アーネスト・ヘミングウェイ作品のページ


Ernest Miller Hemingway 1899〜1961 第一次大戦後のロスト・ジェネレーションを代表するアメリカの作家。「老人と海」にてピューリッツァー賞、54年ノーベル文学賞を受賞。


1.
エデンの園

2.ケニア

3.移動祝祭日

4.アフリカの緑の丘

5.アフリカ日記

6.危険な夏

7.フィッツジェラルド/ヘミングウェイ往復書簡集

   


 

1.

●「エデンの園」● ★★
 原題:"THE GARDEN OF EDEN"




1989年01月
集英社刊

1990年11月
集英社文庫化

 

1989/04/04

作家の死後に発見された未完の長編。
1920年代の南仏を舞台に、作家の
ディビッド夫妻マリータという美しい娘との三角関係を描いた作品です。

ぶっきらぼうな語り口、簡素な表現は、まさしくヘミングウェイのもの。そして、その簡略された文章の中に、難解さをつくづく感じます。
新婚旅行中のアメリカ人夫婦。その夫である作家は、ヘミングウェイ自身の投影であるようです。
若く美しい新妻キャサリンの行動は、余りに二人の夢の世界を追いかけているようで、奇妙でさえあります。そして、その二人の間に、キャサリンが途中知り合った美女マリータが入り込んできます。キャサリンが仕組んだ三角関係でしたが、マリータが率直であるのに対し、キャサリンの夫を愛する行動は余りに作為的であるため、ついにキャサリンの方が三人の中で浮き上がり、彼女は一人で旅立ってしまいます。

退廃的、禁じられた恋愛関係を描いた作品であり、常に生と死を描いてきたヘミングウェイとしては異質なものを感じます。
それでいて、作中に書かれる、ディヴィッドが子供の頃父親と共に象を追いかけた狩の実体験に基づく短編は、生と死をめぐるものであり、この三角関係の愛の世界と実に対照的です。ちょうど「日はまた昇る」において、アメリカ人女性の浮気な愛と闘牛士の真剣な愛とを対照的に描いた構図と、本作品はよく似ているように思います。
そうした意味で、本作品はヘミングウェイが原点に戻った作品であるように感じました。

 

2.

●「ケニア」● ★☆
 原題:"True at First Light"




1999年07月
アーティストハウス刊
(1900円+税)

 

1999/09/02

本書は、ヘミングウェイの遺稿を長男パトリック氏がまとめ、生誕 100周年を記念して刊行されたものだそうです。既に発表されているアフリカ日記と、同一の遺稿を基にしているという経緯があります。

主なストーリィとして、妻メアリのライオン狩り物語があり、一方でヘミングウェイと現地のアフリカ娘ディバとの三角関係があります。主人公であるヘミングウェイは、ケニアにおける臨時監視員という立場らしく、白人の旦那として君臨している様子が見受けられます。
本書がヘミングウェイの実体験を元にして書かれていることは確かでしょうが、話の筋としてはやはりフィクションでしょう。

ヘミングウェイが語りたかったことは、如何にアフリカが自分の生きるに適した土地であるか、また自分が如何にアフリカに馴染んでいるか、ということだったように思います。しかし、その一方でヘミングウェイはパリの空気を愛する文化人であり、どれだけアフリカを愛しようが完全にアフリカに同化することはできない、という認識も持っていたようです。
それを象徴するのが、メアリとディバの三角関係であるように思います。
ディバはつつましい娘であり、アフリカを体現する娘です。一方、メアリは白人社会を体現する女性であり、メアリに対してヘミングウェイはかなり気を遣い、また我慢強く彼女を扱っている様子が詳細に描かれています。まさに、アフリカと欧米社会を股にかけているヘミングウエイを象徴するような構図です。

主軸となるストーリィとして、メアリのライオン狩りの物語があることは前述した通りですが、ここでヘミングウェイはすっかり保護者の役に回っており、狩猟における駆け引き、狩りの難しさをコーチングするような具合です。狩りの楽しさを素直に描いたアフリカの緑の丘と比較すると、何を意図したのかがもうひとつ掴みきれない思いがします。

全体としては、かなり粗削りで、まとまりが不足している、という印象。楽しむというのには至らず、あくまで遺稿として読んだ、という気持ちです。

 

3.

●「移動祝祭日(全集題名:回想のパリ)」● ★★★
 原題:"A Moveavle Feast"

  

1964年発表

1973年12月
三笠書房刊
全集第7巻

 

2009年02月
(新訳)
新潮文庫刊
(620円+税)

  

1978/03/16

 

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“移動祝祭日”とは、祝日のような固定的な祝祭日でなく、何時とは確定しない祝祭日、という意味だそうです。
本書については、パリにおける日々を人生における祝祭日の如きものだと考え、ヘミングウェイはこの題名を付けたらしい。

書かれているのは1921〜26年のパリ、彼が22〜27歳の修行時代です。ジェイムズ・ジョイスも話の中に出てきますし、スコット・フィッツジェラルドとの交流も記されています。

本書は、とてもヘミングウェイらしい一冊であると同時に、素晴らしい作品です。
パリの生活を愛し、そして楽しもうとする気持ちが朗らかに謳われており、ヘミングウェイという人間が生々と伝わってきます。
ヘミングウェイというと、一般には「老人と海」「誰がために鐘は鳴る」「日はまた昇る」という一連の小説によって印象付けられているのでしょうけれど、私としてはむしろ、本書やアフリカの緑の丘」「危険な夏のようなジャーナリスティックな作品の方に愛着を感じます。
それらの作品には、生活を愛する心、生活を楽しむ心が溢れ、彼をして他の作家たちとの違いを際立たせているからです。

この作品の素晴らしさは、彼の心情が脈々と息づいており、その一方で実にさりげなく、淡々と語られているところにあります。
当時のパリという街、当時のヘミングウェイの姿が、実に生き生きと伝わってきます。

ヘミングウェイは生きることを限りなく愛し、それを記した。そして、それらが小説として売れた。彼の作品は売るために懸かれたものではなく、愛するが故に書かれたものであると感じます。その点において、彼は稀有な作家だったと思わざるを得ません。

 

4.

●「アフリカの緑の丘」● ★★
 原題:"Green Hills of Africa" 

  

1935年発表

1974年07月
三笠書房刊
全集第3巻

 

1978/03/21

移動祝祭日は実に素晴らしい作品でしたが、本書も良い作品です。
とくに何か事件があるわけでもなく、また主張があるわけでもありません。この作品中にあるのは、ヘミングウェイ自身が言っているように「自分が気に入った場所で生活するために−生活に押し流されるのではなく、本当に自分の生活を送るために、ここへ戻ってくるのだ」という彼の信条が随所に現れているのです。

生活を描いたのでなく、これが生活そのものなのです。
狩をすること、酒を飲むこと、本を書くこと。獲物を追い求めて苦労し、見事な獲物を仕留めて狂喜し、キャンプで酒を飲みながらじっくりとその楽しみを味わう。そうした気分の何と言う素晴らしさ! それが読む私の胸にまで伝わってきます。小説以上に小説らしい作品とも言えます。

好い作品を読んだ後は、本当に気持ちが好いものです(ヘミングウェイの語調を真似をすると)。

 

5.

●「アフリカ日記」● ★☆
 原題:"African Jounal" 

  

1971年発表

1974年07月
三笠書房刊
全集第3巻

 

1978/03/25

アフリカの緑の丘から かなりの年月を経た後の話です。
「緑の丘」では、とにかく明るく、陽気な雰囲気がありました。会話にしてもユーモアがあり、作者自身の身勝手さもあって無邪気な面も多かったのですが、本書ではそうした軽い感じは最早ありません。
ミス・メアリの ライオン狩りについては、彼女に対する思いやり、ヘミングウェイの責任感が強く表面に現れています。

本作品は遺稿の一部をまとめただけに、ヘミングウェイの意図がどこまで出ているのか判らないのですが、全体的には、人生における後輩達に人生航路の舵取りをしてやっている、という印象を受けます。
いずれにせよ、晩年の作品として重い内容を含んでいる作品のように思います。

 

6.

●「危険な夏」● ★★☆
 原題:"The Dangerous Summer"

  

1960年発表

1974年04月
三笠書房刊
全集第5巻

 

1982/02/20

最初の闘牛案内書「午後の死」から約30年を経て発表された、闘牛にまつわるドラマを描いた作品。
「午後の死」とははっきり異なるのは、ヘミングウェイの老いが感じられることです。

「もう一度スペイン再訪が許されるのとは思わなかった」という文章から始まる本書は、あの青春の頃の情熱と感動に充ちた時代への回想へと私を誘い込んでいきます。
再び闘牛にかかわっていくヘミングウェイには、青春の軌跡を一歩一歩辿っていく老人の姿が感じられるのです。

本書は、アントニオルイス・ミゲルという二人の優れたマタドールの対決が主題になっています。二人を見るヘミングウェイの視線には、情熱よりも慈しみの気持ちが強く感じられます。
二人の戦いは、彼らがマタドールであるため、限りなく死に近づく戦いであることを意味しています。

青春、人生の意義を、闘牛というドラマを通して作者と共に感じる、そんな作品であるように思います。

   

7.

●「フィッツジェラルド/ヘミングウェイ往復書簡集 <日本語版>」● ★★
 
                     編訳:宮内華代子

  


2009年04月
文芸春秋刊
(1429年+税)

 

2009/06/11

 

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ヘミングウェイスコット・フィッツジェラルドの若き日におけるパリでの親交、今から35年も前にヘミングウェイ全集回想のパリを読んで知って以来、ずっと記憶から消えることはありませんでした。
その2人の往復書簡集となれば、読まない訳にはいかない、というのは当然のことです。

1925年にパリのディンゴ酒場で知り合った時、フィッツジェラルド28歳は既に「グレート・ギャッビー」により有名な作家、一方のヘミングウェイ25歳はまだ駆け出しの作家。
その25年から40年にフィッツジェラルドが心臓発作で死す前月まで、約15年に亘る往復書簡が収録されています。
2人の手紙を読むと、如何に腹を割った仲だったか、ということがよく判ります。
ヘミングウェイはいかにもヘミングウェイらしく、フィッツジェラルドはいかにもフィッツジェラルドらしく。

名作をモノにしようとお互いにハッパを掛け合い、金に困っているときは都合をつけ合い、お互いの作品の良いところ、悪いところを忌憚なく指摘し合っている様子が明らかです。
作家同士がお互いにここまで突っ込んで批評し合える関係というのは、稀なことではないのか。
行き違いから喧嘩した時期もあったようですし、フィッツジェラルドの妻ゼルダをめぐって、ヘミングウェイが深い懸念を示したり、フィッツジェラルドがヘミングウェイに泣きついたこともあったようです。
そんな後には、率直に語りかけ、友情を失いたくないという心からの決意が手紙面から伝わってきて、忘れ難い部分です。
それだけ稀にみる、貴重な間柄であったということを強く感じます。
ファンであれば、是非必読、といいたい一冊です。

なお、1925年12月の手紙にある「戦争は何といっても一番いいテーマだ」というヘミングウェイの言葉、その後のヘミングウェイの代表作を思うと印象的です。

   

読書りすと(ヘミングウェイ作品)

 


 

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