第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業

第8節
大工業によるマニュファクチュア、手工業、および家内労働の変革



a 手工業と分業とにもとづく協業の廃除

すでに見たように、機械設備は、手工業にもとづく協業と手工業的分業にもとづくマニュファクチュアとを廃除する。[483]

資本主義的経営様式のなかで、大工業経営がたいへん大きな影響力をもち、手工業経営や工場制手工業経営を駆逐してゆくことは、協業形態の発展のうえで不可避的な傾向だ。

しかし、大工業経営が社会で支配的な経営形態になる過程は、一気に、画一的にすすむものではない。先にマルクスは、道具が作業機となることが機械経営の発生のうえで画期をなす、ということを指摘していた(第13章第1節)。ただし、大工業経営は「自動化工場」の出現を必要とする。作業機は、制御可能で人間的地域的制約を脱した原動機とそれに応じて発達した伝動機構と結びつき、相互に作用し発展することで、機械工場の体系を形成したのであった。この、作業機と原動機とが結びつく過程で、作業機が手工業経営の基盤となることがある。

個々の作業機が、協業またはマニュファクチュアに取って代わる限りは、その作業機そのものがふたたび手工業的経営の基礎となりうる。しかし、機械設備にもとづくこのような手工業経営の再生産は、工場経営への過渡をなすにすぎないのであって、機械を動かす場合に機械的原動力すなわち蒸気または水が人間の筋肉に取って代わるやいなや、普通、いつでも工場経営が現われる。[484]

さらに、その過程では、機械経営がもたらす社会的分業の発展にともなって、新しい分野の産業が生み出される。マルクスは、これらの新興産業部門の発展過程に見られる、興味深い特徴を指摘している。それらの産業部門のなかには、必ずしも、全体が一時に機械経営を導入するわけではなく、段階的に、順を追って、協業形態を発展させる産業部門が存在するというのである。

工程の性格上、最初から大規模生産が必要でなかった場合、たとえば封筒製造、鉄ペン製造などのような最近数十年間に新たに登場した諸工業は、通例、工場経営への短期の移行局面として、まず手工業経営を、次いでマニュファクチュアを、経過した。[484]

画一的ではなく、一様ではないながらも、協業形態の発展傾向は、大工業経営を社会の支配的生産様式へと発展させてゆく。

b マニュファクチュアおよび家内労働に及ぼした工場制度の反作用

工場経営の発展に伴う、農業の変革について、マルクスは言及しているのだが、ここではその具体的実態がわからない。

工場制度が発展し、それにともなって農業が変革されるにつれて、あらゆる他の産業部門における生産規模が拡大されるだけでなく、それらの性格もまた変化する。[485]

工場経営が発展するにつれて、機械工場で確立され洗練されてくる諸原理が、手工業経営や工場制手工業経営がいまだ支配的な分業部門に影響を及ぼしてくる。この影響が、その労働現場で作業している労働者や家族にたいして与える激変は相当なものである。

工場経営はそれに応じた設備の配置とそれらに応じた人的配置を前提に発展してゆくが、この経営原理が、なんの設備的基盤も人的基盤もない分業部門に適用されるのである。徒弟制度的なシステムがいまだ支配的な作業場に、急速に、新しい経営原理が適用される。これがマルクスの指摘する「反作用」の実態である。

この反作用にも二つの側面がある。一方では、工場制手工業のもとで固定化されていた分業への労働者の束縛の解体。一方では、労働力の流動化。

いまでは、婦人労働、あらゆる年齢層の児童労働、不熟練工の労働、要するにイギリス人がその特徴から名づけている「チープ・レイバー」、すなわち安い労働を使用できる場合には、つねに分業の計画がこの使用を基礎にして立てられる。[485]

このいわゆる近代的家内工業は、独立の都市手工業、自立した農民経営、とりわけ労働者家族の家を前提とする古い型の家内工業とは、名称以外になんら共通するものをもたない。それは、いまでは、工場、マニュファクチュア、または問屋の外業部に転化している。[485]

マルクスは第1部第8章第2節で

その生産がまだ奴隷労働、夫役労働などというより低い諸形態で行なわれている諸民族が、資本主義的生産様式によって支配されている世界市場に引き込まれ、この世界市場によって諸民族の生産物を外国へ販売することが、主要な関心事にまで発展させられるようになると、奴隷制、農奴制などの野蛮な残虐さの上に、過度労働の文明化された残虐さが接木される。[250]

と指摘していた。ここでは、協業形態の「より低い形態」の工場が、「より高い形態」の協業形態の支配下におかれた場合の「残虐さ」の「接木」が分析されている。

安くて未成熟な諸労働力の搾取は、近代的マニュファクチュアでは本来の工場におけるよりもいっそう恥知らずなものとなる。なぜなら、工場に実存している技術的基礎、機械による筋力の置き換え、および労働の容易さは、マニュファクチュアではほとんど欠けており、同時に婦人のあるいは未成熟者の身体がきわめて非良心的に毒性物質などの影響にさらされるからである。[486]

この搾取は、いわゆる家内労働においては、マニュファクチュアよりもさらに恥知らずなものとなる。なぜなら、労働者の抵抗能力は彼らの分散とともに減退するからであり、一連の盗人的寄生虫が本来の雇い主と労働者のあいだに介入するからであり、家内労働はいたるところで同一生産部門における機械経営あるいは少なくともマニュファクチュア経営と闘争するからであり、貧困は労働者からもっとも必要な労働諸条件――空間、光、換気など――を奪うからであり、就業の不規則さが増大するからであり、最後に、大工業と大農業とによって「過剰」にされた人々のこの最後の避難所においては、労働者の競争は必然的にその最高限度に達するからである。[486]

機械経営によってはじめて体系的に完成された生産手段の節約は、……いまでは、ある産業部門において労働の社会的生産力と、結合された労働課程の技術的基礎とが未発達であればあるほど、その敵対的で殺人的な側面をますますあらわにする。[486]

この段落の最後部分の「労働の社会的生産力と、結合された労働課程の技術的基礎」との発達度合いについての記述は、2つの見方ができると思う。1つは、この小節の考察対象となっている、資本主義的経営のもとにおける、手工業的経営とマニュファクチュア的経営にたいする指摘であるということ。もう1つは、より一般的な、あるいは逆説的な意味合いである。すなわち、「労働の社会的生産力と、結合された」(ここがみそだ)「労働過程の技術的基礎」との、より全面的な発達によって、資本主義的生産様式のもとでの生産手段の節約の反映が、「殺人的」ではないような段階に、乗り越えられる可能性である。深読みだろうか。

c 近代的マニュファクチュア

先の小節で指摘された諸傾向が、具体例で検証される。まず「近代的マニュファクチュア」の実態である。マルクス自身が本文のなかで指摘しているとおり、この実態は「労働日」の章(第1部第8章)で詳細な告発がなされている。

この叙述のなかでたいへん印象的なのは、マルクス(そして『イギリスにおける労働者階級の状態』を調査執筆したエンゲルス)が、女性労働者や児童労働者、そして「一般的な」男性労働者たちの道徳的退廃と肉体的影響とが、彼らのおかれている労働環境の粗悪さに原因があること、あるいは、彼らをその労働過程に引きずり込んでいる、社会的生産様式に原因があることを指摘している点である。

マルクスやエンゲルスは、博愛主義者でもなければ単なる人道主義者でもなかった。少なくとも、『資本論』が刊行された時点では。彼らは冷徹な視点で社会のあり様を観察したのではあったが、その視点の始点は、人間が人間として発達してきた、そもそもの労働のあり様を、科学的に検証し、生産力の発展過程を、人間社会の太い発展方向として見定めているものであった。

女性や子どもたちの「堕落」は、いったいどのようにしてもたらされたのだったろうか。現代の日本で頻発している、少年犯罪、児童虐待などを報道するメディアの視点が、ワイドショー的なものに感じられるから、余計、百数十年前のマルクスたちの人間への視線の温かさを感じざるをえない。

“枢密院”の主席医務官で、『公衆衛生報告書』の公式編纂官であるサイモン博士は、とりわけ次のように述べている――「私の第4次報告書」(1861年)「で示したように、労働者たちの第一の衛生権、すなわち、彼らの雇い主が彼らをどのような仕事のために集めようと、その労働が雇い主によってどうにでもなるものである限り、すべての回避できる不健康な状態から労働が解放されるべきだという権利を主張することは、労働者にとっては実際には不可能である。私は、労働者が自分でこの衛生的正義を獲得することが実際にできないあいだは、彼らは、保健警察当局からなんらかの有効な援助を得ることができないと指摘した。……無数の男女労働者の生命は、いまでは、彼らの就業そのものが生み出す無限の肉体的苦痛によって、いたずらに苦しめられ、縮められている」注(255)『公衆衛生、第6次報告書』、ロンドン、1864年、29,31ページ。[489]

引用されているこの報告書が刊行されてからすでに100年以上を経ている。日本国憲法が公布されたのは1946年11月3日、半年後の1947年5月3日に施行された。その25条にはこう記されている。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

マルクスやエンゲルスの叙述した労働者の実態から百数十年を経た現代日本で、はたして、この条項に則った生活を保障されている日本国民は何パーセントいるのだろうか。

d 近代的家内労働

次にマルクスが検証しているのは、資本主義的生産様式のもとにある家内労働の実態である。この実態については、ミシェル・ボネ(Michel Bonne)が彼の著書で告発した現代世界における児童労働の実態と、まったく瓜二つである。

貧しく零落した親たちは、ただ、子供たちからできるだけ多くを絞り出すことしか考えていない。子供たちは、成長すれば、もちろん親たちのことなど少しも気にかけず、親たちを見捨ててしまう。[493]

ここら辺りの記述に妙にリアリティを感じてしまうのは、なぜだろう。

「このような育ちの人々のあいだに、無知と悪徳とが満ちあふれているのは、なんらおどろくにあたらない。……彼らの道徳は最低の段階にある。……多数の女たちは私生児をもっており、しかもかなりの者が、犯罪統計の精通者でさえもおどろくほどの未成熟な年齢である」。そして、この模範的家族の母国は、キリスト教では確かに権威者であるモンタランベール伯に言わせると、ヨーロッパのキリスト教の模範国なのだ![493]

いま、「教育基本法」の「改定」を声高にさけび、「『愛国心』を持つ子どもを」と殊更に言い立てる政治家の多くが、企業や官僚との癒着を指摘されている。

日本において彼らの所属する政党・会派がすすめてきた青少年政策、教育政策はいかなるものだろうか。高校を卒業しても就職するあてのない状況を放置する一方で、彼らの親たちの働く場さえも奪っているのが、彼らのいう「改革」である。また、少年犯罪の多発にたいして、その根っこにあり、国連機関からも告発されている「過度の競争主義的教育環境」は野放し、あるいは強化する一方、犯罪にたいする「報復」措置対象年齢を引き下げる、というのが、政府の「対策」である。「国のため」「子どものため」という言葉が、経営者や閣僚や議員らの口から出てくる時にこそ、用心しなければならないのは、100年前も今日も同様である。

e 近代的マニュファクチュアおよび近代的家内労働の大工業への移行。それらの経営諸様式への工場法の適用によるこの変革の促進

婦人の労働力および未成熟の労働力のむきだしの濫用、あらゆる正常な労働条件および生活条件のむきだしの強奪、そして過度労働および夜間労働のむき出しの残虐さ――これらによる労働力の低廉化は、ついには、踏み越えられない一定の自然的諸制限に突きあたる。それとともに、このような基礎にもとづく商品の低廉化および資本主義的搾取一般も、同じ自然的諸制限に突きあたる。ついにこの点に到達するやいなや――それは長くかかるのだが――機械を採用し、分散した家内労働(あるいはマニュファクチュアも)を工場経営に急転化させる時が告げられる。[494]

ここで言われている「自然的諸制限」とは何か。

販売市場を――とくにイギリスにとっては、イギリスの習慣や趣味までも広まっている植民地市場をも――絶えず拡大させたもの、また日々拡大させているものは、まさに、商品に転化された人間の汗と人間の血との安さであった。ついに、転換点がやってきた。旧来の方法の基礎、すなわち労働者材料の単に野蛮な搾取は、体系的に発展した分業を多少ともともなってはいるが、それだけではもはや、増大する市場、およびいっそう急速に増大する資本家たちの競争にとっては、十分ではなかった。[495]

ミシンが労働者に及ぼした影響

ここでマルクスが取り上げている典型例は、裁縫労働過程全般にわたって導入されたミシンである。

近代的マニュファクチュア、すなわち資本主義的生産様式のもとにおけるマニュファクチュアには、すでに大工業経営が支配的な産業部門から、安い労働力、原料、「半加工品」などが供給されている。しかし、経営様式は手工業的分業形態を維持している。ミシンという「革命的な機械」が導入されても、一時にはその経営形態が崩れることはない。

社会的経営様式の変革という、生産手段の変化のこの必然的産物は、過渡的諸形態が多様に錯綜するなかで遂行される。これらの過渡的形態は、ミシンがすでにあれこれの産業分野をとらえている範囲とその時間的長さによって違うし、労働者の現状によっても、マニュファクチュア経営、手工業経営、あるいは家内労働経営のいずれが優勢かによっても、また仕事場の賃借料などによっても違ってくる。[496-7]

ミシンという機械が革命的であったのは、裁縫労働の多様性に適応する柔軟性を機械そのものの機能として備えていた点にあった。

過渡的形態の多様性は、本来の工場経営への転化の傾向を隠すものではない。この傾向は、ミシンそのものの性格によって助長されるミシンの多様な応用性が、これまで分離していた事業諸部門を同じ建物の中と同一資本の指揮のもとに結合させるからである。また、この傾向は準備的な針仕事やその他若干の作業も、ミシンのあるところでやるのがもっとも適当だという事情によって助長され、最後に、自分自身のミシンで生産する手工業や家内労働者の不可避的な収奪によって助長される。[497]

さらに、ミシン設備拡大のために投下される資本の増大、ミシンそのものの改良と低廉化などによって、ミシンの資本への集中が加速される。さまざまな関連する労働過程が「同じ建物の中と同一資本の指揮のもとに結合」される傾向は、必然的に、原動力を機械力に置き換えられる段階に至る。

ミシンの導入過程の描写で、たいへん興味深い部分がある。現代日本で私たちが活用しているパソコンの低廉化にもあてはまるような傾向を指摘した部分である。

やむことなく続くミシンの構造変化と低廉化とは、その古い型のものをも同じように絶えず減価させる。[498]

また、マルクスの考察のリアルさを実感させる叙述部分がある。原動力が機械力となり、作業機としてのミシンの改良という相互作用を引き起こす件である。

蒸気力の応用は、最初は、機械の振動、機械速度の調整の困難、軽量機械の急速な破損などのような、純粋に技術的な障害につきあたるが、それらは、経験がやがて克服することを教えるような障害にすぎない。[498]

工場法適用産業部門の拡張による産業革命の促進

この自然発生的に進行する産業革命は、婦人、年少者、児童が労働しているあらゆる産業部門に工場法が拡張されることによって、人為的に促進される。労働日の長さ、休憩、始業および終業時刻についての強制的規制、児童の交替制度、一定の年齢に満たないすべての児童の使用禁止などは、一方で、機械設備を増加させ、動力としての蒸気によって筋肉に代置されることを必要ならしめる。他方、時間で失われるものを空間で取りもどすために、共同で利用される生産手段、炉や建物などの拡張が起こる。すなわちひとことで言えば、生産手段のより大きな集中およびそれに照応する労働者のより大きな集合が起こる。[499]

工場法の適用は生産条件の整備を強制する

工場経営の本質的条件は、とくに労働日の規制を受けてからは、結果の正常な確実性、すなわち、与えられた時間内に一定分量の商品または所期の有用効果を生産することである。さらに、規制された労働日の法定の休憩は、労働が突然に、または周期的に休止されても、生産過程内にある製品は損害を受けないとみなしている。結果のこの確実性と労働の中断可能性とは、たとえば、製陶業、漂白業、染色業、製パン業およびたいていの金属製造業などのように、化学的および物理的諸工程が役割を演ずる工場よりも、純粋の機械的工場でのほうが、もちろん、容易に達成されうる。[499]

しかしあらゆる産業部門に工場法が適用されると、その達成が比較的容易ではない工場でも、工場法にもとづく生産工程の変革を迫られた。

それゆえ、ある産業部門に工場法を導入するさいに、6カ月ないし18カ月の猶予期間が設けられ、その間に工場主が技術的障害を除去することになった。[501]

この傾向は必然的に工場設備への資本投下の増大傾向を呼び起こす。周辺の手工業経営主らの没落と資本の集中が促進される。

工場法の適用は過度労働の最初の合理的抑制となる

純粋に技術的な、そして技術的に除去しうる障害を別とすれば、労働日の規制は労働者たち自身の不規則な習慣にぶつかる。……労働力の支出におけるこの不規則性は、単調な労働酷使の退屈さにたいする一つの自然発生的な粗野な反動であるが、しかし、それは比較にならないほど高い程度において生産の無政府性そのものから発生するのであって、この無政府性はまた資本による労働力の拘束されない搾取を前提としているのである。産業循環の一般的な周期的変動および各生産部門における特殊な市場の動揺のほかにも、とくに、航海に好都合な季節の周期性にもとづくにせよ、あるいは流行にもとづくにせよ、いわゆるシーズンがあり、またごく短期間で処理されなければならない大注文の突発性がある。このような注文の習慣は、鉄道および電信とともに拡大する。[501-2]

「注文の突発性」という点では、交通や電信手段が格段に発達している現代社会においては、当時と比較にならないくらい大きくなっている。

「……何年か前には、われわれはいつでも、暇なあいだに次の季節の需要にそなえてあらかじめ働くことができたが、いまでは、だれも次にどんな需要があるのか予言することはできない」(284)『児童労働調査委員会、第4次報告書』、XXXIIページ。「鉄道体系の拡張は、突然の発注というこの慣習におおいに寄与し、その結果である労働者の繁忙、食事時間の無視、超過時間に寄与するところ大であったと言われている」(同前、XXXIページ)。[502]

このあとにマルクスは工場法の適用を受けていない工場やマニュファクチュアでの過度労働を告発しているが、現代日本で身近によく見聞きする青年労働者の実態とたいへん似通っている。

「われわれの雇い主は、奇妙な人たちです。彼らは、一人の少年が半年間は死ぬほど働かされ、あとの半年間はほとんどぶらぶらせざるをえなくされても、その少年になんの害も与えていないと信じています」(286)『児童労働調査委員会、第4次報告書』、127ページ、第56号。[503]

現代日本にも、ずいぶん「奇妙な人たち」がおおぜいいるようだ。

「児童労働調査委員会」の根本的に良心的な調査が、実際に証明しているのは、いくつかの産業において、すでに使用されている労働総量は、労働日の規制によってのみ1年を通じて均等に配分されるであろうこと、この労働日の規制は、殺人的な、無内容な、それ自体大工業の制度に不適当な流行の気まぐれにたいする最初の合理的な抑制であること、大洋航海および交通手段一般の発達は、季節労働の本来の技術的基礎をとり去ったこと、その他すべての統御できないと言われる諸事情も、建物の拡張、機械設備の追加、同時に就業する労働者数の増加、および卸売商業の制度にたいしおのずから起こってくる反作用によって一掃されるということである。けれども資本は、その代弁者の口を通じて繰り返し明らかにされているように、労働日を強制法的に規制する「一般的な議会制定法の圧力下でのみ」、このような変革に同意するのである。[503-4]

文字通り、死ぬほどの過度労働や、いわゆる「サービス残業」と呼ばれるただ働きの蔓延にたいして、政府・行政が「労使の話し合いによる解決を」とうそぶいていることの欺瞞は明らかである。マルクスがここで指摘している課題は、今日的にもたいへん重要な意義をもっている。



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