上田 敏 うえだ・びん(1874—1916)


 

本名=上田 敏(うえだ・びん)
明治7年10月30日—大正5年7月9日 
享年41歳(含章院敏誉柳邨居士)
東京都台東区谷中7丁目5–24 谷中霊園甲10号5側
ご遺族によって廃墓され、平成20年頃に開設された谷中霊園第一立体埋蔵施設に合祀されました。
 



詩人・英仏文学者。東京府生。東京帝国大学卒。北村透谷らの『文学界』や「帝国文学」『明星』に詩・評論・翻訳などを発表。明治32年処女作『耶蘇』を刊行。次いで『最近海外文学』、翻訳・美文集『みをつくし』『文芸論集』『詩聖ダンテ』を刊行。三八年訳詩集『海潮音』を刊行。『詩聖ダンテ』『文芸講話』などがある。



旧墓

谷中霊園第一立体埋蔵施設


 

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。 
                         
(海潮音・ヴェルレーヌ・落 葉)

 


 

 号は上田柳村とも呼ばれるが本名の上田敏のほうが周知されている。〈山のあなたの空遠く『幸』住むと人の言ふ〉(カール・ブッセ「山のあなた」)や、〈秋の日の ヴィオロンの〉(ポール・ヴェルレーヌ「落葉」)など、芸術のための芸術を志向した上田敏美学の結晶『海潮音』は、既に遥かな古典となってしまったが、「山のあなた」「落葉」「春の朝」など幾多の名訳詩はどれほどの時を過ごして行くのだろうか。
 彼が死んだのは大正5年7月9日午後3時。前日朝、森鴎外宅訪問のため外出支度中に尿毒症を発し、昏睡状態に陥ってのことであった。奇しくも訪問先であった森鴎外はそれから、ちょうど6年後の大正11年7月9日に死ぬこととなった。



 

 春のさなか、朝の墓原に時をとどめて古寺の甍は輝き始めている。風は少し騒がしいが、気は爽やかだ。〈時は春、 日は朝、 朝は七時、 片岡に露みちて、 揚雲雀なのりいで、 蝸牛枝に這ひ、 神、そらに知ろしめす。 すべて世は事もなし。〉(ロバート・ブラウニング「春の朝」)——。
 昭和32年7月6日、心中放火により焼失した天王寺五重塔跡の傍らにある「文学博士上田敏墓」。
 〈文学博士〉とは何か。文学者の墓碑銘としておおよそ空しいものではないか。上田敏の本意であったのか、なかったのか真を知る術はないが、「無為」こそ後の世に遺す姿だとおもうのだが。風にあおられ揺れる朝の木漏れ日を、碑面に写してなお翳りの強い匂いがする。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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