「ワン・サモサ!」
「5ルピー!」 「ハングリー!」 ![]() 「お金があれば俺がみんなに食べ物を買うけど、今日は本当にお金がないんだ。」僕はその言葉に応える代りに彼の財布からインド女優のブロマイドを見つけた。彼のお気に入りの女優だ。彼はその女優の出演した映画の話をし、そこから話はさらに子どもたちの好きなジャッキー・チェンやブルース・リーの話へと進んでいった。 僕はそれまでも度々子どもたちとカンフーごっこをしていた。3〜4人がまとめてかかってくるのに空手チョップやキックで応戦する。そんなとき、想像をはるかに越えて彼らは遊びをわきまえているのに驚かされる。対戦中でも、僕の足元に大きな石が転がっているのを見つけると、すぐ対戦を止めて石を除け、機敏な動きで走りまわりながらもチョップは加減され、キックも僕に当たる直前で止める。さらに僕が疲れてくると、自分たちが眠るときに使う毛布を広場に敷いて休ませてくれる。 しかし今日はそうはいかなかった。ジャッキーの話の後もすぐ「ワン・サモサ!」に戻るのだった。5ルピーのサモサをみんなにひとつずつ欲しいと執拗にいう。中学生くらいの年齢だが掛け算を知らない彼らは、ここにいる仲間の人数が変わるたびに必要な金額を両手を使って懸命に計算するのだが、なかなか正確な金額がでてこない。 そのうち、ずっと足元で静かに眠っていた少年が急に泣き出した。子どもたちはそれを見て空腹で泣いているんだという。 さらにひとりの少年がポケットからカミソリの刃を取りだした。彼らはプラスティックを集めるときの必要から常にカミソリの刃を持っている。 少年は自らの手首にその刃を当てると、止める間もなくサッと横に滑らせた。 傷は浅い。 しかし、じわじわ血が流れてくる。これで空腹を示してお金をもらおうというのだ。僕はとりあえずティッシュで少年の手首を押さえた。お金は渡さない。 少年の手首にはカミソリで切った跡が他に7つもある。 年長の少年が、お金をくれないなら写真を撮らせないと言い始めた。カメラを向けると彼は手を振って拒否するが、その隣で逆にポーズをとる少年もいる。 ここゴーサラでは週1回、午前中に食事の配給が行われる。今日はちょうどその日に当たり、子どもたちはたっぷり食事を取ったはずだった。夕方になって空腹には違いないだろうが、いつもよりはずっとましなはずだ。 しかし今日の彼らはいつもと違う。 お金のために彼らがこれ以上何かをする前に、僕は引き返すことにした。 ![]() 彼らの姿を写真におさめていると、ひとりの少年の足の甲にある小さな切り傷が目に止まった。僕は用意しておいた救急セットから消毒液・傷薬・バンドエイドを取りだし、手当てをはじめた。そうすると、周りにいた子どもたちも次々と傷を見せる。どの子どもも、特に足にひどいケガをしている。プラスティックを探すために素足やゴム草履だけでゴミのなかを歩き、ガラスで切るのだ。 手当てが終わるころ、子どもたちは救急セットのなかに入れていた綿棒を見つけた。数日前、まだ7歳のストリートチルドレンの耳がひどく汚れ、耳ダニがいるのを見て用意したものだ。 彼らの求めに応じて、僕は全員の耳掃除もすることにした。耳を掃除している間、子どもたちはヒザの上に頭を載せ気持ち良さそうに目を閉じている。ひとりひとり丁寧に掃除してゆくと、思わぬことに気付く。顔が黒いと思っていた少年は本当はそんなに黒くない。汚れで黒くなっているだけだ。また、いつも子どもたちの世話をしているモーニゲシだが、耳は奥の方まで一番汚れていた。 全員の手当てと耳掃除を終えた頃には2〜3人を残してほとんどの子どもたちはどこかへ行ってしまった。これだけで3時間ほどかかったようだ。 しかし、今日は誰もお金や食べ物を欲しがらなかった。 ![]() 子どもたちはいつもどこかケガをしていた。ケガをしてもその部分の汚れを洗い流すこともなく、すでに化膿している傷も多い。足首をガラス片で深くえぐるように切った少年は、薬を塗って包帯をしたあとも裸足でプラスティックを探しに行き、バイ菌の温床のように真っ黒になった包帯をそのまま大切に巻いていた。足の親指を中の組織が見えるほど深く切った少年は、いつも手当ての後すぐ走りまわり、しっかり巻いたはずのテープも1〜2時間で取れてしまう。また、包帯を巻いた少年をうらやましがり、夜、眠っている間にそっと包帯をほどいて自分の腕や足に巻く子もいる。 それでも毎日消毒することでほとんどのケガは化膿することなくきれいに治るようになってきた。 手当てをはじめて1ヵ月もした頃、僕は子どもたちが手首を切らなくなったことに気が付いた。もう誰の手首にもカミソリの刃の跡はない。痛みに敏感になり、自分の身体を大切に扱うようになったのだろうか。 できる限り丁寧に手当てをし、彼らに触れることが僕にできるもっとも大切なことのように思えた。それは彼らの周囲にはストリートチルドレンに理解や同情を示す大人はいても、直接彼らの手を握り、彼らに触れる大人がほとんどいないのに気付いたからでもある。 帰国前日、ひとりの少年がやけどの手当てにやってきた。高校生くらいの彼の手には水脹れもなく、触っても痛そうではない。 「大丈夫、そのままでもすぐ治るよ。」 しかし彼は薬を塗ってほしいといってきかない。形だけの手当てを終えると、今度は腕や足のほとんど治った小さな傷を見せる。その程度の傷では他の子どもたちには薬を塗っていない。彼だけ特別扱いするわけにもいかない。押し問答の末、彼はあきらめて帰って行った。 翌日、帰国前にもう一度子どもたちに会いに行った。日が落ちたあと、ふたたび昨日の少年がやってきた。彼は僕の前に来ると腕を見せた。 「しまった!」 左腕に10ヵ所以上、カミソリの刃で切った浅い傷がある。 それも全部、たった今切ったばかりのまだ血も固まっていない傷だ。手当てを受けるためにわざわざ自分で切ったのだ。彼はマリファナも吸ってきたようだ。何故こんなことをしたのか尋ねても彼はきまり悪そうにただ黙っている。 少年の心の深淵にある孤独を見た気がした。 子どもたちに手当てをしていい気になっていた僕は最後に冷や水を浴びせられた。 今はもう、丁寧に彼の腕の手当てをして、ガーゼの上からその腕をそっと押さえ、彼の傷の癒えることを祈るしかなかった。 |
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