byやませみ

4 非火山性温泉の地球科学

4-2 海岸温泉と化石海水型温泉

海に近い温泉の泉質はたいてい食塩泉(ナトリウム塩化物泉)です。海を見ながらしょっぱい湯に浸かっていると、「これって本当に温泉?海水を沸かしてるんじゃないの?」っていう疑問が出ても当然です。気の早い人は「詐欺だ」と騒ぎ立てるかもしれません。でもちょっと待った! 海岸の食塩泉はたしかに海水が起源水になっていますが、ただの海水とはひと味違うんです。きょうは海水がもとになってできる温泉のはなしをします。

日本の塩化物泉

塩化物泉にはおもに食塩泉(ナトリウム塩化物泉)と塩化土類泉(カルシウムまたはマグネシウム塩化物泉)があります。( )内は新泉質名ですが、長くてタイプが面倒なのでこの項では旧泉質名のほうを使います。塩化土類泉は日本ではかなり珍しく、塩化物泉の大部分は食塩泉です。

日本全体の泉源数でみると、食塩泉(塩化物泉)の割合は単純温泉(42%)に次ぐ24%を占めています(3位は意外なことに単純イオウ泉です8.6%)。総湧出量ではダントツの1位でほぼ50%に達します(単純温泉は2位に転落38.5%、3位は重曹泉19.3%)。

日本の温泉に食塩泉が多い理由はいわずもがなですね、日本が島国で海洋に囲まれているからです。もちろん、食塩泉のなかには前章でお話ししたような火山性の食塩泉や、あとでお話しする有馬型などの海洋水に関係しない温泉もありますが、その割合はきわめてわずかです。

地下水の塩水化

海岸温泉を一言でいうと、「地下水が海洋水で置き換えられたもの」です。海岸地域の地下水系は、どこかで必ず海洋水と接しているところがあります。表層の透水性の良い地層が海に届いている場合には、浅層地下水に海洋水が侵入し、地下水の塩水化がおこります。地下水に海洋水が侵入できる量は地下水の水圧と海洋水の圧力のどちらが大きいかによって決まるので、海岸地域の地下では陸の水と海の水がちょうどラグビーのスクラムのように互いに相手を押し込もうとしています。このぶつかりあいのところを「侵入フロント」といいます。

両者が拮抗している場合、海洋水は密度が大きいので地下水の下にもぐり込みなかなか混じり合わないので、上は淡水、下は塩水といった地下水の2層構造ができます。このとき井戸の過剰な揚水で淡水地下水の水圧が低下すると、塩水が待ってましたとばかりに急激にせり上がってきます。これは海岸平野で井戸水を利用している住民にとっては、はなはだ迷惑な現象です。

東京の下町ではとくに地下水の塩水化が著しく、井戸水が利用できないためにはるばる多摩川の上流から水道をひいてきて江戸っ子の用水にしていました、これが玉川上水です。山の手地区では比較的上質の井戸水(お茶の水など)が利用できたので、諸大名の屋敷が作られました。しかし、戦後の過剰揚水で山の手の地下水にも塩水化がおこるようになってしまい、現在ではほとんどの井戸が放棄されています。

例として、静岡県富士市の地下水が過剰揚水によって塩水化したときの成分の変化を下表でみると、塩水化した地下水の成分が海水と非常に接近してきているのがわかります。

表4-2-1 地下水の塩水化:富士市

  水温
度(C)
pH 溶存成分(mg/L)
Cl- SO42- HCO3- Na+ K+ Ca2+ Mg2+
元の地下水 15.6 7.2 5.1 5.0 47.6 6.0 2.4 12.0 4.3
塩水化後 14.8 7.1 18281 2535 96.4 10200 508 417.1 1244.8
海水の平均 22.4 8.1 19350 2690 140.0 10760 390 410.0 1290.0


さて、温泉法の規定によれば、第一番に「溶存物質の総量が1kg中に1000mg以上含まれる」ものは温泉とみなされます。おっとその前に、「地中から湧出する」っていう大前提があったのを忘れてはいけません。塩水化した浅層地下水はこの規定にばっちり適合しています。これで「海岸温泉」のできあがりです。しかし水温はふつうの地下水の温度なので「冷鉱泉」です。塩水化地下水による「温泉」は湧出量がきわめて多いのが特徴で、関東や新潟の海岸部にはこのタイプの巨大温泉施設がいくつか建設されています。しかし、私たち温泉ファンからみるとやっぱり、にせものという気がします。

高温の海岸温泉は海洋水とどこが違うか?

海岸付近の地下深部にマグマ性の熱源があると、海水による熱水対流系が形成され、大規模な海岸温泉がつくられます。この場合にできる温泉は、泉温が100度(C)に達する高温泉や沸騰泉になることがあり、温泉水の成分も元の海水とはかなり異なったものとなります。例としては、鹿児島県の指宿温泉、和歌山県の白浜温泉、伊豆半島の温泉などです。ここでは例として、伊豆半島の東海岸の下賀茂温泉と西海岸の土肥温泉をみてみましょう。下賀茂温泉はNa-Cl型塩化物泉(食塩泉)の代表、土肥温泉はCa-Cl型塩化物泉(塩化土類泉)の代表です。

総成分量ではどちらも海水よりは薄くなっています、海水が100%温泉水になっているわけではなく、陸上の地下水とかなり混合しているからです。単純に塩素イオンの量で比較すると、地下水との混合比は下賀茂温泉で1:2、土肥温泉では1:6.5になります。この混合比で他の成分を計算すると、Naイオンは下賀茂温泉で5380mg/L、土肥温泉で1655mg/L、Caイオンは下賀茂温泉で205mg/L、土肥温泉で63mg/Lになるはずです。

ところが下表で見る成分量は、Naイオンは1/3から1/2少なく、Caイオンは10倍から20倍も多くなっています。つまりもとの温泉水からどこかでNaイオンが取り去られ、Caイオンが添加されているらしいのです。こういった様子は表の下段の塩素イオンに対する比率でみてもよくわかります。ここで塩素イオンを基準にしたのは、一度温泉水中に含まれると、周囲の岩石との間でほとんど移動がないからです。

表4-2-2 海洋水と海岸温泉の溶存成分の比較

  溶存成分量(mg/L)
Na+ K+ Ca2+ Mg2+ Cl- SO42- HCO3- Total
海洋水平均 10760 390 410 1290 19350 2690 140 35030
下賀茂温泉 3430 210 2030 5.7 8592 111.5 21.5 14401
土肥温泉 910 6.25 1313 28.3 3011 912.7 26.6 6208


  度(c) pH
海洋水平均 22.4 8.1
下賀茂温泉 94.4 7.9
土肥温泉 57.2 7.7


  塩素に対する比率(X/Cl)
Na
/Cl
K
/Cl
Ca
/Cl
Mg
/Cl
Cl SO4
/Cl
HCO3
/Cl
海洋水平均 0.556 0.020 0.021 0.067 - 0.139 0.007
下賀茂温泉 0.399 0.024 0.236 0.001 - 0.013 0.003
土肥温泉 0.302 0.002 0.436 0.009 - 0.303 0.009


水溶液が岩石と反応して、双方の成分が変化することを水−岩石反応(Water-Rock Interaction)といいます。海岸温泉が関係するような温度・圧力の条件では、この水−岩石反応で活躍するのは、もっぱら低温の変質作用で岩石に生じたスメクタイトという粘土鉱物です。スメクタイトの結晶構造中には、極めて弱い結合力(電荷)で陽イオンを含むことのできるサイトがあり、普通はNa+とCa2+が入っています。このNa+とCa2+は接触する水溶液の陽イオンと自由に交換でき、その反応はきわめて迅速(秒単位)におこなわれます。こういった現象は「陽イオン交換容量(CEC)」といい、工業原料としての粘土鉱物の重要な性質です。

岩石の変質でスメクタイトが生じるとき、それがNa型になるかCa型になるかは、原岩の化学成分が関係してきます。玄武岩などのCaに富む岩石にはCa型スメクタイトが、デイサイトなどのNaに富む岩石にはNa型スメクタイトができます。伊豆半島の東海岸の岩石は玄武岩や安山岩が多いのでCa型のスメクタイトが生じ、これと海水のNa+の交換反応で、温泉水中のCa2+が増加すると考えられています(上表の下賀茂温泉)。逆に、海岸温泉の地下の岩石がデイサイトなどで出来ていると、Na型のスメクタイトと海水のCa2+の交換反応で温泉水のCa2+濃度が低下し、ほとんど純粋なNa-Cl泉になります。

また、スメクタイトが生じるときには結晶構造中にMgが固定されるので、温泉水中のMg2+は大部分が消失してしまいます。こちらのほうは交換性がないので、一度取り去られるともう回復しません。このほかに温泉水中から取り除かれる成分はSO42-で、こちらは温泉水中に増えたCaイオンと結合して硬石膏(CaSO3)となって沈殿します。

おなじ伊豆半島の海岸温泉でも、西海岸の土肥(とい)温泉の成分(上表下段)はちょっと変わっています。Ca2+と同時にSO42-がとっても多くなっているのです。これは次の4-3章でおはなしするグリーンタフ型温泉の性質も合わせもっているからです。ちょっと先取りしていうと、グリーンタフの岩石中には大昔の海洋水から沈殿した硬石膏(CaSO3)が多く含まれており、これが現在の地下水に溶け出してCa2+とSO42-に富んでいます。伊豆半島は地殻熱流量が大きいので、この地下水が高温化して温泉(おもに硫酸塩泉)になって内陸部に多く湧出しています。

先に土肥温泉での海水−地下水混合比が1:6.5といいましたが、温泉水中のCa2+とSO42-の含有量が多いことは、実はグリーンタフ型の温泉水(地下水)が主体で、海洋水が少し混入しているものと言い換えてもいいかもしれません。同様なことは熱海(あたみ)温泉にもみられます。昭和初期の熱海温泉は温泉街の中心部のみがNa-Cl型の塩化物泉(海岸温泉)で、大部分は硫酸塩泉(グリーンタフ型)が主体でした。しかし現在では過剰揚水により海水が広範囲に侵入して塩化物泉の分布が大きく広がるとともに、泉質も土肥温泉と似たCa-Cl型に変化しています。

化石海水型温泉

海岸温泉が現在の海洋水、またはちょっと昔の海洋水を温泉の起源水としているのに対して、非常に古い時代の海洋水が起源水になっているものを、化石海水型温泉といいます。大昔の海洋水が堆積物粒子の隙間に閉じ込められ、封鎖(トラップ)されて残っていることが「化石」といわれる理由です。ふつう、堆積物に含まれた海洋水は後に陸上の地下水と混合して薄められ、やがて完全に消失してしまうのですが。海洋水を含んだ砂層などの上下が透水性の悪い泥層に囲まれてトラップされていると、地下水との混合がおこらずに、そのまま蓄えられていることがあります。地下深部にこの化石海水が貯留されていると、例によって地殻熱流量で温度が上昇し、これをボーリング井戸で汲み上げると「化石海水型温泉」となるわけです。

日本列島に分布する新しい時代(新第三紀以降)の地層の大部分は海底に堆積した海成層ですから、化石海水型の温泉(塩化物泉)はほとんど何処にでも湧出する可能性があるといえます。ただし、上記のようにトラップの条件ができていることが必要なので、現実には何処にでもというわけにはいきません。平野下で天然ガスを開発するときには、こういったトラップを入念に調査して深層ボーリングを掘削します。実際に濃尾平野(長島温泉)や新潟平野(中条温泉)などの化石海水型温泉は、天然ガス井戸から汲み上げています。それでは代表として、南関東ガス田の化石海水型温泉の例を紹介します。

関東平野の地下にはとても厚い地層が堆積しています。これは岩盤が深く沈降してできた大きな湾を、陸上から運搬された砂泥が埋め立ててできたものです。深いボーリングで確認された堆積物の厚さ(つまり湾の底)は約2500mに達しています。湾の沈降がはじまったのは、およそ200万年前の鮮新世(せんしんせい)という時代です。というと、とてつもなく大昔のようですが、北京原人が出現したのがちょうど同じ頃ですから、地球史からみるとわりと最近のことです。濃尾平野や大阪平野など日本の多くの平野の沈降もこれと同時代、また、日本アルプスなどの山地の隆起が活発化したのも同じ頃で、日本列島の現在の地形がつくられはじめた重要な時期です。

関東平野の湾に堆積した地層は上総層群(かずさそうぐん)とよばれていて、現在は房総半島中部や多摩丘陵に露出していますが、東京や千葉でもちょっと深くボーリングすると必ずつきあたります。そのうち東京湾から九十九里にかけての地下深部にある中下部の地層(150〜80万年前)には、天然ガスやヨウ素を多く含んだ塩水(化石海水)がトラップされていて、重要な資源となっています。

天然ガスのできる理由はこう考えられています。これらの地層は半深海の環境で堆積したので、海洋プランクトンの遺骸などの豊富な有機物を含んでいます。浅い海のほうが有機物が多そうな感じがしますが、他の生物によって消費されるのであんまり残らないのです。ほとんど無酸素状態の深海では、生物活動が不活発なので沈殿した有機物が堆積物中に保存される量が多くなります。この有機物がバクテリアによってメタンなどの炭化水素に生分解されて天然ガスの素になっています。さらに、植物性の有機物が体内に蓄積していたヨウ素や臭素も同時に化石海水に溶け込んでいきます。下の表では、ガス・ヨウ素産出量の最も多い千葉県の茂原ガス田で採取された化石海水の成分を示します。湧出温度は28.9度(C)、pHは7.4です。

表4-2-3 化石海水(茂原ガス田)と海洋水の溶存成分の比較

  溶存成分量(mg/L)
Na+ K+ Ca2+ Mg2+ Cl- SO42- HCO3- I Br
海洋水平均 10760 390 410 1290 19350 2690 140 0.05 67.5
化石海水 11500 316 207 419 19420 0.0 1075 142 162


  塩素に対する比率(X/Cl)
Na
/Cl
K
/Cl
Ca
/Cl
Mg
/Cl
Cl SO4
/Cl
HCO3
/Cl
I/
Cl×103
Br/
Cl×103
海洋水平均 0.556 0.020 0.021 0.067 - 0.139 0.007 0.001 3.49
化石海水 0.592 0.016 0.011 0.022 - 0.000 0.055 7.31 8.34


化石海水の成分の特徴は、海洋水と比較してNaClとHCO3-濃度が高く、Ca2+、Mg2+、SO42-含有量が少ないことです。どこかで見たような特徴ですね、そう、深層地下水(4-1章)と同じです。有機物の分解で生じたCO2ガスが水に溶け込んでHCO3-になり、粘土鉱物(ここでは海成泥岩中のNa型スメクタイト)によってCa2+、Mg2+が取り除かれます。SO42-が極端に減るのは、CaSO4(石膏)が沈殿するのと、硫酸塩還元バクテリアの両方が作用しています。

同じ上総層群中でも、東京の多摩地域などで特に深い(1500〜2000m)ボーリングで採取される比較的高温の温泉は、塩分濃度が薄くなっています。この深度はちょうど上総層群の基底部にあたり、数十万年前からの深層地下水が入り込んでいるといわれています。関東平野下の化石海水は、このような新しい地下水の侵入でやがては分散・消失していく運命にあります。

東京の黒湯について

東京湾周辺の、品川、目黒、横浜あたりには、濃いコーヒー色をしたNa-HCO3型の冷鉱泉がたくさん湧出し、黒湯とよばれています。これらの多くは数10m〜100m程度のボーリング井戸で、上総層群の上部の地層から汲み上げています。ここの地層は茂原などの深海成の地層とは違って、干潟や沿岸湿地などに堆積したもので、植物性の腐植をたくさん含んでいます。腐植(mold)は植物が分解してできる土壌中にも含まれる農業では重要な物質ですが、その化学的性質や生成過程の詳細はあまりよくわかっていません、腐植を専門に研究する学会もあるほどです。

腐植の主成分は、フミン酸とかフルボ酸とかの高分子有機物で、黒褐色をしています。この腐植が地下水に多く溶け込んでいるので、コーヒー色になるわけです。なかにはほとんど墨汁色のものもあって、入浴にはちょっとした勇気が必要です。べつに風呂上がりには褐色の肌になるわけではありません。黒湯の分布域でやや深いボーリングをすると、化石海水の成分が混入してきて、やや色の薄いNa-HCO3・Cl型の冷鉱泉が出てくることがあります。

(おまけ)海の水はどうしてしょっぱいか?

地球を宇宙から眺めると、表面の70%が海洋で占められています。まさに「海の惑星」です、地球ではなくて「海球」とよんだほうが適当かもしれません。さらに、表層(水圏)にある水分のうち体積で97%が海洋水です。今から約40億年前の原始海洋水の塩分濃度はかなり低く、その代わりに二酸化炭素とメタンが多く含まれており、今とはかなり違っていました。太古の海はしょっぱくなかったのです。それが約7.5億年前に生物種の爆発的増加によって二酸化炭素とメタンが消費されるとともに、陸上の岩石の風化(生物による土壌の形成)がおこるようになると、河川水に溶けた岩石成分が海にそそぎ込まれるようになり、急激に海洋水の成分が変化していきました。


    Na+ K+ Ca2+ Mg2+ Cl- SO42- HCO3-
河川水平均 mg/L 6.3 2.3 15 4.1 7.9 11.2 58.4 105.2
% 5.99 2.19 14.26 3.90 7.51 10.65 55.51 -
対Cl比 0.797 0.291 1.899 0.519 1 1.418 7.392 -
海洋水平均 mg/L 10760 390 410 1290 19350 2690 140 35030
% 30.72 1.11 1.17 3.68 55.24 7.68 0.40 -
対Cl比 0.556 0.020 0.021 0.067 1 0.139 0.007 -

 

ある学者が、海洋水の塩分がすべて河川から流入してくるものとした場合に、現在の河川の流量からみてどのくらいの年月で今の塩分濃度に達するか計算してみました。それによると約9000万年で十分なそうです。意外に速いですね、でもそうすると、9000万年より前の海はやはりしょっぱくなかったということになります。これはおかしいです、現在の海の生物のほとんどはこれよりずっと前に出現しているのが化石で確認されています。

さらに、下表をみると、河川水と海洋水のイオンの比率はだいぶ違っていますから、海洋水の成分が河川から流入してきたという説はちょっとあやしく感じます。むしろ火山性温泉のほうが海水の組成にかなり近いといえます。実際に、以前の地球史を書いた本では海洋水の成分を火山起源とする説が主流でした。それが今の河川水起源の説に変わったのはつい最近のことです。それは、海洋学者の地道な調査研究によって、海洋内の物質循環がようやく明らかになってきたことによります。

河川水が海洋に流れ込むとすぐに、生物活動の盛んな沿岸大陸棚に出会います。ここでは主に貝類やサンゴなどの石灰殻(CaCO3)を形成して成長する生物によって、CaとHCO3が消費されます。SO4の一部はバクテリアなどの働きでイオウ(S)に還元され、これはさらに別のバクテリアの内部で溶存成分の鉄と結合して硫化鉄(FeS)となって海底に固定されます。KとMgは生物体内に一時的に吸収されますが、死後は分解して再び海水中に溶け込むので、生物活動による減少はそう多くありません。

深海では生物活動よりも堆積物への吸収過程が重要になります。陸から遠く海洋へ運搬されて堆積した粘土鉱物は、海洋水と長期間の接触でKやMgを含む別の粘土鉱物に変質します(海底風化)。このさいの吸収でKとMgは海洋水からほとんど取り除かれてしまいます。Caの一部はSO4と結びついて石膏(CaSO4)となって沈殿します。こういった過程には深海底の生物が関与しているともいわれますが、実態はほとんどわかっていません。

生物といえば、河川水には珪酸HSiO3が平均で13mg/Lも溶存していますが、海洋水にはほとんど含まれていません。これはほとんど全て珪藻(けいそう)というシリカ(SiO2)の体組織をもつプランクトンに吸収されて遺骸が海底に沈殿してしまうからです。珪藻の遺骸は深海底を広範囲に覆って分布しており、珪藻軟泥(なんでい)という深海に特有な堆積物を形成しています。

あれやこれやで、もとの河川水に含まれていた成分はほとんど海洋水から取り除かれてしまいます。しかし、ここまでの文中に一切登場しなかった成分があります、それは塩素(Cl)です。塩素は一度水中に溶けてしまうと、生物体や岩石鉱物に吸収固定されることのない成分です。また、ナトリウム(Na)もほとんど固定されることがありません。こうして海洋水の成分は一方的にNaClに富むようになっていくのです。

では先の9000万年の問題はどうなるでしょう? そんなに急激に海洋水の塩分濃度が上昇していくのだとすると、近いうちに海洋水は生物が棲めなくなるような高濃度の塩水になってしまうのでは? どうやらその心配はなさそうです。といのは、NaClは生物体や岩石に固定されないことで、海洋地殻の深部まで地下水の主成分として浸透しています。最近はだれでも知っているプレート論によれば、海洋地殻は海溝から地球深部へ沈み込み、マントル内に吸収されています。

海洋地殻に浸透したNaClはこのとき一緒に地球深部へ消え去っていくのです。海洋水での塩分の増え方は、先の学者の試算よりもずっと少ない割合で進行したようです。現在の地球では、河川から運ばれてくるNaClと、このように地球内部へ吸収されていくNaClの量がほぼ拮抗していて、海洋水の塩分量はだいたい一定に保たれていると計算されています。

[4-2章 参考図書・参考文献]


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