吉田絃二郎 よしだ・げんじろう(1886—1956)


 

本名=吉田源次郎(よしだ・げんじろう)
明治19年11月24日—昭和31年4月21日 
没年69歳(二絃院索誉暢発法音居士)
東京都府中市多磨町4–628 多磨霊園4区1種1側6番 



小説家・劇作家。長崎県生。早稲田大学卒。大正3年島村抱月の推薦で小説『磯ごよみ』を発表。6年の『島の秋』が出世作となった。早大で英文学を講じるかたわら小説・戯曲・感想文を新聞・雑誌に発表。『小鳥の来る日』『草光る』『静かなる土』などがある。






  

 「もう東も白んで来るぢやらう。」
 眠さうに親方が言つた。
 二人は限りもない空の星と沖の漁人を見つめたまゝ默りこんでゐた。二人は何時とはなしにうとうとと眠つた。親方の鼾が高くきこえた。
 清さんが眼をさました時には、既う夜はすつかり明けてゐた。海には灰色の帆が限りもなくつゞいた。空はすつかり曇つてゐた。壹岐の勝本の鼻が少かにどんより見えるだけで、内地の島影は見えなかつた。
 暗い玄海の面を燻し銀のやうな白い波が、涯もなく流れては、雲や空のなかに滅えて行つた。
 絶望と困憊とをたゝヘた親方の顔の色は土のやうに見えた。親方は他愛もなく眠つてゐた。力ない呼吸と鼾とが土の底から洩れて来るやうにおもはれた。
 清さんは全身の骨と筋肉とが一つづつ離れ離れになつたやうに懶かつた。
 清さんはぢつと親方の死人のやうな顔を見つめてゐた。そこには鬱金の風呂敷包みが草の上に横たへられてあつた。
 清さんは子供のやうになつて泣いた。

(島の秋)



 

 印象的な自然や悲しみを含んだ人間の姿に愛惜の情を絡ませて、早稲田大学在学中に徴兵で赴任した対馬を舞台に、独特の流麗な筆致で描いた短編小説『島の秋』は出世作となった。また感想文は、大正の感傷的な若い世代に受け入れられ、クリスチャンらしく宗教的、人道主義的であって、なお思索的な詩情をたたえた随筆感想集『小鳥の来る日』はその時代の驚異的なベストセラーにもなったが、生や死に絡まった人間の悲哀や自然の営みを詩的に味わい深く、控えめな人間愛に裏打ちされたそれらの作品を読むと、昭和31年4月21日に亡くなった吉田絃二郎という作家の快い平凡さが羨まれてならないのであった。



 

 〈白萩のこぼれて小さき佛かな〉——吉田家の墓所がある多磨霊園の一四区に沿った通りの入口あたりにこんな句碑が建っていた。
 高壇に造られた塋域は広く、清掃、手入れが行き届いていて清冽そのもの、数基の墓石、墓塔が建っている。「吉田絃二郎/妻 明枝/墓」は墓碑手前と右側に小さな地蔵尊を据え、斜め前に養女なつ女の墓碑、葉陰濃い楓の木の下で、作家の人生観、あるいはその作品の愛惜のある思索的情感にも似て、しっとりとした優しさを漂わせていた。
 ——毎年、修善寺に長逗留をし、こよなく愛した絃二郎が、妻明枝が昭和12年に42歳で亡くなった時、修善寺を一望できる鹿山に埋葬したという墓に絃二郎の分骨も埋葬されたと聞いているが、一度は訪ねてみたいものである。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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