赤城山( 黒檜山:1,828m ) 2004.11.23 登山


  出張山頂上から黒檜山、駒ヶ岳と大沼 ( 2004.11.23 )

【赤城山再登山記録】

【赤城山再登山データ】

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初回登山


赤城山再登山記録

今回 赤城山 に登ったが、 この山は 14年ぶりとなる。
前回辿ったコースは、大沼 (おの) 北東側の道路沿いにある登山口から黒檜山に直登し、 黒檜山の頂上を踏んだ後は駒ヶ岳を経由して大洞に下山するものであり、早春の山に残る雪に些か苦労しつつも結構楽しいものであった。
ただ、登っている時間が大変短かったことから登山自体には物足りなさを覚えるとともに、火山のカルデラの内側から外輪山に登るという登山自体に少々後ろめたさを感じたのも事実である。

しかし、この後ろめたさや不満はその後私の心の中に封印され、長い間心に浮かび上がることもなく 14年の年月が経過したのであったが、 先日 武尊山 登山の際に赤城山を目にしたことでこれが一気に再燃し、 赤城山を外側から登る計画が急浮上することとなったのであった。
といっても、前回のように黒檜山、駒ヶ岳だけ登って帰ってくるのでは量的な物足りなさはカバーできない訳で、 今回は無謀にも赤城山の外輪山を中心にカルデラを一周するという計画にした次第である。

登山口は、花見ガ原キャンプ場。ここは赤城山の最高峰である黒檜山へ外側から直接登る唯一のルートであり、 インターネット、ガイドブック等には なだらかな登りが続くと書いてある。
但し、そこまでのアプローチは結構大変である。私の場合は、関越自動車道を進んで高崎ジャンクションから北関東自動車道に入り、 終点の伊勢崎ICで高速道を降りた後は、国道17号にて前橋方面に進み、すぐに右 大間々の標識を見て右折。
そのまま大間々を目指し、大間々からは 122号線に入って日光へと進む。途中、水沼駅手前のところから左折して山間の道を進み、 花見ガ原キャンプ場の標識を見たところで道を左に折れ、キャンプ場に向かうというルートであった (全て舗装)

キャンプ場に着いたのは 7時15分。霜が降りている広い駐車場に車を止める。
身支度を調え、誰もいないキャンプ場の中を進む。キャンプ場にはバンガローもいくつか建っており、廃村を歩いているような感じがして何とも薄気味が悪い。
周囲にはアカヤシオツツジの木が目立ち、ここが花見ガ原という名があるのも頷ける。ツツジの最盛期にはさぞかし見応えがあろう。
道はガイドブックの通り、緩やかな勾配の道が続く。上を見上げれば木々の間から青空が覗いており、今日の登山に期待が膨らむ。

道には所々に木道も設置されており、黒檜山直下までは本当に緩やかな道が続くので、 距離はあるものの疲れは感じない。
途中岩がゴロゴロしている箇所は少々道が分かりにくいが、明るい空の元では全く問題ない。
周辺の木々がブナやダケカンバから灌木へと変わると、徐々に視界が開けだし、やがて左手に地蔵岳、 小沼 (この) が見え始め、さらにその上方には 富士山 の姿も見えたのであった。
また、振り返れば、皇海山男体山 といった日光の山々の姿が青空に映えている。

やがて道は、黒檜山と駒ヶ岳を結ぶ縦走路へと合流し、そこを右折すると、 すぐの所が御黒檜大神と彫られた大岩のある黒檜山大神。黒檜山の頂上はもう少しである。
細い尾根を進んで辿り着いた黒檜山頂上は小広い平地となっており、真ん中に三角点が置かれている。
前回は雪の下で確認できなかった三角点であるが、今回はしっかりと踏んで登頂を確認する。時刻はまだ 8時46分。 確かに黒檜山だけでは物足りない。

頂上は周囲に木が多く、展望は 奥白根山 など日光方面しか利かない。
もっと先の方に景観が良い場所があったはずと思い、クマザサの中を先へと進む。
クマザサに着いた霜が溶け始めており、それがズボンを濡らして冷たい。
やがてササ原の中に祠が見えてくると、展望が一気に開けた。ザレた岩場の所からは、 至仏山燧ヶ岳といった尾瀬の山がハッキリと望め、 またその左方には 武尊山谷川岳といった懐かしい山々、 そしてもっと左には 浅間山、また眼下には大沼が見え、 本当に素晴らしい景色である。

暫し景色を堪能した後は頂上まで戻り、今度は大沼へ向けて一気に登山道を駆け下りる。
前回、ここは腐った残雪に覆われており、ヒイヒイ言いながら登ったのであったが、無雪期の下りであれば、あっという間、 30分程で車道に降り立つことができたのであった。しかし、今日は先が長い。
まず車道を右に進み、すぐに大沼を一周する湖岸周遊道路から離れて沼田への車道を進む。蛇行する車道歩きは成る可くご勘弁願いたいのだが、 それも 15分ほどで済み、やがてこれから登る陣笠山・薬師岳の登山口がある五輪峠に到着。
山に取り付き、日だまりの中を進む。ここもそれほど急登ではなく、ペースが上がるのに任せて進むと、やがて小高い台地状の場所に登り着いた。 ここが陣笠山頂上である。
登り来たりし方角を振り返れば、先ほどまで頂上に立っていた黒檜山が台形状をして大きい。

この陣笠山頂上で少々休んだ後、さらに道を進む。この道は大きなアップダウンはあまりなく、 平坦に近い道が続いた後、途中の高みに向かって登るというパターンが続く。
こうして次に登り着いたところが、薬師岳であったが、この頂上は樹林に囲まれて視界が利かない。 むしろ途中の登山道から見る大沼とそれを取り囲む山々の姿が素晴らしい。
ただ、どの山がこれから登る鈴ヶ岳かが分からなかったのはやや残念である。

次の頂上が出張山 (でばりやま) で、ここは前面が開けているため、 大沼の眺めが素晴らしい。大沼の後ろには黒檜山、駒ヶ岳がどっしりと構えており、まさに絶景である。
これを逃す手はなく、長い休憩をとり、景色をおかずにして早めの昼食を取ったのであった。
この出張山から道はグッと下ることとなり、下り着いたところが出張峠であった。ここからは道を右にとって鈴ヶ岳の裏に回り、 そこから鈴ヶ岳頂上を目指すこととなる。

この出張峠を過ぎてからの道は、今までの明るい日だまりハイクとは趣を変え、 薄暗い林の中を進むことになった。
つまり、山に囲まれた道のため、陽の光も当たりにくく、雰囲気が暗いのである。ただ道はしっかり踏まれており問題はないのであるが、 何となく熊でも現れそうであまり良い気分がしない。
沼尾川を渡り、暫く進むと道は林道のようになり、車止めの柵を越えた所で鈴ヶ岳への登山口が左手に現れた。ここから暗い斜面の登りが続く。
人もあまり通らないのであろう。道は明瞭だが、落ち葉に隠れて分かりづらい。途中所々で出てくる大岩も苔むしており、 また陽の光もあまり当たらず薄暗いものだから、薄気味悪い。おまけにかなりの急勾配なものだから気が滅入るばかりである。

少し登っては立ち止まって上を見上げる といったパターンの繰り返しが続き、 こんなに体力を消耗してはこの後の行程が思いやられると思いつつ足を進めていくと、 ようやく上の方が明るくなり、尾根 (鞍部) に飛び出すことが出来たのであった。
目指す鈴ヶ岳は右手で、帰りは左手に続く登り道を登らねばならない。またまた気が滅入る。

鈴ヶ岳への登りは結構急で、また登るにつれて岩の間を縫うように進まねばならず、息が切れる。
途中、多くの石像や石碑が現れたが、この山は信仰の山になっているらしい。
ようやく登り着いた鈴ヶ岳は (12:00着)、狭い頂上に大きな岩でできた碑が 3本も建てられており、 その碑の前にも平らな岩が置かれている。どうやって運び上げたのであろうか。
ここからの景色は抜群で、大沼を挟んで対峙する黒檜山の姿、その右手には駒ヶ岳やこれから登る地蔵岳、 そしてさらに目を右手に転じれば明るい光の中に 富士山も見ることができたのであった。

小休止の後、登り来たりし道を一旦先ほどの鞍部まで戻る。
そこからはまた登りとなったのだが、登山者を何人か追い越すことでアドレナリンも出てきたのか、結構快調である。
登り着いた見晴らしの良い場所が鍬柄山頂上で、大沼や黒檜山はもちろんのこと、これから登る地蔵岳とその麓に広がる溶岩台地 ? の眺めが素晴らしい。

ここからは黙々と山道を下ることとなる。途中、鉄条網が張られているところが多くあったが、 これは鹿などが通れないようにしているのであろうか。
ようやく下り着いたところから今度は車道を歩いて見晴山・大沼方面へと進む。
5分ほど歩いたところで地蔵岳登山口が右手に現れた。
さあ、また山登りである。もう体力的に一杯一杯かと思ったのだが、意外と足は進み、何のことはない、地図では 1時間とあるところを 30分ほどで登り着いてしまった (13時58分)
これだけの体力があれば、最後の難関である黒檜山への登り返しも何とかなるであろう。

地蔵岳頂上は人工物の集積場所となっており、アンテナとその基地、ロープウエイ駅などで雑然としている。
それでも明るい日差しの元、そこからの眺めは気持ちが休まる。
さて、この地蔵岳を下ればほぼ本日の目的の山は登り終えたことになるのだが、最高峰の黒檜山を登り返す作業が残っていることを思うと気が重い。
道を八丁峠方面に取り、左下に小沼を見ながら快調に下る。道は木道になっている部分が多く、何の問題もない。
下り着いたところで道を左にとり、ササ原の中、大きな石がゴロゴロしている道を下った。標識が一切なかったのでこの道が正しいかどうか疑問を抱きながらの下りであったが、 目の前に黒檜山が見えるので大きく間違うことはあるまいと思いつつ進んだところ、やがて川のところを右に曲がると民宿などが現れ、 すぐにスキー場の横手に飛び出したのであった。陽は傾き始めており、早く黒檜山を登り越さねばならない。

車道を進み、懐かしい駒ヶ岳への登り口に着いたのが 14時48分。
疲れたとは言え、ここまではそれなりのペースで進んできたので、この登りも何とかなると思っていたのが甘かった。
ここの道では、数歩登っては立ち止まるというペースとなり、いきなりエネルギーが切れてしまった感じである。 いくつか現れる鉄の階段登りもきつく、尾根に着いたら休もうと思っていたにも拘わらず、とうとう途中でバテてしまい、 岩場で 30分の大休止をしてしまった程であった。
残っていた握り飯を頬張るものの、なかなか喉に通らない始末。もう本当にバテバテである。しかし、道程はまだまだ長いのである。

ようやく尾根に着くも、もう陽は沈み掛けており、当たりが赤く染まる。
この暗さならとうに下り道に入っていなければならないのに、まだ駒ヶ岳にも到達していない。
バテバテで辿り着いた駒ヶ岳からも試練は続く。何と折角獲得した高さを全てご破算にするように一旦下り、そこから黒檜山への登りが続くのである。
花見ガ原キャンプ場への分岐は頂上近くにあり、これはもう地獄である。
喘ぎ喘ぎ登るので進みが遅く、陽はほとんど沈み掛けている。
振り返ると夕日の中で 富士山が美しいシルエットとなっているのが見え、これが唯一の慰めであった。

まだかまだかと這うようにして進むと、ようやく目の前に分岐の標識が現れた。
これを見た時の喜びはこの上なく、思わず ヤッタと叫んでしまったほどである。しかし、試練はまだまだ続く。
下りとなるとあれほど嫌がっていた身体も快調となり、ドンドン進むのだが、如何せん陽が沈むのは早い。
登山道途中にあるベンチに着いた頃には真っ暗となってしまい、懐中電灯が必要となる状況であった。しかし、電池もいつまで持つか分からないし、 一番心配なのは途中の岩場で道に迷わないかということである。出来るだけ、懐中電灯を点けずに進む。
こういう時にありがたいのは木道で、それが現れるたびにホッとするのであった。

いよいよ森の中に入ると、案の定道が分かりにくい。
溝のようになっている道なのでそれなりに進むことができるのだが、途中急角度に道が曲がっていたり、 枯れ木が多いところがあったりするともう迷ってしまう。懐中電灯を点けてもなかなか分かりにくい。
それでも下が土の場合はまだ道を探すのは何とかなる。
しかし懸念していた岩場で、ついに迷ってしまったのであった。こういうときには余り動き回ると大変なことになるのは 奥白根山 で経験済みなので、 深呼吸をして暫く落ち着くことにした。
その後道を再び探し始めるが分からない。こういう岩がある場所では、懐中電灯の光もあまり役に立たない。 一旦道だと分かっているところまで戻り、そこから再びそれこそ手探りで進む。時間はわずか 5分くらいであったのだが、 頭の中には野宿の文字も浮かび始める始末で (実際、下ってきた道も分からなくなりかけていた)、 途方に暮れかけた時、足が溝となった道を踏み、何とか登山道を見つけることが出来たのであった。
イヤ、本当にホッとするとともに、道が見つからなかったことを思い恐ろしさに身震いが出た次第である。

また、この他にも道に迷いそうになったことがもう 1回あった。
その時は調子に乗って進んでしまい、足下がフカフカした場所に入り込んで道を外れたことに気づいたのであった。
周囲を見回しても闇。闇に吸い込まれたら 2度と戻れない気がする。この時も何とかその付近をウロウロし、 道を見つけ出し事なきを得たが、本当に恐ろしい。

その後は、明るくなり出した月の光に助けられて順調に進むことができ、 何とかキャンプ場に辿り着くことができたのであったが、これが新月の時期であったらと思うと冷や汗ものである。
キャンプ場に辿り着いた時刻はまだ 17時47分。焦っていた私が馬鹿みたいである。夏ならまだ明るい時間ではないか。
しかし、一歩間違えれば野宿もあり得た訳で、山を甘く見てはならないと久々に痛感した山行であった。


赤城山再登山データ

上記登山のデータ登山日:2004.11.23 天候:快晴単独行日帰り
登山路:花見ガ原キャンプ場−黒檜山−黒檜山登山口−五輪峠−薬師岳−出張山−出張峠−鈴ヶ岳登山口−鈴ヶ岳−鍬柄山−地蔵岳登山口−地蔵岳−八丁峠−駒ヶ岳登山口−駒ヶ岳−花見ガ原分岐−花見ガ原キャンプ場
交通往路:瀬谷−横浜IC−(東名高速道路)−用賀IC−(環状8号線)−練馬IC−(関越自動車道)−高崎JCT−(北関東自動車道)−伊勢崎IC−大間々−花見ガ原キャンプ場 (車にて)
交通復路:花見ガ原キャンプ場−大間々−伊勢崎IC−(北関東自動車道)−高崎JCT−(関越自動車道路)−練馬IC−(環状8号線)−用賀IC−(東名高速道路)−横浜IC−瀬谷 (車にて)



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