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ゴーサラのバス停で

 ある日、スバースが僕を散歩に誘った。
 彼は3ヵ月前にカトマンズへやってきたばかりの17歳のストリートチルドレンだ。今はネパール最大のヒンズー教寺院・パシュパティナートの門前にあたるゴーサラのバス停を寝床に12人の仲間とともに暮らしている。
 仲間と一緒にいるときは陽気で明るい彼が今日はどうも口数がすくない。片手に小枝を持ち、うつむき加減にその小枝を振りながら歩く彼の後姿は、うっすら雲の広がり始めた空を背景に言葉にならない孤独を現しているようだ。
 僕たちはヒンズー教寺院の火葬場を見おろす丘の上まで歩いてベンチに腰かけた。風がときたま通り抜けるだけの静かな時が流れる。
 僕は火葬場を眺めたまま物想いに耽るスバースにカメラを向け、にこっと笑った。
 写真を撮ったあと、彼は思いきったように自分の物語りを始めた。

 ネパール南部の大きな街で貧しいトラックドライバーの家に長男として生まれた彼は、小さい頃からグループの中でうまく立ちまわることのできない子だったらしく、小学校に入るとすぐにいじめの標的にされ、2年間で小学校を辞めてしまった。また彼はカトマンズでストリートチルドレンの保護施設に入ったときも先輩からいじめられ、3日間で施設を出ている。ストリートで暮らす子どもたちの多くは、貧困のなかで家族の口減らしや親の暴力のために家を出てカトマンズにやってきたが、仕事もなく、施設にもなじめずに援助の狭間に落ち込んでしまった子どもたちだ。
 2年前に一度、彼はカトマンズにやってきたことがある。そのときは市内を走るマイクロバスの集金の仕事をした。カトマンズのバスには少年が車掌として乗り込み、バス停で大きな声で行き先を告げたり運賃を乗客から集める仕事をしている。
 彼自身によると、まだ世間を知らなかった彼は、あるときダンプ運転手にもっといい仕事があると誘われた。その言葉を素直に信じた彼はダンプ運転手に連れられてある工場にやってきた。それは最初の話とはまったく異なったカーペット用ウールの漂白工場だった。だまされたと気付いたときはすでに遅く、ダンプ運転手は彼を工場に売ってそのまま消えてしまった。そして彼は工場の外へ出ることも許されず毎日苛酷な労働を強いられた。
 その後なんとか家に帰った彼は、しばらく家の小さな畑の手伝いをしていた。
 しかし3ヵ月前、事件が起こった。
 そのいきさつは僕には分からないが、街でよく見かける顔見知りの男がスバースをつかまえて、急に殴る蹴るの暴行を彼に加えたのだ。ひどいケガをした彼は怒りがおさまらず、翌日、家からナイフを持ち出すとその男を背後から突き刺した。ドゥッと倒れた男の身体からは真っ赤な血がドクドク流れだし、はっと我に返ったスバースは急に恐くなり、ブルブル震える身体をどうすることもできなかった。それでも必死でこの場を逃げた彼は、そのまま誰にも告げずにカトマンズまでやってきたのだった。

スバースとモーニゲシ 「その男のケガはひどかったの?」僕は訊ねてみた。
 「わからない・・・」スバースは目を落としたまま答えた。
 「カトマンズへ来たことを家族は知っているの?」
 「ううん。きっと警察が捜しているから、家に帰ることはできない。」
 「じゃあ、おとうさんやおかあさんのことは好き?」
 「いつか、ずっと先で家に帰って家族に会いたい・・・。」
 遠い故郷を想う彼の瞳はかすかな憂いを帯びてうるんでいる。
 わずか17歳の少年には重すぎる荷物を背負って、不安に押しつぶされそうになっている彼の姿はあまりにも哀しかった。
 彼が今こうしてストリートで暮らしているのには、ここへたどり着くまでの長い物語りがあったのだ。
 そうして今、彼にはストリートしか居場所はない。
 風向きが変わり、丘の上にも火葬の煙の匂いがかすかに漂ってきた。
 それはたき火の煙と変わりない煙だが、肺に吸い込むとき体のなかへ死者が浸透してゆくような奇妙な感覚に襲われる。今は呼吸するたび煙を吸い込むしかないけど、吸わずにすめばそのほうがよかった、出会わなければよかったのに・・・、という煙。
 煙はますます丘の上へ吹き上げてくる。僕たちは沈み込んだ気持ちに煙が浸透してゆく前に立ち上がり、ゆっくり来た道を引き返していった。

 その後、スバースはある女性のバッグを盗んだ窃盗の容疑で警察に捕まった。窃盗だけなら通常3日くらいで釈放されるのだが、彼は取り調べのなかで事件について話し、警官に同行されて故郷の街へ帰った。事件は彼の家族と男との間で示談が成立し解決していた。しかしスバースは故郷の街にとどまらず再び警官とともにカトマンズへ帰ってきた。彼が何故カトマンズに戻ってきたのか、僕は知らない。

夕陽の頃