はじめに



 2000年夏のある夜、寝つかれずにふとテレビをつけた。画面にはアジア系の10歳くらいの男の子がふたり、それに7歳くらいの子が映し出されていた。うつむき加減で疲れ切ったような姿の彼らは、3人で一日中街を歩いてプラスティックのごみを拾い、再生プラスティックの原料として回収所に持ち込んでお金に替え、わずかの食べ物を買って食べていた。
 彼の家族はカトマンズに暮らしているが、彼は家に帰りたくないらしい。
 家計の助けのために父は荷物運びの仕事をさせようとするが、彼にはその仕事をするだけの力はない。荷物運びをしない彼に父は暴力を振るい、それに耐えられずに家を飛び出した。テレビのなかで少年はそう言っていた。
 荷物運びはできないけど、プラスティックを集めることならできるから・・・。
 その少年は小さい弟と友達の三人でカトマンズの路上でプラスティックを集めて生きているのだった。戦争があったわけでも、大きな干ばつなどの自然災害があったわけでもないのに、何故こんな子どもが路上で暮らすことになるのだろうか。
 施設で保護されることもなく、ひとりで生きていくしかないのだろうか。
 テレビを消した後も、僕はずっとその少年の姿が頭に残っていた。
 夏が過ぎ、秋になってもそのことを考えていた。そしていつしか、実際にカトマンズへ行って彼らに会ってみようと思うようになった。

 2001年2月、日本では彼らについての情報はほとんど手に入らないまま、僕はネパールへ旅立った。
 最初の2週間くらいはほとんど毎日、街を歩き、王宮広場で人々と話をして、知り合った人の家を訪問して過ごした。王宮広場でお土産を売る子どもたちとも毎日話したり遊んだりした。元々子どもが苦手な僕は、この子どもたちと遊ぶことで子どもたちと接するトレーニングが積めたと感じる。
 ちょうどその頃、日本のNGOの方やユネスコクラブの方に会って話を聞く機会があり、その話のなかからネパール最大のヒンズー教寺院・パシュパティナート近辺にストリートチルドレンが多いということが分かった。
 翌日、僕はともかくパシュパティナートへ行き、その辺りを歩いた。その日はちょうど大きなお祭りではるばるインドからもたくさんのサドゥ(修行者)がやってきていた。大変な人ごみでとてもストリートチルドレンを探すどころではない。その日はお祭りに集まってきた物乞いたちの子どもを見ただけだった。
 しかし何度か通ううち、ひとりのガイドと出会うことになった。彼はここの観光ガイドだが、僕がストリートチルドレンを探していることを話すと、一緒に10キロも歩いてプラスティック回収所を探してくれた。
 それからは彼と二人三脚でストリートで暮らす子どもたちを探し、子どもたちの言葉を通訳してもらい、ときにはネパールの社会状況について教えてもらった。
 僕とストリートチルドレンのコミュニケーションは彼なしには成しえなかっただろう。とても感謝している。

 そして出会ったストリートチルドレンたちは、非常に心優しい、繊細な少年たちだった。最初はぶっきらぼうで警戒心も強いのだが、一度打ち解けると本当に優しい子どもたちだ。
 ある少年は別れるときに握手をすると満面の笑顔で僕の手を強く握り、大きく振っていつまでも離そうとしない。手を握るのが本当に嬉しいのだ。最初会ったときにはお金が欲しいとぶっきらぼうに要求していた同じ少年とは思えない。
 彼らはいつも腹を空かせて汚い格好をしている。だから食料や衣類、寝る場所、そして教育が必要なことは客観的に考えてすぐに分かる。しかし、彼らと接しているうちに、何よりもまず一番必要なものは愛情だとわかる。彼らはグループを作り、子ども同士で助け合って生きているのだが、本来、親から与えられるべき愛情は子ども同士ではどうしても与えられない。そのため彼らは自分を大切にするということも知らない。ケガをしてもそのまま放っておくし、ときにはみずからの身体をわざと傷つけることもある。ほとんどの子どもがタバコを吸い、マリファナを吸う子どもも多い。また少数ではあるが、薬物を注射する子どももいる。
 彼らに聞くと、空腹や夜の寒さを忘れるためにマリファナを吸うという。しかしそれだけではないだろう。マリファナの与えてくれる高揚感は、いっとき孤独や寂しさを忘れさせてくれるのだ。
 僕は基本的に彼らにお金や食べ物をあげないことにしていた。それは何かをあげることで子どもたちの本当の姿が見えなくなるのではないかと恐れたからだ。ときにはお腹を空かせた子どもを前に、自分でも残酷に感じることもあった。しかしそのことが彼らの姿をより深く見せてくれることにもなった。
 マリファナを吸って1時間もお腹が空いたと訴えた子どもがいる。
 空腹を示すために自らの手首を切った子どもがいる。
 プラスティックを集めて稼いだわずかのお金から、僕にご馳走してくれた子どもがいる。
 自分のお金で僕を映画に連れて行ってくれた子どももいる。
 表現の仕方は違っても彼らが求めているものは、彼らのことを心配し彼らのことを想ってくれる人間だったのだと思う。僕がそれにどれだけ応えられたかはよくわからないが、それでも僕なりに彼らのことを想う気持ちは今も持っている。
 
 彼らが現実的に必要としている援助は非常に多い。NGOによる援助で施設の宿舎に住み、食事も保証され、教育を受けるというチャンスもある。しかし、それと同時に彼らは一度知った気ままな自由も手放せない。施設では小遣いももらえないし、外出もできない。施設ではいじめに遭うこともある。聞いてみると、実際にそのため施設を出てきた子どももたくさんいる。彼らは援助の狭間に落ち込んでいるのだ。
 日本で彼らのためにできることといえば寄付を集めて送ることなのだろうが、それより、できることなら一度でも実際に彼らに会って欲しいと思う。そして、彼らも愛されるべき、大切な存在なのだということを伝えてほしい。
 それ以上の贈り物はないように僕は思う。
 そしてきっと、彼らもあなたに素晴しい贈り物を贈ってくれることと思う。