
そもそも象は日本には居ない動物だが、その割には郷土玩具のモチーフに取り上げられている。象の並はずれた大きさが、見るものに強烈な印象を残したからだろう。椋鳩十の「長崎の象」は、享保12(1728)年八代将軍吉宗に謁見するため渡来した時の話である(1)。初めに姿を現したのは、外来文化の窓口であった長崎。日本に輸入される珍奇なものはことごとく長崎を通過したので、人々はちょっとやそっとでは驚かない。その長崎人をアッとばかりに驚かせ、「象志」なる解説書を書かせることとなった。この本では長い鼻の構造や機能ばかりでなく、食べもしないのに象の肉の味や象の夫婦生活までもが論じられている。長崎土人形(長崎焼)は古賀人形と並ぶ長崎の土人形。紅毛人と称した外人や阿茶さんと呼んだ中国人の風俗を異国情緒たっぷりに表現している。異国の象遣いを背にした“象乗り”も、そうしたうちの一つである。高さ10p。(H27.10.3)

初めて象が我が国に渡来したのは、さらに300年遡って室町時代の応永15(1408)年である。生きた象の前に象牙のほうが先に渡っていたので、はじめは“ゾウ”とは呼ばず、“キサ”と言った。キサとは木目(もくめ)のこと。象牙には木目のような模様があるので、石か材木のようなものとして、キサの名で呼んでいた。そして、中国の書物にある巨大な動物をもキサの名で呼んだのである(2)。ちなみに、漢字の「象」はまさしく「象形文字」。大きな耳に長い鼻と牙、巨体と太い脚を表している。この写真の象は実物より鼻がだいぶ短いようである。最初の作者が実物の象を知らず、聞いた話などから想像して作ったのだろう。あるいは、型起しの参考にした江戸の錦絵などがそうなっていたのかもしれない。高さ10p。(H27.10.3)

象乗り天神は明らかに牛乗り天神(牛08、秋田03)のバリエーションである。牛乗り天神から派生した型にはほかに馬乗り(青森15、山形01)、亀乗り(愛知09)、ウソ乗り、船乗りなどがあるが、象乗りは弘前にしかない。ここでも象の鼻が短いのは、牛の型を象に転用したためだろう。また、象に天神を乗せるという発想は、白象に乗った普賢菩薩がヒントになった可能性もある(3)。高さ9p。(H27.10.3)

戦後、日本の動物園にはほとんど象が居なくなった。戦時中、空襲に備えて猛獣を殺処分したためである。昭和24年、インドのネルー首相から自らの娘(後の首相)の名を付けた象、インディラが上野動物園に贈られ、長らく人気者になった。インドにおいて、象は特別な存在である。古代インド人の世界観では、16頭の象がこの世を支えていることになっているし、物事の始めを支配する万能の神「ガネーシャ」は象頭人身である。また、仏典においてもブッダは母のマーヤー夫人が夢で白象と交わって生んだ子供とされている(4)。というわけで、ブッダの誕生を祝う4月8日の花祭り(灌仏会)では、白象の背に花御堂と誕生仏が乗せられる。この伏見製の白象は、寺院から花祭りの参列者に授与されたこともあった。高さ8p。(H27.10.3)

10年前のインド洋大津波で、行方不明者の捜索や災害復興に象が大活躍したというニュースは記憶に新しい。「アジア象はおとなしいが、アフリカ象は凶暴」とよくいわれるが、19世紀のロンドン動物園で人を乗せて人気があった巨象の“ジャンボ”はアフリカ象だったし、サーカスではアフリカ象にも芸を仕込むというから、必ずしもそうではないらしい。アジアでは象を家畜として扱ったのに対し、アフリカでは象牙のために殺した。“そんな人間に出会えば、象の方でも必死になる”と、サーカス一座と寝食を共にしたこともある南方熊楠が言っている(4)。犬や虎、馬などを車に乗せた人形は多いが、象車は珍しい。長崎から江戸まで運ばれて行く象もかくやと想像したが、実際は80日間かけて歩いて行ったそうだ(5)。高さ10p。(H27.10.3)

現在我が国に象は生息していないが、縄文時代草創期までは生息していて、象の骨や歯の化石は古くから“竜骨”“竜角”などと称されて薬として用いられてきた。ただし、その実体が象と明らかにされたのは江戸時代に入ってからである(5)。出雲人形の産地・初瀬(はせ)は、そのむかし野見宿禰(のみのすくね)が出雲の国から土師(はじ)を連れて移り住み、埴輪を作った土地と伝えられる(奈良10)。型のほとんどは伏見人形からの転用といわれるが、長い年月で型は崩れて彫りも浅くなってしまい、形はまことに大雑把である。高さ12p。(H27.10.3)

享保12(1728)年4月28日、ベトナムから日本に象が献上され、中御門天皇の御前で披露された後、将軍徳川吉宗の御覧に供された。これに因んで4月28日は象の日である。この日、仙台市動物園では象の現状を体感しながら楽しく学べるゲームや、人間と象との関係について飼育員から話を聞くイベントが催された。広島県福山市の動物園でも象の誕生日を祝うイベントがあって、野菜や果物のバースデーケーキが贈られたそうだ。この象は昨年1月に結核と診断され、懸命の治療で元気を取り戻したのだという。動物園は感染を考慮し、見学者には10m離れた所から見てもらったとのこと。象にも結核があるとは知らなかった。首振りで高さ10p。(H29.5.9)

象の大きさを際立たせるためだろうか、象の郷土玩具には人を乗せたものが少なくない。すでに紹介した天神や遊女もそうだが、写真は唐子(中国風の姿をした童)を背にしたものである。やはり首振りで高さ20p。(H29.5.9)

米沢の相良人形(山形12)。なぜ象の背に遊女が乗っているかというと、遊女は普賢菩薩の仮の姿と謂われるからである。江口の里(大阪府東淀川区)の遊女が亡霊となって現れて、旅の僧に西行との歌の贈答の故事を語ったのち、普賢菩薩となって西の空に消えるという説話があり、能の一曲にもなった(6)。普賢菩薩は白象に乗る姿がよく知られているのは言うまでもない。高さ14p。(H29.5.9)
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