byやませみ


7 関東周辺の温泉

7-1-2 箱根火山

箱根火山は、日本の火山のなかで最も研究されて、その生い立ちや地下構造がよく解明されている火山といえます。それは、火山体の浸食が進んでいて内部が観察しやすいのと、多数の温泉ボーリングが掘られて情報量が多いことによります。箱根火山の研究では、東京大学の久野(くの)先生が1950〜70年にまとめられた世界的にも有名な詳しい論文がありますので、この章では主にそれを参考にしています。

つぶれた火山

箱根火山は大型で、その広がりは約20×15kmもあり、浅間山(2568m)と同じくらいです。しかし、中央にある最高峰の神山は標高1,438mにすぎず、広がりのわりには妙に低い火山です。小田原や三島から眺めると、富士山の3合目あたりから上をすっぱり切り取ったような平べったい山容をしています。こんな山容になったのは、箱根火山が大きなカルデラをもっているからです。

大昔の箱根火山の地形を復元すると、富士山を一回り小さくしたような円錐形だったことが知られています。ここに大きなカルデラが2度発生し、そのたびに山体が大きく陥没して低くなってしまったのです。現在の標高はおおよそ元の半分で、いってみれば、箱根火山は半分につぶれた火山なのです。このことで、富士や浅間のような秀麗さはなくなったものの、箱根火山の地形はとても変化に富んでいて、日本を代表する景勝地となったのです。

箱根の底 火山の基盤

箱根火山の下には、伊豆半島から続く湯ヶ島層群という古い地層が広く分布しています。いってみれば火山の下敷きで、これを基盤とか基盤岩といっています。湯ヶ島層群は伊豆半島がまだ深海中に没していた頃の海底火山の噴出物で出来ていて、緑色に変質したいわゆるグリーンタフの地層(4-3章)です。まだグリーンタフをご覧になったことがない方は、中伊豆の七滝渓谷を散策されてみて下さい。河床で磨かれた青緑色の岩肌はとても美しいものです。箱根の地表では早川渓谷の底、堂ヶ島温泉あたりでしか見ることができませんが、深くボーリングすると広い範囲で突き当たります。

湯本周辺では湯ヶ島層群の上に、早川凝灰角礫岩というこれも火山性の地層がみられます。この地層からは貝化石やサメの歯がみつかっていて、これらの化石は伊豆半島の南西部に分布する白浜層群という地層と同じ種類です。この地層は浅い海底で堆積したらしいので、この頃には伊豆半島は海面付近まで隆起していたらしいです。いまから300万年くらい前のはなしです。

火山の生い立ち

箱根火山の地形発達史をしめすモデル断面図をのせておきました。この断面は金時山−神山−幕山を結んで北西から南東へ切って見た図です。箱根火山が現在の姿になるまでの生い立ちを簡単にのべておきましょう。

図7-1-2A 箱根火山の地形発達史をしめすモデル断面図 久野(1950)をもとに作成

第1期(A)
火山のはじまりは今から約40万年前です。最初は玄武岩のマグマが噴出しましたが、のちには安山岩マグマが噴出して、大量の溶岩と火砕物が交互に重なる成層火山をつくりました。金時山と幕山は山腹に噴出した寄生火山です。噴火は約20万年のあいだに何度も起こり、最終的には標高2,700mの立派な富士山型の円錐形の山容になっていたと考えられています。
第1期(B)
20万年前のあるとき、火山は突然陥没し、直径8kmのカルデラ(第1期カルデラ)ができました。陥没による山体の沈下は数百mにおよんだと推定されています。このときには同時に大規模な軽石流(火砕流の一種)も生じているので、超巨大な爆発的噴火をともなったようです。陥没と巨大噴火のエネルギーで、山体の地下の岩盤は大規模に破壊され、無数の断層が生じました。
第1期(C)
カルデラの形成後しばらくは火山活動が沈静化した期間があり、カルデラ壁は浸食されて外輪山が拡大しました。ボーリング調査によって、もとのカルデラの外縁は現在よりも2〜3km内側にあったことが確認されています。
第2期(D)
8万年前から火山は活動を再開し、カルデラ内を噴出物で満たしていきました。このときの火山活動のマグマは第1期のものとは性質が異なり流動性に富んでいたらしく、円錐形の富士山型ではなく、平べったく薄く広がる山容の火山体を形成しました。このころ第1期のカルデラの東側には浸食による深い谷があって、溶岩はカルデラからはみだして湯本付近まで達しています。
第2期(E)
7万年前から5万年前の期間に、大規模な火砕流の噴出がありました。その一部は50km東方の保土ヶ谷にまで届きました。この間に、第1期のカルデラのさらに内側に、第2期のカルデラが生じました。このカルデラは後に中央火口丘の噴出物で埋められてしまったので外形がよくわからなくなっていますが、外輪山の一部は浅間山から屏風山にかけての平坦な尾根として残っていて、新期外輪山とよばれています。第1期と第2期のカルデラを合わせた陥没量は外縁部で約600m、中央部では約1200mであることが確認されています。
第3期(F)
3万年前から、カルデラ中央部に7つの小型火山が次々と噴出し、中央火口丘群を形成しました。このときのマグマは粘性が大きい安山岩で、あまり流動しないで盛り上がった溶岩ドームをつくっています。なかでも一番南側にある二子山は5千年前にできた新しい溶岩ドームで、プリンのような形態が箱根峠からよく見えます。中央火口丘群のおおくは一度噴火したきりおとなしくなりましたが。まんなかの神山だけは繰り返し噴火を続けて成層火山に成長しました。

第3期(G)
いまから3100年前の縄文時代後期、神山の北西部は突如、水蒸気爆発をおこして崩壊しました。山体は大規模な岩屑流(がんせつりゅう)となってカルデラ床に下り、仙石原を二分して早川の上流部をせき止めて芦ノ湖が誕生しました。その様子は1980年セントヘレンズ山の大噴火にそっくりだったと考えられています。崩壊した爆裂火口のあとに溶岩ドーム(冠ヶ岳)ができているのも同じです。

このような火山体の崩壊はそう珍しいことではなく、とくに重力的に不安定な円錐形の成層火山にはほとんどつきものといってもいいくらいです。神山の地下ではいまもときどき群発地震がおきていて、集中的な観測が行われています。しかしこれは、マグマの活動というよりは、地下深部にある熱水が沸騰して生じているらしいことがわかってきています。この火山ガスと蒸気は大湧谷・小湧谷・早雲山・湯ノ花沢から噴出しています。


地下の温度構造と地下水の流れ

箱根では温泉揚湯のため深いボーリングがたくさん掘削されているので、地下の温度分布が明らかになっています。図は神奈川県温泉地学研究所の人たちがまとめた、海抜0mの地中温度分布(上)と、東西方向の温度断面図(下)です。カルデラ中央部の神山・駒ヶ岳・二子山の中央火口丘付近に最高温部があり、等温線は同心円状に広がっています。


図7-1-2B 箱根火山地中温度(海抜0m)と温度断面

しかしよくみると、等温線の間隔は中央火口丘の西側で狭く、東側で広くなっています。マグマの熱伝導だけで地中温度がつくられているとすると、東西対称にならなくてはいけないはずです。つまり、中央火口丘の西側では地中の温度を下げる要因が、東側では地中温度を上昇させる要因がそれぞれあることになります。

温度断面図には主要な温泉帯水層の位置も示してあります。中央火口丘の地下では温泉帯水層付近で温度分布が東側へずれたようになっています。このあたりでは芦ノ湖から中央火口丘の下を通って早川方向にぬける地下水の流れがあり、これによって熱が輸送されていると考えられています。箱根の温泉がカルデラの東側にだけ湧出するのは、このことが主な理由です。仙石原や芦ノ湖周辺でも過去に深い温泉ボーリングがいくつか掘削されましたが、温度がほとんど上がらずに失敗しています。

ではこの地下水の流れはどうしておこっているのでしょう? ふたたび断面図をみると、温泉帯水層はほんのわずかですが東側が低くなっています。それと調和的に、火山の基盤の上面の高度もやや東側に低くなっています。どうやら箱根火山は全体が東に緩く傾いてきているらしいのです。このためカルデラ内では、水を張った洗面器の端を持ち上げるように、西から東へ地下水が流動しています。この地盤の傾きが生じている理由は、伊豆半島の隆起と関係していることがわかってきています。


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