吉村 昭作品のページ No.

 

11.仮釈放

12.桜田門外ノ変

13.白い航跡

14.私の文学漂流

15.天狗争乱

16.彦九郎山河

17.プリズンの満月

18.生麦事件

19.天に遊ぶ

20.アメリカ彦蔵

 

【作家歴】、星への旅、戦艦武蔵、大本営が震えた日、漂流、高熱隧道、ふぉん・しいほるとの娘、ポーツマスの旗、破船、破獄、冷い夏熱い夏

→ 吉村昭作品のページ bP


夜明けの雷鳴、島抜け、敵討、見えない橋、大黒屋光太夫、彰義隊、死顔、回り灯籠、ひとり旅、三陸海岸大津波

→ 吉村昭作品のページ bR

   


  

11.

●「仮釈放」● ★★★

  

1988年04月
新潮社刊

  
1991年11月
新潮文庫

 

1992/12/19

 

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読み終える寸前、なんという悲惨さ、悲劇かと思いました。
主人公は
菊谷史郎、元教師。妻殺害等の罪により無期刑となるが、 16年後刑法に従い仮釈放となる。そこからのストーリィです。
保護司の温かい目に見守られながら、菊谷は社会復帰し、養鶏場に勤める。まず、16年間というブランク、受刑者の社会復帰の難しさが描かれます。社会の変化、物価の上昇、刑務所内の習慣から抜け出せないこと、受刑者だったことを人に知られる恐れ、保護司の元から離れて住むことへの不安、肉親とも行き来できない境遇、一人暮しの侘しさ。
そうであっても、やがて今の生活に慣れ、人並みの幸せも訪れます。
ところが、それから一転、悲劇の幕が開く。
読者を主人公に感情移入させていく筆運びの見事さ、そして途中から「菊谷」を「かれ」と呼び変え、一気に最終場面へ持っていく凄さ。
全く、こんな凄い悲劇があるものか、あってよいものか、としか思えませんでした。
感動というより、衝撃、と言うにふさわしい一冊です。

         

12.

●「桜田門外ノ変」● ★★

   

1990年08月
新潮社刊

 
1995年04月
新潮文庫化
(上下)

 

1991/04/30

 

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当時の情勢は、日本史で習ったとおりです。
水戸藩主斉昭の欧米事情に通じた献策、幕府内における孤立、
井伊直弼大老の水戸藩に対する弾圧、安政の大獄、そしてこの桜田門外ノ変。
それ程興味惹かれる事実でもないと思っていたのですが、本作品は詳述を極めています。とくに「変」の現場の記述は生々しい。お互いに切りあいを経験していない武士。気も動転しての同士討ち、ただ刀を振り回すだけの闘い、切り落とされる指等々。

しかし、問題点はそんなことではありません。
水戸学と言われた
「尊皇攘夷」の運動が、何故いつの間にか「倒幕・開国」に切り替わったのか。井伊大老は独断的に開国政策を採っていた。それなのに、彼の死が何故更なる開国に繋がったのか。
この作品はそんな疑問を解き明かしてくれます。
斉昭にしろ伊井直弼にしろ、開国はもはや避けられない事実でした。2派の間の対立は、ただその姿勢の強弱、独断の是非をめぐる紛糾だったと言えます。
そうだとしたら、
関鉄之介らの直弼暗殺は何の意味ももたないものだったのでしょうか。
しかし、結果的に(関らが予想したとは思えませんが)、「変」は倒幕のための大きな転機となったのです。ここに歴史小説を読む面白さ、魅力があります。

  

13.

●「白い航跡」● ★★☆

  

1991年04月
講談社刊
(上下)

  
1994年05月
講談社文庫化
(上下)
2009年12月
新装版

 

1991/05/14

 

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明治期の初代海軍軍医総監・高木兼寛を描いた作品。
高木兼寛という人は、脚気を実証的に治療し、海軍における脚気絶滅に尽力した人物、更に
慈恵病院を設立、看護婦の生みの親、現朝日生命保険の設立にも関与した、と言います。
とにかく面白い作品でした。海軍と陸軍との対立、両者の対照的な違いが際立つことの面白さ、高木に敵対して陸軍が担いだ人物が
森林太郎 (森鴎外)陸軍軍医総監となると、興味は尽きることがありません。

明治の頃の軍隊においては、脚気は重大な問題だったそうです。その脚気を、食物の栄養問題(つまりビタミンB不足)とした高木の指摘は、欧米では高い評価を受けたそうです。
然るに日本ではと言うと、陸軍および東大医学部の最近説、学理的に証明されていないという批難の中で孤立、評価に恵まれなかった、と言います。しかし、日清・日露戦争のおいて、海軍は脚気の発生が殆ど無かったのに対して、森軍医総監の白米至上主義への固執により、陸軍の脚気の発病・死亡は悲惨な状況だったそうです。
英米の臨床医学を採用している英米方式の海軍、ドイツの細菌医学に固執した独方式の陸軍、その決定的違いは太平洋戦争に対する意見の違いにも通じるもので、とても興味深いものでした。
※なお、南極大陸には、イギリスによって栄養学者たち各々の名をとった岬があるそうですが、日本人で唯一なのが
“タカキの岬”なのだそうです。

  

14.

●「私の文学漂流」● ★★☆

 
私の文学漂流画像
   
1992年11月
新潮社刊

1995年04月
新潮文庫化

 
1992/12/13

 
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吉村さんの自伝的エッセイ。
一人の作家が、作家として成り立つまでの自伝という点に興味を惹かれて読み始めました。しかし、感じたのは、吉村さんという作家への好感。
 
文章は簡素で、落ち着きがあって穏やかです。悪戯に感情に走ることなく、暗さ・翳りや軽さもなくて、ただ地味な堅実さを感じます。
結核という若い頃の宿病、共に作家を目指す夫婦の貧乏所帯、世間からは共に作家志望の夫婦など地獄のようなものだと評されながらも、本人たちにそうした暗さは見られません。そこに、素直で、正直な人間としての魅力を感じ取りました。
4回も芥川賞候補に挙げられながらも、受賞に至らず、遂には奥さんの
津村節子さんの方が芥川賞を受賞するに至ります。そんな逆境にも拘らず、現実に動揺せず、自分の道を見失わなかった態度には敬意を覚えます。
生まれたばかりの子供を背負い、たんすの上で立ったまま原稿用紙に筆を走らせている妻の姿に愕然とした、と吉村さんは書いていますが、それは読む側にとっても同様の衝撃でした。
一人の作家が成り立つまでの難しさ、苦労を、充分に味わった一冊です。

  

15.

●「天狗争乱」● ★☆    大佛次郎賞

  

1994年05月
朝日新聞社刊

 
1997年07月
新潮文庫化

 

1995/03/18

  

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京―西国とは対照的に、東国で起きた凄烈な幕末史。
水戸藩内において尊皇攘夷派が挙兵した天狗勢は、古臭い思想に依ったものと言えますが、反面その純粋さ、一途さは見事だったのかもしれません。しかし、一部の隊の乱暴な行動から、世間の憎しみや、水戸藩を牛耳った門閥派からの攻撃にさらされます。
最後は京を目指すわけですが、諸藩との争いを極力避け規律正しく進む様は、当時として唯一残された武士らしい姿だったのかもしれません。
結果的に、天狗勢は京の慶喜に裏切られたような形で断罪されます。
この事件は、幕府の政治能力の欠如、幕藩体制の行き詰まりを象徴的に表していたように思います。
それにしても、徳川御三家のひとつでありながら、桜田門外の変、天狗騒動と幕末に事件を起こし続けた水戸藩とは、奇妙な藩です。これも水戸光圀の影響なのだとは思いますが。
作者は何の主観も語りはしませんが、歴史事件を扱った作品を続けて読んでいくと、何か見えてくるものを感じます。

   

16.

●「彦九郎山河」● 

  

1995年09月
文芸春秋刊

1998年09月
文春文庫化

 

1995/11/03

江戸・寛政の時。当時の宰相は、松平定信 (白河候)
本書の主人公・
彦九郎は、儒学者として高名ながら、学究肌ではなく、儒学を行動に結びつけた行動家。筒井家支配の農民の出ですが、元々は武士の家系。それも、大名より朝廷に忠義を誓う傾向の家柄だったとか。
筒井家に従おうとする兄・
専蔵の訴えにより、江戸で収監され、以後家族の元に帰ることができないまま妻子を離縁し、全国を放浪した人物。
しかし、幕府の監視の元に徐々に追い詰められていきます。
呆気ない幕切れとなる作品ですが、当時はまだまだ幕府の権力が強く、それに対する認識の不足が、彼の不幸、早すぎた行動となったのでしょう。
早すぎた男の悲運の行動を描いた作品です。

  

17.

●「プリズンの満月」● ★☆

  

1995年06月
新潮社刊

1998年08月
新潮文庫化

 

1995/07/08

太平洋戦争後、戦犯を収容した巣鴨刑務所を題材にした作品。
実録を元にした、吉村さんらしい、史実に忠実、手堅いといった作品です。もっとも破獄に続く作品という読み方もできるかもしれません。
本書における語り手は、吉村さん創作の
鶴岡という刑務官。
刑務官という厳しい規律に従う職場らしく、ピリピリするような張り詰めた緊張感のある文章でした。しかし、その中にも、人間としての同情心、哀感というものが見え隠れする、という素晴らしさが感じられました。
当初戦犯の監視は、米兵たちが行っていたものの、やがて人で不足から日本人刑務官がそれに加わることとなります。日本人が日本人を収容監察するという異常さが、ここで指摘されています。
しかし、時が進むに連れ、戦犯という拘束理由が法的に不明瞭となり、戦犯収容所は形骸化していきます。
広く知らしめる必要はありませんが、太平洋戦争の一幕として、知っておくべき史実だと感じました。

   

18.

●「生麦事件」● ★★

 
生麦事件画像
   
1998年09月
新潮社刊

(2000円+税)

2002年06月
新潮文庫化
上下

  
1998/10/29

生麦事件の発生から倒幕まで、歴史的事件を忠実に追った一冊です。
事件の発生、右往左往する幕府、強硬姿勢を貫く薩摩藩。
しかし、すべてはこの事件から薩英戦争が起こり、薩摩藩はそれまでの尊皇攘夷から開国論へと一気に政策方針の大転換を遂げるのです。さらに外国艦隊との攻防をやはり体験した長州藩もそれに追随する。
事実の経緯だけであれば、日本史で習ったことと全く変わるものではありません。
ところが、吉村さんは何の解釈も加えずに淡々と事実を綴っていくだけなのですが、読み手はいつしか歴史の中に入り込んで実地検証したような気持ちにさせられます。
歴史の大転換の様を検証するという作者の視点が明確だからこそのことではないかと思います。
最後は再び生麦村に戻って村の様子が簡単に描かれるのですが、そこに至って初めて生麦事件のもたらした結果の大きさがまざまざと眼前に浮かび上がってきました。
歴史を大局から眺めれば、幕府の命運が残り少なかったことは明白なことです。ただ、何がきっかけになったのかといえば、それが生麦事件だったのでしょう。そのことが理屈なしに実感できます。
本書を読む価値と満足感はまさにそこにあると思います。

  

19.

●「天に遊ぶ」● ★★


天に遊ぶ画像
 
1999年05月
新潮社刊

(1500円+税)

2003年05月
新潮文庫化

1999/07/01

ケーキに例えれば、プチフル。ごく短いけれども、味わいがきちんとある、 そんな21篇をまとめた一冊です。

普通の短編小説に比べると、長さにて約3分の一程。最初に原稿依頼を受けた時、吉村さんはこんな短い小説の中で「一つの小説世界を創りあげられるかどうか」と考え、是非書きたいという気持ちが募ったのだそうです。そして、雑誌への連載中は「天空を自在に遊泳するような思い」で書き続けたと、あとがきの中で言っています。
本書の題名は、そんな吉村さんの気持ちから名付けられたとのこと。
どれも短い、ほんのちょっとしたストーリィなのですが、そんな中にかすかにきらりと光るものが在る、そんな思いがします。
執筆する吉村さんの気持ちが弾んでいた一方で、読み手の私には、次ぎにどんな切り口でストーリィを展開してみせてくれるのかと、陳列品を眺めるような楽しさがありました。
普通の短編小説からはちょっと得られないような楽しみが、この一冊の中にはあります。

   

20.

●「アメリカ彦蔵」● ★★


アメリカ彦蔵画像
   
1999年10月
読売新聞社刊

(1800円+税)

2001年08月
新潮文庫化

   

1999/11/17

上記漂流に続き、本書も漂流民を題材にした作品です。幕末の日本で通訳等に活躍し、“アメリカ彦蔵”として知られたジョセフ・ヒコの半生記。
彦蔵は13歳の時に初めて船に乗り込みますが、時化にあって仲間と共に漂流していたところを、アメリカ船に救われます。そのアメリカで教育を受け、仕事も得た彦蔵は、アメリカに帰化した後に幕末の日本に戻ります。
この作品には、幾つもの面白さ、感動があります。
まず、彦蔵たちがアメリカ社会を初めて見聞する様子。まるで、タイムトンネルで未来社会へ行ったような興奮があります。とくに彦蔵は、保護者に恵まれたことからアメリカで教育を受け、仕事にも就きます。そのため、アメリカの各地を訪れ、3人ものアメリカ大統領に面会するという貴重な体験をします。
本書でとくに深い感動を覚えたのは、彦蔵ら漂流民に対するアメリカの人々の温かさでした。分け隔てすることなく友人として扱い、親しみ、そして助力を惜しまなかったアメリカ人が、なんと大勢いたことでしょうか。
「漂流」において、絶海の孤島で12年もの間生きることに苦闘した長平らと比較すると、雲泥の差です。彦蔵らは幸運だったと、心から思わざるを得ません。
そして、幕末の日本に戻った彦蔵は、米国領事館の一員として日本人でありながら外国人の眼で日本の激動期を見るという、貴重な歴史上の見聞者となります。
まさに、ビルドゥング・ロマンと歴史小説の両方の面白さを兼ね備えた一冊。吉村さんの淡々とした文章故に、かえって人々の熱い胸の内が伝わってくるような気がします。
なお、本作品は彦蔵という個人の物語ですけれど、吉村さんの思いは、様々な運命を辿った漂流民全体にあったことと思います。

     

読書りすと(吉村昭作品)

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