高峰秀子著作のページ


1924年
北海道函館生。5歳のとき映画「母」で子役デビュー。以後「二十四の瞳」「浮雲」「名もなく貧しく美しく」など 300本を超える作品に出演。キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞ほか、受賞数は日本映画界最多。55歳で引退。名随筆家としても知られ、日本エッセイストクラブ賞を受賞した「わたしの渡世日記」他、夫・松山善三との共著「旅は道づれアロハ・ハワイ」等著書多数。2010年12月死去。享年86歳。※養女は作家の斎藤明美

1.巴里ひとりある記

2.まいまいつぶろ


3.私のインタビュー

4.わたしの渡世日記

5.台所のオーケストラ

6.旅日記ヨーロッパ二人三脚

 鑑賞した出演映画

 


         

1.

●「巴里ひとりある記」● ★★☆


巴里ひとりある記画像

1953年02月
映画世界社刊

2011年11月
新潮社刊
(1400円+税)

2015年06月
河出文庫化

  

2011/12/25

  

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雑誌「波」に連載されている斎藤明美「高峰秀子の言葉」を読んでいて、高峰さんの人柄に惹かれて読んだ一冊。
昭和26年06月から翌年01月まで、高峰さんが単身でパリ、ニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルス、ハワイと旅し滞在した7ヵ月にわたる旅日記。その大部分は、6ヶ月を過ごしたパリでの生活のことに費やされています。
当時高峰さんは27歳。まだ若い女性だというのに、5歳で映画デビューした故に社会人歴は既に22年、2百本以上の映画に出演した最早ベテラン映画女優だったそうです。
本書ではあまり深刻には書かれていませんが、ただ働き続けてきただけで自分というものが何もない、といったかなり追い詰められた心境に当時はあったようです。
そのため家を売り払って資金を作り渡仏した、らしい。
その辺りのことは
徳川夢声さんとの対談の中で語られています。

本書は、高峰さんが初めて書いた本であると共に、独身時代唯一の著作だそうです。
それ故か、若々しさに満ちているという印象です。
単身ヨーロッパに来てやっと映画女優=高峰秀子から解き放たれ、その自由さ、愉しい気分はさぞや、と思われる程です。
私の状況などとはとても比較できるものではありませんが、旅先での解放感、とくに外国でのものとなると、判るところがあります。
勿論あらかじめ世話になる人の目当てもあったようですが、半年間カルチェ・ラタンで未亡人とその母親の元に下宿して過ごしたとのこと。

本書については、明解できびきびした文章が小気味良い。
花の都パリに来たからといって浮かれたようなところはなく、パリという街やパリの人々をしっかりとした目で見ている、という印象です。とても短いスケッチ風の文章の中に、それが窺えます。
本書に数多く挿入されているパリでの高峰さんの写真が素敵です。いつまで見ていても見飽きるということがない。やはり絵になる女性ということでしょうか。
また、その背後に見えるパリ、戦後まだ7年しか経っていないからでしょうか、燻ったようなパリの面影が写真から感じられて、それも印象的。
ちょっと得難い旅日記。復刊されてこうして読むことができたのは、とても嬉しいことです。
お薦め。

出発/ブラッセルまで/パリについた日/マドモワゼル・ソレイユ/パリのチャーチル会/パリ祭/アッシィの教会/セーヌ河のシャンソン/パリの素顔/蚤と裸と名画/マロン・ショウとすみれの季節(ころ)/アメリカかけある記/徳川無声さんとの対談/あとがき
人生を分けた六か月〜亡き母・高峰秀子に捧ぐ(斎藤明美)

 

2.

●「まいまいつぶろ ★★


まいまいつぶろ画像

1955年06月
映画世界社刊

2011年11月
新潮社刊
(1400円+税)

2015年04月
河出文庫化

  

2011/12/25

  

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5歳の時に松竹に入ってから結婚するまでの道のりを語った、初期のエッセイ本の復刊。
巴里ひとりある記で語られたパリ滞在のことも途中で少し触れられています。
自分の思いや感情のことは抑え、幼い頃から女優として辿ってきた軌跡が、出演した作品のことを交えて淡々と語られています。
そのことでむしろ、高峰さんが抱えていた辛さが少し判るような気がします。
自分で意識しないままに女優という道に入り込み、その延長で自分の全てが決められてしまう。折角お茶の水文化学院に入学できたものの、撮影が忙しくなりついに(高峰さん曰く)学校からクビを言い渡されたというのも、自分の意思がどうこういう以前に、周囲から当然のこととして決められてしまう。自分で自分の道を選べないというその象徴のような出来事の一つでしょう。
日本を抜け出してパリへ逃げ出したという気持ちも、本書から汲み取ることができようというものです。

木下恵介監督の元で助監督を務めていた松山善三さんとの結婚、数多くの温かい祝福に女優として歩んできたことの喜びを感じる一方で、結婚式における報道陣の心無い仕業。
高峰秀子という人を語るエッセイの最後をしめくくるに相応しいエピソードであったと思います。
喜びと切ない胸の内が詰まった一冊、と言えると思います。

※なお、題名の「まいまいつぶろ」とは、かたつむりのこと。

はしがき/私の顔/私の歴史/縁の下の人たち/私はこんな人に支えられて仕事をしている/雑記帳から(ミルク・卵・チーズ/ふらんすの下宿/真珠の首飾/七歳の浮雲/ジキル博士とハイド氏/花束)/「二十四の瞳」小豆島ロケ先にて/平凡で、誠実で、ありのままで/私の見た内側の人物論(外側は書けないから)/小さいコトやんのこ/と結婚まで
“高峰随筆”の原点〜亡き母・高峰秀子に捧ぐ(斎藤明美)

          

3.

●「私のインタヴュー」● ★★


私のインタヴュー画像

1958年01月
中央公論社刊

2012年06月
新潮社刊
(1400円+税)

  

2012/07/13

  

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高峰さんが1年間にわたり、12回行ったインタヴュー(「婦人公論」連載)をまとめた本の復刊。
時代は昭和30年代前半ですから、対談やインタヴューによりその業界や相手の方々のことを知るという楽しみは限定されますが、本書を読む楽しみはインタヴュアーである高峰秀子さんその人にあります。
自分の意見をきちんと持ち、自分の言葉で、自分が関心ある事々をしっかり相手から聞き出している、という印象です。

12回中8回は、相手が職業をもっている女性ですから、同じ職業婦人として共感するところが多いのだろうと思います。
何より強く印象づけられたことは、すべて本気で相手に質問していること。プロの聞き手のように相手を持ち上げるとか、相手に合わせておもねるとか、テクニック的な姿勢は一切ありません。
自分は有名人であるからといった驕りは無論のこと一切なく、相手と対等、いやむしろ相手から学び取ろうという貪欲な姿勢が窺えるのです。
率直にして常に本心、そして何でも貪欲に吸収しようという気構え、高峰秀子さんという人の真骨頂をそこに見るようです。

もちろん、当時の世情を知ることが出来る「産児調節運動者」、映画喜びも悲しみも幾年月の当事者である「灯台を守る人たち」奥さんたちの話を聞く等々、興味引かれる回もありますが、前述したとおり、それ以上に高峰秀子さんの人柄が生に現れているところが本書の読み処です。
「はじめに」にて高峰さんが語っているとおり、何でも手当たり次第に吸収したいから「何にも知らない井の中の蛙が、このインタヴューでも映画以外の世界の職場の女性ばかりに登場願った」という、まさにその言葉通りの一冊です。

はじめに/アメリカから帰った原爆乙女/芸者さん/「親探し運動」で再会した親子/産児調節運動者/希交会の女中さん/灯台を守る人たち/街の美容師さん/撮影所の裏方さん/セールスウーマン/サーカスの女性たち/ニコヨンさん/日本を碧い眼でみる
“普通”へのあくなき憧れと畏れ〜亡き母・高峰秀子に捧ぐ(斎藤明美)

        

4.

●「わたしの渡世日記」● ★★★       日本エッセイスト・クラブ賞


わたしの渡世日記画像

1976年
朝日新聞社刊

朝日,文春文庫化

2012年01月
新潮文庫
上下
(630・670円+税)

  

2012/03/10

  

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1975年05月〜76年05月「週刊朝日」に連載され、同年単行本刊行された高峰秀子さんの半生記。
高峰さんが5歳で子役としてデビューし、木下恵介監督の下で助監督だった松山善三氏と結婚するまでの足跡は、高峰さん自身の著作
まいまいつぶろ斎藤明美さんの著書で概ね知っていましたが、こうしてきちんとした半生記として書かれたものを読むと、省かれていた詳細も知ることができ、嬉しいものです。

計 750頁に渡る長大な半生記ですが、真に読み応えたっぷり。
というのは、単なる女優の半生記に留まらず、堂々とした日本の映画史ともなっているからです。サイレントからトーキーに代わる時代をも含んでいるうえに、松竹〜東宝という2映画会社を経験し、
木下恵介、小津安二郎、成瀬巳喜男といった名監督たちの制作姿勢、人物ぶりについても語っています。さらに大河内伝次郎、田中絹代、入江たか子等々、当時の人気俳優たちとのエピソードも枚挙にいとまがありません。
もう一つ印象的なことは、層々たる人物たちとの交遊のこと。
谷崎潤一郎、梅原龍三郎画伯、川口松太郎等々。
人気女優であれば著名人と知り合うこともあるでしょう。でも可愛がられるというのは別のことではないでしょうか。
私が推測するに、高峰さんの健気さ、人に媚びない毅然としたところ、人間から多くのものを学び取ろうとする姿勢、それらが多くの著名人から好意を得ることに繋がっていたのではないか、と思うのです。
また、5歳にして映画界に入り小学校もろくに行けず、常軌を逸した行動もとる養母という環境の中に身を置いていたにもかかわらず、よくもまぁ処世を誤ることがなかったものだと、感心するばかりです。

時におきゃんな言葉づかいが飛び出すところに高峰さんの飾らない人柄が、またその言葉の内容に自分を見誤ることのない確かな人柄が表されていて、本書の尽きない魅力です。
読み応えかつ魅力たっぷりの半生記にして価値ある映画史。
お薦めです!

雪ふる町/旅のはじまり/猿まわしの猿/土びんのふた/つながったタクワン/父・東海林太郎/母三人・父三人/ふたつの別れ/お尻がやぶけた/鎌倉山の女王/一匹の虫/八十三歳の光源氏/神サマのいたずら/紺のセーラー服/血染めのブロマイド/鬼千匹/ピエロの素顔/兄は馬賊だった/にくい奴/ふたりの私/馬/青年・黒澤明/恋ごころ/鶴の化身/神風特別攻撃隊/同期の桜
黄色いアメリカ人/赤いスタジオ/十人の旗/ハワイの花/お荷物/キッチリ山の吉五郎/鯛の目玉/「空・寂」/ウソ泣き/ダイヤモンド/色と欲/木下恵介との出会い/カルメン故郷に帰る/遁送曲/勲章/続・勲章/愛の人/パリへ/ZOO/夕日のパリ/再び戦場へ/二十四の瞳/ラスト・ダンス/イジワルジイサン/バズーカお佐和/骨と皮
解説:沢木耕太郎/読み継がれる名著〜亡き母・高峰秀子に捧ぐ(斎藤明美)

        

5.

●「台所のオーケストラ」● ★☆


台所のオーケストラ画像

1982年06月
潮出版社刊

2000年11月
文春文庫化

2012年07月
新潮文庫
(460円+税)

  

2012/08/01

  

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高峰さんの愉しい食エッセイ106篇+美味しそうな簡単レシピ129品という一冊。
見開き2頁に、エッセイとレシピという構成です。

レシピはどれも簡単な一品ばかりですが、ちょっとひと工夫加えるところに味わいも美味しさもある、という風です。
そしてどれも高峰さんが自分のものにしている料理という実感があります。何についてもきちんとやり抜くあたり、流石高峰さんと感じるところ大です。
どのレシピも料理をする人にとっては参考になること多いと思いますが、あいにくと私は門外漢。
楽しみはむしろエッセイ部分にあります。テンポの良い、シャキシャキした高峰さんの口ぶりが楽しくて、この辺りは他のエッセイ本以上という印象です。

<和風>
蕗/鯛/昆布/三つ葉/蕨/人参/鰺/青豌豆/豆腐/蓴菜/生姜/豚/納豆/水雲/塩/玉葱/肝臓/烏賊/オクラ/セロリ/鱧/鰻/蒟蒻/梅干/手羽先/味噌/浅蜊/牛蒡/黄菊/海苔/明太子/あなご/鰯/鮪/牡蠣/春雨/鯨/大根/海鼠腸/雲丹/柚子/鮭/鮟鱇/鱈/卵/水菜/蕪菁/片栗粉
<中国風>

ハオ油/韭黄/五香塩/搾菜/落花生/豆板醤/酢/粉皮/辣醤/茄子/葱根/萌蘖/乾燥椎茸/大蒜/砂糖/胡瓜/八角/胡椒/赤唐辛子/ブロッコリー/味噌豆/鹹魚/化学調味料/白油腸
洋風>
バゲット/月桂樹/白ブドウ酒/マッシュルーム/エストラゴン/エシャロット/トマト・ケチャップ/アンディーヴ/コーンビーフ/パルメザンチーズ/スープ/タバスコ/馬鈴薯/トマト/メイプル・シロップ/サラダドレッシング/パセリ/バター/シュペツレ/菠薐草/キャベツ/仔牛/エメンタル・チーズ,グリュイエール・チーズ/ 
ケパー/紫蘇/ブルーチーズ/バターライス/ウスターソース/パプリカ/ベーコン/バジリコ/サラダオイル/サワークリーム/
ソース タレ つけ汁>
白あえ/辛子酢みそ/辛子醤油/胡麻あえ/でんがくの味噌/うどんすきのだし汁/天つゆ/湯豆腐のタレ/二杯酢/三杯酢/ポン酢/寿司の合わせ酢/ソース・ムッタール/タルタルソース/ベシャメルソース/グリーンソース/ガーリックソース/ソース・マディラ/シーザースサラダドレッシング/フレンチドレッシング/ブルーチーズドレッシング/サウザンドアイランドドレッシング/高峰風ドレッシング
<プロの仕事>〜亡き母・高峰秀子に捧ぐ(斎藤明美)

            

6.

「旅日記 ヨーロッパ二人三脚」 ★★☆


ヨーロッパ二人三脚画像

2013年03月
新潮社刊
(1300円+税)

2016年06月
ちくま文庫化

 


2013/04/28

 


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日記を書き残さなかった高峰さんですが、旅記録は小さなノートに58冊も遺していたそうです。高峰さんが亡くなって1年後、それらのノートの中からそのままエッセイとも言える一冊が発見されたとのこと。表紙に「No.2」とだけ記載されていたノートが本書という訳。
昭和33年、三船敏郎さんと共演した映画「無法松の一生」が第19回
ヴェニス国際映画祭の招待作品(結果は金獅子賞)となり、夫君の松山善三氏らと共に高峰さんはパリ経由ヴェニスへ。
その機会に、映画祭終了後パリを中心に夫君と一緒にフランス、イタリア、スペイン、ドイツを旅行し、船で帰国するという旅をしたのだそうです。本書旅日記はその7ヵ月に亘る旅の記録。

とにかく高峰さんが楽しそうです。ウキウキしている気分が行間から立ち上っている気がします。
斎藤明美さん曰く、この時の旅行が高峰さんにとっては初めての休暇だったのだろうと言っていますが、まさにそんな雰囲気を感じさせられる紀行です。
巴里ひとりあるき記の時のように孤独ではなく、傍らには自分が好きになって選んだ夫君=松山善三氏がいる。TVや雑誌の取材に追われることは殆どなく、日々を自分の自由に過ごせる、だからこそ楽しさいっぱい、という風です。
内容では、食事の美味さ、まずさについて書かれていることが多いのですが、不味かったにしろそれはそれで楽しい旅の中のこと、だったのでしょう。自分のことを「
お秀」と呼んでいる(松山さんのことは「」)辺りにもそれが感じられます。
※パリでは映画を数多く観たようです、
美女と野獣とか。

高峰さんの文章は、常に簡潔でテンポよく、無駄というものがない。
2か所程、美人女優がこんなこと書いていいのか、と驚く部分がありますが、のけぞるような思いをしつつも高峰さんらしいと、こちらまで楽しくなります。
紀行としても秀逸な一冊。高峰ファンにはお薦めです。



鑑賞した出演映画
 
母(1929)
  
銀座カンカン娘(1949)
  
宗方姉妹(1950)
 
カルメン故郷に帰る(1951)
 
稲妻(1952)
 
女の園(1954)
 
二十四の瞳(1954)
 
浮雲(1955)
   
喜びも悲しみも幾年月(1957)

 
放浪記(1962)
 
乱れる(1964)

             


     

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