河盛好蔵著作のページ


1902年大阪府堺市生、28年から2年間フランスに留学し、主にモラリスト文学を研究。帰国後東京教育大、共立女子大等で教鞭をとる。61年「フランス文壇史」にて読売文学賞、78年「パリの憂愁」にて大佛次郎賞、88年文化勲章を受賞。2000年逝去。


1.私の随想選 第一巻 私のパリ

2.私の随想選 第二巻 私のフランス文学1

3.私の随想選 第七巻 私の茶話

4.藤村のパリ

 


 

1.

●「私の随想選 第一巻 私のパリ」●  ★★




1991年1月
新潮社刊
(3883円+税)

 

1991/03/05

好き時代のフランスに対する河盛さんの愛情が、みっちり詰まっている、 そんな印象を受けるエッセイ集です。
“ベル・エポック”、なんて素敵な響きのする言葉でしょうか。「なつかしき、よき時代」という意味だそうです。そして、それはまさに、河盛さんが留学していた昭和5年の頃のことだそうです。
読み始めた1頁目から、読む楽しさがじわじわと伝わってきます。河盛さん胸の内にあるロマン、書き尽くせない感激が文章の背後にある為でしょう。
パリの華やぎ、うきうきするような楽しさが、読む私にも僅かながら伝わってきます。
ヘミングウェイ移動祝祭日と名づけたパリの雰囲気、 河盛さんが感じたのもきっとそれと同じものだったことでしょう。
本書中、留学時代の思い出が詰まった
「ベル・エポック」「スタンダール小路9番地」は秀逸。
他に楽しかったエッセイは、
「黒田清輝のパリ便り」「クルチザーヌ」「モンパルナスのヴィーナスたち」「エロチック辞典」、そして「文学都市パリ」「パリの古本屋」「河岸の古本屋」。さらに、マネの絵ともなった「フォリ・ベルジュールの歴史」「シラノの時代」

私のパリ/パリの日本人/パリの匂い /文学都市パリ/パリ物語/フランス歳時記

 

2.

●「私の随想選 第二巻 私のフランス文学1」●  ★★

 
 
1991年3月
新潮社刊
(3883円+税)

 1992/05/30

余り熟読できなかったものの、スタンダールユゴー(「レ・ミゼラブル」)、バルザック、これら大作家たちを描いた部分は、楽しかったです。各人の実生活における生々しい人間像が浮かび上がった、という印象です。
ことにバルザック。浪費家で見栄っ張り、自信家で、多作家、そしていつも借金に苦しんでいました。
そのバルザックとユゴーの友情、
ゴーチエとの友情、スタンダールへの賞賛、 作家たちの繋がりが詳しく描かれていて、興味をとてもかき立てられる一冊です。

フランス文学との出会い/モラリスト /革命と文学/スタンダール雑記/ヴィクトル・ユゴー雑記/バルザック雑記/ゾラとモーパッサン (ゾラ他殺説・モーパッサン雑記)/アカデミー・フランセーズ

 

3.

●「私の随想選 第七巻 私の茶話」●  ★★

  


1991年8月
新潮社刊
(3883円+税)

 
1992/04/09

一週間かけて、じっくり、楽しんだという読後感が残りました。三國一朗氏の月報に掲載された言葉が、すべてを語っていると思います。読んでいて疲れるということはまずない、途中で止めるとしたら、それは最後まで読んでしまうことが惜しいからに他ならない、という内容でした。
河盛さんのエッセイは、難し過ぎるということがなく、親近感を抱くことの多い、判りやすい文章です。その為、読み急ぐことを抑え、飽くことなく一週間をかけて読んだのです。
内容としては、若い頃のパリ留学時代の体験、井伏鱒二らとの交遊、本に関する話題、戦争当時のことと、諸々です。さすがに大戦前のこととかは歴史を読むかのような気分でしたが、本に関する話題はとても楽しかったです。読めないのに買い込む、積み上げた本から受ける重圧、本がなければどんなに楽だったろうかという感慨等々、まさにその通り!と膝を叩きたくなるような楽しさでした。

エスプリとユーモア /ことば・ことば・ことば/よむ・かく(本とつきあう法 他)/こしかた/くらし/喫煙室

 

4.

●「藤村のパリ」● ★   読売文学賞

 
 

1997年5月
新潮社刊

2000年9月
新潮文庫
(552円+税)

 


2000/09/28

3年前、本書が単行本として刊行された時、 関心があったのですが結局読み逃していました。今回文庫化されて、迷わず手が出た本です。
本書は、
「新生」事件の後フランスに渡った島崎藤村の足跡を辿った河盛さんの力作です。「新生」事件とは、藤村が、夫人の死後同居していた姪(兄の娘)と関係を結んだという事実のことで、後に自ら「新生」という題名にて小説化しています。この事件の発覚後、事態が時間を経て落ち着くまで、藤村は日本を離れる他なくなります。したがって、藤村にとっては逃避的と同時に自己懲罰的な渡仏だったわけです。
この
「新生」、およびパリから帰国する船旅におけるエッセイ「海へ」を、私は高校時代に読みました。となると、「新生」と「海へ」との間、つまりパリにおける藤村に興味を惹かれるのは当然のことでした。
パリにおける藤村の軌跡を、河盛さんは丹念に辿っていきます。もっとも、本書から受ける印象は、パリにおける藤村というより、藤村が滞在した頃のパリ、という方が強いです。
河盛さんは留学時代に藤村の
「エトランゼエ」を愛読したとのことであり、本書においても、藤村の下宿、藤村が交流したフランスの人々から辿っていきます。当初、藤村はパリにいる日本人との交流を避けようとしていたらしいのですが、後にはパリ修行中の若手日本人画家、藤田嗣治らとも交流するようになっています。
1913〜16年のパリは華やかなパリでもあり、第一次大戦に遭遇したパリでもありました。その時代の中で
ラディゲ「肉体の悪魔」が登場したと文中にありますが、当時の衝撃はかなりのものであったことが察しられます。ただし、藤村自身が寡黙な人であり、 積極的にパリに馴染み、探求しようとしていた訳でなく、またフランスの社会情勢に関心を持っていたということでもないため、本書は一般受けするものではないようです。
要は、藤村への関心次第ということになるでしょう。

    


 

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