本名=大島好子(おおしま・よしこ)
大正3年5月7日—平成3年8月25日
享年77歳
東京都港区南青山2丁目32–2 青山霊園1種イ12号1側
小説家。東京府生。東京府立第一高等女学校(現・白鴎高等学校)卒。『文芸首都』同人。『青果の市』で昭和16年度芥川賞を受賞。29年発表の『洲崎パラダイス』は映画化された。35年『湯葉』、36年『隅田川』、37年『丸の内八号館』の三作品は自伝三部作。『隅田川暮色』『海のない町』『湯葉』などがある。

桜花は大輪の墨色のぼかしで、一輪一輪濃い墨の線で花弁を手描きして、ぼかしのなかはやわらかな薄紅が差してある。 冴子は俊男がまだ若い三十代の生身の男で、数えきれない桜花を墨で描き出しているのを、生々しく感じた。墨は男で、桜花は女体に見える。元吉がなにか言っている。冴子には想像すら出来ない男の内側を、覗いた気がした。
「墨染めの桜、すばらしい」
「題は隅田川夜桜、としました」
と俊男は告げた。
「あんなによごれた川でも良いんですか」
「川はなんと言っても悪くないですよ。帰りに暮れ方の川を見ていって下さい」
冴子は彼の仕事に及ぴ難いものを感じると、重ねて褒める気になれなかった。
「この妖艶な桜は、幾歳くらいの女の人に似合うでしょう」
「女盛りでしょうね」
「私には六十歳になって初めて着られるように思うわ。若い女の顔や身体にこの衣装は映らない。女の終りがきて、それでも目分を恃む人なら見事に着こなすでしょう」
「六十歳か」
俊男は冴子の意地を感じていた。そばで元吉は声を立てて笑った。桜花の衣装と六十歳がなにかしらおかしかったのだが、自分を恃む女でなければ着こなせない、といった言葉は、意匠のためのこの上ない褒め言葉に思えたのだった。墨染めはしばらく三人の前に生きもののように両袖をひらいていた。
(墨田川暮色)
芝木好子は浅草馬道の呉服商の家に生まれた。昭和16年、『青果の市』で芥川賞を受賞、作家として出発するのだが、以後、芝木の作風は決まっていく。隅田川、東京下町の煩わしくも懐かしい人情と一途な女性、工芸、染色などの伝統芸術や周辺に生きる男と女の哀感、その作品に於いて、少なからず人生に対して明晰である。あるいは伝統工芸に取材した作品の美意識に、私は郷愁を持って惹かれている。
平成3年8月25日夏の午後1時8分、築地・国立がん研究センター中央病院で乳がんのために亡くなったこの作家の著書『日本の伝統美を訪ねて』は、かつて私の旅の同行者ともなったが、その深緑色の表紙は、時を経てもなお涼やかであった。
南青山の喧噪を逃れて歩いてきた。両側に高台の墓地を控えた桜並木の広い参道は、枯れた枝の上から冬の日が射していた。人影のない、静まりかえった墓所は、思いのほか安らかで、暗いところはなかった。と芝木好子が『女の青春』に書き記した青山霊園。
この霊園の南寄り、穏やかな明るさにあふれている経済学者の夫・大島清氏と共に眠る「大島家」墓、その右隣りにある文学碑には「芝木好子」と自署刻がある。
ここ数日の雨に跳ねた泥が、陽炎のようにそれぞれの黒御影の台石を滲みあがっている。久しぶりの陽光は供花を輝かせ、敷き石だけの殺風景な墓前の光景をひとわたりの風にのせて空へと運んでいった。
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