松本清張 まつもと・せいちょう(1909—1992)


 

本名=松本清張(まつもと・きよはる)
明治4年2月12日(戸籍上は12月21日)—平成4年8月4日 
享年82歳 (清閑院釈文張)
東京都八王子市大谷町1019–1 富士見台霊園西8区2側 



小説家。広島県生。板櫃尋常高等小学校卒。高等小学校卒業後、給仕、製版工、図案工などを経て、昭和14年朝日新聞社西部本社嘱託となる。『三田文学』に発表の『或る「小倉日記」伝』で27年度芥川賞、『顔』で探偵作家クラブ賞を受賞。『点と線』『眼の壁』『ゼロの焦点』『砂の器』などがある。






  

 「ある晩、……今までうとうとと睡ったようにしていた耕作が、枕から頭をふともたげた。そして何か聞き耳をたてるような恰好をした。
 『どうしたの』
 とふじがきくと、口の中で返事をしたようだった。もうこの頃は日頃の分りにくい言葉が更にひどくなって、唖に近くなっていた。が、この時、猶もふじが、
 『どうしたの?』
 ときいて、顔を近づけると、不思議とはっきり物を言った。
 鈴の音が聞こえる、というのだ。
 『鈴?』
 ときき返すと、こっくりとうなずいた。そのまま顔を枕にうずめるようにして、なおもじっときいている様子をした。死期に臨んだ人間の混濁した脳は何の幻聴をきかせたのであろうか。冬の夜の戸外は足音もなかった。
 その夜あけ頃から昏睡状態となり、十時間後に息をひきとった。雪が降ったり、陽がさしたり、鴎外が゛冬の夕立″と評した空模様の日であった。」

(或る『小倉日記』伝)



 

 少年時代の貧しさから〈私には面白い青春があるわけはなかった。濁った暗い半生であった〉と『半生の記』に記した松本清張が、処女作『西郷札』を発表したのが42歳。2年後に発表した『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以後は社会派推理小説という新分野に挑み、昭和史、古代史などのノンフィクションものにも取り組んでいった。文学的出発の遅さを考えると、凝縮された強靱なパワーによって生み出された膨大な作品群には心底驚かされる。
 平成4年4月、脳内出血で倒れ東京女子医科大学病院に入院。手術後、再び創作への意欲を示した類い希な彼の活動力も、肝臓がんのため8月4日夜半、急停止した。



 

 江戸期より八王子の大横町にあったが、昭和36年、八王子郊外、大谷の地に移ってきた観池山大善寺。山門をくぐり、急坂の桜道を踏みのぼっていくと、この寺が管理経営する富士見台霊園が東西に分けられてある。
 坂上の丸柱に据えられた不動明王像の左奥、芝生参道の先に「残された時間」を口癖として、作家生活40余年の間に発表した作品は長篇、短篇他あわせて千篇に及ぶという精力的な執筆活動を続けた社会派推理作家の墓碑があった。「松本清張」と刻まれた大振り洋風横型の黒御影墓碑は晩秋の日の名残を惜しむかのような強い光彩を受けて、八王子山系の遙か彼方に眩耀とある富士を、その碑面に映し出そうとしていた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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