芝 不器男 しば・ふきお(1903—1930)


 

本名=太宰不器男(だざい・ふきお)
明治36年4月18日—昭和5年2月24日 
享年26歳 ❖不器男忌 
愛媛県宇和島市三間町大内 太宰家墓地
 



俳人。愛媛県生。東京帝国大学及び東北帝国大学中退。姉の誘いで長谷川零余子が主宰する『枯野』句会に出席し句作を始める。大正末期『天の川』『ホトトギス』にも投稿し注目された。昭和3年結婚し、太宰家の養嗣子となるが、翌年発症した睾丸炎が悪化し夭折した。『不器男句集』などがある。







あなたなる夜雨の葛のあなたかな

汽車見えてやがて失せたる田打かな

永き日のにはとり柵を越えにけり

新涼の家こぼち焚く煙かな

町空のくらき氷雨や白魚売

白藤や揺りやみしかばうすみどり

向日葵の蕋を見るとき海消えし

風鈴の空は荒星ばかりかな



 

 不器男25歳、太宰家に入り文江と結婚、四国・北宇和の山峡の地大内で暮らすことになるのだが、わずか1年後に発病し、九州大学病院での二度にわたる外科手術後も福岡の仮寓で療養をつづけていた。
 昭和4年12月29日、『天の川』主宰吉川禅寺洞や主治医の横山白虹が病床を囲んだ句会をひらいてくれた。その夜、生涯200句余の最後の三句を遺した。
 一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな
 大舷の窓被ふある暖炉かな
 ストーブや黒奴給仕の銭ボタン
 ——翌年2月24日午前2時15分、不器男は〈彗星の如く俳壇の空を通過〉し、去った。病名、左側副睾丸肉腫及び腹腔内淋巴腺転移。
 その2週間後に海峡をはさんだ下関の地で一人の詩人が逝った。金子みすゞ、生年も不器男と同じ明治36年であった。



 

 ひそかに墓参を果たすだけのつもりが、訪ね訪ねたあげく、思いがけずも太宰家の門をくぐることになった。
 旧庄屋、伊予鉄道社長などもつとめた太宰家は土地の旧家である。その屋敷は古色蒼然として閑静、若い当主に導かれて入った奥の六畳間、書斎として使っていたというこの部屋からは〈銀杏にちりぢりの空暮れにけり〉と詠まれた銀杏の木や不器男が好んで堤を散策したという池が見える。わずか1年ほどの生活を刻んだ部屋に今あるのは一額の写真のみ。
 大奥様に案内されていった墓地は、山間の田園を前に展げて明るく、山の連なりが幾重にも濃く薄く遠のいていく。太宰家の墓域、太宰家代々之墓に眠る妻文江に離れ、右端に建つ「太宰不器男之墓」。新緑の若葉を背景に弧然とある。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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