藤原道信 ふじわらのみちのぶ 天禄三〜正暦五(972-994)

太政大臣為光の三男。母は一条摂政伊尹女。兄に参議誠信・権大納言斎信、弟に権中納言公信ほか。
寛和二年(986)、摂政兼家の養子として、宮中で元服の儀を受ける。翌年、右兵衛佐。永延二年(988)、左近少将。正暦二年(991)、左近中将・美濃権守。同三年六月、父為光が薨去し、多くの哀傷歌を詠む。同五年正月、従四位下に叙されたが、同年七月十一日、二十三歳で夭折した。藤原実方公任と特に親しく、頻繁に歌の贈答をしている。拾遺集初出。勅撰入集四十八首。家集『道信朝臣集』がある。中古三十六歌仙『時代不同歌合』歌仙。百人一首にも歌を採られている。『大鏡』に「いみじき和歌の上手」とあり、『今昔物語』巻二十四「藤原道信朝臣送父読和歌語第三十八」など多くの説話集にも取り上げられている。

  3首  1首  6首 離別 1首 哀傷 5首 計16首

題しらず

さ夜ふけて風や吹くらむ花の香のにほふここちのそらにするかな(千載23)

【通釈】夜が更けて風が吹いているのだろうか。梅の花の香がにおう気持が、なんとなくすることよ。

【語釈】◇そらに 何となく。確かな根拠はないが当て推量で。

【補記】花そのものは見えず、香だけがするという趣向は梅花詠の常套であるが、「そらにするかな」と言って、室内のほのかな香から、夜空を漂う花の香にまで余情は広がってゆく。『道信集』の詞書は「よぶかくして花の色みせず、といふ心を」とあり、題詠だったと知れる。また同集は第三句「梅の花」。

かへる雁をよめる

ゆきかへる旅に年ふる雁がねはいくその春をよそに見るらむ(後拾遺69)

【通釈】往っては還る旅の中で年を重ねる雁は、どれほど多くの春をよそに眺めることだろうか。

【語釈】◇いくその春 幾つの春。どれほど多くの春。「そ」は「三十(みそ)」などと言う場合の「そ」と同じで「十」の意かという。◇よそに見る 遠く離れたところから見る。自分に無縁なものとして見る。局外者として見る。

【補記】秋に渡来し、春になると帰ってゆく雁を詠む。春の美しい景色を「見捨てて帰る」雁を詠んだ歌は以前もあるが、掲出歌では雁の身になりかわって「春をよそに見る」と詠じたところが優である。家集では初句「ゆきかへり」、結句「空にみるらむ」とある。

【他出】道信集、難後拾遺集、袋草紙

【主な派生歌】
ゆきかへり旅の空には音をぞ泣く雲居の雁をよそに見しかど(藤原定家)

春の暮つ方、実方朝臣のもとにつかはしける

散りのこる花もやあるとうち群れて深山(みやま)がくれを尋ねてしがな(新古167)

【通釈】もしや散り残っている花もあるかと、皆で連れ立って、深山の人目につかないところを探し廻りたいものだ。

【補記】『小大君集』にも道信が実方に贈った歌として載るが、『道信集』には詞書「三月つごもりの日、小一条の中将のもとより」とあり、実方から道信に贈って来た歌になっている。返歌は「まだ散らぬ花もやあると尋ねみむあなかま暫し風に知らすな」。

【他出】道信集、小大君集、後葉集

【主な派生歌】
数ならぬ深山がくれを尋ねてぞ心の末の花も見るべき(*源通光)

九月十五夜、月くまなく侍りけるを、ながめ明かしてよみ侍りける

秋はつる小夜更けがたの月見れば袖ものこらず露ぞおきける(新古486)

【通釈】秋も終りになる夜更けの月を見れば、庭や野原などあたり一面露が降りているが、私の袖も例外でなく露が置いている。

【補記】九月十五夜の満月を眺め明かして詠んだという歌。旧暦九月は晩秋にあたり、その十五夜は秋最後の満月である。それゆえの感傷の涙が「袖ものこらず」露を置いたのだった。

【他出】道信集、時代不同歌合

【主な派生歌】
袖をうすみ露置きとほす心ちして月も身にしむ暁の床(伏見院)

女のもとにつかはしける

あふみにかありといふなる三稜草(みくり)くる人くるしめの筑摩江(つくまえ)の沼(後拾遺644)

【通釈】近江にあるとかいう、三稜草を手繰る筑摩江の沼――なかなか根が見えず人を苦しめるというその水草のように、逢ってくれずに私を苦しめるあなたですよ。

【語釈】◇あふみ 国名「近江」に「逢ふ」あるいは「逢ふ身」の意を掛ける。◇三稜草(みくり) 浅い池や沼に生え、水中を縄のように漂う。◇筑摩江の沼 近江国の歌枕。琵琶湖の東北にあった沼かと言う。滋賀県米原市に筑摩の地名が残る。

【補記】古歌に詠まれた歌枕を言わば呪物として、逢瀬を拒む女に恨みを言った歌。「みくりくる」は同音の「くるしめ」を導く序のはたらきをするが、参考歌に見られるように、三稜草は手繰ってもなかなか根が見えない植物なので、「寝」てくれぬ相手への恨み、また「そこひも知らぬ」苦しみといった多義的な意味を籠めていると思われる。

【他出】道信集、後六々撰、五代集歌枕、歌枕名寄

【参考歌】作者未詳「古今和歌六帖」
つくま江におふるみくりの水ふかみまだねも見ぬに人の恋しき
  藤原伊尹「一条摂政御集」
つくま江のそこひも知らぬみくりをば浅きすぢにや思ひなすらむ

女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける (二首)

かへるさの道やは変はる変はらねどとくるにまどふ今朝のあは雪(後拾遺671)

【通釈】帰り道はいつもと違う道でしょうか、いや同じなのに、今朝は淡雪が融けて行き悩んでおります。貴女が打ち解けた態度を見せて下さったので混乱しています。

【補記】雪の降る日、女の家を辞去してすぐに贈った、後朝(きぬぎぬ)の歌。「とくる」は「(雪が)融ける」「(貴女が)打ち解けた態度をみせてくれる」両義の掛詞。

【他出】道信集、後六々撰、古来風躰抄、定家八代抄
(第四句を「とくるにまよふ」あるいは「とくるはまどふ」とする本もある。)

【主な派生歌】
霞むとて道やは変はる帰る雁たれゆゑまよふ別れなるらむ(今出河院近衛)

 

明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな(後拾遺672)[百]

【通釈】夜が明けてしまえば、いずれ日は暮れるものだと――そして再びあなたと逢えるのだと――分かってはいるのだけれども、やはり恨めしい朝ぼらけであるよ。

【語釈】◇明けぬれば暮るる 夜が明けてしまえば、いずれ日は暮れる。◇朝ぼらけ 夜が明けてまだ物がぼんやり見える頃。恋人たちが別れる時刻。

【補記】後拾遺集では「女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける」という詞書のもとに前歌「かへるさの…」と一括されているが、『道信集』の詞書は「おなじ女のもとよりかへりて」とあるだけで、「かへるさの…」の歌はその後に「女のもとより、雪のふりける朝にかへりて」の詞書を付けて出て来る。後拾遺集の撰者は『道信集』の歌の並びを逆にし、「明けぬれば」の歌をも雪の朝の作とすることで、「朝ぼらけ」の景に艶を添えたのだろう。味なはからいではあるが、単独の歌としても、爽やかな「朝ぼらけ」の景を前にして溢れ出す一途な恋情には人を惹き付けるものがあり、恋人と共に過ごす時の短さを惜しむ切情は、夭折した作者を思う時ひとしお哀婉となろう。

【他出】道信集、後六々撰、定家八代抄、時代不同歌合、八代集秀逸

【主な派生歌】
ありし夜を見はてぬ夢の枕にも猶うらめしき鐘の音かな(源通親[新続古今])
明けぬれば暮るるはやすくしぐるれどなほうらめしき神無月かな(藤原家隆)
おほかたの月もつれなき鐘の音に猶うらめしき在明の空(藤原定家)
秋すぎて猶うらめしき朝ぼらけ空行く雲もうち時雨れつつ(〃)
花の色も暮るるものとはしら雲の嶺のわかれは猶恨みつつ(藤原隆祐)
待ちかぬるさ夜のねざめの床にさへなほうらめしき風の音かな(後鳥羽院)
咲きぬればかつ散る花と知りながら猶うらめしき春の山風(藤原忠家[続後撰])

二月ばかりに人のもとにつかはしける

つれづれと思へばながき春の日にたのむこととはながめをぞする(後拾遺798)

【通釈】気のまぎれることもなく退屈に思って過ごしていますと、春の日がいっそう永く感じられますが、そんな時、あてにできることと言ったら、ぼんやり景色を眺めながら物思いに耽ることばかりです。

【補記】仲春二月、なかなか逢ってくれない恋人に対し、婉曲に恨みを籠めている。

【他出】道信集、定家八代抄

【主な派生歌】
白雲の絶えまにみゆる深山路をたのむこととは打ちながめつつ(寂蓮)

題しらず

須磨のあまの波かけ衣よそにのみきくは我が身になりにけるかな(新古1041)

【通釈】須磨の海人のいつも波で濡れている衣――今まで他人事として聞いていたことが我が身の上のことになってしまい、始終恋に涙してばかりいる。

【語釈】◇須磨 今の兵庫県神戸市須磨区あたり。製塩の地として都人に知られた。◇波かけ衣 波が引っかかる衣。藻塩を焼くため海水を何度も汲み上げるので波に濡れるのである。「なみ」に「涙」の意が響く。

【補記】『道信集』の詞書は「ある人のもとに聞こゆる」とあり、元来は恋人に贈った歌らしい。

【他出】道信集、定家八代抄、歌枕名寄

【参考歌】大網公人主「万葉集」巻三
須磨の海人の塩焼き衣の藤ころも間遠にしあれば未だ着なれず
  よみ人しらず「古今集」
須磨のあまの塩焼き衣をさをあらみ間遠にあれや君が来まさぬ

【主な派生歌】
里のあまの波かけ衣よるさへや月にも秋はもしほたるらむ(蓮生[続後撰])
しほ風の波かけ衣秋をへて月になれたる須磨の浦人(藤原為氏[新後撰])

小弁がもとにまかりたりけるに、人あるけしきなれば帰りてつかはしける

露にだに心おかるな夏萩の下葉の色よそれならずとも(風雅1340)

【通釈】少しでも私に心を隔てないで下さい。夏の萩の下葉の色は露が置いて変わっていますが、それでなくとも。

【語釈】◇小弁 祐子内親王家の女房。紀伊の母。歌人としても名高い。◇露にだに 少しでも。掛詞。◇心おかるな (私に対して)心を隔てないでくれ。◇夏萩の下葉の色 萩は下葉からいち早く色づく。

【補記】恋人の小弁のもとへ行ってみると、先客が来ている様子なので、帰ったあと贈ったという歌。夏萩はおそらく季節のもので、いちはやく色を変えるその葉に寄せて相手の変心を詰った。『道信集』の詞書も風雅集とほぼ同じ。

離別

遠江守為憲、まかり下りけるに、ある所より扇つかはしけるによめる

わかれての四とせの春の春ごとに花の都を思ひおこせよ(後拾遺465)

【通釈】別れて後、任地で過ごす四年間の春の、その春ごとに花の都を思い起して下さい。

【補記】「為憲」は源氏。『本朝文粋』によれば遠江守赴任は正暦二年(991)。道信が「ある所」から扇を贈った際に詠んだ歌。扇(あふぎ)は「逢ふ」ことの願いを籠めての餞別品であった。

【他出】道信集、今昔物語、定家八代抄

哀傷

女のもとにまかりて、月の(あか)く侍りけるに、空のけしき物心細く侍りければよみ侍りける

この世にはすむべきほどや尽きぬらむ世の常ならず物のかなしき(千載1094)

【通釈】現世で心穏やかに過ごせる時間が尽きたのでしょうか。尋常でないほど悲しい気持がします。

【語釈】◇すむ 「住む」に月の「澄む」意を掛ける。◇尽きぬらむ 「尽き」に「月」を掛ける。

【補記】『道信集』の詞書は「月あかき夜、そらすみていとあはれなるに」。『千載集』における詞書の改変は不審。作者の早世を予言する如き歌として、物語的な情趣を添えたものか。

【他出】道信集、定家八代抄

正暦二年、諒闇の春、桜の枝につけて、道信朝臣に遣はしける  実方朝臣

墨染のころもうき世の花ざかり折わすれても折りてけるかな

【通釈】墨染の喪服を皆が着る世の中ですが、花盛りの季節となり、私はそんな折であることも忘れて花の枝を折ってしまいましたよ。

【語釈】◇諒闇の春 円融院の喪。正暦二年(991)二月十二日崩。◇ころも 「衣」「頃も」の掛詞。

返し

あかざりし花をや春も恋ひつらむありし昔を思ひ出でつつ(新古761)

【通釈】いくら眺めても見飽きなかった花を、我々だけでなく春も恋い慕っているのでしょうか。亡き人が健在だった昔を懐かしく思い出しながら。

【語釈】◇あかざりし花 円融院を暗示。◇春も恋ひつらむ 我々だけでなく、春という季節そのものが。世の中すべての人が崩御を惜しんでいるだろう、ということ。

【他出】道信集、実方集、定家八代抄

恒徳公かくれて後、女のもとに、月あかき夜、忍びてまかりてよみ侍りける

ほしもあへぬ衣の闇にくらされて月とも言はずまどひぬるかな(新古808)

【通釈】止まらない涙に衣を乾かすことも出来ない諒闇の頃――悲しみに目の前も真っ暗で、明るい月夜にもかかわらず道に迷ってしまいましたよ。

【語釈】◇ほしもあへぬ (涙に濡れて)乾かすことも出来ぬ。この場合の涙は、父の死を悲しんでの涙。「ほし」は星・干しの掛詞。◇衣 「頃も」の意を掛ける。◇月ともいはず 明るい月夜であるにもかかわらず。

【補記】詞書の「恒徳公」は作者の父藤原為光。正暦三年(992)六月薨。その後、明月の夜、恋人のもとに忍んで通った時に詠んだという歌。

恒徳公の(ぶく)脱ぎ侍るとて

限りあれば今日ぬぎ捨てつ藤衣はてなきものは涙なりけり(拾遺1293)

【通釈】限度があるので、今日喪服を脱ぎ捨ててしまった。果てしもなく続くのは、涙であったよ。

【語釈】◇限りあれば 喪の期間には限りがあるので。◇藤衣 喪服。

【補記】正暦四年(993)、父の一周忌に詠まれた歌。限りあるものとしての服喪期間、限りないものとしての落涙を対比して、極まりない哀傷を歌い上げた。『道信集』の詞書は「ことのの御ぶくぬぎしひ、大僧都のもとに」。

【他出】道信集、小大君集、後十五番歌合、拾遺抄、深窓秘抄、玄々集、今昔物語、後六々撰、古本説話集、宝物集、古来風躰抄、定家十体(事可然様)、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合、三五記

朝顔の花を、人の許につかはすとて

朝顔を何はかなしと思ひけむ人をも花はさこそ見るらめ(拾遺1283)

【通釈】朝顔の花をどうして果敢ないなどと思ったのだろう。人のことだって、花は果敢ないと見ているだろうに。

【補記】朝顔の花は早朝咲いて陽が高くなると萎んでしまうので、はかないものの譬えとされた。夭折した作者の人生に重ね合わされ鑑賞されてきた歌である。『道信集』の詞書は「殿上にてこれかれ世のはかなきことを言ひて、朝顔の花みるといふところを」とあり、『公任集』には「女院にて、朝顔を見給ひて」との前書がある。この「女院」は円融天皇中宮、兼家女詮子(東三条院)。

【他出】道信集、拾遺抄、和漢朗詠集、玄々集、今昔物語、後六々撰、古来風躰抄

【主な派生歌】
はかなしと月や見るらむ昔よりかはらぬ空にかはりゆく世を(*大国隆正)


更新日:平成16年07月24日
最終更新日:平成21年02月18日