byやませみ

5 温泉の化学

5-7 硫黄泉と硫酸塩泉

5-7-2 硫黄泉(1) 分布と成因

温泉街に一歩踏み込むと何処からともなく漂ってくるほのかな硫黄の香りに、「あ〜温泉に来たな〜」と旅情を覚えることも多いものです。日本人は硫黄泉が大好きで、数ある「好きな温泉アンケート」でもたいていは第一位に硫黄泉がランクされています。何故に好きかと問われても困ってしまいますが、はるか太古から温泉と付き合ってきたご先祖様の遠い記憶が遺伝子のなかに擦り込まれているのでしょうか。

昔の人は創傷や皮膚病に効果の高い硫黄泉を上手に利用してきた歴史があります。かくも身近な存在の硫黄泉ですが、その特性についてはいろいろ不思議な面もあります。しばしば質問されるのは、火山もない場所にどうして硫黄泉ができるのか? 硫黄泉のはずなのに少しも硫黄臭がしない温泉があるのはなぜ? どうして白濁になるの? といった疑問を解明していきましょう。



まずは硫黄泉の定義をおさらい

硫黄泉の泉質名のつけかたは少しややこしいので、これを機会にしっかりおさえておきましょう。

1) 単純硫黄泉
   溶存物質量が1g/kg未満で、総硫黄として 2 mg/kgを含む
    泉温が25℃以上のものは「単純硫黄泉」
    泉温が25℃未満のものは「単純硫黄冷鉱泉」

2) 塩類泉(溶存物質量が1g/kg以上)にともなうとき
   塩類泉であって、総硫黄を 2 mg/kgを含むとき「含硫黄−」と泉質名のはじめに附記する。
    例) 含硫黄−ナトリウム−塩化物泉

3) 旧・硫化水素泉
   旧分類では、硫黄がおもに遊離硫化水素(H2S)として含まれるとき硫化水素泉に細分していた。
   新分類では泉質名の後ろに(硫化水素型)と附記する。
    例) 単純硫黄泉(硫化水素型) 

4) いわゆる規定泉
   温泉法の規定では総硫黄が 1 mg/kg以上で温泉とみなされる。
   療養泉の分類による泉質名はつけられないが、パンフやガイド誌では便宜的に硫黄泉と書かれることがある。

さて、硫黄泉の定義で着目されるのは「総硫黄」です、温泉成分のうち遊離硫化水素(H2S)、硫化水素イオン(HS-)、チオ硫酸イオン(S2O32-)の3成分に含まれるイオウ元素(S)の総量を計算で求めます。それぞれの成分には水素(H)や酸素(O)といったイオウ以外の元素もくっついていますから、これを取り除いてやるわけです。

  総硫黄 = 0.941 x H2S + 0.970 x HS- + 0.267 x S2O32-

細かい話になりますが、温泉法や鉱泉分析法指針の記述では、「総硫黄とはH2S+S2O32-+HS-に対応するもの」と書かれているだけで、3成分を単純に合計するのか、それとも上記のようにイオウの総量を求めるのかは具体的に書かれていません。掲示されている分析書のなかには単純な合計値で泉質名をつけられているものがあり、分析所によってまちまちなのが現状のようです。



硫黄泉の分布

下に全国の硫黄泉の約500カ所の分布図を泉質別に示します。単純硫黄泉については泉温35℃で区分しました。加熱しないで浴用にできる温度という目安です。図の左側にある色塗りは地質の区分で、赤茶やピンクは火山、緑色は新しい時代の堆積層、白抜きは古い時代の地層や花崗岩など硬い岩盤を表しています。

図を見てまず気が付くのは硫黄泉と火山の分布がよく一致していることです。火山の多い東日本や九州に硫黄泉がたくさんあるのは、誰でも容易に想像できるように火山ガスが硫黄の源になっているからですね。ところがよく見ると、おなじ東日本でも日本海沿岸の平野部、関東の海岸部などの火山から遠いところにも硫黄泉はけっこう分布しています。実はこのような平野部に出る硫黄泉には高濃度の硫黄を含むものが多いのが特徴です。

また、紀伊半島や四国といったまったく火山のない地方でも硫黄泉が出ています。硫黄の濃度はあまり高くありませんが、その源がどこかと考えるとじつに不思議なことです。





図5-7-2-1 硫黄泉の分布


泉質別の代表的な硫黄泉 (温泉名/地域/総硫黄mg/kg)

【酸性泉】
酸か湯/青森/19.4 松川/岩手/20.2 蔵王/山形/27.3 須川/岩手/20.0 吾妻高湯/福島/118.3 那須湯本/栃木/41.6 新湯/栃木/52.3 万座/群馬/112.8 奥万座/群馬/294.9 本沢/長野/88.9 渋ノ湯/長野/19.3 明礬/大分/22.5

【塩化物泉】
羅臼/北海道/12.7 大船上/北海道/23.3 三内/青森/37.6 なりや/青森/32.2 秋元/青森/24.4 日景/秋田/44.4 鵜ノ崎/秋田/23.4 小本/岩手/15.6 舟唄/山形/24.8 塩原元湯/栃木/49.2 早乙女/栃木/16.5 浜平/群馬/19.7 月岡泉慶/新潟/164.8 月岡/新潟/85.8 咲花/新潟/14.5 多宝/新潟/81.5 岩室/新潟/27.9 五色/長野/86.3 七味/長野/28.0 奥山田/長野/16.6 勝浦浦島/和歌山/46.3

【炭酸水素塩泉】
国見/岩手/99.7 鳴子/宮城/45.4 中山平/宮城/41.3 岡原/山形/32.0 白骨/長野/21.9 湯の峰/和歌山/14.3

【硫酸塩泉】
新屋/青森/81.8 水沢/秋田/28.2 駒ケ岳/秋田/19.8 鳴子/宮城/94.2 日光湯元/栃木/58.4 野沢/長野/22.2 熊ノ湯/長野/73.5 赤川/大分/48.9

【単純硫黄泉】
ニセコ湯本/北海道/19.9 金浦/秋田/17.0 岩婦/千葉/17.5 宇津俣/新潟/17.8 鷹羽/新潟/17.3 千古/長野/12.7 戸倉/長野/13.0 東河内/静岡/12.3 ゆりの山/和歌山/11.2 湯之谷/鹿児島/13.8 霧島新湯/鹿児島/11.1 白木川内/鹿児島/14.4 吹上/鹿児島/17.3



硫黄はどこからくるか?

硫黄泉に含まれる総硫黄の大部分は硫化水素(H2SとHS-)ですから、その供給源を考えてみましょう。大きく分けて3種類の起源をもつことが考えられています。

1) 火山ガスに含まれる硫化水素

火山近傍の酸性硫黄泉と高温の単純硫黄泉がこれにあたります。酸性泉については「5-4-火山性酸性泉」のページで書いているので読み返してみてください。

東北地方や九州の火山では硫化水素を含む高温の噴気地帯が発達しているところが多く、山腹を流下してくる浅い地下水に噴気が接触して大量の温泉が生まれてきます。いわゆる秘湯として人気の高い東北地方の高山の温泉は、そのほとんどがこのタイプの単純硫黄泉になっています。硫化水素はわずかに水素イオン(H^+)を解離するので、おおむね弱酸性のpHを示します。

噴気が活発でも山頂部に近すぎて地下水の流量が少ない場所では、蒸気ばかり出て湯量が少ないので、近くの沢から水を引いてきて噴気に接触させる「造成」が古くから行われている温泉もあります。いささか天然からは外れる気もしますが、優れた環境の立地で温泉を楽しめることは有り難いものです。さらに一歩進んで、噴気地帯の上流側にボーリングで沢水を注入して流下させ、膨大な量の温泉をつくり出している温泉地もあります。

2) 有機物の分解でできる硫化水素

平野部や丘陵地の地下にある有機物を多く含む堆積層から湧出する硫黄泉は、ほとんどがこのタイプだろうとみられます。

生物の体をつくる有機物とくにタンパク質にはたくさんの硫黄が含まれています。たとえば体重70kgの人間は140gの硫黄をアミノ酸としてもっています。硫化水素は「腐卵臭」と表現されますが、ゆで卵をむいたときの匂いは白身のタンパク質が分解されてできる硫化水素です。また、ネギ・タマネギ・ニンニクなどの香りやワサビの刺激成分なんかもアリルという硫黄を含む物質です。

地層が海底や湖底に堆積するときには、そこに棲息していた動植物の遺骸を埋め込んでいきますから、地層中には有機物がたくさん含まれています。有機物が地中で分解されるとその途中で硫黄が分離して硫化水素が出てきます。こうした分解物が熱や圧力でうまいぐあいに熟成され大量に集積すると石油・天然ガスや石炭のもとになります。東北地方の日本海岸ではかつてたくさんの石油・ガス田が開発されましたから、その際のボーリングで湧出した温泉には高濃度の硫黄泉が多くみられます。これらの温泉水は化石海水型の塩化物泉が主になっています。

関東や北海道の太平洋岸の大きな平野では、褐色をした腐植質を多く含むいわゆるモール泉とか黒湯とよばれる温泉がたくさん湧出しています。腐植質は分解の程度の低い有機物ですから、こういう温泉にも少量の硫化水素をともなうことがあります。

3) 微生物の還元作用による硫化水素

前ページでみたように硫酸イオンと硫化水素は近しい関係にあり、酸化還元状態の変化でたがいに移行できます。自然界にはこの変化を利用して生きている微生物が棲んでいて、硫化水素の生産を活発にさせています。このような微生物は「硫酸還元菌」とよばれていて、じつは我々のごく身近にもいるものです。今ではあまり見かけませんが、ドブ川からすごい悪臭が発生することは昔はよくありました。よどんだ川底の酸素の少ない環境で増殖した硫酸還元菌が、川水の硫酸イオンを硫化水素に変えていたのです。

硫酸還元菌は酸素の少ない(嫌気的な)環境で生きるので、酸素を必要とする一般生物のいない地下深くは硫酸還元菌の絶好のすみかです。硫酸イオンを含む地下水が地中に浸透するうちに、硫酸還元菌の活動で硫化水素に変えられていることが考えられます。四国・近畿地方や関東の秩父山地などに湧出する硫黄泉は、時代の古い硬い岩盤から出るので上記1)2)の成因では説明できず、こういう原因でつくられているとみられます。泉質はアルカリ性の重曹泉タイプ(→5-6章)がほとんどで、地熱が低いのであまり高温の温泉はできず、大部分が冷鉱泉になっています。

地中で発生した硫化水素は、その大部分が岩石中の鉄分とくっつき硫化鉄(FeS)となって失われてしまいます。地層岩石に鉄分がごく少ないか、地層が古くて鉄分がすでに完全に硫化鉄になってしまっている場合にのみ、硫黄泉になるほどの硫化水素が水中に残っていられるのでしょう。中国地方に硫黄泉が少ない理由は不明ですが、鉄鉱石を多く含む花崗岩質の岩盤が広く分布することが原因と推測することもできます。


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