高知県の玩具
01. 鯨車(高知市)
02. 鯨舟(高知市)
03. 闘犬人形(高知市)
04. 土佐の起き上がり(高知市)
05. 香泉人形(高知市)
06. 連ればり(高知市)
07. 高知の諸玩(高知市)
08. 土佐凧(高知市)
09. 土佐面(安芸市)



01. 鯨車(高知市)



土佐沖の黒潮(日本海流)の流れは、沖縄から薩南を経て足摺岬、室戸岬をつなぎ、さらに紀州熊野地方へとのびている。これが九州南部と紀州の文化を土佐へもたらす海上の道であった。土佐人の酒宴で行われる“箸挙(はしけん)”も、近世期に水主などによって薩摩の“ナンコ”という遊びが伝わったものという。また、土佐の漁業で忘れることができない鰹漁や鰹節の製造技術は紀州の漁師の往来によって改良された。鯨漁などは熊野の太地浦の漁師の指導を得て発展したものである。それを示すものとして、足摺岬や室戸岬などには紀州漁師の墓碑が今も残っている。写真は左が木彫り、右が張子の鯨車である。張子の高さ6p。(H27.9.24)

02. 鯨舟(高知市)



捕鯨で狙うのは冬に紀州から室戸に下ってくる“下り鯨”と、春に足摺から室戸にむかう“上り鯨”である。見晴らしの良い山に設けた山見(やまみ)という見張り場所から鯨を発見すると、漁船は勢子船(せこぶね)、網船、持双船(もっそうぶね)などに分かれて出漁し、協力して鯨を捕える。胴にほどこした美しい絵模様は、それぞれの船の役割や等級を示している。玩具の鯨舟は、もともと室戸の漁夫たちが漁のない時など手すさびに木を削って作り、子供に与えたものという。鯨舟の玩具は古式捕鯨発祥の地である和歌山県太地でもみられる04。奥の勢子船の長さ20p。(H27.9.24)

03. 闘犬人形(高知市)



愛媛県宇和島の闘牛に高知県の闘犬と闘鶏。四国には動物同士を闘わせる文化が三つも残っている。闘犬は、藩政時代には“犬合わせ”と呼ばれ、勇壮を尊ぶ土佐の気風にも合い発達してきた。犬が倒れたりうずくまったり、逃げたり吠えたりすれば勝負がつく。ひたすら噛みつき合い、血がしたたり落ちる凄惨な試合に、大正5年には禁止令も出された。しかし競技会は続けられて、成績によって横綱、三役、前頭など番付が定められている。昨今は動物愛護の世論の高まりで、高知市にあった「土佐闘犬センター」も昨年名称を「とさいぬパーク」と変更。闘犬の開催も縮小して不定期となり、横綱犬土俵入りや子犬ふれあいツアーなどが主になった。写真は化粧回しを締めた横綱犬の数々。後列左より張子、粘土、木彫。前列左が木彫、右が張子(高さ6.5p)である。(H27.9.24)

04. 土佐の起き上がり(高知市)



女だるまは、関東系のだるまを基に江戸期文化年間に創始されたと云う。しかし、白鹿の子風の華やいだ胴模様や近代的な美人顔などは独特で、それまでの女だるま神奈川12京都11と一線を画すものである。単に“土佐の起き上がり“といえばこの女だるまを指す。天神起き上がりや鯨捕り起き上がり水族館21は戦後新しく始まったもの。ほかに、土地の名物狸だった権九郎狸の起き上がり04も有名である。女だるまの高さ10p。(H27.9.24)

05. 香泉人形(高知市)



女流日本画家であった山本萬壽猪(香泉)が戦後間もなく創始した土人形が香泉人形である。その後、母から娘や息子へ代々受け継がれたが、1972年に作者が高知から信楽に移り住み、製作は滋賀県で続けられた。伝統にとらわれない香泉人形の自由な発想は、この「猿の群像」(復元)にも見ることができる。一方で、尾長鶏や闘犬、河童といった土佐ならではのモチーフも土鈴や土笛、張子などの郷土色豊かな郷土玩具にしている。高さ10p。(H27.9.24)

06.連ればり(高知市)



“連ればり”とは土佐の方言で、連れだって用をたすこと。むかしは女性も人目につかないところで立小便をしていたという。左は香泉人形の連ればり。閨秀作家には似つかわしくない(?)男性顔負けの大胆な構図で、後ろから見ると大事なところも丸見えである。右は観光土産品の連ればりで山口県の産(高さ8p)。(H27.9.24)

07. 高知の諸玩(高知市)



左は土佐名物の尾長鶏(高さ16p)。鶏の羽毛を使ったリアルなもの03もあるが、こちらの木彫のほうが郷土玩具らしい。坊さんかんざし(中央)は、「播磨屋橋で坊さんカンザシ買うを見た、よさこいよさこい」と唄われている僧・純信と鋳掛屋の娘・お馬の道行きを張子人形にしたもの。東京は亀戸張子(埼玉県船渡産)の相合傘をヒントに明治中ごろ創始された。頬かむりの坊さんが、人目を避けて辺りを伺う様子を首振りに仕立てたところが傑作である(高さ12p)。土佐にも旧藩時代から家庭内の手遊びとして姉様人形があったが、いわゆる土佐姉様(右)は明治末期に商品化された玩具で、全国的な販路をもっていたものの戦前に姿を消した。戦後は初代香泉によってやや都会風に姿を変えて復元されている。立兵庫に髪を結い、首は竹串を芯にした土製、衣装は竹串に千代紙を巻き着けてある(高さ18p)。これらも含め、土佐の郷土玩具はほとんどが「はりま家」と「土佐民芸社」の作品。家伝で製作が継承される従来のやり方を脱して商業化に成功しており、後継者の心配はないようである。(H27.9.24)

08. 土佐凧(高知市)



特産の和紙を貼った土佐凧。正方形の角が上になった角立(つのだて)で、風呂敷イカとも呼ばれる。形のほかに、尻尾を着けないことや、中心線に沿って糸目が二本のみであることが長崎の“ハタ”など九州地方の凧に似ているので、南方系に分類されている。ここにも太平洋を経由した九州と高知との交流があったのかもしれない。横骨を外して折りたためるところは六角凧新潟14にも似ている。絵柄には干支や縁起物、家紋などの定紋(じょうもん)、目出度い文字などが描かれる。一辺の長さ27p。 (H27.9.24)

09. 土佐面(安芸市)



やはり土佐和紙を使った張子面。河童(土地の呼び名は“しばてん”)、狐、虎、恵比須・大黒など十数種あるが、どれもユニークな表情をしている。かつて土佐には、小正月に子供たちがこの面を被って年始回りをし、餅や菓子をもらう“カイツリ”と呼ばれる風習があった。今ではそれも廃れ、飾りものの小面のみとなっている。狐面の高さ10p。(H27.9.24)

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