吉行淳之介 よしゆき・じゅんのすけ(1924—1994)


 

本名=吉行淳之介(よしゆき・じゅんのすけ)
大正13年4月13日—平成6年7月26日
享年70歳(清光院好文日淳信士)
岡山県岡山市北区御津金川 吉行家墓地 
東京都港区北青山2丁目12-8 持法寺(分骨)



小説家。岡山県生。東京帝国大学中退。対談やエッセイの名手。『驟雨』で昭和29年度芥川賞を受賞し、作家生活に入った。当時、淳之介と同世代の作家の遠藤周作、安岡章太郎、三浦朱門、近藤啓太郎らは「第三の新人」と呼ばれた。『暗室』『鞄の中身』『夕暮まで』『砂の上の植物群』などがある。



 岡山県岡山市北区御津金川の墓

 港区北青山持法寺の分骨墓


  

 彼は、自分の細胞内部の環境が、すっかり変っていることに気付いていた。それは、「中年になったこと」と言うだけでは、言いあらわされないものだ。父親の窺い知らぬ世界のの入口に立っている、この際にもやはり死んだ父親は彼の頭の中に影を落した。
 そのとき、虚空から彼の耳に声が聞えてきた。
 「勘違いするな、三十四歳で終った俺の人生のつづきを、お前に引継がせているのだ」
 その声の方に向けた彼の眼に、窓の外の風景が映った。戸外は夜になっていて、貨物船からは、黒い影絵になった幾本もの手が、天に向って突出された。
 また、声が聞えてきた。
 「俺は、お前の中に潜り込んでいるのだぞ」
 彼はかすかに躯を揺すり、その声に向って答えた。
 「僕の中にいると、ひどい目に遭うぞ」
 彼は言葉をつづけて、
 「それが復讐だ」
 と小さく呟き、いそいで頭を左右に振った。これからのことは、既に亡父とは無関係のことなのだ、と彼はおもったのだ。
 彼は立上ると、依然としてナイフとフォークを両手に握ったまま仰向いた京子の顔に向って、
 「行こう」
 と、物憂く、しかし執拗な調子を籠めて呼びかけた。     

 (砂の上の植物群)





 遠藤周作、安岡章太郎、三浦朱門、近藤啓太郎らと共に「第三の新人」と呼ばれ、〈性と生を見つめた作家〉と称された。
 モダニズムあるいはダダイズムの詩人・父エイスケと美容師として自立した女性の母・あぐりのもとに生まれた淳之介の育歴については探るべくもなく、おおよその想像はつくものではあるが、女性関係は別としても文学的才能については父エイスケの及ぶところではなかったかもしれない。
 平成6年7月26日午後6時半、肝臓がんのため聖路加国際病院で死去した。〈いろいろな意味でも二十一世紀を覗きたいな〉と口癖のように洩らしていたというが、その願いはついに叶わなかった。
 〈ま、さほどに、人生、面白いモノではありませんな〉。



 

 岡山と津山を結ぶ電車は山峡の蛇行する川に沿って、ゆるやかにカーブしながら金川という駅員一人の小さな停車場に着いた。
 吉行の母を主人公にしたNHKの朝の連続テレビ小説『あぐり』の放送中はよく訪ねてくる人があったというが、今は閑散として、ただひとり降車した私の影がぽつねんと揺らいでいるばかりだった。
 山裾に添った田圃には黄色く頭をそろえた稲穂がのんびりと揺れている。穏やかな郷家の地、白塀に囲まれた吉行家塋域には十数基の大小墓が並び、「先祖代々之墓」に淳之介は眠る。傍らの墓誌に戒名・俗名が刻されている。「清光院好文日淳信士」、なんと慎ましやかな戒名であることか、浄土真宗の法名・釈何某は別としても著名作家にしてこの潔さは希有のことだろう。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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