第1部:資本の生産過程
第4篇:相対的剰余価値の生産
第12章:分業とマニュファクチュア
相対的剰余価値を生みだす、資本のもとにおける協業を、単純な形態からマニュファクチュア的形態へと考察がすすめられてきたのであるが、マニュファクチュアという協業形態の発展段階の特徴が、この節で考察される。
マニュファクチュア的分業の段階では、その作業場および関連設備を稼動させる労働者の人数は、この段階に応じた、技術的に可能なギリギリの数にまで増大する。より多くの利益を生もうとすれば、労働者の数を増やすことが条件となるが、その増加は分業の比例性の発展にともなって、倍数的に増加してゆくことになる。またそれとともに、労働者が労働力を行使する生産手段の総量も増加してゆかなければならない。「分業の利益」を増やすための労働者数の増加は加速度的なものであるから、
建物、炉などのような共同的生産諸条件の範囲のほかに、ことにまた原料が、労働者数よりもずっと速く増加しなければならない。与えられた時間内に、与えられた労働分量によって消耗される原料の分量は、分業によって労働の生産力が増大するのと同じ割合で増大する。[380-1]
したがって、マニュファクチュアを維持する場合に、個々の資本家が生産手段に投資するべき資本の大きさ、あるいはその社会全体において個々の手工業者や勤労市民たちの生活手段や生産手段が資本に転化してゆく傾向の増大は、資本のもとにおけるマニュファクチュアの分業の発展にともなう必然である。
よく「社会主義・共産主義の社会では財産が公的なものとなり、私的な財産の保有が認められない」という誤解があるが、この節でマルクスが指摘しているように、資本のもとにおける分業の発展は、社会的分業の一部門であった手工業者の生産手段のみならず、生活手段までをも、マニュファクチュア的分業の有機的連関のなかに組み込んでゆく。結局、それまで手工業者や職人たちが自立的に運営していた生産手段は、マニュファクチュアの一部分労働部門として運営・管理の対象となる。そのさい重大なのは、手工業者や職人たちの生産手段は、彼らの生活手段をも生み出していたことである。生活手段、すなわち彼ら自身の生活を営むうえでかかせない生産物さえも、マニュファクチュア的分業の連関のなかで、資本の運営・管理の対象のなかに入り込んでゆくことになる。端的に言えば、資本主義的生産様式こそが、直接生産にたずさわってきた生産者の私的財産である生産手段や生活手段を、資本のもとに吸収してきたのである。
一方で生産力の増大によって、その社会全体の“富”が急速に増大するために、資本のもとに吸収される個々の中小生産者たちの生産手段や生活手段が、それまで以上により大量に資本のもとに吸収されていっても、それが「相対的」にしか表に現われないために、その吸収度のすさまじさが容易には見えにくかったのである。
マルクスは、労働過程に入り込み生産物を生産する対象と手段を生産手段とよび、この生産手段の消費によって生産され、直接人びとのさまざまな生活で消費される物資を生活手段とよんで、厳密に区別している。それは、生産手段と生活手段がそれぞれまったく機能をことにする原料、あるいは生産物であり、それぞれの消費の意義も社会的にまったく異なるからである。このことは、とくに第1部第5章第1節「労働過程」の生産手段の考察で指摘されている。
単純協業は、個々人の労働様式を一般に変化させないが、マニュファクチュアは、それを徹底的に革命し、個別的労働力の根底を襲う。それは、生理的な衝動および素質のいっさいを抑圧し、労働者の細目的熟練を温室的に助長することによって、労働者を不具にし奇形者にしてしまう……。特殊的部分諸労働が、さまざまな個人のあいだに配分されるだけでなく、個人そのものが分割されて、一つの部分労働の自動装置に転化……される。[381-2]
単純協業ではまだいくばくかでも残っていた自立的作業は、マニュファクチュアでは完全に排除されている。マニュファクチュアにおける分業は、単純協業で開始された個人の作業能力の特殊化をさらにおしすすめ、彼自身が自立的に生産活動を行なうことを不可能なまでにする。
労働者は本源的には、商品を生産するための物質的諸手段をもたないから自分の労働力を資本に売るのであるが、いまや、彼の個別的労働力そのものは、それが資本に売られない限りは役に立たない。この個別的労働力は、いまや、それが販売されたあとではじめて実存する一つの連関のなかで、すなわち資本家の作業場のなかで、機能するにすぎない。マニュファクチュア労働者は、その自然的性状から自立的な物をつくることができなくされており、もはや資本家の作業場への付属物として生産的活動を展開するにすぎない。[382]
未開人が戦争のあらゆる技術を個人的策略として行なうように、自立的な農民または手工業者がたとえ小規模にでも展開する知識、洞察、および意志は、いまではもはや、作業場全体にとって必要とされているにすぎない。生産上の精神的諸能力は、多くの面で消滅するからこそ、一つの面でその規模を拡大する。部分労働者たちが失うものは、彼らに対立して資本に集中される。部分労働者たちにたいして、物質的生産過程の精神的諸能力を、他人の所有物、そして彼らを支配する力として対立させることは、マニュファクチュア的分業の一産物である。この分離過程は、資本家が個々の労働者に対立して社会的労働体の統一と意志を代表する単純協業において始まる。この分離過程は、労働者を不具化して部分労働者にするマニュファクチュアにおいて発展する。この分離過程は、科学を自立的な生産能力として労働から分離して資本に奉仕させる大工業において完成する。[382]
マニュファクチュアにおいては、全体労働者の、それゆえ資本の、社会的生産力の富裕化は、労働者の個別的生産諸力の貧弱化を条件としている。……実際、若干のマニュファクチュアは、18世紀のなかばに、簡単ではあるが工場の秘密をなす特定の諸作業に、好んで半白痴者を使用した。[383]
マルクスが引用しているように、マニュファクチュア的分業がもたらす労働者への影響については、すでに古典派経済学者たちが指摘していた。ファーガスン(Adam Ferguson 1723-1816)は彼の著書『市民社会史』(エディンバラ、1767年)のなかで
マニュファクチュアがもっとも繁栄するのは、人々がもっとも精神力を奪われて、作業場が……人間を部品とする一つの機械とみなされうるようになっている所である。(280ページ)[383]
と指摘していたし、アダム・スミスは『諸国民の富』のなかで
簡単な作業の遂行に全生涯を費やす人は、……彼の理解力を働かす機会をもたない。……彼は、およそ創造物としての人間がなり下がれる限り愚かで無知なものになる。……彼の特定の職業における彼の技能は、彼の知的、社会的、および軍事的な徳を犠牲にして獲得されるように思われる。ところで、あらゆる産業的文明社会では、これこそ……労働貧民、すなわち人民大衆が必然的におちいらざるをえない状態なのである。(158-9ページ)[383]
とさえ指摘していた。精神労働が肉体労働と分離し職業として成立しうることについては、ファーガスンがより端的に指摘していたことが、注のなかで紹介されている。(注71[384])
マニュファクチュア的分業による「人民大衆の完全な萎縮を防止するために」[384]、アダム・スミスは国家による国民教育を奨励している。ここでマルクスは、「慎重な同毒療法的服薬として」と書いているが、これがスミスの言ったことなのか、マルクスの考えなのか、よくわからない。この辺の研究については、『哲学の貧困』で考察されていることが注のなかにのべられているので、そちらを参照してみたい。なぜ「国家による国民教育」が「毒をもって毒を制する」と評されるのか。
ある種の精神上および肉体上の不具化は、社会の全般的な分業からも切り離すことはできない。しかし、マニュファクチュア時代は、労働諸部門のこの社会的分割をさらにはるかに前進させ、また他面では、その固有な分業によってはじめて個人の生命の根源を襲う[384]
資本のもとにおける単純協業が、マニュファクチュアのような「分業にもとづく協業」に発展してゆくのは必然であり、自然発生的であったが、このマニュファクチュア的分業がその社会のなかで支配的な生産過程となってゆくにしたがって、むしろ、価値増殖過程として、意識的、計画的、組織的な労働形態となる。
だから、はじめ自然発生的に生み出されてきた分業は、経験的に、作業場内と社会内部とに配置されるのであるが、やがて、以前の単純協業にくらべてはるかに“もうけ”を生み出してくれる労働形態をなんとか「破壊」せずにおこうという欲求から、いったん生み出された部分労働形態を、固守しようという傾向が生まれてくる。この傾向は場合によっては数世紀にわたり部分労働の諸形態を「維持」することになるとマルクスは指摘している。
マルクスは、社会の発展過程のなかで、とくに社会の生産力の発展という観点から、「資本主義的生産様式の意識的、計画的、かつ組織的な形態」[385]としてマニュファクチュア的分業が発展することで、「労働の新しい社会的生産力を発展させる」ことを指摘している。ただし、資本主義的な形態としてのマニュファクチュアが、「社会的生産力を、労働者のためにではなく資本家のために」発展させるということを指摘することを忘れてはいない。
マニュファクチュア的分業は、一方では、社会の経済的形成過程における歴史的進歩および必然的発展契機として現われるとすれば、他方では、文明化され洗練された搾取の一手段として現われる。[386]
マルクスは、経済学が独自の科学として成立したのは、マニュファクチュア時代にはいってからであったことを指摘している。古典派経済学の一連の天才たちを輩出したのがこの時代であった。
さきにマルクスは社会的分業そのものは原初の人類社会から存在するものであることを指摘していたが、古代ギリシアのポリス市民たちがすでに社会的分業について考察を行なっている。彼らの考察の内容と比較して、「独自の科学としての経済学の成立」について、マルクスはつぎのように指摘している。
マニュファクチュア時代にはじめて独自の科学として成立する経済学は、社会的分業一般を、もっぱらマニュファクチュア的分業の観点から、すなわち同じ分量の労働でより多くの商品を生産するための、それゆえ商品を安くし資本蓄積を速めるための、手段としてのみ考察する。量および交換価値のこの強調とは正反対に、古典古代の著述家たちは、もっぱら質および使用価値に固執する。……生産物の総量の増大に言及することがあっても、それはただ、使用価値がよりいっそう豊富化することに関連してである。交換価値や商品の低廉化については、ひとことの考えも述べられていない。[386-8]
ここで「古典古代の著述家たち」と呼ばれている人びとはまさに紀元前のポリス市民であるプラトン(Platon(Πλατων)427B.C.-347B.C.)やイソクラテス(Isokrates(Ισωκρατης)436B.C.-338B.C.)、クセノフォン(Xenophon(Ξηνοφον)430B.C.-354B.C.)ら天才たちのことである。彼らの社会的分業をめぐる考察が使用価値にのみ注目されているのは、社会発展のうえでの、すなわち商品交換の発展度合や、奴隷制を基盤にした経済社会であるという歴史上の制約からであって、彼らの知性の優劣にかかわるものではない。人間のそのときどきの認識は、そのときどきの社会のあり様に規定されるのであるから。
しかし、マルクスは注のなかで、これら「古典古代の著述家たち」の「口真似をしているにすぎない」18世紀の経済学者たち(ベッカリーア(Cesare Bonesna de Beccaria 1738-1794)、ジェイムズ・ハリス(James Harris 1746-1820)ら)を引き合いにだすときには、古典派経済学の天才たち(ペティ(Sir William Petty 1623-1687)、ファーガスン(Adam Ferguson 1723-1816)、アダム・スミス(Adam Smith 1723-1790)ら)とは一線を画して、その時代錯誤ぶりを皮肉たっぷりに指摘している。ここには、古典派経済学の天才たちを俗流経済学者たちと区別しているマルクスの評価と、そのときどきの社会の最良の科学的到達点を批判的に吸収しようとするマルクスの姿勢が表われているように思われる。
さきにマルクスは、マニュファクチュアの諸特徴を概観してつぎのようにまとめている。
手工業的活動の分解、労働諸用具の専門化、部分労働者たちの形成、一つの全体機構のなかにおける彼らの群分けと結合[386]
一方でマルクスはつぎのように指摘している。
マニュファクチュアが資本主義的生産様式の支配形態である時代のあいだ、マニュファクチュア独自の諸傾向の十分な展開は多面的な障害に突きあたる。[389]
この「多面的な障害」の根本的要因は、やはりマルクスが同じ段落のなかで指摘している。
手工業的熟練は、相変わらずなおマニュファクチュアの基礎であり、マニュファクチュアのなかで機能している全機構は、労働者そのものから独立した客観的骨格を保っていないので、資本は、絶えず労働者たちの不従順と格闘する。[398]
マルクスはマニュファクチュアの「限界」を指摘しつつ、「同時に」マニュファクチュアがつぎの段階の生産形態へ発展する、マニュファクチュア自体が内包する矛盾を分析している。
マニュファクチュアは、都市手工業と農村家内工業との広範な基礎の上に、経済的作品としてそびえ立っていた。マニュファクチュア自身の狭い技術的基盤は、ある一定の発展度に達すると、それ自身によってつくり出された生産諸要求と矛盾するにいたった。
マニュファクチュアのもっとも完成された形成物の一つは、労働諸用具そのもの、およびことにまたすでに使用されていた複雑な機械的装置を生産するための作業場であった。……マニュファクチュア的分業のこの生産物そのものが機械を生産した。この機械は、社会的生産の規制的原理としての手工業的活動を廃除する。こうして、一方では、一つの部分機能への労働者の終身的合体の技術的基礎が除去される。他方では、同じ原理が資本の支配にたいしてなお課していた諸制限がなくなる。[390]
マルクスは、機械の導入がマニュファクチュアから大工業への発展の契機だとは言ってはいない。なにより分業の発展、共同労働の一般的本質が資本のもとで促進することになったマニュファクチュア独自の諸特徴そのものが、協業に機械を導入したと指摘している。
そして、労働者を手工業的くびきから解放した、機械の導入による生産過程の変革は、相対的剰余価値の増大という、資本の要求を限りなくおしすすめることとなる。