---えどめぇるまがじん--- 

路線バスで行く! TOKIO江戸めぐりの旅・バックナンバー
その1
池袋〜巣鴨駅付近   
その2
巣鴨駅前〜白山上
その3
白山上〜団子坂下付近   
その4
団子坂下〜千束
その5
千束〜浅草雷門
 
      

路線バスジフ

TOKIO江戸めぐりの旅
 都バス 草63系 ― その5

雷門
<取材・文:福島 朋子>


 途中ベトナムにまで立ち寄ってしまい、どうなることやらと記者自身も肝を冷やしていた「路線バスで行く! TOKIO江戸めぐりの旅」ですが、今回めでたく、終点の浅草に辿り着くことができました。浅草と言えばそれはもう、江戸気分満載。王道の老舗の味を堪能してまいりましたので、涙をこらえつつ(何の涙でしょう?? 果たして……)最後の路線バスぶらり旅にお付き合いくださいませ。 バス地図ミニ 今回のバスルート
クリックすると拡大図が見られます
こちとら江戸っ子!! 人力だって車道を走るぜってぇんだ!
 もはやお忘れでしょうが、前回は、吉原付近の「千束」でバスを降りたところで終わっています。「千束」を過ぎれば、終点の「浅草雷門」は目と鼻の先。律儀にこの雷門前に降り立ったはいいのですが、いきなり人力車のお兄さん方に声をかけられまして、わたくし、うっかり乗ってしまいました!! 人力車の営業開始は1870年、実は江戸時代には3年ばかり届きませぬ。ということで、人力車自体は江戸とはあまり関係がないのですが、今回は「江戸の老舗を人力車で回る」という大義名分でお許しください。
 この人力車、正直、あまりにもおのぼりさん気分が満載で、これまで目もくれずにいたのですが、なかなかどうして、実際に乗ってみると面白い。人力車といえども当然、かなり交通量のある車道を走るのですよ。この時ばかりは人力車のお兄さんも猛烈に走ります。だって、交通渋滞を引き起こしてはなりませんから……。「人力車で車道を走る」この感覚は意外と面白いです。けっこう高さがあるもので、四駆ぐらいの目線の高さになります。しかも、車のように視界を遮るものが一切ないので、それは開放的な気分で町の風景を見渡せるのです。
 などと悦に入ったところで、まずは1軒目の老舗をご紹介しましょう。
人力車
「えびす屋」さんのお兄さんに乗せてもらいました。ガイドとしても面白い方で、いろいろと町中を案内してもらいました。ところで、この人力車は一つひとつが手作りで1台150万〜180万もするそうです。
アサヒビル横*
有名なアサヒビールの「うん○ちゃんビル」。このオブジェ、ナニに見えます? ビールの泡を表現したという噂もありますが、本当のところは、聖火をイメージしているそうです。本来はゴールド部分を立てるデザインだったそうなんですが、消防より安全面からの指導が入ってやむなく横にしたのだとか。江戸とはまったく関係ないのですが、人力車のお兄さんがこんなトリビアな知識を教えてくれたので、思わず紹介してしまいました。
重量級の江戸前天ぷら「三定」
 最初の1軒は、雷門の並びにある江戸前天ぷらの「三定」。創業天保8(1837)年、初代が東京湾で採れた新鮮な小魚をごま油で揚げて屋台で売り出したのが始まりだとか。都内に現存する江戸前天ぷら屋として最も古くから暖簾を掲げている老舗中の老舗です。
 メニューを見ると、天丼やかき揚げ、野菜天ぷらからコース料理まで選択肢には事欠きませんが、やはり江戸前の天ぷらと言えば魚介類。江戸当時は穴子、芝エビ、貝柱、イカなどに限って「天ぷら」と呼び、野菜揚げは「精進揚げ」と呼んで天ぷらとは区別していたと言われます。ならばと、今回は野菜揚げは遠慮させていただき、お値段も手頃な「かき揚げ(小)」700円をいただくことにしました。
 目の前にやってきたかき揚げは、「小」と言っても割と大きめ。女性にはちょうどよい量かもしれません。
 外見はごま油で揚げているため、サラダ油などで揚げる通常の天ぷらよりも少し茶色が強く感じられます。そして、衣も重量感がある感じ。中身は小ぶりのエビと賽の目に切られた白イカがぎっしり。かき揚げによく入っている、ニンジンや玉ネギなどは見受けられません。この三定さん、近年まで「野菜は精進揚げであり、総菜屋で売るもの」とかたくなにメニューに載せていなかったと聞きますから、当然のごとく、この「かき揚げ」も昔ながらの魚介類オンリーなのでしょう。
 食べてみると、嬉しいのが小エビのプリプリ感と甘み。ただし、衣は現在主流のサクッとした軽い衣より、かなり存在感があります。江戸時代の天ぷらは現在使われる薄力粉ではなく、中力粉(うどん粉)を使用していたため、仕上がりが“ぼてっ”として、油切れも悪かったとか。それでも肉食の習慣がなく「エネルギー不足」になりがちであった江戸当時の庶民にはごちそうだったのです。そのため、江戸からの味を守る三定さんのかき揚げはちょっぴり衣が重め。なので、「天ぷらは何があっても、軽やかなサクサクの衣でなきゃ、べらんめぇ!!」という方にはちょっと不向きかも……。素材のうまみを衣の中に凝縮し、ごま油の風味が香る天ぷらというのも、これはこれでおいしいものですけどね。
 
三定外観 創業天保8年 「三定」
東京都台東区浅草1-2-2
TEL:03-3841-3400

かきあげ1 「かき揚げ(小)」700円
これが重みのある、江戸前天ぷら。エビとイカがぎっしりで、かき揚げと言えどもあなどれません。

なべ

小さいからこそ、技が光る江戸小玩具の「助六」
 次に向かうは仲見世通りの奥にある江戸趣味小玩具の店「助六」。こちらも江戸末期1860年代に「浅草観音宝蔵門」前に店を出したという老舗です。3畳あるかしら? といったこぢんまりとした店内に、ぎっしりとミニチュアサイズの干支人形やひな人形、それに江戸の町に出没していた屋台などの模型などが並んでいます。どうです? 写真の「焼き鳥屋」や「祭りの舞台」。肉眼で見ると焼き鳥の一本いっぽんまでが細やかに再現されていて、童心が蘇り、ついついワクワクしてしまいます。こういったものは、男性にとってはプラモデル、女性にとってはドールハウスを思い出し、男女の区別なく楽しめるのではないでしょうか? でも、いったいなぜ、こんなに小さな玩具が江戸の町で誕生したかと言うと、きっかけは「ぜいたく禁止令」であったと言います。もともとは大型で豪華なひな人形などを飾っていたらしいのですが、八代将軍吉宗らが禁止令を出したことで、玩具は小型化し、その代わり精巧な細工を施した人形などが作られるようになったのだとか……。
 しかしながら、小さくなって精巧になればなるほど職人技が問われるというもの。高さ20センチの招き猫に比べて、5センチ程度の招き猫が倍近い値段になっていたりするので、今となっては玩具の小型化は「ぜいたく禁止令」に相反するものとなっていたのでした……。
 どれも素敵な商品ですが、作り手は浅草を中心とした職人衆。どうやら皆さん、かなりご高齢だということです。どうか、跡を継いでくださる人がいらっしゃいますように。と思わず祈って店を後にしたのでした。

 
助六外観*. 江戸趣味小玩具「助六」
東京都台東区浅草2-3-1
浅草仲見世東側2号
助六(焼き鳥)* 手のこんだ仕事っぷりが光る小玩具の数々!! 焼き鳥屋さんは1万円とやはりそれなりのお値段が……。焼き鳥屋さんを衝動買いするのは無理でも、600円程度で買えるお守りなどもあるので、浅草寺に行く際には覗いてみてください。 助六(祭り)*
元祖 あわぜんざい、「梅園」
 さて、お次は仲見世からほんの少し脇道に入ったところにある甘味処の「梅園」。こちらは、安政元(1854)年に浅草寺の梅園院(ばいおんいん)の一角を借り受けて茶屋を開いたのが始まり。かなりの人気店で並ぶことを覚悟で行ったのですが、それほど並ばずに中に入ることができました。空いた席を見つけて座ろうとしたところ、入り口の会計場所に立っていたお店のおばちゃんに呼び止められました。
 ここ、食券制度で先に券を買い求めないといけないのですね。店内はいつでもかなりバタバタとしているので、システムを知らずに入るとちょっと気後れします。なので、入ったらすぐ食券を買う! というのをお忘れなきように。
 ここで食べたのは、もちろん「あわぜんざい」。昔からおやつ代わりにされてきた庶民的な食べ物なのですが、それをこちらの梅園が初めて商品化したということで、「元祖 あわぜんざい」のお店としてあまりにも有名です。
 しかしながら、こちらの「あわぜんざい」。実はアワではなく「もちキビ」を使っているのだとか。「なんだ、キビを使ったら『キビぜんざい』じゃないか!!」と心の中で毒づきましたが、アワもキビも同じイネ科の植物。親戚のような扱いで、江戸の当時はあまり区別されていなかった……のでしょうか?
 待つこと15分程度で出てきたのが、黄金色の「もちキビ」にこし餡をかけ、椀に盛られた一品。ちょっとすくって口に運ぶと……、「あつい〜〜!!」 びっくりしました、驚きました。普通の甘味では考えられないくらい熱いです。うっかり口の中を火傷してしまいました。
 というのも、もちキビは冷めるとすぐに硬くなるため、半搗きしてせいろで蒸し上げたものをアツアツのまま、これまた火を通して艶が出るまで練ったこし餡をかけていただくのが美味しさの秘訣なんだそうです。
 知りませんでした……。見た目からそれほど熱いものではないと勝手に思い込んでしまったのが敗因でした。
 落ち着いて、ゆっくり味わってみると、キビももち米同様にモチモチしているのですが、ちょっと酸っぱさがあって変わった味。しかもどことなくプチンと口の中で時折はじける食感がなかなか楽しい。こし餡はですね〜、かなり甘いです。わたくし甘党ではないので、もうちょっと甘くないほうが……と密かに思いましたが、これもまた、甘味の少なかった江戸の当時は、庶民の最大級の楽しみであったのでしょう。
 
梅園外観 「梅園」
東京都台東区浅草1-31-12
TEL:03-3841-7580

あわぜんざい 「あわぜんざい」640円
本当にあつあつです。箸休めについている「シソの実」はかなりきつめのしょっぱさですが、ぜんざい自体が相当に甘いので、これがまたおいしく感じられます。

キビ

漢方薬がヒントとなって誕生した七味唐辛子「やげん堀」
 甘いものの後は、辛いもの。というわけで、最後にやってきたのが、七味唐辛子の「やげん堀」。こちらも仲見世をちょっと脇に入ったところにあり、他の店に負けず劣らずの大変な老舗。今から三百余年前、寛永2(1625)年に初代が漢方薬からヒントを得て、七味唐辛子を売り出したのが始まりだと言います。
 ところで、皆さん、この「七味唐辛子」をなんと読みますか。今では「しちみとうがらし」が一般的ですよね。しかし江戸の当時は「なないろとうがらし」と呼ばれていたのだそうです。現代では「唐辛子はダイエットに良い!! 」などという理由から、My唐辛子ボトルを持ち歩いて、なんでもかんでも唐辛子をかけてしまうという味覚障害的女子高生の日常が報道されたりしていますが、江戸の時代もなかなかどうして、七味唐辛子はそこそこ消費されていたようです。今でも「かけそば」や「温かいうどん」には欠かせないものですが、江戸の当時は「ざるそば」のつけ汁にも唐辛子を入れたほど。また、江戸の町では買い物に行かなくてもなんでも揃う「歩き売り」が商いの主流で、当然ながら「七味唐辛子売り」という職業も存在していました。面白いのが、この商人の格好。イラストを見ていただくとわかりますが、とんでもなくでかい唐辛子の張りぼてを担いで「とん、とん、とんがらし〜♪」と妙な歌まで歌って売り歩いたのだとか。
 中でも江戸っ子に大人気だったのが、こちらのお店。七味唐辛子のことを「やげん堀」と呼んだほど、七味の代名詞になっていたのです。そしてそのご自慢の一品は黒ごま、ミカンの皮、芥子の実、麻の実、山椒の実、そして唐辛子の生と焼き粉、が絶妙にブレンドされています。今でこそ、材料の細粉や焙煎は工場の機械で行っていますが、火入れと呼ばれる油分や湿気をとばす最重要工程においては、熟練職人の経験と勘による微妙な温度調整が必要だと言います。
 その技のたまもので、確かにこちらの七味唐辛子、風味が違います。店舗では好みに応じてブレンドもしてくれます。どうしたらよいのかわからぬ初心者には「大辛」「中辛」「小辛」の配合商品がありますので、こちらを買い求めると便利でしょう。ちなみに、私は「中辛」を買ってきました。パッケージを開けた瞬間にぱあっと山椒の香りが広がって、香り豊か。なめてみると辛いのですが、後から甘みが口の中にほんのり残ります。暑い時期には汗を流して暑気払い。毎日の食事に昔ながらの七味唐辛子を利かせてみてはいかがでしょうか。
 
とんがらし売り
「唐辛子売り」
どうですか? このでっかい張りぼて!! これで「とん、とん、とんがらし〜♪」なんて歌っているのですから、楽しすぎ。さすがお江戸といった感じです。
やげん堀外観

やげん堀ケースパッケージを開けた瞬間の山椒と唐辛子の香りがたまりません。麻の実は存在感のある薬味ですが、そこがまた魅力的。辛い中にも甘さが残るので、広くいろんな料理に活用できます。

七色唐辛子 パッケージを開けた瞬間の山椒と唐辛子の香りがたまりません。麻の実は存在感のある薬味ですが、そこがまた魅力的。辛い中にも甘さが残るので、広くいろんな料理に活用できます。 七色唐辛子2
 さてさて、逃走癖が祟り、足かけ1年以上の長期連載となってしまったバスの旅でしたが、今回で一応なんとか終了です。もしも「次はこんなテーマで連載を!」というリクエストがある方はぜひ編集部までご提案を!! それでは、また近いうちに(←本当なのか!?)お会いしましょう。

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