新・山の雑記帳 2  ('2011/6 − '2012/4 )

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 1.最 新 の 雑 記 帳
 山から外れてパソコンの近況を少し  2012.4 記

 久々の山を楽しむ  2012.4 記

 今更ながら 2011年の山を振り返る  2012.2 記

 2012年 登り初め  2012.1 記

 2011年 登り納め  2012.1 記

 急遽 鶏冠山に登る  2011.12 記

 急遽登った烏帽子ヶ岳はなかなかの山  2011.11 記

 21年ぶりの伊那前岳・宝剣岳  2011.11 記

 狙い通りの小河内岳  2011.11 記

 満足の餓鬼岳  2011.10 記

 痛恨の奥穂高岳途中撤退  2011.10 記

 17年ぶりの鹿島槍ヶ岳  2011.10 記

 充実の霞沢岳  2011.9 記

 カメラのこと  2011.8 記

 対照的だった 2つの山  2011.8 記

 迷った末に西穂高岳  2011.7 記

 19年ぶりの塩見岳  2011.7 記

 南アルプス深南部 池口岳  2011.7 記

 割引岳、牛ヶ岳あっての巻機山  2011.6 記

 道路から見える山々  2011.6 記

 気になる国道152号線  2011.6 記

 2.これまでの 新・山の雑記帳    ('2006/8 − '2011/5 )      ←   こちらもご覧下さい

 3.これまでの山の雑記帳:INDEX 1    ('97/10 − '00/5 )      ←   こちらもご覧下さい

 4.これまでの山の雑記帳:INDEX 2    ('00/5 − '02/11 )      ←   こちらもご覧下さい


山から外れてパソコンの近況を少し  2012.4 記

4月8日の竜喰山以降は山に登っておらず 山のことが書けないため、 たまには小生のパソコンやカメラのことについて書いてみたい。
パソコンは自作機であるものの、 2010年1月のビデオカードの換装 (HD467QS512Pから HD5670へ) を最後に全くいじっていなかったのだが、 色々ストレスが重なる中、 今回気晴らしに 久々にパソコンのグレードアップを図ることにした。
まずCPUは現在の AMD PhenomII ×4 945(4コア)から FX-6100(6コア)に変更。 これで、 これまでの 3.0Gから 3.3Gへと グレードアップすることになる。
そうなると 当然マザーボードも FX系CPUに対応したもの (ソケットAM3+) に変える必要があるということで、 ASRockの 990FX Extreme3 を選択。
そして、 この際ついでにと、 メモリーも PC3-10600 DDR3 のものを 8G(4G×2) 新たに購入する。 しかしそれにしても、 8Gのメモリーというのに 価格が 5,000円を切っているとは・・・。 エルピーダが経営破綻したのも頷けるというものである。
また、CPUを新しくしたことに伴い、 CPUクーラーも新調することにして SCYTHEの BIG SHURIKEN 2 Rev.B を購入。 これはマザーボードの裏側から固定する方式であり、 今までのようにバネで CPUクーラーを固定する方式と違って、 狭い場所で指先にかなりの力を入れねばならない といった苦労がなくなったのが大変ありがたい。
そして、 内蔵ハードディスク (以下 HDD) も 500Gのものを購入する。 山の写真を保存する意味もあって 従来のHDDより容量の大きいものを購入したのだが、 それよりも何よりも、 今まで使っていた内蔵HDDの 1つが IDEであり、 一方で今回購入したマザーボードには IDEポートが付いていない (SATAのみに対応) ことが一番の理由である。
折角なので 1TB以上のHDDを購入する ということも考えはしたのだが、 他に内蔵で 250GBのHDDがあり (OSはこれらの HDDとは別に SSDに入れている)、 さらに外付けHDDで 750GBを有している上、 内蔵HDDは いつか壊れてしまう気がしてしようがないことから、 容量をあまり大きくすると リスクが大きくなると判断しての止めたのである (過去からもう 10回近く 内蔵HDDが壊れるのを経験してしまったことが トラウマになっている)。
さてこれで万全と思っていたら、 ビデオカードも新たに購入する羽目になってしまった。
というのは、 今まで使っていたCPUとマザーボードを、 家族の使っているパソコンに移し替えたところ、 移したマザーボード付属のグラフィック機能が 故障していて使えないことが分かったからである。 仕方ないので、 安価なビデオカードを購入すべく店に行ったところ、 つい新しいビデオカードに目移りしてしまい、 自分のパソコン用に HD7750を購入し、 現在使っている HD5670を家族用のパソコンに移したという次第である。

というように、 パソコンをグレードアップして気分一新したのだが、 ゲームなどやらないので 特に早くなったことを実感できる訳ではない。 古いベンチマークだが、 スーパーπにて 104万桁を計算させたところ、 従来の 23秒から 22秒になっただけ。 しかも、 AMD OverDriveにて システムの状況を見ると、 定格 3.3Gのところを ターボが効いて 3.6Gで動いていてこの結果である。
3.0Gから 3.3Gになったことから 数値の格段の向上を期待していたのに、 この結果は意外である。 このCPUの評価があまり高くないのも 致し方ないところかもしれない。
とは言え、 昔、CPUにAMDの K6-300を使っていた頃は、 104万桁を計算するのに 10分以上要したはず。 22秒とは本当に隔世の感がある。
また、Windows 7に付属している システムのエクスペリエンスインデックスを見ると、 今までのスコア 7.0が 7.3へと上がった。 ただ、 一番ネック (このスコアは、CPU、グラフィック、メモリー、HDDの中で 一番スコアが低いものがインデックスとして反映される) なのが、 CPUになってしまったのは悔しい限りである (今まではゲーム用グラフィックスが最低スコアだった)。
まあ、 それは先にも述べたように数値上の話で、 体感的にはスムーズに動いてくれて嬉しい限りである。

しかし、 昔程パソコンの中身を換装するのは難しくなくなり、 組み上げても動かないというような トラブルもほとんどなくなってしまったのは、 少々寂しい気がする。 パソコンの自作を始めた当時は、 組み上げはしたもののパソコンが全く動かず、 原因が分からなくて 大汗をかきながら四苦八苦したものであり、 それが結構楽しかった気がする。 今は相性問題もなくなりつつあり、 少々自作がイージー過ぎるというのは贅沢な悩みか・・・。

さて、話は変わってカメラについて少し述べたい。
カメラは以前この欄で書いたように、 PENTAXの K20Dを使用しており、 山行の際にはこの K20Dにシグマの 17-70mmレンズ装着 (17-70mm F2.8-4) というラインナップにて対応している。
以前に書いたように、 当初レンズは同じズーム域を有する PENTAXの DA17-70mm F4を使っていたのだが、 山でカメラを首からぶら下げて歩いている所為であろう、 振動を受けて歩いているうちに 銅鏡がビローンと伸びる状態になってしまったのである。
その点、 シグマのレンズは ズームロック機構が付いており、 広角側でレンズを固定しておけるので そのようなことがない。

と、少々カメラは大きく重いものの、 その写りにはかなり満足しており、 後継機種の K−7、K−5が出ても食指が動かなかったのであるが、 つい最近、K−5を購入してしまったのである。
理由は先だっての竜喰山で カメラに不具合を生じさせてしまったからで、 その状況というのは以下のとおりである。
大常木山から下山する際、 木を掴んでゆっくり岩から下りようとしたところ、 何とその木が枯れ木で簡単に折れてしまい、 岩から転げ落ちてしまったのである (大した落差では無く、また背中から落ちたので、 ザックがクッションになってくれ全く怪我はない)。
その時、小生の身体が落ちた後から、 首からぶら下げていたカメラが遅れて落ちてきて 小生の顔を直撃。 大したことはなかったのだが、 その時顔に当たったのが シャッター部分らしく、 その時から シャッターボタンが幾分か凹んでしまい、 その後、 シャッターがフェザータッチ状態になってしまったのである。
つまり、 ピントを合わせるべく シャッターボタンを半押ししようとすると、 シャッターに遊びが全くないため、 半押し状態をすっ飛ばして そのまま シャッターが切れてしまう という状態になってしまったのである。 かなり気を遣ってそっと押せば、 何とか合焦させることができるのだが、 写真を撮るたびに気を遣うのでは面倒である。
なお、余談だが、 翌日髭を剃る際に鏡を見たら、 左のほお骨の所に 丸い輪っか状の傷が付いていた。 まさに シャッターボタンを囲むリングの跡である。

ということで、 K20Dは無論修理に出すつもりではあるものの、 現在、K−5がかなり安価になっており、 また 500円玉によるカメラ貯金が 10万円近くにまで貯まっていることもあって、 思い切って K−5を購入することにしたのである。
まだ購入したばかりであり、 セッティングを終えただけで全く使用していないが、 少々小ぶりになったカメラにて 早く春の山を写したいところである (無論、小生の場合、写真が主ではなく、 山登りが主体。 カメラは記録道具に過ぎない)。
なお、 新しいカメラはまだ使っていないものの、 新しいカメラを購入して良かったことが 1つある。 それは、K−5付属の現像ソフト PENTAX Digital Camera Utility4が 使えるようになったことである。 K20Dに付いていた同様のソフト PENTAX PHOTO Browser 3、 PENTAX PHOTO Laboratory 3も気に入っていたのだが、 OSが Windows Vista そして Windows 7になってから 頻繁にフリーズするので イライラすることが多かったのである。 早速、新しいソフトで 先日の竜喰山の登山写真を現像して、 ホームページにアップした次第。
K20Dは修理して 今後も山に持って行くつもりであり、 当面、K−5との 2台体制でいきたいと思っている。
K−5は 70,000円を切る価格で購入。 もうすぐ新しい機種が出るとの噂もあるが、 良い買い物をしたと自己満足している次第である (まだ写りを確認していないのだが・・・)。 早くK−5を持って山に行きたいところである。


久々の山を楽しむ  2012.4 記

2012年になってから既に 3ヶ月以上経つが、 この間、 山に行ったのは僅か 2回 ( 1月の毛無山〜長者ヶ岳・天子ヶ岳縦走、 2月の黒川鶏冠山)。 そして、この 3月は全く山に行けないまま季節は もうすっかり春になってしまった。
実は、 母親が 1月の半ばに入院。 当初は検査入院ということだったのだが、 結局 2ヶ月の入院の間に ドンドン状況が悪化し、 この 3月15日に他界してしまったのである。
従って、 この間の土日はほぼ病院へ通う日々となり、 また精神的にも山に行ける状態になく、 さらには母が他界した後も、 葬式、諸々の事後手続きなどがあって 精神的にも肉体的にもかなり疲れる状態が続き、 山どころではなかったのである。
また、母親の死について、 入院中の状況を見ていたことから ある程度覚悟はしていたものの、 やはり いざその死に直面してみると、 私の年齢になっても精神的に堪えるもので、 心の整理がつかないまま 4月も半ば近くになってしまったという次第である。
話は逸れるが、 ある程度覚悟していた小生でさえ、 身近の人の死はかなり堪えることから、 昨年の 3月11日、 本当に突然に肉親や友の死に遭遇してしまった方々の悲しみ ・心に受けた衝撃は 本当に計り知れないものがあろう。 復興は物理的な面も無論大切だが、 精神的なケアも大変重要だ と言うことを改めて感じたのであった。
と、 なかなか落ち着かない状況であったが、 ようやく少し気持ちの整理がついてきたこの 4月8日(日)、 久々の山に行くことに決めた。 天気予報ではかなり広範囲に渡って快晴 ということであり、 登る山の選択肢は沢山ある。
そうなると、 今年の登山のモットーに掲げた 「これまで登ったことのない山に登る」 を実践すべきであり、 また残雪が楽しめる山にしたいところである。 そして、これまでのことを考えると、 少々身体を苛めたいという気持ちもある。
しかし一方で、 久々の登山のため体力が心配、 などと色々なことを考えながら最終的に選んだのは、 奥秩父の竜喰山 (りゅうばみやま) である。
この山は、将監峠のすぐ近くにあり、 正式な登山ルートはないものの かなり登られていると聞く。 そして今年は辰年ということで、 竜の名がついているこの山は 復活登山に相応しい気がしたのである (しかも、高さは2,011.8m。 四捨五入すれば 2,012mとなるので、 まさに今年に相応しい山である)。
加えて、 さらに先の大常木山 (おおつねぎやま) を経て大ダルに下れば、 竜がその名に入っているもう一つの山、 飛龍山も視野に入るというものである。 帰りは正規ルートの大常木山、 竜喰山の山腹を巻く道を戻れば良いので、 距離はあるものの適度にハード ということで選んだのであった。 無論、日が長くなってきていることも考慮してのものである。

朝、4時40分に横浜の自宅を出発。 何時も通り、国道16号線を経て 八王子ICから中央高速道に入る。
途中、空には少々雲が多かったのだが、 高速を進むに連れ雲は少なくなり、 青空が広がり始める。 そして笹子トンネル、 その次の日影トンネルを抜けると、 真っ白な南アルプスが目に飛び込んでくる。 特に北岳が素晴らしい。 テンションがグッと上がる。
勝沼ICで高速を下り、 ナビに従って国道411号線に入る。 後は道なりである。
柳沢峠を越え、 最初の一ノ瀬高原への入口はパス。 次のオイラン淵近くから一ノ瀬林道に入り、 一ノ瀬高原へと向かう。 この道は舗装されているものの道は狭く、 左の崖からの落石が所々に散らばっている。
一ノ瀬高原には 7時12分に到着。 いつものように 民宿 石楠花荘の駐車場に車を駐めさせてもらう。 1日 五百円也。

支度をして 7時18分に駐車場を出発。
舗装道をさらに先に進み、 途中から右手の林道に入る。 この道は前回の飛竜山、 そして和名倉山、 唐松尾山・笠取山などに登った時に通っているので もうお馴染みである。
林道を暫く登っていくと、 20分程で牛王院下の分岐に到着。 林道をそのまま進めば将監峠だが、 山登りを楽しむのであれば、 この牛王院下から牛王院平経由で将監峠に向かうのが良い。 この道も何回も通っていて 勝手知ったる道である。
高度が上がってくると、 左手樹林越しに 間ノ岳から西農鳥岳辺りの 真っ白な南アルプスの山々が見えてくる。 道はやがてカラマツ林を進むようになる。 振り返れば、富士山、大菩薩嶺が見える。 本日は快晴、気持ちが良い。
やがて、 急坂を登り終えると、 道は緩やかになるが、 そこからは残雪が道を覆うようになる。
融けた雪が凍って アイスバーンになっている場所が多くあり、 時折 道を迂回する必要がある。
周囲はいつの間にか一面の雪原となり、 目の前に鹿除けネットが現れる。 出入口にある 紐をほどいてネットの中に入る。 昨日、本日とかなり寒さが戻ってきたようで、 雪は堅く締まっており、 所々に踏み抜いた跡があるものの、 今日はその心配はなさそうである。
都合 3回のネットの出入りを経て、 やがて牛王院平分岐。 まっすぐ進めば 山ノ神土で、 牛王院平へは右の斜面を登っていくことになる。 雪の斜面を少し登れば 牛王院平のピーク。 眼下には雪原が広がり、 目を上に向ければ これから登る竜喰山、大常木山など、 飛龍山へと続く山並みが見える。
そして富士山、大菩薩嶺も見え、 素晴らしい景色である。
斜面を下り将監峠へと向かう。 ここで本日初めて登山者と擦れ違う。 挨拶を交わしただけであったが、 もしかしたら竜喰山に登ってきたのかもしれない。
将監峠には 8時45分に到着。 テントが一張り雪の上に設営されている。
さて、竜喰山への取り付きであるが、 将監峠から飛龍山に向かって少し進むと、 左のササの斜面に入っていく踏み跡がある。 これが竜喰山への取り付きである。 今回は地図上にない山に登るので、 下調べを十分にしてきたため、 迷わずに取り付くことができたのだった。
もし、 今後 竜喰山に登られる方がおられるなら、 飛龍山への縦走路の左にネットが現れ、 そこを起点にネットの柵が左右 2つに分かれて V字形になっているので、 左手のネット沿いを登って行けば良い。
ただ、この斜面の登りが結構辛い。 無雪期なら全く問題ないのだが、 ササの斜面にほぼ一直線に付けられた道はかなり急で、 しかも足下に雪があったり、 少々凍っていたりして歩き辛いのである。 余程 軽アイゼンを付けようかと思ったのだが、 そんな余裕もない斜面であり、 また雪がない所が多いので、 植生を傷つけてしまう。
這いつくばるようにして 右手に握ったストックでバランスを確保し、 左手でササを掴みながら登る。 が、苦労はするが すぐに 1,883m峰に立つ。
ここからの眺めは素晴らしい。 富士山は無論のこと、 これから登る竜喰山の姿、 そして振り返れば 北岳から間ノ岳、農鳥岳、塩見岳と続く 南アルプスの山々がよく見える。
気分を良くして先に進む。 道はかなり踏まれており、 ほとんど一般の登山道と変わらない。 しかも 所々で樹林が切れてササ原が広がり、 気分良く進むことができる。
いくつかのピークを越え、 最後に大きく登り返すことになるが、 この斜面は樹林帯で日があまり当たらないため、 雪が凍っている箇所が多い。 踏み場所を探しながら登る。
そして 10時05分、 竜喰山に到着。 ここには三角点が置かれており、 立派な標識も置かれている。 ただ、 標識に書かれている標高は 2,011m。 三角点の標高は 2,011.8mなので 2,012mと記述すべきなのに、 2,011mとは残念である。 2012年、標高 2,012mの竜喰山に登った としたかったところである。
なお頂上は樹林に囲まれて展望は利かないが、 少し飛龍山の方に下れば、 富士山、南アルプスの山々を見ることができる。

ここで暫し休憩した後、 大常木山を目指して進む。 ここからは道が不明瞭になることを覚悟していたのだが、 ササ原にしっかり道らしきものが見える。 なお、テープはまばらで、 あまり当てにならない。 雪が積もっていたり、 視界が悪い場合は ルートファインディングが難しいかもしれないが、 本日のように視界がハッキリしている時には 全く問題ないルートである。 兎に角、尾根の上を忠実に辿れば良いのである。
小さなピークがいくつも続く。 それを巻く道も見られるが、 兎に角 愚直に稜線上を辿れば良い。 意外と道ができている。
やがて、 目の前になかなか魅力的な岩峰が現れる。 ここも愚直に岩を直登する。 ホールドする所が多く、 雪に覆われていたりしなければ 楽しく登ることができる。
岩を乗り越えると さらに次の岩が待っているが、 ちゃんと繋がっており、 途中で進むことができずに 立ち往生ということは全くない。
そして 最後の岩場を見上げると、 その頂上に木の杭とピンクのテープが見えた。 あれが大常木山と思いつつ登って行くと、 その通り、 狭いピークが大常木山頂上であった。 そして、 そこには何と 「KUMO 大常木山」 と書かれた、 焦げ茶色の標識が木に括られていたのであった。 この KUMOさんが作られた標識を見たのは 何年ぶりだろう。 近頃あまり目にしていなかったということは、 小生の登る山が ポピュラーな山に偏っていたということなのかもしれない。
なお、 大常木山からは 今まで良く見えなかった北側の山が見え、 和名倉山、 その左手には浅間山も見ることができたのだった。
さて、 ここからも目の前の飛龍山を目指し、 愚直に尾根の上を辿る。 もう大常木山を過ぎたので、 巻き道があればそちらを進んでも良いのだが、 ピークを辿るのは結構楽しい。
やがて、道は少しずつ下りに入る。 ササの斜面に沢山の踏み跡も見え、 結構 いい加減な進み方も許されるようになる。 尖った岩が目の前に現れてからは、 一気に右下への下りに入り、 やがて下方に正規ルートが見えてくる。 そして、11時58分、 大ダル手前で正規ルートに合流したのだった。
まだ時間に余裕があるので、 当然 飛龍山を目指す。 ここからは軽アイゼンが必要。
樹林帯の中の登りは雪が道を覆っており、 しかも所々で雪は透明な氷となって テラテラと光っている。 六本爪の軽アイゼンでは少々心許ない箇所もあったが、 思い切り氷に足をたたきつけ、 足場を確保して登る。
しかしそれにしても、 この斜面の登りは長いし、 そろそろバテが出始めた。 最後は喘ぐように登り、 ようやく登り着くと そこは禿岩分岐。 禿岩は帰りに寄ることにして、 先に進む。
そして少し進めば、 飛龍権現の祠。 ここから飛龍山へと取り付くことになる。
前回登った時、 ここから頂上までかなり距離があった記憶があるので、 少々覚悟して登る。
斜面を暫く登ると道は平らとなり、 シャクナゲの中、雪の上の歩行が続く。 やがて視界が開けると、 目の前に飛龍山のピークが現れる。 やはりまだまだ遠い と思っていたら、 意外に早く進み、 13時4分には お馴染みの飛龍山頂上に着くことができたのだった。 ここで、竜喰山以来の大休止。 頂上直下、富士山を眺めながら休憩する。

13時22分、頂上を出発し、帰りに禿岩に寄る。
ここからの展望は素晴らしいが、 この時間、気温も上がってきており、 富士山、南アルプス、そして反対側の浅間山など、 白き山々は日の光の中に霞み気味である。
さて、余りゆっくりもしていられない。 道はまだまだ長い。 雪の斜面を下り、 大ダルに戻り着いた所で軽アイゼンをはずす。 後は南側の斜面を横切る道なので楽勝 と思っていたら甘かった。
残雪が所々道を覆っており、 特に山襞が深く入りこんでいる所では 軽アイゼン無しには通れない箇所が数ヶ所あった。 仕方なく、 折角 仕舞い込んだ軽アイゼンを取り出して装着。 そんなことが 3回程続く。
そして道は長い。 いい加減疲れてきた頃、 将監小屋へのショートカット分岐に到着。 慎重に下って 小屋には 16時3分に到着。 後は林道歩きだけだが、 これも結構長い。
結局、 一ノ瀬の駐車場に戻り着いたのは、 17時9分。 久々に 10時間になんなんとする長旅を終えたのだった。

素晴らしい天候に恵まれ、 またロングコースであり、 さらにはあまり人が歩かないルートを辿ることができ、 久々に山を楽しめて大満足であった。 こういう山旅は大歓迎である。
なお、 人にあったのは牛王院平の 1人のみ。 また将監小屋に下る際、 1人が将監小屋前を通り過ぎていくのが見えただけであった。 達成感もあり 精神的にも立ち直れた気がする良い山であった。


今更ながら 2011年の山を振り返る  2012.2 記

2012年の登り初めとして、 1月7日に毛無山から長者ヶ岳・天子ヶ岳まで 天子山地後半 (前半は昨年末に竜ヶ岳から毛無山まで縦走) を縦走したのだが、 その後 山に行けない状況が続いている。
休日出勤や風邪を引いての体調不良、 そして家庭の事情等々によるものだが、 通勤時、 雪で真っ白になった丹沢山塊や富士山を眺め、 ため息をつく日々である。 今年は雪が少ないと思っていたところ、 先日太平洋側にも雪が降り、 低山であっても雪山を楽しめる状況が揃っただけに、 少々辛い。
こういう状況であるから、 今回新たに登った山のことは書けない状況なので、 今更ではあるが昨年の登山を振り返ってみたい。

昨年の山行は 24回。 1月は全く山に行くことができなかったものの、 最終的には月 2回のペースを達成できたのは 嬉しい限りである (一昨年は年間 21回の山行)。
この 24回の山行において、 初めてその頂上を踏んだ山は 12山 (うち 1つは途中撤退。 なお、一昨年は 12山。)。 2月の社山 (日光) に始まり、 4月の丸盆岳(南ア)、5月の奥茶臼山(南ア)、 6月の燕岳(北ア)、 7月の池口岳(南ア)、西穂高岳(北ア)、 8月の針ノ木岳(北ア)、9月の霞沢岳(北ア)、 10月の奥穂高岳途中撤退(北ア)、餓鬼岳(北ア)、小河内岳(南ア)、 11月の烏帽子ヶ岳(中ア) といった山々である。
この中で印象に残るのは、 やはり快晴時に登った山々で、 中でも針ノ木岳(含む蓮華岳)、 霞沢岳は頂上からの展望の良さもあって、 本当にベストに近い登山であった。
また、登山を始めた頃にはその名前も知らず、 山を知り始めてからは とても登るのは叶わないと思っていた 池口岳に登ることができたのは 嬉しい限りである。
悔しいのは 途中撤退を余儀なくされた奥穂高岳。 10月の 3連休にさらに年休を加え、 天気予報も良いとの情報のもと、 ほぼ万全な体制で登ったにも拘わらず、 穂高連峰の初雪に遭遇してしまい、 途中のカモシカ立場で戻ることにしたのだった。 頑張って進むという選択肢もあったかもしれないが、 前穂高岳を経て奥穂高岳に至るルート ということで 名前に負けて恐れをなした感は否めない。
途中撤退となったのは 1992年の四阿山以来であり、 今年は是非ともリベンジを果たしたいところである。
なお、限られた山行回数であるが故、 できるだけ初めて登る山に行きたいと思っているので、 24回中 12回しか新しい山に登れなかったのは 大変残念な数字である。 しかし、再登山となった山であっても、 全く初めてのルートを辿った山がいくつかあるので、 これも初めての山と同じ扱いとすれば、 さらに 4山ほど足すことができる。
まずは、5月の恵那山。 この山は 2回目だが、 最初の時は黒井沢ルートのピストンであり、 今回は反対側の広河原から登り、 恵那山頂上を踏んだ後、 歴史ある神坂峠の方へと下ったのだった。 恵那山の大きな山容を眺めることができ、 距離もあって、 なかなか充実した山行であった。
広河原からのピストンとしたならば、 登山時間はかなり短くできるであろうが、 恵那山の姿も確認できず、 あまり面白味はなかったと思う。 この広河原からの周遊コースはお勧めである。
次は 7月の塩見岳。 この山も 2回目となる。 前回は北岳・間ノ岳からテントを担いで縦走し、 北岳山荘前ならびに 今は無くなってしまった 北荒川岳の先のキャンプ場で幕営した後、 塩見岳の頂上を踏んだのだった。 塩見岳からは本谷山、 三伏峠を経て塩川土場に下ったのだが、 現在 塩川土場へのルートは崩壊のため、 通行止めとなっている。
今回は前回とは反対側の鳥倉林道から登り、 意外と楽な行程にビックリするとともに、 途中までは展望にも恵まれ、 気分良く日帰りすることができたのだった。
そして 9月の鹿島槍ヶ岳。 前回は扇沢から爺ヶ岳を経て鹿島槍ヶ岳の頂上を踏み、 その日はキレット小屋に宿泊。 翌日五竜岳の頂上を目指したのだったが、 今回は赤岩尾根を使ってのピストン日帰り。
冷乗越で前回のルートに合流したとはいえ、 全く初めて登る山のように 新鮮な気持ちで登ることができたのだった。
また、前回登った時は展望に恵まれなかったのだが、 今回は素晴らしい展望を得られ、 やはり心に残る登山となったのだった。
そして最後は、 11月の伊那前岳、宝剣岳。 この山も 2回目の登山。
前回は桂小場から聖職の碑コースを辿り、 木曽駒ヶ岳頂上を踏んだ後、 宝剣山荘に宿泊。 宝剣山荘にチェックインした時間が早かったので、 チェックイン後 伊那前岳を往復したのだった。
宝剣岳には、 翌日 空木岳へと向かう途中に登っている。
今回は 北御所登山口から伊那前岳を目指すルートを辿り、 伊那前岳手前までは天候も良かったこともあって、 初冬の山を堪能したのだった。 残念ながら宝剣岳はガスの中となってしまい 御嶽などの展望は得られなかったものの、 やはり気持ちの良い登山であった。
ということで、 昨年初めてその頂上を踏んだ山、 そして再登山ではあったものの 全く初めてのルートを辿った山を合わせると 16山となるので、 まあ許せる範囲であろう。

残りの 8山はお馴染みのルートを辿って、 複数回の登頂となった山々となる。
雪の塔ノ岳、 残雪がほとんど無かった雲取山、 そしてまだまだ多く残る雪を楽しんだ北横岳と空木岳。
土日、祝日 高速道 一律千円という、 今 思えば 素晴らしい制度の廃止最終日に登った巻機山、 そして天候に恵まれず 荒川三山は断念してしまった赤石岳、 事前の調査不足で 急遽予定を変更して登った鶏冠山 (しかも怪我のおまけ付き)、 そしてダイヤモンド富士を見ることができた 竜ヶ岳 & 素晴らしいコースに変身していた雨ヶ岳・毛無山となる (上で述べた天子山地前半部分)。
これらの山は数回目の登頂となるとは言え、 季節が違ったり、 残雪が多かったりで、 結構 新鮮な気持ちで登ることができたのだった。

と言うように、 なかなか充実した山行が行えた年であったが、 やり残した宿題も多くあり、 さらには 登った山から眺めて是非登りたい と思った山々もあって、 今年はもっと頑張って登らなければならない。
大きな宿題では、 赤石岳・荒川三山の再チャレンジ、 そして勿論 前穂高岳、奥穂高岳、北穂高岳の縦走が残っている。
小さな (日帰りと言う意味) 宿題では、 道路凍結・山の積雪と聞き、 急遽行くのを取り止めた安平路山。 その安平路山登山取り止めのため、 急遽登ることにしたものの、 登るまでに時間を食ってしまい、 結局 手前の烏帽子ヶ岳までで終わりとなってしまった念丈岳。
そして事前の下調べが不足し、 冬季通行止めの登山道のことを知らず 急遽 鶏冠山へと目的地を変更した黒金山がある。
また、山からその姿を眺め、 登りたいと思った山は 南アの蝙蝠岳。 そして、 上述のように急遽登った鶏冠山から眺め、 その堂々とした姿にもう一度登ってみたくなった国師ヶ岳がある。
ただ、今の時期は我慢。 上記に列挙した山の他にも、 この時期 なかなか面白そうな山の登山記録が ヤマレコに掲載されているが、 ほとんどが小生のノーマルタイヤではいけない所ばかり。 冒頭に述べた登山のための時間がとれないことと相まって、 ストレスが溜まる一方である。 早く春よ来い。


2012年 登り初め  2012.1 記

2012年の登り初めは、 昨年末に登った富士山近くの竜ヶ岳、雨ヶ岳、毛無山と続く 天子山地の後半を歩くことにした。
具体的には、 毛無山からさらに南に進み、 金山、雪見岳、熊森山、長者ヶ岳、 そして天子ヶ岳までの天子山地の残りを縦走し、 白糸の滝へと下山するというものである。
やはり年頭には富士山を眺めたいことと、 前から何とかこのコースを歩けないかと思っていたこと、 そして長者ヶ岳には いつか登りたいと思っていたこと 故の目的地選定である。
無論、 昨年の暮れに竜ヶ岳−毛無山間を歩いたことが このコース選定に一番影響を与えていることは言うまでもない。
なお、 このコースはかつてササが煩く、 ルートファインディングを始めとして 熟達者の同伴が必須だったようであり、 挑戦するのが躊躇われる所があったのだが、 現在はかなり整備されていると聞く。

1月7日、朝、4時40分に横浜の自宅を出発する。
先日の竜ヶ岳の時よりもさらに遅い出発だが、 実は下山した後、 白糸の滝バス停から、 車を駐めた所まで戻るためのバス発車時間が 16時40分と 18時40分であり、 前者に乗るにはもっと早く登り始める必要があり、 後者はバス待ちの時間が長くなりそうで、 何とも中途半端なのである。 まあ、この寒い時期は あまり早い登山開始はちょっと身体に応えるので、 後者狙いで少々ユックリ目の出発とした次第である。
先日の竜ヶ岳の時と同じく、 横浜ICから東名高速道に乗り富士ICへと向かう。 富士ICからは西富士道路を北上し、 東京農大の敷地の一角にある 毛無山登山者用臨時駐車場(無料) に車を駐めたのは 6時38分であった。
身支度をして 6時42分に出発。 まだ辺りは少し暗いが、 富士山の後方は明るくなりつつある。
車道を進み、 T字路にぶつかった所にあるトイレを借用した後、 麓宮へと進み、 やがて登山道に入る。 登山道はすぐに毛無山へのルートと 地蔵峠へのルートに分かれることになる。
早く下山するのなら 毛無山には登らずに地蔵峠へと向かうべきだが、 あまり華がないと思われる本日のルートに 毛無山は欠かせないと思い、 道を右に取って毛無山を目指す。
歩き始めは耳や手が寒さの為に痛い程だったが、 高度を上げるに連れて日当たりの良い尾根を歩くようになり、 逆に暑く感じる程であった。
この登山道は既に数回登り下りしており、 しかも 9日前に下ったばかりであるから、 ほぼ道の状況は把握している。 加えて、 この道は毛無山頂上まで 一合目からの標識が立っていることから、 自分の位置がよく分かるのである。 しかし、逆に知りすぎた道は、 先読みができてしまって 道のりがまだまだ長いことが良く分かってしまい、 また慣れすぎて刺激も少ないため、 これが結構辛い。 やはり 初めての道の方が小生には登りやすい。
加えて、 普通ならばこのように 9日間隔の登山であれば 身体が快調なはずなのだが、 この 9日の間、 ほとんど食っては寝るという生活を続けたので身体が重く、 なかなかリズムが出て来ない。
そうこうしている内に 下から単独の人が追いついてきた。 正月早々抜かれるのも癪だったので、 頑張って進むが、 途端に息づかいが荒くなってくる。 かなり辛いが、見方を変えれば、 ここまで如何に自分に都合の良い、 楽な登り方をしていたかということに気がつく。
結局、 八合目の先にある富士山展望台に立ち寄ったところ、 その人はそのまま展望台に立ち寄らずに登っていったのだった。 一応これで 自分としても面目が立ったというものである。
毛無山には 9時44分に到着。 先程の方は、 小生が稜線に達し、 南アルプス展望台 (どういう訳か標識には北アルプスと書かれている) にて南アルプスの山々を眺めた後、 毛無山へと向かっている時に下ってきたのだった。 本日はこれで終わりなのだろうか。 それとも小生と同じコースを進むのだろうか。
この毛無山頂上から眺める富士山は相変わらず素晴らしいが、 この時間だと少々光りの当たり具合が逆光気味でやや暗い。 この頂上からの富士山は、 前回のように午後になってから眺める方が良いようである。
なお、今日は頂上の木々に霧氷が見られない。 先日この頂上に着いた時は、 12時を過ぎていたにも拘わらず 枝の一部が真っ白になった木々が何本か残っていたのだったが、 今日は比較的暖かいようだ。
頂上で 20分程休んで、 まずは来た道を戻る。
今朝程登ってきた登山道への分岐を左に見た所で、 今度はまっすぐに地蔵峠の方へと進み、 初めての道に入る。 ここからの道も良く整備されていて歩きやすいが、 ドンドン下っていくので、 この後の登りが心配になる程である。 また、途中、富士山を見通せる所はあるものの、 総じて樹林に囲まれ展望はあまり良くない。
やがて地蔵峠に到着。 ここからも富士山がよく見える。 なお、地蔵峠というからには 地蔵尊があるのかと思っていたがここには何もない。 昔は地蔵尊があったため、 その名だけが残ったのかもしれない などと考えつつ暫く進むと、 またまた地蔵峠と書かれた標識が現れた。 こちらが本来(旧)の地蔵峠のようで、 地蔵尊も祀られている。 ただ、ここから下部温泉に下る道は通行止めとなっていた。

さて、ここから長者ヶ岳までは大変な道程であった。 地図上では金山、雪見岳、熊森山、長者ヶ岳、天子ヶ岳の 5つのピークがあり、 その間に猪之頭峠、湧水峠があるだけで、 雨ヶ岳−毛無山間と同様に 歩きやすい尾根道が主体かと思えたのだが、 実際は 5つの山の登り下りに加え、 細かいアップダウンが頻繁に現れるのである。 これがボディーブローのように効いてくる。
最初の山である金山は小さなピーク。 頂上にある木の傍らに 富士宮西高校が書いた標識が置かれていた。 このルートは 富士宮西高校や 地元の山岳関係者の努力により 整備が為されたようだ。 感謝である。
なお、この金山頂上からの展望は無い。
2つ目の雪見岳は、 その名前から、 真白き富士山あるいは南アルプスの山々が良く見える という予測を立てていたのだが、 残念ながらここも展望は無し。 ただ、雪見岳からの下り斜面はササ原で気持ち良く、 左に富士山、右に南アルプスの山々を見ることができ、 楽しませてくれたのだった。
なお、ここは急斜面の上、 足下のササが刈られているので、 景色に見とれていたりすると刈られたササで足が滑る。
アップダウンを繰り返し、 猪之頭峠まで着くと熊森山への登りが始まる。 本日一番辛かった登りである。 少々荒れ気味の道を直登するのだが、 身体も疲れてきていることもあって、 本当に苦しかった。 200m程の高度差を何とか登り切り、 ヘトヘトになって着いた熊森山には 立派な三角点があるものの、 この山頂も展望は無い。 登り斜面途中では、 振り返ると毛無山と雪見岳が見事な姿を見せてくれてはいたのだが、 樹林が邪魔をする場合が多く、 少々ストレスが溜まる。
熊森山から道は左に曲がって、 またまた大きく下ることになる。 やがて、送電線の鉄塔横を通ると、 またまたアップダウンの繰り返しとなる。 この辺からは、東電の立てた標識が頻繁に現れるようになり、 それと合わせて道の分岐も現れるので、 少々迷い易い。 東電の立てた標柱に マジックインキで小さく長者ヶ岳の文字と 方向を示す → が書かれていたので助かったが、 一瞬アレッと思わせられたのだった。

さて、 ここから長者ヶ岳までは 果てしなく遠いと思わされる道程である。 基本的に南に向かうので、 正面方向に太陽を見ながら進むのだが、 熊森山のような厳しい登りはないものの、 小さな高みに登っては平らな道となり、 そしてまた目の前に高みが現れ、 それを越えるとまた平らな道が現れる というパターンの繰り返し。 いつまで経っても長者ヶ岳に着かないのである。
途中、展望の良い所があればまだ良いのだが、 延々と樹林の中の道が続く。 いい加減にしてくれ と思いながら樹林の中を進み、 やがて斜面の先に頂上標識と思われる標示板、 そしてその後方に富士山が現れた時には 本当にホッとしたのだった。 頂上に着いたという喜びよりも、 辛いルートからようやく開放されるとの喜びの方が 強かった感じである。
この長者ヶ岳到着時刻は 14時53分。 当然この時間では誰もいない。 ベンチに当たる西日を浴びながら大休止。 雄大な富士山を眺める。
ここからは大沢崩れがよく見える。 富士山自体は、 その頂上ならびに左側の裾はよく見えているものの、 右側の裾は雲が湧いて隠れて始めている。 日の光が富士山の斜面に雲の影を写しており、 それが竜の形に見えるような奇跡が起こらないか などと考えながら、暫しその姿を眺める。
また、足下には田貫湖も見え、 なかなか素晴らしい展望である。
反対側を振り返れば、 南アルプスの山々も見える。 但し、この時間では残念ながら逆光気味である。
いつまでも眺めていたい光景であるが、 日が沈み始めているのであまりユックリしてはいられない。 すぐに天子ヶ岳へと向かう。
ここからの道は良く踏まれており、 何の問題もない。 そして天子ヶ岳には 15時44分に到着。
天子ヶ岳の頂上は、 登山道脇に道標が立っていると思ったら、 そこが頂上だったという感じでやや寂しい。 むしろ少し進むと広い窪地があり、 傍らには祠もあったので、 こちらの方が頂上らしいが、 少し低い場所にある。
なお、先程の頂上、 そしてこの窪地も展望は無いが、 少し左の方に富士見台があり、 そこから富士山を見ることができる。

さて、暗くならない内に下山を終えたいので先を急ぐ。 ジグザグの道を下り、 途中からほぼ一直線の下りとなる。 最後は暗い杉林に入るのだが、 杉林に入った途端、指導標などは見えなくなり、 いきなり突き放された感じを受ける。
薄暗かったので見落としただけかもしれないし、 足下には道がハッキリ見えているので問題はないのだが、 やはりキチン目立つ道標が欲しいところである。 少々不安に駆られたのだった。
既にかなり暗くなってきた杉林を下っていくと、 やがて下の方に林道が見えてきた。 これで終わりかとホッとしたのだったが、 甘かった。 登山道はその林道を横切って再び樹林の中に入っていく。 幸い、こちら側の道はまだ明るさが残っており、 またアップダウンもほとんどないので助かったが、 この樹林帯を抜けて道路に出た時には、 周囲はほぼ真っ暗になっていたのであった。 時刻は17時4分。
ここからは車道を進む。 白糸の滝までほぼ一直線である。
月明かりの中、 富士山はすっかり雲に隠れてしまっている。 ようやくバス停に着いたのは 17時35分。
次というか、最終のバスまであと 1時間も待つ必要があるが、 一方で白糸の滝周辺にはコンビニくらいしか無く、 時間をつぶせるような場所があまりない。 もっと先の方が賑やかそうだったので そちらの方に暫く進んでいると、 丁度タクシーが後方からやって来た。 ここはもう奮発してタクシーで戻ることにする。
タクシーにUターンしてもらい、 内野から国道139号線に入り、 毛無山登山口へと進む。
タクシーに行き先を告げる際、 毛無山登山口、東京農大の施設がある所までと言ったら、 東京農大の方ですかと逆に尋ねられた。 奥にある麓村落に住む人達は、 皆 車で移動しているはずであるし、 こんな時間にそのような場所に行く人などいないのだろう。
タクシー料金は 2,910円也。 正月早々贅沢をしたが、 バスを使って朝霧グリーンパーク入口にて下りた場合、 人気もなく真っ暗な中を駐車場まで 20分弱歩かねばならず、 そういう意味では タクシーにて車の前まで行けたのは ラッキーだったのかもしれない。

それにしても、 本日は思った以上に長く疲れるルートであった。
このルートは先に述べたように 途中のアップダウンが沢山あるため、 一般的ではないと思う。 また、景色の方も樹林が多いために あまり見ることができず、 予想した通り毛無山と長者ヶ岳を除いて 華があまりないルートと言えよう。
しかし、 新年に未知のルートを歩くことができ、 また長い距離を歩き通したという充実感が得られ、 疲れたけれども楽しい山行であった。
今年は、 初めての山、初めてのルートを中心に登ることにしたい と思っているので、 まずは幸先の良いスタートを切れたことを喜びたい。


2011年 登り納め  2012.1 記

あけましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い致します。 今年は、日本にとって 良い年になって欲しいものです。

2011年は 12月29日、 富士山近くにある竜ヶ岳、雨ヶ岳、毛無山 の縦走にて登り納めということになった。
前回、この欄で書いたように、 この時期、狙う山は精々 2,000m前後の山に限られてくるし、 さらには登山基地までのアプローチも 小生のノーマルタイヤの車では厳しくなってくるため、 自ずと行動範囲が限定されてくる。
それに加え、 先日の鶏冠山で痛めた両手首と胸の具合が芳しくないため、 手を使ってよじ登るようなことのない、 ひたすら登る・歩くという山を選ばざるを得ない状況になっている。
そうした中、 ヤマレコを見ていたら、 この時期しきりに竜ヶ岳の ダイヤモンド富士のことが書かれているのを見つけて興味を持ち、 それではと竜ヶ岳にてダイヤモンド富士を見た後、 毛無山まで縦走することを計画した次第である。
このルートは既に歩いたことがあるため、 岩場をよじ登るようなことはなく、 手首に負坦が掛からないということが 分かっていることも 選んだ理由である。
ただ心配が 2つある。 1つは、12年前に 毛無山から雨ヶ岳まで縦走した際、 胸の高さを超えるササの海の広がりに ルートがなかなか見えず苦労しており、 果たして現状はどうなのかということ。
そしてもう一つは、 毛無山下山後、 車を駐める予定の本栖湖湖畔まで戻ってくる交通機関は あるのかということである (さもないと、平地を歩いて戻らねばならない)。
前回の鶏冠山 (本当は西沢渓谷から黒金山に登るつもりだった)、 そして前々回の烏帽子ヶ岳 (本当は安平路山に行くつもりだったが、積雪等で断念。 また、代わりに急遽登った烏帽子ヶ岳も、 本当はもっと先の念丈岳を狙っていた) 登山にて、 事前調査の重要性を身に染みて感じていたので、 今回は事前にネットで情報を取ることにする。
結論としては、 毛無山−雨ヶ岳間の道は かなり整備が進んでいることが判明。 そして、交通機関の方は 毛無山近くを通る国道139号線に 朝霧グリーンパーク入口というバス停があり、 15時53分のバスで 本栖湖入口まで戻ることができることが確認できたのだった。
一応念のために富士急バスに電話して、 12月29日のダイヤ状況を確認し、 件のバスが運行されることを確認したのだった。

29日は 6時10分頃に本栖湖の駐車場に着くべく、 4時過ぎに家を出る ・・・ つもりだったのだが、 少々準備に手間取って出発は 4時半。
空には星が瞬き、今日は晴天、 ダイヤモンド富士が期待できそうである。
本来は中央高速道を使って 本栖湖へ行くのが正しいのであろうが、 国道16号線はあまり好きではないので、 家の近くにある横浜ICから東名高速道に乗る。 前回の毛無山登山と同じく、 御殿場ICで高速を下りるつもりである。
しかし、 結局、道路の凍結状況が心配だったので、 富士ICまで進み、 その後、西富士道路を北上することにした。
途中のコンビニで食料・水を購入。 出発が遅かったこともあって、 そこからかなりスピードを上げたのだったが、 やがて前を行く遅いトラックに遭遇。 気温はマイナス5度を示しており、 しかも山道なので、 無理な追い越しも掛けられず、 かなりペースが落ち、 本栖湖の駐車場に車を駐めたのは 6時30分を過ぎていたのであった。
これでは 竜ヶ岳頂上でダイヤモンド富士を見るのは難しいが、 そこは良くしたもので、 途中の石仏・東屋がある場所まで到達していれば、 後は基本的にどこからでも 富士山頂上から昇る朝日を見ることができるのである。
とは言え、 そうゆっくりしている訳にはいかず、 急いで身支度をし、 6時43分に駐車場を出発する。
前回竜ヶ岳に登ったのは 1月下旬であり、 その時は雪に覆われていたこのルートも、 今は雪がほとんど見られない。
短い間隔でしっかり立てられている標識に従って進み、 キャンプ場を通り抜け林道に入る。 少し進めば竜ヶ岳の登山口。 空はかなり明るくなり始めている。
斜面を急いで登る。 足下に雪がないのがありがたい。 そして、頑張った甲斐あって、 石仏には 7時35分に到着。
15分以内に富士山頂上から朝日が昇るはずなので、 ここで朝日を待つことにする。
東屋の前には 1人おられ、 カメラ、そしてビデオを それぞれ三脚に設置して、 富士山の頂上から朝日が出てくるのを待っていた。 これを見て、 小生も三脚を持ってくるべきであったと反省。
こういう日の出を撮る場合は、 事前にマニュアルモードで 富士山頂上にピントを合わせ、 露出設定も行い万全を期すべきであったのだが、 そこまで頭が回らなかったのである。
結局、ダイヤモンド富士は見ることができたものの、 写真の方はお粗末の一言。 ただ、富士山頂が光り輝く光景は 本当に素晴らしく、 神聖な気持ちになり、 それだけでも ここまで来た甲斐があったというもの。
ダイヤモンド富士は 写真で数多く見ているものの、 本物は格別である。

7時52分に石仏を後にして頂上を目指す。 周囲には日が当たり始めているし、 また身体を動かしているので あまり寒さは感じないが、 周囲のササ原、そして木々は 皆 氷の花を付けている。
竜ヶ岳頂上到着は 8時27分。 ここからの展望は抜群。 逆光ながら富士山が目の前に大きいし、 これから進む雨ヶ岳、毛無山も見えている。 そして何よりも素晴らしいのは、 前回、雲が多くて全く見ることができなかった 南アルプスの山々が見えたことである。
ズラリと並んだ真白き南アルプスの山々は その主役のほとんどが揃っている。 また、先日の伊那前岳や烏帽子ヶ岳から見た それとは全く反対側からの眺めであるため、 新鮮でもある。
竜ヶ岳頂上で暫くウロウロしたものの、 休むことなくそのまま端足峠へと向かう。
ここからは急斜面を一直線に下る道があった という記憶があり、 雪があった場合に足下が滑るのを恐れていたのだが、 やはりこの山は人気の山なのであろう、 登山道はジグザグの道に作り直されていたのであった。 今回の道は抜群に歩きやすい。
下り着いてからは 暫く気持ちの良い尾根道が続いた後、 端足峠に到着。 時刻は 8時57分。
ここからは雨ヶ岳への急登が待っている。 すぐに足下に雪も見られるようになり、 凍ってはいないものの、 急斜面では足を取られることが多い。
また、高度を上げるに連れて、 雪が凍っている箇所も見受けられるようになる。 登りの時は何とかなるが、 下りの場合は軽アイゼンがあった方が良いかもしれない。
頂上がかなり近づいてくると、 上から 20人近い団体 (と思う) が下りてきた。
竜ヶ岳頂上には 5、6人しかいなかったのに、 雨ヶ岳頂上は混んでいるのかと思ったら、 結局 この団体が下りた後、 頂上は小生の独り占めであった。 到着時刻は 10時15分。 ここから見える富士山も素晴らしい。

雨ヶ岳で本日初めての休憩を取り、 20分程休んだ後、毛無山へと向かう。
先に書いたように、 事前の調査で 雨ヶ岳・毛無山間の道は 良くなっていることを確認していたが、 実際通ってみると 予想以上にキチンと整備が為されており、 素晴らしいプロムナードであった。
左後方には富士山が見え、 また右には時折南アルプスの山々が見える。 前回ここを通った時には ルートを見つけるのに苦労したササ原も 今はキレイに道が付けられ、 大変気持ち良く歩くことができたのだった。
ただ、このルート、 地図上には タカデッキ、大見岳、毛無山最高点 との記述があるのだが、 前者 2つは標識が無く、 ウッカリするとそのまま通り過ぎてしまう。 毛無山最高点の方は、 下山後ネットで確認したところ、 標識が存在することが分かったのだが、 どうやら見落としてしまったらしい。
時折振り返って雄大な富士山の姿を楽しみながら、 気持ちの良い尾根道を進んで行くと、 やがて毛無山に到着。 時刻は 12時23分。 ここからの展望も抜群で、 富士山が目の前に大きい。
ここで本日 2回目の休憩。 時間を見ると、 このまま下山してもかなり早く着き過ぎ、 バスの待ち時間が長くなりそうである。
とは言っても、 頂上でノンビリ時間を潰すのにも限度があり、 12時43分に下山。
途中、尾根からの下りが始まる地点で 地蔵峠経由の道に入れば時間が潰せそうだ とは思ったものの、 地図上の時間ではギリギリとなってしまうため、 見知らぬ道で万が一のことがあってはと、 勝手知ったるいつもの下山道を使うことにする。 一応時間を考えてゆっくり下ろうと思ったのであるが、 そこは性分がすぐに出てしまって いつの間にか早足になり、 結局 登山口にある麓宮に着いたのは 14時27分であった。
ここからはノンビリと車道歩き。 富士山、毛無山を写真に撮りながら ゆっくりとバス停に向かう。
時間がたっぷりあるので途中で着替えを行い、 バス停に着いたのは 15時17分、 それでもバス到着まで 30分以上待たねばならなかったのだった。 バス停付近は日当たりが良く、 寒い思いもせずにバスを待つことができたのはありがたい。
なお、 麓宮から車道に出た所から 小生と同じ方向に歩き、 バス停に向かう人がいたのだが、 もしかしたら 本日小生と同じルートを歩いた方なのかもしれない。 何故ならば、 小生と同じく本栖湖入口でバスを下りたからである。
登山靴ではなく、 短靴のように見受けられたし、 全く登山道とは関係ない 有料駐車場の方から歩いてこられたので、 登山者ではないと勝手に決めていたのだが、 同じバス停で下りたのでビックリ。 雨ヶ岳、毛無山間では、 同じ方向に進む足跡が雪の上に 1つあったので、 その方だったのかもしれない。 話をするタイミングを逸してしまったのは残念であった。

29日は当初曇りの予報だったものの、 当日が近づくに連れドンドン状況が好転し、 最終的には快晴の予報となり、 そして実際 快晴のもとでの登山を楽しむことができたのだった。
また、ダイヤモンド富士も見ることができ、 格段に改善された竜ヶ岳・雨ヶ岳・毛無山間の道を 気持ち良く歩くことができ、 大いに楽しむことができた登山であった。
両手首にも負坦が掛からず、 バスも予定通り到着。 ダイヤモンド富士の写真がうまく撮れなかったことを除いて、 ストレスのない楽しい登山であった。
一年の締めくくり登山としては最高である。


急遽 鶏冠山に登る  2011.12 記

12月は何かと忙しく、ほぼ 1ヶ月間 更新をサボってしまった。
但し、山には行っており、 まずは 12月18日(日)の登山について 下記にご報告。

12月18日(日)に山に行ってきた。 11月26日の烏帽子ヶ岳以来の山である。
さすがにこの時期になると、 高い山は雪に覆われ 本格的な冬山装備が必要となるため、 狙う山は高くても精々 2,000m前後の山に限られてくるし、 さらには登山基地までのアプローチも、 小生のノーマルタイヤの車では厳しくなってくるため、 自ずと行動範囲が限定されてくる。
そうした中、今回選んだのは奥秩父の黒金山。
この山には 以前 乾徳山経由にて登っているのだが、 昨年の雁坂嶺や鶏冠山などから見た時に、 そのなかなか美しいピラミッド型に魅力を感じたため、 今回は西沢渓谷から登ろうと出かけたのだった。

朝の 4時40分に自宅を出発。 かなり遅めの出発だが、 これは場所がそれ程遠くないこと、 そしてさらには西沢渓谷に至る 国道140号線の路面凍結が考えられるので、 明るくなってから現地に着くことを意図してのものである。
空には星が瞬いており、本日は快晴のようである。
順調に国道16号線、中央高速道を進む。 外気温はマイナス3度、かなり寒そうである。
しかし ありがたいことに、 勝沼ICで高速を下りて一般道に入っても路面の凍結はなく、 順調に進むことができ、 西沢渓谷には 7時5分に到着したのだった。
車を駐めたのは何時も通り、道の駅 みとみ。 ここにはトイレもあるし、 飲み物などもすぐ手に入り大変便利である。
身支度をして 7時19分に出発。 やはり外は寒い。 道路を渡って西沢渓谷沿いの林道へと進もうとしたところ、 入口付近に立て看板があり、 そこには何と、 本日進むつもりであった 西沢渓谷沿いの登山道が 12月1日から来年の4月末まで 通行禁止である旨が書かれていたのである。 これには愕然。 事前の調査不足であった。
通行止めの禁を破って進むことも考えたものの、 それはやはり良心が咎めるし、 何よりも登山が楽しくなくなってしまう。 それに事故が起きたら対応出来ない危険性があるし、 さらには禁を破ったことを 堂々とホームページ載せる訳にはいかない ということもあって、 このルートからの黒金山は断念、 代替案を検討する。
徳和まで行き、 そこから乾徳山、黒金山を登る という前回と同じルート案がすぐに思い浮かんだが、 やはり黒金山には西沢渓谷から登ってみたいし、 また、時間をかけて徳和まで行く (車でかなり戻ることになる) のは面倒なのでボツ。
それならば、 この西沢渓谷から登ることができる 甲武信岳か鶏冠山ということになるのだが、 最終的に鶏冠山に決めたのだった。
理由は単純で、 甲武信岳には夏、冬とも 何回も登っているのでもう良いだろう という思いが強く、 一方、鶏冠山は前回の鶏冠尾根登山にて 本当の頂上に行くことができたものの、 ガスで全く展望が得られなかったため、 本日のコンディションならば そのリベンジを果たすことができそうだ と思ったからである。
林道を進み、 甲武信岳への登山道である戸渡尾根、 徳ちゃん新道をやり過ごし、 二俣吊橋へと至る。 この吊橋からは鶏冠山がよく見えるが、 山肌を見ると日当たりが良さそうなので、 あまり雪はなさそうである。
吊橋を渡り、 階段状の道を登った所から右に折れて鶏冠山へと進む。 右に入らずそのまま進めば黒金山に至るのだが、 それはまた今度。
暫く東沢を右下方に見ながら進み、 小さなピークを登り越した所から河原へと下りる。 河原に下りる所には 虎ロープなどが付けられているが、 心なしか前回の時よりも道が荒れている感じがする。
河原に下り立つと、 足下は全面雪。 雪の上に足跡は全くない。 本日、そしてここ数日、 鶏冠山に登った人はいないようである。 少々不安になる。
河原を進み、渡渉点へと至る。 この時期なら靴を脱がずに渡れる と思っていたのだが甘かった。 結構水量があり、 しかも水面から出ている石には 氷の膜が付いているものが多い。
しかし、 朝のこの時間に素足で渡る気にはどうしてもなれず、 散々迷った挙げ句、 乾いている石の上を伝い、 最後は 1m強の距離のジャンプを試みたのだった。
しかし、川の流れはどうにか飛び越えたものの、 着地に失敗して河原にうつぶせに倒れ込んでしまい、 その際に右手首を痛め、 左手は親指の付け根をしこたま打ち、 右足の太腿が少し濡れ、 さらには持参したストックが少し曲がってしまったのであった。
何とか起き上がったものの、 左手親指は痛くて力が入らない。
濡れた右太腿は アンダーウエアを着ているので冷たくはないが、 カメラに付着した水滴は すぐに凍ってしまう程だったので、 素足で渡っていたら大変であった と自分を納得させる。
どうにか気を取り直して登山道を進む。 歩いている途中、 先程 胸も打っていたことに気がついた。 普通にしていれば痛くないのだが、 息を大きく吸い込んだり、 少し身体を捻ったりすると痛いのである。 もう満身創痍といった状況である。
雪のない日当たりの良い尾根をまっすぐに登っていくので、 それ程身体に負担は掛からないが、 両手を痛めてしまったので、 これから現れる岩場が心配である。
尾根を登り詰め、新たな尾根に合流する。 ここからは足下に雪が現れ出す。
岩の横を抜け、 急斜面をロープなどにて登っていく。 両手が痛いので、かなり苦労する。 また雪の斜面は凍ってはいないものの、 無闇に足を置くことができない。 下手をするとスリップしてしまう。
それでも何とか登り切り、 尾根を少し進んだところで左折し、 日当たりの良い道を進む。 ここからは黒金山がよく見える。
やがて、 第一峰を巻く荒れた斜面を登っていくことになる。 分水嶺 (反対側にある国師ヶ岳方面が見えるコル。 勝手に分水嶺と名付けた) に至り、 今度は林の中の急斜面を登って核心部の岩峰へと至る。
目の前に現れた第二峰は、 これまでは直登を避けて迂回路を使って登っていたのだが、 今回は直登できるように 岩に新しい鎖が付けられている。 手が心配だったものの、 やはりここは直登せずにはいられない。 手は痛いが、 捻らなければ何とか力を入れられるので、 苦労しつつもクリアする。
この第二峰からの眺めは抜群。 振り返れば本日登り損ねた黒金山。 そして富士山、国師ヶ岳がよく見える。
休まずに先へと進む。 岩峰の上には少し雪が残っており、 いつもは何ともない岩場歩きも、 雪があるため少々緊張を強いられる。 特に、雪に覆われた崖の縁を通過した際には、 文字通り肝が縮んだのだった。
途中の岩場にも真新しい鎖が付けられており、 格段に登りやすくなっている。 問題は第三峰手前。 岩場を下って、第三峰の基部へと下りるのだが、 その手前にある大岩が雪に覆われており、 そう簡単に足をつく訳にはいかないのである。 滑れば 左右の谷に滑落の危険もある。 普段は使わない膝まで使い、 最後は岩に抱きつくようにして岩を越え、 基部に下り立ったのだった。
難関はまだ続く。 第三峰の基部からは迂回路を使うのだが、 その迂回路は垂直に近い斜面を下りていくようになっている。 雪さえなければそれ程難しい場所ではないものの、 斜面は雪に覆われており、 頼りになるのは虎ロープと 周囲の木々という状況。 虎ロープに結び目が付けられているので、 しっかりと握ることができるものの、 結び目の間隔が必ずしも理想通りでないので、 時折手が滑る。
結局 最後は足も滑ってしまい、 1m程滑り落ちてしまったのだった。 幸い怪我は無し。
この迂回路の底も雪。 凍ってはいないものの、 ここも足の踏み場を間違えると、 かなりスリップするので、神経を使う。 最後は雪の斜面を木に掴まりながら 這うようにして登り、 ようやく第三峰の反対側にある尾根に登り着いたのだった。
ここを左に曲がれば、 鶏冠山の標柱がある 2,020mの岩場である (右に進めば木賊山)。
ここからは雪さえなければ 何と言うことはない登りだが、 雪に覆われているため、 短い斜面を登るのに苦労する。
標柱到着は 11時14分。 あわよくば、2,177m峰まで、 さらには木賊山までなどと考えていたが、 とんでもない。 今日は鶏冠山の本当の頂上までが精々である。
ここからの展望は抜群で、 富士山や黒金山は勿論のこと、 国師ヶ岳から甲武信岳へと連なる尾根がよく見える (甲武信岳は見えないが)。 また、反対側には雁坂嶺や破風山も見える。 暫し休憩して 11時32分に出発。 2,115mあるという本当の頂上を目指す。

先ほどの第三峰の巻き道への分岐を通り過ぎ、 木賊山方面へと進む。 ここからは道がやや分かりにくくなるとともに、 シャクナゲが煩く、 進むのに苦労する。 シャクナゲは顔や手足に頻繁に当たり、 時には背中のザックに絡んで 歩みを止めようとする。
挙げ句の果てには、 このシャクナゲの攻撃により、 眼鏡に付けていた クリップ式サングラスを飛ばしてしまったのだった。 恥ずかしいことにその時は気づかず、 明るい場所に出てサングラスが無いことに気づく という体たらくであった。
ようやく辿り着いた 2,115mの頂上では、 晴天のお陰で展望を得られ、 前回は見ることが出来なかった 甲武信岳も見ることができたのだった。 なお、前回はこの頂上に何もなく、 ここが頂上かと少々不安に思った程だったが、 奇特な方がおられるようで、 今回は小さいながらも 標識が木に括り付けられていた。 ようやくスッキリした感じである。
この調子で 2,177m方へと進むことを考えたものの、 時刻は既に 12時。 時間的には戻るしか無く 往路を引き返す。
戻る際、 クリップ式サングラスを探したのだが、 結局見つけることはできなかったのだった。
帰りも 2,020mの標柱に立ち寄った後、 巻き道へと進む。 やはりここでの登り下りには苦労する。
第三峰の基部に戻った後は、 先ほど着地に苦労した岩をしがみつくようにして乗り越え、 岩場を進む。
雪がある分、慎重に進むため、 かなり時間を要する。 それでもどうにか核心部を抜け、 斜面を下り、分水嶺を通過。 荒れた斜面を下って、登りの時に苦労した場所を過ぎる。
後はほぼ一直線の尾根の下りとなるので、 もう安心かと思ったのだが、 それ程甘くない。
日当たりの良い尾根上の道は 雪も無く全く普通の登山道と変わらないものの、 人があまり歩いていないためか、 かなり落ち葉が道を覆っている。
登りの時は苦労しなかったのだが、 下りは落ち葉の下に木の根などがあると、 ズルズル滑る。
一度などは、両足とも滑ってしまい、 昨年の同時期 (雁坂嶺、破風山) のように足を捻ってしまうところであった。 とっさに左手で細い木の幹を握り、 事なきを得たのだったが、 その際左手に無理をさせたため、 さらに手の状態が悪化。 後で手袋を脱ぐと、 親指の付け根は青黒く腫れていたのであった。
落ち葉に苦労しつつも何とか尾根を下りきり、 問題の渡渉地点に到着。 こちら側には水面に露出している石も少なく、 足掛かりがほとんどない。 よっぽどスパッツと登山靴のままで渡ってしまおうか と思ったのだが、 やはり後のことも考え、 裸足になって渡ることにする。 手に登山靴を持ちながら、 川に踏み込む。
思った通り水は冷たく、 向こう岸に渡り着いた時は、 身体に震えが来る程であった。 それでもすぐに水分を拭き取り、 靴下、靴を履いたら結構暖かくなってきた。 寒中水泳の後といった感じである。
ここからは荒れた斜面を登り、 林を進めば遊歩道、そして林道である。
ここまで来ればノンビリと進めば良い。 そして道の駅には 16時10分に戻り着いたのだった。

本日は、下調べを怠ったが為、 目的の山に登れず、 さらには急遽登ることにした鶏冠山で無理をしたため、 右手、左手、さらには胸部を痛めてしまった。 また、道具の方も、 ストックは曲がってしまうし、 クリップ式サングラスを紛失するなど、 散々な一日となってしまったのだが、 この位で済んだのはありがたい と思わねばならないのかもしれない。
よく考えると、 山中に誰もいない中、 歩けなくなったら死に至ることも考えられる。 結構危険と隣り合わせの登山であった。
しかし、 苦労したものの、楽しめたのも事実。 一方、雪が凍っていたら無理であったことも確かである。 打撲とともに、 久々の筋肉痛を味わうことになった山行であった。


急遽登った烏帽子ヶ岳はなかなかの山  2011.11 記

11月26日(土)は天気も良さそうなので 山に行くことにした。
行き先は、 前から考えていた中央アルプスの安平路山。 しかしである、 前日の金曜日、 翌日の準備も整え、 床に就く前に何気なくインターネットでヤマレコを見たところ、 安平路山登山は厳しいかもしれないことが 判明したのだった。
タイミング良くというか、 ヤマレコにはまさにその金曜日に 安平路山にトライした方の記録が掲載されており、 そこにはアプローチに使う大平街道は凍結状態、 さらに山にはかなり積雪がある との情報が記されていて、 その方も摺古木山までで帰ってきたとのことであった。
これを見てしまっては、 ノーマルタイヤにて早朝の大平街道を走る気にはなれず、 さらには 雪で踏み跡もないと思われる 未知の山に入る勇気は出ず、 急遽行き先を変更することにしたのだった。
寝る直前のことだったのでかなり慌てたが、 良く考えれば、何も知らずに現地に赴き、 大平街道の状況を見て諦めることになるよりは ずっとマシである。
さて、安平路山に代わる山だが、 早く寝たかったために短時間で検討を済ませ、 中央アルプス近辺でもう一つ登りたいと思っていた 念丈岳に決定した。 無論、こちらも初めての山であり、 道路状況、積雪状況が心配であるが、 アプローチに使う林道が凍結している場合は、 歩いても構わないし (事実 地図には林道歩きの時間も記載されている)、 時間が無くなったら、 手前の池ノ平山、 あるいは烏帽子ヶ岳までとすることも可能なので、 安平路山よりは柔軟性がありそうである。 一応、念のために、 軽アイゼン、スパッツをザックに詰め込む。

さて、土曜日当日であるが、 夜中の2時に起きるつもりだったのに寝過ごしてしまい、 起床したのは3時過ぎ。 念丈岳には大変失礼だが、 意気込んで登ろうとしていた山に登れなくなって テンションが下がったのは否めず、 その結果がこの寝坊である。
この時間であるから、 時間的に念丈岳に登るのは難しいかもしれない と思いつつ、 3時40分に自宅を出発する。
何時も通り、 八王子ICから中央高速道に入る。 夜が明けるに連れ、青空が広がり、 周囲の山々が見えてくる。 八ヶ岳は冠雪しており、 甲斐駒ヶ岳も同様。
最近まで暖かい日が続き、 先日の勤労感謝の日も、 これらの山にはあまり雪はなかったと聞くが、 たった2日間で大きな変化である。 車付属の温度計は、 外気温マイナス2度を示しており、 一気に冬になだれ込んだ感じである。
この状況は岡谷JCTを過ぎて、 中央アルプスが見えても変わらず、 3,000m級の山々は完全にその頂を白くしており、 その手前の樹林に覆われた山にも 樹林の間に白いモノが見える。 これは厳しい山行になるかもしれないと思いつつ、 車を進める。
ところが、 やはりテンションがそれ程高くないためか、 そのうち、急激な眠気が襲ってきたのだった。 窓を開けて冷たい空気を入れても すぐにまた眠くなる始末で、 これはまずいと、 小黒川PAにて仮眠をとることにする。 仮眠は15分程と思ったのに、 結局40分程寝てしまう。 頭の方はスッキリしたが、 活動する時間がドンドン減っていく。
さらには、松川ICで高速を下り、 すぐの信号を左折して県道15号線を北上するも、 念丈岳への道が分からない。 かなり行き過ぎたと思う所で車を止め、 地図を確認する。 もう一度松川ICに戻る途中、 標識を見つけて 正しい道に入ることができたのだったが、 急な行き先変更により、 事前の情報収集が不十分であるツケが回ってきたのだった。
本来は、松川ICからすぐの信号を左折して県道15号線に入った後、 柳屋商店というバス停を右に見たら、 すぐに右側に見えてくる 宇寿田製菓の看板の所で左折すれば良い。 帰宅後ネットで調べたら、 その看板の反対側、 つまり左折する所に 小八郎岳・烏帽子ヶ岳の標識も立っていることが分かった。 見落としてしまったようである。
左折した後は、ほぼ道なり。 要所に鳩打峠への方向を示す標示板があるので、 間違える心配はない。 道は高速道の下を潜ってすぐに山道となるが、 キチンと舗装されている。
但し、すれ違いができない狭さの上に、 カーブにミラーなどは設置されていないので、 慎重に進む必要がある。
高度を上げていくと、 やがて鳩打峠に到着。 ありがたいことに、 危惧していた道路の凍結はなかったものの、 峠近くでは道の上を水が流れていたので、 もう少し寒くなったら 凍結することが十分に考えられる。
鳩打峠到着は 7時55分。 これはかなり遅い時間である。 小生が着いた時には、既に6台程車が駐まっていた。
身支度をして8時1分に出発。 林道を少し進むと、 すぐに立派な登山口が現れる。 傍らには立派な案内図が立てられている等、 念丈倶楽部という 念丈岳を愛する人達によりキチンと整備されている。
案内図の左手から登り始める。 短いながらもいきなりの急登。 しかし、それを回避するためか、 新登山口が林道をさらに5mほど進んだ所にできている。 下山時はこの新登山口へと下ったのだが、 確かに傾斜は少なく、楽である。 とは言っても、旧の登山口からでも急坂を少し登れば、 すぐに新登山口からの道に合流することになる。
道はジグザグに登って高度を稼ぎ、 途中からは緩やかな登りとほぼ平らな道の繰り返しとなる。 道の方もやはり念丈倶楽部の方々によって 整備されているようで、 全く問題はない。
やがて、小八郎岳へ登る道と、 小八郎岳を巻く道との分岐に到着。 鳩打峠に着いた時点で 今日は烏帽子ヶ岳までかもしれない と思っていたこともあって、 余裕ができており、 小八郎岳を目指すことにする。
明るい斜面を登っていくと、 やがて先の方にコンクリートで固められた斜面を有する高みと、 そこに立つ東屋が見えてきた。 そしてすぐに小八郎岳への分岐となり、 ほんの一登りすると頂上であった。
ここは伊那谷、 そしてその奥に連なる 南アルプスの山々が一望でき、 素晴らしい場所である。 この場所には 伊那郡片切郷を本拠とする豪族 片桐 (片切)氏の当主 片桐小八郎大夫景重の 避暑用の城があったとのことだが、 眼下に広がる自分の領地を見て、 まさに殿様気分を満喫したことであろう。
また、反対側には目指す烏帽子ヶ岳が、 その名の通り烏帽子型をした姿を見せている。 池ノ平山、念丈岳も見えるが、 かなり距離がある。 また、真っ白な中央アルプスの一部も見えたのだが、 もしかしたら空木岳だったのかもしれない。
頂上に 6分程居た後、 縦走路に戻り先を急ぐ。 暫く下っていくと、 先ほど分かれた迂回路と合流。 ここには、鳩打峠から烏帽子岳までの間を10等分した中で、 3/10を示す標示があった。 まだまだ距離があることを知り、少しガッカリ。
ササの中を割るようにつけられた道を進む。 6/10という標示を過ぎた辺りから 足下に雪が見え始め、 飯島町からの道との合流地点 (七合目) から先は、 完全に雪道となったのだった。
雪は地面をうっすらと覆っている程度であり、 凍ってもいないのだが、 結構滑りやすく苦労する。
やがて、右手の樹林越しに、 白き山々が見え始める。 拳骨を突き上げたような特徴的な山も見えるが、 恐らく南駒ヶ岳、赤椰岳の手前にある 田切岳と思われる。
道は 8/10の標示を見た後、 一向に 9/10が現れない。 道は雪の急斜面を登っていくようになり、 鳩打峠からほとんど歩きっぱなしのため、 疲れが出てきている。
周囲に大きな岩が現れ始めると、 やがて烏帽子岩を直登して頂上に至る道と、 その烏帽子岩を巻いていく道との分岐に到着。 雪があるとはいえ、 まだ大丈夫だろうと、 烏帽子岩を直登するルートを選ぶ。
大きな岩が目の前に立ちはだかるが、 足場、手を掛ける箇所が沢山あり、 また要所には鎖も付いているので、 それ程難しくない。 目の前の岩の上に到達すると、 さらに高い岩があり、慎重に足を進める。 高度感は抜群で、展望は言うことなし。 南アルプスの山々、八ヶ岳、浅間山がよく見える。
その岩場を下って、巻き道と合流。 少し樹林の中を登れば、烏帽子ヶ岳の頂上であった。 時刻は11時22分。
結局、往路・復路とも 9/10の標示を 見つけることができなかったのだった。
頂上には数人のグループがいたものの、 丁度下山するところであり、 20分後に1人登ってくるまで 頂上独り占めであった。 しかし、風が強く吹き、しかも冷たいので、 頂上にジッとしているのは辛い。 それでも、岩を風よけにしながら本日初めての休憩を取り、 空腹を満たした後は、 周囲の景色を眺めて楽しむ。
まずは真白き仙涯嶺、南駒ヶ岳、赤椰岳、田切岳、 そして田切岳の後ろに少し見える空木岳に目が行く。 雪化粧したその姿は、迫力満点である。 また、仙涯嶺の左には越百山も見える。 間を結ぶ稜線は気持ちよさそうで、 昨年その尾根を歩いたことを思い出させてくれる。
また、振り返れば南アルプスの山々が一望できる。 先日 伊那前岳に登った際に見ているので、 格別目新しいものではないが、 鋸岳、甲斐駒ヶ岳から始まり、 聖岳、光岳へと至る山並みはやはり素晴らしい。 伊那谷の人達が この南アルプスと中央アルプス両方の山々を 日々眺められるのは羨ましい限りである。
そして、さらに右に目を向ければ、 池口岳と思われる双耳峰まで見える。 もう言うことなしである。
南アルプスの左には八ヶ岳、 そして浅間山も見える。 もしかしたら、 北アルプスも見ることができるのかもしれないが、 この日は確認できなかったのだった。
さて、目を西に戻して、 烏帽子岳から続く山々を確認する。 目の前には池ノ平山が大きい。
地図では、ここから池ノ平岳まで 1時間、 帰りは 40分とのことであるし、 標高もこの烏帽子岳よりも高く、 2,327mあるので行ってみたいところである。 しかし、その先の念丈岳に行くのは時間的に難しく、 そうなると念丈岳を目指して 来年もう一度トライすることになることから、 ルートに新鮮味を持たせるために 池ノ平山は次回に取っておくことにした。
ということで、本日はここまで。 そうなると時間が余るので、 寒い中、烏帽子岳頂上にて 40分以上周囲の景色を眺めていたのであった。 12時7分に烏帽子ヶ岳を出発。 往路を戻る。
下山時も巻き道を通らず烏帽子岩を越える。 後は、一気に下るだけ、 と言いたいところだが、 雪の斜面を下るのは、 結構神経を使う。 飯島町からの道との合流点を過ぎれば、 足下の雪も少なくなり、スピードが上がる。
帰りは小八郎岳をカットしようかと思ったのだが、 天気が良いので、 朝とは違う光りの具合の中で南アルプスを見るべく、 再び立ち寄ることにする。 朝は雲の上に南アルプスが浮かぶ感じであったのだが、 今は雲一つ無い快晴。 光線の具合も良くなり、 朝方はほぼ真っ黒にしか見えなかった 南アルプスの山々が、 白い山肌を見せてくれている。
後は順調に下り、 14時40分に駐車場に戻り着く。 駐車場には 8台程車が残っており、 擦れ違った人達の分を引くと、 烏帽子ヶ岳より先に進んだ人達が 2人以上はいたようである。
この日、急遽登板願った烏帽子ヶ岳 (それも代打の本命ではない) であったが、 ピンチヒッターとして 十分な役割を果たしてくれた なかなかの山であった。 安平路山、そして念丈岳は、 来年の6月くらいに再挑戦したいものである。


21年ぶりの伊那前岳・宝剣岳  2011.11 記

11月13日の日曜日に山に登ってきた。 本当は土曜日に行きたかったのだが、 用事があったことに加え、 身体の方も少々疲れ気味だったことから 13日にしたものである。
さて、こうした日曜日の登山となると、 翌日からの仕事への影響も考慮し、 ハードな山行は避けたいところである。 一方で、この時期でも暖かい日が続いていて 3,000m近い山に登ることが可能であることから、 このチャンスを利用したいという気持ちも強い。
ということで、 今回は前から温めていた中央アルプスの伊那前岳、宝剣岳に登り、 その後、千畳敷に下って、 下山はロープウェイを利用する というプランを実行することにした。

伊那前岳には 21年前に桂小場から 木曽駒ヶ岳・空木岳へと縦走した際、 途中、宝剣山荘にチェックインした後に 時間があったので登っており、 宝剣岳の方もその縦走の際に登っているので、 両方とも再登山となる。
しかし、木曽駒ヶ岳、空木岳の再登山を果たした今、 他の山から中央アルプスを眺めた時に良く目立つ この 2つの山も、 もう一度登っておきたいところである。 加えて、千畳敷は一度歩いてみたいと思っていたので、 このようなプランを考えた次第である。
なお、夏であれば、 かなり早い時間に登り始めることが出来るので、 このプランに木曽駒ヶ岳を加えることも可能なのだが、 現在はロープウェイ、 そしてそれに連動するバスも冬ダイヤになっているため、 自ずと時間的制約がかかってしまう。
なお、土曜日に当該地域の天気予報を確認すると、 YAHOOは終日晴れなのに対し、 Mapionの方は晴れと曇りのマークが 3時間毎に交互に並んでいる。 となると、少々天候が心配になるが、 それ程ひどい状況にはなるまいと 出かけることにしたのであった。
前述したようにロープウェイは冬ダイヤのため、 しらび平からの始発は9時。 そのため菅の台バスセンター(以下 BC) から しらび平に向かうバスも 8時12分始発と遅い。
一方、伊那前岳には 菅の台BCからしらび平に向かう途中にある 北御所登山口から登るのだが、 この道に一般車は入れず、 しらび平行きのバスを利用するしか方法がないのである。 従って、始発バスに乗るべく 8時前に菅の台BCに着いていれば良く、 久々に 4時前という遅い時間に家を出たのだった。

自宅を出る時は曇り空。 国道16号から中央高速道に入っても曇りのままであったが、 韮崎ICを過ぎた頃から青空が広がりだし、 ついには晴れた空に茅ヶ岳、 八ヶ岳のシルエットが浮かぶようになって、 テンションがグッと上がってきたのだった。
しかしである、 右手にEPSONの工場を見た辺りから霧が漂い出し、 さらには岡谷JCTから名古屋方面に向かうと、 両側に見えるはずの中央・南の両アルプスは どちらも雲に覆われてしまっている。 これにはショック。 よっぽど予定を変更して八ヶ岳に登ろうか と思った程である。
なお、まだかなり時間に余裕があったので、 途中の小黒川PAにて 30分程仮眠する。 目を覚ました後も、 残念ながら周囲は雲に覆われ、 全く山を見ることができない状態であった。

駒ヶ根ICで高速を下り、 そこからすぐの菅の台BCに進む。 周囲は霧が立ちこめており、 視界が悪い。 ますます気分が落ち込む。
それでも駐車場には登山者が結構いるので、 気を取り直して身支度に掛かる。 バス停には既に列ができており、 小生も北御所登山口までの切符を購入した後、 その列に並ぶ。
ありがたいことに、 バス待ちの人が多いため、 8時に臨時バスが出るとのこと。 少しでも早く登山口に着きたいのでこれは嬉しい。
霧の中、 バスは補助席も全部使うという満員状態にて出発。 しかしである、 山道に入ると 何と急に日差しが明るく周囲を照らし出し、 青空も見えるようになったのであった。 この急激な変化には本当に驚いた。 途中、バス内に流れる案内に従って下方を見ると、 本来 駒ヶ根市街が見える場所は雲に覆われている。 雲の上に出たというのが正しいようだ。
バスは山道をジグザグに登って高度を稼ぎ、 やがて北御所登山口に到着。 降りたのは小生 1人。 誇らしさを感じる一方で、何となく気恥ずかしい。

バス停横の車止めのゲートを通過し林道を進む。 この林道歩きは長く、 また勾配がついているので、 準備運動としては丁度良い感じである。 道には登山口までの距離を書いた標識も立っているのだが、 残り 0.7kmとの表示を見てからが長く、 なかなか登山口が現れない。 途中に右下の堰堤に下る道があったので、 登山口の表示を見落としたのかと不安になる。 この先に登山口がなければ戻ろうと思った矢先、 カーブを曲がった先の方に 北御所登山道の標識があり、 その少し先の左手に登山口が現れたのだった。 一安心である。 時刻は 9時4分。

ここからは樹林帯の中、 ササに囲まれた道をジグザグに登っていくようになる。
道は所々で平坦になるものの、 総じて登りが続き、なかなかキツイ。 というか、本日は身体が重い。
また樹林の中をずっと進むので、 展望はあまり得られない。 それでも時として 樹林越しに西側の山々が見えることがあるが、 残念なことに山にはガスが掛かり始めている。
上空も一部青空が見えるものの雲が多く、 天気予報はMapionの勝ちといったところである。
やがて、少し傾斜が緩くなり、 左下に水の流れが見えてきたかと思うと、 小さな広場に飛び出した。 清水平である。
ここはその名の通り、冷たい水が湧き出している。 しかし、樹林に囲まれ、 シーンとした広場は少し薄気味悪い。 ノドを潤した後、すぐに先に進む。
この清水平からさらに少し登ると、 今度はうどんや峠に飛び出す。 方向を示す標識の傍らには五合目の標柱もある。 ここで大休止。
ここは南側が開けており、 檜尾岳とそこから下る尾根が見えるし、 宝剣岳から延びていると思われる稜線上には、 なかなか立派な山容の濁沢大峰も見える。 ただ、やはりガスが上がってきており、 また稜線上には雲が多い。 この後の天候が心配になるが、 一方で北側を見れば樹林越しに青空が広がっているので、 まだ期待が持てそうである。

道はうどんや峠から左に折れ、樹林の中を進む。 尾根の右斜面を横切って進み、 途中から左上の尾根へと登って高度を稼ぐパターンの繰り返しである。 右手樹林越しに権現づるねの尾根がチラチラ見えるものの、 展望が開けることはない。
やがて、道が緩やかになり、 足下に水の流れが現れたかと思うと一丁ヶ池に到着。 池と言うよりは大きな水たまりのようだ。 ここもあまり雰囲気が良くない。
一丁ヶ池の先に小さな広場があり、 そこには六合目の標柱もある。
この場所を過ぎると再び登りが始まる。 ここまで明瞭だった道は、 この広い斜面の登り (無論樹林の中) では少々不明瞭になる。 ただ、注意深く進めば迷うことはない。
一登りすると、 またまた小さな広場に飛び出す。 小屋場である。 ここは日当たりも良く、 腰掛ける岩もあるので、 休憩にはもってこいである。 但し、展望は無い。
高度を上げるに連れ、 周囲は徐々にシラビソなどの木々から ダケカンバなどに変わっていく。 明るい南東側の斜面を横切るようになると、 展望がグッと開け、 南アルプス、八ヶ岳、駒ヶ根の町並みがよく見えるようになる。 南アルプス、八ヶ岳方面は快晴のようであり、 また、今朝程 駒ヶ根市街を覆っていた雲も、 今は全くない。
やがて、道はハイマツと岩の道に変わり、 北側に向かって登っていくと、 登り着いた所でパッと展望が広がった。
目の前には聖職の碑コースとなる尾根が見え、 その左手には濃ヶ池のカール、 またその後方に馬ノ背が見える。 さらに左には伊那前岳が遠く、そして高い。
ここからは尾根上の道、風が強い。 七合目を通過して、目の前の高みに取り付く。
伊那前岳に至るにはまだ 3つ程ピークを越えていかねばならない。 厳しい行程だが、展望が良いのが救いである。 ただ、北側には青空が見えるものの、 南側は雲が多く、 さらにはガスが時折流れて、 伊那前岳、馬ノ背を隠す。
岩場の斜面を登り切ると、八合目。 左上には祠が見える。
ここからは植生保護のロープ伝いに進む。 やがて道が二つに分かれたのだったが、 ペンキ印に従って左側の道を進む。 そして右上に見える伊那前岳と思われる高みへと岩場の道を登る。 しかし、道は途中でその高みを巻いていく。 そのまま上まで行く踏み跡もあったのだが、 明瞭な道の方を選ぶことにしたところ、 道はそのまま高みを巻いて通り過ぎていく。 おかしいなとは思ったものの、 先の方にも高みが見えるし (実は和合山であった)、 途中から斜面には立入禁止のロープも出てきたので、 そのまま進むことにする。
しかし何と言うことだろう、 前方の宝剣岳を眺めながら進んでいくと、 何と勒銘石に着いてしまったのだった。 やはり先ほどの高みは伊那前岳だったようである。
仕方がないので、 勒銘石の前に荷物を置き、伊那前岳へと戻る。 今度は尾根通しに戻り、伊那前岳に到着。 頂上には三角点があるのみで標識など何もない。
なお、帰宅後ネットで調べていたら、 伊那前岳は植生保護のため立入禁止 との記述が多く見られた。 迂闊であったが、 状況は頂上直下のハイマツの斜面は 立入禁止になっているものの、 尾根通しの道にロープは張られてなかったように思う。
三角点を踏んだ後は、 勒銘石に戻り暫し休憩。 下方には千畳敷、右上方には宝剣岳が見える。 残念ながら、 宝剣岳より先の山々は既に雲の中である。
さらには、 休んでいるうちに下の方からガスが上がり始める。 今まで通りガスは一過性のものかと思っていたら、 ガスは完全に周囲を隠してしまい、 結局、この後 千畳敷に至るまでガスの中であった。

あまり視界が利かない中、 乗越浄土を過ぎ、宝剣山荘横から宝剣岳を目指す。
宝剣岳への登りは完全な岩場であり、 鎖場もあるのだが、 短い間隔で岩にペンキ印が付けられているので、 ガスの中でも迷うことはない。 視界が利かないのが残念である。
一方で、ガスが立ちこめる中、 時折太陽が明るい光を放つので、 ブロッケン現象が起こる。 この日は、都合 3回のブロッケンを見ることができたのだった。
岩場を伝って宝剣岳には 13時34分に到着。 前回と同じく、 頂上となる岩の平らな部分には登らず仕舞い。 空身なら挑戦できないこともなかったのだが、 ザックを背負ったままであるし、 さらにはもともと身体が硬いので、 無理はしない方が良い。 なお、平らになった部分には数枚の小銭と、 杖として使われたらしい木の棒があるだけであった。
宝剣岳からは極楽平を目指して進む。 こちら側も岩場伝いの道が続き、 鎖場も頻繁に現れるが、 そう難しくはない。 但し、油断は禁物である。
岩場を終え、三ノ沢岳への分岐を過ぎると、 道は植生保護の柵の中を進むことになる。 この辺はコマ草の群生地なのかもしれない。
やがて、極楽平。 ここで道を左に取り、千畳敷へと下る。 一度は歩きたいと思っていた千畳敷であるが、 この日はガスで視界がほとんど利かない状態。 これも山、致し方ない。
ロープウェイ駅の手前、 駒ヶ岳神社前のベンチで着替えを行い、 14時40分のロープウェイにて下山。 やはり楽である。
しらび平に着くと、 菅の台BC行きのバスが待っていた。 乗車して 5分程で出発。 全くストレスのない流れである。
そして順調に菅の台BCに到着し、 15時30分過ぎには帰宅の途につくことができたのだった。

今回のコースはなかなか登り応えがある上に、 森林限界を超えてからの展望が素晴らしく、 魅力的なコースであった。 さらにはこのコースを通る人は少ないようで、 静かな山旅が楽しめる。 ちなみに、この日、伊那前岳に至るまでの間、 下山者1名と擦れ違っただけであった。
今回、宝剣岳はガスの中で、 御嶽などを見ることができなかったものの、 21年ぶりの山々は 記憶から欠落していた部分を沢山見せてくれ、 初めての山のように楽しむことができたのだった。


狙い通りの小河内岳  2011.11 記

10月10日に北アルプスの餓鬼岳に登って以来 なかなか山に行けない週末が続いている。
そして、10月最後の土日も、 天気予報はあまり芳しくない状況のようなので 山に行くことを半ば諦めていたのであったが、 嬉しいことに土曜日の天候は 晴れのち曇りというように良い方向に変わり、 日中は 晴天が期待できそうな状況になってきたのであった。
ということで、 早速 山に出かけることにしたものの、 ここのところ 結構きつい山登りが続いており (この年齢では 10時間となるような山行はきつい)、 下山してからも 身体に疲れが残ることが多いので、 この辺でもう少し楽な登山がしたいところである。
加えて、 最近の温度変化の激しさに、 若干風邪気味であることも考慮して、 少し身体に優しい山を目指すことにした。
その結果選んだのが 南アルプスの小河内岳である。 この夏に登った塩見岳と同じく 鳥倉林道から登り、 三伏峠までは同じルートを辿ることになる。 三伏峠からは道を分け、 荒川三山の方に進むのであるが、 三伏峠から小河内岳までの距離は 三伏峠から塩見岳のそれに比べてずっと短い。
それに小河内岳の標高は 2,800mを越えているので、 それなりの満足感を得られそうである。 もう一つ理由を加えるのなら、 この時期、三伏峠小屋や塩見小屋、 そして小河内岳避難小屋は、 皆営業を終了しており、 従って入山する人の数も少なく、 静かな山旅が楽しめる と思ったからである。

日の出の時間が遅くなっていること、 そして今日はそれ程下山が遅くならないだろうことを見越して、 何時もより少し遅い夜中の 2時に自宅を出る。
上空は雲一つ無く、 冬の象徴とも言えるオリオン座が輝いており、 のっけからテンションが上がる。
今夏の塩見岳登山の時は 出発時にトラブルがあり (いつも使う車がパンク)、 やむを得ずもう 1台の車で出かけたのだったが、 今回はいつもの愛車を使用。 ただ、ナビのデータが旧く、 駒ヶ根ICで高速道路を下りるルートのようなので 若干不安を感じる (前回はその先の松川ICで高速を下りた)。
それでも、 高速代が少し安くなるならと ナビを信頼することにして出発する。 国道16号線、中央高速道と順調に進み、 ナビの指示通り駒ヶ根ICで高速を下りて 県道75号線に入る。
古田切交差点で国道153号線 (伊南バイパス) に入り(右折)、 そしてすぐに琴平町交差点で 県道49号線に入ったのだが(左折)、 車が進むに連れ、 周囲の町並みはドンドン寂しい状況になっていく。 もしかしたらこの先、 食料・水を購入できるコンビニはないのではないか との不安が頭をよぎる。 前回、松川ICで下りた時も コンビニを探すのに苦労しており、 また目指す大鹿村にはコンビニが無いのは 分かっている。
進めば進む程 状況は悪くなる一方なので、 かなり進んだ所で車をUターンさせ、 国道153号線の古田切交差点まで 戻ることにする。 この古田切交差点にセブンイレブンがあったのは 確認していたのだが、 進む方向とは反対の場所にあったので、 面倒臭さが先に立ち無視した次第。 結局は 30分以上時間をロスすることに なってしまった。
県道49号線に戻り、 先ほどUターンした場所を過ぎたが、 この後もコンビニは無く、 戻ったのは正解であったが、 コンビニを見た時に躊躇せずに入るべきであった。 横浜市周辺の感覚とは違うのである。
道は山に入って行き、 しかもドンドン狭くなる。 また、しきりに分杭峠 (帰宅後調べたら、 磁場ゼロのパワースポットとか) の文字が目につくようになる。
松川ICで下りるべきだった と反省しながら狭い山道を進んでいくと、 ようやく大鹿村の文字も見え始める。 そしてT字路にぶつかり、 お馴染みの国道152号線に入ることになったのだった(右折)。 ただ、国道といえども こちらも山道で狭く、 対向車とのすれ違いができない箇所が多くて 緊張を強いられる。
それでもまだ暗いので 対向車があればそのライトで気づくことはできるのだが、 この道にはもう一つ問題がある。 道を横断する動物がいるのである。 鹿が前を横切ったことが 1回、 道の真ん中に鹿が立っていたことが 1回、 そして猿が慌てて道路際に引っ込んでいったのが 1回。 先の見えないカーブが続くので、 曲がった所に動物がいないかと かなり神経を使う。
分杭峠を過ぎ、 さらにかなりの距離を進んでいくと、 ようやく周囲に人家が現れ、 道路も国道らしく広くなり一安心。 やがて、ナビに従って鹿塩にて左折し、山道に入る。
この道も初めてであり、 少々不安であったが、 かなり山に入っていった所でやっと鳥倉林道に合流。 大きな看板に塩見岳、三伏峠の文字 (但し手書き) を見た時は本当にホッとしたのだった。
後は駐車場まで一本道であるが、 ここでも目の前を走っていく鹿の群れに遭遇。 スピードを控えめにして進む。
色々苦労したが、 それでも駐車場には6時12分に到着。 意外にも駐車場には 10台程車が駐まっている。 ただ、下山時に気がついたのだが、 これらの車は一概に登山者の車とは言えないようで、 紅葉の写真を撮るべく ここまでやって来た車もかなりあるようである。 隣の車などは、 小生が下山後も同じ場所に駐まっており、 中にカメラを持った人がいたのでビックリである。 朝方と夕方の写真を狙っているのだろうか。 ただ、紅葉は盛りを過ぎているような気がしたのだが・・・。

三伏峠までは一度往復した道なので、 何の迷いもなく進む。 まずは長い林道歩き。 途中、奥茶臼山、そして恵那山も見え、 さらには本日目指す小河内岳の姿も確認できる。
登山口には 6時52分に到着。 山への取り付き口では数名のパーティが出発準備中。 ご厚意に甘えて先に進ませてもらう。 皆 大きな荷物を背負っていたのでテント泊だろうか。
前回 蕗が足下に生えて、 やや鬱蒼としていたカラマツ林の斜面は、 カラマツの黄色い葉が少し目立つだけで スッキリしている。
最初の斜面を登り切れば、 後はそれ程急な登りはない。 途中、槍・穂高連峰も見えたし、 中央アルプスも良く見え、 前回と同じように楽しむことができたのだった。
また、三伏峠手前でも前回同様、 仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、間ノ岳、塩見岳、 西農鳥岳の姿を捉えることができ、 心が弾む。
三伏峠には 8時47分に到着。 小屋は当然閉まっており誰もいない。 ここで少し休憩。
小屋から少し進めば、 塩見岳方面と小河内岳・荒川三山方面の分岐点。 右に道を取って林の中を緩やかに下る。 下りついた所で展望が開ける。 左方に見える塩見岳が大きく見事である。
植生保護の柵が付けられた道を登り、 登り着いた所で左に曲がって尾根伝いを進む。 ただ、三伏峠裏側の高み、 ならびに縦走路右側はかなり崩壊が進んでいて、 道は本来の尾根通しの道を廃道とし、 山腹を進む道が作られている。 正面には烏帽子岳、 そして右手には前小河内岳、 そして小河内岳が見える。
この夏、 一時はこの道を辿って荒川三山、 赤石岳を目指そうかと考えたこともあったのだが、 かなりハードであるし、 ピストン登山だけに非効率であるため 断念した次第。 従って、この道は、 途中にある烏帽子岳、小河内岳を目指さない限り 通る可能性のないルートである。
高度が上がってくると、 前小河内岳の左手に富士山が見えてきた。 久々に大きな富士山を見て感激する (北アルプスの山々から見る富士山は皆小さい)。
烏帽子岳には 9時49分に到着。 何とこの頂上に 5人程の先客がいた。 皆 本日の快晴に満足している。
ここからの展望は素晴らしく、 特に目の前の塩見岳が圧巻である。 そしてその右に蝙蝠岳が続く。 塩見岳の左には間ノ岳、北岳が見え、 さらには雪を被ったように白い甲斐駒ヶ岳、 そしてどっしりと大きい仙丈ヶ岳が並ぶ。
北アルプスはやや霞気味であるが、 中央アルプスの方はよく見える。 ここからは木曽駒ヶ岳や宝剣岳よりも、 空木岳、南駒ヶ岳の方に目が行く。 そして中央アルプスの左には恵那山。 そして手前の前茶臼山、奥茶臼山となる。
そして、 南にはこれから目指す前小河内岳、 小河内岳の稜線が延びており、 その後方には荒川三山が大きい。 また大沢岳が目を引く。 さらには、富士山も綺麗に見えており、 本当に素晴らしい展望である。
烏帽子岳からは一旦下り、 これまた凄まじい崩壊地の縁を通って 前小河内岳を目指す。
烏帽子岳からは完全に一人旅。 正面に見える小河内岳は形も優しく、 また避難小屋が 丘の上に立つ家のようで 決して景色を壊していない。
そして、11時9分に小河内岳に到着。 ここでも360度の展望を楽しむ。 景色独り占めは嬉しいし、狙い通りである。
帰り際に避難小屋に立ち寄ったが、 テラス状になった台地の先に見える富士山、 荒川三山は素晴らしい。
後は忠実に往路を戻るだけである。 このルートは 三伏峠−烏帽子岳−前小河内岳−小河内岳 とほぼ 50分前後の間隔で並んでいるので (実際は もっと短時間で到達できる)、 メリハリが利いているとともに、 稜線歩きであるため 景色が楽しめて素晴らしいコースである。 本日、このコースを選んだのは大正解であった。
烏帽子岳に戻ると、 今朝程 登山口にいたパーティが景色を楽しんでいた。 どうやら三伏峠にてテント泊か 冬季小屋泊のようである。 明日塩見岳を目指すのかもしれない。
順調に下り 13時16分に三伏峠に戻りつく。 小屋周辺には数人の人達、 そしてテントが 1張。 夜は寒いだろうに。
小屋前で少し休んだ後は これまた順調に下り、 15時9分には駐車場に戻りついたのだった。 林道、そして駐車場には 写真を撮っている人たちが結構居る。 成る程、そういう楽しみ方もあるのかと感心。 中判カメラを含め、 皆さん良いカメラをお持ちである。
快晴に恵まれ、 素晴らしい展望を得られたことを喜ぶとともに、 三伏峠から小河内岳までの道は富士山、 塩見岳を始めとして 錚々たる顔ぶれを眺めながらの楽しいプロムナードであり、 身体にも優しく大変楽しい 1日であった。 周囲の山々が登ったことのある山ばかり というのも楽しさを倍増してくれている。
その中で、まだ登っていない蝙蝠岳が気になる。 来年は蝙蝠岳の頂上を踏みたいところである。


満足の餓鬼岳  2011.10 記

10月8日からの 3連休は概ね好天に恵まれたようで、 秋の山を楽しまれた方も多かったと思う。
天気予報では 3連休の前日である 7日も好天に恵まれるということだったので、 小生は混雑をできるだけ避けようと 7日に年休を取得し、 7日、8日に穂高連峰に登るべく 上高地に出かけたのだった。
しかし、世の中そんなに甘くないようで、 上高地から重太郎新道を登る途中で雪に降られ、 結局 カモシカ立場までで撤退することになってしまったのである
その日はそのまま帰宅。 不満足な状態で終わった山行であったが、 一方で上高地から 1,000m程は登っており、 身体の方もそれなりの疲れがあるから始末に悪い。 そのため、8日、9日は家で休養したのだったが、 このまま 3連休をやり過ごしてしまうのでは、 どうも気分が良くない。 かといって、 混雑が予想される地域には行きたくない。
ということで、 色々地図をひっくり返して検討した結果、 北アルプスの餓鬼岳に登ることにした。 特に注目していた山ではないのだが、 登山ルートが先般登った鹿島槍ヶ岳の赤岩尾根のように、 ややマイナーのような感じがした というのが選んだ理由である。 尤も、鹿島槍ヶ岳の方は、 扇沢から爺ヶ岳経由のルートによる 日帰りあるいは 1泊にての登頂が可能であるから、 赤岩尾根ルートは穴場になるのだが、 この餓鬼岳の白沢からのルートは、 日帰りするならここしかなく、 燕岳から縦走して来る場合は、 山中 1泊 (場合によっては 2泊) が必要になるから、 もしかしたら穴場ルートではないのかもしれない。

10日、夜中の 1時40分に横浜の自宅を出発する。
家を出る際、 先の穂高連峰に向かう時と同様、 前夜からの雨がまだ残っていて、 嫌な気分にさせられる。
何時も通り、 国道16号線、中央高速道、長野自動車道と進んで 豊科ICへと向かう。 この行程でも、 穂高連峰に向かった時と同様、 空は曇ったままであり、 さらに松本IC以降は濃い霧に囲まれる始末。 まるでデジャブのようであり、 まさか本日も天気予報に裏切られるのではないか と気持ちが落ち着かない。
豊科ICを下りても濃い霧が漂う中、 ナビに従ってICからすぐに道を左折する。 少しおかしいなと思いつつ進むと、 豊科駅入口を右折。 これで国道147号線に入ったから良いかと思っていたら、 さらに少し先ですぐに左折することになった。
そのままナビに従って車を進めていくと、 いつのまにか常念岳の登山口である 三股の方へと進んでいるではないか。
慌てて車を止めて状況を確認する。
ナビには白沢登山口近くの 国営アルプスあづみの公園を目的地に入力していたのだが、 国営アルプスあづみの公園は 2ヶ所あるらしく、 この車を駐めた場所も同名の公園であった。 小生のナビのデータは古いので、 餓鬼岳登山口近くの方の 国営アルプスあづみの公園が指定できない。 仕方なく、安曇沓掛駅を指定して再出発。 かなり違った方角に来ていたことから、 どこをどう通ったか分からないまま 相当な距離を進み、 ようやく国道147号線に合流。 そのまま少し北上すると、 すぐに安曇沓掛駅に至る沓掛交差点に到着し、 左 国営アルプスあづみの公園の表示を確認して ようやくホッとしたのだった。
なお、霧の方はいつの間にかなくなり、 空の方はまだ雲が多いものの、 青空が広がる気配を見せ始めている。
表示の通りに左折すれば、 後は登山口まで一直線であった。 なお、公園までは立派な道路であったが、 公園を過ぎるとすれ違いが難しい (一応待避場所は所々にある) 細い道となり、 林の中にドンドン入って行くことになる。
やがて、閉鎖されたようなキャンプ場を過ぎ、 そこからまた暫く進むと 先の方に数台の車が駐まっているのが見えたのだった。 車を止める場所は数カ所あり、 合計で十数台は駐まっていたであろう。 しかし、空きスペースは十分にあり、 問題なく車を駐めることができたのだった。 やはり穴場のようである。

身支度をして出発したのが 5時54分。 目的地の勘違いでかなり時間をロスしてしまった。
舗装された林道を少し進むと、 簡易トイレがあり、 その先で道は 2つに分かれる。
餓鬼岳は左の未舗装道路に入る。 林道を緩やかに登っていくと、 やがて白沢登山口の標識が現れ、 そこから左に少し下って林の中に入る。
道は途中まで平坦、 やがて簡易的な橋にて沢を渡ると、 沢沿いの道が始まる。
それ程傾斜はないが、 沢に下りたり、 また山に取り付いたりと忙しい。
また、 登山道が途中で崩壊した所もあるようで、 旧の登山道を避け、 河原に下る新しい登山道ができていたりする。
沢沿いを歩くのは楽しいが、 中には 角度の急な岩の斜面を横切る道で、 なおかつ足を置く場所が狭く、 バランスを崩せば沢に落ちてしまうような場所もいくつかある。 その場合は、 鎖が岩に付けられているので、 万一の場合を考えて鎖を握っておく必要がある。 ただ、足下は結構濡れているので、 これから寒くなってくると足下が凍り、 かなり厳しい道になると思われる。
何回沢を渡ったことだろう。 一応、2本の角材の間に横板を打ち付けただけの橋が掛けられているが、 場所によってはかなり揺れたり、 木がかなり古くなっていて 板を踏み抜いてしまわないか と心配な状態のものもある。
沢には小さなゴルジュ状の場所もあり、 また紅葉の滝、魚止めの滝などの名がついた滝の他、 小さな滝がいくつもありなかなか楽しい。 特に魚止めの滝はその単純な名前とは裏腹に、 なかなか立派な滝であり、 正面に見えてきた時には 少々ゾクッとさせられた。
やがて最終水場の標識を見ると、 このルートの第一の試練が始まる。
最初はササの中の急登。 やがてガレ場の急登に変わり、 これが大変苦しい。
足下も崩れやすく、 事実、上から下りてきた夫婦が落石を起こしていた。 幸い小生の後方に落下。 その後、樹林帯に入ってから 20人くらいの団体と擦れ違ったので、 もしこの団体とガレ場で擦れ違ったら と思うと恐ろしい。
相当バテつつも、 ガレ場を登り切ると またササの斜面の登りとなり、 登り着いた所が大凪山山頂であった。 ただ標識があったから山頂というだけで、 もっと先に高い場所がある。
ここからは多少のアップダウンはあるにしても 緩やかな登山道が続く。
やがて右の樹林越しに針ノ木岳や蓮華岳の姿が見えるようになり、 テンションもグッと上がる。 しかし、 なかなかそれらの山を見通せる場所がなく、 イライラさせられる。
また、歩き始めて 3時間超経っているので休憩したいところだが、 なかなか適当な休憩場所がない。 無論、展望のない道ばたに腰を下ろすことはできるが、 それではつまらない。 とうことで、 休憩しようと思ってからズルズルと 30分以上も歩いてしまい、 ようやく針ノ木岳とは反対側の、 さして面白味のない展望が開けている場所で休憩したのだった。 休憩の少し前には、 斜面の途中から爺ヶ岳 そしてその後方に 鹿島槍ヶ岳を見ることができたので、 北西側の展望が開けた場所に出たかったのだが、 結局最後までそのような場所はなかったのだった。
なお、肝心の餓鬼岳であるが、 大凪山から少し進んだ所で、 樹林越しではあるものの、 正面にそれらしき高みが見えたのだった。 後で知ったのだが、 その時の写真を引き伸ばしてみると、 餓鬼岳小屋も頂上の左下に見える。 しかし、その時はそんなこととはつゆ知らず、 まだまだ遠いことを嘆くばかりであった。
道はやがてガレ場の横を通る。 崩れている場所が真っ白なので、 花崗岩か石灰なのだろうか。 そしてそのガレ場を過ぎて少し進むと、 本日 第二の試練が待ち受けていた。
稜線に向かって斜面を登り詰めていくのだが、 そこには九十九折りの道が付けられているのである。 百曲りとの名前が付けられているようだが、 事実、百回曲がっているのではと思う程、 その区間は長い。
ただ 救いは、 背面が開け、振り返れば浅間山、四阿山、 そして黒姫山や妙高山と思しき山が 見えることである。 またササの斜面には すっかり葉を落とした 真っ白なダケカンバの木が生えており、 その幹の形、枝の形がかなりユニークで面白い。
とは言っても、 もう既に 5時間近く歩いてきている身にとっては、 この九十九折りは辛い。
それでも休まずに足を進めていくと、 餓鬼岳小屋まで 10分の標識。 ホッとする。 そして九十九折りはそこで終了となり、 後は小屋に向かってほぼ平らな道が続く。 そして最後に一登りすると 餓鬼岳小屋の布団部屋 (と思う) の裏手から小屋前に飛び出したのだった。
時間は 11時10分。 まずは左手の高台に行き景色を眺める。
槍ヶ岳、燕岳の他、剣ズリと呼ばれる縦走路中の鋭峰、 富士山のような有明山、 そして烏帽子岳等々の山が見える。
振り返れば、 小屋の後ろに餓鬼岳の頂上が見えている。 近い。 小屋前の標識には小屋から 5分とある。
砂礫の道を登り、 岩とハイマツの間を進むと、 本当にすぐに餓鬼岳の頂上。 頂上独り占めであった。
ここからの展望は抜群。 先日の鹿島槍ヶ岳の時に比べて 気温が高いためか、 やや靄がかかっているようではあるが、 多くの山を見ることができる。 目の前には針ノ木岳と蓮華岳。 その左奥には剱岳そしてその左に立山が続く。
蓮華岳の後方には爺ヶ岳が見え、 さらにその後方には鹿島槍ヶ岳の双耳峰が見える。 立山の左には北薬師岳、 三ツ岳、野口五郎岳、鷲羽岳等々が続き、 このパターンは先日の鹿島槍ヶ岳からの眺めに近い。
またここから見る槍ヶ岳は、 今年見た中で一番鋭い穂先と思われる。 小槍も見え、 槍ヶ岳の右には笠ヶ岳も見える。 槍ヶ岳の左手前には燕岳も見え、 こちらからの尾根が剣ズリを間に入れて繋がっている。 無論、大天井岳、常念岳も見える。
またこの餓鬼岳のすぐ先には 唐沢岳がずんぐりとした姿を見せており、 その左後方には烏帽子岳も見える。 見ていて飽きない景色であり、 頂上に40分も長居してしまったのだった。
下山は往路を戻る。 百曲がりは 下山の際にはそれ程苦痛ではないが、 ガレ場の下りの方は、 やはり下りでも疲れる。 最終水場を過ぎれば、 楽しい沢沿いの道が続き、 楽しむことができる。 そして、15時41分に駐車場に戻りつく。
この餓鬼岳は急遽選んだ山であり、 期待が高かった訳ではないが、 予想以上のハードさ、 そして楽しい沢沿いの道、 そして素晴らしい展望が得られ、 大いに得した気分になった楽しい山行であった。
目論見通りに穴場とは言えず、 山中で 30人以上と出会ったが、 ほとんどが 下山者。 登っていく人は 4〜5人くらだったのではなかろうか。


痛恨の奥穂高岳途中撤退  2011.10 記

9月23日から 25日までの3連休 (尤も、小生の会社では 夏季の節電対策期間中に週休 3日制を導入した関係で 単なる土日だけの休みであったが・・・) に引き続き、 10月8日からも 3連休が始まる (こちらの方は小生の会社も3連休)。
この期間、 天候はかなり良いようで、 ならばと、前日の 7日に年休を取得して 前穂高岳、奥穂高岳に登ることを計画した (無論、天気予報にて 7日も快晴と確認してのことである)。
動機は単純。 昨年の常念岳・蝶ヶ岳縦走の際に見た 穂高連峰の姿に感激し、 さらに 今年 西穂高岳、霞沢岳から 間近に穂高連峰を眺めて、 登りたいという欲求がかなり強くなり、 機は熟したとばかりに出かけることにした という訳である。
詳細の計画としては、 上高地から重太郎新道を登って前穂高岳、奥穂高岳に登り、 その日 (7日) は穂高山荘泊。 翌日は 尾根上ならびに自分自身のコンディションが良ければ、 北穂高岳まで縦走し、 上高地に下山するというものである。
無論、コンディションがあまり芳しくなければ、 穂高山荘からそのまま上高地に下山するつもりであった。
ということで、 頭の中では 完璧に前穂高岳、奥穂高岳、北穂高岳の縦走が 成し遂げられていたのだったが、 状況はそんなに甘くなかったのだった。

7日は穂高山荘に宿泊することもあり、 いつもより少々遅めである 夜中の 2時少し前に 横浜の自宅を出発する。
雨が降っていたらしく、 外に出たら 車も路面も濡れている。 意外に思ったものの、 松本市の天気予報は快晴のはずなので、 さして気にせず出発する。
平日のため、 国道16号線、中央自動車道、長野自動車道も空いていて 快調であった。 しかし、 空の方は長野自動車道に入っても、 そして松本ICで高速道を下り、 お馴染みとなった県道158号線を 沢渡へと進む頃になっても 一向に晴れない。 おかしいと思いつつ、 沢渡まで進み、 市営第一駐車場に車を駐める。 この日は平日であるにも拘わらず、 既に駐車場は 7割方埋まっている。
駐車場に着いたのは、5時30分。 5時40分のバスに乗れそうなので、 急いで身支度をしてバス停に急ぐ。
が、しかし、 40分のバスへの乗車は 小生の前までで締め切り (空席はあるのだが、第二駐車場以降の乗車も考慮のため)。 ついていない。
そう言えば、 ここまで来る途中に立ち寄ったコンビニでも、 SUICAがオンラインの故障か何かで使えず、 ちょっと気分を悪くしたのだった。 もしかしたら、 本日はあまり運が良くないのかもしれない。
しかし、 バスの方は 6時発のバスを 前倒しして出発してくれて、 何とか 5時50分過ぎに出発できたし、 空の方は青空が広がり始めており、 徐々に気持ちも明るくなってきたのだった。 ただ、風が強いのが気に掛かるところである。

バスが上高地に近づくにつれて、穂高連峰も車窓から見えてくる。
しかし何と言うことだろう、 山頂の方はガスに覆われているではないか。 穂高以外の場所は 青空が広がっているにも拘わらずである。 またまた気分が少々落ち込む。
平日というのに 人々でごった返している上高地を 6時36分に出発 (トイレなどで少々時間を食った)。 河童橋を渡り、 樹林帯に入って木道を進む。 ここは自然探勝道になっており、 梓川および梓川支流の美しい流れを楽しむことができる。
やがて穂高・岳沢登山路の標識が現れ、 そこから山に取り付く。
最初は樹林帯の中を進み、 やがて道はジグザグの登りとなる。 風穴を過ぎ、 岳沢のガレ場が樹林越しに見えて来ると、 道はやがてそのガレ場沿いに進むようになる。
高度を上げて振り返れば、 先日登った霞沢岳が姿を見せてくれている。 しかし、相変わらずこちら側の山々には ガスが重くのしかかっている。
また、紅葉しているはずの斜面も 心なしかくすんだ感じで あまりパッとしない。 少しテンションを下げつつも 黙々と石畳のような道を登る。
やがて、ガレ場を横切ると岳沢小屋に到着。 小生の地図は 2008年のものなので、 この場所は岳沢ヒュッテ跡との表示になっている。 調べると、 2010年に営業を再開したようである。
小屋の前から上を見上げると、 未だ残る雪渓、 そして荒々しい岩肌を持つ山の斜面が、 ガスの中に見え隠れしている。
小屋前で少し腹を満たして出発。 少々寒く感じるようになってきたので、 レインウェアの上着を着る。 左手奥に雪渓が残る谷を見つつ、 大石がゴロゴロしたガレ場を横断し、 キャンプ地を抜け、 草付きの斜面をジグザグに登る。
しかし何と言うことだろう、 進むうちに 雪がチラホラと舞い始めたのである。 しかも 登るに連れてその量はだんだん多くなって、 雪というよりはあられ状になり (以下 雪あられ という)、 周囲の木々を叩いてパラパラと音がする。
先に進んでいた人が撤退を決め戻ってくる。 小生もどうしようか迷ったが、 前穂高岳まで何とか辿り着き、 そこで前進か下山かを決めようと とにかく進むことにする。
周囲は草付きの道からダケカンバの中の登りとなり、 それに呼応するように 傾斜が厳しくなる。 狭い岩の間を抜け、 長い梯子に取り付く。
この頃になると、 雪あられは結構 積もり始めており、 岩やハイマツが白くなり始めている。 足下も滑りやすくなり、 撤退の 2文字が頭の中でかなり大きくなり始める。
上部に台地状になっているように見える場所が見えたので、 一応そこまで登ってどうしようか決めることにする。 登り着いた所は テラスになっており、 休憩にはもってこいの場所だが、標識も何も無い。 それなりに名の付いた場所では と期待していただけにちょっとガッカリ。 そこからは 細い尾根が先に続いていて、 その先の方はガス。 その中にうっすらと高みが見える。 左右を見てもガスで、 一部の岩肌が見えるのみである。
じっとしていると、 聞こえるのはパラパラと葉を叩く雪あられの音だけで、 この音が決断を急かす。
結局、岩肌が見えなくなる程 雪あられは積もってきていて スリップする危険性が増してきている中、 これから先のルート自体も難易度が高く、 しかも、今朝程の風の強さを思うと、 稜線上はかなりの強風が予想されることから、 涙を呑んで撤退を決める。
木製の梯子を下り、 急な岩場を慎重に下り、 鎖場そして鉄の梯子を下る。
岩の間を抜け、 そこからかなり下った所で、 年配のご夫婦にお会いし、少し話をする。
聞けば、 上にあるカモシカ立場まで行くことを 本日の目的としているとのこと。 この付近では 雪あられも止みつつあるが、 上方はかなりの雪あられと説明する。 そのため、 撤退を余儀なくされたとの話をしていると、 どうやら小生が最後に登った場所は カモシカ立場だったということが分かった。 男性の方に、 表示があったでしょうと言われたのだが、 全く見つからなかったので、 気が少々動転していて 見落としたとのかもしれない と思っていたら、 岳沢小屋にあった写真を見て、 菱形の岩に白文字で カモシカの立場と書かれていることが分かった。 確かにその岩ならあったが、 その表面は雪あられで覆われていたのだから、 気がつくはずがない。
小屋前では 単独の男性と話をする。 お互い 口に出るのは 本日は快晴のはずだったのに という言葉。
聞けばその方は 小屋から天狗ノコルへのルートを辿り、 ジャンダルムを経て 穂高山荘を目指していたものの、 途中で雪あられのために断念して 戻ってきたとのこと。 このルートは 重太郎新道よりもはるかに難易度が高く、 下手をすれば遭難しかねない。 撤退は正しい判断であろう。
小生はこのまま家路につくとことにしたが、 その方は結局 重太郎新道を登っていった。 帰宅後 ネットで見た穂高山荘による情報では、 登山道は積雪・凍結しており、 穂高岳山荘〜奥穂高岳山頂間、 ならびに稜線上は強風と凍結により行動は困難 とあったが、 その方はどうされたのだろうか。
小屋からは傷心を抱いて黙々と下るのみ。
なお、小生の他に結構撤退を決めた方が何人もいる一方、 岳沢にテントを張って 午前中から停滞を決めている方も数組おられた。 翌日は良い天気だったらしいので、 テントでの停滞は大正解となったことだろう。
上高地付近は 曇り時々晴れといった状態。 明神岳の岩肌は良く見えるし、 その後方には青空も覗いている。 従って観光客は結構楽しんでいたようである。
12時過ぎのバスで沢渡へと戻る。 乗客はほとんどが観光客。 沢渡の駐車場では 雨がほんの少しぱらつくおかしな天気であった。
このままでは気が治まらないので、 10日くらいにどこかの山に出かけよう と考えながら帰途につく。

ということで、 当初の目論見は見事に外れ、 結局、目的を果たせず撤退と相成った。
過去に、 時間切れで小無間山までとなった 大無間山登山もあったものの、 頂上に行くことができなかったのは、 1992年の四阿山以来 ということになる。
その時は 2,144mピークから一旦大きく下り、 そこから四阿山へ登り返すという所で、 下った部分に残雪が多く、 しかも凍った状態だったために 諦めたのであった (5月ということで、 軽アイゼンを持って行かなかった。 というより、その頃は軽アイゼンも保有していなかったと思う)。
今回は、 あのまま進むことも出来たのかもしれないのだが、 パラパラという音が気力を削ぎ、 ガスの中に ボーッと浮き上がる目の前の高みに対し、 挑もうとする気力は失せてしまったのだった。 でも、これは正解であろう。 無理をすることはない。 結局 穂高連峰は来年ということになろう。 残念だが、一方で楽しみの先送りとして、 来年も頑張ろうという気になる というものである。

なお、10日も晴れということだったので、 急遽 同じ北アルプスにある餓鬼岳に登ってきた。
疲れたけれども、 白沢沿いに進む道は 今までにない趣の登山路であり、 大変楽しむことができたのだった。その報告は別途。


17年ぶりの鹿島槍ヶ岳  2011.10 記

9月17日から 19日まで、 そして 9月23日から 25日までと 3連休が 2回続いた方が多いと思うが、 小生の勤める会社では 夏季の節電対策期間中に週休3日制を導入した関係で、 どちらも単なる土日だけの休みであった。
それはそれとして、 この両 3連休の前後、 天候のあまり芳しくない状況が続いたため、 最初の 3連休は端から天候が悪いモノと決め込んでいたら、 何と 19日は快晴となり、 大変悔しい思いをすることになったのだった。
次の3連休も、 その前々日の 21日には台風が関東地方を通過。 そして、 台風一過の青空 ということが最近はほとんどないこともあり、 この週末の山行も あまり期待できないかなと思っていたところ、 24日(土)は快晴との予報が出たため、 俄然山に行く機運が盛り上がってきたのだった。

行き先は迷わず鹿島槍ヶ岳。
昨年 五竜岳に 16年ぶりに登ったこともあり、 16年前 五竜岳と合わせて縦走した鹿島槍ヶ岳の方も 再登山せねば片手落ち とずっと思っていたためである。
また、さらには、 先日の針ノ木岳登山の際に見た爺ヶ岳が なかなか立派だったこともあって、 爺ヶ岳と合わせての日帰り登山のタイミングを ずっと狙っていたのであった。
しかし、心配なのは 24日が 3連休のど真ん中であるため、 登山基地である扇沢に車が駐められるかどうかである。 一応、万が一のことも考え、 大谷原から赤岩尾根を登ることを予備プランとし、 カーナビには大谷原までのルートも記憶させておいたのだった (カーナビには、大谷原に行く途中にある フィッシングランド 鹿島槍ガーデンの電話番号を入力)。

何時も通り夜中の 1時半に横浜を出発。 上空は雲に覆われている。
国道16号線から中央高速道八王子ICに進み、 山梨県に入っても曇り空状態は続く。
しかし、 霞沢岳の時と同様に、 岡谷JCTから長野自動車道を北上するに連れ、 星空が広がってくれたのだった。 と思ったら、 途中から霧が漂い出し、 少々イライラさせられる。 しかし、 その霧も豊科ICで高速を下りる頃には晴れ、 好天が期待される状況になったのだった。
豊科ICからは もうお馴染みになった県道306号線 (有明大町線) を進み、 途中から国道147号線を経て 県道45号線へと入る。 連休の中日のため道が混むことを予想していたが、 高速道路も含め、 ほとんどスムーズであった。
しかしである、 やはり恐れていたことが起こってしまった。 爺ヶ岳登山口周辺の駐車場は満杯状態。 さらには扇沢まで進み、 無料駐車場を周回してみたが、 こちらも満杯状態なのである。
扇沢駅近くには車の列が出来ていたので、 有料駐車場は もしかしたら空きがあったのかもしれないが、 並ぶ気にもならず、 すぐに扇沢を諦め、 大谷原へと向かうことにしたのだった。 聞けば、有料駐車場は1,000円/日とか・・・。
道路脇に車を駐め、 予めカーナビに登録しておいた フィッシングランド 鹿島槍ガーデンを目的地に再設定する。 大谷原は扇沢からホンの十数分の所にあり、 県道45線を犬の窪の信号で左折すれば、 大谷原まで一本道であった。
道路はキチンと舗装されており、 スムーズに進む。 が、さすがに駐車スペースのある 大冷橋 (おおつめたはし) の前後は車で埋まっている。 しかし、その少し手前の林道脇には かなりの空きスペースがあり、 車を駐めることができたのだった。
身支度をして林道をさらに奥へと進む。
大冷橋を渡ると、 左方に爺ヶ岳の稜線の一部と思われる尾根が見える。 快晴のもと、 テンションがグッと上がる。
この林道歩きはかなり長い。 さらには、 道が緩やかな上り勾配になっているので 結構労力を使う。 しかし、 眠い身体を目覚めさせるには丁度良い運動である。
林道歩きはおよそ 50分。 途中、林道が枝分かれする場所が 2箇所ほどあるが、 しっかり道標が置かれているので迷うことはない。
やがて、林道が終点となるところに堰堤があり、 道は堰堤に付けられたトンネルを潜って 川の右岸に渡ることになる。 ここが西俣出合。 ここから登山道が始まる。
最初はなだらかな道が続き、 そして徐々に急登となる。 勾配がきつくなると、 道には木や金属製の梯子が頻繁に現れるようになる。 が、しかし、道は明瞭、 良く整備されている。
展望の利かない登りが暫く続くが、 高度が上がるに連れて 所々で周辺の景色が見えるようになる。 左手には爺ヶ岳、 右には鹿島槍ヶ岳南峰、北峰。 木々を山腹に抱く周囲の山々とは 全く雰囲気を異にする、 岩肌を露わにしたその姿が素晴らしい。 少々心配なのは ガスが少しずつ上がってきていることである。
急坂を黙々と登っていくと やがて小さなピークに登り着く。 高千穂平である。
ここからの鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳の眺めは 思わず唸る程の素晴らしさ。 また、爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳とを結ぶ 尾根の中腹には大きな滝も見える。
ただ、 鹿島槍ヶ岳方面に上がってきているガスの量が 先ほどよりも多くなってきているのが気がかりである。
高千穂平からは 暫く緩やかな登りが続くが、 すぐに傾斜がきつくなる。 尾根に近づくに連れ、 周囲は岩場に変わり、 ガレた場所や、斜面を横切るのに足下が狭い岩場を通過することになる。 鎖場もあるが、 あまり鎖に頼る必要はない。
ただ、斜面はもろく崩れやすく、 小生が歩いている時も、 3m程先を左上の斜面から ゴルフボール大の岩が数個転げ落ちていった。 直撃されていたら、 怪我することはもちろんのこと、 バランスを崩して右側の斜面下に 転げ落ちてしまうことも考えられる。 と言いつつも、 それ程危険ということはない。
やがて尾根に登り着いた所が、冷乗越。 ここからは 今まで見えなかった北アルプスの展望が 一気に飛び込んでくる。 やはり目に付くのが、 剱岳と立山。 無論、先日登った針ノ木岳も見える。 素晴らしい光景である。
そして右を向けば、 冷池山荘、布引山、鹿島槍ヶ岳南峰、北峰と続く峰々が見える。 高千穂平ではかなり湧き上がってきていたガスも、 今は全くない。 心が弾む。
前回、鹿島槍ヶ岳、五竜岳と縦走した時は、 どちらの山も頂上ではガスに囲まれ、 展望はほとんど得られなかったのだった。 今日は期待できそうである。
しかし一方で、 この稜線上に立つと、風が冷たい。 まだ紅葉はこれからのようだが、 風には晩秋から初冬の雰囲気を感じる。
冷乗越からは一旦下り、 少し登り返せば、冷池山荘。 ここはトイレを借りただけで通過。 休憩して腹拵えすれば良かったのだが、 少々テンションが上がっていたのだろう、 そのまま先へと進んでしまったのだった。 そのため、布引山への登り斜面では、 力が入らずかなり辛い思いをしたのであった。
布引山頂上では大休止。 握り飯を頬張りながら、 北アルプスの山々、 そして浅間山、八ヶ岳、富士山、南アルプスと、 目の前に広がる光景を楽しむ。
また、先ほどまでは穂先しか見えなかった槍ヶ岳もよく見えるようになり、 槍ヶ岳、奥穂高岳、前穂高岳と続く稜線が確認できる。
北アルプスはほとんどの山が快晴状態。 連休初日からこの北アルプスに入った人たちは、 この好天を大いに楽しんでいることだろう。
布引山からは鹿島槍ヶ岳南峰を目指す。 意外に近くにあるのにビックリしたが、 この斜面の登りもやはり辛い。
足下は岩屑が多くて歩きにくく、 時々 土が出てくるとホッとする。
そして、10時28分、 鹿島槍ヶ岳南峰に到着。
こんな快晴の日に頂上を踏めた幸せを噛み締めるとともに、 17年前のリベンジを果たして気分爽快である。
南峰で暫し休んだ後は北峰を目指す。
前回はガスのため 北峰の姿はあまり見えない状態であり、 今回初めて北峰の姿を良く見ることができたのだが、 南峰から結構距離があることに驚かされる。 また、高さも 40m程しか違わないはずなのに、 かなり北峰は低く見える。 本日は快晴の中で 北峰を踏めることができそうで大変嬉しい。

南峰からの下りはかなり急な岩場の道。 小生はストックを 1本手にしたまま下ったが、 ここはストックなしの方が登りも下りも楽であろう。 三点支持が必要な場所が何カ所かある。
途中、岩場に雪を発見。 昨晩は雪が降ったようである。 また、ハイマツや枯れ木にも 氷のしっぽが付いている。 やはりもう晩秋から初冬という感じである。
吊尾根に下ってしまえば、 後は何の問題もなく北峰に登り着ける。
登り着いた北峰には、 南峰と同じような立派な標柱が立っていた。 ここでも大休止。
今回こちらから南峰の姿を初めて見たが、 南峰はまさに槍の穂先という感じで 鋭く天に突き上げている。 今まで鹿島槍ヶ岳の名が あまりピンときていなかったのだが、 これで納得である。
また、縦走路の先を見れば、 五竜岳、白馬岳の姿も見える。 ここから往路を戻るのはもったいない と思えるくらい魅力的な尾根が続く。
ガスが上がり始めてきたのを機に下山開始。 ここから南峰への登り返しは結構辛い。
南峰はほぼ素通り。 後は下りが続くので、楽である。
冷池山荘では、生ビールの張り紙に負け、 注文してしまった。 ほろ酔い気分で下山開始。
そういう状態であるから、 冷乗越までの登りはちょっと辛かった。 後は下り一辺倒である。
思うに、扇沢に戻るには、 目の前の爺ヶ岳を越えて行かねばならない。 ちょっとしたアルバイトなので、 赤岩尾根を登ったのは正解かもしれない。

赤岩尾根はほぼガスの中。
しかし、高千穂平ではガスの上に浮かぶ 鹿島槍ヶ岳を見ることができたのだった。
大谷原には 15時48分に戻り着く。 この日も 10時間少し超える山行になってしまった。 しかし、 霞沢岳のようにバスの時間を気にしなくて済む分、 山を楽しめた気がするのであった。
また、やむを得ず登ることになった赤岩尾根は人も少なく、 拾いモノであった。

霞沢岳に続いての快晴の山、 そして前回ガスに囲まれた山を リベンジ登山することができて 最高の 1日であった。


充実の霞沢岳  2011.9 記

中途半端に終わった 8月15日〜16日の赤石岳登山 (本来は赤石岳、荒川三山の縦走を計画していたのだが、 赤石岳だけで断念) もそうだったが、 この夏はどうも天候がスッキリしない。
加えて、 梅雨時のような天候の所為で 体調の方も少々おかしくなり、 ずっと山に行けないまま 9月の中旬になってしまったのだった。
そして、 この 9月10日、11日の週末も 当初の天気予報ではどの地域も天候が芳しくなく、 週日の青空を見上げては ため息をついている状態であった。
しかしである、 9日の金曜日になって 翌日土曜日の天気予報はグッと好転し始め、 バラツキはあるものの、 各地で晴れが予想されるようになったのである。 そこで、 長野県を中心に天気の良い地域を探したところ、 1日を 8等分した天気予報において、 大町市の方は YAHOO、Mapion間で 晴れの時間帯にかなりズレがあったものの、 松本市の方は一日中晴天ということで ピッタリ予報が一致していたので、 先般の西穂高岳登山同様、 上高地からの登山を目指すことにしたのであった。
西穂高岳の時は、 上高地からどの山に登ろうかと散々迷った挙げ句、 最終的に西穂高岳に決めたのだったが、 今回は迷わず霞沢岳を目指す。 前回もこの霞沢岳は候補に挙がったものの、 地図上の所要時間が 12時間50分となっており、 一方で上高地からのバスあるいはタクシーの最終時間が 決まっていることで、 リスクが大きいと断念したのであった。
しかし、 西穂高岳に 地図上の所要時間を大幅に短縮して登ることができたので、 同じ地図内の霞沢岳も かなり所要時間が割り引けるはずとの考えのもと、 今回はトライすることにしたのである。

何時も通り、夜中の 1時半に横浜の自宅を出発。
国道16号線 そして中央高速道では、 曇り気味の空であったものの、 岡谷JCTから長野自動車道を進む頃には、 空には星空が広がったのだった。 松本ICで高速道を下り、 沢渡目指してひたすら国道158号線を進む。 前回は前を行くタクシーがかなり飛ばし、 露払いのように 遅い車をどかせてくれたので、 比較的短時間で沢渡の駐車場に着くことができたのだったが、 今回はそれ程スピードを上げることはできなかったものの、 途中の高速道で睡眠をとったりしなかたため、 5時少し前に 沢渡の第一駐車場着くことができたのだった。
ただ、身支度をし、 トイレを済ませ、 バスの発着場に 5時10分より少し前には着いたものの、 今回は臨時バスはないようで、 5時40分までバスを待たねばならなかったのであった。
本日は長丁場のため、 できるだけ早く登り始めたかったことから、 タクシーの相乗りも考えたのだが、 結局相手も見つからず、 バスを待つことにした次第。
それにしても、 小生は半袖 Tシャツ姿であったが、 バスを待つ間、 かなり涼しく感じたのだった。 聞けば、 鹿島槍ヶ岳には数日前に初霜が降ったとか、 もう山では秋がかなり進んでいるようである。
上高地には 6時8分に到着。 早朝にも拘わらず人が多い。 天気は快晴、心弾ませながら梓川沿いの道を進む。
この道は林道のような道でほぼ平坦、 大変歩きやすい。 時折、樹林越しに明神岳の岩峰が見え、 また梓川の清流も眺めることができる。 なかなか素晴らしい散策道で、 上高地が人気の場所であるのもよく分かる。
6時46分に明神館に到着。 明神館から少し進めば、徳本峠への分岐であった。
徳本峠への道も 最初は林道のように広く歩きやすい。 やがて道は徐々に狭くなるとともに、 勾配がつき始め、 山道らしくなってくる。 道は良く踏まれていて歩きやすい。
高度を上げて振り返れば、 明神岳の鋭鋒が迫力を見せている。
斜面にジグザグに付けられた道を登り、 最後の水場と書かれた水の流れを渡っていけば、 やがて徳本峠と霞沢岳との分岐に到着。 時刻は 8時12分。 霞沢岳の文字をここで初めて見ることになる。
左に曲がり、 数分進めば歴史ある徳本峠らしいのだが、 寄り道するのが面倒に思われ、 そのまま右に道をとって霞沢岳を目指す。 ここからもジグザグの山道が続く。
主に樹林帯であるが、 時折樹林越しに山が見える。 先ほどまでの主役は明神岳であったが、 今やその後方に 前穂高岳、 そしてその左後方には奥穂高岳が現れ、 あれ程 威圧感を感じさせてくれた明神岳が 子供のように見える。
樹林の中の道はやがて平坦になり、 広い山頂の一角に到達したことを感じさせてくれる。 そして暫く進むと、 左側が開けた場所に到着。 ここがジャンクションピークであった。 時刻は 9時丁度。 ここで暫し休憩。
この場所は 東南側が開けているのだが、 見える山は逆光気味。 それでも甲斐駒ヶ岳の陰に富士山も見え、 八ヶ岳、浅間山なども確認できたのであった。

ジャンクションピークからは これまで稼いできた高度を一旦吐き出すことになる。 高度的にはそれ程下ってはいないのだろうが、 感覚的にはかなり下っている気にさせられ、 帰りのことを思うと憂鬱になる。
上高地バスターミナルを出発してから 3時間超、 途中、左手樹林越しに ようやく目指す霞沢岳らしき山が見えた。 しかし、かなり遠くに見え、 ここまででもかなり登ってきたのに ようやくスタートラインに着いた という感じにさせられたのだった。
湿地帯を過ぎれば 再び登りが始まり、 いくつものピークを越えていくことになる。
まずは登り着いた所に P2の文字。 再び下って登り返せば P3となり、 この後、P4を過ぎて 次のピークには何も表示がなかったのだった。 見落としたのかもしれない。
そして、ガレ場の横を通過すれば、 目の前には K1と呼ばれる高みが現れる。 このルート最大の登りとなるのだが、 確かにここはきつかった。 K1の登りに掛かる前に既に 4時間も歩いてきているため、 体力的にそろそろ厳しい時間帯であり、 実際 本当に辛かった。
また、下山時、 ここの下りは、 よくもまあこんな所を登ってきたな と思わせるような急勾配に感じられ、 疲れた身体には 登りも下りも大変厳しい斜面であった。
登り着いた K1 (11時に到着)は、 苦労の甲斐あって 最高の展望を得ることができた。
特に、目の前の穂高連峰が素晴らしい。 奥穂高岳を中心に、 左に西穂高岳、右に前穂高岳を従えた姿は 迫力満点である。
また、西穂高岳に登った時には 頂上が雲の中であった笠ヶ岳であるが、 この日もやはり雲が多かったものの、 一瞬だけ頂上の笠型を見ることができたのだった。 焼岳もこの日は雲一つかかっておらず、 頂上から吹き上げる噴煙も良く見える。 常念岳、蝶ヶ岳もよく見え、 ここで本日は終わりにしても良い と思うような素晴らしい展望を楽しんだのであった。
ただ、霞沢岳の頂上はさらに先。 地図ではこの K1から 25分となっていたが、 それよりも時間を要してしまった。 疲れもあったのかもしれない。 到着時刻は 11時41分。
霞沢岳頂上は ハイマツに囲まれた狭いピークである。 展望は K1と同じく抜群で、 大いに景色を楽しんだのだったが、 問題が 1つあった。 羽アリ(と思う)が 待ってましたとばかりに 白いTシャツや帽子に数多くたかり、 じっとしていられないのである。
頂上で一緒になった小生を含む 3人のうち、 白色系の Tシャツを着ていた 2人には 多くの羽アリが群がり、 濃紺のポロシャツの方には それ程群がらなかったので、 白が好まれているのかもしれない。 スズメバチとまるで逆である。
バスの時間が気になったので、 12時に下山開始。 ひたすら下るのなら良いが、 アップダウンがあるために本当にくたびれた。
ジャンクションピークまではアップダウンが多くバテ気味であったが、 ジャンクションピークで休憩を取った後は 下り一辺倒であったことから、 快調に足が進み、 4時20分前には 上高地バスターミナルに戻ることができたのだった。
バスターミナルの少し手前で Tシャツを着替えていると、 アサギマダラ (蝶) が小生を怖れることなく、 裸の背中、腹にとまる。 余程 塩分というか、 ミネラルが欲しかったのだろう。

西穂高岳が結構楽勝だったことから、 この霞沢岳も問題ないと思っていたのだが、 どうしてどうしてかなりハードな山行になったのだった。 しかし、それを補ってあまりある好天と展望に恵まれ、 楽しい 1日であった。
残りは、 歴史ある徳本峠に立ち寄らなかったこと。 南アの伝付峠とともに かつては登山にとって重要な場所であったため、 無理をしても立ち寄るべきであった。
なお、赤石岳登山以来ほぼ 1ヶ月。 この間、ほとんど運動もしていなかったため、 身体が鈍ってしまったようで、 ちょっと苦しい登山になってしまった。 やはり、山に行けない時でも 家に閉じこもってばかりいないで 歩くようにしよう と反省した 1日でもあった。


カメラのこと  2011.8 記

先般のこの欄で書いた通り、 8月15日、16日、17日と 2回目となる 南アルプスの赤石岳・荒川三山にトライしたのだが、 あまり天候に恵まれなかったため、 登山は赤石岳だけで断念。 予定を 1日繰り上げて 下山したのだった。
その後、 山に行く機会を狙っていたものの、 どうも天候が不順。 ヤマレコに掲載される登山記録にも、 雨・ガス、視界がない状況 云々の内容が目立ち、 山に登るのなら晴天の日に拘りたい小生としては、 山に行くチャンスがなかなか生まれないまま、 結局 8月は終わろうとしている。
天候という点から言えば、 この 28日の日曜日は 天候に恵まれる可能性が比較的強かったのだが、 ここのところの天候不順に呼応するように 体調の方が今ひとつとなってしまい、 断念した次第。 こういう時は 汗をかくことで 体調を整える方法もあろうが、 まあ スッキリと晴れる日を待ちたいと思う。

ということで、この欄に書くこともないので、 雑談を少し。
このホームページを開設している関係もあって、 山にはデジタルカメラを常に携行しているが、 そのカメラは ペンタックス の K20D、 一応 生意気にも一眼レフである。
このカメラは 発売から既に 3年半近く経っており、 進化の早いデジタルカメラにおいては かなり古いものになる。
加えて、 ボディ+バッテリーの重さは 800g、 そこに 17−70mmの ズームレンズを装着しており、 そのレンズの重さが 535gであるから、 合計 1.3kg超のカメラを首からぶら下げながら 山に登っていることになる。
ザック、登山靴にしても、 できるだけ軽い方が身体への負担が少ない訳で、 首から 1.3kgのカメラをぶら下げながら行動するのは かなりの負担なのかもしれない。 コンパクトデジカメなら、 わずか 200g程の重さであり、 その方が大変楽と思うが、 少々の見栄と、 やはり一眼レフならではのファインダーから見た通りの写真が撮れる ということがあって、 一眼レフにしているのである。
時々、山で会う人から、 「重いでしょう」 とか言われることはあるが、 当人としては それ程 重さを苦に思ったことはないし、 これが重いと感じるようになったら、 登山スタイルを変える時 と思っている。 寄る年波には勝てず、 いずれそういう時がくるであろうが、 当面は 1.3kgをぶら下げての山行を続けたいと思っている。
とは言え、 さすがに少々 苦労することもある。
例えば、 三点確保の岩場をよじ登る場合、 時としてカメラが邪魔になるし、 鎖場などでも、 両手で鎖を持ちながら登り下りせねばならない時は さすがに邪魔と感じることもある。 例えば、 表妙義の鷹戻しなどでは、 今のカメラではないものの かなり登り下りに苦労した覚えがある。 それでも 一応 こなしてきたのだから まあ 大きな問題ではない。

一方、 装着しているレンズについては 最近まで 若干の問題が生じていた。
それは、 小生の歩き方の所為か、 カメラに対して 歩く際 (場合によっては飛び跳ねる際) の震動がかなり伝わることで、 いつの間にか鏡胴が伸びきってしまう (望遠仕様になってレンズの胴が長く伸びてしまう) 現象が起こるようになり、 仕舞いには鏡胴がユルユル状態となって、 単にカメラを下に向けただけで 鏡胴が伸びるようになってしまったのである。
暫くは、 トランクス用のゴム (無論 黒色) をカメラ本体に取り付け、 輪っかにしたゴムでレンズ部分を抑えて 鏡胴が伸びるのを防いでいたのだが、 それも限界があり、 兎に角 格好悪いことこの上ないのであった。
また メーカのサービスセンタに相談したところ、 修理をしても また再発する可能性が高い とのことだったので、 仕方なく ズームロック機構の付いた シグマ社の 17−70mm (全く同じズームレンジのレンズ) を 新たに購入したのであった。
このズームロック機構というのは、 鏡胴を縮めた状態でロックしておけば、 鏡胴は固定されて 全く動かないのである。 従って、下りの際に ロックを掛けてしまえば、 鏡胴が伸びるというようなことは 起きないのである。
ということで、 この問題は 治まったのだが、 痛い出費となってしまったのである。 そう、レンズは 5万円前後するのである (勿論、安いものもあり、 目玉が飛び出るような値段のものもある)。
レンズの話が出たところで、 少しレンズについて触れておくと、 山に行く際は 17−70mmの ズームレンズ 1本のみ。
もともと カメラを本格的に趣味にしている訳ではないため、 撮った写真のクオリティに それ程 拘ってはおらず、 あくまで 記録主体なので、 十分これで満足している。
単焦点のレンズもいくつか持っていたが、 それは最初だけ。 山でレンズ交換などする余裕もなく、 山は ズームレンズ 1本というスタイルになり、 単焦点レンズは皆 売却してしまった次第。
ただ、 遠くの山などを撮る場合、 時々、望遠端 70mmでは不足と感じることもある訳で、 ペンタックスの 18−135mmが欲しいところだが、 このレンズは上述の問題がまた生じるに違いないので ×。 シグマの 18−125mmならば、 ズームロック機構が付いているようなので大丈夫だが、 山ではズーム機能とともに、 レンズに明るさが欲しいところであるので、 望遠端が大きくなると、 ちょっと苦しいという気もする。 暫くは今のレンズ (F2.8−4) を使っていこうと考えている。

デジタルカメラ本体について言えば、 最初に買ったデジカメは パナソニックの DMC−FZ10。 これは一眼レフではない。
このカメラでは、 いずれも 2回目の登山となる 安達太良山、武尊山、赤城山 などの写真を撮っているが、 デジタルカメラのことを知るに連れて 段々 物足りなくなり、 すぐにデジタル一眼レフが欲しくなって、 たまたま価格が安かったペンタックスの *istDSを購入したのだった。
その後、 レンズマウントの関係から、 ペンタックスを購入し続けることになり、 K10D、そして今の K20Dに至っている次第である。
本来ならば、 K20Dの後に発売となった K−7、 そして現在の K−5と行くはずだったのだが、 どうも K20D以降の機種は ボディがコンパクトになって 性能も格段に上がったものの (特に オートフォーカス)、 ボディが小生の好みでは無く (重厚さに欠ける)、 買うのを躊躇しながら 今日まで至っているのである。
尤も、美しい景色を写真に切り取りたい とは思うものの、 本格的な撮影を目指している訳ではなく、 ほとんどが プログラムモードに任せっきりであり、 時たま 絞り、露出を操作するだけなので、 現行機で十分なのである。
つまり、現行機の有する能力の 50%位しか活用していないので、 現行機でも 少々 小生にとってはオーバースペック気味であり、 従って それ程 新しい機種を買いたい という意欲もあまり湧いてきていない といったところである。
なお、写真は全て RAW画像にて撮っている。 これは、上述のように カメラ撮影にそれ程通じてはいないので、 JPGで撮り切る自信が無く、 後で現像の際に修正ができるRAW画像に 頼らざるを得ないからである。 それでも、なかなかカメラは難しい。
自分が撮りたいと思った光景が 帰宅してから現像してみると、 思ったようになっておらず ガッカリすることも数知れない。 かといって、 撮影について勉強しよう という気になっていないのだから いつまでも上達しない訳である。
ただ、フィルムカメラのように 全部を現像しなければ (それも 料金を支払って)、 写真の状況が分からない頃から比べると、 デジカメはまだ何とかなるから 大変助かる。 一応 撮った写真をその場で確かめられるし、 フィルム代や現像代のことを考えずに済むので 枚数を気にすることなく シャッターが切ることができるから、 自信が無い時や、 良いなと思った光景の際は、 複数枚の写真を撮るようにしている。 つまり、 下手なカメラも 数打ちゃ当たる といったところである。
また、 記憶媒体が 撮影時間などのデータを記録してくれるので、 登山記録を書くのに際し、 昔のようにメモに取ったり、 記憶を呼び起こすのに 苦労したりすることもなくなり、 本当に重宝している。
と、良いことずくめなのだが、 そうなると、昔の写真が貧相なのが 気にかかってくる。
そのため、 一度登った百名山も デジカメにて取り直すべく、 再登山することもやり始めているのだが、 百名山に登ることしか頭になかった当時に比べ、 多少 山に対する知識、 そしてそこから見える山々に対する知識が増してきたため、 より深い 山登りができるようになった気がする。 そして、その助けとなるのが、 枚数を気にすることなく撮れる 写真であることは言うまでも無い。


対照的だった 2つの山  2011.8 記

このホームページの更新も半月ぶり。
そして、 本日 ようやくアップした内容は、 既に 1ヶ月近く前の西穂高岳の登山記録 というのだから、 相変わらずの怠慢ぶりであるが、 この間、 山に行くことをサボっていた訳ではない。
電力事情を考慮した週日の休みは、 8月2日(火)、10日(水)と続いており、 8月2日は天候が芳しくなかったので 山に行くことはあきらめたものの、 10日には 北アルプスの針ノ木岳、蓮華岳に登ってきたのである。
この針ノ木岳は、 昨年登った常念岳、 そして今年登った燕岳の頂上からその姿を眺め、 形の良い山だな と思うとともに、 今年中に登りたいと強く思った山であった。
調べてみると、 そこまでのアプローチは意外と簡単で、 扇沢に車を駐めれば、 そのまま山に取り付けるではないか。 北アルプスの上高地や、 南アルプスの広河原、そして椹島などが、 一旦車を駐めた後に 登山口までバス等を利用する必要があるのに比べると、 このように車を駐めた所に登山口があるのは 大変有り難い。 こんな好条件の山に 今までトライしなかったのは 非常にもったいない話である。
この欄で何遍も言っているが、 北アルプス 日帰り登山は今まで全く念頭になく、 さらには無理と諦めていた自分が情けない。 実際は、昨年登った 唐松岳・五竜岳、常念岳・蝶ヶ岳、 そして今年登った燕岳、西穂高岳と、 車でのアプローチは 南アルプスや中央アルプスよりも 便利で早く着ける所が多いのである。 これからはもっと北アルプスの山々にチャレンジしようと思う。
そう思うと、 土日・休日 高速料金 一律 1,000円の時代に、 このことに気づかなかったのは痛恨の極みである。

話が逸れてしまったが、 アプローチが良いとは言え、 扇沢は黒部ダムへの長野県側の玄関口であるため、 夏期における土日の混み具合は大変なものと思われ、 なかなかチャレンジしきれなかったのも事実である。
しかし、 ここへ来ての電力事情を考慮した週休 3日制により、 週日の休みが可能となったことから、 俄然 行きやすくなったのである。
ただ、その週日の休みと、 扇沢、針ノ木岳のある 大町市の天気予報が晴れとなる という組み合わせが実現することがなかなかなく、 ここまでズルズルときてしまった次第なのだが、 この8月10日はようやく大町市の天気予報が、 YAHOO そして Mapion とも晴れとなったことから、 待ってましたとばかりにでかけることにしたのであった。
結果は大正解。 残念ながら 三大雪渓の一つとされている 針ノ木大雪渓は、 既にかなり融け始めており、 そのスケールの半分位しか体験できなかったものの、 天候にも恵まれ、 素晴らしい山行であった。
また、 ガスが効果的にこの日の登山を盛り上げてくれ、 失望から喜びへの大きな転換が何度もあったので、 大変印象的な山行となったのだった。
例えば、 当初、雪渓が見え始めた時は、 雪渓の上部はガスの中。 それを見た瞬間、 樺沢のガスに突っ込んでいくことになった 第1回目の白根三山縦走を思い出し、 失望を禁じ得なかったのだった。
しかし、 登って行く内にガスはなくなり、 最終的には針ノ木峠まで しっかり見通せるようになったのであった。
また、 針ノ木峠から針ノ木岳への登りも ガスの中であり、 登る途中に振り返れば 蓮華岳の方は見えるものの、 肝心の針ノ木岳の姿はガスで良く見えず、 さらには頂上に着いても 北から南にかけてはガスで何も見えない状況であった。
晴れという天気予報を信じてやってきたのに とガッカリしてしまったのだったが、 頂上で暫し休んでいると、 サーッとガスが引き、 突然 眼下に黒部湖、そして目の前には立山、 そして剱岳が現れたものだから 本当にびっくり。
劇的と言う言葉は こういう時に使うのだと つくづく思った程、 その景色の現れ方には 唖然とさせられたのだった。
厳密に言えば、 その時は 雄山、大汝山、富士ノ折立といった 立山の頂上群は雲に覆われており、 剱岳もその頂上は雲に隠れたままであったのだが、 ゼロの状態から 一気に 100まで望むのは 贅沢というもの。 黒部湖を挟んだ向かい側の山々が見えただけでも 大満足であった。
しかしまだ続きがある。 その後、針ノ木岳を下り、 蓮華岳に登る途中で振り返ると、 立山、剱岳の頂上にかかっていた雲も取れ、 しっかりとその姿を見ることができたのである。 こうなれば もう言うことはない。
また、 蓮華岳に登る途中では、 針ノ木岳山頂で見えたその他の山々の景色も さらにグレードアップして見える様になり、 野口五郎岳、 水晶岳(黒岳)、鷲羽岳など 裏銀座の山々を確認することができたのだった。
男性的な針ノ木岳に比べて、 蓮華岳は女性的で優美さを感じさせてくれ、 こちらも素晴らしい山であった。
ただ、針ノ木岳は頂上と思った所が そのまま実際に頂上であったのに比べ、 蓮華岳には 二度程 肩すかしを食わされてしまった。 こう言うところも 女性的 と言ったら、 女性陣にお叱りを受けるかもしれないが・・・。

そして、8月13日(土)から 8月21日(日) までは夏休み。
早速 こちらは15日の月曜日から 赤石岳、荒川三山を狙うべく、 畑薙ダムへと向かったのだった。
狙うコースは前回と同じ。 1日目に赤石小屋に泊まり、 2日目に赤石岳、荒川三山と進み、 椹島に宿泊というものである。 しかし前回との大きな違いは 到着・出発時間である。 前回は 1日目に椹島に着いたのが 13時で、 そこから赤石小屋に向かい、 16時半に小屋に入ったのだった。
一方、今回は 6時15分には夏期臨時駐車場に着くことができ、 また 8時発とされていた 椹島行きのバスに臨時便が出て 7時9分には出発できたのだった。 そのため、 椹島に到着したのは 8時を少々廻った時間という 願ってもないタイミングになったのである。
従って、 できたら 1日目は 荒川小屋まで行こう と道を踏み出したのだったが、 11時46分に赤石小屋に着いてみると、 見上げる赤石岳にはガスがかかっているではないか。 途端に赤石岳を越えて荒川小屋に行く気を無くしてしまったのである。
というのは、 赤石岳山頂がガスに囲まれていた場合、 荒川小屋まで入ったとしても、 翌日が晴れたら、 赤石岳にもう一度登り直さねば気が済まない ことになろう と思ったからである。
ということで、 異例の早さで 赤石小屋にチェックイン。 本当に暇を持てあました半日であった。
ただ、15時を過ぎた頃に雨が降ってきたので、 あのまま進まなかったのは正解だったのかもしれない。
翌日は5時半に小屋を出発。
しかし、出発し始めた時には、 既に赤石岳山頂はガスが掛かっていたのであった。 従って、 この後 どうするかを考えながらの登山となったのである。
稜線直下の岩場の登りでは 完全にガスの中。 稜線に登り着いても ガスでほとんど視界が利かず、 吹き上げてくる風も強く冷たい。 雨とまでは行かないが、 メガネに水滴が付き、 結局 メガネを外しての登山となったのだった。
ガスの中、 赤石岳山頂に着いたのは 7時32分。
前回もガスの中であったが、 その時は 途中からガスがドンドン流れだし、 最終的には青空が広がったのだったが、 今回はそれは期待できそうもない。 唯一の望みは、 ガスの向こうに明るさがあること。
奇跡を信じて 1時間山頂にいたのだが、 ほんの一瞬だけ青空が広がることはあったものの、 結局ガスは晴れず仕舞いであった。
この間、 考えに考え、 宿泊先を百間洞山の家に変更し、 本日 大沢岳に登り、 翌日は再度の赤石岳登山を目指そうか、 あるいはガスの中、本日 荒川三山に登った後、 荒川小屋に泊まって、 翌日もう一度赤石岳に登ろうか 等々 考えに考え、 最終的に本日 このまま椹島まで戻り、 帰宅することにしたのだった。
理由は簡単。 大沢岳も本日はガスの中であろうから 登り甲斐に欠けるし、 翌日の赤石岳再チャレンジも 晴れるという確証はないことから、 もう1泊することの投資効果を考えての結論である。
8時23分に山頂を出発し、 朝登ってきた道を下る。
赤石小屋で 悔しさにビール500mlを飲んで憂さを晴らす。 そのまま順調に下山し、 椹島には12時9分に戻り着き、 シャワーを利用させてもらった後 (500円)、 13時のバスで畑薙へと向かったのであった。

今回の登山は 何故か始めからあまり乗れなかった。
15年前とはいえ、 前回と同じコースをとるということで 少々 新鮮味を感じていなかったのかもしれない。 その気持ちが山の状況に反映されてしまった気がしてならない。
針ノ木岳ではワクワク感が 最終的にはガスをどけてくれたのに、 今回は気持ちで負けた気がする。 1つ収穫があるとすれば、 15年前とほぼ同じペースで登ることができたことくらいか。
赤石岳は良いとしても 大沢岳に登るチャンスを逃してしまったのは残念でもある。 ガスの中登る という手もあったかもしれないが、 やはり 初めての山には 晴天時に登りたいものである。
また、 荒川三山の方は、 別のルートにて もう一度トライすることにしよう。


迷った末に西穂高岳  2011.7 記

小生の勤める会社では、 節電対策期間 (7〜9月) 中、 週休3日制を導入して対応することになっていることは、 何回かこの欄で書いた通りである。
そして、 週日の休みとなった 7月6日(水)は池口岳、 14日(木)は塩見岳と、 この休みを大いに利用させてもらっているのだが、 7月18日の週 (18日は海の日であるにも拘わらず出勤した) から 7月25日の週においては、 22日の金曜日と 25日の月曜日が休みという設定になり、 4連休が実現することになったのである。
このプランを聞いた瞬間、 毎年この頃が丁度梅雨明けの時期にあたり 天候が安定することが期待できそうなことから、 南アルプスのどこかに潜り込むことを思いついたのだったが、 実際は世の中そう うまくは行かない。
梅雨明けはかなり早まり、 逆に台風 6号の通過以降、 あまり快晴とは言えない日が続いたまま、 この4連休に突入することになったのである。
しかも、21日の木曜日は飲み会があり、 身体の方も疲れていたので 22日の登山は無し。 23日も天候の方があまり芳しくなかったので 家での待機としたが、 残りの 2日間も天候はあまり宜しくないようで、 このままではズルズルと 4日間とも山に行けずに終わってしまうことにもなりかねない と焦りが出てきたのであった。
これはまずいと、 日帰り登山で何とか対応すべく、 24日の日曜日の登山を画策したのだが、 晴れの地域が極めて少ない。 そしてようやく見つけたのが 長野県の松本市周辺。 ここは晴れマークが並んでおり、 また、お隣の岐阜県高山市も 同様の予報が出ているので、 両市の間にある山も好天に恵まれそうである。

ということで、 上高地近辺の山に登ろうということになったのであるが、 なかなか適当な山が見つからない。
まず思いついたのは 焼岳。 なかなか魅力的ではあるが、 この山は上高地から1回登っているので、 できたら登ったことのない山にしたいところである。
次に思いついたのが、 上高地からは外れるものの 乗鞍岳。 この山も1回登ってはいるが、 その時は畳平から肩の小屋まで行って一泊。 翌日は肩の小屋から頂上を踏み、 下山は乗鞍高原まで歩いた という行程だったので、 登ったというには少々申し訳ない状況なのである。 従って、乗鞍高原から登るというのは なかなか良いアイデアなのだが、 下山で通った道はあまり魅力的ではなかったため、 できたらまだ歩いたことのない 高山市側から登りたいところである。
というように散々迷った挙げ句、 次の日も休みであるから かなり遅くなっても構わないということで、 上高地から霞沢岳に登ることにした。
しかし、一旦そのように決めたものの、 この山はかなりのロングコースであり、 どうも時間的に余裕がないため、 まだ躊躇いがある。 暫し、昭文社の地図を睨みながら この山のコースタイムを睨んでいると、 地図上にもっと日帰り登山に適した山が見つかったのである。
地図で何気なく霞沢岳の上を見たところ、 そこに上高地から西穂山荘経由で 西穂高岳へと登るルートがあるではないか。 西穂高岳は 穂高連峰を登る前に 是非とも登っておきたいと思っていた山であり、 一方で登りにロープウェイを使うことは 自分の趣旨に反するとも思っていた山である。 よっぽど、 ロープウェイの下にある道を登ろうか と考えたこともあった位であるが、 昨年 唐松岳・五竜岳、 常念岳・蝶ヶ岳に登るまで、 北アルプスの山は日帰りできない とずっと思っていたので、 そんなに真剣に考えたことがなかった というのが本当のところであった。
ところが、 今回のこの発見 ??で、 西穂高岳に納得した形で登ることが可能であることが分かり、 時間的に心配な霞沢岳はまたの機会にするとして、 早速このコースから西穂高岳を目指すことにしたのであった。

1時30分に横浜の自宅を出発。
今回はタイヤの問題もなく順調にスタートする。 国道16号線から中央高速道八王子ICに至り、 そこから松本ICを目指す。 天候の方はずっと曇り。 しかし、先日の塩見岳の時のように、 雨まで降っていた状況が快晴になることもある訳で、 天気予報を信じながら進む。
毎度のことながら、 岡谷JCTを過ぎた頃から眠気が襲ってくる。 無理は禁物と、 みどり湖PAにて15分程眠る。 この15分程度の短い睡眠がグッと身体を楽にしてくれる。
その後は順調に進み、 松本ICで高速を降りたところで右折して、 国道158号線に入る。 この時点で、 ナビの示す目的地 沢渡の到着時間は 5時10分であった。 しかし、松本ICを下りて国道158号線をひたすら進む間、 前を行くタクシーがやたらと飛ばし、 露払いのように次から次へと 遅い車を道脇にどけてくれる。 このタクシーはそのまま上高地まで行ったようだったが、 お陰でかなり早く沢渡の第一駐車場に到着することができ、 5時10分発の上高地行きのシャトルバスに 乗ることができたのだった。
乗客は小生を含めて4人。 駐車場もほとんど混んでいない状況であった。
当初はシャトルバスの終点である 上高地のバスターミナルまで行くつもりであったが、 大正池で停まる旨の案内があり、 その次は帝国ホテルとのこと。 確か、登山口は 帝国ホテルの北側にある田代橋の先にあることを思い出し、 急遽 帝国ホテル前で降りることにする。
ホテルの脇を通り、 田代橋、穂高橋と 2つの橋を続けて渡る。 橋からは穂高方面が見えたのだが、 上の方はガスが掛かっており、 天候も未だスッキリしない。
やがて、立派な門構えとなっている 西穂高岳の登山口に到着。 登山口の前では数十人の団体登山者が体操をしている。
登山の内容は今後アップする登山記録の方に委ねるが、 結果的には西穂高岳登山は正解であった。
まず、本日登るつもりであった霞沢岳は、 10時にはその頂上を雲が覆ってしまい、 恐らく霞沢岳に登っていたら 全く展望を楽しめなかったことであろう。 しかも、時間的には まだ頂上に全く届かない場所にいたに違いない。
そして、乗鞍岳も10時過ぎには雲の中。 この山も、この時間では恐らく頂上に達してはいなかったであろう。
また、焼岳も頂上部分は雲がずっとかかっており、 この山も頂上からの展望は楽しめなかったことと思われる。
しかし、この西穂高岳は晴天とは言えないものの、 一応周囲の山々を見渡すことが可能な状態で、 この日、周辺ではこの西穂高岳を含む穂高連峰のみが 頂上を見せていたのであった。 従って、槍ヶ岳は残念ながら その頂上部分は雲に覆われて見えず、 また、笠ヶ岳もその頂上は最後まで 見ることができなかったのである。
頂上に着いたのは9時32分。 登山口を出発したのが5時38分だったので、 4時間弱での登頂であり、 余りに順調なので、 逆に物足りなさを感じた程である。
頂上到着時は5〜6人ほどの先客がいたものの、 皆すぐに下山してしまったので、 下山までの10分程は 頂上独り占めの状況であった。 前々回の池口岳、前回の塩見岳と同様、 頂上独占は嬉しい限りである。
なお、西穂高岳までは 山に慣れた者向きとの案内が出ているが、 それ程難しいところはない。 事実、かなり年を召された方を含め、 多くの人が頂上を目指していた。
しかし、西穂高岳以降は全くの別世界である。 見るからに崩れやすい岩峰が続くのを見て、 エキスパートの世界であることを実感したのだった。 とても単独では挑戦する気になれない。
下山は往路をそのまま辿る。
西穂山荘に戻ってきたのが11時30分だったので、 焼岳まで足を伸ばそうかとも思ったのだが、 さすがにちょっときつそうであるし、 焼岳の頂上を雲が覆っているので、 登り甲斐もなさそうである。 さらには、上空に青空はなく、 いつ雨が降ってきてもおかしくないような空模様だったので あっさり下山することにする。
順調に下り、 登山口に戻り着いたのが13時3分。 その後は、ちょっと遠回りになるが、 皆に訝しげに見られながらも 観光客で溢れる道を熊鈴を鳴らして歩き、 ウエストン碑、河童橋を経由して バスターミナルに辿り着いたのだった。
バスにはうまい具合にすぐに乗れたものの、 なかなか前に進まない。 よく見れば、 道の片側は駐車している観光バスに 延々と埋め尽くされており、 結局 道は片側通行の形ができあがっている。 従って、上高地に向かうバスやタクシーが到着するまでの間、 バスの中で30分も待たされたのであった。 それでも沢渡には14時40分には戻り着く。
少々物足りなさを感じはしたが、 なかなか楽しい山行であった。
なお、ヤマレコを見ていたら、 小生が西穂山荘を後にした後、 救助用のヘリがが尾根上に飛来し、 バテて動けなくなった方々を救出したとか。 そう言えば、西穂山荘から下って樹林帯を歩いている時、 しきりに機械音がしたのだった。 あれは救助のヘリだったようである。
今回疲労のため救助されたという3人の方には、 小生が西穂高岳から下山する際に 擦れ違っているに違いない。 上の方で、 西穂高岳は言われるほど難しいルートではないと述べたが、 一方でいくつものアップダウンがあり、 普段足を鍛えていない方には辛いのも確かである。
この日はずっと曇り空だったから良いものの、 日差しが強かったら、 もっと大変なことになっていたのかもしれない。 決して山を侮ってはいけないのも 確かである。


19年ぶりの塩見岳  2011.7 記

前回のこの欄で書いたように、 小生の勤める会社では 節電対策期間 (7〜9月) 中、 週休3日制を導入して対応することになっており、 土日の休みに加え、 週に1回休みが増えることになった (年休、休日の振替などで対応)。
7月4日(月)からの週においては 6日の水曜日が休みに設定され、 この時は梅雨時の合間を縫って、 南アルプス深南部の池口岳に登ったのだった。
そして、 11日からの週においては、 14日の木曜日が休みに設定されており、 梅雨も明けたこともあって 晴天が予想されたことから、 この日は 前から計画していた 鳥倉林道から塩見岳に登ることにした。

夜中の1時に起床。
梅雨明けしたとは言え、 この時期、山は午後からの夕立があることを考え、 なるべく早く登ってしまいたい という目論見によるもので、 睡眠時間は3時間ほど。
ところがである、 1時半に出発しようとしたところ、 どうも車の左前輪の空気が少ない。 先日の丸盆岳登山の際にパンクしたため、 タイヤを4つとも換えたばかりであるので、 これには愕然。 登山を中止にして 不貞寝しようかとも思ったのだが、 せっかく登山に対して盛り上がっている心を鎮めることはできず、 急遽もう1台の車で行くことにしたのだった。
そのため、 荷物の積み替えなどで時間を食ってしまい、 結局 横浜の自宅を出発したのは 2時近くになっていた。
先週と同じく、 国道16号線にて中央高速道八王子ICへと進み高速に乗る。 国道、高速道とも平日だけあって、 輸送用トラックの数がものすごく多い。 トラック輸送も曲がり角と言われているが、 それでも間違いなく 日本経済を支えているのは確かであることを実感する。
高速を順調に進むが、 夜が明けかかっても青空は広がらず、 どんよりとした雲が上空を覆っている。
岡谷JCTを過ぎても雲が多く、 先週青空に浮かんでいた中央アルプスも 雲に覆われてはっきり見えない。 それでも、 こちら側は雲の切れ間から青空が見え始めているから良いものの、 左側の南アルプスは 完全に雲とガスで 山の姿も見えない状態である。
天気予報では、 塩見岳の位置する長野県の大鹿村、 静岡県の静岡市葵区とも 晴れマークのオンパレードだったはず。 出発時のパンク騒ぎのこともあり、 悄然として松川ICを下りる。

松川ICからはそのまままっすぐ進み、 大鹿村を目指す。
高速を下りてコンビニを探したが、 進む道路の周辺には見当たらない、 というか、 あるような雰囲気の場所ではないのである。 ちょっと慌てることになったが、 道は伊那大島駅の横を通るはずなので、 そこにコンビニがあることを期待してそのまま進む。
すると、 東浦の交差点を通過した際、 たまたま右を見るとセブンイレブンの看板を発見。 慌ててUターンしてコンビニに向かい、 水、食料を仕入れて 安心したのであった。
なお、伊那大島駅周辺には コンビニはなかったようなので、 セブンイレブンをたまたま見つけることができ ラッキーであった。
天候の方は一向に良くならず、 どんよりとした曇り空のままである。 山の方は依然ガスに囲まれて、 全く見えない。 さらには、 走行中に小雨がフロントウィンドを濡らす始末。 ドンドン気持ちが沈んでいく。
しかしである、 大鹿村から鳥倉林道に入り、 山道を進むにつれ、 天候の方はドンドン良くなり、 ついには雲一つない青空に変わったのであった。 本当に今日は いろいろなことでヤキモキ、イライラさせられる。

林道の方は、 狭いところはあるものの、 良く舗装されており、 対向車にさえ注意すれば 快適進むことができる。 但し、あまりにも長い。
なお、 ナビでこの場所を設定する場合は、 鳥ヶ池キャンプ場とすれば良いかもしれない。 キャンプ場の分岐を過ぎても さらにそのまま進めば、 ゲート前の駐車場である。
その駐車場に着いたのは 6時10分。 平日であるにも拘わらず、 20台ほどの車が駐車しているのには驚かされた。
身支度をしてゲートを抜け、林道を進む。 この林道歩きも長い。 林道は山襞に沿って作られているので、 谷を挟んでぐるりと回るような感じである。 従って、かなり進んで右手を見れば、 谷の向こう側に駐車場が見える といった具合である。
この林道からの景色は良く、 豊口山であろうか、 その見事な岩壁に驚かされたり、 周辺に見える山を楽しんだりして飽きることはない。 しかも、 南には 先日登った奥茶臼山も見ることができる。
舗装道が終わり、 砂利と草の生えた道になると、 やがて正面に登山口が見えてきた。 16日からはここまでバスが入ることになっているらしい。

登山道は最初カラマツ林の登りとなる。
足下はシダの群生地でなかなか雰囲気がある。 尾根に登り着けば、 さらに次の尾根へと向かって道は登っていくものの、 ここからは緩やかな登りである。 さらに、 途中から道は山腹を横切って進むようになって ほとんど平坦となる。 距離はあるが、 アップダウンがないため、 登る際には 三伏峠への登りと それ以降に続く起伏のある尾根道のための体力温存になるし、 帰りは疲れ果てた身体に大変優しく、 ありがたい登山道である。
道には恵那山で見かけたものと全く同じ道標を見ることができる。 つまり、登山口から三伏峠までの間を10等分し、 分数で位置を示したラミネート加工のものが 木に貼り付けられているのである。 但し、途中から旧の道標と混在し、 意外と早く9/10が現れてぬか喜びさせられ、 その後本物の9/10が現れて がっかりさせられるということもあった。
この日は朝の状況が嘘のように晴れ上がり、 三伏峠までの山腹を進む道では 中央アルプスはもちろんのこと、 北アルプスの槍穂高連峰までが見えて 気分を高揚させてくれたのだった。
そして三伏峠への登りが近づくと、 仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳を始めとする 南アルプスの山々が見え始め、 さらには高度が上がると 目指す塩見岳の姿も見え、 出発時の嫌なことを吹き飛ばしてくれたのだった。
三伏峠で初めての休憩。 2階の窓から顔を出したご主人?と話をする。
聞けば、 やはり毎日夕立が 14時くらいからあるが、 昨日はなかったとのこと。 今日もないかもしれないとのことであった。 気分を良くして先に進む。
少し登ると三伏山頂上。 ここからの見晴らしは最高である。 中央アルプス、 そしてやや雲に隠れ出した北アルプス。 そして何よりも目の前に仙丈ヶ岳、 甲斐駒ヶ岳、白根三山、そして塩見岳、 荒川三山、赤石岳と、 そうそうたる山々の姿が広がる。 気分はいやがうえにも高まる。
ここからの道も、 本谷山への登り、そして下りを除けば、 さしたる登りもなく快適に足が進む。 道は塩見岳の周りをぐるりと回って、 北側からアプローチするイメージである。 そこまでの道は総じて緩やか。
また、本谷山を下った後は、 樹林帯の中の歩きが多くなり、 直射日光を受けないため暑くもなく、 ほぼ起伏のない道と相まって足が進む。
枯れ沢のような場所を過ぎると、 塩見岳への登りが始まる。 樹林帯を抜け、ハイマツ帯を進むようになると、 やがて塩見小屋であった。 時刻は11時14分。
この頃になると、ガスが下からわき出し始め、 どうやら頂上からの大展望 という訳にはいかないようである。
これは十分予想されたことで、 昨年の五竜岳と同じように 上がりくるガスとの競争であった。 しかし、 塩見岳直下の登りがこの日一番きつく、 そう簡単には登れない。 岩場である上に、 落石を起こしやすい道なので、慎重に登り、 西峰頂上到着は12時10分であった。
そこからすぐに東峰へと向かい、 しばし休憩する。 この頃にはガスはドンドン上がってきており、 仙丈ヶ岳、白根三山はガスに飲み込まれて全く見えない。 辛うじて白河内岳が少し見える程度。 また北俣岳も隠れ気味であったが、 どういう訳か蝙蝠岳だけはよく見える。 次はここに登れとのお告げであろうか。
また、荒川三山もガスの中にチラチラ見える程度。 しかし、ここに至るまでにこれらの山々は皆見えており、 こういう状態の頂上でも全く失望は感じない。 ただ残念なのは、 富士山を見ることができなかったことである。
なお、頂上に30分ほど居たのだが、 その間誰もおらず、本当に独り占めであった。 景色が十分でなかったのは残念ではあるが、 独り占めはやはり嬉しい。
塩見小屋からの登りですれ違った下山者は1名。 小生が塩見小屋に戻るときに登ってきた人は 2名であった。 平日にも拘わらず、 山中で多くの下山者とすれ違い、 十数人の登山者を抜いたが、 頂上独占はタイミングのなせる技であろう。
三伏峠に戻ったのは15時25分。 そこからの下山の間、 20名以上の団体とすれ違った。
そして登山口到着は16時51分。 駐車場に戻り着いたのは、17時25分であった。
この塩見岳は19年ぶり。 前回は広河原からテントを担ぎ、 北岳、間ノ岳、塩見岳と縦走したのだった。 1泊目は北岳山荘のテン場。 2泊目は今や幕営禁止となっている北荒川岳。 そしてそこから塩見岳に登った後、 三伏峠へと下り、 13時半のバスに間に合わせるべく、 塩川土場までかなりのスピードで下山したのだった。
その三伏峠から塩川土場への道は、 現在 村道崩落のため通行止めになっている。 いずれ復旧するであろうが、 その行程の楽さから言って、 本日の鳥倉林道からの道が 主役となるのは間違いないであろう。
次はこの道を辿り、 三伏峠から小河内岳を登ってみたいものである。


南アルプス深南部 池口岳  2011.7 記

小生の勤める会社では、 節電対策期間(7〜9月)中、 週休3日制を導入して対応することになった。
実施内容の詳細は省くが、 土日の休みに加え、 この期間中、週に1回休みが増える訳である (年休、休日の振替などで対応)。 その結果、 この7月6日(水)がその第1回目の休みとなったのだったが、 梅雨時にも拘わらず、 ありがたいことにこの日は 晴れ間が広がるようだったので、 早速山に行くことにした。
目指す山は南アルプス深南部の池口岳。 この山は 鹿島槍ヶ岳や笊ヶ岳、谷川岳などと同じく 双耳峰の山であり、 最近登った丸盆岳や奥茶臼山、 空木岳などからも 2つの頂上を有したその姿を見ることができる。
ただ、この山は遠い場所にあることに加え、 登山時間が長いと言われていることから、 とても日帰りで登れる山 とは思っていなかったのであるが、 先日、奥茶臼山で出会った人が 翌日この池口岳を目指すと言っておられたのを聞いて、 俄然興味を惹かれるようになったのである。
調べてみると、 先般興味を持っている道路として紹介した 国道152号線からのアプローチが可能であり、 日帰りで登っている方も多いようである。
週半ばの休みであるため、 あまりハードな山行は避けたかったのだが、 登りたい気持ちの方が勝って チャレンジすることにしたのであった。

夜中の2時過ぎに自宅を出発する。
出発時は曇り空であったものの、 中央高速岡谷JCTを過ぎてからは青空が広がり、 中央アルプスの緑が青空に映えて美しい。 反対側に見える南アルプスの方は、 東に位置するため逆光になっているのに加え、 ガスが少し掛かっている。
飯田ICで高速を下り 国道153号線を進む。 途中の交差点に矢筈トンネルの表示があったのを見て、 ナビに逆らってそちらに進む。 そして、 永代橋交差点を右折すると、 やがて 何回か通った県道に入ることになり、 この前の奥茶臼山へのアプローチのように 細い道を通らずに済んだのであった。
県道251号線に合流してから右に進めば 矢筈トンネル。 そしてトンネルを抜けた所から 国道152線になる。
聖岳、光岳の登山基地である易老渡方面への分岐を過ぎ、 やがて道は旧南信濃村に入る。 道幅は急に狭くなるが、 事前に得た知識から、 この辺に池口岳への案内表示があるはずである。
注意深くバス停の名前をチェックしながら進む。 そして、観音前(大島観音)のバス停を過ぎたところで、 左 池口岳の文字を確認、 狭い道に入る。 所々で池口岳への案内板を目にしながら高度を上げていく。
かなり山奥に入る感じだが、 結構 人家があるのに驚かされる。 そのため、 すれ違いが難しい細い道であるにも拘わらず、 2台の車とすれ違うことになった。 両方とも周囲の状況から、 先方にすれ違い可能なスペースまで バックしてもらうことになったが、 先方は仕事であろうし、 当方は遊び、 少々恐縮であった。
やがて、道の左横に登山届のポストが現れる。 ここから先は遠山家所有の私有林道となる。 この遠山家は道の右下にあり、 今は故人となられた遠山 要氏は この池口岳のルートを切り開いた方であるとのこと。
ここからの林道は、 ネットでも多くの書き込みがあるように悪路。 しかし、思った程にはひどい道ではない。
悪路を抜けると、 突然にコンクリート道に変わるものの、 すぐに砂利道となる。
かなり登ってきたなと思っていると、 大きく道が左にカーブする所に 簡易トイレが立っているのが見えた。 登山道はその向かい側から始まることになる。

車をカーブ手前の空きスペースに駐める。時間は6時45分。
平日のためであろう、 この時間でも小生が駐車第一号であった。 なお、実際はもっと早く着けるはずだったのだが、 高速を運転している内に眠くて堪らなくなり、 辰野PAで30分ほど睡眠をとった次第。
身支度をして、6時51分に登山道に入る。
階段状の道に取り付くと、 そこには熊に注意の看板。 本日は 山中たった1人の状況も考えられるため 少々びびる。
道は急登、平坦な道、緩やかな登りが パッケージとなって何回も出てくる感じである。 特に最初は、 かなりの間 平坦な道を歩くことになるので、 この山は高度よりも距離にて時間がかかるのだな と勝手に得心したのだった。
道は常に東に向かって進むことになり、 最初は樹林越しに見える太陽に向かって登ることになる。 展望はなかなか得られず、 樹林越しにチラチラ周囲の山が見える程度である。
大きく展望が開けるのが、 黒薙と呼ばれる崩壊地の手前から。
下方に飯田市街が見え、 その向こうに中央アルプスが見える。 また、黒薙では、 大きくガレた崖の向こうに 目指す池口岳の双耳峰を見ることができた。
崩壊地の縁を緩やかに登っていくと 1,838mの三角点。 ここまでおよそ1時間45分であった。
ちなみに、 昭文社の地図に このルートは掲載されていないため、 国土地理院の地図閲覧サービスを利用し、 2万5千分の1の地図を画面に表示させ、 必要部分を画面コピーにてペイントに貼り付けて保存。 それをエクセル上に貼り付けて地図を作成 (A3サイズ2枚分)したのだった。 作成した地図には 登山ルートがしっかり書かれているものの、 所要時間が分からないので、 頂上到着を12時と見てペース配分を行った。
道の方であるが、 先日の巻機山の泥道に比べて、 何と良く整備された道であろう。 ぬかるんだ所は皆無に近く、 道も明瞭で、良く踏まれている。
また、要所要所にはピンクテープがあり、 迷うことはまずない。 ただ、本当に距離が長いのである。 息が上がる登りもほとんどないが、 結構アップダウンがあるので、 往きはまだテンションが高いから良いものの、 帰りは辛い。
ペース配分が分からないので、 先ほどの三角点で簡単な食事した後、 次の休憩は 加加森山−池口岳のジャンクションで などと勝手に決めたのが失敗だった。 ジャンクションの先の小さな高みで 2回目の腹拵えをした時は、 三角点から2時間半を経過しており、 少々バテ気味であった。 もっと手前のザラ薙平で食事をするのが正解である。
腹拵えをしてようやく元気が出たものの、 この頃にはガスが周囲を囲んでおり、 目の前の池口岳北峰もガスの中に霞んでいる。
道は一旦下って北峰に登り返すことになる。 途中、加加森山から光岳へと続く尾根が見え、 少しテンションが上がってきたが、 ガスがすぐに隠してしまったのだった。
11時35分に北峰到着。 ここでは少し休んだだけで、すぐに南峰を目指す。
北峰までの道は、 明瞭で良く踏まれていることは前述のとおりであるが、 北峰から南峰への道は 明瞭ではあるものの 少々歩きにくくて苦労する。 例えば、ササ原の斜面を横切るのだが、 道は明瞭であるものの、 斜面に対して完全に水平を保っておらず、 滑りやすい。
山側にある右足が滑った場合、 柔道の出足払いを受けたように倒れ、 そのままササ原の斜面を滑り落ちることも 十分に考えられるのである。
崩壊地を抜け、 やがて舟窪状のササ原を登っていくと、 樹林に囲まれた南峰に到着。 時間は12時11分であった。
南峰頂上は小さな草地で、 その周囲をササが囲んでいる。 三角点はその草地とササの境目に ひっそりと設置されている。
展望はあまりなく、 樹林越しに光岳、信濃俣が見えるものの、 ガスがそれを邪魔する。
帰ろうと思いつつ、ノドを潤していると、 何と上空を覆っていた雲が突然切れて円形の穴を開け、 そこから青空および太陽が顔を見せてくれたのであった。 風も吹いているので、 暑いというより気持ちよい位である。
お陰で、 やや霞み気味ながらも 光岳や信濃俣が見えるようになり、 南峰で20分以上も過ごしてしまったのだった。
太陽が再び雲に隠れ始めたのを機に、下山開始。 今度はさして苦労することなく北峰に戻り着く。 ここで5分ほど休憩した後、 往路を戻る。
周囲はまたまたガス。 ザラ薙平から振り返った池口岳は ほぼガスの中であった。
その後、順調に下山。 この日、横浜は暑かったようだが、 山は涼しく快適であった。
とは言え、油断は禁物。 こまめな水分補給を行うべく、 500mlのペットボトル6本を持参。 全て使い切っての下山であった。
登山口に戻り着いたのは、16時37分。 9時間45分程の山旅であった。

思った通り、 帰りはアップダウンの連続に少々悩まされたのだったが、 この日小生を一番悩ませたのは、 終始小生の周辺を飛び回る虫たちであった。
写真を撮ろうとするとレンズの前を横切るし、 歩行中も腕や首、ズボン、Tシャツにとまって 煩いことこの上ない。
さらに加えて、 シロフアブというのだろうか、 ハエの倍以上もあるアブが身体にとまったかと思うと、 チクリと身体を刺すのである。 これが結構痛い。
身体に常に目を向けている訳ではないので、 突如として痛みが走るという具合なのである。
しかも、痛さの後はかゆみを生じさせるから始末が悪い。 この時期、虫除けスプレーは必携であった。
しかし、面白いもので、 植物に森林限界があるように 虫たちにも生息限界があるようである。 シロフアブはジャンクションへの登り途中から 全く見えなくなり、 南峰ではミツバチのような虫と ブヨのような虫だけであった。
当然、 下山時、ザラ薙平付近から またまたシロフアブがまとわりつき始めたのは言うまでもない。
なお、予想通り、 この日、池口岳は小生の貸し切りであった。 天候にはやや恵まれなかったものの、 南アルプス深南部の山を また一つクリアできたということで、 気分は最高である。


割引岳、牛ヶ岳あっての巻機山  2011.6 記

ついにこの 6月19日を以て、 土日休日高速料金 一律千円という 大変ありがたい制度が廃止となった。 東日本大震災の復興財源確保ということで やむを得ないところであるが、 小生にとってはメリット大だっただけに残念である。
と、 同じようなことを何回も書いているので、 未練がましいことこの上ないが、 最後となった 19日は この制度を使って山に行くことができ、 雨でどこへも行けないまま廃止 という残念な終わり方にならずに本当に良かったと思っている。
制度廃止を前に、 何としてもこの週末は山に行きたいと強く思い、 頻りにネットの天気予報にアクセスして 状況を掴んでいたところ、 思いが通じたのか、 19日は晴れの地域が結構出てきたのであった。
中でも、 新潟県の方は好天が期待できそうなので、 13年ぶりとなる巻機山に登ることに決めたのだった。
新潟の山としては、 他に越後駒ヶ岳、浅草岳なども浮かんだのであるが、 日曜日にあまりに無理をすると 翌日からの仕事に支障をきたすということで、 前回も意外に早い時間で下山できた巻機山を選んだ次第である。
前回この山に登った時は ヌクビ沢を登ったのであった。 しかし、最初に巻き道を進んでしまったため、 途中から沢に降り立つことになり、 最初のアイガメの滝などはパスした形になってしまったのである。 従って、今回、 ヌクビ沢の再チャレンジ といきたかったのだが、 まだ沢にはかなりの雪が残っていて、 その雪渓の状況変化が激しく、 立入禁止になっているとのこと。 仕方なく、 井戸尾根のピストンにて我慢することにしたのだった。
とは言え、 前回は稜線上に立った時にガスが多く、 あまり景色を楽しむことができなかったことから、 今回稜線上の天候が良いのであれば、 井戸尾根を使ってのピストン登山でも 納得できるところである。

朝の3時過ぎに横浜を出発。 東名高速道、環状八号線と順調に進み、 練馬ICから関越自動車道に入る。
家を出る時は曇り空。 さらに環八では小雨までぱらついたものの、 関越トンネルを抜ければ、 青い空が待っていると信じて先に進む。
その関越トンネル手前では、 最初ガスが周囲の視界を妨げていたのだったが、 徐々に視界が利き始め、 トンネルに入る直前には 谷川岳の双耳峰も見ることができるようになったのだった。 トンネルを抜けた後の晴天に 俄然期待が膨らむ。
が、しかし、 トンネルを抜けても抜けるような青空とはいかず、 少々ガッカリ。 それでも雨の心配は全くないようであり、 周囲の山々も良く見えているので、 気を取り直して石打ICへと進み 高速道を下りる。
登山口のある清水へはナビ任せであるが、 前回はナビの付いていない車だったこともあり、 確認の意味で 今回も事前に地図にて行き方を調べておいた。
その結果、 石打ICを下りた後、 県道28号線にて北東の方向に進み、 国道291号線にぶつかったところで右折すれば、 そのまま清水に着くことがきることが分かったのだった。
しかし、さすがナビである、 途中で農道に入り、 大幅に道をショートカット。 想定した場所よりも大分 清水に近い場所で国道291号線に合流。 かなり得をした気分である。
清水に着いてからは、 清水バス停のところにある巻機山登山口の標識に従い、 鋭角に左折。 そのまま道なりに細い山道を進めば (但し、きちんと舗装されている)、 桜坂の駐車場である。
途中、第二駐車場に着く手前の空き地に すでに車が数台駐まっており、 さらには桜坂駐車場へと歩いている登山者もいたので ビックリ。 もしかしたら 駐車場は満車かと少々心配しながら先へと進む。
すると、 やはり第二駐車場はほぼ満車状態。 これでは、さらに先の第一駐車場は推して知るべしと思い、 そのまま第二駐車場に入って 最後の一台に滑り込んだのだった (尤も、下山したら、 第二駐車場の側面部分に数台が縦列駐車していたが・・・)。
身支度をして出発。 第二駐車場と第一駐車場の間では、 前方に鋭く突き上げた天狗岩が見え、 さらに奥の方に割引岳も見える。 本日は快晴とはいかないものの、 天候の崩れは全く心配ないようである。

第一駐車場は案の定満車の状態。 これも好天の予報と 一律千円最後の日ということに起因しているのだろうか。
満車状態の駐車場であったが、 早朝で管理人がいないため、 車がドンドン入って来て かなり無理な駐車を試みている。
小生が駐車場内を歩いている時にやって来た軽トラックなどは、 駐車場を突き抜けて奥へと進み、 登山口近くの林道に駐車した程である。
第一駐車場を抜けると、 すぐに道は井戸尾根コースと沢コース (ヌクビ沢コース、天狗尾根コース)に分かれる。
沢コースの方には、 先に述べたように雪渓の状況が不安定のため 立入禁止となっている。
井戸尾根の方へと進み、 林道横から登り始める。
事前に情報を得てはいたが、 この梅雨の時期、 足下のぬかるみがもの凄い状態である。 スパッツを着けていなかったら、 ハネ上がる泥でズボンの膝から下の部分は 真っ黒になってしまったことであろう。
流水で大きくえぐられ、 土がむき出しになった道に水分が多く残っており、 足下がかなり滑る。 その証拠に、 登山道には足を滑らせた跡が数多く残っている。 それでも登りの方はまだ何とかなる。 ここを下る際は きっと地獄であろうと思いながら登り続ける。
なお、登山道には合目を示す標柱が立てられているが (前回登った時に気づいたように、 恐らく一合目は清水にあると思われ、 三合目近辺から始まっている)、 この泥道は七合目の手前、 ニセ巻機 (何という哀れな名前であろう。 深田氏の日本百名山では前山と書かれている) への登りにかかるまで続くのである。
そのニセ巻機は九合目に当たる。 この尾根上に立って初めて、 巻機山の大きな土手のような山容を見ることができる。 美しい三角錐をした割引岳も左方に見えるが、 こちらの方は上で述べたスタート地点の他、 途中の六合目展望台などからも見ることができる状況である。
道はニセ巻機から一旦下り、 巻機山へ登っていく。 この鞍部に避難小屋があり、 その前後は未だ豊富な残雪に覆われている。 ただ、ここの残雪は足跡が多く、 距離も短くて何の面白味もない。
水芭蕉が疎らに咲く地塘の間を抜け、 最後の登りにかかる。 これが結構辛い。
この急坂を登り切ると、 そこには巻機山頂と書かれた標柱が立っていた。
この辺は、御機屋というのが正式のはずである。 標柱周辺に沢山あるベンチでは大勢の人が憩っており、 小生もここで少々腹を満たした後、 牛ヶ岳へと向かう。
途中、 小さなケルンが積まれている場所があったが、 この後方が恐らく巻機山の最高点であろう。
牛ヶ岳へは一旦下って登り返すことになる。 木道なども設置されており、 前回見えなかった景色がよく見える。 雰囲気的には、 平標山から仙ノ倉山へと向かう行程を スケールダウンしたような感じで、 途中に地塘もあり、 谷川岳方面もよく見えて気分良く歩くことができる。 快晴とはいかないが、十分に満足である。
牛ヶ岳からさらに少し先に進み、 下りに入るところで暫し周囲の景色を楽しんだ後は、 辿ってきた道を戻る。 >BR> 御機屋に戻った後は、 牛ヶ岳とは反対側の割引岳を目指す。 ここで嬉しいことがあった。
こちらは残雪が豊富な上に、 雪の上も踏み荒らされていない状況なのである。
先般の空木岳、燕岳にて残雪を楽しんだ身にとっては、 この日のこれまでの残雪状態に少々物足りなさを覚えていたため、 斜面の縁を辿る長い残雪歩きを楽しんだのだった。
割引岳を往復した後は、 往路をそのまま戻る。
登りの際に懸念したように、 この泥道の下りは非常に神経を使うものであった。 まさに泥用のアイゼンが必要といった状況である。 慎重に下りたため、 ズボンを汚すことはなかったのだが、 駐車場に戻り着いた時は、 登山靴、スパッツはドロドロ状態。 トイレにあった水道にて大きな泥は落としたものの、 帰宅後の念入りな掃除は必須である。

と、高速道一律千円を利用した 最後の登山を楽しんだのだったが、 ヤマレコなどに載っているこの巻機山の登山記録を読んで、 少々残念に思ったことがある。
それは、上で述べた御機屋 (巻機山の標柱のある場所) だけで下山する人や、 そこから先に進んだとしても、 ケルンが積まれた巻機山最高点の所まで という人が多くいるということである。
人がどのような登り方をしようと、 他人がとやかく言うべきものではないが、 折角登ったのに、 何故 牛ヶ岳や割引岳に行かないのであろう。 山好きならば、 天候等で先に進めないことでもない限り、 これらの山を無視する訳にはいかないと思うのだが・・・。
この巻機山が百名山であるということで、 巻機山の頂上を踏むだけの ピークハントが目的となっているのであれば、 大変残念なことである。
この山の良さは、 伸びやかな原が続く牛ヶ岳−巻機山−割引岳という 全体にあると思う。
近くの平標山に登った場合は、 労を惜しまずに 仙ノ倉山をピストンする人が多いのに、 この巻機山がそうなっていないのは 合点がいかない。 牛ヶ岳への道は気持ちが良いし、 割引岳の方はその山の形も美しく、 展望もすこぶる良い。
おまけに天狗岩の雄姿も眺めることができ、 三角点や祠もあって一番頂上らしいのだが・・・。
これから巻機山に登る人は、 是非とも割引岳、牛ヶ岳を無視しないで欲しいものである。


道路から見える山々  2011.6 記

先般のこの欄で、 現在興味を持っている道路として 国道152号線を挙げたが、 これはこの道路が最近登った、 あるいはこれから登ろうとしている山々 (それも異なる山域) を繋いでいるなかなか重要な道路であることを知っての 驚きによるものである (それぞれの山に登る際に通っていたものの、 同じ道路であることに全く気づかずにいた)。
しかし、 この道路は山の懐を進むことが多いので、 眺めという点での印象は薄い (尤も、全線を通り抜けた訳ではないが、 茅野市近辺から高遠あたりまでは 蓼科山、八ヶ岳、南アルプスの眺めが良いだろうことは 容易に想像がつくし、 また、ある程度経験済みである)。
山の眺めが素晴らしい道路ということでは、 やはり中央高速道路が最初に頭に浮かぶ。
深田久弥氏は、 その著書 「日本百名山」 の 甲斐駒ヶ岳の項で、 新宿からの中央線が甲府盆地を過ぎて、 信州の方に上って行く時、 車窓から見える甲斐駒ヶ岳について 畏敬の念を込めて書いておられるが、 鉄道と道路の違いこそあれ、 この中央高速道路でも 八王子ICから西へと向かえば、 同じ驚き・喜びを味わうことができる。
特に、長い笹子トンネルを抜けた後、 さらにもう一つトンネル (日影トンネルだったと思う) を抜けると、 南アルプスの山々がバッと目に飛び込んでくるようになっており、 この瞬間は、 何時の時も少々興奮させられる。
ただ、 この頃は天候があまり良くないようで、 トンネルを抜けた後、 やや滲んだような南アルプスが 白い雲のように空に浮かんでいるのが 目に飛び込んでくるか、 あるいは全く見えない状況が続いている。
やはり、景観を楽しむには 空気の澄んだ冬場が一番良いのかもしれない (それに その時期なら山は冠雪していて、 美しさが格段に上がる。 まさに雪化粧である。)。
そして、 さらに高速道を進んで行けば、 左側に 深田氏が車窓から見たのと同様に 甲斐駒ヶ岳の金字塔が現れる。 甲斐駒ヶ岳の手前には、 鳳凰三山も間近に見えて、 楽しませてくれる。
また少し先では、 今度は八ヶ岳を右に見ることになる。 青い空をバックにして、 八ヶ岳の主峰赤岳の山頂に朝日が当たり、 山に残る雪が淡いピンク色や 薄い黄色に輝く瞬間は、 やはりゾクゾクとさせられる。 無論、帰りに八ヶ岳を見る時にも、 その堂々とした山並みに、 またまた心躍らされることは言うまでもない。
また、最近は恵那山や奥茶臼山、空木岳に登るべく、 岡谷JCTからさらに名古屋方面に進むことが 何回か続いているのだが、 この岡谷JCT以降の中央高速道路も また眺めが素晴らしい。
右手前方に伊那前岳だろうか、 あるいは将棊頭山だろうか (手元に写真もないので定かでは無いのだが)、 残雪を残す頂を見せてくれ、 思わず唸ってしまった。
さらに進めば、 周囲の緑が濃くなる中、 その後方に未だ冬であることを示す 真っ白な中央アルプスの主峰群が かなり間近に現れ、 何か現実離れしたものを感じさせてくれるのである。
残念ながら 左側に見える南アルプスの山々の方は、 朝の内であると、 丁度逆光になって あまりその迫力を感じさせない。 しかし、 目的の登山を終えた後に この道を戻れば、 南アルプスの白き峰々がよく見え、 普段あまり見ない方向から眺めていることもあって、 その姿に目を惹き付けられるのである (無論、運転が疎かになってはいけないが・・・)。
こうなると、 この中央アルプスと南アルプスの両方を見ることができる、 この伊那盆地に住む人たちが羨ましく思えるのだが、 それはあくまで旅人の立場。 生活する上では 恐らく両方の山から吹き下りてくる風で、 大変寒く厳しい冬を過ごさねばならず、 一方で夏は 盆地状のためかなり暑くなるのかもしれない (あくまで想像で書いているので、 間違っていたら申し訳ない)。
また、先日は燕岳に登るべく、 岡谷JCTからこの中央高速道路とは反対方向となる 長野自動車道に入って北へと向かったのだったが、 こちらは北アルプスの眺めが素晴らしく、 これまた心弾む思いでの運転であった。
これまた手元に写真などないので、 記憶と地図だけでの推測であり、 また雲が低く垂れ込めていたため、 多くの山を見ることができた訳では無いが、 三角形をした常念岳と その左方に見えた恵那山のような形をした大滝山が 印象深かった。
またさらに左方には 穂高連峰の一部も見えたようだが、 雲がその頂上を隠していたので 確信はできない。
しかし、 常念岳を見ただけで グッとテンションが上がったのは間違いないところである。
無論、 この道路は数回通っているのだが、 まだ暗く周囲が見えない時だったり、 天候の状況から山は何も見えない状態だったりして、 先般 初めて北アルプスの姿を眺めることができ 感激した次第である。
こうした素晴らしい山々が見えることで、 これから向かう山への期待がいやが上にも高まり、 一方で 目的の山に登るまで、 この天候が続いてくれることを祈り、 やや心配にもなるのである。 こういう登山口までのアプローチにおいて、 ハッとしつつ、 さらにはハラハラドキドキするというのも 登山の楽しみと言えるのであろう。
なお、 ここでは南アルプス、北アルプス、八ヶ岳など、 高い山ばかりに目が行くような書き方をしたが、 どうしてどうして、 この高速道路を通っていて、 それ程高くなくても目を惹く山は沢山あるのである。
茅ヶ岳などもその一つで、 ニセ八ヶ岳などというありがたくない呼び名もあるようだが、 確かに八ヶ岳の近くに位置し、 ちょっと目には八ヶ岳と思ってしまう形をした山である。
しかし、裏を返せば、 それだけ魅力的だということだということでもある。
また、中央道を八王子ICに戻る時に目に付く山が釈迦ヶ岳である。 この山は富士五湖周辺の御坂山塊に属し、 同じ御坂山塊の山から見た時には ピラミッド型の山としてお馴染みであるが、 中央道側から見た場合は、 手前に見える山の奥に 槍ヶ岳と思わせるような鋭く尖った頂を見せてくれるのである。 高さは 1,700mにも満たない山であるにも拘わらず、 こちら側から見たその山は 遙か先の高峰であり、 何回か登ってよく知っている山だけに なおさらその姿に驚かされる。
そうそう、 高い山というなら富士山を忘れてはいけない。 富士山というと どうしても東海道を連想してしまうが (きっと山梨の人にとってはそうではないのだろうが・・・)、 中央道を八王子ICに向かう時に見える富士山も なかなかのものである。 富士山を北西側から見ることになるから、 精進湖などから見る富士山と同じ角度だが、 登山をした後 中央高速道を使って帰る場合、 須玉IC付近では夕暮れになることが多く、 そのため正面に見える富士山も 薄いピンク色に染まって大変美しい。
また、 先日、燕岳から下山した後 中央道で眺めた富士山は、 残雪の状況が葛飾北斎の 「凱風快晴」 通称 「赤富士」のようであった (無論、朝と夕、見ている方角の違いはあるが・・・)。

さて、このように楽しめる車を使っての山行だが、 それを促進してくれた土日休日高速道路料金 一律千円 という なかなか素晴らしい制度の廃止が 秒読み段階である。
廃止後は、 山行費用における高速道路料金の割合が グッと高まることになる訳で、 加えて、ガソリン代も高止まりしており、 財布をかなり圧迫することは間違いない。
かといって車を使っての山行は最早止められない。 また、月1〜2回の登山ペースも減らす訳にはいかない。 そうなると、 財政的には厳しいが、 まあ効率良く登ることを考えたいものである。
しかしまあ、 この一律千円が最後となる 6月18、19日の週末は、 何としても晴れて欲しいものである (この駄文を書いている 6月11日土曜日は雨模様)。


気になる国道152号線  2011.6 記

この頃は車を使っての山行がほとんどとなり、 登山を始めた頃、 時刻表を駆使し、 電車・バス利用にて横浜の自宅から 如何に早く登山口まで着けるかを、 一所懸命検討していたことが懐かしく思われる。 実際、これは楽しい作業であった。
時刻表を検討した結果、 一般的に想定されるルートとは全く違うルートを使用したり、 新幹線で在来線の目的の駅よりも さらに先の駅まで行って戻ってくる などの手段を使ったりして、 登山口の最寄り駅に到着。 さらには そこから バスに乗って、 かなり早く登山口に着けることが分かった時は、 してやったりとほくそ笑み、 誰かに教えたい気分になったものである (尤も、そんなことを教えられても、 教えられた側にニーズがないので、 何の反応もないことであろう)。

また、車を良く使うようになってからも、 当初は車にナビなど付いていなかったため、 事前に地図とにらめっこして、 どういうルートで現地までいくのが一番効率的か ということについて、 一所懸命学習したのだった。
今は完全にナビ任せで ほとんど頭を使わなくなってしまい、 年齢を重ねることと相まって、 ボケが進みやしないかと些か心配である・・・。

冗談はさておき、 いくらナビ任せといっても、 車を頻繁に使うようになると、 自ずと通る道路に対する興味が湧いてくるようになる。 そんな中、 今一番興味を持っているのが 国道152号線である。
この道路は、 通った時には やはりナビ任せで、 道路の名前を漠然としか認識しておらず、 後で登山記録を書いている時に、 蓼科山や八ヶ岳の北横岳に登る際に使った道路であり、 また先般 丸盆岳への登山のために 天竜川 双竜橋の所から水窪町まで行く際に通り、 さらには水窪町から飯田市への移動に使った道路でもあることに気づいて、 些か驚いたのだった。 漠然と道路名を認識していたため、 頭の中で同じ道路であることに気づかなかった という情けない話でもある。
また、 水窪町から飯田市に向かう途中で気づいたのだが、 この道路は南アルプスの聖岳、光岳に登る際の登山基地である 易老渡に行く時にも通っている道路なのである (南信濃木沢付近)。
そして、 恐らく 北岳、間ノ岳、塩見岳と縦走し、 三伏峠から塩川小屋に下り、 そこから乗ったバスも この国道152号線を通っているに違いないのである。
長野県の茅野市付近、 そして浜松市から水窪町、 そして南信濃木沢付近という 全く離れている地域で、 それぞれお世話になった道路が同じ道路であったことを知って興味を持ち、 早速、この道路のことを調べてみることにした。

この国道152号線は 長野県の上田市を起点としており、 終点は静岡県の浜松市。 全長は 248km余りだそうである。 ちなみに、 いつも利用していながら余り好きになれない 国道16号線は、 横浜市を起点・終点として、 首都圏にある 4都県を環状に結んでおり、 その長さは 253km。 従って、普通に考えたら、 この国道152号線が 色々な場所を通っているのは当たり前 ということになる。
しかし、登山という観点から見れば、 小生の山行にかなり関わって来ており、 それも それぞれの山域が異なっているので、 ちょっと注目せざるを得ないのである。
実際通ってみると、 狭い山道があったかと思うと、 町中を通る立派な所もあったりして その変化に驚かされる。
さらには、 地図で調べて見ると、 途中 2箇所で道はなくなっており、 先の方でまた現れるという形をとっているのも面白い。 こういう道路は日本の国道には結構あるらしく、 以前 白砂山に登るために使った国道405号線は、 群馬県の野反湖の所で途切れ、 山を隔てた新潟県の切明温泉の先から再び始まったりしている。
この国道152号線も、 青崩峠 (この付近は 中央構造線による破砕帯となっており、 山腹に広がるむき出しになった青い岩盤が その名の由来のようである。 破砕帯のため、崩れやすく、 道路工事が進められないとか・・・) の手前で切れている。 しかし、道自体は兵越峠経由の林道があるので、 問題なく分断されている先の国道152号線に 再び合流できるのである (小生も先般水窪町から飯田市に向かう際、 この林道を通った)。
さらには、 三遠南信自動車道の象徴とも言える矢筈トンネル (全長4,176m) の南アルプス側の出口の所から 北へ約 3kmの所で、 またまた消滅しているのである。 この消滅した国道は、 さらに北の地蔵峠の所から再び現れるのだが、 その間も蛇洞林道で補完されているらしい。
いっそのこと、 これらの林道を吸収して 国道152号線として分断をなくせばよいかと思うが、 なかなかそうはいかないようである。
なお、 小生は主に メルヘン街道 (茅野市)、 秋葉街道(浜松〜高遠?) という名前にて この国道を認識しているが、 この他、杖突街道、大門街道、信州街道など 昔の街道を包含しており、 なかなか由緒正しき血筋を持っているようだ。

この国道を使って小生が登った山は (ほんの少し通った場合も含む)、 南から黒法師岳、丸盆岳、不動岳、 聖岳、光岳、 蓼科山、天狗岳などで、 バスで通った場合も含めれば、 北岳、間ノ岳、塩見岳もそれに加わり、 大変お世話になっていることが分かる。 大いに感謝である。
そして、 今狙っている 鳥倉林道経由の塩見岳、小河内岳登山も この国道にお世話になるはずである。
そうであるのなら、 もっと道路にも注意を払い、 敬意を表さねばなるまい。 恐らく、ナビのない頃であったら、 事前に地図で調べた際に、 キチンと道路名を認識していたことであろう。 やはり、ナビ任せでは惚けるばかりである。

さて、話はガラッと変わるが、 土日休日の高速道路料金一律千円も、 ついにこの6月19日の日曜日を以て 廃止のようである。 大変残念だが、 先般の東日本大地震に対する復興財源確保 ということを考えれば、 致し方ないところである。
とは言え、 小生の車による登山は この制度で大きく広がりを見せた訳で、 この制度が廃止となるまで できるだけ利用しておきたいところである。

と言うことで、 梅雨入りし、なかなか晴れ間と土日が結びつくのが難しくなっている中、 6月4日の土曜日は晴れる との予報 (Mapion系、YAHOO系 両方の天気予報も晴れ) が出たので、 北アルプス燕岳に行ってきた。
この山は 北アルプスデビューにはもってこいの山 と聞いていたので、 登山を始めた頃から登りたい と思っていたのだが、 当時は 電車やバスを使うことが多く コストがかかるため、 百名山に登ることを優先してしまい、 なかなか登るチャンスがないまま 20年以上が経過してしまったのである。
この燕岳から、 大天井岳、槍ヶ岳へと縦走することも可能であり、 これが正規の表銀座縦走コースなのだろうが、 どうせなら 一度に多くの百名山を登ってしまいたいと考え、 常念岳−槍ヶ岳−笠ヶ岳 というコース取りをしてしまい、 この燕岳は切り捨てた格好になっていたのである。
こうした状況であったが、 車での北アルプス日帰り登山が可能であることが 昨年分かったことで (唐松岳−五竜岳、 常念岳−蝶ヶ岳登山)、 この山も登山目標に入れることになり、 さらにここに来ての 高速道路料金 一律千円の廃止ということから、 この残雪期を逃してはならじと 急遽 行くことにしたのである。

結果は、やはり素晴らしいの一言。 晴天に恵まれ、 山頂にて槍ヶ岳を含む周囲の山々を眺め、 今年も北アルプスにも挑戦しよう という意欲をかき立てられたのだった。
残念なのは、 もう少し元気があれば、さらに足を伸ばして 大天井岳を往復できたであろう ということである。 今回は 燕岳への登りでも 残雪が多かったので (しかし、軽アイゼンは不要であった)、 さらに先に進むことが躊躇われたのであった。 また、夏以降ならいざ知らず、 まだ身体の新陳代謝が活発でない今の時期では ちょっと苦しかったかもしれない。
なお、 大混雑という訳ではなかったが、 この時期 燕岳には多くの人が登っていた。 失礼だが、 この季節なら、 時間さえ掛ければ 老若男女 皆が登れる山なのである。
そのため、 小生としては 今回の登山に 何か付加価値を付けたかったのだが、 一番良い大天井岳往復は 上述のように叶わず。 せめてもの慰めは、 燕岳からさらに先に進み、 北燕岳 (頂上には何もないが) に登ったことか・・・。
恐らく、周囲の状況から見て 北燕岳への登頂は この日 一番乗り。 もしかしたら、 ここ最近でも久々という状態 だったのかもしれない。 というのは、 頂上直下の登り斜面は 残雪で覆われてしまっており、 誰かが登ったという気配が 全くなかったからである。 そのため、 雪に足を蹴り込み、 岩やハイマツに捉まったりして 登るのに苦労したが (ほんの僅かの距離)、 ほとんどの人が 燕岳までの中、 一人 さらに北の頂に立って その燕岳を眺めることで、 少々優越感に浸れたのであった。

これからは梅雨が本格化するはず。 一方で、 土日祭日の高速道路料金 一律千円が有効な週末は あと 2回しかない。 できたら、もう1回は利用したいところである。


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