赤石川1 赤石川2 赤石川3 赤石川4 山釣りの世界TOP


ヤナダキ沢F1、F2、ブナの巨樹、クマゲラの森、西股沢、暗門の滝
 5日目・・・朝5時、デジカメと小型三脚を持ちノロの沢に入る。空気は凛として清清しい。清冽な流れをスローシャッターで切り撮る。
 F1付近まで登ると、またも雨が降り出してきた。急いでテン場に戻る。今日は、雨の中、ヤナダキ沢をめざす。ヤナダキ沢は、暗門の滝から赤石川へ抜けるゴールデンルートだけに、簡単だと思ったが、一枚の赤い目印に見事に騙されてしまった。いや騙されたというよりも、勘違いしてしまった。
 雨が降りしきる中、赤石川を下る。ヤナダキ沢を上り、赤石川と暗門川の分水尾根を越えて西股沢へ抜ける予定だったが・・・。
 誰とも出会わない赤石川・・・5日も山と谷を彷徨っていると、次第に人が恋しくなる。しかし歩けど、歩けど誰も上ってこない。暗門の滝から赤石川へやってくるパーティが必ずいるはず・・・と思っていたが、なぜか誰もこない。雨に煙る渓を歩きながら、何となく不安が募る。それは、暗門の滝の橋が流され、その絶壁に閉じ込められた悪夢が脳裏をかすめたからだ。
 黒いゴツゴツした岩盤の甌穴にナメ床を滑り落ちる流れが吸い込まれていく。渓を覆い尽くすブナの深緑は、雨に煙り神秘的な光景を醸し出す。たった二人だけの白神・・・ときおりカワガラスが低空飛行で飛び去り、恐ろしいほどの静寂を破る。
 清流の滑り台。子供の頃遊んだ滑り台より傾斜はずっと緩いが、水が滑るには十分。天然の滑り台に、心まで滑る。実に愉快な景観だ。
 7年前に遡行した記憶が鮮明に蘇ったヤナダキ沢入り口の滝。途中、アブラッコ沢を見失ったが、二つの滝が赤石川に合流するヤナダキ沢は、すぐに分かった。もし初めての沢なら、入り口を間違っていたかもしれない。雨が降れば、やはり集中力がとぎれてしまうので注意せねばと思う。一旦間違うと、1時間、2時間はあっと言う間にロスしてしまうからだ。油断は禁物!
 滑り台のような平らな岩盤を清流が足早に滑り落ちてゆく。胸がスカッとするような光景に足取りも軽くなる。頭上からは容赦なく雨が降り注ぎ、ニコンのデジカメは背中から一度も出すことができなかった。こんな時、水中撮影も可能なSony Cyber-ShotUは、大活躍した。やはり雨と水がつきものの沢歩きでは、サブカメラとして生活防水程度のデジカメは必須だと実感させられた。
 斜めのナメ床を上り、右に曲がると、ゴツゴツした黒い岸壁を一面白い帯となって落下するF2が眼の前に現れる。雨で水量が増し、その迫力、美しさに圧倒される。まるで森の神、水の神が宿っているような滝だ。やはり幽谷の滝は、美の極致だと思う。ここは右のルートを直登する。頭から滝のシャワーを浴び登っていると、滝の洗礼を受けているような不思議な戦慄を覚える。やはり、水は「親しむ」などという軽いものではなく、「敬う」べき存在だと思う。
 滝頭付近は、右に高巻くルートがある。しかし、滝のシャワーを浴びる快感が忘れがたく、一気に滝頭まで直登する。しかし、滝頭で下を見ると、「ここで滑落したら即死だな」・・・と思うほど、その落差の大きさに足がすくむ思いだった。こんな馬鹿な冒険は止めた方がよい。
 F2を過ぎて、ほどなく、右手から小沢が合流している。その右手の小沢の方向に真新しい赤いテープが下がっていた。記憶にない小沢だったが、テープを信用し、右の小沢に入る。傾斜がきついので、ピンソールを着ける。
 登れば登るほど、これは違う・・・と思ったが、引き返すのが面倒で、とりあえず登り続けた。標高500m付近から北に進路をとる。笹薮の連続だったが、北に進めば必ず踏み跡が見つかるはずだと思った。ところが歩きに歩いても見当たらない。果ては、自分たちのいる位置さえ判別できなくなった(現在地は沢を1本間違えていたため混乱したに過ぎないが)。やはり笹薮を彷徨うものではないことを痛感させられた。それでも200年〜300年近いブナの巨木を何十本も拝むことができた。
 ブナの巨木に刻まれた熊の爪跡  トンビマイタケの株も数株あった
 大地に根を張るブナの巨樹・・・マタギは別名「ブナの森の狩人」と言われる。それはブナの森こそ、マタギ最大の獲物・熊が多く生息しているからだ。
 斜面を下ると、ミズバショウが群生する湿地に出た。一帯はブナの巨木も多く、熊の楽園のような場所だった。事実、熊の爪跡や獣道、獣の匂いもやたら多かった。新緑に燃える季節なら、どんなに美しいことだろう。今度は、ぜひ新緑の季節に彷徨ってみたいと思った。

 雨が降りしきる中、森と笹薮を彷徨っていると全身ずぶ濡れで震えるほど寒い。時計も午後4時・・・やむなく、左岸の台地にビバーグ。
 6日目、朝から強い雨が降り続いていた。こんなに雨にたたられるとは、予想だにしていなかった。それでも山に逆らったら、人間の命など簡単に奪い去ってしまう。雨であろうと風であろうと、甘んじて受け、従うしか生きる道はない。一向に止む気配もない。やむなく、荷物をたたみ、ザックに背負う。食料と酒が減ったはずだが、その分、水分まで背負い、やたら重く感じる。今日は山越え、最初からピンソールを着けて出発。

 後日分かったことだが、我々がテントを張った台地は、かつてマタギの狩小屋があった場所らしい。また、ここから赤石川へ抜けるルートは二つに分かれる。一つは、沢通しに下るルート、もう一つは、右岸の尾根のマタギ道を辿って赤石川二股へ通じるルートだ。何とも馬鹿なのは、その赤石川二股に抜けるルートを西股沢へ抜けるルートと勘違いしてしまったこと。
 ヤナダキ沢の右岸の斜面に向かう踏み跡には、赤いテープの目印があった。それを山越えルートと勘違いし登る。標高100m余りの急な斜面を登ると、整然としたブナ林の台地に出た。どうもこれは「クマゲラの森」のようだ。道は、この森を散策するような周遊コースになっている。まぁ、クマゲラの森を散策するのも悪くはないと思い直し雨に煙る森を歩く。 
 斜面左の道を下ると、左手に高さ7〜8mの幹に楕円形の大きな穴を見つけた。これだけ大きな穴をあける鳥は、クマゲラ以外にいないはず。ここからほどなく、マタギ道は笹薮に消えていた。なぜ消えていたのか・・・現場では、雨が降り続いていたので確認する余裕がなかったが、後日調べて分かった。マタギ道は、斜面沿いに進むルートから一転、クマゲラの森から派生している沢筋を下る方向に変わり、赤石川二股へ向かうルートになっていた。
 ヤナダキ沢に戻る。勉強不足の我々二人は、踏み跡はもう当てにならない、と決め付け、ヤナダキ沢を登りはじめた。すぐに恐竜の卵のような不思議な岩が転がっていた。この付近の東側に向かう小沢を上り、最も低いコルを目指して上るべきだった。頭の中では分かっていたのだが、なぜか勢い余って上り過ぎてしまった。雨が引き戻す勇気を奪った。いずれ東の方向に進めば、分水尾根に達するはずだ・・・と「急がば回れ」の鉄則を踏み外してしまった。
 沢ならいざ知らず、目の前全てが笹海・・・窪地があったり、台地があったり、迷いやすく現在位置さえ分からなくなった。頭上からは雨また雨・・・戻るべきだったと悔やんでも時既に遅しだった。やっとの思いで分水尾根に達し、ザイルを使って西股沢源流に降りる。ここでやっと踏み跡に辿り着く。二度も笹海を彷徨う馬鹿なルートをとったことに反省、反省するしかなかった。終わってみれば、これまた苦い思い出として記憶に鮮明に残る。決して無駄ではないはず・・・などと強がりを言っても、やはり二度と味わいたくないルートだった。そんな時、ピンソールは、強い味方になってくれた。感謝に耐えない。
 左:「イワナ」と書いたナタ目 右:西股沢二股出合いのテン場。ルートを間違えなければ、ここで5日目の夜を過ごす予定だったのだが・・・。なお、地元では西股沢を「フガゲ沢」と呼ぶ。
 深い緑に包まれた西股沢を下る。この右手の高台は、思い出深い場所である。平成9年10月、3泊4日の日程で今回のコースと同じルートを歩いたことがあった。連日、雨とアラレが降る悪天候に見舞われ、4日間で暗門の滝に達することができず、やむなく4日目の夜、ここでビバークした苦い思い出が蘇ってくる。さらに悪いことに暗門の滝へ降りたら、増水で遊歩道の橋はことごとく流され、暗門と呼ばれるV字渓谷に閉じ込められてしまった。その悪夢が脳裏をかすめる。なぜなら、あの時と同様、雨また雨に見舞われ、誰とも出会わないからだ。下るにつれて、その不安は増幅していった。
 ヤナギラン・・・夏の渓を美しく彩る。名前は、葉が柳に似ていることによる。日当たりの良い沢岸に群落を形成していた。鮮やかな紅紫色の花は、遠くからでもよく目立つ。
 こうしたナメ滝が連続している。ほとんど巻かず、滝の脇を際どくトラバースしながら下る。笹海を彷徨うより、沢を歩く方が遥かに快適だ。だから、ちょっと困難な滝やゴルジュが現れても、楽チン、楽チンといった感じだった。
 左手から砂師崎沢が合流すると、その直下に暗門の滝F1が垂直に落下している。その滝上にテン場跡がある。F1は、急勾配の木の根道を四つ足で上り、高巻く。
 転がり落ちるような急斜面を下ると、天から豪快に落下する暗門の滝F1が背後に現れる。落下する滝の轟音、飛び散る飛沫、威圧するかのような強い瀑風・・・水量はいつになく多く、その迫力は見る者を圧倒する。「凄い!」としか言いようがない。暗門の滝は、白神山地の玄関口として名高いが、我々にとっては、白神彷徨の最後を飾る神聖な滝だ。落差はおよそ42mの直滝。
 暗門の滝F2・・・落差32m  暗門の滝F3・・・落差26m
 沢登りでは、下流からF1、F2と呼ぶが、暗門の滝は上流から番号が付けられている。これは、かつてヤマゴと呼ばれるキコリたちが付けた番号らしい。ブナを伐り出し「流し木」と称してこの滝を流送していた。その際、峡谷の滝で木材が引っ掛かった。それをかき流すためにヤマゴが上流から綱にすがって降りたという。だから、上流から第一、第二、第三と付けたという。
 無事、6日間に及ぶ沢旅を歩き抜き、山の神様に感謝を捧げる。結局、終点まで誰とも出会わなかった。暗門の滝入り口に着いたら、「増水のため通行止め」の看板が・・・やっと誰とも出会わなかった謎が解けた。15日、午後からの雨は、赤石川源流でも凄かった。

 当時の新聞「東奥日報」・・・「十五日午後三時半ごろ、西目屋村川原平の暗門の滝に通じる遊歩道の一部が、朝から断続的に降った雨による暗門川の増水で冠水し、登山客ら約二十人が一時的に足止めされた。県の防災ヘリ「しらかみ」や消防車両が救助に出動したが、その後水位が下がったため、登山客らはいずれも夕方までに自力で下山し、けが人などはなかった」・・・そういえば、山の中で何度かヘリが飛ぶ音が聞こえた。
 雪深いブナの森で、ひたすら自然と向き合い、山の神に逆らうこともせず、身の丈にあった人生を静かに生きたマタギたち・・・「炭焼き、山菜・キノコ採り、狩人・・・/これら山の幸を生活の糧として暮らす人びとを゛山棲み人゛と呼ぶ。/・・・山棲み人が寡黙であるのは、自然とむき合って生きてきた証なのかもしれない・・・」(「白神山地四季のかがやき」根深誠著、JTB)・・・雨また雨の白神に正面から向き合うと、どんなにもがいても、最後は「寡黙」になるしかなった。
 「ブナ原生林白神山地をゆく」(根深誠著、立風書房)の「イワナとマタギ」・・・「赤石川支流の滝川にアイコガの滝と呼ばれるヨドメ(魚止め)の滝がある。この滝の上流にはイワナが生息していない。・・・そこでは、水量が豊かである。だれがみても、イワナの成育に適していそうに思えるほど、魅力がいっぱいなのだ。しかし、イワナが放流されなかったのは、なぜか。

 ・・・河川のヨドメの上流にイワナがいるかどうかについては、マタギの行動と関係がある・・・滝川と笹内川の、この二つのヨドメの上流にイワナが放流されなかったのは、マタギにとって、どちらも近づいてはいけない場所だったからである。

 ・・・アイコガの滝ツボには、昔、ここで死んだ若者の霊が宿っていて、マタギが滝ツボに小石を落としたりすると、その怒りで、山の天気が悪化するというのだ。だから、マタギはここにもやはり近づいてはいけないことになっている」

 先に書いたように、赤石川の大ヨドメの滝上流には、砂子瀬マタギの工藤成元氏が放流している。この記録を紹介した後、次のように記している。「かつて、川にはイワナが踊り、山々には屈強な男たちの歌がこだました。そこでは、イワナもマタギも、山の精霊の化身であった」

 その後、滝川・アイコガの滝上にイワナを放流したのは、「イワナとマタギ」を追い続けた根深誠さんだった。その記録は「津軽白神山がたり」(山と渓谷社)の「滝川遡行とイワナ移植放流記」に詳しく書かれている。それによると、滝の下流で釣り上げたイワナ16尾を放流している。今、世界自然遺産の核心部・赤石川源流と滝川源流に群れるイワナたちは、天然分布のイワナではなく、「自然と人間と文化」の結晶なのである。
参考文献・白神山地の渓を歩く場合にオススメしたい本
「津軽白神山がたり」(根深誠著、山と渓谷社)
「ブナ原生林 白神山地をゆく」(根深誠著、立風書房)
「白神山地・四季のかがやき 世界遺産のブナ原生林」(根深誠著、JTB)
「みちのく渓流釣り」(根深誠著、立風書房)

赤石川1 赤石川2 赤石川3 赤石川4 山釣りの世界TOP