byやませみ


7 関東周辺の温泉

7-0-2 黒湯はなぜできる?

東京の黒湯は、濃いコーヒーのような見掛によらず、重曹(NaHCO
3)成分をたくさん含むために、入浴の感覚はぬるぬるし、浴後の肌はさっぱりすべすべという結構優れた泉質をもっています。じつは湯が黒くなる原因と、重曹分が多いことは密接な関連があります。

黒湯の色がヨードだとか鉄だとかというはなしは全くの間違いで、温泉水中に含まれる褐色の有機物が原因となっています。ひとくちに有機物といってもたくさんの種類がありますが、黒湯の原因は「腐植質」とよばれる物質です(鉱泉分析法指針では腐植質として分析項目に入っていますが、多くの温泉掲示では有機物として計量されています)。腐植質が最も多く含まれるのは、黒土とか腐植土という肥沃な畑の土壌で、農業分野では重要な物質となっています。

腐植質は化学的にみるとフミンという高分子芳香族化合物にあたります。


図707 フミンの分子構造の一例と電子顕微鏡写真 児玉(1994)

土壌中に埋没した植物(海草や湿地のアシなど)が、バクテリアなどの地中生物の餌となって分解されていくときに、生物が消化できる部分は消失し、最終的に二酸化炭素(CO2)やメタン(CH4)のガスとなって放出されます。このCO2が水に溶解すると、炭酸水素イオン(HCO32-)となって黒湯の重曹成分のもとになります。メタンは天然ガスとして利用されますので、東京周辺ではこれを採取するために戦後盛んに地下水が揚水され、地盤沈下の要因になったことは広く知られています。

いっぽう、生物がなかなか消化できないセルロースなどの繊維物質は、非常にゆっくりと時間をかけて分解され、最終的にフミンが残ると考えられています。フミンは巨大な分子なのですが、水になじみやすい性質をもっているために沈殿せず、地下水に溶け込んだ状態でたいへん長期間存在できるのだそうです。

上図の右側はフミンの電子顕微鏡写真で、非常に小さい粒子(コロイド)となっていることがわかりますが、これでも大量に存在すると黒湯が不透明になる原因になっています。黒湯の濃い温泉では、透明度が10cm以下というものがあり、浴槽の中に出っ張りがあったりすると、足をぶつけて痛い思いをするので、濾過装置をとおして除去している施設もあります。

フミンは芳香族といいましたが、芳香族のなかには名の通りとても良い匂いのする物質が含まれています。同じくフミンを多く含む温泉に、北海道の十勝平野に出る「モール泉」というのがあり、これは「枯れた麦わらのような甘い香り」がするんだそうです。東京の黒湯はあんまり匂いは感じられませんが、フミンの起源となる植物の種類が違うからなのかもしれません。ちょっと残念ですね。



日本伝統の上総掘り(おまけ)

井戸のボーリングというと、高い櫓を組んでエンジンをごうごうと鳴らしてドリルを回す、というような光景が目に浮かびますが。こういう動力掘削機(ボーリング・マシン)が登場するまでの井戸掘りはどうやっていたのでしょうか? 昭和30年代に現在のような回転式のマシンが普及するまで、全国の水井戸や温泉の掘削で大いに活躍していたのが、「上総掘り(かずさぼり)」という方法で、これで軟らかい岩盤なら最大300mもの深さまで掘り下げることが可能だったといいます。

上総掘りの技術の原型は、中国から伝わった「突き掘り」とされています。これは長い棒で地面を突っついて穴を掘る原始的な方法ですが、江戸時代まで使われていました。上総掘りは、とくに深刻な水不足に悩んでいた千葉県の袖ヶ浦市近郊において、深い井戸の掘削技術として明治初期に完成され、全国に普及したものです。

下図は上総掘りの様子を示したものです。長い竹ひごの先に、鉄製のノミと鉄管をつけて下ろし、その重みで岩盤を突き崩して掘るのは突き堀とあまり変わりませんが、引き上げの負担を軽くするバネの役目をする「ハネギ」と、長い竹ひごを巻き付ける「ヒゴ車」など、様々な工夫が施されています。

現在は上総掘りの技術はほとんど廃れてしまいましたが、近年になって海外で再び脚光を浴びています。それは上総掘りは機械動力を必要とせず、少し慣れればだれにでも比較的容易に技術を身につけることができるからで、この点が資材・燃料や技術者の不足な発展途上国での水井戸の掘削にたいへん有利にはたらくからです。

今ではアジア・アフリカの発展途上国において、日本からの多数のNGOボランティアの手でたくさんの上総掘りによる水井戸が掘削され、現地の人に大いに感謝されています。なかにはさらに工夫をこらし、現地で容易に組み立てられるような改良型を考案している人もいます。シンプル イズ ベスト というわけですね。


上総掘りの装置全景と基本原理
インターナショナル・ウォータープロジェクトのHPより

[7-0章 参考図書・参考文献]


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