登山NO.0064 皇 海 山( 皇海山:2,144m ) 1996.6.29登山


 庚申山展望台より皇海山( 1996.6.29 )
【皇海山登山記録】

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再登山


NO.64    皇海山登山記録

6月初めの武尊山に引き続き、 電車やバスでのアプローチがなかなか面倒な山を車にて攻略すべく、皇海山への登山を試みた。
この皇海山へは、近頃栗原川林道の皇海橋からのアプローチが主流になりつつあると聞いたが、私のバイブルである " 日本百名山 " やその他のいくつかのガイドブックを読んでも、 やはりこの皇海山登山から庚申山を除く訳には行かず、私は足尾の銀山平から登ることにした。
ガイドブックでは、このコースは山中の庚申山荘での 1泊が常識のようであったが、素泊まりに合わせた装備を持っていくのも面倒と思ったので、 日帰りを前提に朝 4時前に横浜を出発する。

私の家は、東名高速横浜ICのすぐそばのため、東名高速道、首都高速、国道17号、東北自動車道、 日光宇都宮道路までスムーズに進み、日光宇都宮道路の清滝ICで降りてからも、全く渋滞のない道路は快調に足尾の方へと進ませてくれた。
今から 20年程前、会社の配属で栃木県の小山に住んでいた頃は、買ったばかりの車でこの辺をよくドライブし、 日光から足尾への道も何度か通ったが、当時は旧道しかなく、クネクネした山道で霧にまかれて緊張しながら運転した覚えがあり、 大変懐かしく思われた。今はバイパスができて、長いトンネルを通れば山越えも不要で、 足尾へもスンナリ進むことができるようになっている。

銀山平はその名の通り銀山の跡で、当時の銀山の様子を色々な形で保存するように努めているようであったが、 今日の行程を考えると今はそれを見る余裕もなく、なるべく早く登山口に着くべく車のスピードを上げた。
かじか荘を左に見て、さらに林道に入って行こうとしたところ、崖崩れで道路が荒れているためか、 遮断機を降ろして通行止めにしており、手前の広場に車を止めるのを余儀なくされた。
お陰で歩く行程が長くなり、30分程予定を狂わされてしまったことになる (6時半出発)

遮断機をくぐって林道を歩き、やがて本来の車止め (結構立派) に到達したが、 そこにはあまり駐車スペースもなかったことから、例え通行止めではなくても先ほどの所に駐車したのは正解だったのかもしれない。
通行止めからは、未舗装の林道歩きとなる。やがて、天狗の投石と呼ばれる場所にさしかかると、そこだけ周囲とは異なって、 ゴロゴロした大きな岩が道の右肩斜面に積み上げられたようになっており、どうしてこのようになったのか不思議な思いを抱かずにはいられなかった (そういえば南アルプスの仙水峠にも似たような場所があったような気がしたが・・・)

林道歩きもウンザリしてきた頃に、先の方に赤い鳥居が見えてきた。
これが一ノ鳥居で、そこをくぐってからは公園のように整備された道ではあったものの、一応山道らしくなってきた。
小川を何回か渡り、謂われが書かれた岩をいくつか過ぎて、緩やかな登り道を進んでいくと、左手に大忍坊の碑があり、 横の石段を登ると小さな広場となっている猿田彦神社跡であった。
ここで道が左右に分かれるが、私は地図も見ずに右に進み (本来は左に進んでから、庚申山に取り付くのが正しい)、 嶺峯山荘の横を通って笹原の尾根道を登ってしまったのである。
というのは先の方を進む登山者がいたからであり、その人も当然庚申山に登るのだろうと思っていたからであるが、 勝手な思いこみとは恐ろしいものである。

尾根を登り切ると気持ちの良い稜線に飛び出し、全体に曇り空であったのであまりハッキリとは確認できなかったものの、 桐生市方面 ? の景色などが見えるようになった。
やがて岩壁の行き止まり (実は道は左に下っている) となって、前を行く人に追いついたが、 その人の目的はこの庚申山の特産であるコウシンソウを見に来たことが分かって、ここで初めて、 自分が今、庚申山・お山巡りの最南端部分にいることに気がついた次第である。
しかし、お陰でその人からコウシンソウの群落を教えてもらうことができたので、道を間違っても帳尻は合ったという気がしたのだが、 今朝ほどといい、今回といい、時間ロスは大変厳しい。

ところで、コウシンソウは岩にへばりつくように生えており、 薄桃色の可憐という言葉がピッタリの花を咲かせていたが、岩場でも簡単には目に付くところにないために、 この人に教えてもらわねば全く気がつかなかったであろうと思われる。
その人と別れ、少し焦り気味になりながらガレ場を下り、立派に作られた階段を降りて山巡りのルートを庚申山に向かった。
途中、岩峰の間を通る鬼の髭磨や、岩がアーチのようになったメガネ岩、そしてこの庚申山が信仰の対象であったことを示す岩戸庚申など、 かなりユニークな場所があり、また鎖場や梯子などもあってなかなか変化に富んだコースであったが、 ロス時間を取り戻そうと若干焦っていたこともあって、あまり楽しむことができなかった。

大胎内、小胎内と呼ばれる岩を抜けると、やっと本来の庚申山の登山ルートに合流でき、 涸谷を登って行くと樹林帯の急登に変わり、やがてやや道が平坦になって庚申山の頂上に着いた。
信仰の山ではあるが、庚申山頂上はえらくあっさりしており、三角点 ? と大きな岩がいくつか、 そして標識があるだけであった。
この山頂は樹林に囲まれており、ほとんど視界が得られないため、すぐさまその先の展望台まで進んだが、 本来ならこれから登る皇海山や日光方面の山々が見えるはずの所ではあるものの、 この日は雲が低くたれこめており、またガスも出てきていたため、全く視界を得ることができなかった。

ここから鋸山に向かって 11のピーク (庚申山、鋸山を含む) があると言われているが、 第2峰の御岳山には気が付いたものの、次は第5峰の地蔵岳まで、間にある山を確認することができなかった。
第6峰の薬師岳あたりから視界が開けるようになり、これから登る皇海山を谷を隔てて見ることができるようになったが、 それでも山の上半分はガスに包まれている状態であった。

また、前方には鋸山までの尾根道が見えており、そのそれぞれのピークにも名前が付けられていて、 その名前から、以前に登った高妻山を連想させられた。
そう言えば、意識したわけではないのに、今年は丹沢山表尾根、 両神山大峰山武尊山、そしてこの皇海山と、修験の山や山岳宗教の盛んな山にたて続けに登っており、 何か因縁めいたものを感じさせらる。

鋸山までは、途中に梯子や鎖、ロープなどが付けられた所があり、また大きく崩壊した所もあって、 スリルを味わうことができなかなか面白かったが、帰りも同じ道の登り下りを繰り返すことを考えると、 些かウンザリしてしまった。
鋸山頂上は縦に長い、狭いピークで、登り着いた時には完全にガスに包まれて展望を全く得ることができなかった。
鋸山頂上で会った男性は昨日庚申山荘に泊まって、今皇海山を登って戻ってきたところで、 その人の話では皇海山の頂上では栗原川林道皇海橋から登ってきた人たちで混雑していたとのことであった。
そして、いくら簡単に登れるルートができたからといって、やはりこの山は庚申山ヌキでは考えられないという点で話が大いに盛り上がったのだった。

鋸山からの下りは急で、崩壊したようなガレ場の斜面に長いロープが張られており、 ロープにつかまりながら慎重に下ることになったが、また ここを登り返す時の大変さを思うとこれまたゾッとさせられた。
下りきると樹林帯で、振り返れば鋸山が鋸の歯を思わせるような尖鋭的な姿を見せており、 先ほどまで横から見ていた姿との違いに些かビックリさせられた。
最低鞍部の不動沢のコルで栗原川林道からの道と合流し、やがて倒木の多い笹原となって、その先から樹林帯の中の長い登りとなった。
頂上直下にある青銅の剣までは、道標や目印となるものが何もないため、 ただ黙々と登っていくだけとなったが、こういう先の見えない登りが一番辛いものである。

深山の趣を感じさせる原生林の中をひたすら登ると、やがて青銅の剣が目の前に現れ、 天へと突き上げる立派な姿に、よくもまあここまで運び上げたものだと感心させられた。往時の信仰の隆盛を示すものであろう。
青銅の剣を過ぎて、少し登れば皇海山頂上で、頂上は先ほど鋸山で会った人が言っていたようには混んではおらず、 1組の中年の夫婦がいるだけであった。
頂上はあまり広くなく、" 渡瀬川水源碑 " と書かれたものを中心に、 その左右に皇海山の名前と高さが書かれた 3本一組の立派な標識が立てられていた。
また、周りは樹林に囲まれて展望を得ることができず、わずかに木々の隙間もあったものの、ガスのためにその向こうを見ることはできなかった。

頂上で昼食を済ませた後、また往路を戻ったが、懸念の通り、鋸山への急坂は大変キツイ思いをさせられ、 ロープにつかまりながら何回も途中休憩を入れなければならなかった。
また、鋸山から続くいくつかのピークの登り下りにも本当にくたびれさせられたが、ありがたいことにこの頃になるとガスが引き始め、 ズングリとした皇海山の全容を目にすることができるようになり、 また その後方には奥白根山などの日光の山々も見ることができるようになったのだった。
一番厳しく辛かったのは、地蔵岳を過ぎてから庚申山までの道のりで、普段なら何でもない小さなピークを登るにも、 少し進んでは休むといったことを繰り返さねばならなかった。

庚申山を過ぎてからは、完全に下りとなったために元気が出始め、小胎内岩から先、 本来の登山ルートを下り、行きには見ることができなかった一ノ門、梵天岩、裏見の滝など、 これまた奇岩や見事な自然の造形物を楽しむことができた。
やがて、赤い鳥居がある旧庚申山荘の跡地 (廃材の山) となり、さらに下って今朝通った猿田彦神社跡地に着いたが、 まだまだ道のりは長く、さすがに緩やかな下り道でも小さな石に躓いてしまうほど足が疲れてきて、 何回も休み休みしながら進まねばならなかった。

くたびれ果てて車の所に辿り着いたのが夕方の 5時半で、 間に休みを取っているとはいえ、11時間近くも歩き通しだったことになり、自分の体力に我ながら感心してしまった。
道を間違えなければもっと早く帰ってくることができたであろうが、庚申山・山巡りのマネごとができたことは、 この山登りを返って充実させることになり、良かったと思っている。
車で往路を戻ったが、渋滞もあって家に着いた時は夜の 10時を過ぎており、風呂を浴びてすぐに床についた。
充実した山登りをしたという満足感を得られた山行であった。


皇 海 山 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ 登山日:1996.6.29 天候:曇り 単独行 日帰り
登山路:銀山平−天狗の投石−一ノ鳥居−猿田彦神社跡− 嶺峯山荘−コウシンソウ自生地−メガネ岩−岩戸庚申−大胎内−庚申山〜地蔵岳〜薬師岳〜蔵王岳〜鋸山 −不動沢のコル−皇海山−不動沢のコル−鋸山〜蔵王岳〜薬師岳〜地蔵岳〜庚申山−大胎内−一の門− 裏見の滝−旧庚申山荘跡−猿田彦神社跡−一ノ鳥居−天狗の投石−銀山平
交通往路:瀬谷より車にて東名高速道、首都高速、東北自動車道、日光宇都宮道路を通り、銀山平まで。
交通復路:往路を戻る。
その他の
皇海山登山
銀山平−天狗の投石−一ノ鳥居− 猿田彦神社跡−庚申山荘−庚申山〜地蔵岳〜薬師岳〜蔵王岳〜鋸山−女山−六林班峠−樺平−天下見晴分岐− 庚申山荘−猿田彦神社跡−一の鳥居−天狗の投石−銀山平
 (2009年10月22日 : 晴れ)      こ こをクリック

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