植草甚一 うえくさ・じんいち(1908—1979)


 

本名=植草甚一(うえくさ・じんいち)
明治41年8月8日—昭和54年12月2日 
享年71歳(浄諦院甚宏博道居士)
東京都墨田区両国2丁目8–10 回向院(浄土宗)



評論家。東京府生。早稲田大学中退。昭和10年東宝に入社。戦後退社し映画評論の傍ら、ジャズ、ミステリー、現代文学など欧米文化をいち早く紹介した。『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』で推理作家協会賞を受賞。『ジャズの前衛と黒人たち』『ワンダー植草・甚一ランド』などがある。






 

 だいたい都会の第一条件というと何だろう。それは古ぼけた外観の建物にかわって、あたらしい衣裳をした建物が立ちならび、その往来に面した一階の商店が、ぷらぶらと歩いている人たちを立ちどまらせ、飾った商品を買わせてしまう。そういった魅力のありかたが、都会の第一条件なのだ。すこし離れたところから、きれいな都会だな、と感じさせるのは、その存在をみとめさせる外部的な魅力にすぎない。とくに必要ではないけれど、見ているうちに欲しくなってくるような品物がならんでいる商店こそ、都会の内部的な魅力だといいたい。
 ぼくは何が売ってない通りを歩いているときは、ただ空気をすっているだけで、すこしも面白くないが、繁華街を歩きながら、なにかしら買って帰ってくると、気持がリラックスしていることを発見した。都会は、せわしない雰囲気を感じさせてはいけない。リラックスさせることが都会の生命なのだ。
 そんなことから、赤と青と紫と緑に光り輝く新宿の未来を空想したのだが、商魂に徹すれば、こんなことくらい簡単にやれてしまうのではないか。
 そう考えながら新宿をぶらつき、紀伊国屋の三階で洋書を買って帰ってきた。
                                                         
 
(ワンダーランド)

 


 

 もっぱら『キネマ旬報』、『映画之友』、『スクリーン』などで映画評論を書いていたのだが、48歳でジャズの虜になってしまった。たとえば彼のエッセイはこんな風にはじまる。〈昨年の夏のおわりころから、急にモダン・ジャズがすきになってしまって、毎日のようにジャズのレコードばかりかけながら、うかうかと日を送っていた。だいたいの計算だと600時間くらいジャズをきいて暮らしていたし、そのあいだレコード店にいたのが200時間くらいあった。〉と。その熱中度、集中力にはあきれるばかりだが、昭和54年12月2日、心筋梗塞により世田谷区経堂の自宅で立ち止まってしまった彼の、密かな散歩道に流れていたのは何という曲であったのだろうかと思ってみたりもした。



 

 両国橋を渡りきって、ちょっと先の右手にある回向院。なんとまあ賑やかな寺だと驚いた。たまたま動物供養の法要が行われている日に当たっていたようで、愛犬家、愛猫家などの一群の中にほうり込まれてしまった。
 開山以来、火災・風水害・震災などで横死した無縁仏を葬る習わしのあるこの寺には、鼠小僧次郎吉の墓などもあって今も庶民信仰の対象となっているようだ。
 今日の賑わいにさえ静まっている狭い墓地に、棹石の四面に文化・文政以来の戒名が連刻された「植草氏」墓は建ってあり、日本橋生まれのニューヨーカー(驚くべきことに、初めての海外旅行にニューヨークを訪れたのは65歳の時であった)、散歩と雑学と古本屋の権威、植草甚一はここで一休みしているらしい。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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