新・山の雑記帳 6

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 1.最 新 の 雑 記 帳
 初冬の硫黄岳を楽しむ  2015.12 記

 登高意欲低調の中の鎌倉アルプス  2015.12 記

 天狗岳リベンジ  2015.11 記

 天狗岳敗退 (今年 2度目の敗退)  2015.10 記

 秋の北岳を堪能  2015.10 記

 約半世紀ぶりの鷲羽岳、水晶岳 (下)  2015.10 記

 約半世紀ぶりの鷲羽岳、水晶岳 (上)  2015.9 記

 リハビリ登山とカンマンボロン  2015.9 記

 最後にトラブルが待っていた奥白根山  2015.7 記

 梅雨時でも楽しめた金峰山  2015.7 記

 21年ぶりの雨飾山  2015.6 記

 快晴の常念岳  2015.6 記

 楽しめた日光 太郎山  2015.5 記

 黒金山 リベンジ登山  2015.5 記

 新雪に驚かされた鉢盛山  2015.4 記

 念願の杣添尾根  2015.4 記

 意外と楽しめた残雪の倉掛山 (初めて登る山はやはり良い)  2015.3 記

 2.これまでの 新・山の雑記帳 5    ('2014/8 − '2015/3 )      ←   こちらもご覧下さい

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 7.これまでの山の雑記帳:INDEX 1    ('97/10 − '00/5 )      ←   こちらもご覧下さい

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初冬の硫黄岳を楽しむ  2015.12 記

相変わらず山に行きたいという気持ちが低空飛行しているが、12月1日にホームページの更新作業を行っているうちに、 これは少しマズイという気になってきた。何しろ、この日アップした登山記録は 10月24日 (天狗岳・硫黄岳、峰の松目) のもので無雪期のものであるのに対し、 実際のそれらの山々はもう既に雪が積もっている状態にあり、自分がかなり置いて行かれてしまったという気になったためである。
こういう時は、気持ちが変わらないうちに透かさず山に行くべきと考えて天気予報を調べたところ、幸いにも 翌 2日(水)の天気が良さそうとのことだったので、 早速山に出かけることにした。
行き先は、ホームページにアップした山々の “ 今 ” を確認したいということから再び硫黄岳とする。
この選択は、『 既に登った山については、その登った時のことを思い出して新鮮味を感じることができず、行く気が失せてしまう 』 という現在の心境と矛盾してはいるが、 雪の硫黄岳は初めてであり、さらには美濃戸口側から硫黄岳に登るのも初めてということで、何とか新鮮味を確保したといったところである。

12月2日(水)、朝の 4時に横浜の自宅を出発する。いつも通り横浜ICより東名高速道に乗り、 海老名JCTから圏央道に入って、八王子JCTにて中央道へと進む。
本日は天気予報通り好天に恵まれそうで、南アルプスの山々がよく見えている。
しかしである、肝心の八ヶ岳が姿を見せていないのである。手前の茅ヶ岳はよく見えているものの、八ヶ岳はガスというか、雲の中で全くその姿が見えない。 これは先日の天狗岳敗退時と全く同じ状況であり、ただでさえ気持ちがあまり高ぶらない状況の中、非常に落ち込んでしまったのだった。
しかし、ありがたいことに、高速を進むにつれてガスの上に赤岳の頂上部分が姿を見せ始め、さらには小淵沢ICで高速を下り、 八ヶ岳高原ラインから八ヶ岳鉢巻道路へと進む頃には、編笠山、西岳の雲はスッカリ取れ、今後に期待が持てそうな状況になってくれたのだった。

美濃戸口にある八ヶ岳山荘前の駐車場には 6時45分に到着。 もっと先の赤岳山荘まで車で行けそうな状況であったが、八ヶ岳に登る時はいつもここに車を駐めているので、今回も同じ場所に駐車する。
身支度を調え、有料トイレをお借りした後、6時57分に駐車場を出発する。
道路を渡り、北へと進む林道に入る。カラマツの林を進み、柳川の流れを渡って暫く進むと、林道を離れて林の中に入る道が現れる。
この道は何回か下りの際に使っているが、今回初めて往路に使ってみる。自分では確認しようがないが、この山道はかなりのショートカットになるようであり、 実際、帰りにそれが証明されることになる。

再び林道に出て暫く進んでいくと、 やがて前方樹林越しに阿弥陀岳の姿がチラチラ見えるようになる。ありがたいことに、今朝ほど八ヶ岳にかかっていた雲は完全に無くなったようである。
そして、その暫く先で赤岳山荘に到着する。時刻は 7時37分。
結果的に林道に雪は全く無く、また凍った箇所もなかったようなので、やはり車で進むことは可能だったようである。ここまで車で来れば、 40分の時間短縮と体力温存になったのであるが、まあこれ位なら問題ない。
と思ったら、身体が鈍っている身にとってはこれが後で利いてくることになる。
駐車場前まで進んで前方を見ると、樹林の上に阿弥陀岳の姿がハッキリと見えたが、阿弥陀岳は雪で真っ白である。
果たして硫黄岳はどうであろうか・・・。

北沢と南沢との合流点に架かる橋を渡り (正確には北沢に架かっている)、 少し進むと美濃戸山荘で、この山荘前にて道は南沢ルートと北沢ルートに分かれることになる。
赤岳に登るには南沢ルートを進むことになり、そちらは何回も利用しているのだが、本日は硫黄岳を目差すべく北沢ルートへと進む。時刻は 7時43分。
南沢ルートの方はすぐに山道となる一方で、北沢ルートの方はそのまま林道がずっと続く。
この北沢ルートは、過去に硫黄岳からの下りで 1回使ったことがあるのだが、その時の印象は林道歩きがかなり長いということであった。 そして、今回もその印象通りで、しかも今回は登り勾配なので余計長く感じられる。

両側が樹林帯となっている中を進んで行く。途中樹林が切れ、木々の間から白き山々がチラリと見えたのだが、 山の形が分かりにくい。南アルプスだったのかもしれない。
再び樹林帯の中を進んでいくと、やがて右側の樹林の際 (きわ) にある 2本の松の木の前に、錆びた金属製の祠が見えてくる。 どうやら 『 山の神 』 らしく、祠の前には鹿のものと思われる頭蓋骨も置かれている。時刻は 8時7分。
長かった樹林帯を抜け、周囲が少し開けてくると、道は河原の脇を進むこととなる。日が当たっていれば休むのに適した場所と思われるが、 この時間、未だ山の端に太陽は隠れているので、少し暗くて寒い。
林道歩きはまだまだ続き、いい加減ウンザリし始めた頃、前方に 3件のバラック作りの小屋が現れ、小屋の前にはスズキのジムニーも駐車している。 赤岳鉱泉の関連設備、そして車と思われ、ようやく林道歩きが終わりに近いことを知り、ホッとする。 そして、その通り、そこから数分歩くと、林道は終点となり、北沢に架かった橋を渡ると道は山道らしくなる。時刻は 8時26分。

道は堰堤を越えて少し河原を歩いた後、シラビソの樹林帯へと入ることになるが、 その樹林帯もすぐに抜けて北沢の流れに沿って進むようになる。
足下には岩が多く見られるようになり、また桟橋 (さんきょう) が連続するようになる。所々にはアイスバーンとなった道が現れ、 足の置き場所を選びながら進む。
一方、ほぼ北沢の流れに沿って進むため、傾斜は緩やかであり息が上がることはない。
進むにつれ、流れが発する水しぶきが岩に氷を張り付かせている状態が北沢に見られるようになるが、本日はそれ程寒さを感じない。

長く続く桟橋、そして岩畳のような道を進んでいくと、 やがて前方に白い峰が見えてくる。ほんの一部分しか見えていないので山名を確認するのが難しいが、 恐らく硫黄岳と横岳との間にある台座ノ頭付近であろう。
その台座ノ頭が雪で白いことから、本日は青空の下、この冬初めてとなる雪を踏むことができることになりそうである。
道は北沢に絡むように進み、何回も流れを渡ってはまた渡り返すことになる。
暫くすると、足下に雪が現れ始めるがその量はかなり少ない。むしろ問題は、先にも述べたように所々で現れて道を塞いでいるアイスバーンの方である。 軽アイゼンやチェーンスパイクを装着していれば問題はないのだが、着脱の煩わしさ故、装着する気になれない。道を外れて林の中を進んだり、 氷の上に出ている石の上を慎重に辿りながら進む。

足下の雪の量が徐々に増えてくると、再び前方の視界が開け、 先程見えた台座ノ頭に加え、その右に大同心、さらには横岳の奥ノ院、小同心の姿が見えてくる。
こちらから眺める大同心は、周囲の斜面に雪の白さが目立つ中、黒々としており、またその形からして、まるでキングコングの後ろ姿を見ているようである。
こういった景色が目に入ると、さすがにテンションが上がり出す。早く稜線の上に立ちたいものである。
この後も、何回も北沢を渡ってはまた渡り返すという行程が続く。周囲の雪の量は 3センチ程度。北沢に架かる橋にも雪が積もっており、 凍っているのではと心配したが、幸いなことにしっかりと踏みしめることができたのだった。
この頃になると、太陽も八ヶ岳の稜線の上に出て周囲を明るく照らすようになり、気持ちよく進んでいけるようになる。

暫く進むと、今度は左手の樹林の間にズングリとした山が見えてくる。 それ程高くないのだが、その斜面に岩場が目立ち、それが斜面の雪とともに陽を浴びて輝いている。
こちらの方角にこんな山があったのだろうかと思い、すぐに 峰の松目を思い浮かべたが、峰の松目の斜面は樹林に覆われていたはずなので、 どうもピンとこない。
実は、この山はこれから進む赤岩ノ頭であり、先般の硫黄岳−赤岩ノ頭−峰の松目という縦走路からはこの南側の斜面は見えなかったため、 初めて見るこの姿にビックリさせられたという次第である。
さらに進んでいくと、今度は左後方に 峰の松目も見えてくる。こちらはイメージ通りであるが、その山肌の荒れが少々気になるところである。

やがて前方の木々の間から、赤岳鉱泉の建物と、冬の名物である 『 アイスキャンディ 』 が見えてくる。
この 『 アイスキャンディ 』 というのは通称で、赤岳鉱泉がアイスクライミングの練習の場として毎年設置している人工氷瀑のことである。
しかし、まだシーズン初めであるため現時点では氷瀑には至っておらず、パイプ製の土台と氷瀑の芯となるネットの方が目立っている。 氷瀑を育てるべく ? 土台の上方から水が霧状に吹き出ているのが印象的である。
赤岳鉱泉到着時刻は 9時32分。
ここからは逆光ながら赤岳が見え、さらにその左には横岳、小同心、大同心を見ることができる。
また、横岳から西に派生する中山尾根の後方には阿弥陀岳もその姿を見せており、頂上付近の岩峰がよく目立っている。あれは恐らく摩利支天であろう。
しかし、何と言っても、ここで一番目立つのは大同心である。先程はキングコングの後ろ姿に見えた大同心であるが、 ここから見るその姿は横岳に向かって合掌している僧侶のようである。実際、合掌した手の形をした岩も見えている。

休憩すべく、テラスのようになった小屋のベンチの方に進んだところ、 そこは日陰になっていたので引き返し、日当たりの良い氷瀑の脇にある広場にて休憩する。
周囲の景色を眺めながらユックリ休んだ後、9時44分に出発する。小屋前にある標識に従って、山に取り付く。 ここからはシラビソの樹林の中の登りが始まる。
この登りに入った途端に己の身体が如何に鈍っていたかを知ることになる。とにかく身体が重い。
足下の雪は 5センチ弱、しかもよく踏まれている上に、凍結していないのでアイゼンは不要。息を切らせながら樹林帯を登る。
少し進むと、樹林が切れ、大同心への道を右に分けることになる。右手の沢の先を見上げると、大同心がその姿を見せている。 ここから見る大同心はやはり合掌している僧侶のようだが、大仏の後ろ姿といった方が良いかも知れない。
その先、再び沢を渡って振り返ると、阿弥陀岳、中岳、赤岳の頂上部分が見えている。特に阿弥陀岳が素晴らしい。

再び樹林の中の登りが続く。ジグザグに登っていくのだが、 鈍った身体にはこの登りが辛い。
加えて、そのジグザグの振幅が大きいので、長く歩いている割には高度がなかなか上がっていかない。時々立ち止まっては上方を見て ため息をつくというパターンを繰り返す。
暫く展望のない登りが続くが、途中、西側が大きく開けた場所を通過する。まず目に付くのが御嶽。 全国的に今年は雪があまり降っていないと言われているが、御嶽の頂上部分はさすがに真っ白である。
また、剣ヶ峰付近には噴煙も見られ、その色は雪と区別がつかない白色である。水蒸気がほとんどなのかも知れない。
御嶽の左方には中央アルプスが見えている。前回の天狗岳でもそうであったが、こちらから見る中央アルプスは、木曽駒ヶ岳が一番高いことが本当によく分かる。
そして、その木曽駒ヶ岳から左の空木岳、南駒ヶ岳、仙涯嶺へと続く稜線は見事である。
また、御嶽の右には本当に真っ白な乗鞍岳が少しだけ見えている。御嶽も雪で白くはなっているものの、その山襞が確認できる状態だが、 乗鞍岳の方は雪で分厚いコーティングが為されているという感じである。

アルミ梯子を昇り、左側が切れ落ちている斜面を登る。 雪は凍っていないから良いが、凍っていた場合、肝が縮む場所である。
その後、再び樹林の中の登りが続く。樹林を通して射す日の光で周囲は明るく、また樹林の間から青空も覗いているので、気分の方は良い。
しかし、身体が鈍っていてサクサクと登っていけないのが辛い。身体が鈍っている上に、ここまでの長い林道歩き、 そして林道から赤岳鉱泉までの道で結構体力を使ってしまったようである。

しかし、その長く辛かった登りも、ようやく森林限界近くに至り、 周囲の景色も少しずつ見えるようになって元気が出始める。明るい日差しが眩しい中、目差す硫黄岳の姿も見えるようになり、 堂々とした赤岳全体の姿、また、ある意味 赤岳よりもドッシリと見えている阿弥陀岳の姿が素晴らしい。
そして先程まであれ程存在感を示していた大同心が、今や横岳の懐に埋没してしまっている。
さらに高度を上げていき、完全に森林限界を越えると、阿弥陀岳、中岳、赤岳と続く稜線全体が見通せるようになり、 さらには阿弥陀岳の右後方に甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、鋸岳といった南アルプスの山々も見えるようになる。
こういう景色を見せられたのでは、やはりテンションは上がらざるを得ない。

そして、赤岩ノ頭の東側にあるコルには 11時34分に登り着く。
ここからの展望も素晴らしい。御嶽は勿論のことだが、先程 少ししか見えなかった乗鞍岳がその全体の姿を見せてくれるようになり、 さらには、そこから右に北アルプスの山々がズラッと見えるようになったのである。
主なものでも、十石山、霞沢岳、西穂高岳、奥穂高岳、北穂高岳、槍ヶ岳、常念岳、鷲羽岳、大天井岳、水晶岳、立山、剱岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、白馬鑓ヶ岳、白馬岳といった山々が確認できる。
少々風が冷たいものの、この景色に飽くことはない。
また、北アルプスの手前にも霧ヶ峰、美ヶ原、蓼科山といった見覚えのある山々が並ぶ。
もう少し高い場所に移動してさらに景色を楽しむ。振り返れば、目の前の八ヶ岳の山々に加え、その右には北岳、塩見岳、アサヨ峰、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、鋸岳といった南アルプスの山々が並んでおり、 さらにその右には恵那山を始めとする中央アルプスが並ぶ。そうそう、峰の松目も御嶽の手前にその姿を見せている。

素晴らしい景色を楽しみながら、岩陰にて食事をとった後、11時43分に出発して硫黄岳への登りに入る。
ここまでアイゼンは不要であり、ここの登りもアイゼンを必要としない道が続いていたが、硫黄岳から下りてきた方がアイゼンを装着していたのを見て、 この先何が待ち受けているか分からないと思い 10本爪アイゼンを装着することにする。久々のアイゼン装着に手間取り、 5分程時間を使ってしまったが、こういうことも案外楽しいものである。
しかし、結論を言うと、ここから先もアイゼン無しで通せるような状況であった。凍結箇所は全く無く、結局この日全体を通して凍結していたのは、 林道と赤岳鉱泉間の数ヶ所だけであった。
周囲の景色を楽しみながら岩場を登り、硫黄岳の平らな頂上の一角には 12時29分に登り着く。そして、硫黄岳の標識がある場所には 12時30分に到着したのだった。

嬉しいことに頂上には誰もいない。広い硫黄岳頂上に雪は少なく、 ゴロゴロした岩が剥き出しになっているのでアイゼンを装着したことが却って裏目に出たという感じである。
ここからは、先程 赤岩ノ頭から見えた山々に加え、浅間山、そして黒斑山などの浅間山の外輪山の他、四阿山、根子岳が見え、 さらにその左には妙高山、火打山、高妻山、雨飾山なども見ることが出来るようになる。
無論、蓼科山の手前には、先日登った天狗岳、根石岳、箕冠山 (みかぶりやま) も見えているのは言うまでもない。
また、横岳の左後方には、金峰山、国師ヶ岳、小川山、甲武信ヶ岳、三宝山といった奥秩父の山々も確認できる。

さて、こうなったら前回と同じように富士山が見たくなる訳で、 再び火口の縁を進んでみることにする。こちら側は歩く人はあまりいないようで、雪が少々多く、20センチほどである。
迫力ある硫黄岳の火口壁を見ながら進む。そして、前回 引き返した 『 行き止まり 』 の標識の所に到着したのだが、 今回、その先に雪が無かったので三角点を求めてさらに進んでみることにする。
緩やかに斜面を下っていくと、岩の間に折れた棒が立っており、その横に三角点を見つけることができたのであった。
ほとんど埋もれかけて不遇の三角点といった風情だが、前回探すことなく引き返したことが少々気になっていたので (三角点に対しそんなに思い入れはないのだが)、 胸の支えが下りたようで嬉しい。
さて、肝心の富士山であるが、今回もしっかりと見ることができた。やはり、山で富士山を見ると嬉しい。
雲海が広がっていて周辺の山々が全く見えない中、富士山だけが雲海の中にポッカリと浮かんでいる。童謡の 『 ふじの山 』 にあるように、 『 頭を雲の上に出し 』 ている姿は、日本一高い山、そして独立峰であることを誇示しているようである。 しかし、この時期としては雪が少ない様に見えるのが少々残念である。

また、周囲を見渡せば、東の方角に御座山 (おぐらさん)、両神山も見えている。
そして、御座山と浅間山の間をよく見ると、白いドーム状の山がうっすらと確認できる。恐らく日光の奥白根山であろう。 その右には太郎山、女峰山、男体山らしき山も見えている。
前回見ることができなかった妙高山などの頸城山塊、そしてこの日光連山が見えたことで、少し得をした気分である。
三角点を見つけ、そして富士山の姿を見て十分満足した後は引き返すことにする。途中、石祠にも立ち寄った後、硫黄岳の火口壁を眺めながら戻る。 ドーム状の火口壁は、雪によってメリハリがつけられていてなかなか見事である。
硫黄岳の標識の前には 13時10分に戻り着く。

さて下山開始。往路を忠実に戻る。
赤岩ノ頭手前のコルには 13時23分に戻り着く。またまた景色を見ながら暫く休憩した後、13時30分に登って来た道を下る。 今回は赤岩ノ頭には寄らずにそのまま戻る。
下りの場合はアイゼンが結構役に立ってくれたのだが、もともとアイゼン無しでも問題ない状態だったので、途中のアルミ階段の所で脱着する。
登りの時とは打って変わって順調に下り、赤岳鉱泉には 14時26分に戻り着く。ここでも再び休憩を取り、14時37分に鉱泉を出発する。
この頃になると、赤岳方面の上空には薄雲が広がり始めているが、まだ全体的には青い部分が多い。
北沢沿いの道を黙々と歩き続け、林道の終点には 15時17分に到着。橋の袂にある上部が平たい大きな岩の上に荷物を広げて暫し休憩し、 これからの退屈で長い林道歩きに備える。

そして林道を 30分程下り続け、美濃戸山荘前に到着したのは 15時52分であった。
赤岳山荘の駐車場まで進んで振り返れば、阿弥陀岳が夕日を浴びて少し黄色味を帯びている。今朝ほど見た時には真っ白に見えた阿弥陀岳であるが、 よくよく見ると岩肌も結構露出しているのが分かる。
さてここからも長い林道歩きが続く。途中ショートカットを利用し、40m位先を歩いていた方を、逆に 20m程の差をつけて追い抜くことができたのだった。 その方はかなり足が速かったので、ショートカットの効き目は抜群である。
駐車場には 16時28分に戻り着く。帰り際に八ヶ岳山荘まで行って駐車料金 500円を支払い、帰途につく。

本日は登山への意欲があまり湧かない中、一方で少し焦りみたいなものを感じて 無理矢理に山に登ったという状況であったが、晴天に恵まれ、初冬の山を結構楽しんだのだった。
もう少し雪があった方が面白かったのかもしれないが、今の自分の体力を考えると、これ位で十分と思われる。
さて、この後 登高意欲は増してくることになるのだろうか。


登高意欲低調の中の鎌倉アルプス  2015.12 記

早いもので 2015年も残すところあと 1ヶ月。
7月に奥白根山にて負傷してしまい、夏山の最盛期である 7、8月を無為に過ごす羽目になってしまった身としては、 登山を再開した 9月から頑張って山に行こうと思っていたのだが、情けないことに この 11月は山行 ほぼ “ ゼロ ” という状況になってしまった。

30年近い登山歴の中、突如として山行意欲が減退してしまうことが何回かあり、 それがこの 11月に巡ってきたということだと自分では解釈している。
日帰りで登ることができる未踏の山については これはと思う山がなかなか見つからず、 既に登った山については その登った時のことを思い出して新鮮味を感じることができない状態で、結局 行く気が失せてしまうのである。
国土地理院刊行の 2万5千分1地形図には 17,000近い山が記載されており、その僅か数パーセントの山にしか登っていない身で 『 登る山がない 』 などと言うのは大変おこがましいのであるが、そう感じているのだから仕方が無い。
過去を振り返れば、この停滞期間は長い時もあり、あっという間に終わってしまう時もある。とにかくこういう時は他人の登山記録を眺め、 少しずつ登山に対する意欲が湧いてくるのを待つしか無いのである。
まあ、現在は少しずつ山行意欲が戻りつつあるのだが・・・。

そんな中、とある関係にて 12月に鎌倉アルプスを歩くという催しものが企画され、 その主催者側に小生も組み込まれることになったことから、責任上、急遽 下見を行う必要に迫られる。コースはJR北鎌倉駅を起点として建長寺へ進み、 そこから鎌倉北部の尾根道を歩いた後、瑞泉寺へと下って、さらにはJR鎌倉駅へと戻ってくるというものである。
山慣れた者にとっては全長 6km弱、高低差 140m程のこのコースは何ということもないのであるが、企画に参加されるのは 50歳以上の方、 しかも必ずしも山に慣れた (あるいは歩き慣れた) 方々ではないということなので、やはり責任上、いきなり本番と言う訳にはいかないのである。

曇り空が続く中、11月11日(水)は晴れるとのことだったので、 まだ登山意欲が低い状態ではあったものの、復活の切っ掛けになるのではとの期待を抱きながら下見に出かけることにする。
企画における北鎌倉駅出発は 10時過ぎなので、これに合わせて当初は最寄りの相鉄線 瀬谷駅からの出発を考えていたのだが、 この頃公共の交通機関を使って山に行くことは滅多にないこともあって、汗をかいた身体で帰りの電車に乗ることが気恥ずかしいと思い始める ( これも 上述の 心持ちに関係しているに違いない)。
どうしようか散々迷ったあげく、結論としては大船駅まで車で行き、そこから北鎌倉駅までJRを利用し、帰りは鎌倉から大船まで歩いて戻るという計画にする。 このように組んだのは、鎌倉アルプスだけでは少々物足りないと思ったことも理由の一つで、そういう意味では 歩く意欲はまだ十分にあるとういうことである。

ネットを調べ、駐車料金が比較的安く、また駐車可能台数も多い三菱電機そばの タイムズ大船5丁目 (上限800円) に駐車する。大船駅まで 1km弱を歩き、駅にて昼食用に大船軒の弁当を購入した後、 10時14分発の逗子行きに乗る。
北鎌倉駅には 10時17分に到着。一番後ろの車両に乗ったので、かなり構内を歩くことになったが、平日というのにホーム上は下車した方々でかなりの混みようで、 出るまでにかなり時間がかかる。
東口 (臨時改札口) にて駅を出た後、身支度を調え (ザックからのカメラ取り出し、メガネをサングラスに交換、ジャケットを脱ぐ 等)、 10時24分に出発。円覚寺 (えんがくじ) を左に見て線路沿いに南東へと進む。本日は晴れとの予報だったのだが、 薄日が射す程度。青空は見ることができない。
400m程 線路沿いに進んでいくと、県道21号線にぶつかるのでそこを左折し、今度は県道21号線沿いに南東へと進む。 幅が 1mにも満たない歩道は外国人を含む観光客でかなり混雑しており、しかも皆ユックリと歩いている。
少々イライラして所々で抜かせてもらうのだが、抜く場合には車道に下りなければならないこともあり、一方で県道21号線は交通量が多いので抜く際には注意が必要である。

北鎌倉駅を出てから 10分程で、前方に建長寺の外門が見えてくる。 その手前には 『 五山第一 臨済宗 建長寺 』 と彫られた立派な石柱が立っている。時刻は 10時35分。
外門を潜るとそこは建長寺の大きな駐車場で、左手に総門があり、そこで拝観料 300円也を支払う。
建長寺の境内に入ると、すぐに国の重要文化財となっている 『 三門 』 が正面に見えてくる。建長寺の山門は 『 三門 』 と呼ばれており、 三門とは 『 三解脱門 』 の略で、悟りに至るために通過しなければならない三つの関門 (空・無作・無相) を現すとのことである。

三門を潜る前に、三門の右にある鐘楼に立ち寄る。 ここに吊されている梵鐘は、建長寺創建当初の 1255年 (建長7年) に鋳造された鐘で、国宝になっている。
三門を潜るとその先には仏殿があるのでまずはお参りをし、その後、仏殿の左手を回っていくと、仏殿の後ろに並ぶ法堂、大庫裏が見えてくる。 それらの建物の横を進んでいくと、煌びやかな 『 唐門 』 が目の前に現れる。
この唐門は先程の仏殿とともに江戸時代に芝の増上寺から移築されたとのことであり、特にこの唐門は平成23年に修復されたばかりなので、 周囲と比べてかなり華美である。

さて、一通り建長寺の主要な建物を見た後は半僧坊へと進む。 道としては、唐門手前から左の生け垣を抜けて道路に出る。周辺には標示板が置かれているので迷うことはない。
堀に沿って舗装道を進んで行くと、正面に正統院へと続く階段が見えてくるが、道はその手前を右にカーブして進んでいく。 すぐに左側に人家が現れ始めるのだが、恐らく建長寺関係者の住宅と思われ、歴史を感じさせる立派な建造物に圧倒させられた後に、 そこに関わる方々の日常生活の一端を垣間見ることになったので、何とも微笑ましいものを感じたのだった。
やがて、右手のスペースに禅宗の開祖である 『 達磨大師坐像 』 が現れるが、これはかなり新しいものである。
さらに進んで行くと、左右に狛犬が現れ、その先に鳥居が見えてくる。寺なのに鳥居 ? と思うが、 これから進む半僧坊に祀られている 『 半僧坊大権現 』 は神様であり、建長寺の鎮守なのである。
奈良の興福寺と春日大社の関係のように、寺院に関係のある神様を寺院の守護神、鎮守とすることは昔から行われていたようだが、 この半僧坊は比較的新しく、明治時代に建てられたものとのことである。

ピンク色の ヒメツルソバの花が参道の左右に咲く中を進み、鳥居を 2つほど潜ると階段が始まる。
結局、鎌倉アルプスを建長寺から登った場合、その高低差のほとんどがこの半僧坊への階段を昇ることでクリアされることになる。 従って、ここの階段は全部で 250段程もあり、かなり長い。しかし、下から上まで間断無く続いている訳ではなく、途中に踊り場ならぬ広場があり、 そこには狛犬、石灯籠、石碑などが置かれている。
その広場を過ぎるとまた階段が現れるが、すぐにまた広場となって、そこには手水舎が建っている。そして、そこからは斜面に置かれた多くの天狗像が見守る中、 階段を昇っていくことになる。
天狗像は全部で 12体あるとのことだが、半僧坊大権現の御真体が鼻高天狗であるところから (建長寺に祀られている半僧坊大権現は静岡県浜松市にある方広寺から勧請されたものであり、 方広寺では御真体という言葉を使っている)、天狗像が置かれているようである。

最後の階段を昇りきると正面に半僧坊が現れる。到着時刻は 10時58分。
左手に富士見台と呼ばれる展望台があるので、まずはそちらへと進む。
ここはその名の通り、晴れていれば富士山が見えるようであるが、本日 富士山は雲の中。しかし、うっすらとではあるが金時山、明神岳、神山、駒ヶ岳といった箱根の山々が見えている。
半僧坊へと戻り、さらに売店前の屋根付き展望スペースを進む。その先に階段があり、その昇った先に地蔵堂が見えているが、 鎌倉アルプスへと至るにはこの地蔵堂へと進むことになる。

地蔵堂 (勝上嶽地蔵尊) の前まで昇り着いて左を見ると、 さらに階段があって林の中へと続いている。
その階段を少し昇ると、階段の幅は狭くなり、周囲は完全に樹林帯となって、山らしい雰囲気が漂い始める。
意外と急な階段 (滑りやすいので、下りの方が気を遣うことになる。左右に鎖の柵がある。) を昇りきると、そこが勝上献 (勝上嶽展望台) で、 丸太に囲まれたテラスのようになった場所である。時刻は 11時3分。
恐らくここからも富士山が見えるのであろうが、先にも述べたようにこの日は見ることが出来ない。 それでも、先程の箱根の山々に加え、山中湖畔の大洞山、三国山、鉄砲木ノ頭方面、そして丹沢山塊がうっすらと見えている。
また、下方には建長寺の建屋も見ることができる。

ここにある標示板には、『 天園まで約2.1km 』、 『 瑞泉寺まで約3.8km 』 とあり、いよいよここから山道となって鎌倉アルプスを進むことになる。
滑りやすい斜面を少し下ると、道は山道らしくなり、ほとんど勾配のない歩きやすい道が続くようになる。
最初は背丈の高いササ藪が続き、少し上り坂になる頃から樹林帯に変わる。
足下には岩が現れるようになるが、岩が登山道にゴロゴロしていると言う訳ではなく、土の中から岩盤が露出している状態である。 この辺は凝灰質砂岩が多いとのことだが、この露出している岩もそうなのであろうか。かなり歩かれてすり減った岩には緑色の苔がついていてなかなか風情がある。
道の傍らには、上半分が無くなっている石柱もあり、そこには 『 ・・講 』 の文字が見られ、歴史を感じさせる山道である。

樹林帯が続くが、途中で樹林が切れて横浜方面が見え、 ランドマークタワーも確認できる。青空が広がっていないのが大変残念である。
良く踏まれた道を進んでいくと、道の左手に苔生した岩が現れる。『 十王岩 』 である。時刻は 11時13分。
道を外れて岩に登ってみると、その岩の側面には 3体の像が彫られている。左から、如意輪観音・血盆菩薩・閻魔大王とのことで、 かつてこの石仏が夜毎不気味な音をたてていたことから、『 喚き (わめき) 十王 』 とも呼ばれているようである。
この不気味な音というのは、山に吹き上げる強い風の音が泣き声のように山麓に響いていたためのようであるが、 建長寺が建てられている場所はかつて地獄谷と呼ばれる刑場だったため、そこで処刑された者の嘆き声だと恐れられていたとのことである。
石仏はかなり風化していて原形をとどめておらず、加えて苔生しているが、それが歴史を感じさせてなかなか趣がある。
また、ここからは鎌倉市街と相模湾を見ることができ、鶴岡八幡宮の若宮大路も確認することができる。

『 十王岩 』 を過ぎて暫く進むと、今度は道の左手に岩に掘られた洞穴が現れる。
この洞穴は 『 やぐら 』 と呼ばれているもので、この鎌倉地域において鎌倉時代の中期頃から室町時代の中頃にかけて作られた横穴式墳墓とのことである。
最初の やぐらは中に何もなかったが、この後にも やぐらはいくつも見られ、中に供養塔・石仏も安置されたものもある。 実際、2つめに現れた やぐらには、首がもがれた石仏が数体おかれていたのだった。
道の方は小さなアップダウンがあるものの、総じて平らであり、歩き易い。
周囲にはクスノキ、シイ、ヤブツバキ、シロダモ、ヤブニッケイなどの常緑樹が多いが、その中にコナラ、ヤマザクラなどの落葉樹が混ざっている。
途中、ロープが付けられた階段状の岩場の下りも現れるものの、山慣れた者ならロープは不要といったレベルである。

樹林の中、時々現れる苔生した露岩や、波によって浸食されたような岩々などを楽しみながら進む。
アップダウンが続くが、それでも徐々に高度は上がっているようである。
周囲に杉や檜が目立つようになると、この鎌倉アルプス唯一とも思える斜面の登りが続くようになる。 ただ、足下には丸太の横木が埋められているので滑りやすい斜面も問題なく登っていくことができる。
登り終わるとササヤブとなり、興ざめなことにネットフェンスが現れる。そのフェンスに沿って緩やかに登っていくと、 ササヤブを抜けて大平山の頂上に到着する。時刻は 11時45分。
道はすぐに下り斜面となるが、見下ろせば広い原が下方に広がっている。原には多くの保育園児が休んでいて、昼食の真っ最中のようである。
なお、先程のネットフェンスに加えて興ざめなのは、その原の左にゴルフ場の駐車場があることである。まあ、160m程の高さの山であれば、 これも仕方が無いことであろう。

岩場に溝状につけられた道を下って原に下り立ち、 園児達が休んでいる中を通って原の縁へと行ってみる。
ここからも相模湾が見える他、鎌倉の街並みも見えるが、全体的に霞み気味である。先程と同様、箱根の山々も見えているものの、 最早この時点では空の色と区別がつきにくい。
昼食にしても良い時間ではあったが、大平山の山頂、そして原もかなりの混み具合だったので、そのまま原を通り抜けて先へと進む。
原を抜けると、道は林道のように広くなり、事実 1台の車が道の傍らに駐車していた。
左手はゴルフ場、そして少し進むと先程とは別の駐車場も見えてくる。園児達がここまで自力で登って来たのなら凄いと思っていたのだが、 こんなに近くにまで車が入れるのなら、まあ歩いた距離は大したものではないのだろう。
トイレを過ぎ、左手にその駐車場への道を分けて再び樹林帯に入るが、道の方はまだ林道のように広く、その先でまたまた駐車している車と遭遇する。 この先にある天園峠の茶屋の車かも知れない。
一旦下った後、また登りに入るがすぐにその天園峠の茶屋に到着する。時刻は11時52分。
ここには 『 横浜市内最高地点 』 の標示板が置かれており、『 海面からの高度 159.4m 』 とある。 先程の大平山には海抜 159.2mと書かれた手書きの標識があったので、こちらの方が若干高いことになるが、 感覚的には先程の大平山の方が高い気がする (なお、大平山は鎌倉市の最高点らしい)。

この茶屋も素通りし、左手に休憩所への道を見て先へと進む。
道は山道らしくなり、すぐに岩場が見えてくる。この岩場に立てば、鎌倉の街並み、箱根、そして丹沢の山々を眺めることができる。
岩場を過ぎると道は大きく (と言ってもこのコースにしてはという意味) 下るようになり、下った所で鎌倉宮への道を右に分ける。 周囲には照葉樹に混ざって杉の木が目立つようになるが、それも長くは続かず、再び周囲には常緑樹が多く見られるようになる。

暫く平坦な道が続いた後、道は苔生した岩の間を下るようになり、その後下りが続くようになる。
なお、この苔生した岩の間を下る手前にて右の斜面に取り付くと、天台山の石祠と三角点があるとのことであるが、事前に下調べをしなかったため、 見逃してしまった。
岩の間を通り、緩やかに下っていくと、途中に石柱が現れ、そこには 『 貝吹地蔵 』 と書かれている。時刻は 12時4分。
道を外れ、石柱の横を通って少し登ってみると、岩と落ち葉に囲まれた中にお地蔵様が鎮座されておられた。
なお、石柱の所に、この貝吹地蔵についての手書きの案内板があったが、それを作成したのは 『 瀬谷文化協会 』 とのこと。 瀬谷区に住んでいるので、こんな所で瀬谷の名を目にするとは少々ビックリである。

下りが一応終わると、ほぼ道は平らになるが、ここからは緩やかに高度を下げていくという感じになる。
やがて、『 瑞泉寺山内 北条御一門云々 』 と彫られた石柱が現れるが、その側面に 『 文政十二年 』 と彫られていたので、 そう古いものではないようだ (文政十二年は 1829年)。
その石柱から少し進むと、道の左手に再び やぐらが現れる。岩を削ってはあるものの天井のないものから、洞穴の中に供養塔らしきものが入っているものもある。
この やぐら群を過ぎると、すぐに樹林帯を抜け出すことになり、やがて崖に突き当たって道は右に曲がることになる。 そこには 『 瑞泉寺 約0.4km 』 と書かれた標識が置かれている。時刻は 12時15分。

標識に従って右に曲がっていくと、周囲には柵など人為的なものが現れるようになり、 その先で展望が開け、先程通って来た大平山方面を見ることが出来るようになる。
そこから少し進むと、右に道が分かれるが、瑞泉寺へはこの右の道へと入ることになる。傍らの標識には 『 瑞泉寺 約0.3km 』 とある。
緩やかに下っていくと、途中から足下が岩盤となった、川床のような道を下ることになる。それ程傾斜はないが、足下が滑りやすいので要注意である。
本日は登山靴ではないこともあって慎重に下って行くと、やがて足下は花壇用の おしゃれブロックのようなコンクリート製の丸太を打ち込んだものに変わり、 すぐに 『 天園ハイキングコース 』 と書かれた標柱が立つ車道に飛び出したのであった。鎌倉アルプスの終了である。時刻は 12時21分。

車道を右に進むとすぐに丁字路にぶつかるので、瑞泉寺に向かうべく右に道を取る。
以降は寺社巡りとなるので、詳細は省略するが、瑞泉寺の本堂裏には夢窓疎石 (歴代天皇から 7つもの国師号を賜与され、夢想国師もその 1つ) が岩盤を削って作られた石庭がある。
夢想国師と言えば、その山中で修行して悟りを開かれたという乾徳山がすぐに頭に浮かぶ。最近 乾徳山に登り、 また夢窓疎石が開山した恵林寺を訪れたばかりの者としては、縁のようなものを感じて少々驚かされる。
瑞泉寺からは鎌倉宮を目指し、途中にあった永福寺跡 (広い原になっている) にあるベンチに腰掛けて駅弁を食す。

その後、鎌倉宮を経て横浜国大付属小中学校の横を通り、鶴岡八幡宮に横から入り込む。 時刻は 13時9分。
七五三で賑わう本宮にお参りした後、本宮左手の宇佐神宮遙拝所脇から抜けて県道21号線に出る。ここからは、 県道21号線沿いを今朝ほどの建長寺方面へと進む。
坂を登っていくことになるのだが、建長寺方面から下ってくる人が多いことに驚かされる。
建長寺前を 13時23分に通過し、その後は交通量の多い県道21号線をひたすら歩き続け、駐車場には 14時55分に戻り着いたのだった (道が分からないので、 大船駅まで進んでしまい、かなりの大回りとなってしまった)。

本日は、必要に迫られての鎌倉アルプスであったが、160m弱の低山とは言え、 どうしてどうして なかなか楽しめた山であった。
しかし、これを機に山への意欲が高まるかと期待したのだが、この後も停滞が続くことになる。


天狗岳リベンジ  2015.11 記

10月13日(火)にトライした天狗岳は、図らずも冬の様相を呈した稜線の状況に怯んでしまい、 さらにはガスによって視界がほとんど得られないことで登高意欲を失って、結局、その頂上を踏むことなく終わってしまった。
但し、この山行の主目的であった ミドリ池、本沢温泉、夏沢峠、箕冠山 (みかぶりやま)、根石岳を繋ぐルートを歩くことはできたので、 天狗岳登頂を諦めた時点では、ある程度の満足を覚えていたのであった。
しかし、下山途中に、あとわずか 25分程登れば天狗岳の頂上であったことを知り、よく調べもせずに敗退を決めてしまった自分の愚かさを大いに悔やむことになったのである。

そのため早くリベンジを果たそうと、他の山を差し置いての再登山を決める。 ただ、同じコースを辿るのでは全く以て面白くない。そこで、八ヶ岳の地図を眺めて検討した結果、 前回の登山口である みどり池入口とは天狗岳を挟んで反対側にある桜平から登ることにする。 加えて、桜平の標高は 1,900m (みどり池入口は 1,570m程) と高いので、天狗岳だけでは物足りないと思い、 硫黄岳、峰の松目を加えての登山を計画する。

10月24日(土)、夜中の 3時過ぎに横浜の自宅を出発する。 これは桜平が登山口として人気があり、土曜日ということを考えると早めに出発した方が良かろうと考えてのことである。
いつも通り、横浜ICから東名高速道に入り、圏央道を経由して中央高速道へと進む。諏訪南ICで高速を下り、取り敢えずは過去 2回天狗岳を登った際の登山起点であった唐沢鉱泉を目指す。
途中、まだ暗い中にズラリと並ぶ八ヶ岳のシルエットが見え、本日の晴天を確信する。
三井の森別荘地を抜けると、左 唐沢鉱泉、右 桜平の分岐となるので、右へと進む。
ここからは悪路の連続。暗闇の中、凸凹の未舗装道を進んでいくのだが、やはり暗いうちは道路の 凸凹を完全には把握できず、 どちらかの前輪が不意に沈んでドキッとさせられる。
小生の車は4WDで車高も高いので、何とか擦らずに済んだが、普通の車だとフロント部分を擦ることも多々あろう。

時々現れるコンクリート道にホッとしつつ慎重に車を進めていくと、 やがて道の周辺に駐車した車が現れ始め、すぐに夏沢鉱泉へと続く林道を右に分けることになる。 その近辺のスペースに駐車すれば良かったのだが、よく分からずズルズルと先に進んでしまい、 『 桜平 』 と書かれた標柱の立つ終点まで行ってしまう。到着時間は 5時48分。
車内にて朝食をとった後、身支度をして 5時58分に出発する。この桜平が一番高い所にあり、夏沢鉱泉に向かうには道を下って少し戻らねばならない。 ということは、帰りには登りが待っているということになる。
桜平、そして林道の脇には既に多くの車が駐まっており、この登山口の人気を物語っている。何しろ、横岳・硫黄岳・天狗岳・峰の松目の最短ルートであり、 南八ヶ岳、北八ヶ岳両方へのアプローチが容易であることがここの特長なのである。

6時2分に夏沢鉱泉への林道ゲートを通過する。ここからも暫く林道歩きが続くが、 この道は一般車通行止めで、夏沢鉱泉の車のみ通行できるようである。 少し進むと、前方の山間に峰の松目らしき山が見えてくる。本日は快晴、心が弾む。
最初は鳴岩川の右岸を進むが、やがて流れを渡って左岸を進むようになる。右手の林を見ると、樹林の下部は苔類で覆われている。 林道を黙々と進み、再び鳴岩川の右岸に渡り返した先で夏沢鉱泉に到着。時刻は 6時26分。
鉱泉の玄関前に登山ポストがあったので、用意してきた登山届を投入する。
夏沢鉱泉から先も暫く林道のような道が続くが、徐々に道幅は狭くなり、右手に鳴岩川の流れを見ながら進んで行く。

鉱泉の設備らしきものを通過した後、流れをまた渡ることになり、 その後再び流れを渡り返すことになるが、そこからは少し傾斜がキツくなり始め、ようやく山登りという感じになる。
シラビソの樹林の中をジグザグに登り、高度を上げていく。右手樹林越しに峰の松目と思しき高みが見え、その山頂付近に朝日が当たり始めている。
またまた小さな流れを渡ると、傾斜はかなり緩やかになり、やがて平らな道が続くようになる。そして、前方の樹林上方に硫黄岳が見えてくるとともに、 薪を燃やしているような臭いが漂い始め、オーレン小屋が近いことを知らせてくれる。
オーレン小屋には 7時8分に到着。小屋の先には硫黄岳が見えている。
小屋前のベンチにザックを置き、トイレを借りたのだが、ベンチは朝霜で真っ白である。なお、ここは室内トイレとなっており、 非常に清潔で気分良く使用することができた。100円は安い。

7時18分に出発。ここから道は 3つに分かれる。真っ直ぐ進めば夏沢峠、 右は峰の松目・硫黄岳、左は箕冠山・天狗岳となっており、当然 左に道をとる。結局、本日のルートはこのオーレン小屋にコンパスの針穂先を置き、 北 〜 東 〜 南へと半円を描くという形になるのである。少し登って小屋の裏手に出ると、峰の松目がよく見えるようになる。
シラビソの樹林帯を緩やかに登っていく。道は溝状になっており、シラビソの足下には苔類が目立つ。
登るに連れ、樹林を通して朝日が当たるようになり周囲は明るい。前回、夏沢峠から箕冠山までの樹林帯が霧氷で真っ白だったことが嘘のようである。
展望のない登りが続くが、やがて振り返ると樹林越しに赤岳、阿弥陀岳の姿が少し見えるようになり、そこから少し登れば箕冠山であった。 時刻は 7時56分。

右に夏沢峠の道を分け、真っ直ぐ進む。ここからは前回と同じ道を辿ることになる。
前回、ここの下りはガスの中に突っ込んでいくような感じで、全く視界がなかったのだが、本日は快晴、いきなり樹林越しに根石岳の姿が見え、 その左後方には東天狗も見えている。テンションがグッと上がる。
成る程、ここの下りはこうなっていたのか、と頷きながら下る。前回は視界がなく、まさに手探り状態であったが、 本日はその時の答え合わせをしているような気分である。
下って行くに連れ、箕冠山と根石岳の鞍部の広がりがよく見えるようになる。ハイマツの斜面、その先に広がる砂礫の鞍部、 そしてその後方には青空をバックとした根石岳、さらに西天狗が見えており (東天狗は根石岳に隠れてしまった)、 その素晴らしい光景に思わず声を上げる。やはり、山は快晴の時に登るべしとの思いを強くする。

一方、本日も前回と同じく左から右に吹き抜ける風が強く冷たい。 ただ、前回のように左手が悴むということはない。
鞍部へ下っていくと右の視界が開け、御座山 (おぐらさん)、そしてその右後方に両神山がうっすらと見えるようになる。
根石山荘への分岐を 8時1分に通過、前回は全く見えなかった根石山荘の建物もよく見えている。
植生保護のため両側にロープが張ってある道を根石岳に向かって進む。右手の展望はさらに広がり、御座山に加え、天狗山、男山、 さらには三宝山、甲武信ヶ岳、木賊山も見えている。
赤茶けた岩がゴロゴロしている斜面を登る。振り返れば、硫黄岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳が見えている。

8時9分に根石岳山頂に到着。ここからは北側の東天狗、西天狗がよく見えるようになる。
反対の南側には、南アルプスの仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳がシルエットになって見え、その左に鳳凰三山が続く。
そして、南アルプスの左側手前には阿弥陀岳、中岳、赤岳、硫黄岳といった南八ヶ岳の山々が並ぶ。さらに左側に目を向ければ、 金峰山、国師ヶ岳がこれまたシルエットとなって並んでおり、金峰山の左下方には瑞牆山も確認できる。
少々展望を楽しんだ後、東天狗に向かう。下り斜面に入ると、こちらはまだ日が当たらないため、足下の岩に霜が付いており、 迂闊に足を乗せられない状態になっている。滑らないよう足場を選びながら慎重に下る。

前方を見れば、白砂新道への分岐、そしてそこから東天狗に至る登り斜面が見えている。
前回は天狗岳を諦め白砂新道分岐から下山したのだったが、こうして晴天の下、断念した登り斜面を見ると、 諦めたのもあながち間違いでは無かったという気になる。何も見えない中を とにかく登り続けるというのは虚しいからである。
却って、本日のリベンジによってこうして素晴らしい光景を見ることができたので、撤退は正解だったのかもしれない。
あのまま天狗岳に登っていれば、もう 1度このルートを辿ることは恐らくなかったと思われるからである。

その白砂新道への分岐を 8時18分に通過し、東天狗への登りに入る。
左手に見える西天狗だが、北側から見るその姿は樹林に覆われていて優美であるのに対し、こちら側 (南側) から見る姿はゴツゴツした岩が剥き出しになっており、 その斜面は少しずつ崩れているのではないかとさえ思える状況で、大変荒々しい。こちら側はかつて火口だったのかも知れない。
今登っている東天狗の方は、赤い岩肌を見せていることから 『 赤天狗 』 という別名があるそうだが、この白砂新道分岐付近は白い砂地が日の光に輝き、 日向山を思い起こさせる。ただ、高度を上げるに連れ、足下は白色から少しずつ赤みを帯びた色に変わり始める。そして、右手前方には稲子岳の南壁も見えてくる。
岩屑の斜面をジグザグに登る。左から吹く風は相変わらず強いがバランスを崩すほどではない。 前回は視界も無く、今よりもかなり強風だったことを考えると、そんな中で ここを登るのは少々危険だったかもしれない。
振り返れば、この東天狗と根石岳の間が台地状になっているのが見える。これも火山地形なのだろうか。

急斜面の登りもやがて終わりとなり、ハイマツの生える狭い稜線を歩くことになる。
前方には東天狗の頂上、そしてその手前に鉄製の桟橋が見えている。狭い岩稜帯を進む。周囲の岩は鉄分を含んでいるのだろう、かなり赤茶けており、 『 赤天狗 』 と言われるのもよく分かる。
そして、鉄の桟橋を渡り、鎖場を乗り越えれば、東天狗の頂上であった。時刻は 8時37分。ここからは蓼科山が見えるようになる。
吹く風は強く冷たく、ジッとしていられないので、周囲の写真を撮った後、すぐに西天狗へと向かう。 こちらから見る西天狗は、先程までとは違って斜面の大半を緑色が占めており、『 青天狗 』 と呼ばれているのも納得である。
ザレた斜面を下る。右手を見れば、天狗の奥庭、そして黒百合ヒュッテの屋根が見える。
東天狗と西天狗の鞍部に下り立つと、今までの強風が嘘のように無風状態となり、暖かい日差しが心地よい。
ハイマツ帯を抜け、ザレた斜面を登る。距離は短いが、足下が崩れやすいので要注意である。 そして、8時52分、西天狗に到着。山頂は 10人弱の団体の他、7、8名おり、かなり混んでいる。

ここには二等三角点があるのだが、その標石は大きく地面から露出し、 しかも傾いているので、最早 『 故障点 』 という状況である。
風がそれ程強くないので暫し休憩する。その後、周囲の山々を眺める。目新しい所では、南西方向に中央アルプスが見えている。 ここから見る中央アルプスは、木曽駒ヶ岳が一番高いことが明確に分かる。
木曽駒ヶ岳の左には中岳が確認できるが、その左に続く宝剣岳は少々分かりにくい。さらに左には三ノ沢岳と思しき山が見え、 その左に檜尾岳などの山々が続く。
木曽殿越はハッキリと確認でき、その左に空木岳、南駒ヶ岳が続くが、さらに左側の山々は少々同定が難しい。

中央アルプスが終わると、今度は南アルプスが始まる。白岩岳が意外と目立ち、 そこから少し間を空けて仙丈ヶ岳が大きい。仙丈ヶ岳の左には甲斐駒ヶ岳が見え、その左に北岳が続く。 甲斐駒ヶ岳と北岳の間の後方にズングリとした山が見えているが、恐らく塩見岳と思われる。
北岳の左には西農鳥岳、農鳥岳が続き、さらに高嶺、鳳凰三山が並ぶ。鳳凰三山 観音岳の手前には八ヶ岳の編笠山が見え、 さらに手前に峰の松目が見えている。また、峰の松目の右後方には西岳がその山頂部分を見せている。
編笠山の左には阿弥陀岳が存在感を示しており、さらに左に中岳を挟んで八ヶ岳の主峰 赤岳が力強い姿を見せている。赤岳の左には横岳が少し見え、 その手前に硫黄岳が大きい。
ただ、逆光気味であるため、その爆裂火口はよく見えない。硫黄岳の手前には箕冠山、根石岳が見えている。

また、硫黄岳の左後方には金峰山、朝日岳、国師ヶ岳が続き、国師ヶ岳の左手前には小川山も見えている。
先程確認できた瑞牆山は逆光状態のため、金峰山の手前下方に見えるか見えないかの状態である。
小川山の左側には、少し間を空けて木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山が見え、その左側手前には天狗山も見えている。そしてさらに左に御座山が見えるが、 その右後方の両神山は少々分かりにくくなっている。
御座山のさらに左にも山が続くが、同定は難しく、ようやく北北東の方向に浅間山がうっすらと見えるだけである。
そして、そのさらに左側、北 〜 西にかけて本来なら見える山々は、間近にある蓼科山と北横岳を除いてほとんど見えない状態ある。 従って、妙高山など頸城山塊、北アルプスは全く見えず、そのまま左に目を移していくと、結局 中央アルプスに至ってしまうという状況である。
なお、木曽駒ヶ岳の右側には麦草岳、茶臼山が見え、さらに大棚入山が続いている。また、中央アルプスの右には御嶽と思しき山が少しだけ見えている。

9時6分に西天狗を出発し、辿ってきた道を戻る。そして、東天狗には 9時18分に戻り着く。
暫し写真を撮った後、硫黄岳に登るべく 今朝登って来た道を下る。鉄製の桟橋を渡り、9時31分に白砂新道分岐を通過、根石岳への登りにかかり、 根石岳には 9時41分に戻り着く。
2分程頂上でウロウロした後、気持ちの良い光景が広がる斜面を下る。鞍部を経て緩やかな斜面を登る。 天狗岳や根石岳の姿を名残惜しみつつ樹林帯に入ると、すぐに 箕冠山に到着する。時刻は 9時54分。
ここからは左に道をとって夏沢峠へと下る。前回は全く視界が得られなかったこの道であるが、本日は樹林越しに天狗岳、根石岳、稲子岳、 そして硫黄岳などの山々を見ることができ、不安を抱えながら登った前回とは全く気分が違う。
緩やかに下り続け、夏沢峠には 10時16分に到着。夏沢ヒュッテ横の大岩にて休憩した後、10時24分に硫黄岳に向けて出発する。

道はすぐに樹林帯に入るが、少し登ると崩壊地にぶつかり、道は迂回路を進む。 本来の道は斜面の縁に作られているのだが、斜面は浸食が進んでいるようで、確かに少々危険である。
道は暫しの登りの後、樹林を抜け出し、森林限界を越える。当然展望も開け、振り返れば箕冠山が見え、 さらにはその稜線の後方に西・東の両天狗がその頂上を少しだけ見せている。また、右手を見れば、峰の松目が見える。
道はやがてハイマツ帯の中の砂礫の道へと変わる。ジグザグに登っていくのだが、これが結構辛い。
風も強く吹いているが、今朝ほどのような冷たさはないので、疲れ始めた身体には却って心地よい。
峰の松目の右下方にはオーレン小屋が見えており、振り返れば、高度が上がった分、箕冠山後方の天狗岳もグッとせり上がり、 さらには西天狗と東天狗の間に根石岳も見えるようになる。

岩屑の道が続くが、やがて板状の岩の積み重なりが現れる。 さらに登っていくと、足下は煉瓦色や黒色の岩に変わって、この山が火山であることを意識させられる。
そして、その少し先で硫黄岳の頂上方面が見通せるようになる。斜面はこちら側になだらかに下ってきており、 さらには右のオーレン小屋方面へもハイマツと草地の絨毯が緩やかに下っている。
登山道はそのなだらかな斜面の左縁を登るようになっているが、そちら側は崖のようになっていて、その向こう側は火口であることが容易に想像できる。 また、濃霧時などに迷わないようにとの配慮なのか、立派なケルンが点在している。
振り返れば、西・東の両天狗は完全に箕冠山の上に姿を現し、その 2つの頂上を結ぶ稜線もハッキリ見えている。

やがて、道は左側の崖の縁に到達し、硫黄岳の爆裂火口がよく見えるようになる。 その断崖絶壁となった火口壁は迫力満点で、いにしえの爆発の凄まじさを今もしっかりと伝えてくれている。
浅間山や阿蘇山など、いくつもの火口を見てきているが、ここの迫力は他に類をみないのではなかろうか。馬蹄形をした断崖絶壁が長く続き、 聞けば、山頂から火口の底までは 550メートル余もあるという。
さすがに近づくのは危険なため、登山道にはロープが張られている。
少々喘ぎ気味になりながらも登り続け、硫黄岳の標識が立つ場所には 11時17分に登り着く。広く平らなこの頂上を踏むのは 3回目となるが、 晴天に気分を良くして、過去 2回には行くことがなかった火口の縁を進んでみることにする。

ロープが張られた中を進む。左側の崖の縁には溶岩の固まりが見られるが、 所々に穴やひび割れも見られ、崩れる可能性があるので火口に近づくのは危険である。
やがて、右に下る斜面途中に石の祠が見えてくる。ここに祠があることを知っただけでも何か得をした気分になる。
そして、道は 『 行止まり 』 と書かれた標示板で終わりとなる。三角点はその先にあるらしいのだが、 それ程三角点には拘っていないので素直に引き返す。
周囲を見れば、行き止まりの先の方には八ヶ岳高原の広がり、そしてその後方に金峰山、甲武信ヶ岳などの山々が見えている。 また、道を戻りつつ左手を見れば、阿弥陀岳、赤岳、横岳が見え、さらには大同心、小同心も見えている。
そして嬉しいことに、横岳の左後方にはうっすらと富士山も見えたのであった。

硫黄岳の標識の所には 11時37分に戻り着く。 ここからは、かつてロボット雨量計が設置されていた小屋の横を通り、赤岩ノ頭へと下る。
目の前には赤岳、中岳、阿弥陀岳が並んでいるが、逆光で薄ボンヤリとしており、ましてやその右後方の南アルプスに至っては最早 空の色に紛れつつある。
11時40分に下山開始。岩場の急斜面を下る。先の方には赤岩ノ頭、そしてその手前に白ザレたコルが見えている。
右手には、今朝ほど登った東天狗、西天狗、根石岳、箕冠山が見え、西天狗の左後方には蓼科山も見えている。
そして、前方右手にはこれから登る峰の松目が見えているが、こちらから見るとピラミダルな独立峰のようである。
風に白砂が舞う赤岩ノ頭手前のコルには 11時50分に下り着く。ここから右に下ればオーレン小屋、左は赤岳鉱泉に至る。 峰の松目に行くには、真っ直ぐ進んで赤岩ノ頭に登った後、右へと進むことになる。
振り返れば、台座ノ頭、横岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳が見えている。硫黄岳もよく見えるが、こちらから見る姿は、 今までと違ってピラミッド型である。

暫し写真を撮った後、赤岩ノ頭へと進む。2分程で赤岩ノ頭に登り着き、 道はここから右に 90度曲がって西へと進む。
ハイマツとシャクナゲの稜線が続く。小さな高みを乗り越えれば、前方に目指す峰の松目が良く見えてくる。なかなか見事なピラミッド型である。
少しザレた場所を通過した後、その先でシラビソの樹林帯に入る。道は明瞭、樹林を通して差し込む太陽光で周囲は明るい。 一旦樹林帯を抜けると、ハイマツの向こうに再び峰の松目が見え、道はそこからドンドン下っていくようになる。 登り返しがキツくなることを恐れつつ下る。

道はやがて緩やかになり、暫くほぼ平らな道が続いた後、 古くなった丸太の横木が埋まった登り斜面に入る。
オーレン小屋への分岐はどこだろうと思いつつ、斜面を登っていく。
途中、樹林が切れて硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳が小間切れに見えるようになる。その先で道はかなりの急斜面となり、 疲れが出てきた身体には結構 応える。
息を切らせつつ何とか登って行くと、傾斜は徐々に緩み、先の方から人の声が聞こえてくるようになる。ようやく分岐かと思ったら、 目の前に白い標柱が現れ、狭いスペースに 10人弱の団体がたむろしていたのだった。そして白い標柱には 『 峰の松目 』 と書かれている。 どうやら、オーレン小屋への分岐を見落としてしまったらしい。時刻は 12時34分。

狭く展望の利かない山頂はその団体さんに占領されていたので、標柱と三角点を撮影してすぐに下山する。
なお、この団体は、今朝ほど西天狗頂上におられた団体と同じ人たちのような気がしたのだが、確認はしていない。
見逃したオーレン小屋への分岐を探しながら下る。恐らく平らになっている場所が分岐に違いないと思っていたら、そこに分岐はない。 さらに進むと、樹木の陰にチラリとオーレン小屋への分岐を示す標識が見えたので一安心。
この辺は木々の間に数本の道が走っており、どうやらその一番南側を通ったことで標識を見落としてしまったらしい。時刻は 12時45分。 左へ下り、樹林帯を進む。途中、樹林が切れて西天狗が見えるようになる。

道は斜面を横切る、ほぼ平らな道が続く。少し左に折れて下り始めると、 やがて赤岩ノ頭手前のコルから下ってくる道と合流する。時刻は 12時58分。
そこから左に道を取って樹林の中を下っていくと、やがてオーレン小屋のキャンプ場に飛び出し、小屋前には 13時5分に到着したのであった。 小屋前のベンチでは多くの人が休んでいる。
暫し休憩した後、オーレン小屋を 13時15分に出発。今朝ほど辿ってきた道を戻り、夏沢鉱泉を 13時37分に通過、 そして林道の合流点には 13時54分に戻り着いたのだった。
ここから桜平までは登りが待っている。懸念していたとおり疲れた身体にはこの登りは結構辛い。 多くの車が駐車している林道を登り、桜平には 13時58分に戻り着く。

本日は先般の天狗岳敗退のリベンジを目論んだところ、晴天に恵まれてリベンジを果たすことができたとともに、 硫黄岳、峰の松目にも登ることができ、楽しい一日であった。
桜平までの道は悪路であるが、人気が高いのも頷ける。林道の周囲には 50台近い車が駐まっていたと思われる。


天狗岳敗退 (今年 2度目の敗退)  2015.10 記

9月30日に北岳に登った後、グズグズしていたらすぐに 3連休。 連休中の渋滞、そして山の混雑が煩わしく、9月のシルバーウィークと同様、この間はおとなしくして、連休明けに山に行くことにする。
行き先は八ヶ岳連峰の天狗岳。 と言っても、もう既に 2回登っている山であり、今回は天狗岳が主目的ではない。
今回この山を選んだのは、25年ぶりにミドリ池、本沢温泉、夏沢峠を繋ぐルートを歩いてみたくなったこと、 加えて天狗岳から眺めるたびに気になっていた根石岳、箕冠山 (みかぶりやま) 方面のルートを辿りたいと思ったからである。
連休中、暇つぶしに八ヶ岳の地図を眺めていてこの思いが強くなり、早速 実行することにしたという訳である。

10月13日(火)、3時半過ぎに自宅を出発する。 上空は雲が多いが、天狗岳のある小海町、茅野市方面は晴れの予報となっている。 いつも通り横浜ICから東名高速道に入り、圏央道経由にて中央高速道へと進む。
上空の雲は薄れ始め、やがて 『ニセ八ツ』 とのありがたくない俗称もある茅ヶ岳が見えてきたものの、 その先にある肝心の八ヶ岳は雲に覆われていて姿が見えず、少々先行きに不安を覚える。
須玉ICで高速を下り、国道141号線を北上する。上空は青空に変わりつつあるが、左手の八ヶ岳は相変わらず雲の中で、 雲のない右手の奥秩父方面とは対照的である。

かなり長い間 国道141号線を進んだ後、松原湖入口にて左折し、県道480号線に入る。
緩やかな傾斜の道を昇っていくと、やがて 『 稲子湯 直進、松原湖高原 右 』 の標識が現れるが、ナビは右を指示する。 目指すは稲子湯の先にある駐車スペースのはずなのでアレと思ったが、ここはおとなしくナビに従って右折し、そのまま県道480号線を進む。
集落を抜け、再び緩やかに昇っていくようになると、左手前方に八ヶ岳の山々が見えてくる。
但し、その大部分が雲に覆われており、見えるのは麓の部分だけである。 本来ならば横岳、硫黄岳、稲子岳などが見えるようなのだが、今は稲子岳の南壁が少々確認できるだけである。 一向に好転しそうもない状況に気分が沈む。

暫く道なりに進んでいくと、やがて 『 左 稲子湯 』 の標識が現れ、 ナビの指示どおりにそこを左折する。
ここからは山の中をドンドン進んでいくと、暫くして道路右手前方に駐車している車が見えてくる。 『 みどり池入口 』 バス停横にある目的の駐車スペースに到着である。
どうやら道は稲子湯の反対側から回って来たようで、さらに進めば稲子湯があるらしい。到着時刻は 6時16分。

身支度を調えて 6時22分に出発し、駐車スペース脇の林道を進む。
すぐにゲートが現れ、そこにあった登山ポストに登山届を入れる。
ゲートの先で唐沢橋を渡ると、『 ミドリ池 2.2km 』 と書かれた標示板が現れるので、林道と分かれて林の中に入る。
しかし、すぐにまた先程の林道に飛び出ることとなるが、少し先に 『 ミドリ池 2.1km 』 の標識があり、 再び林に入ることになる。
紅葉が始まっている林の中を緩やかに登っていくと、道はまたまた林道に飛び出す。 今度は少し長めに林道を歩いていくと、林道左手に 『 ミドリ池 1.5km 』 の標識が現れ、そこからまた林に入ることになるが、 林道とはここで完全に別れることになる。
道は山道の様相を呈し、傾斜が少し急になってくるが、少し進むと道の幅は再び広くなり、中途半端な林道というような雰囲気の坂道が続くようになる。 この辺は材木運搬用にトロッコが使われていたようなので、今登っている道もトロッコ軌道跡なのかもしれない。

カラマツ林の中、道は途中に少々急な所があるものの、総じて緩やか、 足下もしっかり踏まれていて歩き易い。
やがて、道の脇に枕木と思われるものが積まれている場所を通過すると、その先にて 『 ミドリ池 0.6km 』 の標識が現れる。時刻は 7時7分。
ここには右に分かれる道もあり、その先の小さな流れに橋が架かっているのが見えるが、そちらには行かないようロープが張られている。
ここからは道幅も狭まって登山道らしくなり、斜面をジグザグに登っていく。少し登ると、今度は道の脇に放置された線路が目につくようになる。 また、先程まで登山道は完全にトロッコ軌道跡らしき所を通っていたのだが、この辺ではトロッコ軌道跡と交錯するようになり、 登山道周辺には 2本のレールが当時のまま残っている所もある。
周囲はトウヒ、モミ、さらにはシラビソが目立つ。また、足下には苔類に覆われた、短く切られた木々が多数転がっていて、 森林伐採の頃の名残が感じられるようになる。

苔生した倒木や岩の多いシラビソの林を登っていくのだが、 この辺は奥秩父にも似た雰囲気である。
なお、身体にはそれ程吹きつけてこないものの、上空では強い風が吹いているようで、ゴーッという音とともに木々が大きく揺れており、 時々 木々が擦れ合う音も聞こえるようになる。
この分だと稜線上はかなり風が強いと思われ、雲に覆われた山の状況にさらにマイナス要素が加わったことで、ますます不安になる。
やがて登り斜面も終わり、『 ミドリ池 0.3km 』 の標識が立つ場所に登り着く。時刻は 7時27分。
ここもかつてトロッコ軌道があったようで、平らな道が左右に延びている。ミドリ池は左、右は先程下方にあったトロッコ軌道へと続いているものと思われる。
ここからはほぼ平らな道が続くようになり、道の脇には片付けられた線路が残っている。
道はかなり広い所がある一方で、左右の斜面が迫っていたり、岩が道側に飛び出している所もあるので、 ここをトロッコが走っていた頃はさぞかし運転に気を遣ったことであろう。

歩き易い、落ち葉の舞い散る道を進んでいくと、やがて、 前方樹林越しにミドリ池としらびそ小屋が見えてくる。
しらびそ小屋到着は 7時31分。小屋はひっそりとしていて誰もいないようであったが、代わりに小屋前にてホシガラスが迎えてくれたのだった。
ミドリ池の前に立つと、その向こう岸に見えるはずの稲子岳はそのほとんどが雲というか、ガスに覆われてしまっている。
先に述べたように、南北に長い八ヶ岳の両側を挟む小海町、茅野市の天気予報は晴れとのことだったので、 時間が経つに連れて山の状況も好転すると期待していたのだが、どやら無理のようである。ガッカリである。
有料トイレ (使用可だったので管理人が居たに違いない) をお借りし、少々休憩した後、7時39分に出発。ミドリ池の縁に沿って進む。

ここからの道もトロッコ軌道跡のようでほぼ平らであり、 道の脇には片付けられたレールが見られる。
7時45分に中山峠の分岐に到着。天狗岳に至るには、右の中山峠への道を進んで北側から登った方が早いのだが、 今回は予定通り南側の根石岳経由の道を選択する。無論、目的の本沢温泉、夏沢峠経由である。
この夏沢峠、本沢温泉は、25年前の 1990年に通過している。その時は初めての八ヶ岳登山であり、夜行列車にて茅野駅まで行き、 駅で少し時間を潰した後、タクシーにて美濃戸口まで行って空が白みかけるのを待って出発。
赤岳、横岳、硫黄岳と縦走して夏沢峠に下った後、本沢温泉、ミドリ湖と進んで、稲子湯にて汗を流してからバスにて帰宅したのだった。
今思うと、茅野駅や美濃戸口にてかなり無駄な時間を過ごしたが、当時は車での八ヶ岳登山など考えられず、夜行しかないと思っていた故である。 まだ、若く、山への興味が今以上に強かった頃でもある。

閑話休題。
中山峠への分岐を過ぎても平らな道が続くが、すぐに小さな流れが現れ、そこから湿地帯が続くようになる。
所々に木道が見られるようになり、菜っ葉のような草が生える中を木道にて進む所も出てくるが、この辺はクリンソウの群生地と聞いているので、 菜っ葉のような草はクリンソウだったのかもしれない。
湿地帯を通り抜け、緩やかに登っていくようになると、先の方に急斜面が見えてくる。あの斜面を直登するのかと思ってため息が出たが、 ありがたいことに道は右に折れて、緩やかなシラビソの中の登りが続く。

やがて、道はほぼ平らとなり、周囲にはダケカンバが多く見られるようになると、 ここで本日初めて人と擦れ違う。
下り斜面に入ると、樹相は再びシラビソやモミ類に変わり、足下にはササが多く見られるようになる。赤土の斜面を下っていくのだが、これが結構急で、 25年前に本沢温泉を通過した後のこの登りに、かなりウンザリしたことを思い出す。
しかし、この斜面も長くは続かず、すぐに林道のような道に下り着く。本沢温泉に通じる道である。時刻は 8時27分。
なお、この斜面を下っている時にも数人の登山者と擦れ違う。昨日までの 3連休に休暇を足して、山中で泊まられた方が多いのであろう。 結局、この日は、平日にも拘わらず 40人近くの人と擦れ違うことになって大変驚いたのだった。

右折して林道のような道を進む。暫くすると、左手樹林越しに硫黄岳方面がチラチラ見えるようになるが、 相変わらず雲というかガスに覆われてしまっており、テンションが下がる。
本沢温泉には 8時38分に到着。小屋周辺は、カラマツであろうか、黄色に染まった木々が非常に美しい。
小屋を素通りし、右手に白砂新道を分けた後、少し進んで再び登りに入ると、周囲に硫化水素の臭いが漂い始める。
この本沢温泉は、硫黄岳爆裂火口の北側 1km強の所に位置しているため、温泉、硫化水素臭、左手下方を流れる湯川の渓相、 そして足下の砂礫や周囲の山肌など、火山を意識させるものが沢山現れる。 さらには露天風呂まである。
その露天風呂への分岐を 8時45分に通過し、草木の生えぬ、硫化水素臭のする砂礫の坂を登ると、再び樹林帯に入って普通の登山道に戻る。

樹林の中を少し登ると、道は湯川を見下ろす谷の縁を歩くことになり、 少し展望が開けてくる。
振り返れば、紅葉の谷の下った先に平らな山の連なりが見えているが、方角から判断して四方原山方面ではないかと思われる。 一方、相変わらず硫黄岳方面は雲の中である。
シャクナゲの群生地を過ぎると、谷沿いを離れて道は再び山へと入っていく。
シラビソ、コメツガ、モミなどの樹林帯をジグザグに登っていく。暫く展望の無い登りが続くが、やがて硫黄岳側へと下る斜面の縁を通るようになると、 少し樹林が切れ、振り返れば御座山が見えるようになる。
その後、再び視界の無い樹林の道が続く。足下の岩は黒く、あたかも火山弾のようだが、一方で苔生しているものが多いため、 硫黄岳の噴火によって飛んできたのはかなり昔であることが想像される。

やがて、周囲の樹林も少なくなってくると、右手前方の崖の上に建物が見えてくる。
一見すると高台に立つ別荘という感じであるが、夏沢峠にある山びこ荘である。
ようやく夏沢峠に到着 と思ったが、それからも山小屋の下をグルッと回り、最後は急斜面を登って小屋の正面に出るべく歩かねばならず、 山小屋を見て少し力が抜けた身体にはこの僅かな距離が結構辛く感じられたのだった。
山びこ荘到着は 9時38分。テンションが上がらないままダラダラと登って来たので、本沢温泉から 1時間を要したことになる。

この夏沢峠から道はいくつかに分かれる。大雑把に言えば、 山びこ荘とヒュッテ夏沢の間を通って右(北)に向かえば、目指す根石岳、天狗岳方面。 左(南)に進めば硫黄岳で、真っ直ぐはオーレン小屋、夏沢鉱泉への下山路である。
驚いたことに、硫黄岳への道を見ると、すぐの樹林帯には霧氷が付着している。風も強く、周囲はガスっていて展望も限られ、 これからの稜線歩きが本当に心配になる。
しらびそ小屋以来休んでいなかったので、山びこ荘で休憩と思ったのだが、管理人と思しき方が外で作業していたので、 そのまま休まずに先へと進む。
と、ここで、根石岳方面からの下山者数人と擦れ違う。その中の単独登山の方を見ると、着ているウエアは濡れており、 ザックにはエビのシッポが付着している。
そして、稜線の様子を尋ねると、風が強く身体が振られるような状況であり、また寒い上に視界も利かないとのこと。
ますます気持ちが萎える。

山びこ荘の裏手は土手のようになっていて開けており、 晴天であれば かなりの展望を得られるものと想像されるが、今はガスが漂い全く視界は無い。 そこを過ぎると、すぐに樹林帯に入り、緩やかな登りが続くようになる。
最初、こちら側には霧氷は見られなかったものの、登るに連れて周囲に霧氷が現れ始める。
シラビソなどの木々は真っ白、そして強い風に木々が揺られ、木に付着した霧氷がバラバラと落ちてくる。
高度を上げていくと、周囲は完全に白い氷の世界となり、足下も木から落ちてきた霧氷で雪が積もったようである。
吹く風は強く、ここはまだ樹林帯であるから良いものの、稜線上に立った時のことを思うと気が滅入る。
キリの良いところで引き返すこともありかなと思いながら、登り続ける。

やがて、木々に着いた霧氷が減ってきたかと思うと、 周囲を樹林に囲まれた小スペースに飛び出すことになる。時刻は 10時13分。
ここは丁字路になっており、左はオーレン小屋、夏沢鉱泉方面で、根石岳・天狗岳は右である。
そして、そこにある標識には箕冠山とある。実際の箕冠山頂上とは少し場所がズレているようだが、頂上までの道もないようなので、 ここを箕冠山としても良いと思われる。
先にも述べたように、ここは周囲を樹林に囲まれていて吹く風も弱いことから、ここで休憩する。
立ちながら食事をしていると、山びこ荘方面から若者がやって来て、そのまま根石岳の方へ進んで行った。
10時21分、箕冠山を出発。右に道を取り、下りに入る。

ここからはガスの中に突っ込んでいく感じで、前がほとんど見えない。
道は溝のようになっており、その溝の上に生える木々に霧氷が目立つようになる。また、足下の方には、土が崩れるのを防ぐためなのか、 茶色い砂礫の中に鉄格子が埋め込まれている。
ガスでなかかなか視界が得られないものの、やがて下った先が広いスペースになっているのが薄ボンヤリと分かるようになる。 また、そのスペース手前の斜面に生えるハイマツは、霧氷で雪が積もったような状態である。
そして、下り着いた所は確かに広い場所のようだが、実際はガスのために視界が限られ、その状況は全く分からない。
しかし、何よりも、ここを左から右へと吹き抜ける風が強く冷たい。

少し進んでいくと、道の両側に杭が現れ、そこに張られたロープによって通る場所が制限されるようになる。
植生保護のロープと思われるが、周辺は砂礫地なので、この辺はコマクサの群生地なのかもしれない。
両脇のロープが始まる手前には左に延びる道もあり、足下には 『 根石山荘 』 の看板もある。しかし、その道の先を見ても真っ白で何も見えない。
根石岳へは真っ直ぐに進めば良いと判断し、先へと進む。やはり左から吹きつける風は強く、確かに少しよろけてしまう程であり、さらには体温を奪う。
丸太の杭にはエビのシッポが見られ、また直径 1cmにも満たないロープは霧氷によって直径 3〜4cmの白く太いロープに変わってしまっている。

前は全く見えず、吹き付ける風に左手の指先がかじかみ出す。
このまま長い時間登り続けるのは辛いと思いながら少し進んでいくと、再び左に曲がる道が現れる。
あまりの状況の厳しさに心折れ、この左の道も根石山荘に至るに違いないと判断し、つい曲がってしまう。すぐに根石山荘の建物が見えてくるが、 中は暗くどうも入りづらい。
結局、山荘の前を進み、ロープに従って左に進んで、最初に 『 根石山荘 』 の看板があった所に戻ってしまう。
仕方なく、もう一度根石岳に向かって進んで行くと、傾斜が始まった少し先で、先程 箕冠山で小生を抜いていった若者が上から下りてきた。 少し話をしたところ、状況が厳しいので、根石岳の頂上にて引き返してきたとのこと。
これを聞き、例え引き返すにしても、根石岳まで行けば大義名分が立つと考え、少し気が楽になる。

岩がゴロゴロした、ハイマツの斜面を登る。左からの風は相変わらず強く冷たく、 左手の指先をさらに冷たくする。
手袋はしているのだが、さらにグレードの高い真冬用のものが必要な状況である。
若者と擦れ違ってから 6分程で、根石岳頂上に到着。時刻は 10時35分。
山頂にある岩には霧氷 (岩氷) ができていて、面白い模様を作り出している。
寒風吹きすさぶ山頂にはそう長居はできず (無論、展望など得られない)、すぐに下山することにする。
先程の若者のように登って来た道を戻ろうと思ったのだが、ふと この根石岳を越えた所に白砂新道の入口があることを思い出し、 そこまで行ってみることにする。
白砂新道の下り着く先は本沢温泉であり、辿ってきた道をそのまま戻るよりは時間短縮できるはずである。

10時37分、下山開始。ハイマツの斜面、岩場を下っていくと、 すぐに小さな高みが現れる。そこを巻いて砂礫というか、赤土のような道を下っていくと、ガスの中に白砂新道の入口が現れたのであった。 時刻は 10時43分。
ここで天狗岳に向かうか、下山するか少々迷う。しかし、ここから天狗岳までの時間が手元の地図では分からない。
しかも、目の前に高みがあることは分かるものの、ガスでその根元しか見えず、不安を掻き立てる。
また、風は相変わらず強く、左手の指が凍傷になるのではと思われるほど冷たくなってきている。
ということで、結局、天狗岳はあきらめて白砂新道を下ることにする。
右に稜線を下った途端、風はピタッと止む。今までの強風が嘘のようである。

出だしの道は少し荒れ気味、そしてダケカンバが少々五月蝿い。
暫く下ると、ガスの中を抜け出し、下方奥にゴルフ場が見えてくる。今朝ほどその脇を通った小海リエックス・カントリークラブのようである。 そこからすぐに樹林帯に入り、シラビソの林を下ることになる。この辺の道は明瞭、迷うことはない。
ドンドン下っていくと、やがて樹林越しに硫黄岳の火口壁らしきものが見えるようになるが、その上方は相変わらずガスが停滞している。
小さな流れを 2つほど渡り、暫く下っていくと、やがて本沢温泉の建物が見えてくる。本沢温泉到着は 11時33分。

小屋前のベンチにて暫し休憩する。
その際に地図を見たところ、地図の表側には白砂新道分岐から天狗岳までのコースタイムは記載されていないものの、 なんと裏側の部分拡大地図にはそれが記載されていたのだった。そこには登り 25分とある。
これにはショックを受ける。箕冠山から天狗岳まで 1時間10分と書かれていたため、まだまだ先は長いものと勝手に思い込み、 寒さには耐えられないと判断して下山してしまったのだが、失敗であった。
無論、白砂新道分岐から先はガスが濃く、何も見えなかったことも登高意欲を減じてしまった一因である。

後悔の念を抱きながら、本沢温泉を 11時42分に出発。 今朝ほど辿って来た道を戻る。
この頃になると、かなり樹林越しに日が差し込むようになるが、それでも八ヶ岳の稜線付近は雲の中のようである。
11時51分にミドリ池への分岐に到着。25年前には疲れていたため大変キツく感じた登りも、 本日はそれ程アルバイトをこなしていないため、容易に登っていくことができる。
湿地帯を抜け、12時31分に中山峠への分岐を通過、ミドリ池には 12時37分に戻り着く。
ミドリ池を見ると、その向こうに稲子岳の姿が見えるようになっている。ガスはまだ残っているものの、かなり稜線上も回復してきているようである。
また、しらびそ小屋では、小屋内で数人が談笑している。やはり小屋は営業していたのだった。
休まずに通過し、辿ってきた道を忠実に戻る。そして、黙々と下り続け、駐車スペース到着は 13時23分であった。

本日は、天狗岳に登ることはできなかったものの、主目的 ? であったミドリ池、 本沢温泉、夏沢峠、箕冠山、根石岳というルートを辿れたことだし、さらには図らずも初冬の山を体験できたので 良し としよう と思っていたところ、 下山途中で 天狗岳までわずか 25分であったことを知り、行くべきだったとの後悔の方が大きくなってしまった。
こうなったら是非ともリベンジしたいし、晴天の下に稜線上を歩きたいところである。
しかも、帰りの国道141号線では赤岳、横岳がよく見えており、悔しさがさらに増したのだった。


秋の北岳を堪能  2015.10 記

7月上旬に奥白根山にて怪我をしてしまったことにより、2ヶ月間のブランクを生じさせてしまい、 今年の山行計画は大きく狂ってしまった。9月11日の瑞牆山にてようやく復活し、その後、9月14〜16日に北アルプスの鷲羽岳、 水晶岳に登ったものの、気がつけば、もう 9月も終わりである。
既に高い山は徐々に冬支度にかかりつつある訳で、このまま行けば 2006年から続いていた毎年の 3,000m峰登山は途切れてしまうことになる。

そこで、まだ雪の降らないうちにと、急遽 3,000m峰に登ることにしたのだが、 日帰り可能な山で、なおかつ北アルプスなどアプローチに時間を要する山を避けると、自ずと候補は決まってくる。 そのうち、富士山、仙丈ヶ岳は一昨年に登ったばかり、塩見岳は今の体力そして日が短くなっていることを考えるとちょっと厳しい。
ということで、必然的に北岳が候補に挙がってきたのであるが、北岳は 5年前の白根三山縦走以来 今回 5度目となるものの、 夏場しか登ったことがなかったのでこの時期に登るのは面白そうと考え、早速実行することにした。

9月30日(水)、2時半過ぎに横浜の自宅を出発する。 いつも通り、横浜ICから東名高速道に乗り、圏央道経由にて中央高速道に入る。甲府昭和ICにて高速を下りて国道20号線を北西へと進み、 竜王立体手前で国道20号線を外れて竜王立体の下を通る県道20号線 (南アルプス街道) に合流して芦安を目指す。
快調に車を進め、芦安の第3駐車場に車を駐めたのは、まだ薄暗い 5時5分であった。
第2駐車場まで行って乗合タクシーの申し込みをするとともに、そこにあった登山ポストに登山届を投函する。
平日にも拘わらず結構人がおり、9人乗りのタクシーは 2台目に乗車となる。ただ、全員が登山者ではなく、釣り人も混ざっているようである。
明るく快晴の中、タクシーは林道南アルプス線を進む。尤も、小生はほとんど車内で眠っていたのだが・・・。

広河原到着は 6時12分。インフォメーションセンターにてトイレを借りた後、 身支度を調え、6時17分に出発する。
ゲート横を通り抜けると、左下を流れる野呂川の向こうに北岳が見えてくる。灰色の岩肌に木々の緑が絡む姿を見慣れているので、 本日のように黄色が目立つ斜面は新鮮に映る。
そして何よりも、その後方に青空が広がっているのが嬉しい。しかし、ここから雲一つ無い北岳が見えていても、 頂上ではガスに囲まれるということをかつて経験しているので、油断は禁物、今の時点で喜んではいけない。
吊橋を渡り、広河原山荘の前を通って登りに入る。樹林の中を黙々と登る。この辺はもう何回も歩いているので、 周囲を気にせずひたすら登るのみである。

白根御池小屋への分岐 (白根御池分岐) を過ぎて暫くすると、水の流れが現れ、 足下の登山道にも所々で水の流れが見られるようになる。
何回か小さな流れを渡った後、周囲が灌木帯に変わると、やがて河原の一部と覚しき場所に飛び出す。大きな岩がゴロゴロしている中、岩屑の道を登る。 振り返れば、山間に高嶺 (たかね) が見える。
すぐに 2回ほど流れを渡ると、今度は今まで樹林に隠れてしまっていた北岳の頂上部が前方に見えてくる。
頂上部は朝日を浴びて明るく輝き、その手前を横切って北岳の下部を隠している山は黄緑色、そしてそこに左の山の影が映ってダークな部分を加えており、 さらにはそれらの背景に青空が広がっている。なかなか素晴らしい光景である。

道は再び視界のない灌木帯に入り、岩がゴロゴロした道を登る。 この辺の紅葉はもう少し先といったところである。
鉄パイプで組んだ橋を渡り、再び岩のゴロゴロしている灌木帯を登っていく。途中、樹林が切れて北岳が再び見える場所を通過した後、 その先で灌木帯を抜け、河原のへりに飛び出る。
前方を見れば、北岳がよく見え、その左下にはこれから辿る左俣、そして八本歯ノコル方面も見えている。
振り返れば、高嶺の右に鳳凰三山の観音岳の姿も見えている。
道は大樺沢の河原に沿って進むのだが、この辺は風が強い。面白いことに、前方から吹き付けてくるかと思うと、後方からも風が来る。 この谷の中で巻いているのかも知れない。
なお、風は冷たく、周囲は秋の装いであるものの、冬も遠からじという感じである。

今まで谷の左側の山影が河原や右手の斜面に映って少々邪魔でもあったのだが、 暫く登っていくと、影が差す範囲を抜けだし、明るい中で北岳を眺めることができるようになる。
足下や北岳の周囲、そして北岳の岩肌に生える木々が黄緑色や茶色に染まっており、こういう北岳を見るのは初めてなので、テンションが上がる。
少し気になるのは、今まで雲一つ無かった北岳後方の空にウロコ雲が現れ始めていることである。果たして山頂ではどうであろうか。
そこから少し登ると二俣に到着。時刻は 8時丁度。この二俣手前の登山道は、河原に沿っているものと、 少し右上の斜面を横切って進むものの 2つがあるようで、河原沿いを進んでいたため、 二俣にあるはずのバイオトイレや標識は見落としてしまう (代わりに岩に書かれた表示あり)。

この二俣にて右俣コースが右に分かれるが、 八本歯ノコルを目指すので河原沿いに真っ直ぐ進む (左俣コース)。
右手に北岳を見ながらの登りが続く。傾斜の方も徐々にキツくなり始めてきており、二俣で休むべきであったのだが、 眺めの良さに足を止めるのが惜しく 先へと進んでしまったため、身体が悲鳴を上げ始める。
息を切らせながら、岩に付けられたペンキ印を辿って登っていく。ここでも風が強い。
一方、傾斜がキツくなった分、展望が広がり始める。振り返れば、早月尾根の後方に八ヶ岳が顔を出している。
右前方に見えていた北岳も徐々に近くなり、やがて北岳が真横に見えるようになる。
今まで、手前の木々に隠れ気味であった北岳バットレスが、荒々しい岩肌をハッキリと見せており、迫力満点である。
この場所から眺める北岳バットレスは、鋭角な三角錐を突き上げているピラミッドフェースが一番目立っているが、北岳頂上はもっと奥であり、 さらに進むとそのことがよく分かるようになる。

疲労がかなりでてきているものの、風が強い中、斜面途中で休むのも何か躊躇われ、 八本歯ノコルまでは休まずに進むことにする。
後方には、高嶺の右に地蔵岳のオベリスクが確認できるようになり、その手前下方には登って来た大樺沢が紅葉の中に白い筋となって見えている。
やがて、かつて一服したこともある水場を通過する。ここからは進んでいる谷の幅がかなり狭くなる中、岩屑の道をジグザグに登っていくことになる。
ふと足下の岩を見ると、岩を流れ落ちる水が岩の下で小さな氷柱 (つらら) になっている。 さらには、その少し先に、岩の表面が凍っている箇所も現れる。やはり山はもう冬である。
なお、その氷柱のある場所にて擦れ違った方と言葉を交わしたところ、昨日泊まった北岳肩ノ小屋では寒かったものの氷点下にはならなかったとのことであった。

狭くなった谷を登り詰めていくと、やがて道は右に曲り、 お馴染みの丸太の梯子の下に到着する。時刻は 9時15分。
ここからは丸太の梯子が連続することになるが、記憶以上に梯子が続くことに少々驚かされる。安全を考え、新たに梯子を追加したのだろうか。 梯子は皆 結構新しい。
途中、鳳凰三山がよく見える場所を通過する。今までは日の光の具合で気づかなかったのだが、今こうしてじっくり眺めると、 白い花崗岩の露出する頂上付近は雪を被っている様に見える。
また、甲斐駒ヶ岳も小太郎尾根から東に下る斜面の向こうに少しだけ顔を出し始めている。こちらも花崗岩であるため、白っぽく見えているが、 そのことよりも、こちらから見るとその頂上が台形であることに驚かされる。
しかし、それよりも何よりも、今や目の前に見えるようになった北岳バットレスの迫力が圧倒的である。
先程 下から見た時に存在感を示していたピラミッドフェースは、今やバットレスの中程に位置し、さらにその上に厳しい岩壁が続いている。 ここを登攀する人たちがいることに驚きを禁じ得ない。

いくつもの丸太の梯子、そして最後の登りにヘロヘロになりつつも、 何とか八本歯ノコルに登り着く。時刻は 9時45分。
ここでは、いきなりボリュームある間ノ岳の姿が目に飛び込んでくる。間ノ岳の左後方には西農鳥岳、農鳥岳が続き、さらにその左後方には布引山、 笊ヶ岳が見えている。こちらからは笊ヶ岳が双耳峰であることが良く分かる。
また、このコルの左手を見れば、すぐソバに八本歯ノ頭が見え、その右奥に富士山が見えている。
こういう素晴らしい景色が迎えてくれるだけに、北岳に登る時はいつもこの左俣を選んでしまう。

休む場所を求めて右に道を取り、先へと進む。すぐに、またまた丸太の梯子が現れる。 この梯子は長い上に高度感があり、さらには丸太の横さんの間隔が結構空いているため、踏み外す危険性があって気を抜くことができない。 手すりを持つことが必須である。
梯子を昇りきると、高度が上がっただけに展望はさらに広がる。
北の甲斐駒ヶ岳はその右側の斜面が見えるようになり、また甲斐駒ヶ岳の下方手前から鳳凰三山まで続いている稜線も、 八ヶ岳を後方にして途切れること無く見えるようになる。
さらには、鳳凰三山の後方に奥秩父の山々も見えており、小川山、金峰山、甲武信ヶ岳、国師ヶ岳などの山々を確認することができる。 面白いのは、こちらから見る金峰山が三角形であることである。
そして、南東の富士山方面を見れば、富士山の右横に毛無山がうっすらと見え、富士山の手前、こちらのすぐ間近には櫛形山が見えている。

適当な休み場所を探しながらズルズルと進んでしまい、もう身体はヘトヘト。
ようやく、大きな岩が累々としている高みの手前にて休憩場所を見つける。時刻は 10時1分。
間ノ岳方面を眺めながら 10分間休憩した後に出発。大きな岩の上を、ペンキ印を辿りながら登る。
この登りも結構厳しいが、水分と行動食の補給が利いたのか、まあまあのペースで登っていくことができる。
10時21分に北岳山荘へと通ずるトラバース道の分岐を通過。登りはまだまだ続く。
見上げれば、斜面をジグザグに昇る丸太階段が見えるが、先の梯子とは違い、丸太は地面に直接埋められている。

息を切らせつつ丸太階段のある斜面を登り切ると、吊尾根分岐点に到着。 時刻は 10時38分。
ここから左に道を取れば北岳山荘、間ノ岳へと至り、目指す北岳は右の道である。
この場所からは西側の中央アルプス方面が見えるようになる。
西南西の方向には丸底の鉄鍋を伏せたような恵那山が見え、少し間を空けて右手に安平路山が確認できる。
さらには安平路山の手前から稜線が右へと立ち上がり、中央アルプスへの主稜へと続いているのが見えるが、 実際は途中の奥念丈岳にて安平路山からの稜線と合流している。

その稜線は越百山、仙涯嶺を経て南駒ヶ岳へと至り、さらに南駒ヶ岳の右には赤梛岳を間において空木岳が続く。
また、中央アルプス全体の山容が黒色や濃い茶色に見える中、南駒ヶ岳の頂上下方に見える灰色部分が良く目立つ。百間ナギと呼ばれる大崩壊地で、 このような遠くから見てもその崩壊の規模がかなり大きいことがよく分かる。
空木岳の右にはさらに東川岳、熊沢岳、檜尾岳が続き、檜尾岳の右後方には三ノ沢岳が見えている。三ノ沢岳の右には島田娘、そして宝剣岳が続き、 中岳を経て木曽駒ヶ岳へと至っている。
そして、そのさらに右に将棊頭山、茶臼山が続いている。
また、木曽駒ヶ岳から将棊頭山へと至る稜線の後方には、御嶽も姿を見せてくれている。

この吊尾根分岐点にて暫し写真を撮った後、右へと進んで北岳を目指す。
道はザレた急斜面を登っていくことになるのだが、斜面には崩れを防ぐためであろう、丸太の土留めが設置されている。
息を切らせながらジグザグにその斜面を登っていくと、やがて左手、間ノ岳の右後方に、鉄兜を思わせるズングリとした塩見岳の姿が見えてくる。 塩見岳の右には小河内岳、烏帽子岳も見えている。
斜面を登り切ると、道は右手の尾根のすぐ下を進むようになり、赤茶けた斜面を横切るようにして高度を上げていく。
途中には、鉄の杭を支柱とした鎖の柵が連なっているが、それは登山道の右、斜面上部に設置されているので、防護柵では無く、 歩行の安全が確保できるよう掴まるための鎖なのであろう。

やがて、左手には仙丈ヶ岳が姿を見せてくれるようになり、 その後方にはうっすらとではあるが、北アルプスの連なりも見えている。 なお、目で確認できるのは仙丈ヶ岳の左後方に見える乗鞍岳ぐらいであるが、北岳頂上に着いたら、 カメラのレンズを通してその他の北アルプスの山々を確認したいところである。
斜面を斜めに登って稜線に登り着くと、目の前にズングリとした北岳頂上が見えてくる。もう少しである。
そして、しっかりと踏まれた尾根の上を進み、最後に北岳の高さが 3,193mへと訂正される元となった岩の上に登れば、 そのすぐ先には三角点、標識が立つスペースが広がっていた。頂上到着は 11時丁度。
平日、しかも週の中日だというのに、頂上には結構人が居る。

記念写真を撮る人たちで混み合っている頂上標識の先へと進み、岩場に腰掛けてまずは休憩とする。
その後、山頂を歩き回って周囲の写真を撮りまくる。
まず、休憩した場所からは、北の方向、目の前に甲斐駒ヶ岳が見えている。甲斐駒ヶ岳の右後方には蓼科山、そしてさらにその右に八ヶ岳連峰が続く。
甲斐駒ヶ岳の手前左下には栗沢山が見え、そこから右 (東) へと早川尾根が延びている。 その尾根上、甲斐駒ヶ岳の右下方にはアサヨ峰が見え、さらに右にミヨシノ頭、広河原峠、赤薙沢ノ頭、白鳳峠が続き、高嶺に至っている。
高嶺の右には地蔵岳から始まる鳳凰三山が並び、さらに右に辻山、大崖頭山が続き、そこから稜線は夜叉神峠に向かって下っていく。
また、先にも述べたように、白い稜線が積雪のように見える鳳凰三山の後方には、奥秩父の山々が連なっている。
そして、鳳凰三山の手前下方には、登って来た大樺沢が紅葉の中に白い筋となって見えている。

夜叉~峠に向かって下る稜線は、その途中にて、後方から櫛形山に向かって立ち上がる稜線に紛れてしまう。
そして、先に述べたように櫛形山の後方、南東の方向には富士山が見えている。
その櫛形山と富士山の間には御坂山塊が横に並び、その右に竜ヶ岳、雨ヶ岳、毛無山が続く。
毛無山の右側は山が見えにくいが、少し間を空けて丁度 南の方向に笊ヶ岳、布引山、青薙山などが見えている。
そしてさらに右に農鳥岳、西農鳥岳、間ノ岳が見え、間ノ岳の左後方には悪沢岳がその頂上を少し覗かせている。
間ノ岳の右後方には塩見岳が特徴ある姿を見せてくれており、さらには間ノ岳と塩見岳の間に兎岳、中盛丸山、大沢岳が見えている。
塩見岳の右には、先にも述べたように小河内岳、烏帽子岳が見え、その右後方には奥茶臼山も見えている。
そして、そこから少し間を空けて西南西の方向には恵那山が見え、その右に見える中央アルプス、御嶽等の山々の状況は先程述べたとおりである。

中央アルプスの右手前、野呂川が流れる谷を挟んでこちらのすぐ真向かいには仙丈ヶ岳が大きい。
そして、仙丈ヶ岳から左に下る稜線上には大仙丈ヶ岳が見えているが、その大仙丈ヶ岳の後方に中央アルプスの経ヶ岳が見え、 さらにその後方に乗鞍岳が見えている。
乗鞍岳から右に北アルプスの山々が続くが、肉眼で同定するのは少々難しい。
写真に撮り、帰宅後拡大してみると、乗鞍岳の右には十石山、焼岳が確認できる。
焼岳の右には霞沢岳が見え、その右後方に笠ヶ岳が見えている。笠ヶ岳の右手前には西穂高岳が見えており、 さらに右に間ノ岳、天狗ノ頭が続いてジャンダルム、奥穂高岳、さらには涸沢岳、北穂高岳と続いて大キレットへと至っている。
そしてさらに右に南岳、中岳、大喰岳が続き、槍ヶ岳へと至っている。
目を凝らせば、槍ヶ岳の尖塔は肉眼でも確認することができる。

槍ヶ岳の右には北鎌尾根が続き、さらに北鎌独標の右に先日登ったばかりの鷲羽岳が見えている。
ピラミッド型の山なので、最初 常念岳かと思ったのだが、方角的に鷲羽岳のようである。
そして、そのさらに右に常念岳、大天井岳が続くがこの辺は少々分かりにくい。大天井岳の右には、ほぼ平らな稜線上に燕岳が確認でき、 さらに右に立山、剱岳が見えている。
剱岳の右には針ノ木岳、蓮華岳が続き、さらに右に鹿島槍ヶ岳、五竜岳、そして白馬岳を確認できる。
北アルプスの右側、すぐ目の前には鋸岳、そして甲斐駒ヶ岳が見え、これで一周ということになる。
なお、写真を拡大すると、甲斐駒ヶ岳の左後方にある雲の上に、妙高山、火打山、高妻山の姿も確認することができたのだった。

懸念された頂上でのガスは無く、また周囲に雲もほとんど見られない 360度の大展望を前にして、 小生にしてはかなり山頂に止まることになったが、11時27分に下山を開始する。
北岳肩ノ小屋へと進むべく北に道をとり、少し下った後、北岳の隣にある高みへと登る。岩場の道を登り、高みを乗り越えると、 目の前に仙丈ヶ岳、右手に甲斐駒ヶ岳を見ながらの緩やかな下りとなる。
やがて、緩やかな下りも終わりになると、急斜面の下降が始まる。前方には甲斐駒ヶ岳、そしてその手前に小太郎山が見え、 さらに眼下には北岳肩ノ小屋が見えている。
奥白根山のこともあるので、急斜面を慎重に下り、下り着いたところが北岳肩ノ小屋。到着時刻は 11時53分。
ここでも多くの人が憩っている。

有料トイレを借用した後、11時56分に下山開始。 ここからの道は思っていた以上に気持ちが良く、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山を眺めながらの楽しい下りが続く。
また、興味深いことに、周辺にはあまり見たことの無い紫色の岩が目に付く。
小太郎山分岐には 12時12分に到着。地図ではここから小太郎山を往復すると 2時間50分を要することになっているため、 16時40分の最終バスには到底間に合わない。
小太郎山に登りたい気持ちは強いのだが、今の体力、走力を考え、小太郎山はパスすることにして先へと進む。
小太郎山分岐の少し先にて気持ちの良い稜線歩きは終了となり、急斜面の下りが始まる。
12時22分に右俣コースと草スベリの分岐を通過。草スベリのコースを選んで白根御池小屋へと向かう。

ここからは紅葉真っ盛りの斜面を下ることになる。 黄色に紅葉した木々の向こうに、冠雪したような鳳凰三山がよく見えている。 明るい太陽光に紅葉が輝く中、少々ザレた砂礫の道を下る。結構 急斜面のため、慌てると足下が滑る。
やがて下っている斜面の先に白根お池が見えてくる。池は意外と近くに見えるが、いざ下っていくと結構時間がかかる。
池が見えてから池の辺に下り立つまで 17分程、疲れた身体には結構長く感じられたのであった。
白根御池小屋には 13時11分に到着。小屋前のベンチにて休憩し、行動食を食べる。
13時18分、小屋を出発。このルートを下るのは 2回目であり、ここからも長い道程であることは経験済みである。

シラビソの樹林帯を進む。下り一辺倒ならありがたいのだが、結構アップダウンがあり、疲れた身体には応える。
13時28分に水場を通過。冷たい水で顔を洗い、気合いを入れる。記憶通り、ここからは観音岳がよく見える。
その後、暫く平らな道が続いた後、道は右に大きく回り込んで、その先から下りが始まる。
途中、丸太の梯子もいくつか現れるが、疲れた身体にはこれが結構辛い。
樹林帯の中を黙々と下り続け、途中のベンチにて小休止した後、さらに下り続ける。
徐々に大きくなる沢の音に勇気づけられながら下り続け、今朝ほど通過した白根御池分岐には 14時26分に到着。
ここからは今朝登って来た道を下る。そして、14時44分に吊橋を渡り、野呂川広河原インフォメーションセンター前には 14時48分に戻り着いたのだった。
乗合タクシーの乗客が 9名集まるまで暫く待った後に出発。またまた車中で眠り、気が付くと夜叉神峠。 その後はボーッとしながら過ごし、芦安に戻り着いたのであった。

本日は帳尻あわせの 3,000m峰という感もなきにしもあらずであったが、秋の北岳は初めてだっただけに、 何回も通ったコースであっても結構楽しめたのだった。晴天に感謝である。


約半世紀ぶりの鷲羽岳、水晶岳 (下)  2015.10 記

前回からの続き。
翌15日(火)、朝食を済ませ、身支度を調えて三俣山荘の外へ出ると、空は明るいものの、全体的にガスが漂っていてスッキリしない。 小屋の正面、南東の槍ヶ岳はその穂先まで見えているが、少しガスが掛かり気味。 三俣蓮華岳はガスに囲まれて全く見えず、手前の三俣峠付近の稜線だけ見えている。
そして、これから登る鷲羽岳は山頂付近がガスの中である。

5時58分に出発。ありがたいことに十分休養が取れたようで、身体は軽い。
ハイマツの海を進む。道はやがてハイマツ帯から離れ、鷲羽岳頂上からこちらへと下ってきている尾根に絡む形で登っていく。 最初は尾根の右側を進む。この辺の傾斜は緩やか。
見上げれば、鷲羽岳の上部にかかるガスが流れ、時々山頂が姿を現す。この分なら、山頂到着時にガスに囲まれていても、 暫く待てば展望が開ける可能性が高い。今朝の様子を見てテンションが下がっていたので、少し元気が出る。
右手を見れば、朝靄がかかったような雰囲気の中に槍ヶ岳が見えている。しかし、三俣山荘の方を振り返れば、山荘は見えるが、 その後方の三俣蓮華岳は依然ガスの中である。

道はやがて尾根の左を進むようになるが、この辺の傾斜も緩やかである。 周囲にはハイマツが多く、それが上方まで続いており、ハイマツの中に岩屑のスペースが点在するという感じである。
緩やかだった登りも、徐々に傾斜がキツくなる。砂礫と岩屑の道を、小さな振幅にてジグザグに登っていく。 24年前、この斜面を下ってきた時には、かなり滑り易かった記憶があるが、現在 道はしっかりとしており、心配は全くいらない。
登り始めてから 50分、かなり高度を上げて振り返ると、ガスの切れ間に三俣山荘が見え、周囲のハイマツ帯に朝日が当たっている。 そして、ここまでの道が途中からかなり急角度となっていることが良く見て取れる。
ありがたいことに身体の方は快調、昨日のように怠いということはない。

右手 (南東) を見れば、常念岳が喜作新道のある稜線の後方に見えている。 こちらから見る常念岳は少しイメージと違っており、一不動避難小屋を過ぎ、二釈迦辺りから見た高妻山を彷彿させる。
この表銀座方面以外の展望はほとんど得られないので、砂礫の道を黙々と登る。
先にも述べたように、鷲羽岳上部のガスは、時々流れているのだが、高度を上げるに連れてそのガスの動きが鈍くなる。 そして、右手下方に鷲羽池が見える頃になると、そこから上部は完全にガスの中となる。これにはガッカリ。
なお、鷲羽池の方もガスが漂っているものの、湖面を見ることはできる。

周囲をほとんどガスに囲まれてしまった中、鷲羽岳の後方に太陽があるので、 西側にブロッケン現象が現れるようになる。残念ながらそのブロッケンを作り出しているのは小生ではなく、斜面上方にある尖った岩のようである。
周囲はガス、そしてブロッケンとなると、2011年の赤石岳を思い出すが、その時は結局ガスが完全に晴れることはなく、 残念な思いを抱きながら下山したのであった。そのため、今回も少々イヤな予感がするが、いざとなったら水晶岳登頂後、 もう一度反対側から鷲羽岳に登り返すことも覚悟する。
やがて、ガスの奥に頂上らしき高みが見えてくる。意外に早く着いたなと思いつつ登っていくと、ガスが薄くなって、 今 登っている高みの奥にもう一つ高みが見えてくる。少しガッカリしたが、その頂上らしき高みまでそれ程距離はない。
登り始めは岩屑の中を登っていたが、今は周囲に少し大きい岩が積み重なる中を登るようになる。しかし、道はその岩をどけて整備されており、 足下はしっかりしている。

そして、7時9分、鷲羽岳頂上に到着。頂上には誰もおらず、 独占を喜びたいところだが、ガスで視界があまりなく、喜びも半分である。
展望としては、南南西の方向に笠ヶ岳がわずかにその頂上部分を見せており、南南東に槍ヶ岳がガスの中にそのシルエットを見せているだけである。 反対側には水晶岳がガスの中に少し浮かび上がっているが、すぐに流れるガスに消えてしまうという状況である。
暫く待てば状況が変わる可能性があるので、冷たい風が吹く中、頂上で待つ。 すると、ガスの中、周囲に太陽の光が当たり始め、今度は自分がその中心となるブロッケンが現れたのであった。 消えては時々現れるブロッケンを狙って写真を撮りながら 10分程頂上で待っていると、何と嬉しいことに周囲のガスがドンドン流れ始め、 展望が広がり出したである。これには興奮、写真を撮りまくる。

まずは、北の方向にワリモ岳、水晶岳がガスの上に浮かび上がり、 時間が経つに連れて下方のガスも消え始める。
そして、それに連れて、水晶岳の左に薬師岳が姿を見せ始める。ただ、そのさらに左にある黒部五郎岳、三俣蓮華岳は相変わらず雲の中である。 しかし、さらに左側では、笠ヶ岳周辺のガスがドンドン引き始めており、笠ヶ岳の左下方には双六岳が徐々に見え始めている。 笠ヶ岳のさらに左側はまだ雲が多いものの、そのさらに左には先程まで全く見えなかった穂高連峰が雲の上に浮かび上がっている。
そして、中岳、大喰岳、槍ヶ岳は大変よく見え、さらに北鎌独標、常念岳、大天井岳も見えている。

少し間を空けて、北東の方向には野口五郎岳がその大きな山容を見せ始め、 さらにその左後方には蓮華岳、そして針ノ木岳が見えている。蓮華岳と針ノ木岳の鞍部のさらに後方には鹿島槍ヶ岳が見え、その左に五竜岳も見える。 針ノ木岳の左にはスバリ岳、そして少し離れて赤沢岳が見えている。
また、針ノ木岳の手前下方には、南沢岳、そして烏帽子岳が見えているが、 こちらから見る烏帽子岳は天を突く鋭角な形ではなく、ジャンダルムのようであることに驚かされる。

ガスがドンドン流れ、周囲の展望が急速に広がっているので、 このままずっと待てば 360度の展望が得られると思われたのだが、本日はこの後、水晶岳、三俣蓮華岳、双六岳への登頂が待っているので、 そうユックリもしておられず、山頂を 7時22分に出発する。
なお、周囲の展望を写真に納める際、北鎌独標付近は除いてしまったのだが、帰宅後、下山時に撮った標柱の写真を拡大すると、 その後方、北鎌独標の左奥に富士山が確認できたのだった。ガスが急速に抜け、あまりに早い展開に興奮してしまい、 じっくり周囲を観察しなかったのは失敗であった。

水晶岳を目指して斜面を下る。前方を見れば、ガスはほとんど無くなり、 ワリモ岳を越えて水晶岳まで続く登山道を確認することができる。 気分良くガラ場の斜面をジグザグに下る。下り着いた所が鷲羽岳とワリモ岳の鞍部。
この頃になると、今まで全く見えなかった三俣蓮華岳が姿を現す。なだらかな山を真っ二つにカットし、 その断面をこちらに向けているような急峻な岩肌が印象的だが、それよりも目を引くのはその断面の手前に広がる緩やかな斜面である。
こちらから見ると、黄色に染まりつつある草地にハイマツ帯が点在しており、まるで海に浮かぶ島々の地図を見ているようである。
また、三俣蓮華岳の右側を見れば、黒部五郎岳が姿を現し始めている。頂上直下をスプーンで抉り取ったようなカールは、 まだその大半が雲に覆われているものの、ズングリとした山頂部分はよく見えている。

時間を追ってドンドン回復していく状況に気をよくしながらワリモ岳への登りに入る。
少し高度を上げると、鷲羽岳の斜面に隠れていた笠ヶ岳が再び見えるようになり、まだ少しガスが絡んでいるものの、右から三俣蓮華岳、丸山、笠ヶ岳、 双六岳が並んで見えるようになる。
崩壊が進んでいるような斜面の縁を登る。展望はさらに開け、右手には野口五郎岳が見え、その右後方には餓鬼岳、唐沢岳と続く山並みがシルエットとなって見えている。
7時50分にワリモ岳と書かれた標柱を通過。ここからは薬師岳が見えるようになるが、ガスは全く無くなっている。
この辺には針のように尖った、砕けた岩が多く見られるようになる。ワリモ (割物) 岳という名の由来はここから来ているのかも知れない。
そしてさらに少し進めば、目指す水晶岳がよく見えるようになる。こちらもガスは全く無くなっており、黒味を帯びた山頂、 そして雲ノ平へと下る左斜面が美しい。

順調に下って、ワリモ北分岐には 8時4分に到着。右に道を取る。
岩がゴロゴロした道を辿ってワリモ岳の斜面を横切り、やがて窪地へと緩やかに下っていく。下り着いた所は赤池と言われているようで、 道の左下にはかつて池だったのではと思われる痕跡が見えている。
道はここから赤岳と呼ばれるピークを目指す。水晶小屋はそのピークの東側にあるはずである。ハイマツ帯を抜け、砂礫の道に入る。 振り返れば、ワリモ岳、鷲羽岳が並んでおり、鷲羽岳の左後方には槍ヶ岳から西穂高岳へと続く稜線がハッキリと見えている。 最早ガスは完全に抜けたようだ。
砂礫の道をジグザグに登る。しかし、この登りが意外に手強い。ただ、赤岳に登ってしまえば、後は水晶岳手前まで緩やかな稜線歩きが続くはずなので我慢である。 8時30分に『水晶小屋 のぼり 10分』 の標識を見る。この辺が一番キツい。しかし、高度が上がって来ている分、展望が開けるので、気分は良い。

そして、水晶小屋分岐に 8時40分に到着。 すぐ下に水晶小屋の赤い屋根が見えているが、立ち寄らずにそのまま水晶岳を目指す。 ここからは水晶岳に向かって緩やかに続く尾根を辿る。
気持ちの良い稜線歩きが続く。目の前には水晶岳が見え、 その右後方には赤牛岳が見えているが、薬師岳は水晶岳に隠れてしまい、左斜面がわずかに見えるだけである。
進むに連れて今まで見えなかった北側の展望がドンドン開けてくる。赤牛岳の右後方には立山が見える。一見 1つの山に見えるが、 その山頂部分には左から雄山、大汝山、富士ノ折立が並んでいる。
残念ながら、立山の左後方に見えるはずの剱岳は雲の中である。

立山の右下には黒部湖も見えており、黒部湖の後方には旭岳、白馬岳、白馬鑓ヶ岳のピークが並んでいる。さらにその右に天狗ノ頭、唐松岳、五竜岳、 さらには鹿島槍ヶ岳が続いている。
唐松岳の手前には赤沢岳が見え、その右にスバリ岳、針ノ木岳、そして蓮華岳が続いている。また、針ノ木岳の手前には南沢岳、 そして烏帽子岳、不動岳も見えている。
不動岳の右手前に大きな山容の山が見えるが、その一番高い高みが三ツ岳で、そこからこちら側に向かって野口五郎岳、真砂岳が続いている。 所謂 裏銀座であり、24年前に辿った稜線である。
一方、左手には黒部五郎岳が見えており、カールを覆っていた雲は今や消えつつある。

黄色や赤に染まりつつある草地、ハイマツの緑、岩の灰色、土のライトイエロー、 そして青い空が絡み合う美しい道を気持ちよく進む。前方右手の水晶岳を見れば、その頂上に至るまでに 3つ程の高みが障害物のように連なっている。 その高みは恐らく巻いていくのだろうが、頂上まで意外に距離があることに驚かされる。水晶岳の左奥には薬師岳の頂上が見え始めている。
道は緩やかに下った後、水晶岳への登りとなる。登りに入ると周囲は岩場に変わり、ペンキ印に導かれながら高度を上げていく。 梯子を昇り、ハイマツと岩の道を登る。道は右へと進むようになり、小さなアップダウンを繰り返しながら高度を上げていくと、すぐに頂上が見え始め、 今度は頂上が結構近いことに驚かされる。
そして、手前のピークを越え、最後の岩場を登って行けば、そこは水晶岳頂上であった。時刻は 9時15分。

嬉しいことに、下方から見た時には混んでいた頂上であったが、 小生が登り着いた時には数人しかいなかった。
鷲羽岳の時と違ってガスは無く、大展望が広がっていて、ここは ここに至るまでに見てきた山々の集大成という感じである。 ただ、残念ながら南の方角には雲が多く、相変わらず焼岳、乗鞍岳、御嶽は見えない。
しかし、その左の穂高連峰から始まり、槍ヶ岳、常念岳、大天井岳、そして燕岳と続く稜線がよく見える。 また、帰宅後、常念岳の右後方を拡大してみたところ、富士山の頂上付近が写っていたのであった。

燕岳の手前には南真砂岳が見え、 さらに手前に先程の水晶小屋分岐から連なる裏銀座コースが連なっている。
こちらから左に真砂岳、野口五郎岳、三ツ岳が連なり、その左後方には北葛岳や不動岳、烏帽子岳、南沢岳が続く。 これら北葛岳から左に連なる山々の後方には、蓮華岳、針ノ木岳、スバリ岳、赤沢岳が並んでいる。さらには針ノ木岳の後方に鹿島槍ヶ岳が見え、 その左に五竜岳、唐松岳が続いている。
唐松岳の左には天狗ノ頭が見え、その後方に白馬鑓ヶ岳、そして白馬岳、旭岳が続いている。白馬岳の左下方には黒部湖が見えており、 その左側から立ち上がった斜面は立山頂上に至っている。
また、嬉しいことに立山の左奥には剱岳が姿を現しており、さらに左に龍王岳などが見える。しかし、この辺は雲が多く、 さらに左側の山はよく見えない。

また龍王岳の手前には、この水晶岳から続く赤牛岳が美しく、 さらに左に少し間を空けて、北薬師岳、薬師岳が大きい。
薬師岳の左には太郎平、太郎山が続くが、その左側、西方の北ノ俣岳、そして赤木岳の頂上部分は雲の中である。 さらに左に黒部五郎岳が特徴ある姿を見せてくれており、その左、この水晶岳の目の前に祖父岳が見えている。
祖父岳の左後方には笠ヶ岳が見えているものの、残念ながらその頂上は雲に覆われ気味である。 そして、笠ヶ岳の左手前には三俣蓮華岳、丸山が続くが、さらに左の双六岳は再び雲に覆われている。さらに左に乗鞍岳などを隠す雲の波が続き、 雲の波の左に鷲羽岳が見え、その後方に西穂高岳が少し見えている。
この大展望に暫し時を忘れて見入っていたが、この後の行程も長いので、9時36分に下山する。

登ってきた道を戻り、10時3分に赤岳頂上に到着、そこから水晶小屋へと進む。
小屋前のテーブルにて三俣山荘の弁当を食し、10時20分に出発。往路を戻って赤池へと下る。
10時43分にワリモ北分岐を通過。今度はそのまま真っ直ぐ進み、ザレた斜面をジグザグに下って岩苔乗越へと至る。時刻は 10時48分。
ここからは左に道を取って黒部源流へと下る。道は、右の祖父岳と左のワリモ岳との鞍部の谷を下っていくのだが、谷と言っても広く、明るい。 また、先の方には三俣蓮華岳が見えている。

夏には高山植物が咲き乱れることであろう草地を直線的に下っていく。 一方で、これから登る三俣蓮華岳の姿が相対的に高くなっていくのが辛い。
周囲には水の流れが現れ、これが黒部川へと流れていくのであろう。この道を下った所に黒部源流の碑があるはずだが、 実際はここが源流と言っても良いと思われる。
最初は流れの右岸を下っていくが、途中で左岸に渡り、流れに沿って下っていく。下るに連れて水量は多くなり、 もう一つの大きな流れが右手から合流してくると、やがて雲ノ平への分岐に到着する。
そこから少し進むと、『 黒部川水源地標 』 と彫られた赤い石柱が立っていた。時刻は 11時26分。
ここからは三俣山荘に向けての登りが始まる。
ところで、地図で見ると、この石柱のある地点の標高は 2,400m程。これから登る三俣蓮華岳は 2,841mなので、 ここへきての 400mの登りは少々厳しい。但し、傾斜は緩やか、水の流れる道をまずは三俣山荘を目指して登る。

少し登って振り返れば、黒部五郎岳がよく見え、反対側にはワリモ岳と鷲羽岳が見えている。
左上方に鷲羽岳を見ながら登る。先に述べたように足下には水の流れが多く見られ、木道も所々に設置されている。
良く整備された岩混じりの道を登る。草や灌木の中を登っていくと、やがて周囲にハイマツが目立ってくるが、 稜線に辿り着くにはもう少し時間がかかりそうである。
伸びやかに見えていた左手の鷲羽岳が、高度を上げるに連れて小生の好きな姿に近づいてくる。
さすがに疲れが出てペースが上がらない中、何とか登って行くと、やがて右手上方に三俣蓮華岳の頂上が見え、 その少し先でキャンプ場の一角に飛び出たのだった。時刻は 11時56分。

一旦、左に道をとって三俣山荘を目指し、山荘には 11時58分に到着、暫し休憩する。
12時6分、山荘を出発し、三俣蓮華岳を目指す。キャンプ場を抜け、小さい雪渓の脇を抜けて緩やかな登りに入る。
傾斜は緩やかだが、疲れが出たのか、この登りが辛い。灌木のトンネルを抜けると、傾斜はさらに緩やかになりハイマツと草が混合した場所に出るが、 その先に見えている三俣蓮華岳はまだまだ遠くに見える。
やがて、三俣蓮華岳がよく見える砂礫の道に入ると、すぐに三俣峠に到着。時刻は 12時47分。 後で振り返れば、この日、三俣山荘からここまでの登りが一番体力的にキツかった。

5分程休憩した後、三俣蓮華岳への登りに入る。岩屑の道をジグザグに登る。 振り返れば、昨日の巻道がよく見える。
そして、足下に大きな岩がゴロゴロするようになってくると、そこから一踏ん張りで三俣蓮華岳頂上であった。 到着時刻は 13時7分。頂上には三角点の他、標柱が立っているが、標柱が少し弓なりなのが面白い。
ここも展望は抜群のはずであるが、この時間になると展望は限られる。槍ヶ岳や穂高連峰は雲の中、一方、鷲羽岳、ワリモ岳、水晶岳は見えているものの、 その左側は雲で薬師岳、黒部五郎岳は見えない。
そして残念なことに、これから向かう丸山、双六岳にもガスが漂っていて、双六岳は全く見えない。

13時14分に出発。一旦下りに入り、丸山との鞍部へと進む。 そこからの登りは緩やか。ほぼ稜線上を登っていく。
周囲にはガスが立ちこめ、時折、丸山の姿を隠す。緩やかな登りに助けられて、やがて丸山の頂上の一角に登り着く。
ここからは草地とハイマツの生える、ほぼ平坦な道が続く。頂上は広いが、その中に溝状の道が付けられているので、ガスに囲まれても迷うことはない。
なお、どこかに頂上標識があったのかもしれないが、全く気づかず、そのまま下り斜面に入る。
ここから先はガスが濃くなり、目指す双六岳の姿は全く見えない。時々ガスが流れ、鞍部が下方に見える程度。鞍部を過ぎて登りに入ると、 すぐに中道ルートとの分岐が現れるが、当然 双六岳頂上を目指す。時刻は 13時56分。

ここからの登りも緩やか。視界はほとんどないが、時折ガスが流れ、 周囲の景色を見ることができる。
槍ヶ岳が雲の切れ間に一瞬見え、振り返れば丸山が大きく、その右後方に鷲羽岳、ワリモ岳、水晶岳がガス混じりに見えている。 丸山の左後方には薬師岳もうっすらと見えている。
緩やかだった登りも徐々に傾斜がキツくなり始め、足下には大きな岩が目立つようになる。身体の方も悲鳴を上げ始めるが、 一方で周囲の状況は好転し始め、ガスは少しずつ無くなり始めている。
鷲羽岳同様、この双六岳でも最後はガス無しの頂上を踏めるかも知れないとの希望が出てきて、少し元気が出る。
足下には大きな岩がゴロゴロし始め、疲れもかなり出てきて足が進まなくなるが、見上げれば先の方のハイマツとハイマツの間に割れ目が見え、 その後方に青空も見え始めている。
あの先に頂上があるに違いないと、少し登っては立ち止まって上を見上げるというパターンを繰り返しつつ進んでいくと、 案の定、その割れ目を抜けると頂上はすぐ先であった。頂上到着は 14時21分。

嬉しいことに、頂上を覆っていたガスは嘘のように消えてくれている。 しかし、やはり展望は今一つの状況。
槍ヶ岳、穂高連峰は雲の中、大天井岳、燕岳方面もよく見えない。野口五郎岳、鷲羽岳、水晶岳は見えているものの、 薬師岳や黒部五郎岳は全く見えず、笠ヶ岳も見えない。
それでも、この山頂から槍ヶ岳方面へと延びている広々とした砂礫の台地がハッキリと見えている。こういう木が一本も生えていない、 広い頂上部をあまり見たことがないため、少々感激。この台地の先に槍ヶ岳が見えれば最高なのだが、そう贅沢は言っていられない。
14時31分、下山開始。少し下った後、その砂礫の台地を進む。下り始めると、嬉しいことに抜戸岳から笠ヶ岳へと続く稜線が一瞬見える。 しかし、笠ヶ岳の頂上は雲の中である。左手を見れば、野口五郎岳、鷲羽岳、水晶岳、祖父岳は見えているものの、 三俣蓮華岳、丸山はガスの中である (その後、姿を現してくれた)。

砂礫の台地を終え、下り斜面に入る。岩屑の斜面をジグザグに下る。
やがて下方には本日の宿である双六小屋の赤い屋根が見えてくる。奥白根山のこともあるので慎重に下り、14時59分に中道ルートと合流。
さらに巻き道分岐を 15時1分に通過。ハイマツの中を下り、双六小屋には 15時11分に下り着く。
ここでも 1つおきに布団を敷くという嬉しい状況となり、天ぷらの夕食も美味しく戴き、しっかりと熟睡できたのだった。

翌 16日は 5時38分に出発。昨日までの晴天と違い、本日は曇り空である。
しかし、鷲羽岳、水晶岳、双六岳、そして笠ヶ岳がしっかり見えているのが嬉しい。
一昨日辿ってきた道を戻る。途中、槍ヶ岳、穂高連峰もハッキリ見え、曇り空ながら展望が良いのがありがたい。
順調に進み、弓折乗越には 6時35分に到着。このまま尾根を進み、笠ヶ岳に登るという気持ちも少なからずあったのだが、本日は曇り空であるし、 何よりも駐車料金のメーターがドンドン上がってしまうのが痛い。

ということで鏡平へと下る。鏡平山荘には 7時1分に到着。
もしかしたらこの時間から生ビールもありかな と思っていたのだが、残念ながら売店の窓口は閉まっていた。
7時5分に出発し、鏡池へと進む。この日も池に映る槍ヶ岳を見ることができたが、やはり青空の方が良い。
後は順調に下り、途中 秩父沢で休憩し、小池新道入口には 8時37分に戻り着く。
林道を進み、8時51分にわさび平小屋に到着。一昨日に望んだとおり、リンゴを購入してベンチにて頬張る。美味。
そして駐車場には 9時49分に戻り着く。駐車料金は 5,500円であった。

今回は、夏に山に行けなかった鬱憤を晴らすべく、北アルプスに挑んだのだが、 天候に恵まれ、目的の山 全ての頂上を踏むことができ、大変楽しい山旅であった。 来年は是非とも黒部五郎岳、薬師岳に登りたいものである。


約半世紀ぶりの鷲羽岳、水晶岳 (上)  2015.9 記

9月11日(金)のリハビリ登山 (瑞牆山) の結果に気を良くし、早速 この夏に行くことができなかった北アルプスを目指すことにする。 カレンダーを見ると、19日(土)からはシルバーウィーク。当然 山は混雑が予想されるため (特に山小屋)、それを避けてシルバーウィークの前の週に登る計画とする。
現地の天気予報を確認すると、14日(月)から 16日(水)までの天気が比較的良さそうなので、瑞牆山登山から中 2日となってやや体力的に不安ではあるものの、 この 3日間にて山に登ることにする。
目的の山は鷲羽岳、水晶岳 (黒岳)。昨年の笠ヶ岳や槍ヶ岳に続いての約四半世紀ぶりの再登山である。

前日は早く床についたものの、久々の北アルプスに興奮したのか、なかなか寝付くことができずに少々起きるのが遅れてしまい、 横浜の自宅を出発したのは 2時過ぎ。それでも、十分余裕と思っていたのだが甘かった。
東名高速道、圏央道、中央自動車道、長野自動車道と乗り継ぎ、松本ICにて高速を下りる。その後、国道158号線、安房峠道路、国道471号線、 県道475号線と進んで、無料の新穂高第3駐車場に着いたのは 5時25分であった。
しかし、無料駐車場は満車状態。しかも、近くの深山荘周辺にも路上駐車の車が沢山あるではないか。
帰宅後調べたところ、夜中の 3時頃にはほぼ満車状態になっていたとか・・・。
昨年、平日に登った笠ヶ岳、槍ヶ岳とも、この駐車場は空いていたため、高を括っていたのだが、日曜日の次の日となるとそうはいかないようだ (笠ヶ岳は火曜日、槍ヶ岳は金曜日であった)。
確かに、駐まっている車の大半は窓ガラスが露で濡れており、前日から駐まっていることを示している。 仕方なく、新穂高登山指導センターへと進み、その先の新穂高第2駐車場 (有料) に車を駐める。時刻は 5時39分。
料金表を見ると、6時間毎に 500円とのこと、従って 5,000円前後の料金がかかることになる。これは痛い。

気を取り直し、まずは新穂高登山指導センターまで歩いて登山届を提出するとともに、トイレを使わせてもらう。
その後 駐車場まで戻り、身支度をして、5時59分に出発する。上空には青空は広がっており、見上げれば笠ヶ岳方面の稜線がよく見える。 本来であればテンションが上がるところであるが、駐車料金の発生によって 3日目の行程に制約ができてしまったため、 あまり気分が良くない。
笠ヶ岳を目指した時と同様、駐車場の脇を通る左俣林道を左俣谷の流れに沿って進む。
林道を黙々と進んでいくと、やがて左手上方に笠ヶ岳が見えてくる。中崎橋を渡り、取水口を過ぎる。その少し先に笠ヶ岳登山口がある。時刻は 6時50分。
登山口にある流水にてノドを潤し、さらに林道を先へと進む。ここからは初めて歩く道となる。
すぐに わさび平小屋に到着するが、立ち寄らずにそのまま通過する。ただ、小屋脇にある、流水にて冷やされているリンゴに目が行く。 帰りにはこのリンゴをガブッと齧りたいものである。

ブナ林の中を進み、小屋から 12分程歩くと、水の流れが林道を横切っている場所があり、 そこを過ぎると前方に大ノマ岳、弓折岳の姿が見えてくる。
そして、すぐに長かった林道歩きも終わりとなり、林道と分かれて小池新道に入ることになる。時刻は 7時18分。
小池新道に入ってからも、今まで通り左俣谷の流れに沿って進むことになるのだが、これまでと違って河原を進むようになり、 流れがよく見えるようになる。
なお、林道は左俣谷の流れを渡ってさらに先へと延びており、そのまま辿れば奥丸山の登山口に至るようである。

周囲を草に囲まれた河原歩きが暫く続き、その後、 大きな岩がゴロゴロした場所を登っていく。この岩場もしっかり整備されており、足下は石畳のようになっている。
やがて、道は左俣谷の流れから離れて、灌木帯に入る。足下には時々、先程のような岩の道が現れる。
緩やかな登りであるが、それでも高度は上がっており、右手には西穂高岳、赤岩岳、間ノ岳が顔を出している。
また、振り返れば、焼岳もドーム状の姿を見せており、その後方には雲一つ無い青空が広がっていて気分が良い。

高度を上げて行くに連れて展望はさらに広がり、西穂高岳の左にはジャンダルムも見え始め、 さらには前方右手に槍ヶ岳、大喰岳、中岳も見えてくるようになる。ここから見る槍ヶ岳は、そのイメージと違ってあまり尖っていない。
やがて、大きな岩が続く道を登っていくと、前方が大きく開け、目の前に大ノマ岳が良く見えるようになる。
周囲は草原のようになり、その草は少し黄色味を帯び始めている。空も抜けるように青く、空気も何となくひんやりとしており、もう完全に秋である。 周囲を見渡せば、ついに奥穂高岳もその姿を見せてくれるようになる。

秩父沢を 8時に通過、ここで少々休憩してノドを潤す。
道は大ノマ岳を目指すように進む。実際は、大ノマ岳の右に見えている弓折岳のさらに右側を巻くことになるので、この先、 どこかで右の方に大きく曲がっていくことになるはずである。
8時15分に大きな岩が斜面を下り落ちている場所を横切る。その途中の岩に 『 チボ岩 』 と書かれていた。
少し進んで振り返れば、焼岳の右後方に乗鞍岳が姿を現している。
ゴーロ、灌木帯、ゴーロと繰り返しつつ高度を上げていくと、やがて 『 イタドリヶ原 』 に到着。時刻は 8時34分。
イタドリと名が付いているからには、周囲にイタドリが多く見られるのであろうが、小生にはどれがイタドリなのか見分けがつかない。 このイタドリヶ原にある標識には、鏡平まで 1時間45分と書かれており、まだまだ先は長い。

見上げれば、大ノマ岳もかなり近くなってきている。右側に穏やかな斜面を有する一方で、 左半分は荒々しい岩肌が露出しており、大ノマ岳がこれ程立派な山容を有していることに少々ビックリさせられる。
25年前に双六小屋から笠ヶ岳へと縦走した際に、その稜線上を通っているはずであるが、全く印象になく、少々申し訳ないという気持ちになる。
山崩れの跡ではないかと思われるようなガレ場を登っていくと、道は再び灌木帯に入るが、すぐに抜け出して再び展望が開ける。 周囲にミヤマシシウドの白い花が目立つようになってきたかと思うと、その名の付けられた 『 シシウドヶ原 』 に到着する。時刻は 9時11分。
ここにはベンチがあり、十人程の登山者が休憩している。今朝程の無料駐車場と言い、途中で追い抜いた登山者やここで休憩している人たちと言い、 平日にも拘わらず多くの人達が山に入っていることに驚かされる。
このシシウドヶ原も休まずにそのまま通過する。

道はここでかなり急角度に右 (東) に曲がることになる。 先に述べたように、登山道はいずれどこかで大きく右に曲がるであろうと思っていたら、やはりそのとおりとなり、 その場所はこのシシウドヶ原だったようだ。
大ノマ岳を中心とした稜線を、時々振り返えりながら先へと進む。
やがて、足下は石畳のように整備された道となり、さらには木道が現れて、道はほぼ平坦になる。 ここは、前方、そして左右を山の斜面に囲まれた小さな盆地状の草原になっていて、『 熊の踊り場 』 と呼ばれているようである。 木道の上にも白い文字でそのように書かれている。時刻は 9時33分。
道は前方の斜面を乗り越えていく。敷かれた岩の上を登っていくと、その岩の 1つに 『 あと5分 』 とある。鏡平は近い。

少し息を切らせて斜面を登り切ると、再び木道が現れ、木道の脇には地塘が現れる。 そして少し進めば有名な鏡池であった。時刻は 9時54分。
鏡池の横にはウッドデッキ状のテラスが置かれており、そこからは、槍ヶ岳から穂高連峰へと続く山並みを見ることができる。 ここから見る槍ヶ岳の穂先は、先程とは違ってイメージ通りに尖っている。
なお、条件が整えば、槍ヶ岳の姿とともに池に映る逆さ槍を見ることができると聞いていたが、幸いなことに、この日は槍ヶ岳方面に雲一つ無く、 水面に立つ波も小さかったので、何とか逆さ槍を写真に納めることができたのだった。
そして、池からさらに木道を進めば、多くの人が憩う 鏡平山荘であった。時刻は 9時57分。

山荘前を少し歩き回れば、槍ヶ岳がよく見え、 さらには槍ヶ岳から西へと延びて樅沢岳まで続く西鎌尾根をずっと目で追うことができる。 また、弓折岳もすぐソバに見えているが、先程まで見えていた大ノマ岳に比べると、こちらはかなりおとなしい感じである。
山荘前のテーブルが確保できたので暫し休憩。その際、山荘の売店を見ると、かき氷の旗とともにカウンターに置かれている生ビールのジョッキが目に入る。 まだ先は長いことは分かっていたが、この時間にビールが飲めるという魅力に負け、つい生ビールを購入してしまう (900円也)。
これが失敗であった。寝不足の上に、3日前の瑞牆山登山の疲れが残っている中、アルコールの回りは早く、 足を始めとして身体が急にだるくなってしまったのである。しかも、ここからは弓折乗越に向けての登りが待っているのである。

10時12分、山荘前を出発。木道を進んで、ひょうたん池を渡っていくと、登りが始まる。
さほどの急登ではないのだが、先程述べたよう、身体が急に重くなり、足もだるさを感じてペースが上がらない。
少し登っては休むというパターンを繰り返しながら登る。
ありがたいことに、ダケカンバの林を抜けると展望が開け、写真を撮ることが足を止める口実となる。 但し、息が上がっている中、写真を撮る際に息を止めることが多いので、却って酸素不足で喘ぐようになる。
西鎌尾根、そして槍ヶ岳から大喰岳、中岳、南岳と南に延びる稜線がよく見え、さらには大キレット、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、ジャンダルム、西穂高岳と続く稜線もよく見えるようになる。
そしてさらに右側、南の方向には焼岳、乗鞍岳も見えている。加えて、槍・穂高連峰を背景に、下方に鏡池も見えるようになる。 身体がだるいこともあって、このまま座りこんでいつまでも眺めていたい気分であったが、道は長い。嫌がる身体に鞭打って先へと進む。

10時44分に 『 弓折中段 』 を通過したが、この辺になると完全に森林限界を越え、 道が弓折岳の斜面を斜めに登っていくのがよく見えるようになる。
だるいながらも足を進め、何とか弓折乗越に登り着く。時刻は 11時6分。ここにはベンチがあり、槍・穂高連峰の格好の展望地となっているのだが、 腰を下ろすとそのまま動けなくなると思い、さらに先へと進んで、稜線の上に立つ。
稜線に立つと、今まで見えなかった双六岳の姿が目に飛び込んでくる。但し、双六岳の山頂部は横に広く、どこが頂上なのか分からない。 本日 双六岳に登るつもりなので、その時に分かるだろうと、取り敢えずその姿を写真に納める。

ここからは稜線歩きがずっと続く。しかし、稜線は平らという訳ではなく、それなりにアップダウンがあって少々辛い。
一方、展望は抜群で、今まで見えなかった山がドンドン見えるようになる。振り返れば、抜戸岳まで続く稜線が良く見えている。 しかし、笠ヶ岳は抜戸岳に隠れて見ることができない。
また、乗鞍岳の右後方には御嶽も見えるようになり、さらには右手の西鎌尾根の向こうに大天井岳が顔を出している。
やがて、道は花見平と呼ばれる砂礫の窪地を抜ける。前方には目指す鷲羽岳の姿が見え始め、さらに進んで行くと、 鷲羽岳の左後方に水晶岳の姿も見えてくる。
水晶岳は別名 黒岳と呼ばれているように、鷲羽岳に比べてその山肌はかなり黒い。

暫く平らな道が続くが、やがてハイマツに囲まれた高みを登ることになる。 振り返れば、花見平の西側斜面がよく見えており、そちらではかなり紅葉が進んでいて、緑のハイマツの中に赤や茶色に色づいた木々の固まりが点在している。
崩壊地の上部を進み、樅沢岳がよく見えるベンチを過ぎると、やがて樅沢岳と双六岳との鞍部が良く見通せるようになり、 そこに建つ双六小屋の赤い屋根が見えてくる。
そして、その鞍部の向こうには鷲羽岳が美しい姿を見せている。無論、鷲羽岳の左斜面後方には水晶岳も見えている。
清々しさを覚える素晴らしい光景であり、本日の天気が良いことに心から感謝する。

左手に見える大きな双六岳を見ながら、ややザレた斜面を下り、 さらには岩のゴロゴロしたハイマツの中の道を徐々に下っていくと、やがて双六岳と樅沢岳の鞍部の一角に下り立つ。
しかし、この鞍部は結構南北に長く、双六小屋までまだ距離がある。それでも、草原の中の木道を進み、さらにはハイマツ帯を抜けると、 目の前に双六池、そしてテント場が現れ、そのすぐ先に双六小屋の建屋が見えてきた。
振り返れば、抜戸岳の右後方、雲の中に笠ヶ岳の頂上がチラリと見えている。

12時5分に双六小屋に到着。暫し休憩する。
小屋の前からは鷲羽岳がよく見えているが、水晶岳は鷲羽岳の左斜面後方にその頂上部分が少し見えるだけである。
12時17分に出発。水場の横を通ると、すぐにハイマツの中の登りが始まる。これが辛い。
既にアルコールは抜け、だるさも治まってきてはいたが、やはり 3日前の登山と、寝不足が影響しているようである。
本来、このまま双六岳頂上を目指し、尾根通しに進んで三俣蓮華岳の頂上を踏み、その後 本日の宿泊場所である三俣山荘に下るつもりでいたのだが、 この状態を考えると、本日 双六岳山頂を目指すのは無理と考え、巻き道を通って直接 三俣山荘に向かうことにする。
となると、明日は鷲羽岳、水晶岳、三俣蓮華岳、双六岳をまとめて登らねばならないことになるが、果たして天候、そして体調はどうであろうか。
確実に晴れている状況で頂上が踏める“今”を逃すのは大変惜しい気がするが、身体がイヤがっているのに無理して登るのは良くないと考え、 明日に全てを賭けることにする。

なお、この登りは小生にとってかなり苦しかったが、展望は素晴らしい。 鷲羽岳は勿論のこと、その右後方には野口五郎岳も姿を見せ始めている。東の方向には大天井岳、そしてそこから左に続く稜線上に燕岳も見えている。
12時37分に巻き道の分岐に到着。双六岳に登るにはさらに上へと登らねばならないのだが、登って来る途中で決めたように、 ここは巻き道を選択する。道は期待通り、ほぼ平坦、これは楽である。ハイマツの中を進む。
前方には双六岳から続く丸山、三俣蓮華岳が見え、その後方に祖父岳、水晶岳、鷲羽岳も見えている。 振り返れば、樅沢岳が大きく、その山頂部分後方に槍の穂先が見えている。
しかし、楽だと思ったこの道も、途中からアップダウンがかなり出始め、疲れた身体を苦しめる。
右手には大天井岳から燕岳へと延びる稜線がよく見え、その手前に八ヶ岳の赤岳を思わせる、ボロボロ崩れそうな山肌を持った硫黄岳が見えている。

道は、双六岳と三俣蓮華岳の間にある丸山の懐を回っていく。 途中、その懐に向かって少しく下って行く所があり、その下り着いた先に水の流れがあった。ありがたい。
冷たい水を飲みながら暫し休憩する。その後は、いくつかの水の流れを横切りながら、丸山の懐を右の方へと進む。
やがて、道は緩やかな登りとなって丸山の懐を脱し、今度は三俣蓮華岳に向かって登っていくようになる。
振り返れば、樅沢岳の後方には雲が湧き出ており、槍ヶ岳は見えなくなっている。しかし、こちら側は雲一つ無い青空が広がっており、大変ありがたい。
道は三俣蓮華岳への分岐点となっている三俣峠に向かって緩やかに登っていくのだが、これが本当に辛い。 この程度の登りでも辛いので、あのまま双六岳頂上を目指していたら、もっと辛い、悲惨な目に遭っていたことであろう。

紅葉の始まりつつある草地の中を喘ぎつつ登り切り、三俣峠には 14時11分に到着。
ここで一休みしたかったのだが、男女のペアが居たので、無理をして先へと進む。 なお、この三俣峠から三俣蓮華岳までは、わずか 20分ということになっているが、今の状況ではとても登る気になれない。
三俣峠からは緩やかな下りが待っており、ホッとする。
目の前には鷲羽岳が大きく、個人的にはこちらから見る姿が大変気に入っている。富士山に近い形をしている上に、 こちらからが一番スリムに見え、さらにはその真ん中を尾根が鼻筋のように通っているのがこれまた良い。
前回、水晶岳から鷲羽岳を越えて三俣山荘前にテントを張った際、この美しい姿に大いに魅了されたのであった。その姿は今も変わらない。
なお、鷲羽岳の名の由来は、三俣蓮華岳から眺めた姿が鷲の羽ばたく姿に見えることからきているらしいのだが、 ここからでも左右に翼を広げた姿を感じとることができる。

鷲羽岳の左奥、ワリモ岳を経たさらに先には水晶岳も見えている。しかし、遠い。
明日は目の前の鷲羽岳に登り、さらにはずっと奥に見える水晶岳を往復しなければならないことを考えると、少々自信をなくしてしまう。 今の体調がこのような弱気にさせているのだと思うので、明日の登りは、本日の宿泊先である三俣山荘で如何に休息できるかが鍵となる。
結構、山中 人が多かったので、寝る場所が窮屈になるとかなり睡眠が厳しくなるが、果たしてどうであろう。
やがて、祖父岳の左奥に薬師岳も見えてくる。15時近くなっているにも拘わらず、北側の山々は雲一つ無い状態で見えている。 非常に嬉しいことであるが、逆に全てを賭けている明日の天候が心配になる。

灌木帯に入り、そこを抜けると、下り斜面の先に三俣山荘の赤い屋根が見え、 その後方には美しい鷲羽岳が見えている。ハイマツの波が山荘周辺を覆っており、素晴らしい光景である。
ずっと鷲羽岳の美しい姿を見続けながら下り続け、傾斜が徐々に緩やかになってくると、足下に水の流れが現れる。 前回、ここでテント泊した時は、水場が近いことが大変ありがたかった覚えがある。
テント場、そしてハイマツの中を抜け、三俣山荘には 14時42分に到着する。
山荘に到着した時には、大分県から来たという 10人程の団体が庭先を占めており、今夜の宿泊が些か心配になる。
宿泊を申し込む際に混み具合を聞いたところ、思った以上に人が入っており、小屋の方もビックリしているとのことであったが、 それでもどうやら布団が 1つおきに敷かれる状況が確保できるようであった。ありがたい。

着替えを行った後、山荘前で暫し周囲の山々を眺める。
今まで気づかなかったが、日差しが意外と強い。三俣蓮華岳の後方にある太陽がジリジリと顔を焼いている感じさえ受ける。 しかし、このところ、太陽になかなかお目にかかれなかっただけに、このような日光浴も嬉しいものである。
山荘周辺から鷲羽岳が見えるのは勿論であるが、水晶岳もしっかりと見ることができる。今まで、鷲羽岳から左に延びる稜線の端っこに見えていて、 遠く感じたのだが、今はその山頂部分がワリモ岳の斜面の左側に結構大きく見えている。
また、南東方面には槍ヶ岳が見えているのだが、その前を雲が流れており、その山頂部分は見え隠れが激しい。
なお、槍ヶ岳の左には北鎌尾根が延びているのが見え、北鎌独標も確認することができる。
一方、三俣蓮華岳は逆光となり、その山容が少々分かりにくい。

17時に夕食。メニューは鹿肉のジビエシチュー。
南アルプスにおけるニホンジカの食害はかなり深刻であるが、その問題はこの北アルプスにも及んできているとのこと。
捕獲もままならない中、食肉利用の促進によって、我々登山者に対する鹿害 (ろくがい) の周知、そして鹿肉需要拡大 = 捕獲促進を狙ってのものらしい。
この鹿害に対して何か良い手立てはないものだろうか。この美しい自然、そしてその中心でもある高山植物が食い荒らされてはたまったものではない。 問題は深刻である。

夕食後は一休みのつもりで布団に潜り込んだところ、やはり疲れていたのであろう、そのまま寝込んでしまった。
途中でイビキに起こされたことや、朝早く (というよりも丑三つ時) から出発する人の気配で時々目が覚めたことはあったものの、 そのまま朝まで眠り続け、十分に休むことができたのだった。
従って、山の楽しみである、夜空の星を見上げることはできなかったものの、お陰でかなり体力が回復したようである。

以下 次回に続く。


リハビリ登山とカンマンボロン  2015.9 記

7月11日(土)に登った日光の奥白根山にて下山時に滑落してしまい、 その際 右前腕部、つまり手と肘の中間をかなり深く切り、五針縫うという大怪我を負ってしまった。 そして、年のせいかその傷の治りが遅く、抜糸まで 3週間近くを要し、さらには完全に傷口が塞がるまで 1ヶ月以上かかってしまったのである。
そのため、ハイシーズンにも拘わらず山に行けない状態が続き、また異常とも言える暑さのため、外出も控えめになったことから、 身体は太る一方という状態に落ち込んでしまった次第である。
ようやく傷口も癒え、山に行けるようになった 8月下旬になると、今度は天候不順が続き、結局 8月はずっと自宅待機、 そして 9月に入っても台風などの影響で、なかなか山に行くチャンスに恵まれない状態が続いたのであった。
ストレスがかなり溜まる中、9月11日(金)は晴れそうだということで、待ってましたとばかりに山に行くことにする。2ヶ月ぶりの登山である。

当日の早朝にテレビを点けると、常総市における鬼怒川の決壊状況、 そして豪雨が降り続く東北地方の状況を映し出しており、後ろめたい気分になってしまったのだが、 ここでチャンスを逃しては いつまた山に行けるか分からず、被災された方々には申し訳ない気持ちを抱きながら山に向かう。
行き先は奥秩父の瑞牆山 (みずがきやま)。2ヶ月のブランク、さらにはその間に運動をほとんどしていないということも考慮して、リハビリに適した手頃な高さ、 行程の山を選んだ結果である。

さらには、この瑞牆山に登ろうと思ったのにはもう一つ理由がある。
山中にある 『 カンマンボロン 』 を是非とも見たいと以前から思っていたからである。 カンマンボロンとは何かと思われるであろうが、地元の北杜市立増富小学校のホームページにその紹介があり、 そこには以下のように書かれている。
『 瑞牆山中の岩峰の中に、洞ヶ岩という洞窟のある岩峰があります。この洞窟は奥行約 5メートル・幅 15メートル・高さ 40メートルの大きい洞窟です。 その奥に約 7メートルの花崗岩の岩盤があり、これに梵字が刻まれています。字は 『 カンマンボロン 』 と読むといわれている。 それは大日如来・不動明王の意であるといわれています。昔、弘法大師が霊場選定のために来て、この山の姿を愛しここを霊場とし梵字を刻まれました。 しかし霊場とするには、八百八谷を要したが増富の地では、谷数が不足するためこの地を去っていきました。 今も山中に大日岩があり、その背後に不動明王をお祭りしています。 』

つまり、山中に梵字が刻まれている岩があるという訳だが、 そこまでのルートは 『 山と高原地図 』 には記載されていない (但し、カンマンボロンという記述はある)。 しかし、ネット上にはカンマンボロン、さらにはその先、瑞牆山山頂まで至ったとの登山記録が数多く掲載されており、 これを見て大いに興味を引かれていたのである。
ただ、現在の体調を考えると、カンマンボロン経由にて瑞牆山山頂へと至るルートをとるには些か不安があるため、 今回は瑞牆山荘から正規ルートにて山頂に至り、山頂からは裏側の不動滝経由のコースを下り、 その途中にてカンマンボロンまでピストンするという計画とする。
無論、体力的に厳しいとなったら、カンマンボロンは又の機会に というつもりである。

11日(金)、朝 4時過ぎに横浜の自宅を出発する。 空は昨日の大雨の影響がまだ残っているようで、曇り空であるが、天気予報では瑞牆山のある北杜市は晴れとなっている。
いつも通り、横浜ICから東名高速道に入り、海老名JCTから圏央道を経由して、八王子JCTにて中央道に入る。
天候の方は一向に回復する様子はなく、笹子トンネルを抜けて南アルプスが見える場所に出ても、 雲の上に北岳、間ノ岳が少し顔を出している程度である。しかも、奥秩父方面はといえば、完全に雲に覆われているため、 テンションがグッと下がってしまったのだが、本日はリハビリ登山であり、 汗をかくことが最大の目的と自分に言い聞かせる。
しかし、ありがたいことに、西へと進むに連れて天候はドンドン回復し、甲斐駒ヶ岳の姿もよく見えるようになり、 八ヶ岳も雲一つ無い青空にその姿を浮き上がらせている。この状況を見て、余程 目的地を八ヶ岳に変えようか と思ったのだが、 急激な天候回復が奥秩父の山々にも及ぶことを願って計画通り瑞牆山を目指す。

須玉ICで高速を下り、国道141号線を北上する。 西川橋西詰の交差点を右折し、そのまま増富ラジウムラインに入って暫く北上を続ける。天候の方は完全に回復したようで、上空には雲一つ無い青空が広がっている。 ありがたい。
やがて、JA北増富出張所の所で丁字路にぶつかるので、そこを左折してラジウムラインと別れて県道610号線に入る。 塩川ダムのある みずがき湖を渡り、暫く山間部を進んでいくと、やがて右手に瑞牆山の岩峰が見えてくる。
すぐに 『 瑞牆山 → 』 の標識が見えてくるので、そこを右折し山の方へと向かう。暫く山道を進むと (舗装道)、左手に不動滝への道が現れるが、 それをやり過ごし、さらに長い距離 林の中を進む。やがて、左手に 『 みずがき山自然公園入口 』 への道路を分け、 そこから暫く進めば瑞牆山荘である。
山荘の向かい側の道を左折して少し進めば無料駐車場で、到着時間は 6時28分であった。 平日というのに駐車場には 10台ほどの車が駐まっている。

身支度を調え、一旦 瑞牆山荘へと戻り (駐車場から直接登山道に入ることもできる)、 トイレを使わせてもらう。
そして山荘前を 6時40分に出発し、すぐに山道に入る。小さな流れを渡り、緩やかに登っていく。
緩やかだった道も徐々に傾斜が増してくると、やがて林道にぶつかる。林道左手を見ると、少し先でまた山に取り付く道があり、 丸太階段を昇っていくことになる。
周囲に大きな岩が現れ始めると、やがて左に里宮神社参道が分かれる。ここは一旦 登山道を離れ参道を進むと、すぐに高台に登り着くが、 そこには庇状の大岩があってその下に祠が置かれている。里宮神社である。時刻は 7時4分。
神社に本日の無事を祈願した後、祠の前から水平に延びる道を進むとすぐに登山道に合流し、やがて尾根に登り着く。 ここで道を右にとって尾根を登る。左手には樹林越しに瑞牆山の岩峰がチラチラ見えるが、枝が邪魔をしてなかなか見通すことができない。

やがて足下には水の流れが現れ、少し登ると富士見平の湧水が左手に見えてくる。 登山道と分かれて湧水の所まで行き、冷たい水にてノドを潤す。そしてそこから一登りで富士見平小屋前に飛び出したのだった。時刻は 7時22分。
道はここで二手に分かれる。右は金峰山で、瑞牆山に行くには左、小屋の横を登っていくことになる。
この分岐から少しの間登りが続くが、すぐに右手の尾根を巻く、水平あるいは緩やかな下りの道となる。
暫く進むと、左下の谷を挟んで樹林越しに瑞牆山の岩峰群が見え始めるが、ここでも枝や葉が邪魔をして良く見通すことができない。
岩屑や木の根が五月蝿い道を暫く進んでいくと、ようやく樹林が切れて瑞牆山がスッキリと見通せるようになる。 緑の中から白き岩々がニョキッと生えてきたような山頂が見えており、その左には大ヤスリ岩が存在感を示している。
そして、その後方には青空が広がっていてテンションがグッと上がる。

緩やかだった道も、一旦 急坂を大きく下って、 天鳥川源頭へと下り立つことになる。時刻は 7時49分。
昨日までの雨でやや水量の多い流れを岩伝いに渡ると、すぐに真っ二つに割れた大岩 (桃太郎岩) が現れ、 道はその右手に付けられた丸太の階段を登っていくことになる。そして、ここから本格的な登りが始まる。
2つ目の立派な階段を過ぎ、大きな岩がゴロゴロした道を登っていく。道は明瞭であるが、足下には水の流れなどもあり、 また浮き石もあって少々登りにくい。
ただ、2ヶ月ぶりの登山ということで少々体調の方が心配であったのだが、今のところ問題ない。 とは言っても、少し身体が重い気がするのは 2ヶ月の間に体重が 3kg程増えてしまった所為であろうか。

高度が上がるに連れ、周囲には日が当たり出し、気分良く登っていくことができる。
途中、ロープや鎖場が現れるが、どうしてもそれに頼らねばならないというレベルではない。 足下には大きな岩、そして周囲にはシャクナゲが見られる道を登っていく。
やがて、足下は岩から土と木の根が目立つ道へと変わり、奥秩父らしさが感じられるようになるが、すぐにまた岩の道へと変わる。 急坂の先を見ると、大きな岩が見えているが、大ヤスリ岩であろうか。まだまだ遠い。
周囲には大きな岩が頻繁に見られるようになり、道はその間を縫うように進む。
暫く登って振り返ると、樹林の間から富士山が見えるようになる。 少し周囲に雲が多めであるが、その頂上部分はしっかり見えており、少々疲れてきた身体に元気をくれる。
その先で、岩のトンネルを潜ったのだが、この登山道を登るのは 3度目になるにも拘わらず、この岩潜りは記憶にない。
岩を潜ると、目の前に先程の大きな岩峰が見えてくる。

さらに登って行くと、その岩峰の基部に登り着いたのであるが、 見上げるその岩峰は大迫力である。これが大ヤスリ岩に違いないと思ったのであるが、さらにその岩の右側を巻くように登っていくと、 その岩峰の後方にもう一つ大きな岩峰が見えてきた。最初は手前にあった岩峰と同じ高さかと思ったのだが、後方の岩峰の方が断然高い。 どうやらこちらが大ヤスリ岩のようである。
暫く登って振り返ると、その岩峰の左後方に白根三山が見えている。大ヤスリ岩の右を抜け、大きな岩が多く見られる中を登っていくと、 やがて道は瑞牆山頂に繋がっていると思われる大きな岩壁に沿って登るようになる。
さらには、両脇から大岩が迫る間を登っていくと、不動滝方面、そして瑞牆山方面へと道が分かれる尾根に登り着く。時刻は 9時1分。

右に道を取り、岩の下を回り込んでいくと鎖場となり、さらにロープ、 梯子を越えて行くと、シャクナゲのトンネルの先に青空が見えるようになる。そして、そのトンネルを抜けると、大きな花崗岩の一枚岩と、 その他にいくつかの大岩が重なる瑞牆山頂上であった。時刻は 9時6分。
頂上には、先程大ヤスリ岩の手前で小生を追い抜いていった方が一人居られるだけ。明日の土曜日にはこの頂上は大混雑であろうが、 今日は空いていて嬉しい限りである。
頂上にはいくつかの標識の他、方位盤が置かれていたが、地図に存在する三角点は見つけることができなかった。

ここからの展望は抜群で、南東にはその頂上の五丈岩が目立つ金峰山が大きい。
金峰山の左には朝日岳が見え、さらに左には間を少し空けて小川山が見えている。小川山の左側は雲が多くほとんど山が見えないが、 雲の中から御座山が少しだけ顔を出している。その左は瑞牆山の樹木に遮られてしまっている。
金峰山に目を戻して、金峰山の右側を辿っていけば、富士山が見えているが、先程見た時と同様、周囲に雲が多く、 富士山の手前にある御坂山塊は見ることができない。
富士山の右には毛無山が雲の中から少し顔を出しているものの、その右側には雲の海が続き、本来見えるであろう七面山などは見ることができない。 但し、その手前側には黒富士、曲岳といった山々が見えている。
しかし、曲岳の右に続くはずの茅ヶ岳、金ヶ岳は雲の中である。また、茅ヶ岳があると思しき場所の後方には、雲の切れ間から布引山、 笊ヶ岳が少し姿を見せており、さらに右側には上河内岳と思しき山が見えているが、 その右に見えるはずの聖岳、赤石岳、悪沢岳は雲の中である (その後、聖岳はチラリと見ることができた)。

そしてさらに右側、南西の方向には農鳥岳、西農鳥岳、間ノ岳、北岳が続くが、 こちらも雲が絡んできており、北岳の山頂は雲によって隠れてしまっている。
北岳の右からは雲がほとんど無くなり山々がよく見えるようになる。北岳の右には小太郎山、アサヨ峰、さらには甲斐駒ヶ岳が続き、 アサヨ峰と甲斐駒ヶ岳を結ぶ稜線の後方には仙丈ヶ岳も見えている。
甲斐駒ヶ岳の右には三ツ頭、そして鋸岳が続くが、その右側からはまた雲が増えてくる。
それでも 何とか中央アルプスの南駒ヶ岳、空木岳が確認でき、少し雲を間において、さらに右に中岳、木曽駒ヶ岳、将棊頭山、茶臼山と続く稜線を見ることができる。
そして、さらに右に大棚入山が見えた後、また雲の海を間に挟んで、西北西の方向に八ヶ岳が大きく見えている。
八ヶ岳については、左側の編笠山は雲の中にあるものの、権現岳、旭岳、赤岳、横岳、硫黄岳はしっかりと見えており、 さらに硫黄岳の右後方に天狗岳などが見えている。
しかし、その右側はずっと雲の海で、北の方向に浅間山がその頂上を少し見せているだけである。 そして浅間山の右には またまた雲の海が続き、さらには瑞牆山の樹林にて視界がきかなくなっている。
少し物足りなさを覚えもするが、昨日までの雨を思えば、文句は言えまい。

9時29分、下山開始。先程の不動滝と富士見平方面の分岐まで戻り、 道を右にとって (左は登って来た道) 不動滝へと下る。
ここからは木の根が剥き出しになった、やや泥濘んだ急斜面の下りが続く。昨日までの雨の所為か、あるいはこれが常態なのか、 途中、登山道上に水の流れが多く現れる。
展望のない道をひたすら下り続けることになるのだが、こちら側にも奇岩が多く見られ、弁天岩、王冠岩、矢立岩、摩天岩といった名前が付けられた岩が現れる。 しかし、先にも述べたように展望がほとんどないため、あまり面白くない。
『 ししくい坂 』 と名が付いた急斜面を下り、10時29分に 2つの大岩が並ぶ夫婦岩を通過する。
その後、沢を渡り、桟橋などを進んで行くと、明るく開けた場所に飛び出す。不動滝である。時刻は 10時41分。

不動滝はなかなか見事で、一見の価値がある。間近で滝を見ることができ、 大きな一枚岩を水が流れ落ちているのがよく見える。昨日までの雨で水量が多いのであろう、水が白いレースのようになって岩を覆っている感じである。
不動滝からはいくつもの橋を渡りながら下っていくことになる。足下も心なしか良くなってきた感じなので、 みずがき山自然公園から不動滝まではハイキングコースになっているのかも知れない。
しかし、久々の登山で疲れが出始めている身にとっては、この道は単調で辛い。それでも何とか休まずに下り続けていくと、 道は林道のように広くなり、堰堤を左に見た所で、すぐに林道の終点に下り立ったのであった。時刻は 11時23分。
ここには広いスペースがあり、車が 10台ほど駐まっている。ここから瑞牆山を目指し、時計回りに (小生と反対回りに) 周回する人もいるようである。

ここからは林道 (未舗装) を下る。 途中、林道と分かれて芝生公園への道があったのでそちらに進んでみる。
しかし、この道は途中から緩やかながら登り始めたので少々焦る。東屋を過ぎ、右に道をとって下っていくと、先の方に建物が見えてきた。 みずがき山自然公園 (あるいは芝生公園) である。
しかし思うに、林道をそのまま下った方が楽だったのかも知れない。何だか遠回りさせられたような気分である。

みずがき山自然公園の駐車場を 11時48分に通過、ここからは舗装道を歩く。
駐車場から少し進むと、道路左側に 『 瑞牆の森 』 の歩道案内図が現れた。そう、事前の下調べでは、 ここがカンマンボロンへの登り口のはずである。時刻は 11時52分。
少々疲れ気味ではあったが、ここからカンマンボロンのある場所までは 1時間チョイと聞いているので、 このチャンスを逃すまいとカンマンボロンを目指すことにする。

案内図の右にある踏み跡を進む。すぐに道は二股に分かれるので右へと進む。 この後、五叉路が 2回ほど現れるが、いずれも真っ直ぐ進めば良い。
周囲の木々あるいは岩には、しっかりとテープやペンキ印が付けられている。足下の道もハッキリとしており、普通の登山道と全く変わりはない。 岩壁を登攀するクライマー達によりつけられた道だからであろう。
下草の生えたカラマツ林を緩やかに登っていくと、少し傾斜がきつくなって周囲は自然林へと変わり、 左上から下ってくる斜面を横切って進むようになる。
頂上からここまで水以外何も口にしていなかったため、道も平らになってきたところで休憩する。

7分程休んだ後に出発。道はやがて広い斜面を緩やかに登るようになり、 足下の道もやや見分けにくくなってくるが、先にも述べたようにペンキ印、テープがしっかりと付けられているので迷うことなく進んでいくことができる。
小さな流れを渡った後、左右に小さな流れを見ながら登って行く。
やがて、前方樹林越しにカンマンボロンのある岩場が見えるようになり、 岩が庇のようになって張り出していて洞窟のようになった窪みが見えてくる。カンマンボロンはあの下にあるはずである。
再び、展望の利かない斜面を登っていく。周囲には大きな岩が転がっており、木の根っこも出ていてやや歩きにくい。
この登りはかなりキツく感じられ、息が上がる。少し登っては立ち止まって上を見上げるという、パターンを繰り返す。
涸れ沢のような窪みを横切り、さらにキツくなった斜面をテープに頼りながら登っていくと、赤色の矢印が書かれた小さな岩場に突き当たる。 矢印に従って、その岩の右へと進み、さらに現れる黄色や赤の矢印に沿って岩場を回り込んでいくと、 岩に取り付けられた 『 ← グリーンロッジ黒森、みずがき山 → 』 と書かれたステンレス製のプレートが現れる。

そして、そこから少し進むと、テープが斜面を下って続いているのが見えたが、 ここで注意が必要である。
その下る所にある岩場に、赤字で 『 カ ↑ 』 と書かれており、カンマンボロンへは上に登って行くことになるのである ( 『 カ 』 はカンマンボロンのことらしい)。 下へと続くテープは、恐らく瑞牆山山頂へと続くルートを示すものであろう。
斜面を登っていくと、今まで頻繁にあったテープがあまり見られなくなって少し心細くなるが、足下の斜面には足を蹴り込んでできたステップ跡が続いており、 そこを忠実に辿っていけば良い。
フカフカした土の斜面を登り切ると、大きな岩壁に突き当たる。左にも踏み跡があるが、右手にテープがあるのでそちらへと進む。 テープに従って、ここから一旦 岩と岩の間の細い溝状の中を下る。下り終えて前方下方を見れば、ブナの大木、そして倒木が見えてくる。 もうカンマンボロンは近いはずである。

そのブナの木の上部へと斜面を登っていくと、しっかりした道があり、 道はそのままグルッと右に回ってまたブナの木へと戻ってくるようになるのだが、その途中で上を見上げると、 岩壁の上部に先程見えた庇のような岩が見えている。
カンマンボロンの入口はすぐソバのはずと、目線を下げていくと、草付きの斜面を少し登った所の左手に、上からの岩壁に寄りかかっている岩が見える。 実際は、寄りかかっているように見える岩の後ろには隙間があり、カンマンボロンはこの隙間を通り抜けた所にあるのである。
ザックをデポし、狭い岩の隙間を通り抜ける。すると、そこは上まで続く岩壁と、いくつかの岩に囲まれた小さなテラスになっており ( 4人程は立てるであろうか)、 そのテラスの右上、上方へと続く岩壁の下部にカンマンボロンがあったのだった。時刻は 13時1分。

カンマンボロンはかなり風化した花崗岩に、 虫食い跡のような 凹みが縦にいくつか並んでおり、確かに梵字といわれればそのように見える。 その梵字はカンマンボロン、つまり大日如来と書かれているとのこと。不思議な光景である。
自然の為せる技なのであろうが、ここを発見し、弘法大師の伝説と結びつけた昔の人々の想像力には脱帽である。
しかも、ちょっと見には分かりにくい、岩の間をスリ抜けるという秘密の通路を通るということもあって、やはり神秘的なものを感じさせられる。 疲れていたがここまで来て本当に良かった。
なお、岩壁の反対側は展望が開けており、茅ヶ岳がよく見える。南アルプスも見えるのであろうが、最早 雲の中である。

13時8分、往路を戻る。頻繁に付けられたテープのため迷うことなく下り、 13時45分に車道に戻り着く。
ここからは車道を歩き、13時57分に今朝ほど車で通った林道に合流。左に道を取って、瑞牆山荘には 14時14分に戻り着いたのだった。 山荘横の自動販売機で飲み物を購入し、14時19分に駐車場に戻り着く。

本日は、リハビリ登山としてはなかなかハードな行程になってしまったが、 天候に恵まれ、また体力の衰えもそれ程感じることなく、しかも最後に念願のカンマンボロンも見ることができ、大変満足のいく山行であった。
これを機に、夏山に登れなかった鬱憤を晴らすべく、ドンドン山に行きたいものである。


最後にトラブルが待っていた奥白根山  2015.7 記

梅雨のため山に行けない状態が長く続いていたが、 7月11日(土)はどうやら良い天気になりそうだということで、土曜日ではあるものの 山に行くことにする。
行き先だが、検討の結果、湯元から奥白根山を目指すこととし、手前の前白根山まで登った時点で調子が良ければ目標を錫ヶ岳に切り換えるという計画とする。
湯元から奥白根山に登るのは 24年ぶりとなるのだが、その時には下山時に道に迷ってしまい、 さらには帰宅後に息子の事故・入院を知るということがあったため、実はあまり湯元からのコースに良い印象を持っていないのである (2回目は菅沼から登頂)。
そのため、途中から錫ヶ岳に変更するというオプション付きとした訳だが、奥白根山自体は、先日の太郎山から眺めて登高意欲を掻き立てられており、 決して嫌いという訳ではない。

3時25分に横浜の自宅を出発する。上空には薄い雲がかかっている。
先般の太郎山と同じく横浜ICから東名高速に入り、首都高の渋谷線、中央環状線、川口線を経て、川口JCTから東北自動車道に入る。 順調に車を進めていくと、曇り気味であった空も徐々に晴れ始め、宇都宮ICから日光宇都宮道路に入る頃には、 青空が広がって男体山、女峰山などの山々が良く見えるようになる。
清滝ICにて日光宇都宮道路を下り、そのまま国道120号線に入って いろは坂を登る。快晴となった中、朝日が眩しい。
中禅寺湖畔を進み、戦場ヶ原を抜けて、やがて湯元に到着。2010年の錫ヶ岳の時と同じく、『 湯元本通り南駐車場 』 に車を駐める。 時刻は 6時20分。駐車場には既に多くの車が駐まっていたが、全部が登山者という訳ではないようだ。

身支度を調えて 6時25分に出発。駐車場を出て右に進み、すぐの十字路を左折すれば良いところを、 さらに先へと進んでしまう。間違えたかなと思ったが、来た道を戻るのもシャクだと思い、次の十字路を左折する。 駐在所の前を通り、ホテル 『 花の季 』 の前を進んで行くと、駐車場となって道は行き止まりとなる。
幸い、左手のホテル 『 奥日光 小西 』 の裏庭を進むことができるようなのでそちらに入り、 どうにか正規の道に出ることができたのだが、この日の登山を暗示させるようなミスであり、さらには駐在所の位置を知ったことが後々役に立つ。
橋を渡って暫く進むと、やがて前方に日光湯元スキー場が見えてくる。用意した登山届をポストに入れ、スキー場のゲレンデを進む。時刻は 6時33分。

スキーシーズンにはゲレンデの端を進まねばならないが、本日は草の生えるゲレンデの真ん中を進む。
前方には金精山の岩壁が見え、その後方には青空が広がっている。振り返れば男体山が少しイメージと違った姿を見せている。 日差しが強い中、草の斜面を登り続ける。この時点で身体がかなり重いことを自覚し、錫ヶ岳登山は無理と思うようになる。
高度を上げて振り返れば、男体山は見えなくなり、代わりに太郎山、女峰山、大真名子山が姿を見せている。
やがて、ゲレンデを斜めに横切る砂利道に入り、暫く進んでいくと 『 前白根山 』 の標識が現れて登山道が始まる。時刻は 6時54分。

道は涸れ沢となっている白根沢と平行しながら高度を上げていく。 最初は緩やかな登りの道も、雪崩による遭難者の追悼歌碑を過ぎ、沢から少し離れると、急登が始まる。 コメツガの林の中をジグザグに登っていくのだが、足下には木の根が剥き出しとなっており、また、土の部分も滑りやすい。
息を切らせながら急斜面を登っていく。やはり本日は身体が重い。
登山道は斜面上にいくつもつけられており、それぞれが少々荒れ気味なので苦労する。いくつかに枝分かれしていた道も、 やがて溝状の 1本の道に集約されたので、稜線が近いとの期待が高まるが、これは糠喜びで、道は再びいくつかに枝分かれしてさらに先へと続く。
展望のない登りが続くが、やがて振り返ると、樹林越しに温泉ヶ岳 (ゆぜんがたけ) がそのドーム型の姿を見せてくれるようになる。
この辛く長かった斜面の登りも、再び道が 1本に集約された後、斜面を横切って進むようになり、その先で溝状の道に変わる。 今度こそ稜線だろうと思ったら、その通り、やがて外山から前白根山へと続く尾根に登り着く。時刻は 8時3分。

右に道を取り、暫く緩やかな登りの尾根を進んでいくと、道はダケカンバの緑が青空に映える斜面を登ることになる。
高度を上げて振り返れば、中禅寺湖、その後方に夕日岳、地蔵岳が見えている。
やがて道は溝状の場所を横切った後、その溝状の中を登っていくことになる。以前、6月に錫ヶ岳に登った時には、 ここは完全に雪に覆われていたのだが、さすがに 7月ともなれば雪はなかろうと思っていたところ、雪が少し残っていたので少々ビックリする。
その溝状の道を登り切ると天狗平で、時刻は 8時27分。天狗平からは緩やかな登りが続く。周囲にはダケカンバの他、ハクサンシャクナゲの群落が見られる。

緩やかな登りも少し傾斜がきつくなってくると、展望が開けるようになり、 振り返れば男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山、太郎山と続く日光ファミリーが樹林の向こうに見えている。
そして、再び傾斜が緩やかになると、そこからはまるで公園のような、気持ちの良いダケカンバの道が続くようになり、 そこを抜け出すと前方に奥白根山の姿が見えてくる。
奥白根山は如何にも溶岩ドームという体を成していて、その頂上から手前に下る斜面には深く抉れた溝が走っており、 平ヶ岳側から見た燧ヶ岳を彷彿させる (燧ヶ岳ほど溝は深くはないが)。
そして、溝によって左右 2つに分かれた斜面の左側には登山道が見えている。
その堂々とした姿はやはり魅力的で、前回、錫ヶ岳に登った時も、この山を素通りすることを残念に思ったものである。
奥白根山の姿が素晴らしいこともあり、また体調も考慮し、本日は錫ヶ岳を諦めることにする。

展望の良い砂礫の道を前白根山に向かって進む。 左手には袈裟丸連峰、皇海山が見え、皇海山の右には赤城山も見えている。 さらにはよく目を凝らすと、皇海山の左後方に富士山がうっすらと見えていてテンションが上がる。
奥白根山も正面によく見えるようになり、その右手前には前白根山も見えている。さらには、奥白根山の下方に目をやれば、 前白根山から白根隠山へと続く尾根が横切っており、こちらも魅力満点である。
ということで、本日はまず奥白根山に登り、その後、同じ道を戻って、途中から白根隠山に寄り道をした後、湯元に戻ることにする。
砂礫の斜面を登り、前白根山には 8時51分に到着。祠の前にて暫し休憩する。

ここからの展望もなかなかのもので、目の前には奥白根山が大きく、 その左後方に錫ヶ岳が少し姿を見せていて、さらにその左には白根隠山とそこからこちらまで続く稜線が見えている。
白根隠山の左後方には皇海山、袈裟丸連峰が並び、先にも述べたように、皇海山の左後方には富士山が少しだけ姿を見せている。 また、奥白根山の右側を見れば、後方に至仏山が見え、至仏山の左後方には巻機山も見えている。
8時55分、奥白根山に向けて出発。稜線を五色山方面に少し進んだ後、標識に従ってガレ場の斜面をジグザグに下る。
途中、眼下に錆納戸色 (さびなんどいろ) をした五色沼が見えるようになり、奥白根山 + 五色沼という定番の構図が目の前に広がる。
ガレ場を下り、窪地を通過した後、少し登って尾根上に出る。左手には男体山、中禅寺湖が見えている。 尾根を暫く進めば、錫ヶ岳方面、奥白根山方面との分岐となり (錫ヶ岳への標識は無い)、ここからは右に道をとって樹林帯の中を大きく下っていくことになる。

下り着いた所が奥白根平で、そこには避難小屋が建っている。時刻は 9時20分。
左に道を取り、暫くは緩やかな登りの道を進む。4分程進んだ所で標識に従って右手の斜面に取り付く。いよいよ奥白根山への登りである。
ダケカンバの樹林帯をジグザグに登っていく。この頃になると頂上からの下山者と擦れ違うようになる。
足下の岩に気を遣いながら登っていくと、11分程で樹林を抜け出し、周囲はダケカンバが疎らに生える斜面へと変わる。 当然展望も開けるようになり、右手下方には五色沼が見えている。さすがに五色沼と言うだけあって、水の色は先程よりも明るくなっており、 錆納戸色から納戸色へと変化している。
振り返れば男体山、大真名子山、女峰山、太郎山がその頂上部分を見せ始めている。
やがて周囲に高い木は見えなくなり、草の斜面と火山らしさを感じさせる黒い岩が目立つ道へと変わる。 展望はさらに広がり、太郎山の左後方には高原山も姿を現している。皇海山、赤城山もよく見えるようになり、素晴らしい展望に気分も高揚するが、 一方でさすがにバテ始め、足がなかなか進まなくなる。

やがて、錫ヶ岳の姿がよく見えるようになると、足下は完全に砂礫の道に変わる。 進まぬ足に鞭を入れ、何とか砂礫の斜面を登り切ると、ようやく前方に奥白根山の頂上部分が見えてくる。もう少しである。
しかし、土曜日ということで予想はしていたものの、頂上付近は大勢の登山者で混み合っている。皆、晴れの日を待ちわびていたのだろう、 この快晴では混むのも致し方ないところである。
ほぼ平らになった道は、やがて如何にも火口跡という雰囲気の円形の凹地にぶつかる。道はこの凹地を囲む低い土手の上を歩くようになっている。 右に道を取り、火口跡の周囲を進む。少し進んだ後、火口跡から離れて岩場を登っていくと、奥白根神社の祠の前に到着する。時刻は 10時18分。
2005年に菅沼から登った時には、祠の屋根に緑のペンキが塗られたばかりであったが、今の屋根の色は焦げ茶色である。 ペンキが剥げて地の色が出たものと思われるが、緑色に少々違和感を覚えていたので、今の方がしっくりくる。

頂上は、これまた火口跡と思われる凹地に一旦下りた後、岩場を登ることになる。
岩場を登る正規の道は右側の様であったが、そちらには多くの登山者が下りてきているので、左から回り込む。 道を途中まで登り、大きな岩に書かれた矢印に従って岩場に入る。
少し岩場をよじ登ると、左手に 『 日光奥白根山 』 と書かれた標識が立っていたが、右手の方にまだ高い場所があるのでここは頂上ではない。 右へと進み、少し登りにくい岩と岩の間をよじ登れば、そこは三角点のある奥白根山頂上であった。時刻は 10時24分。
狭い頂上は人で一杯、そして頂上周辺も人だらけである。とは言え、折角なので以前祠があったのではないかと思われる三角点後方の岩に立ち、 周囲を見回す。さすがに関東の最高峰であり、これより北にこの山より高い山はないということだけあって、展望は抜群である。

まず、北北西の方向に燧ヶ岳の双耳峰が目に付く。こちらから見る燧ヶ岳は、 先般の太郎山から見たそれと違い、赤ナグレ山が山の懐に入っているので双耳峰がスッキリとしている。
燧ヶ岳の左後方には荒沢岳が見え、その左には越後駒ヶ岳が見えている。越後駒ヶ岳の手前には平ヶ岳が横たわり、 平ヶ岳の左手後方には中ノ岳が見えている。そして、中ノ岳の左後方には八海山の入道岳も少し姿を見せている。
入道岳から少し左に間を空けて、先日の太郎山にて確認した下津川山 (しもつごうやま)、小沢岳が続いた後、 その左手前に至仏山が存在感を示している。
至仏山の左には小至仏山が続き、小至仏山の左後方には巻機山、割引岳が見えている。割引山の左には恐らく柄沢山と覚しき山が続き、 柄沢山の手前には小至仏山から続く笠ヶ岳が見えている。
さらに柄沢山の左には朝日岳が見えており、そうなるとさらに左に谷川岳があるはずだが、この辺は少々ゴチャゴチャしていて分かりにくい (帰宅後に写真を拡大すると、 一ノ倉岳、谷川岳が確認でき、さらにはその後方に火打山、妙高山も確認できたのだった)。

そしてそのゴチャゴチャした部分のさらに左には、苗場山の特徴ある姿が認められる。 苗場山の左に傾いた稜線が終わる場所の手前、こちらからすぐの所には武尊山が大きく、左側には前武尊も見えている。
また、帰宅後に武尊山の写真を拡大すると、そのずっと後方に北アルプスが確認できたのだった。 どうやら白馬岳方面らしく、さらにその左に五竜岳、剱岳、鹿島槍ヶ岳が並ぶ。 その北アルプスの山々を左に追っていくと、手前に四阿山が見えてくるが、その後方には槍ヶ岳、大キレット、奥穂高岳も確認できる。 無論、山頂ではそのことに気づかず、帰宅後に気づいた次第であるが、梅雨時にも拘わらず、これ程の山々が見えたことに大変驚かされたのだった。
そしてさらに左に目を向ければ、浅間山も見えている。ただ、浅間山のさらに左に見えるはずの八ヶ岳、南アルプスは雲に隠れてよく見えない。

さらに左に目を移すと、南西の方向には錫ヶ岳が大きく、 その左後方には赤城山が見えている。
赤城山の左手前には皇海山、そして皇海山の左後方には袈裟丸連峰が続いており、富士山も皇海山の右後方、雲の上にその頂上部分だけを確認することができる。
袈裟丸連峰の左には庚申山が見え、その後暫く馴染みのない山が続いた後、黒檜岳、社山、半月山といった中禅寺湖周辺の山々が見えてくる。 さらに地蔵岳、夕日岳が続き、その後、男体山を筆頭とする日光ファミリーが続いている。
日光ファミリーの一番左に位置する太郎山の左後方には高原山(釈迦ヶ岳)、明神岳が見え、そのさらに左にもうっすらと山々が見えているが、 那須連峰かどうかはハッキリしない。

さらに左側、すぐ手前には金精山、温泉ヶ岳が見え、温泉ヶ岳の左には、 間に長い尾根を挟んで根名草山が見えている。そして、温泉ヶ岳と根名草山を結ぶその長い尾根の後方には帝釈山、田代山が見えている。 根名草山の左方には、いくつかの山を経た後、横に長い山が見えているが、会津駒ヶ岳である。
会津駒ヶ岳の手前下方には鬼怒沼山も見え、その左下方に鬼怒沼湿原も見えている。
そして、会津駒ヶ岳の左には燧ヶ岳が見えて、グルッと 1周したことになる。
素晴らしい景色に見とれてしまうが、混み合う頂上に居続けるのは難しく、10時34分に下山する。

登りとは反対側の道を下り、凹地を経て再び奥白根神社を通過し、 火口跡を囲む先程の道の続きを進んで、途中の岩場にて休憩する。時刻は 10時42分。
食事をしながら周囲の景色を楽しむ。皇海山の右後方に見えていた富士山は、先程よりも雲に飲み込まれ、 今や雲の上に 『 一 』 の字となった頂上が見えるだけである。
火口跡を挟んで奥白根山頂上を見れば、多くの登山者が山頂に向かっている。凄い混みようである。これから目指す白根隠山の方は登山者も少なく、 静かなはずなので楽しみである。
10時56分、下山開始。火口跡を一周した後、登って来た道を下る。五色沼や男体山を見ながら岩場の道を下る。

登る際には苦労した斜面もスンナリと下ることができ、樹林帯を抜け、 避難小屋前には 11時26分に戻り着く。
ここからは再び登りとなるが、さすがに辛い。休み休み登り続け、錫ヶ岳の分岐点には 11時41分に登り着く。
そのまま真っ直ぐ進めば窪地を経て前白根山に至るのだが、ここは右に道をとってダケカンバ、シラビソの生える果樹園のような雰囲気の斜面を登る。
すぐに樹林を抜けて尾根上に飛び出すと、そこに今にも倒れそうなトタン葺きの掘っ立て小屋が現れる。 地震観測所とか雨量観測小屋だとか言われているが、謎の小屋である。時刻は 11時46分。
小屋から少し進むと、白根隠山とそこまで続く稜線が見通せるようになる。結構アップダウンがあるように見えるが、 歩いてみると意外とそうでもない。
右手には先程頂上を踏んだ奥白根山もよく見えるようになる。ここからの奥白根山は、前白根山から見た時よりも南側の部分が見えるようになり、 従って、深く抉れた溝の内部をハッキリと見ることができる。

木々のない斜面を緩やかに下った後、小さな樹林帯の中を登る。 すぐに尾根上に飛び出し、木がほとんどない草付きの稜線が続く。周囲にはシャクナゲの群落が多く見られるが、吹きさらしの尾根のためであろう、 シャクナゲは凹地の中に身を潜めているものが多い。
緩やかな草の尾根を進む。夏は日差しを遮るものがないため暑いが、春や秋は楽しい空中散歩が楽しめる、気持ちの良い尾根である。 左手には男体山を始めとする日光ファミリー、そして中禅寺湖が見えている。 右手の奥白根山を見れば、縦に走る大きな溝が今や右斜面の端まで移動しており、従って奥白根山には火山の荒々しさが消えつつある。
道の方は砂礫の道を緩やかに下り、その後、白根隠山への登りとなる。この登りは短く、斜度もそれ程でもないが、 さすがにこの時間になると身体に応える。
息を切らせつつ何とか登り着くと、そこは頂上に非ず。白根隠山の頂上はさらに先に見えている。 少々ガッカリするが、最早 頂上までキツい登りはなく、木の生えていない台地状の斜面が緩やかに続いているだけである。

その斜面をユックリと進み、白根隠山頂上には 12時19分に到着。
頂上には 2人の先客がいたが、やはり狙い通り奥白根山の喧噪に比べてこちらは本当に静かである。
頂上からは、奥白根平より続く谷を挟んで奥白根山がよく見えるが、最早 例の深い抉れは完全に見えない状況である。 この白根隠山の隣には白檜岳が見え、その後方に錫ヶ岳が見えている。しかし、錫ヶ岳はまだまだ遠い。
錫ヶ岳の左後方には赤城山も見え、更に左に皇海山、袈裟丸連峰が見えている。無論、さらに左には中禅寺湖、そして日光ファミリーが見えており、 奥白根山に負けない素晴らしい展望である。
また西には武尊山も見え、武尊山の後方には朝日岳などの山々が見えているが、こちらは先程の奥白根山頂上に比べてかなり霞み気味である。 また、北の方角に目を向ければ、会津駒ヶ岳、鬼怒沼山、鬼怒沼湿原がよく見えている。

12時37分、下山開始。進んできた道を順調に戻り、錫ヶ岳の分岐には 13時7分に到着、 前白根山への道と合流する。窪地を通り、ガレ場の斜面を登って前白根山には 13時25分に到着。ここで 14分程休憩した後、往路を戻る。
天狗平を 13時53分に通過し、外山へと続く尾根から 14時9分に下り斜面に入る。
と、ここまでは良かったのだが、この先で事故を起こしてしまう。
かなり斜面を下ってきたところで、足を滑らせて滑落してしまい、その際に右前腕部、つまり手と肘の中間をかなり深く切ってしまったのである。 腹ばいになった形で 1m程滑り落ちてしまったのだが、その際に右手が木の切り株か何かに触れて切ってしまったらしい。
その他にも擦り傷多数、打撲も多数。幸い頭を打つことはなかったものの、右腕からかなり出血しており、その傷も深い。
取り敢えず、首に巻いていたタオルを傷口に巻き付けて、左手でタオルを締めつけながら下る。なるべく胸よりも高い位置に右手を上げながら下るのであるが、 左手もタオル締め付けに使っているので、滑りやすい斜面の下りは大変辛い。
それでも何とか 30分程下り続け、スキー場には 14時48分に到着。

ここからも長い道を歩き、まずは今朝ほどその前を通った駐在所を目指す。 駐在所にてお巡りさんに相談すると、いろは坂を下った所にある日光市民病院を紹介される。 その際、救急車を呼びましょうかと聞かれたが、何とかなるとお断りして 15時18分に駐車場に戻り着く。
登山靴だけ履き替え、右手に巻いたタオルを強く縛り、左手だけの運転にて出発する。一番難儀したのが いろは坂。 左手だけで連続する急カーブを曲がるのはかなり苦労したが、前を進む車のスピードが遅かったため、何とか下りきる。
日光市民病院には 16時過ぎに到着。土曜日のため午後は休診であったものの、救急外来に駆け込んで処置を依頼する。 当日の担当医は内科医であったが、丁寧に処置戴き (5針ほど縫った)、何とか帰宅できる体制ができたのだった。
その後、車を運転して横浜まで帰ったのだが、まあ、我ながら良く帰って来られたものだと感心してしまう。

ということで、翌々日に横浜の病院に治療の際出してもらった診断書を持って行き、 今は治療中である。
従って、梅雨空けにも拘わらず、山に行けない状態になってしまった次第である。
やはり、湯元から登る奥白根山は、小生にとっては鬼門であったようだ。しかし、一つ間違えれば、 動脈切断の大事故になったかもしれず (また、腕ではなくて腹部や胸、顔などの負傷も考えられた)、 そういう意味ではまだツキがあるのかも知れない。 今後は自分の体力を考え、あまり性急な登り下りはしないようにしたいと思う。反省。


梅雨時でも楽しめた金峰山  2015.7 記

梅雨入りによりぐずついた天候が続く中、 どうやら 6月24日(水)は雨の心配がなさそうとのことなので、山に行くことにする。2週間ぶりの山行である。
しかし、どこの山域の天気予報を見ても一日中フルに晴れマークの所はなく、さらには YAHOOと Mapionの天気予報がピッタリ一致している所もないため、 何らかの天候リスクがあることが考えられる。そのため、時間とコストをかけて遠くの山に出かけたは良いが、 残念な結果になってしまうのもイヤと考え、近間の山で楽しむことにする。
そして、検討の結果、金峰山に登ることにしたのだが、これはヤマレコに、 大弛峠への林道途中にあるアコウの土場 (アコウ平) から登った記録を見つけ、強く興味を引かれたことが大きい。

4時20分に横浜の自宅を出発。 朝から雲一つ無い空が広がっており、昇り始めた太陽が周囲を明るく照らし始める。
いつも通り横浜ICから東名高速道下り線に入り、圏央道を経由して中央高速道へと進む。中央道を下るに連れ、空には雲が多くなり始め、 いつもは見えるはずの南アルプスを見ることができないので少々不安を覚える。
勝沼ICで高速を下り、国道20号線、県道38号線、34号線を経て等々力から国道411号線に入る。 西広門田橋南にて再び県道34号線に入った後、一般道を経てまたまた県道38号線に入り、JR中央本線のガード下を潜る。
甲斐武田氏の菩提寺である恵林寺の横を通過した後、新隼橋北にて国道140号線に合流する。 国道140号線を暫く北上した後、窪平トンネルを抜けた所で左折して県道219号線に入り、まずは琴川ダムを目指す。
ありがたいことに、山道を走るに連れて青空が広がり始め、日の光が眩しい。

長い山道を進み、琴川ダムを左手に見ながら下っていくと、 やがて川上牧丘林道の柳平ゲートを通過する。ここからは川上牧丘林道を進み、大弛峠を目指すことになる。
過去に 2回、この柳平ゲート前に車を駐め、14kmの林道を登って大弛峠に至り、国師ヶ岳をピストン登山したことがあるが、 この林道を車で走るのは今回が初めてである。
よくもまあこんな長い道を歩いたものだと感心しながら山道を進んでいくと、『 大弛峠まで 7km 』 と書かれた標識を過ぎた所で、 前方に金峰山の五丈岩、その右に鉄山が見えてくる。嬉しいことにその後方には青空が広がっている。
やがて、右手に 『 大弛峠まで 6km 』 の標識を見て、さらにアコウ沢に架かる橋を渡ると、その少し先、 右へのカーブ手前左側に空き地が見えてくる。そこのカーブミラーには 『 アコウの土場 』 の標識もあり、ここが出発地点となる。
空き地は車 5、6台が駐められる広さであるが、さすがに平日、しかもあまりポピュラーではないルート故、先客は誰もいない。 時刻は 6時31分。

身支度をして 6時35分に出発。 『 金峰山 』 と書かれた標識、そしてテープに従って、空き地 後方の樹林帯に入る。
道はすぐにシラビソの急斜面を下っていくことになるが、人があまり歩いていないためか、この辺は倒木などあって少々道が荒れ気味である。
滑りやすい足下に気をつけながらジグザグに下っていくと、すぐに斜面を横切る平らな道に下り着く。 ここは今までの道に比べてしっかりと整地されており、しかもずっと平らな道が左右に続いているので驚かされるが、 聞けば、ここにトロッコ軌道 (奥千丈林用軌道) があったようである。
確かに足下には枕木のようなものが残っているが、甲武信ヶ岳 戸渡尾根に残るようなレールは見当たらない。 ただ、他の人の記録には線路の写真も見られるので、どうやらずっと先に下りてしまったようである。

ピンクテープに従って左に道をとる。 右下の斜面からは水の流れる音が聞こえてくるが、全く流れは見えない。
やがて、道の真ん中に小さなケルンらしきものが現れ、さらには右手のダケカンバの幹に 『 金峰山 』 と書かれた標識がつけられている場所に到着する。 時刻は 6時50分。
ここからは軌道跡と分かれて、右下の斜面を下っていく。この道も良く踏まれているので、トロッコ運搬に携わる人達が水を求めるために作られた道なのではないかと思われる。
ジグザグの道を下るに連れ、水の流れる音が大きくなり、やがて大きな岩の横を進むと、荒川の流れにぶつかる。

この荒川の川幅は小さいが、結構水量が多く、しかも流れが速い。 昨日までの雨で水量が増えているという訳ではないようだが、ここを渡るのに少々怯んでしまう。
岩に付けられたマークの通り進むには、水の流れスレスレの所にある岩の窪みに足を掛け、流れの真ん中に顔を出しているおむすび型の岩に片方の足を乗せるべく跳び、 その勢いのままさらに向こう岸まで跳べば良いのであるが、おむすび型の岩の上を時々水が覆い、しかも岩はいかにも滑りやすそうなのである。
以前、鶏冠山に登った際、跳んだ岩で足を滑らせひどい目に遭ったことがあり、どうもそれがトラウマになっているようで、なかなか跳ぶ気になれない。
その時、左手下流を見ると、川に渡したロープが見えたのでそちらに行ってみるが、こちらは靴を脱いで渡渉するには最適であるものの、 靴のままでは渡れない状況である。仕方なく、先程の場所に戻り、エイヤで跳ぶことにする。
何とかおむすび型の岩に乗せた足は滑らずに済み、向こう岸まで渡ることができたのだが、股関節が硬いこともあって、こういう場所は少々厳しい。

ここからは樹林帯の中の緩やかな登りが暫く続く。 足下には苔生した花崗岩のような岩が目立ち、いかにも奥秩父という雰囲気である。
順調に進んでいくと、やがて道は涸れた沢 (三薙沢というらしい) にぶつかる。時刻は 7時16分。
沢の手前の木々に標示板がいくつか掲げられているのが目に入ったのだが、その内容を全く見ずに、涸れ沢を渡るものと思い込んで沢に下りる。
しかし、右岸に渡ろうとすると、薄い踏み跡があるのみである。おかしいとは思ったが、一応右岸に上がって暫く道を探したものの全く見つからない。 仕方なく涸れ沢に戻ると、涸れ沢の下流方面にピンクテープが続いている。
逆方向ではないかとは思ったが、そちらに進んでみると、涸れ沢から右岸に上がり、さらに先へと進む道が見つかったのであった。

しかし、何とそこには 『 水晶盗掘禁止 』 の標識が立っているではないか。 これは水晶峠、そして黒平町へと下る道に違いないと判断し、再び先程の下降点まで戻る。すると、何とその先に左岸に渡る道が見つかったのである。
恐らく、涸れ沢に下りずに右に進むか (そんな道はなかった気がするが)、涸れ沢に下りた際に 右 (上流) に進めば良かったのである。 お陰で 10分程ロスをする。
しかも、この涸れ沢に下りた途端、カメラに 『 カードが異常です 』 のメッセージが出て、シャッターが切れなくなるアクシデントが起こり、 2つの問題が同時発生して少々パニックとなる。
予備のカードに取り替え、何とかカメラは作動するようになったものの、 ここに至る迄に撮った分は諦めざるを得ないと思ってかなり落ち込む (帰宅後にパソコンで確認すると、幸いその分も見ることができたのであった)。
なお、この迷ってしまった場所は、甲府市御岳町にある金櫻神社から続く表参道との合流点 (KK分岐というらしい) だったのだが、 沢山あった標示板を見ずに、思い込みで涸れ沢を渡ろうとしてしまったことを大いに反省したのだった。

何とか気を取り直して、7時28分に出発。少し進むと、 涸れ沢が 2つに分かれる場所 (つまり、2つの涸れ沢の合流点)に出る。 テープは左の沢を進むように指示しているのでそちらへと進むが、やがて、道はその涸れ沢を離れて、2つの沢の真ん中を進むようになる。
コメツガ、トウヒ、シラビソなどの樹林帯を緩やかに登っていくと、やがて先の方に壊れかけたトタン壁の建物が見えてくる。 入口だったと思しき所の上方には 『 おむろごや 』 と書かれた板が貼られている。時刻は 7時37分。
この御室小屋は半壊状態で荒れ放題であり、少々薄気味悪さもあってそのまま通過する。
小屋の左手から裏手に回り込む。そこには石碑の他、キチンと四角い石が横に置かれて土台のようになった場所があって、 この道が金峰山山頂にある蔵王権現参拝のための表参道として賑わっていた頃の名残をとどめている。

道はその石碑の脇を進み、ネズコ (クロベ、ヒノキ科の常緑高木) の林に入り、 大岩の下を登っていく。
すぐに道は右へと曲がり、岩がゴロゴロした場所を戻るように登って、先程下を通った大岩の上部を進む。
周囲にはシャクナゲの群落が見られるようになるが、もう花の時期は過ぎたのか、全く花や蕾は見られない。
ここからは今までの行程と違い、傾斜がきつくなり、大きな岩も頻繁に現れるようになる。
やがて、先の方に岩場がチラチラ見えるようになり、その手前にアルミ製の梯子が現れる。その梯子を登ると、大きな一枚岩の足下に出ることになり、 鎖場も現れる。
いきなりの鎖場に少々慌てながら、ストックをザックに仕舞い、ゴム製の軍手をはめる。
振り返れば、富士山がうっすらと見えているが、その頂上部分は雲の中である。

垂直の鎖にて大岩の端に立つ。 ここからは 10m程ある傾斜の緩やかな一枚岩の上を鎖に掴まりながら登っていくことになる。 岩の左下は深い谷になっていて大変危険な場所であるが、鎖をしっかり握っていれば問題ない。
ただ、この日は岩が濡れていたので、足下が滑らないかとヒヤヒヤであった。本日履いてきた登山靴は一応ビブラムソールなのだが、 ロッチャーやモンタニアといったビブラムソールに比べて岩場では滑りやすい気がするからである。
この岩場からは展望がグッと開け、先程の富士山の他、前方には金峰山の稜線と五丈岩、そしてその手前には片手回し岩が見えるようになる。
また、左手には谷を挟んで八幡尾根が下っているのが見え、その途中にある 2,333m峰と思われる岩峰がなかなか美しい。 富士山の右手には毛無山も見えている。

一枚岩を登り終えると、道は少し下った後、また登り返して大岩の下を進んで行く。
シャクナゲの群落の中を登り、庇 (ひさし) のようになった大岩の下を進む。
ここからは面白い形の大岩が多く見られるようになる。その中でも主役級なのが五丈岩と片手回し岩であるが、 やがてその片手回し岩の頭の部分が樹林の上に見えてくる。
片手回し岩は、大きな丸い岩がさらに幅のある大岩の上にポツンと乗っかっており、下から見上げると人形の首のように見える奇岩である。
道の方は暫く緩やかな道が続くようになった後、再び傾斜が増してくる。岩の間を抜け、シャクナゲの繁る斜面を登っていくと、 やがてアルミ梯子が現れる。梯子を登り、崩れやすい斜面を少し進むと再びアルミ梯子が上方に見えてくる。
大きな岩の間を進み、梯子を登ると、また庇のように張り出した大岩が現れ、その先にて先程見えた片手回し岩の真下に登り着く。時刻は 8時26分。

樹林が少し邪魔をして片手回し岩全体を見ることは難しいが、 それでもそのスケールには圧倒される。まるで、大仏の胸から上を見ている感じである。
さすがに表参道にこのような岩があれば拝まずにはいられないのであろう、岩の基部には石碑と木札が置かれている。
休まずに先へと進む。暫く進むと、ザレ場が見えてくる。時刻は 8時35分。その先の方には五丈岩が少し顔を出しているのが見えるが、 残念ながら先程まで後方に広がっていた青空は消えつつある。
横ロープが張られたザレ場の斜面を横切る。ここからは富士山方面が見えるのだが、毛無山はうっすらと見えているものの、 富士山の方は先程よりも見える部分が減り、左右の裾が少し見えているだけである。

再び樹林帯に入る。この辺でも大きな岩が多く見られ、道はその下を縫うように進んで行く。
やがて、2つ目のザレ場を通過。時刻は 8時47分。ここからも富士山方面を見ることができるが、最早富士山はほとんど見えず、 さらには上方から低い雲が垂れ込めるような状態になりつつある。
また、周囲を見上げれば、青空はなくなり、白い雲が全体を覆っている。こういう状況は覚悟していたとは言え、先程まで青空が広がっていただけに少々悔しい。
苔生す岩、コメツガの斜面を登る。この辺は奥秩父という雰囲気十分である。暫く展望のない樹林帯が続いた後、低い木々の上に岩が露出している場所に飛び出す。
見上げれば、斜面の先に五丈岩が良く見える。ありがたいことに、五丈岩の後方には未だ少し青空が見えており、周囲にも日が当たり始める。 このままドンドン回復して欲しいところである。
振り返れば、富士山は完全に姿を消してしまったが、手前の方に小楢山が見えるようになる。

道は再び展望のない樹林帯を進む。 苔生す岩など、再び奥秩父らしい斜面の登りが続く。
20分程登り続けたであろうか、ようやく周囲の木々は背も低くなり、右手には鉄山とそこへと続く稜線が見えるようになる。 しかし、最早その後方に青空は見られない。
ここからは岩と灌木の斜面が続くようになる。振り返れば、下方に片手回し岩が見えている。随分高度を上げてきたものである。 さらにその先には小楢山が見えているが、小楢山後方の山々は低く垂れ込めてきた雲によってほとんど見ることができない。
周囲は矮小化したコメツガと花崗岩となり、その中に時々ダケカンバの低木、ハイマツが見られるようになる。 足下にはコイワカガミの小群落も見ることができる。
左手を見れば、低く垂れ込めている雲の下に茅ヶ岳、金ヶ岳が見えている。本来ならば、その後方に南アルプスが見えるのであろうが、 今は全く見えない。

道は岩の上を進むようになり、ペンキ印やピンクテープを頼りに進む。
やがて、先の方に再び五丈岩が見えてくる。しかし、近いようで結構まだ距離がある。左手には金峰山から左に下る稜線が見えているが、 そこには少しガスが漂い出している。
累々と積み上がった大岩の上を歩いた後、一旦地面に下り、暫くは大岩とシャクナゲ、コメツガ、ネズコなどの間を縫うように進む。 この頃になると周囲にもガスが漂いだし、振り返れば小楢山以外はガスの中である。
上方の五丈岩にもガスが掛かり出し、少しぼやけて見えている。ただ、五丈岩周辺のガスは断続的で、時々ハッキリと五丈岩が見えるのが面白い。

再び岩の上を登るようになり、やがて、五丈岩の下方の石積みも見えるようになってくるが、 ここで道を外してしまい、少し左側 (西側) へと進んでしまう。無理をすれば登り切れないこともなかったのだが、 ここは慎重を期して一旦正規ルートへと戻り、五丈岩の右側から回り込む。そして、9時58分、五丈岩の下方に登り着く。
目の前には 2基の石灯籠があり、その間を縫って頂上へと進む。しかし、これが失敗であった。 石灯籠の左手奥に蔵王権現の祠があるのを見落としてしまったのである (そのことを帰宅後に知る)。
岩の間を進み、鳥居を潜ってガスが漂う五丈岩前の平坦地へと進む。驚いたことにそこには 15人程の人たちが憩っている。さすがに人気の山である。

平坦地を横切り、岩場を伝って頂上を目指す。頂上到着は 10時5分。
こちらには誰も居ない。周囲はガスに囲まれており、五丈岩がガスの中に見えているだけで展望は全く得られない。
それ故、ここで休憩しても何の面白みもないことから、2分程頂上周辺の写真を撮った後、先へと進む。
岩が屋根のようになったトンネルを抜けて大弛峠方面へと進む。なお、岩が屋根になっている部分の右側には大岩があるのだが、 当然、三角点のある場所よりもそちらの方が高い。従って、金峰山の三角点は 2,595.2mであるのに対し、 金峰山の標高は 2,599mとなっている。

岩の間、そして岩の上を進んでいくと、先の方に賽ノ河原が見えてくるが、 その先の鉄山、朝日岳と続く稜線はガスの中である。岩場を進み、賽ノ河原手前の岩場で休憩する。時刻は 10時15分。
左手下方には、瑞牆山が低く垂れ込めている雲 (あるいはガス) の下に少しだけ見えている。 その右には小川山が鈍角三角形の姿を見せているが、それらの後方にあるはずの八ヶ岳、御座山、浅間山などは全く見ることができない。
そして、振り返れば、金峰山山頂とその右後方に五丈岩が見えている。先程よりもガスが引いてきたようである。
そのためか、前を向けば、鉄山がその三角形の姿を見せてくれるようになったのだが、朝日岳、そしてその右奥に見えるはずの国師ヶ岳、北奥千丈岳は未だガスの中である。
そして、鉄山の右側はまたガスの中であるが、どういう訳か、小楢山とその手前の乙女湖は見ることができる。 しかしその後方、そして右側は完全にガスに覆われており、従って、富士山、南アルプスなどは全く見ることができない。

暫し休憩した後、10時30分、大弛峠に向けて出発する。
それにしても、大弛峠方面からドンドン人が登ってくることに驚かされる。全く人に会わなかった五丈岩までの登りとはエライ違いである。 なお、正確に数えた訳ではないのだが、最終的に 50人近くの人を山中で見掛けたのであった。
賽ノ河原を抜けると下り斜面に入り、ハイマツ、シラビソ、シャクナゲの生えている赤土と石の斜面を下ることになる。
そして、すぐに樹林帯に入り、大きく抉られた道を進む。
傾斜はほとんど無く、快調に進んで行くと、やがて 『 鉄山 』 と書かれた標識が現れる。時刻は 10時46分。 ただ、鉄山は巻いているのでここは頂上ではない。鉄山頂上方面に薄い踏み跡が見えている。
ベンチのある、鉄山と朝日岳との鞍部と思われる場所を通過し、暫く進むと、(オオ) シラビソの縞枯れ + 若木が多く見られる場所を通過する。 世代交代が進んでいるようだ。なお、縞枯れの先に見えるはずの景色はガスの中である。

道は 縞ガレ + 若木の斜面を登ることになり、暫し登って振り返れば、 金峰山山頂と五丈岩がガスの中に見えている。
やがて樹林帯に入り、少し道が平らになるが、再び縞枯れの斜面となり、さらにザレた斜面を登ることになる。 振り返れば、最早 後方はガスの中、何も見えない。
ガレ場をジグザグに登り、少し進めば朝日岳頂上であった。時刻は 11時13分。ここは南側が開けているものの、ガスで全く展望は得られない。
朝日岳からは暫く緩やかな下りが続いた後、『 大ナギ 』 と呼ばれる下り斜面に入る。ここは大きな岩がゴロゴロしている場所で、 しかも周囲に樹木がないため、好展望が得られるはずだが、本日は何も見えない。

大ナギを過ぎ、再び樹林帯を進む。傾斜は緩やか、2回ほど縞枯れのある場所を通過する。
11時36分に大きなケルンのある朝日峠を通過。そこから少し登りに入り、この後小さなアップダウンが続くようになる。
展望のない道が続く中、左手下方樹林越しに特徴ある岩が見えてくる。もしかしたら小川山の弘法岩かもしれない。
道の方は小さなアップダウンを繰り返すとともに、結構平坦な歩きが続くが、しかしそれもやがて終わりとなり、下りがずっと続くようになる。 そして、良く踏まれたシラビソ林の中を下り続け、12時2分に大弛峠に下り着く。
大弛峠には車が多く駐車しており、駐車場所にあぶれた車が路上にも駐まっている。平日というのに人の多さ、車の多さにはビックリさせられる。

さて、この先どうするかであるが、当初は国師ヶ岳往復のつもりであった。
しかし、国師ヶ岳方面はガスの中であり、さらには他の山に登ることによって金峰山表参道の一部を辿ったという事実が薄れてしまわないようにしたいとの思いもあり、 このまま下山することにする。
つまり、ここからは川上牧丘林道を約 5.5km下るということである。かなり距離があるが、 かつて 2回程、雪が残るこの道を 14km先の柳平ゲートまで下ったことを思えば (前述のように登ってもいる)、 5.5kmなど大したことはない。

大弛峠では休まずにそのまま林道を下る。
皮肉なことに、林道を下り始めると、雲が割れて日が強く照りつけるようになる。 そのため、0.5km程下った所では金峰山方面はガスの中であったが、 3km程下った時には五丈岩がハッキリと見えるまでに回復していたのであった。
快調に下り続け、『 大弛峠まで 5km 』 と書かれた標識を 12時54分に通過。この標識を過ぎると、道路正面、先の方に見えている稜線の上に、 またまた五丈岩が見えてくる。
そしてアコウの土場には、13時2分に戻り着く。 やはり、ここから登ったのは小生 1人だけだったようで、空き地には小生の車だけが駐まっている。

本日は、天候を考慮して金峰山を選んだのだが、懸念した通り、 山頂からの展望は楽しめずに終わったのだった。
しかし、初めてのコースを辿ったことでかなり楽しい山行であった。 いつも言うようだが、初めてのコースや初めての山が一番刺激的で楽しい。


21年ぶりの雨飾山  2015.6 記

気象庁は、6月8日に関東甲信地方が梅雨入りしたとみられると発表したが、 確かにその後の週間予報では、曇りあるいは雨マークがズラリと並んでいる。 しかし、唯一例外があって 10日(水)が晴れとなっており、天気予報でも梅雨入り後の貴重な晴れ間と言っていたので、この機を逃すまいと、 早速山に行くことにする。
選んだ山は長野県と新潟県の境にある雨飾山。

この雨飾山には宮崎県への単身赴任中であった 1994年に一度登っている。 その時は、夏休みを利用し、宮崎から家族の元には帰らずに直接 扇沢へと向かい、鹿島槍ヶ岳、五竜岳を登った後、小谷温泉からピストン登山したのである (無論、その後に我が家に帰った)。
その時は鹿島槍ヶ岳、五竜岳とも頂上での展望を全く得られなかった不満から、急遽この雨飾山に登ることを思いついて実行したのであったが、 実際はこの雨飾山の頂上でも展望をほとんど得られなかったのであった。
その後、五竜岳、鹿島槍ヶ岳には再登山したことから (再登山でも五竜岳山頂では展望を得られず)、 この雨飾山もいつか再登山したいと思っていたのであった。そして、先日 常念岳にて、うっすらながらも雨飾山の姿を眺め、 さらにはその後、ヤマレコに雨飾山の登山記録が出ていたこともあって、今回 真っ先に雨飾山が思い浮かんだ次第である。

6月10日(水)、2時25分に横浜の自宅を出発する。 上空には薄い雲が広がっており、月も薄ボンヤリとしている。
横浜ICから東名高速道下り線に入り、前回の常念岳と同じく長野自動車道 安曇野ICを目指す。
車の流れは順調であるが、肝心の空模様が今一つの状態で、長野自動車に入っても、雲の多い状態が続く。
安曇野ICで高速を下りると、ナビはそのまま真っ直ぐ県道310号線を進むことを指示したのだが、コンビニにて食料を仕入れるべく、 左折して県道57号線を西へと進む。前方の雲の切れ間から常念岳が姿を現したが、やはり雲が多い。

コンビニに立ち寄った後、豊科駅入口の交差点を右折して、 国道147号線を北上する。
大町市に入った後、旭町の交差点を左折して暫く進むと (国道147号線のまま)、 途中で雲の切れ間に鹿島槍ヶ岳が見えてテンションが上がったが、相変わらず周囲に雲が多くスカッとしない。
道は途中から国道148号線と名前を変え、大糸線と平行するようにして北へと進む。木崎湖、青木湖と左手に湖が出てくると、 やがて工事による片側通行が断続的に現れるが、車通りがまだ少ないため、問題ない。
白馬駅、白馬大池駅などを過ぎ、車は小谷村内を進む。南小谷の駅を過ぎると、やがて中土トンネルに入るが、 道はトンネルを抜けた所にある信号を右折して、県道114号線に入ることになる。
後は道なりに進み、山に入っていくとやがて小谷温泉である。

このころになると上空には青空が広がり始めるが、山の方はまだ少々雲が残っている。
山田旅館の前を通過していくと、バス停の先に 1台車が駐まっており、その周囲に 3人の男性がたむろしている。 その車の横を抜けて先に進もうとすると、何とその先は鎖のゲートによって通行止めになっていたのであった。
ヤマレコにこのゲートを開けるのは 5時30分との記載があったので、当然開いていると思ったのだが、何とゲートが開くのは 7時とのこと。 バックして、先の車の後ろに車を駐める。時刻は 6時23分。
どうやら、ヤマレコの方が登ったのは日曜日なので、早くゲートを開けたらしい (恐らく、バスの運行の邪魔になるほど車が列を作っていたのであろう)。 7時まで周辺をブラブラしながら時間を潰すことにする。

やがて、6時54分に始発となるバスが登って来たところで、 嬉しいことに早めにゲートが開かれる。この間、小生の車を含めて 4台が開門待ちの状態であった (但し、全部が登山者の車というわけではなかったようだ)。
前の車に続いて狭い道を登っていくと、やがて雨飾荘に到着。手前の駐車場に車を駐める。時刻は 6時43分。
身支度をして 6時50分に出発。4人ほどいた登山者の先頭を切って出発する。
先の方を見れば、雨飾山と思しき山が緑色の木々の向こうに見えており、嬉しいことにその後方には青空が広がっている。 ゲート前で待っている間に、すっかり雲は流れたようである。

雨飾荘の前を通過し、すぐに道標に従って右手の近道に入る。 近道ということですぐに林道に飛び出すだろうと高を括っていたところ、イヤハヤどうして、この道は結構長い。
途中、展望台への分岐が現れるが、そのまま先へと進む。7時5分にようやく林道に合流。もっと短い道と思っていたら、結局、13分も歩いたことになる。
暫く林道を進んで行くと、やがて林道が大きく崩落した箇所を通過することになる。林道の右半分が谷側に落ちてしまっているのだが、 これも昨年 11月の長野県神城断層地震によるものと思われる。
この他にも、道路自体は崩れていないものの、地震によるものと思われるヒビがアスファルト上にいくつか見られる。
やがて、右手前方に雨飾山が見えてくる。手前の高み (P2) にほとんど隠れているものの、 その先に雨飾山頂上とその手前の P1が並んで見えている。そして、その後方には雲一つ無い青空が広がっており、 テンションがグッと上がる。
すぐに明才堰 (雨飾山の南東を流れる大海川から、北小谷の合子までの 16kmを結ぶ灌漑用水路。明治16年に完成) の石碑と説明板を右手に見ると、 やがて雨飾山登山口への道が右に現れる。
そちらへと進み、樹林越しにチラチラ見える雨飾山と P1の姿を楽しみながら暫く進むと、やがて前方にトイレならびに休憩舎が見えてくる。 ようやく雨飾山登山口である雨飾高原キャンプ場に到着である。時刻は 7時29分。

用意してきた登山届を出そうとしたところ、ポストが見つからない。 どうやら休憩舎にポストはあるらしいのだが、休憩舎は閉まっている (トイレも閉鎖中)。 仕方なく、登山届を出さずにそのまま登山道へと入る。
なお、後ろを振り向いても、先程 雨飾荘出発時に一緒だった登山者は姿が見えない。
登山口にある標柱には 『 雨飾山頂まで 210分 』 と書かれているので、頂上到着は 11時頃ということになろうが、 雪がまだ多く残っているとのことなので、果たしてどうであろう。
道は最初緩やかに下り、木橋にて小さな流れを渡った後、木道を歩くことになる。木道は濡れているので、滑りやすい。
すぐに木道は残雪の中へと消え、雪の上を歩くようになる。周囲にはミズバショウの花が咲いている。
この後、木道が再び現れるが、すぐにまた雪の上を歩くことになり、このパターンが何回か繰り返される。
また、雨飾山の山開きは 7月上旬のためか、まだ登山道も整備されておらず、所々に雪で倒れた木々が見られる。
ただ、この辺はほぼ平坦な道なので、倒木などもそれ程気にならない。

雪の上を歩いていると、時々ガサッという音が聞こえてドキッとさせられる。 その正体は、残雪に押さえ込まれていた木の枝が雪をはねのけて本来の姿に戻る時に出る音であり、これがこの後、何回も続く。
やがて、湿地帯、そしてミズバショウの群落を通過した後、何回か小さな流れを渡っていくと、左手に滝が現れる。 滝は 2つあるが、奥の滝はなかなか見事である。
さらにもう一つ小さな流れを越えると、『 2/11 』 と書かれた標識が現れる。時刻は 7時47分。
また、標識には 800mとの記述もある。帰宅後に小谷村のホームページを見ると、『・・・400m毎に案内標識が 11枚ある。 つまり 4,400mで山頂である・・・』 と書かれていたのだが、この時は、この数値を標高と解釈したのだった。

今まで平坦だった道も、ここからはジグザグの急登が始まる。
途中、やや傾斜が緩やかになる所は何回かあるが、思った以上にこの登りは長く、そして傾斜がキツい。
21年前の記憶などすっかり飛んでしまっているので、雨飾山の登りでキツいのは荒菅沢を渡ってからと思っていたのだが、 どうして、どうして、この展望のない登りも結構応える。
なお、この登りに残雪は無く、足下は赤土と剥き出しとなった木の根が多い。そして、ブナの新緑が多く見られる。
8時3分に 3/11の標識を通過。さらに登っていくと、傾斜は緩み始めるとともに、足下に残雪が現れるようになる。
8時20分、4/11の標識を通過。この辺から雪の上にベンガラが見られるようになる。
振り向けば、樹林の間から乙妻山が見えている。周囲は美しいブナ林となり、青空の下、日に輝く緑が美しい。
この辺から残雪が続くようになり、ベンガラ、ピンクテープを頼りに緩やかに登っていく。
8時24分、ブナ平に到着。ここは窪地のようになっており、道は残雪を踏みながら、ブナの間を抜けて窪地の縁を乗り越えていく。

乗り越えた所で木道が現れるが、見えているのは木道の最初の 50センチ程、後は残雪の下である。
ここはベンガラを頼りに少し下っていく。やがてブナの樹林帯を抜け、左手の雨飾山方面から右へと下る雪渓の斜面が目の前に現れる。 ルートはこの雪渓を横断することになるのだが、少々分かりにくい。
しかも、ベンガラを辿ると、灌木帯に行く手を阻まれる。つまり、雪が灌木の上を覆っていた頃には、ベンガラを辿るのは正解なのだが、 今は雪が解けて灌木が生け垣となっているので、少々通りにくい。ここは少し左に登ると、夏道があり、灌木帯を越えることができる。
そして、その灌木帯の生け垣を越えると、またまた雪渓の斜面が現れる。ここは素直にベンガラを辿って、対岸 ? の樹林帯へと進む。
この雪渓ではかなり展望が開け、南東の方向に先程樹林越しに見えた乙妻山が間に遮るものなく見えている。
また、乙妻山の手前にも山が見えているが、この辺の山は全く分からない。

雪渓を横切り、樹林帯へと入る。少し登った後、下り斜面に入ると、 またまた目の前に雪渓となった斜面が現れる。この雪渓も横断していくのだが、少し斜め上方へと進みながらの横断である。 ベンガラが大変ありがたい。
雪渓を渡りきると、道は再び樹林帯に入るものの、すぐに抜け、またまた雪渓を横切ることになる。この辺は斜面途中にブナの若木が疎らに見られ、 その新緑が青い空に映えて美しい。
ここもベンガラを頼りに進む。雪渓を横断し、樹林帯に入ると、すぐに道は下りとなり、やがて下方に荒菅沢を覆う大きな雪渓が現れる。
左手上方には布団菱 (ふとんびし) と呼ばれる大岩壁も見えてくる。雪渓の白、岩肌の灰色、そして木々の緑、 バックの青い空のコントラストが素晴らしく、思わず感嘆の声を上げてしまう。

ここからは残雪の斜面を荒菅沢に向かって下る。 アイゼンは不要であるが、結構滑るので注意が必要である。
ベンガラを基準に、その周辺の歩き易い所を下る。周囲には斜面から落ちてきた土や岩、大きな雪の塊も見られる。
慎重に下り、荒菅沢の底と思われる所に立つ。布団菱を見上げれば、青空へと屹立する釣り鐘型をした岩峰 (P1) の右後方に雨飾山の斜面が少し見えている。
布団菱の反対側に目を向ければ、雪渓が急角度で落ち込んでいっており、その左上方には金山 (かなやま) が姿を見せてくれている。 ただ、足下には斜面から落ちてきた大岩が点在しており、景色に気を取られていては危険である。

雪渓を渡り、再び樹林帯に入る。滑りやすい道を木の梯子などを使って登ると、 そこからは灌木帯の中の登りがずっと続くことになる。
コブシ (あるいはタムシバ) の白い花を見て、7/11の標識を見た後、小さな残雪を越えて行く。
なお、この標識には 2,800mと書かれており、ここで この数値が標高ではなく、歩く距離だということに気づく。
溝状になった滑りやすい道を過ぎると、足下には小さな岩が見られるようになり、周囲は灌木帯からササ原の斜面へと徐々に変わり始める。 そして、傾斜も徐々にキツくなり、さらに裸尾根のため、照りつける太陽が少々厳しい。
風が吹き抜けてくれると助かるのだが、ほとんど無風状態である。

歩き始めて 3時間近く経っており、バテが来始めていることもあってここの登りが辛い。
一方、高度がドンドン上がる分、展望が開けてくる。振り向けば乙妻山が良く見え、また左下の谷のさらに向こう側に、 荒菅沢にて見えた釣り鐘状の岩峰 (P1) と、その右に雨飾山が見えている。
さらには、東の方角、金山から左へと下る斜面の向こうに焼山が姿を見せ始める。
ササ原の斜面、そして岩屑と土の混じった道を登っていく。8/11の標識を 9時41分に通過。ここには 3,200mの表示があり、 あと 1,200mも歩かねばならない計算になる。まだまだ先は長い。
展望はさらに良くなり、乙妻山の右には戸隠山が見え、また左下方には先程横断した荒菅沢の雪渓が見えている。

笹平はまだか、と思いながら目の前のコブに登り着くと、 まだまだ先に続く斜面が見え、そこには岩場、そして梯子が 2箇所に分かれて見えている。ため息が出るが登り続けるしかない。
なお、この尾根を登っている途中、休憩中の 3人の登山者を追い抜く。雪渓に真新しい足跡があったので、先行者がいるとは思っていたが、 ゲートが開く前に徒歩にてスタートしたのか、それとも雨飾荘に前泊したのであろうか。
この梯子が見えてからの登りはさらに辛い。前回もここの登りは厳しいと感じたものの、 それは鹿島槍ヶ岳、五竜岳を縦走した翌日だからと思っていたのだが、今回もかなりキツく感じられる。
少し登っては上を見上げるという状態が続く。最初の梯子 (3つ連続) を登り、小さな岩が散乱する道を登り続け、 2箇所目の梯子をクリアする。10時4分に 9/11の標識を通過。

振り向けば、焼山の右後方に火打山も顔を出し始めている。 そして、左手にはついに、見覚えのある雨飾山のズングリした姿が見えてくる。この形は前回に笹平から見たものと同じなので、 もうすぐ笹平に違いないと少し元気が出る。
やがて、雪渓を右に見ると、その向こうに鋸歯のように鋭い峰が並ぶ山が見えてくる。帰宅後調べると、烏帽子岳と阿彌陀岳のようである。 しかし、それも一瞬。すぐに雲に隠れてしまったのだった。北から北東にかけては雲が多い。
しかし、雨飾山のバックには青空が広がっている。と、思ったら、雨飾山の右後方に雲というか、ガスらしきものが少し見えている。 少々焦ったが、身体の方はもう限界に近い。

10時10分、ようやく笹平に到着したのを機に、少し休憩する。 ここまで水を含めて一切口にしていないため、今日の暑さでは熱中症にもなりかねず、休憩、水分補給、食事は絶対に必要である。
ここからは緩やかな起伏のササ原が続き、その向こうにズングリとした雨飾山が見えている。最後の登りがキツそうだが、あともう少しである。
ノドを潤し、少々腹を満たした後、10時15分に出発。ササ原を割るようにしてつけられた道を進む。
道に雪は無く、小さなアップダウンが続く。しかし、先程までの登りに比べれば、大変楽であり、さらにはエネルギーを補給したので快調に進んでいくことができる。
10時20分に梶山新湯 (雨飾温泉) への分岐を通過する。ここには残雪があり、分岐を示す標柱はそのほとんどが残雪の下で、 『 梶 』 の文字だけが雪の上に顔を出している。
10時24分に 10/11の標識を通過し、やがて崖の縁を通る。左下には荒菅沢の雪渓が、先程横断した所も含めてずっと先まで続いているのが見え、 また、すぐ手前には氷河に削られたような一枚岩も見えている。

そして、最後の登りにかかる。壁のように見える斜面をジグザグに登っていくのだが、 意外と足が進む。頂上が待っているということで、少し気分が高揚しているのかもしれない。
途中で振り返れば、眼下には先程通り抜けてきた笹平の台地状の広がり、そしてその後方に焼山、火打山、金山がよく見えている。
傾斜が緩んでくると、やがて南峰と北峰との分岐に登り着く。右が北峰で、そこには四体の石仏が並んでいるのが見える。 まずは左に曲がって南峰へと進む。
南峰到着は 10時43分。ここには三角点の他、標柱、そして祠や石碑が置かれている。
また、やや狭い頂上には、2人の若者が休憩中であった。

さて、展望であるが、期待した北アルプス方面 (南〜西方面) は雲が多く、 ほとんど山が見えない状態である。
ただ、それでも白馬岳がその頂上部分を見せてくれており、その右後方には旭岳も見えている。また、この時は分からなかったのだが、 帰宅後に確認すると、白馬岳の手前に小蓮華山も姿を見せている。
そして、白馬岳の右には鉢ヶ岳が雲の中に少し顔を見せており、そのさらに右に雪倉岳が大きな山容を見せている。
また、雪倉岳の右に朝日岳と思しき山があるのは分かるのだが、雲はなかなかどいてくれず、一時だけその白き頂上が見えたのであった。
しかし、先にも述べたように、その他の北アルプスはほとんど見えない。一時、五竜岳の頂上が雲の中からチラリと見えただけであった。

白馬岳方面から右に目を向けると、目の前の南峰の後方に山が見えている。 こちらも時々上がってくるガスに隠れ気味であるが、どうやら糸魚川市にある黒姫山のようである。
その黒姫山の後方には日本海が見えているはずだが、本日は空と海の区別がつきにくい。
さらに目を右に向ければ、先程の烏帽子岳、阿彌陀岳は既に雲の中で、その周辺の山々もほとんど確認できない。
もう少し右に目を転じれば、徐々に雲の量は減り、まず昼闇山 (ひるくらやま) が見え、さらにその右下手前から金山へと上がっていく尾根が始まっている。
その尾根の後方に焼山と火打山・影火打が見えており、金山の右には天狗原山が続いている。
天狗原山のさらに右の山々は、雨飾山の灌木帯に隠れてしまっているため、ここから乙妻山は見えにくい。
ただ、少し場所を変えると、乙妻山の右手に戸隠山が鋸歯のような山容を見せているのが見える。 さらに右には全く馴染みのない山々が続くが、中西山、東山といった山々であろうか。

そしてさらに右には北アルプスがズラリと並ぶはずであるが、 前述したような状況である。
なお、灌木帯が邪魔をして見えなかった乙妻山であるが、少し白馬岳方面へ下りると見ることができる。 ここから見る乙妻山は、その頂上から右に続く稜線の後方に高妻山が頂上を見せており、一見、3つの頂上を持つ山のように見える。
休憩しながら北アルプス方面の雲が途切れるのを待ったものの、状況は逆に悪くなり、下からガスが上がり始めたので下山することにする。 11時11分、南峰を後にして北峰へと向かう。
北峰にて日本海側を向いている石仏を写真に納めた後、11時12分、下り斜面に入る。
急斜面を慎重に下り、荒菅沢を右手下方に見た後、笹平を進む。笹平の標識を 11時32分に通過。
ここからは、登る時にキツかった急斜面を下る。そして、荒菅沢の上には 12時20分に到着。

その後、3つほど続く雪渓の斜面を横切っていくが、 最後の雪渓にて少々迷ってしまう。
先にも述べたように、ベンガラの位置と正規のルートを示すピンクテープの位置が微妙に異なっているためであるが、 晴天であったから慌てることもなく対応できたものの、もしガスに囲まれていたのならかなり苦労するような気がする。
13時5分にブナ平を通過。その後は順調に下り、2/11の標識前を 13時30分に通過する。ここからはほぼ平坦な道を歩き、 登山口には 13時47分に到着。
その後、林道、近道と進み、雨飾荘前の駐車場には 14時17分に戻り着いたのであった。

21年ぶりの雨飾山であったが、 本日も完全に展望に恵まれたとは言えないものの、それでも前回よりは十分に楽しめた山行であった。 2,000mに満たない山ではあるものの、やはり名山と言うに相応しい、素晴らしい山である。
ただ、2,000mに満たないためか、3年前の安平路山と同様にブヨ (ブユ) に襲われ、顔や耳、腕を 8箇所も咬まれて吸血されてしまい、 安平路山の時と同様、皮膚科にお世話になってしまった。

なお、雨飾山は猫ノ耳と呼ばれる双耳峰なのであるが、 それは雨飾山とその南側にある P1ピークからなっているもので、頂上にある南峰と北峰とは違うということを付記しておきたい。
積雪期、P2から見ると、本当に猫ノ耳のように見えるようである。


快晴の常念岳  2015.6 記

このところ、5月にしては異常なほど暑い日が続いている。 そうなると、まだ残雪のある涼しい山に登りたくなってくるが、一方で、体調の方がまだ万全とは言えないので、行き先選びに少々苦労してしまう。
ヤマレコなどを参考にして色々検討した結果、一ノ沢から常念岳をピストン登山することにする。今の体調では、このコースでも少々キツい気がするが、 一ノ沢から登るのは初めてのため、その好奇心が優ったという訳である。

5月27日(木)、午前 2時半過ぎに横浜の自宅を出発する。
いつも通り、横浜IC から東名高速道下り線に入り、海老名JCTからは圏央道へと進んで、八王子JCTにて中央自動車道へと進む。 この中央自動車道では工事による車線規制が心配であったが、さすがに真夜中近くでは車の量も少なく、スムーズに通過することができ、 順調に岡谷JCTにて長野自動車道に入る。
車を進めていくと、前方に目指す常念岳が見えてくるが、空は晴れているにも拘わらず、何となくぼやけ気味で本日の登山が少々心配になる。

安曇野IC (旧 豊科IC) にて高速道を下り、すぐの信号を左折して県道57号線に入る。
コンビニにて食料を調達した後、豊科駅入口の信号を右折して国道147号線に入り、200m程進んだ後、 新田の信号を左折して県道495号線を西へと進む。 やがて、前方に朝日に輝く常念岳が見え始める。高速道ではぼやけて見えた常念岳であったが、今はクッキリと見え、テンションがグッと上がる。
暫く、常念岳、横通岳を正面に見ながらのドライブが続くが、あまりにも常念岳の姿が素晴らしいので、途中 車を駐めてその姿を写真に納める。

道はやがて北海渡の丁字路にぶつかるので、そこを右折して県道25号線を北へと進む。 すぐに左側に出てくる三股登山口への分岐を過ごした後、烏川橋の交差点を左折して暫く進むと (道は県道25号線のまま)、 道の左手に 『 穂高ビューホテル 』 等の表示とともに 『 常念岳登山口 』 の表示が現れるので、そこを左折する。
道はゴルフ場の脇を通過した後、ドンドン山へと向かっていく。開放されているゲートを通って林道 一ノ沢線に入り、山道をかなりの距離進めば、 やがて駐車場 (恐らく第二駐車場) と思われる広場が左手に現れ、さらにその先で 『 登山者の皆さんへ この先、駐車場がないためこの駐車場に止めてください 』 と書かれた標示板が右手に見えてくる。その指示に従って道路左下の駐車場へと進み、 車を駐める。時刻は 5時28分。平日にも拘わらず、車が 4台程駐まっている。

車中にて朝食を食べ、身支度をして 5時40分に出発する。
山の方を見やれば、横通岳がよく見えている。本日は快晴である。
先程の林道まで戻り、林道をさらに先へと進む。時々横通岳を前方に見ながら林道を緩やかに登っていくと、 やがて前方に一ノ沢山岳相談所の建物が見えてくる。但し、人は居ない。
登山届を提出し、トイレを借りた後、6時1分に出発。傍らの標識には常念小屋まで 5.7kmとある。結構長い。
すぐに木橋にて小さな流れを渡り、暫くはほぼ平坦な道を進む。
最初は自然林の中を進むが、すぐに檜の植林帯に変わる。 やがて、檜も疎らとなって周囲は再び自然林へと変わり、足下に水の流れが現れると、すぐその先で山の神の鳥居・祠に到着する。 時刻は 6時13分。

旅の無事を祈り、さらに先へと進む。道は左手の一ノ沢の流れに沿いながらの緩やかな登りが続く。
しかし、このずっと先にて一ノ沢の河原に下りるまで、ほとんど登り一辺倒なので少々驚かされる。普通、登山道にはアップダウンがあるものだが、 帰りに少々検証して見たところ、最初の檜林にてやや顕著な下りがあった他、小さな下りが 2つ、3つあるものの、 道はほぼ緩やかな登りか平坦という状態が続く。
そして、所々に出てくるアップ部分は距離も短く、かつそれ程急斜面ではないので、ほとんど息が上がることはない。

途中、岩の上などに糞がいくつか見られるようになる。 とぐろを巻いた、深緑色の糞であるが、どうも熊のものにしては小さい気がする。 しかし、ササを食べた子熊のものかもしれないなどと思いながらササ原の中を進む。
この辺は水が豊富で、古池もあり、また水の流れが頻繁に出てくる。左手下方の一ノ沢は雪解け水のためか水量が多く、 白い飛沫 (しぶき) を上げながらゴーゴーという音を上げて、もの凄い勢いで流れている。
その一ノ沢の河原に近づいた後、支流を渡っていくと、やがて、王滝ベンチに到着する。時刻は 6時54分。
但し、ここの標識には 『 大滝 』 と書かれている。また、標識には常念小屋まで 3.6kmとある。

王滝ベンチから暫く水の流れの上を歩く。流れに足を突っ込まないように、 木の根や石を利用するが、大雨が降った場合、この道はどのような状態になるのであろう。
やがて、道は一ノ沢から一旦離れ、少し傾斜が急になる。左手樹林越しには常念岳方面がチラリと見える。
道は、左手に涸れ沢のような溝が走るシラビソの林の中を登っていく。
その後、久々の下り斜面に入ると、今度は常念岳方面が良く見通せるようになる。 緑と白の混ざった鈍角三角形が青い空に鮮やかに浮き上がっていて、テンションがグッと上がる。
再び一ノ沢に近づいた後、岩がゴロゴロした道を登っていくと、やがて斜面を横切る丸太の桟橋が現れ、そこを過ぎると烏帽子沢を横切ることになる。 時刻は 7時17分。流れる水で顔を洗い、少し気合いを入れる。

丸太の階段を登って再び山に入り、シラビソの林を登っていく。 一ノ沢の支流をいくつか渡り、やがて樹林を抜け出すと、一ノ沢の対岸に大きくガレた斜面が見えるようになる。
ここからはダケカンバの細木が生えるササ原の中を進む。前方左手には常念乗越と思しき下向きの円弧が見えている。 すぐに常念岳も見え始めるが、常念乗越から常念岳頂上まで結構距離があることが見て取れる。
やがて、結構勢い良く流れる一ノ沢の支流を渡る。丸太橋の傍らには 『 笠原沢 』 と書かれた標柱があり、さらには常念小屋まで 2.2kmと書かれている。 時刻は 7時47分。

一ノ沢の上を覆う残雪の上を進み、一ノ沢の右岸へと渡る。
一ノ沢のさらに左側に常念岳方向に延びる長い雪渓があり、その上に足跡があったので、ここで少し迷ってしまう。
しかし、もう一度周囲を見回すと、一ノ沢沿いにピンクテープを見つけたので一安心。
ここからは暫く、水が流れている登山道を進むことになる。

やがて、再び残雪が現れるが、ここで失敗をしてしまった。 ピンクテープが左手の木のかなり上方に付いており、その後方には雪のマウンドがあって、 そこに足跡が見えたため、そちらに進んでしまったのである。
雪のマウンドを越えていくと、そこからはかなり急傾斜の雪渓が続くようになる。実は、この雪渓に入る少し手前にて 5人程のグループと擦れ違ったのだったが、 その人たちがつけたと思われる足跡が雪の上に見られない。
そのため、おかしいとは思ったのだが、雪渓上に 2人程の足跡がしっかりついているので、そのまま暫く進んでしまう。
斜面がドンドン急になっていくので、アイゼンを装着せねばと思う一方で、ピンクテープなどは全く見られないので、 何かおかしいと思うようになる。こういう感覚は大事にしなければと思い、先程のピンクテープの所まで引き返すと、 何としっかりとした道が一ノ沢沿いに見つかったのであった。8分程のロスであった。

沢沿いに暫く登っていくと、今度は丸太橋にて一ノ沢の左岸へと渡り返すことになる。
そこから暫く石がゴロゴロしている河原沿いを登れば、再び目の前に雪渓が現れたのであった。 雪渓は一ノ沢を覆っており、しかも雪渓上に多くの足跡があるので、この雪渓を進むことで間違いないようである。時刻は 8時21分。
歩き始めてから 3時間近く経っており、さらには先程のミスで精神的に疲れたこともあって、雪渓に入る手前にて暫し休憩をする。 振り返れば、一ノ沢を囲む谷の向こうに浅間山がうっすらと見えている。
一ノ沢の水で再度顔を洗って気合いを入れ直し、アイゼンを装着した後、8時34分に出発する。

両側の斜面が狭まった雪渓の上を歩く。休憩中に若者 1人に追い抜かれたのだが、 その人はアイゼンをつけていないので、後から進む小生の方がペース早い。
と思ったら、ずっと続くと考えていた雪渓は、すぐにピンクテープの付いた数本の棒とその間を結ぶ紐によって通行止めとなり、 右手の斜面に付けられた丸太の階段を登ることになったのだった。
実際には、そのまま雪渓を辿っている足跡もあったのだが、ここは素直に夏道に入ることにする。 その時、1名の若者が階段を下ってきたのでこの後の状況を聞くと、雪が多いところはあるものの、アイゼンは不要とのことであった。
もう少し事前の下調べをしておけば、アイゼン装脱着の時間が短縮できたのにと反省する。

アイゼンを外してザックに仕舞い、ジグザグに取り付けられた丸太の階段を登る。
この丸太の階段の登りが、どうやら胸突八丁という急斜面らしいのだが、残雪でかなり嵩上げされているのだろうか、 短い時間で楽々と登り切ることができた。
丸太の階段を登り切ると、一ノ沢を覆う雪渓を左下に見ながら、斜面を横切っていく平らな道が続くようになる。
そこから左手上方を見上げれば、常念乗越、常念岳、さらには常念岳頂上の右下にまで続く雪渓が見えている。
その雪渓を辿って頂上に辿り着けたらさぞかし痛快であろうが、斜度はかなりありそうである。

桟橋や丸太の階段などのある道を進んでいくと、やがて先程の一ノ沢を覆う雪渓の上部に合流する。
ここからの正式なルートは、この雪渓の上を少し進み、再び斜面に取り付いて、もう一度雪渓に下り立つのが正解なのであるが、 先を行く 2人の若者 (この斜面を横切る道にて写真を撮っている間に、もう一人の若者に追い抜かれた) が雪渓をそのまま登っていくので、 小生もそれに従う。
この雪渓は一ノ沢が二股に分かれる右側にある雪渓であるが、斜面から落ちてきた木の枝や葉などでかなり汚れている。 さらに、雪渓の上には左右の斜面からの落石であろう、大きな岩がゴロゴロしており、少し緊張させられる。
また、雪渓を登る途中、足下の雪の下からゴーゴーと水の流れる音が聞こえる箇所があり、踏み抜いて雪渓の下に落ちてしまうのではないかと、 これまた緊張させられる。
雪渓を斜めに登って反対側に辿り着くと、そこが最終水場である。時刻は 9時2分。
そこには常念小屋まであと 1kmとの表示がある。

冷たい水にてノドを潤した後、崖の縁を登っていく。 さらには、ザーッと崩れ落ちそうな土の斜面を横切った後は、シラビソ、コメツガの樹林帯の中をジグザグに登っていくことになる。
足下には徐々に残雪が現れ始めるが、先程擦れ違った若者が言っていたように、アイゼンなどは不要である。
9時14分、第1ベンチを通過。標識には 『 あと800m 』 と書かれている。このベンチの所で、 先程 雪渓手前において小生を追い抜いていった若者を抜き返す。
樹林の中のジグザグの登りが続く。常念乗越方面から下ってくる支尾根の南側を登っていくので、 所々で樹林が切れて、前常念岳と思しき高みや、常念岳が見えるようになる。しかし、常念岳はまだ高く、遠い。
道はやがて、常念岳側の斜面を離れ、少し山の中に入っていく。それに連れて足下の残雪も増え始め、 場所によっては雪に足を蹴り込む必要がある所もあるが、総じて問題なく登っていくことができる。

先程 第1ベンチを過ぎたので、なかなか現れない第2ベンチにイライラしながら登っていったところ、 雪の中に第3ベンチの標識が見えてきたので、何となく得をした気分になる (第2ベンチは見落としてしまったらしい)。時刻は 9時36分。
その標識には 『 あと300m 』 と書かれている。もう少しである。
と思ったが、雪の量は増え、そう易々と登らせてはくれない。しかしそれでも何とか登り続けていくと、 樹林越しに常念岳が大きく見えるようになった後、やがて樹林を抜け、常念乗越の斜面に広がる雪渓の手前に飛び出したのだった。
その左上方に常念岳の高みが見えているが、実際の頂上はさらにその向こう側のようである。
雪渓を少し登り、再び右手の斜面に入ると、そこから一登りで常念乗越であった。時刻は 9時54分。

期待通り、目の前に槍ヶ岳から北穂高岳へと続く、 まだ白さが目立つ稜線が目に飛び込んでくる。
当然一番目立つのは槍ヶ岳の尖塔であり、その左に大喰岳、中岳、南岳といった、昨年辿った稜線が続く。 そして、大キレットにて一旦深く沈んだ稜線は、長谷川ピークを経た後、北穂高岳へと上っている。
北穂高岳よりさらに左の山々は常念岳の斜面に隠れて見えないが、これは頂上に着いてからのお楽しみである。
そして、左手にはこれから登る常念岳がデンと構えている。しかし、その斜面は高く、そして長い。
また、槍ヶ岳から北穂高岳を結ぶ稜線の手前には、赤岩岳、西岳、赤沢岳と続く尾根が走っており、 さらにその手前には常念小屋の赤い屋根が見えている。また、右側を見れば、小さな高みを越えた先に横通岳が見えている。
素晴らしい展望、そしてこの快晴に感謝である。

常念小屋手前のベンチまで進み、暫し休憩した後、 10時8分、常念岳に向けて出発する。
大きな岩が累々と重なっている斜面をジグザグに登っていく。笠ヶ岳への登りに似ているが、笠ヶ岳が平べったい岩の積み重ねだったのに対し、 こちらはしっかりボリュームのある岩が積み重なっており、小屋からの距離もこちらの方が遙かに長い。
高度を上げるに連れ、今まで見えなかった山々が徐々に見え始める。横通岳の左には東天井岳、そして中天井岳が姿を見せ、 さらには大天井岳が徐々にその頂上をせり上げてきている。
大天井岳の左側後方には、鷲羽岳、ワリモ岳、水晶岳 (黒岳) と続く裏銀座の山々も姿を見せてきている。
そして、先程までは北穂高岳までしか見えなかった穂高連峰も、今は北穂高岳の左に涸沢岳が姿を現し、 さらにその左側に奥穂高岳もその姿を見せ始めて来ている。
さらに高度を上げていくと、横通岳の右後方に、やや霞み気味ながら鹿島槍ヶ岳が見えるようになる。
そして、その右方に焼山、火打山などの頸城山塊がうっすらと確認できるようになる。

岩場の道はかなり長く続いて息が上がるが、休まずに登り続ける。
ようやく斜面の先に見えていた突起した岩の所に登り着くと、少し傾斜が緩くなった先に常念岳の頂上が見えてくるようになる。 しかし、そこに到達するにはまだ時間が掛かりそうである。
岩と砂礫の道を進む。振り返れば、東天井岳の右後方に立山、剱岳、針ノ木岳が迫り上がってきている。
写真を撮りまくりながら登っていくので進捗はゆっくりであるが、それでもやがて三股からの道との合流地点に到着。
時刻は 11時11分。
地図では、常念乗越から常念岳まで 1時間となっているが、すでにこの時点で 1時間以上経過してしまっている。
合流地点からも岩と砂礫の登りが続く。周囲にハイマツが多くなり、見上げればハイマツの絨毯が、岩場を避けながら頂上へと続いている。 展望を楽しみつつ登り続け、常念岳頂上には 11時21分に到着。頂上には 2人の先客が居た。

祠を拝んだ後、少し下の岩場まで下り、周囲の展望を楽しむ。 南の方向には蝶ヶ岳が見え、そこから左へと続くなだらかな稜線の先には大滝山が見えている。大滝山の右後方には先日登った鉢盛山、小鉢盛山が見え、 さらにその後方にはうすボンヤリながら中央アルプスが見えている。しかし、こちらは山座同定できるまでのレベルにはない。
蝶ヶ岳から右に目を大きく動かせば、御嶽がうっすらと見えている。その頂上付近に噴煙は確認できない。
御嶽の右には乗鞍岳が続き、乗鞍岳の手前には霞沢岳が見えている。そして、霞沢岳の右手前からは明神岳の岩峰が急激に立ち上がり、 前穂高岳へと繋がっている。
前穂高岳の右には、吊尾根を経て奥穂高岳が堂々とした姿を見せており、さらに右に涸沢岳、北穂高岳が続く。
そして、大キレットを間に挟んだ後、南岳、中岳、大喰岳と 3,000m級の稜線が続いて槍ヶ岳に至っている。

槍ヶ岳の右には北鎌尾根、北鎌独標が続き、 独標の右後方には未だ雪を多く抱いている三俣蓮華岳が見えている。
三俣蓮華岳から右に下った稜線は、鷲羽岳に向かって再び上昇を始め、さらに鷲羽岳の右にワリモ岳、水晶岳、真砂岳、野口五郎岳が続く。 しかし、野口五郎岳より右の稜線は手前の大天井岳、中天井岳に隠れてしまっている。
そして、中天井岳の右後方には龍王岳、立山 (雄山、大汝山) が見え、さらに剱岳へと続いている。
立山の手前には東天井岳が見えており、剱岳の右には針ノ木岳が黒い三角形を見せている。また、針ノ木岳の右手前下方には燕岳も見えている。
針ノ木岳から右に続く稜線は、大きな山容の蓮華岳に繋がっている。蓮華岳の右後方には、面白いことに白馬岳の隣にある旭岳が見えており、 その右手前には鹿島槍ヶ岳が見えている。
鹿島槍ヶ岳の南峰と北峰とを結ぶ稜線の後方にも山が見えているが、どうやら五竜岳のようである。そして、 鹿島槍ヶ岳の右後方には、これまた白馬岳から続く小蓮華山、乗鞍岳が見えているのだが、肝心の白馬岳は確認が難しい。
また、鹿島槍ヶ岳の手前には餓鬼岳も見えており、そのさらに左には唐沢岳も見えている (蓮華岳の手前)。
そして、小蓮華山、乗鞍岳のさらに右、北北東の方角には、うっすらとではあるが焼山、火打山、妙高山が確認できる。

しかし、北東から南にかけての山々は全くと言って良い程見え無い状態であり、 従って、先程うっすらと見えた浅間山を始め、八ヶ岳、富士山、南アルプス等々は全く確認できない。
それでも、北アルプスの雄大な展望を大いに楽しみ、満足感を得て、11時50分に下山を開始する。
三股への分岐まで下ってくると、何やら登山者 2名が騒いでいる。どうやらライチョウがハイマツの中にいるらしい。
ライチョウを見るのは久しぶりなので、小生もライチョウ撮影に参加する。そして、オスと思われるそのライチョウは、 人に囲まれても全く臆せず、何とハイマツを抜けて登山道まで出てきてくれたのであった。得した気分で往路を戻る。

下方に常念小屋の赤い屋根を見ながら、岩の重なる斜面を順調に下り、 常念乗越には 12時36分に下り着く。
トイレ休憩等を行い、12時46分に一ノ沢に向かって下山開始。少々緩んだ雪に足を取られつつも順調に下り、最終水場を 13時16分に通過、 雪渓を渡り、斜面を横切る道を進み、胸突八丁を下る。
一ノ沢の雪渓を下った後、笠原沢には 13時57分に到着する。ここで暫し休憩。
なお、胸突八丁を下り、雪渓を下り終えた際、今朝ほど雪渓に足を踏み入れた場所を見ると、そこのスノーブリッジは既に崩れ落ちていたのだった。 恐ろしい。
烏帽子沢を 14時25分に渡り、王滝ベンチを 14時42分に通過する。

後は歩き易い山道なので何も心配いらないはずであったが、 山の神の少し手前を通りかかった際、左手斜面のササ藪から急にガサガサという大きい音が聞こえ、ササの間から黒いものが見えたのだった。
熊ではないかと思うが確信はない。しかし、帰宅後調べると、この辺は熊が出てもおかしくない場所らしく、 また今朝ほど見た糞も小さいながら熊のもののようであったので、熊に違いないと思っている。
襲われないで良かったが、先方も相当慌てていたようである。五月蝿いぐらいの音がする南部熊鈴を付けていたのが良かったのかも知れない。

山の神を 15時10分に通過、 一ノ沢山岳相談所には 15時19分に戻り着いたのであった。
そこで再びトイレを借りた後、林道をユックリと歩き、駐車場には 15時35分に戻り着く。
駐車場には小生の車を含めて 7〜8台の車が駐まっている。無論、朝方の車とは大分入れ替わっている。
この駐車場の様子からも分かる通り、平日にも拘わらず、この山域には多くの人が入っていたようである。 小生が出会っただけでも、30人を越える登山者がいたので、土日はもっと混むものと思われる。

今回、3回目の常念岳に登ったが、初めてとなる一ノ沢コースを辿ったこともあり、 大いに楽しむことができた (過去 2回は、三股から前常念岳経由で登った)。天候にも恵まれ、北アルプスの展望を堪能できたことも嬉しい。


楽しめた日光 太郎山  2015.5 記

天気予報では、この先1週間、雨や曇りの日が飛び飛びに続くことになっていたことから、 休日ということであまり気が進まなかったものの、5月17日の日曜日に山に行くことにした。
行き先は日光の太郎山。4月中旬以降の体調不良は完全に回復した状態にはないため、あまり無理せずに登ることができる山をと考え、 この太郎山を思いついた次第である。
男体山、女峰山、太郎山の日光三山のうち、男体山、女峰山にはそれぞれ 3回以上登っているのだが、この太郎山には 2000年に登ったきりであるため、 ずっと気になっていたこと、そしてその標高が今の体調に最適であると思われたことが決め手である。

3時40分に横浜の自宅を出発する。
太郎山のある日光市中宮祠は快晴との予報であるが、この横浜では空を雲が覆っている。
横浜ICから東名高速道上り線に入る。海老名JCTができてからは、上り線に入るのは久しぶりである。
東名高速道からそのまま首都高3号渋谷線へと進み、大橋JCTにて首都高中央環状線に入ったのだが、東北道行き専用のレーンができていることに驚かされる。 首都高中央環状線を暫く進み、江北JCTからは首都高川口線に入って、川口JCTにて東北道へと進む。

車の流れは順調、北へと進むに連れて天候も良くなり、 栃木県に入ると男体山も見えてくる。
宇都宮ICからは日光宇都宮道路に入る。この頃には完全に快晴となり、前方に見える男体山や女峰山に心が弾む。
清滝ICで日光宇都宮道路を下り、第二いろは坂へと進む。朝日が眩しい中、いろは坂を登り切り、二荒橋の丁字路を左折して中禅寺湖沿いを進む。 二荒山神社周辺では、男体山に登ると思われる登山者を何人か見掛ける。
右手に男体山を見ながら戦場ヶ原を抜け、光徳入口にて右折して、林道奥鬼怒線 (以下 山王林道) に入る。
暫く進めば、前回も車を駐めた無料駐車場に到着。時刻は 6時16分。 駐車場には数台の車が駐まっていたが、登山者というよりはバードウォッチングを楽しむ方が多かったように思う。

トイレを済ませ、身支度を調え、6時23分に出発する。
前回 太郎山に登った時には、ハガタテコースを登るべく、この山王林道を進んだところ、ハガタテコースは崖崩れのため通行止めであることを知り、 仕方なく、山王帽子山登山口までそのまま林道を登り続けたのだった。
今回も山王帽子山登山口を目指してはいるが、林道を通らず、光徳牧場からの登山道を利用する予定である。
駐車場を出ると、すぐに道路の向かい側に 『 ← 光徳牧場 』 あるいは 『 ← 光徳園地 』 と書かれた標識が出てくるが、 そちらには進まず少し林道を山王峠方面へと進む。
すると、再び 『 ← 光徳園地 』 の標識とともに、『 ← 太郎山・山王峠・切込刈込登山口 』 と書かれた標識が出てきたので、 その標識に従って左折し、樹林の中に入る。しかし、何のことはない、少し進めば光徳牧場の施設があり、結局、 駐車場の前からそのまま進めば良かったのであった。
牧場施設の前で舗装道に出て、そこを少し右に進むと、『 山王峠・湯元 』 を示す標識が出てきたので、そこから再び樹林の中に入る。 周囲はミズナラ (と思う)、足下はササ原の中の道を進む。

道はほぼ平坦。朝日が周囲を照らして気持ちが良い。
平坦だった道も徐々に勾配が出始める。それに伴って丸太を横に埋め込んだ階段状の道が現れるようになる。 流水などで道が崩れるのを防いでいるのか、あるいは遊歩道という位置付けで急斜面が続くのを緩和しているのか、 とにかくこの丸太の道が長く続く。しかし、小生にとっては歩き方が限定されてしまい、少々煩わしい。
なお、道の脇には所々に 『 ← 山王峠 1.6km 光徳 0.5km → 』 などと書かれた標柱が置かれている。
やがて、右手後方樹林越しに男体山が見えてくる。樹林が邪魔をしているためになかなか見通すことができないが、 うっすらと見えるその姿はイメージと少し違う。台形をしてはいるものの、その右端に三角形の高みがあるのである。
もしかしたら隣の大真名子山かと思ったのだが、どうやらその三角形の高みは、頂上の北西にある 2,397.9mの三角点方面を下から見上げているためのようである。

断続的に続いていた丸太含みの道も、ようやく平らな道に変わって丸太が消滅する。
同時に、周囲の木々もミズナラやコナラ、ハルニレなどからシラビソ、トウヒなどへと変わる。
道の傍らには 『 ← 山王峠 1.0km 光徳 1.1km → 』 の標識が現れる。ただ、そのシラビソの林も長くは続かず、 周囲はカラマツ林へと変わり、ササ原の中、カラマツの葉が敷き詰められた道を登っていくようになる。
やがて道も緩やかになると木道が現れ、周囲にはダケカンバが現れ始める。
僅か 7〜8分の間に、目まぐるしく変わる周囲の木々の様子に、少々ビックリする。
ダケカンバはまだ細く、しかもまだ芽吹いていないので、この辺は日当たりの良い、明るい道が続く。

7時7分に 『 ← 山王峠 0.5km 光徳 1.6km → 』の標識を通過。
平らだったダケカンバの林を抜けて少し登っていくと、左手下方に丸い窪地が見えてくる。水などなく、ササに覆われ、木が疎らに生えているだけであるが、 つい、ここが火口だったのではないかと想像してしまう。そう言えば、ダケカンバの林を通過する際、左手に大きな岩がいくつも見られたのであった。 やはり火山故の地形であろうか。
再び周囲はシラビソ、コメツガに変わり、少し傾斜がキツくなり始める。 上の方を見上げれば、樹林の間から青空が見えている。山王峠も近いようだ。
またまた丸太が横に敷かれた状態の場所を登っていくと、やがて傾斜も緩やかになり、樹林も疎らとなったササ原に飛び出す。 ここには道標も立っており、その柱には 『 山王峠 』 と書かれていた。時刻は 7時23分。

その道標から少し進むと、木道の通る明るい広場となり、木道の傍らにはベンチも置かれている。
太郎山の文字が全く見られないため、ベンチにて地図を確認しようとしたところ、さらに先にも標識が見えたので行ってみる。 そこに 『 ← 山王帽子山・太郎山 』 の道標があったので一安心、そのまま休まず道標に従って右に道を取る。
ササ原の斜面を少し下れば、車道に飛び出す。この車道は今朝ほどスタートした山王林道。
周囲に標識はないが、林道を右に戻れば山王帽子山の登山口があることは頭に入っていたので、車道を暫く下る。
2分弱ほど光徳方面へ進むと橋があり、その先 左側にピンクテープの付いた棒が見えてくる (実際には、太郎山と書かれた標示板も付いている)。 ようやく、山王帽子山登山口に到着である。時刻は 7時30分。

ここからは、コメツガ、ダケカンバが混在する明るいササ原を緩やかに登っていくが、 やがてコメツガの樹林帯の急登が始まる。
この樹林帯に入る前、三岳 (と思う) の稜線の上に温泉ヶ岳 (ゆせんがたけ) がチラリと見えた。 さらには、奥白根山、五色山も少しだけその頂上部分が見えている。
樹林帯の中の急登が続く。木の根がむき出しになった道をジグザグに登っていく。時折、樹林が切れ、奥白根山の頂上部分が見える。
急登が続くが、途中、樹林を抜けてササ原にダケカンバが生えている明るい場所を通るようになる。傾斜も緩やかで、なかなか気持ちの良い場所である。
右手には樹林越しに男体山の右上半分が見え、さらに少し進むと、奥白根山が先程よりもかなり迫り上がってきていて、 前白根山そして外山の下方まで見えるようになっている。

またコメツガの樹林帯に入り、7分程登り続けると、 再び明るいササ原に飛び出すことになり、前白根山、奥白根山、五色山、金精山、温泉ヶ岳がよく見えるようになる。 男体山も、台形の上 1/3程がササ原の向こうに見えている。
ここからはなかなか展望の良い、緩やかなササ原が続く。樹林越しに皇海山も見え、さらに山王帽子山に登り着く直前には燧ヶ岳、 そして未だ雪を多く抱く会津駒ヶ岳、そして帝釈山・田代山を見ることができたのだった。
山王帽子山には 8時25分に到着。山頂には腰掛けるのに適した大岩があるので休憩にはもってこいであるが、展望はほとんど得られない。
但し、ルートを外れて南に続く踏み跡を少し辿ると、ササ原の斜面から男体山をハッキリと見ることができるようになる。 ここから見る男体山は、少し横に太った富士型をしており、馬蹄形の火口を取り囲む火口壁を確認することができる。

8時29分、太郎山を目指して出発。少し下ると、これから目指す小太郎山、 太郎山が見えてくる。
そこに至るには、一旦大きく下った後、また登り返すという行程が待っており、承知はしていたが少々ため息が出る。
下りが続く。右手下方には戦場ヶ原、中禅寺湖が見えている。さらには樹林越しに男体山、大真名子山が見える。
登山道は、一旦平坦なササ原に下り着いてホッとするが、ここは太郎山の鞍部ではなく、鞍部へはさらにもう一段大きく下ることになる。
気持ちの良いササ原を抜けると、道は倒木の多い、少々荒れ気味の斜面を下ることになって苦労するが、やがて、ササ原の斜面に変わり、道も良くなってくる。
気持ちよく下っていくことができるが、逆に小太郎山への登り返しがキツいことになるので、喜んでもいられない。

8時52分、鞍部と思われる場所を通過し、かなり成長したコメツガが見られるササ原の斜面を登るようになる。
少し登って右手を見れば、樹林の間から皇海山が見え、そのずっと手前には戦場ヶ原の広がりも見えている。
キツかった登りも、周囲にシャクナゲが現れ始めると、少し傾斜が緩む。ただ、シャクナゲに花は見られない。
再びコメツガの短いトンネルを抜けると道標が現れるが、道の右側にはロープが張ってあり、今は読めなくなっている看板と思しき板が落ちていたので、 恐らくここが今は通行止めのハガタテコースとの合流点であろう。時刻は 9時12分。
振り返れば山王帽子山、そしてその左後方に奥白根山が見えている。
道の方はまだまだ続く。暫く緩やかな登りが続いた後、再び傾斜のきつい登りが始まる。この辺から残雪が現れるが、 この時期まで残っているだけあって、量も多い。
また、この頃になると、風が強く尾根に吹き付けるようになり、寒いくらいである。

振り返れば、燧ヶ岳の双耳峰がよく見えている。さらに少し進むと、 かなり展望が開けてくる。奥白根山を中心に、その右側の山がよく見えるようになり、先程頂上を踏んだ山王帽子山は、 こちらと同じくらいの高さになっている。
また、左手には太郎山の頂上も見えている。そこに至るには、小太郎山を越えて左にグルッと回り込まねばならないことがよく分かる。
岩や倒木、そして残雪のある道を登っていく。途中、倒木と残雪のミックスを苦労しながら越える。その際、あまりにも風が冷たく感じるので、 ジャケットを羽織る。
長かった登りもようやく傾斜が緩み、ダケカンバが生えている明るいササ原の尾根を進むようになる。 展望はグッと開け、奥白根山の左側後方には錫ヶ岳も見えるようになる。 そして、10時16分、小太郎山に到着。ここも無人である。

この小太郎山には三角点らしきものがあり、その上の部分に 『 + 』 ならぬ、 『 × 』 印が刻まれていたので、これは南アルプス深南部の黒法師岳と同じ珍しい三角点かと思ったのだが、 残念ながらこちらは御料局三角点 (明治時代、皇室の財産となっている森林は宮内庁御料局が管理しており、定期的に管理地の測量を行っていたが、 そのための基準点が御料局三角点) であった。
ここからの展望は素晴らしく、東北の方向、すぐ目の前には目指す太郎山、そして太郎山から南に下る尾根の後方には帝釈山、女峰山が重なるようにして見えている。
女峰山の右側手前には、小真名子山があり、頂上の電波反射板もよく見えている。小真名子山の右には大真名子山が続き、 大真名子山から一旦グッと下った稜線はすぐに男体山へと向かって延びている。
この女峰山から男体山へと続く山々は、稜線上のピークではなくて、皆 それぞれ独立峰としての存在感を見せているのが素晴らしい。 太古の昔、これらの山々が競うように火を噴き出していたのではないか と考えるとなかなか楽しい。

男体山の右後方には中禅寺湖、社山が見えており、 さらに右に黒檜岳、シゲト山、三俣山が続く。その尾根の後方には、うっすらと庚申山のズングリした形が見えており、 そのさらに後方には袈裟丸連峰が見えている。
庚申山の右には鋸山を含む鋸山十一峰が連なり、そのまま皇海山へと続いている。先程触れた社山から続く三俣山は、 その皇海山の右手前に位置している。
そして三俣山の右には、ズングリした宿堂坊山が見え、そこから右に続く尾根は徐々に高度を上げて錫ヶ岳に至っている。 錫ヶ岳の右手前には、白根隠山が見え、その手前に外山、前白根山、そして五色山へと続く尾根が走っている。
奥白根山はその尾根の後方にドーム型の山頂を見せてくれている。

五色山から右に下る尾根の先には、荒々しい岩肌を見せている金精山があり、 金精山から金精峠へと下る尾根は、その手前から立ち上がっている温泉ヶ岳によって途中で遮られている。
また、温泉ヶ岳の右後方には、これまたズングリした根名草山が見えており、根名草山の右には恐らく大嵐山と思われる山が続いている。
その大嵐山の右斜面後方に白き山々が見えているが、帰宅後調べると、どうやら群馬県と新潟県の県境にある小沢岳、下津川山 (しもつごうやま) のようである。 そしてその右手前には赤倉岳、スズヶ岳が重なっているようである。
そこから少し右に目をやれば、平ヶ岳が大きく、その右には燧ヶ岳が存在感を見せている。但し、こちらから見る燧ヶ岳は、 柴安ー、俎ーの双耳峰が見えてはいるものの、燧ヶ岳のピークの 1つである赤ナグレ岳が前面にしゃしゃり出ていて少し不格好である。
また、平ヶ岳と燧ヶ岳の間の後方には、中ノ岳が顔を出している。
そして、ビックリしたことに、燧ヶ岳の右後方には荒沢岳が良く見えている。

燧ヶ岳の手前を黒々とした山々が横切っているが、 恐らく平ヶ岳の左手前の山が鬼怒沼山で、荒沢岳の右手前の台形の山が赤安山、そしてその右に見える小さな突起を有する山は黒岩山であろう。
黒岩山からさらに右に続く尾根の後方には白く横に長い山が見えているが、会津駒ヶ岳である。会津駒ヶ岳の右側手前には、 帝釈山、田代山も見えている。素晴らしい景色を写真に納めた後、今度は景色をおかずにして食事をする。

10時34分、太郎山へと向かう。 急斜面を下り、岩場を登り返すと、岩の突端に 『 剣ヶ峰 』 と書かれた標識が打ち付けられていた。 道はそのまま岩場を下るが、左下方には巻き道もある。
剣ヶ峰を下ると、暫く緩やかな登りが続く。しかし、ヤセ尾根である上、足下には岩が露出しているので気は抜けない。
やがて、岩場の急斜面を登り、登り着いた所からはかなり緩やかな傾斜の道となる。
右手下方には、『 お花畑 』 と呼ばれる広い火口原が見えている。
立ち枯れの中を緩やかに登っていくと、いきなり目の前に大きな雪のマウンドが現れビックリする。この雪を越えて行かねばならないのかと思ったが、 よく見ると、道は右を巻いて進むようである。
アイゼンを履いていれば、雪の上に登り、雪の回廊を進むのも面白かろうが、道は雪の下部、樹林との間を進んでいくのが正解である。 時折、雪の下から夏道が現れる。

雪混じりの道を抜け、周囲にシャクナゲが多く見られるようになると、 やがて前方に太郎山頂上が見えてくる。
下山に使う予定の新薙への道を右に分け、そこから一登りすれば、新旧 2つの祠が並んでいる太郎山頂上であった。時刻は 11時丁度。 頂上には若いカップルが憩っており、本日初めて山中で人に会うこととなった。
山頂の西側にある、溶岩が面白い形を造り出している岩場にて暫し休憩。ここは、岩が風除けになってくれている。
ここからの展望は小太郎山とほぼ同じであるが、よく見ると、金精山の後方に武尊山が見えているのに気が付いた。
また、燧ヶ岳の右斜面後方、荒沢岳との間には越後駒ヶ岳が少し顔を見せており、 鬼怒沼山の左には物見山 (毘沙門山) や鬼怒沼湿原も見えている (尤も、鬼怒沼は写真を拡大しないと見えないが・・・)。

11時23分、下山開始。休んでいる間に、小太郎山の方から 1名若者がやって来た。
また、先程のカップルは、少し前に下山している。
分岐から新薙へと下る。いきなり残雪があるが、慎重に下れば問題ない。コメツガ + ササ原の明るい斜面を、女峰山や小真名子山を見ながら下る。 すぐに先程のカップルに追い付き、お花畑手前の残雪地帯で抜かせてもらう。
お花畑は、前回の登山記録に 『 周囲を樹林と岩に囲まれた平地で、先ほど述べたように野球もできそうな所である。 このような高い山の中にこういう場所があることに自然の不思議を感じる。』 と書いたように、 広々としたササ原である。

11時35分にお花畑に入り、その真ん中を突っ切っていく。 周囲を見渡せば、火山であったことを示す黒い巨岩群、そして大きくガレた斜面、立ち枯れの木々、そして緑濃き樹林、そして青い空等々、 素晴らしい眺めである。
お花畑を囲む外縁を越えていくと、新薙と呼ばれる傾斜の急な崩壊地を横切ることになる。足下はしっかりしているので問題ないが、 左上を見上げると、今にも落ちてきそうな岩がゴロゴロしている。こういう場所は早く横切るに限る。
もう 1度同じような薙を横切った後、道はその薙に沿って下っていく。この辺は急斜面であり、浮き石や滑りやすい箇所も多々あるため、 慎重に下る必要がある。所々にロープが張られているので、利用させてもらう。
男体山、大真名子山を見ながらドンドン下る。途中、風はほとんどなくなって暑さを感じ始めたため、ジャケットを脱ぐ。

やがて道は樹林帯に入り、周囲の木々にシラビソが目立つようになる。
新薙から 40分程下ったであろうか、傾斜もかなり緩やかになり、所々で平らな道も現れるようになる。
少々ガレた場所から振り返れば、太郎山が高く、遠くに見えている。こちら側から登るのは結構手強い気がしてしまうが、 途中で 2人程の登山者と擦れ違ったのだった。
また、本日、ここまでシャクナゲを多く見てきたものの、花はおろか蕾も見ることはほとんどなかったのだが、この辺になると、 咲き始めた花が頻繁に見られるようになる。
アズマシャクナゲという種類らしく、花は薄いピンク色をしていて、花弁の縁がやや濃いピンク色をしている。 蕾の状態のものは、もっと濃い紅紫色をしているのが面白い。

長かった下りも、周囲にダケカンバの細木が多く見られるようになると、 やがて下方に道が見えてくる。
そして、12時49分、林道に下り着く。この登山口には車が 1台駐まっていた。
登山口ソバにある堰堤のところで暫し休憩。これからの長い林道歩きに備える。
12時54分に出発。途中、大真名子山から流れて出たと思われる溶岩塊の脇を通過する。林道は、この溶岩を横切っており、 右下の谷にも溶岩が見えている。
さらに林道を進んで振り返れば、太郎山が美しい姿を見せている。
13時10分に裏男体林道に合流。ここからも長い林道歩きが続く。新たに架け替えられた湯殿沢橋の所で周囲を見回せば、 北に太郎山、東に大真名子山、南に男体山を見ることができる。

この林道歩きは今回で 3回目となるが、やはり長い。 途中までは、自然林の向こうに太郎山などが眺められるのだが、途中から展望の利かないカラマツ林の中の歩きが長く続く。
道は完全に舗装されているが、その分、靴底の減りも早かろうと、極力 林道脇に溜まったカラマツの葉の上を歩く。
途中、数台の車が追い抜いていったが、時間的に志津乗越を起点とした登山者の下山時間にあたるのであろう。
とにかく黙々と歩き続け、ようやく 13時57分に三本松と光徳との分岐となる丁字路に到着する。右に道を取る。
14時丁度に今朝ほど車で通った山王林道に合流。林道に沿って、右の方へと進む。
そして日光アストリアホテルへの入口を過ぎると、すぐに駐車場であった。時刻は 14時10分。

本日は 15年ぶりに太郎山に登り、歩いたコースもほぼ同じであったが、 晴天がずっと続いたせいであろう、前回に比べ、かなりの充実感を味わえたよい山行となった。


黒金山 リベンジ登山  2015.5 記

4月16日(木)に登った鉢盛山の疲れが出た訳ではないのだが、 4月中旬から体調が今一つの状態がずっと続いていた。熱はないものの、血圧が高く、何となく重だるい状態の毎日だったのであるが、 これは生活環境に少々変化があったからなのかも知れない。
そして、ようやく体調も少し回復し、山に行ける状態になったと思ったら、ゴールデンウィークに突入である。
平日の山歩きに慣れてしまった身にとっては、道路、そして山が混雑するこの期間中の山行など考えたくもなく、 家の周辺散歩にてお茶を濁していたのだが、こう毎日良い天気が続くと、やはり山に行きたくなってくる。

ということで、比較的道路も空くと思われる連休最終日の 5月6日(水)、 意を決して ?? 山に行くことにしたのだった。行き先は 1月に途中敗退した黒金山。
体調が戻ってきたとは言え ハードな山は避け、さらには道路混雑を考慮して遠い山は候補から外してのことだが、 何よりも、中途半端になっていた山にけりを付けたいというのがこの山を選んだ第一の理由である。
さて、登山ルートであるが、当初は 1月と同じく徳和から道満山に登り、その後、乾徳山(南)林道を歩いて青笹からのルートと合流し、 牛首ノタル経由にて黒金山に登ることを考えていたのであった。
しかし、丁度タイミング良く、ヤマレコに青笹から登った方の記録が掲載されたので、これに倣うことにする。
林道経由のルートは、あくまでも積雪期を考慮したイレギュラーなものであり、青笹から登ることができるのならそれに越したことはない (無論、青笹からの登りも検討していたのだが、駐車スペースがあるかどうか分からなかったため、選択肢から外していたのであった)。

4時30分に自宅を出発。横浜ICから東名高速道下り線に入ったが、 下り線、上り線ともかなり空いている。
海老名JCTからは圏央道に入り、八王子JCTにて中央道へと進む。
空は晴れているものの、勝沼IC手前で見えてくるはずの南アルプスはよく見えない。
勝沼ICで高速を下り、いつも通りのルートを通って国道140号線に入り、雁坂トンネル方面に向けて北上する。
徳和への道を左に見て暫く進むと、やがて 『 ← 大嶽山那賀都神社 』 の標識とともに、天科 (あましな) に下る道が左側に出てくるが、ここはそのまま通過する。
その後、すぐに登坂車線が現れて道は二車線となり、その登坂車線が終了した少し先にて再び天科への分岐が左側に現れる。 その分岐の手前に 『 チェーン着脱場 』 があるので、そこに車を駐める。時刻は 6時14分。
なお、この分岐にはバス停 (円川) もある。

身支度を調え、6時19分、天科、青笹に向かって車道を下る。
暫く下ると、展望が開け、笛吹川に架かる赤い鉄製の橋が見えてくる。また、右手上方の山間 (やまあい) には、 青空をバックにした乾徳山と思しき山が見えている。本日は快晴である。
やがて、先程見えた赤い橋へと続く道が右側に現れるので、右折して橋を渡る。橋を渡って少し進むと丁字路にぶつかるが、黒金山へはそこを左折する。
すぐに民家の塀に 『 ← 牛首ノタル・黒金山 』 と書かれた案内板が現れるので、その塀に沿って右に曲り、民家の庭先を横切るように登っていく。
なお、左手には青笹川の流れがあり、向こう岸に地蔵尊と空き地が見えたので、そこにも駐車できるのかも知れない。
少し進むと、青笹川に沿った杉林の中に入るが、すぐに標識に従って右手の階段を登ることになり、登り着いた所の左側からコンクリートの道となる。 しかし、そのコンクリート道もすぐに終了し、杉および檜の植林帯となって登山道が始まる。時刻は 6時34分。

登山道には所々に標識があり、ピンクテープもしっかりつけられていて、 想像していたより分かりやすい。
暫く青笹川沿いに緩やかな傾斜の道を登った後、青地に白い文字で 『 牛首・黒金山 』 と書かれた標識を見ると、 その少し先で青笹川から離れて斜面を登っていくことになる。
下草が全くなく、土が剥き出しとなった、何となく荒涼感を覚える檜と杉が混在した斜面をジグザグに登っていく。
やがて、左手に自然林が見えてくると、青笹川の支流を左下に見ながら斜面を横切って進むようになり、 さらには丸太橋にてその支流を渡って自然林の中を登るようになる。
しかし、自然林は長くは続かず、再び檜の植林帯へと変わり、味気ない登りが暫く続く。
途中、伐採した木を運搬するために使われていたと思われるワイヤーロープが、ピンと張られたまま登山道を横切っており、少々危ない。 明るい時なら問題は無いが、少し暗くなると怪我をする危険性がある。

長く続いた檜の植林帯も、時々自然林が現れるようになり、 やがて周囲は緑が朝日に映える自然林へと完全に交代する。この時期の山は、若葉が生え始めたばかりでとても明るく、気分を高揚させてくれる。
と思ったら、再び檜の樹林帯となり少々ガッカリさせられるが、周囲は自然林へと再び変わり始め、周囲にはブナ、クヌギ、コナラなどの木々が多く見られるようになる。
日差しが樹林を通して足下まで当たり、明るい尾根歩きに心が弾む。
左手樹林越しには、谷を挟んで乾徳山方面がチラチラと見え始める。いつもは、樹林に邪魔をされて山を見通せないことに苛立つことが多いが、 この先、林道と合流した後は展望が開けることを知っているので、あまり気にならない。
道は広い斜面を大きく蛇行しながら高度を上げていく。傾斜もそれ程急ではなく、足下もしっかりしているので疲れを感じることなく登っていくことができる。

やがて、傾斜がかなり緩んできたかと思うと、足下にササが現れ始め、 周囲の木々はカラマツへと変わり始める。
緩やかな傾斜の道をまっすぐ登っていくと、目の前に小さな高みが現れて道が 2つに分かれる。高みへの直登を避けて左側から回り込んでいくと、 人工的に盛土した草付きの高みが前方に見えてくる。林道合流点に違いない。
結局、道は先程避けた小さな高みをサイドから登ることになり、そこから人工的な盛土との間を通って斜めに登っていくと、林道との合流点であった。 時刻は 8時21分。
ここは林道脇に広いスペースが作られており、ここまで車で来て黒金山に登ることも可能である。
なお、1月に来た時には、さらに先へと続く林道のゲートが開いていたのだが、本日は閉まっている。

ここは崖の縁のようになっていて大きく開けているため、 前回と同じく周囲の山々をしっかりと見ることができる。
まず目に着くのは、東南の方向にある倉掛山である。先日登ったばかりなので特別に親しみが湧く。
倉掛山から右奥に延びる尾根を目で追っていくと、その尾根上には、倉掛山登山の際にその下を通った無線中継所の鉄塔も見えており、 さらにはその後方に大菩薩嶺、小金沢連嶺が見えている。
倉掛山の左後方には、前飛竜、そして台形をした飛竜山が見え、さらに左には唐松尾山も見えている。
また、少し林道を大平高原側に戻れば、カーブの後方に笠盛山、乾徳山が見えている。そして、さらに左手には富士山が樹林の間からチラリと見える。

林道ゲートの横にある岩に腰掛けて暫し休憩した後、8時38分に山に取り付く。 ここからは 1月に撤退したルートを辿ることになる。
少し登ると、左手に富士山が見通せるようになるが、山頂を覆っていた雪は大分少なくなっており、今は雪が縦の筋となって残っている。
緩やかな斜面を登っていく。1月の時は斜面全体が雪に覆われていてルートが分かりにくかったのだが、今は踏み跡がハッキリ見え、迷うことは無い。 しかし、今回確かめても、この辺には全く目印となるテープがない。
1月に辿ったルートが、正規のルートだったかどうかを確認しつつ、そのことを楽しみながら登る。
やがて、左手樹林越しに黒金山から乾徳山へと続く尾根が見えるようになるが、この先、もっとよく見える場所があることが分かっているので、 無理して写真を撮るようなことはせずに登り続ける。
小さなピークの左側を巻いて左の方へと進んでいくと、やがて先の方に 『 県有造林地 』 を示す白い立て札が見えてくる。 前回は、ルートを手探り状態で進む中、この立て札を見てホッとしたのを思い出す。

右手にササ原の窪地を見て、土手のようになった所を進むと、 記憶通り 2つほど手書きの標識が現れる。すぐに小さな流れを 2つほど横切るが、手前の流れは 1月と同様、結構水量がある。 しかし、川底が黒い土なのであまり美味しそうに見えず、今回も水は飲まずに進む。
この水場を過ぎると、枯れ木の目立つササ原の斜面を横切りながら登ることになる。前回は、ササ原に雪の絨毯が続いていたのだが、 今回はササ原の中、足下には小さな花が咲いている。
少し高度を上げて振り返れば、富士山がよく見えるようになる。五合目付近より下はうっすらと雲が掛かっているため、 まるで雲の上に浮かんでいるようであり、そうした姿はなかなか神秘的である。
9時18分、ササ原下展望台に登り着く。

ここにある標識には、牛首ノタルまで 1時間と書かれている。 前回は、雪のため、1時間経っても牛首の足下にさえ到達できなかったのだが、果たして本日はどうであろう。
なお、展望台というだけあって、ここの眺めは素晴らしい。しかし、見える光景は先程の林道出合いとほぼ同じである。
平らな道を少し進み、小さなマウンドを登ると、樹林の間から黒金山の姿がよく見えるようになる。前回は黒と白が混ざり合っていた黒金山も、 今は緑の占める割合が多くなっている。また、黒金山の右には牛首の三角形も見えている。
ササ原の快適な登りが続く。道は記憶通り、牛首の右手方面へと進んだ後、牛首から右(東)へと延びる尾根の懐を横切るようにして左へと曲がっていくようになる。
水が染み出ている斜面を横切り、やがて牛首を正面に見ながら進むようになる。左手後方には、黒金山から続く尾根の先に乾徳山が見えている。
ササ原の斜面を横切り、前回も休憩した場所にて今回もノドを潤す。ここからは乾徳山と富士山のツーショット写真を撮ることができる。

展望の開けた斜面を横切る道も、やがて牛首の南側斜面にぶつかり、 谷のドン詰まりに至る。
そこからは、牛首の斜面の縁 (谷の始まりの部分) に沿って左に回り、今横切ってきた斜面の反対側 (谷の向こう側) に移って樹林帯の中に入ることになる。
この樹林への入口では前回少々迷ってしまい、テープに助けられたのであるが、今回は道がしっかり見えているので、 テープのことは気にも留めずに進んでしまう。
樹林帯の中、斜面を横切りながら高度を上げていく。足下には倒木や岩などもあって少し荒れ気味であり、さらには急斜面もあるが、この 1月、 雪に苦労したことを思えば全く楽な道である。
やがて、記憶通りの立派な標識が現れ、シャクナゲのトンネルの斜面を登っていくと、黒金山がよく見える場所に飛び出す。 前回は、ここから黒金山の姿を見て、まだまだ先があることを思いガッカリさせられたのだったが、今回は登頂可能との確信を得る。

ここからは牛首の南東側斜面を横切って進む。道は樹林に囲まれており、 ほとんど展望が利かない。
緩やかな登りが続く中、足下には結構岩が散らばっているので少々驚く。前回はこの岩が皆雪の下であったので、全く気づかなかったのだった。
やがて、前回撤退を決めたと思われる場所を通過する。そして、そこから 4分程進むと、樹林を抜け出して周囲はササ原の斜面に変わる。
その後、再び少しだけ樹林帯に入るが、そこを抜ければ、左手前方に牛首ノタルのササ原と黒金山が見えてくる。
牛首ノタルには 10時14分に到着。ここは三方が樹林に囲まれているものの、南面がササ原となっていて大きく開けており、気持ちの良い場所である。
ここからは富士山と乾徳山が、先程見た時よりもその間の距離を縮めて見えている。
倒れた標識の板に腰掛けて暫し休憩。しかし、気持ちよい場所とはいったものの、一人で樹林帯に背中を向けて休んでいると、 何となく落ち着かない。

10時23分、黒金山に向けて出発。ここからはシラビソ、コメツガ、トウヒなどの樹林帯の中の登りが続く。
足下には倒木、苔類が多く見られるようになり、いかにも奥秩父という雰囲気である。
6分程登ると、少し明るい場所に出ることになり、ダケカンバの間からは甲武信ヶ岳、木賊山が見えている。
また、ここには伐採木の運搬に使用したと思われる索道用機材が放置されている。先程のワイヤーと言い、 日本全国の山々には使われなくなった鉄機具類が沢山放置されているに違いない。勿体ないことである。
再び展望のない樹林の中の登りが続く。一応道は明瞭であるが、少し荒れ気味。雪が多かった場合、恐らく道が分からないであろうと思われ、 たとえ前回 牛首ノコルに辿り着けたとしても、この最後の登りで挫折した可能性が高い。
やがて、道に残雪が断続的に現れるようになるが、全く問題ない。

周囲にシャクナゲが加わるようになってくると、やがて先の方に見える空間に、 標識らしきものが見えてくる。恐らく黒金山頂上であろう。そして、少し五月蝿い木々を避けるようにして残雪の上を登っていくと、 思った通り頂上に飛び出したのであった。時刻は 11時丁度。
無雪期であり、前回とは条件が違うとは言え、黒金山撤退の借りを返すことができて嬉しい。
なお、ゴールデンウィークにも拘わらず、頂上には誰もおらず独り占めである。
この黒金山の頂上は、三角点のある場所自体は狭いものの、北〜西側は岩が露出するガラ場となっていて大きく開けている。 そこから暫し周囲の景色を眺める。

まず目に入るのが、西沢渓谷を隔てて対峙する国師ヶ岳、北奥千丈ヶ岳で、 いつも通り大きく羽を広げている。
その左側の稜線上には奥千丈岳なども見えるが、何と言っても稜線の後方に金峰山が少しだけ顔を出しているのが嬉しい。 金峰山のシンボルである五丈岩も見えているが、こちらから見る五丈岩は、金峰山頂上から見るどっしりとした姿とは異なり、 異常にひょろ長い姿をしていて驚かされる。
さらに下っていく北奥千丈岳の稜線は、手前にあるゴトメキ、そして遠見山の後方に沈んでいく。
そして、ゴトメキ、遠見山を結ぶ稜線の後方には、やや雲が邪魔をしているものの甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳が確認できる。 さらに左には北岳、間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳がハッキリと見えており、北岳の手前には鳳凰三山が並んでいる。
農鳥岳の左には広河内岳が見え、広河内岳の左後方には塩見岳も見えているが、その山頂は雲に隠れ気味である。
塩見岳の左方には蝙蝠岳、さらにその左に荒川東岳 (悪沢岳)、小赤石岳、赤石岳が見える。しかし、赤石岳のさらに左にある聖岳は雲の中である。

その先、暫く雲の幕が続いた後、毛無山、雨ヶ岳、竜ヶ岳がボンヤリながらも確認できる。
さらに左には王岳、鬼ヶ岳、節刀ヶ岳がうっすらと見え、それら御坂山塊の後方には富士山が雲の上に顔を出している。
また、目を北奥千丈岳に戻せば、その右に国師ヶ岳が肩を並べている。
国師ヶ岳から右に延びる稜線は国師のタルまで緩やかに下り、その後、東梓、さらには富士見に向かって再び高度を上げている。 富士見の右には水師、三宝山、そして甲武信ヶ岳、木賊山が続き、木賊山から一旦下った稜線は西破風山へと盛り上がり、 東破風山と結んで台形を作り出している。
東破風山の右には雁坂嶺が見えるが、そのさらに右側の山々は黒金山の斜面に隠れてしまっている。

素晴らしい景色を暫し堪能するとともに、長めの休憩を行った後、11時20分、乾徳山へと向かう。
下り斜面に入り、途中、大分古くなった丸太の埋め込み階段を下って急下降する。下り着いた所が大ダオへの分岐。
2000年に乾徳山、黒金山を縦走した時には、ここから大ダオへと下ったのだったが、残雪と不明瞭な道に苦労した覚えがある。 本日は真っ直ぐ進んで乾徳山を目指す。
こちら側も奥秩父らしさのある樹林帯の道が続く。暫く進むと、小さな岩場を通過することになり、 ここからは再び乾徳山と富士山が並んだ姿を見ることができる。しかも、こちらから見る乾徳山はかなり尖っていて、ハッとさせられる。
また、ここから南アルプス方面も見えるが、先程よく見えた白根三山は今や雲に飲み込まれようとしている。

再び樹林帯に入る。この辺は急な下りが続いており、 乾徳山から黒金山を目指す際には少々キツかろう。やはり、高い山から低い山へと進むのは楽である。
道はまあまあ明瞭。しっかりと赤テープを追っていけば問題ないが、何度か、目の前の光景が気持ちよさそうなので、 そのままの勢いで進んでしまい、慌てて道を修正することがあった。しかし、ありがたいことに、大きなアップダウンはほとんどない。 緩やかな下りか、平らとも思える道が続く。
途中にある笠盛山への登りは少々傾斜があるが、その距離は短い。
シャクナゲや立ち枯れの木々の間を登り、笠盛山には 11時59分に到着。ここは展望がほとんどなく、コメツガの向こうに黒金山の頂上が少し見えるだけである。
休むことなく笠盛山頂上を通過すると、暫し下り斜面が続く。
やがて、展望の良い岩場を通過することになるが、ここからは南アルプスや黒金山を見ることができる。
黒金山では雲のためにその形がハッキリ見えなかった仙丈ヶ岳と甲斐駒ヶ岳だが、今は雲がとれた状態になっている。 しかし、春霞が掛かったようにボヤッとしていて少々見づらい。

やがて、道は小さなアップダウンがあるものの、押し並べて平らな道となり、 細い尾根を進むことになる。倒木、苔むした斜面、岩などがあり、如何にも奥秩父という雰囲気である。
なお、この辺が笠盛山と、乾徳山手前の 2,016m峰との鞍部だとすると、ここが水ノタルということになる (1989年の山と高原地図では、 この鞍部をハッキリと水ノタルと記しており、現在はもっと先にある国師ヶ原へと下る道もこの水ノタルから分岐している。 しかし、現在の地図では水ノタルの場所は曖昧な記載になっている。)。
と、ここで本日初めての登山者と会う。乾徳山方面からの 4人組で、数日後にその記録がヤマレコにアップされていた。
やがて、大きな岩が並ぶ露岩帯を進む。ここからは黒金山、国師ヶ岳がよく見える。
大きな岩が重なる上を辿り、再び樹林帯に入ると、すぐに国師ヶ原への迂回新道分岐となる。時刻は 12時41分。

道の方はすぐに再び露岩帯を進むことになる。振り返れば、黒金山とそこから辿り来たりし尾根が見えている。
大きな岩の裏を回り込んでいけば、すぐに目の前に岩を積み上げたような乾徳山頂上が見えてくる。岩場を進み、梯子、鎖場を 3箇所程登れば、 多くの人が憩う乾徳山頂上であった。時刻は 12時50分。
頂上からは奥秩父の山々が見え、また乳房の形をした黒金山も見えている。しかし、南アルプスは既に雲に覆われ、 辛うじて仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳が見えるだけで、富士山も見えない状況である。
12時58分に下山。鳳岩 (昔は天狗岩と呼ばれていたはず) の鎖場は回避し、迂回路を下る。
この後、多くの奇岩、そして鎖場を辿りながら順調に下り、扇平入口にある手洗石を 13時27分に通過。ここからは目の前に広がるカヤトの原、 大菩薩嶺等の光景を楽しみながら下り、月見岩を 13時30分に通過する。
振り返れば、乾徳山が緑濃きズングリした山容を見せている。この山は見る方向によって随分姿が変わる山である。

扇平からは道満山経由の道を下る。
新緑の映える道を下り、道満山を 14時25分に通過。今や歩き慣れた道満尾根コースを下って、徳和にある乾徳山登山口バス停には 15時7分に戻り着いたのだった。
そして、15時49分発の西沢渓谷行きの市営バスに乗って、車を駐めてある円川へと向かう。
円川バス停到着は 16時6分であった (バスは貸し切り状態)。

撤退の時とは違って無雪期ではあるものの、本日は黒金山へのリベンジ登山を果たし、 しかも、久々に苔むす奥秩父の山々の雰囲気を味わうことができ、満足のいく一日であった。
これで、体調も万全となることを期待したいものである。


新雪に驚かされた鉢盛山  2015.4 記

3月31日(火)に横岳に登った後、パッとしない天候が続き、2週間以上山に行っていない。
山が逃げてしまう訳ではないが、この時期、できるだけ残雪の山を楽しみたいと思っているので、時間がドンドン経ってしまうことに少々焦りを感じてしまう。
そんな中、4月16日(木)は快晴との予報となったため、待ってました とばかりに山に行くことにした。
行き先は松本盆地と木曽地域に跨がっている鉢盛山。その名の通り、鉢に土を盛り付けしたような丸いどっしりとした山容の山であり、 先日も横岳からその姿を眺めたばかりである。

この山に興味を持ったのは、日本三百名山に選ばれていることも理由の一つだが、 その登山方法がユニークだからである。つまり、無雪期にこの山に登るには、長野県東筑摩郡朝日村の役場に鉢盛山林道通行許可書を申請し、 許可証とともに林道ゲートの鍵を貰うことが必要なのである。
しかし、その鉢盛山林道は昨年 9月の崩落により通行止めになってしまい、恐らく現時点でも復旧しておらず、 従って、今年は登山できるかどうか未定なのである (加えて、登山時期は 6月下旬から 10月中旬に限定されている)。

そんな制限のある山であるが、この時期になると、鉢盛山の南側にある野麦峠スキー場から尾根を辿る、積雪期限定の登山コースが現れるのである。 このことは、昭文社の 山と高原地図 『 乗鞍高原 』 (2011年版) にも記載されているのだが、 ノーマルタイヤの小生の車ではそこまでのアプローチが難しく、半ば諦めていたのであった。
しかし、4月12日(日)にそのコースにて鉢盛山に登った方の記録がヤマレコに載ったのを読み、 俄然このコースがクローズアップされてきたのである。現在はノーマルタイヤでのアプローチが可能であり、 この残雪期でもまだ登ることができ、しかもスキー場は 3月末にて今季の営業を終了しているとのことなので、 早速トライすることにしたのである。
心配は、前日、前々日に降った雨で、雪の上のトレースが消えてしまっているのではないか ということであるが、とにかく、 トライしたい気持ちの方が強く、思い切って出かけることにしたのだった。

朝の 3時に横浜の自宅を出発。横浜ICから東名高速道下り線に入り、 圏央道、中央自動車道を経て、岡谷JCTから長野自動車道へと進む。ナビの勧め通り松本ICにて高速道を下り、 国道158号線 (野麦街道) を上高地方面へと進む。
天候は予報通り晴れではあるが、気温が高いためか、北アルプスの山々は少し薄ボンヤリとしている。
梓川沿いを進み、梓湖手前の入山トンネル内にある分岐を左に進んで県道26号線 (ここも野麦街道) に入る。
梓湖沿いに山道を進んで行くと、やがて周囲に人家が現れ、その少し先で新野麦街道の方に入ることになるが、奈川中・小学校の横を過ぎていくと、 道は再び野麦街道に合流することになる。
やがて、野麦街道は寄合渡にて県道39号線 (直進) にバトンタッチされるが、その手前を左折して県道26号線をそのまま進み、 木曽福島方面へと向かう。
暫くすると、『 左 野麦峠スキー場 』 の標識が現れ、左手に 『 そばの里 奈川 』 の建物が現れるので、その手前を左折する。 そして暫く進めば、野麦峠スキー場である。
ヤマレコの記載に従って、第3駐車場に車を駐める。時刻は 6時24分。スキー場は今季の営業を終了しているので、 広い駐車場には小生の車のみである。

ところで、昨日の雨はこの辺では雪だったようで、県道26号線を進んでいると、 周囲の山々に樹氷が見られたのでビックリする。さらに県道26号線からスキー場に向かう道では、道路上に雪は無いものの、 道路脇の斜面が真っ白になっているのに驚かされる。
本日は新雪の山を登ることになってしまった訳で、ルートファインディング、歩行等に苦労させられるのでは との不安が生じる。 身支度を調え、6時31分にゲレンデへと向かう。
先日のヤマレコ掲載の写真では、草地も見えていたゲレンデだが、今は真っ白になっている。
雪のゲレンデを登っていく。帰宅後に調べると、ここはトレーニングバーンと呼ばれるゲレンデらしい。
足下の新雪はスタート時で 3センチ程度。草地の上に積もった雪を踏んで行く場合は良いが、残雪の上に新たに積もった雪の上を歩く場合は、 時々踏み抜いてしまう。
前方を見上げれば、ゲレンデの先の高みから太陽が顔を出し始めている。本日の天候はかなり良さそうである。

この後に続くゲレンデにも雪があることは間違いなく、 またゲレンデの斜度も急になることが予想されるため、途中で 10本爪アイゼンを装着する。本日はスノーシューも持参しているのだが、 急角度の斜面、しかも固い雪の上に数センチの新雪が積もっている状態では、スノーシューの出番はない。
高度を上げて振り返れば、乗鞍岳が姿を見せている。しかし、その山頂には雲が掛かっている。
やがて、乗鞍岳の右方に霞沢岳が見え始める。ここから見る霞沢岳は、その手前にある高みとペアになって双耳峰のようである。
嬉しいことに、登るに連れ、乗鞍岳に掛かっていた雲も徐々に取れ始め、大日岳、剣ヶ峰などがハッキリと見える様になる。 さらには、うっすらとではあるが乗鞍岳、霞沢岳以外の山も見え始めるようになり、霞沢岳の左後方には焼岳、 そして笠ヶ岳も確認できるようになる。
霞沢岳の右後方には前穂高岳らしき山が見えているが、その途中にあるはずの西穂高岳、奥穂高岳は全く見えない。

足下の雪は、高度を上げるに連れて増え始め、 場所によっては足首くらいまで潜る様になる。
トレーニングバーンを終えると、『 立て水の坂 』 と呼ばれるコースに入るが、コースの端を登ったところ、 結構な斜度と吹きだまりの様になった 新雪 + 残雪に少々苦しむようになる。
何とか登り切ると、次はパノラマゲレンデに入ることになり、ここはリフトの柱に沿って登っていく。この頃になると太陽が正面に位置し、 日の光が眩しい。
高度を上げていくと、やがて右手後方に御嶽が姿を現す。

パノラマゲレンデを終えると、本来は左に進むべきなのであるが、 まだまだ続くゲレンデの急斜面に嫌気がさして、つい右手の方に進んでしまう (どこを登っても大差ないと思っていた)。
こちらは両側の木々が迫っており、幅がかなり狭く、リフトの支柱が脇に立っているので、ゲレンデではないのであろう。 両側の木々には新雪が積もっていて美しい。
最初は緩やかだった登りも、やがて急斜面となる。足下の雪も 5 〜 10センチ程になり、少し煩わしい。
急坂を登って振り返れば乗鞍岳がよく見え、足下の斜面には小生の足跡だけがついている。なかなか気持ちが良い。
急坂を登り切ると、今度は左手の 『 峰の原ゲレンデ 』 に入ることになる。帰宅後、この峰の原ゲレンデの説明を見たところ、 「 広い一枚バーンの急斜面 」 とあった。確かに急斜面で、息が上がる。
この頃になると、風もやや強くなって昨日積もった雪を舞い上げる。後方を振り返れば、自分のつけた足跡のみが真っ白なゲレンデに残っていて嬉しくなる。 しかし、この登りは辛い。

息絶え絶えにて ようやくゲレンデの上に登り着いたが、まだ終わりでは無かった。
先程、パノラマゲレンデを登り終わった時に右に道をとったため、本来進むべきゲレンデトップよりかなり右に出てしまっている。 従って、登り着いた尾根を左方 (北東側) へと進まねばならない。この辺は雪が 20センチくらい積もっており、歩くのに苦労する。
すぐに前方右手上方に、ゲレンデトップのリフト施設が日の光に輝いているのが見えてくる。 しかし、そこに至る迄にはさらに登りがあることを知りガッカリする。
尾根を緩やかに登っていく。振り返れば御嶽がよく見えている。本日は剣ヶ峰付近にあまり噴煙は見られないようだ。
尾根を緩やかに登り、途中、チャンピオンコースへの下りを左に見て、ラビットコースと呼ばれる最後のゲレンデを登る。 かなり遠回りしてしまったようだ。
息を切らせながら斜面を登る。この辺は風が強いのであろう、ゲレンデに小さいながらも風紋が見られる。
そして、8時51分、ようやくゲレンデトップに到着。もうこの時点でかなりくたびれてしまっていて、先行きが心配になる。

ゲレンデトップにあった鐘の所には、標高 2,130mとの表示がある。 鉢盛山の標高は 2,446.6mなので、こうして尾根に登ってしまえば後は楽と思えるが、そう簡単では無い。
周囲を見渡せば、焼岳、笠ヶ岳、霞沢岳が先程よりもハッキリと見えており、乗鞍岳の右には十石山も見えている。
ゲレンデトップからは、さらに北側にあるエキスパートコースを下る。鉢盛山への取り付き口は、 このエキスパートコースが左に曲がって急斜面に変わる所にあるはずである。
緩やかな斜面を下っていくが、ここもかなり雪が多く、今後の山道が心配になる。

少し下っていくと、先の方に目指す鉢盛山が見えるようになる。 鉢盛山はその頂上にマイクロウェーブの反射板が見えるので分かりやすい。しかし、そのあまりの遠さに愕然とする。
しかも、直線距離でも遠く感じられるのに、登山ルートの方は雪で白くなった山々を越えて、左からグルッと回っていかねばならない。 これは途中撤退もありうると思いながら、先へと進む。
やがて、丸太の柱が何本も立っている山の取り付き口に到着。時刻は 8時56分。
吹きだまりとなって膝上まである新雪をかき分け、丸太の柱の間を抜けて尾根上に立つ。周囲は霧氷、そして登山道上には全く踏み跡はない。 ただ、ピンクテープがヒラヒラと風に舞い、少々臆し気味の小生を誘っている。
足下の新雪は 10センチ前後。吹きだまりでは 30センチ近くもあるが、一方で、数センチしかない場所もある。
しかし、その新雪の下には締まった残雪があり、小さなマウンドを越える時にはアイゼンの方が役に立つ。
従って、スノーシューに履き替えず、アイゼンのまま進むことにする。

新雪のため、雪の上に先達の足跡は全くなく、道を示唆する雪の上の凹みも見られない。
ピンクテープが一定間隔でつけられているので、これを頼りに進む。
基本的に尾根上を進めば良いので、視界が悪くならない限り道に迷うことはないはずである。上空には青空が広がり、 太陽が明るい日差しを降り注いでくれるので勇気を持って進むことができる。
道は最初下った後、緩やかな登りが始まる。その登りの途中でも小さなアップダウンを繰り返しながら高度を上げていくことになる。
途中、気持ちの良い尾根歩きが続くが、未知の山であり、さらには踏み跡も無いので、先行きの不安が先に立って、素直に喜べない。
やがて、霧氷状態の木々の向こうに、再び乗鞍岳が見えるようになる。そして、振り返れば御嶽も樹林越しに見えるようになる。 しかし、これら西側、南西側の山々とは違い、尾根の右側 (東側) の山はほとんど見えない。
本来は八ヶ岳や南アルプスなどが見えるのであろうが、春霞が掛かった様になっており、僅かに白い山容が確認できる程度である。

風は結構強く吹いているが、気温が高いので全く気にならない。
いや、問題と言えば、木に積もった昨日の雪が、風に煽られてパラパラと落ちてくることである。それも時々なら良いのだが、間断無く続くため、 首からぶら下げている一眼レフを守るのにちょっと大変である。
斜度はそれ程キツく無いのだが、一直線の登りが長く続くので身体に応える。
出発してから 3時間以上経っており、ここまでほとんど休憩無しである上、先程のキツいゲレンデの登りがあったため、疲れが出始める。 足の雪も結構 抵抗勢力となり、疲れを増幅させる。
息も絶え絶えになりながらも、ようやく高みに登り着いたのだが、期待に反してここは小鉢盛山に非ず。 小鉢盛山へは、この高みから一旦下って登り返す必要があり、そこまでの雪道が見えている。
また、ここからは樹林の間より鉢盛山が見えるのだが、まだまだ遠いことを再確認させられる。時刻は既に 10時4分。
さすがにバテてきたので、ここで休憩とする。

10時16分、出発。一旦下って登り返し、またまた小さなピークに登り着くが、 ここも小鉢盛山ではない。
尾根はこの辺から少し右へと曲り、一旦下っていく。この辺は樹林が少なくなり、雪の廊下が続く様になる。
右手を見れば、中央アルプスがボンヤリ見えている。
再び登り返すと、今度こそ小鉢盛山であった。シラビソの幹に、横向きになってしまった小さな標識が付けられている。時刻は 10時55分。 ここでは休まずに先へと進む。

小鉢盛山から少し下った後、また小さな高みを 2つほど越える。
この頃になると、右手樹林越しに鉢盛山が大きく見える様になってくるが、ここで失敗をしてしまった。
ピンクテープを頼りに進んでいたものの、必ずしもそのテープのソバを通らずに、歩き易いところを進んでいたため、 右手に鉢盛山があるにも拘わらず、勘違いをして真っ直ぐに下ってしまったのである。
ピンクテープは左側、そしてすぐに右側に付けられていたのだが、当然 テープを付けてくれた方の意図は、左側のテープが 『 No.1 』、 右側のテープが 『 No.2 』 の順番なのである。
しかし、いい加減な歩き方をしていた所為で、先に右側のテープが目に入ってしまったため、そのテープを 『 No.1 』 と思い込み、 その後に左側のテープの方へと進んでしまったのである。
そこから斜面を下ったのだが、テープが見つからない。暫く周囲を歩き回ったもののテープが全く見つからないので、 斜面を登り返して元の位置に戻ったところ、正規の順番に気づいたという次第。
ロス時間は 7、8分程であったが、精神的、肉体的に大変疲れてしまった。

正規の順番通り右に折れ、斜面を下る。 最初は緩やかな下りであったが、その後ドンドン急斜面を下ることになるので、この先に待っている鉢盛山への登りが大変憂鬱になる。
下り着いた後は暫く平坦な道が続く。この辺の新雪は 15センチ近いところもあり、体力を消耗させる (かといってラッセルでは無いが・・・)。
また、この辺になると、気温が上がったためであろう、木の上からは先程までの雪の塊に代わって、みぞれ状態のものや、完全に水になったものが落ちてくる様になる。 雨と同じ状況なので、カメラを守るのに苦労する。
平らだった道も、やがて徐々に勾配が出てくる様になり、その後、登りがズッと続く様になる。斜度はそれ程でも無いのだが、 疲れた身体にはこの登りはかなり厳しい。
少し進んでは立ち止まるという、疲れた時のパターンを繰り返しながら何とか登って行く。
やがて、雪の斜面の先、樹林の向こうに青空が見え始めたので、もうすぐ頂上かと喜んだのだが、 登り着いてみると樹林が少ない場所に登り着いただけで、先の方にはまだ斜面が続いている。ため息をつきながら登り続ける。
振り返れば、小鉢盛山が大きく見えている。帰りに、あの斜面を登り返さねばならないのか と思うとゾッとする。

この頃になると、空は少し薄曇りとなっており、 樹林越しに見える乗鞍岳方面にも再び雲がかかり始めている。
長く、キツく感じられた斜面も、傾斜が緩み始める。周囲にダケカンバが現れる様になった後、再びコメツガ、シラビソの樹林帯に入っていくと、 先の方に白い雪と空が見えている。
今度こそ頂上かと思いながら樹林帯を抜けると、目の前に雪のマウンドが現れ、そこを登ると鉢盛山頂上であった。時刻は 12時57分。 駐車場から 6時間26分を要したことになる。
最近、運動不足による体力の衰えを感じるが、新雪に苦労したことを考慮しても、やはり時間がかかり過ぎであろう。

周辺を見回すと、マイクロウェーブ反射板があるのみで頂上標識が見当たらない。
帰宅後に調べると、まさに今立っている雪のマウンドの下に三角点や祠があるようである。
考えたら、この山を正規に登る場合、先に述べた様に、雪の無い 6月下旬から 10月中旬までの期間限定となる。 従って、登山時期を考えると、高い標柱は不要ということなのであろう。
標柱探しを諦め、マイクロウェーブ反射板の方へと進む。ここからの展望は素晴らしいはずなのだが、残念ながら今は周囲に雲が多くなっており、 山々の展望は十分ではない。
乗鞍岳は山頂付近を雲に覆われ、大日岳から四ツ岳付近まで見えない状態である。御嶽も霞んでしまって見えない。

ただ、そんな中、焼岳は白く霞み気味ながらもその頂上を見せてくれており、 その右には霞沢岳の南にある 2,553m峰、そして霞沢岳が見え、霞沢岳の左後方には笠ヶ岳も見えている。
霞沢岳の右後方には、笠ヶ岳から続く抜戸岳が台形の姿を見せており、さらに抜戸岳の右手前から穂高連峰へと続く急斜面が始まっている。 ただ、西穂高岳、赤石岳、間ノ岳、天狗ノ頭までは見えるものの、その先、奥穂高岳から槍ヶ岳方面までは頂上部分が雲に覆われてしまっていて、 確認することができない。
しかし、面白いことに、さらに右側にある蝶ヶ岳、大滝山は見えており、その 2つの山の後方に常念岳も見えている。

せっかくの頂上なので休憩したいところであるが、頂上を吹き抜ける風は強く、 また風によってマイクロウェーブ反射板が不気味な音をさせているため、下る途中にて休憩することにする。
13時7分、下山開始。 『 まずそのタバコよくけそう 』 と書かれた、長野営林局の標識が掛かっている木の所から樹林帯に入る。 樹林を抜け出した所で、立ったまま暫し休憩し、行動食を口にする。
10分程休んで出発。自分の足跡を辿る。先の方には小鉢盛山が大きく構えており、さらにはその左にこれから辿る尾根が見えている。 この後に待っている登り返し、そして長い道程にため息が出る。
斜面を下り、平らな場所を進んだ後、小鉢盛山への登りに入る。思った通り、この斜面の登りは辛い。 さらには、この頃になると足下の雪も緩んでいるのだろう、油断して木のソバを通ると足を踏み抜くことが多くなり、体力を奪う。
ユックリながらも登り続け、小鉢盛山には 15時3分に戻り着く。少し下った所で 10分程休憩した後、往路を戻る。
雪のアップダウンに辟易しつつ、一方で雪庇の張り出しや、雪のミニ回廊に魅了されながら何とか進み続ける。

やがて、先に見える山の上にゲレンデトップのリフト施設が見えてくる。 その頂上まで登る必要はないとはいえ、ここに来て登りが待っているのが本当に辛い。
喘ぎ喘ぎしながらも何とか登り続け、山の取り付き口 (ゲレンデとの境) には 16時31分に戻り着く。 後はゲレンデの下りが待っているだけである。
少し休憩した後、エキスパートコースを下る。この辺は雪がなく、今朝ほどの雪は融けてしまったようだが、コースの下部には雪が残っている。 続いて雪がタップリ残っているチャンピオンコースに入り、急斜面を下る。
先の方には乗鞍岳が見えているが、その頂上付近は雲の中である。
チャンピオンコースが終わると、レストハウスがあったので、その階段に腰掛けて暫し休憩する。エネルギーを補給し、17時11分に出発。
太陽は乗鞍岳の左上方にあるが、薄い雲の膜が掛かっていて日差しはほとんど無い。朝方の快晴が嘘の様である。
続いて、今朝ほどのパノラマゲレンデ、立て水の坂を下る。今朝ほどは小生の足跡しか無かったゲレンデだが、今はもう一つ足跡がついている。 それにしても、今朝方はかなり遠回りをしてしまったようだ。
センターハウスには 17時40分に到着。その手前の雪が切れるところでアイゼンを外す。
トイレを借りた後、駐車場には 17時44分に戻り着く。

それにしても久々に 11時間を越える山行となってしまった。
体力が落ちている中、この長い距離、しかもそこに新雪が加わって、大変なアルバイトを強いられた山行となったが、 何とか無事帰って来られたことを喜びたい。
新雪にはビックリさせられたものの、ピンクテープのお陰で雪山を楽しむことができた。天候に感謝である。
そして、やはり初めての山は緊張感があり、楽しい。しかし、背中のスノーシューが重かった。


念願の杣添尾根  2015.4 記

3月26日(木)に大菩薩嶺近くの倉掛山に登ったばかりであるが、 天気予報では向こう 2週間ほど雨模様の日が続くとのことから、その中で数少ない快晴となりそうな 3月31日(火)に山に行くことにした。
行き先は八ヶ岳の横岳。ルートは杣添尾根 (そまぞえおね) のピストンである。
この杣添尾根は、かねてから残雪期に登ってみたいと思っていたルートであるが、ノーマルタイヤでは登山口までのアプローチがなかなか難しく、 ようやく道路の雪が無くなった今、チャンスが巡ってきたという次第である。

朝、4時過ぎに横浜の自宅を出発する。空には星が瞬いているが、若干雲も多い。
横浜ICから東名高速道下り線に乗り、圏央道経由にて中央高速道へと進む。途中、霧が発生し、さらには日影トンネルを抜けても、 南アルプスはよく見えず、少々先行きが心配になる。
しかし、甲府南ICに近づく頃には北岳、間ノ岳もよく見えるようになり、やがて甲斐駒ヶ岳もハッキリと見えてくる。
しかしである、肝心の八ヶ岳が全く見えない。韮崎ICを過ぎ、八ヶ岳連峰を紹介する標示板の横を過ぎても、先の方はベールに包まれたような状態で、 八ヶ岳の影も形も無いのである。
本日はどうなってしまうのだろうと思いながら、長坂ICで高速を下りる。

県道32号線を東に進み、五町田交差点で左折して県道28号線に入る。 暫く道なりに進み、清里トンネル東の丁字路を左折して国道141号線を北上する。この間、八ヶ岳は全く見えず、雲が山を覆ってしまっている。
野辺山駅を過ぎ、カーディラーを左に見た後、左手に 『 ← 八ヶ岳高原ロッジ 』 の看板を見てそこを左折する。
すぐに一時停止のある十字路を左折。上空には青空が広がっているが、前方に見えるはずの八ヶ岳は雲の中である。
ため息をつきながら車を進めていくと、何と 前方の雲が右の方から流れ始め、硫黄岳、横岳方面が姿を現そうとしているではないか。 これで少し希望が湧いてくる。さらに雲が消えていくことを祈りながら車を進める。

やがて、八ヶ岳高原海ノ口自然郷の入口となり、石畳のような道を進む。
八ヶ岳高原ロッジを右に見て、そのすぐ先で左への道に入る。この辺は別荘地帯。雪も多く残っており、道の左右には除雪した雪が積まれている。 但し、路面凍結は無い。
やがて丁字路にぶつかるので、そこを右折すると、道の左側、積まれた雪の中に登山ポストが立っており、 そのすぐ先の右側に雪に囲まれた駐車スペースが現れる。時刻は 6時29分。

身支度を調えた後、一旦登山ポストに向かい、登山届を投函する。
正規の登山道は、この登山ポストの所から林の中に入っていくのだが、雪が多そうなので車の所へ戻り、 駐車スペースの向かい側から登山道と平行するように出ている車道を進む。時刻は 6時38分。
左への脇道を 1本見た後、丁字路にぶつかる。一応左に曲がって登山道の続きはないかと探してみたが見つからない。 仕方無く、丁字路に戻って少し右方に進むと、すぐに今までと同じ方向に延びている、雪が沢山残っている道が見つかったのでそちらに入る。
雪の車道を暫く進むと、再び丁字路にぶつかって雪の無い車道に出ることになり、そこを左に進む。2本ほど左への脇道を見た後、 前方の樹林の向こうに横岳方面が見えてくる。
やがて、左に 3本目の脇道が現れたのでそちらを見ると、少し入った所に登山道の入口が見えている。ようやく正規の道に合流である。 時刻は 6時51分。噂通り、この別荘地は込み入っていて分かりにくい。

林に入り、別荘脇を進んで行く。雪は多く、 そこかしこに踏み抜いた穴が残っている。穴は踏み跡の左右に多いので、踏み跡を外さないように進む。 駐車場出発時、車載の温度計は 2℃。日中は暖かくなるようなので、帰りが心配である。
標識に従って進んで行くと、やがて樹林を抜け、少し登って北沢の流れが見える場所に出る。時刻は 7時1分。
ここからは横岳方面がよく見え、白い峰が後方の青い空に映えている。テンションがグッと上がる。いつの間にか天候は回復したようで、 横岳周辺に全く雲は見えない。
ここで道が 2つに分かれる。雪に覆われた遊歩道のような道と、沢沿いを進む山道らしき道に分かれるのだが、山道の方は雪がなかったので、 雪の上に足跡が残る遊歩道を進むことにする。
ここで今後のことを考え、10本爪アイゼンを装着する。7時11分に出発。

朝の寒さで固い雪の上を進んでいくと、やがて雪の林道にぶつかり、 そこを標識に従って左折する。
すぐに橋が見え、その後方には日の光に輝く横岳が見えている。
橋を渡ると右に東屋が現れ、道は東屋の前にある池の縁を回って右手の山に取り付くことになる。標識は樹林の横に置かれていたのだが、 そこからは入らずに、その右横にある林道のような道を進む。すぐに右側に樹林帯への入口が現れ、そこから長い樹林の中の登りが始まる。
シラビソの林を進む。すぐに小さな流れを渡ることになり、そこから急登となる。しかしその急登も長くは続かず、道は緩やかな勾配となる。 そして、その後、急登、緩やかな登りといったパターンが続き、高度を上げていくことになる。
展望は全くと言って良い程無く、雪の上を黙々と登っていくのみである。
足下には踏み抜き跡が所々に見られるが、雪は締まっており、今のところ踏み抜きの心配は無い。 また、雪の上の踏み跡は明瞭で、しかも頻繁に赤テープがあるので迷うことは無い。

展望の無い登りが続く中、左手樹林越しに金峰山がチラリと見える。 しかし、その後は再び展望の無い登りが続く。
やがて、尾根がかなり狭くなり、先の方の樹林の間から青空が垣間見えるようになったので、樹林を抜け出せるとの期待感を抱かせるが、 その高い所に登り着くと、さらに先に道が続いているというパターンが連続する。
さらには、尾根もいつの間にか広くなっている。まだまだ先は長い様である。
時々の急登に息を切らせつつ登っていくが、いくら登っても開けた場所には出ず、少しずつ疲れが増してくる。
なお、樹林帯の中は日の光が差し込んで明るく、上を見上げれば青空が覗いている。今朝のことを考えれば、奇跡とも思える回復状況であり、 早く樹林を抜けて展望を得たいという気持ちが強くなる。

やがて、樹林の密度も少しずつ疎になり始め、左手樹林越しに富士山が見える様になる。 さらには再び金峰山が見えた後、右手樹林越しに浅間山も確認できるようになる。
しかし、いずれも木々が邪魔をして完全に見通せる状況にはなく、もう少し高度を上げていく必要がありそうである。
少し進むと、樹林が一旦切れて、頂上にダケカンバが 1本立っている雪のマウンドが現れる。このマウンドに立つと、 富士山が完全に見通せる様になり、その手前には茅ヶ岳が見え、さらには金峰山、北奥千丈岳・国師ヶ岳方面、そしてその手前に横尾山、 川上村がスッキリと見えるようになり、少し元気を貰う。
マウンドを越えて再び樹林帯に入ると、すぐにまた展望の良い場所に出るが、まだまだ先には樹林帯が待っている。
再び展望の無い登りを続けると、左手樹林越しに赤岳の姿が見える様になる。木が邪魔をしてまだ全体を見ることはできないものの、 青空をバックにしたその白き姿は心惹かれるものがある。天候は完全に回復した様である。

再び樹林帯を抜けると、周囲に枯れ木が林立する場所に飛び出す。時刻は 9時9分。
ここからは南アルプスが見える様になる。南の方角に辻山が見え、右に鳳凰三山、高嶺が続くが、さらにその右に農鳥岳が見えているのには驚かされる。 農鳥岳の右には西農鳥岳が続き、さらに間ノ岳、北岳が続く。しかし、その後は三ツ頭と思しき高みに遮られて見えない。
奥秩父の山々も見える範囲がグッと広がり、金峰山、国師ヶ岳の左に木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山などの山々が見えている。 その手前には横尾山、そしてその左に高登谷山も見えている。
そして、東の方角には御座山も見える。無論、富士山も良く見え、反対側の浅間山もよく見える様になる。
この辺からは木々も疎らになり、雪の尾根道が真っ直ぐ続く。但し、尾根の両側は樹林にとなっており、幅広い展望とはいかない。 しかし、その斜面の先には青空が見えている。

雪の急斜面を登る。振り返れば、御座山の右後方には、 先程まで木々が邪魔で見えなかった両神山が見えている。
高度を上げるに連れて展望が広がり、北東の方向には、ややボヤッとしているものの日光の奥白根山や太郎山が見え、 奥白根山の左側には少し間を空けて武尊山、至仏山、平ヶ岳も見えている。
やがて、周囲の木々は無くなり、目の前には雪の高みがあるのみとなる。その後方には青空が広がっていて、 そこに登り着けば展望が大きく広がることを期待させる。
そして 9時33分、その雪の高みに登り着くと、予想通り大きく展望が開けたのだった。まず目の前にはこれから目指す三叉峰 (さんしゃほう) がデンと構えており、 その右には無名峰、そして横岳 (奥ノ院) が見えている。
三叉峰の左には石尊峰があり、そこからグッと下った稜線は赤岳に向かって再び急激に登っている。赤岳頂上には頂上山荘も見えている。
それにしても、赤岳の東側、頂上直下はまさに垂直の壁である。実際はそこに県界尾根ルートがあるのだから垂直ということはないのだろうが、 下から見上げている所為もあって、とても人が登れる様には思えない。

再び目を三叉峰へと戻すと、これから辿らねばならないルートがハッキリ見えている。
まずは目の前の雪の尾根を登って小さなマウンドを越える必要があるが、その後も雪の尾根がずっと三叉峰へと向かって続いている。 そして、途中からハイマツ帯に入るが、その中を縫う様にして雪道がつけられており、最後に雪のない三叉峰の岩峰が待っている。 まだまだ先は長い。
この高みにて少し休憩しながら周囲を見渡す。赤岳の左奥には三ツ頭が見えており、その後方には南アルプスが見えている。 赤岳の左斜面後方に北岳が見え、その左に間ノ岳、そして西農鳥岳、農鳥岳の白根三山が続く。
但し、北側から見ているので、先日 三窪高原から見た白根三山とは全く違った形体である (先日は東側から見た)。
白根三山の左には高嶺、そして鳳凰三山、辻山が続いている。南アルプスの左には毛無山、雨ヶ岳が霞の中に浮かび、 その左に富士山が美しい姿を見せている。富士山の手前に並ぶ御坂山塊は霞の中でうっすらとしか見えない。
また、富士山の左手前には茅ヶ岳が見えている。

富士山の左には、少し間を空けて奥秩父の山々がズラリと並んでおり、 金峰山、朝日岳、北奥千丈岳、国師ヶ岳といった山々が続き、さらには小川山を左手前に挟んで、木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山といった山々が続いている。
そこから左に大きく目を移動させれば、東北東の方向に御座山が見えており、その御座山に至る迄の稜線の後方には武甲山、両神山も確認できる。 そして御座山の左には、霞み気味ながら男体山、太郎山、奥白根山などの日光の山々が見え、さらに左方に武尊山、至仏山、平ヶ岳などの山々も見えている。
その左に上越の山々が続いた後、浅間山が見え、すこし間を空けて四阿山、根子岳が見えている。
素晴らしい展望に時を忘れて見入ってしまうが、先程述べた様に、まだ先は長い。

目の前の雪のマウンドを越え、少し下ると三叉峰へのキツい登りが始まる。 吹く風は優しく、汗ばむ身体に心地よい。
雪の上の踏み跡を辿りつつ、高度を上げていく。既に出発してから 3時間以上経過しており、大休止したいところであるが、 雪の尾根道では適当な場所も無く、喘ぎながらも登り続ける。
少し登っては立ち止まるというパターンが続くが、その度に周囲の景色を写真に納めてしまう。
道はようやくハイマツ帯の中を進む様になる。斜面が急角度のため、今まで先の方に見えていた三叉峰の岩峰が見えなくなっている。 振り返れば、かなりの高度感にビックリする。
ハイマツの中をジグザグに進む。ここでも少し登っては休み、写真を撮るというパターンが続く。
やがて、周囲のハイマツの量が増え、雪道の先に青空が見えるようになる。そして、その斜面の先に登り着くと、 目の前に三叉峰の岩峰とその手前にある標識が現れる。もっと登り続けなければならないと思っていただけに、これは嬉しい。
右手を見れば、妙高山、火打山、焼山、そしてその左に高妻山が見えている。先日美ヶ原から見た順番とは異なっているので、 先程の南アルプスと同様、少々戸惑う。

そして、ハイマツと雪の斜面をさらに登り続け、10時34分、 標識の立つ杣添尾根分岐点に到着。
呼吸を整えつつ右手前方を見ると、いきなり鹿島槍ヶ岳、五竜岳の姿が目に飛び込んでくる。さらには、その左に剱岳、立山も見えてくるなど、 先日の美ヶ原ではぼやけ気味だった北アルプスの山々が、大変ハッキリ見える様になる。
これには興奮。さらに良い展望を得ようと、目の前の三叉峰に登る。
三叉峰からの展望は抜群で、まず南側を向けば、すぐ目の前に赤岳が見え、その右に本日初の対面となる中岳、阿弥陀岳が続いている。 この赤岳と阿弥陀岳を結ぶ稜線の後方には、ギボシ、編笠山が見えており、そのさらに後方に南アルプスの山々が並んでいる。
先程までは辻山から北岳までだったが、今は逆に北岳・間ノ岳より左側の山々は赤岳に隠れ、その代わりに北岳の右にアサヨ峰、栗沢山、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、 鋸岳が見えている。

阿弥陀岳の右後方には、こちらも本日初めてとなる中央アルプスが並んでいる。 分かる範囲で、左から南越百山、越百山、仙涯嶺、南駒ヶ岳、空木岳と続き、木曽殿越を挟んでさらに東川岳、熊沢岳、檜尾岳、濁沢大峰、島田娘が続く。
さらに宝剣岳が続くのだが、肉眼では確認できない。そして稜線は中岳を経て、木曽駒ヶ岳へと至っている。
木曽駒ヶ岳の手前には将棊頭山、その右に茶臼山が見える。また、熊沢岳の下方手前には入笠山が見えている。
茶臼山のさらに右には大棚入山、小秀山、そして経ヶ岳が続き、経ヶ岳の右後方には御嶽が見えている。やはり、剣ヶ峰付近には噴煙が立ち上っている。
御嶽の右方には乗鞍岳が見え、その左斜面後方にうっすらとではあるが、白山を確認することができる。
乗鞍岳の右には十石山、そして霞沢岳が見えている。この辺になると先日の美ヶ原から見た光景の再現となる。無論、本日の方がずっとよく見える。
そして、さらに右に西穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳と続く穂高連峰が現れ、大キレットを挟んだ後、 南岳、中岳、大喰岳と 3,000m級の稜線が続いて槍ヶ岳に至っている。

しかし、北アルプスはこれで終わりではない。 槍ヶ岳の右に三角形をした常念岳が見え、その右後方には鷲羽岳も見えている。さらに右には、主要な山だけでも大天井岳、水晶岳 (黒岳)、 燕岳などが確認できる (無論、尾根続きでは無く、視覚上続いて見えるだけであるが・・・)。 また、その稜線の下方には鉢伏山、霧ヶ峰が見えている。
そして燕岳のさらに右側、北西の方角には立山 (雄山、大汝山、富士ノ折立) がお馴染みの台形を見せており、 その右に少々見えにくいものの、針ノ木岳、蓮華岳が続いて、その後方に剱岳も見えている。
そして爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳と続いた後、天狗ノ頭を挟んで白馬三山 (白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)、乗鞍岳へと繋がっている。 また、爺ヶ岳の左手前下方には、台地状の美ヶ原が広がっている。

なお、北アルプスはその先で目の前の無名峰、奥ノ院に遮られるが、 奥ノ院の右手から高妻山、焼山、火打山、妙高山といった山々が続いている。
その頸城山塊のさらに右には、少し間を置いて根子岳、四阿山が見え、また少し間を空けて浅間山が見えている。
浅間山の右後方には白砂山が見え、さらに右に越後方面の山々、そして平ヶ岳、至仏山、武尊山が見えている。
武尊山の右手には奥白根山を初めとする日光の山々が続き、さらにその右手前から御座山、両神山といった奥秩父の山々が始まり、 金峰山までグルリと繋がっている。
金峰山の後方には大菩薩嶺、小金沢連嶺が連なっており、その右後方には丹沢山塊が見えている。 丹沢山塊の右には、間に御正体山を挟んで、三ツ峠山から始まる御坂山塊が富士山の前に連なっている。
ここからの富士山も素晴らしく、靄の上に浮かぶ姿はカメラを何回も向けずにいられない。
富士山の右下には毛無山などの天子山地が続き、その右方に櫛形山、そしてその手前から辻山などの南アルプスが始まっている。 そして赤岳が目の前に大きい。この 360度の大展望に、登りの疲れも吹き飛ぶ。

食事をした後、10時54分、奥ノ院へと向かう。 ストックのままでも問題ないと思われたが、稜線上であることを考え、ピッケルに持ち帰る。
一旦、三叉峰からグッと下り、無名峰との間の鞍部を進む。この辺には全く雪が無く、岩ザクの道となる。すぐに登りとなり、 できるだけ雪を踏む様にしながら高度を上げていく。最後は雪の斜面となって無名峰に到着。
ここからは再び岩場を下り、岩ザクの鞍部を通過した後、雪の斜面を登ることになる。 雪の斜面を少し登ると鉄梯子が現れ、その後再び雪の斜面を短く進む。短い鉄梯子がもう 1つ現れ、そこを登ると奥ノ院であった。時刻は 11時9分。
ここまで危険な箇所は無いが、右手の杣添川北沢へと落ち込む斜面は急であり、高度感を十分に感じさせてくれる。

ここからは、三叉峰では見えなかった蓼科山、北横岳が見える他、 硫黄岳の広々とした頂上、そしてジョウゴ沢火口を見ることができる。また、山頂西側下方には大同心、小同心が鎌首をもたげた様に空中に突き出ているのが見える。
赤岳の方を振り返れば、三叉峰では見えなかった権現岳が、赤岳の右後方、先程のギボシの左に見えている。
その後方の南アルプスでは、間ノ岳より左の西農鳥岳、農鳥岳、高嶺、鳳凰三山 地蔵岳まで見える様になっている。
足下を見れば、もう春なのであろう、雪解け水の水溜まりでイワヒバリがしきりに水浴びをしている。

11時17分、三叉峰方面へと戻る。杣添尾根の分岐を 11時30分に通過し、 今度は石尊峰を目指す。
こちら側は雪の無い岩場が続く。岩場を通過後、鉄梯子を下り、雪の斜面を斜めに登って、小さな高みを巻いて進めば、やがて石尊峰の頂上であった。 時刻は 11時38分。ここには 『 大権現 』 と彫られた石碑が置かれている。
ここからは赤岳が目の前に大きい。こうなると、このまま赤岳まで進みたくなるが、 その急角度の稜線を見ると、やはり怯んでしまう。往復というのも億劫で、ここは体力も考え、無理せずに戻ることにする。

周囲の展望を楽しんだ後、11時56分に下山開始。 杣添尾根分岐まで戻り、尾根を下る。
高度感ある尾根道下りはなかなか楽しい。雪はそれ程緩んではおらず、踏み抜くこと無く下り続けることができる。雪の斜面を下りながら、 何度も足を止めて周囲の写真を撮りまくる。この素晴らしい光景、素晴らしい天候に感謝である。
ありがたいことに、懸念していた踏み抜きも無く樹林帯を下ることができ、東屋のある場所には 13時37分に戻り着く。
東屋の前にある池の畔で 5分程休憩した後、辿ってきた道を戻る。アイゼンを履いたまま樹林帯を進み、今朝ほどの登山口には 13時59分に戻り着く。
ここでアイゼンを外し、車道を戻る。そして、駐車場所には 14時9分に戻り着いたのだった。

本日は、念願であった残雪期の杣添尾根を登ることができ、 しかも好天に恵まれて素晴らしい景色を堪能でき、本当に楽しい 1日であった。
朝方は天候にヤキモキさせられただけに、素晴らしい展望に対する喜びは一入であった。いつもこのような日に登れたら幸せなのだが。


意外と楽しめた残雪の倉掛山 (初めて登る山はやはり良い)  2015.3 記

このところ、既に登ったことのある山への登山が続いており、 今年に限って言えば、初めて登った山は武甲山のみという状況である。一応、既に登ったことのある山の場合には、 できるだけ初めてのルートを選ぶよう心懸け、それなりに登山を楽しんではいるものの、 登り着いた場所が既に見知った場所ということになると、やはりあまり刺激的では無い。
ということで、ヤマレコなどを見て、武甲山に続く初めてとなる山を物色していたところ、先日、倉掛山の登山記録が掲載され、 なかなか面白そうなコンディションなので早速出かけることにした。

この倉掛山は大菩薩嶺の北西にある柳沢峠を起点としており、 その途中にある三窪高原 (みくぼこうげん) も含めてその存在は知っていたものの、山には大変失礼だが、 無雪期に登る山としてはあまり魅力を感じていなかったのである。
ただ、積雪期には三窪高原を中心にスノーシューが楽しめるとのことで、冬場には登山対象として時折 頭に浮かんではいた山でもあるのだが、 スノーシューを楽しめる時期には、小生の車ではアプローチが難しい可能性が高く、結局、微妙な位置づけにあったというのが実際のところである。
今回のヤマレコの登山記録を読むと、残雪の尾根道がなかなか魅力的であり、しかも、柳沢峠の駐車場もノーマルタイヤで問題ない (最近まで雪に覆われていた) とのことなので、 飛びついた次第である。

3月26日(木)、4時50分に横浜の自宅を出発する。空には星が瞬き、 本日は良い天気になりそうである。
いつも通り、横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTからは圏央道へと進んで、さらに八王子JCTにて中央自動車道に入る。 笹子トンネル、日影トンネルを抜けると白き南アルプスの山々が綺麗に見え、本日の晴天を確信する。
勝沼ICにて高速道を下りた後、ナビはフルーツライン経由にて国道411号線に入る道を案内していたのだが、狭い道があった記憶があるため、 ここは先日の大菩薩嶺登山と同様、等々力から国道411号線に入るルートを取る。
大菩薩嶺の登山口である裂石を過ぎ、山の中へと入っていく。ジグザグに山道を登っていくのだが、昔に比べてこの国道411号線もかなり改良されて走りやすくなっており、 スムーズである。
なお、本日は暖かくなるとの予報であるが、朝方の気温は低く、車載の温度計はドンドン数値を下げ、柳沢峠の駐車場に着いた時にはマイナス 6℃を示していた。 これならば雪は締まっているに違いなく、登山には好都合である。

身支度を調え、6時49分に駐車場を出発する。ここは黒川鶏冠山への登山口でもあるので、 週末は登山者で賑わうことが予想されるのだが、本日は平日のためか、駐車場には小生の車のみである。
駐車場 奥の階段を昇る。駐車場には雪は無いが、この階段周辺には凍結した雪が残っている。階段を昇り終えると舗装された林道に飛び出すとともに、 すぐに三窪高原への取り付き口が現れる。丸太の階段が付けられた斜面を登っていくと、再び先程の林道に合流することになるのだが、 この辺りでは道が完全に雪に覆われている。
標識に従って左に道を取り暫く進むと、また 『 三窪高原 → 』 の標識が現れ、ここから山道に入る。時刻は 6時53分。
ササの中の緩やかな斜面を進む。雪は時々現れる程度で良く踏まれた道が続く。平らなカラマツ林を抜け、やがて道は斜面を横切るようにして高度を上げていく。 但し、傾斜は緩やかで、暫くは朝日を浴びての気持ちの良い登りが続く。
やがて、足下に頻繁に雪が現れるようになるが、雪は締まっており、歩き易い。

雪がなくなり、落ち葉の道を登っていくようになると、右手に丸太の階段が現れる。 そこを昇っていくと細く平らな尾根道となり、すぐに三角点ならびに標識のある小さな広場に飛び出す。柳沢ノ頭である。到着時刻は 7時21分。
ここからの展望は素晴らしく、南の方角には、遮るもの無く富士山が見えており、富士山の手前下方には御坂山塊の連なりが見えている。
そして、西の方角には南アルプスの山々がズラリと並んでいるのが見える。周囲を取り囲む木々により、全部を一度に見通すことは難しいものの、 場所をこまめに移動することで南アルプスの主要な山々をほぼ見ることができる。
一番右に鋸岳が見え、その左に甲斐駒ヶ岳が続く。甲斐駒ヶ岳の左にはアサヨ峰が続き、その左後方には真っ白な仙丈ヶ岳が見えている。 仙丈ヶ岳の左には鳳凰三山が続き、その中の 1つである薬師岳の斜面が左へと下る後方には、これまた真っ白な北岳が姿を見せている。
そして、北岳の左には同じく真っ白な間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳が続いている。残念ながら、さらに左の塩見岳は木々が邪魔をして見えないものの、 塩見岳の左にある悪沢岳、赤石岳、聖岳の方はその白い頂を見せてくれている。
いずれもその背景には雲一つ無い青空が広がっており、先日の美ヶ原での展望が今一つだっただけに、この光景に大いに満足する。

柳沢ノ頭からさらに先に進もうと下り斜面に向かったところ、 こちら側は全面が雪に覆われており、しかも結構 急斜面に見えたため、安全を考えてチェーンスパイクを履くことにする。7時32分、改めて出発。
下り斜面に入ると、今度は羽を大きく広げたような北奥千丈岳、国師ヶ岳の姿が目に入る。その左斜面後方には金峰山の白い頂が少し顔を覗かせており、 金峰山のシンボルである五丈岩も確認することができる。
雪の斜面を下りた後も、暫くは雪の道が続いたものの、途中で雪は無くなり、落ち葉の道へと変わる。
本来であればチェーンスパイクを脱ぐべきであるが、チェーンスパイクは歯が小さいため、落ち葉の道を歩いても道に与えるインパクトは小さかろう などと自分の都合の良いように考え、 チェーンスパイクを履いたまま進むことにする。
無論、木の根がある場合は、踏まないように避けて通るのは言うまでも無い。
やがて再び丸太の階段を昇り、雪と土が交互に現れる道を進んで小さな高みを越えていくと、その下りは全面 雪の斜面となる。 雪の上には踏み抜いた跡が残っているものの、本日は雪が締まっていて踏み抜くことは無く、安心して進むことができる。 チェーンスパイクも効力を十分に発揮してくれている。

下り着いた所には東屋があり、その前にある広場を 『 ← ハンゼノ頭 』 の方向を示す標識に従って横切っていく。 すぐにまた丸太の階段の昇りとなるが、この辺は雪が全くない。
登り着いた所がハンゼノ頭で、小広い山頂には雪が少々残っている。時刻は 7時49分。
ここは先程の柳沢ノ頭よりもさらに開けており、展望が本当に素晴らしい。 木々などによって途中で分断されること無く南アルプスの山々を見渡すことができ、先程は見ることができなかった塩見岳、蝙蝠岳も見えている。
さらには、聖岳の左に上河内岳も少し顔を見せているのが確認できる。上河内岳の左には笊ヶ岳、布引山なども見ることができ、 さらに青薙山、大無間山、七面山も確認できる。
富士山もよく見え、その下方には先にも述べた御坂山塊が並び、三ツ峠山、黒岳が目立っている。御坂山塊の右には毛無山など天子山地が続いている。
無論、富士山とは反対側にある奥秩父の山々も良く見えており、先程 柳沢ノ頭から見えた北奥千丈岳・国師ヶ岳、金峰山に加え、 富士見、水師、甲武信ヶ岳、木賊山、破風山、水晶山、古礼山、笠取山、唐松尾山、飛竜山などといった奥秩父の主脈を見渡すことができる。
さらに、目を東 〜 南の方向に向ければ、目の前に黒川鶏冠山、大菩薩嶺が見えている。なお、雲取山は残念ながら石尾根しか見えていない。

快晴の下、素晴らしい景色を堪能した後、7時56分、先へと進む。
まずは先の方に見えている無線中継所を目指す。ここの下りも雪、そしてその後 暫く雪の道が続く。
やがて東屋、トイレのある場所を通過する。先程のハンゼノ頭、そしてこの東屋付近が三窪高原の中心部のようである。
この三窪高原はレンゲツツジの群生地として知られており、10万株のレンゲツツジが群生しているとのこと。6月中旬が見頃らしいが、 そういう意味では、この辺まではハイキングコースといった雰囲気である。
道標に従って無線中継所への道を登り、無線中継所に立ち寄って鉄塔を見上げた後、板橋峠を目指して進む。
道は無線中継所の立つ高みの下を横切った後、数回の小さなアップダウンを繰り返しながら進んで行く。
雪は現れたり消えたりの状態であるが、北側斜面を下る時には結構な量の雪となる。
富士山が望める、簡易ベンチのある休憩場所を左に見て、開けた雪の原を進む。雪の上に三角点を示す国土地理院の白い棒が立っていたので、 ここが地図上の 1,673.1m地点であろう。

やがて、広々とした防火帯 (と思う) を進むようになり、小さな高みに登り着くが、 この高みは藤谷ノ頭だと思われる。
この高みからは、防火帯の急斜面を下ることになる。斜面は雪に覆われており、人の足跡は風などで消えてしまったのか、全く見えない。
もしかしたら間違ったルートを進んでいるのかもしれないと思ったものの、この高みを下りることは間違いないので、そのまま下り続ける。 但し、安全を考え、雪の急斜面をジグザグに下る。恐怖心はないが、やはり滑落したら下まで滑り落ちてしまうので、慎重に進む。
斜面途中にて先の方を見ると、斜面を下った先に メガソーラーの施設が見えている。
何とか斜面を下りきり、さらに雪の上を進んで行くと、やがて柳沢峠からの林道に合流する。そこから少し進めば、先程斜面から見えた メガソーラー設備のある板橋峠であった。 時刻は 8時51分。

ここからは右に道を取り、木の柵をすり抜けて進むことになる。木の柵の傍らには、 『 東京水道水源林 』 と刻まれた標柱が立っている。木の柵からは、斜面を登るのか、右下の林道らしき道を進むのか迷ってしまうが (道標は無い)、 結果的にはどちらを進んでもすぐに合流することになる。
林道のような道を進み、ササの斜面を緩やかに登っていく。斜面を進む道と合流した後は、土手のような道が続くようになる。 つまり、ここも防火帯になっているようで、尾根の一方を削るようにして土手のようになった道が続いている。
先程の木の柵を過ぎてからは、今まで三窪高原内で多く見られた親切かつ立派な標識は一切見られなくなり、ようやく山道に入ったという気にさせられる。

道の右側は斜面となって切れ落ちており (それ程急では無い)、 左側は林という形で進むのだが、林の中にピンクテープが頻繁に見られるようになる。
従って、登山道は林の中かと思ってしまうが、林の中は道という状況では無い。また、時折、東京都水道局が立てた林班界標が現れ、 そこには今歩いている部分が 『 都有地 』、林班界標より左側は 『 私有地 』 と記されているので、林の中は私有地となり、 やはり登山道では無いと思われる。
雪は時々現れるものの、その量は少ない。しかし、倉掛山中継局の小さな施設を過ぎると、雪の量がグッと増えるようになる。
高度を上げて振り返れば、大菩薩嶺、そして小金沢連嶺が見える。逆光状態なのが残念である。

雪のアップダウンが続く。雪は道を隠し、斜面に沿って斜めになっているので、 そこを横切るべく慎重に進まねばならない場所も所々に出てくるのだが、総じて良く締まっているので、チェーンスパイクで十分対応可能である。
やがて、緩やかだった道に最初のキツい登りが現れる。斜面に雪は無いが、土の道は泥濘んだ所が多く、歩きにくい。
登り着いて振り返れば、越えてきた山々に隠されて見えなかった富士山が、今はよく見えている。
なお、斜面途中、右手の雪の上に先程と同じ国土地理院の白い標柱が立っていた。三角点があるとしても雪の下で確認できないが、 後で国土地理院の地図を見ると、ルート途中に 1,700.1mの三角点が記されているので、ここがその場所のようである。
再び緩やかな登りに変わると、先の方に地上デジタル放送受信設備が現れる。この辺は全く雪が無い。受信設備を過ぎ、さらに緩やかに登っていくと、 その先から再び雪の道が続くようになる。
先と同じく、斜面を雪が覆っているので、雪が斜めになっており、少々歩きにくい。恐らくヤマレコに登山記録をアップされた方の足跡と思われるものが雪の上に残っており、 それを参考にしながらルート取りを行う。時々、左手の林から伸びる木々が邪魔をする。

やがて、先の方に目指す倉掛山が見えてくる。これと言った特徴のある山容では無いのだが、 ヤマレコに掲載されていた写真で特定できた次第。感謝である。
しかし、そこまではまだ結構距離がある。しかも、一旦下った後、また緩やかに登り返し、そこからまた下ってから倉掛山と同じくらいの高さを持つ高みを越え、 最後に倉掛山の登りが待っているという状況が見て取れる。少々大変そうなのでため息が出る。
時刻は 9時38分になっており、腹も減ってきているので、本来であれば休憩すべきなのだが、あまり適した休憩地が見つからず、 そのまま進むことにする。
道は先程見たとおり、雪の斜面を下り、その後 小さなコブを 2つほど越える。この辺からは飛竜山方面がよく見える。
雪の方はまだ締まっているので問題ないが、気温はかなり上がって来ていることから、帰りの雪道が心配になる。
2つ目のコブにおける雪の斜面を下ると、先に述べた倉掛山の前衛峰が目の前に現れる。ここの登りも厳しそうであるが、斜面に雪は無い。 これが良いのか悪いのか・・・。

少し登った時、鹿の無く声がしたので見上げると、 この前衛峰の頂上部分を鹿の群れが通過している。斜面に鹿の糞も多く見られるので、この辺は鹿の天国なのかも知れない。
一方、ここの登りは、疲れてきた身体にはかなり応える。息を切らせつつ登り、途中で振り返れば、無線中継所の鉄塔を有する高み、 そして雪の急斜面を有していた藤谷ノ頭など、越えてきた山々が見え、その後方に富士山が見えている。
青い空に浮かぶ富士山は、疲れを癒やしてくれるから不思議である。
何とか登り着くと、ここからは雪の尾根が続く。雪の量はかなりあるが、締まっているので全く足を取られることが無い。
見上げれば、倉掛山が見えている。ここから一旦下った後、登り返すということになるのだが、低い山々とは言え、 この障害物競走のような縦走路はかなり疲れさせてくれる。

気持ちの良い雪の尾根を左に曲がりながら進み、そこから斜面を下った後、 今度は右に曲がって、倉掛山への登りに取りかかる。この斜面は先程までの登りと違って、雪が斜面途中に点在している。
また、右下を見れば、林の中に岩がゴロゴロしている。
ここでも滑り易い斜面に苦労しつつ、息を切らせながら登り続ける。斜面は 3段階に分かれており、ずっと登り詰めではないのがありがたい。
そして、最後は雪を踏みしめながら、頂上の一角に到着。時刻は 10時16分。
ヤマレコの方は 3時間ほどで登り着いているが、小生は 3時間半ほど。まあ今の実力ではこんなものであろう。
頂上の一角には枯れ木があり、その根元に手作りの標識が半分ほど雪に埋まった状態となっている。周囲を見わたすと、左手(西)の方が高いのでそちらに進んでみる。
細い尾根の樹林帯の中に三角点があり (雪の下だったので三角点は見えなかったが、国土地理院の標識は見えている)、 近くの木に手作り標識が掛かっていた。

見晴らしの良い場所に戻る。ここからは木賊山が正面に見え、 その左後方に甲武信ヶ岳が少し頭を出している。
甲武信ヶ岳の左には、水師、富士見といった金峰山へと続く主脈が見えており、木賊山から左下に延びる鶏冠尾根も見えている。 また、木賊山の右には西破風山、東破風山が続いており、木賊山の下方には広瀬湖も見えている。
しかし、よく見えるのはそこまで。後は木々が邪魔をしてほとんど見えない。
一方、振り返れば富士山、そして先程通ってきたハンゼノ頭などの山々がよく見える。
さすがに腹が空いてきたので、斜面を少し下り、途中の岩に腰掛けて食事にする。ここからは大菩薩嶺がよく見える。

10時35分、倉掛山を後にする。往路を忠実に戻る。
暑いくらいの陽気になってきたので、途中の雪の状態が心配であったが、ほとんど足を取られること無く順調に進む。
途中、樹林の中に入り、私有地の片隅から南アルプスを写真に納める。さすがにこの時間になると、少しぼやけ気味であるが、 まだしっかりとそれぞれの山を確認することができる。
板橋峠には 11時56分に戻り着く。ここからは林道が柳沢峠まで続いているので、ヤマレコの方に倣って林道を辿ることにする。 林道は完全に雪に覆われており、踏み抜いた跡がそこかしこに見られるが、本日はまだ朝の寒さが利いているようで、 ほとんど踏み込むこと無く進むことができる。
とは言え、日当たりの良いところではさすがに少し危ない感じであり、できるだけ日陰を進むようにする。
12時40分に無線中継所へと通ずる道の分岐の横を通過。ここも林道であるが、関係者以外の車両は入れないようにゲートが閉められている。 但し、歩行者は通ることができるようである。

展望が無く、さしたる変化も無い林道を進む。所々に、恐ろしい程深く足を踏み抜いた跡が残っているが、 本日は踏み抜くこと無くラッキーである。しかし、もし踏み抜きが続くとなれば、この林道歩きはかなりの苦行であろう。
やがて、林道の途中に全く雪が無い所があったので、5分程休憩する。林道歩きは山の襞を縫うようにして進むので、かなりの遠回りになるが、 一方でほとんど勾配がないので、身体的には楽である。
徐々に雪のない箇所が増え始めると、やがて三窪高原への分岐に到着。そこから 5分程進めば国道411号線であった。時刻は 13時10分。
柳沢峠に戻るには、国道を右に進んで少し登っていかねばならない。大した距離ではないのだが、道路脇の白線の内側は除雪された雪に覆われており歩くスペースがない。
さらには結構 交通量があるので少々怖い。何とか国道の左右をうまく渡り返しながら進み、駐車場には 13時15分に戻り着いたのだった。
朝方には車の無かった駐車場であるが、今は大型バスが 1台駐まっていて、運転手さん 1人がバスの中で待機している。 黒川鶏冠山への登山ツアーなのかも知れない。

本日は、素晴らしい天気と展望に恵まれ、残雪期の山を堪能した 1日であった。 そして、やはり 初めての山だからこその新鮮さが、大いに刺激を与えてくれたのは間違いない。
山自体は思った通り地味であったが、この時期は途中の三窪高原における展望も含め、大変魅力的であった。
このような晴天の日に登ることができたことを喜ぶとともに、この時期に倉掛山の登山記録をアップしてくれた ヤマレコユーザーの方に感謝である。


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