大宝元年(701)三月、朝廷の命により還俗させされ、春日倉首(かすがのくらのおびと)の姓、老の名を賜わり、追大壱の位を受ける。この時の法名は弁紀とある。和銅七年(714)正月、従五位下に昇叙される。『懐風藻』に五言詩一首を載せ、「従五位下常陸介春日蔵老」とあり、「年五十二」(卒年)とある。万葉集に八首(「春日歌」「春日蔵歌」を老の作とした場合)。
大宝元年
川のうへのつらつら椿つらつらに見れども飽かず
【通釈】川のほとりに連なり咲く椿の花よ、つらつら見ても飽きはしない。巨勢(こせ)の春野は。
つらつら椿 春の盛りには梢に連なるように咲く。写真はヤブツバキ。 |
【語釈】◇つらつら椿 連なり咲く椿。あるいは連なり生える椿の木とも。題詞に「秋九月」の作とあるので、咲いている花を想像しての詠である。
【補記】坂門人足が持統太上天皇の行幸に従駕して詠んだ「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」の異文として掲載。「巨勢(こせ)」は奈良県御所市古瀬あたり。吉野の手前で、紀伊国への通り路。
派生歌等は坂門人足参照。
三野連入唐する時に、春日蔵首老の作る歌
ありねよし対馬の渡り
【通釈】対馬の渡りの海中に幣を捧げて、早く帰って来なさい。
【語釈】◇三野連(みののむらじ) 続日本紀によれば、名は岡麻呂。◇ありねよし 対馬の枕詞。「在り嶺」の意か。◇対馬の渡り 九州本島から対馬に渡る海路。玄海灘。◇幣取り向けて 航路の安全を祈り、幣を掲げて神に捧げる所作。
春日蔵首老の歌 (二首)
つのさはふ
【通釈】まだ磐余の地も過ぎていない。泊瀬山をいつ越えることができるのだろう。夜はもう更けて行くというのに。
【語釈】◇つのさはふ 磐余の枕詞。◇磐余 奈良県桜井市谷に磐余山口神社がある。◇泊瀬山 奈良県桜井市初瀬の山。初期大和朝廷の所在地であり、聖地と見なされた。磐余の東方。
【通釈】焼津のあたりに私が行ったところ、駿河の阿倍の衢(ちまた)で偶然出逢った子よ、あの子はどうしていることか。
【語釈】◇焼津辺 焼津のあたり。今の静岡県焼津市。倭建命が野を焼いたとの伝承がある。◇阿倍の市道 阿倍は今の静岡市。市道は道が衢(ちまた)になった広場。◇子らはも 「ら」は親愛などの情を示す接尾語で、複数を表わすのではない。「はも」は詠嘆の終助詞。
弁基の歌
真土山夕越え行きて
【通釈】真土山を夕方越えて行って、廬前の隅田川の川原で独り野宿をするのだろうよ。
【語釈】◇真土山 大和と紀伊の境をなす山。待乳峠。◇廬前 和歌山県橋本市隅田町一帯の地。真土山を西に越えたところ。◇角太川 紀ノ川。
【補記】この歌は新勅撰集に弁基法師の作として入集。
【主な派生歌】
都人たのめぬものをまつち山夕こえかねて独りかも寝ん(藤原有家)
誰にかもやどりをとはんまつち山夕こえゆけば逢ふ人もなし(藤原定宗[新千載])
まつち山今朝こえ来れば霧こめて隅田川原は見れどわかぬかも(田安宗武)
あさもよし木人ともしきま土山夕越行けばさをしか啼くも(〃)
旅なればたれかは我をまつち山夕こえ行きて宿をとふとも(本居宣長)
春日蔵の歌
照る月を雲な隠しそ島蔭に吾が船
【通釈】照る月を雲よ隠さないでくれ。私の乗った船を島陰に泊めるのに、暗くて船着場が分からないではないか。
春日の歌
【通釈】三川の淵にも瀬にも残さず掬い網を張っているうちに、袖が濡れてしまった。干してくれる人もいないのに。
【補記】「三川」は不詳。『五代歌枕』は伊勢国、『歌枕名寄』は参河国の歌枕とするが、この歌は近江国関連の歌を五首集めたうちの一首なので、近江国の川であろう。題詞の「春日」は氏の名であろうが、春日蔵首老を指しているかどうかは不明。
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日