吉村 昭作品のページ No.

 

21.夜明けの雷鳴

22.島抜け

23.敵討

24.見えない橋

25.大黒屋光太夫

26.彰義隊

27.死顔

28.回り灯籠

29.ひとり旅

30.三陸海岸大津波

 

【作家歴】、星への旅、戦艦武蔵、大本営が震えた日、漂流、高熱隧道、ふぉん・しいほるとの娘、ポーツマスの旗、破船、破獄、冷い夏熱い夏

→ 吉村昭作品のページ bP

 
仮釈放、桜田門外ノ変、
白い航跡、私の文学漂流、天狗騒乱、彦九郎山河、プリズンの満月、生麦事件、天に遊ぶ、アメリカ彦蔵

→ 吉村昭作品のページ bQ

 


   

21.

●「夜明けの雷鳴」● ★☆


夜明けの雷鳴画像

2000年01月
文芸春秋刊
(1524円+税)

2003年01月
文春文庫化


2000/01/26

幕末から明治にかけて、西洋医療の実践に尽くした医師・高松凌雲を描く歴史長編。
吉村さんの歴史小説は、主人公にのめりこむことなく淡々と事実を書き綴っていくのが特徴ですが、本作品はとくにその印象が強いです。
ストーリィは、幕末、榎本武揚率いる軍と官軍が激戦を交えた箱館戦争が主軸になります。しかし、その箱館戦争から高松凌雲という医師をみてしまうと、本作品の主筋を見誤ってしまうと思います。
パリ万国博覧会へ慶喜の弟・昭武が派遣される際に凌雲はその随行の一員として選ばれ、西洋医学を直に学ぶ機会を得ます。そのパリにおいて、凌雲は“神の館”と称する病院が民間の寄付によって成り立ち、貧民に対し無料で医療を施している事実を知り、感動します。しかし、パリ滞在中に日本では大政奉還が成り、急遽帰国した凌雲は幕末の激動の中に巻き込まれます。
箱館において、凌雲は戦闘に参加せず、病院にて“神の館”で学んだ医療精神の実践に励みます。つまり、敵味方を問わず負傷者の治療に全力を尽くすということ。“神の館”を見聞するにとどまらず、実際に箱館戦争の渦中に身を置いて人の生死の現実を体験したことが、その後の凌雲の半生を決定づけたように感じます。
それもまた箱館戦争の一面といって良いのかもしれません。

      

22.

●「島抜け」● 


島抜け画像
2000年08月
新潮社刊

(1500円+税)

2002年10月
新潮文庫化


2000/09/15

収録作品は、中篇1+短篇2。
中篇は、標題作「島抜け」であり、吉村さんが多く取り上げてきた江戸期の漂流民を描いたものです。主人公は、大阪で名の通っていた講釈師・瑞龍。講釈した内容が幕府の禁令に抵触し、種子島に流刑となります。その種子島から島抜けした史実をおった作品です。史実を再現しようとした作品ですから、淡々と事実を辿っていくという手堅さ、端然さが感じられます。ちょうど水野忠邦による天保の改革の時期であったことが瑞龍の不運。そのため、流刑という厳しい処罰に処せられた、とのことです。それについて感慨を覚えることは無用のことであって、脱島→漂流民となった瑞龍のストーリィをただ読むだけで十分かと思います。

「欠けた椀」は、吉村さんの歴史小説には珍しいフィクションもの。そのため、ずっと単行本に収録されずに来た作品とのことです。飢饉にあい、流民となった百姓夫婦を描いた小品ですが、胸詰まる思いにかられます。
「梅の刺青」は、日本における遺体解剖の歴史をたどった作品。幕末の風雲児だった雲井龍雄もまた解剖の対象となっていたことも、吉村さんの関心を惹いたひとつと思われます。

島抜け/欠けた椀/梅の刺青

    

23.

●「敵 討」● 


敵討画像

2001年02月
新潮社刊

(1500円+税)

2003年12月
新潮文庫化



2001/03/13

幕末・明治と、明治維新をまたがった2つの敵討事件を扱った作品です。いずれも実際にあったこと。
敵討ちというのは、武士階級と非武士階級を分かつ一つの指標ですから、武士時代の終焉、時代の変化をまさしく象徴する事件だったと言えます。
吉村作品らしく、2篇とも淡々と語られていきます。変に作者の思い入れが挿入されていない分、読み手としてはすっきりとした思いで読むことが出来、強く印象の残る気がします。
「敵討」は、仇に実際会えるかどうかも判らないまま、あてどなく相手を探すという徒労感、絶望感が、描き出されています。侍としての意地、武士階級における刑罰の処し方とはいえ、当の本人および家族にとって実際どうであったのか。伊予松山藩士・熊倉伝十郎は運良く伯父と父親の仇を討ち果たしますが、流浪中に感染した梅毒によって、まもなく死に至ります。哀感が強く感じられる作品です。なお、老中水野忠邦、「妖怪」と仇名された町奉行鳥井耀蔵が密接に関係している点が注目されます。

「最後の仇討」は、幕末に殺された父親の仇を明治13年に秋月藩士族・臼井六郎が討ち果たした事件ですが、明治6年の仇討禁止令が発せられた後のこと。しかし、一般にはあまり知られておらず、六郎の事件も世間には讃美する声の方が多かった由。結局六郎は終身刑となりますが、後に恩赦により服役10年にて出所します。人の怨念は、決して法律で簡単に割り切れるものではない、ということが当時の風潮からも、強く感じられます。

敵討/最後の仇討

     

24.

●「見えない橋」● 

 
見えない橋画像
 
2002年07月
文芸春秋刊
(1333円+税)

2005年07月
文春文庫化



2002/09/18

人生のヒトコマを静かに、穏やかな語り口で綴った短篇集。
吉村さんの文章は、何の脚色もなく淡々と語っていくものだけに、読み手としては穏やかな気持ちで読むことができます。
各篇の主人公はあくまでも語り手であって、第三者の人生を主人公の目を通して語るという構成。静かな印象を受けるのは、そうした構成の故でもあります。それが良いのは、語られる人生のヒトコマが、胸に染み入ってくるような思いがするからです。

冒頭の3篇は、一人での静かな死を描いていて印象的。
その中でも、特に表題作の「見えない橋」。年老いた出所者を迎える保護会の主幹を主人公として、その出所者の残された人生の有り様が語られます。同じ題材を使った仮釈放がとても重たい作品だっただけに、それと対比してなおのこと印象に残ります。

「時間」は事実を基にした作品で、大本営が震える日に関わるストーリィ。
「夜の道」は他の6篇と異質だと思ったら、吉村さんが25歳の頃大学の文芸部機関誌に書いた、実母の死にまつわる唯一の私小説だそうです。

見えない橋/都会/漁火/消えた町/夜光虫/時間/夜の道

  

25.

●「大黒屋光太夫」● ★★

  
大黒屋光太夫画像
 
2003年02月
毎日新聞社刊
上下
(各1500円+税)

2005年06月
新潮文庫化
(上下)



2003/03/21

伊勢で廻船の沖船頭を務める大黒屋光太夫を主人公とする、新たな漂流民譚。
吉村さんは江戸期の廻船・漂流記に深い関心を抱いていて、小説としては本書が6作目になるとのこと(既読では漂流」「アメリカ彦蔵あり)。

シケにあって17名が7ヶ月間漂流。漸く漂着した島は、ロシア勢力下にある孤島。漸くロシア本土に渡った時には7名が死去し、10名に減っていた。しかし、光太夫たちの苦闘はそれから後にあったと言っても過言ではありません。
過酷な冬の厳しさ、ロシア政府の方針の下これまでの日本人漂流民たちは帰国できず日本語教師等でロシアで生を終えていたという事実、あてもない不安からロシア正教へ改宗という選択肢。
そうした逆境下で、光太夫はペテルブルクまで赴いて当時のエテカリナ女帝に直訴し、遂に10年余を経て日本への帰国を実現します。しかし、蝦夷地に上陸した者はたった3名。残る2名の生存者は、改宗したためロシアに残ることを余儀なくされます。

これまでの吉村作品以上に淡々とした文章が印象的。
そして、それ以上に心に残ったのは、光太夫たちへの援助を惜しまず励まし続けたロシアの人々の温かさ。その一方で、日本との交易要望、ロシアの実情把握という日露其々の政策変化が背景にあった故の帰国実現であり、所詮庶民は政情に翻弄される他ないという事実です。
漂流譚のひとつとして、漂流と合わせて読むことをお薦めします。
※同じ題材を描いた井上靖「おろしや国酔夢譚」も、いずれ読んでみようと思っています。 

   

26.

●「彰義隊」● ★★


彰義隊画像

2005年11月
朝日新聞社刊

(1800円+税)

2009年01月
新潮文庫化



2005/12/06



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久しぶりに読む吉村さんの幕末歴史もの。
それだけで読もうという気分になりますが、よく知らなかった彰義隊が題名となれば、なおのこと関心を引かれます。
本書は
戊辰戦争において、皇族ながら唯一人“朝敵”となった輪王寺宮能久親王の軌跡を描いた歴史長篇。

明治天皇の叔父にあたる輪王寺宮は戊辰戦争当時、上野寛永寺の山主。
住み慣れた江戸・江戸市民を愛した輪王寺宮は将軍慶喜の助命嘆願について口添えを依頼されます。懇望を断りきれず京に向かった輪王寺宮は、途中出会った東征大総督・有栖川宮熾仁親王にそれが原因で憎しみを買うこととなり、その後の運命を大きく狂わせられることとなります。
倣岸な態度の有栖川宮に冷たく扱われたことが、宮をして江戸市中の治安維持に努める彰義隊への共感を持たせることとなる。
その結果、宮は江戸を追われ、ついには
奥羽列藩同盟の盟主に祭り上げられることとなります。

輪王寺宮の辿った軌跡は、特に大きな事件でもドラマチックな物語ではありません。しかし、その宮の軌跡を追うことによって戊辰戦争・明治維新のもうひとつの姿が見えてくると言って過言ではありません。
俯瞰してみると、薩長対徳川という第二次関ヶ原戦争ともいうべき姿が見えてくるのです。天皇他の皇族は、その意味で薩長連合軍に利用されたとも見えるのです。その一方において、輪王寺宮は奥羽列藩同盟にやはり利用されたと見えます。
輪王寺宮は不運だったといえますが、貴種の育ち故に忍耐と冷静な判断を欠き、感情に左右されて道を誤ったとも感じます。

輪王寺宮を象徴的な人物として、心ならずも“朝敵”という立場に追い込まれた人々の苦衷、無念な思いが切々として染み透ってくる気がします。本書ではそのことが印象的。

   

27.

●「死 顔 ★★


死顔画像

2006年11月
新潮社刊
(1300円+税)

2009年07月
新潮文庫化



2006/12/10



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平成18年 7月膵臓癌により亡くなった吉村さんの遺作となる作品集。
収録された作品はどれも吉村さんらしいもので、これまでの吉村さんの作家としての足取りを感じさせてくれます。

「ひとすじの煙」は、若い頃結核治療の手術後に療養のため滞在していた温泉宿で遭遇した、若い母親の死の話。同じ温泉宿に辿り着いたのに、一方は死を選び、自分は健康を取り戻して宿を去る。その対比の中に死の冷厳さを感じる一篇です。

「二人」「死顔」の2篇は次兄の死の前後を描いた篇で、内容の殆どが重複しています。この2篇を読む前には是非冷い夏、熱い夏を読んでおきたい。そうすれば、如何に今回の兄弟の死を主人公が横浜の兄とともに平静な気持ちで迎えたか、感じられることでしょう。
「山茶花」は保護司を務める主人公が関わった、寝たきりの夫を絞殺した初老の女性を描いた篇。保護司という仕事の深さと刑罰とは何だったのかと考えさせられる一篇。この篇を読むと仮釈放を思い出さずにはいられません。

「クレイスロック号遭難」は未定稿ですが、ポーツマスの旗等の作品と並んで明治期の条約改正に関わる重要な作品と考えられたことから、津村節子氏が題名を付して収録された篇です。

夫人である津村節子氏の後書きは僅か7頁程のものですが、吉村ファンにとっては忘れ難い文章になる、と言って誤りではないでしょう。
延命措置を断るのは未だしも行われる選択でしょうけれど、自ら点滴の管を外したり、カテーテルポートの針を外すなどという行為はそうできるものではないと思います。最後まで吉村昭さんという作家に圧倒され続けたという思いが残ります。

ひとすじの煙/二人/山茶花/クレイスロック号遭難/死顔
/遺作について−後書きに代えて・津村節子

 

28.

●「回り灯籠 ★★


回り灯篭画像

2006年12月
筑摩書房刊
(1400円+税)



2007/02/15



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吉村さんらしい、実直にして剛健、という印象のエッセイ集。
小説を書くことに関して自分を厳しく律してきた作家であるだけに、エッセイのネタもご自身の作品に関わるエピソードが多く、ファンとしては嬉しい次第です。
大黒屋光太夫」「戦艦武蔵」「零式戦闘機」「高熱隧道」「アメリカ彦蔵」「天狗争乱」「彰義隊」「生麦事件」「長英逃亡」「破船」「桜田門外の変等々。

「大黒屋光太夫」の出版に際しては、「書き終えるまで死にたくないと、何度も思った」という言葉が広告文として使われたとのこと。
ただし、それは同作品に限ったことではなく、長篇小説の執筆最中には数多く思ったことであるという。
そうした思いは、本好きにとっても同じこと。「この本を読み終わるまでは死にたくない」と毎度思いながら読んでいることか。
れでもいつか、(読みたい本が尽きることはないにしろ)そろそろもういいか、と思う時が来るのではないかと思います。
吉村さんの最後もそんな思いだったのではないか、と思う次第。

本エッセイ集は、改めて吉村さんの人柄を偲ぶことができるという味わいがありますが、それに加えて(僅かな部分ではあるものの)夫人の津村節子さんとのおしどり夫婦ぶりを感じることのできる箇所が幾つかあるところが嬉しい(「妻と佐渡」「高野長英逃亡の道」)。
また、城山三郎さんとの対談においては、吉村さんの質実剛健ぶりをエッセイとは別の角度から味わえるところが、何よりの魅力です。

回り灯籠/新潟旅日記/きみの流儀・ぼくの流儀(対談:吉村昭・城山三郎)

   

29.

●「ひとり旅 ★★


ひとり旅画像

2007年07月
文芸春秋刊
(1300円+税)

2010年03月
文春文庫化



2007/08/24



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夫人である作家の津村節子さんの序によると、本書が「とうとう吉村昭の最後の著作物になった」とのこと。

吉村さんを語る代名詞ともなった“記録文学”に連なる作品、本書にはそれら作品を執筆するにあたっての数々のエピソードが収録されており、愛読者としては改めて吉村作品の魅力を味わえる観があります。とくに戦記作品、幕末歴史作品について多く語っている「月日あれこれ」が味わい深い。

「井の頭だより」は吉村さんの日常生活に関わるエッセイ、そして「歴史の大海原」で再び歴史小説に戻り、漂流もの作品や彰義隊を初めとして、桜田門外ノ変」「生麦事件の創作ノート等についても語られています。
その中で、漂流小説こそ日本における海洋文学に他ならない、という吉村さんの言が本書では印象に残りました。

また、長崎には取材のため 108回も訪れたとのことで、長崎に対する吉村さんの愛着が知られ、微笑ましい。
「桜田門外ノ変」執筆については出だしを誤ったからといって2度も書き直し、せっかく書いた 250枚もの原稿を惜しげもなく燃やしたとのこと。そんなエピソードに、史実を誤ることなく、また余すところなく書き残そうという吉村さんの真摯かつ剛直な姿勢に改めて感銘を受ける思いです。
そして、インタビューに答える形式のエッセイ2篇「鎖国と漂流民」「私と長崎」は、ことのほか吉村さんの人柄、作風が偲ばれる気がします。
これが最後の著作と思う故に、これまで以上に味わい深い一冊。

序:津村節子/「月日あれこれ」から/「井の頭だより」から/歴史の大海原を行く/日々の暮しの中で/対談〔小沢昭一・吉村昭〕なつかしの名人上手たち

      

30.

●「三陸海岸大津波(原題:海の壁)」● 




1970年07月
中公新書刊

1994年08月
中公文庫

2004年03月
文春文庫化



2011/05/02



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平成23年03月11日に起きた東日本大震災、三陸海岸地域を襲った大津波による大被害がなければ、おそらく読むことはなかっただろう、一冊。
 
三陸海岸近くで起きた地震により起きた、明治29年・昭和08年の二度にわたる大津波による大被害、地球の裏側であるチリで起きた地震のために起きた昭和35年の津波による被害の惨状を記した、実録というべき作品。
明治29年津波による死者は26,360名、昭和08年は 2,995名、昭和35年は 105名だったとのこと。
今回の被害を思うと、過去の被害から教訓を学んでいたのか、学んでいなかったのではないか、と叫びたいような気持になります。
津波の記録、そして大津波の恐ろしさを体験した人々の手記、さらに大津波によって孤児となった子供等による作文・・・。

次の2つの言葉が強く残ります。
ひとつは吉村さん自身の
「津波は自然現象である。ということは、今後も果てなく反復されることを意味している」という言葉。
もうひとつは、3つの大津波を全て経験したという早野幸太郎氏の
「津波は時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」という言葉。

それなのに、何故今回のような大被害が起きたのでしょうか。そこに人間の奢り、油断、教訓を都合よく忘れる、ということはなかったのか。
2度とこのような被災をくり返してほしくない、と願います。


明治29年の津波/昭和8年の津波/チリ地震津波

    

読書りすと(吉村昭作品)

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