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X1/9の資料 > X1/9の歴史


その歴史[基本編]

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 X1/9の起源は、1969年のベルトーネ作「アウトビアンキ・ラナバウト・バルケッタ」(トリノショウ発表)に遡る。当時ベルトーネでチーフデザイナーを担当したマルチェロ・ガンディーニによるスタイリングは、ショーカーの域を越えないフルオープンの2シーターミドッシプというものだった。FIATではなくAutobianchiというブランド名からも、それまでのFIAT社の例にもれず世間の反応を見るといった、いわばテスト的プロトカーだったことがうかがえる。しかし、 ガンディーニが描いたデザイン画を当時のフィアット社長、ジャンニ・アニエッリはいたく気に入り「もうなにも手を加えるな。このままで行け’と指示したという。

 FIAT初のミッドエンジン車は FIAT128から多くのパーツを共有することで世界初の量産ミドシップスポーツを実現し、世界中のカーマニアの注目を集めた。ロータスヨーロッパやポルシェ914に比べるとミドシップ高性能スポーツとして明らかに安い車だった。しかし当時日本輸入販売代理店をつとめたロイヤルモータースはその販売価格を189万円と発表。クラウンが180万円の時代に、日本ではまだまだ高価なスポーツカーであった。

 大衆車からの共通パーツをふんだんに使った量産車だが、1972年当時としては現代の車にひけをとらないほどの先進的技術を採用していた。あとからデビューするポンティアックフィエロ、トヨタMR2が、開発の手本としてX1/9を研究したことはあまりにも有名。 たとえばブレーキはこの時代にして4輪ともディスク式。そしてもちろん油圧式だが、加えてクラッチも油圧である。サスペンションは前後ともマクファーソンストラットの独立。特に後輪はワイドベースのウィッシュボーンでリアホイールを支え、車のアクシスに平行というよりはむしろセミトレーリングアームに近い動きをとる。さらにウィッシュボーンのボディ側ピボット軸は前後で同一線上になく,車輪が上へ持ち上げられるにしたがって、ピボットはねじられ、動きは重く硬くなるしくみだ。理論上、とうてい動きがとれそうにないメカニズムを、ゴムブッシュで逃がしているわけだが、現代のシャーシ設計では考えられないつくり。イタリア人のいいかげんさは、ときに卓越した創造物を生む。

 またリアサスペンションにもトウコントロールを可能とするコントロールアームを与えたことは、このような量産スポーツカーとしては初めてといってよいだろう。エンジンでは、ピストンとコンロッドにフルフローティング方式、現在の高出力エンジンではあたりまえだが当時としては贅沢。放熱性を考えたアルミ製オイルパン、シリンダーヘッドもアルミ、オイルパンにはオイルの片寄を防ぐためのバッフルプレートまで付いている。この非凡な構成パーツからして設計者のスポーツカーを究めたい気持ちが伝わってくるといえよう。すべてにおいて当時としては洗練された車だった。現代のヘタなスポーツカーよりもしっかりしていることは、カーセンサーの記事でも十分わかる。

 1972年11月26日(23日)。X1/9が全世界へ向けてデビューを飾った日である。なぜトリノショーで発表しなかったか? その年のトリノショーのFIATのニューカーは126と130だった。126は、ながいあいだイタリアの交通事情にマッチし国民に愛された500(チンクエチェント)の後継車となるべき重要な車、130にしてもより高いグレードを要求する人のための、大衆サルーン車であり、販売収益を第一とするFIATにしてみれば、小型スポーツカーよりはずっと大事な車たちだったのだ。見方をかえればX1/9に注目がいきすぎて126、130が売れなくなるのを恐れたのだ。

 発表当時の、各国でのエピソードを少し...

 イタリアでは180万リラとされたその値段が128クーペの145万リラなどと比べると安いと錯覚する設定だった。実際に安かったといえるだろう。フィアット広報が報じたシシリー島タルガフロリオコースでの耐久テストデモは、フロントはグチャグチャなれど、室内空間にはほとんどダメージを受けていないという素晴しい結果だった。

 右ハンドルを待ちに待っていたイギリスでは、待ちきれなくなったレーシングチューナーRadbourneRacingが1974年から輸入して独自に右ハンドル仕様への改造を施し、その他オプションを付けて販売する。販売価格は2,800ポンド!(約400万リラ!)それでも売れた。

 アメリカではAuto誌記者PeterWindsor氏のコメント“A baby Ferrari!”のたった3語がすべてを語っているとも言えるだろう。

 アメリカ、日本では厳しい排気ガス規制、または安全規制によって、オリジナルとはかけはなれて低いスペック、パフォーマンスとなっているが、本来はWRCラリーへの参戦をも考えたベース車になりうる車なのである。ボディーやサスペンションに大きな変更を加えることなくラリーカーになれる資質は市販車ベースとは言え、並みではない。その開発期間が例外的に長いことは、このような完成度の高いミドシップスポーツとして当然のことかもしれない。

1998. 6.19 Uproad 2006. 3.28 Modified

 


1969 Autobianchi Runabout Barchetta(東京モーターショー)
モーターマガジン1977.9号より

 


1972 FIAT X1/9 本国仕様(出典不明)
'73-'74モデルのボディ色は赤、青、黄、ライトグリーン、緑、白の6色

 


1977 FIAT X1/9 Serie Speciale 本国仕様
1978年の乗用車 CARGRAPHIC別冊より
Serie Specialeから新たにオレンジメタリック、ブルーメタリック、グリーンメタリック、シルバー、ゴールドが加わる。

 


1978 FIAT X1/9 1500 本国仕様
FIAT社カタログより

 


1982 BERTONE X1/9 IN 本国仕様
A Collector's Guide Phil Ward著 より

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