◎竹沢尚一郎著『ホモ・サピエンスの宗教史』(中公選書)

 

 

まず著者は「序章 宗教は謎だらけだ」で、開口一番「人間にとって宗教とはなにか。それを明らかにすることがこの本の課題である(3頁)」と本書の目的を述べている。そして次のような宗教に関する一般的な問いが列挙されている(3〜4頁)。

@     宗教はいつ誕生したのか?

A     人間の社会はすべて宗教を持っているのだろうか?

B     世界にはなぜこんなにも多くの宗教が存在するのだろうか?

C     数百人の狩猟採集民集団の宗教も、二〇億の信者を擁するキリスト教やイスラームも、宗教であることに変わりがないのだろうか?

D     すべての宗教に共通する本質が存在するのだろうか?

E     神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくったのだとすれば、人間は不在の神の存在をどのようにして確信できたのだろうか?

F     自然科学とテクノロジーがこれほど発達した二一世紀になっても、二千年も前に書かれた聖書や仏典が多くの人びとに信奉されているのはなぜか?

G     多くの宗教は平和を勧めているのに、人びとが宗教の名で戦いつづけるのはなぜか?

うむむ、おもろそう。ちなみに著者の竹沢氏は人類学者なので、これらの問いは人類学的観点からのものであることは言うまでもなく、とりわけEのような問いは神学者なら絶対に発するはずはないでしょうね。個人的には、とりわけ@とFとGの問いは興味深い。

 

その後、宗教の形態や、それに関連するこれまでの宗教研究に関して簡単な説明がなされている。人類学者のコリン・ターンブルやクロード・レヴィ=ストロースから進化生物学系統のロビン・ダンバーやEO・ウィルソン、はては哲学者のダニエル・デネットに至るさまざまな研究者が取り上げられているけど、序章ということもあっていかんせんバイトサイズの説明であり、ウォーミングアップ程度の内容なので省略する。序章の後半になると、著者はユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』を批判し、次のように述べている。「彼の議論は、近代主義的な見方を過去に投影しているという点で、厳密な意味での歴史研究などではなく、著者が想像力と恣意的な引用でつくり上げた架空の物語にすぎないというべきだろう(14頁)」。なぜそうなるかというと、『サピエンス全史』でノア・ハラリ氏が最終的に提示したかったものとは、最後の数章で提起されている普遍主義的イデオロギーであり、そのイデオロギーに合わせて、逆向きに歴史を構成しているからなのだろうと思う。著者はノア・ハラリ氏が余程お気に召さないのか、巻末の「あとがき」で、「これ[『サピエンス全史』]への批判が宗教学や文化人類学から出てくると思っていたが、出てこないので、私がやることにしたのがこの本を書いたきっかけの一つであった(413頁)」とある。なんとノア・ハラリ氏の立論に対する反感?が、本書を書くきっかけの一つだったらしい。最近取り上げた『キリスト教の本質』でも、ノア・ハラリ氏は次のように批判されている。「諸文明のそれぞれに特有の問題は無視され、したがって、諸文明の間のさまざまな重要な違いは、存在しないかのようになってしまい、「スルー」されてしまう。(…)ハラリ氏が考慮できているのは、結局のところ西洋文明だけである(同書239〜40頁)」。その理由もやはり、ノア・ハラリ氏の立論の根底に普遍主義的イデオロギーがあるから、個々の文明が軽視されているというのが私めの見立てになる。もちろん『サピエンス全史』は「宗教全史」ではないわけだけど、宗教の起源や意義を考察する場合には、なおさら普遍主義的な見方は歪曲をもたらしうる。だから私めは、『サピエンス全史』の原書を一度だけ読んで以来、ノア・ハラリ氏の本は一冊も読んでいないのですね。

 

序章の最後では、「本書の基本的な方針」が5項目あげられている。そのなかで項目1、3、5が個人的には興味深いので、少し長くなるけどここに抜き書きしておく。まず項目1から。「ユネスコの世界遺産の多くが宗教施設や建造物であることが示すように、宗教は人間がつくり出した文化の精髄というべき事象である。しかし、宗教は文化的事象に過ぎないわけではなく、人類が進化する過程で生じ、人間を人間たらしめた、生物学的根拠をもつ制度であり実践であると考えるのが適切である。それゆえ、その起源を理解するためには、宗教史学や文化人類学、社会学などの人文学の分野だけでなく、生物進化論、進化心理学、社会生物学、大脳生理学、霊長類学、古人類学、認知考古学など、さまざまな分野の最新の研究成果をとり込んで考察する必要がある(14〜5頁)」。特に「宗教は人間がつくり出した文化の精髄というべき事象である」という記述に着目しましょう。『造論者vs.無神論者』を取り上げたとき、私めはドーキンスら無神論の四騎士の主張がいかに有害であるかを3項目に分けて述べた(それは選書本の著者の見解ではない)わけだけど、それはあくまでも科学との関係における問題点をあげつらったにすぎず、そもそも基本的に宗教が「人間がつくり出した文化の精髄」であることをしかと認識していないと彼らのような極端な暴論が飛び出してしまう。それから宗教について考察するには、文化系、理科系の学問の成果を総動員する必要があるという後半の見立ては、まさにその通りだと思う。神学的な領域に論点を絞る創造論者も、科学的な領域に論点を絞る無神論者も、宗教の領域を狭くとらえすぎて視野狭窄に陥っているように思える。宗教という現象をとらえようとするなら、それらよりはるかに広い範囲でとらえようと試みるのでなければ意味がなく、さもなければ単なるイデオロギー的な言説に堕してしまう可能性がきわめて高くなる。実際、創造論者も、宗教そのものを否定しようとする四騎士も、ベクトルは逆向きとは言え、イデオロギーに強く絡み取られているような印象をどうしても受ける。

 

項目3は次のとおり。「(…)宗教を人間がつくったものだとする見方に立つとすれば、おなじように人間がつくった制度である社会組織や経済システムや倫理体系などと関係していることになる。それゆえ、それぞれの時代の宗教はほかの諸制度に関係づけられ、「拘束」されていると考えることが必要である。その一方で、シャーマニズムや預言者の言動を見れば明らかなように、宗教者は同時代の社会的状況を批判したり、その制約を打ち破って新しい観念を生みだしたりすることが可能である。その意味で、宗教は社会的諸制度に拘束されつつも、それを突破する能力をもっているのであり、この拘束と突破の相関を明らかにすることが本書の課題のひとつとなる(15頁)」。宗教は「社会組織や経済システムや倫理体系などと関係している」という記述に着目されたい。もちろん「宗教は社会的諸制度に拘束され」るとしても、逆もまたしかりで、その点を明確にしたのが、たとえばマックス・ウェーバーや、最近では私めがよく取り上げる、現代の欧米文化の起源をカトリックに求めるジョセフ・ヘンリックの大著『The WEIRDest People in the World』だと言える。

 

項目5は次のとおり。「いったん誕生した宗教は、時代を経るにつれてさまざまに変化してきた。これまでに宗教史や隣接分野で試みられた宗教の歴史的再構成は、仔細な宗教現象の記述に焦点があてられるだけで、それぞれのレベルで宗教がいかなる基本構造をもち、その構造がどのように変化したかをあとづけることができなかった。本書がおこなうのは、ヒトの起源から現代までの、先史時代、狩猟採集民、農耕牧畜民、初期国家および古代文明、世界宗教の誕生、宗教改革といったそれぞれのレベルにおける基本構造を明らかにすることであり、その上でその基本構造がどのように変化したかをあとづけていくことである。このような方法を採用することによってはじめて、現象の多様性を超えた、ある程度一貫した宗教の構造変化ないし「進化」を示すことができると考えられるのだ(16頁)」。まさにこうしたダイナミックな観点を取らなければ、「宗教は人間がつくり出した文化の精髄というべき事象である」ことがわからなくなるでしょうね。無神論の四騎士や彼らに追随する人々は、そこまで考えて宗教を否定しているのだろうか?

 

ということで「第1章 宗教の起源――宗教はいつはじまったか」に参りましょう。副題はまさに、冒頭にあげた第一の問いにあたる。この章では宗教の起源に関していくつかの理論があげられているけど、著者はデュルケームの考えを評価しているらしく次のようにある。「宗教の本質と起源を探求したフランスの社会学者エミール・デュルケームは、さまざまな形態の宗教を研究したあげく、現代の狩猟採集民であるオーストラリア・アボリジニの宗教体系の根幹をなす祝祭に行きついた。アボリジニの人びとは日常では狩りや採集に従事するためにわかれて暮らしているが、一年のある時期にはそれらの個別集団が集まって共同で祝祭を執行して喜びをわかちあう。デュルケームはこうした記述にもとづいて、祝祭が可能にする集団の凝集性=聖と、個々人の自由で利己的な行動がおこなわれる日常性=俗との分離こそが「宗教生活の基本形態」だと主張したのだった。(…)宗教の起源にあり、その後も長く宗教の本質的要素でありつづけたのは、二重の脆弱さ[身体的な脆弱さと進化の過程で帯びるようになった脆弱さ]を抱えるヒトの先祖がつくり出した集団的高揚のメカニズムであり、それにもとづく集団的連帯ないし共同性であったと思われるのだ(45頁)」。ここでは詳しくは述べないけど、わが訳書、マイケル・トマセロ著『行為主体性の進化』の用語を借りれば、このような人間の本質は人間が社会規範的行為主体として進化したことによって獲得されたものだと言える(ちなみにこれを書いている時点で、『行為主体性の進化』と『ホモ・サピエンスの宗教史』は、ロビン・ダンバー著『宗教の起源』とともに互いのアマページの「よく一緒に購入されている商品」に登場する)。世俗化した現代人には、「日常性=俗」として成立している個人には着目しても、「集団の凝集性=聖」を軽視する傾向があるように思える。無神論の四騎士はその極端な実例だと言えるだろうね。でも「集団の凝集性=聖と、個々人の自由で利己的な行動がおこなわれる日常性=俗との分離」という「宗教生活の基本形態」を無視することは、社会規範的行為主体としての人間の本質そのものを無視することに等しい。その意味でも、私めは無神論の四騎士のような考え方は有害だと考えているわけ。ところでどうでもいいことだけど、わが家の本棚には、エミール・デュルケームの『宗教生活の原初形態(上・下)』(岩波文庫)が並んでいる。ところがどうも全部読んだ記憶がない。たぶん読み難いと評判の岩波文庫(今ではどうか知らん)だったので、途中で挫折したのではないかと思われる。

 

ということで「第2章 アニミズムの世界――狩猟採集民の宗教」に参りましょう。この章では、副題にあるように宗教の第一段階とも言える「狩猟採集民の宗教」が取り上げられている。結論だけ述べると、それには次の八つの特徴があるとのこと(105〜7頁)。

@     なによりもまず豊かな内容をもつさまざまな儀礼を中心に構成されている。

A     もっとも重要な働きの一つは人びとを結集させることにある。

B     集合することに積極的な価値を与えるために、さまざまな象徴を使用した。

C     儀礼、とりわけイニシエーション儀礼は集団のなかに一連の差異を導入し、それによって集団の秩序化と複雑化を実現した。

D     危険をともなう狩猟や他集団との戦争に備え、苦痛や恐怖に耐える意図や能力を育てるべく、身体や生理、情動に働きかける儀礼を開発した。

E     狩猟採集民の世界認識の根幹にあるのはアニミズム的世界観であり、そこでは人間は環境世界を構成する一要素と見なされ、それから切り離されたりそれを超越したりすることはない。

F     狩猟採集民も神々(カミ)や精霊などの宗教的観念を有しているが、彼らの宗教の中心にあるのはあくまで[宗教的]儀礼であって宗教的観念ではない[つまり観念より(儀礼という)行為が主体であったということでしょうね]。

G     狩猟採集民は儀礼のなかで、彼らの生きる環境である森やトーテム種の繁栄を祈願し、大いなる恵みを与えてくれることを期待するが、それは呪術と呼ばれる行為ではない。自然の事物を思い通りに操作しようとする呪術的行為は狩猟採集民にとっては無縁なものであり、植物の栽培や動物の飼育を開始した農耕民や牧畜民に特徴的な行為と考えるべきである。

 

次は「第3章 儀礼の体系の成立――農耕民と牧畜民の宗教」。この章では、狩猟採集社会から農耕/牧畜社会に変わったとき、宗教のあり方がどのように変化していったかが論じられている。章題に「儀礼の体系の成立」とあるわけだけど、第2章で見たように狩猟採集社会のときにも儀礼は存在していた。ではどのように変化したのか? 冒頭に次のようにある。「やがてコムギ、ライムギ、マメ類などの作物も栽培化され、ヒツジやウシなどの飼育もはじまって、農業は地球の表面を広く覆うようになっていった。それとともに、狩猟採集民がつくり上げた宗教システムも大きく変わっていった。狩猟採集民にとっては、もし狩猟や採集が不調になったとしても、新しい土地に移動すればよいだけだからそれほど致命的なわけではない。これに対し、定住して村を築き、田畑の造成や灌漑の整備といった土地への投資をおこなった農民にとっては、農耕や牧畜の不首尾は生存そのものを脅かす致命的危機になりかねなかった。それを避けるために、彼らは繰り返し儀礼をおこなって豊作や家畜の繁殖を祈願したし、定住して道具や資産の蓄積が可能になっただけに、儀礼やカミの観念を複雑なものにつくり変えていった(109〜10頁)」。

 

次に著者は、古代における世界中の農耕社会の例をあげながら、そのように発展し複雑化していった儀礼について検討している。種類をあげておくと、祖先祭祀、通過儀礼、農耕儀礼、そしてとりわけ呪術などがある。ただし、ここでは呪術だけ少し詳しく取り上げておく。呪術に関しては第2章に「自然の事物を思い通りに操作しようとする呪術的行為は狩猟採集民にとっては無縁なものであり、植物の栽培や動物の飼育を開始した農耕民や牧畜民に特徴的な行為と考えるべきである」とあったことを思い出されたい。著者は呪術のとらえ方について二点興味深い指摘をしているので次にそれを取り上げる。一つは次の通り。「呪術と称される行為は一連の儀礼との関連のもとで実施されているのであり、それだけを切り離して議論すべきではないことだ。たとえば雨乞いの行為は、種蒔き儀礼、雨季の到来を願う儀礼、虫送り、収穫儀礼といった一連の農耕儀礼の枠組みのなかで実施されているのであって、それとの関連でのみ意味をもっているのである(136頁)」。これを読んで『雨を降らす男』という1950年代の映画を思い出した。この映画でバート・ランカスター演じる雨乞い(レインメイカー)の山師が山師であるのは(彼は『エルマー・ガントリー』でも山師の説教師を演じていて、山師が板についていた)、実際に雨を降らせることなどできないからではなく(とはいえ、うろ覚えだけど確か最後に偶然に雨が降ったような気もする)、まさにそのような広い文脈のもとで雨乞い儀礼を実践しているわけではないからだと言える。その証拠にバート・ランカスター演じる山師は、馬車に乗って町から町へと絶えず移動している放浪者であって、つまり著者によれば呪術が存在し得ないはずの狩猟採集民的な暮らしをしていることがあげられる。この映画のウリは、農耕民的な定住生活を送っているキャサリーン・ヘップバーン演じるオールドミスと、狩猟採集民的放浪生活を送る山師がアンビバレントなやり取りを繰り広げるところにあるわけだが、そう考えてみると映画とはいえ二人のかみ合わなさはきわめて理にかなっていると言えよう。

 

さてもう一つはそれよりさらに興味深い。次のようにある。「それらの行為がおこなわれるコンテクストを重視することだ。ドゴン調査に加わった作家のミシェル・レリスは、雨乞い儀礼がおこなわれるのは、「空が真っ黒になって、雨がくることが誰の眼にも疑い[sic]なくなったとき」だと明記しているし、英国の人類学者ゴドフリー・リーンハートも東アフリカのディンカ社会で、マラリア除けの儀礼がおこなわれるのは雨期が終わってマラリアの危険が少なくなったときだし、雨乞い儀礼が実施されるのは雨期が近づいたときだと明記している。()これらの例が示唆しているのは、研究者より現地の人びとの方が状況をよく理解し、知的にも洗練されていることだろう。研究者は個々の象徴的行為と現実の出来事のあいだの関係性だけを見て呪術と口にするが、それでは単純すぎる。人びとは現実に雨を降らせようとして雨乞いをするというより、総体としての儀礼が現実に対して効果をもつことを確認するために儀礼を実践しているのであって、視点が根本から間違っている。もし人びとが儀礼に対する信頼や確信をもつことができなかったなら、儀礼がおこなわれることはなかったはずだし、もし儀礼がなかったら、はたして農耕がおこなわれたかも疑わしいのだ(136〜7頁)」。先にあげたバート・ランカスター扮する山師の例で言えば、彼はまさに個々の象徴的行為と現実の出来事のあいだの関係性だけを強調していたことになる。現代人は合理性=科学的合理性だと信じ切っているから、合理性にはここで言う信頼を含めた実践的合理性も含まれることをなかなか理解しようとしない。その典型は無神論の四騎士やその追随者たちではないだろうか。そもそも信頼などの実践的合理性が重要であるという点は、現代の経済・金融にも当てはまるはず。たとえば通貨に対する信頼度が暴落すれば、ハイパーインフレが起こる。ケインズさんの美人コンテストでさえ、近現代人の実践的合理性の発露の一例と見なせるのかも。こうしてみると、経済・金融政策とはある意味で一種の呪術なのかもしれないよね。

 

「第4章 多神教の成立――国家と古代文明の宗教」では、まずアフリカの四つの首長制社会と四つの初期国家を取り上げ、それらの共通点と相違点を見極める。ちなみに「初期国家」とは「人口数万〜数十万の小規模な国家(165頁)」として定義されている。首長や王が祭祀をつかさどる存在である場合、共通点として次の六項目があげられるとのこと(185頁)。

@     首長や王は雨や豊穣をはじめとする自然の出来事をコントロールできると考えられている。

A     祭祀をつかさどる首長や王だけに課された禁止や象徴が存在する。

B     首長や王の就任式は当事者の儀礼的死の様相をとる。

C     首長や王が死んだとき、葬送儀礼は一種の転倒儀礼となる。

D     首長や王が病気や高齢で衰弱したとき、みずから死ぬか殺されることが不可避とされる。

E     首長や王は軍事に結びついている。

ちなみに転倒儀礼とは、一定期間儀式的に階級が反転して、たとえば奴隷が王のように振る舞ったりすることをいう。

 

次に著者はここから注目すべき点をいくつかあげているんだけど、最初の点がもっとも興味深かったのでそれを取り上げておく。「首長も王も当該社会の主要な儀礼をつかさどり、それによって雨や季節の循環を支配し、作物の豊作や家畜の繁殖などの出来事を実現可能だと信じられている。また、彼らにはさまざまな象徴が与えられ、行動を規制するさまざまな禁止にしたがわされるほか、就任にあたっては普通の人間としての死を経験する。これらのことは、王や首長を、自然をコントロールするべくつくられた儀礼の体系に埋め込むための措置と考えられるだろう。彼らはこのようにして儀礼の体系に同一視されるがゆえに、自然をコントロールすることが可能だと信じられているのであって、生身の人間としての彼らにそれが可能なわけではない。(…)「神聖なのは王権であって、王自身ではない」のだ(185〜6頁)」。この説明を読んで法学者エルンスト・カントロヴィッチの有名な「王の二つの身体」の概念を思い出す人も多いはず。実際、少しあとのほう(194頁)でカントロヴィッチの名前に言及されている。首長制社会、さらには国家ほどの大きさの集団になると、「王の二つの身体」のような権力の時間的連続性を保証する装置が組み込まれていなければ、集団の安定性が確保できなくなるのでしょうね。著者も、そのような仕組みを通じて「個々の王は死んでも儀礼の体系と一体化した王権は死なずに存続すること(194頁)」が可能になり、「こうした持続する王権の観念が循環する時間意識を超えて屹立する時間意識=歴史意識を生み出した(194頁)」と述べている。現代世界において、日本はもとより世界でもっともリベラルな国々と見なされている北欧諸国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)やベネルクス三国でも君主制が残っている理由の一つもここにあるのではないかと私めには思える。つまり民主主義社会でも、国家の連続性をいかに確保するかという問題が消えてなくなるわけではない。もちろん王制を取らない民主主義国はいくらでもあるけど、王制が国家の連続性を確保するための強力な装置になることは間違いなく、別の装置が単独で機能することが保証されていないところで、いきなりそれを廃止すれば問題が生じることは容易に推測できる。フランス革命中、ならびにその後のゴタゴタについて考えてみればそのことはよくわかるはず。

 

さて第4章の後半は四大文明における状況が説明されているけど、四大文明すべてが30頁程度で扱われているからか、一度読んだだけではめぼしい記述が見つからなかったので省略する。それよりも第4章のタイトル「多神教の確立」を見て疑問を持つ向きも多いだろうから、それについて説明しておく。その疑問とは、「キリスト教やイスラーム教(本書では「イスラーム」と表記されているのでそれに合わせる)が紀元後に成立するまでは、ヤーヴェを崇拝するユダヤ教(そのユダヤ教ですら最初は多神教だったという説?があるらしい)や、太陽神アテンを唯一神として祀った古代エジプトのアクナーテンのような例外的な事例はあるとしても、多神教は狩猟採集社会の頃からすでに成立し、宗教の標準仕様だったのでは?」というもので、少なくとも私めは第4章を読んでいるあいだはその点が気になって仕方がなかった。アクナーテンの事例など、キリスト教支配下のヨーロッパとはまったく正反対に、本人がお星さまになったら一神教たるアテン崇拝こそが異端として扱われるようになるわけだしね。でも実のところ、その答えは第4章ではなく、次の「第5章 世界宗教の誕生――「枢軸の時代」」の冒頭の節「古代文明が育てた多神教の世界」にあった。開口一番次のようにある。「前章では旧世界における古代文明の誕生とともに、多神教世界がどのように成立し発展したかを見てきた。とはいっても、多神教が古代文明とともに成立したと考えられるわけではない。先に第3章で見たように、初期国家や国家をもたない農耕民や牧畜民のもとでも複数の神々が存在し、人びとは儀礼を通じてこれらの神々に豊穣や健康を祈願しながら生きていた。その意味では、多神教の世界は古代文明がつくり出したものではなく、それ以前から存在してきたのだった(227頁)」。

 

では何が変わったのか? まず次のことが言えるらしい。「その変化はまず神々の数にあらわれており、国家をもたない農耕民や牧畜民のもとでは複数の神々が存在していたとしても、せいぜい数柱ないし十数柱の神々が存在するだけであった。これが古代文明になると、エジプトやメソポタミアに見られたように数千の神々が存在するようになったのである。その理由の一つは、古代文明が勢力を拡大したときにさまざまな地域集団や異民族を征服し、個々の集団が信奉していた神々を併合したことであった(227〜8頁)」。と〜しろ〜からすると後半はよいとしても、最初の「国家をもたない農耕民や牧畜民のもとでは複数の神々が存在していたとしても、せいぜい数柱ないし十数柱の神々が存在するだけであった」というくだりは少し奇妙に思える。というのも、確かに農耕民や牧畜民はそうであったとしても、第2章のタイトルにあるように、さらにそれ以前の狩猟採集社会はアニミズムの世界だったのであり、アニミズムの世界ではそこら中に神さまがいそうに思えるから。要は神さまの数は、「狩猟採集社会→農耕牧畜社会→初期国家」と変遷するあいだに「超超超たくさん→とっても少ない→けっこう多い」という変化をただったことになるように思えるけど、その点、もう少し説明が必要だったという気がする。それはまあよいとして、さらに次のような変化があげられている。「多神教のあり方の変化は神々の数だけではなく、その性格にもおよんでいた。農耕民や牧畜民の場合には、複数の神々が存在したとしても、一柱の神が複数の機能を果たすことが一般的であった。(…)一方、古代文明のばあいには、それぞれの都市が異なる神々を祀っていたし、農耕民の神、商業者の神、鍛冶師の神、牧畜民の神、占い師の神、雷の神、暦の神などのかたちで神々が分化し、異なる役割と個性をもつようになった、複雑化する社会のなかで人びとの職業や役割が分化していったように、神々もまた個別化され、明確な個性をもつ存在として特徴づけられていったのだ(228頁)」。これはよくわかるよね。ギリシアの神さまなど、戦争の神さまだの恋愛の神さまだのなんやらの神さまだのって、一芸で食っている専門家みたいだし。また神さまの性格が変われば、それを祀る儀礼も変化するわけで次のようにある。「このように神々が個性化されその力能が絶対化されると、人間が自然に対して働きかける手段としての儀礼も変質していった。農耕民の宗教の中心にあるのは一連の儀礼であり、農耕と人生のサイクルに沿ってくり返し儀礼をおこなうことで、農業や人生の成功への期待が確信へと転換されていた。これに対し、神々が個性化し絶対的な力をもつと信じられるようになると、身体や心理に働きかける手の込んだ儀礼はすたれ、神々への祈願が優先されるようになった。その結果、人間と神々とをつなぐ特権的手段として供儀が重視されるようになったのである。(…)古代文明の特徴である多神教の世界では、儀礼の体系の原則は保持されていたとはいえ、王やその代理人がおこなう供儀が宗教的実践の中心に位置するようになったのだった(229頁)」。率直に言えば、ここまでの第5章の記述は、第4章の最後に置くべきだったような気がする。

 

第5章の残りは一神教の成立について論じられている。ユダヤ教をその嚆矢と見ているようだけど、と〜しろ〜からすると細かい部分で「???」という箇所がいくつかあった。三点ほどあげておきましょう。一つはシャーマニズムと聖書の預言者の相違に関して次のようにある点。「一般にシャーマニズムの場合、複数の神ないし霊が存在するので媒介者(メディウム)も複数存在することになり、媒介者が絶対的な権威をもつことはない(図5―4)。しかし、神が唯一の存在であるとすれば、それを媒介する職能者はひとりないし少数しか存在しえないので、そのことばは絶対的な権威をもつことになる。その意味では、社会的・宗教的に周辺化された存在である古代イスラエルの預言者たちが、神の唯一性・絶対性を強調したことは必然であった(250〜1頁)」。これを読んだ私めは、どうして「神が唯一の存在であるとすれば、それを媒介する職能者はひとりないし少数しか存在しえない」と言い切れるのだろうと思ってしまった。もちろん何か理由があるんだろうけど、明確に書いておいてくれなければ、その理由はと〜しろ〜にはよくわからない。それからこの文章全体がやや循環論法気味に響いた。

 

二つ目の疑問は、拝一神教(選書本では一神崇拝)と唯一神教に関して次のようにあること。「しかし、私にはこの二つの概念の区別が重要であるとは思えない。民族宗教の枠内にとどまりながらヤハウェの名において他民族の神々を否定することは、他民族との共存を不可能にする民族主義的覇権主義や「選民思想」以外のなにものでもないからだ(251頁)」。少し言い過ぎのような気が・・・。ユダヤ教にはそういう性格があるのかもしれないとしても(ユダヤ教では元来拝一神教であったものが唯一神教に移行したことについては前述の『キリスト教の本質』を参照されたい)、唯一神たるアラーの神さまを信奉するイスラームは、スペインやトルコなどで他民族といちおう共存していたのではなかったのではないだろうか。要するにいくら教義的には唯一神教の形態を取っていたとしても、実践的には拝一神教的な方針を取らざるを得ないという現実があるのと思われる。さもなければ、キリスト教もさんざん宗教戦争をやらかしてきたわけだから唯一神教の範疇に入ると思うけど、それが正しいのなら現代においてもキリスト教国ではキリスト教の神さま以外を信奉する他民族とは未来永劫共存できないことになりそう。だとすると、滅びゆく日本はヨーロッパを見習えとか何とかのたまっているリベラルが発狂しそう。もちろん直後に「それが宗教史的に見て真に革新的な意味での唯一神教化するには、のちにイエスと彼が興したキリスト教がおこなったように民族宗教の枠を批判し、それを超越する思想と実践を案出することが必要であった(251頁)」とあるように、ユダヤ教が民族宗教の範疇に留まっていたのに対し、キリスト教やイスラーム教は世界宗教へと脱皮して、民族宗教の枠にとらわれた狭量な考えを超越することが可能になったと言いたいのだろうとは思う。しかしそれならなおさら、民族宗教から世界宗教に脱皮するためには、たとえ教義的には唯一神教の形態を取っていたとしても、実践的には拝一神教的な施策を取らざるを得ないことを意味するわけで(引用箇所にも「実践」という言葉が含まれている点に注意されたい)、唯一神教と拝一神教を概念的に区別することが無意味になるわけでは決してないと思う。突拍子もない例をあげれば、日本国憲法の解釈改憲もこれに似ている。あるいは聖書の解釈でも、神さまが6日間で世界を創造したという記述を、科学的事実に合わせるためにその6日とは必ずしも1日が24時間と勘定する必要はないなどと言ったりするのにも似ている。結局、特定の原理を実践的に適用する際には、解釈を変える必要があるのが普通であり(神学にさえ「決議論(casuistry)」なるものがあるわけで)、その点で拝一神教と唯一神教の区別は重要になる、あるいは少なくとも無意味ではないのではないかと個人的には思う。それとも竹沢氏も実践的には拝一神教的にならざるを得ないのだから、拝一神教と唯一神教を区別しても無意味だと言いたいのかな? それならわからないでもない。

 

三つ目の疑問は聖書解釈に関して次のようにある点。「こうした解釈、とくにイエスの言動を同時代のユダヤの地で生じていた社会運動に結びつける視点は、両者が関与していた人びとが共に社会の底辺層であっただけに興味深いものがある。しかしながら、その解釈を肯定するには、ほとんどが奇跡譚である四つの福音書の記述を否定することが必要になる。もしイエスが武力によるローマからの独立をめざしたユダヤ民族主義者であったなら、彼が社会の底辺で生きる人びとを救うためにあれほど奇跡をおこなう必要はなかったはずだからだ(256頁)」。個人的には、『応仁の乱』(中公新書)の呉座氏らが言うように、歴史記述において下剋上史観や階級闘争史観のような左派イデオロギーを持ち込むのは、歴史の歪曲につながるがゆえに問題だと思っているとしても、この竹沢氏の主張の根拠はいったいどこにあるのだろうかと思ってしまった。ローマ帝国支配下でユダヤ人が武力によって虐げられていたのなら、なおさら「神頼み」ということで奇跡に関する記述が増えるのは当然のような気がする。他の理由ならともかく、なぜその理由で「ほとんどが奇跡譚である四つの福音書の記述を否定する」必要があるのだろうか。民族闘争に励んでいるのだったら、奇跡を披露している暇などあるかいということなのかな?

 

第5章の残りは、章題にあるとおり「世界宗教」について論じられている。ただしこの章で扱われているのはキリスト教と仏教だけで、イスラーム教は次章に回されている。副題に「枢軸の時代」とある以上は紀元七世紀に成立したイスラーム教をそこに含めることはできないのだろうけど、そもそもそんな副題をつけなければいいだけの話で、ほんとうの理由は次章に書かれておりそこで取り上げる。なおここではキリスト教と仏教に関する細かな歴史的記述は省略する。ところでこの章の末尾に「儒教は世界宗教か」という節があって、儒教を政治哲学、倫理体系として世界宗教から除外している。確かに本書にもあるように加地伸行氏など儒教を宗教と見なすアカデミックはいるとしても、普及範囲が東アジアにほぼ限定される儒教を「世界宗教」と見なす人はそもそもあまりいないような気がする。もしかして加地氏らの「儒教⊂宗教論」を否定するためにわざわざこの節を設けたのではないかとすら思えた。まあそれはよしとして、世界宗教としてのキリスト教と仏教の共通点が六つほどあげられているのでそれをここに引用しておきましょう(290〜3頁)。

@     いずれも既存の宗教の改革運動としてはじまった。

A     イエスにしてもゴータマにしても、その弟子たちに定住地をもたず財産をもたず、家族も配偶者も職業ももたずに世俗を離れて生きることを強いた。

B     ふたつの宗教とも、既存の宗教の特徴である儀礼主義を批判した(…)これらの宗教が儀礼を簡略化したことは、宗教者が在家者のための儀礼の執行に拘泥されず、教義の深化に専念することを可能にした。教義を中心とし、同時代のさまざまな思想をとり込むことの可能な新しい宗教のあり方がそこから生まれてきたのである。

C     いずれの宗教とも宗教者は世俗から切り離されていただけに、経済活動に従事しながら彼らを支援する在家の信者を必要とした。

D     ふたつの宗教とも親族や地域集団といった既存の組織に立脚するのではなく、集団から析出された個をターゲットとしていた(…)これらの宗教の誕生をうながしたのは都市化と商業化の進行に代表される社会変化であったが、それらはそうした未知の事態に対応可能な新しい枠組みを提供したのであり、そうであったからこそ広く成功を収めることができたのだった。

E     これらの宗教は世俗からの分離を徹底したことで、既存の社会システムの枠を超えて広がることが可能になった(…)世界中に浸透することを志向する宗教、つまり世界宗教がここに誕生したのである。

以上が世界宗教の特徴としてあげられている。ただ@とAは、初期の話のようで、教会などによって組織化されたあとの組織宗教という点では、B以後の要因が複雑に絡んでくるように思われる。

 

本筋とはあまり関係はないけど、それに関連することとしてキリスト教に関して次のような指摘がある。「原始キリスト教は儀礼を簡素化し宗教者に対して非定住を課していたが、のちにはローマ帝国と一体化するなかで壮麗な教会を建設するようになり、煩瑣で荘厳な儀礼もおこなうようになっていった(294頁)」。壮麗な教会を建設したり、煩瑣で荘厳な儀礼をおこなったりするためには、言うまでもなく先立つものが必要になる。要は、どこかから資金を吸い上げなければならなかったはずなのですね。前述の『キリスト教の本質』で、神学者の加藤氏は「キリスト教に、さまざまな宗派・分派があることを、具体例で示す作業は、無限に続けることができる。どれも「神なしの領域」での出来事であり、「(空虚な)神」をビジネス目的でいかにうまく利用できるかで、{栄枯盛衰/えいこせいすい}を繰り返している姿でしかない(同書203頁)」として、「キリスト教ビジネス説」を爆誕させていたけど、さすがにそれは言い過ぎとしても、そこで私めが「ピーター・ブラウンのような歴史学の大家も、大著『Through the Eye of a Needle: Wealth, the Fall of Rome, and the Making of Christianity in the West, 350-550 AD』(PUP, 2012)で、ローマ帝国の富がいかにキリスト教会に流れ込んだかを論じているほどだし、あながち的はずれでもないのでしょう」と書いたように、実際に先立つものはすでに古代の頃から、ローマ帝国からキリスト教会へと流れていたもよう。だから、誰の説か忘れたけど、中世になってバイキングやら(嫁殺しのヘンリー八世やら)が教会に滞留していた資産を奪ったり差し押さえたりしてヨーロッパ市場に還流させることで、のちのヨーロッパの商業の発展がもたらされたとか言われているわけね。

 

ということで次の『第6章 宗教改革の光と影――宗教は現代世界の成立にどう関係したか』に参りましょう。この章ではまずイスラーム教が取り上げられている。イスラーム教の成立に関する細かな記述は省略して、イスラーム教が、他の世界宗教のキリスト教や仏教とは異なり「宗教改革」を扱う別の章で取り上げられている理由に関して次のように述べられているので引用しておく。「人類の宗教の歴史という観点から見るなら、イスラームはどのような特性をもつ宗教として理解されるのだろうか。ユダヤ教やキリスト教の後継であり、かつその超克をめざしてはじまったイスラームは、きわめて合理的な宗教だということができる。それはキリスト教のような、イエスが人間であり神であるといったあいまいさを許容しないし、他の宗教の骨子である聖職者による神と人間のあいだの仲介を認めることもない。また、ユダヤ教やキリスト教が引きずっている儀礼主義的な要素を極度に排除しているし、信者ひとりひとりがコーランに向きあい理解することを強くもとめている。これらの点は、まさに後代の宗教改革を先取りしたものであり、イスラームは合理主義的性格を強く打ち出した宗教であった。だからこそそれは、中世ヨーロッパで無視されていた古代ギリシアの知的成果を積極的にとりいれ、その翻訳出版に力を注いだのである(314頁)」。要するに「合理性」がキーワードらしい。もともと彼らは商業の民だったこともあるのかも。とりわけ最後の一文は、宗教を離れても通用する話であり、きわめて重要なので肝に銘じておきましょう。イスラームがなければ、ルネサンスもその後の西欧の啓蒙主義も、ひいては科学革命や産業革命もなかったかもしれないしね。ただその直前にある、但し書きつきとはいえ、国民国家はイスラームによって最初に構想されたという主張はいかがなものだろうと思った。たとえばこれは古代ギリシアの直接民主制を現代の(間接)民主制の起源としてとらえるのと似ていなくもない気もしてくる。正しい部分もあれば、間違っている部分もあるという印象を受ける。がいずれにしても、「国民国家」をどう定義するかにもよるだろうから、ここでは深入りしない。

 

次はルターやカルヴァンら元祖プロテスタントによる、小学生でも知っている(かな?)宗教改革が取り上げられている。その経緯に関する記述をここでわざわざ取り上げる必要もないので省略するとして、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の要旨が6項目に分けて簡潔にまとめられており、よく知らない人には参考になるはずなので引用しておく(338頁)。

@     初期資本主義の発展が生じたのは、オランダやイングランド、北フランスなどのカルヴァン派が優越した土地である。

A     カルヴァン派は予定説に立ち、禁欲的エートスと呪術からの解放を他の教派以上に実現した。

B     富を獲得し蓄積することは人間の歴史のどの時点でも生じたが、それを消費せずに純粋に富を蓄積しようとすることは資本主義に特有の現象である。

C     これを資本主義の精神と呼ぶなら、制度としての資本主義は資本主義の精神が成立してはじめて可能となる。

D     カルヴァン派の予定説は救済への不安をかき立てたために、信者はその不安を解消するべく禁欲的に世俗的労働にまい進した。

E     世俗的労働が救済への不安を軽減させることができたのは、労働を神が各人に課した天職とするルターの見方をカルヴァン派もとり入れていたためである。

著者の竹沢氏自身は、Cまではよしとしても、DとEは否定的に見ているもよう。ちなみに前半のツイでも述べたとおり、ジョセフ・ヘンリックのように現代の欧米(WEIRD)文化の起源を{カトリック/傍点}に求める研究者もいる。

 

そのあとでフーコーがやや否定的に取り上げられているけど、フーコーはどの道、宗教にはあまり関心を示していなかったような・・・。その昔青土社さんにもらった重田園江著『フーコーの風向き』という本をちょうど今読んでいて(青土社さんすんましぇん、今頃読んでいます)、そのあたりに関連しそうな「生政治」や「生権力」に関するフーコーの考えが解説されているけど、宗教に対する言及はほとんど見かけられない。

 

選書本のその後はイングランドの宗教改革やピューリタンなどに言及されているけど特に注目すべき点はないので飛ばして、「宗教改革は現代世界になにをもたらしたか」という節に興味深い指摘が二点あったのでそれをあげておく。一つは次のようなもの。「改革者たちは自分たちの教えが正しいと信じていたので、それを他に伝えることに尽力した。しかしそのことは、既存の宗教体系から見れば反乱であり、異端として断罪されるべきものであった。かくして、宗教改革が生じたところでは多数の宗教が併存する教派化の状況がもたらされたのであり、この時代には宗教は社会と不可分にむすびついていたので、改革派は弾圧されるか、ドイツのように世俗権力に支持されたときには宗教戦争が発生した。しかも教派化の状況においては、各教派は信者の教育につとめ、規律を重視し、貧者や社会的弱者への保護をおこなうなど、社会と行動倫理の革新をもたらした。教派化が主権国家の誕生につながったことはドイツでもネーデルラントでも見られており、一六一八年からの三十年戦争を終わらせるためのウェストファリア条約が主権国家からなるヨーロッパの国際秩序を誕生させたことを考えるなら、宗教改革と教派化こそが新しい政治秩序の形成に貢献したのだった(353頁)」。近代の政治秩序がウェストファリア条約によって確立されたというのは小学生にはチト無理でも高校生なら世界史の中間テストに出るから覚えておく必要があるけど、やはりその根底には宗教(改革)があったということになる。

 

さらに言えば、宗教(改革)は近代の政治秩序のみならず、近現代科学の誕生にも貢献している。それが二点目で、次のようにある。「デカルト、スピノザ、ロックといった一七世紀の大思想家がいずれも自由なオランダに滞在していたこと、ニュートンやベーコンなどの自然科学者や実証主義者が熱心な改革派信者であったこと、自然科学の発展に貢献した王立協会のメンバーの多くが改革派であったことを考えるなら、神と人間のあいだの情緒的関係を断ち切ることで人間の関心を自分自身と周囲の世界に向けた宗教改革が、自然科学の発展に寄与したことは疑いない。『一七世紀科学革命』について論じたジョン・ヘンリーがいうように、「宗教と神学が近代科学の発達において大きな役割を担ったことは疑いようがない」のだ(354〜5頁)」。前述の『創造論者vs.無神論者』を取り上げたとき、「私めが[無神論の]四騎士の考えを懸念する理由の三つ目は、そもそも科学の起源は宗教に求められるという説もあり、後者を完全に掘り崩してしまうことは、科学を、いわば『Inherit the Wind』に登場するジーン・ケリーキャラクターのようなデラシネにする結果をもたらしうるという点にある」と述べたように、宗教と科学の連続性を強引に断ち切ろうとすることは近現代科学のルーツを自ら否定することに等しい。まさにそのことが、この選書本の文章からもよくわかる。

 

最後の章「結論」は全体の簡単なまとめなので省略する。ということで冒頭の宗教に関する問いにすべて答えられていたかというと、直接的には答えられていないものが多かったようにも思えるけど、私めの理解力の問題かもしれないのでぜひ自分で読んで判断してみてね。ここまでいくつか指摘したように「???」な箇所もいくつかあったとはいえ、読んで損はない本だと思うし。

 

 

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※2023年11月13日