K156. 里地里山の気温分布


著者:近藤純正・野口賢次・山崎慶太
里地里山の一つである神奈川県秦野市千村の谷間「谷戸」は日照が少なく 湿地で複雑な地形・土地利用形態にある。この谷戸の周辺に高精度気温計を 配置して、気温の特徴を調べた。

平坦地や丘に比べると、谷戸は周囲の森林からの冷気と放射冷却の影響により、 平均気温は0.8℃ほど低温である。 晴天日中はこの傾向が顕著に現れ正午前後は1℃ないしそれ以上の低温となる。

湧水のある林内の谷間・窪地の湿地は、土壌水分が多いため林床下の熱慣性が大きく、 日中の気温上昇は抑制され、さらに側斜面の森林からの冷気が溜まりやすく、 平坦地や丘に比べて晴天日中は3.5℃前後も低温である。 (完成:2017年10月10日)

本ホームページに掲載の内容は著作物である。 内容(新しい結果や方法、アイデアなど)の参考・利用 に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを明記のこと。

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更新の記録
2017年9月18日:素案の作成、156.4節の「8月の気温日変化の特徴」まで
2017年10月7日:「9月の気温日変化の特徴」を追記
2017年10月10日:林床上の日射量透過率を追記(図156.2の後へ)

    目次
        156.1 はじめに
        156.2 観測 
             気温計、観測点の配置
             林内の日射透過率
        156.3 丘の観測点と小田原アメダスの比較
        156.4 月平均の気温日変化
            (1)8月の気温日変化の特徴
            (2)9月の気温日変化の特徴
             (3) 気温差の分布
        まとめ
        参考文献 
        付録(各地点の気温差一覧表)            


研究協力者(敬称略)
千村ネイチャ―倶楽部:尾崎文隆、大森哲男


156.1 はしめに

里地里山は農林業と暮らしの場であり、そこには森林、農地、湧水、ため池、 水路などさまざまな土地利用形態がある。

神奈川県秦野市千村には日立ITエコ実験村がある。ここは森林が近接する 谷間で湧水のある湿地状態、関東地方では「谷戸」と呼ばれ、台地が浸食 されて形成された谷状地形である。この実験村は、人間の暮らしを支えて いる里山の自然をITと人のちからで再生・保全することを目指して2011年4月 に開設され、土・水・大気環境と生き物に関する調査が行われている。

湧水温度の研究と関連して千村の谷戸(標高=187m)で2016年7月から 1年間にわたり気温の連続観測を行い小田原アメダス(標高=14m)と 比較してみると、気温差の年平均値は-1.80℃(月ごとの平均値では -1.4℃~-2.2℃)で、孤立峰などで成立する気温の高度減率 (-0.0065℃/m)を仮定したときの気温差-1.12℃よりも千村は 年平均値で0.68℃(月ごとの平均値で0.3℃~1.1℃)も低温である (近藤・内藤、2017;「K151.神奈川県秦野盆地の気温 (年変化)」

千村の気温が標高の割に低温であるのは、北向き谷地形にあり日照時間が短い こと、湿地ぎみであること、周囲に森林があり斜面冷気流の影響を受けること が考えられる。

「水環境の気象学」(近藤、1994)の6.5節~6.7節に説明されているように、 湿地であることは、地表面の蒸発効率(β=0~1)が大きいことであり、 地表面温度が1日を通じて平均的に低温になる。日照時間が短いことは地表面 に入射する放射エネルギーが小さいことであり、地表面温度は同様に低温になり、 その直上の気温も低温となる。

盆地・谷地形では夜間に冷気が溜まった冷気湖が形成される。これまで冷気湖 の形成過程や平坦地の林内の気温の特徴について研究が行われてきた。 盆地・谷地形については近藤(2000)に、林内気温の特徴は近藤・菅原・内藤 (2017)にまとめられている。

冷気湖形成と放射冷却の理論は「水環境の気象学」(近藤、1994)に掲載され ており、地表土壌層の熱伝導率、風速、斜面傾斜・スケールなどの関数で 表される。

林内の林床では、下向き大気放射量に相当する放射は樹木の枝・葉の温度が 放つ黒体放射量に近く、林床の放射冷却は微弱であるが、樹冠層の葉面で 冷却された空気隗が林床へ降りてきて下層ほど低温な層が形成される。

植生密度が密な平坦地の森林内における気温は、日中も夜間も下層ほど 低温である。また高度1.5mの林内気温は林外に比べて昼夜ともに1℃程度 の低温である(近藤ほか、2017;「K141.自然教育園 の林内気温の特徴」)。

傾斜した森林内の気温も、ほぼ同様に低温と考えられる。しかし傾斜地では 冷気に働く重力により冷気流が標高の低い谷間へ流れることになる。

従来の多くの研究では、地形が比較的に単純な場合について取り扱われてきた。 本研究で対象とする複雑な地形・地被の「谷戸」についての研究は観測の 面からも難しく定量的な結果、正確な観測例は見当たらない。

本研究の目的は、谷戸の気温の特徴を高精度気温計による観測から 明らかにすることである。本研究に先立って行われた準備研究によって、 次のことがわかってきた(近藤・野口・山崎、2017; 「K154.谷地形の冷気流に関連する気温分布、準備研究」 )。

(1)谷間の「谷戸」では、周辺の森林からの冷気流と、日中の川下から吹き 上げてくる暖気流が影響し、丘に比べて谷間の高度2m以下は昼夜にかかわらず 周辺に比べて低温である。

(2)谷間の中央部では、晴天日中は高度とともに気温が低くなる、いわゆる 「大気不安定時の気温鉛直分布」は高度2m付近までの範囲内で成立する。

(3)水田に隣接する林内斜面の下部に日差しが当たる時間帯(東側斜面では 正午過ぎ、西側斜面では正午前)の林内斜面は下層ほど高温で斜面上昇流が、 夕刻から朝にかけての時間帯は、逆に、下層ほど低温で斜面下降風が生じて いることになる。

斜面上昇・下降風が生じるのは水田に隣接するごく狭い範囲であると考えられる。 谷戸周辺は密な森林からなり風通りは悪く、奥では気温鉛直分布は下層ほど 低温、したがって林床上は昼夜とも微弱な斜面下降風の状態にあると考え られる。

(4)平坦地と比べて日照時間が短い谷間では、日の出後の気温上昇が遅れ、 その結果、丘に比べて低温となる。


156.2 観測

図156.1は観測点と周辺をドローンで撮影した写真である。赤矢印と記号は 気温計の設置場所を示す。上図は下図のV5付近の上空から撮影した対象地域 の南半分、下図はその北側の写真である。方位の北は通常の地図と逆で、 上が南方向である。

ドローン写真
図156.1 秦野市千村の観測点周辺のドローン写真(撮影:2017年9月9日、 ネイチャーシネプロ代表・吉田嗣郎)。
赤矢印と記号:気温計の位置
上:日立ITエコ実験村、若竹の泉付近(V5)付近から南南東方向を撮影、 日立エコ実験村は南南西方向に見える。V2はエコ実験村中央の百葉箱脇 である。
下:上図の北側の写真、上図の西南西に位置するエリア(V4、V5)を含む。


気温計
一般に用いられている気温計の精度は悪く、自然通風式(非通風式)気温計に 及ぼす放射影響は大きく日中は微風のとき最大5℃ほどの誤差がある。 気象庁や農業環境技術研究所などで公式観測されている通風式気温計 (強制通風式気温計)でも日中は0.3~0.4℃ほどの放射影響の誤差を含む (近藤、2015;「K99.通風筒」の放射影響 (気象庁95型、農環研09S型」)。

本研究では放射影響の誤差を含む精度として±0.02℃の近藤式精密通風式 気温計(高精度検定済み)を用いる(近藤、2016; 「K126.高精度通風式気温計の市販化」)。

ただし、日射量が微弱な林内4か所の観測点では自然通風式(非通風式)気温計 を設置し、さらに、木漏れ日を防ぐために支柱に日傘を取り付けて観測する。

自然通風式気温計のセンサは高精度通風式気温計を基準とした比較検定に 基づいて気温の指示値を校正する。

記録の時間間隔
気温の記録は10分間隔である。

観測点の配置
本研究に先立って行った準備研究により定めた気温計の配置は以下の通りである。 各観測点標高と、谷間の中央(V2:百葉箱脇)との標高差をカッコ内に示す。

丘の観測点
(H1)丘畑地・・・・標高=189.8m(+2.8m)、センサK9:基準点の北東170m
(H2)道路脇・・・・標高=187.8m(+0.8m)、センサK4:基準点の北44m

谷沿いの観測点
(V1)水田上端・・・標高=190.0m( +3.0m)、センサY1:基準点の南南西70m
(V2)百葉箱脇・・・標高=187.0m( ±0.0m)、センサK7:基準点
(V3)水田下端・・・標高=184.4m( -2.6m)、センサK8:基準点の北東45m
(V4)下段水田・・・標高=181.4m( -5.6m)、センサK15:基準点の北北東100m
(V5)若竹泉北・・・標高=180.0m( -7.0m)、センサK16:基準点の北270m

林内の観測点(自然通風式気温計+日傘)
(F1)東斜面尾根・・標高=207.0m(+20.0m)、センサ17-010:基準点の南東76m
(F2)湧水源の脇・・標高=198.0m(+11.0m)、センサ17-011:基準点の南南西100m
(F3)東斜面中腹・・標高=193.6m( +6.6m)、センサTKNK-01:基準点の南東40m
(F4)動物観察点・・標高=182.2m( -4.8m)、センサS5:基準点の北100m

図156.2は観測点の配置図、通常と同じく北方向を上に示してある。標高が高く 等高線が密な部分は森林であり、等高線は内挿で描かれているとみなされ、 正確でないことに注意のこと。

気温計配置図
図156.2 気温観測点の配置図(秦野市役所提供の白地図に加筆)。
H:丘など冷気の溜まりにくい観測点
V:谷沿いの観測点
F:林内の観測点


林内の日射透過率
F2は湧水の水源、F4は傾斜の緩い平坦に近い窪地で湧水があり、両地点とも 風通しの悪い密な林内である。

快晴の2017年10月10日の太陽南中時前後の10:40-11:50 の時間帯に専用の 林内日射計を用いて林内の日射透過率を観測した (「K112.太陽光パネルを利用した林内日射計」「K113. 林内の日射量と木漏れ日率の測定」)。

結果は次の通りである。
日射量透過率=5.2%・・・F2(湧水の水源)
日射量透過率=2.2%・・・F4(動物観察点)

両地点とも、林床には僅かな日射量しか届かない密な森林である。


156.3 丘の観測点と小田原アメダスの比較

小田原アメダスは酒匂川流域下水道右岸処理場の平坦地に設置されており、 観測環境はアメダスとしては良いほうで地域を代表する観測点と考えられる。 また、千村の丘(H1)は、周辺の地形などから、本研究で対象としている千村 を代表する基準点とみなされる。そこで最初に、丘(H1)と小田原アメダスの 関係を調べておこう。

8月1日~31日の月平均気温について、丘(H1)の気温=24.97℃、小田原 アメダスの気温=26.15℃、気温差=-1.18℃である。標高差=189.8m-14m =175.8mであり、気温の高度減率(-0.0065℃/m)を仮定したときの気温差 (-1.14℃)にほぼ等しい。

9月1日~30日の月平均気温について、丘(H1)の気温=21.00℃、小田原 アメダスの気温=22.32℃、気温差=-1.32℃である。この気温差は 気温の高度減率を仮定したときの気温差より0.18℃ほど大きい。

図156.3と図156.4は、それぞれ8月と9月における日々の日照時間と風速(下図) と丘・アメダスの気温差の連続データである。 小田原アメダスと千村の間には標高200~300mの丘陵地があり、両地点間は 約10km離れており各時刻の気温差は最小・最大値で-4℃~+2℃ もある。しかし気温差の月平均値については上記の通り、標高差から 予想される値と大きく違わない。

丘とアメダス比較8月
図156.3 丘と小田原アメダスの気温差など(8月)。
上:丘の気温と小田原アメダスの気温の差(前後各1時間移動平均値)
下:小田原アメダスにおける風速と日照時間(前後各1時間移動平均値)


丘とアメダス比較9月
図156.4 丘と小田原アメダスの気温差など(9月)。
上:丘の気温と小田原アメダスの気温の差(前後各1時間移動平均値)
下:小田原アメダスにおける風速と日照時間(前後各1時間移動平均値)


156.4 月平均の気温日変化

気温計の配置がほぼそろった期間について、月平均の気温日変化を調べた。 全期間と、気温の特徴が顕著に現れる晴天日の2つに分けて図示する。 ここに晴天日とは、小田原アメダスの日照時間が8時間以上の日とする。

(1)8月の気温日変化の特徴
図156.5は月平均の気温日変化、図156.6は晴天日に限った月平均の気温日変化 である。各上図は丘を基準とした林内4か所の気温差、中図は谷沿い5か所の 気温差、下図は丘の基準点(H1)の気温日変化である。

図156.5から次のことがわかる。
夜間の気温差について、林内(上図)では±0.5℃以内の範囲内、谷沿い (中図)では百葉箱脇(V2)は-0.7~-0.8℃の低温であるが他は±0.5℃以内 の範囲内にある。

日中の正午前後について、林内(上図)では-1~-2℃、谷沿いの水田上端と 百用箱脇(V1とV2)は-1℃前後である。しかし、下段水田と若竹の泉北 (V4とV5)はゼロに近い、つまり丘の気温にほぼ等しい。

8月の月平均の気温日変化
図156.5 月平均の気温日変化(8月)、ただし10日~31日の平均
上:丘(H1)を基準とした林内の気温差の日変化
中:丘(H1)を基準とした谷沿いの気温差の日変化
下:丘(H1)の気温日変化


つぎに、気温の特徴が顕著に現れる晴天日の図156.6から次のことがわかる。
(1)尾根状地形にある林内高台(F1)では、夜間の冷気は流出しやすく 基準点の丘(H1)よりも+0.5~+1℃ほど高温である。日中の正午前後の 気温差は-2℃ほどに低くなるが、1日を通して林内ではもっとも高温である。

(2)湧水がある林内水源(F2)と動物観察エリア(F4)では、林床は土壌水分が 多いため体積熱容量(比熱×密度)と熱伝導率が大きく、日中の温度上昇は鈍く 林床上の気温上昇が抑制され、その結果、気温差はマイナスの大きな値となる。

この性質は、すでに平坦地の林内でも見出されており、大雨後の晴天日の林内 気温は特に低くなる。詳細は近藤ほか(2016)の図15; 「K125.自然教育園の林内気温、3月~10月」の 図15に示されている。また、新宿御苑その他の森林で行った密な森林から疎な 森林までを含む木漏れ日率(または林内の日射透過率=林内日射量 / 林外日射量) と気温差の関係において、大雨後の晴天日の気温差が通常に比べて1℃ほど低く なり気温差は-2℃程度になることが近藤ほか(2017)の図1 (「K141.自然教育園の林内気温の特徴」の図1) に示されている。

-2℃よりもF2とF4は低温で気温差が-3℃前後となっているのは、 谷・窪地状地形にあり冷気が溜まりやすいと考えられる。平坦地であっても 窪地の気温差はマイナス側にずれることが近藤ほか(2017)の図1の三角印で 示されている(「K141.自然教育園の林内気温の特徴」 の図1の三角印)。

晴天日8月の気温日変化
図156.6 晴天日の月平均の気温日変化(8月)、ただし10日~31日の平均
上:丘(H1)を基準とした林内の気温差の日変化
中:丘(H1)を基準とした谷沿いの気温差の日変化
下:丘(H1)の気温日変化


(3)谷沿いの地点に関して、夜間は水田上端(V1)を例外とすれば、丘(H1) を基準とする気温差は-0.5℃~-1℃にある。

水田上端(V1)の気温差は+1℃前後で高温であるが、その理由として、近くに 樹木が多く天空の見える割合が小さいため夜間の放射冷却が開けた開放空間に 比べて弱いことが考えられる。

(4)日中の正午前後の時間帯について、水田上端(V1)がもっとも低温である 理由として、林内からの冷気の流入口であること、谷沿いの観測地点では 日照率が最少であることが考えられる。

谷に沿ってV1、V2、V3、V4、V5の順番に、正午前後の時間帯の気温差が マイナスからプラスへ、つまり低温の度合いが小さくなっている。最下端の 若竹の泉北(V5)での気温差はほぼゼロである。

(5)若竹の泉北は、周辺が開けていて日中の風通しがよく(空間広さが大きく)、 日中の気温差はほぼゼロ、丘の基準点と同様に地域の気温を代表する地点 である。しかし、丘に比べて周辺が窪地状のため、風の弱い夜間は冷気が 溜まりやすく、夜間の気温差は-0.5℃前後になっている。

図156.6の下図において、日の出前後4~6時の時間帯に気温が一時的に低温 となっているのは、風が一時的に止む「朝なぎ」の状態となり放射冷却が 強まることで生じたと考えられる。夜間の放射冷却は風が急に強くなると 弱まり気温は上昇するのに対し、逆に風が弱まると気温が急下降する (「身近な気象」の「2.放射冷却と盆地 冷却」の図2.3を参照)。

この低温のあと、日射しが当たるようになり気温は急上昇している。


(2)9月の気温日変化の特徴
図156.7は9月の気温日変化である。

9月は前記の8月と比べると、気温日較差(下図)が大きくなり、基準点(丘) との気温差の日変化変動幅も大きくなっていることがわかる。

図156.8は晴天日について示したものである。林内の気温差(上図)について、 8月の傾向と似ている。大きく異なるのは水田上端(緑破線)であり、 夜間の気温差は8月にプラスであったのが9月は小さなマイナスの値である。

9月の月平均の気温日変化
図156.7 月平均の気温日変化(9月)、ただし13日~30日の平均
上:丘(H1)を基準とした林内の気温差の日変化
中:丘(H1)を基準とした谷沿いの気温差の日変化
下:丘(H1)の気温日変化


晴天日9月の気温日変化
図156.8 晴天日の月平均の気温日変化(9月)、ただし13日~30日の平均
上:丘(H1)を基準とした林内の気温差の日変化
中:丘(H1)を基準とした谷沿いの気温差の日変化
下:丘(H1)の気温日変化


月平均値の図156.7と晴天日の図156.8を比較してみよう。
(1)各下図に示す基準点の丘の気温(地域を代表する気温)について、 晴天日は1日を通して全体が月平均値よりも高温であることがわかる。 晴天日は地表面に日射量が多く入り気温が1日を通して高温となる。 特に日中の気温が高くなる。

(2)各上図(林内)を比較すると、晴天日の日中は気温差がマイナス側に 0.5~1℃ほど低温になっている。この図は基準点の丘の気温(地域を代表 する気温)との気温差であるので、晴天日は雨天日に比べて、地域の代表気温 との差が大きくなることを表している。

(3)各中図の緑線は盆地状地形の谷戸の気温差であり、晴天日の日中が 低温、特に水田上端(緑破線)が低温である。水田上端は気温の低い林内 水源に近く、その冷気の影響によると考えられる。

もう一つの特徴は、12時の比べて9時前後と15~16時ころ低温になっている ことである。9月は、8月(図156.6)に比べて、この特徴が顕著になっている のは、日中の太陽高度が低くなり、北向き斜面にある谷戸は日照時間が短く 日陰が多くなることによると考えられる。

(3) 気温差の分布
気温差の分布のにデータは付録に示してある。
気温計の全地点配置が完了した9月分(9月13日~30日)について、 月平均値(図156.9)と日最低気温が生じやい2時~5時月平均(図156.10)と、 日最高気温が生じやすい11時~14時平均(図156.11)を調べてみよう。 各左図は月平均値、各右図は晴天日(小田原アメダスの 日照時間>8時間)の平均値である。

青色塗りは、気温差が相対的にマイナスの大きい(基準点に比べて気温が 低めの)範囲、赤塗りは、気温差が相対的にプラスの大きい(基準点に 比べて気温が高めの)範囲である。基準点は丘畑地(H1)で見晴らしが良く、 地域を代表する気温が観測される地点である。

図156.9(月平均値)によれば、相対的に低温域は林内の谷間と そのすぐ下流に広がっている。

特に注目すべきは、図の中央部やや左寄りに示される F4地点(動物観察点) である。 ここは傾斜の緩い風通りの悪い林内で、湧水があり地面は湿地状態にある。 そのため、日中の日射がほとんど入らず、地表面温度は低温である。 この低温は、以後の図にも現れるもので、夜間も日中も低温である。

気温分布図9月平均
図156.9 気温差の水平分布図、2017年9月(日平均)。
左:月平均
右:晴天日平均


つぎに、図156.10は日の出前の2時~5時の気温差の分布である。相対的に高温 範囲が標高の高い F1地点(林内斜面の尾根)の周辺にある。それに対して 相対的に低温範囲が谷合の底部を流れるように分布している。

これは盆地・谷合地形における夜間の放射冷却の特徴である (Kondo et al. 1989;)。

標高の高い林内は盆地冷却に対して高所であり、さらに樹冠によって天空が ほとんど見えない(天空率が小さい)ことにより、夜間の放射冷却が 小さくなっている。

谷合の底部は天空率率が大きく夜間の放射冷却が大きい。

しかし、谷合の林に近い所、例えば水田上端(V1地点)は林の近くで 天空率が小さく、放射冷却は弱く気温差はゼロ前後になっている。 天空率と放射冷却の大きさの関係は近藤(1982)に示されており、 全方位平均したとき高度が30°以上の遮蔽物(地形、建築物、樹木)があると、 天空遮蔽率は20%以上となり、放射冷却は弱くなる。

青色塗りの低温域は、図の上部域で無くなっていて、若竹の泉北 (V5地点)の気温差はー0.16℃でゼロに近い。この付近は風通りが 良く、冷気は溜まらないことを表している。

気温分布図9月平均
図156.10 気温差の水平分布図、2017年9月(2~5時平均)。
左:月平均
右:晴天日平均


最後に、正午前後の図156.11を見ると、次の特徴がある。
(1)動物観察点(F4:図の中央左寄り)は、風通りの悪い林内湿地のため 日中も低温である。
(2)林内(図の下方と左方)は日射がほとんど入らないために低温である。
(3)谷間の上部域(水田上端:V1と百葉箱脇:V2)が低温であるのは、 林内からの斜面冷気流によるものと考えられる。さらに、この付近の 地表面は湿地ぎみで日中の温度上昇が抑制される。

左・右の図は同じ傾向を示すので、晴天日の右図から見てみよう。谷合を 下るにしたがって水田上端から下段水田(V1,V2,V3、V4の順)に、 気温差はー2.03℃、-0.95℃、-0.42℃、+0.02℃としだいにゼロに近づいて いる。

この傾向は、下流から谷風が吹き上げてくることによって下流ほどマイナスの 気温差が小さくなると考えられる。

谷間(たとえば百葉箱脇:V2)の低温は、地表面に近い大気層内であり、 高度3mの気温は正午前後を除けば、高度1.5mの気温よりも高温である ことはすでに準備観測の図154.7で示した(近藤・野口・山崎、2017)。

気温分布図9月平均
図156.11 気温差の水平分布図、2017年9月(11~14時平均)。
左:月平均
右:晴天日平均


まとめ

神奈川県秦野市千村の谷間「谷戸」は日照が少なく、湿地で複雑な地形・土地 利用形態にある。そのため、標高の割に低温である。 この谷戸の周辺に高精度気温計を配置して、気温の特徴を詳しく調べた。

平坦地や丘に比べると、谷戸は周囲の森林からの冷気と放射冷却の影響により、 平均気温は0.8℃ほど低温である。晴天日中はこの傾向が顕著に現れ正午前後 は1℃ないしそれ以上の低温となる。

湧水のある林内の谷間・窪地の湿地は林床下の熱慣性が大きく、 日中の気温上昇は抑制され、さらに側斜面の森林からの冷気が溜まり やすく、平坦地や丘に比べて晴天日中は3.5℃前後も低温である。

気温差分布の図156.9~156.11から次の特徴がわかる。

(1)月平均値(図156.9)について、相対的に低温域は林内の谷間と そのすぐ下流に広がっている。

注目すべきは、 F4地点(動物観察点)は傾斜の緩い平坦地に近く 風通りの悪い林内で、湧水があり地面は湿地状態にある。そのため、 日中の日射がほとんど入らず、正午前後の日射量の透過率=2.2%のため、 気温は夜間も日中も低温である。

(2)日の出前の2時~5時の気温差の分布(図156.10)について、 相対的に高温範囲が標高の高い F1地点(林内の尾根)の周辺にある。 それに対して相対的に低温範囲が谷合の底部を流れるように分布している。 これは盆地・谷合地形における夜間の放射冷却の特徴である。

標高の高い林内は高所であり、さらに樹冠によって天空がほとんど見えない (天空率が小さい)ことにより、夜間の放射冷却が小さい。これに対して、 谷合の底部は天空率率が大きく夜間の放射冷却が大きい。

(3)正午前後の気温差の分布(図156.11)によれば、 動物観察点(F4:図の中央左寄り)と同様に、南方の湧水源周辺の林内(F2) は日射がほとんど入らず、正午前後の日射量の透過率=5.2%のために 低温である。

(4)正午前後の時間帯でも、谷間の上部域(水田上端V1地点と百葉箱脇V2 地点)が低温であるのは、林内からの斜面冷気流の影響と、 地表面が湿地ぎみであることにより日中の温度上昇が抑制される。

この低温傾向は、下流から谷風が吹き上げてくることによって下流ほど 弱まり、若竹の泉に近づくと気温差はゼロないし、小さなプラス値となる。


参考文献

近藤純正、1982:複雑地形における夜間冷却ー研究の指針.天気、29, 935-949.

近藤純正(編著)、1994:水環境の気象学-地表面の水収支・熱収支. 朝倉書店、pp.350.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学―理解と応用.東京大学出版会、 pp.324.

近藤純正、2014:K98 自然通風式シェルターに及ぼす放射影響の誤差.
 http://www.asahi-net.or.jp/~kondu/kenkyu/ke98.html(2017年10月10日閲覧).

近藤純正、2015:K99 通風筒の放射誤差(気象庁型、農環研09S型).
 http://www.asahi-net.or.jp/~kondu/kenkyu/ke99.html(2017年10月10日閲覧).

近藤純正、2015:K112.太陽光パネルを利用した林内日射計.
 http://www.asahi-net.or.jp/~kondu/kenkyu/ke112.html(2017年10月10日閲覧).

近藤純正・内藤玄一:113. 林内の日射量と木漏れ日率の測定.
 http://www.asahi-net.or.jp/~kondu/kenkyu/ke113.html(2017年10月10日閲覧).

近藤純正、2016:K126 高精度通風式気温計の市販化.
 http://www.asahi-net.or.jp/~kondu/kenkyu/ke126.html(2017年10月10日閲覧).

Kondo, J., T.Kuwagata, and S. Haginoya,1989: Heat budget analysis of nocturnal cooling and daytime heating in a basin. J. Atmos.Sci., 46, 2917-2933.

近藤純正・内藤玄一、2017:K151 神奈川県秦野盆地の気温(年変化).
 http://www.asahi-net.or.jp/~kondu/kenkyu/ke151.html(2017年10月10日閲覧).

近藤純正・野口賢次・山崎慶太、2017:K154 谷地形の冷気流に関連する気温分布、 準備研究.
http://www.asahi-net.or.jp/~kondu/kenkyu/ke154.html(2017年10月10日閲覧).

近藤純正・菅原広史・内藤玄一・萩原信介、2016:自然教育園の林内気温の特徴. 自然教育園報告、第47号、1-22.

近藤純正・菅原広史・内藤玄一、2017:自然教育園の林内気温の特徴. 自然教育園報告、第48号、1-15.


付録(各地点の気温差一覧表)

気温日変化における月平均気温差(日平均値、2~5時平均値、11~14時平均値) の一覧を付表156.1に、また晴天日平均の気温差(日平均値、2~5時平均値、 11~14時平均値)を一覧を付表156.2にまとめた。 2~5時平均値は毎日の最低気温の起きるころ、11~14時は 毎日の最高気温の起きるころの時間帯である。


付表156.1 気温日変化の基準点気温と気温差、月平均
ただし8月は10日~31日の平均、9月は13日~30日の平均である。
気温差一覧表、月平均

付表156.2 気温日変化の基準点気温と気温差、晴天日平均
ただし8月は10日~31日の平均、9月は13日~30日の平均である。
気温差一覧表、晴天日


各表の下段に示す較差は昼(11~14時平均)と日の出前の早朝(2~5時平均)の 気温差の差を意味する。マイナスは基準点(H1地点)の気温日較差に比べて 小さいこと、プラスは大きいことを意味する。

較差がマイナスで大きいのは林内水源(F2地点)である。すなわち、ここの 気温日変化幅が小さいのは何が理由なのか?

近藤純正(編著)、1994の「水環境の気象学」の表6.12に示す敏感度によれば、 一般に気温日変化幅A1が小さくなる原因として、
(a)風速(熱交換速度)が大きいとき、
(b)放射量の日変化幅が小さいとき、
(c)蒸発効率が大きいとき(=地表水分が大きいとき)、
(d)地表面層の熱物理係数(=熱容量×熱伝導率)が大きいとき、
である。(d)は土壌水分が多いときに相当する。

林内水源のマイナスの原因として(a)は逆、(b)と(c)と(d)が対応する。 すなわち、密な林内で土壌が湿っていることである。

逆に、較差のプラスが大きいのは下段水田(V4地点)である。ここは上記の 平坦地に適応できる(b)(c)(d)の逆のいずれからも説明できない。 基準点(H1)や若竹の泉北(V5)と比べて空間広さが狭く風速が弱いこと から、すなわち(a)で較差が大きいことの一部が説明できる。 そのほかに、次の理由も加わる。

水田下段(V4地点)では、(e)夜間(図156.10)は上流からの冷気流の影響 範囲内にあり、(f)日中(図156.11)は林内低温の影響はなく、下流からの高温 空気が谷地形に沿って登ってきて、その影響を受ける。

以上の(a)と(e)と(f)の効果で気温日較差が大きくなるものと考えられる。 こうした現象は複雑地形の「谷戸」の特徴の一つである。

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