byやませみ


7 関東周辺の温泉

7-1-3 箱根の温泉はどうやってできるか?

箱根の温泉については、1970年に発表された神奈川県温泉地学研究所の大木さんと平野さんの詳しい研究があります。以下ではおもにその研究結果にしたがって述べていきましょう。

箱根に湧出する温泉は泉質名でいうと17種類に分けられますが、あまり細かく分類しても温泉の成因を考えるのには複雑になって不都合です。大木さんたちは主要な陰イオン、塩素イオン(Cl-)、硫酸イオン(SO
42-)、炭酸水素イオン(HCO3-)の量比によって泉質を分けると、下表のようにおおきく4帯に区分できることを見つけました。なお重炭酸というのは炭酸水素のちょっとふるい呼び方です。

箱根温泉の泉質区分

分帯 泉質名 pH 陰イオン比
第I帯 酸性硫酸塩泉 <3 SO42- >> Cl-,(CO2,HCO3-)
第II帯 重炭酸硫酸塩泉 6-8 SO42-,HCO3- >> Cl-
第III帯 塩化物泉 7-8.5 Cl- >> SO42-,HCO3-
第IV帯 塩化物重炭酸硫酸塩泉(混合型) 7-9 Cl-,SO42-,HCO3-


このように区分した泉質が、どのように分布しているかを示したのが下の図です。各泉質が非常によくまとまっていることが判ります。


図7-1-3A 箱根の温泉の泉質分帯図

第I帯 酸性硫酸塩泉

中央火口丘付近の大湧谷や早雲地獄、湯ノ花沢の噴気地帯では、流酸性の酸性泉(pH2-3)が湧出します。これは地下から上がってきた硫化水素ガスを多く含む火山性水蒸気の一部が、浅層の地下水に溶け込んで硫酸性の温泉になったものです。姥子温泉はその代表です。酸性硫酸塩泉は透水性の良い中央火口丘の斜面を伏流して流下するうちに岩石成分を溶かして中和され、第II帯の温泉のもとになっていると考えられています。

第II帯 重炭酸硫酸塩泉

中央火口丘をとりまいて広く分布していますが、帯水層が中央火口丘基底部にあるため、深さ300〜700mのボーリングで揚湯されています。HCO
3-とSO42-が主体で、Cl-はほとんど含まれていません。このHCO3-の起源は火山ガスではなく、中央火口丘が噴出する以前にあった湿原の植物が堆積物中で分解されてできたものと考えられています。SO42-は第I帯から流動してきた温泉水から供給されています。帯水層が深いわりには温度が低いため、火山性水蒸気が直接混入していない深層地下水であると考えられています。

第III帯 塩化物泉

温度90度(C)以上の高温泉で、総溶存成分量は4〜4.5g/kgに達します。成分の85%をNaClが占め、珪酸(H
2SiO3)が10%含まれています。珪酸が多いのは火山性の塩化物泉の大きな特徴です。神山の北西部から強羅、小湧谷、底倉にかけての地下に3本の流れがあるのが見つかっています。この高温の温泉水の流れは、前項の地中温度分布でも早雲山付近の等温線の張り出しに明瞭に現れています。

第IV帯 塩化物重炭酸硫酸塩泉(混合型)

カルデラの東側の温泉はほとんどがこの帯に属しています。第II帯の温泉に、第III帯の高温塩化物泉が混じってつくられていて、単に混合型ともよんでいます。このうち二ノ平・小湧谷・宮ノ下など中央火口丘の周辺に分布していて火山噴出物中に帯水層があるものが第IVa帯で、堂ヶ島・大平台・湯本など基盤岩中から湧出するものを第IVb帯にわけています。第IVb帯の温泉は全般に温度が低く、pHが8-9とやや高めです。湯本ではまた別に、湯坂山直下の基盤岩中から、ややNaCl濃度の高い高温泉が湧出してきていることが知られています。

箱根温泉の成因

下の図は、箱根の温泉のできかたを説明するために大木さんと平野さんがまとめた有名なモデル図にちょっと加筆したものです。このモデルは典型的な火山性温泉の生成機構として今も世界中の研究者が論文で引用しています。


図7-1-3B 箱根温泉の成因モデル

箱根火山の深部に潜むマグマの深さや大きさはあきらかではありませんが、火山性地震が深さ5km以下では起こっていないことから、マグマ溜まりの上限は地下5kmくらいにあるものと推定されています。マグマ溜まりからは、NaClを含む高温・高圧の熱水(超臨界水)がおもに神山の地下から上昇してきています。この熱水には火山ガスのもとになる硫化水素や炭酸ガスも多量に含まれています。

熱水はやがて火山体の地下を東西に流れる帯水層に突き当たります。ここで熱水の温度は急激に下がり、臨界点以下になるのでNaClに富む液相(塩化物泉)と火山ガスを含む水蒸気に分離します。高温の塩化物泉は帯水層にそって早川渓谷のほうに流れていき、第III帯の温泉となります。これはやがて地下水と混じり合い第IV帯の混合型温泉になっていきます。

分離した火山性水蒸気は、中央火口丘内を上昇するあいだに凝縮したり再沸騰を繰り返します。初期の火山性水蒸気には硫化水素などの火山ガスは少ししか含まれていませんが、水蒸気が凝縮して分離していく過程でガス成分が濃縮され、地表へ噴気として放出されるころには多量の硫化水素が含まれるようになります。硫化水素の酸化によって生じた硫酸のために、水蒸気が凝縮してできた温泉水はpH2-3の酸性を示すようになります。これが第I帯の酸性硫酸塩泉です。

第I帯の温泉は中央火口丘の斜面堆積物の下を表層の地下水とともに伏流して山麓に流下しているので、ほとんど地表には現れてきません。姥子温泉では堆積物がやや薄くなっていて地下水面が地上に出ているので自然湧出しています。温泉の水源は表層地下水なので、冬季など降水量が少なくなると水位が下がって源泉の湧出は止まってしまいます。

第I帯の酸性硫酸塩泉の混合した地下水は地中へ浸透していく過程で酸性が中和され、やがて深層地下水になって中央火口丘の深部帯水層へ供給されていきます。これが第II帯の重炭酸硫酸塩泉で、第IV帯の混合型温泉の主要水源になっています。

全体的にみると、箱根の温泉は、火山性の熱水とカルデラ内の深層地下水が混合して出来上がっています。マグマから放出される火山性の熱水(マグマ水)の量は非常に少ないので、もし箱根火山にカルデラが出来ていなかったら、現在のような大温泉地にはなっていなかったでしょう。その一方で、箱根火山から放出される全熱エネルギーのうち、じつにその2/3が温泉で放出されていることがわかっています。このエネルギー量が、もし温泉として常時放出されずに火山帯内部に蓄積されていたら、とっくに大規模な水蒸気爆発が起こっていても不思議はありません。温泉は火山の熱を効果的に発散させているのです。


仙石原温泉 火山性噴気による温泉の造成(おまけ)

仙石原には温泉は湧出しません。昭和41年と46年に深さ1000mのボーリングが試みられましたが、どちらも成功しませんでした。仙石原地区の温泉は、もっぱら大湧谷の噴出水蒸気を利用した造成温泉のパイプライン引湯に頼っています。

大湧谷はもとは大地獄とよばれていました。地獄というのは噴出蒸気の高温ガスで岩石が粘土化し、草木も生えない荒涼とした様を言い表したもので、火山の噴気地帯ではよくみられるものです。それが明治天皇が行幸されるときに、地獄では不吉だというので、大湧谷に改名されたそうです。このとき同時に小地獄も小湧谷に改名されました。

近代温泉医療の父ベルツ博士が箱根の温泉治療所の好地として政府に建白したのも大湧谷でしたが、結局この提言は生かされず、博士は非常に落胆したと伝えられています。そのころは大湧谷の噴気が自然凝結した温泉源は、谷の直下の上湯(冠峰楼)と下湯(万岳楼)、それに仙石原の元湯(仙郷楼)で利用されているだけでした。その後明治45年に俵石まで引湯工事が進み、大正3年に俵石閣が開業しましたが、給湯量はこれでほぼ精いっぱいでした。

噴出蒸気と冷水を混合して温泉造成をはじめたのは、昭和5年に発足した箱根温泉供給株式会社が最初で、そのころ温泉荘地区でさかんに分譲されるようになった別荘地に配湯するのが目的でした。しかし、水源を降水に頼っていたために造成量が不安定で、なかなか軌道にのりませんでした。

昭和29年に県営水道の整備がはじまると、造成水を温泉荘下のイタリ水源からポンプアップできるようになり、温泉造成量は飛躍的に増大しました。昭和38年からは仙石高原株式会社が参画し、姥子温泉の大湧谷寄りに蒸気泉を掘削し、仙石原地区にも温泉を引湯するようになりました。この最中の昭和42年に姥子温泉の湧出が止まるという騒ぎもあり、これをきっかけに姥子付近は温泉保護地区に指定され、開発が規制されています。

昭和40年代に仙石原地区の全域に温泉が引湯されるようになったのは、高度成長期に保養所や企業の寮が続々と建設されたからです。現在でも造成温泉の給湯量(3400L/分)の9割はこういった施設で利用されていて、一般向けの旅館で使える量はごく僅かです。

大湧谷では酸性噴気による地盤の粘土化変質が深刻で、大規模な地滑りの発生を回避するために、多数のボーリング孔で火山蒸気を排気しています。現在行われている温泉の造成は、この排気口に筒状の塔をかぶせ、冷水を注入して蒸気と混合させる方法がとられています。大湧谷を渡るロープウェーからは、この温泉造成塔が林立している様子がよく見えます。

噴気には多量の硫化水素ガス(H
2S)が含まれているので、造成温泉ではこれが溶存した硫酸イオンが主成分になっています。これに、造成水に使用された水源(表流水)に含まれている若干の成分(Ca2+、Na+、Mg2+)が加わっています。こうしてできた温泉は温度は90度(C)以上あるものの溶存成分が薄く、弱酸性単純温泉や、単純硫黄泉です。

これとは別に古くからある、岩盤に掘った横穴で噴気を凝結させてできる湧出泉は溶存成分1100mg/Lと比較的濃い酸性硫酸塩泉です。こちらのほうは溶存H
2Sが多いので、浴槽ではイオウが析出して濁り湯になりますが、いかんせん湧出量が少なく仙石原では貴重な泉源です。

同じような噴気造成泉は早雲山や湯ノ花沢でも行われていて、それぞれ強羅や小湧谷、元箱根などに引湯で供給されています。引湯による温泉水の長距離輸送は、箱根の得意技でもあり、ここで培われた多くの技術は全国で用いられています。

[7-1章 参考図書・参考文献]


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