byやませみ

5 温泉の化学

5-5 炭酸泉と炭酸水素塩泉

5-5-5 石灰華について

1. 石灰華とは?

鄙びた温泉のお風呂を覗いてみたら、浴槽や洗い場の床が茶色やクリーム色の怪しい物体でびっしり塗り固められたようになっていてビックリ、という経験をした方は多いと思います。そこまでいかなくても、湯口に似たようなものが付いているのはごく普通にありますね。この大部分が「石灰華(せっかいか)」と呼ばれる炭酸塩の成分が沈殿して固まってできたものです。(まれに珪酸や石こうを主成分とするものもある)

石灰華は炭酸カルシウム(CaCO3)を主成分とする炭酸塩のうち、方解石(カルサイト calcite )とアラレ石(アラゴナイト aragonite)という鉱物でつくられています。何やら聞き慣れない名称ですが、サンゴ礁や貝殻、石灰岩や大理石も同じ鉱物でできていますので、我々の身近にたくさん見られます。

石灰華は各種の不思議な景観をつくり出し、観光名所にもなっています。沸騰泉の噴出口に堆積して高くのびたものは「噴泉塔」と呼ばれます。噴泉塔は崩壊しやすいので残念ながらあまり大きく成長できませんが、もう少し温度が低くて静かに湧出すると横に広がって堆積し「石灰華ドーム」が形成されます。流れ落ちる湯滝の壁に付着して柱状に成長したものは「石灰華柱」などと呼ばれます。温泉が静かに流れるところでは鍾乳洞でよく見られるような「千枚田」も形成されていることがあります。これらのミニサイズのものは浴室の中でもしばしばお目に掛かり、温泉ファンを楽しませてくれます。

眺めているぶんには面白い石灰華ですが、温泉を管理するほうにとっては困り者です。浴槽や洗い場に付くと見た目が汚いので普通のお客さんには嫌がられますし。温泉の配管に厚く付着する場合は「温泉スケール」と呼ばれ、湯が詰まったりポンプが故障したりするので大変な損害になります。なかにはスケールの出来やすい泉質を逆手にとって、花瓶やコップにびっしり付着させて石灰華グッズとしてお土産に販売している温泉もあって感心させてくれます。


2. 石灰華はどうしてできるか?

温泉の成分にはいろいろあるのに、どうして炭酸カルシウムばかりがいつも沈殿してくるのでしょう? たまには食塩や重曹の沈殿ができていてもよさそうなものです。

その理由は、炭酸カルシウムの溶解度が他の塩類化合物に比べて極端に小さいことによります。簡単に言うと水に溶けにくいっていうことですね。大気下では40℃の水1リットルに対して食塩は約270g、重曹は約120gも溶けますが、炭酸カルシウムは0.2gほどしか溶けていられません。このように限度めいっぱいまで成分が溶けている状態を「飽和(ほうわ)」といいます。

食塩や重曹の成分で飽和状態になるのは乾燥地の塩湖でまれにある程度ですが、炭酸カルシウム成分はそれらより1/1000以下のごく少量で飽和状態になるので、たいがいの温泉では湧出するときの条件の変化ですぐに沈殿をはじめてしまいます。

炭酸カルシウムの沈殿ができる要因のうち、ここでは炭酸ガス(CO2)がおおきく関わってくる以下の2つについて触れておきます。

2-1. 炭酸ガスの圧力低下

炭酸カルシウム(CaCO3)の沈殿は、温泉水中のカルシウムイオン(Ca2+)と、炭酸イオン(CO32-)や炭酸水素イオン(HCO3-)が結合してつくられます。前の章(5-5-4)で述べた石灰岩・炭酸塩鉱物の溶解で重炭酸土類泉ができるのとちょうど逆の反応です。

そうと聞くと、石灰華のできやすい泉質としてまっさきにCa−炭酸水素塩泉(重炭酸土類泉)が思いつきます。しかし実際には大量の石灰華を形成する温泉のおおくが塩化物泉(食塩泉)になっています。ちょっと妙ですが、ちゃんと理由があります。

食塩水に大量の炭酸ガスが含まれていると、炭酸カルシウムの溶解度が飛躍的に大きくなることが知られており、その様子を表したのが下の図です。食塩分をまったく含まない状態(左端)よりも、食塩分が濃くなるにつれて(右方へ)炭酸カルシウムの溶解度が大きくなっているのがわります。さらに、炭酸ガスの圧力が高い状態では炭酸カルシウムの溶解度は飛躍的に大きくなります。

さて、このような温泉が地上に湧出してきたときの変化を考えてみましょう。一例として、図中のA点が地下の温泉の状態だとします。高い圧力がかかって炭酸ガスも多く含んでいられるので、炭酸カルシウムの溶解度は2g/Lくらいもあります。これが湧出すると大気圧まで圧力が下がるので炭酸ガスが抜け、空気と平衡になったのがC点の状態です。ここでは炭酸カルシウムはほとんど溶けていられないので、A-Cのぶんだけの沈殿をつくることになります。





図5-5-5-1 食塩濃度と炭酸ガス圧力による炭酸カルシウムの溶解度の変化(25℃)


2-2. pHの変化

温泉水から炭酸ガスが脱出するとpHが高くなりアルカリ性に偏ります。5-5-1でみたように、アルカリ性になると炭酸水素イオンは炭酸イオンに変化しますので、炭酸カルシウムの沈殿を生じやすくなります。

重炭酸土類泉(Ca-HCO3)は低温の温泉が多いので加温利用されることが一般的ですが。これにより源泉に含まれていた炭酸ガスはほとんど抜けてしまい、石灰華の発生がしばしば起こります。夜間に温泉の流出を止めて浴槽に貯めておくと、湯面からの炭酸ガスの脱出により、氷のように薄く膜を張ったような状態で析出してくることがあります。これはかき回すと割れて底に沈みますので、塩が溜まっていると勘違いされることが多いようです。

箱根姥子(元箱根19号泉)での有名な事例があるのでご紹介しておきます(栗屋1984)。この源泉は深さ525mの井戸から汲み上げる重炭酸塩硫酸塩泉(Ca・Mg・Na−HCO3・SO4)で、エアーリフトポンプで揚湯しているときには揚湯管への沈殿物の付着が著しく多くて井戸の管理が大変でした。これを水中ポンプでの揚湯に切り替えたところ沈殿物はほとんどみられなくなりました。

エアーリフトポンプは井戸に空気を送り込んで激しく擾乱するので温泉水の炭酸ガスは分離脱出しますが、水中ポンプは静かに汲み上げるので炭酸ガスの損失が少なくなり、上記の反応が起こりにくくなったのです。前後のデータは以下のようになっています。pHが1.9も変わってくるのはいささかびっくりですね。

  エアーリフト 泉温=57.5℃ pH=8.1 炭酸ガス分圧=0.00011atm
  水中ポンプ 泉温=60.7℃ pH=6.5 炭酸ガス分圧=0.18atm


[5-5章 参考図書・参考文献]


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