、かなり足が潜るが、その距離は短く、池があると思われる場所の近くまで来ると足下も落ち着くようになる。
先にも述べたように、池は全面雪に覆われていて水は見えないが、この池の水は涸れることもあるので、 今の時期、雪の下に凍った水はないのかもしれない。
なお、池の部分は雪の広場になっているため、格好の遊び場になっているようで、雪ダルマが作られているほか、 水面と思しき所にはナスカの地上絵のような模様が描かれている。時刻は 11時53分。
振り返れば東天狗と西天狗がよく見えており、この場所から見る天狗岳は目の前に雪の原が広がっているために全体的に白が多くなり、 なかなか素晴らしい構図である。

池の上と思われる所に足跡を残した後、再び土手の斜面を登って正規のルートに合流する。
登り着いて少し進めば、下り斜面となってその先に黒百合ヒュッテが見えている。
なかなかの急斜面をジグザグに下り、黒百合ヒュッテには 12時丁度に到着。
ヒュッテ前のベンチにて 5分程休憩した後、唐沢鉱泉に向けて出発する。
道はすぐに樹林帯に入り、少し先で樹林越しに乗鞍岳が見えるものの、この時間ではもう完全にぼやけ気味である。
よく踏まれた雪の上を下る。無雪期であれば、この登山道に唐沢の源流の 1つと思われる水の流れが絡んでくるのであるが、今は完全に雪の下、 流れる音も聞こえない。

日が差し込んで明るくなった樹林帯を黙々と下り、渋の湯と唐沢鉱泉の分岐には 12時22分に到着。
左に道をとって唐沢鉱泉へと向かう。展望のない、シラビソの樹林帯を黙々と下る。
途中、男性登山者と擦れ違ったが、この時間では黒百合ヒュッテ泊まりであろう。
やがて左下に平地らしきものが見えてくる。どうやらそこは谷底のようで、その後 谷は狭くなり、 谷を流れる川 (流れは見えない) を橋にて渡って行く。

とにかく展望の無い道が続くが、傾斜はそれ程でもない。
雪の道はやがてアイスバーン (とは言っても、表面は融けかかっている) に変わり、 オムスビの形をした岩を右に見ると、やがて樹林帯を抜けて目の前に橋が現れる。
この橋を渡れば唐沢鉱泉の前を通る林道で、林道を左に進めば唐沢鉱泉、右に進めばナメ滝に至る。時刻は 12時57分。
林道には雪が残っているのでアイゼンのまま進んだのだが、すぐに雪が無くなったのでアイゼンを脱着する。

そこから少し下ると、左手に唐沢鉱泉の源泉が見えてきたので、立ち寄ってみる。 黒百合平経由のルートは過去に 2回通っているが、いずれもこの源泉に立ち寄ってはいないので、源泉をジックリと見るのは今回が初めてである。
源泉は小さな池が二段になっており、湧き出る鉱泉自体は透明と思われるものの、湯の花が池の底や縁を白く覆っているためか、 水は薄いブルーに見える。
また、池の周囲にはこの時期 茶色となった苔が多く生えており、水面には緑の藻 ? が浮いているので、何とも不思議な光景である。
林道に戻り、今朝ほど渡った しゃくなげ橋を左に見れば、すぐに唐沢鉱泉で、駐車場には 13時7分に戻り着いたのであった。
駐車場には小生の車以外にもう 1台車があったが、恐らく先程擦れ違った方のものであろう。

本日は、初夏に近い陽気が続く中、残雪がなくなってしまうのではと焦り、 慌てて天狗岳に登ったのだが、何回も登っている山とは言え、マンネリ感もなく、残雪の山を大いに楽しむことができたのであった。
体調を崩していたため、今回はリハビリも兼ねた山行でもあったが、丁度良い距離と時間、そして高さであり、 体調の回復状況を測るにはもってこいの山でもあった。


奥多摩の山 第四弾は川苔山  2018.3 記

2月の中旬過ぎに風邪を引いてしまう。熱はないが、ノドが痛い、身体が怠い、鼻水は出る、 食欲がないという症状が続いたためインフルエンザB型を疑ったものの、検査結果は陰性で、風邪を拗らせたという診断であった。
それでも、身体的にかなり辛い状況が続き、最初の 1週間はほぼ寝込んでしまい、次の 1週間も体調不良が続く。
漸く体調が戻ってきたと思ったら、もう 3月も数日を経過しており、そこから両親の七回忌、自治会の仕事など、 結構やることが多くて山に行けない状況が続く。
当然、このホームページも手付かずで、かなり前の登山記録をアップするのは気が引けるところであるが、ご容赦願いたい。

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1月末の御前山にて奥多摩三山を登り終えたことから、次は奥多摩以外の山を狙おうとしたのだが、思い浮かぶ山は既に登った山ばかり、やはり新鮮味に欠ける。
それならば、まだ登っていない山が多い奥多摩の山が良かろうと考え、前から気になっていた川苔山 (かわのりやま) に登ることにする。
この川苔山は奥多摩でも人気の山で、途中にある百尋ノ滝はこの時期に見事な氷瀑を見せてくれることでも有名であるため、今回の登山も楽しみである。

2月14日(水)、5時過ぎに横浜の自宅を出発する。上空にはやや雲が多いものの、予報では本日晴れのはずである。
奥多摩通いが続いているため、もうスッカリお馴染みとなったルートを辿り、古里駅前の丁字路にて国道411号線 (青梅街道) に入れば、 後は目差す奥多摩駅入口の交差点まで道なりである。
そして、その奥多摩駅入口の交差点を右折し、奥多摩町役場の奥にある Timesの駐車場に車を駐めたのは 6時44分であった。
車内で朝食をとり、奥多摩駅のトイレを借りた後、身支度を整えて再び駅前まで戻って 7時4分発の東日原行きのバスに乗る。
バスには先客が 1人おり、しかも登山装備をしているので、同じく川苔山を目差すのかもしれない。

定刻に出発したバスは国道411号線に入って日原川を渡った後、 すぐの信号 (日原街道入口) を右折して都道204号線 (日原街道) に入る。家並みを抜けると道は山の中へと入っていき、日原川沿いに進む。
そして、川苔山の起点となる川乗橋には 7時18分に到着。下りたのは小生だけだったので、件の登山者は鷹ノ巣山狙いかもしれない。
バス停の反対側 (右側) は川乗林道の起点となっており、そこには 『 川苔山登山口・百尋ノ滝 → 』 と書かれた立派な標識が立っている。
身支度を整え直し、写真を撮ったりした後、7時21分に出発してゲートを抜け、アスファルト舗装の林道を進む。
なお、この川乗林道は昨年 8月に起きた大規模落石のため、車・歩行者とも通行止めとされているが、実際には 2月は人の通行が可能となっている。 但し、3月1日〜27日の期間は法面工事のため、完全に歩行者も通行できないようである。

完全にドライ状態の林道を進む。但し、右下の川乗谷を見下ろせば、まだ雪が多く残っている。
緩やかな上り勾配の林道を少し進むと、左手斜面に 『 蕎麦粒山 』 と書かれた手書きの標識を見つける。 後で地図を見ると、ここから蕎麦粒山への破線ルートが記されており、機会があれば辿ってみたいものである。
なお、今歩いている林道を登り続けても、蕎麦粒山には登ることができるようである。
やがて、川乗谷の向こう側に立派な山容の山が見えてくる。山名は全く分からないが、方角的には本仁田山 (ほにたやま) 方面なので、 もしかしたらその手前にある平石山かもしれない。

単調な林道歩きも、前方にベンチが見えてくると漸く終わりとなる。
ベンチの横を通り、左にカーブして細倉橋を渡ると、その先に小さな建物が見えてくる。時刻は 8時丁度。
この建物は川乗谷を流れる水を利用して水力発電を行っている発電小屋で、ソバにあるバイオトイレに電力供給しているとのことである。
その発電小屋のところで林道と分かれ、右手の登山道に入る。右下が川乗谷、左が山となっている平らな道を進む。
この辺では足下に雪は見られないが、杉林に入って暫く進むと、所々に凍った雪が現れるようになる。

スリップしないように慎重に進んでいくと、やがて道は下りに入り、下方に谷の流れを渡る橋が見えてくる。
橋の先を見ると、雪に覆われた道が続いていており、しかも狭い道であるため、安全を考えて橋の手前にある木の下でチェーンスパイクを装着する。時刻は 8時8分。
装着に手間取り、8時11分に出発して橋を渡る。案の定、橋より先は雪が踏み固められて凍っており、チェーンスパイクが大いに役立つ。
谷の左岸を暫く進んで行くと、桟梯 (さんてい) を渡った先で足下の雪は消え、落ち葉の道が続くようになるが、 チェーンスパイクならローインパクトであると自分に言い聞かせて、そのまま歩き続ける。

再び桟梯を渡ったところで、足下は雪の道に変わり、傾斜も少し出始める。
傾斜が緩んだ後、アイスバーン状になった道を進んでいくと、やがて水の流れとの高低差が縮まり、岩場を進むようになる。
小さな滝を左下に見て少し岩場を進んで行くと、道は橋を渡って右岸へと移る。この辺はあまり陽が当たらないのであろう、 周囲には雪が多く残っており、岩場の斜面を伝って本流に流れ落ちている水は凍って、氷の壁を作り出している。
道の方はその先で、またまた流れを渡って左岸に至るが、こちら側は日当たりが良いらしく、斜面に雪は全く見られず、落ち葉の道が続くようになる。

ここからは小さな V字となっている谷の左岸斜面を横切って進む。傾斜も少し出始めるが、それ程キツイものではない。
落ち葉を蹴散らしながら暫く進んでいくと、桟梯を 2つほど渡った先にてまた雪の道に変わる。
橋の上に倒れこんでいるため歩行の邪魔となっている木を乗り越えていくと、道は再び落ち葉の道に変わるが、山襞に沿って右にカーブした先でまたまた雪の道に変わる。 やはり、こういう変化が激しい道ではチェーンスパイクが便利である。
雪道、落ち葉の道を交互に繰り返しながら進んでいくと、やがて岩場が現れる。『 滑落事故発生 通行注意 』 の注意書きを横目に雪の無い岩場を登り、 その後、岩混じりの道をジグザグに登って高度を上げていく。

暫く進むと、前方、向こう岸に高く大きい壁のような岩が見えてくるが、よく見るとその岩の上部には道路が通っている。 どうやら先程の川乗林道らしい。
左側がスパッと切れ落ちた細い道を辿って右にカーブしていくと、やがて百尋ノ滝の分岐点に到着する。時刻は 9時1分。
当然、ここは滝を見るべく真っ直ぐ進む。階段が付けられた岩場を下って行くと、表面に氷が張っている流れの縁に至り、 右手奥にお目当ての百尋ノ滝が見えてくる。
全面が氷になっているので、どこから流れなのか分からない状態の場所を進み (一部氷が割れて流れが見えている)、滝の正面に立つ。
時刻は 9時3分。

滝は、その上部にて水が飛び散っているものの、ほぼ全面的に凍っていて見事な氷瀑が出来上がっている。
時期的に氷瀑の全盛期は過ぎていると思われるが、それでも上部から足下まで白い氷の塊が積み重なっており、 それぞれの氷塊から何本もの つららが垂れ下がっている。さらには、滝の一番下、小生のすぐ目の前には成長して富士山状となった氷塊が盛り上がっている。
ここまでの状態の氷瀑を見るのは初めてということもあって、その迫力、見事な芸術性に圧倒される。
ずっと見ていたい光景であるが、本日は先が長いので、9時8分、川苔山へと向かう。

梯子を昇り、川苔山分岐まで戻った後、そこから左に折れて梯子を昇る。梯子を過ぎれば、また雪のない落ち葉の道が続く。
暫く登っていくと、周囲に陽が差すようになってかなり温かくなり、しかも上空には青空が広がっていて、気分良く登っていくことができる。
徐々に高度を上げていくと、右手樹林越しになかなか形の良い山が見えるようになる。この辺の山はほとんど分からないのだが、休憩時に地図を見ると、 どうやら狩倉山らしい。そして、ピラミダルな狩倉山の右後方に見えている高みが六ツ石山ではないかと思われる。
雪の無い、日当たりの良い道が続く。あまりにも雪が出てこないので、よっぽどチェーンスパイクを脱ごうかとも思ったが、 この先、雪が現れるのが分かっているので、少し気が引けるものの、そのまま歩き続ける。

岩混じりの斜面を登っていくと、漸く先の方に稜線が見えてくる。
梯子を昇り、よく踏まれた道を緩やかに登っていく。周囲は自然林から杉の植林帯へと変わり、道はその杉の斜面をジグザグに登っていく。
尾根に登り着くと、そこにある岩の基部に柱間が 20センチにも満たない小さな鳥居があって、そこにはお賽銭や御神酒も置かれている。
山の神を祀っているのであろうか。時刻は 9時31分。
ここからは右に曲がって、尾根上を登っていく (完全に尾根上ではなく、所々で尾根の下を進む)。

自然林と杉の植林が混合している尾根を登っていくと、すぐに 『 川苔山 2.4km 』 の標識を通過する。時刻は 9時35分。
岩混じりの道を登る。この辺は傾斜も少し急で、少々息が上がるが、すぐに道は斜面を横切るようになって傾斜も緩やかになってくる。
杉の林を黙々と進む。単調な道が続くことに少し嫌気が差し始めた頃、ふと右手を見ると、何と樹林越しに富士山が見えるではないか。
尤も、手前の山にほぼ隠れてしまっていて、八、九合目より上の部分しか見えないのだが、それでもこうして富士山が見えると嬉しくなる。
但し、樹林が邪魔をしてその姿をなかなか写真に収めることができない。
富士山をスッキリと見通せる場所はないかと探しつつユックリ歩き、何とか富士山を写真に収めて進んで行くと、 今度は前方樹林越しにスクッと急角度で立ち上がっている高みが見えてくる。もしかしたらあれが足毛岩かもしれない。 ということは川苔山も近いのかもしれない。

少し進むと、またまた富士山が見通せるようになるが、 こちらの高度が少し上がったためであろうか、よく見ると今まで富士山の手前を横切っていた尾根と富士山との間に三頭山と思しき山が見えている。
道は、右下の谷を詰めるように進んでいく。やがて、足下に雪が現れるようになり、進むに連れて、圧雪した雪が連続するようになる。
道が下りに入ると、周囲は完全に雪の世界となる。雪の斜面をジグザグに下った後、小さな水の流れを渡ると、道はその流れに沿って右に曲がっていく。 この辺は日当たりも良いので、ワサビ田でもあるような雰囲気であるが、周囲が雪に覆われているため詳細は分からない。
時刻は 9時59分。道はすぐに流れと分かれて、左側の斜面を横切って登っていく。足下は圧雪状態の道が続く。

そして、右手樹林越しに足毛岩と思しき高みが再び見えたかと思うと、すぐにルートが 2つに分かれる。時刻は 10時3分。
どちらの道も川苔山に至るのだが、真っ直ぐ進んで谷に下る道は足毛岩の肩を経由して西側から頂上に至り、左の道は東側から頂上に至るもので、 聞くところによると、その川苔山の東の肩から頂上までは短いながらも雪の回廊があるらしい。
また前者が頂上まで 1.8kmとあるのに対して、後者は 1.5kmとなっているので、ここは迷わずに左に進む。
道はここから杉林の中の登りが続くようになる。足下は圧雪状態の雪、周囲の雪は疎らである。
息を切らせつつ斜面を登っていくと、道はやがて斜面を横切るようになり、傾斜がグッと緩む。

少し岩混じりの道となって、山襞に沿って左に回り込むと、そこからは足下、周囲に雪が多くなってくる。 道は谷を詰めていくような感じで、右下に流れを見ながら進む。
谷がグッと詰まって、道が山間 (やまあい) を進むようになると、周囲は完全に雪に覆われるようになる。
道は小さな流れ渡って左岸 (右側) の斜面へと取り付き、左手に堰堤を見た後、流れと分かれて右へと曲がり支谷へと入って行く。
この辺はかなり雪も多くなってくるが、道の方はしっかり踏まれているので、問題なく登っていくことができる。
山と山の間の狭い所を登って行くと、やがて道は左手の山に移るが、この辺はそのまま谷を詰めてしまいそうな所で、 先人の足跡がなければ迷ってしまうところである。

左手の山に移り、少し戻るようにして登った後、途中から尾根上に飛び出して右手へと進む。
この頃になると、結構 疲れを感じるようになるが、休むのに適したところもないため、登り続けることにする。
また、この辺は複雑な地形のため方向がよく分からなくなってきているが、今登っている尾根の先に太陽が見えるので、東〜南の方向へと登っているものと思われる。
すぐに稜線上に飛び出すかと思ったのだが、疲れていることもあってか、この斜面はかなり長い。ただ、前方右手には稜線が見えてきているので、 あそこまで登り着けば川苔山はすぐのはずである。
なお、ここまで展望のない登りが続いていたが、川苔山の方向を示す標識を見た後は、樹林越しに周囲の山々が見えるようになる。
なかなか見通すことができないので同定が難しいが、形の良い鈍角三角形をした蕎麦粒山や 3つの山が並ぶ天目山 (三ツドッケ) が確認できるようになる。

自然林に変わっていた周囲の木々が、またまた杉林に変わると、漸く傾斜も緩み始め、 やがて先の方に標識が見えてくる。そして、その後方には空が見えているので、漸く川苔山への稜線に到着したようである。
少し足を速め、最後のひと登りを終えると、川苔山 東の肩に飛び出す。時刻は 10時54分。
地図ではここから川苔山頂上まで 10分となっており、傍らの標識には頂上まで 0.2kmとある。
右手を見ると、川苔山まで続く土手のような道が見えている。雪の回廊と呼ぶには少々雪が少ないが、左右の樹木が街路樹のようになっていて、 その間を雪の道が続いている光景はなかなか気持ちが良い。

少し進んで右手を見ると、樹林の間に白い山々が見える。 全く山名が分からないまま写真に収めたのだが、帰宅後調べると、何と平標山、仙ノ倉山、エビス大黒ノ頭、そして万太郎山であった。 越後の山まで見えるとは夢にも思っていなかったので、分からないはずである。
さらには日光の奥白根山、錫ヶ岳といった山も見えたが、こちらは見慣れているのですぐ分かる。
また、近くには蕎麦粒山が見えており、回廊の左側に目をやれば大岳山が見えている。
土手状の尾根の周囲を歩き回り、樹林の間から見える山々を何とか写真に収めた後、回廊を登っていく。

やがて少し傾斜が急になって小さな高みに取り付く。今度は少し霞み気味ながらも右手に太郎山、男体山、女峰山が見えてくる。
徐々に傾斜が緩んでくると、やがて先の方に登山者の姿が見えてくる。川乗橋から先、誰にも会っていなかったので、 川苔山を独占できるかと思っていたのだが、頂上には中年のご夫婦が先客としておられたのであった。鳩ノ巣駅方面から登ってこられたようである。
川苔山頂上到着は 11時6分。南側のベンチにザックを置き、周囲の山々を写真に撮る。
まずは、やはり富士山に目が行く。ここから富士山がこれ程よく見えるとは思っていなかったので、喜びも大きい。

富士山の左斜面が下った先には杓子山、鹿留山 (ししどめやま) が見えており、富士山の右手前には三頭山が大きい。
鹿留山のさらに左側は、木々が邪魔をして見ることができないが、場所を移動すれば御正体山、御前山、大岳山を見ることができる。
大岳山の右後方には丹沢の山々もシルエット状に見えているものの、こちらも枝がかなり邪魔をしている。
富士山の右手も枝が邪魔をして、本来見えるはずの三ツ峠山や本社ヶ丸、御坂黒岳などは見えにくいが、場所を西側に移動すれば、 御坂黒岳のさらに右側の山々を遮るもの無く見ることができる。
まずは雁ヶ腹摺山が鈍角三角形の姿を見せ、その右に黒岳、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、小金沢山といった小金沢連嶺が続き、 さらに右に天狗棚山、熊沢山、妙見ノ頭と続いて大菩薩嶺へと至っている。この辺は、大岳山や御前山などからお馴染みの光景である。

そして、それらの山々の手前には、先程見えた狩倉山、六ツ石山そして鷹ノ巣山へと続く石尾根が大きく、 鷹ノ巣山の右後方に高丸山の三角形が続いた後、石尾根が雲取山へと続いている。そして、その石尾根の後方には前飛竜、飛竜山も見えている。
雲取山の右には芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ) が続き、その 2つの山を結ぶ稜線の手前には天祖山がドッシリとした姿を見せている。
芋木ノドッケから右に下る稜線の後方には白岩山が見えるが、一見するとこの 2つの山は 1つの山に見えてしまう。
その白岩山の斜面が右に下っていく後方には若干丸みを帯びた平たい山が見えているが、恐らく和名倉山であろう。

白岩山のさらに右にも山が続くものの、この辺はあまり馴染みがない地域である上に、樹林が少し邪魔をして少々見えにくくなる。
初めてその名を聞く タワ尾根ノ頭 (滝谷ノ頭) の右には酉谷山が少し姿を見せ、さらに右に天目山 (三ツドッケ)、そして蕎麦粒山が続き、 この 2つの山を結ぶ稜線の後方には大平山が見えている。
しかし、何とか見えるのはここまでで、さらに右側は木々によってほとんど見えない状態である。

ベンチに腰掛けてユックリと食事をした後、11時30分に川苔山を後にして雪の回廊を戻る。
その際、先程見えた日光や越後の山以外の山が見えないかと、目を凝らしながら下り、武尊山と至仏山を見つける。
11時37分に東の肩まで戻り、少し進んだ先にて標識に従って右に折れて鳩ノ巣駅方面へと下る。ここからは南斜面を下るので、 雪の無い落ち葉の道が時々現れるが、落ち葉の下には凍った雪があったりするので要注意である。
日当たりの良い斜面をジグザグに下る。前方には大岳山が樹林の間にチラチラ見えるが、スッキリと見通すことができない。
足下にほぼ雪がなくなると、やがて水場を案内する標識が現れる。水場は右で、左は赤杭山 (あかぐなやま)、 そして直進が本仁田山、鳩ノ巣駅とある。時刻は 11時46分。

その少し先で、ベンチが置かれている鞍部に下り立つと、再び周囲に雪が現れるようになる。
さて、ここで道は 2つに分かれることになり、直進が鳩ノ巣駅、そして右側の斜面に取り付く道が大ダワ、本仁田山となっている。
本日はできれば車を置いてある奥多摩駅まで歩いて戻りたいことから、右手の斜面に取り付いて本仁田山を目差す。
標識の所には 『 この先岩場 通行注意 』 との注意書きがぶら下がっていて少々ビビるが、踏み跡があるので心強い。時刻は 11時50分。
雪の急斜面をひと登りすると、左斜面が杉林、右斜面が自然林となっている尾根のすぐ下、杉林側を進むことになる。

最初はどうと言うこともない道が続くが、やがてアップダウンが厳しくなり始め、 雪と落ち葉が入り混じった道を進むようになる。特に足下が滑りやすいので要注意である。
途中、右上の岩場の展望が良さそうだったので登ってみると、嬉しいことにそこから大岳山がスッキリと見通せたのだった。
道の方は日当たりが良いためか雪がないものの、一方で少し荒れ気味の道が続くようになる。さらには露出した岩が多くなり、 道が少々ハッキリしない所や、少し通過に慎重さを要する場所が現れる。
こういう時、チェーンスパイクは少々邪魔になるが、先の方に雪が見えているので、履いたまま下る。

岩場を過ぎ、落ち葉が多い滑りやすい斜面を下っていくと、道は雪の上を歩くようになり、鞍部を過ぎた後、再び雪の登り斜面へと変わる。
その高みを乗り越すと、前方に目差す本仁田山が見えてくるが、遠くしかも高く見える上に、一旦ここから大きく下るので登り返しがかなりキツそうである。
道に雪は無くなり、落ち葉と岩の道を下る。途中、ザレた斜面もあって滑りやすく苦労する。
小さなアップダウンを繰り返しながら進む。先にも述べたように、道はあまり良い状態ではないので慎重に進む。特に下り斜面が危険で、 躓いたり滑ったりすれば、大怪我を負うのは間違いないので、足下に細心の注意を払いながら下る。
苦労しながら進んで行くと、やがて本仁田山の前に登らねばならない瘤高山 (こぶたかやま) への登り斜面がよく見えるようになるとともに、 手前にある鞍部もこちらから下って行く先に見えてくる。恐らくあの鞍部が大ダワであろう。

この下り斜面もスンナリとは下れない。岩と岩の間にある落ち葉に足を取られないように気をつけて下り、 少し道が不明瞭な岩場を過ぎていくと、漸く長い苦難の道も終わりとなり、目の前に標識が現れる。時刻は 12時42分。
右に進めば目差す本仁田山である。なお、左に進めばこちらからも川苔山に行けるのだが、その道は今通過した尾根 (鋸尾根) に比べて平らである。
ここで 1人の登山者と擦れ違ったので少し話をする。その際、『 鋸尾根はかなり厳しい道なので、下の道を行った方が良いかもしれない。』 と言うと、 その方はこの山域を良く知っておられるようで、『 下の道も結構厳しいのですよ 』 とおっしゃって、鋸尾根を登っていかれた。
なお、ここが大ダワかと思ったが、そこから少し進むと、もう 1つ標識があり、そこに 『 大ダワ 』 と書かれていた。時刻は 12時44分。
ここから左に下れば鳩ノ巣駅へと行けるようだが、折角ここまできたのだから直接奥多摩駅へと下りたいと考え、真っ直ぐ進む。

鳩ノ巣駅への道を下方に見ながら狭い尾根を登る。暫く進むと足下に雪が現れ、緩やかな登りが続く。
目の前の高みに登りついて一旦道が平らになると、馬酔木の群落となり、そこを抜けると展望が開けて鷹ノ巣山、雲取山、天祖山がよく見えるようになる。
道は再び登りに入るものの、足下に雪はあまりない。少し平らな道が続いた後、雪の斜面が現れるが、これが結構急斜面で息が上がる。
喘ぎつつも途中で振り返れば、川苔山方面が見えるのだが、今の小生の知識ではどの山が川苔山なのか分からない。
息を切らせつつ何とか斜面を登り切ると、そこには鳩ノ巣駅方面と本仁田山・奥多摩駅の分岐を表す標識が立っている。 周囲に山名を表す標識は見つけられなかったが、ここが恐らく瘤高山であろう。時刻は 13時13分。

右に道をとり、暫くは平らな道を進む。右手には樹林越しに山が見えているが、恐らく川苔山と思われるものの確信が持てない。
暫く続いた平らな道もやがて下り斜面に入る。目の前には本仁田山が見えてきており、かなり高く、しかもここからは一旦大きく下って行かねばならないので、 思わずため息が出る。
雪の斜面を下り、すぐに登りに入る。この辺は雪の道がずっと続く。右手樹林越しに川苔山と思しき山を見ながら登る。
長い登りが続くが、ここは我慢しかない。しかし、少々スタミナ切れを起こしつつある身にはかなり辛い。
それでも黙々と登り続け、やがて尾根上に登り着くと、そこには 『 本仁田山 0.1km 奥多摩駅 4.7km 』 と書かれた標識が立っている。 時刻は 13時44分。

左に緩やかに曲って平らな道を進んでいくと、やがて傾斜が少し増してくるが、 その先に標識と青空が見えている。本仁田山に到着である。時刻は 13時47分。
狭い頂上にはベンチが置かれており、そこに座ってまずはノドを潤す。やはり途中で水分補給なり、栄養補給をすべきであった。
少し落ち着いたところで周囲を見渡す。嬉しいことに木々の一部が伐採されており、ここからは富士山がよく見える。
さすがにこの時間ではやや白っぽいものの、富士山が見えるとは思っていなかっただけにこれは嬉しい。
また、南東方面も開けており、御岳山や奥ノ院峰、そして日の出山方面がよく見える。

13時59分、本仁田山を後にして奥多摩駅を目差す。
暫く平らな道を進み、少し下りに入ると、足下に雪が見られなくなったので、この後も南側斜面を下ることを考慮してチェーンスパイクを外す。
そこから少し下ると、花折戸尾根方面 (現在通行できないようである) と奥多摩駅方面との分岐に到着。時刻は 14時4分。
右に曲がって斜面を下るが、確かに足下に雪は皆無である。落ち葉と砂礫で滑りやすい斜面をジグザグに下る。
途中に短い踊り場 (平らな場所) はあるものの、踊り場と踊り場の間は急斜面が続く。引力によってスピードが出てしまうのを、 足で制御しつつ下るのは疲れた身体にはかなり応える。
さらに展望も無く単調なため嫌気が増してくる。逆に言えば、ここを登りに使うのはかなりハードであり、しかも展望も無く単調なため、お薦めできない。

周囲が杉林に変わると少し傾斜が緩むものの、それでもやはり厳しい。
やがて下っていく先に標識が見えてきたので、漸くこの下りも終わりかと期待したが、ここからもまだまだ下りが続く。
この標識があるところが恐らく 『 大休場 (おおやすんば)』 で、道はここから右に下る。 この標識がなければさらに真っ直ぐ下ってしまうような場所なので、標識の後ろにはトラロープが張られている。時刻は 14時45分。
ここからは落ち葉で滑りやすい斜面が続く。杉の植林帯を抜け、自然林の中を下るが、またすぐに杉林の中の下りとなる。
展望はほとんど得られないが、再び自然林となったところで、樹林が切れて山が見えるようになる。スクッと立ち上がった三角形が見事な山であるが、 全く名前が分からない。山は下から見上げる場合と、同じような高さから見た場合とでは全然印象が違うことが多々あるが、 それにしてもこの辺りにこんな山があるのかと思うほどに美しい三角形をしている。
方角的には三ノ木戸山、六ツ石山と思うが、帰宅後もまだ不明である。

道はまたまた植林帯に入り、展望の無い下りが続く。 相変わらず足下は滑りやすく、加えて足腰にバテが来ているためなのか、途中で 2回ほどスリップしてしまう。
単調な下りに対する嫌気と、バテからくる身体のしんどさに耐えながら、まだかまだかと思いながら下って行くと、 下方樹林越しに青い屋根が見えてくる。
長かった下りに漸く目処が付いたことに元気をもらってさらに下って行くと、やがて樹林を抜けたところに標識が現れる。
左に曲がれば奥多摩駅であるが、真っ直ぐ進めば 『 乳房観音 』 とのことで、疲れてはいるもののここは寄り道することにする。
時刻は 15時17分。

その標識から 2分程歩けば 『 乳房観音 』 で、小さな祠に観音様が祀られている (傍らには説明書きがあるが省略)。
再び分岐に戻り、先程見えた青い屋根の民家の横を抜けていくと、すぐに車道に飛び出したのであった。傍らの標識には 『 奥多摩駅 2.3km 』 とある。 時刻は 15時24分。
車道歩きはあまり好きではないが、先程までの長い下りに比べれば、この道は天国である。黙々と車道を歩き、 途中にあった氷川国際ます釣場の自動販売機で飲み物を購入した後、日原川を 2度渡り、Times駐車場には 15時53分に戻り着いたのであった。

本日は、年明け以来連続している奥多摩の山をまたもや選び、人気の川苔山に登ったのであるが、 途中の凍結した百尋ノ滝も素晴らしく、また雪もまだ多く残っており、さらにはかなりのロングコースだったため登り応えがあって楽しい山行であった。
低山とは言え奥多摩の山はなかなか魅力的であり、しかも初めて登る山が多いため刺激も大いに得られるので、当分 奥多摩通いが続きそうである。


奥多摩の山 第三弾は御前山  2018.2 記

1月2日に大岳山 (おおだけさん)、16日に三頭山 (みとうさん) に登り奥多摩三山のうちの 2つを片付けたので、 次は待望の御前山 (ごぜんやま) ということになる。
この御前山は昨年までその存在さえ知らなかったのだが、先の大岳山から見たピラミッド状のドッシリとした山容に心惹かれ、 次に登りたいと強く思っていた山である。

しかし、雪が降ると、三頭山の方が車でのアプローチが難しくなってしまうことから、 降雪前に三頭山に登りたいと考え、順番を逆にした次第で、そのため三頭山登山後にできるだけ早く登りたかったのである。
ただ、1月22日に降った雪は予想外の降雪量であったため、色々と予定が狂ってしまい、2月に入ってからでも良いかと考えていたところ、 2月2日にまた雪が降るとの予報である。
これは下手をするとまた先延ばしになってしまうと考え、少し疲れ気味ではあったものの、急遽 1月31日に御前山に登ることにする。

1月31日(水)、5時過ぎに横浜の自宅を出発する。空には星が瞬いており、本日も快晴の予感がする。
東名高速道、圏央道と高速を乗り継ぎ、日の出ICで高速道を下りてからは、都道184号線を西へと進む。 進むに連れて道路周辺に残る雪の量は増え、都道251号線に入って梅ヶ谷峠を越える頃には、周囲は完全に白い世界となって少々ビビってしまう。
幸いスリップすることはなかったものの、先日の大雪時、この辺は大変な状況だったことであろう。
峠を越え、梅ヶ谷峠入口の丁字路を左折して都道45号線に入る。この辺も道路周辺には多くの雪が残っている。
慎重に車を進め、古里駅前の丁字路を左折して国道411号線 (青梅街道) に入り、 お馴染みの奥多摩町役場の奥にある Timesの駐車場に車を駐めたのは 6時40分であった。

車内で食事をとり、身支度をした後、奥多摩駅前まで戻って 7時発の丹波 (たば) 行きのバスに乗る。
乗客は小生 1人、バスの運転手はまだ乗っておらず、エンジンも掛かっていないので車内は寒い。
ふと、フロントガラス越しに駅の方を見ると、3人の登山者がバス待ちをしている。どこへ行くのだろうと思って帰宅後で調べると、 7時4分発の東日原行きのバスのようで、川苔山 (かわのりやま) や鷹ノ巣山に登る人達だったようである。
ほとんど暖房が効かない状態のままバスは国道411号線を奥多摩湖方面へと進む。
道路周辺に雪はかなり残っており、三頭山を先に登っておいて良かったとつくづく思う。

奥多摩湖には 7時15分に到着。バスを降りて小河内ダムの堰堤へと向かう。
まずは左手奥にトイレが見えたのでそちらで小用を済ませた後、再び堰堤の所に戻るが、周囲には御前山を示す標識が見当たらない。
そこで、堰堤脇にある守衛所にて道を聞くと、寒い中、わざわざ外まで出てきてくれて道を教えてくれた。感謝である。
7時20分、守衛さんに言われた通り、まずは堰堤を進む。
右手には奥多摩湖が広がっており、湖を囲む岸辺、そしてその後方の山々は雪で白く、寒々とした感じである。 手元に温度計はないものの、実際、周囲はキーンと冷え切った状態であるが、空には雲一つ無いので、太陽が顔を出せば温かくなりそうである。

道は右にカーブした後、真っ直ぐ堰堤の上を進む。ここはダムであるから、 堰堤の左側はコンクリートの斜面がかなりの急角度で下っており、その先に発電所、そして多摩川の流れが見えている。
堰堤を渡り終えるとそこは広場になっており、御前山へ行くには左に道をとる。ここまで足下に雪は全く無かったが、ここからは雪の原が続くようになる。
階段を昇り、ベンチのある公園風の場所を通過すると、御前山を示す標識が現れる。
雪に覆われた階段を昇り、階段が右にカーブしていくと、右に展望広場への道が現れるが、ここはまっすぐ進む。
石垣の斜面下をジグザグに登って、やがて尾根上に登り着く。時刻は 7時38分。
そこには標識が立っており、御前山は左となっているが、右に頂上広場があるので、奥多摩湖を上から眺めるべくまずはそちらへと進む。

雪が残る階段を昇るとすぐに頂上広場で、ここからは先程歩いてきた堰堤を含む小河内ダムと奥多摩湖の広がりを見ることができる。
奥多摩湖の後方に見える山々は朝日に輝き始めており、本日は予報通り快晴になりそうである。
少し早い気がしたのだが、折角ここにはベンチがあるので、ザックからチェーンスパイクを取り出して装着する。
その後、先程のダムからの道との合流点まで戻り、御前山に向かってまっすぐ進む。時刻は 7時45分。
ここからはすぐに急登が始まる。小さな岩と剥き出しになった木の根が目立つ狭い斜面を登る。足下には雪が無い所もあり、 やはりチェーンスパイク装着はまだ早かったのかもしれない。

一旦 小さなピークを乗り越した後、また登りが始まる。
高度を上げるに連れ、足下は一面の雪に変わるが、凍っている訳ではないので、チェーンスパイクがなくても登っていけるレベルである。
長い登りも漸く終わり、足下が緩やかになってくると、周囲は自然林から杉の植林帯へと変わる。道はほぼ平らとなり、再び周囲が自然林に変わると、 やがて前方に横に長い高みが見えてくる。あれがまずは目差すべき サス沢山であろうか ?
足下は落ち葉と雪が混ざる道となり、緩やかに下った後、また登りに入るが、この辺の勾配は緩やかである。

少し高度を上げて振り返れば、樹林越しに山が見えているものの同定が難しい。 後々、サス沢山頂上にある展望図にて、今 見えている山が榧ノ木山 (かやのきやま)、水根山と知る。
さらに少し進むと六ツ石山も確認できるようになるが、如何せん木の枝が邪魔で見通すことができない。
やがて、斜面の先に標柱のようなものが見えてくる。もうサス沢山かと思ったのだが、然にあらず、それは左に踏み込まないようにとの標識であった。

道はその高みから右の方へと緩やかに曲り、その先で左 植林帯、右 自然林の斜面を登っていく。 足下の雪もこの辺から量が多くなるが、踏み跡がしっかりあるので全く問題なく登っていくことができる。
展望の無い登りが長く続く中、漸くこの辺になって右手樹林越しに山が見えるようになる。
まず目に着いたのが黒川鶏冠山で、こちらから見ると御嶽をスケールダウンした形の独立峰のようなので少々驚かされる。
さらには大菩薩嶺も見えてくるが、やはり木の枝がかなり邪魔をしている。

蛇行して先へと続いている尾根を緩やかに登っていく。右手樹林越しには三頭山もチラリと見えるようになる。
足下の雪がさらに多くなってくると、斜面の先にウッドデッキのようなものが見えてくる。恐らくサス沢山であろう。
そのサス沢山 (頂上にある手製の標識には 『 指沢山 』 とある ) 頂上には 8時46分に到着。
左側は杉の樹林帯で展望は全く得られないが右側 (西側) は開けており、張り出したウッドデッキの上に立てば素晴らしい展望を得ることができる。
下方には奥多摩湖が見え、その複雑に入り組んだ入江の先には赤い橋も見えるが、先日 三頭山登山の時に渡った峰谷橋と思われる。
さらに、奥 (西) へと延びる奥多摩湖を目で追っていくと、湖の左奥に白い仏舎利塔を有する山が見えている。 傍らの展望写真によれば、この山は大寺山で、その後方の山が鹿倉山とのことである。

鹿倉山の右後方には、先程の黒川鶏冠山が独立峰のように見え、 さらに目を右に向けると、前飛竜、飛竜山を少しだけ見ることができる。
そして、鹿倉山の左後方には大菩薩嶺が見えており、そこから左に妙見ノ頭、熊沢山、天狗棚山、そして小金沢連嶺が続いている。
さらにその左側手前に三頭山も見えるのだが、木が邪魔をしているため、少し位置を変える必要がある。
また、峰谷橋の右手から立ち上がっている尾根は倉戸山に至り、さらに先程見えた榧ノ木山、そして水沢山へと続いている。

なかなかの展望に満足して、8時52分、先へと進む。ここからは杉の樹林帯となり、最初は緩やかな登りが続く。
道が少し下りに入ると、漸く周囲に陽の光が当たり始めて明るくなる。
暫く展望の無い登りが続くが、尾根が細くなってきたところで左側が少し開け、本仁田山 (ほにたやま) と川苔山が樹林越しに見えるようになる。 道の方は徐々に傾斜がキツクなり始め、少々喘ぐようになる。
漸く傾斜が緩み始めると、植林帯と自然林が入り乱れるようになり、道は緩やかな傾斜の広い斜面を横切るようにして右へと進み始める。
進む方向の先には高みが見えているが、あれが次に目差す惣岳山 (そうがくさん) であろうか ?

周囲が自然林に変わる中、少し岩が煩い狭い尾根を進む。前方には太陽があって眩しい。
再び傾斜が出始めると、道は小さな舟窪状地形の右側を進んでいくようになる。
雪は少し量が増えてくるが、明瞭な踏み跡がついているために歩き易い。
高みに登り着くと、暫く平らな道が続き、道が緩やかに左へとカーブする先に高みが見えてくるが、惣岳山であって欲しいところである。

やがて道はその高みに向かって登っていくようになる。
右側が少し開けた斜面を緩やかに登っていく中、ふと右手を見ると、樹林越しに富士山が見えたのでハッとする。
ただ、残念なことに枝が邪魔をしてなかなか見通せない。漸く数ヶ所で木々の隙間から富士山を見通せるようになったのだが、 手前を尾根が横切っていて、残念ながら五〜六合目より上が見える程度である。
それでも、新年に入って 3回連続して山から富士山を見ることができたことは嬉しい限りである。

明るい、土手のような斜面を登っていく。傾斜は徐々にキツクなり、 少し登って振り返ると、結構 高度を上げてきたことに気付かされる。
一旦、目の前の高みに登り着くと、傾斜は緩み、少しの間、緩やかな道が続いてホッとするが、その後、また急斜面に変わる。
傾斜が少し緩み始めると、右手後方樹林越しに日陰名栗山、雲取山が見えるようになる。
道はほぼ平らになってから一旦下り、その後 登りに入る。右手を見れば富士山もかなり迫り上がってきており、 今は目分量で三合目より上が見えているといったところである。
同じく右手に三頭山を見た後、道は山の懐に入り、急斜面の登りに変わる。
登る先に樹林越しの太陽を見ながら、雪の斜面をジグザグに登っていく。
息が切れ、空腹も覚えるようになるが、時刻は 10時過ぎ、そろそろ身体が休息を欲しているようである。

傾斜が緩み始めると、右手後方に雲取山がスッキリと見えるようになるが、 雲取山の右には日陰名栗山が見え、雲取山の左には小雲取山、七ツ石山が見えているので、その順番に少々感覚が狂う。
やがて、雪に埋もれた丸太横木の階段を喘ぎつつ昇り、その先で傾斜がかなり緩んでくると、前方に標柱が見えてくる。惣岳山である。
時刻は 10時22分。
ここは小さな頂上で、真ん中に標柱が立っている他、両端にベンチが置かれている。また、ここから右に小河内峠への道が分かれている。
なお、周囲を木々に囲まれているため、残念ながら展望の方はハッキリと見通せるような状況ではない。
ベンチの 1つに腰掛けて暫し休憩。ここまで何も飲み食いしていなかったため身体が水分を欲していたのだろう、 500mlのビタミンウォーターを一気飲みしてしまう。

10時35分に出発。ここからは植生保護のため登山道の左右にロープが張られているので、遊歩道を歩くような感覚である。
雪の斜面を下る。前方には御前山と思しき丸い高みが樹林越しに見えている。
斜面を下り切ると、暫く平らな道が続き、途中で左に体験の森 (奥多摩都民の森) への道を分ける。時刻は 10時39分。
また、ここには 『 御前山 0.4km、惣岳山 0.2km 』 と書かれた標識も立っている。

道は徐々に登りに入り、その後 斜面をジグザグに登っていく。
10時48分、道がほぼ直角に右に曲がる所に 『 御前山 0.3km 』 の標識が現れる。
ということは、惣岳山を出発してから 9分程経過しているにも拘わらず、僅か 0.1kmしか進んでいないことになる。
と思ったら、壊れて下に落ちている標識の片割れには 『 惣岳山 0.4km 』 とあるので、 先程の標識とは 惣岳山 − 御前山間の距離が異なっていると気付く。成る程、惣岳山−御前山間の距離が 0.7kmならば、 御前山まであと 0.3kmというのも頷けるところである。

ところで、上述のように道はここで右に曲がるのであるが、 左にかなり古いベンチが置かれた小スペースがあり、そこからの展望が良さそうなので寄り道をしてみる。
案の定、ここからの展望は良く、鷹ノ巣山、六ツ石山などが見えるとともに、 その後方に酉谷山 (とりたにやま)、天目山、蕎麦粒山、川苔山といった山々を確認することができる。
また、目を凝らすと、川苔山の左後方に白き山がうっすらと見えているが、どうやら日光白根山や皇海山らしい。

10時50分に登山道に戻り、先へと進む。
暫く登っていくと、ほぼ傾斜がなくなり、やがて南側が開けた、ベンチのある場所に飛び出す。
ここがどうやら御前山の肩らしい。時刻は 10時58分。
嬉しいことに、ここからは富士山をしっかりと見通すことができ、しかも富士山はかなり下方まで見えている。

そして、富士山の右側斜面が下った先には三ツ峠山、御巣鷹山が見えており、 さらに右に本社ヶ丸、御坂山、御坂黒岳といった山々が続いている。その山の連なりは一旦手前の 三頭山に隠れるが、 三頭山の右後方にはドーム型をした雁ヶ腹摺山が見え、さらに右に黒岳 (小金沢) を始めとする小金沢連嶺が連なっている。
そして、小金沢連嶺の右には天狗棚山、熊沢山、そして大菩薩嶺へと続く山並みが見えている。
なお、富士山の左側は木々が邪魔をしてよく見えない。

11時1分に登山道に戻り先へと進む。
ほぼ平らな道を進み、最後にひと登りすると、そこは三角点や立派な標識の立つ御前山頂上であった。時刻は 11時3分。
広い頂上は日当たりが良く、またベンチも置かれてはいるが、残念ながら周囲を木々に囲まれているため、展望は今一つの状態である。
辛うじて、南側が少し開けていて、そこからは大山、丹沢三峰 (たんざわみつみね)、丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸といった山々がシルエット状に見えている。
もう少し展望があると嬉しいのだが、国立公園内であるが故に木々などを伐採することはできないのであろう。

誰もいない山頂で十分に休憩をとった後、11時21分に先へと進む。
今朝ほど奥多摩駅の登山ポストに入れた登山届には、この後、鞘口山 (さやぐちやま)、大ダワを経て、鋸山まで進み、 そこから先日 大岳山に登るために辿ったルートを下って奥多摩駅に至ると記入してあるのだが、さて、久々の長丁場、どうなることやら・・・。
樹林帯をジグザグに下る。足下の雪はそれなりに量があるため、無雪期よりも下りやすい気がする。
11時27分に御前山避難小屋への道を左に分けた後、すぐに湯久保尾根を下って檜原村 (ひのはらむら) 方面へと下る道を右に分ける。

この分岐を過ぎると急傾斜も緩み、なだらかなスロープを下っていくようになる。
右手樹林越しには大岳山がチラチラ見えるようになるが、スッキリと見通すことができないのが残念である。
道は小さなアップダウンを繰り返すようになり、馬酔木のトンネルを抜けて暫く進むと、斜面を横切る日当たりの良い道が続くようになる。
当然、足下の雪は疎らになるが、この先 また雪が出てくることが分かっているため、チェーンスパイクを装着したまま進む。
思った通り、再び雪の道に変わり、また馬酔木のトンネルを抜けると、周囲は杉の植林帯に変わり始め、 左が自然林、右が杉の植林帯となった細い尾根を進んで行く。

やがて、左手前方樹林越しには鋸山と思しき山が見えてきたものの、結構 遠くに感じられる。 しかし、ここまで進んできたからには、そこを目差して進むしか帰る方法はない。
周囲が自然林に変わり、小さな高みを乗り越していくと、道は尾根の左側を進む少々狭い道を通る。滑落しないように慎重に進むが、 嬉しいことにここでは樹林の間から大岳山が見通せるようになる。
ここからの大岳山は、台形の頂上部のイメージとは違って丸いドーム型をしていてなかなか魅力的である。 鋸山に到着した時にスタミナが残っていれば往復しても良いかな といった考えも思い浮かぶようになる。

さらに少し進むと、今度は樹林越しに蛭ヶ岳、檜洞丸、大室山といった丹沢方面が見えてくる。
その後、一旦下って目の前の高みに登っていくと、そこには標識とベンチがあり、標識には 『 クロノ尾山 』 と書かれていた。
但し、ここは樹林に囲まれていて展望は無い。時刻は 12時2分。
休むことなくそのまま素通りして下りに入る。緩やかに下った後、ほぼ平らな道が続くが、その先に結構高い高みが見えてくる。
あれが鞘口山かと思い、あの斜面を登るのは少々疲れが出てきた身体にはかなりキツイなと思っていたところ、嬉しいことに道はさらに下った後、 その高みの左側を巻いて進んで行く。どうやら鞘口山ではなかったようである。

道はその高みを巻きながらも徐々に高度を上げていき、やがて尾根上に辿り着くと、杉の植林帯を直登するようになる。
息を切らせつつ登り、やがて、傾斜が緩んでくると、先の方に平らな場所が見え、そこにはベンチも確認できる。
ベンチ前を通って少し右に回り込むと、そこには 『 鞘口山 』 の標識が立っている。時刻は 12時22分。
また、もう一つの標識には 『 ← 大ダワ 0.9km 』 と書かれている。
この鞘口山も展望は無く、大ダワも近いことから、休まずに先へと進む。
なかなか急な斜面をジグザグに下り、その後 細い尾根を真っ直ぐに進む。左側は自然林、右側は植林帯である。
小さな高みを越え、下り斜面に入ると、前方に再び鋸山が見えてくる。結構 高さがあり、登るのを回避したい思いが湧いてくる。

緩やかに下って行くと、また登りになるが、登り着いた高みにはベンチがあったものの標識などはない。
再び下りに入り、少々狭くなった尾根を進んで行く。やがて前方に標識が見えてきたので、大ダワが近い と期待したのだが、 標識は 『 この先 足下注意 』 との注意書きであった。
道は再び登りとなり、右が杉の植林帯、左が自然林の狭い尾根を登っていく。登り着いた所にはこれまたベンチがあり、 ここからは目の前に鋸山が見えている。
鋸山はかなり高く見える上に、その基部に辿り着くまでにさらに高度を下げていかねばならないので、高低差がかなりあるように思われる。
しかも、鋸山に登っても展望などはないことは分かっているので、鋸山への登りを避けたいとの思いがますます強くなる。

緩やかな下りに入ると、道の脇に低い石垣のようなものが現れたので、 かつてはここに小屋が建っていたのかもしれない。と思って帰宅後に古い地図を調べると、 そこには 『 鋸山避難小屋 』 の文字があったのだった。
やがて、下方に道路が見えてきて、左側から回り込んで道路に下りると、そこはトイレのある大ダワであった。時刻は 12時48分。
時間的にはまだ余裕があり、体力の方も残っていそうなので、ここは大岳山を往復しても良いかなとの気持ちが強くなる。
とは言え、かなり距離があるので、まずは鋸山の直下まで進み、道が 2つに分かれた所でどうするか決めることにする (その分岐は、左に進めば鋸山、 右に進めば鋸山には登らずに大岳山方面に行けるようになっている)。

道路を横切って、標識に従って樹林帯に入る。右手に杉の植林帯、左に自然林を見ながら狭い尾根を登っていく。
少し雪が深くなるが、ここもしっかりトレースがついているので不安は全く無い。
少し急な斜面を登り切ったところが件 (くだん) の分岐点で、ここは迷うことなく右に道をとって大岳山へと向かう。時刻は 12時55分。
というのは、この分岐までの間に方針を決めていた次第で、このまま鋸山の方に進んで下るだけというのも面白くないと考えたからである。
しかしそうなると、下山する時に山中が相当暗くなることが懸念されるが、その場合は大ダワから鋸山林道を下れば解決する訳である。

まだ少々細い檜の林の中、斜面を横切りつつ高度を上げていく。
と、ここで本日初めて登山者と擦れ違う。聞けば、この後 鋸山林道を下るとのことで、小生も大岳山往復の後、状況によってはそれに倣うことにする。
鋸山と大岳山を結ぶ縦走路には 13時2分に合流、右へと進む。ここからは 1月2日に一度通った道となるが、 雪があるために少し雰囲気が違っている。

途中、前回と同じ場所で富士山にカメラを向けたものの、さすがにこの時間になると、富士山は白っぽくなって周囲に紛れ気味である。
先程その頂上に立った御前山の姿を右に見つつ、道を進む。
ここからは緩やかな道が続くという記憶があったのだが、結構アップダウンがあってキツイ。
鋸山以降は道が楽になるという印象が強く残っていた訳であるが、それは鋸山までの登りがかなりキツかったためにそのように強く感じただけで、 実際の道は決して楽ではない。それでも、鋸山以降、いくつかの高みは巻くようになっているのがありがたい。

オキノ岩と書かれた小さな木の棒が立つ高みを 13時19分に通過。その後も小さなアップダウンを繰り返す。
そんな中で目の前の高みを巻く道が現れるとやはり嬉しい。御前山を出発してからここまで全く休んでいないため、 かなり身体の方はキツクなってきている。
目の前の高みを巻く、あるいは直登するという状況に一喜一憂しながら進む。
一方、この辺はほぼ記憶にあるので、まだ ○○ が現れていないなど分かってしまって、それが少し心を挫けさせる。

それでも、いくつ目かの巻き道にて杉の植林帯を抜けると、先の方に大岳山の姿が見えるようになり、頑張ろうという気にさせられる。
しかし、まだまだ距離がありそうである。
13時56分に馬頭刈尾根との分岐を通過、左に回り込んで目の前の高みに取り付く。
急斜面を登り切ると、暫く平らな道が続くが、その先には最後の高みが待っている。
徐々に傾斜が出始め、岩場を越え、鎖場を越えて登っていく。大岳山山頂はもうすぐと分かっているものの、それだからこそ、 この最後の登りはキツク感じられる。

丸太横木の階段を昇った後、少し傾斜が緩んでくると、先の方に石垣が見えてくる。
前回は、そこから右手に見えた道を進んでしまい、頂上直下を通り過ぎて、御岳山側から頂上に辿り着いたのだったが、 今回は標識を過ぎた所で右の道へは進まず、石垣の間を抜けて左手の小さな斜面を登る。
そして、14時20分、大岳山山頂に到着。さすがに平日、しかもこの時間では頂上に誰もいない。
また、この頃になると空には薄い雲が掛かり始めているため展望の方も霞み気味で、富士山もボンヤリとしている。
その他の山々も逆光気味ということもあって、墨絵を見ているような感じであるが、それでも何とか山の形は確認できる。
丹沢方面は本当にうっすらとしか見えず、大菩薩嶺、雲取山なども少し滲んだ感じである。三頭山もうっすらとしか見えないが、 さすがに目の前の御前山は黒く堂々としている。

ずっとここで休憩していたかったのだが、この後の行程も長いので、14時31分に下山開始、先程 登ってきた道を戻る。
14時46分に馬頭刈尾根分岐まで下り、オキノ岩を 15時18分に通過、そして大ダワへと下る分岐には 15時34分に戻り着く。
時間を考え、やはり樹林帯の中となる鋸尾根を下るのは止めにして、道を左にとって大ダワへと向かう (本心は鋸山への登りは避けたい)。
件の分岐を 15時39分に通過、そして大ダワには 15時42分に戻り着く。
ここからは林道を下れば良いだけなので多少暗くなっても大丈夫のはずである。
とは言え、地図ではここから奥多摩駅まで 1時間50分となっているので、かなりの長丁場を覚悟せねばならない。

最初は雪を蹴散らしながら林道を下る。下る途中、左手を見れば、 日陰名栗山と雲取山が重なるように見えており、さらに飛竜山、前飛竜もシルエット状になって見えている。
また、御前山と思しき高みに、今や太陽が沈まんとしている状況である。
雪の道もそう長くは続かず、やがて工事のために除雪された状態になる。ここで漸くチェーンスパイクを外したが、本日は大変活躍してくれたと思う。 雪の無い場所を歩くこともあったが、チェーンスパイクならローインパクトであり、ご容赦願いたいところである。
かなり傾斜のある林道であるが、ヘアピンカーブを 3箇所程通り過ぎると傾斜は緩み始める。道路の真ん中に止められている ミニパワーショベルなどの建設機械の間を抜け、さらには斜面の工事をしている横を進む。

林道は除雪されているものの、所々に圧雪された状態で残っており、その上を歩く場合は要注意である。
黙々と林道を下り、やがて大沢沿いに進むようになると、木々しか見えなかった道の先に漸く建物が見えてくる。 どうやら、東京都森林組合関係の建物のようである。
さらに下り、愛宕山への山道を右に分けると、やがて多摩川南岸道路の上を渡り、すぐに国道411号線に合流する (弁天橋)。
時刻は 16時57分。
右に折れて国道沿いに進み、途中の自動販売機でファンタグレープを買ってノドを潤した後、奥多摩駅前の Times駐車場には 17時16分に戻り着いたのであった。

本日は、奥多摩三山の最後となる御前山に登り、雪山を大いに楽しんだのであったが、展望に関しては少々物足りなさを感じたのだった。
そのためか、結局 大岳山まで足を延ばしてしまったのだが、これも林道歩きという手が最後に残っていたからできたことである。 暗くなっていく中での山道のアップダウンは辛い。
なお、左膝は相変わらず痛むものの、雪の上だとあまり負担を感じない状態であったのが嬉しい。


奥多摩の山 第二弾は三頭山  2018.2 記

1月2日に奥多摩の大岳山 (おおだけさん、おおたけさん)、そして御岳山 (みたけさん) に登ったが、 低山とは言えなかなか登り応えがあり、大変楽しかったことから、当分は奥多摩の山に登ることにする。
というのは、近頃は何回も登った山に行くことが多くなり、山登りもややマンネリ化してきたところがあるからで、 そうした中で初めての山域となる奥多摩はかなり魅力的に思われるからである。
そして、登山歴 30年、自宅から近いにも拘わらず低山が多いということで、奥多摩の山を無視してきたことを大いに反省したのでもあった。
尤も、雲取山に登る際に併せて何回か登っている鷹ノ巣山や七ツ石山は厳密に言えば奥多摩の山なのかもしれないが・・・。

さて、そうした状況の中での奥多摩の山 第二弾であるが、三頭山 (みとうさん) に登ることにする。
当初は大岳山山頂から見て惹き付けられた御前山 (ごぜんやま) に登るつもりであったのだが、天気予報では 21日が雪になる可能性があるとのことで、 雪が降ると小生の車ではアプローチが難しくなりそうな三頭山の方を先にした次第である。
この三頭山は、大岳山、御前山とともに奥多摩三山の 1つであり、奥多摩の山に登るに際しては是非とも押さえておきたい山である。

1月16日(火)、5時半過ぎに横浜の自宅を出発する。空には星が瞬き、本日は予報通り快晴のようである。
先日の大岳山の時と同じルートを辿り、最後は古里駅前の丁字路にて国道411号線に入って奥多摩湖を目差す。 水根を過ぎ、大麦代トンネルを抜けて奥多摩湖沿いに進んでいくと、やがて前方左手に赤い峰谷橋が見えてくる。
その橋は渡らずに、橋の手前の信号を右折して、すぐ左にある駐車場に車を入れる。時刻は 7時25分。
車内で朝食をとり、駐車場のトイレをお借りした後、身支度をして 7時31分に出発する。

信号の所で交通巡視をしていたお巡りさんに奥多摩湖に架かる浮橋までの道を確認した後、長さ 125mの峰谷橋を渡る。
続いて馬頭トンネルを抜けると、すぐ左に小河内神社バス停があり、そばに 『 ← 浮橋を経て三頭山 』 と書かれた標識が立っている。
標識に従って左に進んで右手下方を見れば、奥多摩湖の広がりとともに、そこに浮かぶ浮橋が緩やかな弧を描いて向こう岸まで繋がっているのが見える。 時刻は 7時35分。
コンクリートの階段を下り、浮橋に足を踏み入れる。昔はドラム缶が浮きとして使われていたようであるが、今は大きな合成樹脂製のフロートが使われており、 その上に 4m程の簀の子状の板が何枚も繋げられている。

この浮橋に入る所に 『 浮橋は、ゆれます。気をつけて渡って下さい 』 との注意書きがあるが、 確かに揺れるし、板から板へと渡る際に自分の重みで板がシーソーのように小さく上下する。
また、本日は板が乾いていたので問題なかったが、寒い時などは板の上に霜が降りたり、湖の水を被って板の上が凍ってしまったり、 さらには積雪も考えられる訳で、その際は大変危険であろう。冬は通行止めになることも考えられるので事前に情報を得ておくことが重要である。
それでも、その揺れを結構 楽しみながら浮橋を渡り切り、階段を昇っていくと、昇り着いた所から左に 『 湖畔の小道 』 と呼ばれる遊歩道が始まる。 また、そこには三頭山登山口までの地図も置かれている。時刻は 7時42分。
なお、この階段を昇っている時に左膝に痛みを感じる。平地を歩いている時や階段を下る時には痛みを感じなかったが、 階段を昇って初めて左膝の調子が良くないことに気付いたのであった。本日は急登が待っているはずなので、苦労しそうである。

この遊歩道は右手の崖上を通る奥多摩周遊道路と、左下の奥多摩湖との中間に設けられている平らな小道で、 湖を見ながら進む。
やがて、道が右に大きくカーブした先に、遊歩道から離れて右手の斜面を昇る階段が現れる。左膝に気を遣いつつその階段を昇ると、 上部にある奥多摩周遊道路に飛び出す。時刻は 7時48分。
ここからは車道を右に進む。先程の遊歩道の分岐点に 『 三頭山登山口 0.9km 』 と書かれた標識があったのだが、 階段下から 0.9kmにしてはなかなか登山口が現れない。少々心配になって工事の準備をしていた方に聞くと、もっと先だという。

まだかと思いつつ歩いて行くと、やがて道路左側に続く法面が一旦小さく切れる場所があり、 そこに三頭山登山口を示す標識があったのだった。時刻は 7時57分。
よく見ると、そこには沢山の標識があるのだが、ほとんどが錆びていたり、汚れていて見にくい状態なので、見落とす可能性もある。
法面の切れ間に入り、右手に再び延びていく法面の裏手を登る。
すぐに、左手の斜面に取り付くようになり、落ち葉の多い道をジグザグに登っていく。
左膝の調子は今一つであるが、ユックリと進めば何とかなりそうである。
周囲はすぐに杉の植林帯に変わり、左に大きく回り込んだ後は、ほぼ直線の登りが続くようになる。
傾斜はそれ程キツクないため左膝が痛むことはないものの、スピードを上げたりして負荷をかけるのは禁物である。

展望の無い登りが続く。周囲は自然林と植林が入り混ざった感じであるが、総じて植林帯が多いような気がする。
傾斜がやや緩んでくると、右手下方樹林越しに奥多摩湖とそこに架かる橋が見えてきたが、恐らく国道411号線から分岐する国道139号線に架かる深山橋であろう。
この辺は暫く杉の植林帯が続く。単調な登りに嫌気が差すが、上方には稜線が見えているので、あそこまで登れば状況が変わるのではとの期待が持てる。
斜面を小さな振幅にてジグザグに登り、その稜線上に登り着くと、周囲は自然林に変わるとともに、明るい日差しを浴びるようになるが展望は開けない。 道の方は平らになったもののすぐに登りに変わり、左に植林帯を見ながら自然林の尾根を登っていく。

小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていくと、後方の樹林越しに山が見えるようになる。 枝が邪魔をして良く見通すことができないが、恐らく日陰名栗山、鷹ノ巣山であろう。
登りはまだまだ続く。それ程苦しい登りではないが、単調なのが辛い。
それでもやがて左手に御前山らしき山がチラチラ見えるようになり、右手には北奥千丈岳、国師ヶ岳や飛竜山が見えてくるようになる。
さらには日陰名栗山、鷹ノ巣山も先程よりはよく見えるようになるが、如何せん枝が邪魔をして見通すことができない。

尾根が狭くなり、やがて傾斜が緩んでくると、緩やかに右にカーブしていく道の先に道標と三角点が見えてくる。
イヨ山に到着である。時刻は 9時4分。
このイヨ山は道標がなければ気付かずに通過してしまうような狭い頂上で、樹林に囲まれて展望はほとんど無い。
冬枯れの今であるから樹林越しに奥多摩湖や鷹ノ巣山が確認できるが、葉が茂る時期には全く展望はないことであろう。
ここは休まずにそのまま先へと進む。
下り斜面に入る所で右手には小金沢連嶺、大菩薩嶺などが見えてくるが、こちらも木々が邪魔でスッキリと見通せずストレスが溜まる。
と思ったら、下った先にて大菩薩嶺、そして北奥千丈岳、国師ヶ岳をしっかりと見通せるようになる。本日初めての邪魔するもののない展望である。

ここから登りに入るとなかなかの急登が続く。まっすぐに登ることが多いので、そういった状況が苦手な小生には苦しい。
しかも、左膝に気を遣いながらの登りなので、ますますペースが上がらない。
漸く登り着いた高みは少し広く、先程のイヨ山よりも山の頂上らしい感じであるが、ここには何も標識が無い。
前方には三頭山らしき山が見えているものの、まだまだ遠く、そこに至る迄に越えて行かねばならないピークもいくつかあるようである。
道は再び大きく下った後、暫くは細く平らな尾根を進み、その後 登りに入る。そして、小さな高みに登り着くとまた下りが待っており、こうしたパターン続く。
この頃になると樹林の中にも日が差し込んで気持ちが良いが、このアップダウンは結構 応える。

自然林と杉の植林が交互に出てくる中、いくつかの小さなピークを越えて行くと、やがて道はかなりの急登となる。
杉の林の中、途中に短い踊り場を挟みながらの急登が続く。見上げれば、登る斜面の先、樹林の間から太陽が見えている。
杉林のため、下草のない乾いた斜面を小さな振幅にてジグザグに登る。
息が上がり、また左膝にも気を遣いながらのため、少し登っては立ち止まって上を見上げるという動作が多くなる。
漸く傾斜が緩んで喜んだのも束の間、すぐに道は小さく下り、その先にまた急斜面が待っている。
足下には露岩が多く見られるようになり、お助けロープも現れる。
ただ、左手を見れば御前山がよく見えるようになり、さらにはその右手後方に台形の頂上を有した大岳山も確認できるようになって少し元気を貰う。

露岩帯を抜け、傾斜がかなり緩くなると、登り着いた所がヌカザス山であった。時刻は 10時2分。
地図ではイヨ山からこのヌカザス山まで 1時間となっているところ、小生は 58分、膝の状態を考えると上出来であろう。
なお、標識ならびに地図もこの山の名はカタカナで表記されているが、標識の傍らにある手製の標識には 『 糠指山 』 と書かれている。
頂上は樹林に囲まれてスッキリとした展望は得られないものの、さすがに空腹を覚え、さらには急登で体力を消耗したので暫く休憩することとし、 10時12分に出発する。
ムロクボ尾根経由の奥多摩湖からの道を右に分け、一旦大きく下った後、小さなアップダウンを交えて高度を上げていく。
少しずつ展望も開けるようになり、後方には雲取山が見えるようになる。

やがて道は一旦大きく下った後に登りが続くようになるが、後から考えるとその登り手前の鞍部が 『 ツネ泣峠 』 だったという気がする。
しかしその時は気付かずにそのまま登りに入ってしまう。
落ち葉が敷き詰められた斜面を登っていく。ここも急登が続くが、先程のヌカザス山手前に比べればこちらの方は楽である。
一旦 緩やかになった道は目の前に丘のように見えている高みに向かって登っていく。その高みの頂上にはやや古い標識があり、 そこには 『 入小沢ノ峰 』 と書かれていた。時刻は 10時42分。
また、標識には 『 ツネ泣峠・ヌカザス山 → 』 とも書かれていたので、やはり先程の鞍部がツネ泣峠であったのだろう。

ここからはほぼ平らな道が続くようになってホッとする。 先の方を見やれば、三頭山らしき山が見えているが、まだ距離がありそうである。
平らな道も下りに入り、下り着いたところにやや朽ちかけた標識が立っており、作業道が右手後方に下っている。時刻は 10時46分。
ここからは平らな道の後、緩やかな下りとなる。
左手樹林越しには大岳山、御前山が見えている。奥多摩三山の中で大岳山が一番低いのであるが、その特徴ある形故に 3つの山の中で一番目立っている。
再び登りに入り、その後、小さなアップダウンはあるものの、暫く緩やかな登りや平らな道が続く。

やがて、道は登りが続くようになるが、こちらは先程までの登りに比べたらかなり楽である。
一旦 小さな高みを登り越すと、その先に鶴峠への分岐が現れる。時刻は 11時5分。
そこにあった古い標識には 『 御堂峠 1.0km、三頭山 1.1km 』 とある。この 1kmというのが曲者で、平地なら 10分程であるが、 山ではかなりの時間を要することになり、地図でもここから御堂峠まで 35分となっている。まだまだ遠い。
最初 平坦な道から徐々に傾斜が増してくるものの、それ程キツクはない。露岩の間を抜け、ブナが目立つようになった道を緩やかに登っていく。 先の方には三頭山と思しき高みが見えており、その距離はかなり縮まってきているのが分かる。
道は一旦下りに入った後、また緩やかな登りに入る。前方には横に 2、3つ高みが並んでいるのが見えている。
道は、その高みと高みの間に向かって左へと曲がって行くが、途中に右の高みに向かう道が見えたので、 こちらが三頭山西峰に直登する道に違いないと当たりをつけてそちらの道に入る。

やや、急な斜面を登るが、目の前の高みまではそれ程 距離はない。
そして、高みの先に太陽を見ながらユックリ登っていくと、思った通り西峰の一角に登り着く。左手には標識やベンチが見えている。
平らな道を左に進んで 『 三頭山 奥多摩三山(西峰)』 と書かれた標識の前に到着する。時刻は 11時33分。
さすがに平日とあって、ここまで誰にも会わず、そしてこの頂上も無人である。
なお、小広い頂上は南側と北側が開けており、そこからの展望は素晴らしい。
まずは南側に進めば富士山が美しい姿を見せている。このように山頂に登り着いて初めて富士山が見える山というのは小生好みである。
富士山は円錐形の均整のとれた姿を見せてくれており、先の大岳山でもそうであったが、そのシンメトリーを崩しがちな左斜面の宝永山も、 ここからはあまり気にならない。

富士山の右斜面が下る先には三ツ峠山、御巣鷹山が見え、その右に本社ヶ丸、御坂黒岳といった山々が続いている。
御坂黒岳の右手前には滝子山と思しき山が形の良い姿を見せているものの、残念ながらそのさらに右側は樹木に遮られてしまっている。
一方、富士山の左斜面が下る先には杓子山、鹿留山が見えているが、さらに左側は木々が邪魔をして見ることができない。
なお、傍らに置かれている展望図 (写真) には、さらに左側の御正体山も写っている。しかし、御正体山は少し場所を移動して、 辛うじて木々の間に見えるという状況である。

さて、今度は北側に移動すると、こちらは南側よりも見える範囲が広がる。
左手の飛竜山は木の枝によってほとんど見えないが、そこから右に延びる尾根は、途中に三ツ山を挟んで雲取山へと続いている。
その尾根の後方にも山が見えており、恐らく和名倉山ではないかと思われる。
雲取山はやや鈍角ながらも美しい三角形を見せており、さらに右に芋木ノドッケ、高丸山、日陰名栗山、鷹ノ巣山が続く。
鷹ノ巣山からさらに右にも尾根が続くが、この辺はあまり馴染みのない地域のためほとんど山名が分からない。
ただ、右に緩やかに下って行く尾根が再び盛り上がっている所にある山は六ツ石山と思われ、その右後方に見える三角形の山は蕎麦粒山であろう。

また、鷹ノ巣山から六ツ石山を結ぶ稜線の後方に見えるのは天目山 (三ツドッケ) と思われる。
また、目を良く凝らすと、六ツ石山の後方にうっすらとながらも山が見える。帰宅後写真を拡大すると、日光の太郎山、男体山、女峰山と判明したのであった。
そして、蕎麦粒山から右に延びる尾根を辿っていくと、なかなか形の良い山が見えている。 傍らにある展望図を見ると、どうやら川苔山 (川乗山) のようである。

なお、余談ではあるが、 傍らの展望図には 『 秩父多摩国立公園三頭山中峰 (標高 1,527.4m) 展望図 』 とのタイトルがついている。
ここは西峰のはずだが と思いつつ、帰宅後調べてみると、ここは西峰であるにも拘わらず かつてここにあった指導標に 『 中央峰 』 と記されていて、 その名が暫くの間 定着していたらしい。恐らくその名残であろう。
但し、現在の西峰に置かれている標識には、標高 1,524.5mと記されている。

富士山を見ながら食事をし、その後 再び富士山を撮っていると、 奥多摩湖とは三頭山を挟んで反対側にある都民の森方面から 2人組が登ってきた。本日初めて山中で会う登山者である。
12時丁度に下山開始、東側の御堂峠へと下る。
ほぼ真っ直ぐに下り、最後は丸太横木の階段を下れば御堂峠である。時刻は 12時2分。
この御堂峠からは多くの道が分かれている。左が奥多摩湖方面、右が三頭山避難小屋、ムシカリ峠、槇寄山方面、 そして正面左手の道が中央峰、東峰、展望台を経て鞘口峠、御前山へと通じ、正面右手の道が中央峰、東峰を巻いてやはり鞘口峠、御前山へと繋がっている。
なお、先程の 2人が登ってきた都民の森へは、ムシカリ峠、鞘口峠どちらからも下ることができる。

ここは当然 正面左手の道を進み、まずは中央峰を目差す。
丸太横木の階段をひと登りするとベンチのある小さな広場に登り着き、その先に中央峰の標識が立っている。時刻は 12時6分。
ここの標高は 1,533mとなっているので、先程の西峰、そしてこれから向かう三角点のある東峰よりも高いことになる。
この中央峰は樹林に囲まれていてほとんど展望が得られないため、そのまま素通りして東峰へと向かう。
三角点のある東峰到着は 12時7分。ここの標識には標高 1,527.5mと記されている。 先程の西峰にあった展望図の高さ表記はここの標高を示したものであろう。0.1m違うが、近年、再計測で標高が変わることは多々あることである。
但し、国土地理院の地図ならびに手元の地図では、中央峰の標高が 1,531m、東峰の標高が 1,527.6mとなっている。

この東峰もほとんど展望はないが、それでも樹林の間から特徴ある大岳山の姿を見通すことができる。
しかし、さらに少し進むとウッドデッキの展望台があり、そこからは惣岳山 (そうがくさん)、御前山、大岳山、馬頭刈山といった山々が何も遮るもの無く見通すことができる。
本来であれば、これらの山の後方にスカイツリーなども確認できるらしいのだが、こちら側は少し曇り気味で平地の確認は難しい。
暫し景色を堪能した後、12時12分に展望台を後にする。少し下れば、御堂峠からの巻き道に合流するので左に道をとる。
この道は 『 ブナの路 』 というのだそうで、約 1,500mと書かれた標識が立っている。
最初は平らな道が続き、その後 緩やかに高度を下げていく。途中にいくつかの高みが現れるものの、道は概ねその高みを巻いていく。
中には高みに登る明瞭な道もあるが、そこには 『 この先 行止り 』 の標識が置かれている。

方角的には東に進んでいるため、この道は日当たりが良く、気分良く進んで行くことができる。
緩やかな道もやがて少し下り傾斜がキツクなるが、それも長くは続かない。
ブナの路というだけあって周囲にはブナが多く見られ、また途中には 『 東京都で、まとまって残っているブナ林は、ここ三頭山と日原川流域だけで、 大変貴重なものです。ふつう、ブナの林床にはササ類が密生していますが、ここは大変少なく、学術的にも注目されています。 』 と書かれた標識が立っている。 確かに周辺にササ類は見られず、こういう解説は勉強になる。
葉の落ちた明るい道が続いていたが、やがて馬酔木を見た後は杉の林に入っていく。すぐに右へと下る道 (コマドリの路、野鳥観察小屋へ) が現れ、 その少し先で道が二手に分かれる。時刻は 12時34分。

右は先程から続いている ブナの路で見晴し小屋を経由して鞘口峠 (さいぐちとうげ) へ通じ、 左の道は 『 登山道 』 となっていて同じく鞘口峠へと続くものである。
ここは登山をしているという自負から登山道を選ぶことにするが、『 迂回路一部、岩盤ヶ所あり 通行注意! 冬期間は凍結あり 』、 『 道幅狭し 足元注意 』 との注意書きがあるので慎重に進む。
どちらの道も樹林帯であるが、ブナの路が高みの南側斜面を横切って進むのに対し、こちらの登山道は北側を横切っていくので、 確かに積雪期には厳しいかもしれない。実際は、確かに道幅は狭いものの、凍結さえしていなければそれ程気にする必要は無い。

この登山道の距離は短く、12時37分には再び ブナの路と合流するが、 その少し先でまた登山道と ブナの路とに分かれることになる。
時刻は 12時39分。
当然 左に道をとって登山道を進む。北側を進んでいるため、左手樹林越しの下方には奥多摩湖の湖面が見えているものの、 枝が邪魔をして被写体にはなりにくい。
小さなアップダウンを経ながら進んで行くと、左手樹林越しに御前山が見えてくる。夏場であれば、もう少し早立ちをして御前山までの縦走も可能かもしれないのだが (地図では三頭山から御前山まで 3時間50分ほど)、現在は体力面も含めてとても無理である。
実際、御前山はかなり遠くに見え、その間に多くの峰がある上に、御前山の前衛峰とも言える惣岳山への登りがかなりキツそうである。

12時48分に再び ブナの路と合流する。ブナの路側を見ると、この登山道と違って陽が当たってかなり明るい。
しかし、ここからの下りは明るい斜面が続く。小さな岩が露出し、岩屑が散らばる場所を過ぎて、一旦平らな道に入った後、道は急斜面に入り、 小さな振幅にてジグザグに下って行く。そして、下り着いた所が鞘口峠で、時刻は 12時58分。
直進が月夜見山、御前山方面で、右が都民の森、そして奥多摩湖へは左 (北) に下ることになる。
なお、ここにも先程の三頭山展望台と同様ウッドデッキがあるが、如何せんここは高度がないので、展望は得られない。 唯一、ここから南に下って行く谷の向こうに山が見えるものの名前は分からない。

ウッドデッキに置かれているベンチに腰掛けて暫し休憩し、13時4分に出発。
標識に従って、北側の奥多摩湖、山のふるさと村方面へと下る。標識には山のふるさと村まで 3.0kmとある。
ザレて滑りやすい斜面をジグザグに下っていくと、すぐに丸太の横木階段の道になる。道の両側にも丸太を横にした低い柵が造られているが、 これは斜面の崩れを防止するものであろうか。
また、見上げると、樹林の間に雲取山が見えている。
なお、この丸太の階段は、下って行く谷に沿ってかなり長く続いており、その姿は万里の長城を彷彿とさせる。

雲取山、飛竜山を見ながら下って行くと、道は涸れ沢を横切って左岸から右岸に移る。
やがて、左下に続く涸れ沢にも水が見られるようになるが、水量が少ないためなのか、最早 その水は凍っている。
それでも少しずつ水は流れているようで、少し落差のある場所では凍った水の上を流れる水が少しずつさらに凍って、 氷の固まりを成長させているようである。
長く続いた丸太階段もやがて終わりとなり、谷沿いの山道に変わる。傾斜は緩やかなので歩き易いが、既にかなり谷に入り込んでいるので展望は全く無い。 その後は、沢を渡ってはまた渡り返すということが続く。

やがて周囲は自然林から杉の植林帯へと変わり、そこを抜け出すと水の流れがハッキリと見えるようになる。
そして、『 山のふるさと村 1.3km 』 の標識を見ると、すぐに車道に飛び出す。時刻は 13時47分。
この車道は今朝ほど歩いた奥多摩周遊道路で、登山道の方は車道を横切ってすぐにまた樹林帯に入る。
しかし驚いたことに、そこには 『 山のふるさと村 1.5km 』 の標識があるではないか。距離が増えてしまったことにガッカリするとともに、 同じ東京都の標識なのに・・・とお役所仕事のいい加減さに若干怒りを覚える。
道は少し下った後、サイグチ沢に沿って進んでいく。先程通ってきた谷もこの沢の源流の一つであるが、他からも水が集まっており、 流れる水量はかなり多くなっている。

少し道が崩壊している場所を過ぎて暫く進んで行くと、道は沢を渡った後、斜面を登り、その先で古びた神社の前に飛び出す。
時刻は 14時3分。
神社の傍らにあった説明書きを読むと、この神社は賀茂神社とのことで、かつてここに 30戸程あった集落の氏神様 (鴨別雷神 : かものわけいかずちの神) を祀っていたとのことである。
しかし、氏子達も、小河内ダム建設着工に伴ってこの地を離れざるを得なくなり、氏神様は今朝ほどの浮橋近くにある小河内神社に合祀されたとのことである。
神社の前にある岩を削って造った手水鉢も苔むしており、また社殿前にある小さな祠と思しき建造物も今や山に飲み込まれようとしていて、侘しげである。

神社を後にして、小河内ダム建設によって古里を去らざるを得なかった人々の心情に思いを馳せながら進んでいくと、 突然キャンプ場に飛び出して、やや興ざめする。山のふるさと村の一角に到着である。時刻は 14時6分。
車道を進み、キャンプ場を抜けていく。やがてサイグチ沢に架かる太子橋が現れるが、 この先どう進めば良いか迷ってしまう。
そこで 5分程休憩をとりつつ、地図を調べ、とにかくまずはビジターセンターへ進めば良いと知る。
14時18分、ビジターセンターを示す標識に従い、橋の手前を右折してサイグチ沢沿いの道に入る。
見上げれば、日陰名栗山、高丸山がよく見えている。
ビジターセンターには 14時25分に到着。ここからもどう進めば良いか少々迷うが、ビジターセンター前にある手書きの地図を見て、 奥多摩湖沿いに浮橋へと進む道を知る。

トイレ休憩などの後、14時29分にビジターセンター左下にある道に入る。
少し進むと 『 浮橋 1850m 』 の標識があったが、数字がやけに細かいのが気になるところである。
途中、道の真ん中にいた猿に驚かされたものの (猿の方も驚いて斜面に逃げ込んだ)、後は黙々と奥多摩湖湖畔沿いに進み、 今朝ほどの三頭山への分岐を 14時55分に通過、浮橋の取り付き口には 14時59分に戻り着いたのであった。
そして、浮橋を渡り、馬頭トンネルを抜け、峰谷橋を渡って駐車場には 15時9分に戻り着く。

本日は、好天に恵まれた中、なかなかハードな三頭山のヌカザス尾根に挑んだが、 調子が今一つであった左膝も途中から気にならなくなり、また山頂では素晴らしい展望も得られ、大変満足のいく山行であった。
また、山中では 2人にしか会わず、静かな山登りを楽しめたことも嬉しい。
さて、こうなると次は御前山ということになるが、こうして次の山が決まっており、しかもそれが初めて登る山ともなると、 山に登る意欲が増してくるのであった。


2018年 初登山は大岳山  2018.1 記

2017年は、家のリフォームに伴う引越 (仮住まい。引越の準備が本当に大変だった。)、 体調不良、膝痛、そして自治会の仕事が入ったことによる拘束時間の増加等々があり、山に行く回数が極端に少なく、非常に不本意な年であった。
しかし、よくよく考えると、天候不順はあったものの、山に行く時間的余裕は十分にあった訳で、結局は自分の心が今一つ燃えなかったことが原因ではないかと思われる。
その理由の一つに、どうも同じ山域、同じルートをついつい選びがちで、必然的に山から受ける刺激が不足し、 そうなると山に対する意欲の方もやや低くなってくるという悪循環に陥っていたことが挙げられる。

そのため、2018年は登ったことのない山、辿ったことのないルートを中心とした山行を心懸けようと誓い、 その意欲が萎んでしまわないうちにということで、年明け早々の 1月2日に山に行くことにする。
正月の 2日に山に行くのは、2013年に登った日光前衛の山である薬師岳、夕日岳以来である。
行き先だが、依然として左膝の調子があまり良くないことから、ハードな山は避けることとして低山に的を絞り、 初の奥多摩となる大岳山 (おおだけさん、おおたけさん) に登ることにする。
さらには新年なので御岳山 (みたけさん) まで足を進めて、武蔵御嶽神社にも参拝する予定である。
この大岳山は、その特徴的な形から以前より気になっていた山である上に、12月20日の雲取山山頂から、 鷹ノ巣山の右後方に広い肩幅とその上に載る三角形の頂上部を有する姿を見て強く興味を惹かれたことが今回選んだ理由である。

1月2日(火)、朝の 5時過ぎに横浜の自宅を出発、昨年末の雲取山と同じルートを辿る。
東名高速道−圏央道と進み、日の出ICにて高速を下りた後、都道184号線、31号線、251号線、45号線と辿って、 古里駅前の丁字路にて国道411号線 (青梅街道) に入る。
そして、奥多摩駅入口の交差点を右折して奥多摩町役場の奥にある Timesの駐車場に車を駐めたのは 6時33分であった。
大岳山登山口に近い町営氷川有料駐車場に駐めることも考えたのだが (後で調べると、冬期は無料開放らしい)、 暗いうちに慣れない場所に駐車するのが少々躊躇われたため、お馴染みの Times駐車場にした次第である。

車内にて朝食をとった後、身支度をして 6時43分に出発。
なお、駐車場にやはり登山の身支度をしている中年男性がおられたが、後々同じく大岳山を目差していることを知ることになる。
先程の奥多摩駅入口の交差点へと進み、そのまま信号を渡って直進する。
多摩川に架かる昭和橋を渡ると、すぐに右側に鋸尾根の登山口が現れる。傍らには 『 奥多摩 愛宕山公園周辺案内 』 が掲げられている。 なお、氷川駐車場は道路を挟んでその斜め反対側である。
まずは石段を昇って山道に入る。杉林の斜面をジグザグに登っていくのだが、最初から少々キツイ登りが続く。
ただ、ここは愛宕山山頂にある愛宕神社の参道になっているようなので、足下はしっかりしており、所々にコンクリートの横木による階段も現れる。 また、途中で何回か道が分かれるが、そこには道標が置かれているので迷うことはない。

まだ薄暗い中、黙々と登っていくと、道の右手に大きな倒木が現れ、その先に石の階段が見えてくる。
この階段は 187段もあり、かなり急な上に途中からさらに反り返っているように見え、なかなか登り応えがありそうである。
折角なのでカメラを向けたのだが、残念なことにまだ周囲は薄暗く、シャッタースピードがあまりにも遅くて手振れになってしまう。
写真を撮るのに苦労していると、駐車場におられた登山者が追いついてくる。先に行って貰おうとしたが、その方も階段を見て少々怯み気味、 仕方なく小生が先に昇る。しかし、膝がまだ痛む身にとってはこの階段はキツイ。

休まずに昇り続けていると息が上がるので、途中で立ち止まっては階段上部を写真に納めたのだが、 まだまだシャッタースピードは遅い。
何とか階段を昇り終えると、またジグザグの山道が続く。
剥き出しの木の根に足を取られないように慎重に登っていくと、やがて上方の樹林越しに建物が見えてくる。愛宕神社の五重塔である。
その五重塔の前には 7時10分に到着。少し塔の周りを見学した後、先へと進んでいくと、今度は右上にも神社の建物が見えてくる。
ここは素通りする訳には行かないと思い、右手の石段に昇り建物の横に出て左に回り込むと、そこは金文字で 『 愛宕神社 』 (実際は右横書き) と書かれた神額が掲げられている愛宕神社本殿であった。時刻は 7時12分。

本殿にお参りした後、本殿前の急な石段を下りると、その先から尾根道が続くようになる。
道は途中から急斜面の下りとなるが、その途中に子安神社の祠があったのでその写真を撮る。その間、先程の登山者ならびに女性の登山者に追い抜かれる。
その後、石段混じりの急坂を下っていくと狛犬と鳥居が現れ、その先で何と車道に下り立ったのであった。時刻は 7時18分。
ここは登計 (とけ) 峠とのことであり、車道の終点となっていてその先には林道が延びており、登山道はその林道を進むことになる。
峠で休憩中の先程の 2人を追い抜き、林道を進む。少し進むと、右手の斜面に鋸山への取り付き口が現れる。時刻は 7時20分。
標識に従って、石の階段を昇るとすぐに尾根道が始まる。道は杉林の中、緩やかに登っていく。

丸太の横木の階段が現れた所から徐々に傾斜が増すようになり、その後、 道は斜面をジグザグに登っていくことになるが、それも長くは続かず、道は直線になったかと思うと、斜面が切り拓かれた場所に出る。 時刻は 7時30分。
斜面右上には送電線の鉄塔の他、電力設備のような機械が置かれており、その送電線が下る左側の斜面の先を見れば、 狭い空間の先に形の良い山が見えている。後で調べると、鳩ノ巣城山のようである。
そして、空には雲一つ無く、本日は予報通り快晴である。
なお、鳩ノ巣城山方面の写真を撮っている間に、先程の女性に追い抜かれる。

道は再び杉の植林帯に入る。急斜面をジグザグに登る。
薄暗い斜面ではあるが上部には朝日が当たり始めている。足下には丸太の横木の階段が続くが、これが足のペースを乱して結構辛い。
急な登りも漸く終わりになると、周囲には杉に混ざって緑の葉を有する馬酔木が見られるようになる。
一方、緩やかになった道は長く続かず、またジグザグに斜面を登るようになる。
周囲は完全に自然林に変わり、漸く本格的な登山道になった気がしてくる。
ところで、左膝の具合であるが、少し痛みは残るものの、本日は調子が良いようである。従って、あまり気にせず登っていくことができる。

道に岩が混ざるようになると、やがて平らな道へと変わるが、すぐにまた登りとなり、このパターンが何回か続く。
展望も漸く開けるようになり、右手(西)に樹林越しに大菩薩嶺が確認できるようになる。
細い尾根を進み、鉄の階段を昇って行くと、やがて展望の開けた岩峰に登り着く。そこには大天狗と小天狗が刻まれた石碑、 そして小さな祠が置かれている。天聖 (てんしょう) 神社である。時刻は 7時56分。
ここからは三ノ木戸山 (さぬきどやま)、六ツ石山がよく見える。
ここに至るまでに再び追い抜いた女性登山者がやがて登ってきたので、写真を数枚撮っただけで先へと進む。

ここからは岩場の下りとなり、短い鉄の階段も現れる。階段を下りれば、ほぼ平らな道となった後、緩やかな傾斜の下りが続く。
下り着いて道が平らになった後、今度は鉄梯子の登り、そしてその先から鎖が付けられた岩場が続くようになる。 但し、ここの鎖は横鎖で、それを使う必要はあまりない。
この鎖場を過ぎると、厳しい登りが待っている。急斜面をジグザグに登っていくのだが息が切れる。足下は岩と剥き出しになった木の根。
今は道が乾いているから良いが、雨や雪の日は苦労しそうである。
そして、喘ぎながら折角登り着いた高みであるが、すぐに下りに入る。

下り着いてから少し平らな道となってホッと一息つくが、先の方には新たな高みが待っている。
その高みの手前で道は二手に分かれる。どちらの道も鋸山に行けるのだが、右は鎖場コース、左は鎖場を巻く道である。
当然、ここは右に進んで鎖場へと向かう。時刻は 8時6分。
すぐに岩場をよじ登る鎖場に到着するが、その距離は短く、また岩に絡んでいる木の根が良い手掛かり、足掛かりとなるので、 それ程苦労せずに登ることができる。
鎖場を終えるとまた展望が開け、先程の三ノ木戸山、六ツ石山がよく見えるようになる。

再び斜面を少し登ると、ありがたいことに緩やかな登り道が続く。
小さな下り、平らな道と続いた後、その先からは丸太の横木による階段の登りが暫く続く。
周囲はいつの間にか杉 (もしかしたら檜) の植林帯へと変わり、登り着いた高みでは平らなササの道が続く。
再び下りに入った後、また杉林の登りが続き、木の根が剥き出しになった斜面を登る。
傾斜が緩み始めると、『 鋸山 1.5km、 大岳山 4.8km 』 と書かれた標識が現れる。時刻は 8時30分。
この辺は平らな道、あるいは緩やかな登りの道となって気持ち良く進んでいけるが、如何せん展望が得られないのが辛い。

植林帯を抜け出し、自然林に入っても緩やかな登りが続くため足が進む。
なお、この辺になると樹林の中にも日の光が差し込み、周囲は大変明るい。
やがて、足下や周囲に岩が現れ始めると、傾斜は少々キツクなり始め、鉄の階段などを使いながら高度を上げていく。
その登りも一段落すると、またまた周囲は植林帯となって、道の方はほぼ平らとなり、登りとなる所では丸太の階段が続くようになる。
そして、登り着いた所に三等三角点があったが、ここが 1,046.7m地点であろう。時刻は 8時55分。
そこからは小さなアップダウンはあるものの暫く緩やかな登りが続く。周囲は自然林が続いた後、またまた杉林に変わる。
杉林の中、平らな道、小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、やがて右手より大ダワ、御前山方面からの道が合流してくる。
時刻は 9時6分。

そこから少し進むと傾斜がキツクなるが、息を切らせながら上方を見れば、登っている先には明るい空間が広がっている。
何となく一区切り着きそうだという期待を抱きながら登り続けると、登り着いた所には 『 鋸山 』 の標識が立っていた。時刻は 9時11分。
ベンチに腰掛けて暫し休憩。すぐに登山者が登ってきたが、先程の女性ではなく若い男性で、その次に件の女性が到着したのであった。
ここまでの道程を思い返すと、かなり急斜面が続くことが多かったが、件の女性登山者が 30〜50m後方についてきていたので、 それが刺激となって休まずに登り続けられたものと思う。
たった一人であれば、いい加減なペース、自分に都合の良いペースで登ることになったことであろう。
なお、この鋸山は杉に囲まれていて全く展望は得られない。

9時21分に出発。男性は先に出発しており、小生は 2番目の出発である。
この鋸山からは一旦大きく下った後、緩やかな登り、あるいはほぼ平らな道が続くようになる。
また、ここまでほとんど展望が得られず、ストレスが溜まる一方であったのだが、嬉しいことに右手に富士山が見えるようになる。
ただ、木の枝が邪魔をしてなかなか見通すことができないので、別のストレスが生じる。
9時29分に御前山、月夜見山への道を右に分け、そこから暫く進むと、樹林が切れて富士山がスッキリと見通せるようになる。
太陽の位置関係からやや白っぽいが、左右の斜面もかなり下の方まで見えており、新年最初の登山でこのような富士山を見ることができたことが嬉しい。 また、空には雲一つ無く、本当に良い天気である。

今までの鋸山への苦しい登りが嘘のように、歩き易い緩やかな登り、あるいは平らな道が続く。
周囲は自然林からまたまた杉林に変わるが、道の方は変わらずに緩やかで歩き易い。
周囲がまた自然林に変わると、前方に高みが見えてくる。恐らくあれが目差す大岳山であろう。
時々見通せる富士山を楽しみながら暫く進んで行くと、やがて高みの基部に到着する。時刻は 10時14分。
そこには 『 ← 御岳山・大岳山 馬頭刈尾根 → 』 と書かれた標識が立っていて、その後方にはロープが張られている。
ロープの後方に薄い踏み跡があるが、ここは標識に従って左側へと進む。

道はすぐに斜面に取り付くことになり、ひと登りでまた平らな道に飛び出るものの、その先から岩場の登りが始まる。
岩場には横鎖も張られているが、ここもわざわざ鎖を掴む必要はないレベルである。岩場を通過するとまた平坦な道が現れる。
目の前には高みが見えてくるが、今度こそ大岳山であるとの期待が高まる。
その後、小さな岩場を越え、岩がゴロゴロした斜面を登っていくと、前方に石垣のようなものが見えてくる。 しかし、右に明瞭な道が見えたのでそちらへと進んで行くと、何と左側斜面の上から人の声が聞こえてくる。
どうやら頂上を通り越してしまったようであるが、戻るのも癪なので先へと進み、御岳山側から山頂へと回り込む。
そして、10時35分、人々でかなり賑わっている大岳山山頂に到着。

ここは南〜西側方面が開けていて展望が素晴らしい。
まずは何といっても富士山が素晴らしく、円錐形の均整のとれた姿は惚れ惚れとする。そのシンメトリーを崩しがちな左斜面の宝永山もここからはあまり気にならない。
そして、富士山の左斜面が下った先には御正体山が見え、その左にほぼ同じ高さの山が続き加入道山、そして大室山へと繋がっていく。
大室山の左斜面は一旦大きく下った後、檜洞丸へと再び上り、さらに左に蛭ヶ岳、丹沢山、そして丹沢三峰が続く。
そしてさらに左には大山が美しい三角形を見せており、その左後方には相模湾が日の光を浴びて輝いている。

目を富士山に戻せば、右斜面の下った先に三ツ峠山、御巣鷹山が見え、その右に本社ヶ丸、御坂黒岳、節刀ヶ岳といった御坂山塊が続く。
さらに右には、滝子山と思しき形の良い山が見え、その右に南大菩薩の山々が続いて、さらにドーム型をした雁ヶ腹摺山が見えている。
雁ヶ腹摺山の右には、黒岳を始めとする小金沢連嶺の山々が続き、さらに天狗棚山、熊沢山と続いて大菩薩嶺へと至っている。
また、その小金沢連嶺の手前には、同じ奥多摩の三頭山 (みとうさん) が大きい。
大菩薩嶺の右に続く稜線は、目の前に見える御前山に一旦遮られるが、御前山の右後方からはさらに黒金山、北奥千丈岳、国師ヶ岳といった奥秩父の山が続いている。
そして、国師ヶ岳の右手前下方からは前飛竜、飛竜山へと続く尾根が立ち上がり、飛竜山から右に続く稜線は雲取山へと至っている。
雲取山は樹木にやや隠れ気味であるが、少し場所を移動するとよく見え、さらに右に鷹ノ巣山も確認することができる。

そして目の前の御前山であるが、ほぼ左右対称の形にて根を大きく張ってドッシリとしており、なかなか立派な山容である。
高さもこの大岳山より 140m近く高いそうで、その姿にかなり登高意欲をそそられる。
この素晴らしい展望を見て、やはり初めての山は良いとつくづく思う。いつも見慣れている景色ではなく、 頂上に至るまでの行程や頂上の展望から新たな刺激を受けた方が山は面白い。
加えて、そこに次に登りたいと思う山が見つけられればなお良く、御前山は間違いなくその一つである。

展望を十分に楽しむとともに、タップリと休憩を取った後、10時58分に御岳山を目差して山頂を後にする。
先程登ってきた道を下り、鋸山からの道を右に分けて、そのまま真っ直ぐ下る。
岩と落ち葉が混ざる斜面をジグザグに下り、岩の間を抜け、丸太の横木の階段を下りていくと、小さな広場に下り立つ。時刻は 11時5分。
ここには小さな祠がいくつかある他、しめ縄が巻かれた岩 (『 ゆるぎ岩 』 というらしい)、そして比較的大きな社殿が建っている。
大岳神社である。その社殿は 2つ並んでいるので、手前が拝殿、そして後ろが本殿と考えて良いのかもしれない。
また、その拝殿の前には、可愛い守護獣が置かれているが、どうやら犬ではなく狼のようである。
なお、大岳神社は農業の神、また火災や盗難の守護神として昔から信仰を集めているとのことである。

社殿を後にして参道の石段を下っていくと鳥居があり、その先に建物が見えてくる。 こちらは大岳山荘であるが今は休業中らしい。
建物には寄らず、道を左に進む。真っ直ぐ進めば大岳山荘、右は馬頭刈尾根である。
日当たりの良い道に入ると、道は緩やかになり、足が進む。一方、この道に入ってからは擦れ違う登山者がかなりの数に昇り、 お陰で進む方向の写真を撮ろうとすると登山者が入ってしまって苦労する。先程までの鋸尾根の静かな状況が嘘のようである。
御岳山までロープウェイで上がれるので、御岳山から登る方がお手軽ということなのであろう。確かに鋸山までの登りはキツイ。
陽の当たる明るい道を進む。途中、岩場、鎖場なども現れるが、そこには階段もあって難易度は低い。

鎖場を越えれば、小さなアップダウンはあるものの、歩き易い道が続く。
ほぼ平らな自然林の道が続いた後、道は杉林に入る。小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、一旦 杉林が切れたところで分岐が現れる。 まっすぐ斜面を横切っていく道は再び杉林に入って芥場 (あくば) 峠を経て御岳山に至る道で、左の斜面を登る道は鍋割山、奥ノ院を経て同じく御岳山に至るようである。
本日は左膝の調子も良く、まだ体力も残っているので、ここは迷わず左の道に入る。時刻は 11時31分。
道は最初杉林に入るが、すぐに尾根の左を進み、左が自然林、右が杉林という状況の中を登っていく。
ありがたいことにこちら側を行き来する登山者は少ない。途中、左手樹林越しに大岳山が見える。

やがて、鍋割山を巻いて奥ノ院に至る道との分岐に到着する。時刻は 11時43分。 ここも迷わず左に進み、鍋割山を目差す。
少し急坂を登り、一旦少し下った後に登り返せば、そこが鍋割山頂上であった。時刻は 11時47分。
大岳山はかつてその形から 『 鍋割山 (あるいは鍋冠山)』 と呼ばれていたと聞くが、今はこちらの山に名前を譲ったようである。
残念ながらこの鍋割山は展望が無く、またこれといった特徴も見当たらないので、そのまま山頂を通り過ぎ、下り斜面に入る。
杉林が続き、下り着いた所で先程の巻道と合流する。時刻は 11時51分。
道を左にとって少し進むと、前方樹林越しに高みが見えてくる。恐らく目差す奥ノ院峰と思われるが、結構高く見えるので少々怯む。

緩やかな登りから少々傾斜が増してくると、またまた分岐が現れる。
奥ノ院は左に斜面を登っていくことになり、右は 『 御岳山(長尾平)』 とある。時刻は 11時57分。
当然、左手の斜面に取り付くと、すぐに尾根上に出る。ここからは奥ノ院まで尾根を登ることになるようである。
結構急斜面である上に、岩場もあり、また周囲の木々が少々煩い。頻繁に歩かれている道ではないように思われる。
息を切らせながら登る。高度を上げて振り返ると、大岳山が何も遮るもの無く見えるようになる。こちらから見る大岳山は頂上部分が台形になっている。
少々喘ぎながらも斜面を登り切ると、小さな石祠の裏手に飛び出す。奥ノ院到着である。時刻は 12時3分。
傍らの木には 『 奥の院峰 1077m 』 と書かれた手書きの標識が付けられている。

道はその石祠の前を通り、そのまま南東へと下る。
急斜面を下って行くと、今度は朱塗りの扉を有する立派な建物が現れる。帰宅後調べると、こちらは男具那社 (おぐなしゃ) とのこと。
日本武尊の別名はヤマトオグナとのことで、そのヤマトオグナを祀っているとのことである。因みに奥ノ院も同じく日本武尊を祀っている。
男具那社の前にある石段を下っていくと再び登山道に合流するので、左に道をとる。時刻は 12時7分。
ここからは暫く日当たりの良い斜面をジグザグに下っていく。
途中、樹林が切れた場所があり、下方に広がる街並みを見ることができるが、よく目を凝らすと遠くにスカイツリーも確認できる。

途中鎖場を通り、やがて下りが終わると、周囲は杉や檜の林に変わり、ここからはなかなか見事な杉や檜の回廊が続くようになる。
直径 1m近い杉や檜が両側に並んでおり、あたかも参道を歩いているような気分である。
ほぼ平らな道が続くので、さすがに疲れてきてはいるものの足が進む。
少しずつ高度を下げていくと、やがて鳥居を潜る。左手には建物があり、『 東京都水道局 御岳山浄水所 』 とある。時刻は 12時27分。
ここからは林道のような道が続く。緩やかに道を登っていくと、やがて右手に多くの人々が憩う茶店が現れたが、ここは長尾平への分岐となっているようである。 時刻は 12時32分。

そのまま道を進んでいくと、左側斜面のところに 『 御嶽神社を経てケーブルカー (御岳山駅) へ至る 』 との看板が立っており、 その横に左側斜面に取り付く簡易の階段が設置されている。
武蔵御嶽神社の階段を下から昇る必要もないと考え、ここは近道と思われるその簡易階段を昇る。
しかし、これが意外と急登。階段はすぐに終わり、急傾斜のジグザグ道が続く。
疲れも出てきている中、この登りはかなり応えるが、ありがたいことに距離は短く、すぐに武蔵御嶽神社へと続く立派な石段に合流する (男坂)。 時刻は 12時38分。

石段を左に昇り、多くの参拝者とともに神社を目差す。石段が右に折れると、先の方に拝殿が見えてくる。
そして、右手に宝物殿、左手に社務所を見て石段をさらに昇れば、鮮やかな朱塗りの拝殿前に立つ。時刻は 12時40分。
拝殿にてお参りをした後、混み合っている境内の奥には入らずに右手に進んで、柵越しに本殿、常磐堅盤社 (ときわかきわしゃ:旧本殿) などを眺めた後、女坂を下る。
途中から男坂の方に移り、随身門、鳥居を潜って鳥居前広場に下り立った後、店が立ち並ぶ中を進んでロープウェイの御岳山駅へと進む。
なお、女坂からは、男坂の石段を除き、ずっと舗装道である。
やがて道はビジターセンターに至り、その先で御岳山駅への道と分かれて参道を下る (ここも舗装道)。時刻は 12時52分。
ここも立派な杉の並木道である。

なお、武蔵御嶽神社の参拝者は、今はロープウェイを使う人がほとんどであるが、 昔はこの参道を登った訳で、道には往時の名残を示す標識と説明書きが置かれている (例えば 『 だんごどう 』、『 なかみせ 』 など)。
ところで、ロープウェイを使ったとしても、御岳山駅から神社まではかなりの勾配で、最後は長い石段 (あるいは女坂) もあって、 意外とアルバイトを強いられる。
そして、今歩いている杉並木の勾配もかなりあるので、昔の人にとっては御岳山の麓までの道中とともに、麓から神社へと至る迄の道程も厳しく、 参拝もかなり大変だったと思われる。神社周辺に宿坊があるのも頷ける。

疲れた身体に鞭打って下り続け (途中で 5分程休憩)、どうにかロープウェイの麓駅である滝本駅に到着。時刻は 13時31分。
しかし、ここからもJR御嶽駅まで車道を歩かねばならない。
ロープウェイ駐車場の空き待ちの車列が 1km近く続いているのを横目に黙々と車道を下り、13時49分に都道45号線との合流点にある大鳥居を潜る。
車道を渡り、御嶽駅への近道へと進む。この近道は一旦グッと下った後、吊橋にて多摩川を渡り、そこからまた登り返して国道411号線へと至るのであるが、 疲れた身体にはこの登り返しが辛い。
国道411号線に出てからは、右に進む。途中、自動販売機とベンチがあったので 5分程休憩したが、これが失敗であった。
御嶽駅には 14時6分に到着。先程休憩したため、14時7分に出る奥多摩駅行に乗り損ねてしまい、結局 14時46分まで待たねばならなかったのであった。

本日は新年最初の登山として、初めて奥多摩の山に登ったが、天候にも恵まれ、 また低山ではあるもののかなりのアルバイトも経験し、さらには素晴らしい展望も得られて充実した山行であった。やはり、初めての山は刺激があって楽しい。
なお、今回の山行で大岳山が奥多摩三山の一つであることを知り、大岳山山頂から見てその姿に惹き付けられた御前山もまた奥多摩三山の一つであることを知ったので、 近いうちに是非とも登ってみたいものである。


初めてのコースで雲取山  2018.1 記

明けましておめでとうございます。 本年も Tagawa’s Homepageを宜しくお願い致します。

と言いつつも、もう 1ヶ月半もこのホームページの更新ができていない。
実は 11月7日に北八ヶ岳の天狗岳に登った後、左膝に痛みを覚えるようになってしまい、山に行けない状態が長く続いていたからである。
天狗岳において膝を痛めるようなことをした覚えは全くないのだが、考えれば左膝は以前にも痛くなったことがあるので、 これは長年の酷使が原因なのかもしれない。
症状としては、平地を歩いている時には全く痛みを感じず、階段を昇る際に痛みが走るという状況で、その左膝を庇っているうちに左側の中殿筋、小殿筋、梨状筋辺り (股関節から下肢外側付近) まで痛くなってきたという始末、とても山に行ける状態ではなかったのである。
無論、医者に行けば良かったのかもしれないが、医者はあまり好きではなく、また結構プライベートが忙しかったこともあって、 ズルズルと日を重ねてしまい、気が付けば 12月である。

10月18日に実施した鎌倉散策の下見は、12月8日(金)がその本番であったのだが、 あまり高低差のない地形であったため何とかこなせたものの、その後も山に行けない状態が続く。
このまま今年は山に行けないのではと諦めかけていたところ、年末になって漸く痛みも和らいできたため、思い切って山に行くことにする。

さて行き先であるが、リハビリを兼ねる意味で高低差のあまりないところを選ぼうと思いながらヤマレコを見ていたところ、 あまり知られていないルートを使って雲取山を往復した登山記録を見つけ、早速このルートに飛びつくことにする。
詳しくは、奥多摩湖の奥にある お祭から三条の湯近くへと続く林道 後山線を進み、途中からニジュウタキ尾根 (鉢焼場尾根)、 ヨモギ尾根を辿って奥多摩小屋へと至り、後はメインルートである石尾根を進んで雲取山に至るというものである。
雲取山はもともと人気の高い山である上に、その標高が 2,017.1mであることから今年 (2017年) の山としてさらに注目が集まっているため、 混むのは間違いなく、加えて既に色々なルートを辿って 7回も登っていることもあってやや敬遠するところがあったのだが、 全く歩いたことのないルートとなれば話は別である。

12月20日(水)、5時半過ぎに横浜の自宅を出発する。
空に少し雲が多い気がするものの、天気予報では本日は快晴とのこと、この後の回復を期待したいところである。
横浜ICにて東名高速下り線に入り、海老名JCTにて圏央道へと進む。いつもは中央道へと入るために利用する八王子JCTをそのまま通過して日の出ICまで進む。
高速を下りた後は、車載の温度計が氷点下を示す中、都道184号線を西へと進む。やがて道は かやくぼの丁字路にぶつかるので右折して都道31号線に入り、 さらに 1km弱進んだところにある坂本の交差点を左折して今度は都道251号線を進む。この道は梅ヶ谷峠へと昇っていく山道であり、北大久野川沿いでもあるため、 路面凍結には要注意である。
梅ヶ谷峠を越えて下りに入り暫く進んでいくと、やがて梅ヶ谷峠入口の丁字路に突き当たるので、そこを左折して都道45号線に入る。
そして、多摩川沿いを暫く進み、御岳山への道を左に分けた後、古里駅前の丁字路を左折して国道411号線に入れば、後は お祭りまで道なりである。

奥多摩駅入口、水根を過ぎ、道は奥多摩湖沿いを進む。
お馴染みの鴨沢バス停を過ぎると、やがて人家もなくなり、お祭洞門を潜って右手に民宿お祭荘が見えてくれば、林道 後山線の入口はすぐである。
その林道入口は、道が右にカーブしていく途中の右手にあり、国道411号線と並ぶようにして坂道を昇っていく。 最初は舗装道であるが、途中から砂利道が続く。
以前、この林道 後山線を進み、林道終点に車を駐めて三条の湯−雲取山−飛竜山−三条の湯と歩いたことがあるが、現在林道は途中の片倉橋で一般車通行止めになっている。
その片倉橋少し手前にある広場には 7時31分に到着。車が数台駐められるスペースに他の車は見当たらない。
車内で朝食をとり、身支度をして 7時40分に出発。林道を先へと進む。

すぐに前方に片倉橋が見えてきて、その先に林道のゲートも見えている。
丁度その時、車がやって来てゲートを開けて先へと進んでいったが、工事関係者の車であろうか。
ゲートを越えて後山川沿いに林道を進む。道は緩やかな昇りとなっているため、久々の登山ということもあって少し息が上がる。
左手に斜面を流れ落ちる水を利用したワサビ田を見て暫く進むと、周囲に朝日が当たるようになる。出発時の気温はマイナス3℃、 しかし寒さはあまり感じなかったが、やはり朝日が当たると温かいと感じる。
途中、三条の湯の車に追い抜かれる。ということは、三条の湯は営業中であり、これは心強い。
いくつかの橋を渡って進む。この林道歩きは結構長い。
徐々に林道歩きに嫌気がさし始めた頃、前方にお目当ての塩沢橋が見えてくる。時刻は 8時12分。

この橋を渡ったところが丁字路のようになっており、林道は左へとカーブしていくが、雲取山へは右に道をとることになる。
橋を渡ったところには 『 奥後山を経て雲取山 (ヨモギ尾根から奥多摩小屋) → 』 の標識も付けられている。
右に道をとり、道を塞いでいる鎖を越えてシオ沢沿いに進む。この道もかつては林道だったようであるが、今は使われていないのであろう、 足下は落ち葉が敷き詰められた状態である。
ただ、この林道の名残をとどめる道歩きも長くは続かない。少し進み、道に崩壊した箇所が目立ち始めたかと思うと、 登山道の方はそのすぐ先にて林道と分かれて、左手の石積みの法面を昇って行くことになる。
そこには塩沢橋と同じ内容が書かれた標識が置かれているので、注意して歩いていれば見落とすことはない。時刻は 8時21分。

少し法面の上部を進んだ後、道は本格的な山道となり、斜面をジグザグに登っていく。
この道は小生の地図では破線となっているが、巡視路との重複部分がかなりあるからであろうか、道は明瞭である。
なお、小生の地図は古いため、コースタイムが書かれていない。これは少々辛い。
すぐに道は二手に分かれるようになるが、そこには 『 ← 奥後山/雲取山 巡視路 → 』と書かれた標識が立っているので、 指示に従って真っ直ぐ進む。時刻は 8時24分。
暫く登っていくと、前方に左に下る尾根が見えてきて、道はその尾根上を目差すことになる。登り着けば何か新しい展開が得られるかと思ったが、 残念ながらその先には杉の林が続き、展望が開けることはない。
そして、このようなパターンがこの後も何回か続く。

日が当たり始めた杉林の中を登る。膝の痛みもそれ程ではなく、また傾斜も緩やかなため足が進む。
やがて、斜面を横切ってつけられた桟橋が続くようになるが、この桟橋を見てその立派なことに驚かされる。
この道は鴨沢などのコースに比べ、登る人はその半分にも満たないと想像されるのに、この整備状態は立派である。
さらに、これ以降も、奥多摩小屋にて主脈の縦走路に至る迄、道はしっかりとしていたのであった。
暫く続いた杉林が終了すると、今度は雑木林の中、落ち葉を蹴散らして歩く日だまりハイクが続くようになる。気分良く進んで行くことができるが、 まだ谷間を進んでいるため、展望は得られない。

先程と同じく前方に左に下る尾根が見え、道はそこを目差して登っていく。
今度は樹林越しに周囲の山々がチラチラ見えるようになるが、全く山の名が分かるような状況ではない。
左手に谷を見ながら緩やかに登っていくと、周囲は檜林に変わり、それが暫く続くようになる。この檜林はなかなか立派であるが、 道の右手上方には 『 昭和44年度春植 丹波山分区 東京都水道局 』 と書かれた標識があったので、ここまで育つのに 48年かかったことになる。
檜林を抜けると、樹林の間から近くの稜線が見えるようになる。しかし、道はここまで色々な方向に曲がってきているので、 どこの稜線か全く分からない。無論、コンパス、地図、太陽の位置などから確認できるはずだが、足を休めてそのようなことをする気にはなれない。

暫くの間、左に下る斜面を横切る、日当たりの良い場所を進んだ後、道は再び檜林へと入っていく。
緩やかな登りが続き、さらには時々平らな道が現れるので足への負担はあまりないのがありがたいが、一方でなかなか高度が上がらず、 また山襞をなぞるように進むため、歩いている時間の割に目的地には近付けていないようである。
檜林を出たり入ったりしながら進んでいくと、途中から鋭角に道が曲がって、檜林の中をジグザグに登っていくようになる。

その檜林を抜けると、今度は右に下る斜面を横切るようになる。右手から太陽の光が射し、周囲は明るい。
落ち葉を蹴散らしながら、あまり傾斜のない道を順調に進んで行くと、やがて道が上下に分かれる場所に至る。
傍らには標識があり、左上の道は奥後山へ、右下に下る道は作業道とある。時刻は 9時37分。
塩沢橋から 1時間25分を経過したものの、まだ奥後山にも達していない訳であるが、ここまで尾根を直登することはなくて山の斜面を横切ることが多く、 しかもかなりグルッと山襞に沿って回ってきた感があるので、これも致し方無いところである。
しかし、ここからは少し傾斜がキツくなり始めるので山を登っているという感じがし始める。

周囲には馬酔木の木が目立ち始め、ジグザグに斜面を登った後にほぼ平らな広い尾根上を進むようになる。
感覚的には奥後山が近いと思われたが、周囲に三角点は見つからない。
歩き易い尾根上の道を進む。周囲の木々はスッカリ葉を落としており、足下周辺は落ち葉の絨毯。そして、日の光が全体を照らしていて明るく、 大変気持ちの良い道が続く。
周囲の展望も少しずつ開け始め、振り返れば富士山が少しだけその頭を出しているのが目に入る。
ということは、その前を横切っているのはサオラ峠からお祭方面へと下る尾根と思われ、漸く周囲の山のことが理解できるようになる。
また、その尾根の後方、富士山の左には三角形の山も少し見えているが、位置的に見て恐らく雁ヶ腹摺山であろう。
さらには大菩薩嶺と思しき山も見えるようになり、徐々に知っている山が見えるようになってテンションが上がり始める。
さらにはそれらの山の後方や進んでいる方向の先には雲一つ無い青空が広がっており、これまたテンションを高めてくれている。

小さなアップダウンはあるものの、ほぼ平らで広い尾根の道が続く。
左手樹林越しには飛竜山もチラチラ見えるようになり、雲取山に向かっているという気分が盛り上がってくる。
やがて、道は周囲よりも高い所の直下を進むようになったので、奥後山はこの辺ではないかと思い、右手の高みに登ってはみたものの三角点は見つからない。
仕方なく登山道に戻ると、左手に下る道がありロープも張られていたので少し寄り道をしてみたところ、何とそこは作業用のモノレール終点であった。
しかもソバに 1,520mと書かれた標識も立っていたので、1,466.4mの奥後山は通り過ぎてしまったようである。時刻は 10時26分。

いつの間にか奥後山を通り過ぎてしまったことに少し気落ちしながら先へと進んでいくと、 やがて前方左手に防火帯を有する尾根と高みが見えてくる。
あれが目差す奥多摩小屋のある尾根と思ったのだが、方向から考えるとその高みは雲取山のようである。まだかなり遠くに見えるものの、 これで元気をもらう。
ここからは面白い道が続くようになる。尾根の左下を進み、ある程度進んだ所で鋭角に戻るようにして右の斜面に登り、 尾根上に出たところでまた鋭角に左に折れて先程と同じ進行方向へと進むというパターンである。
つまり、ローマ字の “ Z ” のような形で、下から上へと一段上がって先へと進むのである。これが数回繰り返される。
また、今まで緑が少なかった中、この辺では周囲に馬酔木の緑が目立ち始める。

さらには、途中、左手後方の山間に白き山が見えてドキッとさせられたが、どうやら赤石岳のようである。
そして、なかなか見通せなかった富士山が、漸く何とか見通せる場所を通過する。やはり富士山が見えると嬉しい。
周囲に馬酔木が密に生えている中を進んで行くと、展望がドンドン開け始め、雲取山、石尾根、飛竜山、 さらには悪沢岳、赤石岳、聖岳といった南アルプスの山々、そして大菩薩嶺、富士山が、それぞれが切れ切れではあるものの良く見えるようになる。

道は右に下る斜面を横切って、陽が当たって明るい場所を進んでいく。
周囲にはササが多く見られるようになり、富士山も見える回数が多くなる。
そして、前方には樹林越しに尾根らしきものが見えてきているので、どうやら石尾根はもうすぐのようである。
山襞に沿って右へ右へと進んでいくと、やがてまた巡視路との分岐に到着する。そこには標識があり、やや下方へ進む道は巡視路で、 奥多摩小屋へは左上へと進むことになる。時刻は 11時45分。
その分岐から少し登れば水場で、設置されたトタンの樋 (とい) の上をチョロチョロと水が流れている。この水場は奥多摩小屋の水場なので、 もう稜線は近いはずである。時刻は 11時48分。

道は水場を越えた後、水場横の斜面を登っていく。
すぐに丸太の階段が現れ、そこを過ぎれば稜線が目の前に見えてくる。稜線のすぐ手前で道は二つに分かれるのだが、当然雲取山に近い左へと進み、 少しザレた斜面を一登りすれば、奥多摩小屋の前に登り着いたのであった。漸く石尾根に到着である。時刻は 11時55分。
ここに至る迄 ほとんど急登はなく、かなり歩きやすい道が続いたので膝には良かったものの、その反面、高度を稼ぐのがユックリなため、 時間がかなりかかってしまった。
まあ、リハビリ登山としては良いコースと言えよう。

尾根上にポツンと置かれているテーブル (少々ガタガタしており、また、前はもっと小屋寄りに置かれていたという記憶がある) に腰掛けて暫し休憩。
尾根上だけあって、ここからの展望は抜群で、富士山がよく見える。さすがにこの時間になると、富士山の下方には雲が多く見られるが、 雲に浮かぶ富士山も魅力的である。
富士山の左下方には雁ヶ腹摺山が見え、富士山の右下方には黒岳とそこから小金沢山へと続く小金沢連嶺が見えている。 そして、さらにその右に大菩薩嶺が続いている。
大菩薩嶺から右に下って行く尾根の後方には、布引山、笊ヶ岳、偃松尾山、そして聖岳、赤石岳、悪沢岳、 白河内岳、塩見岳、農鳥岳といった南アルプスの山々が蜃気楼のように浮かび上がっている。
そして、農鳥岳よりさらに右の山々は前飛竜、飛竜山へと上っていく尾根に遮られ、その飛竜山の右側もこの石尾根の先にあるヨモギノ頭で見えなくなっている。

ノドを潤し、腹を満たした後、12時4分に出発。ここからは何遍も通っているルートを辿る。
すぐにヨモギノ頭へと直登する道とそれを巻く道に分かれるが、ここは巻き道を進む。樹林帯の中、足下にササが茂る道を進んでいくと、 やがてヨモギノ頭経由の道と合流。
そして少し先で小雲取山への登りが始まる。暫く登ると一旦道は平らになるが、その先でさらにキツイ登りが待っている。
もしかしたら、ここの登りは本日で一番キツイかもしれない。
それでも、先程の休憩が良かったのか、それとも石尾根に至る迄にあまり厳しいアルバイトがなくて体力が温存されていたのか、 この石尾根は一番足が進むような気がする。

途中、振り返れば、農鳥岳、西農鳥岳よりも右側の山々も見え始め、間ノ岳、そして北岳が確認できるようになる。
小雲取山にある富田新道分岐を 12時31分に通過。ここからはまた緩やかな道に変わる。
富士山をチラ見しながら樹林を抜けると、先の方には雲取山頂上の一角とそこにある雲取山頂避難小屋が見えてくる。もう少しである。

ここからは展望がさらに開け、 北奥千丈岳・国師ヶ岳、唐松尾山、水晶山、木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山といった奥秩父の山々がよく見えるようになる。 さらには飛竜山の右後方に、うっすらとながらも仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳も姿を見せ、テンションが上がる。
避難小屋直下の最後の斜面をジグザグに登り、避難小屋には 12時47分に到着。そのまま小屋前を横切って頂上へと向かう。
そして雲取山頂上には 12時49分に到着。ここまで 5時間の長丁場であった。

なお、頂上の雰囲気は、前回登った 2015年の時とは大分変わっており、 富士山をバックに写真を撮ることができた頂上標識は今や撤去され、 東京都と埼玉県の統一標識が立てられている (2016年8月11日の山の日制定に合わせて設置されたとか)。
他に 1人しかいない頂上にて周囲の山々を撮りまくる。富士山は無論のこと、目新しいところでは飛竜山の右後方に間ノ岳、北岳、 そして鳳凰三山の観音岳、地蔵岳が確認できる。
さらに右には仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、鋸岳が続き、仙丈ヶ岳の下方手前にはアサヨ峰も見えている。

また甲斐駒ヶ岳の手前下方には乾徳山が見え、その右に黒金山が続き、黒金山の右後方に北奥千丈岳・国師ヶ岳が続いている。
北奥千丈岳・国師ヶ岳の左手前には竜喰山も確認でき、その右には唐松尾山も見えている。また、北奥千丈岳・国師ヶ岳の右には、 やや樹林が邪魔であるものの、木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山といった山々が続いた後、大きな山容の和名倉山が見えている。
少し動き回れば、和名倉山の右後方に浅間山も見え、和名倉山の左後方には御座山も確認できる。
その御座山のさらに左後方には白き山々が見えているが、北アルプスであることは分かるものの同定は難しい。

また、振り返って東から南にかけての山々を見れば、樹木がやや煩い中、天祖山、三頭山がよく見えている。
しかし、避難小屋の方へと戻れば、石尾根や東から南にかけての山々が良く見えることは承知しているので、避難小屋の南側、 山梨百名山の標識が近くに立つ岩場へと移動する。岩に腰掛け、富士山を見ながら暫し休憩。
石尾根を見下ろせば、尾根は途中で右に曲がって小雲取山へと向かっているが、 尾根が曲がる所の後方には鷹ノ巣山、日陰名栗山が並んでおり、その 2つの峰の間の後方には奥多摩の大岳山が見え、 日陰名栗山の右後方には同じく奥多摩の御前山が見えている。
そして、石尾根が右にカーブした先にある小雲取山の右後方には七ツ石山、そしてその右後方に奥多摩の三頭山が見えている。
また、鷹ノ巣山の左には川苔山が確認できるほか、天祖山が大きい。

景色を十分堪能した後、三条の湯へと向かう。
この道を辿るのは 18年ぶり。その時は先程の林道 後山線終点から三条の湯経由にて三条ダルミに至り、そこから雲取山を往復した後、 飛竜山まで縦走し、三条の湯まで戻ったのであった。
13時3分、標識に従って西へと進み樹林帯に入る。ササの斜面を小さくジグザグ下る。意外と急斜面であり、 斜面で擦れ違った女性 2人組も結構キツイ様子であった。
途中、倒木があったものの、道は良く踏まれており、順調に下る。10分強下って行くと、道はほぼ平らとなり、 その後も緩やかな下りが続くようになる。
そして、雲取山荘への分岐 (今は通行止めらしい) を示す標識に寄りかかっている倒木の下を潜れば、三条ダルミに到着である。
時刻は 13時22分。

ここは飛竜山への縦走路と三条の湯への道との分岐点となっており、南側が開けていて富士山がよく見える。
左斜め下に延びる道を下る。この道の傾斜は緩やか。ということは逆に言えば、一気に下らないので三条の湯までかなり歩かねばならないということである。
道は左下に下る斜面を横切っていく。総じて日当たりは良いものの、陽の当たらない場所には雪が残っている。
展望の無い道が続くが、所々で樹林越しに雲取山とそこから右に続く石尾根を見ることができる。
先にも述べたように、道はほぼ平ら、あるいはやや緩やかな下りが続く。そして、その道が山襞に沿っているので、 歩いた距離・時間ほどには高度を下げていないことになり、今朝のニジュウタキ尾根・ヨモギ尾根と同様時間がかかりそうである。 ここは黙々と下っていくしかない。

雪が少し多めに残る岩場の下を過ぎると、その先で再び雲取山が見えるようになる。
ここからの雲取山は結構高く見える。雲取山を出発してから 1時間10分程、まあこれ位高度を下げて貰わないと困る訳であるが・・・。
その少し先で富士山を見た後 (これが富士山の見納め)、道は右に大きくカーブして徐々に下りの勾配が増してくる。
落ち葉の絨毯を掻き分け、横に鎖が張られた細い道を下り、谷へと下っていく。そして、三条沢を渡って左に少し登れば、 やがて三条の湯であった。時刻は 14時42分。
薪が多く積まれている建屋の向かい側には沢山のベンチが並んでおり、ここで休んでも良かったのだが、三条の湯の関係者が庭におられたため、 ただ休むのも申し訳なく思われ、そのまま小屋の横を通って先へと進む。

すぐに薪割りの作業場がある三叉路に至る。
ここで右に道をとれば、北天ノタルを経て飛竜山に至り (北天ノタルにて三条ダルミからの縦走路と合流する)、まっすぐ進めばサオラ峠、 そして林道 後山線へは左に下る道を進む。
下方にテント場を見ながら斜面を下る。テント場にはテントが 2張あったので、先程の女性達のものかもしれない。
テント場を過ぎると、しっかりと整備された、斜面を横切る平らな道が続く。そして、ガードレールのある橋を渡って右に登っていけば、 そこは林道 後山線の終点であった。時刻は 15時4分。

ここからは後山川沿いに砂利道歩きが続く。
やや下り勾配なのがありがたいが、この林道も長い。途中に 『 6.0km 』 と書かれた標識があり、 確か往路の林道歩きでも同じ標識 (もっと小さい数字) を見た記憶があるので、ゲートのある片倉橋までの距離と考えて良さそうである。
下りなので 1時間強といったところであろうか。
なお、途中で法面を工事しており、そこに今朝ほどゲートを開けて進んで行った車もあったので、車は工事関係者のものだったようである。
川の流れる音を聞きながら黙々と歩く。途中で、3人の登山者と擦れ違ったが、本日は三条の湯泊まりということなのであろう。
0.5km毎に現れる標識の数字が減るのを励みに歩き続け、塩沢橋には 15時47分に到着。これで雲取山の周回ループが完成したことになる。
さすがに疲れを覚えたので、ここで 3分程休憩した後、橋を渡ってゲートへと向かう。ゲートまで 2km程のはずである。
そして、16時17分にゲートを通過、駐車スペースには 16時19分に戻り着いたのであった。

本日はリハビリ登山として雲取山を選んだのだが、リハビリに相応しく急登の少ないコースだったのは大変良かったと思う。
好天にも恵まれ、楽しい一日であった。
また、奥多摩小屋に至る迄は誰にも会わず、また雲取山から三条ノ湯経由の道でも 6人しか会わなかったので、 人気の山にも拘わらず静かな山旅を楽しめたことも嬉しい。
しかし、何遍も言うように、急登が無い分、距離が長い。その証拠に、身につけている横浜市主催 『 よこはまウォーキングポイント事業 』 支給の歩数計は、 この日何と 44,497歩を記録したのであった。
これは 2016年8月に登った甲斐駒ヶ岳 (黒戸尾根ピストン) に次ぐ第二位の記録である。
とは言え、静かな山旅を求める方にはお薦めのコースである。


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