「粘りに粘った末の決勝打」とか「粘って9回ようやく同点に追いつき」などという。「粘る」ということが大事なことは分かるが、具体的にはどういうことだろうか。どうすれば粘れるのか。
打者が粘るとは、ボール球には手を出さず、際どい球をカットし、自分が打てる球が来るまで打ち急がないことだ。さらに、好機にはサインプレーを着実に実行し、自分がアウトになっても走者を進塁させるような打撃をすることである。どんなに優れた投手であっても、際どい球をファールされ続ければ投げる球がなくなり、四球を出すか、ド真ん中に球がいってしまう。例え、粘った挙げ句凡打しても、相手バッテリーには嫌な奴だという印象が残る。すると、次に打席に入った時、少なくとも簡単には投げられない。つまり、心理的圧力をかけていることになる。このことが制球に影響を及ぼし、打者は有利な立場で打つことができる。要するに、粘れば幸運がめぐってくる。 投手が粘るとは、走者を出しながらも要所要所で打者を打ち取り、簡単には点を与えないことだ。走者を溜めてから長打を打たれることが最もいけない。低めに投げる;際どいコースに投げる;球を散らす;緩急をつける:そして気迫を込めた投球をすることだ。攻撃側としては、チャンスが何回も訪れるのに点が取れない、取れても最小得点しかできないという状況が繰り返されると、いつのまにかあせりにつながる。あせると走塁にミスがでたり、ボール球に手を出すようになる。つまり、バッテリーのペースに引き込まれてしまう。
チームが粘るとは、投手が粘りのピッチングをみせ、各打者が粘りの打撃を実行し、大量点をリードされていても簡単には諦めず、コツコツと走者を進塁させ、1点ずつでも挽回していく攻撃、作戦を実行することだ。その際、相手に追加点を許さないことが重要である。必要であれば投手交代や選手を入れ換えることも大切になる。勿論、内外野の堅守に支えられることが前提である。
「粘る」ということは勝負に対する執着心だ。執着心が強ければ自然に粘りの打撃、投球、試合運びになる。野球技術の問題ではない。だが、
これ、ゆめゆめ忘れることなかれ。 (平成10年5月25日掲載)
【幹事補足】 |
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